10 東京理科大学・馬場研究室

北京で開いたミニ馬場研に想う

 2016年10月31日から11月4日まで、JST中国総合研究交流センターが企画した中国知財戦略研究会(荒井寿光会長)の一行5人と現地参加のスタッフが、急進的に改革する中国の知財現場を視察した。

 この視察団に自費で参加した馬場研3期生で弁理士の宮川幸子さん、ジェトロ北京駐在の同1期生の阿部道太さんと3人で、ミニ馬場研を開催する機会があった。

 ホテルの朝食時の約1時間の会合だったが、あれから10年を経て社会活動をするかつての同志に会えて幸せなひと時だった。この視察団の団長の荒井さん(左端)、阿部さん(右端)と共に撮影した写真がこれである。

2016年11月3日

 修士論文を土壇場で書き直した阿部さん

 久しぶりに再会した阿部さんは、ジェトロ北京の総務部長として重要な任務を果たしており、一回り大きくたくましくなっていた。

 帰国する機中の中で、東京理科大学知財専門職大学院(MIP)で研鑽した日々を思い出していた。

 筆者は教員という肩書だったが、院生諸君と共に研鑽する同志という思いで日々を過ごしていた。修士論文作成の指導という役割があったが、気持ちとしては共に学ぶという目線だった。一緒に取材に同行して苦労した場面を思い出す。

 阿部さんの修論のテーマは「植物新品種の育成者権保護と活用の戦略に関する研究」であった。育成者権というテーマは、10年前の知財の世界ではまだなじみがない珍しいテーマだった。

 しかも阿部さんは、突然、それまでの修論テーマを変えて、10月末になってこのテーマにしたものだが、短時間の中で精力的に取材し、文献を精査して仕上げた。結果的にこれがよかったのだろう。非常に内容のある論文に仕上がった。

 このとき、1期生に中国人留学生の姜真臻(きょう・しんしん)君がいた。いまダイキン工業の知財スタッフとして活躍している。修了する1期生の諸君に向かって筆者が書いたはなむけの言葉は、中国人留学生の姜君を意識しながら「21世紀は中国の時代である。ビジネスで最も関わりがある隣国をよく知る同士と今後も付き合い、いつまでも共有した時間を思い出して欲しい」と書いている。

特許ステーキ特許ステーキ「カタヤマ」で。右端に片山さんも入ってくれた。(2007年3月)

 中国の大学とMIPを掛け持ちした宮川さん

 今回の視察団に自費で参加したのが宮川幸子さんだ。MIPに進学してきた当時、環境関係の企業で活動する社会人であり同時に中国の大学にも籍を置いて学習しており、日中をビジネスと学業で往復する多忙な日々であった。

その合間を縫って知財学会では「中小企業活性化のための日中国際産学連携に関するシステムの提案」のタイトルで堂々と発表した。 

宮川学会日本知財学会で発表する宮川さん(2008年7月)

 2008年度の馬場研論文集を開いてみると、冒頭の言葉として筆者は「3期生のメンバー7人は、MIPの中でも精鋭の集まりであり、修士論文のテーマ設定から調査研究・分析・執筆活動まで共通認識に立った研究の雰囲気を終始保持し、論文執筆に取り組むにふさわしい研究室であった」と書いている。

宮川さんの修士論文は、「中国の大学生における模倣品に対する意識と行動」という大胆なテーマであった。大連、上海、北京、広州という4都市で約450人の大学生、大学院生を対象に模倣品の意識を聞き取るという調査は、世論調査が禁止されている中国でも初めてだったろう。もちろん日本でも初めての報告であり、オリジナルな調査として他の研究者の学術論文に引用されるほどだった。

宮川さんの意欲的な姿勢は修了後も持ち続け、弁理士試験に挑戦して見事に合格した俊英であった。今回の中国知財現場の取材でも、得意の中国語を駆使して積極的に交流を行い、独自の人脈を築いていった。

馬場研は、合計30人を輩出して終了したが、どの修了生も優れていた。いま社会人としてそれぞれの分野で中堅幹部になろうとしている。教員は年々老いていくが共に研鑽した同志たちは、日々輝きを増していく。その秘かな喜びをどうしても書きたいと思ってこれを書いた。

 


自民党の最リベラリスト・加藤紘一氏の死去に想う その1

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 安倍政権の集団的自衛権の行使容認は「徴兵制まで行きつきかねない」と反対を訴え、従軍慰安婦に関する河野洋平官房長官談話の見直しを進めようとする安倍首相を批判していた元自民党幹事長の加藤紘一氏が亡くなった。

 自民党の最リベラリストであり良識ある政治家であった。主義主張、政治哲学だけでなく科学技術に関しても並々ならぬ関心と展望を持っており、加藤政権が実現したときには、知的財産権意識を日本全土に広げたいという「挑戦的な政策」を胸に秘めていた。その「野望」も日の目を見ることなく、ひっそりと政治活動の幕を引いた。

 加藤先生との最初の接点は、1999年7月、突然、加藤自民党幹事長から電話をいただいたときから始まる。筆者はそのとき、読売新聞論説委員であり主として科学技術のテーマで社説を書いていた。

月刊誌「諸君!」(文藝春秋社、1999年7月号)に「ニッポン科学技術立国の迷信」とのタイトルで論文を書いたが、その中身について意見交換をしたいという加藤先生の申し出だった。

 この論文で筆者は、歴代自民党政権が掲げてきた「科学技術立国」を国是とする政策は、いかにインチキであり砂上の楼閣のような政策であるか具体的な事例と数字をあげて激しく批判したものだった。

 数日後に出会った加藤先生に筆者が「自民党議員に科学が分かる先生がいることを嬉しく思います」と言うと、すかさずこう言った。

 「私は理系人間ですからね。最初の受験は東大の理1を受けたが落ちましてね。1浪後にもう一度と思ったら、先生が理1は保証しないが、文1なら保証するというから文1を受けて法学部に入った。文1より理1の方が難しかった。それなのに法学部の方が日本を牛耳っている」と言って笑わせた。

 科学技術の先端研究のことをよくご存じであり、それから様々なテーマについて意見交換する機会を作ってくれた。加藤先生が科学技術に明るいのは、高校時代の同級生であるノーベル賞受賞者の利根川進先生と仲が良かったことだった。

 たまたま筆者も取材を通じて利根川先生とは懇意にしていただいていたので、3人でお会いし、お二人から日本の科学技術政策について意見をうかがったこともあった。

筆者が東京理科大学で授業をしていた「科学文化概論」にも加藤先生にゲスト講師として来ていただき、日本の科学技術政策の課題と将来展望を語っていただいたこともあった。

加藤紘一先生2東京理科大学の「科学文化概論」の授業で講義する加藤紘一先生


 元自民党幹事長であり、宏池会会長という派閥の領袖であり、首相に最も近い距離にいた政治家であった。そういう大物が講義に来ても、学生たちはほとんど感動を示さなかった。そのような時代になってきていた。

 もし加藤政権が実現した暁には、どのような科学技術政策をするべきか。そういう突っ込んだ話を何回かしたこともあった。21世紀を目前にした時代だったが、知的財産権に対する理解も深く、次のような構想を話し合ったこともあった。

 それは竹下政権のときに打ち出して話題となった「ふるさと創生交付金1億円」に習って、「ふるさと創生・市町村特許出願運動」を打ち出そうという構想だった。日本全国の市町村に必ず1件以上の特許を出願させる運動であり、特許の価値に応じて交付金を出そうという構想だった。「特許1件1億円」というキャッチフレーズまで用意していた。

 すべては幻に終わった。「加藤の乱」で知られる政局の激動の中で加藤政権の芽は消えてしまったからである。その不運に追い打ちをかけるように、加藤事務所の所得税法違反事件で衆議院議員を辞職する。

 辞職したその日の夜、襟元の議員バッチを裏返しにした加藤先生と二人だけで赤坂の焼肉屋でお会いしたことがあった。そのようなときでも科学技術政策の夢を語っていた。聞いていて涙が出そうになった。

 加藤先生は、筆者がもっとも濃密にお付き合いした政治家であった。

(つづく)


「日本の知財は危機的状況にある」と警鐘を鳴らした中村嘉秀氏

知財部門の地位低下が進んでいる

 先ごろ開催された「東京理科大学IPフォーラム2016」は、内外のトップクラスの知財専門家が参加して知財制度に関する発表と討論が展開された。知財の法的問題と制度についての討論が多く、実務に役立つものは少なかった。

 しかしその中でも注目を集めたのは、「日本の知財は危機的状況にある 知財戦略は経営トップの仕事」のタイトルで発表したアルダージ株式会社代表取締役社長の中村嘉秀氏の講演だった。

                   

                                                       

 中村氏は、知的財産戦略は国家的課題になっており、その重要性に異論を唱える経営者はいないとしながらも、いま「知財部門の地位低下が進んでいる」として次のような現象をあげた。

•日本特許の出願件数は次第に減少傾向
•外国への出願は年々増加傾向
•特許訴訟の件数も日本は米国、中国に比べ極端に少ない
•判決で得られる賠償金も極めて些少
•日本で訴訟をすることに魅力がない
•知財のジャパンパッシング(Japan Passing)は今や明白
•経営者は日本の知財に価値を見出してない

 筆者は、特定非営利活動法人21世紀構想研究会の知財委員会で多くの会員と定期的に研究会を行っているが、そこで討論されている内容も中村氏が掲げた課題とまったく同じものであった。

 日本の知財現場は、間違いなく地盤沈下を起こしているという認識である。多くの大企業は、そのような認識は持っていないようだが、中小企業、ベンチャー企業などの知財停滞と上場企業にあっても中堅企業の知財意識は極めて沈滞しているという認識である。

 中村氏は、こうなった理由を次のようにあげている。企業の知財部門のスタッフは、「出願件数、収入金額のみを誇示し、 経営、事業に資する活動を怠ってないか?」という疑問である。さらに「事業あってこその知財なのに、知財のみに頼る方向に進んでいないか?」とする指摘で ある。

 そうなったのも知財スタッフは自らの存在意義を知財の様々な「手続きのプロ」に徹することに求めており、「どうせ経営陣は判ってくれないというあきらめの境地に入ってないか?」と問題を投げかけた。

何が知財に欠けているのか

 日本の経営者は、口を開けば経営の柱の一つに知財戦略をあげるが、その割に経営方針がともなっていない。いわゆる一流企業のトップにインタビューす ると、ほとんどの経営者は知財戦略の重要性を口にはするが、本心からそう思っているかどうか疑問である。中村氏も同じことをあげている。

 中村氏は「経営者は、短期的採算は気にするが長期的事業戦略や競争には気が回らない。開発、事業、知財の三位一体こそ競争力の源泉である」のだが、そのことの認識が薄いと指摘する。

 さらに「戦略構築を専門部署に丸投げし、経営トップのみがその構築が出来る立場ということを忘れている。社外への特許料の支払いの多さを嘆き特許料収入増加を期待する」と指摘した。

 中村氏は、ソニーの知財部門のトップを務めた方であり、知財の実務を知り尽くしている。

 世界を見渡せば、Apple、Google、Amazon、Microsoft、Qualcomm、Intelなど、知財戦略がそっくり事業戦略に なっていることをあげた。さらに日本でもかつては、ソニーのプレイステーションやCD事業、任天堂のファミコン、日本ビクターのVHS事業なども同じだっ たと振り返った。日本企業でも知財戦略があったのである。

知財戦略経営の必要十分条件とは何か

 知財戦略を企業で展開するには、どうしたらいいか。中村氏は次のような課題をあげている。

•経営者は真剣に時代の流れを読み事業戦略を考えているか。
•過去の延長線上に必死になって解を求めようとしているのではないか
•より良い技術さえあれば利益を生むはずだと考えている節はないか
•経営戦略を他人任せにしてどこかの後追いをしてリスクも利益も無い方ばかり選択していないか
•他社への特許料支払いの多さを嘆かれてないか
•発売前、発表前になって初めて知財に声がかかる状況ではないか
•専門用語、業界用語を駆使して話していないか
•会社の方向性、開発の動向を十分把握しているか
•業界の動き、競合他社の情報取得に努力し金を使っているか
 

経営者はどれもこれも、思い当たる節があるのではないか。

 日本の多くの企業は、戦後の高度経済成長期を経てIT産業革命へと突入して大きな変革に迫られている。日本型の終身雇用制度を維持しながら、技術革新と後進国も追いついてきた熾烈な競争の中で安定経営を維持するのは並大抵のことではない。

 しかし、現実はドラスティックに対応しなければ生き残れないことをシャープが鴻海精密工業に買収されたことでも明らかである。中村氏は、経営トップにどうすれば知財マインドを持たせることができるかについてもいくつかを提示した。

 知財の専門家として日本の企業社会の最も弱い点を衝いたものであり、刺激的でありながら真実を語った発表だった。

                                

 東京理科大学のIPフォーラムの他のプログラム内容は以下の通りである。

「米国訴訟における NPEー継続する挑戦」米国連邦巡回区控訴裁判所 Randall Rader前主席判事

「米国におけるNPE訴訟の現状 -課題、機会、今後の展望」 Frommer Lawrence & Haug法律事務所 Porter F. Fleming弁護士、Eugene LeDonne弁護士

「ドイツにおけるNPE訴訟 -新たな挑戦あるいは通常の訴訟?」 Prof. Dr. Peter Meier-Beck(ドイツ連邦共和国最高裁判所民事第10部部統括判事)

「ドイツおよび欧州における対抗手段 -異議・無効化手続」 Christian W. Appelt弁理士(Boehmert & Boehmert法律事務所)

「欧州統一特許の展開を踏まえたNPE対抗特許訴訟戦略」 Prof. Dr. Heinz Goddar弁理士(Boehmert & Boehmert法律事務所)

「日本における知財訴訟 -標準必須特許とNPE」 知的財産高等裁判所 設樂 隆一 所長 

「日本企業にとっての課題と対策」 長澤 健一 氏(キヤノン株式会社 取締役・知的財産法務本部長)、中村 嘉秀 氏(アルダージ株式会社代表取締役社長)、(モデレーター:荻野 誠 東京理科大学教授)

「三極知財裁判官鼎談 -NPE訴訟」 設樂 隆一 所長、Prof. Dr. Peter Meier-Beck部統括判事、Randall Rader前主席判事


小林有也先生の足跡をたどります

松本深志高校の正面玄関にある小林有也先生の胸像
「松本深志高校の正面玄関にある小林有也先生の胸像」
「深志高校の玄関」
「重厚なたたずまいを残した校舎の中」
「国宝 松本城」
「松本城の雄姿」

 物理学校創設者の一人である小林有也先生の足跡を辿るために長野県松本市に行きました
 小林先生は、明治13年に東大理学部仏語物理学科を卒業した日本で最初の理学士でした。農商務省に勤務した後、長野県の理学教育のために赴任して中等学校の創設にかかわり、明治19年、31歳のときに松本市に赴任して現在の松本深志高校の校長となりました。
 教育に情熱を燃やし、60歳のときに現役のまま亡くなりました。晩年は、松本城の修復を主導し、現在の松本城があるのは小林先生の尽力のおかげだと言われています。


科学文化学

科学文化概論の授業を行う                       

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 今年度の科学文化概論は、北原和夫教授が担当して進めている。筆者は、5月30日の授業の講義を担当して「科学の進歩によってもたらされた新たな問題」として昨年と同じテーマで講義を行った。

 今年も40人以上の受講生が来ているが、受講生の眼差しは昨年同様、非常に真剣身が感じられた。筆者は、脳死と臓器移植の現場、生殖医療技術の現場を題 材にして、科学が進歩したため医療現場では恩恵に浴する人たちが出る一方で、医療制度、法的整備、社会倫理などが置き去りにされている現状を考える授業と した。

 冒頭に世界の国々の臓器移植数と日本のそれとの一覧表を配布し、思うことを書いてもらった。日本が極端に実施数が小さいことに受講生はみな一様に驚いたようであったが、なぜそのような状況になっているのか一歩踏み込んで考える受講生は少なかったようだ。

 しかし日本が少ない理由を討論する場面になると、様々な思いを語る受講生が出てくる。この授業のテーマは考えることである。結果だけを見て単に日本の臓器移植数が少ないことを認識するのではなく、認識と同時に、そのよって来る理由について考えることである。

 生殖医療技術についても、体外受精の技術が確立されることによって、様々な生殖医療が広がってきた。もともとは不妊治療から始まった医療であるが、それがビジネス化したり男女産み分けの道具になってきた国もある。

 そのように科学技術の進歩によって社会規範、倫理、法律などの整備をしなければならないのに、放置されてきている状況があるのではないかとする授業となった。このテーマの論議はまだ尽きないので、これからも大いに論議の輪広げていきたい。                                        

来年度の科学文化概論の方針を確認

                             
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 今年度から日本で初めて始まった「科学文化概論」の授業を2011年度も開講することに決まった。正式には専攻科で決めることだが、2011年度から本学に招聘される北原和夫国際基督教大学教授と筆者との連携で開講する。主査は、北原教授になる。

 この授業は、将来、学校教員を目指す院生諸君に、科学と社会の関係や科学に対する広い視点を涵養するための授業である。毎回、内外の有識者やジャーナリストを招聘してのオムニバス授業になっているが、受講者の真摯な態度にはびっくりした。

 それだけ講師の皆さんの講義内容が素晴らしいものだったということだろう。今年も原則的に昨年実施したオムニバス方式を踏襲することになっており、1月14日にその調整と今後の予定についてミーティングを行った。

 来年度も前期の授業になるが、今年以上に面白くためになる授業を目指したい。

  科学文化概論最終回・第14回目の講義

                               
                 

第14回「科学文化概論」(7月19日)講義の報告
担当教諭 塚本 桓世先生(東京理科大学理事長、教授)
講義のテーマ:日本の科学文化

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 塚本先生はまず「日頃から科学と文化につい考えてきた」と話しかけ、「講義の後半になぜこのような科目ができたか話をし、最後に教師になる諸君への希望 を話したい」と切り出した。そして4大文明による世界の文明史を紹介し、文明と文化の言葉の定義について考えることから話し始めた。

 欧米では科学と技術は明確に分けて考えられているが、日本では「科学技術」という1つの言葉で使われている。明治維新以降に入ってきた科学だが、 なぜ科学と言わずして科学技術と言うようになったのか。明治維新以降、西洋文化として持ち込まれた科学であったため科学という概念はなく、科学と技術が いっしょになって言われるようになったのではないか。

 政策についても文部科学省は科学という視点で施策を考えているようだが、経産省は技術という観点で施策を考えている。しかし政策として峻別するほどの区分けはなく、渾然一体となっているように感じる。

 科学は本来、学問としてあったものであり、代表的な例がソルベー会議(1911年からエルネスト・ソルベーが主宰して開いた会議。10数人から20人程度の会議であり、物理学の発展に多大の貢献をした)である。
 しかし科学は、時代と共に変革してきた。この科目の授業でもNHKの村松秀先生が触れたように、論文捏造という犯罪が発生した。これは、科学は文化でない証拠であり、科学は経済とか国力とか資本主義とかにつながることによって捏造問題も発生したと考えられる。

 昭和の終わりごろにドイツのベドノルツ、ミューラーという2人の物理学者が高温超伝導物質を発見してノーベル物理学賞を受賞した。金属で超伝導を起こすのではなく、酸化物で起こすところに独創性があったのだが、2人はアメリカのメジャーな学術誌に発表しなかった。

 常識的には、まず最初にアメリカの物理学会誌に投稿するものだが、そうしなかったことについて2人は、プライオリティでアメリカに出し抜かれる危 惧があると考えたようだ。これもまた科学は文化ではなくなったということだろう。さらに同じころ、常温核融合という現象が報告され、大きな話題となった が、これも文化という現象とは捉えられなかった。

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 本日、受講している諸君の多くは、将来、理数系の学校の教師になると聞いている。将来の教師像としてこうなってもらいたいということを念頭に話をしてみたい。

 江戸時代に日本には多くの伝統工芸があった。たとえば漆塗りと言っても科学的なデータを駆使してやったわけではなく、日本刀の製造もそうだった。五重塔に代表される建築も学問として確立された技法ではなく、経験と勘によって成し遂げたものだった。

 日本には、そのような技術的な風土があった。サイエンスではなく技術が文化と共存している時代があった。その時代が長く続いた。

 明治維新以降、本学の創立者たちが西欧から理学を持ち込んで今日に至った。受講生諸君が将来、学校で理数科目を教えるときには、知識だけを教えるのではなく、文明と文化という視点を考えて欲しい。

 1999年にハンガリーの首都・ブダペストで開催されたブダペスト会議で出された宣言でも科学は知識のためだけではなく、社会、平和、開発のためとし、文明と文化と科学いう視点を取り入れた。

 日本では古来から、18歳前後に元服という成人の儀式があった。18歳までに人間形成の教育を受けて一人前の大人となるという意味であり、社会人としてきちんとして教育をすることが重要であることを示している。

 人を教育することとは文化を教えることである。若い時代にはサイエンスだけでなく、広い分野の知識に触れることがいい。リベラル・アーツ (liberal arts)として人文科学、自然科学、社会科学を包括する分野を俯瞰して教えることである。そのためにも多くの分野の本を読んでもらいたい。ネットで本を 探すのではなく、本屋に足を運んで様々な本を見ることによって様々な知識や情報に触れ自己啓発に結びついていくものだ。是非、実行してもらいたい。

 最後の10分間小論文の課題は次のものだった。
「『科学』と『文化』を再認識し、教育に生かすことについて述べよ」

                                 

科学文化概論第13回目の講義

  第13回「科学文化概論」(7月12日)講義の報告
担当教諭 北原和夫先生(国際基督教大学教授)
講義のテーマ:科学技術リテラシー:持続可能性に向けた協働する知性の構築

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 北原先生はまず、東大理学部物理学科からベルギーに留学した時代に「ヨーロッパの知性」に出会った体験談から後年、ノーベル物理学賞受賞者のイリ ヤ・プリコジンとの出会いを語った。そしてMIT化学科へのポスドク時代から帰国後に静岡大、東工大、ICUと転進した経歴を語り、日本学術会議などで 「科学技術の智」プロジェクトを主導してきた活動を語った。

 欧州で体験したことは、科学の人材育成の考え方である。論文を書くことは独自の成果を書くものだが、むしろ若いときに論文ではなく書籍を単著で書くことで、論文では書けない哲学や広がりを持つことを知った。

 また、欧州の知性を感じたのは、探査機「タイタン」の記事をフランスのル・モンド紙が一面トップで扱ったことである。宇宙の光年スケールの話と、中東問題の解決までには相当な長期間かかるであろうことをひっかけ、ユーモアを入れて報道している姿勢に感動した。

 そして、科学という学問を学ぶことは、人知を超えた自然の摂理を知ることであり謙虚さを学ぶことである。科学者のコミュニティのあり方は、ピアレヴューのような評価の意義、伝達と伝承、アーカイブと記録によって他人がさらに次のステップへと進む社会的行為であるとした。

 ここまではヨーロッパの智に触れて感じた自身の科学と科学者のあるべき姿の考えを述べたものだ。

 次に科学リテラシーとは何かを語った。科学リテラシーには3つの段階があり最後のステップは自分の専門と異なる他の分野の専門家と協働できるための素養とした。
 20世紀には急速に科学技術が発達し、後半で陰の部分が見えてきた。人口爆発、エネルギーの持続可能性、気候保全と安全保障問題などである。21世紀 は、持続可能性の課題に取り組む時代であり、先進国は資源、エネルギーの保全が重要課題であり、途上国は社会改革が重点になってきた。

 平行して教育改革、とりわけ理科教育が重視されるようになり、ヨーク大学での「21世紀の科学教育プログラム」での「知識よりも思考の過程を重視」した取り組みを紹介した。

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 日本での理科離れに対応する日本学術会議の「科学力増進特別委員会」の創設に加わり、子供たちへの働きかけを模索した活動を語った。特に科学者が社会と 互いに共感し信頼をもって協同することが科学研究の世界を活性化する原動力になること、科学者たちが社会と向き合って科学の夢を育てること、若者向けの講 演会やサイエンスカフェの開催などで活動する重要性を語った。

 アメリカで始まった「全米国民のための科学」(Science for all Americans)の展開を紹介して日本でも同様の活動を開始し、2005年から08年までのプロジェクト「科学技術の智」での活動に触れた。

 数理科学部会、生命科学部会、物質科学部会、情報学部会、宇宙・地球環境科学部会、人間科学・社会科学部会、技術部会の7つの各部会に10-15 名程度の科学者、教育学者、技術者、メディア、行政者、科学技術理解増進を目指す個人、機関の関係者が集まり、学問の枠を超え日本の現状と歴史を踏まえ、 科学者と教育学者等が協同して行う作業を語った。

 人間や社会の現象を科学の視点からホモサピエンスの現象として考えることや、地球と人類の歴史を基礎として、社会、経済、政治、倫理などの起源は何か。人間と社会の課題に直面したときに、科学的な思考の枠組みをどのように提示できるかなどを模索した。

 人類の存在の基盤を知ること、現状を知ることで「命の継承」として存在することを知り、将来を予想して行動を決めることの重要性を語った。さらに 近代科学だけでなく、伝統的な智も持続可能性には必要であるとして「千字文」を紹介した。最後に自身が主導している南アフリカ共和国と日本が環境や農業、 生物観察などを題材にしながら持続可能性を学ぶ共同プロジェクトの活動をDVDで紹介した。

 最後の10分間小論文の課題は次のものだった。
「持続可能性な世界のためにさまざまな専門性、国籍階層の協働が求められる。そのような協働ができる人材を育てるために教育の場でどのような工夫が可能か?」

 

    科学文化概論第12回目の講義
                                     

 報告
 担当教諭 神田 淳先生(京葉ガス株式会社常務取締役)
 講義のテーマ:日本人と科学精神

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 神田先生はまず、「日本人にも科学ができるでしょうか」とのタイトルで日本に科学を持ち込んだ仁科芳雄博士を取り上げた。そして森永晴彦・ミュンヘン工科大教授の「西洋の自然観から考えると、本質的に自然科学は西洋のもの」とした見解を述べさらに3人の見解に言及した。

 江崎玲於奈(1925- )「サイエンスに弱い日本人」、小室直樹(1932- )「日本には宗教がないから科学もない」、中谷宇吉郎(1900-1962)「日本人の科学性は、低いとか足りないとかいうよりも、むしろゼロに近い」。

