06 本の紹介

日本の企業社会に巣くう「産業スパイ王国」を返上できるのか

産業スパイ活動の実態を詳細に書いた本の出版

  日本は、以前から産業スパイが跋扈する「産業スパイ王国」と言われてきた。企業の中で不遇をかこっていたりリストラされた従業員が、韓国、台湾、中国に渡った技術を不当に漏えいしたり企業情報を持ち込み、多額の報酬を得ているという噂が絶えなかった。

 これは単なる噂ではなく、真実であることを決定づけたのが、2012年4月、新日本製鉄(現・新日鉄住金)が、「特殊鋼板の製造技術を盗まれた」として、元従業員技術者と韓国の鉄鋼メーカー、ポスコに損害賠償を求めて東京地裁に訴えた事件である。
 1990年ころに新日鉄を辞めていった複数の技術者たちが、企業秘密になっていた特殊鋼板の製造技術をポスコに流し続け、ポスコはその技術を使って新日鉄が独自に開発した鋼板技術に追いついてきた。

 この事件は2015年9月、ポスコが300億円を新日鉄住金に支払うことで和解した。ポスコが今後、特殊鋼板の製造販売に関するライセンス料を新日鉄住金に支払うことなども合意事項に含まれているとされている。
 ア メリカでの訴訟なら、軽く1000億円を超えた損害賠償支払いと予想される。和解が異常に多い日本の知財訴訟で、ポスコは救われたのではないか。韓国の大 手企業が、日本では正当に特許を守ってもらえないので、日本には出願をしなくなっていると聞く。アメリカの大手企業も同じである。

                             

                                                           渋谷高広氏の著書

 産業スパイ活動は、地下に潜って実情が分からない状況が続いていた。その実情を丁寧な取材と裏付けで書いた本「中韓産業スパイ」(日経プレミアシリーズ)が昨年出版されて話題となった。

 執筆者は日本経済新聞社の渋谷高弘・編集委員である。第1章をこの新日鉄産業スパイ事件の顛末で埋めており、詳細に訴訟での争点が解説されている。 それを読むとポスコ側は、訴訟理由とした不正競争防止法違反の対象になる営業秘密の管理が不十分だったとする理由を執拗に追及している。

 つまり日 本の旧不正競争防止法では、営業秘密であることを立証する条件が厳しすぎるとして使い勝手が悪いとされていた「欠点」を衝いてきたことになる。こうしたこ ともあって昨年、改正不正競争防止法が成立し、今年1月から施行されている。罰則が引き上げられ、警察などの捜査当局は被害届がなくても捜査・摘発できる 法制度に改正した。

 さて渋谷氏の著書だが、これまで話題となった日本の産業スパイ事件を検証し、旧不正競争防止法の欠陥と日本企業の営業秘密管理の取り組み、そして中国、韓国などに流れていった技術とスパイ行為の手法などについて詳しく記述している。

 この本は、日本企業の知財部門のスタッフにとって必読の書である。企業が産業スパイから守るための処方についても言及しており、サイバー攻撃から守る術やセキュリティ対策にも広げている。

                          

改正不正競争防止法でどれだけ産業スパイを摘発できるか

 日本企業の中に潜り込んでなかなか露見してこない産業スパイの実態だが、2016年2月9日付け、日本経済新聞の社会面トップで、企業が積極的に捜査当局に情報提供してスパイ行為を摘発するべきとの主張で報道している。

 この記事では、企業側は産業スパイに被害があっても顧客への信用棄損を恐れて警察沙汰にしたくないという風潮を報告している。警察でもこうした事実 をつかんだ際には独自に捜査して摘発できるために、専門の捜査員を要請し、企業にも積極的に相談を促すように働きかけているという。
この報道も参考になるので、是非、企業の知財担当者は読んでほしいと思う。

 


北村行孝・鶴岡憲一「日航機事故の謎は解けたか」(花伝社)


 

 あの事故から30年。メディアの報道特集を見ながら時間の流れを感じていたが、この本を広げて読み出すと、あの日あのことが臨場感あふれる筆致で展開されており、つい先ごろの事故であったように再現されていた。

 2人の元読売新聞社会部記者が、どうしても書き残したいという思いを持ち続け、ついに上梓したものである。専門的なデータと証言を再検証して整理した記録であるが、同時にこの事故の原因に迫った一級の資料にもなっている。

 全編を通じて、新聞記者らしく事実に即した記録を辿っている。事故調査委員長だった八田桂三氏が書き残したB747型機の安全向上策を書いた「建議書」は、公式に取り上げられることなく幻に終わる。入院先の病院でまとめ、米側にも伝えようとしながら、結局は幻の建議書となったが、八田氏の思いが込められた直筆の文書(写真)が、巻末に収納されている。このような人物と文書を知っただけでも、この本を読んだ価値があった。

 著者らは、アメリカから原因調査で日本へ派遣されてきたトム・スウイフト氏の事故原因を詳細に記述した直筆の文書(コピー)を入手する。この文書を中心に、当時の関係者の証言と資料を検証しながら機体尾部が破壊に至った過程を追跡して詳細に記述している。

  事故機がどのような機内環境で飛び続け、機内の急減圧は生じたのかどうか。その様相を検証した事故調報告書とパイロットで組織する連絡会議の見解は平行線をたどったままであることを示し、さらにベテラン機長だった杉江弘氏の見解も取り上げている。

  520人の命を犠牲にした史上最悪の航空機事故の原因は、30年経てもなお議論の余地を残していることを知り、あの事故は解明されない部分を残したまま、まだ「飛行」を続けているようにも感じた。本のタイトルにある「謎は解けたか」と問いかけた理由であろう。

  第3章に収納されている事故調専門委員ら7人とのインタビューは、当時の生々しい状況を伝える記録として歴史的な意味も含んでいる。事故直後のインタビューだけでなく、長い歳月を経て当時を振り返りながらこの事故の教訓を改めて述べている人もいる。墜落事故の全貌を肉声で残そうとした試みでもある。

 読みやすい一般書であるが、専門資料としても貴重な書籍になっている。

 



 

 

 


宮川幸子・清水至「事業をサポートする知的財産実務マニュアル」(中央経済社)

 

知財本宮川・清水宮川幸子・清水至「事業をサポートする知的財産実務マニュアル」(中央経済社)

  知財の世界は高度・専門性が高く、一般の人は容易に入り込めない分野である。これまでの企業や各種機関の知財担当者は、一種の「ムラ社会」を作り、理解しあえる仲間が寄り集まって仕事をしていた面がある。

  経営者も紛争が起きれば知財ムラに解決策を一任し、聞きかじった知識だけで知財戦略を打ち出すような傾向があった。

  しかしIT産業革命が世界中に広がってきた今の時代には、知財戦略は時として企業の死命を制するツールになりかねない。パテント・トロール、パテント・オークション、パテント・プールなど新しい知財の業態が芽生え、知財戦略の中で大きなうねりを起こそうとしている。

  この本は、こうした現代の国際的な背景をとらえ、知財人材として本当に役立つ人を育てるためのいわばノウハウを提示したものである。特許を取り巻く課題だけではなく、意匠、商標、模倣品対策や税関対策、契約にまつわる留意点まで言及している意欲ある編集になっている。

  具体的なケースステディ風に、ある架空の企業とその研究開発と知財戦略、経営戦略まで漫画入りで分かりやすく説明しており、この種の本としては異例の工夫をしている。

  これは知財を教育する企業の研修などに使用できるいい教材になるし、大学などの教科書代わりにもなるものだ。何よりも、具体的なケースに対応する方法を示している点がユニークであり特長になっている。

  企業や各種機関の知財部門は、この本を参考に是非、実のある知財戦略を推進してほしい。また知財を担当してきた人にとっても、この本に書かれている事例を参考にしながらこれからの取り組みをたててほしいと思った。

 

 


久慈直登「喧嘩の作法」(ウエッジ)

 

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  知的財産の武器は知財の権利にある。特許、実用新案、商標、意匠、著作権、ノウハウ・・・。その権利をめぐる争いを著者の久慈氏は「喧嘩」と名付けた。いい名称である。

 著者は、ホンダ(本田技研工業株式会社)知的財産部長を務め、日本知的財産協会(知財協)専務理事、日本知財学会副会長を務める知財の世界でのリーダーである。その著者が、ホンダの知財戦略や係争事件を織り込みながら知財現場の話を達者な語り口で語って聞かせてくれる。

 日本の代表的な企業の知財専門家が、具体的な事例をもとに書いた知財本として優れた啓発書であり、知財活動を目指す若い世代の人たちは是非、これを読んでほしいと思った。

 ホンダ育ちの著者が語るので、ホンダの知財戦略や研修の様子や創業者本田宗一郎氏が他人の知財権利を尊重するエピソードも出てくる。これを読んで筆者は、苦い経験を思い出した。

 本田宗一郎氏にインタビューしたとき、本田社長はマン島でのオートバイレースで勝ったメーカーのオートバイ部品をばらして日本に持ち帰った話をした。若かった筆者は「そうして真似をするのですね」とうかつにも口走った。

 すると本田社長の表情がみるみる険しくなった。「真似するんじゃねえよ!それ以上のものを作るために持ってきたんだ!」。

   あの迫力に震えあがった筆者の苦い思い出がよみがえった。

 示唆に富んだ話が満載であるが次作を期待したい

 この本のタイトルにある「作法」とは、国際的に展開するときの国別、地域別、技術レベル別に、いかに取り組むべきかその戦略についてであり、示唆に富んだ話で埋まっている。韓国、中国の儒教思想や朱子学の行動原理との交渉術など著者ならではの話はためになる。

 日本は知財訴訟が極端に少ない先進国だが、その原因は知財協などのネットワークを通じた人脈で、当事者間で話し合って解決するからだという。なるほどこれは「知財談合」とも言うべき日本の産業界に根付いた「悪しき伝統」ではないかと筆者は思った。

 その一方で著者は、国際的に知財紛争が増えており、アメリカでホンダは原告となって訴訟を仕掛ける企業になっていることを語っている。さらに中国では、将来日本企業を巻き込んだ知財訴訟が増加するとの予測のもとに、法廷闘争を含めた訴訟スキルを磨くべきだとの主張も展開している。

 世界同時訴訟や知財訴訟の勝率を上げるための戦略など「喧嘩の準備」にも踏み込んでおり、修羅場をくぐり抜けてきた内容は、たいへん参考になる。

 ほかにもノウハウの戦略、パテントトロールの現況、ブランドマネジメント戦略、知財と税務の話など実務に即した内容は読みごたえがあり、知財部門のスタッフは参考になるだろう。

 ただ、日本のすべての企業がホンダのようになれるわけではない。著者は日本の知財世界のリーダーとしてベンチャー企業、中小企業から大企業まで知財戦略を俯瞰する立場にいるはずだ。

 日本が知財立国として国際的な存在感を出すためには、ホンダのような一部の大企業が勝てばそれでいいとはならないと筆者は思う。そのような視点で著者にはもう一度語ってほしいと思った。次の著作に大いに期待したい。

 


長谷川博「オキノタユウの島で 無人島滞在アホウドリ調査日誌」(偕成社)

 

オキノタユウの島で

 長谷川博先生(東邦大学名誉教授)が、生涯をかけて取り組んでいるオキノタユウ保護と生態調査の日誌である。日本ではアホウドリと呼んでいるが、長谷川先生は、この呼び名は不遜ないいかただからやめようと提唱、山口県長門地方で呼んでいるオキノタユウがふさわしいとして、もうだいぶ前からこの呼称を提起している。

 確かに、陸の上では歩くのももどかしく、江戸時代から明治時代には鳥島を埋め尽くしていた数百万羽のオキノタユウが、羽毛や肉を取るために撲殺されていた。人間にほとんど取り尽くされて戦後は絶滅宣言までなった種であった。

 長谷川先生は1973年5月7日、京都大学大学院生時代にイギリス人の鳥類学者のランス・ティッケル博士と出会ったことから始まる。イギリス海軍の支援を受けて、博士が鳥島にオキノタユウの調査に出向いたことなどの様子を詳細に聞いてびっくりする。鳥島は1965年11月16日に気象観測所が閉鎖されてから無人島だった。

 ティッケル博士は、「鳥島は日本の島であり、そこで絶滅種に瀕しているオキノタユウの保護は、日本が責任を負っている」と長谷川博士にメッセージを寄せるが、この一言で長谷川博士は鳥島のオキノタユウの調査と保護に取り組む決心をする。

 この本は鳥島でたった一人でオキノタユウの生態を調査し、孵化して育った幼鳥に足環をつける活動を克明に記録した内容で埋め尽くされている。鳥島に滞在した1か月間を日誌風に書いているものではあるが、読み始めるとやめられない。そこには鳥島の自然、動植物の様子とオキノタユウの生態が書かれているだけでなく、長谷川先生のオキノタユウに対する愛情が行間に埋め尽くされている。

 鳥島に渡った当時、ヒナと成鳥合わせて71羽だったものが、すでに観測数が1000羽を超えるまでに回復している。筆者は、長谷川先生の調査の初期のころから読売新聞にその活動を掲載したり、調査の支援をしてきた。たいした支援にはならなかったが、その活動には敬意をもって見守ってきた。

 この本は、鳥類のフィールドワークをする研究者にとっては、バイブルのような資料になるだろう。そして一般の読者にとっても、絶滅種を保護しようと立ち上がった研究者の行動に共鳴し、ここまで続けてきた研究活動に感動せずにいられない内容になっているだろう。

 読み進むにしたがって、長谷川先生と一緒に鳥島で生活しているような錯覚に陥ったが、鳥島の自然の厳しさと生物たちの生態を肌で感じるような場面も随所に書かれており、自然観察書としても一級の資料である。

 

 


佐野陽子編「真夏の空は青かった」(サノックス)

真夏の空は青かった

 空襲警報が鳴ると、大人たちに手を引かれ、隣家との間に掘った防空壕に潜り込んだ。防空壕と言っても穴を掘って上に屋根らしい板をわたし土をかけただけだから、実際には何の役にも立たなかっただろう。トタン板を棒でたたくような連続音が響いていた。あとで分かったのだが、これが米軍戦闘機からの機銃掃射だった。

 筆者の終戦当時の記憶はわずかその程度だが、当時、10歳から10代最後の年代になっていた人たちが、記憶を持ち寄って編んだのがこの本である。学童疎開の日々、空襲に耐えた日々、飢えに苦しんだ日々、目の前で展開された地獄絵、軍国少年だった幼少期の思い出など、多数の戦時中の記録で埋まっている。

 このような体験をした多くの人がいなくなった。わずかに残された人々が戦争を知らずに歴史を修正しようとするような政治家たちも含め、誤ったかじ取りをしてほしくないとの思いをこめて作った本であろう。どの部分も平易な文体で綴ってあり読みやすく、事実の迫力で読者の心を打つ。

 憲法は占領軍に押し付けられたものであり、日本人の手で作り直す必要があるという主張を声高に唱え、日本国憲法をまるで悪しざまに言う人々がいる。日本と日本人は、戦後営々と平和憲法を尊重し、戦後の復興に取り組んだ民族である。それがあったからこそ、日本は多くの国々から支持され信頼されてきた。それを今になって手のひらを返すように自主憲法とか自主軍隊の保持などを憲法で明示しようとする勢力が日増しに強くなっている。これに対し筆者は、断固として抵抗する。

 そうした思いの一端が、この本の中で連綿と書かれている。戦後70年を迎えて、社会がざわついている。事を構えているのは政治家である。たまさか圧倒的多数を保持した政党が、70数年前に国の運命を変えたあの同じ道を歩むことがあってはならない。

 この本を作った人々に敬意を表し、新たな思いに浸っている。

 

 


 黒木登志夫「iPS細胞 不可能を可能にした細胞」(中公新書)

 

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  生物学、医学を志す若き学徒にとって必須の本であると同時にマスコミ人にも必須の文献である。私たち一般の人にも読みごたえがあり、ためになる本である。読みだしたら止まらない興味が次々と出現することにも感心する。

 前半は細胞分裂を繰り返して体が出来上がってくるまでのプログラムを組み込んだ幹細胞の役割や、これまでの研究進展を解説している。そして第2章でiPS細胞研究に至るまでの先人の業績に触れ第3章で山中伸弥教授の生い立ちから研究取り組みへと入っていく。

 生物・医学の研究内容だからどうしても専門用語が多数出てくるが、巻末に「基本のキ」という項を設けて解説している。文中に出てくる人物イラストは、著者の中学時代からの親友である永沢まこと・イラストレーターであることが巻末で分かったが、それだけで感動した。この種の書物で、イラストで人物描写をするのは多分初めてではないか。

 著者の黒木登志夫先生のこのようなアイデアと配慮が、書いている内容を身近にひきつける役割を果たしていることは間違いない。

 黒木先生は達意の文体の書き手として知られているが、この本も大変わかりやすく随所に黒木先生だけしか言えないユーモラスな表現があって、その都度硬さをほぐしてくれている。これは「黒木節」ともいうものであって誰も真似ができない。

 山中教授の語る「大阪弁の英語」のカッコ書きは秀逸である。そのほかにも折々に書いているカッコ書きのつぶやきもまた気が利いている。

 この本の価値は、がん細胞の研究者として実績を積み上げてきた黒木先生が、最新の研究現場を取材し、一級の研究者の意見を吸い上げ学術論文を読み解いて書いた啓発本であることだ。だから書かれている内容は、実証的であり科学的にも確かな論述で埋まっている。巻末に掲出されている参考資料の一覧をみると、研究論文そのものである。

 取材の中で得たと思われる研究者仲間の情報や学界の動きがふんだんに入っていることも読者を飽きさせない。黒木先生自身が読者に伝えたいと思うその心意気ともいうべき動機が、読者をひきつけてしまうのである。

 さらに、iPS細胞は再生医療への応用というよりも、第7章の「シャーレのなかに組織を作る」、8章の「シャーレのなかに病気を作る」などで、iPS細胞研究の広がりを知りびっくりした。第9章の「幹細胞で病気を治す」でiPS細胞研究の集大成へのプロセスを知ることになる。

 最後に先に世間を揺るがせた小保方晴子氏のスタップ細胞など幹細胞研究をめぐる過去の疑惑と不祥事についても言及しているが、これはいわば顔出しであって、黒木先生の次作は「研究不正」(仮題)という予告があった。こちらにも大いに期待している。

 

 書物の紹介にしては枝葉の内容になってしまったが、黒木先生の著書の紹介ではどうしてもそちらに目が向いてしまう。書物の中核と本筋は言わずものだからだろう。是非、手にしてもらいたい一級の科学書である。

 

 


「21世紀の日本最強論」(文藝春秋編)

 

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 日本は衰退の一途を辿っているのではないか。いずれ中国に追い抜かれていくのではないか。その「裏意識」として中国が「こけてくれる」ことを願っている人もいるのではないか。しかし、そうはいかないのが現実であり歴史である。中国の科学技術も金融システムも社会秩序も当面それなりに無事に推移していくというのが筆者の論評である。

 それはさておき、この本は、日本は沈没しません、日本民族は世界の中でも先頭を走っている人々ですとの思いを集約し、日本の近未来のあるべき姿の輪郭を示した本である。

筆者も「ノーベル賞量産の秘密」とのタイトルで、この本の中でそれなりに思いを書いた。16人の著者がそれぞれの立場で、日本と日本人の強みと誇るべきことを書いている。

 たとえば、加藤崇氏が書いている「世界一の国産ロボットはなぜグーグルに買われたか」という稿を読むと、技術の先端性よりも日本の企業社会の後進性と課題が浮き彫りにされている。ここで書かれているロボット事業が成功するかどうかは未知数だが、だからこそ挑戦するという精神風土も意気も日本には不足している。そのようなことを訴えた稿である。

 あるいは、浅川芳裕氏が問題提起している「高齢化で農業に未来はないのウソ」を読むと日本の農業の様変わりにびっくりし、政府が統制している時代遅れの施策の愚かさがあぶりだされている。

 歴史家の磯田道史氏の「日本人が日本を捨てるとき」は、日本の歴史の変遷を語りながら日本民族の行方を示唆している。そして日本語をどのように評価して生きていくのか、その未来像を訴えた稀有の論評である。読んでいて本当にためになった。

 この本の帯に『日本の「強さ」を自覚せよ』とある。しかし自覚することはこの国の強さではなく、「国家と国民が変革するべき」自覚である。たとえば一人一票実現もできない国家と国民に時代は味方をしない。それを自覚してこそこの本の価値が出てくる。


荒井寿光・馬場錬成「知財立国が危ない」(日本経済新聞出版社)

 

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   荒井寿光氏との共著とはいえ、自分の著書をブログで取り上げるのは、いささか気が引ける。だからしばらくは迷っていたが、思い切って掲載することにした。

したがって論評はできないので、著書として世に出した動機を語った「まえがき」だけを示すにとどめたい。

 まえがき

知的財産が重要だという言葉が掛け声のように叫ばれてから久しい。1990年代後半から2000年代前半にかけて、日本が官民あげて取り組んだ「知財立国運動」は世界のモデルとまで言われた。それから10年余を経てプロパテント(特許重視)の先導役として期待された知財高裁の役割、産学連携の活性化や起業家の輩出、特許行政の進展と知財戦略を柱とした企業経営などはどのように変革しただろうか。

この本はそれらの現状を検証し、日本の知財現場に横たわる課題を整理して洗い出し、その解決策を提起するために荒井寿光と馬場錬成が対談形式でまとめたものである。著者らが精査したところ、日本の知財戦略はこの10年停滞しており、かつての知財立国への取り組みは掛け声倒れに陥っているとの結論になった。

日本の知財戦略に何も進展がなかったというわけではなく、世界の潮流が日本の進展よりもはるかに速く進行しているため、相対的に日本が立ち遅れているというのが実感であった。

荒井は1996年に特許庁長官、2001年8月に民間団体の知的財産国家戦略フォーラム代表、2003年3月から内閣官房知的財産戦略推進事務局長などを歴任して、日本の第一次知財改革を先導した。現在は知財評論家の肩書を使って評論活動を行っている。

馬場は2000年11月まで読売新聞論説委員として知的財産、産業技術、研究開発などのテーマについて取材・論評し、その後東京理科大学知財専門職大学院教授となり、中国の模倣品問題や日中の知財動向について現場取材を続けてきた。

二人は他の仲間とともに知的財産国家戦略フォーラムでまとめた「知財改革100の提言」を2002年1月に小泉内閣に提出し、第一次知財改革のきっかけを作った。その後も、特定非営利活動法人21世紀構想研究会の活動を通じて、知的財産の諸問題を検証して政策提言する活動に取り組んでいる。

