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2016年4 月

黒木登志夫先生の傘寿・出版記念お祝いの会


 先ごろ「研究不正」(中公新書)を上梓した黒木先生の出版と傘寿をお祝いする会が、4月28日、東京・神田の学士会館で開かれました。山中伸弥先生もビデオで参加するなど黒木先生の幅広い人脈で集まった各界の人々が大いに語り合い、大変、盛況でした。


 お祝い会に先立ち、「知的好奇心の贈り物」とのタイトルでセミナーも開かれました。
「山岳スキーの醍醐味」 竜崇正(元千葉がんセンター長)
「地球と生命の起源」広瀬敬(東工大・WPI地球生命研拠点長)
「計算と科学ー計算尺から京コンピューターまで」 宇川彰(理研・計算科学研究機構副機構長)
「研究することについて語るときに僕の語ること」 黒木登志夫

 どれも魅力ある内容にあふれた素晴らしい講演でした。
 黒木先生の講演タイトルは、村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」 (文春文庫) をもじったもので、いかにも黒木先生のユーモアセンスを発揮したものであり、内容も多彩な活動を語っていました。


 黒木先生は、これが最後の出版と語っていますが、そんなことはないでしょう。テーマは次々と出てきますから、また次の出版お祝い会が来るでしょう。

 


腸内細菌と人類の共生関係を講演  21世紀構想研究会生命科学委員会の開催

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腸内細菌と共生する人類

 私たちの体内には、300種以上、数百兆個の腸内細菌が生息している。人間と共生する関係にあるので、これらの細菌なしに私たちは健康体で生きていくことは難しい。

 この腸内細菌は国、地域、民族によって生息している細菌の種、個数も違っている。日本人の腸内細菌は、欧米人や他のアジア人とは違っているという。

 服部正平・早大大学院新領域創成科学研究教授が、4月22日に開催された21世紀構想研究会・生命科学委員会で興味ある内容を多くのデータを駆使して講演した。講演要旨を報告する。

  最近の腸内細菌の研究は、遺伝子解析が主流になってきた。様々な国で研究された成果によると、年齢、男女、国・地域・民族によって細菌種の分布がみな違っており、食習慣、民族によって特徴が出ているという。

  腸内細菌といっても、皮膚、生殖器、鼻腔、口腔内などあらゆる場所に細菌は生息している。皮膚の常在菌を利用して化粧品を開発しているメーカーもある。アメリカでは、皮膚の常在菌を個人鑑定に利用する方法も研究されているという。

  日本人の腸内細菌叢で特徴的なものでユニークなのは、海苔、ワカメなど海洋性植物を分解する酵素を持っている腸内細菌がいることだ。アメリカ人には、このような腸内細菌は生息していない。

 日本人は海藻類を多く食べるが、消化されずに腸に降りていくので、これを餌にした腸内細菌がすみつき、繁殖しているのではないかと推測されている。また、日本人の腸内細菌叢で外国人と違うのは、ビフィズス菌が最も多い菌種になっていることだ。

 こうした菌種の分布は、国・民族によって多様になっており、日本人の中でも多様性があるという。

 病気や国別患者によっても違う腸内細菌叢

  また、糖尿病などに罹患している患者の腸内細菌叢の菌種分布は、国によって違いがある。それは食事内容にも大きく影響を受けているが、抗生物質の使用量と も関係がある。日本人はビフィズス菌が多く、ペルー、ベネズエラは少ない。このような民族間の相違もどこからくるのかまだ解明されていない。

 日本人はビフィズス菌が多いからと言ってサプリなどで補充することは効果があるのかどうか。菌数のことを考えると効果は疑問ではないかと筆者は思った。

 抗生物質の使用量が多い国と少ない国でも菌種の個数が変わってくる。家畜動物に抗生物質を使用する国もあり、残留抗生物質が食物を通して人間にも入ってくる。それが原因で腸内細菌叢も変わってくる。

 それが変われば体内の生理機能も変わってくるというから、やはり腸内細菌と人間は共生していることになるのだろう。

  また遺伝子解析によって分かってきたことは、人間の腸内細菌叢が持っているユニークな遺伝子数である。腸内細菌叢の遺伝子配列は、人間の遺伝子よりも桁違いに多様化しているという。今回の解析で106人の日本人の腸内から(フル)メタゲノム解析で約2.300万の遺伝子が同定され、このうち既存の遺伝子に見られないユニークな遺伝子は約500万であった。この結果から、一人当たりの腸内細菌の遺伝子数は平均22万遺伝子であることが判明した。人間のゲノムの遺伝子数は~2.5万と算定されているので、腸内細菌はゲノムの遺伝子の平均約10倍もあることになる。

  腸内細菌叢を調べていくと肥満、過敏性大腸炎、リウマチ、アレルギー、喘息、肝臓がんなど代謝系、免疫系、神経系などの15種の病気と密接な関係があるという報告は、非常に興味があった。もちろん、こうした病気との関係も国によって変わってくる。

