最初の寄港地・深圳(シンセン)で事件勃発
神戸港を出てから2日余で中国の深圳に接岸しました。最初の寄港地であり、ここから中国人乗船客が多数、乗ってきます。
深圳は常に、中国近代化のトップ引きとなって発展している大都市で、広東省の省都でもあります。ほぼ10年ぶりの訪問なので、都会の様相がどのように変わったか期待していましたが、港の周辺をバスと徒歩で2時間ほど回っただけなので深圳の全貌は窺いべくもない短時間でした。
深圳の港の一角は観光客で賑わっていました
経済特区で売り出した都市ですが、筆者の専門分野の知的財産施策でも、常に特区扱いで新施策が導入され、たびたび北京の中央政府の先を行く知財推進政策や助成金制度などを断行し、話題になってきました。往時の深圳発展の出来事を思い出しながらビールを一杯飲み、さて船に帰還する時間になって「事件」が勃発しました。
日本のVISAカードは使えない
レストランに入るとき、受付の女性にVISAカードを見せて、これで勘定はできるかと聞いたところ、問題ないという回答。そばにいた男性従業員も、同意の意思表示です。
簡単なおつまみとビールで、こちらはいい気分です。昔、中国ではビールを冷やして飲む習慣がなく、飲むときはあらかじめ冷やしておくように注文したことを思い出しました。ビールを常温で飲むのは旧ソ連のロシアも同じでした。いまは黙っていても、冷えたビールが出てきますが。
さて、船に帰るバスの時刻も迫ってきたところでお勘定となり、カードを挿入して暗証番号を入れたところで拒否されました。何度やっても受け付けない。筆者は、現金ゼロ、クレジットカード一枚だけで下船したのでさあ、困った。中国では、日本のクレカは使えないことが多いとアドバイスを受けてことを軽視していた失敗です。
とっさに北京に駐在している、JST(国立研究開発・科学技術振興機構)の米山春子さんを思い出し、WeChatで連絡するとうまくつながりました。WeChatは、中国独自のSNSです。日本のラインのような存在であり、中国圏に入ったとたん、国家の方針でPEACE BOATのWi-Fiは繋がらなくなり、ラインもメールもまったく使えません。命の綱はWeChatだけなのです。筆者は、このサイトができた当時から使っているので、大助かりでした。
「文無し」の事情を米山さんから話すように、レストランの女性にスマホを手渡しました。米山さんが自分のデジタル口座で支払うことを申し出て、なんなくこの事件は解決となりました。
JST時代、春子さんとは中国総合研究センターで、日中科学技術交流、さくらサイエンスプランなどで日中両国の反日・反中勢力を乗り越えながら交流推進に取り組んだいわば同志です。こういうときこそ、一番頼りにする仲だったのです。地獄に仏とはこのことです。
筆者は飲み逃げ同然で急いで帰りのバスに駆け込みました。その直後、北京にいる米山さんと深圳のレストランが通信のやりとりをし、いとも簡単に勘定が払われたのです。その勘定書きのWeChat画面をバスの中で見たときは、感動しました。「やったね、中国!」という気分でした。
日本でもこういうことができるのでしょうか。寡聞にして知りませんが、ネット社会、デジタル時代の実用化では、中国の方が日本を超えていったことは10年ほど前から知っていました。ああ、中国が先を行くと何度も思ったものです。キャッシュレス時代の先頭を切った国であることは、間違いないことを自分の体験で確認したような気持ちでした。
PEACE BOATって何だ
出発前、船に乗る話をすると決まっ聞かれるのが「PEACE BOATって何だ」という言葉です。ピースボートって聞いたことはあるが、それがどのような組織で運営されているのか。拠点は日本なのか外国なのか、旅行会社なのかNGOなのか。筆者を含め、多くの人が曖昧なままになっています。
船の全景を撮影するのは無理。船尾の方だけ入れました
この機会に急いで調べて、筆者なりに分かりやすく整理してみました。
- イタリアで建造された客船「パシフィック ワールド号」を41年前に組織された日本の国際NGO・PEACE BOATがチャーターして運営する「船旅で世界の人と人をつなぐ」活動です。
- 船のサイズは、7万7400トン、全長261m。15階建てビルを乗せたような巨船で、2か所で数台のエレベーターを動かし、4層吹き抜けのアトリウム空間は、船内とは思えない豪華な空間です。
- 一流ホテル並みの設備を備えており、教養、娯楽、趣味、スポーツ、音楽など広範囲なプログラムが常時、走っていて乗船客を退屈にさせません。PEACE BOATスタッフが、すべてサポートしていますが、乗船客が自主的に企画したイベントも目立ちます。
- 船舶を利用して世界中を航海し、異なる文化や国々の人々との交流を促進します。参加者は、船上でのワークショップやディスカッション、文化交流イベントなどを通じて、相互理解や国際協力の重要性を学びます。
- 1983年の出航から今回の117回航海まで延べ8万人の人々が世界中の250を超える港に停泊して大自然や世界遺産を見学、それぞれの国や地域の人々と交流してきました。世界の平和、人権、地域紛争、核や環境問題と真摯に向き合うリベラルな姿勢が強く、国連の特別協議資格を持っています。
- 今回のVoyage117の乗船状況は、大まかにまとめると次の通りです。
20か国・地域以上にまたがる乗客1300人とスタッフ600人が乗船。
乗客の男女比は7対3で女性優位。
乗客の年齢別構成は以下の通りです。
30歳以下 18%
31-60歳 10%
61-79歳 63%
80歳以上 9%
最高齢は95歳で2人
平均年齢は、筆者の想像では70歳代前半かなと思います。
自由な雰囲気で健康歓談する
乗客同士は、非常にフランクな付き合いです。レストランに行けば、案内人が相席させて客同士のコミュニケーションが自然にとれるように配慮しています。名刺交換などの挨拶もなく、自己紹介を印刷した名刺や紙を出す人もいますが、それはまれです。筆者も知人のアドバイスで自己紹介の名刺をPCで作成して持っていますが、それを出す機会はほとんどありません。
口火となる話題は、出てくる料理や食べ物から始まり、決まって健康の話、病気の話へと発展します。年配者が多いので自然そういう流れになりますが、面白いのは健康を自慢する人はおらず、大体はいかに健康維持が難しいかを語って聞かせ、相ずちをうち、距離感がなくなり、それから話題は世の中の出来事へと発散していきます。
自分の経歴や体験を話す人はまれですが、話せば決まって興味があり引き込まれていく内容なので、座は一気にまとまり散会するときには10年の知己になるという雰囲気です。
社会的地位や学歴や職歴などとは無関係で、お互いにフラットな立場で自由に発言できる不思議な空間を作っています。
さらば深圳
船の最後尾から深圳に別れを告げました
ここまで書いたところで船は深圳を離れて一路、シンガポールへと向かいました。