01 日々これ新たなり

PEACE BOATで世界一周の旅ーその59(総括その1)

総括その1 105日間の船旅の仕組み

PEACE BOAT105日間の船旅で21寄港地、18カ国で下船・上陸しました。上陸していた総期間は23日間。残り82日間は船に乗っていたことになります。寄港地に降りて飛行機で数日間から9日間ほどの「オーバーランドツアー」が用意されており、陸に上がって飛行機などで各地を観光し、PEACE BOATに戻ってきて合流するというものでした。陸で観光している数日から9日の間に、PEACE BOATの航海は続いており、ツアーはそれを追いかけて、次の寄港地に接岸したところで合流するというものでした。

オーバーランドツアーには、2つの問題点がありました。第1に船を離れてホテルに宿泊をして観光するので数十万円から100万円余分の費用がかかりました。これは高いという評判がほとんどでした。2つめの問題点はツアーに参加している間、陸上のホテル代を負担するので、船の宿泊代と二重の宿泊代がかかることです。当たり前と言えばそうですが、それなら船にのらないで別途、目的を立てて旅行すればその値段より安く行けるのではないか。そういう意見でした。ただし、自分ですべて計画立案して実行するのは大変なので、別途、日本からのツアーに参加する形式がベターという意見でした。

1IMG_7734西回りにインド洋からアフリカ喜望峰を回って大西洋に抜けて北上し、アイスランドから北大西洋の向こう側を東に回って北米・ニューヨークへ行きます。それから中南米・南米まで南下してパナマ運河を通過して太平洋に出て北上し、アラスカを経て西下して横浜に寄港するコースです。

つまり船旅というものは、船にいる間の観光はなく、甲板から海を見るか遠く陸の景観を見るだけであり、観光は寄港地で上陸したときの短時間ツアーか、オーバーランドツアーで飛行機などで各地を観光して、数日後に船に合流するというものです。

乗船後、初めてその仕組みを実感として知りました。筆者もオーバーランドツアーの応募開始から1ヶ月後に申し込みましたが、そのときにはすでにどのツアーは満杯でした。キャンセル待ちにしておけば、チャンスはあったかもしれませんが、満杯と聞いてすっかり諦めてしまいました。

印象に残った上陸観光のビッグ3

船内での生活ぶりは、このブログでも何度か報告してきましたが、総括として筆者が最も感じた3つの雑観を書いてみます。

第1は、ロンドン郊外にあったストーンヘンジ遺跡の見学でした(ブログではその31で報告)。バスに揺られて3時間ほどの距離にあった平原の中にそれはありました。子どものころの少年雑誌で読んでいたので、その遺跡には非常に興味がありました。先史時代の人々が、何の目的で遠く離れた場所からこの巨岩を運んできたのだろうか。様々な意味づけがされてきましたが、今なお謎が解けないままになっています。

今回のガイドの説明では、亡くなった人の墓標とか記念碑とかそういうことが最も可能性があるという説が有力になっているようです。遺跡を取り囲んだ大きな円形の見学路を1時間ほどかけて一回りしますが、どの地点から見ても遺跡群の景色は違ったものに見えました。

この先、ほぼ永遠にこの謎は解けないままに残されるのでしょうか。ロンドンのホテルに一泊したツアーだったこともあり、印象に残る観光でした。

スト1快晴で日差しの強い日でした。実物の遺跡を見るという長年の夢を果たして大満足のツアーでした。

 

貧しい国になった日本と日本人

第2の雑観はアイスランド観光のときのものです(ブログではその36で報告)。

日本には多くの外国人観光客が押し寄せています。極東の島国であり世界の中でも経済大国として知られ、数々の独自の歴史と文化を持っている国としても魅力ある観光地です。それだけではなく最近の円安によって「何でも安くて、食べ物も美味しい国」として人気急上昇を外国人観光客から聞いて知りました。

その真逆なことをこの船旅で体験しました。アイスランドの首都、レイキャビクに上陸したときの体験からでした。人口38万人、国土面積は北海道より少し広い小さな国です。地熱発電、風力発電でエネルギーは余っているので輸出しています。ところが、お土産屋を覗いてびっくりしました。日本で300円程度かなと思う板チョコが2000円でした。この国の通貨アイスランド・クローナは、そのまま日本円と同じ価格なので、値段表の数字がそのまま円価格になるのが便利でした。

ご婦人たちは、洒落たショールやセーター、装飾品類の値札をみて、驚いた表情です。「日本で買った方が安いよね」というささやきがあちこちで流れていました。PEACE BOATの案内パンフレットを見たら、日本でのハンバーガーは450―550円ですが、アイスランドでは同じものが1700円から2000円と書いてありました。

IMG_6873 (1)アイスランドは地熱発電(写真)、水力発電でクリーンエネルギー国家として世界トップクラス。海底ケーブルを敷いて電気をイギリスに輸出しています。福祉政策も行き届いた素晴らしい国作りをしていました。

一人あたりGDPは、アメリカとほぼ同じ約8万ドル。日本は約7万ドルなので抜かれています。年金の平均は、約70万円だそうで(現地ガイドの説明)、税金が高いので生活はそれほど楽ではないそうですが、医療費・学費、暖房・給湯費はタダ。福祉厚生が行き届いているので住みよい国であり、福祉国家として、存在感があります。世界の広さを感じました。

熱帯雨林地帯にあったヨーロッパ人の国

地図を見ると北米大陸と南米大陸の間をいくつもの国でくねくねと細く結んでいる、中南米諸国の中の南の方に位置しているコスタリカを訪問しました(ブログではその46で紹介)。

港から首都サンホセまでのバスに乗り、2時間以上もかけて市街地のショッピング・センターにつれていかれそこで「放置」されました。現地の案内はナシ。夕方、迎えに来るバスで船に戻るだけ。これで「2万6000円は高いよね」と参加者はブツブツ言いながら、バスを降りました。