この本で語るテーマは目次に示した通りだが、冒頭から順次読み進むようにはしないで、読者が関心あるテーマを選んで読むように編集したものである。したがってどこから読み始めてもいい。

知的財産の問題は、専門的で多岐にわたる分野であるため、論議してもときとして迷路に入り込み、容易に理解できないことがしばしばである。しかしこの本は、専門的な論議は極力避けて、大きな課題のありかとその解決策を大づかみ示そうと試みたものである。したがって専門的な知識を要求する読者には、やや物足りないものが残るだろう。

しかし著者は、政治家や行政官、企業経営者や一般の企業人、大学人と研究者など多くの人々に知財の現状を大づかみに認識してもらうことが、今の日本にとって重要であると考えた。そのためには啓発書が必要であり、このような対談形式で語り合ってわかりやすく示すことで目的を達成できるのではないかと考えた。

専門的な見解や論述は他の専門書にゆだねることにし、とりあえず知的財産の現場の課題と解決策を示唆する啓発書として世に問うことにした。

 

2015年1月

荒井寿光 馬場錬成

 

瀬木比呂志「ニッポンの裁判」(講談社現代新書)

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「権力の番人」に成り下がった日本の司法・裁判所

 筆者は35年間、読売新聞記者として行政、司法の現場を取材する機会があったが、いくつかの感慨を持ったことがある。日本の司法への不信感である。

 国民一般、庶民は最後の拠り所として裁判所に駆け込むことがある。裁判所こそ真実を究明して公正な判断をしてくれるに違いない。そう信じて裁判所に訴えることが多い。弱者の最後の砦になってくれるのが裁判所であると、国民は信じてきた。

 多くの国民・庶民はそう思っているのではないか。

 その思いに筆者は疑念を持ってジャーナリスの活動を続けてきた。しかしこの疑念が真実であることを証明する手段がない。あるかもしれないが、膨大な実証証拠を突きつける必要がある。

 しかしこの本「ニッポンの裁判」(瀬木比呂志、講談社現代新書)を読んで、自分の思いや見解が間違っていなかったことを確信した。

 著者の瀬木氏は、前著「絶望の裁判所」(講談社現代新書)で、日本の司法組織は最高裁事務総局によってコントロールされた「形骸化された司法の姿」であり立法府と司法府の権力下に置かれた組織であることを実証的な記述で詳細に語った裁判所批判本である。

 その前著を受けた「ニッポンの裁判」はさらに「形骸化された司法の姿」を実証的に浮き彫りし、法の番人ではなく「権力の番人」に成り下がった実態を余すところなく暴き出した書物である。

 たとえば刑事事件で起訴されると、99.9パーセントが有罪になりこれは中世の司法と同じだという。日本に重大な冤罪が多いことも、鈴木宗男・佐藤優事件、小沢事件、村木事件など国家権力の意を受けて刑事裁判で有罪にした事例であることを限りなく抱かせる論述は同感である。

 行政訴訟の原告勝訴率が8.4パーセントというのは、正義が通らないことを示している。

 近年、民事訴訟の件数が減少しており、地裁全民事訴訟新受件件数は2003年度をピークに2013年度は45.1パーセントまで激減している。最後の拠り所として裁判所にすがろうとして国民・庶民が裁判所に駆け込んでも正義が勝つことはできないとして司法を

あてにしなくなったことではないか。

 国会議員選挙の投票の価値を問うた一人一票を求める裁判でも、投票の価値が不公正であることを「違憲状態」という法理にない「情緒的判断」でごまかしてきた最高裁の驚くべきでたらめぶりにも表れている。

 この本で瀬木氏は「現在の裁判所・裁判官の状況、その多数派の意識と裁判を前提とする限り、三権分立など絵空事であり、司法による官・民の権力チェックも絵空事である」(本書、187ページ)とある。

 筆者が長年フォローしてきた特許裁判の判断でも、特許技術の侵害事実を審理することはなく、単に書面に書かれてきた真偽不明の論述とレトリックを取り上げて判断する裁判であり、真理を追究する裁判ではないことを見てきた。

 日本はいまや司法の危機である。

 

諏訪貴子「町工場の娘」(日経BP)

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書名の副題に「主婦から社長になった2代目の10年戦争」とある。東京・銀座の書店の一番目立つ新刊書籍コーナーに平積みしてあったのですぐに手にして広げた。

日本の高度経済成長期を支え、日本のもの作りを支えた東京都大田区の町工場の再興の記録である。32歳で父親の跡を継いで社長になった専業主婦の10年間の奮闘記。IT産業革命で熟練職人の時代は過ぎ去ったと書いてきた筆者(つまり私・馬場錬成)の固定観念を打ち砕くすごい内容に感動した。

本を買ってからすぐに読み始めてあっという間に読了した。感動で何度も目頭をぬぐった。筆者は1990年代の初めから、町工場が集積している東京都大田区に通って、この目で金型工場をはじめ日本の大企業と町工場が協働作業で築き上げた日本型もの作り現場を取材してきた。

その取材の結果は、IT産業革命の時代を迎え、大田区に象徴される町工場とそれを支えてきた熟練職人は消え去る運命にあることを強く感じ、多くの著作物やコラムに書いてきた。しかしこの本を読んで、日本人のもの作りにかける情念を感じ取り、IT産業革命の時代にあっても日本型もの作りの進路があるのではないかと思い始めている。

本に書かれていることは、従業員30人ほど売上数億円規模の典型的な町工場の話であり、大企業とは無縁の内容にも思えるがしかし違う。ここには日本人の精神風土で築き上げた工場、企業、社会の文化が凝縮されている。

本の中に2007年11月の社員旅行の写真とともに、長野県の温泉宿で語った社員との会話の中で、時には社長と対決して「てめえ、ばかやろう」と発言した幹部社員らが「俺たち、社長に一生ついていきます」と語って社長を励ますエピソードやリーマンショック後の経営危機を全社員が死ぬ思いでしのいだ数々の話が書かれている。

社長も社員もどれほど苦悩しただろうか。従業員の立場や会社の存亡を考えながら、それを乗り越えてきた町工場のエネルギーが余すところなく書かれている。社長も社員も運命共同体の中で試行錯誤を続けていった事実の持つ迫力は圧倒的であり、本音で闘い生きてきた市井の人々の息遣いが伝わってきた。

著者の諏訪貴子さんは、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」大賞を受賞した経営者である。白血病で急逝した父親の遺志を引き継いで零細企業を建て直してきた実績をさらに積み上げ、大きく発展していくことを期待して止まない。そのような感慨が自然と湧き出るような読後感であった。

 

丹羽宇一郎「中国の大問題」(PHP新書)

 

 

 

前中国大使の丹羽宇一郎氏の著作である。 親中国大使として事実上解任された大使である。親中国であるかどうかは、この本を読むと分かるが、別に親中国であって何も不都合がないことが正常な感覚である。それを政府もマスコミもこぞって売国奴に近い扱いをした。

この本のタイトルからして、中国のネガティブキャンペーンの本かなと思って手にしたが、中身は中国の実態に迫ろうとして活動した著者の活動歴と著者の考えを書いた本である。その行動力と発想には、いまどきのひ弱な「秀才外交官」や社会の実態を知らないぽっと出の政治家など足元にも及ばない。

本を読み進むにしたがって、著者の中国の指導者層との人脈の厚さには驚いた。日本国民にとってはまったく知らない中国人要人が山ほどいるが、そのような人々との人脈を築いた著者が語る中国の政治体制の中身と将来につながるだろう予測、そして社会実態に対する見解は非常に参考になる。

筆者も中国には60回ほど渡って見聞を広げてきたと思っていたが、丹羽氏の活動に比べれはごみにも満たないことを知った。 

中国の重要性を本当にわかっている政治家はいるのだろうか。筆者が常日頃から抱いてきた疑問だが、著者の丹羽氏も同じ感慨で書いたものではないかと思った。古い歴史から振り返ってみても、日本人ほど中国の思想家や文化人から学んだ国民は、世界にないのではないか。明治維新まで日本は、漢学一辺倒だった。

明治維新以降、日本は中国文化を捨てて西洋文化に劇的に切り替えて近代化を果たした。それは一面では成功したかもしれないが、「日本は中国を侵略し多くの中国国民に迷惑をかけた」。それが歴史認識のもっとも端的な表現である。

そのようなことを語ってはいないが、それを思い出させる記述になっている。この本の最後に書かれた現代日本の病巣を語っている内容とその対応策の提示は大変参考になる。政治家や企業経営者が読んでほしい本である。

 

神山典士「新・世界三大料理」(PHP新書)

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 おいしいものには目がないというのは世界共通である。世界を代表する料理と言えば、フランス料理、中華料理とくるが、さて3つ目は何か。そう問われれば、誰でも立ち止まるのではないだろうか。3つ目は和食であり、世界三大料理の一角を占めるようになったというのがこの本のテーマでもある。

 中村勝宏、山本豊、辻芳樹さんという日本を代表する3人の料理専門家を監修にして書いた料理本であるが、食の知識と情報がふんだんに詰まっている文化本である。イタリアの食文化から生まれたと言うフランス料理が、世界制覇へ至る戦略は、なるほどそうだったのか感心させられる。

 和食が引き算の美学と言うのもなるほどと思わせる。日本人が普段から感じているのは食材の豊富さであるが、軟水を利用した料理法で作るというのにもびっくりした。水と火力を使った調理法が豊富だと言う。蒸す、煮る、ゆでる、ゆがくと言われてみればその通りである。

 外国へ出ると和食のレストランが氾濫しているが、和食とはちょっと違う料理に出くわすことは珍しくない。日本の食文化が誤って伝わる危惧もあるわけだが、ベルギーから来日して和食を研修した料理人の驚きのルポがその現実を語っている。 いつもながら著者の取材力が詰まっている。

 著者は学校給食にも関心が深く、学校給食に関する著書もある。その取材の過程で注目していた東京都文京区立青柳小の松丸奨栄養士が、第8回学校給食甲子園大会で見事に優勝している。その慧眼ぶりには感心したが、この本にも日本の学校給食制度がすぐれていることに言及している。

 和食が晴れて世界三大料理の中に確固たる位置を占めるようになるためには、国家的な戦略が必要であることを示唆した本でもある。

 

清武英利「しんがり 山一證券最後の12人」(講談社)

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 山一證券が1997年に「廃業」という形をとって倒産したが、社員たちはその後どうなったのだろうか。筆者の住まいのすぐ前を流れる隅田川の向こう側に、かつての山一證券の本社ビルがいまだに屹立している。往時は夜中でも明かりを煌々と光らせて、いかにも国際金融企業としての息遣いを感じさせていた。

 いまこのビルは夜になれば暗くなって往時の面影はなく、それがいっそうあの大証券企業の悲壮感を漂わせていると筆者は感じることがたびたびあった。それだけにその後の社員の行方は、暗いビルを見たときにふと思い起こすことがあった。

 その社員の行方の一端がこの本によって明らかになり、倒産劇の全貌をこの本を読んで初めて知った。何よりも圧倒的な調査力と筆力で語りつくした大企業の暗部と無責任な経営陣には義憤に駆り立てられたが、その暗部を暴いた最後の12人の生き方にはもっと驚いた。

 「場末」と社内で呼ばれていた部署に流れていった社員たちが、倒産劇を招いた自社の腐敗した組織を暴いていく様を追跡したものだが、著者の清武氏の取材力には舌を巻いた。と同時にここに登場する12人の人間模様を語っていくためには、取材対象者との信頼関係を築かなければできないワザである。そのことにも大いに感心した。

 またこの作品を読んで強く感じたのは、日本人のサガとでも呼ぶべき民族の特質である。サラリーマン根性とも違う。意地を張っても自分の生き方にこだわる姿勢である。損得を超えた生き様ということかも知れない。自分の思い込んだ道を一途に歩いていくひたむきさ、そのように言うと安っぽい表現になるが、しんがりを担った12人にはその雰囲気が漂っていることを著者が見事に表出している。

 この作品は、2014年度の講談社ノンフィクション賞に輝いたものだが、通常のノンフィクション作品とはいささか趣を異にしている。ノンフィクションノベルという分野になるのだろうが、文学的才を感じさせる筆捌きが随所に見られ、この著者はいずれフィクション分野で活動すると予感させるものがあった。是非、そのような才を伸ばして直木賞を狙ってほしい。

 

松丸奨「子どもがすくすく育つ 日本一の給食レシピ」(講談社)

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  著者の松丸奨先生は、昨年、第8回全国学校給食甲子園大会で優勝した学校栄養職員である。2266校・センターの応募があった大会で頂点に立った学校栄養職員が、どのようなレシピ本を出すのか非常に楽しみにしていた。

 届いた本は、期待に違わぬわくわくするレシピ本である。絶品のレシピ46を初公開とあるが、これは絵画や創作などの初公開と同じではないか。レシピとは創作の成果であり、栄養士たちの芸でもある。

 文京区立青柳小に行ったことがあるが、松丸先生は子供たちの大人気ものだった。自宅といってもキッチンつきの一部屋のアパート住まいだが、その部屋を占拠している業務用のスチームコンベクションオーブン、通称スチコンを使って独創的な給食レシピを考え、作っているという。

 江戸東京野菜にもこだわりがあり、学校の小さな畑で栽培している。もちろん子供たちと一緒に栽培し、収穫して給食で食べることもある。ともかくもこの本で紹介されている給食レシピは間違いなく日本一である。素材の選択から調理法まで松丸先生のこだわりが満載されている。

 松丸先生のような実践で誰にも負けない栄養士が全国学校給食甲子園で優勝したのは、本当によかった。この本を手にして実感した。

 

瀬木比呂志著「絶望の裁判所」(講談社現代新書)

 

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 日本の国全体が劣化してきていることを、裁判所の実態を書くことによってはからずもあからさまにした本である。 知られざる裁判所と裁判官の姿を初めて知って驚愕した。

 憲法第76条第3項=すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

 このような崇高な職業規範の中で正義と公正の理念に従って裁いていると思っていた裁判官は、実は談合したり、判決内容を事前にリークする事実も書いている。途上国にみられるような明らかな汚職までは存在しないが「先進諸国の国際標準に達していない部分も、かなり存在するのではないかと私は考えている」と著者は言う。

 裁判官は曲がりなりにも独立して仕事をしていると信じてきたが、日本の裁判所と裁判官は、単なる司法官僚となり上層部の鼻息をうかがう「ヒラメ」官僚に成り下がっているという。非人間的なシステムを作り上げているのが最高裁事務総局であり、ヒエラルキー組織をがちがちにくみ上げ、本当の意味での基本的人権はなく、学問の自由も思想および良心の自由にも大きな制約が伴う職場だという。

 表の顔と裏の顔を巧みに使い分け、権謀術数の策士になった人物が出世し、大半の裁判官は精神的な「収容所群島」の囚人たちの如く、上層部の裁判官に唯々諾々と従い、及び腰と追随の裁判を展開し、民事裁判では和解の強要もしくは押し付けが多くなってきている。

 確かに知財の侵害訴訟は和解が多いが、高度・専門性の高い特許の侵害訴訟など、判決を書くのは面倒くさいから和解にしようという考えが働くのだろう。 この類推はずっと持っていたが、この本を読んで間違いではないと確信した。

 筆の運びは裁判官らしく、実証的であり論理的であるだけに有無を言わせぬ説得力を持っている。裁判官の中にも能力が高く、正義も良識ももっている人がいることはたびたび認める記述をしているが、そのような裁判官は、最高裁判事にはなれないし裁判所で出世することはほとんどないともいう。裁判官の劣化は覆い難く、このままでは国の劣化につながることも示唆している。

 筆者は長い間、新聞記者をして司法担当になったこともあった。年々、日本の国そのものが劣化してきているように実感していたが、それは立法、行政、司法の3権の中でも司法が最もだらしないからではないかとうすうす感じていたが、この本を読んで間違いでなかったことが分かった。

 自由と正義の規範に立っていない組織や機関は、いずれ劣化し崩壊に向かうことになる。日本の裁判所はこのような状況の中で坂を転げ落ちていくのだろうか。恐ろしい実態を見せ付けられ、足がすくむような感慨を持った。

 

 

 岩本沙弓著「日本経済のカラクリ」(自由国民社)

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  「消費税とは物価の一部であり税金ではない」

 「消費税が不公平税制であるから米国は導入しない」

 「消費税は輸出企業を優遇する税制である」

 「法人税引き下げはまやかしであり、実行税率はすごく低い」

 「国から大企業への巨額の還付金を国民は知らない」

 「大企業が利益の1,2割でも税金を払えば国の財政は黒字になる」

 「日本社会は、本質を語れなくなったことが最大の深刻な問題だ」

 「善悪で判断し批判すればいいという時代は終わった」

 「私たちは勉強不足であり本質を学習していかねばならない」

  読んで感じた「警句」を箇条書きで書けばこうなる。

 この警句は、この本に登場する研究者と著者の岩本先生の言葉によるものだが、平易で誰もが納得する言葉だ。しかもこれらの言葉の意味が、客観的で実証的なデータに基づいて語られているから説得力がある。対談形式になっているので読みやすく理解度が高まる。

   湖東京至氏(税理士、元静岡大学教授)、富岡幸雄氏(租税学者、中央大学名誉教授)、孫崎亨氏(評論家、元防衛大学校教授)、堀茂樹氏(フランス文学者)というその分野で当代随一の研究者を相手に対談したものである。これもすごい。

  たとえば日本の法人税は諸外国に比べて高い税率になっているので、企業の国際競争力が阻害されていると言われてきた。しかし本書の108ページ掲載されている表とその解説を読むと、日本の法人税の実体が浮かび上がってくる。

  この項を読むと怒りがこみ上げてくる。

 ともかくも、最近読んだ書籍の中で、知的貧困な筆者に対しものの見方、考え方を根本的に変えるように訴えてきた価値ある本である。

 著者の岩本沙弓さんは、21世紀構想研究会の会員であり経済評論家である。米国の歴史的な経済政策の経緯を米国で公開された膨大な公式記録で精査し、それをもとに日本の経済政策を検証している研究者である。

 岩本先生の著書では、これまでも「消費税が税金ではなく物価そのものである」ことを実証的に主張してきている。そうした著者の主張の凝縮を見る思いで読み進んだ。

 必読の書である。  

 

柳沢幸雄「ほめ力」子どもをその気にさせるプロになる!(主婦と生活社)

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 東大とハーバード大という日米を代表する大学で教鞭をとった開成高校校長の柳沢幸雄先生(東大名誉教授)が、自らの体験に基づいて記述した子育て伝授の本である。

 子どもを伸ばすカギは、親がいかに上手に子どもを褒めるかにかかっているという。筆者も何度か体験しているが、子どもの才能は限りなく内在しておりそれが開花するのも早いことを感じる。子どもの考えは柔軟性があるというのもその一つだろう。これを伸ばすも殺すも親や大人の責任に大いにかかっている。

 アメリカで授業をすると、学生が活発に議論してくる。日本では、教師が一方的にしゃべりまくっているだけで質問をする学生はまれだ。持ちかけてもなかなか議論をしない。日米の学生は、両極にいるというのが柳沢先生の見解だ。ではどうしてそうなるのか。

 著者が調べてみると、アメリカの学生は子とものころから、たくさん褒められて育っているという。褒められれば自身を持ち、堂々と自分の言葉で発言できるようになる。この本には、褒めて育てるノウハウ、子どもの自立を促す育て方、学校教育の在り方にも課題を提起している。

 日本では「言わなくても分かるだろう」という文化がある。それが分からないようなら、日本社会からはじかれることもある。そのような伝統的な文化が、国際化社会になってきたときには不利益になるということにもなる。文化の価値観を考えさせてくれる子育ての書である。

 

 

岩本沙弓「アメリカは日本の消費税を許さない」(文春新書)

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  本の帯に「増税を望む経団連VS.報復を画策する米国」とあるが、その意味を解説したのがこの本である。岩本沙弓氏の経済書は、いつも内外の膨大な資料の緻密な読み解きと、客観データに基づいた論旨で語られており、その分かりやすい語り口とともに説得力がある。

 アメリカには消費税の制度がない。そもそも間接税を徴収しても税収増を見込めず、法人税や所得税の引き上げこそ税収増が実現できると結論付けていた。その国家的な論議は、1960年代に続けられて結論を出している。歴史的なアメリカの税制をめぐる論議の膨大な記録を、公文書館に通って読み解き、独自の日米・税制度のあり方を解説している。

 公文書館のリサーチルームに入るには、ペン、ノートはもちろん私物の持込は禁止であり、カーディガンもダメといわれたこともあるという。ところが、デジカメ、携帯電話の持ち込みはOKだそうで、この2つの機器をフルに使って資料を撮影する。そんな取材現場のエピソードも織り込みながら論理的な記述が進んでいく。

 日本では消費税を導入して20年経過するが、歳入増にはつながっていない。アメリカは、40年以上も前から、消費税・付加価値税は純粋な税収増にはつながらないと結論を出しているという。その理由の一つとしてあげているのが、輸出企業への還付金の存在である。

  著者の論文や著書でもこの辺の制度のあり方を読んではいるが、この本では実に丁寧に解説する。輸出企業の還付金とは、消費税分を政府から企業に還付される制度である。輸出国での課税と日本での消費税がダブル税になる不合理を避けるために、輸出国の日本で還付されているものだ。

 これが年間、2兆5千億円もあり、うち半分は輸出企業の上位20社に還付されている。消費税の歳入は年間10兆円とされているが、本来なら12兆5千億円の税収があるはずだと著者はいう。還付された税金分は、支払った分を戻したに過ぎないという大企業の言い分に対し、岩本氏はその実体を詳しく解説しながら大企業は実質的にほとんど影響を受けず、中小・零細企業にしわ寄せが来ているとするからくりを示してくれる。

 そして、消費税の引き上げは、日本のグローバル企業にとって巨額の還付金が入ってくるうえ、競合する海外製品には非関税障壁がかけられること、国内の新規ビジネスの隆盛を抑制できること、派遣労働者の賃金が仕入税額控除の対象になるためコストカットになることなどから非常に都合がいいと指摘する。消費税アップは、消費の冷え込みが予想されるので企業はすべて新たな障壁になると思っていたが、歓迎する大企業があることを知ってびっくりした。

  日本の産業構造は、中小・零細企業から大企業へとピラミッド型に構築されている。協働体制とも言われてきたが、課税という逃れようのない制度の中では、中小・零細企業への増税だけが際立っているように見える。著者の眼差しは中小・零細企業、弱いものの窮状に当てており、日本の税制という大きな枠組みの中で苦しむ庶民の立場を代弁しているものでもある。

