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2016年3 月

数学者・秋山仁先生の出版記念パーティ

 

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 数学者として異才を発揮している秋山仁先生の出版記念パーティが、3月26日、東京・墨田区吾妻橋のアサヒビール・ゲストルームで盛大に開催されました。
 これまで共著を含めて出版した点数は何と276点。うち単著だけで200点に達したので、その区切りに研究者仲間や友人らが集まってパーティを開いたものです。
 区切りとなった200冊目の本は、英文の「Treks into Intuitive Geometry」(直観的幾何学の旅)で、動物形状などから各種細工や立体図形を幾何学的な要素で解析した本です。本格的な数学書でありながら、解説は 楽しい会話形式にしたユニークな教科書にしている。おそらく世界で初めての本だろう。オリジナルにこだわる秋山先生らしい立派な本に度肝を抜かれてしまっ た。

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 定番の出版パーティとは全く違った趣であり、まず由美かおるさんが数学講談「坊っちゃん外伝」を熱演しました。講談師としてデビューしても通じるプロは だしの技能に唖然としてしまった。さすがに由美さんです。この講談に合わせて、秋山先生が得意の仕掛け細工を披露し、アコーディオンの二人演奏で締めくく りました。いつもながらアコーディオン演奏は聴いていて本当に楽しい。

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 続いてゲスト出演の桂歌助師匠の小噺・掛け合い、そしてジャズ歌手の祥子さんの歌と続いてとにかく最後まで楽しい出版パーティに圧倒されてしまいまし た。秋山先生はやはり天才です。人を楽しませる才気と学問を追及する学才を併せ持った稀有の才人であることを見せつけられました。

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第125回・21世紀構想研究会の報告

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 第125回21世紀構想研究会は、筑波大学名誉教授で、2000年に導電性のポリマーの発見と開発でノーベル化学賞を受賞した白川英樹先生が「科学は日本語で考えることが重要」とのタイトルで講演しました。

 白川先生は、タイトルの「日本語」の部分を「母国語」に入れ替えて、これを一般化した形で話を進めました。

 最初にこのようなことを考えたのは、2000年10月にノーベル賞受賞が発表された直後、外資系の経済誌の記者から、アジアで日本人のノーベル賞受賞者が多い理由をきかれたことでした。

 なぜ日本人が多いのか。意表を突かれたこの質問に白川先生はとっさに「他のアジア諸国と違って、日本では理科や自然科学は母国語である日本語で書かれている教科書を使い、日本語で学んでいるからではないか」と答えました。

 しかしこの回答が正しかったかどうか長い間、白川先生の心に残っていました。 2000年までのアジア人のノーベル賞受賞者を調べてみると、11人の受賞者のうち自国で学び研究したのは、1930年に物理学賞を受賞したインドの Sir C. V. Ramanと湯川秀樹、朝永振一郎、江崎玲於奈、福井謙一、利根川進そして自身の白川先生を含めて7人でした。

 それ以外の4人は、外国語で学び研究した受賞者でした。このようになったのは、「他のアジア諸国と違って、日本では理科や自然科学は母国語である日本語で書かれている教科書を使い、日本語で学んでいるからではないか」と考えていましたが自信が持てずにいました。

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 ところが作家の丸谷才一さんが、一つの道筋をつけてくれました。朝日新聞夕刊 2002年7月31日の文化欄に、「考えるための道具としての日本語」と題する論評を発表して掲載されたのを読んで、これだと思ったのです。丸谷さんは 「言語には伝達の道具という局面のほかに、思考の道具という性格がある。人間は言葉を使うことができるから、ものが考えられる。言葉が存在しなかったら、 思考はあり得ない」と主張していました。

 さらに最近になって山極寿一京都大学学長が、大学生活の4年間に日本語でしっかりと考えることが大事だという主張していました。(2015年10月21日付け、日本経済新聞朝刊)

 もちろん、英語は国際語になっており、コミュニケーションにも情報収集にも非常に大事であることを白川先生は主張しています。英語を軽視するということではないと、何度か語っていました。

