世界一周の船旅の記録その1をアップします。1~30回です。
2024/11/25
2024年4月から7月まで、ピースボートのパシフィック・ワールド号(7万7千トン)に乗船して、世界一周をしてきました。
その様子を60回に渡って、ブログでアップします。
その①1~30回分のPDFファイルをアップします。
2024年4月から7月まで、ピースボートのパシフィック・ワールド号(7万7千トン)に乗船して、世界一周をしてきました。
その様子を60回に渡って、ブログでアップします。
その①1~30回分のPDFファイルをアップします。
札幌で、ジャズ歌手の黒岩静枝さんの50周年記念リサイタルを聴きに行った。そのついでの、支笏湖から洞爺湖を回って札幌へと戻ってきた。
筆者が読売新聞北海道支社に転勤で勤務した若き時代、30歳代前半のころだが、北海道電力伊達火力発電所建設を巡る住民運動を取材するため、たびたび洞爺湖のすぐ近くの伊達市に通った。生まれて初めて見た洞爺湖の雪景色は、今でも脳裏に焼き付いている。
そして筆者にとって忘れられないのは、1977年の有珠山噴火である。この時は、洞爺湖近くの民家に取材の前線基地を置き、何度も札幌から通った。昭和新山と共に有珠山と洞爺湖は、火山活動では一体化した歴史を持っている。その火山史と地質学を勉強したのも楽しい思い出である。
有珠山の展望台から見た昭和新山
そのような火山の歴史を調べて取材した思い出の地であり、約20年ぶりの洞爺湖との再会だったが、期待を裏切らない静謐なたたずまいに感動した。
2008年7月に開催された北海道サミットの会場になった「ザ・ウインザーホテル洞爺」に行き、テラスから見た洞爺湖の景観は、素晴らしいものだった。
帰路は、中山峠を越えて札幌に戻り、観光の定番ではあるが久しぶりに大倉山シャンツェ、札幌時計台、道庁赤レンガ庁舎を見学した。どれもこれも筆者の札幌時代を甦らせて、郷愁にひたった2日間だった。
開拓時代を今なお残す道庁赤レンガ庁舎
札幌を拠点に、全国各地で歌っているジャズ歌手の黒岩静枝さんの50周年記念リサイタルを聴きに、札幌まで行ってきた。筆者が黒岩さんと出会ったのは、約40年前に先輩に連れられていった札幌市すすき野のナイトクラブ「コンコルド93」であった。筆者は当時、読売新聞北海道支社に勤務する記者だった。
黒岩さんの野性的な声と圧倒的な歌唱力が気にいり、このクラブによく通った。そこで演奏していたグループサウンズの「キッパーズ」も気にいっていたからだった。黒岩さんはまだ20歳代の終わりころだから、歌手としてはまだこれからという実力だったかもしれない。
しかし筆者は、このジャズ歌手を新聞で紹介したくなった。いずれ日本を代表するジャズ歌手になっていくだろうという予感があった。当時、読売新聞北海道版に「人間」という特集ページがあり、そこで北海道で活躍する各界の名士を取り上げていた。その担当になった筆者は、デスクに黒岩さんを売り込んでみた。予想通り却下されるが、粘り強く復活折衝をしてついに執筆・掲載の許可が出る。
「繊細な体のどこに隠されていたかと思うような太い声。どことなく哀調をおびた、そして演歌のような小節回し、ジャズシンガー黒岩さんの歌は、そういう声で‘‘彫刻’’されている。」
このような書き出しで、黒岩さんの歌う表情写真とともに、ほぼ1頁を割いて特集した。この記事の中で「キッパーズ」のバンドマスターでご主人である伊藤美智弘(本名・渡部弘康)さんは、妻の黒岩さんを「仕事はまじめだし、シンの強い人です。今後は本当にうたいたい歌が自然と口から出てくるような、奥の深い厚みのある歌手として大成してほしいと思っています」と語っている。
ご主人の渡部さんの思いを実現して大成した黒岩さんのリサイタルは、札幌の道新ホールを満席にする大盛況であり、最後まで聴かせた。そして「キッパーズ」が友情出演して盛り上げ、無口で照れ屋のご主人の渡部さんもステージの中央に引っ張り出されて黒岩さんからインタビューを受けたが、いつものように小さな声でよく聞こえなかったが似合いのご夫婦であった。
キッパーズは「はまなすの恋」、「風のふるさと」などヒット曲を飛ばし、北海道では断トツの人気を誇り、一時は東京へ出て来いという強い誘いがあった。しかし渡部さんは、北海道で一番になっているほうが性に合っているということから札幌を動かなかった。