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花粉症やアレルギー疾患とも関係あるのか

 近年、花粉症やアレルギーの患者が増えているのは、腸内細菌叢の変化と関係あるのではないかという説も出ている。免疫の機能も左右する腸内細菌叢の動物実験の研究から出ている推測だ。将来、このような免疫疾患の予防や治療薬の開発にも利用されるだろう。

  また体内の常在菌は、単独では機能しないようだという報告も興味をひいた。多くの感染症などは単独の細菌で病気を発症するが、腸内細菌叢はチームを作って活動しているのではないか。とすると人間との協働関係もあるのではないか。

 腸内細菌の研究はまだ入ったばかりのようにも思える。これからどのように発展するかとても興味を持たせる内容だった。


黒木登志夫「研究不正 科学者の捏造、改竄、盗用」(中公新書)

研究不正黒木登志夫

 

 本邦初出の資料やデータを駆使して、これだけ研究不正を検証し、予防策まで示した初めての本である。

 この本は研究者と文筆者の両方の顔を持った著者・黒木登志夫先生でないと書けないものであり、これからもこれだけの内容を吟味した同じテーマの本は出てこないだろう。一般の読者を対象とした内容だが、それは学術論文と同じだけの価値を持っている。

 読み始めて間もない第2章で、一挙に不正事例を21例も出されて度肝を抜かれた。日本が世界の研究不正大国になっていたとは知らなかったし、ワーストナンバーに堂々と名を連ねている何人かの研究者事例も初めて知って、本当にびっくりした。

 また2000年以降、不正が急激に増えていったという現象に非常に興味を持った。本格的なインターネット時代を迎え、距離感と時間差がほぼなくなり、リアルタイムで情報を共有する時代になった時代背景と、無関係ではないだろう。

 電子情報を繰る技術が進展したので不正もやりやすくなったのではないか。

 第3章から、重大な研究不正として、ねつ造、改ざん、盗用、生命倫理違反など具体的な不正内容を態様別に切り分け、そのテーマに合致した不正事例を検証している手法も見事だ。読者は迷わず、その重要な事例が頭の中に入ってくる。

 3章の画像改ざんのところで、著者の写真を改ざんしていく図・写真は秀逸である。こういう「小道具」を適宜入れて読者を楽しませかつ理解させるのがこの著者の優れた文筆者としての手腕である。

 

黒木先生画像捏造の例

 第5章で研究不正をする動機について「場合分け」で解説しているが、なるほどと思った。これを読んでいて、中小企業の特許権を侵害する大企業の技術者の動機と重なる部分があると思って感心した(あくまで私見だが)。

 特許を取得するのも、論文を書くのも世界で初めての内容でないと価値がないので、重なるのは必然かもしれない。研究不正は、特許侵害事件を整理して考える際に非常に役に立った。

 また、第6章に出てくる「なりすまし審査」も驚いた。人の商標をこっそりと先に登録して「なりすまし商標」を取得する中国の手法を思い出させる。

 読売・朝日・毎日という3大紙の理不尽な報道についてもきちっと総括している。こういう論評が、メディアには必要であり、良かったと思う。これを書かれてまずかったと反省する新聞記者も多数いるだろう。 ただ、毎日新聞については「神の手」の正体を暴いている功績も紹介している。

 また、現代のようにインターネット検索と情報共有時代を迎えて、研究不正がたちまち摘発されてくる現場の解説もためになった。

 第7章の「論文撤回はべき乗」になることを提起し、「20:80」の法則を見出したのは、黒木先生ならではのオリジナルであり秀逸だった。

 最後に研究不正をなくすためいくつかの行動と制度を提示している。これもこの本の価値を高めている。研究開発型の企業の経営にも役立つ提起ではないか。

 ところどころに著者の研究活動で接点のあった研究者やテーマなどが語られており、筆者は感心しながら安心して読み進めた。このような内容を盛り込めるのも黒木先生だからできることであり、この本の厚みを出していた。

 スタップ細胞事件については、科学者らしく明快に捏造の根拠を論理的に示しており、筆者もようやく納得した。捏造と言うよりも小保方氏の強い思い込みではないかという思いがまだ少し残っていたが、この本を読んで吹っ切れた。あれは捏造だったのだ。

 


「知は海より来たる」   江戸時代に西洋の科学を日本に紹介した津山藩の科学者を取材

 岡山県津山市は、江戸時代津山藩として栄えた城下町である。その地には西洋の文化を日本に紹介し、日本の科学の黎明期に輝いていた先達がいたという。

 さる4月25日、白川英樹先生は21世紀構想研究会で「科学は日本語で考えることが重要」のタイトルで講演し「江戸時代の津山藩の宇田川家三代の科学者が日本の科学の扉を開いた」と紹介した。

 http://www.kosoken.org/2016/03/%E7%AC%AC%EF%BC%91%EF%BC%92%EF%BC%95%E5%9B%9E%EF%BC%92%EF%BC%91%E4%B8%96%E7%B4%80%E6%A7%8B%E6%83%B3%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%A0%B1%E5%91%8A.html

 早速、岡山市から車で1時間ほどの津山市に行ってみた。目指した「津山洋学資料館」は、昔の街のたたずまいを残している古い住宅街の一角にあった。

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 門を入るとブロンズ像が多数並んでいる。それはすべて江戸時代末期から明治維新、明治・大正時代へとつながっていく偉大な津山の科学者たちだった。