 このように白川先生は、このテーマの趣旨を主張し、飛鳥・奈良・平安時代 遣隋 使・遣唐使などによって中国から仏教の経典等の収集、中国の先進的な技術を取得したのがまず歴史的な外国文化導入の端緒になったと説明。その後も諸外国の 文化や科学技術情報を翻訳して取り入れてきた歴史と、江戸時代の寺子屋が町人の子弟を対象とした読み書きやそろばんを習得させ、藩の子弟を教育する藩校な ど優れた教育システムが日本語を文化の中心に位置付けたと解説しました。

 また、松尾義之氏の「日本語の科学が世界を変える」(筑摩書房、2015年)を紹介し、日本語による素晴らしい発想や考え方や表現は、英語が持ちえない新しい世界観を開いていく可能性が高い、これこそが日本の科学だとの主張を紹介しました。

 そして科学を実践するために必須な「よく観察する、よく記録する、よく調べる、よく考えることを、日本語を思考の道具として使ってきた」とする主張に共鳴していることを紹介しました。

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 白川先生の日本語と科学の深い関連を歴史的に解き明かした主張は大変、刺激的でありフロアの皆さんに大きな感銘を与えました。 この後、フロアとの質疑応答、討論、意見表明などが活発に行われ、とても熱気ある講演会でした。

文責・馬場錬成

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黒川清「規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす」(講談社)

 イントロの書き出しを引用します


 志が低く、責任感がない。
 自分たちの問題であるにもかかわらず、他人事のようなことばかり言う。普段は威張っているのに、困難に遭うと我が身かわいさからすぐ逃げる。 
 これが日本の中枢にいる「リーダーたち」だ。

 政治、行政、銀行、大学、どこにいる「リーダー」も同じである。日本人は全体としては優れているが、大局観をもって「身を賭しても」という真のリーダーがいない。国民にとってなんと不幸なことかー。

 福島第一原子力発電所事故から5年が過ぎた今、私は、改めてこの思いを強くしている。(引用終わり)

 黒川清先生は福島第一原発事故の国会事故調査委員会の委員長として600ページの調査書をまとめ上げた。その調査過程で、原発に向き合う日本の行政は、世界の非常識になっていることも報告されている。いま読みはじめたところだが、必読の書になるだろう。

 

規制の虜 黒川清

 

石原慎太郎「天才」(幻冬舎)は田中角栄の実像を限りなく語った本である

天才・石原慎太郎

 田中角栄は一代の英雄である。戦後政治家の中でこれほど存在感を出した政治家はいない。なぜか。

 角栄が日本政治の中枢で活動していたころ、「コンピュータ付きブルドーザー」と言われるように、瞬時に判断力を発揮して実行する政治家として、誰もが認めていた。そしてそれ以上に多くの人を惹きつけた魅力は、日本の民族的なにおいをふんぷんとさせた人情家であったからだ。

 新潟県の雪深い馬喰の倅が、学歴もなく東京に出てきて土建業を営み、ひょんなことから政界に打って出ていく。たぐいまれな才覚を発揮して、たちまち政界の寵児となり、弱冠39歳で郵政大臣として登用される。裸一貫で中央に出てきて、実力だけでのし上がった稀代の政治家であったことは間違いない。

 その角栄に「金権政治家」のレッテルを貼り、糾弾してきた石原慎太郎が、角栄になり替わってこのような小説を書くとは、意表をついて余りある所業だったので、一応読んでみた。慎太郎の小説の中では、ノンフィクション・ノベルのジャンルの作品になるのだろうが、予想に反して傑出した出来栄えであった。

 それは多くの資料に裏打ちされた史実に基づいた小説というだけではなく、自身が角栄と共に同時代に政界のど真ん中で活動してきた履歴に基づいた内容になっているからである。慎太郎が「あとがき」で語っているのを読むと、政治家の現役時代に角栄を金権政治家として糾弾したことがあっても、角栄の人物の大きさには勝てなかったことが問わず語りに書いている。

 この小説で知り得た筆者の確信は、角栄はやはりアメリカの陰謀に葬り去られた政治家だったということだ。慎太郎はいまになって角栄を「天才」とあがめながらこの小説を書いたところに、慎太郎の真価があるとも言えるだろう。読んでいてあの時代のあの頃を思い出しながら、稀代の英雄をあのような形で失ったことを改めて思いおこした。

 と同時に、二世、三世の政治家が跋扈する今の政界の底の浅い劣化した現場に改めて思いを致し、暗然となった。

 


