柳下裕紀先生の論文:「TPPは国内改革の触媒にするべきだ」
国民主権を踏みにじった与党の強行採決

守りに入った安倍政権は国民不在に傾斜か

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 本日、9月14日、中国総合研究交流センター(CRCC)の第15回中国研究サロンに参加し、「安倍談話と日中関係」をテーマにした講演と多くの討論を聴いた。

 講師は、時事通信解説委員で、前「外交」編集長だった鈴木美勝氏である。鈴木氏は、外交ジャーナリストとして活躍しており、政府機関、政治家に多くのパイプを持っている。その機動的な武器を駆使して、先の安倍談話を分析して講演した。

 戦後70年の節目に出した首相の談話であるが、なぜ世界中が注目することになったのか。理由は、戦後、もっとも右傾化している日本の首相が、歴史認識を変え戦後の国際社会の定義を変えようとしているのではないか。そういう疑念を持っていたからだ。最大の注目国はアメリカだった。それだけアメリカには信用のない首相だからである。

 この日の鈴木氏の講演で、戦後70年安倍談話は、前のめりに右傾化していた安倍氏の政治的な信条もしくは政治哲学が軌道修正され、あのような談話になったという解説だった。それと同じような筆者の見解は、このコラムでも書いている。しかし鈴木氏の発言の中でも筆者がもっとも注目したのは、「安倍氏は長期政権を視野に入れてきた」というコメントである。

 長期政権を視野に入れれば守りの姿勢になる。その結果が、あの中途半端で「つづり方」に等しい談話だったことに気が付き、鈴木氏の分析結果に共鳴した。

 筆者のコラムでも書いたように、あの談話は一国の宰相が発信した政治信条などではなく、妥協の産物だった。右と左をうまく勘案して信条も哲学も感じられない、単なるつづり方であった。これが筆者の感想であった。10年後、20年後にその評価が出るだろう。

 安倍氏はすでに守りの姿勢に入った。長期政権を視野に入れた守りである。しかしこれで得するのは誰もいない。権力者の政治哲学を保持し、日本国民の幸福を願って闘う政治家ではなく、自己保身に入った政治家である。

 同じことは企業の経営者にも言える。東芝事件が雄弁に物語っている。日本企業にはサラリーマン経営者が散見しているように見える。自身の任期中にできるだけ瑕疵を少なくするために守りの姿勢に入り、企業が躍動する芽を摘むことである。政治の世界でこれに等しいのは、国家予算のばらまきで有権者の歓心を買おうとする政策である。課題先送りも同じだ。

 税金をばらまいて自身の政権延命を図ろうとする施策は、これまで何度も経験してきた。だから国民の根性は悪くなっている。もはや簡単には騙されない。

 延命を図る政権の末路は、歴代の政権担当者の行く末を見れば明らかである。このような政治家がリーダーになっている国民は不幸である。この歴史的な「政治常識」を覆すだけの力量(政治哲学)を安倍氏が持っているかどうか。安倍氏が政治家として成熟し、国民主権の立場になった政治家へと変身できるかどうか。

 筆者の判断は、7対3で難しいという判断である。このコラムの読者の皆さんの意見を聴いてみたい。

 

 

 

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