 さらにコペルニクスの天体回転を発表した1543年を科学革命元年とし、ニュートンが「自然哲学の数学的原理」を著した1687年を科学革命完成 年とした。そして近代科学が生んだ精神を取り上げ、自然の中に神の秩序を見出す精神から実験する精神を語り、自然を外から見る精神として、「神-人間-自 然」という序列を語った。
 ここまでが近代科学を生んだ精神を講義した。

 続いて近代科学の特色として技術との相補性に言及した。この中でハイゼンベルグの「自然科学と応用科学・工学との関連は初めから相補的なもので あった。応用科学・工学の進歩、道具の改良、新しい装置の発明は、自然に関するより多くの、より正確な、実験に基づく知識の基礎を提供した。

 また、自然のより深い理解と、自然法則の究極的な数式化は、応用科学・工学の新しい応用の道を切り開いた」の言葉から、もともと科学と技術は異なるものであることを語った。
 さらに日本では明治維新以降、日本の古来からの精神を大事にしながらも西洋から技術を導入して調和をはかる「和魂洋才」が盛んに言われたが、実は科学と は「洋魂」そのものであるとした。中谷宇吉郎の「西洋の科学は、西洋人が血で闘いとったものである。だからそれは非常に強いものなのである」との言葉を引 用し、日本での科学の受容は「科学技術」であったとした。

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 東京大学工学部(工科大学)は1886年に創設されたが、これは世界で最初の工学部のある大学であり科学技術は日本における世界的な時代の先取りだったとした。

 日本の科学技術は経済繁栄の手段として傾斜していき、科学が持つ本来の哲学や文化とは遊離した形となり、西洋の科学技術の導入はプロセスイノベーションを起こしたもののプロダクトイノベーションが弱いものへと変転していった。

 日本と日本人の科学に対する思想と西洋のそれとの違いについて言及した。東西の自然観の比較論であり、西洋の思想は現象を神の視座から見る二次元的な思想構造であるのに対し、日本の思想は自然と共にある人間という一元的な思想構造にあるとする浦壁伸周の見解を紹介した。

 神田先生自身の見解として次のように整理した。
• 科学において、文化と世界観の違いは創造性に影響するが、決定的ではない
• 現生人類の能力は基本的に同じであることが決定的である
• 明治以来、西洋文明を学んで吸収した日本人のやり方で基本的に正しい
• 創造性は学んだ後出てくる
• 日本人ノーベル賞受賞者の数が戦後に出ていることが以上を証明している
 
 さらに日本の精神文化の特色として次のようなことをあげた。
・組織と集団の和を尊ぶ ・ロジックを重視せず ・原理主義を嫌う
・情緒に傾斜する ・美しい生き方を重視する ・清浄さを尊ぶ
・繊細な美、繊細な神経 ・空気と雰囲気を重視する、流される
・権利の主張をはしたないと感じる ・察する文化 ・自然に対する尊敬、親和感
・本覚思想 ・おのずから成るの思想 ・言挙げせず ・しつっこくなく水に流す
・集団的な閉鎖性、独立心の弱さ ・学ぶ姿勢 ・鎖国性向

 このようなキーワードによって、日本の科学文化を考える糸口を与えたものであり、深く思索する方向へ導いた。

 最後の10分間小論文の課題は次のものだった。
「科学における独創性の発揮の上で、日本の精神文化の特色が有利に働くと思われる面を考察せよ」

               
                                  

科学文化概論第11回目の講義

 「科学文化学概論」(6月28日)講義の報告
担当教諭 北村 行孝先生(東京農大教授、元読売新聞論説委員)
講義のテーマ: 科学文化と新聞報道

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 北村先生は、読売新聞社の科学記者、科学論説委員の経験から、科学報道を通じて広がってきている科学文化の現象を実証的に示した点で非常に示唆に富んだ内容であり面白かった。
7月12日にここでの講義が予定されている北原和夫先生が学生1人を伴って現れ、熱心に傍聴されていた。

 北村先生は、冒頭に宇宙惑星探査機「はやぶさ」帰還の快挙を報道する新聞各社の扱いが一面トップだったことを紹介し、科学ニュースの重要性を示した。私見としながらも「科学文化の諸相」として次のようなカテゴリーを列挙した。
■生活文化を豊かにする科学
科学のための科学から、人々のための科学へ
■成熟した社会の基盤としての科学
安全・安心のための科学、リスク・コミュニケーション・・・
■文化・芸術の対象としての科学
小説、SF、詩歌、絵画、音楽・・・
■科学の成果を人々の世界観・自然観に反映
ニセ科学、エセ科学にだまされない社会のためにも・・・
■科学の営み自体を文化的な活動とみる社会を
科学者も人間。科学を身近なものに感じる社会へ向けて
■科学リテラシー向上のために
専門家には社会リテラシーを、人々には科学リテラシーを
 さらに科学と技術とは多様な機能と多様な期待を人々から集めているとして、次のように整理した。
① 知の探求、②産業・国力増進へ貢献、③社会の課題解決へ貢献、④世界・地球
規模の課題に挑戦、⑤芸術・文化・スポーツに貢献、⑥個人の暮らしや心を豊かに
 このような整理をした上で、科学報道はそれぞれのカテゴリーにどれだけ貢献しているかを6角形グラフ(レーダーチャート)で示したが、「知の探求」が突出しており、かなりのいびつ型になっていることを示した。

 しかし最近になって、科学を扱う新聞報道は「知の探求」のテーマだけではなく、芸術、スポーツ、文芸などと科学の関係を捉えたニュースも目立つよ うになってきた。科学記者の数が増えてきたこともあって、取り上げるネタが幅広くなってきたこと、文化部や社会部の記者も科学・技術に興味を持ってさまざ まなニュースを取り上げるようになってきた。科学文化に関係しそうな記事が結構増えていることを実証的に紹介したものであり、非常に面白かった。

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 新聞各社の科学部の歴史をたどってみると、1960年代から70年代には各社とも科学部は10人前後であり、取り上げる題材も原子力、宇宙開発な ど専門的なテーマに限られていた。ところが現在は、読売新聞科学部員は30人に届こうとしており、朝日、毎日、共同通信なども20人を超えるまでに膨張し ている。
 それは科学・技術の分野と社会とのかかわりが広がってきたからであり、科学ジャーナリズムへの期待も、科学者や政府関係者から一般国民まで多岐に渡って広がっている現状を分析した。
 また、安心・安全を巡る悩ましい問題として食品の安全性のニュースの取り上げ方、原発工場の出来事を報道する際の視点と取り上げ方などをあげ、専門家がニュース報道に不信感を抱く例などもあげた。
 リスクを巡っては、BSE問題、鳥インフルエンザ、新型インフルエンザ、環境ホルモン、食品添加物、原子力施設のトラブルなどに対する報道は、一歩間違えば真相から大きくずれてしまう危険もある。
安全=安心ではない難しさもあり、メディアも相当なる自覚がなければならない。そのための記者教育の充実、専門記者の養成、バランスの取れた初期報道、時間経過後の検証やまとめの報道などの課題をあげた。
 この日の講義は、科学文化を支える新聞報道の多様化を捉えながら、今日的な課題を洗い出し、その改善方法を提起した点でためになる講義だった。

 最後の10分間小論文の課題は次のものだった。
「科学ジャーナリズムは、どうあるべきでしょうか」

                                

科学文化概論第10回目の講義

 報告
担当教諭 三石 祥子先生(独立行政法人科学技術振興機構・社会技術研究開発センター)
講義のテーマ:科学という文化
 
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 三石先生の講義は、「科学文化」とはどのような概念であるかをイギリスの科学史に焦点を当てながら幅広く考える素材を提供した点で秀逸な講義だった。
 出だしは、「科学という文化を築いた人々」として①コンビ型、②その他の文化のコンビ、③科学とその他の文化の違い、④コンビ型以外の型の4つの例を提示した。

 コンビ型としては、小林誠と益川俊英、マリー・キューリーとピエールキューリー、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックをあげ、コンビによる創造性の相乗効果によって偉大な業績に結びついていった足跡を検証した。
その他の文化のコンビとしては、ゴッホと弟、ピカソと女性、杉山親子、浅田姉妹をあげて、コンビが心のよりどころとなる存在であったとして創造や活動の源になったことを語った。

 科学とその他の文化の違いについては、ゴッホとゴーギャンの「ぶつかり合う個性」「ゴッホの耳切りで終わる破滅コンビ」という視点を語った。
 このようなコンビに見る「科学文化」の特徴は、対等の立場で各人の個性や能力を互いに出し合い、その相乗効果によって新しい結果を導きだしているという見解を語った。

 コンビ型以外の型としては、一匹狼型の利根川進、ボス型の仁科芳雄をあげた。このようにさまざまな型による科学文化構築の検証をして感じたことと して「先人の築き上げた知の成果と人とのつながりの中から新たに生まれる進歩であり、それが科学という文化の素晴らしいところである」と語った。

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 続いて科学文化について考え行動をした人々としてイギリスのマイケル・ファラデー、ハンフリー・デービー、ジョゼフ・バンクス、ベンジャミン・ト ンプソンなど王立協会を立ち上げ活動した巨人たちを紹介した。さらに物理学者であり小説家でもあったC.P.スノーが書いた「二つの文化と科学革命」を解 説しながら、科学という文化を考え行動を起こした動機と著作活動とその反響などを語った。

 なぜ、スノーは二つの科学、人文科学と自然科学について書いたのだろうか。なぜスノーの講演と著作は至るところ、あらゆる分野で時代を超えて注目を浴びているのだろうか。その答えはなんだろうか。
 そのような思索を問いかける講義の内容は、歴史的な出来事を俯瞰しながら論理的な思考過程を呼び覚まして考えさせるものだった。

 この思索の結語として三石先生は、ファラデーの「ロウソクの科学」とスノーの「二つの文化と科学革命」をあげ、その役割はいまなお続いていることを示唆した。

 さらに東京理科大学の発祥となった東京物理学校を創った人々21人の志に触れ、生命誌研究館の中村桂子先生の出会った研究者とその影響によって今日の中村先生を作っていった軌跡をたどってみせた。
 科学者たちと直接話をして学んだこととして、「科学者の仕事を他の人がすべて理解することは難しいが、しかしその活動には理由とそこに至るまでの過程がある。その理由と過程が想像できると相手への理解につながる」とした。

そして「科学という文化は人がつくり、人が支えている」ものであることを披瀝して講義を締めくくった。

 最後の10分間小論文の課題は次のものだった。
「本日の言及した人物の中で最も気になった人は誰ですか。その理由も記載してください」

               
 科学文化概論第9回目の講義
                               
 第9回「科学文化概論」(6月14日)講義の報告

担当教諭 村松 秀先生(NHKエデュケーショナル 科学健康部エグゼクティブ・プロデューサー)

 講義のテーマ:番組のデザイン学と科学文化  

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 村松先生の講義は、過去20年間に渡って自身の制作してきた映像番組を随所に入れながら、1つの番組を作るような流れの中で科学文化とはどのような学問として成り立つものなのかを考えさせるものだった。 映像も楽しいし、その番組を制作する側の考えと舞台裏を見せられ、楽しい授業だった。 授業の流れをメモ風に記録してみたい。 

・自己紹介:科学番組を中心に長年テレビ番組を制作

 NHK番組の「ためしてガッテン」、「ツナガルカガク」など自身が手がけてきた番組を紹介しながら、自己紹介をした。 

・論文捏造に至るまでの道のり 

 2004年10月に放映された「史上空前の論文捏造」は、アメリカのベル研究所に所属していたドイツ人科学者が3年間に渡って有機物の超伝導転移温度などに関する新しい知見を「サイエンス」、「ネーチャー」など世界のトップクラスのジャーナルに次々と発表した。 それまでの常識を破る成果は専門家から絶賛され、多くの賞をもらいノーベル賞も間違いなしと言われた。しかしそれがすべて捏造された業績と分かり、科学界に衝撃を与える。 村松先生は、このテーマを番組制作として取り上げた動機は「偶然」であったが、しかし「偶然の必然性があったのではないかと」として過去に取り組んだ番組制作とそのテーマについて語っていった。 

・キーワードは「分からなさ」 

 村松先生は「自分が取り組んだ番組制作は、どれも『分からなさ』というキーワードでくくることが出来ると語った。

 ・蝋型鋳金・宮田藍堂さん

 佐渡の宮田さんの蝋型鋳金は、金属で作るオブジェであり、現代アートであった。特に海岸への漂着物やゴミをアートの素材する視点は、分からなさの塊みたいなものだった。 

・ミッドウェーのコアホウドリ

  コアホウドリの世界一の繁殖地はミッドウェーであるが、死亡したひな鳥の屍骸を見ると、プラスチック類のゴミ類が多数あることに気がついた。親鳥が海に浮 遊するプラスチック類、ライターなどを運んできて、ヒナにエサをして与えた結果、死に追いやってしまったものだが、ライター見ると日本製であるものもあっ た。 多分、日本の海岸で無意識に捨てたものが、海を漂いコアホウドリに拾われて遠いミッドウェーに運ばれ、ヒナに給餌されて1羽のヒナの命を落とす。ここには原因と結果に途方もない距離感があることに驚いた。 ここにも「分からなさ」というキーワードが絡まってくる。

 ・環境ホルモンとは

 このテーマでは、イボニシなどの巻貝が、男性ホルモン様の働きをするホルモンによって男性化している事実や、フロリダのワニのペニスが精巣が小型化し、ペニスが小型化することによって繁殖力が劣化していく事実を知った。 環境に広がっていく微細な化学物質の影響によって驚くべきことが広がっているのではないか。 人間のへその緒からも数十種類の環境ホルモンを検出した。また人間の精巣の重さも1996年代から減少傾向にあり、環境ホルモンとの関係が疑われているが、巨大かつ深遠なブラックボックスになっており、ここでも「分からなさ」がキーワードに絡んでくる。 

・安全なのか危険なのか「分からない」

 このように、世の中には「安全」なのか「危険」なのか「分からない」ものが多数ある。 科学で、すべて分かる分かるわけではない。ドーピング問題で五輪金メダルを剥奪された選手も、単に「検査を拒絶した」だけでクロと判断されたり、風邪薬を飲んで検査に引っかかった選手もいるが真相は分からない。 

・なぜ妙な論調が起こるのか

 科学で、すべて分かるわけではない。ドーピング問題で五輪金メダルを剥奪された選手も、単に「検査を拒絶した」だけでクロと判断されたり、風邪薬を飲んで検査に引っかかった選手もいるが真相は分からない。

・「分からなさ」と向き合うスポーツという社会

 スポーツはルールだけでは分からないものがでてきた。 

・「文化を共有する」、ということの意義

 日本社会と「分からなさ」という視点で見ると、政治、経済、国際社会、教育などあらゆる局面でこれが存在する。

 ・「科学的」、という言葉のあやうさ

 科学によってすべてが分かるわけではない。

 ・ラグビー・平尾誠二さん

 ラグビーの日本代表監督になった平尾さんは、「日本人は集団でやる球技スポーツは弱い。分からない局面が多すぎるからだ。どうやって最適な判断をするべきかが日本人は分からないのではないか」と語ったことに非常に印象を受けた。 

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・日本人と「分からなさ」

 日本文化には、分からなさが多い、ワビ、サビの世界は分からない。竜安寺の石庭は見て美しいがそれがどのような意味か分からない。日本文化には「あいまいさ」がある。

 ・論文捏造とプロセス

 科学は「分からないこと」は扱いにくい。論文捏造も「結果重視」、「成果主義」、「過激な競争」から生まれたものではないか。科学は結果ではなくプロセスという考え方があるのではないか。 

・「すイエんサー」を制作する意義

 いま、制作しているこの番組は、結果を安直に求める「科学的なもの」へのアンチテーゼとして制作している。科学=情報という誤解をはずすものだ。 出演者と一緒に分からないなりにプロセスを考えて楽しんでいく。その中で考え「プチ科学研究感」を持つことができればいいという番組である。新しい科学番組のあり方を模索している。

 ・まとめ

 科学が文化となるためには、「分からなさ」を考えることであり、ぐるぐると思考することによって想像力と創造力を養い本当の創造力が出てくるのではないか。  最後の10分間小論文の課題は次のものだった。

「あなたの身の回りの「分からなさ」について、思ったことを述べてください。」  

               
  科学文化概論第8回の講義
                                      

 第8回「科学文化概論」(6月7日)講義の報告
 担当教諭 山本威一郎先生(日本スペースガード協会理 
           事、元NECシステム開発部長)
 講義のテーマ:システム開発と科学文化

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 山本先生の講義の目次は次のようなものだった。
 最近の話題  
 科学と技術の歴史
 システムと社会     
 電子技術の発展とコンピュータの進化
 システムの進化と背景
 システム障害の社会的影響 
 システム開発の手法
 システムの限界と課題  
 科学文化の未来 

 山本先生は、豊富なビジュアル資料を駆使したパワーポイントを次々と示しながら、科学技術の歴史 → システムの語源から誕生 → コンピュータの進化 → システムの進化 → システムの社会的役割 → システムの限界と課題などを話した。

 ご自身は主として海洋、航空、宇宙などに関するシステムの開発者であったので、その体験から出たシステムに関するテーマと課題は非常にためになり面白かった。
 コンピュータの歴史では、エニアック開発の初期の話から最近のクラウド、スマートグリッド、キンドルなどに至る開発の歴史は、人類の英知の流れを示しており、若い院生諸君にどのように映ったか興味があった。

 システムの話では、まずその語源がギリシア語でσύστημα (systema)「結合する」から来ているものであるという。そして1913年にフォード車のコンベア流れ作業による生産方式をデトロイトジャーナル誌 が『システム』と表現したことから定着した言葉だった。

 山本先生は、このような話題性のある話を織り込みながら、システムの言葉とその組織が、いかに現代社会に広がり深く根を張っているかその現状を報 告した。そしてコンピュータ社会の現出によってシステムはさらに進化をしていった状況を豊富なビジュアル資料を取り込んだパワーポイントによって次々と説 明した。

 システムの本格的な稼動は、アメリカの防空システムという軍事目的から始まったものであり、それが現代社会にはなくてはならないものに進化した過 程とその背景を説明し、システムの失敗や事故なども紹介した。このあたりの話は、山本先生のご自身の体験もあるので具体的で面白かった。
 システムの障害と社会的影響あたりで持ち時間が少なくなり、最後は時間切れの中で流れてしまったのは残念だった。

小論文の課題は、一枚のグラフを示して、思うことを書かせたものでありユニークな課題だった。          

                               

科学文化概論第7回の授業

           
第7回「科学文化概論」(5月31日)講義の報告担当教諭 馬場錬成(東京理科大学知財専門職大学院)

講義のテーマ:科学の進歩によってもたらされた新たな問題

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  科学の進歩によってもたらされた成果によっては、従来の政治、経済、社会、倫理、法律などの枠組みが根底から崩れることがある。 生命誕生の現場と死の臨床を例に考えてみたい。 

* 生命誕生の現場

1.生殖医療技術生殖医療技術の進歩によって出てきた新しい生命誕生の方法である。その目的は不妊治療にある。人工授精=男子の精子を女性の子宮に人工的に注入して妊娠・出産を実現する方法。配偶者間と非配偶者間がある。

 この方法は、法的な規範がないままに、不妊治療の有力な治療方法として実施されてきた。ところが、体外受精の技術が確立されてから、不妊治療のあり方が一挙に広がった。技術が先行し、社会倫理、法律、道徳などの面で十分に論議されておらず、社会的な合意も得られていない。不妊患者と専門医だけの密室の医療になっている。

  配偶者間体外受精=何らかの原因で体外受精しなければ妊娠・出産できない夫婦非配偶者間体外受精=提供精子または提供卵子による体外受精体外受精した受精卵の移植代理母=夫の精子を妻以外の女性の卵子と受精卵を作ってその女性の子宮に着床させ妊娠・出産させる方法借り腹=夫の精子と妻の卵子を体外受精してできた受精卵を妻以外の女性の子宮に着床させてその女性に妊娠・出産してもらう方法代理母と借り腹につての「定義」は一応、上記のように定義した。

 問題点

・子の出自を知る権利にどう答えるか

・遺産相続で、遺伝子の両親と育てた両親が違う場合はどうするか

・代理母、借り腹の親権は誰になるのか

・安易な子の誕生につながらないか(出産を嫌がる女性が子をほしいだけの目的で借り腹をするなど。)

 2.ES細胞をめぐる技術開発と知的財産権、倫理問題 体外受精技術が確立されたために、様々な手法が広がった。

 ES細胞(胚性幹細胞)をめぐる研究開発もその1つである。 クローン胚の実現によって、男性、オスがいなくても子孫を残せる時代になった。遺伝子の組み換えによって淘汰されていく生命原理が崩れようとしている。

 3.京都大学iPS細胞研究所長山中 伸弥教授の発明した画期的な成果人工多能性幹細胞(Induced pluripotent stem cells、iPS細胞)体細胞へ数種類の遺伝子導入することにより、ES細胞(胚性幹細胞)のように多くの細胞に分化できる分化万能性(pluripotency)と、分裂増殖を経てもそれを維持できる自己複製能を持たせた細胞のこと。山中伸弥教授が、マウスの線維芽細胞から2006年に世界で初めて作った。 

 再生医療への道が開かれ国際的な競争になった。生命操作による新たなビジネスであり、国際的に戦略を考えて産業競争力を確保する時代になったのだろうか。 

 * 死の臨床

 脳死と臓器移植と世界の移植医療の現状 脳死とは何か脳幹を含む脳領域の機能が完全に失われ、回復不能に陥った状態(全脳死)。人工呼吸器(レスピレーター)なしでは生きられない状態をさす。

 従来の心臓死(三徴候死説=呼吸停止・心拍停止・瞳孔拡大)に替わる、新しい死の概念である。植物状態とは、脳幹部は生きている状態であり、自発呼吸が可能であり脳死とは違う。 脳死判定基準① 深昏睡。②自発呼吸の消滅。③瞳孔固定。④脳幹反射の消失。⑤30分以上の平坦脳波。⑥6時間の経過をみても①~⑤の変化がないこと。

  脳死をめぐる課題1.脳死を「人の死」として受け入れる社会的合意はあるか。「日本人と死生観という文化の根幹に関わること」と言うがこれは本当か。2.脳死は臓器移植とセットにして論じられることが多いが、人の死の決定とその遺体をどう扱うかは本質的に別個の問題ではないか。

 3.脳死により治療を打ち切る目的には、医療費の問題もある。1997年に成立した脳死・臓器移植法も、法案目的に医療費の節減を揚げている。

  1997年、世界で脳死を認めない国は、日本、ルーマニア、パキスタンとなった。脳死を認めず、外国に行って脳死移植を認めている日本人とはいったい何者なのか。

 世界中が奇異な目で見始めたことで、脳死を認める臓器移植法が超党派による議員立法で成立した。ただし、各党とも「党議拘束」をはずして、議員個人の判断にした。

 脳死は科学の問題ではなく、個人の考え方の問題とされた。

  生命誕生と死の臨床の変革は、科学の進歩によって出てきた新たな問題を日本人に突きつけている。それは、法律、社会、宗教、倫理、教育など多面的な学問による対応が迫られている。

 小論文の課題 「科学の進歩が人類を幸福にするためには、どのような学問領域を研究することが大事でしょうか。その研究領域を1つあげ、その理由を書きなさい」

                              

科学文化概論第6回の授業       

第6回「科学文化概論」(5月17日)講義

担当教諭 元村有希子先生(毎日新聞科学環境部副部長)

講義のテーマ:欧州の科学文化 

 
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  元村先生は、毎日新聞紙面で「理系白書」という連載記事を担当し、日本社会での理系人間の活動がいかに活性化されていないか、いかに不遇をかこっているかを告発し、2006年に科学ジャーナリスト大賞を受賞した。

 その後、理系白書ブログの管理人となり、ウエブサイトから理系社会への問題点を衝くインターネット活動を続けている。 2007年から1年間、科学コミュニケーションを研究するためにイギリスに留学し、イギリスを中心に欧州の科学文化の有様を見聞してきた。今回の授業ではそのときの成果を紹介しながら、日本の科学文化のあり方を考える授業となった。

   元村先生は、イギリスでは科学に関する国民の関心が日本より高いように見えるとして、①政治や外交といった話題と科学・技術が同列に扱われている、②科学 館や講演会に足を運んでいる、③政府や団体による促進活動が盛んである、④「盛り上げる人」の層の厚さがあることなどをあげた。

 ただし、階級や人種によるギャップが大きいこともあげた。

  特にイギリス人が科学館や講演会に足を運んでいるという証拠として、過去1年間に訪問した場所として、科学館は18パーセント、博物館19パーセント、テーマパーク29パーセント、歴史的建物や庭園32パーセントなどをあげている。 

 また、イギリス人は総じて疑い深い人が多いようであり、Frankenstein FoodとかFrankenstein Eggなどのエピソードを紹介した。

 「疑い深い」ことは、科学への関心の深さでもあり、現象に対する理由を追求しようとする国民的な関心度が高いことをうかがわせている。 

 これに対し日本では、科学は万能であるという思い込みが強く、さらに科学者は嘘を突かないという信頼もある。何ごとによらず「科学的」という言葉に弱い点をあげ、その心理を悪用した擬似科学の流行を示しながら「科学を楽しむ」という文化がまだ未成熟であるとした。

 またこのような日本の文化風土には、メディアにも責任の一端があると指摘した。 

 PUST=Public Understanding of Science & Tech

 公衆の科学理解増進という言葉は、無知な市民を啓蒙するという「上から目線」のニュアンスがある。しかしいまは次のような言葉へとシフトしてきている。

 PEST=Public Engagement in Science & Tech

 これは公衆の科学への関与へと移行してきていることを示す言葉である。科学者と公衆は対等な関係であり、お互いの関与があって初めて互いの理解が進む時代になっていることを示した。PUSTからPESTへのシフトである。

  このあと、イギリスやスペインで開催されている各種の科学フェステバスなどの様子を楽しい写真やパンフレットで示した。また新聞の科学付録などを紹介しながら、ヨーロッパ社会で根付いている「科学は文化」とする風土を紹介した。

   このような講義を通じて元村先生は、ヨーロッパ社会の科学文化の歴史や市民の受け止め方、現象などを示しながら日本の社会との比較を認識させ、日本の政治 や社会で理解されている科学に対する知識や認識の違いを際立たせ、どのようにして科学文化を醸成すればいいかを考えさせる授業となった。

 小論文の課題は次のようなものだった。

 「多くの人を科学に引き込むのに、最適と思う手法を具体的に紹介してください」

 科学文化概論第5回の講義

                                 