雨期に入っているため外は雨。筆者は仕方なくまず、広々としたセンター内を見学してみました。有名な世界のトップブランドの店舗があちこちに点在しています。センター内は、ピッカピカでゴミ一つありません。分別ゴミ用のジュラルミン製のゴミ箱があちこちに設置されています。コーヒーショップに座り込んでWi-Fi接続し、PC操作をしながらこの国の人々の観察をしてみました。

男女とも背が高く整った顔立ち、女性は均整のとれた金髪夫人。世に言う美男美女群です。子どもの団体が来ました。こちらも整った顔立ちで、みなきれいな服装です。おしゃべりしながら時にふざけ合って歩いている光景は、万国共通です。どこかヨーロッパの近代的な都市に来たような錯覚を覚えました。

1IMG_7216バスの車窓から見た熱帯雨林の雨期の風景は、首都のサンホセに行くまで、写真のような光景が続きました。いまでも少数の原住民が、この森の中を移動しながら生活しているそうです。高速道路のインフラは、しっかりしたものでした。

コスタリカは軍隊を持たない国とその程度の知識しかありませんでしたので、ネットで外務省の情報などから国情を急きょ調べてみました。するとこんなことが判明しました。

  • 人口は515万人、面積は日本の九州と四国を合わせた程度。
  • 1949年から現在まで、選挙により政権交代が行われており、中南米で安定した民主主義体制を持つ国。報道の自由度も確保されている。
  • 識字率98%(2018年UNESCO)という高い教育水準を持っており、教育費と医療費はタダ。
  • 1994年憲法で軍の非保有を宣言して常備軍を持たず、1983年に「永世非武装中立」宣言し、87年にはノーベル平和書を受賞している。
  • 国民性が温厚で、物価が割安。交通インフラが発達し温暖な気候で住みやすく、イギリスのシンクタンクの調べで、世界一幸せな国の指標でトップになるなどこの種の世界ランキングでたびたび世界一になっている。

この情報にはびっくりしました。産業は良質なコーヒー、バナナ、パイナップルなどの栽培輸出で地方の雇用を支え、近年は特区に世界のハイテク企業を誘致して世界の医療機器の製造拠点になってきており、日本にもカテーテルなどを輸出しているとあります。ソフトウェア開発や生命科学産業も発展しているとあります。

ぶったまげた本当のコスタリカ方式

何よりも驚いたのは、日本の衆議院選挙で採用されている「コスタリカ方式」のいわれを知ったときです。コスタリカは選挙区内の有権者と議員との癒着を防ぐ目的で、国会議員の同一選挙区での連続再選を禁じており、大統領選挙でも再選を禁じていました。大統領で再選を目指すには退任後8年間の空白を置いて再出馬できるとなっていますが、これまで再出馬した大統領候補はいないようです。

日本では衆院選で「コスタリカ方式」というものを採用しています。小選挙区比例代表並立制では、同じ政党または友党に競合する候補者が存在する選挙区では、1人を小選挙区に、もう1人を比例区に単独で立候補させ、選挙ごとにこれら2人を交代させる方式をいいます。コスタリカの再選を禁じた選挙制度にあやかって名前だけ勝手に使っているようです。

コスタリカの清廉潔白な政治目標の中で実施しているコスタリカの選挙制度を知り、名前だけちゃっかり拝借し、似ても似つかない選挙制度をしている日本は「恥を知れ」と思いました。

豊かな自然で人気上昇中の国

コスタリカはアメリカ人の好感度ナンバーワンと聞いており、近年、移住者が増えているようです。多彩な植物・鳥類の生息地域として有名でウミガメの世界産卵地になっています。国土の4分の1を環境保護区に指定しており、映画「ジュラシックパーク」の舞台にもなったということです。

ショッピング・センターのレストランやコーヒーショップをハシゴしながらネットで調べ、人々を観察し、船に帰るバスに乗り込んだときには、すっかりコスタリカファンになっていました。


PEACE BOATで世界一周の旅ーその58

濃霧と時化と強風で荒れるアリューシャン列島の海

船は一路横浜を目指して毎日、南西へ向かっています。アリューシャン列島から千島列島沿いに航海していますが、海上はほぼ終日霧に包まれており、島影は見えず海は時化ています。船の屋上の甲板に出ると冷たい風が容赦なく吹いており、冬支度でないと1分といられない過酷な環境です。夕食の食卓が賑やかになっているとき、同席している共同通信社元論説委員長の西川孝純さんが「5分間講話をしましょう。アッツ島とキスカ島のことです」と発言しました。

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濃霧に包まれた海は終日時化ており、アリューシャン列島の島影を見ることは出来ませんでした。終日、大揺れの航海が続き、北方海域の過酷な海の環境を体験しました。

玉砕と撤退・アッツ島とキスカ島

西川さんはいま、船が通過しているアリューシャン列島のアッツ島とキスカ島が、先の太平洋戦争で正反対の運命をたどった戦争ドラマを語って聞かせました。

太平洋戦争が始まって半年を過ぎた1942年6月から、アメリカ軍は当時、日本が占領していたアッツ島の奪還のために戦艦、空母などの大部隊で包囲し、1万人を超える兵力を投下して守備隊わずか2500人のアッツ島に上陸してきました。その壮絶な戦いと最後の場面は、筆者も実録伝記を読んで知っていましたが、今回の航海でその島の脇を通過して帰路につくとは思いもしませんでした。

アッツとキスカJPEG
戦力・兵員・装備ともに圧倒的に上回る米軍に激しく抵抗する日本守備隊でしたが、ほどなく守備隊は全滅の悲運をたどり、日本国内ではこれを「玉砕した勇猛な兵士たち」として報じられました。玉砕という戦死者を称える言葉を使った最初の出来事でした。