自民党の知的財産戦略調査会の小委員会で陳述する

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 3月8日、自民党本部で開催された知的財産戦略調査会(会長・保岡興治衆院議員)産業活性化に関する小委員会に呼ばれて、産学連携についての意見を陳述する機会があった。

 筆者に対するテーマは、特にノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智先生が1973年にメルク社と交わした産学連携の内容について、そのいきさつと内容を説明し、研究現場の参考にしようという目的である。準備していったレジメをもとに当時の契約の内容と、大村先生の研究哲学について説明した。

 当日のレジメは次の通りである。

独自の契約で250億円の研究費を獲得した

大村智博士(2015年ノーベル生理学・医学賞受賞)の産学連携戦略

 

馬場錬成(特定非営利活動法人21世紀構想研究会理事長、元東京理科大学知財専門職大学院教授、元読売新聞論説委員)

 

大村方式(オオムラ・メソッド)が生まれた背景

大村智先生の研究哲学

  • 大学の研究者は学術研究だけで満足するのでは社会貢献したことにならない。研究成果が世の中の役に立たなければ研究している価値がない。
  • 学術的な研究成果を企業に提供して実用化に役立て、その代償として研究費を提供してもらう。

 1971年 アメリカのウエスレーヤン大学に客員教授として留学。

 1973年 帰国する際に、メルク社と交渉。

アメリカの「バイドール法」(大学で生まれた技術を企業に容易に移転する仕組みの法律)が成立したのは1980年。その7年前の1973年に大村先生は、いまでいう産学連携の仕組みを考え、アメリカのメルク社と契約を結んだ。

メルク社との契約要旨

1 北里研究所とメルク社は、動物に適合する抗生物質、酵素阻害剤、および汎用の抗生物質の研究・開発で協力関係を結ぶ。

2 北里研究所のスクリーニングおよび化学物質の研究に対し、メルク社は年間8万ドル(1ドル=360円、約2880万円)を向こう3年間支払う。

3 研究成果として出てきた特許案件は、メルク社が排他的に権利を保持し、二次的な特許権利についても保持する。

4 ただし、メルク社が特許を必要としなくなり北里研究所が必要とする場合は、メルク社はその権利を放棄する。

5 特許による製品販売が実現した場合は、正味の売上高に対し世界の一般的な特許ロイヤリティ・レートで、メルク社は北里研究所にロイヤリティを支払う。

  この方式はアメリカの研究現場でも話題になり「オオムラ・メソッド」と呼ばれるようになる。

リスクを分け合った両者

メルク社のリスク

 多額の研究助成金を出しても、何も成果が出ない可能性がある。

大村先生のリスク

 研究成果に見るべきものがなければ、メルク社と世間の信用を失い、研究者としての生命がなくなる。

大村先生の頭を常に離れなかった言葉

  • 「実学」(理論ではなく実践で成果をあげること。北里柴三郎の遺訓)
  • 「人に役立つことをしなさい」(幼少のころ教育を受けた祖母の言葉)

大村先生は、研究過程で進路に迷ったとき、どっちへ向かった方がより人に役立つ研究になるかと考えるキーワードにしていた。

  • 至誠天に通ず(孟子の言葉。努力をすれば必ず報われる)
  • 一期一会(利休の教え。Tea ceremony の教えのOne encounter, one chanc。どのような出会いでも一生に一度の出会いと思って接してきた。微生物との出会いも同じことだ。「研究で特別なことをやったわけではない。茶道の教えを常に守り、研究を続けてきた」とノーベル賞記念講演でこれを語り、会場を揺るがすような万雷の拍手を浴び、世界中の科学者に感銘を与えた)

 土壌1グラムの中には、1億個以上のバクテリアが生息している。

 このバクテリアの産生する化学物質の中から創薬につながるものが必ずあるはずだ。

 効率よくその化学物質を探索(スクリーニング)する研究体制を構築しよう。

  • 微生物の分離・培養・育種・保存
  • 化合物の分離・精製・構造決定・活性評価
  • 有機合成・化学修飾

 この3つの研究グループを作り、チームワークで効率よく探索する体制を作った。このようにチームを組んで1つの目的を追求するのは日本人に向いている。

 日本全国から土壌を採取。年間2000種以上のバクテリアの菌株を分離し、バクテリアの産生する有用な化学物質を探した。

大村先生の研究成果

バクテリアの産生する化学物質 400種以上を抽出

有用な化学物質 32種類を分離

ノーベル賞に結びついたオンコセルカ症(河川盲目症)の特効薬につながったイベルメクチンもその1つ。静岡県伊東市川奈のゴルフ場付近から採取した土壌に生息していたバクテリアが産生していた。