黒岩さんの歌は、ますます円熟味を増している。ジャズを自分の音域と声調にひきずりこんで独特の雰囲気を出している。ときたま東京・銀座のライブハウス「スウイング」に出演するが、圧倒する歌唱力と聴者をひっぱりこむしゃべりは、いつ聴いても楽しくて満足する。ご主人が期待した「奥の深い厚みのある歌手として大成した」のである。このようなご夫婦に巡り合ったのは、本当に幸運だった。
参院で可決した安保法に対する国民の見解は、恐ろしいほど政治の現場とかけ離れている。
可決直後に主なメディアは一斉に世論調査を行った。その回答をまとめて一覧表にしたものである。
これを見ると安倍内閣の評価は、どのメディアも支持しない方が多数に出ている。
安保法案の今国会成立、法案の説明も反対、不十分が圧倒的多数に上っている。このような世論調査結果は、法案が国会に提出されたときからほとんど変わっていない。世論調査は、言うまでもなく有権者の縮図である。だから実施する意味もあるし報道する意味もある。
特にこの数字で注目したいのは、法案の説明について80パーセント前後の国民が「不十分」と回答していることだ。80パーセントは、世論調査では、ほとんどの人ということだ。この数字も、以前からほぼ動かない数字で世論調査結果は推移してきた。
それでも自民・公明の政権与党は、国民の声を踏みつぶし、多数決で可決成立させた。これは一党独裁にも似ている政治運営であり、独り政治家だけが悦に入っていることになる。今回の場合は、ひとり安倍晋三氏の狂ったような法案成立への悪魔のような執念に引っ張られたということだ。その限りでは、安倍独裁国家と言っても間違いではないだろう。
言うまでもなく主権者は国民である。国会議員は単に、主権者を代表する代議員でしかない。選ばれたものが自覚するべきは、主権者からの付託を重んじ、謙譲の精神を持たねばならない。それが国会議員になったとたん、あたかも自分たちが主権者のごとき錯覚に陥り、やりたい放題するというのでは代議員制度が破たんし、多数決で物事を決する民主主義制度が破たんしていることになる。
国民の見解が国会の多数決に反映されないで、まったく逆のベクトルで政治が決まっていくのでは日本国民はバカを見ていることになる。国民の総意が国会の総意にするためには、政権与党を降りてもらわねばならない。国民は、選挙で仕返しをしなければ、このような未熟な政治風土はいつまでたっても変わらないだろう。
国民主権を踏みにじった与党の強行採決
自民・公明の政権与党による安保法案の強行採決と法案成立は、世界の政治史に残る恥ずかしい政治行為でした。NHKの世論調査によると、採決直前で国民の58パーセントが「安保法案の議論は尽くされていない」とし、「議論が尽くされた」という国民はたった6パーセントでした。
この世論調査が、強行採決直前のとかく「安倍寄り」と言われているNHKの世論調査ということに注目したいと思います。
このような」調査結果を無視し、国会議員だけの多数決で法案を成立させるのは、国民主権ではなく議員主権にほかなりません。これは日本が民主主義国家になっていないことを世界に知らしめたことになるのです。
慶応義塾大学の小林節・名誉教授は、「これは憲法の解釈を超えているもので、憲法破棄、憲法違反の何物でもない」とNHKテレビで憤っていました。
NHKの世論調査では、安保法案が憲法違反とした人が32パーセントもあり、違反でないと回答した人のちょうど2倍になっています。
安倍氏の思惑と選挙対策で急いだ暴挙
日本はいま、経済活性化、少子高齢化、地方の建て直しと活性化、年金、科学技術振興政策など国家的に取り組むべき重大な課題を抱えています。ところがこのような課題を棚上げし、いま緊急の事態になっていない安保法案を長時間かけ最優先で国会にかけ、エネルギーを使い果たしている政権は、馬鹿げた政権ではないでしょうか。
これでは安倍氏の思惑を単に実現している途上国型の国家と言わざるを得ません。なぜ、こんなに急いでやるのでしょうか。筆者の分析では次の2点に集約できるでしょう。
第1は安倍氏の未熟な政治思想と政治思惑です。裕福な家庭で育ち、苦労もなく国会議員になり、日本人の多くが艱難辛苦の体験で生き残ってきたその状況を骨身にしみて理解していないことでしょう。
そのような成育史のなかで、苦労を知らない偏った環境と裕福な家庭環境の中で出来上がった政治信条と思惑は、戦後日本社会の中では右傾化されたものとして残るのです。なぜなら、苦労を知らない人々、歴史認識をきちんとしていない人々が単純に考えると、戦後の日本は正しい道を歩いているし謝罪のしすぎだという客観的な右傾化思想、右傾化人間になるのです。だから本人は右傾化とは思っていないのです。