 5月17日の第3回「科学文化概論の講義は、自民党元幹事長の加藤紘一先生をお迎えして行なわれた。  

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 加藤先生は、日本の政治家の中では突出して科学技術に詳しい政治家であり、特に基礎研究、研究開発には並々ならぬ関心を抱き、そしてまた自民党政 権の中枢ポストにあっては、科学技術予算を支援し続けてきた。1995年から始まった、科学技術基本計画の策定でも大きな役割を果たした。

 今回の講義では、政治家として科学技術政策にかかわった具体的な体験をもとに、日本が世界をリードするのは科学技術研究であり日本のグローバリゼーションとは科学技術研究の振興にあるとした。
 また、聴講する院生の多くが、中高校などの理科教師になることを踏まえて、科学技術情報を分かりやすく国民に伝える科学ジャーナリストの重要性を説き、さらに勉強の面白さを伝える教師になるように要望して締めくくった。

 加藤先生はまず、自身が大学入試のときに理系を目指していたが果たせなかったことを語り、やむなく文系に進んだことを打ち明けながら、科学技術に対する興味はこのような背景にあることを示唆した。

 政治家になって若手代議士として活動を始めたころ、オイルショックに見舞われ、30年後、石油は枯渇するから代替エネルギーを開発するべきと財界人から言われた。

そこで夢のエネルギーとして核融合の実用化を支援してきたが、30年経った今もって実現できず、石油も枯渇するわけではなかった。
 政治家も科学技術の何が本物かを見極める必要があるだろう。
 今から17年前に細川内閣から自社さ連立政権に代わり、橋本竜太郎内閣が誕生した。そのとき、3党政策責任者会議の議長として政策のとりまとめをやったが、アメリカの政策によって円高になり、製造業でアメリカを凌駕していた日本の優位さがなくなった。

 円高を乗り越えるためにはどうすればいいか。霞ヶ関官僚の頂点に立つ大蔵官僚にしても打つ手はないと言って来た。
 そのような状況の中で自分が最終的に到達したのは、科学技術の基礎研究をてこ入れするべきという考えだった。科学技術立国への取り組みが重要だと考えた。科学技術基本計画は、このような中で生まれた。

 IT、ライフサイエンスなどに力を入れていたが、ゲノム解読ではアメリカに圧倒的に優位に立たれてしまった。
 しかし、ゲノム解読の装置、シーケンサーは日立が開発したものであり、日本でも戦略さえ間違わなければアメリカより優位に立つことが出来ただろう。

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 日本には優れた技術がある。たとえば浜松ホトニクスの開発した光電子増倍管は世界トップの成果であり、ニュートリノ研究の先陣を切った。このような研究を一般に分かりやすく伝えるのは科学ジャーナリストの役割であり、そのような予算も獲得した。

 政府の中に科学技術政策を推進する組織がないので総合科学技術会議を設置し、科学技術政策に評価点をつけて予算に重みをつけるような組織にした。
 いま政権交代して民主党政権になったが、科学技術政策はあやふやである。日本をどのような国にするのかビジョンが見えない。

 日本の国際化、グローバリゼーションの中で国際競争力を考えれば、科学技術立国に行き着くだろう。環境、生命科学などで優位に立ち、世界にないものを日本から供給できるようにすることで日本はプライドを保つことが出来る。

 生徒が理科の勉強をする場合は楽しくしてほしい。自身の体験では、勉強が面白いと思ったのは、大学を卒業して外務省に入り、ハーバード大学に留学しているときである。
 最初に書いた論文は自分の意見、見解を書いていないとして落第点となったが、東大ならパスした論文だろう。ハーバードの教師の指導によって、中国共産党 の歴史を検証する研究を行い、歴史的記録を読みながら、その意味付けに自分の見解を入れて論文を書いていい点数を取った。
 この体験で勉強は大変面白いと感じた。是非、生徒が面白いと感じるような指導が出来る教師になってほしい。

 日本のグローバリゼーションとは、科学技術立国にすることである。小中高校の生徒がのびのびと成長するような教育者になってもらいたい。

 小論文の課題は次のようなものだった。

 「日本の理系学生の創造性を発揮させるには、政治家はどのような政策をするべきか。またどのような制度を作るべきか」

   科学文化概論第4回講義
            

第4回「科学文化概論」(5月10日)講義の報告
担当教諭 有本建男先生

 授業タイトルは「科学文化と科学技術行政」である。
 有本先生は、グローバリゼーションという視点の中で、科学が人々に与えた影響と政治、経済、文化とのかかわりなどを、歴史を縦糸にしながら俯瞰的に述べて考えさせる授業内容だった。

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 有本先生は別途用意したレジメをもとに、パワーポイントで詳細な項目を示しながら熱心な講義を行った。

 レジメを元に講義の概略を紹介すると次のような流れであった。
1.はじめに
   ○生物進化のカレンダー、自らの位置、
   ○事業仕分け
   ○20世紀の20大イノベーション
   ○科学の終焉論争、反科学の動き

2.世界に広がる科学文化
 ○科学文化と国
 イギリス、アメリカ、ハンガリー、EU、スイス、ポーランド、北欧、中国、インド、韓国、タイ、ベトナム、シンガポール、イスラエル、チュニジアなどの動きを紹介。
 ○先進国、新興国、途上国の科学と文化。
 ○政治、宗教、社会、経済、環境、「2つの文化」の乖離(文系と理系)

3.歴史における科学文化の現れ
 ○日本の近代大学の始まり
 ・東京理科大学の前身である東京物理学校 ・東大工学部の発祥
 ○日本の伝統文化と先端技術
 ○先進国と後進国
 ・脱亜入欧(福沢)、脱独入伊(ゲーテ)、脱米入独
博物館への感動(米欧回覧実記)
・ベルツの慨嘆、朝永のアメリカ体験
・カーネギー、ロックフェラーの志
 ○20世紀科学の光と陰
  ・ノーベル賞
  ・戦争と科学・技術 
・「フランス科学」、「ドイツ科学」、「日本科学」
・科学者のエートスの変化

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4.科学文化と科学技術行政
 ○科学技術に対する国民の期待
 ○科学技術の推進構造
 ○科学技術基本法の体系と進展、新しい展開
 *基本法(1995年)
 「国は、・・広く国民があらゆる機会を通じて科学技術に 対する理解と関心を深めることができるよう、科学技術に 関する学習の振興、啓発、知識の普及に必要な施策を講ず る」
 *科学技術基本計画
 ・第3期科学技術基本計画
 ・第4期科学技術基本計画
 現在来春の閣議決定をめざして、総合科学技術会議を中心に検討中。素案の中で、「科学・技術コミュニケーションの抜本的強化 」は大きな柱。「国民が参画して議論できる場の形成」、「社会的課題に関する調査・分析を支援」、「リテラシー向上への取組」、「科学・技術コミュニケー ターの養成確保」、「国会議員と研究者の対話の場づくり」、「倫理的・法的・社会的課題(ELSI)への取組み、テクノロジーアセスメント(TA)を促 進するために、研究資金の一部を充当する制度を検討」など。


  
5.21世紀の科学文化
○今何故、科学文化なのか
・低い科学技術リテラシー、「21世紀の科学技術リテラシー像」

○ブダペスト宣言「21世紀の科学の責務」「科学と社会の新しい契約」
   “Science and use of scientific knowledge in the 21st century”
     20世紀: “Science for knowledge, Knowledge for progress”
     21世紀: “Science for knowledge, Science for peace, Science for sustainable development, Science in society and Science for society
・国、分野に依る異論;”Modern science and traditional knowledge”
    次第に各国の政策に浸透
   ・世界科学アカデミー会議

○科学技術イノベーション
・科学~技術~価値
・何のためのイノベーションか? 
   科学技術政策から科学技術イノベーション政策へ
       ・異分野融合
・2つの文化(文理)の再接近、融合
  ・科学と政治、科学と社会、科学と価値、科学の健全性
*Principles of Scientific Advice to Government to govern the relationship between Government and its advisors(英政府):
 独立性、透明性、公開性
 
○グローバリゼーションと2つの危機と科学文化
・危機後の世界、価値、科学とは?
・科学活動の重心の移動(アジアへアフリカへ)
・新しい価値の尺度
・科学のガバナンス(国~世界)
    先進国~新興国~途上国
科学者共同体、地域、国(ナショナル)、世界(グローバル・ガバナンス)
・AAAS年次総会
「Bridging science and society」(2010)
“Silent Sputnik”, “Scientific Integrity”
  「Science without borders」(2011)
   
(参考1)近代科学技術の制度体制の歴史
         19世紀:「科学技術の制度化」  
         20世紀:「科学技術の体制化」   
         21世紀:「科学技術の戦略化」  

(参考2)科学文化とは何か。
○science and culture
○science in culture,
○culture in science・・・・scientific culture
○science for culture
○culture for science

(参考3)「文化」の定義
ある民族・地域・社会などでつくり出され、その社会の人々に共有・習得されながら受け継がれてきた固有の行動様式・生活様式の総体。
人間がその精神的な働きによって生みだした、思想・宗教・科学・芸術などの成果の総体。物質的な成果の総体は特に「文明」として区別される。

(参考4)科学文化の“5W1H”―“Who, What, When, Where, Why, How”
誰が:個人と集団;科学者、技術者、研究マネジャー、学会、学校、地域、市民、政治家、社会・・
何を:・・・・
何時:17世紀「科学革命」、19世紀、20世紀、21世紀、
1980年代、グローバリテゼーション時代、ここ15年(1995年以降)・・・
何処で:世界、欧・米、EU、日本、アジア、地域、大学、学会・・・
何故:問題の発生源、問題解決の方法・・・(人類生存~地域の問題解決)
どうやって:教育、学習、継承・伝承、コミュニケーション、リテラシー、ELSI(倫理的・法的・社会的課題)、TA(テクノロジー・アセスメント),・・

 最後の論文課題
「グローバリゼーションと科学文化について述べなさい」
 

科学文化概論の第3回の講義

  

 第3回「科学文化概論」(4月26日)講義の報告
 担当教諭 川村康文先生
 

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 授業タイトルは「サイエンス・コミュニケーション・コンサート」である。川村先生は、「科学・サイエンス」は「芸術・アート」と同様に、ひとつの文化として位置づけ取り上げられるべきものであるとの持論を展開しており、科学文化の視点を持つべきだとの考えだ。

 この授業でも簡単な物理実験を取り入れたり、自身が作詞・作曲した歌を歌ったりしながら、「科学文化実践教室」を実現した。

 最初に、小学校の理科、中学校の理科、高校物理における「好嫌度」と「自信度」の調査を紹介した。
川村先生のデータでは、小学校では「理科嫌い」と言うよりは、明らかに「物理嫌い」がみられ、理科に関しては、「おおむね好き」であるという結果がでているという。

 小学校の先生の中には、理科指導に自信がもてない先生もいるが、それだから「理科嫌い」になったというわけではないのではないかとも語っている。

 続いて、中学校理科の実態が紹介された。理科系でない男女では、理科好きとはいえない状況がみられたものの、男子では理科嫌いだとはいえないと説明があった。
 女子でも理科のなかで、生物、地学の分野は好きであると意思表示している。しかし、物理は嫌いだと明確に答えている人が多いという。

 まとめると、小中学校の理科では、とかく物理分野が嫌われているのであって、化学・生物・地学の分野では、強く嫌われていると一概に言い切れないのではないだろうかとのことだった。
 川村先生は、なぜ「物理嫌い」が多いのかというテーマに強い関心をもっており、高校物理での状況を継続的に調査している。

 高校1年目の物理では、物理選択者は物理が好きとしていたが、高校での2年目の物理では、内容を理解しているかどうか自信がなく、高校生は厳しい状況におかれていることが示された。

 川村先生は「それでは、高校の物理教師は、何もしないで手ぐすね引いているだけなのかということになるが、現実はそうではない」としていくつかの例を出した。

 青少年のための科学の祭典などで、おもしろい実験を指導し、物理に興味・関心を向けるように指導されている先生も多くいる。それなりの努力はしているのだが「それだけでは、高校生に物理の自信をつけさせることが難しいのが現状である」とも語った。

 その問題の解決は、物理教師のサイエンス・コミュニケーション能力の向上により見いだせるのではないかとし、物理教師の実施可能なサイエンス・コミュニケーション活動について、いくつか紹介をした。

 そのモデルとして2つのエコ実験が紹介された。1つは、「省エネ電球でエコ」という実験であり、もう1つは「プラスチックのリサイクル実験」である。

 「省エネ電球でエコ」実験では、白熱電球の消費電力、発熱量とスペクトルを示し、それと省エネ電球の消費電力、発熱量とスペクトルを比較した。
 省エネ電球では、蛍光灯のスペクトルと同様であることが確認された。電球1個からでも、地球環境問題解決のための活動に参加できることが分かった。

 もう1つの「プラスチックのリサイクル実験」では、プラスチックのリサイクル用のマークである1~7のそれぞれの具体例が示され、水に浮くかどうかの実験も行った。
 地球温暖化のために異常気象にみまわれ、ゲリラ豪雨のような大洪水に巻き込まれたとき、ペットボトルを工夫して使うと人命救助の道具になることなど、防災意識も高めましょうという話もしていた。

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 川村先生はギターを弾きながら、自身が作詞・作曲した歌を披露した。

 授業の最終場面では、川村先生が自らギターを弾き、自身が作詞、作曲した歌を歌う、サイエンス・コミュニケーション・コンサートが行われた。

 川村先生によると「サイエンス・コミュニケーションの方法については,確立した方法論があるわけではないと考える。しかし世の中は,確実にサイエンス・コミュニケーションを求めている」という。

 川村先生は「温暖化星人から地球をまもる宇宙船にっぽん号のたたかい」というサイエンス・ライブ・ショーの100回公演をめざして実践している。
 環境保護ソングや世界平和を願う歌などをベースにしたサイエンス・コミュニケーション活動の実践を始めており、その一端をこの授業で試みた。
 

科学文化概論の第2回の講義

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 第2回目の講義は、藤嶋昭・東京理科大学学長が担当した。藤嶋先生は、多数の資料をお持ちになり、ご著書を全員に配布した。 
 藤嶋先生の講義のタイトルは、科目名の「科学文化概論」だったが、これはこれで意味があったように思う。
 教室は一回り大きなゆったりしたスペースに変わり、教室全体が余裕ある感じになり変えたのは正解だった。

  藤嶋先生の講義内容(パワーポイントを使用)
1. 桜が満開でした
 南から北へと日本列島を縦断して開花していくソメイヨシノの生物的な意味を考えさせ、自然界の感動を伝えた。

2. アインシュタインと太陽エネルギー
 1905年、世界の科学史に燦然と輝くアインシュタインの3つの論文が生まれた当時のヨーロッパ文化を考えた。

 1927年に撮影された一群の科学者たちの写真には、量子力学を創設した世界の天才たちがキラ星のごとく並んでいる。
 アインシュタイン、マリー・キューリーなどを取り上げながら、科学の成果とは、学問と文化が織り成す「雰囲気」の中で醸成され波及していくことを示唆した。そしてアインシュタインの言葉を引用しながら、若い人々の学問への取り組みを誘導した。

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3. 私と太陽エネルギー
 自身の酸化チタン光触媒の研究から生まれた実用的な成果をまず伝えた。そして、研究のきっかけ、最初の水の分解を目撃したときの感激、論文投稿に至るまでの学界の反応、朝日新聞の報道で社会に認識されていく経過。
 さらに現在までの実用研究の数々の成果と今後の課題に触れた。

4. 本を読もう
 締めくくりに知的才覚を掘り起こし、触発してくれる読書を勧め、人生を豊かにする本を紹介した。
 自身の著書「科学も感動から-光触媒を例にして-」(東京書籍)を配布し、その巻末にあげた「読んでほしい本」を是非、読むように伝えた。

 最後に若干の質疑応答があり、小論文には「最近、感動したことは何か」の課題を出して終了した。
 

               
        科学文化概論の第1回の講義
     「科学文化概論」オムニバス授業

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 第1回の授業は、科学教育研究科の大学院1、2年生を主体に、29人が受講した。このほかに、3回目の授業に登壇する川村康文教授、4回目の授業に登壇する有本建男先生の代理人が受講した。

  この日の講師は、筆者であり「科学文化ってなんだ」というタイトルで大略次のような授業をした。

1.科学文化という言葉と概念は、まったく新しいものと受け止め、授業を受けて学習するという態度ではなく、自ら科学文化とはどういうものか、科学文化とは、こうあるべきという主体性を持った考え・態度で授業に参加することが重要だ。

2.この授業を通じて科学文化とはどのような概念なのか東京理科大発で世に発信することにしたい。その発信元の1人として授業に参加してもらいたい。

3.日本は明治維新以来、それまで主として清国(今の中国)から取り入れていた文化をすべて捨て、欧米からの文化移入一辺倒に切り替えた。このよう な劇的な転換を経て近代国家形成へと歩んだもので、科学をはじめ法律、行政、社会制度全般にわたって欧米からその思想とシステムを移入して近代化をはかっ た。

4.太平洋戦争によって、それまでの国家体制が瓦解し、多くの社会資本も失ってしまいゼロからリスタートしたが、高度経済成長期を経て奇跡の復興を 果たした。しかし1990年代からITをツールと手段とした「第3次産業革命」が勃発し、世界はものすごい勢いで変革し始めた。その変革はこの後も続いて いくものであり、これをIT産業革命という位置付けで考えることが大事である。

5.このような時代的な流れを俯瞰しながら、科学技術によって生まれた成果が、どのように個人、社会、国家を変えたかを考えてみたい。たとえば携帯 電話は、この10年間で劇的に進化したツールである。携帯電話1台で知的財産権が約1万件あるといわれており、ハイテク技術の固まりである。これは電話で はなくモバイルターミナルであり、このようなツールの普及によって、社会も文化も価値観も犯罪も劇的に変化した。

6.そのような時代の中で、人々は何を考え行動するかが問われており、科学文化とはその課題を考え、解決策を模索する新しい学問の創造と位置づけたい。

7.最後の10分間に「私が考えるITとは何か」という課題で小論文を書いてもらった。

                                

科学文化学を東京理科大学から発信

     「科学文化」という新しい概念を確立するため、東京理科大学科学教育研究科で新しいオムニバス方式の講義が始まった。

 
 科学文化概論について  
 科学は、自然・人間・社会、そして自分自身をも対象に観察・分析・分類し、「真理の探究」をする学問として出発した。19世紀には、熱力学や電磁気学のような数学的実験物理学が誕生し、自然科学は客観性・論理性・普遍性・再現性を重視するようになった。

 科学は徐々に、「人間による自然の支配」を肯定するテクノロジー科学へと移行し、20世紀に入ると科学の応用により産業上の大成功がもたらされ た。現在、科学をマクロにみれば、政治、経済、社会と密接に関わる「富や力としての知・製品・システム」であり、ミクロにみれば、個人と密接に関わる「生 活の知・製品・システム」「健康の知・製品・システム」「喜びの知・製品・システム」などである。

 現在、科学技術は人々の生活の隅々にまで浸透している。人々は、排気ガスを出す自動車に乗り、都市ガスや電気で料理し、インターネットで旅行情報 を得て海外で休暇を過ごす。携帯電話は、約1万件の特許、実用新案、意匠、商標、著作権などの知的財産権に囲まれている超ハイテク機器だが、このような機 器を身につけて日常的に使っている状況は人類始まって以来このことである。

 日々、これらの製品・システムを使いこなすだけでなく、そのコストとして、環境汚染、エネルギー枯渇、狂牛病などの感染症、情報セキュリティな ど、地球規模で国際政治的な視点も欠かせない「知・製品・システム」の諸問題に直面している。つまり、科学技術の適切な運営・理解・価値観なくして、人々 は安心・安全・快適に生きていけない状況に置かれている。

 しかし一方、科学の「知・製品・システム」はますます増大し、複雑になっており、変化は加速している。人々と社会は、これらを適切に運営・理解す ることが難しい場面に遭遇しているし、このままでは将来は、さらに難しい場面に遭遇するだろう。現在すでに、科学の「知・製品・システム」を適切に運営・ 理解する必要に迫られている。

 そこで、自然・人間・社会を支配するという偏った科学の「知・製品・システム」から脱却し、科学技術に対する適切な理解を基盤とする運営を確立す るため、科学技術と人間・社会との関係を学際的に研究する学問、ここではこの学問を「科学文化学」と呼び、この学問を創設することで時代の要請に応えた い。

 授業は各界の識者を講師に来てもらい、様々な観点から科学文化に対する知見を講義してもらうことにする。予定の講師や講義のテーマは、変更するこ とがある。また科学文化に関するテーマで、社会的に耳目を集めるような事態が発生した場合は、急きょ授業のテーマを変えて適宜、論議するようにしたい。

 講義を通じて科学文化という概念を理解し、科学と国家、社会、個人のつながりや関係を深く考えることができるような授業とする。

               

東京理科大学関係の旧バージョン

桂歌助師匠が「理学の志士」を口演(東京理科大維持会)

  桂歌助師匠が「理学の志士」で一席をうかがい

東 京理科大の維持会報告会が、10月3日開催され、そこで桂歌助師匠が落語「理学の志士」を口演した。歌助師匠は、新潟県十日町出身、昭和62年 (1987)に東京理科大理学部数学科を卒業したが、在学中から桂歌丸師匠に弟子入りしていた。修行を積んで前座、二つ目と順調に出世し、平成11年5月 に真打となった。

数学科卒の落語家である。筆者も理科大数学科を出て新聞記者になった変り種だが、その後輩がまた落語家とは嬉しい。ついでに言うと、ジャズ作曲家でピアニストの鬼武みゆきさん、ジャズシンガーの祥子さんも数学科卒でジャズ音楽界で存在感を出している異才である。

さ て、歌助師匠の話した内容は、「青年よ理学をめざせ」(東京書籍)を原作にしており、この本の著者は筆者である。だからこの落語の脚本の監修もしている が、実際に落語を聴くのは初めてだった。明治維新直後に、日本の発展は理学なくしてあり得ないとして、20歳代の若者が夜間の塾を開いて理学の普及に取り 組んだ物語である。

こ の20歳代の若者は、東大理学部仏語物理学科を卒業した16人であり、東京物理学校を創設した志士たちである。物理学校は東京理科大の前身であり、この学 校なくしていまの理科大はなかったわけである。何よりもこの若者たちの高い志は素晴らしいもので、落語と言うよりも講談に近い話の運びだった。しかし随所 でしゃれを入れて笑わせるのはさすがである。

桂歌助師匠は、このような硬い題材を練達の語り口で観客を引き込み、明治時代の青年たちの意気を語って感銘を与えた。やはりプロの話術はすごいと思った。歌助師匠の師匠は「笑点」の司会でおなじみの桂歌丸師匠である。

歌丸師匠が引退すれば、後がまは歌助師匠になるのだろうか。それにしても歌丸師匠は丈夫だねえ。

    渡部政博氏が中国のコピー工場の全てを開示して理科大で講義

                               
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 中国・雲南省昆明市にバイオプラントを建設し、抗酸化物質として知られているアスタキサンチンを製造していた日系企業・昆明バイオジェニック社(渡部政 博・董事長)が、中国人従業員に培養技術を盗まれ、その技術を中国で実用新案登録されていた事件の詳細が、東京理科大学知財専門職大学院の生越由実教授の 授業で報告された。

 この事案は、中国で活動する日本のバイオジェニック社(渡部政博社長)のいわば失敗した経営方針と実態を詳細に語ったもので、非常に珍しいケースであ る。日本の企業は、中国での管理や経営失敗を語らずう、できるだけ隠蔽しようとするが、渡部社長は日本企業のために全て情報を開示するという英断を実行し たものだ。

 渡部社長はさる4月にも、北京のIPG(中国で活動する日系企業の知的財産関係者の集まり)でも特別講演を行い、多くの在中知財関係者に衝撃を与えた。営業秘密、技術保護の管理体制をどうするかを示唆するものとして各界で大きな関心を呼んでいる。

 ジェトロ(JETRO=独立行政法人日本貿易振興機構)では、この事案を早くから重視し、先ごろ詳細な報告書「中国における営業秘密の管理・その流出と対応に関する実態調査報告書」を作成し広報した。 この報告書は、下記のウエブサイトで見ることができる。

 http://www.jetro-pkip.org/html/ztshow_BID_bgs201209.html

 この日の講義で渡部社長は、この報告書をもとに語ったものであり、受講生も大いに参考になったようだ。この問題は解決したわけではなく、今後、中国での刑事訴追、損害賠償なども視野に入れながら長期的な戦略で対応する戦略を練っているようだ。

 いま日中は、尖閣列島問題などで冷え込んだ状態にあり、中国で活動する日系企業にとっては厳しい時代になっている。この時期を超え、中国での対日感情が緩和する時期になれば、このような理不尽な事案への対応も変わってくるだろう。

 東村篤著「母照子が語る東村写真館 真心を写して49年」

 

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 日本人の心のふるさとの尽くせぬ出来事を語り、そして記録として残そうとした書籍である。著者のおふくろがこの本の主人公であるが、ここに記録されている出来事は、あの日あのときの尽きせぬ思いが込められていて読むものは感動せずにいられない。

 あの時代、貧しくもともに価値観を共有する幸せがあった。全国の多くの土地にあった写真館は、その幸せを記録する拠点であった。デジカメが普及した今の 時代からは想像できない社会のなかで、多くの国民は汗を流し喜びと悲しみを分かち合い、笑い涙して日々を過ごしていた。 その記録を残してくれたのが写真館であった。

  その日々の出来事と往時を彷彿とさせる地域社会の動きがふんだんに込められた書籍であり、地域を越えて感動する記録集でもある。 このような記録を残すことが非常に貴重な時代になってきた。そしてこのような行動をおこした著者の東村篤先生に敬意を表したい。 有難うございました。

 東京理科大学のホームカミングデイの開催

                               
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 東京理科大学のOG、OBが母校に集まって交流する「ホームカミングデイ」が、10月27日、葛飾キャンパスで行われ、多くのOG、OBが参加して賑わった。

 盛りだくさんのプログラムが用意されており、実施関係者が多くの時間を割いて企画・実施した内容がよく伝わってくる。恒例となっている秋山仁教授の講演 は、いつもの名調子で満員の会場を沸かせる。この日は、よきパートナーとなって活動している由美かおるさんが舞台でアシスタントを務め、最後にはお二人の アコーディオンの演奏で楽しい締めくくりとなった。

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 中庭に設置された「ふれあいライブステージ」では、和太鼓、混成合唱団、吹奏楽団、曲芸、祥子さんの歌唱など盛りだくさんのプログラムで観客を楽しませた。