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 宇田川玄随(げんずい)は、津山藩の江戸屋敷に生まれ、町医者だった父親の教えを受けて漢方医学を学んでいた。西洋医学には反発していたが、オランダ語で医学を学ぶ人たちと交友するうち西洋医学に興味を持ちオランダ語で書かれた医学書を読むようになる。そしてオランダのヨハネス・ゴルテルが書いた医学書を翻訳して、日本で初めての内科書の「西説内科撰要」18巻として出版した。

 二代目の玄真(げんしん)は、玄随の後を継いで、江戸時代末期のヨーロッパの最新情報だった医学書を次々と翻訳し「医範提鋼」、「和蘭薬鏡」、「遠西医方名物考」などを出版して、全国の医師を指導した。また津山藩の若い医師たちの箕作阮甫(みつくりげんぽ)、緒形洪庵らを指導し、「蘭学中期の大立者」と言われた。

 宇田川家三代目の榕菴(ようあん)は、さらに西洋から入ってきた学問を発展させ、植物学や化学を日本で初めて開拓していった。日本で初めての西洋植物学の解説書「植学啓原」、イギリスのウイリアム・ヘンリーの化学書「舎蜜開宗(せいみかいそう)」の翻訳など、最新の西洋化学を日本に紹介し、多くの若き科学者を育てた。

 津山から世界に目を向けさせ、そして多くの弟子を育て、日本の科学の黎明期に活躍した先達の一端を見て、本当に感動した。資料館には多数の資料が展示されており、宇田川家三代の科学者、箕作阮甫らの活動など興味あふれる内容だった。

 

 

 

 

 


講演終了と同時に記念スタンプを携帯でもらう

大村先生の研究人生などについて講演しました。
講演は、かわさき市民アカデミーと神奈川県産業技術センターで3回行いました。ノーベル賞の歴史も行いました。

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 聴きに来ていただいた方が、こんな記念スタンプを作成し、講演終了と同時に携帯に送ってきました。すごい時代です。
 
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「中国の科学技術は日本を抜いた!」  急進的に拡充する中国の先端研究戦略

 「中国の科学技術は日本を抜いた」と訴えているのは、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)特別顧問の沖村憲樹氏である。沖村氏は先ごろ、日中の科学技術交流推進に貢献した功績で、中国政府から「国家国際科学技術協力賞」を授与された。この賞は中国で最高の科学技術の国際叙勲であり、行政官として初めてという異例の表彰で、外国人受賞者7人のうち序列2位で授与された。

 日本の官僚の中で中国の科学技術研究現場に最も詳しい人である。筆者は2006年に沖村氏が設立したJST中国総合研究交流センターに関わってから、同氏と共に日中の科学交流を推進する仕事をしてきた。その体験から見た中国の科学技術政策と研究動向を分析して報告する。

 「日本を抜いた」という意味

沖村氏が「中国は日本を抜いた」という意味は、次のような観点から語っているものだ。

  • 中国の研究者の中で、世界トップクラスに躍り出てきた人が次々と出ている
  • 国家をあげて科学技術政策に取り組む制度の拡大が急伸している
  • 研究投資額が急増しており、世界水準の巨大大学群の研究エネルギーが半端ではない
  • 選択と集中で政府が研究投資する実績が着実に広がっている

こうした現状を総合的に見ると、もはや日本を抜いて行ったと理解してもいいという意味だ。

研究現場に人材を供給する中国の大学群、研究機関群の拡充ぶりが急進展している。大学の数は日本の4倍を超えておりこれからも増え続ける。学生・院生の数も急増し、現在の高等教育就学率は30%(2012年)。これを2020年までに43%に引き上げる計画だ。大学の在学者数は1494万人から2158万人に膨れ上がる。

中国の大学生の60パーセント近くは理系専攻である。これは日本の大学の文系・理系の色分けとは、ちょうど反対になっている。中国は、建国以来一貫して、「科教興国」を国の最重要政策として掲げ、科学技術の振興、教育の充実を強力に推進してきた。それがこの10年内に実を結び急激に拡大している。

世界最高水準に近づく高等教育機関を目指すことを目標にしており、グラフで見るように研究投資を急拡大している。

このように中国は、なんでも世界一を目指すという国家目標が明確に打ち出されていることからも、中華思想は脈々と生きていることを実感する。 

日中高等教育機関の教育経費推移注:中国の経費は、OECD購買力平価により計算されたものである。また、教育経費は公的経費と学校の収入を含む。「文部科学統計要覧」2005~2014年、「中国統計局国家統計データ」2005~2014年を基に作成

注:中国の経費は、OECD 購買力平価により計算されたものである。また、教育経費は公的経費と学校の収入を含む。「文部科学統計要覧」2005~2014年、「中国統計局国家統計データ」2005~2014年を基に作成