このほかにもセルレニン(脂質阻害剤)、ラクタシスチン(タンパク質分解の特異的な阻害剤)、スタウロスポリン(リン酸化酵素の阻害剤、抗がん剤の開発などで利用)など、世界中の研究室で使われている試薬を多数発見した。

大村先生は、ノーベル化学賞を再び受賞するチャンスがあるだろう。

大村先生の研究勘

  • 人間の抗生物質の研究では勝ち目が薄い。動物抗生物質なら未開拓だ。

    動物に効く薬剤を開発すれば、必ず人間にも効くはずだ。

  • ロイヤルティにこだわる

   メルク社は、エバーメクチンが家畜動物に効くことを確認した後、特許を一括3億円で買いたいと提案。大村先生は乗らなかった。

  • メルク社からだけで総額215億円。その他の企業から35億円のロイヤルティを獲得

 使い道:研究資金、奨学資金。埼玉県北本市に北里大学メディカルセンター病院を建設。韮崎大村美術館建設。山梨科学アカデミーの創設。

ノーベル賞の賞金からすでに東京理科大学、山梨大学に各1千万円を寄付。

 大村先生の研究人生から得られた教訓

  • 研究費を獲得するには、リスクを背負う覚悟が必要。本気度の勝負だ。
  • リスクを背負うとは失敗を恐れない。失敗の先には必ず成果が待っている。
  • 企業が何を要求しているかを正確に見定める。
  • 企業の先にいる消費者、国民が何を求めているかを常に見ている。
  • 研究を経営するとは、人材を育てることだ。やる気のある人を引き上げる。

高卒の研究補助員を認めて博士学位を取らせ、最後は教授、学会会長になる。(高橋洋子先生の例)

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 これまでの取材体験、東大TLO社長・山本貴史氏からの取材から得られた産学連携推進戦略に関する若干の提言

  • 地域イノベーション戦略で産学の役割が「地域輿し」にとどまっているテーマがある。地域輿しの産学連携と真のイノベーション振興の産学連携とは違うので峻別して政府は支援するべき。
  • 産学連携の評価基準は①共同研究、②受託研究、③ライセンス件数、④ロイヤルティ金額、⑤ベンチャーの起業数などを重視するべき。従来は、組織の在り方、特許出願件数、論文数、全体の売上額などになっている。
  • エンジェル税制の拡充(法人適用)

 企業が、ベンチャー投資した額に対して税金の控除枠(例えば5億円を上限)を設定する。一時的な減税ではあるが、投資を受けたベンチャーが成功すれば結果として税収は増える可能性がある。(山本貴史氏の提言)

  • 技術移転、産学連携を先導する人材の育成が急務。

 世界に認められる技術移転のプロの養成が急務。RTTP(Registered Technology Transfer Professional)という技術移転プロの認定制度も生まれており、日本は乗り遅れてはならない。従来の日本は、企業や大学や行政のOB,OGが多い。年配者が支配。若い専門職を育てる必要がある。

 

 


沖村憲樹さんの中国の国際科学技術協力賞受賞の祝賀会

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 中国の「国家国際科学技術協力賞」を授与された沖村憲樹さん(JST特別顧問、さくらサイエンスプラン推進室長)をお祝いする会が、3月8日、東京・一橋の如水会館で開催された。

 祝賀会の発起人は、尾身幸次(STSフォーラム理事長、元財務大臣)、高村正彦(衆議院議員、自由民主党副総裁)、有馬朗人(武蔵学園学園長、元文部大臣、元東京大学総長)、土屋定之(文部科学事務次官)、濵口道成(科学技術振興機構理事長、前名古屋大学総長)氏であり、沖村さんの広い人脈を物語るように、政官界、学界などから多くの人がお祝いに駆けつけ、行政官として異例の受勲を受けた沖村さんをお祝いした。