  講義棟では、研究室の成果の発表や、写真のように子供たちのサイエンスへの興味を抱かせる「サイエンス夢工房」などからお笑い、アートギャラリー、年代別の同窓会などここでも多くのプログラムが並んでおり、楽しい訪問だった。
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 上の写真は研究成果発表の教室で、バイオ発電を展示していたコーナーである。学術研究の発表の場でもあり、子供たちから大人まで楽しめるイベントだった。

 光触媒国際研究センターの開所式

 

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 光触媒の国際的な研究拠点として東京理科大学野田キャンパスに「光触媒国際研究センター」がオープンした。光触媒の研究でこれだけまとまった研究センターは、世界でも初めてである。

 光触媒の研究に火をつけたのは、藤嶋昭・東京理科大学学長である。東大の大学院生だったころ、酸化チタンと白金を電極にして水槽に沈め、強い光を与えた ところ水が分解して酸素と水素になった。1969年に電気化学会主催の第一回電極反応討論会で藤嶋先生が発表したところ、次のような反応だったという。

 「内容が間違っているが訂正する時間がないので、そのまま載せておいた」

 「理論電位よりもマイナスの電位で酸素が発生するわけがない」

 「こんな非常識な話は聞いたことがない」

 「電気化学をもう一度よく勉強しなおしてから来るように」

 こうした批判のコメントを聞きながら、藤嶋先生は「葉っぱの表面で起きている光合成と同じ反応が起きている。なぜ分からないのだろうか・・・」と思ったという。

 それから半世紀。いまや光触媒のビジネスが1000億円を超えるまでになった。世界で1兆円市場ができるとノーベル賞に結び付く。この研究と実用化も、どこかで爆発する可能性があるが、その起点がそろそろ始まろうとしている。

 研究センターには、セルフクリーニンググループ、人工光合成グループ、環境浄化グループなどに分かれており、光触媒の世界の学術的なメッカとなるだろう。

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  水耕栽培では、クリーン水槽実現に光触媒が利用されており、青々と育った野菜類が見ていても気持ちよかった。

 科学文化概論で講義

                               
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  「知的財産権は研究開発の成果なのかそれとも文化なのか」-このようなテーマで6月3日、東京理科大学科学教育研究科で講義を行った。これは北原和夫教授が主導する「科学文化概論」の講義の1コマを担当したものである。

 知的財産権には産業財産権(特許、実用新案、意匠、商標)から著作権、育成者権など様々な権利がある。こうした権利のうち、産業振興にもっとも深い関係があるのが特許である。その特許を代表例にしながら知的財産権と文化が交錯する現代の場面と課題をあげて講義を行った。

 授業ではまず、知的財産権とは何か。さらに産学連携について考え、なぜ産学連携が必要になったかを考えてもらった。そしてスマホにはどのくらいの知財が 使われているかを考え、パテントプール、パテントトロール、パテントオークションなどの用語の意味について考えてもらった。

 また途上国で宣言されている特許の強制実施権についても考え、アルダージ社のパテントプールを実例としてあげながら産業現場でのパテントの運用、実施例 などをもとにパテントは研究開発の成果なのかそれとも文化としてとらえるべきか。そのような切り口で考える授業を行った。

 この10年で知的財産権の世界は激変してきている。その現状も大急ぎで俯瞰し、最後に特許は誰のものか、特許は人々を幸せにするのかどうか。それを問い かける小論文を書いてもらった。この授業は90分間で現代の知的財産権の世界に横たわる課題を網羅しながら改めて知的財産権を考えるものにした。

 短時間の中だけに、消化不良になっている部分もあっただろう。しかし知的財産権について、単に権利として考えるだけではなく、社会の価値観の中で考えるきっかけをつくることを狙いの一つともした。このような授業は試行錯誤を繰り返しながら成熟させるよりないだろう。

 といってもこれは受講者を軽視しているわけではなく、激しく動いているテーマを取り上げる宿命であろう。

 東京理科大学葛飾キャンパスの竣工式

                               
                 

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明治の天才画家と言われた青木繁の「わだつみのいろこの宮」の陶板碑の除幕式。             右から大村智博士、塚本桓世・前理事長、藤嶋昭学長、山田義幸理窓会会長

 東京理科大学の葛飾キャンパスの竣工式が、2月20日行われ、多くの関係者が出席して大学施設を見学した。葛飾キャンパスは、この4月1日から開校することになっており、基礎工学部と工学部などが新装なったキャンパスに入る。

 このキャンパスは、前理事長の塚本桓世先生が計画して実現し、昨年12月末から交代した中根滋理事長に引き継がれ、新しい東京理科大学へと進展することになった。

 金町駅から徒歩7分程度の場所で、駅からキャンパスまでの一本道は商店街になっている。と言ってもちらほらシャッター店舗もある。しかし、この地に若いエネルギーが大挙押し寄せてくることになり、商店街も期待しているようだ。

 この一本道に「理科大学通り」という名前が付けられており、街の再開発に弾みがつくようなら大変結構だ。葛飾区の青木克徳区長も、「葛飾区に名門の大学が来てくれて大変嬉しい。地域の皆さんと一緒にここで素晴らしい研究地域を築いていきたい」と語っていた。

第104回理窓会新年茶話会の開催

                               
                 

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 恒例になっている東京理科大学・理窓会の新年茶話会が1月12日、東京・飯田橋のホテルエグモントで開催され多くの同窓生が出席して近況を報告し今年の抱負を語り合った。

 昨年、叙勲・表彰を受けたOB,OGの人々の中でひときわ光彩を放っていたのは、文化功労者に選出された大村智博士(北里研究所名誉理事長、女子美術大 学理事長)である。有機化学・薬学の分野で世界に先駆けて優れた業績を残し、ノーベル賞受賞の至近距離にあるとされており、同じように取りざたされている 酸化チタン光触媒の藤嶋昭・東京理科大学学長らと楽しい歓談となった。

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 大村博士は、昭和38年に東京理科大学理学部化学科の大学院生として入学し、都築先生の研究室で先端実験化学に取り組んだ。当時、大村博士は、都立高校の夜間の教師をしており、学び直しをするために東京理科大学に入ってきたものだった。

 お祝いの席では、その当時のエピソードも披露しながら、藤嶋学長らとも楽しい懇談をしていた。また、そのほかにも、叙勲された人々が多数紹介され、理窓会・坊っちゃん賞の受賞者3人も紹介されるなど、茶話会は終始楽しい雰囲気の中で行われた。

 終わって二次会は、数学者の秋山仁先生、女優の由美かおるさんらと中華レストランに繰り出し、藤嶋学長、塚本理事会会長らも加わって、様々なテーマで今年の抱負を語り合った。

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真ん中の由美かおるさんは、いったい、いくつになったのか。

テレビのバラエティ番組のでお茶の間の人気スターになったころと変わらない愛らしさだった。

               
      「理大 科学フォーラム」の編集委員会の開催
                               
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  東京理科大学のジャーナルである「理大 科学フォーラム」誌の今年最後の編集委員会が12月20日に開かれ、2013年1月号の内容の評価と2月号の校了を行った。

 1月号の特集は、お正月であることも考えてお酒にまつわる発酵の科学について専門の先生方の執筆を収納した。また、新年号から始まる特別連載「大丈夫か日本の知財戦略」と各種コラムについても評価を行った。

 今年最後の編集委員会を最後に筆者は委員長を退任することに決めており、この日は委員会終了後に送別会を開催していただき、大変、嬉しく思った。また、広報担当でこのジャーナル誌の責任理事になっている秦野純理事も出席し、同じく送別会をしてもらった。

 このジャーナル誌は、物理学校時代に発刊した「物理学校雑誌」以来、延々と続いている大学のジャーナルであり、おそらく日本の大学では最長寿のジャーナルの一つだろう。

 その伝統を引き継いだものであり、大変、意義のある雑誌の発刊でもある。これからもますますの発展を祈念したい。

 日本知財学会の分科会で討論

                               
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 2012年度の日本知財学会が、大阪市の大阪工業大学で開かれ、ほぼ1000人の会員らが集まり熱心に討論を行った。

 筆者は、「 中国で活動する日本企業の知財戦略についての留意点とその考察」とのタイトルで、雲南省で発生したバイオプラントのコピー事件などを実例にあげ、第3世代に入った中国での知財トラブルの対応策について討論を行った。

 この事例はいま、日本政府機関からの要請により詳細な報告書を作成する準備を進めており、詳細は学会で発表することができなかった。しかし類似の知財紛争は、筆者のもとにいくつか集まっており、これからの日中間の新たな知財紛争として課題になるだろう。

 特に中国で高等教育を受けたいわゆるエリート集団が、戦略的に日本企業の知財を侵害したり悪用する手法は研究課題として十分取り上げる必要がある。雲南 省のコピー工場事件は、中国での刑事事件となるのかどうかも含めて非常に重要な内容を含んでおり、今後もフォローを続けたい。

 知財学会では、筆者の発表の後、「知財人材育成・知財教育」のセッションで座長をしたが、妹尾堅一郎先生の「イノベーションモデルの変容と知財人材 - イノベーションモデル、知財マネジメントモデル、知財人材モデルの移行自体をメタモデル化するー」との意欲的なテーマには多数の聴者が集まり、活発な討論 があった。

東京理科大学募金顕彰の会の開催

                               
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東京理科大学の同窓生で構成する維持会の顕彰の会が、11月2日に開催され、新たに2人の会員の表彰が行われた。

 この維持会は、東京物理学校を創設した16人の同志たちが、ポケットマネーを出し合って学校を経営した歴史に学んで、いまなおOGやOBが募金活動をし て母校の支援をしているものである。寄付した額が一定の額を超えると表彰する制度をとっており、この日は新たに澤芳昭氏と森田昌宏氏が表彰を受けた。

 折しもこの日、文部科学省が新設を求めていた3つの大学の認可を認めなかったというニュースが流れ、私大の経営と大学の質の低下が社会問題となっていることをうかがわせた。

 東京理科大学は、毎年、5万人の志願者がおり、2万人の学生を抱えている。来年4月からは葛飾キャンパスもスタートを切ることになり、大学の健全なうんねいはますます重要になってきている。これからも伝統ある大学の経営に少しでも役立つ行動を起こしたいと考えている。

 東京理科大学ホームカミングデイで特別講演

 

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 東京理科大学のOG、OBが集まって懇親を深める東京理科大学ホームカミングデイが、10月の最終日曜日に開催され、多くの同窓生で賑わった。筆者も記 念講演会に招かれ、卒業してすぐに入社した読売新聞記者時代を俯瞰しながら、2000年以降の世界の動向と自身の活動を総括し、潮目の速い時代の対応へ提 言した。

 上の写真は、学生の懸賞論文で入賞した人の表彰式である。下の写真は、記念講演で講演とアコーディオン演奏で盛り上げた秋山仁先生と「恋人」の由美かお るさんである。由美さんは、高校生時代からテレビで活動していた歌手・ダンサーであり、今でも妖しい美しさで筆者を大いに惑わせた。

 筆者は懸賞論文の講評を依頼された。講評は以下の通りである。

 今年度の論文テーマは「豊かさ・安心・安全追求のために果たすべき未来の科学技術」という抽象的で難しいテーマでした。

 最優秀賞に選ばれた高木英美子さんの論文は、課題に対し「サービス付き高齢者向け住宅専用生活支援ロボット開発の提案」という副題をつけて論述しました。  この論文には、大変優れた点をあげることができます。

 第1に、豊かさ・安心・安全追求という課題テーマに対し、老齢化社会のサービスを考えた点です。日本は急速な高齢化社会を迎え、要介護高齢者も急増することが予想されています。

 このような社会構造の中で最も求められるものの1つとして老齢化社会のサービスを実現することであり、高木さんはそこに論文の骨子を求めたものです。

  第2の優れた点は、要介護高齢者サービスを実現するために、日本の産業技術の中でも、常に世界のトップを走っているロボット技術を応用しようとした点です。介助支援、家事支援を行うロボットは、冷蔵庫の開閉、調理補助、お盆運搬、声の指示の認識、簡単なコミュニケーションができるものを目指そうとするものです。

 このような先端技術の開発は、日本でなければできません。他の国では、優れたロボット技術の蓄積がありませんから実現するのは極めて難しい。世界の中で日本が先端技術で実現できるところに眼をつけた高木さんの発想は素晴らしいと思います。

  第3に、この構想を机上のプランに終わらせないために、ロボットメーカーと住宅メーカー、さらに介護従事者など専門分野を結集して取り組む体制を提案し、国が積極的に支援することを提案したものです。介護支援ロボットの導入を前提とした住宅設計、家具や家電へのチップ埋め込みなど未来の老齢化世帯のイメージを書いている点でも楽しく読ませてもらいました。

  IT産業革命を迎えて日本の産業は地盤沈下を起こしているのではないかという危惧があります。また、高齢化社会を迎えて、日本は要介護者への介助などで社会的負担が増し、人手不足を解消できずに行き詰まるのではないかという心配も出ています。

  しかし高木さんの論文は、日本が世界で断トツのロボット技術を駆使して、要介護者の介助という課題を解決しようという大変元気の出る提案であり、最優秀賞に輝いたものであります。 

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東京理科大学の「維持会栄誉・特別・終身会員報告会」の開催

 

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 明治14(1881)年に設立された東京理科大学の前身、東京物理学講習所(後年、東京物理学校と改称)の伝統を引き継ぐ「東京理科大学維持会栄誉・特別・終身会員報告会」が10月5日、東京・新宿区の日本出版クラブ会館で開かれた。
 

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 この席で森野義男維持会会長は、写真で見るように明治14年6月13日に「郵便報知新聞」に掲載された同講習所設立広告を紹介した。物理学校は、東大仏 語物理学科を卒業した日本初の理学士16人が、「理学の普及こそ国運の発展の基礎となる」との志と情熱を傾け、ポケットマネーを出し合って作った夜学の学 校であった。
 創設者の年齢は20歳代の後半であり、昼は大学や役所に勤務し夜は物理学校の無給の教師となり、実力主義の授業で多くの優秀な学徒を世に送り出した。
 その遺志を引き継いで行こうと往時の多数の記録写真とエピソードを紹介しながら、森野会長は出席者に呼びかけた。

 来年の1月からは、東京理科大学の月刊雑誌「理大 科学フォーラム」に、この当時の歴史物語を連載する予定だという。いまから楽しみである。

 

 また、東京理科大学同窓会である理窓会の山田義幸会長からは、来年4月開校の東京理科大学葛飾キャンパスの状況などの報告があり、キャンパス内に設置するシンボル記念碑の建設資金の支援などで呼びかけがあった。

 報告会終了後の懇親会でも、物理学校卒業生など長老も出席しており、往時の思い出を語り合った。 

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 「理大 科学フォーラム」の編集委員会の開催

 

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 「理大 科学フォーラム」の編集委員会が、夏休みを挟んだために2か月ぶりに開催された。委員の先生方はみなさん元気であり、編集題材を持ち寄って今後の方針を討論した。

 写真は9月号の表紙である。元気先生と元気理大生をこの構図のように並べているが、女子大生の凛々しい姿を見てほしい。学生は、山口東京理科大学工学部応用化学科2年生の榎戸可織さんである。この凛々しい姿は素晴らしい。

 今年の特集は工学部創設50年であり、この間の歴史を掘り起こしながら、これからの工学部の歩むべき道筋などについて特集した。

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 9月19日に開催された編集委員会である

                                

「特許ステーキ」を食べながら宗定勇先生、MIP院生らと懇談

                               
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 東京・東向島にある「特許ステーキ」で有名な「レストラン・カタヤマ」で、宗定勇先生を囲んで懇親会を行った。このレストラン経営者の片山幸弘さんは、 安くて硬い牛のももの部分(らんいちと言うそうです)を特殊な調理法で柔らかくておいしい肉に改変する技術を発明し、特許を取得した。

 このステーキをいつしか「特許ステーキ」と呼ぶようになったもので、何とも嬉しいのはその値段と味である。特許ステーキは、260グラムで1670円と いう格安である。分厚くカットされた豪州牛であり、想像以上に柔らかい。あっさり味で肉のうまみはやや薄いが、筆者にはぴったりの味である。

 このステーキを食べがら宗定先生と東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の院生諸君とが近況を語り合いながら懇談した楽しいひと時だった。 

 第1期から5期まで歴代の馬場研メンバーは、全員がこのレストランへ行った思いでの場所でもある。スカイツリーがすぐ近くにそびえ立ち、夜になると明かりで縁取りしたツリーは、なかなか見ごたえがあった。また是非、行く機会を実現したい。

               

レストランカタヤマの別室で記念写真。この部屋の壁には、宗定先生が訪問したときの写真が展示会のように飾ってあった。

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  「理大 科学フォーラム」編集委員会
                               
                 

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  東京理科大学の科学ジャーナル誌の「理大 科学フォーラム」の編集委員会が、7月20日に開催され、8月号以降の編集方針を決定した。

 今月発行された7月号の特集は科学とジャーナリズムである。先の東日本大震災での東電・福島原発の事故は、科学があらゆる分野と連関を持っていることを改めて明るみに出してくれた。それはマスコミの代表機関である新聞・テレビ報道を見ても思い知らされた。

 マスコミは科学畑だけでなく政治、経済、社会、国際、家庭・生活、文化、教育などあらゆる部門が総力をあげて福島原発の諸問題に取り組んでいた。原子力発電技術は純粋な科学技術のジャンルであるが、原子力の安全性、エネルギー問題になると社会学、経済学へと広がってくる。

 原子力政策になれ ば当然、政治の問題であるし核拡散問題やエネルギー確保の問題になれば国際的な政治力学の話になる。核分裂の放射能、放射線の人体や環境への影響になると 医学、生態学から農畜産などへと広がってくる。マスコミの世界では、科学は特殊なジャンルではなくこのように複雑に連関し合ったテーマを内包しているもの になってきた。

 原子力だけではない。ノーベル賞一つとってみても、一国の研究開発力から産業技術力を占う指標の一つとなっており、国際社会での発言の軽重にも影響を与えるようになっている。科学技術創造立国の果たすべき役割は重要なのである。 

 7月号特集のテー マ「科学とジャーナリズム」は、新聞、テレビ、科学雑誌のジャンルから精鋭4人の執筆者にお願いして論じてもらった。佐藤年緒氏は、元時事通信編集委員で あり、現在、科学技術振興機構(JST)の科学教育誌『Science Window』の編集長である。

 柴田文隆氏は、読売新聞東京本社科学部長として日々、科学報道の第一線で陣頭指揮している。辻篤子さんは朝日新聞論説委員として、科学に関する社論を内外に向けて発信している。

 映像文化を代表して書いてもらったNHKの村松秀さんは、科学番組で名を馳せているディレクター・プロデューサーであり、BSドキュメンタリー『史上空前の論文捏造』(2004年放送)とその番組をもとに書いた『論文捏造』(中公新書ラクレ)では大きな話題となった。科学技術ジャーナリスト会議からは、2007年度の「科学ジャーナリスト大賞」を授与されている。

 東 京理科大学大学院科学教育研究科では、2年前から「科学文化概論」という科目を新設し、科学を文化として考える新学問体系を目指して授業を展開している。 本誌でも今年の1月号で特集を組んでいる。科学とジャーナリズムは、幾多の命題を抱えながら模索する時代が続いている。

                                

「理大 科学フォーラム」の編集委員会の開催

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    東京理科大学のジャーナルである「理大 科学フォーラム」の編集委員会が4月20日に開催され、今年度の編集方針などを決めた。今年の1月号からリ ニューアルした本誌の最大の売り物は表紙である。「元気先生がゆく」と「元気理大生がくる」というコーナーに合わせて、先生と学生の2人の写真が表紙に登 場している。

 4月号は、火災科学研究センターの水野正之先生と薬学研究科博士課程の高井英里奈さんのお二人である。それぞれの活動を報告し、これからの抱負を語る。元気はつらつとした活動が書かれている。

 元気先生のライターは山本明文さんで、気鋭のライターとしてノンフィクション分野で多くの著作を世に出している。元気理大生のライターは、多分、日本で 初めての「知財コラムニスト」を名乗る天道猛さんである。東京理科大学知財専門職大学院(MIP)を修了し、いま知財分野で活動を始めたばかりである。

 編集委員会では、これからの掲載予定のテーマと執筆者などの案を出し合い、編集の狙いと掲載の体裁などを話し合った。来年の連載企画もそろそろ考える時期であり、来年は博物館・美術館などを案内するコーナーが登場しそうだ。

 雑誌の編集は、半年先を走っていないと間に合わなくなる。だから今年の年末から来年初頭のことをいま考える時期である。そのようなタイムラグを乗り越えて、読者が興味を持ってくれる内容を模索している。今後も編集委員会一同で頑張るので、読者を増やしていきたい。

                                

上海理窓会設立総会が開かれる

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 東京理科大学のOG、OBの親睦団体である理窓会の中国での初の設立総会が、2012年3月11日、上海のガーデンホテル上海で開催され、中国で活躍する理科大関係者の交流の輪が広がった。

 この日は、東日本大震災から1年にあたる日であるため、設立総会の冒頭に全員が起立して黙とうを捧げた。続いて理科大の校歌を斉唱。設立までの経過報告の後、議長を選出、会則制定があり役員の選出を行った。 

 その結果、会長には大谷三喜男さん(79年工学部工業化学科卒)、副会長に葉維英さん(94年工業研究科経営工学専攻修了)、幹事に草野信さん(89年理学部数学科卒)、同井上幹宏さん(92年理工学部経営工学科卒)がそれぞれ選出され、新しい組織の形が整った。

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会場はOG、OB、来賓ら約70人の参加者が熱心に講演に聴き入った

 設立総会に続いて記念講演会となり、まず塚本理事長が「世界に誇る大学構築に向けた取り組み」、藤嶋学長が「20年後の東京理科大学への期待」とのタイ トルでそでぞれ講演を行った。さらに記念講演としてシコー株式会社の白木学社長が「夢の扉」と題して、理科大時代から超小型モーターを次々と開発して企業 化していった活動の軌跡をたどりながら発明人生を語って聴衆に深い感銘を与えた。

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 続いて開かれた懇親会では、互いに名刺交換しながら交流の輪が広がり、中国での理窓会の活動が始まった。

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「理大 科学フォーラム」の編集委員会の開催

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 東京理科大学の月刊ジャーナルの「理大 科学フォーラム」の編集委員会が2月17日に開催され、今後の編集方針について論議し、3月号以降の編集内容について決定した。

 

 「理大 科学フォーラム」の編集委員会の開催

                               
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 「理大 科学フォーラム」の編集委員会が1月20日に開催され、今後の編集内容について論議し、特集・企画案などを決定した。

 「理大 科学フォーラム」は2012年1月号から、内容を大刷新した。これまでは論文方式の記述が多く、アカデミズムの内容に偏っていたものを、もう少し一般化した内容にシフトし、高校生、大学生もなじむような話題も提供することにした。

 この雑誌は大学のジャーナルであり、アカデミックなポリシィは保持しながらも、読者層を広げるために一般的な話題も提供することにした。表紙には毎号、 「元気先生がいく」「元気理大生がくる」に登場する2人のポーズ写真を使い、中面にそのインタビュー記事を掲載している。

 また留学生の手記や学生クラブ活動の紹介も収納しており、特集記事も学術活動だけではなく、読者を広く啓発する記事も掲載する方針である。

 第103回理窓会新年茶話会の開催

 

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 2012年の初頭を飾る東京理科大学同窓会の新年茶話会が、1月7日、東京・飯田橋のホテル・メトロポリタンエドモンドで開催され、多くのOG、OBらが出席してにぎわった。103回という開催回数だけでも伝統の重みを感じる。

 出席者の中には、戦前の東京物理学校時代のOBもいて、往時の思い出話を聞く機会があったが、このような伝統の重みを感じながら母校の一層の繁栄を思う 茶話会だった。この茶話会で、「理窓会坊ちゃん賞」の授与式があった。今年の受賞者は、諏訪部喜義氏(昭和24年、東京物理学校応用化学科卒)、中西繁氏 (昭和44年東京理科大学工学部建築学科卒)、林直昭氏(平成6年、理学部化学科卒)の3人だった。

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 歴代の受賞者の中でも最年少の40歳で受賞者となった宇都宮タマル工業(株)の代表取締役社長の林さんは、この20年間、メッキ一筋に技能の研さんに務 め、無電解メッキと電気メッキをミックスさせた処理に卓越した技能を発揮してきた。高度熟練技能者と認定した国は、林さんを「現代の名工」に指定してい る。写真は、受賞式前に藤嶋昭学長との記念撮影である。

 林さんは特に、密着性やピット防止の改善を行うなど安定したメッキ皮膜を作成することを得意としており、若手社員の教育だけではなく中学生、高校生に対するメッキの実演や金属の腐食防止の実技講演をおこなうなど社会貢献でも評価されている。

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 茶話会では、上の写真の左にあるように、物理学校卒のお歴々が壇上で紹介され拍手喝さいを浴びていた。また東京理科大学理学部数学科を卒業後、ジャズ歌手になった祥子さんと落語家の桂歌助さんも紹介され、祥子さんの歌が披露された。(写真右)

                               

東京理科大学ソフトボール部の納会

                         

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 この1年間の活動を総括する東京理科大学ソフトボール部の2011年納会が、12月25日、千葉県柏市の「ふるさと五兵衛」で開催され、今年一年を振り返りながら活躍した選手たちの労をねぎらい、表彰カップや盾を贈って健闘を称えあった。

 筆者は昨年から名誉顧問の肩書をいただき、インカレ優勝を祈願して陰から応援してきた。今年は1部の春季リーグ戦で全勝して幸先のいいスタートと思って いたが、念願のインカレ予選では宿敵の千葉大に敗れて出場はならなかった。秋季リーグ戦は春の敵討ちにあったのか1勝3敗1分とふるわなかったが、東日本 選手権大会では、3勝1敗で第3位となった。

 ソフトボール部の監督として長年、部員を引っ張ってきた丸山監督が、今年から総監督となり、代わって柳田信也監督がチームを率いることになった。長い間に築かれた「丸山イズム」はそのまま引き継がれており、この日の納会でも随所に丸山総監督からの檄が飛んでいた。

 また、納会にはインドネシアからの留学生4人が招かれており、ナショナルチームとの交歓以来の交流を温めた。納会の最後には、今年活躍した選手たちと陰から支援してきた女子マネージャーたちを表彰する授与式が行われ、楽しい納会を締めくくった。

 

 

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受賞した選手たちの面々

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女子マネージャーたちも受賞

                                

「理大 科学フォーラム」編集委員会を開催

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 「理大 科学フォーラム」の編集委員会が12月9日に開催され、2012年1月号の最終校正を完了し、12年冒頭からの編集方針を論議して決定した。編集委員会の後、翁庵に会場を移し、忘年懇談会を開いて忌憚ない意見を出しあった。