  後半はTPP問題の解説からはじまる。アメリカが消費税アップへの「報復」として、TPPなどの通商交渉でアメリカ側が優位になる通商条件を突きつけてくる可能性があると言う。アメリカのUSTR(米通商代表部)は、毎年、国ごとの消費税・付加価値税を分析してレポートを出している。消費税アップと法人税引き下げが自国の輸出企業への優遇措置であるとするなら、アメリカは報復措置をとるであろうと著者は主張する。

 その主張に至る解説は、1970年代からのアメリカの金融政策と国際為替市場の動向とその経過を丹念に検証しながら、今後の日米の通商交渉や日米とグローバル経済動向を著者の観点で淡々と語っていく。そして日本のあるべき経済政策、しいては国民生活のあり方まで俯瞰して語ったものであり、共感する主張が多々あった。

 消費税導入をこのような視点で解説した本はなかった。これからの日本経済の動向を知るうえでも必読の本である。 

 

 

伊藤真「現代語訳 日本国憲法」(ちくま新書)

 伊藤真「現代語訳 日本国憲法」(ちくま新書)

 憲法学者であり伊藤塾塾長でもある弁護士の伊藤真先生の本が出ました。
 憲法についてまことに分かりやすく解説してあり、どこからでも読める本です。

 特に憲法前文、第1条、第56条2項によって、人口比例選挙を憲法が要請していることがよく理解できました。


 現代語訳「大日本帝国憲法」も盛り込んであり、勉強になりました。
 是非、一読をお奨めします。

 

吉岡桂子著「問答有用 中国改革派19人に聞く」(岩波書店)

 吉岡桂子著「問答有用 中国改革派19人に聞く」(岩波書店) 

 中国の知識人、文化人、官僚、財界人、ジャーナリスら重層多岐にわたる19人にインタビューし、練達の筆致で活写した現代中国の実相を垣間見せた優れた本である。

 中国にはこのような人々がいることを知らせてくれたことで、13億の民を擁する大国への視点が広がったことは間違いない。中国の改革派と副題にあるが、19人の半分以上が共産党員であり体制の中で活動する人物である。

 たとえば原発大躍進に断固として反対する中国科学院の研究員は、原発の持っている危険性と福島原発の現状を指摘しながら「日本はもう新しい原発は作れないだろう」と言う。そして原子力は、今も昔も政治的であることを認めながら、この研究員は「中国政府に対して反対しているのではない。そこに意見を出している人々に反対している」のだという。このような科学者の真っ当な意見に対し「政府からの圧力はない」と語る。

 中国の急速な経済発展とそれがもたらすひずみについて、官僚も財界人も文化人もむろん認識してそれぞれの立場から課題を掲げ、解決策の提示も行っている。一党独裁の共産党政権運営は「課題先送りで政府の安定をはかってきた」との見解も主張するし、中国の金融システムのリスクファクターとしてあげられる「陰の銀行」を支持する理由も述べられている。

 エール大学で教授をしている中国人は、中国の外交姿勢に対し「米国に対する不満や嫉妬が入り混じった複雑な感情を米国に直接言えない分、同盟国の日本にぶっつける面がある」との見解を語っているが、なるほどそういう見方もあることを知った。

 尖閣列島をめぐる日中の緊迫や反日デモについても、多くの人物に率直な質問を投げているが、インタビューに応じた中国人は総じて冷静であり跳ね上がった味方や考えは見られない。このような意見を披瀝されると、むしろ日本メディアの報道姿勢に危うさを感じさせられる。

 いま、中国に関する書籍や報道はおびただしく出ているが、どれもこれも一面的な現象報道が多く、巨大な中国社会を掘り下げては語っていない。時にはヒステリックに願望的に明日にも中国社会が崩壊するような中国のマイナーな面を強調する報道もある。 そのような偏った中国観を正すインタビューにもなっており、中国人の奥深さを見せた本でもある。19人のインタビューの後に著者のコメントが語られているが、そこではこれらの人々の出自や活動の背景を解説しながら人物評に言及しており、この本の内容をいっそう厚くしている。

柳沢幸雄「東大とハーバード 世界を変える20代の育て方」(大和書房)

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 リーダーシップをとれる人材の育成方法 

 ハーバード大と東大でともに10年以上、若者たちを教えてきた柳沢幸雄先生(東大名誉教授)が、自身の経験をもとに語った国家の教育論です。柳沢先生は現在、日本トップの進学校である開成中学・高校の校長先生であり、毎年東大に多数の卒業生を送り出しています。開成高校卒業時の18歳は、外国の若者と比較しても世界トップのエリートであると柳沢先生は太鼓判を押しています。

 ところが東大生になった世界トップの18歳の多くは、ほどなく「ダメな20代」になっていく。日本の大学教育、さらに社会の仕組みに欠陥があるからです。日米のトップ大学で教鞭を執った体験から、柳沢先生はこの本の中で、リーダーシップのとれる人材の育て方と、そのためには国のシステムをどのように変えたらいいかを具体的に提言しています。

 さらにまた、世界一優秀な日本の18歳に対し、親許から離れて貧乏を味わいなさい、早いうちに負けを味わいなさい、日本の文化の心地よさを乗り越えなさい、抽象化する訓練をしなさい・・・などと教示しています。

 日本の大学とはまるで違うハーバード大の仕組み

 ハーバード大では、教員は契約制であり、教員がスタッフの人事権を持っています。学生による授業評価を公開し、教授会は常にオープンであることなどが、著者の体験として具体的に語られています。東大で著者が体験した「異文化」の大学システムも語られていますが、東大とハーバード大ではかくも違うものだと知ってびっくりしました。

 と言っても著者は、日本の優秀な人材はハーバード大のような外国のトップ大学へ進学すべきなどと言ったり、全てハーバード大が良くて日本の大学が悪いと言うような短絡的な主張をしている訳ではありません。著者は、優秀な人材を国内で育てるシステムを作るべきだと主張し、その方法論を提示しています。

 まず大学教員は全て契約制にすべきと言います。大学に身を置いた筆者なども痛切に感じていることです。終身雇用制度が定着している日本の大学では、「大学の村社会」に競争原理を持ち込んで、契約制度にするべきでしょう。柳沢先生の主張に大賛成です。

 次に著者は、学生が必死で勉強する仕組みをつくること、学生には生き方を教えないこと、学生には論理的に伝える力を鍛えることなど大学教育のあり方について、具体的な方法論を盛り込んだ提言をしています。学問の場に就職活動を持ち込むなとの主張にも賛成です。

 「出るくいを打つ」日本の文化を変えるべきだ

 さらに日本独特に発展した企業社会は、「出るくいを打つ」文化がはびこっており、若い世代が活躍する場にはなっていません。著者は、日本の企業文化から社会の仕組みにも課題が散見していることを指摘しながら、しかし前向きに日本の大学制度や企業文化を変えようと提言しています。

 著者が東大を卒業して企業に就職し、ハーバード大の教員になるまでの自らの体験も語っていますが、これは大学卒業後の若い世代の生き方に大いなる示唆を与えています。この項を読んだだけでも、この本に出会ってよかったと思いました。

 本書は高校生から大学生までとその両親、教員、大学関係者、官僚、政治家、企業人などに広く伝えるための内容になっており、是非とも多くの人に読んでもほしいと思いました。

 

 

品川正治「戦後歴程 平和憲法を持つ国の経済人として」(岩波書店)

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 さる8月29日、食道がんで89歳の生涯を閉じた「財界の知性」品川正治氏が、渾身の力を込めて後世に書き残した「遺言状」である。損保業界のリーダーとして財界人として、戦後日本の混乱と成長を透徹した眼と心で問うてきた総括自叙伝でもある。 

 太平洋戦争で死線を超えて生き残り、復員する船上で初めて日本国憲法の草案を眼にする。船上にいる戦友たちにこの草案を大声で読み聞かせるが、憲法第9条の戦争の放棄を読み終えたとき、船上の全員が泣いたという。「私は、読みながら、突き上げるような感動に震えた」と記述している。

 護憲派財界人と言われた品川さんの思想・言動の原点は、この時に確固としたものになったことが、本書を読んで初めて知った。復員後の大学への復帰と社会人としてのスタート、組合活動からやがて損保会社の幹部社員として来し方日々が語られていく。

 時代と共に日本社会も政治も経済も変貌を遂げていくが、その中にあって品川さんの信条は揺るぎなき矜持として益々存在感を増していったことが分かる。戦後、はびこり始めた「資本主義に支えられた民主主義の歪んだ姿」を品川さんは、淡々とした記述の中で鋭く書き残している。

 「戦争を起こすのも人間、それを許さず、止めることが出来るのも人間、お前はどっちだ」と自らに問い続けてきたのが、品川さんの「戦後の歩みであった」という。憲法第9条を守ること、戦争を二度と起こしてはならないこと、そしてアジアと世界の平和を実現するため先頭に立てと書いた最後のくだりは、品川さんの遺言にほかならない。

 

 

土屋達彦著「叛乱の時代-ペンが挑んだ現場」(トランスビュー社)

 

 ヘルメットをかぶり顔面を手拭いで覆い隠し、角材を手にした学生たちが街頭や大学構内で荒れ狂っていた光景をありありと思い出させる本である。著者の土屋達彦氏は、社会部記者としてその現場に立っていたのだが、何が彼らをその行動に駆り立てたのか。あの時代の若いエネルギーの根源はどこにあったのか。

 その行動を総括しようとした動機は、2012年夏の国会を取り巻いた「原発再稼働反対」を叫ぶおびただしい人の群れを見たことだった。自由に自然発生的に集まった「デモ隊」と、1968年に日大と東大に全共闘が生まれ荒れ狂ったデモ隊の光景が重なり、あの時代を振り返り総括しようと思い立って書き上げたという。

 あのころの多くのゲバ事件が著者の現場取材と重ねて語られていくが、同時に多くの資料を調べ上げ、そこに残されている証言をもとに緻密にその実態をあからさまにしようとした点で稀有の本である。1968年の大晦日、著者が安田講堂に潜り込み、籠城する学生たちの言動を語った証言録は秀逸である。現場にいて、見て、考えた人だけが書いた内容には迫力がある。

 著者はその当時、大森実が主宰する「東京オブザーバー」の記者をしていた。それから産経新聞へと転進するのだが、そこからまた新たな事件記者の活動が始まる。赴任先の浦和支局で活動する様子を報告する著者の筆さばきは、臨場感あふれる描写で活写していく。

 東京本社社会部に異動してからは、過激派の取材に追われていく。連合赤軍と自衛官刺殺事件、「よど号」ハイジャック事件や京浜安保共闘の襲撃事件などこの当時、社会を震撼させた事件を再現しながら考察する内容は読ませて飽きさせない。

 「夕刊フジ」報道部への異動後には、世界規模で行動する日本人過激派のテロ事件の取材へと広がっていく。この本で取り上げたこの時代の学生運動から過激派、世界規模で展開されたテロ事件は、今さらながらすごいことだったんだとこの本を読みながら改めて思った。

 著者の土屋氏は、1981年産経新聞社を辞めて危機管理と広報代行企業を興す。その前後の有為転変ぶりもまた著者の波乱の人生が語られており、興味を持って読み進んだ。最終章では現在の新聞報道や記者活動への苦言もあり、その通りだと思って読み終えた。

 土屋氏と筆者は、同時代を社会部記者として、ジャーナリストとして活動してきたいわば同志である。その同志が、このような本を書いたことに素直に驚き、称賛したい気持ちでいっぱいになった。それはあの時代、荒れ狂った反体制、反社会的な出来事を著者の取材活動だけでなく、おびただしい資料を動員して多面的に検証しようとしたそのエネルギーに感嘆したからでもある。

 土屋氏は、がんとの闘病生活で辛い日々にあると思われるが、その中でよくこれだけの内容を書き上げた。執筆を支え続けたパートナーにも敬意を表したい。

 

 

林原靖「破綻 バイオ企業・林原の真実」(WAC)

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 岡山県で存在感を出していたバイオ企業の株式会社林原が、放漫経営で事実上倒産したとのニュースに接したときは、本当にびっくりした。同社の優れた免疫賦活錠剤の「ルミン」を愛用していたので、ああこれでルミンともお別れだなと思ったからであった。

 と同時に同族経営の放漫経営とは、さもありなんと思い、すぐれた会社と思っていたが馬鹿な経営者一族だったんだと思い込み、この本を手にするまでずっとそう思っていた。

 本屋でこの本を見たときも、ペラペラとめくってはいずれ読んでみようかな。いまは別の書籍を読まなければと思っていたら、創英国際特許法律事務所の長谷川芳樹所長がこの本の価値をメールで送ってきた。すぐに書店に走ったが、売れ切れで入手できない。数日後にやっと入手し、その日の夕方から翌日未明までに一気に読了した。

 筆者は、製品とその斬新な研究開発に対し林原に対し少なからぬ愛着を持っていた。その林原が、馬鹿な経営者でつぶされたのではなく、中国銀行と住友信託銀行につぶされたことを初めて知って驚愕した。著者は専務だった林原靖氏であり、文中すべて実名で書き込んでいる。

 筆者は長い間新聞記者をしていて、企業が倒産する修羅場を何度も見てきたし自分でもベンチャー企業に投資して深手を負ったことが再三ある。そのような現場を見ていて、銀行と法律事務所のやり方を垣間見る機会があったから、あの人たちは「ハイエナみたいな連中だな」と感じていた。

 それは間違いではなかった。「現代のハイエナ」の実態を余すところなく書き込んだ稀有の本である。ハイエナを引き立てた脇役はマスコミだった。新聞記者をしていた筆者は、読み進みながらもし自分がこの現場にいたら、やはり同じように書いたんだろうなと思い慄然とした。

 取材記者は、主として一方の側からの情報をもとに書くことが多いが、それでも最低限の裏取りはするものだ。しかしこのテーマでは、信用を第一にしている金融機関からの情報であり、どうしても被取材者を信頼してしまう。

 客観的に状況を判断すれば真相は分かりそうなものだが、現場に深く関わっているとついつい情報を提供する側に取り込まれていく。守秘義務を負っている情報が金融機関から漏えいして新聞に掲載される。その効果を狙ったハイエナグループとそれに乗せられたマスコミ。読んでいて心が痛んだ。

 むろん林原がこのような状況に至った原因は、創業者一族の経営が失敗したからである。そのことは著者が何回も語っている。がしかし、失敗と言っても、立ち直る余力を持っており、企業の資産も知的財産権など十分にあったのである。負債の弁済率93パーセントという結果がそれを雄弁に語っている。

 この本をめぐって、金融機関の一部の人や法律関係の人と思われる人物らが、著者は専門的知識が不足していたとか放漫経営であったことは間違いないとか「反論」を出しているが、読者はこうした記述を読んでどちらを信じるか判断している。筆者は、おおむね100パーセント、著者の林原靖氏の言い分を信じる。

 これは是非、多くの人に読んでもらいたい本だ。知的財産権などの価値には一瞥もくれず、土地や証券だけを資産とみなす旧態依然の金融機関と、そのビジネス手法と密着して「カモを物色しているように見える」一部の人間の実態は、許しがたい存在であることを確信した。

 

依久井祐著「もうひとつのチャイナリスク」(三和書籍)

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 日中のビジネスに深く関与し、中国の産業政策、知的財産政策も熟知している著者が、中国政府の知財政策とその戦略を受けて活動をする中国企業や大学、研究機関の思惑や実態を赤裸々に語った本である。中国知財戦略の本当の姿とその狙いを、中国の制度実態と日本企業の対応の問題点を指摘したものであり、中国に進出している企業は必読の書である。

 世界の工場となった中国は、安い人件費を武器に大量の製品を世界に供給する一方で急進的に技術開発に取り組み、先進外国技術をあの手この手で導入してきた。その速度は、想像を絶する早さである。それを可能にしているのは、国家の戦略が自国優位に技術を導入して囲い込む政策を強引に進展させているからである。

 知財囲い込み戦略はまさに時代の趨勢に合わせた政策であり、素早く法令改正をしその法令が過去に遡って適用されることもある。日本の技術者を採用し、日本の特許情報を集め、監視し、先使用権という抜け道で外国企業の知財権利を骨抜きにする。

 日本企業が中国企業とクロスライセンスすれば、いつの間にか別の中国企業にその技術が流れていく。中国の職務発明規定の草案では、中国人従業員が出したアイデアは、実質的に日本企業には手渡らないようにしている。ライセンス契約でも製品の売れ行きが悪かったり不備があれば、すべてライセンス元の日本企業の責任にされるような事態も出てきている。

 このような実態が次々と記述されており、中国が国家ぐるみで先進技術と知的財産権を囲い込み、外国から資金を搾り取る政策を語っている。中国憲法をはじめ、多くの法令や制度を読み解きながら政策展開を紹介している点で、これまでになかった中国知財戦略の真相を解説した本である。

 中国に進出した日本企業は、多くの場面で中国企業や技術者から理不尽な技術盗用を受けて困難に直面している。筆者も多くの事例を聞いてきたが伝聞では表層的な事柄が多く、本書のように法律や制度の面からの解説を知るとその深層は並大抵のことではないことに気が付く。

 中国で活動する日本企業は必読の書であり、日本の知財制度のあり方、特に営業秘密保護のあり方などで多くの示唆を与えている本である。

 

 こうやまのりお「めざせ! 給食甲子園」(講談社)

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 全国学校給食甲子園大会は、日本列島で毎日展開されている学校給食の総合コンテストである。単に調理の腕を競うのではなく、栄養のバランス、地場産物の生かし方、生産者や保護者との関係、子供たちの給食に関する関心度など多くの要因を総合的に競う大会である。

 第7回大会は昨年12月に行われたが、その状況を中心に据えて、学校給食甲子園の決勝大会の様子を臨場感あふれる内容で埋めている。決勝大会に出てきた栄養教諭、学校栄養職員、調理員らの学校に出向き、現場を取材して日常的に活動する様子も報告されている。

 この本は子供たちに読ませるために書いた児童書となっているが、書かれている内容はむしろ保護者や学校関係者、行政関係者など大人向けに発信した書物である。おいしい食材を育てるためには水や自然環境が大事である。

 日本の農業の現場の課題を語らせ、環境問題を提起し、学校給食を支える多くの問題を提起している側面がある。是非、学校給食関係者には手にしてほしい本であり、保護者にも読んでほしい。むろん、児童・生徒たちも楽しみながら読める本である。

 

岩本沙弓「経済はお金の流れでよくわかる」(徳間ポケット)

 
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 21世紀構想研究会・100回記念シンポジウムのシンポジストとして国際経済の動向を分析して見解を発表していた岩本沙弓先生が、切り口鋭く世界と日本の経済状況を分析した著作を発表した。

 岩本先生は、長年、国際金融機関でトレーディング業務に従事していたので、外国為替、金融取引市場などの現場を熟知している。このようなバックグラウンドを基盤に、客観的な各種経済データと数字を根拠にしながら、世界経済の動きを平易な書き方で縦横無尽に解説している。

 まず円安・円高のからくりを解説しながら、日本経済と国民にとってどちらがいいのか。国の通貨の強さとは何かを詳述している。日本はデフォルト(債務不履行)の危険があるなど一部の報道で懸念が広がっているが、この本質についても詳しく解説しており一部週刊誌やテレビのセンセーショナルな取り上げ方がいかに不適切な報道であるかが分かる。

 さらにアメリカ、欧州の政治と経済の裏側に隠されている構図を解き明かしながら、国家と市場参加者の思惑について書いている。国際的な各種報道は「ギリシャ人は怠け者」と指摘し、筆者もそう思い込んでいたが、岩本先生はギリシャ危機の正体についても解き明かしており、非常に参考になった。

 また、世界の金融危機はなぜ起こるのか。その裏側でうごめくヘッジファンドの空売りのからくりなども書かれている。ディーラーとして辣腕をふるった著者ならではの現場感覚の解説が臨場感がある経済書になっている。

 

馬場錬成著「青年よ理学をめざせ」(東京書籍)

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 自分の書いた書物の宣伝になってしまいますが、東京理科大学を創設した16人の志士たちの歴史を、高校生・大学生向けに書いた本です。

 以前、中公新書ラクレから「物理学校 近代史の中の理科学生」を出版しましたが、今回はこれを土台にもう少し平易になるように書き直したものです。

 明治11年(1878)と言えば、社会にまだ江戸時代のにおいを残していた時期でした。日本の大学は東大しかなく、文系の学科しかありませんでした。その年の12月に、日本で初めて東大仏語物理学科から5人の理学士が誕生しました。仏語とついているのは、フランス語でお雇い外国人から理学を教授されたからです。

 それから2年半の間に、この学科に21人が在籍しました。その青年たちが、私塾の「物理学校」を作ったのです。 当時、日本には企業などありませんでした。大学を出て就職する先は、学校か役所だけでした。当然、東大を出た志士たちは、昼間は学校の先生をしたり、役所に勤務して夜になると私塾の物理学校に来て理学を教えるようになったのです。

 経営は困難を極めました。そこで16人が費用を出し合って物理学校を支えました。彼らは国からの資金で大学で教育を受けたことに感謝し、今度は自分たちが日本語で一般の日本人に理学を伝えたいという志で物理学校を創ったのです。

 西欧から遅れていた日本の近代化に、理学は欠かせないと思ったことが大きな動機になっています。この本では16人の志士たちが、どのような社会活動をし、人生を送ったかを大急ぎで追跡して書き残しました。

 東京理科大学というよりも、日本の理系の大学の礎を創った若き学徒の物語です。いま理科離れが言われていますが、明治維新間もない時期に、青年たちが理学を普及させようと命がけで取り組んでいったことを知って感動しました。

 青年たちが数々の苦労を乗り越え、それをまた当時の理学の大御所たちが支援した資料を読みながら書いたものです。是非、手に取って読んでいただきたいと思います。

 印税はすべて東京理科大学の同窓会に寄付します。 本屋で購入していただければ、間接的に東京理科大学の学術活動へカンパしたことにもなります。

 

林幸秀著「科学技術大国 中国」(中公新書)

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 行政官としての豊富な知識を活用

 21世紀に入ってから急進的に発展している中国は、本当はどのくらいの科学技術力があるのか。分野、テーマによって中国研究者や機関が世界先端を走るまでになってきているが、一国の科学技術力となった場合どうなのか。 

 これは、その手がかりになる本である。著者は、元文部科学省文部科学審議官、(独)宇宙航空研究開発機構(JAXA)副理事長を務めた後、現在、科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター上席フェローに就任している林幸秀氏である。

  林氏は、行政官として国際的に豊富な科学技術研究テーマに精通しており、とりわけ日本国内の研究状況について熟知しているし、研究者との交流も半端ではない。その豊富なバックグラウンドをフルに活用し、特に本書では同じテーマ・分野での日中の研究レベル、研究状況、研究人材などを比較して論述している。