憲法違反とする国民を無視した政権与党
前述したように、強行採決直前のNHKの世論調査では、安保法案を憲法違反とする人が32パーセントであり、違反でないとする人のちょうど2倍もあるのに、それでも強行採決することは国民の考えを無視する代議員ということになります。これ自体もはや国家の体裁をしていないことになります。
では、なぜ強行採決を急いだのか。それは来年7月の参院選挙を控え、国会審議に時間をかけていると政権与党の体制が不利になり、野党を勢いづかせて参院選挙も負けると思ったからです。ここにも国民主権ではなく議員主権という考えが露骨に出ています。
解説したNHKの政治部デスクは、大変、的確な見解を述べていました。
法案は憲法違反でありこれから訴訟が提起される
成立した安保法は、明らかに憲法違反です。安保法を国会に上程して成立を図るなら、まず憲法改正をし、法律を整備したうえで安保法を成立させるべきです。
ところが、憲法改正が極めて難しいと判断した安倍氏らは、憲法の解釈を内閣で行うという法治国家にあるまじき行為を行い、前のめりに安保改正に執念を燃やす安倍氏の意向通りに安保法案を成立させました。これは独裁者の国家に等しいものであり、国際社会では恥ずかしい政治行為でした。
このような政治家を選んだのは有権者です。恥ずべきは国会議員ではなく、このような人物を有り難がって選んだ国民ということになるでしょう。
本日、9月14日、中国総合研究交流センター(CRCC)の第15回中国研究サロンに参加し、「安倍談話と日中関係」をテーマにした講演と多くの討論を聴いた。
講師は、時事通信解説委員で、前「外交」編集長だった鈴木美勝氏である。鈴木氏は、外交ジャーナリストとして活躍しており、政府機関、政治家に多くのパイプを持っている。その機動的な武器を駆使して、先の安倍談話を分析して講演した。
戦後70年の節目に出した首相の談話であるが、なぜ世界中が注目することになったのか。理由は、戦後、もっとも右傾化している日本の首相が、歴史認識を変え戦後の国際社会の定義を変えようとしているのではないか。そういう疑念を持っていたからだ。最大の注目国はアメリカだった。それだけアメリカには信用のない首相だからである。
この日の鈴木氏の講演で、戦後70年安倍談話は、前のめりに右傾化していた安倍氏の政治的な信条もしくは政治哲学が軌道修正され、あのような談話になったという解説だった。それと同じような筆者の見解は、このコラムでも書いている。しかし鈴木氏の発言の中でも筆者がもっとも注目したのは、「安倍氏は長期政権を視野に入れてきた」というコメントである。
長期政権を視野に入れれば守りの姿勢になる。その結果が、あの中途半端で「つづり方」に等しい談話だったことに気が付き、鈴木氏の分析結果に共鳴した。
筆者のコラムでも書いたように、あの談話は一国の宰相が発信した政治信条などではなく、妥協の産物だった。右と左をうまく勘案して信条も哲学も感じられない、単なるつづり方であった。これが筆者の感想であった。10年後、20年後にその評価が出るだろう。
安倍氏はすでに守りの姿勢に入った。長期政権を視野に入れた守りである。しかしこれで得するのは誰もいない。権力者の政治哲学を保持し、日本国民の幸福を願って闘う政治家ではなく、自己保身に入った政治家である。
同じことは企業の経営者にも言える。東芝事件が雄弁に物語っている。日本企業にはサラリーマン経営者が散見しているように見える。自身の任期中にできるだけ瑕疵を少なくするために守りの姿勢に入り、企業が躍動する芽を摘むことである。政治の世界でこれに等しいのは、国家予算のばらまきで有権者の歓心を買おうとする政策である。課題先送りも同じだ。
税金をばらまいて自身の政権延命を図ろうとする施策は、これまで何度も経験してきた。だから国民の根性は悪くなっている。もはや簡単には騙されない。
延命を図る政権の末路は、歴代の政権担当者の行く末を見れば明らかである。このような政治家がリーダーになっている国民は不幸である。この歴史的な「政治常識」を覆すだけの力量(政治哲学)を安倍氏が持っているかどうか。安倍氏が政治家として成熟し、国民主権の立場になった政治家へと変身できるかどうか。
筆者の判断は、7対3で難しいという判断である。このコラムの読者の皆さんの意見を聴いてみたい。
市民団体「戦争をさせない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の主催する「国会10万人・全国100万人大行動」のデモに参加し、シュプレヒコールに思い切り大声を張り上げました。