 「理大 科学フォーラム」の編集は、編集委員になっている本学の教員が、編集室の一員の役割をするところが特徴になっている。つまり企画・立案から原稿発注、原稿書きぶりの助言、原稿催促まで一貫した作業を支援している。

 このような支援なくしてこのジャーナルは成り立たないものであり、通常の編集委員会とはかなり違う面を持っている。2012年1月号からは、従来からの ジャーナルの内容をリニューアルして新しい編集を行っており、果たしてこれが多くの読者をひきつけることになるかどうか注目している。

 このジャーナルの読者が学内の学生、教職員に支持されないようでは、存在価値が薄くなってしまうので緊張感をもってリニューアルに取り組んできた。その 責任者になっている筆者としては、まさに被告席に座っているような心境であり、年明け早々の反響をかたずをのんで見守りたい。

 

東京理科大学こうよう会秋田支部で講演」

 

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 東京理科大学父母の会である「こうよう会」の秋田支部で、11月26日に講演会が開かれ、工学部第二電気工学科の西川英一教授と2人で講演を行った。

 筆者の講演演題は「物理学校の歴史と激変する現代社会」とし、東京物理学校から始まった東京理科大学の歴史を振り返りながら、大学を創設したころの理念 を引き継ぎ、連綿と歴史を刻んできた状況を説明した。その上に立って、大学の伝統をどのように守り引き継ぐかを提起した。

 特に草創期に、理学普及こそ国を支える最重要課題として取り組んだ物理学校を創った偉大な先人たちの遺志に思いを馳せながら、現代に生きる私たちの責務をどこに置くべきかを語った。さらに時空を超えて現代に一足飛びに話題を引き戻した。

 世界規模で進展している、第3次産業革命という時代認識を明確に認識することが重要であるとする筆者の持論を展開し、その進展する状況を中国の急進的な 改革を見ながら示した。最後にいま筆者が取り組んでいる一人一票実現運動が、日本の民主主義国家を確立するもっとも大事な要素であることを主張し、混沌と したこの時代にいかに必要な運動であるかを強調して講演を終えた。

 その後に行われた懇親会では、大学教育や進学、就職問題について具体的な話で意見を交換し、大変有意義な講演と懇親会となった。

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 講演会終了後は、懇親会を開催し、大学教育や学生の進学・就職問題などについて忌憚ない意見交換の場となった。

 

 

「理大 科学フォーラム」編集委員会の開催

                                              

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 「理大 科学フォーラム」の編集委員会が11月25日に開かれ、リニューアル編集で「変身」する新誌面などについて論議を行った。この日は、編集委員の出席者がいつもより少なかったが、2012年1月号から変わる誌面内容などについていくつかの確認を行った。

 また、巻頭言、特集、理大人列伝などの予定を話し合い、今後の誌面構成を展望した。いつものことだが、このジャーナルは、編集委員の先生方の協力なくし ては発行できない。その意味で様々な専門家であり研究者である先生方の視点で企画案を出したり、人脈で執筆者を模索するなど今後も楽しくもためになる ジャーナル発行を目指したい。

 

                               

第63回理大祭が盛大に開催

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 東京理科大学の学生たちが日ごろの活動を披露したりアピールをする「理大祭」が、11月19日、20日に開催され、大勢の学生、一般人の参加者でにぎわった。

 理大祭実行委員会(内田悠太委員長、140人)の話によると、渉外など5部門が1年間かけて準備をしてきたもので、企画、立案を進めてこの2日間で燃焼してしまう。約90団体が参加しており、食べ物やさんが軒を並べて開店していた。

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実行委員会(写真左)は階段教室に陣取り、理大祭の運営を支えた。右は漫研の活動風景。 

 赤十字奉仕団の女子学生が、駅弁屋さんのように巡回販売をしていたので「焼きうどん」を購入しながら活動状況を聞いてみた。田代桂太郎団長(理学部応用物理学科3年)によると、献血推進、肢体不自由児者のサポートなどもしており、他の大学との連携活動が多いという。

 「赤十字東京支部からの要請もありますし、他の大学主催の行事に呼ばれて活動したりボランティア活動なのでいろいろな形態があります」という。この日も車椅子で見学に来た身体障害者の姿も多く見受けられ、奉仕団の活動のプレゼンスが出ていた。

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赤十字奉仕団のメンバー(写真左)は巡回販売に精を出していた。

写真右はモダンジャズグループの演奏風景。ひと時を楽しませてくれた。

 モダンジャズの演奏をのぞいてみると、カルテットの演奏中でありドラムスは女性である。なかなかいい感じのジャズ演奏なので、終わったところで取材してみると、堺理人部長(理学部2部物理学科3年)ら30人の部員がいるという。

 ドラムを叩いていたのは工学部建築学科4年の船戸麻瑠珠さんで、中高のブラスバンドでパーカッションをやった経験を生かし、大学入学後にドラムに挑戦した。日常的には3号館地下にある防音室でのトレーニングがあり、セッションを組んでの練習もあるという。

 神楽坂キャンパスの中は、学生、一般人の参加者で大盛況であり、さまざまな文科系クラブや体育会系クラブの学生たちがイベント開催の勧誘に声をかけてい た。筆者が楽しみにしていた舞踏研究部のデモはすでに土曜日に終わったそうで、この日は明かりも人気もなくひっそりとしていたのは残念だった。

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各部のメンバーも趣向を凝らして楽しい理大祭を盛り上げていた。

  東京理科大学の学生たちが日ごろの活動を披露したりアピールをする「理大祭」が、11月19日、20日に開催され、大勢の学生、一般人の参加者でにぎわった。

 理大祭実行委員会(内田悠太委員長、140人)の話によると、渉外など5部門が1年間かけて準備をしてきたもので、企画、立案を進めてこの2日間で燃焼してしまう。約90団体が参加しており、食べ物やさんが軒を並べて開店していた。

 

実行委員会(写真左)は階段教室に陣取り、理大祭の運営を支えた。右は漫研の活動風景。 

 赤十字奉仕団の女子学生が、駅弁屋さんのように巡回販売をしていたので「焼きうどん」を購入しながら活動状況を聞いてみた。田代桂太郎団長(理学部応用物理学科3年)によると、献血推進、肢体不自由児者のサポートなどもしており、他の大学との連携活動が多いという。

 「赤十字東京支部からの要請もありますし、他の大学主催の行事に呼ばれて活動したりボランティア活動なのでいろいろな形態があります」という。この日も車椅子で見学に来た身体障害者の姿も多く見受けられ、奉仕団の活動のプレゼンスが出ていた。

 

東京理科大学募金検証の会の特別会員に藤嶋明学長ら6人表彰

                               
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 東京物理学校から連綿と歴史をつないでいる東京理科大学は、多くの篤志家からの寄金で運営されている。維持会(森野義男会長)があって、寄金を大学発展のために役立てているが、それもこれも寄金を寄せる同窓生や篤志家が多数いるからである。

 11月4日は、その寄金者の中でも合計で250万円を超えた篤志家の表彰式が行われ、藤嶋昭学長ら6人が新たに表彰された。この日の表彰者は、このほかに石井智、吉本成香、森野晴、田中治、水島盤男の各氏であった。

 物理学校が発足した当時も、16人の志士たちが個人的にお金を出し合って物理学校を創設した。当時のお金を今の物価に換算すると、1人50万円程度だったと思われる。それを20歳代から30歳前後の若者たちが負担して学校を作ったのである。

 その志を継いで、東京理科大学発展のために寄金をする人々がいることは大変、心強い。ちなみに筆者は昨年表彰を受けているが、今後もできるだけ貢献したいと考えている。

 「理大 科学フォーラム」の編集会議の開催

 

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 「理大 科学フォーラム」の編集委員会が、10月28日開催され、今後の編集方針いついて2時間余り討議した。2012年1月号からリニューアルする方針が決まっており、すでに新しい視点で書かれた原稿が続々と集まってきている。

 1月号は、表紙に元気先生がゆくと元気理大生がくるというコラムに連動した写真を掲載する予定であり、ユニークな大学ジャーナルになるだろう。また、読みやすいコラムも多数、用意したので学内でも売れることを期待している。

 東京理科大学維持会報告会の開催

 

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      東京理科大学の維持会栄誉・特別・終身会員報告会が、2011年10月7日、東京・新宿の出版クラブ会館で開かれ、東京理科大学の発展に寄与している 人々の交歓会がにぎやかに行われた。維持会は、東京理科大学の前身である東京物理学校が実質的に創設された明治17年(1884年)、当時、東大理学部仏 語物理学科を第1期生として卒業した16人の志士たちが、ポケットマネーを出して作った維持会である。その資金を基盤にして学校を設立、今日の東京理科大 学へと発展した。

 その伝統を引き継ぎ、今なお母校に基金を拠出している多くのOB,OGがおり、さらに東京理科大学以外の卒業生らがその意志に共鳴して基金を拠出している人々が集まり、これからの東京理科大学の発展を話し合った。

 東京理科大学は、昭和24年(1949年)に東京物理学校から新制の東京理科大学に生まれ変わったものだ。この日の報告会に東京物理学校の卒業生3人が出席して、私たちを驚かせた。

 写真は、その卒業生3人が藤嶋昭学長を囲んで記念撮影したものである。写真の左から昭和24年卒の飯田行郎さん(84)、藤嶋学長(69)、昭和20年 卒の清水一三雄さん(87)、そして昭和24年卒の酒井泰治さん(85)である。筆者は早速、武蔵工業大学名誉教授である酒井先生にインタビューを行っ た。

 -失礼ですが、先生のご専門はなんでしょうか?

 私は、物理学校を卒業した後、東京外語大学や東京文理科大学(現在の筑波大学の前身)で学び、武蔵工大では英語を教え、後半は科学史を教えた。科学史をやるには、欧州の科学史を知らないとできない。それで欧州の国際学会にはよく出かけた。

 -ということは、英語を教え、それから科学史へと発展したのですね。語学も相当に必要だったのではないですか?

 もちろんだよ。英語は普通として、ドイツ語、オランダ語、そして日本語は絶対だよ。オランダ語ができないようでは、江戸時代からの日本の科学史は研究で きない。外国語は必至でやったからしゃべれるようになった。ドイツ人との討論では、論理的に来るドイツ人の論旨に対抗しないと話にならんからね。

 -ドイツ語、オランダ語は分かりますが、日本語もですか?

 そう。日本の古文書を読めないようでは科学史はできない。それに私は、欧州の「神」と「日本の神」について研究した。古文書には神がある。

 ー神と科学ですね。欧州ではあらゆるものが神の被造物ですね。日本思想とは違う。

 君の言うことはよく言われることだが、本質は違う。そのことを深く追求しないと科学史にはなりえない。神の研究は科学の研究になる。

 -先生のご専門は何と言ったらいいのでしょうか?

 科学思想史だな。きみ、もっと知りたかったら今度、家にきたまえ。ゆっくり講義してやろう。

 ということで、また酒井先生とお会いする約束をした。先輩のこのような話を聞くことができて至福の時間だった。

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 森野義男維持会会長と記念撮影

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山田義幸理窓会会長と記念撮影

                                 

「理大 科学フォーラム」の編集委員会の開催

                               
                 
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 東京理科大学の科学ジャーナル誌である「理大 科学フォーラム」の編集委員会が9月30日に開催され、2012年1月号からリニューアルされる誌面構成、企画案などについて話し合った。

 このジャーナルは、大学の学部を代表する形で委嘱されている編集委員の先生方が企画立案から原稿依頼まで差配する独自のやり方で発行している。アカデミ ズムの色彩が強いのが特徴だが、これにやや一般的な話題も加味した読みやすい誌面にしようというのがリニューアルの方向である。

 1月号からは、表紙に教員と学生を入れた大胆なデザインを目指し、掲載記事もアカデミズムの話から軽いタッチのコラムまで読みやすさを狙ったものにす る。新連載には、黒木登志夫先生のいわば理系人間の「文章読本」を予定しており、さらに「誕生樹」として1年365日の記念の樹木を語る椋周二さんの読み 物も予定されている。

 編集委員の先生方のアイデアを持ち寄り、よりいいものを目指しているので、今度こそ学生たちにも読まれるジャーナルになるだろう。本離れ、活字離れの歯止めになるのかどうか。編集長を委嘱されている筆者にとっては、「被告席」に座らされている心境である。

 「理大 科学フォーラム」編集委員会の開催

                               
                 

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東京理科大学から発信している科学ジャーナルの月刊「理大 科学フォーラム」の編集委員会が7月28日に開催され、2012年1月号からのリニューアル編集内容について討議を行った。

 「理大 科学フォーラム」は、東京理科大学の前身である東京物理学校時代の「物理学校雑誌」から伝統を引き継いでいる学術雑誌である。現在は全国の高校・大学への寄贈が多いので、学内でもその存在感が薄いように感じる。

 筆者は、この4月からこのジャーナルの編集委員会の委員長を下命され、最初の仕事に「理大 科学フォーラム」を活性化することに取り組んでいる。リ ニューアルでは、表紙の大胆な改装から着手し、編集内容では学術的なものと一般の話題を盛り込んだより親しみを持てる雑誌に変貌することを狙っている。

 この日の編集委員会では、より充実した読んで面白いジャーナルになるよう話し合った。今後は学内の学生のクラブ活動や学外の人からの寄稿、巻頭言の新設など盛りだくさんの改革案が決まり、さっそく委員の皆さんで準備に入ることになった。

 このジャーナルは、編集委員の先生方の企画立案から執筆者への交渉など一般の雑誌編集とは違った形の活動をしており、大学発の広報誌としても重要な役割を担っている。このような伝統を生かしながらもっと存在感を出せるかどうか。

 新装「理大 科学フォーラム」のスタートに向けて頑張りたい。編集委員会の先生方も非常に積極的な意見をお持ちであり、これからの活動を期待したい。

 

                         

北京の張華教授が研究室に来訪

                                              

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北京の中央民族大学文化歴史学院の張華教授(写真の前列左)、北京銘硯特許事務所日本代表の朴木理華さん(同右)が、研究室に来訪し、最近の日中の話題などで意見を交換した。

 張教授は、中国の歴史学の教授で、今回は学習院大学に客員研究員として長期滞在する。日中の歴史の専門家であり、日中の比較文化にも精通している。馬場 研に研究生として来日した中国科学院博士課程の王蕾と宿舎が同じ日中友好会館であるため、王蕾にも参加を呼びかけて楽しい懇談会となった。 

 専門の違う先生との懇談は役立つ情報も多く、これからも交流を続けていく。

 東京理科大学の3人の精鋭が編集参画を検討する会

                               
                 

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 東京理科大学の科学ジャーナルである「理大 科学フォーラム」の編集に、東京理科大学新聞会、写真部、漫画研究同好会の3人の精鋭が参画する相談で研究室に来訪した。

 写真は向かって左から町田憲昭・新聞会会長(工学部経営工学科3年)、鈴木邦洋・写真部長(工学部建築学科3年)、長村和俊・漫画研究同好会部長(工学部経営工学科3年)の諸君である。

 「理大 科学フォーラム」は、東京理科大学の前身である東京物理学校時代の「物理学校雑誌」時代からの伝統を引き継ぐ形で発刊されたもので、本格的な科 学ジャーナルである。時代とともに編集する内容も変転としてきたが、今度、新しい時代の風を受けて内容を刷新する方針だ。

 この日来訪してくれた3人の精鋭は、大学のクラブ活動で頑張っているリーダーである。それぞれの立場で「理大 科学フォーラム」の編集に関与できないか 検討してくれることになった。新聞会は立派な新聞を発行しているし、写真部は毎年、展示会を開催している。漫画研究会も漫画やイラストで個性を発揮できる 活動をしている。

 このような学生たちのエネルギーを科学ジャーナルにも反映できれば、雑誌に若い息吹を吹き込むことができる。是非、今後も検討会を開いて、参画できる方向を探りたい。大いに期待したい。

 出版戦略で時事通信の石田氏らとミーティング

 

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 最近の出版会は依然として冬の時代が続いている。業界に詳しい時事通信OBの石田徹氏と東京理科大学総合研究機構・基礎工学研究科教授の辻孝先生らと出版会の動向などについて情報交換を行った。

 石田さんは、ソマリア海域などの海賊問題の専門家でもある。この日は海賊問題は話題に取り上げなかったが、辻先生と出版物の編集や執筆者の目線などについて意見交換をし、今後の活動に役立てることになった。

 辻先生は再生医療の基礎的な研究で実績をあげており、毛髪再生や永久歯の再生の実現の基礎研究で成果を出している。こうした研究内容を国民に分かり易い形で発信できないか。科学者のアカウンタビリティーの課題でもあり、この日はそんなテーマで楽しい懇談だった。

 「理大 科学フォーラム」編集委員会の開催

                               
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 東京理科大学の科学ジャーナルである「理大 科学フォーラム」の編集委員会が、6月24日に開催され、8月号以降の編集内容について論議し、今後の方針を確認した。

 7月号と8月号は、東日本大震災の特集が入り、それ以外に通常の特集も入ったために多くの原稿が順番待ちになった。嬉しい悲鳴と言えばそうかもしれないが、やはり執筆は旬でなければ鮮度が落ちて、見向きもされなくなる。

 来年、2012年1月号からは、「理大 科学フォーラム」のリニューアルを目指しており、その編集方針について編集長である筆者からいくつかの提案を行った。編集委員の先生方からはおおむね賛意を得られたが、しかし最大の課題は誰が書くかである。

 筆者の予定では学生諸君の中で、取材・執筆に興味を持っている人々を編集室のスタッフとして呼び込み、取材・執筆のトレーニングを兼ねた活動を展開したいと思っている。アイデア倒れにしないためには、大学事務関係の協力も必要だし、理事長や学長の理解も必要だ。

 編集委員会が終わった後に6人の先生方で懇親会を開いたが、どの先生も「理大 科学フォーラム」の現在の編集方針を変えたいという希望を持っており、変えるには今だという確信を持った。近日中に、構成案をまとめて、大学幹部への説明に行く予定だ。

 「乞う、ご期待」である。

 「理大 科学フォーラム」編集委員会の開催

                               
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 東京理科大学のサイエンスジャーナルの「理大 科学フォーラム」の編集委員会が5月27日に開催され、今後の編集企画について論議をした。

 「理大 科学フォーラム」は、東京物理学校時代の「物理学校雑誌」という日本で初めての理学ジャーナルを発祥とする伝統あるジャーナルである。毎月発行しているが、その内容と読者ターゲットがよくわからない。学内外の意見もそのような感想が多かった。

 この日の編集委員会でも、個別のテーマと原稿内容よりも、このジャーナルの根本的な編集方針について編集委員の先生方が真剣に考えている様子が分かった。これからよりいいものを目指して頑張りたいと思う。

 編集委員会の後に懇談会を開催して忌憚ない意見交換会となった。

 平成23年度・理窓会東京支部総会と懇親会の開催

 

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 東京理科大学のOG、OBの組織である理窓会の東京支部総会が、5月22日、東京理科大学1号館で開かれ、記念講演と懇親会などで楽しくも有意義なイベントで盛り上がった。

 総会では、過去1年間の活動報告や決算報告があり、そのあとで渡辺恒夫常務理事から東京理科大学の現状について報告があった。また理窓会会長の山田義幸さん、維持会会長の森野義男さんからも活動報告があり、その後、記念講演となった。

 講師は、1969年に理学部物理学科を卒業したHOYA株式会社の技術開発者だった木谷明さんである。木谷さんは、HOYAに就職してから一貫してレン ズの設計に取り組み、多くの優れた製品を世に出してきた。この日の講演では、世界で初めて実現した両面複合累進レンズの開発にまつわる話をしてくれた。

 ライバル企業になっているフランス企業の特許技術を上回る技術開発の使命を帯びて取り組み、ついに目的のレンズを実現する過程は非常に面白かった。さっそく、「理大 科学フォーラム」にこの開発過程の話を掲載したいと思い、原稿執筆を会場で申し入れた。

  

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  総会の後は懇親会となり、多くの先輩・後輩たちとの交流の場となった。歌手の祥子さんも参加して、リリースしたCDの売り上げを東日本大震災の義捐金に送るので協力してほしいとの申し出に、賛同者の拍手で盛り上がり、祥子さんはカラオケなしで1曲、歌ってくれた。

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東京理科大学近代資料館のリニューアル

                                                

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 東京理科大学の近代科学資料館がリニューアルし、5月18日にお披露目のパーティが開催された。近代科学資料館は、平成3年、東京理科大学のOBである二村富久氏が寄付した建物であり、東京物理学校時代の校舎を復元して建設されたものである。

 ここに東京物理学校時代からの所蔵品を展示したもので、科学実験に使用された歴代の装置・機器類から計算機の歴史を歩む貴重な展示物が陳列されている。

 またこのリニューアルを記念して「火災の科学-江戸時代の火災から高層ビル火災までー」との特別企画展示会が開催されている。こちらの展示物には、火災の歴史をたどる記録と機器類が展示されており、煙を検知して報知する実験装置もセットされている。

 「火災の科学」は、東京理科大学の辻本誠教授が執筆した同名の新書が中公新書ラクレから出版され、販売も好調と聞いている。その出版を記念する特別展示会でもある。是非、足を運んで見てほしい内容である。

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 近代科学資料館の館長は、前東京理科大学の学長だった竹内伸先生(写真上)である。東京物理学校時代からの資料を整理し、理学教育と研究に今なお情熱を注いでおり、これからも同館の運営に大きな力を発揮するだろう。

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 「火災の科学」の特別展示会には、東京理科大学の大学院生が説明役に来ており、展示物の解説をしてくれる。

 東京理科大の出版戦略がスタート

 

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 東京理科大には、社会的に価値ある研究成果を出している研究者が多い。このような研究者の成果をできるだけ多くの人に知ってもらうためには、啓発本として出版することも大事だ。そのような方針から、多くの成果を出版する検討に入っている。

 5月19日には、その第一歩として資料の検討や整理をするために、編集業務のプロ集団であるワードワンのスタッフが研究室を訪れ、今後の方針を確認し資料の整理を行った。

 今年度中に、東京理科大から少なくとも2冊の本を出版する方針である。執筆者候補は多数いるので、これからどのような本が出版されるか楽しみだ。

                                

小林憲人氏がふじみ野市議会議員に当選

   

 東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の馬場研4期の修了生である小林憲人氏が、4月24日に行われた統一地方選挙の埼玉県ふじみ野市の市議選で第7位の得票数で当選した。

 小林氏の得票数は、1627票。立候補者は28人で、定数21人中の第7位という高点得票だった。候補者の中では最年少であり、「しがらみなし」をスローガンに掲げ、若さと行動力を市民に訴えた。

 選挙戦でも自転車にハンディマイクで駆け回り、資金も看板もない闘いだったが、多くの市民から支持を受けて当選したものだ。 東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の修了生としては異色の道を歩くことになるが、今後は産学連携など独自の活動領域を市政に生かすことを目指すとい う。

 地方から清新な風を舞いおこし、新しい時代の旗手として頑張ってほしい。小林氏の活躍を期待する。

                                

6期生の天道さんが来訪

                                               

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 東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の6期生の天道猛さんが、研究室に来訪した。今年の知財学会での発表内容や、筆者の著書「物理学校」の漫画版を作成する可能性などについて意見を交換した。

 漫画版は、筆者も積極的に進めようとしているプロジェクトだが、漫画にするにはそれ相当の費用が掛かる。これをどのように捻出するべきか。そのような課題が横たわっており、これを解決して実現するにはまだ詰めなければならない案件が多い。

 こうしたことを話し合ったが、今後は様々な話題、テーマで毎月1回くらいの懇談会を持とうという意見で一致した。開催が楽しみである。

 辻孝先生の研究成果を出版しよう

                               
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 東京理科大学総合研究機構の辻孝教授の成果を世の中に広げようという目的で、4月22日、森戸記念館の「理大 科学フォーラム」編集長に有志が集まった。

 辻先生は再生医療研究のトップを走る研究者であり、特に毛髪や歯の再生研究では、日本でも第一人者となっている。毛髪に続いて永久歯の再生にも取り組んでおり、これまで再生はできないと言われてきた医療にも大きな転機が訪れている。

 辻先生の再生医療分野はまだ未知数である部分が多く、これからの学問の進展が期待される。

                                

新書文庫

                               
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 東京理科大学の8号館の地下に、新書本だけを集めた「新書図書館」が開館して、学生たちに提供を始めた。この新書図書館は、塚本桓世理事長と藤嶋昭学長の2人が、東京理科大学の学生たちの情緒教育の一環として読書の楽しさを勧めようという目的で創設したものだ。

 新書だけを集めて無料で自由に学生たちに提供しようというアイデアで、これまでに5800冊が出そろった。この新書はすべて、塚本理事長と藤嶋学長がポケットマネーで購入したものを提供するものだ。

 8号館は学食もある建物であり、地下にある学食の一角に図書館を創設した。図書館といってもいつも無人であり、読みたいときに自由に読むようにしている。近く貸し出しもする予定であり、それも利用者が自主的な運営で行うようにするという。

 このような試みは活字離れへの歯止めが期待されるだけに、多数の学生諸君が利用するように祈りたい。

                                

4期生の小林憲人君がふじみ野市議選に立候補

                               

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雄姿に栄冠あれ!  

 4期生の小林憲人君が、埼玉県のベッドタウンであるふじみ野市の市議選に立候補した。写真で見るように5期生の鳥海沙矢香が書いた手作りの看板であり、「しがらみなし」という候補者キャッチフレーズも掲げた。

 ふじみ野市は、農業地域だったが東京への通勤には便利なこともあって急速にベッドタウン化していった。平成17年には、上福岡市と大井町が合併してふじみ野市が誕生し現在の人口は約10万1000人である。

 「しがらみなし」を掲げたように小林君は、地元の地域性の強い有権者を意識せず、新生移住者、転入者らからも受け入れてもらえるような街作りを提起し、とくに産学連携や教育面での施策の取り組みなどを重点として掲げている。

 自転車に乗り、ハンディマイクで呼びかける選挙運動は却って人目を引いているようで、市民からの激励の声もよくかかっている。自転車なので機動性がやや欠けてもその分、小回りがきき肌で訴える利点もある。何といっても32歳という若さも魅力的である。

 ベッドタウンには、このような若いエネルギーと行動力、そして時代認識に立った新しい街つくりのセンスが必要であり、市政に新風を吹き込む代表者になれば素晴らしい。是非、当選してふじみ野市に新しい風を吹き込んでもらいたい。

 がんばれ、小林のりひと君!