また、主要国の研究開発費の総額(購買力平価換算)の推移を見てみると、中国だけがこの10年で急激に増加している。

出典:文部科学省「科学技術要覧 平成27年版」

出典:文部科学省「科学技術要覧 平成 27年版」

グラフで見るように、中国は年平均20%あまりで増加しており、4年で倍増のスピードである。2009年に日本を抜き世界第2位になり、2013年には35兆円規模となり日本のほぼ2倍になった。

次々と打ち出した選択と集中の投資

1978年の改革開放前の中国の大学は、古びた校舎、研究施設も満足になく文献類も研究情報も貧困だった。そのころの大学研究者は、やることがなくて「毎日、カードゲームで遊んでいた」と苦笑する。

解放後は、こうした遅れを取り戻そうと、大学は最先端の設備機器を備えた世界一流の研究開発型大学に変貌しようという掛け声で国が投資を続けてきた。

 1993年には、「211プロジェクト」という名称の科学技術政策を発表し、21世紀までに世界レベルの大学を生み出すための集中投資政策を掲げ、中国の112の大学を選定して投資した。

特別投資(一般の教育経費以外)として1996年-2005年の10年間に約2兆8千億円、さらに2006年-2015年の10年間に約3兆6千億円を投資している。

続いて1998燃には「985プロジェクト」政策を発表した。この時も一層の集中投資を行い、世界一流、国際的知名度の高い大学を生み出すため39の大学を選定した。

この政策でも特別投資(一般の教育経費以外)として1999-2004年に6840億円、2005-2009年に6328億円、2010-2015年には、1兆2177億円を投資し、研究設備では世界のトップクラスに劣らない状態になってきた。

この10年、中国の経済状況が一挙に上昇し、余裕が出てきた資金の多くを未来のために研究投資をするという中国の戦略が着実に実行されてきた。科学と教育で世界トップになるという国家戦略が着実に進展していることがうかがえる。

「海亀政策」で打ち出した人材確保

中国の大学を訪問すると、日本と決定的に違うことはどの大学でも学長の年齢が若いことだ。大半の学長は、英語、日本語、ドイツ語、フランス語など流ちょうな外国語を話す人が多い。

10年ほど前までは、中国から外国に留学した優秀な人材は、そのまま留学先にとどまって帰国しない人がほとんどで、国の経費で留学しても戻ってこない研究者が多かった。中国の研究者は「これは違法行為だから、今さら帰国すると捕まると思っていた」と告白する。

そこで政府は「海亀政策」を打ち出した。海亀と同じように生まれ故郷に戻ってくるように呼び掛けたもので、戻ってきた人には違法性は不問にするという柔軟な政策だ。

それどころか戻れば待遇はもとより、専用住宅の用意、配偶者の仕事の面倒、子弟の教育の手配など、聞けば聞くほど至れり尽くせりの制度を作った。外国にいる中国人研究者の論文が「ネイチャー」や「サイエンス」などメジャーな科学ジャーナルに掲載されると、中国の政府機関や大学から好条件で戻ってくるように誘いが来るようになる。

その政策に乗って、多くの人材が帰国した。欧米の研究スタイルを身につけ、欧米とネットワークをもった若々しい大学指導者が、中国の研究機関や大学に次々と出現していった。

「211プロジェクト」に選定された112大学の年齢構成を調べたのがこのグラフである。日本の国立大学の学長の年齢は55歳から59歳まではたった5パーセントであり、残りの95パーセントは60歳以上である。中国は60歳以上の年代がたった10パーセントしかいない。日本の真逆である。

 中国大学(211プロジェクト)学長の年齢構成と留学歴(2013年12月時点)

 出典:211プロジェクト各認定大学のHPを基に作成

 

イギリスの大学評価機関「クアクアレリ・シモンズ社(Quacquarelli Symonds :QS)」が2009年から毎年公表しているアジアの大学のランキングをみると中国の大学の躍進ぶりがよくわかる。

  中国の大学(香港を含む)

 

  日本の大学

1

清華大学(25位)

 

1

京都大学(38位)

2

香港科技大学(28位)

 

2

東京大学(39位)

3

香港大学(30位)

 

3

東京工業大学(56位)

4

北京大学(41位)

 

4

大阪大学(58位)

5

香港中文大学(51位)

 

5

東北大学(74位)

5

復旦大学(51位)

 

6

名古屋大学(120位)

7

香港城市大学(57位)

 

7

北海道大学(139位)

8

上海交通大学(70位)

 

8

九州大学(142位)

9

浙江大学(110位)

   

10

中国科技大学(113位)

 

11

香港理工大学(116位)

 

12

南京大学(130位)

 

出典:QS World University Ranking 2015-2016

QS社の大学ランキングによれば、2015年に200位以内に入った日本の大学は8大学、中国は香港を含めると12大学がランクインしている。

QSランキングが始まった2004年では、トップ200にランクインした中国の大学はわずか5大学であり日本は11大学あった。しかしその後中国は躍進し、日本が停滞したことは明らかだ。

日本の大学は戦前から今まで、旧帝国大学が人材を供給する高等教育機関とみなされてきた。中国人の研究者から見ると「日本の大学は、旧帝大に投資が集中しており、大学の発展も競争も硬直化していて魅力に乏しい」(日本に留学した中国科学院の教授)と語っている。