続いて米軍は、隣にあるキスカ島も海軍部隊で包囲し、殲滅作戦を始めました。キスカ島には6000人の守備隊がいたのです。このとき日本の大本営本部は、北方の過酷な自然条件の中で占領を続けていた守備隊を放棄する判断に傾き、アッツ島はいわば「見捨てる」戦略をとり、キスカ島守備隊には撤退するように命令しました。

6000人の守備隊は、濃霧の中をキスカ島に接近してきた巡洋艦「竹隈」を旗艦とする艦隊に次々と乗り込み、わずか1時間足らずの中で全員の撤退に成功して離脱し、この作戦は成功したのです。濃霧と荒れる北海海域で起きた玉砕と撤退。二つの命運を決めたのは当時の戦争指導者であり、大本営の作戦本部でした。正しい判断と素早い決断と実行さえあれば、国の命運をも変えることができることを教えた出来事でした。

北海道出身者多数が犠牲者になった

船がアリューシャン列島を抜けるころ、ランチの食卓で筆者は窓から海を見ながら「晴れていれば、この向こうにアッツ島が見えたかもしれませんね」と独り言のように語りました。するとすぐ右隣りにいたご婦人が「玉砕した島ですよね」と反応したのでびっくりしました。

玉砕という言葉を知っているとは驚きでしたが、いろいろ話をするうちにご婦人は札幌にお住まいの昭和9生まれでした。アッツ島で玉砕した戦死者の英霊を北海道神宮(当時は北海道護国神社と呼んでいたそうです)に納めるため、神社に向かう行列がしずしずと進んでいく光景が忘れならないと語りました。北の守りを固めるということから、多くの北海道出身兵士がアッツ島の守備隊にいたということでした。

遅すぎる決断と実行

日本は、いつの時代でも国家として先を見通した正しい戦略とその結論に基づいた決断と実行が出来ないことを80年前の大戦の中でも数多く見ることが出来ます。21世紀になってから、デジタル技術革新が急速度で始まり、IT産業革命が勃発しました。100年後に今日を振り返って総括すれば、間違いなく第3次産業革命のど真ん中にいたことを認識することが出来るでしょう。

デジタル化した技術が教育・研究、社会、企業、組織、国家を急進展で変えていき、人の考えも価値観も文化も何もかも変えてきました。途上国・先進国に関係なく世界同時進行で進んだことに、前2回の産業革命とは大きな違いがありました。日本人、とりわけ国家・行政・企業の指導者たちは、時代認識をしっかりと持ち、先を見通した技術革新を先導する国家を作る責任があるでしょう。同時にそれは、筆者たち国民にも相応の責務を課せられたことにもなるのです。

世界一周の旅で感慨を持った様々な出来事の中でも、西川さんの講話から思い起こした「玉砕と撤退」の史実は、重い課題を背負って帰国する機会になったのでした。

世界一周の旅の報告は、ここで区切りをつけ、次回はこの船旅の総括を書きます。

IMG_7740船のラテン系バンドで人気のある「Joy&アップスタート」のファイナル演奏を聴きに行ったら、「アッツ島とキスカ島の史実」を講話してくれた西川さんご夫妻とバッタリ。記念写真に収まる栄誉をいただきました。

 


PEACE BOATで世界一周の旅ーその57

空き家を改装してびっくりさせた中日ご夫妻

船には中国、韓国、台湾、シンガポール、インドネシアなど多彩な国籍の方が乗船しています。その中でもユニークな日中友好活動をしている中国人と日本人のご夫婦に出会い、それをどうしても報告したくなってアップすることにしました。

1sinshainn IMG_7399陸建洛さん(右端)と裕子さんから取材しました。

ご夫妻は同い年の68歳で上海市出身の陸建洛さんと西宮市出身の濱田裕子さんです。陸さんは、香港と中国の合弁大手港湾管理運営会社の技術スーパーバイザーを務めた方で、奥様は神戸市外国語大学中国語学科を卒業後、通訳翻訳業に入り、全国通訳案内士の資格を持っています。

2人は1995年に結婚し、上海と西宮を拠点に日中間を往復しながら、日中の文化交流で精力的に活動しています。その延長線上でやっているのが、趣味の空き家改装です。完成した「新築空き家」をギャラリーや憩いの場として人々に無料で開放することで社会貢献にもなっています。PEACE BOAT乗船をきっかけに、憩いの場を「ピース ホーム」と名付け、さらに交流の輪を広げています。

朽ち果てたモデルハウスを新品同様にする

1970年代に阪急不動産のモデルハウスとして売り出した欧風3階建て、1階コンクリート、2,3階鉄骨構造の瀟洒な邸宅がありました。しかし家主が売りに出したときは、20年以上も使用していなかったのか家全体が朽ち果て、誰も買い手がなく2022年12月、陸さんが480万円で買い取りました。

1スライド64買い取った邸宅は、見るも無惨に朽ち果て、屋敷も荒れ放題になっていました。

3スライド90部屋の中もこのような状態でした。

 陸さんは、農業と港湾労働者をしながら独学で様々な技術を学び、1991年の第2回世界青年発明コンクールで金賞を授与されるほどの才能のある方です。つまりモノの成り立ちを考えたり、構造を調べるのが得意であり生来、創造性に富んだ器用な方なのです。

元通りの瀟洒な邸宅にするために専門業4社に見積もりを依頼しましたが、どの会社も改修は不可能と言ってきました。最大の問題は急勾配の屋根にありました。

そこで陸さんは、自分で元通りに改修することを決心し、まず朽ち果てた家・屋敷の後片付けを始めました。可燃ゴミだけで45Lのゴミ袋が1500個以上、粗大ゴミは2tトラックに冷蔵庫4台、洗濯機3台、エアコン4台などを積み込み、ゴミ処理場に運びました。

一番苦労したのが、業者も尻込みした急勾配の屋根の修復でした。ハシゴを3つつないで作業場にのぼり、命綱をつけ、滑り止めの靴をはき、急勾配の屋根の修復に1人で取りかかりました。家の中の廊下、壁、天井、引き戸、襖、障子などは、ネットのオークションでできるだけ元のものと同じような材質を見つけて購入して取り付けていきました。