デモに参加するのは、学生時代から数えて50数年ぶりです。新聞記者になってからは、おびただしいデモを取材しましたが、いつも取材者として見ていたものでした。当事者として参加したのは、実質的に初めてかもしれません。新鮮な喜びがありました。
まずびっくりしたのは、デモ参加者のほとんどが50歳代を中心とする熟年世代でした。若者の姿を追い求めましたが、ほとんどいませんでした。日本の現在の危機を感じました。若い世代と熟年世代にはこうも隔絶した価値観があることを。若者世代が、こうも国の将来に無関心であることを。これは我々、熟年世代の責任でもあると思います。
安倍内閣は、各種世論調査で60パーセント内外の国民が反対している安保法案を国会で成立させようとやっきになっています。国会議員は、国民の代表、つまり国民の代議員だから正統性があるという意志表示でしょう。本当にそうでしょうか。
住んでいる場所、つまり住所だけで1票の価値がまるで違うのです。これは最高裁大法廷の2回にわたる判決「違憲状態」を見るまでもなく、正統性のない選挙によって選出された議員が圧倒的多数の論理で国民の意思とは関係なく強引に成立させようとしています。
国民主権ではない、単なる多数決の原理で国の命運を決める法案が成立したら、日本は世界の国々から軽蔑されるでしょう。アメリカでも内心は軽蔑すると思います。
最高裁大法廷の判決で、そもそも国会議員として資格がないとされている議員もどきが、立法すること自体、国としての体裁をしていません。この現実を私たちは深刻に受け止め、行動を起こすことが第一だと思いました。
それにしても本日のデモは、熟年世代の真摯な思いを心から感じました。70年代に吹き荒れた学園紛争の過激なデモは、新聞記者として現場に立ち会い取材しました。あの時には若い世代の熱気に同感し、「報道」の腕章を巻いていながらデモの学生と腕を組んで「インターナショナル」を歌いました。20歳代の新聞記者は、みな同じ思いでした。
そんなことを思い出しながら、本日のデモ隊の当事者になった自分を当然だと思いました。そして同時に、熟年同志の人々の叫びに感動しました。
藤原瑠美さんの学位論文を称え認知症に備えるパネルディカッションの開催
間もなく日本にも来るのではないかと心配されている認知症の増加に備え、「人と人の絆を考える80人のつどい」が8月22日、東京・芝浦で開催されました。
藤原瑠美さんの国際医療福祉大学博士論文「ケア概念としてのオムソーリを考察する 短時間のホームヘルプで独居できるスウェーデンの認知症の人たち」を称える会でもありました。
藤原さんの論文を読むと、スウェーデンでは「Omsorg(オムソーリ)」という言葉を見直し、その概念を確立して認知症介護の制度に根付かせました。藤原さんの論文は、現場取材と検証で裏付けながら論考しています。
この日の会では、藤原さんの講演のあとパネルディカッションが行われ、医師、介護・福祉関係者らのパネラーと会場からの意見と質疑が熱心に行われました。
藤原さんの講演では、オムソーリの歴史的成り立ちとその概念をわかりやすく説明され、とても良く理解できました。エスロブ市を中心としたスウェーデンでの長年にわたる現地調査については、藤原さんの報告で知っていましたが博士学位論文にするとは思いもよりませんでした。
人は誰でも多くの体験を積んで生きてきていますが、このように体験を学術的な考察をするテーマにまで引き上げ、論文という見える形で書き残して成果を出したことに敬意を表します。
品格を欠いた「安倍70年談話」の文章の流れ
あれから70年が過ぎた。戦後、最も右傾化している首相(憲法上は無資格者)の安倍晋三氏が、終戦記念日の前日の8月14日に閣議決定したうえで「戦後70年談話」を発表した。事前に話題になっていた「侵略」「植民地支配」「おわび」に言及し、「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」などとも表明した。
旅先の島根県津和野町の旅館で地元紙の朝刊を広げ、貪るようにして読んだ。読み終えた感想を一言で言えば、品格を欠いた談話である。「ですます調」と「である調」が混在し、体言止めが散見するうえ文章の流れに首相談話にふさわしい節度や気高さが感じられない。物書きの自分の筆力を棚に上げて言うのだが、この談話の書きぶりは小学校5年生の「つづり方」だなと思った。
安倍氏が戦後70年という節目に出す談話は、周辺諸国・地域はもちろん、世界中の国々から注視されていた。それにはそれなりのわけがあった。