 MIPの多くが陰ながら支援しているよ。

 大学会館のお披露目会が行われる

                               
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街灯の中に浮かぶ瀟洒な大学会館は風情がある

 神楽坂に再開発していた東京理科大学の大学会館のお披露目会が、4月1日、維持会と理窓会の主催で開催され、多くのOG、OB、教職員らでにぎわった。

 坂に沿って建てられた近代的な建物であるが、まだ完成前の未整備の部分もあり、これからという感じだったが、参加した人々は一様に満足した言葉を発しており、東京理科大学の新しい歴史が始まった。

 理窓会、維持会の倶楽部談話室のほかに、イノベーション研究科のMOTが入り、快適な研究環境になった。今後の発展を祈念したい。

 「理大 科学フォーラム」編集長を拝命

                                                

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 2011年4月1日をもって東京理科大学の学術月刊誌の「理大 科学フォーラム」の編集長を拝命し、新しい任務に取り組むことになった。昨年から「坊 ちゃん選書」の編集長も拝命しており、今後は東京理科大学発の書籍、文献に関する推進作業を積極的に取り組むことになった。

 また東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の客員教授として、知財戦略論の授業も担当することになっており、このほかにも科学教育研究科の「科学文化概論」の授業も担当する。

 筆者にとっては、科目の授業を担当することでこれまでと同じような生活になるが、そのうえ学術誌の編集という非常に重要な任務にも取り組むことになる。本日は、学内関係者への挨拶などで様々な意見と声を聴いた。誠心誠意、頑張っていきたい。

                                

第20回・MIP知財セミナーの開催

                                              

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 東京理科大学知財専門職大学院(MIP)とNPO法人・21世紀構想研究会が開催しているMIP知財セミナーの最終回が、2011年2月25日、MIP のC1教室で開催され、読売新聞東京本社科学部デスクの笹沢教一氏が「クールジャパンの危機 -アメリカからの報告ー」と題して講演と討論を行った。

 笹沢氏は、ワシントン特派員としてアメリカで取材したほか、カリフォルニア大学バークレー校大学院のジャーナリズムコースで教鞭をとっていたこともあ り、アメリカの事情に詳しい。特にアニメについてはプロはだしの知識と体験を持っており、アメリカに滞在中はアメリカ国内での日本のアニメやクールジャパ ンで知られるコンテンツについて観察を行っていた。

 この日の講演では、最近、日本発のアニメを放映するCATVなどの時間数が減少しており、ひところのクールジャパンは減縮しているとの認識を示した。な ぜそのように退潮気味になっているのかを笹沢教一氏の独自の見解を披歴しながらアメリカと世界の「アニメ事情」について解説した。

 独自の視点を披歴した点で非常に斬新な内容であり、この分野に知識と情報のない筆者は驚くばかりだった。最近、アメリカで台頭してきたという2Dアニメ というコンピューターソフトで作成したなんとなく平板なアニメも披露されたが、物語の筋立てと絵の展開は刺激的であり、日本の視聴者に受けるかどうか疑問 であるが、これがアメリカ方式なのかという感慨を抱かせた。

 またアジア諸国・地域からのアニメ浸食はそれほどではないというアメリカ人の見解も伝えられたが、日本のアニメがやや退潮基調に入ってきたという現象にはやはり考えさせられた。

 なお、MIP創設時から続いてきたMIP知財セミナーは、20回を持って一応の区切りをつけることになり、今後は新たな企画がセットされていく。21世紀構想研究会としても、別の観点での知財セミナーを模索しており、今後の展開をご期待ください。

 2011年1月13日に実質的な最終講義

                               
                 

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2011年1月13日(木)が、筆者の常勤教員としての実質的な最終講義となった。1月20日が最終講義になるが、この日はゲストスピーカーとして、 林幸秀氏にお願いしているため、13日が実質的には東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の常勤教員としては最終となった。

 この日の講義では、アメリカへの高速鉄道(新幹線)の売込みで、日本の強力なライバルとして中国が出てきたことを受けて、特に時代に認識について講義をした。中国の新幹線は、すでに速度では日本を遥かに追い抜いており、上海ー杭州間で世界最速記録を更新している。

 中国の新幹線は、日本の新幹線の模倣であると主張する人もいるが、世の中に技術模倣でないキャッチアップなどあり得ない。明治維新以降、世界の国々で日 本がもっとも技術模倣をしてきた国である。要は中国の発展を認めたくないという心情的なものや、余り早くキャッチアップしてきたので信じられないというこ とかもしれない。

 この件については、このブログでも数日前に掲載しているが、これからは日中がウイン・ウインの関係で発展する時代である。技術競争をするのはいいが、棲み分けも重要なポイントになる。そのような観点でこれからの科学技術の進展に取り組む必要がある。

 2005年4月から始まった東京理科大学知財専門職大学院の常勤教員の生活を振り返ってみれば、多くの反省点がある。修士論文の指導、研究室の運営、就 職活動の取り組みという3点が最も大きな任務・役割だった。この任務についても3年目ころからポイントが分かり始めたが、そうすると1期、2期の馬場研諸 君への役割が不十分だったということにもなる。

 かといって3期以降の馬場研諸君への任務が十分だったかというと必ずしもそうではなく、筆者としてはやはり反省点がある。授業でも同じである。

 昨年までは主としてパワーポイントを使用したものであったが、今年はパワーポイントを一度も使用しないで、受講者との対話形式を試みた。これは科学教育研究科の授業を体験して、自分なりに思い至ったための変更であった。

 このような体験をしてみると、日々これ努力と改良の連続であることを身にしみて感じる。ダーウインの進化論でいうように、強いもの、賢いものが生き残るのではなく、変化や環境に対応したものだけが生き残るのである。その感慨を新たにしMIPを去りたい。

                                

鹿児島県のエルム社を訪問取材

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      鹿児島県南さつま市から世界に発進している株式会社エルム社(宮原隆和社長)を、12月27日に訪問して、研究開発に特化したベンチャー企業の戦略などについて宮原社長から取材した。

 同社は、光 ディスクを修復する装置を発明して一躍世界に羽ばたいた。この装置は、磨耗したり傷ついたDVD、CDなどを、過熱を防止しながら短時間で修復する自動装 置である。光ディスクを繰り返し使用するレンタルビデオ店や図書館などで利用されている。いまでは世界32カ国で使用されており、この装置のシェアは世界 トップである。

  このように短時間で修復する高性能装置を開発したのは、2001年である。そのころこの種の修復する装置は、ほとんど手動で行うような装置であり、アメリ カの企業が世界に売っていた。宮原社長は、これを高機能自動装置として開発し、国内で売り出したところ非常に好評だった。そこで世界に打って出ることにす る。

  2002年1月、アメリカのラスベガスで開催されたCES( Consumer Electronics Show)で出展し、市場の評価を確かめることにした。その際、当時、この種装置のトップシェアを誇っていたアメリカ企業のすぐ前のブースを希望し、顧客 がライバル社の製品と自社のものをすぐに比較できるようにした。

 勝負は一瞬のうちに決着した。展示してすぐに当のライバル企業がエルム社の優秀性を認め、販売代理店になりたいと申し入れてきた。これで自信を深めた宮原社長は、この装置の製造・販売のビジネスモデルを構築し、世界中で販売することになる。

 同社は研究開発に特化した企業であり、自社で工場は持たないし販売もしない。いま開発中で最も有望なものはLED照明である。写真は開発したLEDを説明する宮原社長だ。同社の魅力あふれる企業活動については、後日、発明通信社のコラムで報告する。

 ソフトボール部の納会に出席

 

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     東京理科大学体育会ソフトボール部の2010年納会が、12月25日、現役選手、OB会のメンバーなども出席して柏市で開かれた。今年の活動を振り返りながら、来年度に向けた健闘を誓って決意を新たにした。

 今年のソフトボール部は、インターカレッジ(インカレ)に出場するなど大活躍であり、富山県で開催されたインカレでは1回戦で敗退したものの、その健闘 は多くの人に感銘を与えた。納会では、1年間を振り返りながらもすでに来年に向けたトレーニングの話も出るなど、気持ちはすでに2011年のインカレ大会 出場への意欲にあふれていた。

 納会の後半は、今年1年間に活躍した選手の表彰が行われたが、表彰カップや楯などが数多く用意されており、OB回代表、丸山克俊監督・顧問らから次々と 選手諸君に手渡され、感激を分かち合った。また、今年から名誉顧問に就任した筆者からの表彰カップも用意されており、総務担当の友光裕子さんに手渡す栄誉 もいただいた。

 東京理科大学のような理系単科大学の運動クラブが、インカレのような全国大会に駒を進めるのは並大抵のことではない。丸山イズムが浸透した活動が実績を残しているものであり、全国優勝するのも夢ではない。その栄冠を掴み取る精神力と体力の涵養を目指して頑張ってほしい。

 第19回・MIP知財セミナーの開催

 

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 第19回・MIP知財セミナーが12月3日、東京理科大学知財専門職大学院(MIP)で開催された。この日の講師は、東京大学総括プロジェクト機構の小 川紘一特任教授である。「知財で優る日本がなぜ他国に勝てないのか -21世紀のグローバル産業構造と日本企業の課題ー」と題して講演を行い、活発な質疑 と討論が展開された。

 小川先生は、先に「国際標準化と事業戦略ー日本型イノベーションシステムとしての標準化ビジネスモデルー」(白桃書房)を刊行した。この著書はIT産業革命の中で産業構造の改革が出遅れている日本の状況の課題を浮き彫りにした点で優れた啓発書となり、多くの企業人の共鳴を呼んだ。

 

 同書の目次だけを紹介すると次のようになる。  第Ⅰ部  国際標準化が創る21世紀の経営環境 

    第1章:日本企業が置かれた21世紀の経営環境

    第2章:製品アーキテクチャの転換と巨大市場の興隆

    第3章:技術伝搬と比較優位の国際分業・国際貿易

 第Ⅱ部: 標準化ビジネスモデル

    第4章:標準化ビジネスモデルとその背景

    第5章:パソコン産業に見るアメリカ企業の標準化ビジネスモデル

    第6章:ネットワーク型産業に見るアメリカ企業の標準化ビジネスモデル

  第7章:デジタル携帯電話産業に見るヨーロッパ企業の標準化ビジネスモデル

     第8章:デジタルカメラに見る日本企業の標準化ビジネスモデル

    第9章:DVDとBlu-rayDisc産業に見る日本企業の標準化ビジネスモデル

    第10章:メモリー・カードに見る日本企業の標準化ビジネス・モデル

    第11章:太陽光発電システムの標準化とビジネスモデル

 第Ⅲ部  標準化知財マネージメジメント

    第12章:知財マネージメントの役割変遷

    第13章:DVD産業に見る日本企業の知財マネージメント

 第14章:デジタル・ネットワーク型産業に見る欧米企業の知財マネージメント

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この日の講演は、この本で発表した独自の産業構造論をもとに話が展開された。筆者の印象に残った点を箇条書き風に記述すると次のようになる。

 欧米の先進企業は、クロスライセンスを排除しながら、いかに独占的な地位を確保するかに注力してきた。その例の1つとしてインテルがあげられる。技術の 中核部分はブラックボックス化し、その上下の「接点」にあたるインターフェースだけオープン標準化した。これによって、インテルの技術の優位性を確保しな がらPCの覇者となった。

 欧米先進国企業と途上国、後発国企業とは、国際分業による産業構造によってwin-win関係を結び、ともに発展した。さらに欧州企業は、クロスライセンスをするときに欧州企業間だけで結び、日米企業を排除した。

 さらに欧州先進企業は、デッドコピーしか認めないライセンス契約を行い、リバースエンジニアリングを認めない方針を展開した。そして後発国、途上国は政 府と企業が一体化した「国策産業」で先進国の産業競争力に対抗してキャッチアップした。このような世界的な状況の変革ぶりを、日本の多くの経営者は気がつ かなかった。

 小川先生の講義の内容と主旨と違った点はないと思うが、筆者は概略以上のような点に非常に印象を深くした。また筆者は日ごろから言っているように、現代は第3次産業革命の時代を迎えており、この変革はまだ数十年続くだろう。

 日本はいま閉塞状態に陥っているが、明治維新と戦後復興期を乗り越えてきた日本と日本人は、ここで立ち直れないことはない。この10年内に再び日本は、 世界の中で存在感を出す国に蘇るだろうというのが筆者の感想である。これは小川先生も同じように考えているように思った。

 馬場クラスの懇親会を開催

                                                

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 今年度の馬場クラスの懇親会が、11月27日、神楽坂で開催され、10人が参加して楽しくも有意義な時間を共有した。クラス担任の懇親会は、年度によっ て開催に積極的な年とほとんど何もしない年度に別れるようだ。今年度は、どちらかというと余り積極的な年ではないようだったが、幹事になった院生諸君の配 慮で、クラスに関係なく賛同者が集まった。

 また馬場研4期生の史可君と原孝英君が参加し、中国からの留学生の王蕾も加わって、それぞれの職場や専門分野の話に広がり楽しかった。

 筆者は、この機会に即席のアンケート調査をしてみた。対象者は、筆者と来日して日が浅い王蕾を除く8人である。まず日本の近未来、5年から10年先の競 争力は強くなっているか弱くなっているか。二者択一で回答を求めたところ、4対4の同数となった。社会人は強くなるに挙手し、学生と若い世代は弱くなる方 に挙手していた。

 筆者の考えは、強くなるである。いま日本は長い間の制度疲労を改革することで手間どっている。IT産業革命に対応できる構造改革もできていなし。しか し、明治維新を起こし、戦後ゼロの廃墟から立ち上がった国と民族である。その底力は世界の民族の中でも稀有のものである。日本と日本民族の力を信じたい。

 続いて米国はどうなるか。回答は3つの選択肢にした。弱くなるか、横ばいか、強くなるか。結果は強くなるとした人が2人、横ばいが6人となった。それではロシアはどうか。強くなるとした人は4人、横ばいが4人だった。

 教育についての考え方も聞いてみた。小学、中学、高校、大学の4つの課程の中で、最も大事な教育課程はどこか。小学とした人は4人、高校が2人、中学と 大学がそれぞれ1人だった。社会人の熱田達彦氏は「教育は訓練である。それは10歳まででなければならない。それ以後は手遅れだ。いま大事なのは小学校教 育だ」というコメントが印象に残った。

 このような思いつきアンケートは、筆者がときどき試みる手法である。自分の考えている見解とどう違うかをチェックすることもあるし、みんなで1つのテー マを考えるきっかけにすることもある。回答対象者が10人程度が最も効率がよく、アンケート結果から派生する話題も広がるように感じる。この日のアンケー ト調査が、それぞれのテーマを考えるきっかけになればいいだろう。

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王蕾を歓迎する馬場研4期生の史可君と原君

               
    東京理科大学維持会特別会員として表彰される
                               
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  東京理科大学は、明治14年から同16年まで、東京大学理学部仏語物理学科を卒業した21人が創設した東京物理学校から始まったものである。当時、20 歳代だった少壮の理学士たちは、その後ポケットマネーを出し合って「維持会」をつくり、物理学校の礎を確固としたものに築き上げた。東京理科大学の前身の 物理学校は、そのような若き学徒の高邁な志によって理学普及の旗手となったのである。

 その伝統を守りさらに発展させるために組織された維持会は今も多くのOB,OGに支えられて、母校の発展に寄与している。その維持会の特別会員に筆者が推挙され、11月26日、東京理科大学の塚本桓世理事長や維持会の諸先輩に囲まれて表彰された。身に余る光栄である。

 筆者は東京理科大学の卒業生でありながら、卒業後、長い間、母校とかかわりを持つことはなかった。それは母校を忌避していたからではない。母校を顧みる 縁がなかったというほかない。その縁がかすかに漂った最初の出来事は、1998年に突如やってきた。ある政党の中堅議員が、東京理科大学の「スキャンダ ル」を衆院文教委員会で暴露し、政府を追及するという。

 その話で議員から相談を受けた筆者は、その「スキャンダル」なる内容を聞いてびっくりした。多くが伝聞に基づく話であり、どれもこれも筆者にとって真偽 のほどは不明の話である。そのようなあやふやな内容の話を貴重な国会論戦の中で暴露したところで、何か世の中のためになるとは思えない。政府を追及すると いうことなら、たとえば国からの競争的研究助成資金が余りに小さいことなどもっと大きな課題があるのではないか。

 そのとき母校に対する愛好心がにわかに沸き起こり、その議員には別のテーマで国会論戦に臨むべきとして別の具体的なテーマを提示し、筆者の意見を具申し た。結果的に東京理科大学のスキャンダルもどき情報は日の目を見ないで終わった。母校への愛好心がむらむらと沸き起こったものの、それは一過性のことであ り間もなく自然消滅してしまった。

 2002年の冬、突然、東京理科大学の理事長室から呼び出しがあった。何ごとかといぶかりながら出向いてみると、塚本桓世理事長が待ち構えていた。「あ なたの著書をいくつか読んだが、略歴を見ると確かに本学の卒業生になっている。しかし同窓会名簿では所在不明である」と言う。確かな話に恐縮しながら理事 長と様々なテーマで意見交換をすると、共鳴することが多い。

 そのような縁から東京理科大学の特別顧問の拝命を受けた。そして間もなく、理事長と常務理事の幡野純先生から知財専門職大学院の創設で手伝ってほしいと のご下命が来た。こうして筆者は、東京理科大学知財専門職大学院の創設にかかわることになる。日本で最初の知財専門職大学院の創設には、多くの困難な局面 があったが、しかし多くの人々の協力と尽力で切り抜け、2005年4月からスタートを切った。筆者が東京理科大学への愛好心を芽生えさせた第2の節目で あった。

 第3の愛好心への節目はすぐにやってきた。東京理科大学の創立125周年記念が間もなくくるというのに、東京理科大学の歴史を書いた書籍がない。残され ている資料の類は、記録的な文書であり読んでみたところで無味乾燥であり、読むに耐えない。そのことを塚本理事長に言ったところ「それなら多くの読者が読 めるような本を君が書いてほしい」というご下命である。

 学内のあらゆる資料をかき集め、物理学校時代から戦後の東京理科大学へのスタートまでを資料で追跡した。そして物理学校の歴史を書き始めたのである。そ のとき物理学校を作った人々の高邁な精神とたゆまぬ努力、草創期の苦労を跳ね除けて学校経営を軌道に乗せていった執念を記録文書などで知り、先輩たちに対 する敬愛とともに母校への愛情が筆者の中で醸成されていった。

 その成果は、2006年3月、125周年記念式典の直前になってよやく「物理学校 近代史のなかの理科学生」(中公新書ラクレ)となって上梓された。こ れまで4刷り、1万7500部を世に出している。印税は全て東京理科大学の維持会へ寄付しているが、ミリオンセラーを夢見ていた筆者にすれば、一滴にも満 たない僅かなものであった。

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母校との出会いを作ってくれた塚本理事長から名誉ある楯を受け取る

 今回、表彰を受けたのは、塚本理事長との出会いがあった2002年冬から僅か8年弱の間に筆者と母校との縁が実を結んだという結果ではないか。そのよう に考えると、多くの人々との交流と指導を受けたことによって筆者の晩年にいささかの彩を添えていただいたことに感謝しなければならない。表彰状の楯をしみ じみと見ながら、母校、東京理科大学の益々の繁栄を祈願し、過ぎし日々の出来事を思い起こさずにいられないのである。

                               

第62回理大祭の開催

                               
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 第62回理大祭が、11月20日から22日まで開催されている。初日の夕方、覗いてみたがなかなかの盛況である。クラブ活動の成果を発表するプログラムが目白押しであり、参加を勧誘する学生たちの活動も活発である。

 模擬店にも寄ってみたが、これまた客引き合戦とともにそれなりの出しものを並べており、大変結構であった。クラブのデモンストレーションでは、ダンスクラブを覗いて見た。ワルツ、チャチャチャ、ルンバ、タンゴなどを次々と踊って見せてくれた。

 1年生が多かったようだが、ラテンは若い動きだけでもそれなりの踊りになっていた。モダンも悪くはないが、円熟にはまだほど遠く、これからの研鑽次第だろう。競技ダンスでは、理科大は大学のコンテストでもいい位置をつけていると聞いているので、これからを期待したい。

 東京理科大学2010TUSフォーラムの開催

                               
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 「科学は技術を拓き、技術は科学を深める」をテーマにした「東京理科大学2010TUSフォーラム」が、11月2日、秋葉原のダイビル・コンベンションホールで開かれ、多くの研究者、大学人、本学教職員らが参加して学術研究の動向を語り合った。

 第1部は、本学の教員の研究報告であり、6人の教員がそれぞれ研究成果を発表したが、どれも面白い内容だった。質疑応答のときに筆者が質問した研究内容をいくつか紹介したい。

 まず、「新型放射線増感剤を用いた癌治療法の複合化」として発表した理工学部の坂口謙吾先生の話は、癌特効薬の開発を目指したものであり、びっくりする ほど実験結果は癌撲滅になっていた。しかしラット、マウス、犬などの動物実験の段階であり、臨床治験はこれからだという。

 しかし坂口先生が発見した抗癌物質は、夢の抗癌薬剤の開発に結びつくのではないかとの予感を抱かせるものであり、大いに期待した。ただ、このような実験結果が出ていても、臨床治験になるととたんに効果が思ったほどではないことが多い。

 筆者は、ペットである犬・猫などの癌治療にこの薬剤を投与して安全性や効率的な投与方法などを確立し、それを臨床治験にシフトするような方法があるのではないかとの意見を述べた。

 次に「アジアの火災安全を支える」として発表した国際火災科学研究科の辻本誠教授の話も、日本の火災現場からアジア諸国の火災事例まで広げた報告内容で あり、非常にためになった。また同研究科では、英語の授業を行っているとのことだが、必要に迫られれば教員もその気になってやるのではないかと思わせた。

 筆者は、日本の焼死者が直近20年ほど、年間2000人前後で推移しており、この横ばいはどのように理解すればいいかとの質問をした。辻本先生のお返事 は良く分からなかったが、今後はもっと増えるだろうという予測にはびっくりした。日本は「焼死者大国」であり、今後も増えるという専門家の見解には、文化 が発達すると火災での焼死者が増えていくという話を思い出した。

 第2部の冒頭は、藤嶋昭学長の光触媒の歴史的な話から今日の研究成果までの話だが、この話は何回聞いても感動する。1つの基本原理の発見が枝葉に分かれる応用研究へと広がる過程は、非常に面白い。藤嶋学長の後は、4人の学外の研究者が発表した。

 「材料研究の醍醐味 All or Something」とのタイトルで発表したのは、いま売り出し中の東工大フロンティア研究機構の細野秀雄教授である。日本の材料学界に躍り出てきた細野 先生の研究成果は、その変転が余りに早く、まさにIT産業革命を地で行くような話しだった。筆者は、特許出願、取得、管理などについてどのように取り組ん でいるかを質問した。

 細野教授の回答は、そつなく対応しているというものだったが、果たしてそのように機能した管理になっているのかどうか筆者には良く分からなかった。

 「頑張り始めた日本の大学とそれを活かす社会」とのタイトルで発表したのは、JST理事長の北澤宏一先生である。元気がない日本と言われているが、実は 日本の科学技術開発現場は、それなりに実績を蓄積しており、経済状態も言われているほど悪くはないという見解を、豊富なデータをもとに展開し、非常に参考 になった。

 筆者は、こうした事実はさておき、日本の政治の世界では、「科学オンチ」が跋扈している。民主党政権になり、首相が2代続いて理系になっているにもかか わらず、所信表明演説でも科学技術の影は薄く、科学技術創造立国の影も見えない。政界へのロビー活動が必要ではないかとして、北澤理事長にその活動を求め る意見を述べた。

 この後の交流会でも多くの研究者と意見交換し、筆者にとっては実り多いフォーラムだった。

 東京理科大学ホームカミングデー2010

 

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 「新たな絆 ~世代を超えて~」をスローガンに、2010年の東京理科大学ホームカミングデーが、10月31日、神楽坂キャンパスで開催された。筆者は中国科学院から馬場研に留学してきた王蕾と二人で参加し、記念講演などを聴いた。

 記念講演は、まず篠原菊紀・諏訪東京理科大共通教育センター教授の「脳を上手にだましましょう」を聴いた。視覚や聴覚などと連動した脳の活動を身近な実例を引き合いに出しながら、非常に楽しい講演だった。

 続いて登壇した数学者、秋山仁先生の話は、東京理科大を卒業した当時から今日までの活動の様子を語ったもので、タイトルは「思えば遠く来たものだ ~理大、それはホロ苦き初恋の想い~」。

 バンダナをハチマキ風に巻いたいつもの姿で現れた秋山先生は、表情豊かな語り口で理科大に入ったころから話し始めた。大学時代の数学は、難しくて分からなかったというが、日本を代表する数学者の高木貞治博士の有名な「解析概論」をボロボロになるまで読み込んだという。

 秋山先生は、学生時代は落第生であったと言わんばかりに語ったが、高木先生の厚さセンチはあろうという「解析概論」をボロボロになるまで何回も読んだという話を聞いて、やはり数学に打ち込み学者になった人は違うと感じた。

 最近の研究成果の1つとして、立体形の組成は1つの5面体(だったような気がするが)の集合から出来上がっており、それは物質の素粒子のようなものだとして、様々な立体形の組成を模型で示した。

 まるでマジックのような手際のいい実験講義は楽しく、面白かった。最後はアコーディオンを演奏しながらシャンソンを歌って聞かせた。一緒に講演を聞いた 王蕾は、「高校生のときに、このような先生に出会っていたら、数学嫌いにならなかったのに・・・。とても面白かった」と満面に笑顔を浮かべていた。

 数学嫌いをここまで引き込んだ秋山先生の講演は、その語り口といい内容といい、聴衆の心をつかんで離さない魔力のようなオーラが充溢しており、筆者にとっても非常に参考になる講演だった。

 東京物理学校の卒業生と奇跡の出会い

                               
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 東京理科大の「維持会栄誉・特別・終身会員の報告会」が、10月29日、東京都新宿区の日本出版クラブで開催された。会場には、同窓会の会員の中でも多 額の寄金を拠出した栄誉会員、特別会員、終身会員と大学関係者ら約80人が出席し、最近の東京理科大学の活動状況などの報告会を開いた。

 その後で懇親会が開催されたが、筆者はそこで一人のご老人に声をかけられた。拙著「物理学校」の読者であり、往時のあの物理学校についてことのほか詳し い。名刺をいただくと終身会員の清水一三雄氏とある。溌剌とした表情を見ながらお年を聞いたら、驚いたことに清水氏は、大正13年(1924年)9月7日 生まれの86歳である。