あの朽ち果てた邸宅が、このように生まれ変わりました。

IMG_山荘

室内もこの通りピッカピカになりました。

スライド119

1年かかって新築同様に改修完成

途中で上海に行ったりして留守にしましたが、前後合わせると正味ほぼ1年間で8室の改修を完成させました。周辺の民家に迷惑がかからないように電気工具類は一切使わず、手作業でやり遂げましたが、元の家主が見に来たときは、腰を抜かさんばかりに驚いていたそうです。筆者は数々の写真を見せられただけでも腰を抜かしました。

少子高齢化社会を迎えて、日本ではいま全国で約20%の住宅が空き家状態です。これを安く買ってリニューアルすれば、自分の持ち家として活用できるし再販すればビジネスにもなります。陸さんは、いまの時代は空き家再生がビジネスになるチャンスであることを社会に訴えていくと言います。

日中草の根美術・芸術交流でも実績

陸さんの活動の本体は、中国友好のための書画、芸術品の展示会などのイベント活動です。先の改修した邸宅を公開して展示コーナーとして使用したり、宿泊施設としても利用しています。陸さんが長年集めてきた中国の絵画、書道などの作品は数千点にのぼり、それを展示したり、ご夫婦で各種のイベントなどにも積極的に参加して日中の芸術交流を通じたイメージ向上に取り組んできました。

中国の書画展は定期的に開催し、広く知られるようになっていきました。こうした活動が注目を集めて新聞・雑誌で紹介されたり、神戸港開港140年記念イベントに招待されて展覧会を開催しました。中国のイベントでも紹介され、「地球の歩き方」にも掲載されるなど、いまや有名人になっています。

5人写真陸さんは何でも独学で学ぶことが好きで、上海の独学キャンペーンでは、10年連続個人優秀賞を授与され、また「上海独学者の星 ベストテン」にも選出されました。裕子さんも、中国語に堪能な才能を活かしながら日中文化交流を展開しており、ご夫妻のユニークな活動はますます広がっていくでしょう。

5褒賞切り取り


PEACE BOATで世界一周の旅ーその56

アラスカ・スワードへ最後の上陸

PEACE BOATの船旅の最後の寄港地はアラスカのスワードという小さな港町でした。この船旅で寄港した都市は、ここを含めて20都市でした。南アフリカのポートエリザベス、イギリスのティルベリー、ニューヨーク、パナマのクリストバルは2日間の接岸でしたが、残りの16都市はすべて1日だけの寄港地でした。

スワードは、アラスカ山脈を背後に控えた港町で人口は3千人。アラスカ鉄道の終着駅になっており、夏から秋にかけては観光客で賑わう町です。夏と言っても上陸した日は、濃い霧に包まれ、時折、雨が振る寒い日でした。

0IMG_7694完全防寒スタイルで上陸しました。この時期、酷暑の日本では考えられない服装です。地球の大きさを知りました。

 過酷な自然の中で生きる動物たち

鬱蒼とした針葉樹林帯とそれをまとった山々ですが、冬になれば雪と氷に覆われ、短い夏の期間でもこの日の天候のように肌寒く、霧や雨模様の日が多いようです。寒帯地帯の植物が濃い緑の重層の山並みをつくっており、際限なく自然景観が広がっています。雄大という言葉では表現できないような圧倒的な植物と山の中では、多くの動物たちが生息しており、野生動物保護センターを見学するツアーに参加しました。

1IMG_7697アラスカの過酷な自然環境の中でも様々な動物たちが生息しており、それを保護する活動も知りました。和名は分かりませんが、長毛に覆われたバイソン、バカでかい角を持った大型のシカ、その他にもクマ、オオカミなどもオリの中に見えました。

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保護センターの名の通り、何かの事情で保護された動物たちを保護し、健常になったらまた自然界へ戻すという活動のようですが、広い土地で飼育されている種類別の動物公園のようでした。

体毛の濃いアラスカバイソン、身の丈3メートルはありそうなクマ、オオツノジカなどがのんびりと草を食んでいましたが、見物するこちらはセーターと厚手のコートかジャンパーを着込み、フードをかぶって縮こまりながらの見物でした。

山頂に立っても霧で何も見えず

標高約2千メートルの山までケーブルカーがあり、山頂まで行ってみました。しかし濃い霧の中ではぼんやりした山の景色が見えるだけで、お土産屋をのぞいてから早々に退散して麓のロッジへと帰ってきました。

3IMG_7713ケーブルカーで山頂まで上りましたが、深い霧に覆われてほぼ何も見えず、寒さだけ身にしみるので早々に麓へ戻ってきました。

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ここで出されたランチは、照り焼きにしたキングサーモンが美味しくて評判でした。あとは中華風の料理をバイキング方式でいただきましたが、滞在時間中はWi-Fi接続で写真やビデオなどデータ量の多いものを処理する作業に精を出しました。最後の寄港地でしたが見学する場所もなく、長い船旅の最後を飾るにしては暇つぶしの時間で費やするというさえない一日でした。


PEACE BOATで世界一周の旅ーその55  

劣化し続ける国家と組織を講演

PEACE BOATの自主企画講演会は、今回が9回目となり、最後になりました。この講演テーマは、構想研究会でもたびたび筆者が強調してきた日本の国家と組織の劣化です。立法・行政・司法はもとより企業や様々な組織も劣化していると感じてきました。

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PEACE BOATに乗船してから、様々な乗船客とこのテーマで話をする機会がありましたが、例外なく皆さんは同じ意見でした。「日本は確実に劣化している」。そこで最後に、このテーマで講演することになり、会場には200人以上の方が来てくれて熱心に聞いていただきました。

