第125回21世紀構想研究会は、筑波大学名誉教授で、2000年に導電性のポリマーの発見と開発でノーベル化学賞を受賞した白川英樹先生が「科学は日本語で考えることが重要」とのタイトルで講演しました。
白川先生は、タイトルの「日本語」の部分を「母国語」に入れ替えて、これを一般化した形で話を進めました。
最初にこのようなことを考えたのは、2000年10月にノーベル賞受賞が発表された直後、外資系の経済誌の記者から、アジアで日本人のノーベル賞受賞者が多い理由をきかれたことでした。
なぜ日本人が多いのか。意表を突かれたこの質問に白川先生はとっさに「他のアジア諸国と違って、日本では理科や自然科学は母国語である日本語で書かれている教科書を使い、日本語で学んでいるからではないか」と答えました。
しかしこの回答が正しかったかどうか長い間、白川先生の心に残っていました。 2000年までのアジア人のノーベル賞受賞者を調べてみると、11人の受賞者のうち自国で学び研究したのは、1930年に物理学賞を受賞したインドの Sir C. V. Ramanと湯川秀樹、朝永振一郎、江崎玲於奈、福井謙一、利根川進そして自身の白川先生を含めて7人でした。
それ以外の4人は、外国語で学び研究した受賞者でした。このようになったのは、「他のアジア諸国と違って、日本では理科や自然科学は母国語である日本語で書かれている教科書を使い、日本語で学んでいるからではないか」と考えていましたが自信が持てずにいました。
ところが作家の丸谷才一さんが、一つの道筋をつけてくれました。朝日新聞夕刊 2002年7月31日の文化欄に、「考えるための道具としての日本語」と題する論評を発表して掲載されたのを読んで、これだと思ったのです。丸谷さんは 「言語には伝達の道具という局面のほかに、思考の道具という性格がある。人間は言葉を使うことができるから、ものが考えられる。言葉が存在しなかったら、 思考はあり得ない」と主張していました。
さらに最近になって山極寿一京都大学学長が、大学生活の4年間に日本語でしっかりと考えることが大事だという主張していました。(2015年10月21日付け、日本経済新聞朝刊)
もちろん、英語は国際語になっており、コミュニケーションにも情報収集にも非常に大事であることを白川先生は主張しています。英語を軽視するということではないと、何度か語っていました。
このように白川先生は、このテーマの趣旨を主張し、飛鳥・奈良・平安時代 遣隋 使・遣唐使などによって中国から仏教の経典等の収集、中国の先進的な技術を取得したのがまず歴史的な外国文化導入の端緒になったと説明。その後も諸外国の 文化や科学技術情報を翻訳して取り入れてきた歴史と、江戸時代の寺子屋が町人の子弟を対象とした読み書きやそろばんを習得させ、藩の子弟を教育する藩校な ど優れた教育システムが日本語を文化の中心に位置付けたと解説しました。
また、松尾義之氏の「日本語の科学が世界を変える」(筑摩書房、2015年)を紹介し、日本語による素晴らしい発想や考え方や表現は、英語が持ちえない新しい世界観を開いていく可能性が高い、これこそが日本の科学だとの主張を紹介しました。
そして科学を実践するために必須な「よく観察する、よく記録する、よく調べる、よく考えることを、日本語を思考の道具として使ってきた」とする主張に共鳴していることを紹介しました。
白川先生の日本語と科学の深い関連を歴史的に解き明かした主張は大変、刺激的でありフロアの皆さんに大きな感銘を与えました。 この後、フロアとの質疑応答、討論、意見表明などが活発に行われ、とても熱気ある講演会でした。
文責・馬場錬成