 ということは、物理学校の卒業生に違いないと思って聞いてみると、内ポケットから取り出した手帳の間に大事に挟まれていた「卒業證書」を拝見して思わず 身が引き締まった。サイズはB5版を横にした程度であり、卒業年月日は、昭和20年9月30日とある。当時の学校長は、あの大河内正敏である。 「おお・・・・」筆者は思わず感嘆の声をあげた。

 本校本科理化学部第一部ノ課程ヲ履修シ成規ノ試験ヲ完了セリ依テ茲二之ヲ證ス

 昭和二十年九月三十日 東京物理学校長 従二位勲二等 工学博士 子爵 大河内正敏

 ボロボロに朽ちかけた卒業證書の写しであるが、あの大戦の終戦から僅か1ヵ月半後の卒業である。清水氏に話を伺った。

 卒業後は旧制中学の「物象」(物理と化学)の教師になり、やがて新制高校の教師となった。しかしその後、技術発明をして特許を取得し、いまで言うベンチャー企業を興して実業界に身を投じ、企業人として長い間、活動したという。

 満70歳になったときに全てを辞め、それからは好きなスキーの指導者などをしながら楽しい人生を過ごしてきたと語ってくれた。このような大先輩に巡り 会った幸せをしみじみと感じた。早速、藤嶋学長と記念写真を撮影したが、すでに学長とのツーショットを持参しており、その写真は大事な定期券入れに格納さ れていた。 上の写真は、右が藤嶋学長、左が清水氏である。お二人のさわやかな笑顔をご覧ください。 

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上の写真は、歴史を伝える昭和二十年九月三十日の卒業證書である。

 清水氏とはまた、お会いする約束をして懇親会での出会いを締めくくった。


                                        

東京理科大学こうよう会本部行事で講演

                               
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  東京理科大学の学生父母の会である「こうよう会」本部主催行事が、10月24日、香川県高松市で開催された。中国・四国地域のこうよう会の父母、理窓会のOG、OBら約80人が参加したが、筆者は「物理学校の歴史と激変する現代社会」と題する講演を行った。

 行事はまず、こうよう会の船木真左実会長、理窓会の山田義幸会長が挨拶した。こうよう会の父母は、子弟を東京理科大に在学させている人たちであ り、理窓会会員は東京理科大を卒業した面々である。いわば身内の親睦会であり、会場の雰囲気にも身内の親しみを持った空気が流れていた。

 筆者は、物理学校から東京理科大までの歴史的な流れを語り、そのあとで安部内閣が策定した「イノベーション25」のときに提言した内容を語る予定であった。
 しかし、会場に向かううちに気が変わり、後期授業で行っている「時代認識」について語ることにした。というのも、10月20日に富山県で同じテーマで講 演を行ったが、多くの人たちに時代の変革ぶりを考えさせるきっかけを作ったようであり、その印象から同じテーマで語りたいと思ったからだ。

 筆者の講演のあとに、東京理科大OBで株式会社大塚製薬工場専務取締役の梶原巡氏が、自身の学生時代から今日までの「自分史」を語りながら、大塚製薬グループの社会活動を語った。

 梶原氏の飾らない語り口とまた率直な社会活動などは非常に面白く、参加者に大きな感銘を与えた。特に大塚製薬グループが、1980年代から国際活 動を展開し、海外への製造拠点と営業戦略を展開する同社の積極的な企業活動は、まさにIT産業革命のさきがけを行く日本企業であり、筆者にとっても大変参 考になった。

 このあと、懇親会に入り、東京理科大OGで歌手の祥子さんが、豊かで情感あふれる歌唱を披露して喝采を浴びた。

                                

総括 丸山イズムで鍛え上げた理科大ソフトボール部

                            
    ソフトボール全国大会の総括
 第45回全日本大学ソフトボール選手権大会(インカレ)が富山県富山市で開催され、地区大会を勝ち抜いて全国大会へ出場した東京理科大学ソフトボール部は、惜しくも1回戦で強豪・京都産業大学のまえに9対2で敗退した。

 点差は大きな開きになったが、試合内容は善戦といっていいだろう。試合終了後のミーテングで円陣を組んだ選手の中には、こみ上げる悔しさに涙する学生もいた。その悔しさは、なんと言っても1回裏の理科大先制攻撃があったからだろう。

 1番打者のクリーンヒットを足場に、エンドランを仕掛けて相手エラーを誘い、四球を挟んで三塁打が出て一挙2点の先制点となった。なお、一死満塁と詰め寄り、もっとも信頼できる打者の一人を迎えて一挙に大量点に結びつくかに見えた。
 結果はサードごろでゲッツー。これが運命の岐路となった。

 ゲームはやり直しがきかない。過ぎ去った出来事を振り返ってみても所詮は過去の出来事でしかない。それは人生と同じである。だから一瞬の出来事に も、生涯に残るほどの価値が刻まれるのである。ゲッツーを食った打者がどれほど悔しかったか。しかしそれは選手たち全員の試練であり、共通の思いであっ た。こうして彼らは最後まで全力で闘いそして敗れた。

 その中で終始声を張り上げて叱咤激励していたのは丸山克俊監督である。1977年にソフトボール部が創設されて以来、丸山先生は指導者として先頭に立って引っ張ってきた。その間、インカレ出場は14回、ベスト8にも3回進んでいる。これは半端な実績ではない。

 インカレに出てくるような大学は、そのほとんどが授業料免除などの特典で選手を集めた大学である。スポーツで名門といわれる大学の多くは、大学あ げての支援の中で実績を残している。その中で理科大のソフトボール部は、丸山監督の熱血指導と部員たちの努力によって実力で掴み取ったインカレである。

 ソフトボール部には「克己鍛錬主義」があると聞く。グループ練習、個人練習では、一定のノルマを決めて基本の反復練習と身体能力の強化を行い、選 手たちは「報告書」を書いて研鑽する。丸山イズムの核になるのは、誠実に真剣に練習を積み上げることによって「克己鍛錬」することである。

 インカレ出場が決まってからの練習では、インカレ・レギュラー選手選考1・2軍戦が45試合行われ、勝ち負けのチームの貢献者と負の貢献者へのポ イントと反省ポイントが課せられ、評価された。そのような合理的な競争原理を持ち込み、勝者にはインカレ・レギュラー出場のチャンスを与えた。

 「インカレは熱誠をもって戦うお祭りである」という丸山監督の言葉は、熾烈な練習と競争の中で鍛え上げられた選手たちへのはなむけの言葉であろう。
 戦いそして敗れたが、その悔しさは次のステップのエネルギーになるものである。応援に駆けつけていた現役選手の父母、そしてソフトボール部のOBたちがそれを一番よく知っている。

 戦いは終わったが、早くも次への戦いの準備が始まっている。打ち上げ会での話題の多くは、その話であった。理科大生らしい清新な真面目さを残して いる選手たちの表情に曇りはなかった。全国一に輝く日がやがて来るのではないか。その期待感を抱かせる選手たちの表情でもあった。

 

 

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打ち上げで丸山監督の総括講評を正座で聞く部員たち。この真摯な取り組みが理科大ソフトボール部の伝統である。

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ソフトボール部を陰から支えるのがOBたちである。この日の試合にも多くのOBが応援に駆けつけていた。

                               
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   東京理科大学 2 0 0 0 0 0  2   

 第45回全日本大学ソフトボール選手権大会(インカレ)が、9月9日から富山市岩瀬スポーツ公園などで開かれた。関東大会でベスト4に残った東京理科大 学は、2年ぶり14回目のインカレ大会に出場したが、緒戦に強敵、京都産業大学と対戦、9対2で6回コールド負けとなった。

毎回、攻撃のときは円陣を組んで気勢を上げる 

 インカレに出場するチームはさすがに洗練されたチームである。まず、ピッチャーが投じる剛速球にはびっくりした。腕を回転させて遠心力をフルに使った独特の投法だが、投手の手元から離れたボールは、一瞬のうちに捕手のミットに納まる。

 筆者など打者として立ったとしても、おそらくバットにかすりもしないだろう。  ゴロをさばく野手の動きもきびきびしており、何よりもスピード感がすごい。理科大チームの練習を見ながら、これならいけるのではないかと期待感が高まった。

 その期待に応えるようにチャンスが来た。理科大が1回の立ち上がりに2点を先取したときは、素晴らしかった。 まず、1番バッターの下沖君がセンター前にヒット、2番渥美君のときエンドランをかけ、2塁のエラーを誘って走者一、二塁の好機となった。

  ここで3番の藤井君が、センターオーバーの三塁打をかっ飛ばして2点を先取、4番毎田君はフォアボールで、ノーアウト走者一、三塁の好機が続く。

 続く5番の浅野君は三振に倒れるも、なお1死一,三塁。6番川島君がフォアボールを選んで1死満塁の絶好機を迎える。 バッターは、キャプテンの中山君。4番を任されたこともある強打者。理科大ナインと応援団は、いやがうえにも燃え上がった。

しかし、中山君はサードごろ。京都産業大は、これを無難にさばいてゲッツー。おせおせの1回の攻撃はこうして、2点どまりとなった。

この日の試合の圧巻はこの攻撃に尽きる。これを見ただけでも、応援に来たかいがあった。 理科大チーム、有難う。  京都産業大の内海投手は、1回のピンチを2点どまりで切り抜けると、回を追うごとに調子をあげ、理科大打者は外角よりの速球にてこずり、惜しくも敗退し た。

試合終了とともにナインは悔しさがにじみ出てきたようで、応援団との総括報告会では涙にくれるナインもいた。点差は意外と開いたが、それを感じさせない素晴らしい試合内容だった。

 

%E8%A9%A6%E5%90%88%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%86%86%E9%99%A3.JPG試合後は全員が集まって総括ミーティングを開きリベンジを誓った

 長万部のマドンナ・サマースクールの総括

 

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 マドンナプロジェクト長万部サマースクールが閉幕 

 閉校式を行い、楽しいサマースクールを締めくくった。

 8月9日から12日まで、東京理科大学長万部キャンパスで開催されていたマドンナプロジェクトのサマースクールは、最終日の12日午前9時半から閉校式を行い、東京理科大学基礎工学部・長万部教養部長の藤井志郎教授からサマースクール修了証書が授与されて閉幕した。

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 全員集合で記念写真。楽しい思い出の総決算である。

 台風の影響で列車は不通、バスをチャーターして帰途へ 
  この日は、台風4号の北上による集中豪雨などの影響で函館本線などが不通となり、急遽、バスをチャーターして札幌、函館両方面へ帰路につくことになった。
 筆者は、函館経由で帰路についたが、バスの運行は順調であり、フライトを変更し予定を早めて帰京した。

 サマースクール修了で総括コメント
 マドンナプロジェクトは、2年前から東京都新宿区の神楽坂キャンパス、千葉県野田市の野田キャンパス、そして北海道長万部町の長万部キャンパスと年間3回開催している。

 神楽坂は春、野田は秋の開催でそれぞれ、科学の講演と実験授業などを行っている。泊り込みのイベントは、夏の長万部サマースクールだけだが、これには全国から高校生らが集まってくる。

 筆者は今回初めてこのサマースクールをつぶさに見学して非常に感銘を受けたのでこの機会に3つのコメントを書いてみたい。

 科学啓発で強いインパクトを持つ学術イベント
 第1のコメントは、この学術イベントはユニークであり社会的な科学啓発インパクトが強いと感じたことだ。

 女性を対象に科学啓発をねらったというところに新味があるのだが、ともすればこれは男性を除外した一種の差別ではないかという意見も出るだろう。しかしそのような意見は参考にするとしても、臆することはないと筆者は思う。

 日本での科学者全体に占める女性科学者の割合は、先進国の中で最低である。女性の社会進出も先進国の間では低く、これでは女性が本来持っている優れた資質を国家として社会として有用に使っていないことになる。
 このような事情にある日本社会の中で、マドンナプロジェクトは女性の科学する心を啓発するという目的を掲げており、それは大変結構なことだ。

 今回のサマースクールには、女子高校生40人、男子高校生20人が参加しており、男性を拒否しているわけではない。やはりサマースクールのような泊りがけの学術イベントになると男女双方がいないと盛り上がらない。
 大雑把で所作が少々乱暴なくらい元気な男子高校生がいた方が、女子高校生の細やかな行動がより生きてくる。今回も男女双方が楽しい団欒を展開しており、成功だったと思う。

 3ヶ所で特長ある開催内容 
 第2のコメントは、東京・神楽坂、千葉県野田市、北海道長万部町という3ポイントでそれぞれ特長ある学術イベントを開催していることは、非常に意義があると感じた点だ。

 それぞれの地域を中心とした対象者にターゲットを絞り、講演会や科学の実験・実習などを通じて女性への科学啓発を展開することは、大学が外部に対して発信する行動の1つであり、大学の社会貢献でもある。

 サマースクールの場合は、北海道という大自然の環境の中で素晴らしい教育施設、宿泊施設が整備されているのをフルに利用したものであり、東京理科大学しかできない学術イベントである。
 そのような特色ある大学の活動であり、今後はもう少し社会を巻き込んだ形にすることが課題だろう。たとえば、このような学術イベントには、企業や自治体をスポンサーとして巻き込むことも一つのやり方である。

 スポンサーをつけると予算面で余裕が出てくるのでイベントの内容にも幅が出るし、社会的な関心度も高まってくる。メディアとタイアップすることも一つのやり方だろう。
 いずれにしても、今後の活動の可能性は多数の選択肢の中で考えていけば広がりが出てくるだろう。何よりもみんなが楽しんでやる学術イベントにしてほしい。

 学術イベントを陰で支える若きサポーターたち 
 第3のコメントは、サマースクールの実施内容をつぶさに見ていると、このイベント開催を裏から支えている大学教員とサポーターの活動ぶりは素晴らしいという点である。

 ティーチングアシスタント(TA)と呼ばれる同大基礎工学部の学生と院生、そしてOB、OGたちの社会人が、参加した高校生たちの世話役をしている光景は見ていて頼もしいものだった。

 もちろん大学がこの活動を推進し実施部隊の中核には大学と基礎工学部の教職員がいるのだが、その周辺を取り巻くようにアシスタントやボランティア組織があり、それが見事にかみ合ってサマースクールを成功させている。

 高校生、大学生、大学院生、そして20歳代の社会人という若い世代が交流の輪を作り上げており、若さという無垢なエネルギーが全体に発散させて生き生きとさせている。それをまた老練の教職員らが暖かく見守り、必要なときだけ手を貸している。

 今回も台風接近で函館本線が不通になるや、あっという間に大型バスを3台チャーターし、60人の高校生とサポーターたちを札幌、函館に運び、無難に帰途につかせる手はずを整えた。その迅速な対応は見事であった。

 マドンナプロジェクトが成功しているのは、女性をターゲットにした科学啓発活動というだけでなく、実はこのような若い世代が自主的に活動できる自由闊達な組織を作り上げているところにある。大学のユニークな社会活動としてさらに推進してもらいたいと思った。

               
    マドンナ・サマースクールで定性化学分析を実習
                                

 東京理科大学基礎工学部長万部キャンパスで開催されているマドンナプロジェクトのサマースクール第3日目の8月11日は、化学の定性分析の実習を行った。

 この日の当初の予定は、朝から終日、有珠山、唱和新山、洞爺湖などの見学と実習だったが、長万部地方は昨夜から激しい雨が降り、11日朝になっても降り止まないため、有珠山での火山観測見学などは中止とし、代わりの企画として準備していた化学の定性分析を行った。 

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サマースクールに参加した生徒たちは、全員、実験用の白衣に着替えて化学実験室に集合。基礎工学部の竹内謙先生の講義でまず、化学の定性実験についての基礎的な知識を学んだ。
 続いて銀、鉛、銅、鉄、クロム、ニッケル、バリウム、ストロンチウム、ナトリウム、カリウムの10種類の金属イオンの硝酸塩水溶液に様々な試薬を加えたときに出てくる反応によって、定性していく過程を学んだ。

 滴ビンの使い方や水溶液の混合の仕方、遠心分離機の使用法、上澄みと沈殿の分離など定性分析で行う基礎的な操作方法を一通り学ぶものだ。ほとんど の高校生は初めての実験だが、4人で1グループを作って行う実験には、すべて指導する大学生や院生がおり、付きっ切りで指導する姿は頼もしいものだった。

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 試薬などが眼に飛び込んできても保護するために大きなメガネをかけて実験に取り組んだ。

 午後からは無機陽イオンの系統分析
 午後になって、化学定性分析は一歩進化した形になった。試験管には陽イオンを含んでいる未知の試料が入っているので、これを定性する実験である。
 グループに分かれた高校生たちが、遠心分離したり、分属試薬を使って定性化する実験が進められた。

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 定性実験が一段落した後は、お楽しみのバーベキューである。本来は屋外でやる予定だったが、この日未明から長万部地方は本格的な雨になった。特に 午後から夕方にかけて豪雨になる。屋外でのバーベキューは中止となり、バーベキューと同じ材料で料理した食べ物を各自、好きなだけ食べるバイキング方式に 切り替えた。

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 夕食の後は、ポスターセッションで出された質問への回答を社会人のサポーターや院生たちが回答・解説し、そのあとは景品つきクイズ大会になった。
 クイズの回答で一番早く正解を出した高校生には、景品が贈呈され、会場は大いに盛り上がった。

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 サマースクールを支える完璧なサポーター体制 
 ところで、雨でバス見学が中止となっても、代わりの講義や実習にすぐに切り替えていく運営は、すべて基礎工学部の教職員とアシスタントとして参加した社会人、院生、大学生など約60人である。
 このような手厚いサポート組織の運営が、楽しいサマースクールにしていることを知って、非常に参考になった。

 筆者も河川浄化の環境運動や学校給食の啓発運動などボランティア活動に関わってきたが、成功を左右するのはサポーターの運営次第であることを身に しみて知っている。それだけにこのサマースクールでのサポート組織と運営に興味を持ってみていたが、素晴らしい運営振りには感心した。

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 早朝からサポーターの人々がその日のイベントや講義、実習についてミーティングを開いている。このような地道な活動が、サマースクールを陰から支えていることに感動した。

 長万部町の飯生神社のお祭りに参加

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 マドンナプロジェクト・長万部サマースクールの2日目にあたる8月10日の夜、サマースクールに参加している高校生、学生、教職員ら約80人は、町内にある飯生神社の例大祭に参加してお神輿を担いだ。

  「理大」ロゴを背中に描いたそろいのハッピを来た学生たちは、役場前の広場で開催されたお神輿出陣式に参加した。このお神輿は長万部町の「夜お 神輿」と呼ばれているそうで、町内会と役場のお神輿が三基、それに東京理科大のお神輿が加わり、4基が町内を担いで回ることになった。

 出陣式では、町長と議会副議長の挨拶があったが、いずれも少子化、高齢化で町全体が衰退していく有様をにじませながら、「伝統の夜お御輿も今年が最後です。有終の美を飾りましょう」と言うのでびっくりした。
 町内会の人に聞いたところ、もはやお御輿を担いで気勢をあげてくれる若者がいなくなり、担ぎ手も高齢化になってお祭りを支えきれなくなってきたようだという。

 その中で、理科大お神輿の担ぎ手は、平均年齢は20歳代前後という若さであり、そろいのハッピで集まると周囲に若いエネルギーを振りまいて、ひときわ華やいだ雰囲気をまいていた。

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 出陣前に何枚も記念写真を撮影し、担ぐときの発声を練習。町内睦会のリーダーが「セイヤ!」と言えばそれに呼応して「サー」と気勢をあげる。
 「セイヤ」「サー」、「セイヤ」「サー」の掛け声の練習も済ませて、いざ出陣となった。

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 街中を担いで歩くうちに、掛け声のセイヤ、サーも元気な声で唱和できるようになり、それなりにさまになってきた。理科大お御輿の前後は、地元の担 ぎ手が荒々しく担いで気勢をあげていたが、こちらのお神輿は、お上品な感じを崩さず、しかしそれなりに若いエネルギーを発散させながら練り歩いた。

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 担ぎ終わったあとには閉会式が行われ、3・3・7拍子の手打ちで目出度く打ち上げた。来年はこの夜御輿がないのは寂しいようで、地元の人々は最後まで「来年、また担ごうよ」と声を掛け合っていた。
 サマースクールの学生たちは、夜店の通りに繰り出し、カキ氷やお菓子やおもちゃの類を買って、子ども時代を思い出したようにはしゃいでいた。
 楽しいサマースクールの夜は、こうして更けていった。

 長万部サマースクール2日目

                               
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  北海道・長万部町にある東京理科大学基礎工学部長万部キャンパスで開催されているマドンナプロジェクト2日目の8月10日は、午前9時からショートプレゼンテーションで始まった。

 この日から実質的な勉強会や意見交換会、見学会が始まるが、最初のイベントは現役の大学生、大学院生とOG,OBらによる研究内容の紹介である。

 基礎工学部を卒業後、東大大学院の創生科学研究科に進学し、人工生命を作る研究に没頭したと言う。大学院時代に研究情報を交換できるサービス会社を立ち上げたが失敗。しかし現在は、楽しいサービスを作っているという株式会社ディー・エヌ・エーに就職して活動している。

 「人生は楽しまないと損」というテーマを掲げて、高校生たちに自分の子どものころからの生育歴を自己紹介し、大学時代での活動と楽しみ方、大学院時代に研究に没頭した時代、そして起業家に挑戦して失敗したが充実していた時代を語った。

 そしていままた新たな社会活動に取り組んでいる姿を語りながら、「自分の人生を振り返ってみると、大学1年生あたりから人生を楽しみだしたと思う」と語りながら、経験談を披露した。

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 また、基礎工学部大学院電子応用工学専攻の佐藤佳子さんは、「イオンビーム加工によるダイヤモンドツールの先鋭化」のタイトルで、ダイヤモンドを0.00002mmなで尖らせる研究に取り組んでいる活動を発表した。

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 佐藤さんは、イオンに電圧をかけて加速させ、物質に衝突させると物質表面の原始が飛び出してくる。これをスパッタと呼んでいるが、このスパッタを利用してダイヤモンドを加工する技術を紹介した。聞いている高校生たちも、その加工の基礎的技術に触れて、関心を示していた。

 午後からは、化学実験に取り組んだ。
 今回のテーマは、田中郁夫先生の講義でレオロジー現象の実験。レオロジーとは、物質の変形と流動に関する科学であり、材料は片栗粉と水。

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 固体と液体を混ぜた状態の中には、力を加えると流れやすくなるチキソトロピーという現象がある。一方、力を加えると流れにくくなる逆の現象がある。これをダイラタンシーと呼ぶ。
 その実験では、ビーカーに適当に片栗粉を入れて水を加えるだけ。これをこねこねしてほどよく流動性を持たせる。

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 このとろりとした片栗粉流動物を手に取り込んで、強く握ると堅いボールのような塊になる。次に手を開いて堅いボールを手のひらにすると、たちまち崩れて流動体に戻る。
 当たり前のように思うが、実際に筆者も自分でやってみて、不思議な現象であることに気が付く。

 どろどろが入っているビーカーの底に向かって、握りこぶしを力いっぱいぶっつけると、流動体だったものが一瞬のうちに堅くなる。
 水と片栗粉の混ぜ合わせる割合を変えてみるとどうなるか。これがこの日の実験テーマであった。

 

   「なんか、不思議な現象・・・」 松本和子マドンナ・プロジェクト委員長も、実験に加わって楽しそうだった。

  実験はここまでで一段落。最後の比率確認は、ゴルフの練習と言うレクレーションのあとにすることになった。

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 ゴルフ練習は、初めてクラブを握る子が多かったが、先生の指導が分かりやすいので、たちまちにして基本的な動作をマスター。実際にクラブでボールを打つ練習を行った。

  ゴルフ練習のあとは、再び実験棟に戻って、今度は水と片栗粉をどのくらいの割合にすると流動性の性格がどう変わるかを検証した。
 水100に対し片栗粉を130程度に混ぜ合わせ、大きなたらいに入れていくつも並べた。裸足になってたらいに足を入れると、ずぶずぶと片栗粉の流動体に 足が沈んでしまうが、どんと上から強く踏みつけると瞬時に流動体は堅くなる。すばやく歩を進めていけば、足が流動体の中にとられないで、あたかも流動体の 上を走っていくような状態になる。

 用意ドンでたらいを走って歩く試行となり、高校生や大学院生たちが次々と挑戦して無事にたらいの流動体の上を走り抜けることに成功した。

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科学のマドンナプロジェクト長万部サマースクールの開催

                               
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 東京理科大学が高校生を対象に理科への関心を深めてもらい、将来の大学進学の進路の指針にも役立ってもらうために開いている科学のマドンナプロジェクトのサマースクールが、8月9日から、東京理科大学長万部キャンパスで始まった。

 これは2年前から、東京都新宿区の神楽坂キャンパス、千葉県野田市の野田キャンパス、そして北海道長万部町の長万部キャンパスで様々な企画を開催 している一環で、今年のサマースクールには、全国から女子高校生40人、男子高校生20人の60人が参加して楽しい実践勉強が始まった。

 このイベント企画は、女性でも科学に目覚め、女性のきめ細かい思考や女性でなければ気が付かないアイデアを武器に、優れた研究を生み出すような女 性科学者を育成することを目指している。このサマースクールでは、先輩の大学生、大学院生らが取り組んでいる研究や様々な実験を体験してもらい、「理科は 面白い」という認識をもってもらおうという試みだ。

 初日の8月9日は、長万部駅に集合した高校生をバスでキャンパスに案内したが、大自然の中に突如現れた瀟洒なレンガつくりの校舎にびっくりした様 子。早速、松本和子実行委員長の式辞に続いてオリエンテーションに入り、担当スタッフ、学生寮利用のガイダンスなどが行われた。

 学寮の宿泊部屋に分かれたチームがオリエンテーリングを行い、自由時間では自己紹介をしながら高校生たちと学生、大学院生、大学の教職員らとの交流が行われた。

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 基礎工学部長万部キャンパスは、日本でも珍しい全寮制の大学である。男女の宿舎があり、4人で1部屋の共同生活だ。写真は女子寮の個室の一部である。

 東京理科大学知財専門職大学院のFD会議を開催

                               
                 

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 東京理科大学知財専門職大学院(MIP)のファカルティ・ディベロプメント (Faculty Development、FD)の会議が、7月30日に開催され、多くの先生方と有意義な意見交換が行われた。

 FDとは大学教員の教育能力を高めるための実践的方法のことだが、教員同士がお互いに意見交換して啓発しあい、よりよい授業や研究方法を考えることが狙いである。
 この日は、常勤教員と非常勤教員ら約20人が参加して、担当する授業の内容について紹介しながらMIPの教育方針などについて忌憚のない意見が出された。