スライド7国際的なデータから見た国家の劣化

GDPやイノベーション競争力、教育への投資、科学技術投資など主なテーマで国際的な比較を見ると、この25年間、日本は着実に下降線をたどっています。特に安倍内閣から以降は下降線の一途です。さらに近年の円安は、直近でやや円高に振れているもののトレンドでは今後も円安に推移すると筆者は推量しています。

スライド8なぜ、こうなったのか。円安が企業の決算に好結果をもたらし、空前の企業収益黒字を計上しています。製造業で持っている国が、円安で儲かっています。儲かったカネは内部留保で備蓄しています。その内部留保額は、日本の国家の予算のなんと2年分と推測されています。

国家の財政は借金だらけで、後生にこのツケを回しています。国家はさびれ、企業だけ潤っている。このような現状を国民はどう理解すればいいのか。

アベノミクスを総括できない

安倍政権以来の劣化は、様々な数字で明らかです。ひところアベノミクスという経済政策で期待感を抱かせましたが、当時から疑問視する経済学者やそれを報道する経済誌がありました。失敗だったという講演を構想研でもしていただきました。

しかしその総括がきちんとされていません。日本は、歴史的な事実をしっかりと残し、その教訓を学ぼうとしていません。沖縄返還の密使密約外交が典型的であり、アメリカの公文書公開、日本の密使になった学者の暴露本、それを裏付けるアメリカの数々の文書などがあっても、国家としては未だに密約はなかったということにしています。国民はもっと真摯に歴史と政治に向き合わなければなりません。

スライド12教育現場の劣化は、構想研創設25周年記念シンポジウムでも取り上げました。安西祐一郎先生は、「1000人の海外留学生計画、5年間で1500億円」という衝撃的な提言を発表しましたが、これも講演後の聴者からの感想の中で、共鳴者が多数いました。

スライド31また、一人一票になっていない現実をアメリカ、イギリス、フランス、ドイツなどと比較したデータをしめしました、日本を除いてはすべて一人一票になっていますが、日本だけ、少数の得票率で多数の議員を獲得しているいびつな状況を示しました。これにも多くの共鳴者がいました。

スライド40司法の劣化は、たびたび筆者が公言してきましたが、特に行政訴訟ではまず勝てない現実。裁判所は国会と行政に寄り添う判決を出して、本来の役割を放棄している現実を語りました。

スライド45 スライド48
この講演内容は、いずれもう一度、構想研究会などで行って、劣化に歯止めをかける国民的な運動につなげたいと思っています。


PEACE BOATで世界一周の旅ーその54

崩れるハーバード氷河を見る

船はアラスカのプリンスウイリアム湾内をクルーズしながら、次々と出てくる氷河を見せるため、停船しながら写真撮影のチャンスを作ってくれました。

湾内に注ぐ氷河には、ハーバード、エール、コロンビアなどアメリカ東部の名門大学の名前がつけられており、この日はハーバード氷河を眼前で観察する機会がありました。

★0IMG_7660 (2)氷河から落下してきたおびただしい氷塊が、海上を帯のように流れる光景は壮観でした。

★0崩れる直前2IMG_7663 (1)ハーバード氷河を見学するため、船はしばらく停船して写真撮影の機会を作ってくれました。氷河崩れ落ちる瞬間を見せようという試みです。崩れる直前の氷河です。

湾内にはおびただしい氷塊が流れています。岩石や土をこびりつかせた氷塊もあり、いかにもいま氷河から崩れてきたと言わんばかりの印象です。

14階のレストランに詰めかけてきた乗船客の間から「あ、あ、あーー!」というどよめきが、上がりました。目前のハーバード運河の一角が崩れてきた瞬間です。白い雪煙をあげて崩れ落ちるその瞬間を筆者も目撃できたのですが、カメラで捉えることは出来ませんでした。

ところが一緒にデッキで観察していたご婦人が見事にその瞬間を撮影しました。快く提供していただいたのでアップします。その方はたまたま、筆者のオカリナの師匠である徳江裕先生(元小学校校長先生)の奥様の春美様と分かり、その奇遇に驚き大喜びした瞬間でもありました。

 崩れ落ちる氷河の光景を見事、撮影したビデオは、ブログでアップが出来ないためFacebookにアップしました。そちらで見てもらえると嬉しいです。

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PEACE BOATで世界一周の旅ーその53

アラスカ湾に浮かぶおびただしい氷塊を見る

アラスカ州の最南端のケチカン接岸の翌日、さらに北行への航海が始まりました。次の寄港地はスワードで、この世界一周の航海の最後の接岸になります。船内では各種のイベント、趣味・道楽の集まり、文化・芸能活動、社交ダンス、楽器活動などの発表会が目白押しであり、船内はなんとなく慌ただしい雰囲気になっています。

船はアメリカ大陸の北側の入り組んだ沿岸の地形を見ながら北上していますが、長い歳月をかけて岩盤を鋭く削りとってつくったフィヨルド海岸と氷河から崩れ落ちてきた氷塊を見せるため、入り江に入って行きました。

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船の7階デッキで氷河をバックに撮影しました。氷河と落下した氷塊は綺麗なブルーに染まっており、雄大な景観に見とれました。この日は、大村智先生のノーベル賞物語を講演する直前、突然、氷河が見られるという情報でデッキに出てきました。スーツ姿で写っているのはそのためです。

陸を見ると岩盤だけの山と樹木の繁茂する山とに分かれて見えますが、山と山の間を縫うように引いて落ちる滝のような流れがあちこちに見えます。氷河が見えてきました。船内放送で簡単な説明があり、船はしばらく氷河の見える地点で停船して見物する時間を作ってくれました。

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氷河から崩れ落ちてきたおびただしい氷塊が、入り江からアラスカ湾へと出て行きます。地球温暖化が原因で氷河の崩壊が続いているということです。

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長い歳月をかけて氷河から削りとられた岩石の山は、見るからにゴツゴツした鋭い岩石に見えます。まだ植物はほとんど生えていませんが、いずれ緑の山に変革していくでしょう。何年かかるのか分かりませんが、地球規模の歴史とは、想像を絶するものであることを実感しました。