  この本は、①スーパーコンピューター(スパコン)、②有人潜水調査船、③望遠鏡と宇宙開発、④核融合開発、⑤iPS細胞研究、⑥遺伝子解析企業の6つに特化して報告し、さらに中国の科学技術力の各種評価、成果を紹介しながら著者自らの論評を記述している。

  中国流の研究取り組みと業績

 6つのテーマの中国研究現場の報告は、どれもこれも中国式、中国流が出ていて面白い。スパコンのTOP500ランキングの2010年の演算性能で世界1になった「天河1A」は、すぐに価格の安いスパコン開発に舵を切り、これを大量に製造して国内で販売して成功している。開発した成果をすぐに実益、ビジネスに結びつける中国流の成果である。

  有人深海探査で7062メートルの潜航で世界記録を樹立した「蛟竜」だが、重要部品はロシアからの導入である。外国技術の導入に抵抗がさほどないのが中国流である。非公式の潜航調査のころから、資金回収のために実質的な運用を始めて稼いでいるようだ。ここにも中国流の顔が見える。

  宇宙開発でも原子力・核融合でも外国技術を導入するのは同じであり、自前主義にこだわる日本の研究開発現場との違いがはっきりと出ている。 しかしソ連、米国に次いで世界3番目に有人宇宙飛行を成功させた「神舟」の開発過程の報告では、ロシアの技術を導入しながらも中国のプロジェクトは実験段階を踏んで着実に成功に結びつけた過程が詳しく報告されている。

 iPS細胞研究では、世界で初めてiPS細胞からマウスを誕生させた研究者らの活動が語られているが、外国で修業した研究者が帰国後すぐに世界先端の研究テーマに取り組み、独創的な視点で成果を出したことで、中国流とはまた違った面を見せている。

  日中の同一テーマの研究現場を比較

 この本の中で筆者が一番関心をもったのは、遺伝子解析企業の報告である。この企業はBGI社(Beijing Genomics Institute:北京ゲノム研究所)だが、最新式のシーケンサー(遺伝子解析装置)を米国から大量に購入し、若手のフタッフを集めて組織的に遺伝子解析作業を行っており、世界中からの注文を受け付けているという。

 つまり遺伝子解析の請負専門企業なのである。しかし同社は徐々に、アカデミックな活動を強化しているという。BGI社はいずれ遺伝子解析を独自の視点と研究方針に転換して、創薬に結びつく成果を出してくるのではないだろうか。下請から自社開発型へと進化することが予想される。

  林氏は、こうした現場の研究状況を取材・調査して報告する一方、日本の同じテーマの研究レベルや状況を比較して論評し、日中の研究現場の違いが具体的に示された点でも優れた内容になっている。

  結論として林氏は、中国の科学技術力は①キャッチアップ主体である、②技術・機器の外国依存が強い、③着実にプロジェクトを展開している、④成果を早急に実用化、商業化している、⑤必要なら研究スタッフ自ら製作作業をするーなどの特徴をあげている。

 中国の科学技術力をこのような切り口で見せてくれた文献がないだけに、非常に参考になった。日中の学術交流に参画している研究者、行政官などやこれから産学連携に乗り出す企業人にとっては必読の本である。 

 

藤嶋昭監修「世の中のふしぎ400」(ナツメ社)

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 空はあぜ青いのか。夕焼けはなぜ赤くなる。藤嶋先生がペットボトル持参で自ら実験して見せながら解説する不思議は、なるほどそうだったんだと納得する。

 世の中には不思議なことで埋まっている。バーコードってどうなってんだろう。光ってない星もある。眼にうつる映像はさかさま・・・。こんな不思議の解説から、物知りになるネタがぎっしりと詰まっている。生活、社会、日本、世界、地球・宇宙、人間、生き物、乗り物・建物、スポーツ・芸術というジャンル別に不思議解説のオンパレードである。

 知人が本屋さんで平積みになっているのを見つけ、ペラペラと開いたらためになりそうだと思って買ったという。子供から大人まで万人向けに書いた面白い本である。カラー版で辞典のように厚い本だが、これが2300円。お買得の本である。

 

吉成真由美「知の逆転」(NHK出版新書)

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 サイエンスライターの吉成真由美さんが、 世界の知の巨人6人とインタビューして収納した魂を揺さぶる本である。ジャレド・ダイアモンド、ノーム・チョムスキー、オリバー・サックス、マービン・ミンスキー、トム・レイトン、ジェームズ・ワトソン。豪華絢爛たる顔ぶれである。

 イントロとそれに続くインタビューの内容は、どれもこれもほとばしるエネルギーのやり取りで埋まっている。ミンスキーは言う。「多くの人が大賛成した場合のほとんどは、大参事になるか文化が崩壊するか、大衆をうまく説得するヒットラーのような人物が現れるといった悲劇に結び付いている」、「集団の中に一般的な叡智があるというふうには信じていません」。

 あるいはレイトンは「テクノロジーの最先端のレベルでは、悪い奴らは随分と先を行っていて実際それで金を儲けている」とし、政府が大学などの研究者にお金をだし「新しいプロトコルやスタンダードを開発してインターネット上に提供するべきです」と主張する。

 サックスはたとえば「Eメールは、人と人のコミュニケーションを果たして高くしているかどうか疑問です。手軽なので当然高くしていると思いがちですが、その実ナンセンスや思慮の浅い単なる思い付きを書きがちになる」と言う。自分に照らして見ると、納得せざるを得ない。

 ワトソンは「Eメールを使わない」と言う。「Eメールは私の考えることをある程度規制してしまうからです。押し寄せてくる様々なチャレンジにただ対応することに時間を費やすのではなく、自分自身のチャレンジに対応することで一日を送りたい」と言う。 

 真理の発見や歴史を透徹する思想を提示してくれた巨人たちの真髄を引き出しているのは、著者の入念な準備と対話形式で叡智を触発しているインタビューだからできることである。何度か読み返す箇所があり、久しぶりに読書を堪能した。

 この本は「10万部突破」とあり、日本でも良書を読む人が多数いることに気が付く。一度読むだけでなく、書棚のいい位置に置いておき、ときたま思い出して広げたい本である。

 

藤嶋昭、菱沼光代著「子どもと読みたい科学の本棚」(東京書籍)

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  子供たちに、理科に興味を持ってもらうきっかけになる本、その案内書を童話から新書まで紹介した本である。 著者の藤嶋先生は、ことあるごとに読書の勧めを語っている。藤嶋先生によると、童話でミリオンセラーが81冊あるという。

 それをすべて読破し、童話から小、中、高校生そして大人までの科学の本を勧めている。著者の感想だけでなく、その本を読んだ人の感想も収納し、すそ野を広げた読書観にしているところに新味がある。筆者も何冊か藤嶋先生に言われて読んで書いた一人である。

 目次を開くと、幼少期のころから大人まで(と言っても高校、大学生までか)、読んでほしい書名がでているが、これをざっと眺めるだけでも読書意欲がわいてくる。藤嶋先生と菱沼光代さんの本棚から取り上げた本も興味が出てくる。

 目次一覧を見て、なんと自分の読書量が少ないか暗然とするが、しかしこれから読もうという気分にもなってくるので楽しくなる。周辺の人たちに勧めている一冊である。

 

加藤一二三著「羽生善治論 -「天才」とは何か」(角川書店)

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 天才が天才を語れば凡作になっているのではないか。そう思って読みはじめがこれが大変面白く、嬉しくも期待を裏切ってくれた。天才はやはり何をやっても天才であることを証明したような本である。本の帯に、羽生善治氏本人も推薦!「私が知らない加藤先生がいた」とあるように、論評された羽生さんも面白かったに違いない。

 著者の加藤一二三さんは、中学生でプロ棋士になり、あっと言う間に8段まで駆け上り20歳で名人戦挑戦者となった。時の名人、大山康晴さんには惜しくも敗退したが、その後も多くのタイトルを手にし、いまなお現役を続ける73歳の棋士である。

 前著の「将棋名人血風録」(角川書店)も面白かったが、この本は前作をしのぐほど面白い。タイトルのように羽生大棋士を論じているのだが、それだけでなく同時代の偉大な棋士について縦横無尽の筆さばきで論評している。

 将棋ファンならだれでも知っている「羽生マジック」という言葉がある。対羽生戦で必勝の将棋を終盤に逆転を食って負けたときに使うことが多い。羽生マジックとは何か。加藤さんは自身の対局を振り返りながら、羽生さんは妖術を使って対局者の頭を麻痺させるという。そうとしか言いようがないらしい。

 プロ棋士なら容易に思いつく手が、対羽生戦の終盤になると別な手を指してしまう。それを分析しようにも理屈が出てこない。ただ、羽生さんは「勝負勘がずば抜けている」ということであり、局面の状況を複雑にして相手の出方を見る。相手のその出方を見ながら返し技を仕掛ける。

 どうやらこれが羽生マジックの正体らしいが、その正体を見るために過去の将棋を語り、羽生さんの著書で語られている羽生さんの考えを分析しながら加藤さんの論評が語られていく。その一方でこんなこともある。

 羽生さんの天才は誰もが認めるところだが、その羽生さんも周囲のプロ棋士が誰も認めないような愚かな手を指すことがある。本人に聞かなければその真意は分からないが、このような手の理由を本人に聞くことはどうやら憚れるらしい。本人が著作物で語っていなければ、その理屈は誰にもわからない。

 天才の人間臭さが出てくる場面だが、そういうことがあるから天才を語るのは面白いし、それを知った凡人は楽しくなる。書いている天才加藤さんは、数々の奇行でも知られている。対戦している相手側に回って盤面を眺めたり、時間に追われると盛んにから咳をする。

 次の一手は、自身の奇行について天才の独白を聞きたいものである。期待して待っていたい。

 

赤崎勇著「青い光に魅せられて」(日本経済新聞出版社)

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 発光ダイオード(Light Emitting Diode=LED)のうち、青色LEDは実用的に使えるほど高い輝度が実現できず、世界の研究者が必死になってその実現に取り組んでいた開発テーマである。この本の著者の赤崎勇博士は、40歳になってから青色LEDの開発に取り組み、ほぼ20年かかってついに世界で初めて実用化に耐える技術開発に成功した。

 その開発研究の有様だけでなく、子供のころの成長過程から学生時代そして社会人になり、大学と企業を往復しながら青色LED開発に取り組んだ研究生活を興味ある筆致で進めている。

 青色LEDの研究開発では窒化ガリウムを材料として成功したものだが、一時はほとんど見込みがない材料として世界中の研究者から見放されていた。

 しかし赤崎博士は、当時、研究者の多くが眼を付けていたセレン化亜鉛に比べて窒化ガリウムの結晶は、物理的にも化学的にも安定してしかも熱伝導率も高いことに期待をかけていた。高品質単結晶を実現できれば、きわめて安定した素子になるという信念を持って実現を追求していく。

 そこに至る試行錯誤とすさまじい執念をもって研究に取り組む姿、そして同じ分野でひたむきに活動する研究者たちの群像は、読んでいて感動を覚える。その一方で、人間の先入観がいかに研究現場ではマイナスになるか、研究評価の在り方などでも多くの示唆に富む場面を書いている。

 赤崎博士は企業から名古屋大学に戻り、研究と教育に打ち込むことになるが、研究室の運営や人材育成でも並々ならぬ配慮と努力をしたことが淡々として筆の運びで語られていく。

 この本はノーベル賞受賞候補者として取りざたされている赤崎博士の研究人生を語ったものだが、それだけではなく日本の研究現場の風土を背景に真の研究の在り方や課題に取り組む姿勢を実体験をもとに語ったものであり、非常に厚みのある内容で埋められている。

 また、赤崎博士の研究生活を通して日本の科学研究現場に横たわっている課題を余すところなく語った点でもこれまでにない優れた科学啓発書になっている。 学生や若い研究者には是非とも読んでもらいたい本である。

 

山口正洋著「ぐっちーさんの本当は凄い日本経済入門」(東洋経済新報社)

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 著者のぐっちーさんこと山口正洋さんの切り上げのいい書きっぷりで解説する世界の金融、経済情勢は、大変役立つ情報で埋まっている。毎週、メールで配信されてくる「週刊ぐっちーさんの経済ZAP!!」(有料)は、直近の各種商工業・経済データを根拠に、世界の経済状況を解説してくれる。

 この本は、こうしたぐっちーさんの多様な媒体での執筆活動を集約したものであり、通して読んでみると世界の状況が見えてくる。ぐっちーさんがたびたび発言しているのは、日本のメディアの勉強不足と世界の経済状況を解説して日本の読者に伝える力の貧困さである。

 ぐっちーさんによると、メディアだけでなく一部の経済・金融の専門家も的外れなコメントを発しており、日本の国民は世界の実情を知らないままに放置されていると危惧している。ならば私が解説してあげましょうということから発信しているのだろうが、筆の運びは嫌味なく控えめでユーモラスである。

 アメリカはシェールガス開発で沸いており、経済状況は思った以上に上昇している。その機運に一番乗ることができるのは日本であると言う。 日本の景気上昇は、アベノミクスではなくアメリカ経済の牽引によるもとだという。明快な解説を読んで納得した。

 この本の中でも筆者が一番ためになったのは、中国の経済状況を解説したくだりである。中国のバブル崩壊は近いという警告の根拠を、ビジネス体験の裏付けから書いている。中国に関しては筆者も並々ならぬ関心を抱き、中国にもたびたびわたって実社会を観察している。

 ぐっちーさんの書いている内容は、筆者が中国に進出した日本企業関係者らから聞いている内容や中国人から直接聞いている内容とほぼ同じ内容であり、筆者の見方は的外れではないことが分かった。このような本が多くの人に読まれ、世界の情勢を考えるきっかけとなるだろう。

 

永野博著「世界が競う次世代リーダーの養成」(近代科学社)

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 どこの国でも、次世代を背負って立つ人材の育成をおろそかにすることはできない。IT産業革命を迎えて、世界中の国々で大競争が始まっている。研究成果を発信するインターネットの世界では、地域差も時間差もなくなっている。途上国も後発国も先進国も、テーマによっては同じスタート台に立っているのである。

 著者の永野博氏は、科学技術庁から文部科学省の行政官を務め、科学技術行政に深くかかわってきた。官僚リタイア後には、政策研究大学院大学でもこのテーマの研究を継続していたが、日本の卓越した若手研究リーダーの育成には、ことのほか熱意をもって取り組んできた。

 その日本の現状と世界の若手リーダー育成の動向を豊富なデータを基に解き明かしたのがこの本である。論文の質を見る指標では、論文を引用される上位10%に入る論文数がどのくらいあるか、世界の国別割合を見ると、かつては圧倒的にアメリカが強かった。

 しかしアメリカはいま、かつての60パーセントから40パーセントまでシェアを落とし、その代わりに中国、ドイツが伸ばし、イギリス、フランスがほぼ横ばい、ただ日本だけが下降線をたどっている。このような客観的なデータを見せられると、日本は大丈夫なのかという思いが強くなる。

 著者は1991年に創設された、若手研究者の研究を支援する「さきがけ21」(個人研究推進事業)のその後の施策に深く関与し、若き研究リーダーの育成に関わってきた。その体験からこのテーマにずっと関心を抱き続け、「さきがけ21」に参加した研究者らを取材し、このプロジェクトを検証している。

 安西祐一郎氏(元慶応義塾長、独立行政法人日本学術振興会理事長)との対談形式で語っている世界の競争現場、日本の課題、これからの支援の在り方は非常に整理され読みやすくした内容で、この種の文献としては新味を盛り込んだものだ。さらに時代の趨勢と共に世界の国々ではどのようにしてリーダーを育てているかを調べ、そのカギとなる中身を提示している。

 イギリス王立協会で2010年に調べた、自然科学系のポスドクの人たちがどのような進路を辿ったのかを追跡調査した結果は参考になる。それによると博士号取得時点ですでに科学を離れる人が53パーセントもおり、科学の研究に関与した人でも大学、研究機関、企業などに散りじりになり、教授になるのはわずか0.45パーセントでしかないという。

 「さきがけ21」は、創設したころ卓越した若手研究者を支援するという考え方では先進的なものだった。しかし世界の多くの国は、それぞれの国策の中で若手研究リーダーの育成に取り組んでおり、その潮流から日本は取り残される危険があるとも警告を発している。

 人材育成の施策への問題提起であり、行政、大学、研究機関の関係者に是非とも読んでもらいたい文献である。

加藤一二三著「将棋名人血風録-奇人・変人・超人」(角川書店) 

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 将棋界には奇人・変人・超人がいる。筆者は、将棋は強くないけれど、棋界の情報には敏感である。その種の本を多数、読んでいる。その筆者がまだ読んでいなかった加藤一二三先生(名人など多数のタイトルホルダー実績者)の本を、たまさか自分の本棚にあったので読み始めた。読もうと思って取り寄せて忘れていたらしい。読み始めたら止まらなくなって一気に読んだ。

 加藤先生は、棋界の中でも「変人」として通っている。しかしこの著作は、棋界の「変人でない常識人」が書いた本である。棋界というところは、将棋というゲームの極限を究めようとする人たちの集まりだから、変人の集まりに決まっている。その変人たちから変人と言われた加藤先生が書いている著作には、期待していなかった。

 だが、その「期待していなかった期待」を裏切る内容であり、加藤先生の天才ぶりを余すことなく語っている。加藤先生はカトリック教の信者であることは棋界では有名である。対局中の休憩時間に、空き部屋を探して入り込み、讃美歌を唄いお祈りをすることでも有名だった。

 加藤先生は、なぜカトリック教に入信したかをこの本で語っている。宗教を信じ、祈ることで実力以上の力を出せると信じたからである。将棋は厳しい勝負の世界である。一対一。勝つか負けるか。それが勝負である。人知を超える何かが左右するかもしれない。

 事実、プロの世界ではそうとしか言いようのない勝敗があるのである。それを棋士たちはときとして「指運」と呼んでいる。誰にも解明できないその瞬間の判断を、将棋の駒を指す指が動かしたということだろう。そのような厳しい世界で生きてきた加藤先生が、カトリック教にその生き方を託そうとした気持ちに共鳴できるのである。

 この本は名人戦を舞台回しに使いながら、そこに登場する棋界の天才たちの人となりを論評している。その視点には一本筋が通っている。勝負に勝つことの心構えを名人戦に登場した天才たちにあてはめて語っているのである。勝つための心構え。勝負にかける執念を語りながら、人間の限界と可能性を語った名著である。

 

原野彌見著「記者 - 吉展ちゃん事件50年・スクープ秘話と縁深き人々」(中央公論事業出版)

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  1963年(昭和38年)に東京都台東区入谷で発生した「吉展ちゃん誘拐事件」は、戦後最大の誘拐事件として社会を震撼させた重大犯罪である。発生から2年3か月後の1965年7月4日、犯人は自供に追い込まれ、連れ去られた吉展ちゃんは荒川区の円通寺の墓所で遺体となって発見された。

 犯人を自供に追い込んだのは、「落としの八兵衛」「鬼の八兵衛」の異名をとる警視庁捜査一課の平塚八兵衛刑事である。犯人が遺体を隠した円通寺の墓所から、遺体発見を本庁に連絡する平塚刑事の電話を物陰で聴いていた読売新聞社会部記者、原野彌見氏がいち早く社に連絡し、読売新聞の歴史的なスクープとなる。

 そのスクープの一部始終を語った著述だが、事件記者のすさまじい執念と取材協力者に配慮する姿が迫真の筆さばきで書かれてある。何よりも著者が語りたかったことは、取材に終始協力してくれた円通寺の人々に迷惑がかからないように長い間この真相を語ることなく、自らの口を硬く封印してきたことである。

 しかし事件から50年経ったいま、円通寺の人々に改めてお礼に伺い、そして50年前の真相を語ることの許可を受ける。「もう時効ですね」という寺の先代のお内儀の言葉を受け、寺の家人になりすまして取材を続けた現場を再現して執筆している。

 この本は単にスクープした記者の報告ではない。取材源の秘匿を守り、取材記者の節度ある行動を余すことなく書いたものであり、抑制のきいた書きぶりであるがそのときの現場の緊迫した様子が映像のように展開されていく。著者の原野氏は筆者の3年先輩であり、読売新聞社会部の事件記者として同じ領域で活動する機会もあった。

 原野氏の人をそらさない穏やかな人柄はよく知っているので、取材協力者となった円通寺の人々とのそのときのやり取りは、原野氏だからできたことであると思った。そしてここに書かれていることは、同時代を生きてきた同志のあの時代のひとコマであり、往時の熱気をはらんだ読売新聞社会部の光景がありありと蘇り、たとえようもないほど懐かしい気持ちに浸った。そして歴史的なスクープが生まれた現場の状況を初めて知って、震えるような感動を覚えた。

 

丸山克俊「良いことに上限はないんだ」(ダイヤモンド社)

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 理工系総合大学である東京理科大学は、運動選手らの優先入学制度がない。競争の厳しい入学試験をパスした学生たちが運動部に入ってくる。ソフトボール部の部員も、いわば普通の学生たちである。その彼らが、来る日も来る日も切磋琢磨して大学ソフトボール界で存在感を出すまでにのし上がっていく。

 この35年間に全日本大学選手権大会(インカレ)に14回出場、ベスト8に3回駒を進めている。目標はむろん、全国制覇である。その夢を追い求め、若き学徒を熱血漢をたぎらせて鍛え上げてきた監督、それがこの本の著者である。

 実に面白くためになる本である。理科大ソフトボール部の創設時代から今までの歴史を語りながら、学生たちを鍛え上げていく著者の思想、信条、人生観が文章の隅々まで浸み渡っている。だからソフトボールの練習に明け暮れた日々の出来事をつづったものではない。

 たとえば、遠征先の宿泊所でもスリッパを揃えることをうるさく言う。「そのような基本ができていなければ、技術論とか戦術論などを学生たちに伝え、基本練習、応用練習を組み立てて行っても、人間関係や社会での基本ができていないチームは上にあがれない。長い監督生活の中ではっきり言い切れることである」と言う。

 筆者も2010年の富山インカレに応援に行ったりソフトボール部の納会に招かれて出席したことがある。部員たちの礼儀正しい統制のとれたきびきびした行動は、一種、感動的でさえある。本書には練習の有様や試合の経過なども実名入りで詳細に語られているが、会ったこともない人々の姿を彷彿とさせる達意の筆さばきは一気に読ませていく。

 この本は東京理科大学ソフトボール部の輝かしい歴史を語ったものだけでなく、ソフトボール部を通して全人教育の現場を語った本である。それを体現してきた著者の言葉が次々と出てくる。「無遅刻・無欠席・全力疾走当たり前」、「練習は義務でなく権利である」、「人を選ぶことの責任を学べ」などである。

