PEACE BOATで世界一周の旅ーその19
PEACE BOATで世界一周の旅ーその21

PEACE BOATで世界一周の旅ーその20

ガーナで野口英世に会えないのは残念

PEACE BOATはいま、大西洋のアフリカ大陸沖をヨーロッパに向かって航海を続けています。ナミベア・ウオルビスベイを出航してほぼ1日後に、船内に急患が出て船は引き返し、ナミベアに降ろして再び北上するというアクシデントに見舞われました。

この予定変更で、今後の船旅のスケジュールが変更されるかもと失敗しましたが、帰国までのスケジュールは予定通りとのアナウンスもあり、窓から見える景色から船が速度を上げている様子が見えました。

 アフリカ大陸への接岸は南アフリカ共和国と隣国のナミベア共和国の2国だけであり、筆者が期待していたガーナには寄港する予定が組み込まれておらず、あてが外れました。ガーナは、日本人の心の偉人である野口英世が黄熱病で斃れた地であり、ガーナには野口の偉業を称える記念像などもあるので期待していました。今回は、これがないのでその代わり、船内で野口英世を顕彰する講演会を開催する予定です。

 悲劇の大陸アフリカの現実を知る機会

アフリカ大陸に2回寄港しただけで後はひたすら外洋を北上する航海です。この機会に船内では奴隷の歴史やいまなお政情不安定で混乱するアフリカ諸国の様子を報告する講演などがありました。筆者がその中でも今更ながら知って驚いたのは奴隷の歴史でした。

 人間が人間を売り買いする奴隷売買は、死の商人とも言われています。奴隷を運ぶために開発された道具類は、家畜動物でもこうはしないだろうという思うほど劣悪でひどいものでした。人間は知恵ある動物ですから、家畜並みの道具では簡単に破られて逃げられてしまう。人間を絶対に逃げられないように縛り付ける道具は、半端ではありません。

いずれも講演の際に写真で見せられたたものだけでしたが、見るに堪えないようなものばかりでした。

 デンマークの奴隷制度を知る

「雪の女王」や「人魚姫」などの童話を生んだアンデルセンは、デンマーク生まれの作家です。北欧の最南端のスウェーデンに隣接している国で、首都のコペンハーゲンはトランジットする大きな空港があり、何度も通過していましたが、チーズやバターなど高級乳製品を製造している国、程度の知識しか持ち合わせていませんでした。

そのデンマークが、1660年ころから1800年代初頭まで、アフリカ人を売買する奴隷商人として世界のリーダーの一角になっていることを知ってびっくりしました。当時、デンマークの植民地であった西インド諸島のセント・トーマス島などに非人道的な方法で運びました。そして、主に砂糖やコットンのプランテーションで奴隷として働かせ、富をあげていたという歴史がありました。

 調べてみると、確かに多くの記述がネットでも掲出されていました。デンマークはこの暗い歴史を消し去りたいという思いに駆られたようで、世界で初めて奴隷制度を廃止した国として記載されたこともあったようですが、それは大きな間違いとして訂正される騒ぎもあり、いまでは史実を向き合いながら過去の歴史清算をしているという話でした。

Queen_Mary_Thomas

 アフリカのマリー・トーマス(Mary Thomas)は、奴隷解放に立ち上がった女性です。奴隷労働者たちと反乱を起こし、約50もの砂糖プランテーションや畑、家屋に火を付けて焼いた歴史をつくりました。奴隷解放のヒロインとして今に伝わっています。

 

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