会場には、おびただしい氷塊が浮いて流れていきます。中には岩盤をつけた氷塊も浮いており、陽光の具合で青く澄んだ色の氷塊も見えます。

クジラを目撃した幸運者がいた

氷塊がぷかぷか浮かぶ北洋の海にクジラが回遊しており、乗船者の何人かはその様子を目撃していました。数頭の群れも見た人がおり、写真撮影はなかなか難しかったようですが、地球上最大の哺乳動物の実物を目撃できるのは、やはり感動するようです。

船が沖合に出ると次第に波が高くなり、本航海最大の揺れを感じています。

大村智先生の講演を行う

氷河を船上から見物した後、大村智先生のノーベル賞物語を講演しました。千円札に登場した北里柴三郎の伝記の講演の続きにあたるもので、北里がノーベル賞を逸してから115年目にその無念を果たした大村先生の業績を語りました。

4IMG_7091 (1)氷河を見物した後に講演会に参加した人も大勢いました。講演後に、大村先生の生き方と研究業績を初めて理解したという方がほとんどであり、先生の受賞から10年経ってしまうと、記憶から薄れてしまうことを感じました。研究業績だけでなく、人材育成でもすごい実績を残した生き方に、感銘を受けたようでした。

船での講演活動も残り1つとなりました。最後は「どうする日本 劣化し続ける国家と組織」のタイトルで締めくくります。チラシを作って配布していますが、多くの方から「是非、聞きたい」という期待の声をいただき、やや緊張して資料作りに取り組んでいます。


PEACE BOATで世界一周の旅ーその52

アラスカのケチカン(Ketchikan)に上陸

バンクーバーを離陸し中1日置いてアメリカ・アラスカ州の最南端の港町のケチカン町に寄港しました。

人口は8千人余、先住民族はサケ漁で暮らしていましたが、1887年に白人が入植してから急速に発展してきました。当初はサケの缶詰工場が主産業でしたが、金鉱山が発見されてからゴールドラッシュの時代もあり、いまはサケ漁の本拠地であり風光明媚な景観を売り物にした観光都市として栄えています。

通常、船が接岸するとその地を見学するツアーが計画されますが今回はツアーはないため、乗船客は一斉に上陸してそれぞれの思いで、街に繰り出しました。筆者は同乗者の提案で「木こりショー」を見学に行きました。

木こりがアメリカ・カナダチームと二手に分かれて、木を切ったり、丸太乗りで相手を蹴落としたり、木登り競争をする対抗戦です。観客がアメリカ・カナダびいきの二手分かれ、声援合戦を繰り広げるというアトラクションショーです。会場を揺るがすような大声援と歓声で沸き立ち、一緒になって楽しみました。

1IMG_7465木こりが演じるアトラクションは、観客席を巻き込んで楽しい対抗戦でした。

1IMG_7467木登り競争もあり、大声援の中で競演していました。

かつてはゴールドラッシュで沸いた町という名残りなのか、多数の宝石・装飾類を販売するきれいな店舗が目につきました。一応、見学を兼ねて入りましたが、筆者には宝石を鑑定したり鑑賞する眼もなく、値段を見せられては驚くばかりの高価なものばかりでした。

指輪、ネックレス、イヤリングなど、おびただしい商品が陳列されていますが、それにも値札はなく、買うふりをして値段を聞いてみると、大きめの電卓に数字を入れて見せます。ドル建ての値段ですから頭の中で計算すると、眼が飛び出すような高価なものばかりです。

1IMG_7476 (3)観光地だけに商店街は半分が宝石類販売の店舗でした。かつてのゴールドラッシュを思い出させましたが、値段の感覚が分からないので、お買い得なのかどうかさっぱり分からない値段ばかりでした。

 試しに電卓を取り上げて、示された数字の半値を入れてみたら、相手は「冗談ではない」と眼を丸くして大げさな仕草で返し、こちらと電卓の数字を交互に入れ合い、最初の値段の7掛けくらいまでまけてきました。こんな光景があちこちで展開されており、買わなくても大変友好的であり、楽しませてくれました。

1IMG_6909 (3)ランチはご当地の名物、キングサーモンとカニにしました。どちらも大変美味でしたが、値段はやはり割高感であり、それでもビールを飲みながら乗船仲間と外の景観を楽しみ、アラスカへの8時間の上陸を満喫しました。


PEACE BOATで世界一周の旅ーその51

メキシコから1週間かけてカナダのバンクーバーに接岸

人口約250万人のバンクーバーの港に着くと、ノルウェーとアメリカからの豪華客船2隻が先着で接岸しており、港周辺は上陸してきた観光客であふれかえっていました。人並みを整理していた女性に「どのくらいの人が上陸しているのか」と聞いても、首をかしげ、両手を広げるだけ。「大体、3000人かな」とつぶやくように言いました。

筆者は、その昔、バンクーバーには何度も来ていますが、その当時はこれほど観光客が押しかけていませんでした。その話は最後に触れたいと思います。

0IMG_741130年ぶりに降り立ったバンクーバー。背後にある船はノルウェーの客船で、NYでも一緒でした。

 スタンレーパークでロープウエイに乗る

ツアーに参加すると船からほどない距離のスタンレーパークに連れて行かれました。バンクーバー湾に面し鬱蒼とした森に囲まれた広大な公園です。バンクーバーは、豊富な森で生産される製材業と観光が主たる産業です。移動する大型バスも清潔でよく整備されていました。

このツアーの目玉は、パークからグラス・マウンテンの山頂に行く大型ゴンドラからの見物でした。山頂まで約10分の間、眼前に広がるパノラマは、遠くに広がるバンクーバー湾を臨んで、息を呑むような素晴らしい景観でした。