宰相の見識ではなく妥協の産物
注視されていたわけは、戦後日本の総理の中で、もっとも右傾化された宰相であると内外から認められており、過去の言辞の中に時としてあの愚劣な太平洋戦争を妥当化するような言葉が見られていたからである。そして国会では、安保法案が強行採決されて参議院に送られて審議されており、その帰趨の行方はいまなお混とんとしている。
その一方で各種世論調査での安倍内閣支持率は下降線をたどる一方であり、ついに不支持が支持を上回り、安保法案に対する国民の意識は、圧倒的に反対の立場の数字が並んでいる。この期に及んで先の戦争を妥当化するような文言を安倍氏が談話に使うなら、政権は持ちこたえることはできない。そのように首相は考えたに違いない。
その結果出てきたのが談話の中身の軌道修正だろう。村山、小泉首相の談話を踏襲する形で書いてはいるが、文章の流れを見ると一貫した思想が感じられず、単に歴史的事実をなぞりながら論評に等しいような表現が見える。読売新聞8月16日付け一面の報道によると、党内保守派にも配慮して出来上がった談話だったとする舞台裏が解説されている。右派にも左派にも気を遣った妥協の産物の談話だったのだ。切り貼りしたような文脈にその断片が見え隠れしているように感じた。
その事情を知らなくても長々と書き連ねた文言を読めば、自ずと伝わってくる。英語、中国語、韓国語に翻訳されてもそのニュアンスは正確には伝わらないかもしれないが、日本語では「宰相の力量」が図らずも露見してしまった。これは信念なき宰相の談話である。
それに比べ8月15日の全国戦没者追悼式(写真)に出席した天皇陛下のお言葉は、凛とした天皇の意思の響きがあった。天皇陛下として初めて「先の大戦に対する深い反省」の言葉を入れ、平和を願う思いが全編を貫いている品格を感じさせるお言葉であった。
戦争の責任を問うていない日本国民
筆者の考えを述べれば、先の大戦は日本の指導者の比類なき誤りであり、中国、韓国などアジアの諸国・地域の人々に多大な迷惑をかけた愚かな戦争であった。平和外交戦略の道筋を歩くことなく、ひたすら軍拡を目指して軍国主義を肥大化させ、しかも科学情報に疎いお粗末な判断力によって日本の有為な人材300万人以上を戦火の藻屑として消滅させた。
その誤った指導の責任を日本人として、けじめをつけたことはいまだに行っていない。昭和天皇を含め、いつ誰がどのようにして国を誤った方向に導いたのか。極東軍事裁判の結論とは別に、日本人の手で日本人が戦争責任をきちんと総括し、内外に一定の考えを定着させることがなければ、日本は未来永劫、中途半端な戦争責任を背負ったまま行かなければならない。
若い世代の歴史認識は甚だ貧弱な知識である。日本はどのような道を歩いてきたのか、近隣諸国の指導者らに指摘されるまでもなく、自ら歴史を学んで総括することをしなければ、いくら言葉を並べ立てて談話を発表しても、国民に浸透しないだろう。
日本人は、日清、日露、日中、太平洋戦争までの半世紀に及ぶ戦争拡大時代の歴史の真相を、しっかりと学ぶ必要がある。
夏休みで帰省中の、世界の有機化学者の第一人者、大村智先生の書斎を訪問しました。折しも東洋経済新報社の写真取材があり、便乗して写真を撮影をしました。
熱帯地方の住民を救ったイベルメクチンの科学構造模型を手にしながらの研究物語は、何回聞いても感動します。また今回は、研究を経営する話をお聞きして、研究者がいかに効率よく研究を進めなければならないか、その努力の一端をお聞きして感銘を受けました。
韮崎大村美術館では、日本を代表する女流作家の名画の数々が展示されており、興奮しながら鑑賞しました。隣接して温泉とお蕎麦レストランがありますが、これはすべて大村先生がオーナーになっているものです。女流作家の美術館を鑑賞した後は、ひと風呂浴びてお蕎麦を堪能してもらうという大村先生のアイデアです。山梨の灼熱の夏のひと時を楽しみました。
物理学校創設者の一人である小林有也先生の足跡を辿るために長野県松本市に行きました
小林先生は、明治13年に東大理学部仏語物理学科を卒業した日本で最初の理学士でした。農商務省に勤務した後、長野県の理学教育のために赴任して中等学校の創設にかかわり、明治19年、31歳のときに松本市に赴任して現在の松本深志高校の校長となりました。
教育に情熱を燃やし、60歳のときに現役のまま亡くなりました。晩年は、松本城の修復を主導し、現在の松本城があるのは小林先生の尽力のおかげだと言われています。