 非常勤の先生方の意見の中で非常に役立ったのは、院生諸君の日ごろの感想、意見や本音が、非常勤の先生方の耳に届き、それが常勤教員に伝わってきたことだ。
 院生諸君の中には、常勤の教員に対して自分たちの意見や要望を直接言いにくいという事情があるため、筆者のような常勤教員には、届かない事柄がある。

 MIPの授業に来ていただきながら、日ごろほとんど接触のない先生もおり、こうした機会にお顔を見ながら懇談することは非常に役立った。

 第18回MIP知財セミナーの開催
                               
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 第18回東京理科大学知財専門職大学院(MIP)知財セミナーが、7月23日、東京理科大学知財専門職大学院のC1教室で開催され、内外の聴講者約60人が参加して日中の知財の実務について講演と質疑、討論が行われた。

 この日のテーマは「中国特許審査基準から見た出願実務」である。2010年2月1日から施行された中国特許審査基準の解説と実務上のポイントを中心に、中国の知財現場に横たわる様々な課題について検証し、提言を行ったものだ。

 まず、西島孝喜弁理士(中村合同特許法律事務所パートナー)が、この数年、驚くほど急進してきた中国の特許、実用新案、意匠の出願件数の動向を紹介した。続いて中国の特許法(専利法)と日本の特許法との違いを逐条的に解説し、多くの相違点を指摘した。

 続いて韓明星・中国弁理士(北京銘碩国際特許事務所所長)が、中国での特許審査の際に判断する中国審査官の様々な条件による解説を行い、その解釈から出願するときの明細書の書き方や拒絶通知後の補正のやり方など実務に沿った対応策を示した。

 中国特許法(専利法)は、2008年12月に第3次改正を行い2009年10月1日から施行され、2010年2月1日から改正に伴う特許審査基準が施行された。
 
 北京銘碩国際特許事務所では「中国審査指南(審査基準)」の解説をこのたび出版した。その内容は出願段階から積極的に自発補正などの手段を駆使して出願の品質を向上することを提言し、オフィスアクション時の注意点、対策も提言している。

 中国での特許審査基準はどうなっているか、その解説と出願者の実務上の対応について解説したもので、実例をあげながら分かり易い解説は、中国での知財戦略に大いに役立つだろう。

  日本知財学会近づく
                               
         
                                                                                                         
  会場 参加者数 大会テーマ
第1回 東京工業大学 約630名 『~知的財産が切り拓く
 ボーダレスコラボレーション~』
第2回 青山学院 約525名 『Creating Future
 知的財産の過去・現在・未来』
第3回 東京理科大学 約665名 『Regional & International』
第4回 早稲田大学 約635名 『未来志向の知財学
 -技術と経営と政策の、はざまを超えて』
第5回 東京大学 約660名 『原点への回帰
 -知財制度のあり方を問い直す』
第6回 日本大学 約550名 『Global Solution
 -競争と共生の知的財産』
第7回 東京工業大学 約630名 「今あるべき知的財産戦略
-環境パラダイムへの対応とバランスに向けて-」
第8回 東京工科大学 推定650名 「日本経済の『再』成長:知財が担う新たな役割」

 

 第8回日本知財学会が、来る6月19日(土)、20日(日)の両日、東京工科大学 蒲田キャンパス3号館 (新校舎) http://www.teu.ac.jp/campus/access/006648.html で開催される。

 今年のテーマは、「日本経済の『再』成長:知財が担う新たな役割」である。日本の技術力は、どの分野でも世界のトップクラスにあるが、それを活用して利 益に結びつけるビジネス手法が未熟である。たとえば、光関係の特許は、重要なものの多くは日本企業が抑えているが、製品化されるとそのシェアは、韓国、台 湾企業などに奪われてしまい、研究開発投資額の回収が十分にされていないと指摘されている。

 知的財産権戦略は、このような高度瀬門的な技術で知的財産権を取得しても、ビジネスがうまくいかなければ投資額を十分に回収できず、次の開発投資も細く なってくる。今回の学会では、日本経済の再成長に必要な知財の戦略とマネジメント手法などについて活発な論議が展開されるだろう。

 馬場研からもOB,OGの発表や共同研究も含めて10本の発表を行う。


 
                               

MIP知財シンポジウムの開催

                               
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 「多極化時代の知財戦略 ~知財のパラダイムシフトに向けて~ 」を総合テーマに掲げた東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の知財シンポジウムが、6月13日(日)、東京駅前の東商ホールで開催され、多くの参加者でにぎわった。

 最初に登壇したのは、今年の1月1日から東京理科大学の学長に就任した藤嶋昭学長である。藤嶋先生は、酸化チタンに光を当てると、水が酸素と水素に分解されることを世界で初めて発見して、化学者たちを驚かせた。

 この現象はその後、多くの研究者に受け継がれ、藤嶋先生の研究ともあいまって浄化作用、殺菌作用、撥水作用などが発見され、実用化が多方面で広がってい る。この日の講演では、研究の足跡をたどりながら、産業技術として特許出願が年を追って増加していく現状を報告し、これからの展望にも言及した。

 また、パネルディスカッションは、藤野仁三教授をモデレーターに、欧米中日の4人の知財専門家がパネリストになって、企業の知財戦略について討論を行っ た。欧州弁護士のロイド・パーカー氏、アメリカ弁護士のピーター・スターン氏の日本企業の知財戦略に対するコメントは、同じベクトルに向いており、非常に 興味があった。

 スターン氏は、アメリカのITC制度の提訴の状況を1985年から追跡したデータを見せたが、最近になって日本企業は提訴される側から提訴する方へと件 数を増やしていることも分かった。またITCに繰り返し提訴している日本企業は、東芝、シャープ、船井電機などであり、それぞれの企業の知財戦略の方針に よるものではないかと示唆した。

 パーカー氏は、日本企業を巻き込んだ欧州での知財紛争を題材にしながら、日本企業はフェアで丁寧な態度であるが、それは外国企業に弱点とみなされたり、付け込まれることがあるとのコメントは興味があった。

 しかしスターン氏によると、最近になって日本企業は、攻撃型に転じているとしており、パーカー氏の提起した欧州の知財戦略では勝ち目の高いカードを使う こと、相手に圧力をかけてあせらせることなど、攻撃型の戦略について言及した。二人の提示は、日本企業がグローバル展開をする場合の戦略のあり方を示した ものとして非常にためになった。

 中国弁理士の劉新宇氏は、中国での特許審査の実務について一般的な意見を述べたにとどまった。 日本の企業全体のコメンテイターとなった知財協理事長の萩原恒昭氏は、こうした外国勢のコメントを受け入れながら、日本企業のグローバル知財戦略について 多くの課題が横たわっていることを認めながら、今後の展望を前向きに語ることで終始した。

 

 MIPの「知財戦略論」の授業開始

   東京理科大学知財専門職大学院(MIP)のオムニバス授業として知られている「知財戦略論」の今年度の授業が順調に滑り出している。

 この授業は、毎回、知財現場で活動している専門家が大学にきて講義するもので、知財に関して多角的な視点を養い、物事をダイナミックに考える訓練の場としている。

知財戦略論の日程をダウンロード

 授業日程を見ると分かるように、知財の多くの分野から専門家を集めた授業であり、毎年実り多い授業になっている。

 第3回目の授業は、4月28日(水)で、筆者が講師となる。テーマは「島津製作所はなぜ世界制覇ができなかったのか」である。

 田中耕一さんがノーベル賞を受賞したが、受賞対象となった業績で島津は、世界制覇できなかった。なぜだろうか。
 昔からどこの研究現場でも「ノーベル賞をもらうほどの研究成果」を目指している。島津はそれを実現したのに、なぜ、うまくいかなかったのだろうか。

 この授業では、研究開発現場が生み出した画期的な成果を企業はどのようにしてマネジメントに生かすべきかを考えるものにしたい。
 島津製作所を「やり玉」にあげるわけではなく、島津の例を教訓とし、日本の企業の共通の課題として考えることがこの授業の狙いである。

   北京銘碩特許事務所の韓明星所長が来訪
                               
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 共同研究を行っている北京銘碩国際特許事務所の韓明星所長と同事務所東京代表の朴木理華さんが、4月20日、馬場研に来訪した。
 北京銘碩国際特許事務所と馬場研は共同研究を進めており、今回の来訪は来月に開催される日本知財学会で共同で発表する内容についてのすりあわせである。

 韓所長は「アイデア情報工学」という新しい学問の創造に取り組んでおり、学会では斬新な概念を提起することになっている。
 また、筆者と共同発表するテーマは、中国での実用新案の戦略であり、こちらは中国での企業の知財戦略に関する実務的な内容になるだろう。

               
                                
     MIP第6期生のガイダンスを開催
                               
                 
 東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の第6期生の入学者が、4月1日、飯田橋駅前のセントラルプラザビル2階のキャンパスに集まり、ガイダンスに参加した。

 この日は、入学した院生約90人が一堂に会し、MIPの授業日程、科目の履修相談も行った。毎年この時期には、初々しい新入生で教室は活気を帯び てくる。今年も多くの社会人と学部からの進級生が知財に対するそれぞれの取り組みと意気込みを胸に、これからの研究テーマなどについて、教師に相談が始 まった。

 新入生は、この夏までの前期授業が大きなカギになる。ここで知財に対する基礎的な知識を学び、その過程の中で修士論文のテーマを模索することにな る。夏休みも重要な時期だ。夏休みを有意義に過ごした人と何となく目的も持たずに過ごした人では、修士論文の取り組みのときに大きな差となって出てくる。

 4月5日(月)から授業が始まるが、何事もスタートダッシュで勢いをつけてもらいたいというのが教師の願いである。

 一方、MIPを今年修了した社会人1年生からも、元気な報告の電話が入ってきた。この日はどこの企業も入社式を行い、社会人への第一歩を祝ったが、MIP修了生もその一人として社会に踏み出した第一目である。
 「安心してください。今日は無事に第一日目を過ごしました。頑張ります」という声を聞くと、本当に心から良かったと思えてくる。

 大学と社会への2つの門出に接して、新たな決意がにじんでくる一日だった。

        科学技術政策論の打ち上げパーティ
                               
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  後期授業の科学技術政策論の打ち上げパーティが、2月5日、神楽坂の中華料理店で開催され、楽しい情報交換と歓談の場となった。
 楊威さんが、中国語の教師をしていて授業があったために、やむなく欠席したのが残念だった。

 この授業は、教室を使わずに研究室でお茶をしながらだったので、いつでもアト・ホームの雰囲気だった。宮本工業への見学会も楽しかったし、最後の授業では、番外編で遺伝子の意味を講義し、生物学の時代に遅れないように取り組んだ。

 またこの日の打ち上げでは、宮本さんが神楽坂の銘菓「五十鈴」の菓子折を持参して、参加者に配布して喜ばれた。聞けば、参加者に配ろうとおみやげに買った雛あられをタクシーに忘れたので、その代わりに五十鈴の菓子折りにしたという。

 デザートに開けていただくと、最中、神楽坂まんじゅう、栗まんじゅう、甘納豆ともに絶品。最後は、あみだくじでお菓子を配分して盛り上げ、楽しい打ち上げの最後の花を飾った。

 山梨こうよう会で講演

                               
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  東京理科大学こうよう会の山梨県支部の講演会が1月23日に甲府市内のホテルで開かれ、「物理学校の創設から知的財産立国まで」のタイトルで講演を行った。
 こうよう会は、東京理科大学の学生の父母の集まりであり、子弟の教育に熱心な保護者の集まりである。

 筆者は講演の中で、まず知的財産権を重視する時代になった時代背景を語りながら、小泉内閣が知財立国を掲げたまでの経緯とその後の政府の取り組み、そして東京理科大学知財専門職大学院が創設されるまでのいきさつなどを語った。

 さらに東京理科大学の前身である東京物理学校を創設した若き学徒の志を伝え、理科大の伝統を語りながら、社会に存在感を示す大学と学生のあり方を語った。

 特に就職活動などを通じて社会が求める人材は、知識偏重ではなく有能な素養を備えた人材を求めていることを強調し、これからの大学教育の在り方と学生たちの心構えに言及した。

 講演会終了後は茶話会となり、ここでも忌憚ない意見交換の場となり、時代認識の重要性とそれに対応、適応できる人材の教育などについて話題が広がり楽しくも実りある懇談会となった。

 出席者には拙著「物理学校」(中公新書ラクレ)を多数購入していただいたが、この売り上げと講演謝礼は理窓会に寄付することで参加者の志を生かすことになった。

                                

第17回知財セミナーで藤嶋学長が講演

                               
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  第17回東京理科大学専門職大学院(MIP)知財戦略セミナーが、1月22日にMIPで開催され、藤嶋昭・東京理科大学学長が「世界初の酸化チタン光触媒の発見と知的財産権」のタイトルで講演を行った。
 藤嶋学長が就任してから初めての学内での講演であり、多くの学生、社会人が参加した。

 藤嶋先生は、1967年、東大大学院生1年のときに酸化チタンを電極にした水槽に強い光を当てると、水が酸素と水素に分解することを世界で初めて発見し、1972年に「ネーチャー」に発表して世界的に知れ渡った。

 その後この原理による研究は、橋本和仁東大教授、渡部俊也東大教授らに引き継がれ、藤嶋先生らとも共同研究を進めながら、浄化作用、殺菌作用、親水作用による様々な応用研究と実施へと広がっている。

 今回のセミナーでは、光触媒の研究のあらましを紹介しながら、光触媒を軸にした知的財産権のあり方から研究開発での知財戦略、研究と雰囲気という独自の研究観など幅広い話題で講演し、聴衆を引き込んだ。

 質疑応答では、質問者に藤嶋先生の署名入り著書が進呈されたが、研究の動機や研究に取り組む心構え、新製品開発と市場投入の難しさなど多くの課題が広がり、感銘を与えた。

 藤嶋先生の業績に対しては、日本化学会進歩賞(1975年)、朝日賞(1983年)、光化学協会賞(1988年)、井上春成賞(1998年)、電 気化学会学会賞(1999年)、日本化学会賞(2000年3月)、「日本国際賞」(2004年)、「2004年度日本学士院賞」、「内閣総理大臣賞」など が授与されており、今後、光触媒の実用が広がればさらに評価されていくだろう。

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東京理科大学の理窓会新年茶話会が開催される

                               
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 東京理科大学の同窓会である理窓会の新年茶話会が1月9日にホテルメトロポリタンエドモンドで開催され、藤嶋昭学長、塚本桓世理事長ら多くの出席者で賑わった。

 新年会に先立ち祝賀会が開催され、この1月1日から学長に就任した藤嶋昭先生が祝辞を述べた。その中で新学長は「物理学校時代の建学の精神である理学普及こそ国運の発展の基礎であるという言葉を思い出し、理学教育と研究に精魂を傾けて頑張りたい」と決意表明した。

 そのあと、在籍学生の父母の会である「こうよう会」会長の祝辞、叙勲者の紹介と記念品贈呈、3世代会員特別賞、坊っちゃん賞の贈呈などが続いた。

 祝賀会の後で懇親会が開かれ、乾杯や支部長、地方からの出席者からの挨拶などが続き楽しい歓談の時間だった。

       有本建男氏の特別講義
                               
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  元文部科学省科学技術学術政策局長で現在、独立行政法人 科学技術振興機構・社会技術研究開発センター長、研究開発戦略センター副センター長を務めている有本建男さんが、東京理科大学知財専門職大学院の科学技術政策論の特講義を行った。

 講義のタイトルは「世界の科学技術政策と最新の国際動向」であり、文字通り国際的な科学技術政策の動きを解説し、コメントした。

 有本さんは、東京理科大学知財専門職大学院の客員教授であり、この授業は筆者と共同で運営するものである。今回の講義では、諸外国の科学技術政策、とくに最近どの国でも積極的に取り組んでいるイノベーション政策について紹介した。

 さらにこの数年、海外に招聘された様々な国際会議、シンポジウムなどでの論議を紹介し、日本のあるべき進路を示唆する大変インパクトのある講義だった。

                                

宮本工業見学会の写真

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  宮本工業の工場の正面玄関前で記念写真を撮影。会社の皆さんに温かいおもてなしを受けて大変ハッピーでした。

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宮本工業へ向かう前に、腹ごしらえ。宮本一穂会長のご案内とご馳走で、ご当地のおいしいとんかつ屋でほんとにおいしいとんかつをいただきました。宮本会長、有難うございました。

                                  

宮本工業の先端鍛造技術を見学

      科学技術政策論の授業で、栃木県塩谷町にある宮本工業株式会社の船生工場を見学に行った。これは同社の代表取締役会長である宮本一穂さんが、この授業を受講しているのがきっかけになり、日本のモノ作りの現場を実際に見て学ぶことを目的に開催された。

 参加したのは、宮本さんのほかに筆者を含めて7人。09年度馬場研級長の永井武さん は、甲府市から前日に上京して前泊で参加した。工場は男体山や日光連山を望遠する場所にあり、1918(大正7)年に創設されてから今年2009年に創業 91年を迎えるという風格を備えた堂々たる建屋である。

 代表取締役社長の宮本尚明氏、取締役工場長の内城昭治氏、取締役営業部長の三浦武男氏、営業課長の蘇武鋼雄氏らの出迎えを受け、早速、工場内を見学した。

  同社の技術は中国など新興国の追随を許さない独創的で先進的な技術開発を常に行い、 新しいソフトなどの導入を重ねながら、冷間・温間鍛造/インパクト成形品等を作り出してきた。特にアルミ鍛造技術による二輪車・四輪車エンジン用部品は、 ホンダに納品してだけあって非常に品質が高く、また衝撃押出加工による絵具・接着剤などのチューブ量産、カメラ部品、VTR部品、コンピュータ関連部品、 文具など多岐にわたる鍛造部品に生産現場を見学した。

   特に感心したのは、冷間鍛造の世界に、業界のトップを切って金型事前設計(CAE 解析)を取り入れたことだ。このソフトの導入は1990年であり、当時、トヨタ、日産、ホンダ、宮本工業の4社だけが三菱商事を通じてアメリカのソフト企 業から導入したという。当時はアメリカ発のIT産業革命が勃発した時期であり、日本企業でこのソフトを導入する機運はほとんどなかった。

 自動車産業の日本のビッグ3と並んで導入した宮本一穂会長の決断には敬服するよりない。当時、約4000万円の投資をしてこのソフトを導入し、まさに技能から技術へと劇的に変革していったモノ作りの革命の先端を走っていたことになる。

  このソフトの導入によって、生産リードタイムを短縮しただけでなく加工精度の大幅な 向上を達成した。また複雑な形状の製品であっても鍛造後の仕上げ工程(切削処理)が不要となるノン加工技術を確立し、自動車部品で最も重要とされる短納期 化(最短で、出図から7日、他社の1/5の期間で納品可能)を実現するなど大きな成果を上げて、巨額だった初期投資を十分にペイできたという。

  このような先進的なモノ作りに取り組んだ工場を実際に見学できて、大変勉強になった。見学後のミーティングでは、これからの技術開発と知財戦略などについても活発な意見交換が行われ、同社の皆さんの温かいもてなしを受けながら最後まで楽しい見学会だった。

                                

第16回東京理科大学専門職大学院(MIP)知財戦略セミナー

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  第16回東京理科大学知財専門職大学院の知財戦略セミナーが、東京・飯田橋の東京理科大学知財専門職大学院C1大教室で開催され学内外から約50人が参加して熱心な討論が展開された。

 この日のセミナー講師は、2009年6月、ニッスイ(日本水産)が持っている冷凍枝豆の製品特許をめぐって、冷凍食品業界全体が巻き込まれた「枝豆特許戦争」について講演し、大変、好評だった松村直幹さん(元ニチロ専務取締役)が再び登場した。

 講演タイトルは「わかりやすいマーケティングー商品開発と知的財産―」であり、松村さんの体験に基づいた独自のマーケティング戦略と知財戦略について講演した。 

 まず松村氏は、マーケティングとは何か。時代とともに変革した食品業界の中でのマーケティングの意味、そして冷凍業界が取り組む商品開発と営業戦略、知的財産を明確に位置付けた経営戦略などを語った。

  松村さんの話は、すべて実体験から出た「ホンモノ」の素材と背景を語るものであり、迫力満点。話の内容そのものが知的財産権でありノウハウである。 

 他社の技術や成果をいち早く取り込んで新製品を世に出した例では、「おべんとう焼肉」(エバラ食品のたれを導入)、「焼き豚チャーハン」(キューピーと組んで冷凍液卵を使用)などは、工業製品の製造業で言うとオープンイノベーションである。

  また、「そばめし」を出した際には、社員がアイデアを持ちだしたときには売れないと判断して反対したが、社員の熱心な提案に負けて販売してみたらこれが大受けで大ヒット商品になった話も大変参考になった。

 科学技術政策論の授業について

     科学技術政策論の授業は、毎週木曜日の午後1時から同2時半までと、午後6時半から同8時までの2回行います。科学技術は特許、意匠、著作権などの知的財産権とは表裏一体の関係であり、一国の科学技術政策の消長が産業技術の優劣に直結しています。

 今年は、先の総選挙で政権が交代したため、政策がどのように変わるか注目されるところです。自民党の科学技術政策と民主党の目指す科学技術政策はどう違うのか。

 自民党政権のときに成立した補正予算の見直しが始まりますが、史上空前と言われる先端 科学技術研究へ投与される2700億円、地域産学官イノベーション整備事業として投与される700億円は、実際に執行されるかどうかまだ分かっていませ ん。特に2700億円の対象とされる30テーマについては、賛否両論が渦巻いており、執行されるかどうか研究者は見守っています。

 いずれにしても政策決定の道筋がまだ分かっていません。民主党のマニフェストによると、内閣府に設置されている総合科学技術会議を改組して「科学技術戦略本部(仮称)」を設置するようです。今度こそ省庁横断的な政策が実現できるのかどうか注目されます。

 授業では、民主党政権の科学技術の政策動向も見ながら、進めたいと思います。また、日米欧中国の科学研究比較論も試みたいと思います。さらに日本人ノーベル賞受賞者が出た場合は、その業績などにも触れながら科学技術の研究動向を学びたいと思います。

 現在、予定されている授業スケジュールは表の通りですが、この予定通りにはいかないでしょう。臨機応変に中身を変えたいと思います。

2009年度・科学技術政策論・授業予定表

1

9月24日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

日本の科学の始まり

2

10月1日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

自民党政権と民主党政権の科学技術政策の違いは何か

3

10月8日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

第3期科学技術基本計画について読み解く

4

10月15日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

日本の科学技術とノーベル賞

5

10月29日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

ノーベル賞と特許

6

11月5日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

中国の科学技術

7

11月12日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

アメリカの科学技術

8

11月19日(木)

13:00~14:30 18:30~20:33

欧州の科学技術

 

11月26日(木)

 

 学会があるので休講

9

12月3日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

 予備日

10

12月10日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

科学技術と社会と企業倫理について

11

12月17日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

科学の進歩と新たな課題・脳死と臓器移植、生殖医療技術

12

12月24日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

「科学技術研究の国際的な動向」(仮題) 独立行政法人科学技術振興機構・社会技術研究開発センター長・有本建男さん

13

1月7日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

  予備日
14

1月14日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

2025年の社会の姿について
15

1月21日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

 まとめ

 修士論文を研究する研究室はどこにするのか

      2010年度に修了する院生の修士論文と所属研究室についての説明会が、9月18日、同26日の2日間、開かれる。

 専門職大学院の院生が卒業するためには、修士論文を執筆して合格しなければならない。文部科学省によると、MIPの修士論文は「知財プロジェクト研究論文(ワーキングペーパー)」と呼んでいるが、要するに修士論文である。

  テーマを決めて論文を書くには、指導教員を決めて所属する研究室を決めなければならない。指導教員のテーマなどについては、院生諸君へ配布された資料に記載されているが、筆者の研究テーマとして、①中国における研究動向と知財戦略、②ベンチャー企業の知財戦略、③科学技術および知財政策とマネジメント、④知財政策と知財戦略の4点をあげた。

   毎年、馬場研に所属を希望する院生は、このブログでも紹介しているように非常に幅広いテーマを持ってくる。特別の専門領域を持っていない筆者の研究室の、 これが最大の特長である。さまざまなテーマで研究しようとする院生諸君と一緒に、筆者も研究に取り組んでいるが、それは所属する院生諸君全員も同じ立場で ある。

  つまり馬場研は、所属する研究生全員がすべての研究テーマを共有し、研究に取り組むことで多彩な知識を吸収するというのが方針である。

  来年度は、誰がどのようなテーマを抱えて馬場研に来るか楽しみである。すでに馬場研に所属したいとの意向を示している院生もいるが、そのテーマは例年通り幅広いものになっている。

               
   ゴールデン・カップルの誕生
                               
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 東京理科大学知財専門職大学院のOB・OGが華燭の典

 7月11日、東京理科大学知財専門職大学院の第1期生として2007年3月に巣立った馬場研の杉山忠裕君と穂積研の中嶋知美さんがめでたくゴールイン。盛大な祝福の嵐の中でゴールデン・カップルが誕生した。

 新郎新婦ともに東京理科大学理学部応用物理学科を卒業後、そろって東京理科大学知財専門職大学院に進学してきた。杉山君は馬場研に所属して、中国の模倣品問題を研究し、修士論文としてまとめた。

 このテーマに取り組もうとしたきっかけは、少年時代からカシオ計算機製のG-SHOCKの模倣品が中国で出回ってることに他人事ではないと感じ、その実態を調べようとしたものだ。

 修士論文を書き上げると彼は、熱望するカシオ計算機社に入社し、現在、知的財産センターで活躍している。

 新婦の知美さんは、コンテンツビジネスの知的財産権について研究し、修士課程を修了すると凸版印刷に入社し、現在、同社法務本部で知的財産権などの担当として活躍している。

 ゴールデン・カップルの誕生に招かれた友人・知人、同僚、先輩、上司などが盛大に祝福し、梅雨空を吹き飛ばすような勢いと華やかな式典だった。

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東京理科大学知財専門職大学院

東京理科大学知財専門職大学院は、2005年4月から、日本で最初の知的財産専門職大学院として設置されました。

この専門職大学院は、知的財産に関する実務的な知識を習得するために学ぶ大学院であり、院生の3分の2は社会人、3分の1が学部からの進級生となっています。

また、教師の多くは企業で長い間知的財産権を扱う部署にいた方や弁護士、弁理士などである。いずれも知的財産の専門知識を持ったその道のプロである。