「サイエンスパーク」という中国独自のシステム

中国の大学は社会貢献することが義務付けられており、産学連携が活発だ。その分、基礎研究がややおろそかになっているが、これは70年代までの日本の大学とよく似ている。日本は産学連携とは言わなかったが、大学研究者と企業の密着はよく知られていた。

中国で設置されたのが大学と産業界が共同で研究開発を展開する「国家大学サイエンスパーク」と呼ばれるイノベーション創出機関である。産学連携によるベンチャー企業の育成、インキュベーション事業の推進を目的にしている。

いくつかの大学のサイエンスパークを見学したが、大学の研究機関とは一味違う企業の研究開発部門にも見えるし、大学の応用研究現場にも見える。

また、中国のトップクラスの大学は、世界のトップクラスの企業と研究開発の連携を組むことが拡大している。北京の清華大学サイエンスパークを見学に行ったときに聴いた話では、サンマイクロシステムズ、P&G、トヨタ、東芝、NECなど日米の企業と連携しており、そのほかヨーロッパなどのIT、光学機器、バイオ製薬、金融など世界一流企業が研究室を設立していた。

浙江大学と富士電機の産学連携活動もよく知られている。ほとんどの大学で産学連携活動は活発であり、特許の出願、管理制度も驚くほど整備されてきた。数年前まで大学の特許出願・管理についてはあまり活発でなかったが、急激に知財意識が目覚めてきた。

特許技術の移転だけでなく大学発ベンチャー企業(中国では校弁企業と呼ぶ)、国家技術移転センター、インキュベーターなどの設立、運営、教育訓練、仲介サービス、地域振興など多様な活動を各地で展開している。

中国教育部科学技術発展センターによると、2010年には中国の552大学が5279のベンチャー企業を所有している。売上高のトップは北京大学が経営する方正集団有限公司で売上高は約1兆7700億円(OECD購買力平価により計算)、清華大学の同方股份有限公司の約9892億円(同)が双璧になっている。

このように拡大するサイエンスパークは、将来どのように進展していくのか。浙江大学の教授に聞いてみると「中国の企業は、伝統的に研究開発部門が貧弱なので、サイエンスパークは大学の技術力を借りて中国全体の企業の開発部門を担当するようなものだ」と言う。

そして「10年先、今のようなサイエンスパークはなくなるか、まったく別の組織と目的に変化しているだろう」とも語っている。時代の変革に合わせて自ら進化していく中国の産学連携と大学のたくましい姿を垣間見るようなコメントだった。

個別の研究レベルを精査すると

 それでは個別テーマの中国の研究レベルはどの程度になってきたのか。JST研究開発戦略センター(CRDS)が、日本の最先端研究者356人からヒアリング調査した結果を見てみよう。

 最先端科学技術分野とは、①電子情報通信、②ナノテクノロジー・材料、③先端計測技術、④ライフサイエンス、⑤環境技術、⑥臨床医学の6つである。

 この6分野の「研究水準」「技術開発水準」「産業技術力」の3つのカテゴリーで評価をしてもらった。

 その結果、世界の水準から見て中国が非常に進んでいると評価された項目は次の通りである。

電子情報通信で、産業技術力で非常に進んでいるとされたものは、 集積回路(高周波、アナログ)、光通信、光メモリー、ネットワークシステム、情報通信端末技術である。マルチメディアシステムは、研究水準、技術開発水準で非常に進んでいると評価されている。           

ナノテクノロジー・材料では、ナノ空間・メソポーラス材料、新型超伝導材料、単分子分光が研究水準で非常に進んでいるとされ、国際標準・工業標準では、取り組み水準が非常に進んでいるとされた。

先端計測技術」では、Ⅹ線、γ線(分光分析法)で技術開発水準、産業技術力で非常に進んでいると評価された。

ライフサイエンスでは、環境・ストレス応答(植物学)が産業技術力で非常に煤でいるとされた。

それ以外では、全体的にみて、米国が圧倒的に進んでおり、欧、日がそれに続いており、中国は、欧、日に急速に追いつきつつあると結論付けている。

 圧倒的に強くなった宇宙開発

 分野別に見ると圧倒的に存在感を出しているのは宇宙開発である。軍事開発最優先として核兵器、ミサイルの開発と一体になって最も力を入れて進められてきたもので、いまや米、露に次ぐ宇宙開発水準を達成している。

有人衛星「神舟」を打ち上げた「長征2F」(低軌道打ち上げ能力8.4トン)、静止衛星打ち上げ能力5.2トンを有する「長征3B」は、日本のH2Aと同水準であり極めて高い性能である。

現在開発中の低公害新型エンジン「長征5」の最強モデルは、静止衛星14トン、低軌道衛星25トンの打ち上げが可能とされ、欧米をはるかに凌ぐ性能である。2016年末に打ち上げる予定となっている。

ロケット打ち上げ回数と成功率を見ても、「長征」シリーズは1970年から約200機打ち上げ成功率は94.36%である。米、ロ、欧、日の成功率は91%以下だから中国が最も高い成功率となる。最近10年間の打ち上げを見ても一度も失敗がない。こうした事実は、日本ではほとんど報告されたり語られることがない。