 OBたちの言葉もさりげなく語られている。「社会人として最低限の礼儀作法や行動指針が身についていただけでなく、諦めずに最後までやりぬく姿勢が仕事に取り組む姿勢に出ている」とか「会社に入り、周りの人から責任感が強く、決めたことをしっかりやり切るとほめられたことがある。ソフトボール部の経験が生きていると感じた」と言う。

 高校野球の夏の甲子園大会でも、無名校が初出場で優勝した例がある。勝負は技能の巧屈だけではないことを如実に語っている。東京理科大学が全国制覇するのは不可能ではない。いつかその日が来るのではないか。そう思わせる本であり、今年読んだ屈指の名著だった。

 

読売新聞社会部「東電OL事件 DNAが暴いた闇」(中央公論新社)

 

 東電の総合職にあった女性エリート社員が、東京・渋谷の円山町界隈に出没して売春を繰り返し、あげくに殺された。この事件の犯人としてネパール人が逮捕され、無期懲役刑が確定していた。

 14年後にDNA鑑定によって無期刑のネパール人ではなく、別の人物が犯人である可能性を示すDNA鑑定が出され、これが決め手になって無期刑だったネパール人は無罪放免となって帰国した。この再審事件の口火を切ったのは、読売新聞社会部の一面トップのスクープだった。

 今年度の新聞協会賞を受賞したこのスクープの顛末をドキュメンタリータッチで書き上げた迫真の本である。かつて読売新聞社会部に在籍し、警視庁記者クラブでも活動した経歴を持つ筆者は、これを読んで現代の事件記者たちの活動のあらましを知って感動した。

 取材の本筋、つまりオーソドックスな取材手法は、昔も今も変わりがないことに安堵した。最近はとかく新聞記者の取材力が劣化してきたとよく聞くことがある。霞が関の官僚から聞くことが多い。そうした声に不安と危惧を抱いていた筆者は、この本を読んで新聞記者劣化論は必ずしも当たらないと感じた。

 取材対象にある関係者に丹念にあたりをつけて裏を取っていく手法では、ネパールの首都カトマンズからアメリカ各地まで記者が飛んで関係者の証言を引き出していく。検察、警察の担当者にも、粘り強い夜回り取材で外郭から核心へと迫っていく。ネパール人の再審までの長かった道のりが、このスクープによって一挙に激流となって動き出していく。

 被害者の東電OLの体内に残っていた体液のDNAが、有罪とされたネパール人のものとは一致しなかったという14年後の事実にも驚きであるが、捜査段階での思い込みが大きな誤りであったことをあぶりだしたということだろう。

 副題にある「DNAが暴いた闇」とは、捜査段階での思い込みの闇であり、ネパール人関係者に出頭を求めて追い詰める段階で警察が辿った捜査手法である。警察の密室での強引な聴取はほめられたものではなく、記者の取材によってその闇が暴かれていく。 罪のなかったネパール人たちは、日本の警察にどれほど恐怖感と不信感を持ったことか。

 先ごろ、同じ読売新聞の一面トップで、iPS細胞の臨床応用を世界で初めて行ったとするスクープ記事が掲載された。しかしほどなく取材対象者の虚言であることが判明し、この人物に関連する記事はすべて誤報として紙面で謝罪した。読売新聞は過去の関連する掲載記事を取り消し、担当した部長が更迭され、担当デスクや記者も懲戒処分された。かつて科学部に在籍した筆者にとっても意気消沈となる事件であった。

 その一方でこのように事件記者の王道で攻めていった取材があったことを知ってほっとした。新聞記者の取材力が劣化してはならない。インターネットで情報が氾濫する時代に、このような調査報道がなければ、新聞ジャーナリズムは衰退する一方だ。

 これからもしっかりと王道を歩いてほしい。

 

中原圭介「これから世界で起こること」(東洋経済新報社)

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 最近、書店で目についた経済関係の本を立て続けに5冊ほど読んだが、この本はこのコーナーで紹介した、三橋貴明「グローバル経済に殺される韓国 打ち勝つ日本」(徳間書店)、ぐっちーさん「なぜ日本経済は世界最強と言われるのか」(東邦出版)と並ぶ、非常にためになる本である。

 この著者も日本のデフレ現象からの脱却ができない理由を述べている。というよりも世界全体がデフレ現象へと向かっており、今後5年、世界の経済の減速は止まらないと分析する。この本の副題にある「正しく時代を読むためのヒント」とあるように、時代認識へのヒントを与えてくれる。

 前の2書でも感じたことだが、そもそも時代が変革したために従来からの経済学は破たんしているのである。いま世界で起きていることは第3次産業革命である。誰も経験したことがないことが世界的に起きているのである。

 革命を起こしているのはITツールと手段である。これまでのモノ作りの現場はITツールと手段によって革命的に変革し、ITは第1次産業革命の蒸気機関のような役割を果たしている。生産手段が変革するだけでなく、流通機構もビジネス方法も価値観も犯罪も激変してきている。

 そのような時代が進行しているのだから、人類の未体験現象が次々と押し寄せては対応が迫られているのは当然である。その状況を正確に把握し、最良の方策を模索することが求められている。

 しかし、正解を見つけ出すのは極めて難しい。世界中のあらゆる経済活動は動いており、局面が時々刻々と変わっていく。後で正解が分かっても手遅れということもある。そのような時代に入っていることを経済動向から見極めることが最も重要なことなのだろう。

 筆者がいつも主張している「時代認識」こそ、最も重要な見極めではないかと思う。 

 

三橋貴明「グローバル経済に殺される韓国 打ち勝つ日本」(徳間書店)

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 韓国経済の脆弱性を告発する書籍を出して話題になっている著者が、韓国のグローバル化を礼賛する日本の風潮に対し論理的にその間違いを指摘した本である。韓国はグローバル化によって格差が拡大し、利益を外国人に持っていかれ植民地化への坂を転げ落ちていると指摘する。

 韓国の経済、社会、政治だけを批判している本ではなく、韓国の現状を反面教師とし日本はその轍を踏まないようにするべきという警告の書になっている。著者がその根拠に示しているさまざまな経済指標は客観的なデータとして説得力がある。

 韓流がもてはやされ、韓国製の映画やテレビドラマが日本でも盛んに放映されているが、これは韓国が国家的にコンテンツを発信するという政策だけでなく、デフレに悩む日本の映像業界が、単に安いというだけで安易に輸入しているというくだりはなるほどそういうものかと思わせる。

 デフレを脱却する政策にも著者は具体的に提言している。財政出動で公共投資を行い、閉塞している国内経済を活性化させることだという。行き過ぎないように調整することはもちろんだが、そのかじ取りこそ政治の役割ではないか。

 外国へ逃げていく企業をグローバリ化する企業と言えば聞こえはいいが、日本全体で見れば人件費はいよいよ安く抑えられ、消費意欲は失われデフレはさらに進行する。増税やTPP締結などもってのほかと説く著者の主張は、韓国問題ではなく日本の現状を告発しているものだ。

 この本を読むと、日本の政治、行政、マスコミそして識者と称する集団が劣化していることを感じないでいられない。筆者に言わせれば、時代はIT産業革命の真っただ中にあり、産業構造が劇的に変化してきている。技術も社会も価値観も何もかも激変の真っただ中にあるとき、国のかじ取りを誰が責任を持ってやるのか。

 党利党略で政局にうつつを抜かしている永田町の劣化は最も罪が深い。これは筆者のコメントである。

 

ぐっちーさん「なぜ日本経済は世界最強と言われるのか」(東邦出版)

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 著者のぐっちーさんとは、どのような人か。本名は山口正洋さんで、慶應義塾大学経済学部を卒業後に欧米の金融機関を渡り歩き、いまは投資銀行家(ブティック)を名乗っている実務型のプロである。

 10月29日のぐっちーさんのブログを見ると、この本の販売部数は10万部を突破したという。さもありなん。書いてあることは、これまで疑問に思っていたことにすべて答えてくれる内容であり、周囲の人に読むように勧めていたのは間違いではなかった。

 なぜ日本の円は高いのか。誰に聞いても明確な回答はなかったが、グッチーさんは明快に答えてくれる。何よりもこの本の全編を通じて、私たちが最も頼りにし、日常的に接している情報源の新聞、テレビ、雑誌で報道されている内容が、かなり怪しいものであることを根拠をあげて指摘している点がためになる。

 新聞記者であった筆者は、ぐっちーさんの指摘に首をすくめてしまう場面が多々あった。当局の垂れ流し報道という指摘には、確かにそのような面もある。自分が正しいと思っていたことが客観的に見ると、そうでもないことがある。今ごろになってグッチーさんの指摘で再認識する。

 国際金融の世界など、全く分からないで証券や金融に手を出して大やけどをする。バブル経済の華やかなりしころから失われた10年と言われれる直近まで、筆者などはやけどのしっぱなしである。その根源をこの本は解説してくれたので納得した。

 日本は製造業でもっている国であるという「神話」もウソであるという説にも、いまさらながらびっくりした。円高は日本経済にとって日本国民にとって、とてもいいことだという視点にもびっくりした。この本を読んで、世界の経済・金融に関する知識の貧弱さを思い切り自覚した。

 難しい専門分野の話を書いているのだが、語り口が親しみを込めており、読みやすいうえ理解度も高まる。このような本の書き方があることも知って、非常にためになり楽しかった。

 

藤嶋昭監修「新しい科学の話」(東京書籍)

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 若い世代の理科離れや理科嫌いの子供たちに、本当に面白い科学の魅力を語って聞かせる楽しい科学の本が藤嶋昭先生の監修で出版された。

 今回は小学校の部であり、小学1年生から6年生までを出版した。たとえば小学1,2年生の本には四季折々の自然現象を易しく楽しく語りかけている。「冬に吐く息が白いのはなぜ?」というように、自然現象の中の不思議を取り上げている。

 3年、4年と学年が上になるにしたがって、取り上げている自然現象も徐々に高度になっていく。6年生になると、「グラスのふちを指でこすると音が出るのはなぜ?」「水は透明なのに、なぜ昼間の海は青いの?」といった具合だ。

 大人が読んでもためになる。子供に聞かれてもにわかには説明や解説が出来なかったことが、この本を読むとよくわかる。今後は中学生のシリーズも出す予定という。藤嶋先生は子供たちの理科の興味を何とかかきたてたいという努力を続けており、今回のシリーズはその中の一つである。

 中学生、高校生とシリーズを続けてもいいし、この本の外国語の翻訳を是非考えてほしいと思った。中国や韓国でも読まれるのではないだろうか。

 

渡邊恒雄著「反ポピュリズム論」(新潮新書)

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  マスコミ界随一の論客である渡邉恒雄氏が、86歳にして「この書で最後になろう」と書いた世に対する警告の書である。政治はなぜ衰弱したかと副題にあるが、今日の日本の劣化は政治家だけではなく国民すべてに責任の所在があることをこの本は明快に示している。

 渡邉氏に対する評価は、スポーツ紙や週刊誌に書かれている一面とこの本のように本格的な論陣を張る実像とは大きな乖離がある。葉巻をくわえた不敵な風貌が醸し出すカリスマ性は、現代の日本には異質のキャラクターであり揶揄するにはもってこいなのかもしれないが、その内面は硬派で構築された巨大なエネルギーに満ちている。

 ポピュリズムという言葉とその定義を世に広げてきたのは渡邉氏である。その理論の根底には、蓄積してきた並々ならぬ政治思想史の知識と自身の体験してきた政治の舞台裏の権力闘争の現実を踏まえた論述であるので説得力がある。

 テレポリィテックス、ネット政治という新しい言葉と現象にも的確にその功罪を指摘し、いま国民が立ち止まって考えなければならない視点を明確に示している。大阪市長・橋本徹氏への期待と不安にも切り込み、実際のところこの時代の寵児が果たして日本の救世主となれるのかどうか読者に判断材料のヒントを示している。

 渡邉氏がときとして政界の裏舞台でフィクサーのような役回りをしてきたことは、ジャーナリストの枠をはみ出た活動であり一線を越えているという批判もあるが、渡邉氏がこの本で書いている自身の行動規範はそれはそれで一理ある。しかしこれは読者それぞれの判断と評価で分かれるところだろう。

 そのような問題も含めて、どうしても多くの人々に読んでもらいたい本である。つまりこれは現代の日本人がどうしても考えていかなければならない課題を提起した本であり、日本の政治風土と選挙区割り、大連立構想の是非、大衆迎合とメディアの役割などを脱原発運動や経済破たんの危機などを題材にして書いた優れた警告書である。

 巻末に収録した著者の「無税国債」私案は、熟読するに値する内容であった。この書への本筋を離れない反論があるなら是非、それも読んでみたい。渡邉論に対抗できる論陣を期待したい。

 

 高橋洋一著「グラフで見ると全部わかる日本国の深層」(講談社)

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 元内閣参事官であり財務省が隠している「埋蔵金」を公表した著者が、実に分かり易く日本の問題点を解説した本である。「ウソ」と「ホント」と対比させた形で解説を書いているので、理解度がぐんと上がる。このような切り分ける書き方があったとは知らなかった。

 題材にしたのは、消費増税はやむを得ない、増税しないと日本はギリシャの二の舞になる、債務残高900兆円を超えて日本は破たん寸前、行き過ぎた円高には財務省が為替介入すべき・・・・など次々と繰り出す問題には、すべて「ウソ」と「ホント」の解説が書かれている。

 日本政府の金融資産を主要国で比較してみると、けた違い日本は保持しており、消費税の増税など全く不要だという。本当だろうか。しかし著者の示すデータは、なるほど説得力がある。郵政民営化は国民のためにならない。国有化されればいずれ郵政は破たんするという説は、筆者がかねてから思っていた論点と同じである。

 日ごろから政治課題として賛否の論争が交錯している題材を、次々と解説してくれている。著者の肩書は大阪市特別顧問とあることからも、誰のブレインでありどのような政党を担いでいるか分かる。「橋下党」が政権をとることがあれば、さしずめ著者は国家戦略担当大臣のような要職を務めるのだろうか。

 いや是非、そのような政権を樹立してほしい。旧来の政局中心の政治はもう御免である。政策をきちんと論じる政治とそれを報道する新聞・テレビに変貌しなければ日本の未来は暗い。

 

今野浩著「工学部ヒラノ教授の事件ファイル」(新潮社)

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 東工大名誉教授の今野浩先生が、またもや問題テーマを上梓した。前作「工学部ヒラノ教授」に続く第2弾であり、大学構内で起きている様々な事件を明るみに出した警告書でもある。

 筆者も6年間、大学に勤務した経験があるが、大学村の住民たちの自治会である教授会には、世間とかけ離れた「常識」があることが分かった。昨日、今日のなりたての教師であっても、いったん大学村に足を踏み入れると、どうやら大学村の文化に染まって100年も前から住み着いているかのような顔になる。今野先生の本を読んでよくわかった。

 この本は一種の暴露本であるが、しかし多くは自分に関係したことしか書いていないので、告白書でもある。筑波大、東工大、中央大と渡り歩いた著者が、キャンパスで日常的に発生している様々な出来事を事件仕立てに書いているものだが、これは社会で日常的に発生している事件と同じであり社会の縮図であることがわかる。

 大学の先生方だからと言って特別人格高見であるわけではない。知識はあるが人格は別という教師もいるし、どっちもほどほどという教師もいる。誰も書かないから自分が書くしかないという著者の意気込みは、この本の中に十分に詰まっている。

 取り上げている題材は、カラ出張、怪しげな奨学寄附金、単位略取、違法コピー、セクハラとアカハラ、研究費の不正使用、論文盗作とデータねつ造・・・・。どれもこれも「犯罪」と言えばそうである。どの大学でもこのくらいのことは日常的に発生してるのであり、だからこそ誰も書かないなら著者が書くということになる。

 前作「工学部ヒラノ教授」が工学部の表の顔を書いたものであるが、今回は裏の顔を余すことなく見せてくれた。筆者などたった6年間しか在籍しなかった大学村であるが、今野先生の著作内容に思い当たる体験や事実が確かにあったことからしても、全国の大学村で日常的に展開されている「犯罪風景」と言ってもいいだろう。

 一般の人よりも大学村の住民に読んでもらいたい本である。今野先生は、学会などで数回顔を合わせているが普通の先生である。普通の先生が切り上げのいい筆致で描いた村風景は、大学村に一石を投じた効果があることを期待したい。

 

「中国の科学技術力について」~世界トップレベル研究開発施設~

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 中国は21世紀に入るや、何もかも爆発的な発展を続けている。巨大なエネルギーが発揮されれば世界のトップの一角に躍り出てくることは間違いない。その発展の指標の一つが科学技術である。

 独立行政法人科学技術振興機構・研究開発戦略センターが平成24年版としてまとめたこの報告書は、研究テーマごとに現地を訪問取材して深堀を試みたものだ。統計資料が多い中で、中国の科学技術の先端を見聞して書きこんだ書として珍しい。

 取り上げているのは、スパコン、有人潜水調査船、核融合、太陽エネルギー、エコシティ、 北京ゲノム研究所(BGI)、iPS細胞研究、手術ロボット、光学天文台、放射光施設、強磁場施設の11の各論テーマと日中共同研究拠点及び日本企業の中国拠点などである。

 これらのテーマは、世界のトップレベルにあるとされているものであり、現地に飛んで研究者らにインタビューを行い、同時に日本の同じテーマにある研究現場を訪問して中国での研究のレベルと内容をより客観的に分析したものである。

 この報告書をまとめるリーダーになったのは林幸秀上席フェローだが、いずれ林氏の視点も入れた中国の科学技術の評価指標も発表されるようだ。日本の研究現場にいる研究者にとっては、必見の報告書ではないかと思う。

 

立石哲也編著「ここまできた人工骨・関節」(米田出版)

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 高齢者になるとちょっと躓いて転んでも簡単に骨折することがある。運動機能の低下であり、股・膝・足の各関節に障害を起こすことも多い。歩行機能の障害は、体全体の生理機能を損なうことに直結してくることがあるので、こうした障害を軽減するか解消しなければならない。

 立石哲也先生ら研究者らが、非常にためになる本を出版した。メールをいただいたので、その紹介文を掲載する。

 この本は,人工骨・関節の歴史的発展と最新の技術を取り入れた先進人工関節を概説した第1章と、人工骨・関節の材料加工技術、評価技術、生物・化学的表面加工技術、将来の市場分析、標準化および再生医工学などを含む各論からなる第2章~第13章とから構成されている。

 これまで、材料基盤技術で欧米と対等に戦いながら、製品化で一敗地にまみえた苦い経験を総括するとともに、現在の研究開発および新たな取り組みについてまとめたものである。人工骨・関節と再生骨・軟骨の研究開発が互いに切磋琢磨して、互いの欠点を補完し合うという新しい生体材料の時代が到来したのである。

 執筆者一覧(執筆順)

立石哲也  NPO法人医工連携推進機構理事長(序文、第Ⅰ章、第2章、6章、10章、11章、13章)

大森健一  物質・材料研究機構特別専門職(第Ⅰ章)

鈴木仁   産業技術総合研究所テクニカルスタッフ(第2章、11章)

藤沢章   セルテスコメディカルエンジニアリング(株)代表(第3章、4章、5章)

陳国平   物質・材料研究機構ユニット長(第6章)

川添直輝  物質・材料研究機構MANA研究員(第6章、8章)

牛田多加志、東京大学医学系研究科教授(第7章)

伊藤嘉浩  理化学研究所基幹研究所主任研究員(第8章)

村上輝夫  九州大学工学研究院教授(第9章)

岡崎義光  産業技術総合研究所主任研究員(第12章)

兵藤行志  産業技術総合研究所研究グループ長(第13章、11章)

 

澤村修治編・著「宮澤賢治のことば」(理論社)

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  宮澤賢治の研究者である著者・澤村修治氏が、前著「宮澤賢治と幻の恋人」(河出書房新社)に続いて上梓した本である。 賢治はとかく偶像化された聖人として崇められる人物の扱いになりがちだが、澤村氏は、前著から引き続いて等身大のお茶目で愛するべき賢治の姿を見せてくれる。

 本の中身は、もちろん賢治の作品が主体になっているが、童話や詩で語られる賢治の言葉と対話する形でその作品が書かれた時代背景と賢治のエピソードなどを考証して丁寧に解説してくれる。中高生にも読まれるように工夫した論述である。

 賢治が生まれる1か月半前に、岩手県は三陸大津波に襲われて甚大な被害をこうむる。2011年3月11日の東日本大震災とのつながりを探りながら、かの有名な賢治の詩「雨ニモマケズ」 を論考する。賢治が書いたこの詩の写しがそのまま掲載されているが、味のある字でつづられており、賢治のこの字に触れただけでもこの本を開いた価値があった。

 賢治の生き方に共鳴できるのは何だろうか。その命題に応えてくれる言葉や事実がこの本に込められているように感じた。前著に続く賢治の実像を語ったいい本である。

 

鶴蒔靖夫著「独創モータで世界を動かせ」(IN通信社)

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  携帯電話、スマートフォン、PCなどに搭載されている超小型モータを世界に先駆けて開発したシコー株式会社社長、白木学氏の発明人生を存分に語った本である。ラジオパーソナリティで鍛え上げた鶴蒔さんの練達の語り口で縦横無尽に研究・発明と事業展開を語っている。

 白木社長は、学生時代から誰もやらない技術開発に魅力を感じ、以来ひたすら新しい製品開発に取り組んできた。「誰もやならい、だからやる」これが白木さんのモットーだ。誰もが難しからやらないという技術開発があると、よしそれなら自分がやってやろうと思うのである。

 白木さんが最初に開発した超小型モータは、性能がいいにも関わらず日本企業はほとんど相手にしてくれなかった。その製品を評価したのは、アップル、インテル、モトローラなどアメリカの世界企業であった。携帯電話に搭載され、マナーモードのときにブルブルッの震えて告知してくれる振動モータは、マッチ棒の頭ほどのサイズである。

 このモータを開発し実用化されたからマナーモードが実現した。ひところ世界シェア100%という時代もあったほどだ。上場したが後発の企業が追いかけてくる。特許も取得しているがライバル社も特許攻勢を仕掛けてくる。まさにしのぎを削る開発競争であるが、シコーは終始トップを走り続けている。

 本書では、開発当初の苦労物語から中国・上海に大工場を展開して事業を伸ばしていく苦闘物語まで、日本の中堅企業の国際化戦略の現場を余すことなく語っている。著者の鶴蒔さんは、ラジオ日本で「こんにちは! 鶴蒔靖夫です」放送を7100回を超えて続けているパーソナリティである。

 鶴蒔さんの親しみのある歯切れのいい語り口そのままに、白木さんの人柄とその研究人生、経営戦略を一気に読ませる楽しく元気の出る本である。

 