 今回の受賞はブログでも紹介してきたので、賞の内容や受賞の意味については繰り返さない。ここでは、出席者に配布された沖村さんのお礼の言葉と一緒に入っていた、中国の科学技術の動向について触れたい。

 というのも、沖村さんは早くから中国の発展を予想し、これからの日本は、中国の科学技術研究と協調してアジアや世界の発展に貢献することが重要であるとことあるごとに主張してきた。

 科学技術は、イデオロギーを超えて人類の福祉に貢献できるものであるから、中国と共生できるというのが沖村さんの考えである。

 その考えを出席者に伝えようと配布されたのが、この日の「引き出物」の文書であり、折りたたんだ大きさは内ポケットに入るように工夫されていた。そのさわりの部分を紹介したい。

急進的に拡充する中国の大学・研究現場

 2013年の日中の大学数を比較すると中国が4745校に対し日本は1141校である。大学生と大学院生の合計は、中国が1674万人に対し、日本は282万人であり、日本の約6倍である。当然ながら高等教育への投資額も27兆円以上であり、日本の8兆7000億円の3倍以上である。

 人口比は中国の方が10倍以上多いから、この程度の差は当然だという意見もあるかもしれないが、中国政府は重点大学を選択的に指定し、そこへ集中投資する戦略を展開している。

 1993年に指定した「211工程」は、世界的レベルの大学を目指すように112大学を指定し、重点的に投資してきた。

 1998年に当時の江沢民主席が提唱した「985工程」では、ハーバード大学、オックスフォード大学並みの世界一流の大学を目指すように39大学を指定している。最先端の研究設備や機器を備えた世界トップクラスの研究型大学の構築を目指したものだ。

 実際に中国の大学を訪問するとその規模の雄大さと勉強や研究に取り組む学生のエネルギーに圧倒されることが多い。中国から出ていく外国留学生は年々増えており、受け入れる留学生も急増している。

 次の表は、2011年の米国大学院博士取得者数である。世界中で優秀な中国人留学生が活躍している。

国名

博士号取得者数

1.中国

3978人(29%)

2.インド

2161人(15%)

3.韓国

1442人(10%)

8.日本

243人(2%)

 

 独特な中国のサイエンスパーク

 中国の大学にはサイエンスパークという独特の産学連携システムがある。主要94大学のサイエンスパークの総売り上げは7794億円である。中国を代表する清華大学のサイエンスパークには、世界中のトップ企業が集まっている。

 また大学が企業を経営しているのも中国流である。これを校弁企業と呼んでおり、北京大学の校弁企業の方正集団有限公司の売上高は、OECDの購買力平価計算によると1兆7703億円であり清華大学の同方股份有限公司は、9892億円である。

 中国の552の大学が5279のベンチャー企業を保有している。

 中国にはこのほかに世界に類をみないハイテクパーク政策があり、国家だけでなく地方政府や自治体の下で2000以上のハイテクパークが活動をしている。

 原子力、宇宙、海洋開発などビッグプロジェクトはすでに先進国に追いついており、きわめて高水準の観測衛星を多数打ち上げている。2012年には、「神舟」9号(3名の宇宙飛行士)は、「天宮1号」にドッキングすることに成功。2020年には、中国独自の宇宙ステーションを完成させるという。

 研究開発費も急激に伸びており、この13年間に6倍以上の伸びを示し、すでに日本の金額の2倍の開発費の総額になっている。

 

2000

2013

5.1兆円

35兆円

16.3兆円

18.1兆円

 論文数でもすでに日本を抜いて米国に次いで世界で2番目である。被引用トップ10パーセントの論文数も世界2位である。特許出願件数はすで米国を抜いて世界トップ。その急増ぶりは驚異的である。

 日中の科学技術投資金額の歳出割合を見ても、中国の大胆な戦略が見えてくる。

中国財政歳出(2013年 兆円)

 

日本財政歳出(2013年 兆円)

1.教育支出

65.1

18.0%

 

1.文教及び科学

5.4

5.8%

2.科学技術支出

15

4.1%

 

2.公共事業

5.3

5.7%

3.国防費

21.9

6.1%

 

3.防衛

4.8

5.1%

4.公共安全支出

23

6.4%

 

4.社会保障

29.1

31.4%

5.社会保障と就業費

42.9

11.9%

 