 日中科学技術政策の決定的な違い

 中国の科学技術の水準と研究現場のレベルが急速に上がってきた理由はどこにあるのか。ここで紹介したことからも中国は常に世界一を目指し、大胆な国家目標を掲げていることで現場の士気があがっていることだ。

中国は一貫して科学技術は、最重要政策と位置付けてきた。沖村氏は「共産党・国務院・行政各部が一体となって政策立案し、実行する体制が出来上がっている」とし「国務院直属のトップダウンで横断的政策を実行する組織、シンクタンクが充実している」と語っている。

さらに沖村氏は「研究現場がチャレンジ精神で取り組むように、国家が指揮しているように見える。科学研究にはイデオロギー色がないので国際的にも公正に評価を受けられることが研究者にとっては最大の魅力であり、研究者の士気を高めている」と語っている。

科学技術創造立国を国是として掲げている日本が、国家としての科学技術政策と目標と将来戦略が、国民や研究現場にまで明確に伝わってこないことは政治、行政、学術現場の最大の課題である。

 


スタップ細胞事件の2冊を読む

 

  世紀の大発見か世紀の捏造事件かで世間を騒がせたスタップ細胞事件の核心に触れる書籍が出版されている。

 毎日新聞記者の須田桃子さんが書いた「捏造の科学者」(文藝春秋社)とスタップ細胞を発明した小保方晴子氏が書いた「あの日」(講談社)の2冊の本である。

 読んだ感想を書いてみたい。

 最初に小保方氏の本を読んだが、当然のように自分の立場を中心に書いている。これをおかしいとは思わない。人は誰でも自分のことを書けば主観的な記述になる。 

 スタップ細胞のトラブルについては、若山照彦山梨大学教授の責任を強調している。むろん、小保方氏自身の責任も書いているが、大きな過ちは若山教授にあるとする書きぶりなので論評に値しない。若山教授に、共同研究者としての瑕疵はなかったわけではないが、筆者はあえて不問にする。

 その理由は、若山教授が間違いのない学術的な対応をしたとしても、小保方氏の理解できない実験・研究のやり方をとがめることは不可能だったと思ったからだ。

 理研の最終報告にもあったが、数々の不可解な事実をあげ、スタップ細胞は最初からなかったことと、小保方氏がやっていた実験・研究はES細胞をもとにした可能性と結論づけていることを理解したからだ。

 須田さんの著作は、ドキュメンタリータッチで迫真の筆さばきはさすがである。筆者も新聞記者をしていたので臨場感が伝わってきた。アマゾンのカスタマーレビューをざっと読んでみると、やや評価は低いと思ったが、それの多くは小保方氏の著作の影響を受けているように感じた。

 これを読んでいてジャーナリストとして痛感したことは、いかに人によって解釈が違うかというその落差である。改めて思った。仮に小保方派と須田派に分けると、その立場によって論調はがらりと変わってしまう。

 須田さんの書籍を読んで感じたことの最大は、インターネット時代の取材、メディアの在り方の変革である。

 筆者は今年76歳の老年だから現役時代の感覚でものを判断して語っても意味がない。インターネット時代のスピード感覚と多様な情報のやり取りが、時代の趨勢を支配していることを須田さんの書物を読んでジャーナリストとして実感した。

 須田さんは、亡くなった笹井芳樹先生とメールのやり取りを約40回もやっていたという。この事件の当事者でキーパーソンとなっている笹井先生とこれだけ濃密なコミュニケーションを取っていたとは驚きである。それだけでも、須田さんが書いている内容を重視せざるを得ない。

 スタップ細胞事件は、日本の研究現場と大学の教育現場に多くの教訓を残した。小保方氏が悪いとか若山教授の責任を問うことをしてもこれからの展望には結びつかない。

 反省するべきは、学術研究現場の後進性と理研の後手後手の対応など、研究組織の後進性をいかに近代的に改革するかという次の命題である。これは学術現場だけでなく、日本社会全体を覆う課題である。

 人は偉そうなことを言っていると思うかもしれないが、70歳を過ぎるとこのようなことをどうしても言いたくなる。それが真の課題ではないかと思っている。


第5回日中女性科学者シンポジウム2016 in Japan


  日中の女性科学者 43人が集まり、研究成果を発表し、女性研究者の在り方から政策提言まで幅広く討論しました。
研究内容は、それぞれ独創的な内容を競うように発表していましたが、女性研究者の在り方については、家庭と子育て介護などの負担を強いられる悩みは日中共 に同じであり、共通項が多数みられました。

 しかし近い将来、中国は社会的に女性研究者をサポートする制度を強化していくように予感します。そのような政策 的な動きは、中国の方が早いのが現実です。

 
馬場 錬成さんの写真 
 

黒川清「規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす」(講談社)

  規制の虜 黒川清

 東日本大震災で発生した福島第一原子力発電所事故の国会事故調査委員長を務めた黒川清先生が、渾身の力を込めて書き上げた「日本国の病巣」を告発した本である。まずイントロの書き出しを引用してみる。