馬場錬成著「大村智 2億人を病魔から守った化学者」(中央公論新社)

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 自分の著書を紹介するのは少々気が引けるが、天然有機化合物の分野では世界のトップクラスの実績をあげている北里研究所名誉理事長の大村智先生の実録評伝を書き上げ、このほど中央公論新社から上梓した。書名はずばり「大村智」である。

 大村先生は山梨大学卒業後に都立の夜間高校の教師になったが、そのとき学び直しを決意して東京理科大大学院に入り直し、昼は大学、夜は教師という生活からやがて研究者へと転進する。山梨大学助手から北里研究所に入所して研究員となり、それからは国際的な研究現場で存在感を現していく。

 有名大学を出たエリートではなく、ごく普通の研究員からなぜ世界トップクラスまで上り詰めたのか。いくつかのキーワードがある。論文は英語だけでしか書かない。世界を相手にしようと決心したからである。研究人脈もレベルの高い外国の研究者とのネットワークを作り上げた。

 大村先生の成長期、自然と親しんだ良き日本の農村時代の風景と、幼少時代から関心があった美術創造と科学研究の創造共通性など、魅力ある研究人生を書き込んだ積りである。 また、研究成果を役立てるために世界的な製薬企業と産学連携を確立した。

 発見した有用な化学物質の特許を実施し、製品化した場合はロイヤリティ収益を研究室に還流させた。総額250億円以上であり、北里研究所の経営立て直しと病院建設にあてた。さらに若いころから集めた絵画のコレクションをもとに韮崎大村美術館を設立し、韮崎市に寄贈している。

 大村先生の研究人生は非常に魅力あるものであり、筆を進めているうち是非、若い人々に読んでもらいたいと思った。 大村先生の実録評伝を書いて世に広めてほしいと筆者に示唆したのは、元特許庁長官の荒井寿光さんであるが、異色の実力者に目を付けた知財の泰斗に感謝したい。

 

 益川敏英著「素粒子はおもしろい」(岩波ジュニア新書)

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  「公明新聞」2012年1月29日付け掲載

 物質の根源、モノを作っている究極の単位、それが素粒子である。この100年間に飛躍的に発展した物理学の分野であり、日本の研究者の多くがその発展に貢献してノーベル賞を受賞した。

  その一人である益川敏英博士が、素粒子論の学問と周辺の研究環境を縦横無尽に語って聞かせている。

  素粒子論を理解するには、それなりの基礎知識が必要だがこの本はそんな知識がなくても面白く読み進めることができる。益川博士の学生時代からの研究人生が語られているからであり、闊達だった若き日の姿を彷彿とさせるエピソードが散りばめられている。

 その話題に引き込みながら、坂田昌一、湯川秀樹、南部陽一郎、アインシュタイン、パウリ、ゲルマン、チャドウイックなど物理学発展の歴史に名を残したキラ星のごとき英才たちを次々と登場させては、進展していった学問の深淵に触れていく。

 小林誠博士と共同でノーベル物理学賞を受賞した業績は「六元クォークモデルの提示」であるが、それを思いついた瞬間は京都の公団住宅の風呂場だったという。もちろん突然思いついたと言っても、そこに至る学問の追求と思考の蓄積、そして自分の能力を絞り出すような努力があったからにほかならないが、益川博士の軽妙な語り口からつい素粒子論を面白いと感じてしまう。

 素粒子論を形造る言葉と理論もきちんと語られているので、これからこの分野に入ろうとする人たちにとっては非常にためになる内容になっている。

  随所に14本のコラムが入っているのも気が利いている。コラムはいわばこの書物のオアシスのような場所であり、読者はそこで一息入れて次の素粒子論へと抵抗なく入っていくことができる。

 名古屋大学の大学院生時代、ドクターコースの入試を廃止させた武勇伝などには研究現場で躍動する若き学徒の逞しい行動力がみなぎっており、学生諸君には特に読んでもらいたい書物である。

 

ジェームス・スキナー著「略奪大国」(フォレスト出版)

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 是非、読んでほしい本を紹介する。

 第一章:

 大略はGDP国内総生産とGCP国民消費可能総生産の差額が、政府が使い込んだ分になる。もともと政府はお金はない。すべて国民のお金。政府の役割は暴力と詐欺から人を守ること。

 政府は、国民の生命、財産を守りながら、安心して経済活動をするためにある。このために使われる費用は20兆円程度、社会保険を足しても55兆円、残りの228兆円は政府の大略奪である。 

 第二章:

 赤字国債はネズミ講である。満期債権と利息を払うためにまた借りる。民間がネズミ講をすれば、詐欺罪で逮捕される。銀行は預金者からの預金で国債を買っている。残り三~四年で残高はゼロになる。老後の資金がなくなる前に対応しなければならない。

 国債の利息をゼロにしたら、銀行はすぐにつぶれる。いずれ銀行は国債を買う残高もなくなる。国債は全て社会保障に使って消えている。税金は政府官僚の肥やし。政府は日銀によるマネーサプライのコントロールをしていない。

 国債を守るため、偽りの資料作成をしている。バブルの崩壊は赤字国債を発行したからだ。政府は運用益がないので、国債を発行しても利息を払う目処はない。つまり国債で、お金を借りることはおかしなことだ。

 政府が国債を発行してお金を安く借りようとすれば、インフレでも日銀に公定歩合を引き上げないように圧力をかけることになる。日銀はインフレのコントロールができなくなる。 

 第三章:

 銀行、保険会社、年金ファンド、政府機関がデリバティブ(架空取引)の発行者または購入者であってはならない。実態経済の中で仕事をするべきだ。金融機関はヘッジファンドや国債にもお金を貸してはならない。

 実態経済にお金を提供する役割に徹しなければいけない。世界大恐慌、ニューディール政策は、政府、中央銀行の失策だった。リーマン・ショックは政府の誤った貸出規制、銀行のリスク隠しであり、ギリシャの破綻は、やはり政府の借金隠しによるものである。

 2010年でギリシャの赤字残高がGDPの144.9%、日本の赤字残高はGDPの225.9%である。日本の国債の94%は国内発行なので、デフォルトすると日本のすべての銀行が倒産する。 

 第四章:

 資本主義は行き詰まっていない。銀行は預金で国債を買って、企業の資金に充てるお金がない。国債は社会保障に充てられているので、日本は社会主義大国である。国債1050兆円が資本金に回っていれば、資本金1000万円の会社が1億社作れる。日本人一人が一起業ということになる。

 これ程の資本金があれば、日本に経済問題はなかった。銀行が国債を買い続けられるのはあと4年。日本の将来は、①政府が正しい原則を素に国営をする、②破綻、③革命、④合併しかない。

 ①は困難であり、③は危険。②を避けるためには④の合併しかない。合併相手はアメリカが有力だ。日本がデフォルトして合併する。公債対GDPの比率が先進国でトップクラスになる。

 モンスター国家の誕生である。日本は、大統領選挙でも人口比率で29%の票を持つことが出来る。 

 第五章:

 3月11日以前に大きな問題があった。海外直接投資は、2008年245億ドル、2009年118億ドル、2010年3月11日直前はマイナス13億ドル。海外の企業は、日本でビジネスをする意味がないと判断していた。

 国内企業も同じ判断をするのは時間の問題だ。日本の体制がおかしい。政府が借金を抱えていなければ、全面復興は簡単に出来た。日本は反経済政府である。公共の場で営利活動は禁止している。日本最大の資産の公道は、経済を理解していない警察が管理している。

 外国人経営者のビザは4ヶ月以上かかる。会社設立にもうまくしても2週間かかる。会社役員の報酬は年1回しか変更出来ない。これでは国際競争は無理である。 

 第六章:

 海や川は漁業組合の物になっている。国民は許可なくして魚1匹取れない。漁業組合はただで権利を獲得し、更に補助金・助成金をもらっている。農協も同じ。固定資産税もなし。競争もなし。累進課税で農家に助成金を支払い、若い労働者の成果を奪い、老人に再配布している。

 本当の平等とは生活水準の平等ではない。権利の平等である。一人一票を実現するまで民主主義ではない。全ての税金は国民に平等に適用されるべきだ。税法から例外措置は取り除くべきだ。

 固定資産税を徴収するならすべての土地が対象だ。消費税ならすべての物質とサービスに課税するべきだ。所得税なら1円からすべて同じ税率にするべきだ。法人税は、企業の能率の良いところから資本を奪い上げる悪いアイディアだ。

 政治家は選挙活動を応援した人のために略奪を行う役割を果たしている。 

 第七章:

 政府は一方で国民の財産を奪い、一方で国民に与える。又政府は吸収性が高く、国民のお金を浪費するものになっている。

 なんの権利で、他の経営者からお金を奪い助成金をもらうのか。隣の人から貯金を盗んで生活保護を受けるのか。若い人たちの賃金から年金をもらうのか。人から何かを奪って、自分は楽な生活をすることは正しいことでない。政府がやればまっとうに見えるが、強盗と同じ理屈。この略奪を許せば国は破綻する。

 明るい将来は略奪を止めるところにある。リーダーシップ、経済的自由、財産権の尊重、自己責任、健全な経済観念が必要だ。社会保障(年金、医療費、生活保護)を一律40%を削減すべし。60%保険、40%は国債から出ているからだ。これだけで赤字ゼロになる。ないお金は使えない。

 国家公務員、準公務員、地方公務員の賃金は、国民一人のGDP330万×2.7(世帯当たりの平均人員)=891万円を上回ってはいけない。現在国家公務員の平均賃金は1336万円。世帯平均所得は550万円。官僚の利害と国民の利害を一致させなければいけない。

 国民を豊かにするためGDPをあげなければいけない。地方自治体をなくすべきだ。警察機能と消防機能があれば残りは不要。あとは民間で出来る。金融機関は、略奪大国の一端になっている。金融業の正しい規制が必要だ。

 1、教育・自動車・住宅ローン、商業ローンなど実態経済にのみ投資。

 2、金融商品は実態経済に不要。この商品が買われる分、実態経済に回る資本が減る。

 3、ローンの証券化を禁止。

 4、レバレッジのかかっている投資ファンドを販売しない。

 5、中小企業が資金を集める法的枠組みを作る。

 資本主義こそが弱者を守り、人間に自由を与え、能率を向上させ、経済を発展させ、国民に豊かさをもたらす。

 資本主義の原則

 1、中央銀行を正しく機能させ、通貨の価値を一定に保つ。

 2、赤字国債を発行しない。

 3、銀行などの金融企業は本業に徹する。 

 あとがき:

 政府は何ひとつ価値を創造するものでない。優秀な人材を返しなさい。邪魔する毎日を止めなさい。お金を使うのを止めなさい。国民の生活を保障するのが役目だと思うのを止めなさい。

 略奪大国はもう止めろ! 国民は略奪心を捨てなさい。政府のやることは国民のお金でやることなので、必要最低限に抑えるべき。

 

 丸島儀一著「知的財産戦略 知財で事業を強くするために」(ダイヤモンド社)

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 キヤノンで40年にわたって知財経営最前線で奮闘してきた知財戦士が、渾身の力を込めて世に送り出した「技術と知財で事業を強くするため」の提言書である。

 キヤノンがゼロックスを相手にコピー機器の技術競争と知財戦争で闘った記録は、丸島さんの前著「キヤノン特許部隊」(光文社新書)で余すことなく書かれているが、今回の著書は時代の変革をとらえながらも事業に勝つための知財戦略の在り方を語った本であり、企業の知財担当者にとっては必読の書である。

 丸島さんは、学者でもないし知財解説者でもない。丸島さんの思想と理念は実務から発した事業の成功の道筋の探求であり、あくまでも実践である。 法律一辺倒で社会が動くなら、それは簡単なことだがことはそうはいかない。知財の現場では特にそうである。

 しかしこの本の一貫した流れは、時代の変革を超えて存在する知財の本質、もっと分かり易く言えば知財が持っている拝他権の強みを生かす事業展開と経営ということを強調したかったものではないか。異論もあるかもしれないが、丸島さんの思いが、この本にこもっているように感じた。

 ともかくも研究開発から知財戦略、産学連携、知財評価、国際標準化、アライアンス戦略、紛争の予防と解決、そして知財立国と技術立国への提示など網羅的に詳述した著書であり、大変、参考になった。古い世代の知財マンから脱皮した丸島さんの健在ぶりを示した著書でもあり、重厚な構想で書いた本である。一読を勧めたい。

 

三宅伸吾著「グーグルの脳みそ」(日本経済新聞出版社)

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  IT産業革命の嵐の中で、変革に対応できずにのた打ち回っている日本の政治、司法、行政、企業、社会と国民の姿をつぶさに見てきたジャーナリストが、渾身の力を込めて書いた社会への啓発書である。

 ITネットワークの覇者グーグルは、既成のルールや価値観を果敢に打ち破る決断と実行の「脳みそ」を持っているが、それに比べて日本の各界のリーダーのなんと「だらしない脳みそ」であることか。そのような品のない言葉は使っていないが、行間からにじみ出てくる著者の叫びはその一点である。

 しかし読み終えてみると、だらしない脳みそは、実は自分自身であることに気が付く。日本人は依存性の強い民族である。お上から言われたことに聴従し安穏として生きることは得意だが、自ら考え判断し行動を起こすことに不得手である。世界が変革してきたとき、その変わりようを読み取り最適の方策を見つけて行動を起こすことができない。

 その民族の特性を窺わせる、政治、司法、企業、社会に蔓延している多くの事例を検証しているが、中でも司法の判断と社会規範との関係を解き明かす筆致は冴えている。法の番人と思っていた最高裁裁判官にして政治、行政に慮った裁量で判決を出してきた結果が、たとえば一票の格差という歪を営々と認めてきたことにつながっている。

 日本人の3分の1の有権者が過半数の国会議員を選んでいる。代議員制度ではなく、デタラメな選挙区分で選ばれた政治家があらゆる法案を多数決で決めている。衆参のねじれ国会などと言っても、このようなデタラメな選挙制度の中で代議員となった政治家が揉めたり決めたところで何の意味もないことになる。

 三権分立という言葉はあったが、実態はその必要性がなく、ガラパゴス国家として繁栄できる時代が続いてきたのである。そのような時代検証を実証的に追跡している点でも優れた内容になっている。一人一票実現運動は、国民審査によって最高裁裁判官を国民の手で罷免しようとする市民運動であり、このような行動こそ最も求められているものだろう。

 いま世界は、産業革命の真っただ中にある。世界史の視点でいえば第三次産業革命である。この革命で最も影響を受けた領域は、もの作り産業だろう。誰がどこで何を作ってもほぼ同じものが出来る。産業の優位性を保つには研究開発のプライオリティしかない。しかしそれを推進するのは政治と行政の先導がなければならない。道筋をつけるだけでなく、それを確保するキイワードはスピードである。

 取り上げている事例は、まるで法律論文のように引例を積み上げた重厚な運びで仕上げているが、法律論や司法解釈はジャーナリストらしく非常に工夫した分かり易い解説をしている。最後の章で「10の解毒剤」として日本再生への処方箋を提示している。とかく世に出ている警告書には、課題提起だけの言いっぱなしが多いが、この本では著者がしっかりと指針を示した点で、読み手は何倍にも触発された。

 国家の変革は、国民個人の行動にかかっていることを強く示唆した優れた実証本である。

 

池井戸潤著「下町ロケット」(小学館)

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 映画の台本を読むように読者のイメージを想念の中で次々と展開させて一気に読ませる直木賞受賞作である。これは知財を学ぶ人にとっては「必須の教科書」である。

 特に大企業の横暴と中小企業の悲哀がにじみ出ている。それだけでなく、研究開発にかけるある種の職人的な魂と、日本人のモノ作りへの執念が随所に出てくる。正直に言えば読者である筆者は、涙がにじみ出てくる箇所がいくつもあった。

 それはこの本の著者の表出力のなせる業だが、映画だと思えばそういうことも不思議ではない。筆者は何十回も、この本に書かれている断片を実際に聞いたりこの眼で見てきた。大企業の横暴というが、大企業とは人格を持った個体ではない。巨大な権力あるいは資本力を持った一つの集合体である。

 ところがそこに所属する人物もまた、その集合体の一部として巨大な権力を身にまとい、いつしか自身の力量と錯覚して人と対峙してくる。その不可思議な力の所在をこの本は見事に描いている。特許の仕組みで一敗地にまみれた大企業が、のた打ち回る有様は痛快であり読者はいつしか弱小企業にうごめく人間集団に自身の身を置いて読み進んでいく。

 と言っては、はなはだ語弊があるはずだ。この本を大企業の知財関係者、研究開発部門の関係者が読めば、また違った感慨を持つかもしれない。がしかし社会の正義は、やはり弱小集団の人々の生き方であり生きがいである。大企業に所属する人々は忘れてはならない。

 この筆者とて同じである。筆者は読売新聞という巨大なメディアに所属し活動してきた。リタイアしてフリーになって、どれほど所属する組織・読売新聞の巨大な「権力」を感じたか分からない。所属する肩書、そのようなものがない単なる自分の名前を名乗ったところで、社会はどう評価してくれたのか。悲哀を感じたことはここでは伏せておきたい。

 とまれ、この本を読んでいるうちに自身の身の程を考え、そしてまた知財を考え、日本のモノ作りを考えてしまった。そのことを告白し、そして是非読むことを勧めたい。

 

加藤嘉一著「われ日本海の橋とならん」(ダイヤモンド社)

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 中国でいま一番よく知られている日本人の加藤嘉一さんの書いた本は、中国文化と中国人の実像を語ってくれるので本当にためになる。中国の政治体制、経済動向、国民の意識などに存在する中国式ダブルスタンダードという解説など、なるほどとうなってしまう。今回も筆さばきが冴えている。

 2005年4月に反日デモが渦巻いたとき、著者はデモを検分するために現場に行った。口では反日を唱えているが、暴徒と化すわけでもなく身の危険を感じることもなかったという。デモの様子を撮影する中国人のカメラは日本製であり、若い中国人の多くが日本製のアニメで育ち、青年になれば村上春樹の小説を読みふける。

 何よりも「健全」であることを感じさせたのは、インターネットで反日書き込みが急増すると、必ず自制を促す声がでてくるという現象だ。これは新聞でも報道されることがあるが、中国人あるいは中国社会は思っているよりもバランス感覚があるという証拠である。

 一方で中国人の考えや行動に理解できないことがある。その読み解きをしているのが、冒頭から書き始めている「中国をめぐる7つの疑問」である。13億人の民が渦巻く中国社会を曲がりなりにも一国に束ねて引っ張っていく政治的な指導力には驚かされるが、その秘密を解き明かすヒントがこの本にはちりばめられている。

 新渡戸稲造は「われ太平洋の橋とならん」という言葉を残しているが、加藤さんはそれにならって「われ日本海の橋とならん」と語り、日中の架け橋になろうとしている。日本の大学生に2年間の猶予を与え、1年間は海外留学を義務付けるという提案は素晴らしい。日本に兵役がないのだからその代わりに国家がそのくらいの「平和の投資」をしてもいいのではないか。そういうことを考えさせただけでも加藤さんの提案は価値がある。

 

北尾利夫著「知っていそうで知らないノーベル賞の話」(平凡社新書)

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 ノーベル賞の季節が間もなくやってくる。今年の受賞者に、日本人はいるのかいないか。毎年この時期になると、なんとなく落ち着かなくなる。そのタイミングを見計らったように北尾利夫さんの著書が送られてきた。商社マンとして海外駐在中にノーベル賞と出会い、ついにライフワークとなったその集大成である。

 本書のタイトルにあるように、ノーベル賞の側面を語った本であり、これだけ面白いエピソードが満載しているものは過去にはなかった。とかく日本では、ノーベル賞と言えば自然科学関係を中心に語られることが多いが、この本は文学賞、平和賞、そしてノーベル賞ではない経済学賞のこともふんだんに語っている。

 北尾さんは、ノーベル財団の知己に恵まれ、ノーベル財団と深い関係にあった故矢野暢氏とも入魂の間柄だったという。まさにノーベル賞の側面を語るに、これだけ現場を踏んで史実と事実に裏付けられた資料としてまとめるに恵まれた環境はなかったのだが、それを生かした北尾さんの力量に敬服する。

 ノーベル賞の創設者であるアルフレッド・ノーベルは、あまりに有名な人物であるが、この本を読むとノーベル賞創設のいきさつまで踏み込んで書いてあり、非常に参考になった。商社マンとして活躍した一方で、長い間、ノーベル賞の研究をして資料をまとめ、私たちに新しノーベル賞観を見せてくれた北尾さんに拍手したい。ノーベル賞を語る際に、参考資料として必見の書である。

 

 加藤嘉一著「中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか」

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 才能を感じさせる達意の文体で中国と中国人、日本と日本人の比較文化論を語った本である。著者は26歳の青年であり、若さを発散させている瑞々しい文体には、論理的な思考が随所に織り込まれていて限りなく魅力がある。

 中国人を語る日本人は十人十色であるが、総じて中国人評はよくない。しかし日中両国での世論調査結果を見ると、中国人の日本と日本人評価は、日本人の中国に対するそれとはかなり違っている。中国人の方が日本人評は高い。

 そのギャップはどこから来るのか。その回答を書いた本と言ってもいいだろう。著者の加藤氏が学生時代から社会人へと成長する過程で中国社会にどっぷりつかり、短期間で中国語を不自由なく使えるようになるという優れた才能と環境があって初めて書くことができた本でもある。

 よく中国人の思考は分かりにくいという日本人がいる。あるいは中国人は老獪・老練だということも聞く。ビジネスで中国で不利に立たされた日本人は特にそのように言う。筆者はそう感じている。しかしこの本を読んでみると、中国人はある意味で単純である。あるいは分かり易いという言い方もいいだろう。思考と行動が日本人よりもずっと可視化されている。

 この本には、日中間で緊張状態を作った中国での反日行動・デモ、毒入り餃子事件、尖閣列島漁船衝突事件、北京オリンピック、上海万博、歴史認識問題など多くの出来事で著者の加藤氏が体験した状況と中国人の反応・対応をベースにしながら、著者の分析と感慨を語っているのだが、中身はどれもこれも現場を踏んでいるので主張には説得力がある。

 さらに日常生活での中国人との交流や大学生活などで体験した心象風景をさりげなく語っている箇所がふんだんにあるが、それが中国人の本質や外から見た日本人の本質に否応なく触れてしまうので読み手を触発させて飽きさせない。

 この本で著者が語っているのだが、著者の知人・友人たちは、著者に外交官やビジネスマンになったらどうかと勧めているという。しかし加藤氏には、文人になってもらいたいと筆者は思う。あるいは北京大学に残り、教師になって評論活動をしてもらいたい。なぜなら、加藤氏のような年代と立場と行動力で日中の比較文化論を語る人はいないからである。