5.地方交付税交付金

16.4

17.7%

6.文化体育とメディア

7.5

2.1%

 

6.国債

22.2

24.0%

     ・

     ・

     ・

     

7.その他

9.4

10.2%

歳出総額

361.5

100.0%

 

歳出総額

92.6

100.0%

  この比較表でショッキングなのは、中国の教育支出割合が突出しているのに対し、日本が突出しているのは社会保障費である。

 安倍自民党・公明党の連立政権は、憲法改正を目指して躍起となっているが、日本の将来像を描く政治哲学は国民に見えない。大体、科学技術創造立国を国是としている日本が、未来の投資である科学技術予算に投与していないし、人材育成の教育に対する政策にも無関心のようだ。

 この日の祝賀会で祝辞に立った有馬朗人・元文部大臣・東大総長は「このままでは日本は滅びる。いまこそ国家の未来を考えなければならない」と声を張り上げて自説を訴えた。

 沖村さんは、中国の科学技術の実態を知ってもらうために客観的なデータを示して参加者に中国の重要性をアピールしたものである。同時に日本の中国に対する態度と方針を改める必要性を暗に示したものである。

 


シダックス55年史「志魂の道」(シダックス社史編纂委員会、河出書房新社)

士魂の道

 「シダックス55年史」とあるが、この本は感動と成功物語で埋めた通俗的な社史ではなく、シダックス株式会社の創業から今日までの企業活動のあらましを、創業者の志太勤氏と二代目社長の勤一氏の理念をどのように体現して今日に至ったかを語った本である。

 志太勤氏の自伝であり二代目社長・勤一氏の事業展開の報告である。それだから読むものを惹きつけていく。

  筆者が見てきたシダックスは、社会人野球の「野村監督チーム」と「給食事業」と「カラオケ事業」を展開する企業という程度で、実際の企業活動の姿がよくわからなかった。しかしこの本を読んで、勤氏が高校時代から企業活動をはじめ地面にはいつくばるようにして頑張っていった歴史を読んで感動した。

  人を感動させ評価させるのは行動ではないというのが、筆者の長年の取材活動から知った確信である。行動はいっとき一瞬でも完結するが、感動と評価を獲得できるのはその人の行動を支えている信念であり哲学である。

  勤氏の言葉に「努力還元」と言うのがある。努力には感謝されるという還元があるという。これは至言である。シダックスの悪戦苦闘の歴史を彩った努力こそ顧客に感謝され、社員や家族から支持されたから多くの試練を乗り越えることができたのである。

  この本に書かれている社史は、戦後間もない日本全体が貧しかったあの時代から現代にいたるまで、どれもこれも泥臭い物語で埋まっている。ここには学歴や出自は無関係であり、あるのは本音だけである。

 いまここにある課題を解決し次へと進むには、本音で行動するしかなかった。本音とはあるときは優しさであり、あるときは度胸である。失敗は許されないから価値がある。勤氏の家族の話から始まって、静岡県の田舎から勇躍、東京に出てきて町工場を立ち上げ、創意工夫で給食事業を拡大していった物語は痛快である。

  後半は創業者の事業を若干40歳で社長を継いだ二代目勤一氏の活動へと続いていく。アメリカに留学し、アメリカの食事業を体験し学び会得していく過程は、潮目の速い技術革新の流れを語っているものでもある。製造業だけでなく食とサービス事業もそうだったのだ。

  その事業はやがて「ソーシャル・ウェルネス・カンパニー」の企業理念へと収斂していく。人の幸せを追求する事業の展開を切り開くという。いかにもこの時代の風をはらんだ企業活動である。

 モノ作りがデジタルでバーチャル手法というサービス事業に変革してきたように食とその周辺、つまり社会と人の営むすべての手法もまた変革してきたのである。その変わり身に合わせるように新たな切り口をさぐり、新たな事業へと進展していく経営者の視点を感じさせる。

  シダックスは給食事業で日本一になった成功した企業である。しかしこの先、発展するかどうかは経営者の哲学と企業理念にかかっている。浮き沈みはつきものである。その試練を乗り越えて次の時代にも覇者になってほしい。そのような感慨を抱かせた社史であった。

 

 


第124回・21世紀構想研究会 永野博氏の講演「ドイツに学ぶ科学技術政策」

 