 志が低く、責任感がない。
 自分たちの問題であるにもかかわらず、他人事のようなことばかり言う。普段は威張っているのに、困難に遭うと我が身かわいさからすぐ逃げる。 
 これが日本の中枢にいる「リーダーたち」だ。

 

 黒川先生をトップにしたスタッフは、600ページの事故調査書(事故調)をまとめ上げ、その調査過程で原発と向き合い運用してきた日本の行政も企業も課題先送りの無責任体制がまかり通り、世界の非常識になっていたことを事実で示して報告した。

 本書は事故調が生まれた舞台裏を余すところなく書き込み、さらにこの事故調を通して黒川先生が確信した日本の病巣を論拠を示しながら書いた本である。

本書は2部で構成しており第1部は、事故調が完成するまでの7か月の奮闘ぶりがかかれている。事故調スタッフは、客観的な事実だけを積み上げる手法で関係者から膨大な聴き取りをして福島原発事故の全貌をあぶりだしていく。

 あの事故は人災であったと明確に結論を出した事故調の内容が、いかにして出来上がったかを報告しており、初めてその過程を知って感動を覚えた。半年の期間でよくあれだけの内容を調べ上げたと感心していたが、そこには血のにじむような努力と取り組みがあったのだ。

 本書を読んで改めて事故調の要約を読んでみたが、まったく違った印象を持った。あの人災事故が日本の病巣であると告発する黒川先生の主張が、明確な輪郭を持って突き付けられてきたのである。

 その確かな輪郭を書いたのが第2部の「3・11が浮かびあがらせた日本の病巣」である。「規制の虜」とは、原子力安全・保安院など規制する側が、東電など電力会社の規制される側に取り込まれて本来の役割を果たさなくなってしまった状況を語る言葉であるという。

 「日本では原発で重大事故は起こらない」という「神話」が生まれた状況を、歴史的な事実を積み上げながら明快に解き明かしている。新聞記者をしていた筆者もこの「神話」を信じてきたのである。その歴史とは江戸時代から明治維新当時までさかのぼっているが、黒川先生に指摘されてみると、多くのことは日本の知識人はうすうす感じていたことではないか。しかし明確な意識となって位置づけることはできなかった。

 それを黒川先生は、説得力ある史実と事実を展開しながら、日本の病巣であることを示してくれた。そして、憲政史上初めての国勢調査権を背景に法的調査権で報告された民間人による事故調であったが、その後、立法府は何も行動を起こさず、何も変わっていないと主張する。

 事故調では、具体的な「7つの提言」を出しており、国会がこの提言を徹底的に討議して実施計画を策定して、事故の教訓を生かさなければならないのに、ほとんど何も行われていないという。これはもはや、国家の体制を持っていない途上国以下の国家体制ではないか。

 さらに日本のメディア・ジャーナリズムの在り方にも鋭い視点で注文を付けている。自己責任を避け、他人に語らせてお茶を濁す日本のメディア・新聞業界の伝統的手法に大いなる疑問を突き付けている。特にメディア業界が、本来のジャーナリズムの役割を果たしていないことを舌鋒鋭く示した記述には、新聞記者出身の筆者は縮みあがってしまった。その通りである。

 このようになったのはIT産業革命以降、急速に情報通信現場があらゆる人々に普遍的に利用できるようになった技術革新によって、急速に経営が衰退していったことと無関係ではない。新聞・テレビなど巨大なジャーナリズムは、経営安泰があって初めて健全な主張が確保できるのだが、これはこの本とは別の問題であり、筆者のついでの言い訳である。

 ともあれ黒川先生は、世界が見ている日本を意識し1990年代から始まったIT産業革命の時代認識を自覚していない日本の病巣を明快に書いてくれた。本書は日本人にとって必読の書である。


「日本の知財は危機的状況にある」と警鐘を鳴らした中村嘉秀氏

知財部門の地位低下が進んでいる

 先ごろ開催された「東京理科大学IPフォーラム2016」は、内外のトップクラスの知財専門家が参加して知財制度に関する発表と討論が展開された。知財の法的問題と制度についての討論が多く、実務に役立つものは少なかった。

 しかしその中でも注目を集めたのは、「日本の知財は危機的状況にある 知財戦略は経営トップの仕事」のタイトルで発表したアルダージ株式会社代表取締役社長の中村嘉秀氏の講演だった。

                   

                                                       

 中村氏は、知的財産戦略は国家的課題になっており、その重要性に異論を唱える経営者はいないとしながらも、いま「知財部門の地位低下が進んでいる」として次のような現象をあげた。

•日本特許の出願件数は次第に減少傾向
•外国への出願は年々増加傾向
•特許訴訟の件数も日本は米国、中国に比べ極端に少ない
•判決で得られる賠償金も極めて些少
•日本で訴訟をすることに魅力がない
•知財のジャパンパッシング(Japan Passing)は今や明白
•経営者は日本の知財に価値を見出してない

 筆者は、特定非営利活動法人21世紀構想研究会の知財委員会で多くの会員と定期的に研究会を行っているが、そこで討論されている内容も中村氏が掲げた課題とまったく同じものであった。

