PEACE BOATで世界一周の旅ーその26
2024/05/28
オカリナのレッスン始まる
学校の講堂と同規模のどでかい会場が船にあります。朝早く、楽器を練習する会場に開放しており、午前7時過ぎから様々な楽器を手にした乗船客が集まってきます。筆者はここでオカリナを習いたいと乗船前に買い込んだ陶磁器製のオカリナを持ってきましたが、初心者でドレミも満足に音が出ない。気おくれをしているときに、誘ってくれる方がいて参加することにしました。
指導してくれるのは元校長先生
筆者の船上でのオカリナの先生になったのは、群馬県で40年間、教員生活を送った徳江裕さんです。古希(数え70歳)を迎えたとき、次の人生を紡ぐ構想を練るため、PEACE BOATに乗船したという方です。徳江先生のオカリナ歴をお聞きしました。
2014年、校長として最後の務めをしていた年、オカリナと徳江先生の縁は偶然から芽生えました。課外授業で訪問した陶磁器を焼いている窯場で、初めてこの楽器を見て手にし、試しに吹いてみるといい音が出ます。その場は感心して終わりましたが、後日、窯場から焼きたてのオカリナが送られてきました。最初は大事に校長室に飾って来訪者に見せて楽しんでいました。
あるとき、ふいにオカリナを吹いて卒業する児童を送ってやりたいとの思いが芽生えたのです。それから曲目を考え、自身の力量と相談し、誰もが知っている曲を考えました。いろいろ練習曲を吹いているうち「ふるさと」が浮上してきました。「うさぎ追いし かの山・・・」あの歌です。それから毎日、懸命の練習が始まりました。
紅白のまん幕を張った会場で、この日卒業式が粛々と運んでいました。校長先生は式辞を述べるのが定番ですが、徳江先生は式辞の代わりに卒業式の最後に児童たちに送る言葉で締めくくることを考えていました
そのとき卒業式にお祝いの言葉を語った後に、オカリナ演奏をして子供たちを送り出そうというアイデアでした。卒業しても小学校時代の良き思い出を折に触れて思い出し、生きていくエネルギーに変えてほしいという思いがありました。
オカリナの吹き方は息を吹き込むところが難しい。手本を何回も見せてくれました。
猛練習をして準備してきた「ふるさと」を吹き始めると、子どもたちの表情がみるみる変わっていきました。心の中で唄いながら、野や山で走り回ったあの風景と級友と遊んだあの光景がよみがえり、突き上げてくる感動を懸命にこらえていました。
弾き終わると万雷の拍手が会場を揺るがし、吹き終わった徳江先生の手が感動で震えていました。
紙に書いた式辞を読むのではなく、送り出す校長の万感の思いをこの一曲に込めた感動が、見事に花開いた瞬間でした。
「ふるさと、この曲、私は好きなんですよ。出だしを歌い出すと子ども時代をどうしても思い出します」と筆者が言うと「誰でも同じです。この曲は日本人のふるさとでもあります」と徳江先生は言います。
この曲の練習が始まりました。
徳江先生は、定年で教員生活を引きましたが、大学の非常勤、幼稚園の事務局長など教育の場から離れることはなく、子どもたちの理科教育にも取り組んでいるとのこと。
果たして下船するまでに、2,3曲、満足に吹けるようになるかどうか。なんだか、緊張感高まるレッスンが始まっています。
沖縄返還の講演で追加発言
先日、沖縄返還の際の理不尽な密約・密使を展開して、負の遺産を残した佐藤栄作総理の話をした際に、時間を間違えて肝心の最後の方が尻切れトンボになっていました。講演後に聴者から最後の方をやり直してほしいという希望が寄せられ、追加発言として40分間の講演をしました。
この講演は、密約・密使外交を暴くためではなく、真実を検証しないでほったらかしにする日本は、同じ過ちを繰り返すという負の教訓を語るためでした。公文書管理が先進国の中で突出して劣っている点も強調し、負の遺産を断ち切ることを強調して追加発言を終えました。