DSC_1336  ドイツに学ぶ科学技術政策

 永野博さんは、2013年に「世界が競う次世代リーダーの養成」(近代科学社)を出版し、今度は今回の講演と同タイトルの「ドイツに学ぶ科学技術政策」(同)を上梓した。

 いずれも日本が抱えている科学技術の重要な課題を見通すためには、必要不可欠の視点を衝いてきたものである。永野さんの最近の内外での活躍ぶりと著作活動は、眼を見張るものがある。

 日本人でドイツという国家を知らない人はいないが、ドイツの科学技術政策についてはほとんど知らないのではないか。マックス・プランク、ライプ ニッツ、フラウンホーファー協会など個別の組織の名前ぐらいは知っていても、その活動内容や財政確保の仕組みなどは詳しく説明できない。

 これは筆者の貧困な知識・情報に照らして語っているのだが、国際的な科学技術政策の動向を知らないことを改めて痛感させたのが今回の講演である。

 第一に戦後のドイツの首相は、メルケル首相まで8人しかいないということを聞いてびっくりしたが、メルケル氏が物理学者と聞いて20世紀の科学進展で貢献してきたドイツ民族を垣間見た気がした。日本で女性の物理学者が首相になる日は、永遠に来ないような気がする。

 永野さんの講演から、連邦国家が集まった複雑な統治機構というドイツの国体はもとより、科学研究は政治や行政と一線を画して自主独立にあることを 初めて知った。そして科学研究は国家の発展と位置付けている政治家の考えや、ポスドクの流動性を促進するなど次世代の研究者を養成する政策など、20世紀 の科学研究の先導役を果たしてきた国家の違いを見せつけられ、どうしても思いは日本の貧弱な姿に思い至ることになる。

 ドイツも日本も工業国家であり、中小企業がかなり重要な位置づけにあると思ってきた。これは多くの日本人がドイツと聞いて思い抱いていたことだと思うが、内実はかなり違うことがわかった。

 ここでは講演のスライドを見せられた象徴的な3枚を紹介する。各種の産業輸出額を示したグラフであるが、特にハイテク産業輸出額のグラフでは、世界の主要5カ国の中で、電子機器だけがほとんどを占めている日本のガラパゴス工業国家が浮き出ている。


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  ドイツは、歴史的に医薬品が強いことは分かっていたが、日本のハイテク競争力の様相とはかなり違う国家であることがわかる。医薬品や医療機器でのドイツの 優位性は、研究現場の取材で仄聞してきたが、このような明確な図で示されると日本は特異な工業国家ということがわかる。

 私見だが、憲法改正などに注力している場合ではない。ハイテク国家を標榜するなら、あるべき科学技術立国としての国家観を示し、それを実現するための政治哲学を国民に訴えるのが先である。

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 私見はさておき、ミディアムハイテク産業輸出額を見ても、近年のドイツの伸びに比べて日本の明確な下降線はやはり気になった。中国の消費人口を視 野に入れて、自動車販売など対中国戦略で躍進しているドイツは、自動車で伸びている。戦前の対中国視点から抜けきらない日本の政治をここでも思い浮かばせた。

 直近のドイツの話題で出てくる「インダストリー4.0」とは、ドイツでは「第4次産業革命」と呼んでいるということだが、これは情報通信技術と製造業を融合して新たな産業現場と工業生産を通じて新しい社会創造を目指すコンセプトだという。

 モノ作り国家としては日本よりドイツの方が先輩だが、インダストリー4.0に見るように、新しい技術革新に合わせて工業社会、産業社会の在り方を明確に描き、中小企業支援をするドイツと日本は格段に違うように感じた。

 それは次のグラフで見てもヨーロッパ諸国と日本の中小企業の位置付けの違いを見せつけられたように思う。

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 永野さんの講演で感じたドイツの科学技術政策の要諦は、政策立案ではボトムアップであり制度を自分たちで作り上げていくという実行力が伴っている ことだ。強力なリーダーのもとで組織を作り上げていくのは、やはり伝統と歴史がそうさせているとしか言いようがないのではないか。

 最後に永野さんが示したドイツの「知的なものへの敬意」という日本の政治に最も不足している示唆は、重い言葉に響いた。詳しくは、同名の著書を読まれるようお勧めする。

文責・馬場錬成