0IMG_7419写真のような大型ゴンドラで山頂へ。山頂からの景観は素晴らしいの一語でした。

0IMG_7422 (2)写真で撮影して見ても、実際の景観にはとうてい及びません。何事も実物に勝るものなしということでしょうか。山頂の景観を見ながら、配布されたランチボックスを広げて、しばし参加した乗船者らと歓談しました。

サケをシンボルとした環境運動

筆者は、40年ほど前にアメリカとカナダの行政マン、メディア関係者らと一緒になってサケをシンボルとした国際的な環境運動を展開したことがありました。サケは海から川に遡上し産卵して子孫をつないでいきます。日米加いずれも同じ習性であり、しかもサケが育つ海は北太平洋であり、共通の海で成長したサケたちが、3年後には生まれ故郷に向かってそれぞれの国に帰っていくというドラマチックな話で盛り上がっていました。

元々は、ロンドンのテムズ河が大西洋のサケの習性を利用して、汚濁したテムズ河の浄化キャンペーンにサケが再び遡上する河に戻そうという運動を展開したことを受けて始めたもので、日米加英の4カ国で同時期に始めた、地球規模の珍しい環境運動でした。

そんなことを思い出しながら、木こりが演じる木材切り競争などのアトラクションを見物したりしていうち、あっという間に帰途につく時間になりましたが、少々、時間に余裕があるので、港周辺の街に探索に出てみました。

0IMG_7415原住民文化の木彫りの作品が、至る所で見かけました。宗教的な意味は薄く、表札代わりに建てていたと聞いたことがあります。

手頃なビアホールを見つけたので、生ビールとサンドイッチを注文して街行く人の観察を始めました。バンクーバーの途上を走る乗用車の多くが昼間からライトをつけています。後でガイドさんに聞いたら、昼間でもライトをつけていると事故が少ないデータがあるので、最近はエンジンを入れただけで昼夜問わず自動的にライトがつく車になっているとのことでした。

また、横断歩道では赤信号を無視して渡っていくジェイル・ウオーキング(jail walking,

刑務所に行くような違法な横断)意外と多いことに気が付きました。これも地元の方に聞いたところ認めていました。日本人は、車が来なくても信号が変わるまできちっと守っています。日本人の美徳ではないかと思いました。


PEACE BOATで世界一周の旅ーその50  

オーバーランドツアーの興奮を再び知る

船旅も終盤に入ってきました。船内で行き交う人のお顔もほぼ知るようになり、お名前は分からないまでも、多くの方と目線で挨拶をするようになってきました。7階の中央ロビーのソファでゆったりと座っているとき声を掛けられました。西川(さいかわ)孝純さん(76)という方で、名刺をいただきびっくりしました。元共同通信社論説委員長を務めた方で、日常的に競い合うメディア関係者として健筆を振るっていた方と分かり、いわば同業者のよしみで様々な話題で話は弾みました。

リビングストンが発見したヴィクトリアの瀑布を見てきた

5月8日に南アフリカ(南ア)に寄港した際に3泊4日のオーバーランドツアーに参加して、世界三大瀑布の一つ、ヴィクトリア瀑布を見てきたというのです。しかも筆者が南アのサファリ公園で見た野生動物たちとはスケールが違う動物群の写真も見せられました。

筆者はヴィクトリア瀑布を是非とも見たかったのですが、オーバーランドツアーに申し込んだときはすでに定員満杯であり諦めていました。しかし西川さんはキャンセル待ちに登録していたので、出発数日前に船の中でアキが出たと報告を受けて勇躍参加したということでした。

筆者が少年時代「おもしろブック」という少年雑誌があり、巻頭に様々なカラーの絵巻を入れて大人気でした。その絵巻の中にイギリスのデイヴィット・リビングストンがアフリカ探検中にこの瀑布を発見し、ヴィクリトア女王の名前を瀑布につけたのです。

毎月連載されたリビングストンのアフリカ探検記事を夢中になって読み、今でもリビングストンが瀑布を目撃した光景の見開きの絵が記憶に残っています。

西川さんの撮影した数々の写真を見せられながら、アフリカ奥地で水煙と轟音を上げて爆流する瀑布を想像しては、行けなかったことに情けない思いをしました。

1瀑布DSC_1767
最大落差108メートル、轟音と共に滑り落ちる膨大な水量に、西川さんは度肝を抜かされたようです。「日光の華厳の滝を横に数十本並べたような迫力を感じました」とも語っていました。

DSC_1754ヴィクトリア瀑布をバックに金婚式記念写真です。こんな写真を見せられて、筆者は西川さんと同い年の奥様・治代さんご夫妻と一緒に行きたかったとの思いが募りました。キャンセル待ちをしておけば良かったと悔やみました。

 

雄大なサファリ公園もスケールが大きかった

瀑布に行く途中に国立公園のサファリを見学しました。ゾウ、キリン、カバなどアフリカ大陸に生息する大型動物の写真は、筆者が南アのサファリで見てきたものと大分、スケールが違っていました。

公園内を探検車でゆっくりと巡回しているとき、数メートル先のブッシュの中からゾウがぬっと出てきて驚いた瞬間もちゃんと撮影していました。

1ブッシュ像DSC_1694
数メートル先のブッシュからぬっと現れたアフリカゾウにはたまげたそうです。車上から静かに観察していると、ゾウは何事もなかったように去って行きました。

1カバカバの昼寝。餌は陸上の地べたに生えている草だけ食べているようです。草を食むときは、ひたすら地面を見ているだけですが、耳は発達しているので周囲の動きは音だけで判断し、しかも敏感だと言うことです。

1水浴びゾウ (2)