 日本の知財現場は、間違いなく地盤沈下を起こしているという認識である。多くの大企業は、そのような認識は持っていないようだが、中小企業、ベンチャー企業などの知財停滞と上場企業にあっても中堅企業の知財意識は極めて沈滞しているという認識である。

 中村氏は、こうなった理由を次のようにあげている。企業の知財部門のスタッフは、「出願件数、収入金額のみを誇示し、 経営、事業に資する活動を怠ってないか?」という疑問である。さらに「事業あってこその知財なのに、知財のみに頼る方向に進んでいないか?」とする指摘で ある。

 そうなったのも知財スタッフは自らの存在意義を知財の様々な「手続きのプロ」に徹することに求めており、「どうせ経営陣は判ってくれないというあきらめの境地に入ってないか?」と問題を投げかけた。

何が知財に欠けているのか

 日本の経営者は、口を開けば経営の柱の一つに知財戦略をあげるが、その割に経営方針がともなっていない。いわゆる一流企業のトップにインタビューす ると、ほとんどの経営者は知財戦略の重要性を口にはするが、本心からそう思っているかどうか疑問である。中村氏も同じことをあげている。

 中村氏は「経営者は、短期的採算は気にするが長期的事業戦略や競争には気が回らない。開発、事業、知財の三位一体こそ競争力の源泉である」のだが、そのことの認識が薄いと指摘する。

 さらに「戦略構築を専門部署に丸投げし、経営トップのみがその構築が出来る立場ということを忘れている。社外への特許料の支払いの多さを嘆き特許料収入増加を期待する」と指摘した。

 中村氏は、ソニーの知財部門のトップを務めた方であり、知財の実務を知り尽くしている。

 世界を見渡せば、Apple、Google、Amazon、Microsoft、Qualcomm、Intelなど、知財戦略がそっくり事業戦略に なっていることをあげた。さらに日本でもかつては、ソニーのプレイステーションやCD事業、任天堂のファミコン、日本ビクターのVHS事業なども同じだっ たと振り返った。日本企業でも知財戦略があったのである。

知財戦略経営の必要十分条件とは何か

 知財戦略を企業で展開するには、どうしたらいいか。中村氏は次のような課題をあげている。

•経営者は真剣に時代の流れを読み事業戦略を考えているか。
•過去の延長線上に必死になって解を求めようとしているのではないか
•より良い技術さえあれば利益を生むはずだと考えている節はないか
•経営戦略を他人任せにしてどこかの後追いをしてリスクも利益も無い方ばかり選択していないか
•他社への特許料支払いの多さを嘆かれてないか
•発売前、発表前になって初めて知財に声がかかる状況ではないか
•専門用語、業界用語を駆使して話していないか
•会社の方向性、開発の動向を十分把握しているか
•業界の動き、競合他社の情報取得に努力し金を使っているか
 

経営者はどれもこれも、思い当たる節があるのではないか。

 日本の多くの企業は、戦後の高度経済成長期を経てIT産業革命へと突入して大きな変革に迫られている。日本型の終身雇用制度を維持しながら、技術革新と後進国も追いついてきた熾烈な競争の中で安定経営を維持するのは並大抵のことではない。

 しかし、現実はドラスティックに対応しなければ生き残れないことをシャープが鴻海精密工業に買収されたことでも明らかである。中村氏は、経営トップにどうすれば知財マインドを持たせることができるかについてもいくつかを提示した。

 知財の専門家として日本の企業社会の最も弱い点を衝いたものであり、刺激的でありながら真実を語った発表だった。

                                

 東京理科大学のIPフォーラムの他のプログラム内容は以下の通りである。

「米国訴訟における NPEー継続する挑戦」米国連邦巡回区控訴裁判所 Randall Rader前主席判事

「米国におけるNPE訴訟の現状 -課題、機会、今後の展望」 Frommer Lawrence & Haug法律事務所 Porter F. Fleming弁護士、Eugene LeDonne弁護士

「ドイツにおけるNPE訴訟 -新たな挑戦あるいは通常の訴訟?」 Prof. Dr. Peter Meier-Beck(ドイツ連邦共和国最高裁判所民事第10部部統括判事)

「ドイツおよび欧州における対抗手段 -異議・無効化手続」 Christian W. Appelt弁理士(Boehmert & Boehmert法律事務所)

「欧州統一特許の展開を踏まえたNPE対抗特許訴訟戦略」 Prof. Dr. Heinz Goddar弁理士(Boehmert & Boehmert法律事務所)

「日本における知財訴訟 -標準必須特許とNPE」 知的財産高等裁判所 設樂 隆一 所長 

「日本企業にとっての課題と対策」 長澤 健一 氏(キヤノン株式会社 取締役・知的財産法務本部長)、中村 嘉秀 氏(アルダージ株式会社代表取締役社長)、(モデレーター:荻野 誠 東京理科大学教授)

「三極知財裁判官鼎談 -NPE訴訟」 設樂 隆一 所長、Prof. Dr. Peter Meier-Beck部統括判事、Randall Rader前主席判事