 この本を読んで一番感じたことは、新しい世代の台頭である。中国も日本も変わっていく。その奔流の渦を巻き起こすエネルギーをこの本に感じた。加藤氏の次作を早く読みたい。

 

古賀茂明著「日本中枢の崩壊」(講談社)

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  経産省大臣官房付の肩書を持つ審議官クラスの現役官僚が、渾身の力を込めて書き下ろした日本の政官界に巣食う腐敗の構造の告発書である。

 このように言えば一種の暴露本のようにも聞こえるだろうが実はさに非ず。著者の論点は国民の視点から見ている常識論であり、まったくぶれがない。それは当たり前の主張のはずだが官僚の世界では非常識論になっているのである。

 著者が当たり前と論じる視点は、霞が関の官僚の世界では異端であり許されない論理だという。その霞が関の官僚の価値観を打破しなければ、日本と国民はいつまでたっても救われない。国民の代表者である政治家が唯一この価値観を打破できる立場にあるが、ある時は官僚に騙され、ある時は官僚にすり寄り、そしてある時は官僚や労働組合の恫喝に屈してひざまずく。

 このような理不尽な構造を監視する役目があるマスコミもまた、官僚に騙され、すり寄り、真に国民の立場に立って報道していない。あるいは、核心を衝く論評を展開できないのである。かくして国民はいつでも蚊帳の外におかれ、日本はIT産業革命で急進的に進展する世界の中でますます取り残されていく。

 そのような構造的な欠陥を行政に深くかかわってきた著者が、具体的な例をあげながら一挙に明るみに出していく。 たとえば構造不況に見舞われたいま、多くの労働者が安定して仕事をする機会を失い、青息吐息の企業が続出している。しかし役人だけは身分と待遇を保障され、仕事に失敗しても誰も責任を問われず誰も傷つくことがない。それは役人が長い歳月の間に営々と築き上げてきた構造的な「役人天国」の成果であり、がんじがらめに防護壁で固めた牙城にも見える。

 古賀氏は、民主党政権発足時には、この官僚打破を期待したという。民主党が掲げた政治主導の政策実現であったが、政権が発足すると徐々に政権は公約から乖離し変質していくことに気が付く。その有様は本書に多くの実例としてあげているが、いずれも政治家を実名で取り上げその状況も子細に語っているので説得力がある。

 この本を読んで筆者が感じたのは、著者古賀氏を異端者扱いにして社会から葬り去ろうとする風潮が跋扈し始める危惧である。「古賀氏が主張していることは極端な説であり、実体のほんの一面を語ったに過ぎない」という極端論で葬り去ろうとする霞が関や政界の人々の思惑である。

 しかし、騙されてはいけない。古賀氏が語ったことは真実を余すことなく露呈させ、問題提起して国民に考えさせるきっかけを与えたものである。官僚がこの本を読めば、著者とこの本を密かに社会から抹殺する行動をとるのではないか。特に財務省官僚は、躍起となってこの本の価値を抹殺しようとするだろう。

 渡辺喜美みんなの党代表は、自民党時代から公務員制度改革に情熱を燃やして取り組んでいる政治家だがそれは例外である。数々の無能な政治家の群像や心変わりした民主党の大物議員の仙谷由人氏、歴代の総理大臣の施策の取り組み、東日本大震災の対応策で露呈した官邸の真の姿と福島原発での欠陥対応、そして想像を遥かに超える強権力を政官財界に浸透させていた東電など日本の中枢の実態を存分に書いた筆致は冴えわたっている。

 古賀氏を「たった一人の反乱」にしてはならない。古賀氏に続く正義の行動をとるにはどうすればいいか。国政選挙で国民はどう判断するべきか。特に若い世代の人々は、日本をどのような国にするべきかを考える機会が与えられたと思うべきである。

 古賀氏の主張を読めば、ある特定の政党を思い浮かべる人もいるだろう。しかしこの本はそのような政党に寄り添ったものでは断じてない。なぜなら書いてあることが当たり前の話だからである。政党の政策提言以前の本質的な課題が明確に語られている。 そのうえで公務員制度改革など多くの各論が語られているのである。

 巻末には、古賀氏が雑誌に投稿しようとしたが経産省が握りつぶした「東京電力の処理策」(改訂版)が収納されている。ここにも国民本位の政策手法が明確に出ている。 

 特にこの本は若い世代に読んでもらいたいと思う。そして若い官僚たちもこの本に触発され、日本のとるべき道標を誤りなきよう掲げて実行してもらいたいと思った。

 

 「躍進する新興国の科学技術」

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 IT産業革命による世界的な産業構造の変革は、途上国、後発国・地域に広がっている。先進国に比べてこのような国と地域の方が激変している。そうした国・地域の科学技術はどうなっているか。各種の統計などを網羅しながらまとめたのがこの本である。

 まとめたのは、科学技術振興機構(JST)にある研究開発戦略センター(CRDS)海外動向ユニットのメンバーである。代表者は、林幸秀上席フェローである。

 取り上げた国・地域は、ロシア、インド、ブラジル、南アフリカのBRICS諸国それに韓国、イスラエル、シンガポール、マレーシア、タイ、インドネシア、ベトナム、台湾となっている。各国・地域の科学技術情報については一般的にばらつきがあるので全体像をつかみにくくなっていたが、この本はその不満を解消してくれた。

 本書では中国が入っていないが、中国については中国総合研究センターが2回にわたって「中国の科学技術力について」とする資料を刊行しており、そちらに譲ることになった。

 本書は資料として役立つだけでなく、世界の科学技術動向を知る上でも非常に役立つし参考になる。

 

広瀬研吉著「わかりやすい原子力規制関係の法令の手引き」

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 巨大地震と津波の影響をもろにかぶった東京電力福島原発のトラブルはまだ収束のめどが立っていない。そのさなかであるが、元原子力安全保安院院長を務めた広瀬研吉氏が原子力関係の規制や制度に関する法令の仕組みを分かりやすく解説した書物を大成出版社から上梓した。

 3月11日の巨大地震が発生する直前に上梓したものであり、タイミングがよかったのか悪かったのか。それはさておき、この本の目次だけ見ても、原子力関係の規制、法令がいかに多岐にわたっているかがわかる。これだけ法令に縛られているのは、やはり原子力は厳密な運営を求められているということだろう。

 広瀬氏は、旧科学技術庁に入庁し、核燃料規制課長、原子力安全課長などを歴任し、原子力安全保安院の院長も務めた。原子力安全課長時代に、茨城県東海村で発生したJCOの臨界事故が発生し、その収拾策に取り組んで実績をあげている。

 原子力安全に対しては、日本でも権威者の一人であり、今回の災害では原子力安全保安院と原子力安全委員会と首相官邸の連絡・調整役として官邸から請われ、内閣府本府参与として安全施策に取り組んでいる。

 

東村篤著「家舞四季眞聞」

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 証券業界で39年間活動した東村篤先生が、四日市大学経済学部経営学科の特任教授に転身して、新たな活動を始めている。子供のころから教師になるのが目標だったそうだから、ようやくにしてその目標が実現したことになる。

 東村先生は、社会人院生として東京理科大学知財専門職大学院に入学し、知的財産権について2年間研究した。修士論文は、本一冊のボリュームであり、その充実した内容とともにいまなお語り草となっている。証券業界の第一線で活動していただけに、ベンチャー、中小企業、そしてまた起業するための実践についてはプロであり、当時から教員にしたいくらいだった。

 東村先生からお便りが来て、私家版「家舞四季眞聞」を贈呈された。この本は、篤先生を中心に郷土の歴史と東村家の歴史を語ったものであり、写真館の孫だけあってふんだんに往時の写真がちりばめられている。

 この書物をひもといていると、全国津々浦々で刻み込んできた日本民族の姿が生き生きと書かれていることに改めて共感した。その時代、あの時代、日本人はどこでも同じように努力し、貧乏に耐え、喜び、悲しみそして営々と生きてきたんだ。そのような感慨を抱かせる書物として秀逸である。

 それにしても東村先生は旺盛な執筆力で次々といいものを出してくる。ベトナムを紹介した本も2冊出している。特任教授になってからも、さっそく「かようだより」というミニコミ紙を発行しているようで、写真で見る東村研究室は、研究者の雰囲気を漂わせており、私の研究室に比べても立派である。 いつか表敬訪問することを楽しみにしている。

 四日市大学のことを報告したお手紙もいただいた。国際色豊かな大学のようだから、東村さんにはぴったりだろう。活動を垣間見せてもらい嬉しかった。

 

黒木登志夫著「知的文章とプレゼンテーション」

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 黒木登志夫先生のご著書「知的文章とプレゼンテーション 日本語の場合、英語の場合」(中公新書)が上梓された。著書の「立ち読み版」は、次のファイルで読むことができる。

 「立ち読み版」のファイルをダウンロード

 達意な文体で知られる黒木先生のご本は、いつも楽しみである。今回は40年間の体験から説く実践的な発表技法ということであり、確かに具体的な内容になっている。

 発表は、分かりやすく、説得力を持ち、訴える力がなければならない。いくら内容が良くても、プレゼンテーションの力がないと台無しになる。この本は、実践的なアドバイスを満載した内容であり、是非、手元において参考にしてほしい本である。

 

西島孝喜著「発明の進歩性~判断の実務~」改訂版

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 発明の進歩性は、特許要件の中では最も本質的なものである。その進歩性をめぐっては、特許制度の運用の中でいつの時代でも大きな課題を担ってきた。その歴史的な流れの中で大きな転機となったのは、平成12年4月11日のキルビー最高裁判決である。

 今回出版された文献は、2008年に同じ著者である西島先生が出した「発明の進歩性」を大幅に加筆して完成させた改訂版であり、審決取消判決を精査した900ページ近い大部のものになっている。

 キルビー最高裁判決後に導入された特許法第104条の3によって、特許権者には権利行使に際して事前に判断を強いるだけでなく、侵害訴訟の帰趨にも大きな影響を与えてきた。最近の侵害訴訟では進歩性の欠如と判断されて特許無効となったケースが増加し、特許権者は何をもってその価値を見出すのか大きな課題となっていた。

 著者の西島先生も言うように、日本での特許権の取得は、他の国々に比べて方式審査も実体審査もきわめて厳しいとされている。しかしこれとて、厳しいことが国益に沿っているものなのか厳しくすることで誰が得をするのか、そうした疑問も当然起きてくるのである。

 日本での知財保護の観点でいえば、特許行政はどのようにあるべきなのか。司法判断とはどうあるべきなのか。これは国際的な産業現場で日常的に闘っていかなければならない日本の産業界の行方をも左右することである。特許行政、特許保護というのは、世界の真理や条理で決まるものではなく、一国の命運を考えながら戦略的に展開するべきものであろう。

 この文献は、そのようなことにも思索を広げてくれる優れた資料である。

 

 澤村修治著「宮澤賢治と幻の恋人」澤田キヌを追って

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 「雨ニモマケズ」や「永訣の朝」などの詩や「銀河鉄道の夜」などの童話の著作者として日本人の多くが敬慕している宮澤賢治の実像を余すことなく語った稀有の著作である。

 賢治は、いったいどような人物像であったのか。「聖人」として偶像化された賢治像がポピュラーな姿であるが、この著作を読むと「普通の人」であったことが多くの証言と資料であからさまに描き出していく。その検証で用いた手法は徹底した現地取材である。

 たとえば、賢治の伝記、伝説を書いた多くの資料には、賢治が思いを寄せた女性が登場し語られているが、この著書では新たに澤田キヌという看護婦が語られていく。これまで3人の恋人が語られているというが、そこへ新たにキヌが加わって、賢治の実像にまた一つの彩りを添えていくことになる。

 賢治の作品で語れらた心象風景をもとに、賢治の心をとらえていたに違いない女性の存在とその交流を語っている。これまで語られ尽くされていると思われていた賢治の人物像に、新たな光を与えて読者をまた興味ある世界へと誘う評伝として優れた作品に仕上がっている。

 

藤嶋昭編著「時代を変えた科学者の名言」

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 「私が遠くを見ることができたのは、巨人たちの肩に乗っていたからです」(アイザック・ニュートン)

 「いや、発明することのほうが、発明したことよりもずっとおもしろい」(カール・ベンツ)

 「原因を探求し続ける力が、人を発見者にする」(チャールズ・ダーウイン)

 歴史に残る偉人たちは、素晴らしい言葉を残している。言葉は思想であり思索であり行動の端緒でもある。その偉人たち108人の言葉を選び、深く思索する動機を与えた言葉を集めた本である。編著者の藤嶋昭先生は、酸化チタン光触媒の原理を発見した優れた科学者であり、藤嶋先生はことのほか言葉を大事する科学者でもある。

 本書は、ピタゴラスからビル・ゲイツまでの名言を集めたものであり、1人の偉人でもいくつも言葉も紹介している。その言葉の意味するところや解説は特にないが、読者はむしろその言葉を読み解き、深く思索する森の中へと追い込まれていく。ところどころに藤嶋先生のエッセイが息抜きに出てくるが、これもまた気の利いた話で埋まっている。

 なぜ藤嶋先生はこのような本を編んだのか。それは若い世代の心に響く言葉を掘り起し、その言葉に若い人々が触れることによって、大いに啓発する機会を持ってもらいたいと思ったからである。これは筆者が藤嶋先生から直接聞いたわけではなく、日ごろの先生の言動からみてこのような心意義で上梓した本だと確信するからである。

 このような本は、読んで終わりではなく座右の銘として机上に置いておくものだろう。折に触れて手に取ることが楽しみである。

 

辻本誠著「火災の科学」(中公新書ラクレ)

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 日本はアジアの中で焼死者大国であるという。まさかと思うが、それが20年後にはさらに3割以上増加するという。こんな怖い話を満載した新書が発刊された。著者は東京理科大学教授で火災安全工学の専門の辻本誠先生である。

 昨年初夏のころ、辻本先生から日本の火災の話を聞いた藤嶋昭学長は、これは重大な課題だとして本として出版するように強く指示した。その後、藤嶋学長からその話を聞いた筆者は、さっそく辻本先生とお会いして話を聞いたところ、これが誠に重大な課題を抱えていると感じた。

 さっそく出版社との話し合いから研究内容のまとめに取り組んだ。何しろ超多忙の辻本先生である。多くの研究者らに支援されながらようやく上梓までこぎつけたものだ。

 この本の帯には「写真・図表多数」という文字が見えるように、ふんだんに写真・図表を挿入しており非常に読みやすい。それにこのようなデータの掲載は、それだけで説得力がある。学術的なデータや実験の結果なども多く紹介している。

 3月10日には、出版を祝ってささやかなお祝い会を開催した。刊行の仕掛け人になった藤嶋学長も駆けつけ、にぎやかなお祝い会だった。

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 藤嶋学長(中央)と辻本先生(その右隣り)を囲んで楽しい宴だった。

 

 辻野晃一郎著「グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた」(新潮社)

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  22年間にわたってソニーの戦士だった著者が、自社では活動する場所がなくなりソニーを去った。ほどなくしてグーグルにスカウトされ、同社の日本法人の社長を3年やって辞めた。

 1990年代から始まった第3次産業革命が進行する速さは、ドッグイヤーとも呼ばれている。その仮説に従えばグーグルの3年間は21年にあたり、ソニーの22年に匹敵する激務だったと著者は回顧する。その稀有な体験を惜しみなく開陳した本書は、最近読んだビジネス書の中では出色の内容であった。

 読後感を襲った最初の感慨は、ソニーはやはり第3次産業革命に乗り遅れていたということだ。日本の高度経済成長期の申し子の如くに世界に羽ばたいていったソニーは、日本を代表する看板企業であった。トランジスタラジオ、ウォークマンを世に出した日本の輝ける星であったが、IT産業革命になってからは、世界を変えるような製品を出すことはなかった。

 筆者は一人の消費者として、アップルからiPodが出てきたとき、なぜにしてソニーはこれを出すことができなかったのかと大いに疑問に思い、また悔しい思いをしたが、その解答が余すことなく本書に書かれていることに非常に驚いた。

 ソニーもまた、日本型大企業病に侵されていたのである。本書を読んで思ったことは、著者の辻野氏はソニーが輝いていた最後の時代に入社し、病に侵されて落魄の大企業へと転がり始めたそのときにソニーを去ったのである。そしてIT産業革命の申し子の如く世界を席巻しているグーグルに身を転じ、そしてそこで燃焼した。

 燃焼したと言っても、辻野氏はこれで終わったわけではない。氏がグーグルを去るときの送別会のタイトルは「キックオフ」だったというが、それは著者の3番目の舞台が幕を開けようとするためのはなむけのエールだったのだ。

 IT産業革命は、想像を絶する速さで展開している。これからの動向は誰も分からない。予想もつかない。だから自ら創りあげていくよりない。企業も個人も同じである。

 いま我々は産業革命のど真ん中で生きている。政治も経済も社会も文化も文明も何もかも全て変わろうとしている。この本はその時代の節目を体験に基づいて語った珠玉の現場報告である。

 

福岡秀興先生の「医学のあゆみ」(医歯薬出版)特集号

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 胎児期の栄養状態が、生まれ育った後の数十年後の生活習慣病に大きな影響を及ぼすとする新しい学問を紹介して特集する記事が医学研究月刊誌の「医学のあゆみ」11月20日号で特集されている。

 福岡秀興・早稲田大学胎生期エピジェネティック制御研究所教授の総括前文に続いて、出生体重と様々な疾病との関係、胎生期の栄養と成長後の肥満発症、胎生期環境と発達障害などこれまで知られていなかった重要な課題がこの特集号に掲載されている。

 胎児期の栄養状態が、成長後の健康と深い関係があるとする疫学的な研究成果が続々と発表されており、新しい学問の創造へと発展している。その最新情報を知る上で大変重要な特集である。

 

安西祐一郎著「デジタル脳が日本を救う」

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 慶応義塾大学の前塾長である安西祐一郎教授が、日本を救うのは若い頭脳であることを啓発する本を刊行した。

 デジタル時代に生まれ育った若者たちがいま大学生になってきた。その若者たちと日常的に接している安西教授は彼ら彼女らの優れた才能を見出し伸ばそうとしている。ネット世代の本当の姿を知り、彼らの才能を生かさなければならないとする啓発書である。

 ネット世代を生かすも殺すも「現代の大人」とする著者は、日本の若者たちの持っている才知を伸ばしていこうとする前向きの姿勢がこの本を書かせたのである。それは教育のあり方であり、コミュニケーションの変革を社会がうまく取り込んで時代に合致した社会風土を醸成しようという提言である。

 

西岡泉著「誰も書かなかった知的財産論22のヒントー未来の知財のためにー」(静岡学術出版教養ブックス)

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 企業の知財部で長年活動を続けているいわば「知財人」が、思いのままに書いた知財本である。著者が「はじめに」に書いていることは、専門家による知財本は多数出ているが、「サラリーマンの、サラリーマンによる、サラリーマンのための本格的な知財本」にはお目にかかったことがないので、著者は書いてみたくなったのだと言う。

 さらにこう言う。「特許庁編 工業所有権法(産業財産権法) 逐条解説」は、特許法などの条文の一条一条について解説したものであり、弁理士試験を目指す受験生には必読の書である。これに対し本書は、それぞれに関係する条文を選んで、自分なりの考えを述べたものだ。言ってみれば「あるサラリーマン編 知的財産権 適当解説」とも呼ぶべきものだ、とある。

 中を広げて見ると、豊富な事例を引き合いに出しながら知財のあるべき姿、あるべき戦略、その価値観など著者の並々ならぬ知財哲学が散りばめられており面白い。知財人材を目指す人は是非読んでほしい本である。

 

林幸秀著「理科系冷遇社会」

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 著者の林幸秀氏は、35年間にわたって科学技術行政に携わってきた官僚である。最後は文部科学省の文部科学審議官を務め、さらに宇宙航空研究機構(JAXA)の副理事長を務めた。いわば、日本の科学技術行政の中枢を歩いた人が、理科系冷遇の現状を余すことなく書いている。

 こうなったのには、日本の行政つまり著者にも責任の一端がありそうだが、それだからこそ林さんは書いたのだろう。内容は、理科系冷遇というタイトルとはまた違った現状をえぐりだしている。地番沈下する日本の科学技術の様々な現状のよってきたる原因は、理科系人材を活かしきれていないからではないか。その遠因には理科系人材の冷遇社会がはびこっているのではないか。そう著者は言いたいのだろう。

 同感である。林さんとほぼ同時代を取材する立場で活動してきた筆者は、科学技術庁創設のころからその後の科学技術行政、政治家とそれを取り巻く状況を見聞してきた体験から言えば、霞ヶ関では技術官僚は間違いなく差別されていた。この本には、そんなことは書いてないが、そのような土壌の中で日本の科学技術は、営々と生き続けてきたのである。

 本書の内容に戻ると、日本の科学技術の現状を憂うだけでなく、今後の科学技術振興への熱い思いも書かれている。問題提起の書であり、これからの指針を続編で期待したい。

 

土生哲也著「経営に効く 7つの知財力」

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 ソフトウエア・金融システムなどを専門とする弁理士として活躍している土生哲也先生が、発明協会から「経営に効く7つの知財力」を刊行した。

 知財は経営と表裏一体となっていなければ意味がない。土生先生の視点はいつでも「経営ありき」であり、知財とマネジメントを常に考える提言を行っている。

 この本は、知財の意味をもう一度考えるという第1章から、知財の制度と仕組みと知財マネジメント、知財への取り組みを見直そう、知財はどのように働くのか、経営に役立つ知財マネジメントを始めよう、競争力という視点で知財を考えるなど、7章からなっている。

 具体的な事例を取り入れながら、平易で分かりやすく話を進めているので理解度が高くなる。大企業、中小企業に関わらず、経営者や知財スタッフに役立つ教書になっている。

 

「中国特許審査指南」(北京銘碩国際特許事務所)

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 中国の特許法(専利法)が改正・施行されてから今年の9月末で1年を迎える。改正後の特許審査はどのように行われているのか。日本の企業や特許事務所でも大変、注目していたが、その審査指南(審査基準)の解説書の完全翻訳本が、このほど北京銘碩国際特許事務所から発刊された。

 中国の特許法は、日本の特許、実用新案、意匠の3つの権利を網羅したものなので日本の特許法とは違うが、全体のボリュームは簡潔にまとまっている。

 日本語翻訳の監修をしたのは、西島孝喜弁理士(中村合同特許法律事務所パートナー)である。きめ細かい解説、分かりやすい表記であり、中国の特許出願実務に非常に役立つ内容になっている。