ゾウの水浴び。カバがいた水辺には、多くの動物と野鳥が群がり、動物天国でした。

1キリンDSC_1702キリンは遠くからでも目立つ動物です。ライオンなど肉食獣に襲われることもあるので、高い目線で監視しているようです。

金婚式と喜寿の前倒しのお祝い

西川さんはリタイアして世界一周を思いつき、PEACE BOATに乗船しました。政治部の記者時代、癌を告知され、リンパ節腫大の摘出手術を受けましたが、これを乗り越えた時期もありました。ご夫妻の金婚式がちょうど航海中にぶつかるので、そのお祝いもかねて乗船しました。金婚式当日の5月17日には、船のレストランでお祝い会をしていただき、シャンペーンを抜いて楽しんだそうです。ご夫妻はそろってことし76歳ですから、数えは77歳の喜寿です。祝い事は前倒しでやりますから、西川さんご夫妻の金婚式と喜寿は二重のお祝いだったのです。

さて、費用のことですが、オーバーランドツアーはお一人60万円ということで、ご夫妻で120万円でした。しかしそのコストに見合う光景を目蓋に焼き付け、楽しい旅の体験を身体に染みこませてきたことが、筆者との会話からにじみ出ていました。

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PEACE BOATで世界一周の旅ーその49

世界一周旅行の仕組みを知る

PEACE BOATは世界一週の旅をうたい文句にしています。確かに豪華客船に乗船し100日間ほどかけて世界を一周するようにはなっています。しかし乗船してみてよく分かったことは、各地に寄港して上陸する日数はごく僅かであり、大半は船の中にいることでした。

そんなことは乗る前から分かっていたことだろうと言われると思います。しかし実感として初乗船者には分かりませんでした。乗っているうち気が付いたことは、寄港地で上陸して各種ツアーに参加できることだけではなく、「オーバーランドツアー」と呼ばれる、特別仕立てのツアーが用意されており、それに参加すると、寄港地で上陸すると1週間から10日くらい、飛行機で移動しながら各地を見物できるツアーがありました。船が先に行って寄港する港へ飛行機で追いかけていって合流し、再び乗船してくるという仕組みです。

申し込んだが満杯で諦めた

PEACE BOAT乗船申し込みをした後、様々な情報が郵送されてきましたが、乗船するのは先の話だからろくに読みもしないでいました。それが失敗の第一でした。オーバーランドツアーを知って、慌ててネットで申し込んだときには、筆者が希望するコースは人気があるらしく、5コース申し込んですべて満杯になっていました。諦めずに空席待ちにしておけば、チャンスがあったかもしれません。

参加者に伺ったオーバーランドツアーの醍醐味

最も行ってみたかったのはダーウインのガラパゴスでした。そこへ参加した千葉県出身の田中陽子さん(68)(仮名)は、船内の「ダンスの教室」の友なので、行ってきた話をうかがいました。そのお話と提供された写真を紹介します。

28437CDD-4235-4AE3-9730-875B63DDAAADガラパゴス諸島は、自然を守るために厳しい観光ルールがあり、諸島に上陸する際も人数や時間が制限されていました。小型ボートに分乗して無人島に上陸して自然にどっぷり浸かりました。

 

イグアスの歓迎、野鳥の楽園

印象に残ったことを次々と話してくれました。まずガラパゴス諸島の中心部にあるサンタ・クルズ島にエクアドルから飛行機で渡りましたが、早速、イグアナ君の歓迎にあいました。あちこちにイグアナがいましたが、どれもこれものんびり寝転んでいる風で、人間のことなど眼中にないようです。

それは諸島に生息する野鳥や他の動物たちにも共通の行動であり、人間は1メートル半内に近づいてはダメというルールがありましたが、その至近距離に行っても逃げも隠れもしない。その自然生息状態に感動したということでした。

090C792B-9705-418F-984B-798B2BFCE288色鮮やかなブルーの「下着」と思いきや、青い足を見せて抱卵中の「アオアシカツオドリ」。人間の姿に警戒する様子はなく、野鳥の楽園でした。

7784C219-0556-4C41-A6A7-183A4E9E7AFBイグアナ君は自然溶け込んでおり、思わぬところから顔を出します。餌をやれば食べに来てくれそうですが、それはルール違反。見物する人間と彼らは共通の空間で過ごしていることを実感しました。

島の若者たちと植林活動をする

この島には、他からの移住者は住むことが出来ないそうです。島で生まれ育った人たちが、観光事業を生業にして、自然と共に生活しているということでした。ツアーに参加した23人の人たちとたちまち「親戚付き合い」となり、島のコーヒー園に付属している植物相を見学し、ダーウイン記念館を見聞し、樹木の植林をして大いに楽しみました。

EBFB85D6-A4C0-4078-B75B-8B138655E41D島の若者たちと一緒に植林活動。植林する人は、なにがしかのお金を払って次世代への基金になるような仕組みになっていました。

77D8B508-9A53-455D-9E6B-8C30FC512DB1ガラパゴスといえば、陸上を闊歩するゾウガメです。しかし強い日差しにたまりかねたのか、水浴びする珍しいゾウガメを撮影しました。

 

多くの生物群の食料になっているサボテン。熱帯地方の島の命となっていました。

 いったい費用はいくらなの?

オーバーランドツアーの費用は、航海中の費用とは無関係ですべて別途の持ち出しです。ニューヨークから船と分かれ、太平洋のガラパゴス諸島で観光して空路パナマに戻ってきて本船と合流します。8泊9日で64万9千円。ホテル・食事・交通費すべてです。ガラパゴス諸島には4泊しました。

陽子さんは、大手企業に定年まで勤務してリタイア後は、好きな旅行を楽しんでいるとのことです。PEACE BOATには今回、3回目の乗船であり、うまくオーバーランドツアーにも参加できた嬉しさが伝わってきました。

ED6B6F60-591C-4F0D-BB23-2A26F712030Eさらばガラパゴス。野鳥の楽園にも別れを告げ、何度も振り返りながら帰途につきました。

「たくさんの写真を撮ってきました。孫たちに大自然に生きている動植物の命と地球の命の尊さを話し、聞かせたいと思っています」

船内では、あっちでもこっちでも、そんな話が広がっています。共に楽しむ旅のひとコマであり、これもまた船旅の風景にもなっています。