 この本の購入希望者は下記にお問い合わせください。

 北京銘碩国際特許事務所 日本事務所 
  〒101-0021
  東京都千代田区外神田5-5-15横山ビル4F
 TEL:03-4360-2827/03-4570-2162
  FAX:03-6803-2186
  E-mail:[email protected]
 www.mingsure.com

「思わず話したくなる国 ベトナム」東村篤著

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 岡三証券株式会社情報企画部の東村篤さんが、ベトナム本の第2弾を公刊した。

 東村さんは、2006年、07年に東京理科大学知財専門職大学院で知財戦略を研究し、修士論文も執筆した。旺盛な執筆活動で多くの著作物を世に出しているが、今回のベトナム本は2007年に公刊した「ベトナムの風」に続くものである。

 本書は紀行編、と研究の本棚1,2の3部構成で書いてある。旅行者が見たり聞いたり体験した紀行は、大変面白く読んだ。
 研究の本棚は、ベトナムの政治、経済、文化などを通して工業国家としての課題と将来性、日本と日本企業とベトナムの今後のあり方など多角的に語っており、大変、勉強になった。
 
 この中には、ベトナムの知的財産権の現状と課題とした項目もあり、途上国の知財現状を報告し今後の課題にも触れている。

 東村さんのように、見聞した内容を執筆して刊行するのは後々まで業績として残るだけでなく、多くの人に情報を発信して啓発することになるので価値がある。
 是非、これからもこのような活動を期待したい。

「弁理士制度110周年記念誌」の発刊

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 日本弁理士会は、このほど「弁理士制度110周年記念誌」を発刊した。10年前には、「弁理士制度100年史」を発刊したが、これは弁理士制度の歴史を記録したものであり非常に読み応えのあった労作だった。

 今回の発刊は、その後の10年を視点にし、この間に起こった知的財産制度と弁理士制度を概観し、日本弁理士会の活動のありさまを記録したものだ。

 この10年間、弁理士界の周辺では大きなうねりがあった。平成13年には新弁理士法の施行、同14年には知的財産戦略会議の設置、同15年には付記弁理士制度の発足、同17年には知的財産高等裁判所の設立、同20年には弁理士の実務修習の導入などがあった。

 筆者は日本弁理士会のアドバイザリーボード委員会の委員としてその活動を詳細に見聞する機会に恵まれているが、この10年間を振り返ってみると弁理士会の活動は飛躍的に広がったというのが実感である。

 たとえば最近も、地域知財活動の支援、義務研修の制度のスタート、全国の支部化の実現などが行われ、地域の知財意識の向上と産業現場での知財活用では、弁理士が推進役として活動している。さらに弁理士合格者は年々急増しており、弁理士事務所の経営にも大きな環境変化があった。

 まさに激動の10年間であったが、その動きは停止することなく今後も続いていくだろう。本書はその記録を後世にとどめるためのものであり価値ある発刊である。

 

「アトムバランス栄養学」(越浦良三、栃久保修、並木秀男著)

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 私たち人間は、約60兆個の細胞で構成されている。その1つ1つの細胞には、同一の遺伝子DNAが格納されており、必要な遺伝情報を利用して化学的な反応を瞬間的に行って生命を維持している。

 生命活動とは、化学工場といわれる細胞の活動を集約したものであり、途方もなく精妙な仕掛けで出来上がっている。

 この本は、そのような生体のメカニズムから考えた新しい栄養学であり、これまでになかった斬新な理論で展開されている。
 学術的な論点と分かりやすい図解、興味深いエピソードなどをふんだんに入れたもので、一気に読んでしまうためになる栄養学の本である。

 内容の面白さ斬新さの第1は、栄養学をアトム、つまり原子レベルで論じたところにある。原子は分子を形成し、さまざまな物質、要素となって生体の活動で働いている。本書の論点から見ると、私たちの体は、原子レベルで新陳代謝を繰り返しており、約3カ月で大部分の栄養物質が入れ換わり、1年もするとすべての栄養物質が入れ換わってしまうという。

 私たちの脳、骨、筋肉などの栄養物質が入れ換わるなら、健康や美容ということは、栄養物質を構成するアトムレベルで考えないと意味がなくなる。アトムバランス栄養学とは、まさにその栄養物質について原子レベルの新陳代謝を考えることであり、本書でいう「アトムの流れ」を作り出している生命現象を理解しなければならない。

 アトムの流れは100種類の食材から100種類の栄養素を凝縮・集約しているものであり、腸内で生息する約100兆個の細菌叢の存在意義にまで言及されていくと、人体の新しい生命観を考えざるを得なくなる。

 この本を書いた3人の著者は、予防医学や生物学などの分野で実績を認められている第1級の研究者であるが、それぞれの分野の知見をアトムレベルの栄養学として考え、まとめて提起したものだ。

 これまでの栄養学に新しい視点を投げたものであり、それもいきなり啓発本で世に出したところに新鮮さを感じる。

 是非、一読をお勧めしたい。

「社長になれなかった男」(松村直幹著、風雲舎)

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 名門の大手食品会社に勤務し、専務取締役まで出世した一人の企業戦士の波乱に富んだ企業ドラマである。書物の帯には「ビジネスマンの危機管理」とあるが、それはビジネスマンの危機管理だけでなく、企業の危機管理をも語ったものである。

 ドラマは、東京の有力な日刊新聞に「毒まんじゅうを回収し、転売」というすっぱ抜きの記事掲載から始まる。主人公の松川専務は、毒まんじゅうと名指しされた冷凍肉を卸売する部門の最高責任者であり、その対応策に奔走する。

 当の肉まんを販売していたのは、肉まんのフランチャイズ店を経営する中堅企業であり、原料を卸売りする専務の企業と品質をめぐって紛争になっていたさ中の報道である。誰がこのような取材ネタを新聞社に持ち込んだか明らかだ。

 ドラマは厚生省、農水省の行政指導と族議員との絡みや、新聞社にタレこんだ中堅企業のバックには同和団体が深く関与している事実も分かってくる。やがて事態は事実関係の解明と収拾へという思惑とは反対に、週刊誌やテレビ局の報道、取材の動きをからめながら息もつかせぬ展開で進んでいく。

 この物語の圧巻は、主人公の専務とその企業の部長、役員、社長らの事件に対応する姿をあからさまに描いていくところである。それは企業が存亡の危機に陥ったときに、どのような判断と対応策をとるべきか。その一部始終を事実に基づいて語ったという点でほとんど例をみないものだ。

 発端となった新聞社の報道内容には、事実関係で重要な誤りがあるのだが、それに抗議して記事の誤りを認識させて訂正報道をさせるのか、はたまた取引先の中堅企業と話し合いで収拾を図るのか、その判断をめぐって企業内で連日、対策が講じられていく。その判断力こそ、企業の危機管理であるのだが、事態は好転しない。

 膠着事態を打開するため、専務の決断で新聞社に乗り込み、社会部長と対決して記事の誤りを認識させ、訂正記事を掲載させる。さらに専務は、紛争相手の中堅企業の社長とも面会し、背後にいる同和団体の理不尽な動きを暴露し、譲歩させた条件で和解へと取り付ける。

 この事件が発生したころ、雪印乳業の回収・転売問題や狂牛病(BSE)国内発生に伴う輸入牛肉の回収と国の買い上げに絡んだ不正事件など食品業界を震撼させる不祥事が相次いでいた。そのさなかに巻き込まれた事件をドラマとして書いたものであり、前半は新聞報道から端を発した企業の危機管理に焦点を当てている。

 しかしこのドラマのもう一つの狙いは、ビジネスマン自身の危機管理である。主人公の専務は、毒まんじゅう事件を収拾した後、同業他社の子会社との企業合併と再生に取り組む。しかし毒まんじゅう事件を収拾した功績はいつの間にか棚上げされ、社長と一部の役員が打ち出した新しい社内体制、経営方針の取り組みから専務は外されていく。

 その内部の不穏な動きを察知できない専務は、ある日突然、専務を解任され同業他社から買収した子会社へ左遷されてしまう。その子会社では代表権もないただの会長として社長を助ける役回りをするのだが、元専務は全力を挙げて経常利益を出すことに取り組みそして成功する。

 この著作は、著者の松村直幹氏が企業戦士として闘った日々の出来事を、事実に基づいて語ったノンフィクションノベルである。このコラムでドラマと銘打ったのは、そのような理由からだ。登場人物はすべて匿名になっているが、一読してそれとわかる企業名や人物名がちりばめられているので迫力がある。

 何よりもこのドラマを読んで感動したのは、主人公の専務が会社のために命をかけて取り組むその姿勢である。迅速な対応、判断と決断。事実に基づいて淡々とドラマを語っているのだが、組織のリーダーとして求められる資質をいかんなく発揮する姿には感動せずにいられない。

 日本ではひところ企業戦士なる言葉が流行った時代がある。会社人間という言葉もあった。それは会社に忠誠をつくし、会社のためなら地の果てまで飛んでいく使命感と私生活を犠牲にしても会社に尽くすその行動を称えたものでもあった。

 このドラマの主人公の専務にはそのような血脈が流れているのだが、それと同時にどこの社会にでもある妬みの対象となり陥穽の犠牲になっていく結末は、これまた有能なビジネスマンの一つの断面でもある。

 社長になれなかった男・・・・。結末に進むに従って胸が熱くなってくる。
 久しぶりに感動した書物だった。

「人づくりと江戸しぐさ おもしろ義塾」(越川禮子、桐山勝著、MOKU出版)

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 徳川家康が未開の地であった江戸に幕府を開いて大阪から多くの商品や職人を呼び寄せ、大消費都市に育て上げた。その江戸文化の成り立ちから成熟する過程を豊富な史料を駆使して書いた本である。

 このような文化伝承の研究者がいること自体驚きであり、その内容もまたおもしろくためになることで埋まっていることにまたもびっくりである。江戸時代の町人気質を語る著者のその語り口が江戸文化そのものであり、確かにおもしろ義塾である。
 楽しい本である。

米国の科学技術政策とオバマ大統領の演説

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 「グリーン・ニューディール -オバマ大統領の科学技術政策と日本」(科学技術振興機構研究開発戦略センター編、丸善プラネット)の紹介である。

 歴代のアメリカの大統領は、時代の変革をとらえて科学技術に関する重要な演説をする。筆者がもっとも印象に残っているのは、1997年5月18日、メリーランド州ボルチモアにあるモーガン州立大学の卒業式で行ったクリントン大統領の演説である。

 クリントン大統領は「過去50年間を物理学の時代とするなら、今後50年間は生物学の時代になろう」と前置きして、21世紀のアメリカの科学技術研究の目標と政策について演説した。クリントン大統領は、別の演説では「20世紀は物理学の時代であり21世紀は生物学の時代である」とする演説をぶっている。
 大統領が言うように、今や生物学の大発展の時代に突入している。

 オバマ大統領は、2009年4月27日、全米科学アカデミー(NSA)の演説で、科学がアメリカの繁栄、安全、健康、環境、生活にとって必要なものであり、科学技術への投資と教育を最優先課題と位置付けた「今後50年間のアメリカの繁栄を築く政策」を宣言した。

 2008年に端を発した金融危機後の対応策では、オバマ大統領は大型補正予算の中で環境投資を打ち出し、これがグリーン・ニューディールと呼ばれるようになる。ニューディール政策とは、1933年に大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトが打ち出した一連の経済政策であり、この政策推進によって世界的な経済恐慌を乗り切ることができた。その時の業績にならって付けたキャッチフレーズであろう。

 アメリカの科学技術政策については、筆者はこれまでずいぶん紹介してきた。ダイナミックに取り組む政策については、日本でも学ぶ点が多々あることを指摘してきたが、日本では首相を補佐する科学技術政策スタッフすらいない。また、日本の首相が科学技術に絞って重要な演説を行ったことは皆無である。

 この本では、日本の科学技術研究のリーダー、政策スタッフなど23人の人々が様々な観点からオバマ大統領のグリーン・ニューディール政策と科学技術政策を紹介しながら、日本の取るべき科学技術政策について提言を行っている。

「進化し続けるトヨタのデジタル生産システムのすべて」武藤一夫著 技術評論社

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1990年代から本格的に始まったモノ作り現場のデジタル化は、あっという間に世界を席巻してしまった。自動車産業の雄、トヨタ自動車の生産現場ではどのようなデジタル革命が進んだのか。そのイノベーション技術を詳細に報告した本であり、現場の技術者だけでなくこれからモノ作りに取り組もうとしている若い世代の人々にも非常に参考になる価値ある本である。

 著者の武藤一夫先生とは、90年代から各種のシンポジウムや学会などでお会いし、多くの示唆に富むコメントや見解を聞く機会があった。いまこの本を開いてみると、武藤先生が語っていた実務上の状況がよく分かってくる。

 日本には、デジタルモノ作りで使用するソフトやツールの実務を教育する大学がないと言ってもいい。それは欧米から輸入して販売している、様々なバーチャルモノ作りで使用するソフトベンダーの営業担当者が嘆いていることで知った。

 つまりIT産業革命の先端を走るべきデジタルモノ作りの技術者は、ベンダーがイチから育てないとものにできないということだ。アメリカでは、大学を出るとすぐに使える人材がいるが日本では、企業が教育しないと使い物にならないという。

 武藤先生は、まさにそのような人材を育てる最前線にいる研究者であり実務家であり教育者である。モノ作りに取り組む人は是非、読んでもらいたい本である。

「ニルスの国の高齢者ケア」 藤原瑠美著

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 福祉の勉強会「ホスピタリティ プラネット」を主宰している藤原瑠美さんが、また珠玉のようなルポルタージュをドメス出版から上梓した。

 舞台は、福祉先進国のスウェーデン・エスロブ市。ここに日本から通い詰め、長期滞在し、高齢者ケアを実践的に体験しながら取材を続けていた成果を一冊の本にまとめた。

 藤原さんは、大学卒業後、銀座和光に入社。同社宣伝企画部副部長、婦人用品部部長、広尾店店長などを務め、2000年に和光を退社した。在職中の1990年から、認知症になった母親を在宅介護して最後まで看取った。

 そのときの母と娘の、幸せと笑いと苦闘を通して感動的な日々を送った記録は、「ボケママからの贈りものー働きながらの在宅介護の記録」(PHP研究所)、「残り火のいのち 在宅介護11年の記録」(集英社新書)などに、あますことなく書かれている。

 今回、上梓した本には、スウェーデンの地方土地で展開されている介護ケアの実際を著者の眼で見たことを書いたものだが、スウェーデンの福祉施策、地方自治体の取り組み、職員たちの介護ケアに取り組む姿を実に生き生きと語っている。

 藤原さんは、こうした活動を定期的にメルマガでも配信するなど、その活躍ぶりは素晴らしいと思う。是非、介護に関心を持っている人に読んでもらいたい本である。


 

コンテンツ商品化の法律と実務(穂積保著)

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 東京理科大学知財専門職大学院の教授で著作権の研究と実務を担当されている穂積保教授が、学陽書房から上梓した本である。
 コンテンツビジネスは多岐にわたり、しかも知的財産権の権利も複雑怪奇で分かりにくい。
 その煩雑さを裁いて読者に分かりやすく書いた本であり、契約書の実例もあってためになる。
 本の編集も分かりやすくするために質疑応答方式を入れるなど工夫しているので参考になった。
 コンテンツビジネスを手がける人には是非、参考書として取り上げてほしい本である。

科学技術庁政策史の刊行(新技術振興渡辺記念会編)

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 2001年の省庁再編のときに旧文部省と合併された科学技術庁の成立からその活動、役割を振り返り、日本の科学技術行政を顧みた本が刊行された。

  執筆者は、武安義光、大熊健司、有本建男、国谷実の諸氏で、いずれも旧科学技術庁の高官だった人々である。戦後、廃墟の中から復興するために日本は科学技術で国を建てようと燃えた政治家たちの活動や、原子力、宇宙、海洋などに特化していった軌跡、振興調整費の生まれた背景などが語られている。

 後半は「世界の科学技術体制の変遷と日本」として、グローバリゼーションと科学技術の構造転換、イノベーションをめぐる世界の大競争時代への突入などにも言及している。

 戦後50年の科学技術行政は、技術官僚を中心とする官僚主導の行政であった。いま民主党政権に代わり、政治主導が声高に言われているが、これを国民の声を集約する政治主導にどう変わろうとするのか。研究開発に取り組む科学技術研究者の責務と発言が一層必要になっている。

 そのような眼でこの書物を読むことが大事だろう。特に、有本建男氏が執筆した後半は、大学の研究者に読んでもらいたい内容である。

東京理科大学の阿部正彦&酒井秀樹研究室の年間報告

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 東京理科大学理工学部工業化学科の阿部正彦教授の研究室が、2008年の年間報告書を出版した。 厚さが優に5センチ、800ページを超えようとする報告書が毎年刊行されており、敬服に値する。

 研究室の活性化として是非、見習いたいと筆者はいつも思っている。阿部先生と酒井秀樹先生のご努力に敬意を表したい。

 

「中国特許復審委員会審決選集-創造性 」の紹介

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 「中国特許復審委員会審決選集-創造性 」(中国国家知識産権局特許復審委員会/編著 康信国際特許事務所、(株)中国特許実務研究会/翻訳監修

 中国で公告された特許に対し、その特許は無効であるとして無効審判を請求する機関は、中国国家知識産権局特許復審委員会である。そこで審判が下りるまで通常は1年かかるとされている。

 本書は、同委員会で実際に審査された約100件の案件について解説したものであり、中国知識産権局特許復審委員会が編集した判例集の海外における初の出版物である。

 中国の知的財産制度における創造性の基本的な考え方から事例に至るまで、詳細な解説を収録した翻訳集であり、中国での進歩性の審査基準を知るために必要な解説書である。

 この選集の日本語翻訳で尽力された弁理士の石井久夫先生は、出版にあたって次のように述べている。

 今回で中国の知財関係の著作を翻訳する機会は三度目となる。その都度、適切な翻訳となるように日中間で意見調整を行なうのであるが、それでも著者の意図が十分に訳出できているか心配になる。

 今回の中国特許の創造性は欧米感覚で非自明性(unobviousness)と表現するのが適切であると思われるので、日本特許法で対応する進歩性とは翻訳しなかった。日本語翻訳であるからといって日中で対応すると思われる用語を選択すると、日中の特許法制度の違いが表現できない場合があるように思われたからである。

 そこで、本書では、敢えて対応する日本的用語を選択せず、直訳とはなるが中国特許法の独自性を表現するように努めた。この点にご配慮下さい。また、中国特許の創造性を考える背景として中国での発明の捉え方は重要な役目をなしており、中国特許の創造性の判断に大きな影響を与えている。

 中国での発明の捉え方は米国のそれに近いと思われるが、日本の発明概念と大きく異なるため、我々日本人には厄介な問題となる。すなわち、中国では発明を日本のように、自然法則を利用した技術的思想の創作と考えず、製品あるいは方法について出された新たな技術方案と定義し、より具体的な技術を対象としているので、中国特許の創造性を考える上でこの発明概念の相違点について、まず配慮しなければならない。

 次いで、中国特許の創造性を考える上で、対象となる発明を特定するクレームの記載方式も大きな影響を与えることになる。中国特許庁はそのプラクテイスで欧州特許庁の考え方を採用する所が多く、例えば、クレーム記載方式では最も近い従来技術と共通する事項と区別できる事項で記載する方式を採用する。

 そのため、このクレーム記載方式を理解し、その記載方式に基づき、中国特許の創造性を三ステップ法で判断することについても配慮しなければならない。本書を利用して中国独自の考え方を体得され、中国特許実務にお役立て頂くことを念願する次第である。

 

佐藤辰彦氏の著作の祝賀会

   
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お祝いの花束贈呈に、佐藤先生も嬉しそうだった 

 日本弁理士会の会長を務めた佐藤辰彦先生が「発明の保護と市場優位」(白桃書房)を上梓し、同時に早稲田大学で博士号(学術)を取得した祝賀会が、24日、都内のホテルで開かれ、知財関係者らが集まって盛大なパーティとなった。

 この本は、学位論文をもとに書き下ろしたものであり、学位審査には荒井寿光・元特許庁長官も担当したという。学位授与の指導教官となったのは、松田修一・早大ビジネススクール教授であり、「プロパテントからプロイノベーションに至るこの10年間の知財社会の動きを、具体例を軸にしながら研究に取り組んだ秀作である」と紹介。荒井さんも祝辞の中で「特許庁得意の拒絶査定をしようとハードルを高くして張り切って審査したが、内容が素晴らしいので、とても拒絶査定はできなかった」とユーモアたっぷりに語って会場を沸かせた。

 1997年から始まった知財行政の見直しから2002年の小泉首相による知財立国の宣言など、直近10年間の知財政策とその成果をまとめ、さらに日本のプロパテント政策における発明の保護強化の再評価について言及したものである。発明の保護と市場優位の事例研究では、具体的な企業の事例を取り上げており、内容豊富な知財著書となった。

 

「知的財産権訴訟判例と代理スキル」(中国語版)

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  「知的財産権訴訟判例と代理スキル」(華城律師事務所編著)は、中国語版の知的財産権のビジネス実務書である。特許、商標、著作権、営業秘密権、反不正競争事件など豊富な事例と判例を解説しており、中国の知財現場の代表的な文献といえるだろう。

 代表的な判例として、スターバックス社の商標侵害事件、コカ・コーラ社の商標登記拒絶査定覆審事件、イーライリリー社の特許侵害事件、20世紀フォックス映画会社の著作権侵害事件など代表的な訴訟の解説と判例が紹介されている。

 まだ中国語版だけだが、いずれ翻訳されて日本の知財関係者にも参考文献として利用されるだろう。

 

朝ごはんの本

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 文部科学省の前学校給食調査官の金田雅代先生が監修した「朝ごはん指導」(少年写真新聞社、本体1000円)が発売されている。

 「早寝早起き朝ごはん」がスローガンになっており、どこの学校でも子供たちの生活習慣と食の指導に積極的に取り組んでいる。この本は、朝ごはんを指導する実践事例集であり、豊富なノウハウも入っている。全国の学校現場の先生方にとっては、こうした指導書を参考にして是非、楽しい、充実した食育振興に取り組んでもらいたい。

 

アトリエの巨匠に会いに行く 南川三治郎

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 サンちゃんこと南川三治郎さんの本が、朝日新書として上梓された。世界をまたにかけて取材してい歩く南川さんが出会った巨匠たちの貴重な写真と撮影時のエピソードが活き活きと語られている。

 ダリ、ミロ、シャガール、岡本太郎・・・・・・。 これだけの巨匠たちと出会い、しかも写真撮影した人はおそらく世界にいないだろう。歳月とともに価値が光彩を放ってくる。写真家であり作家でありジャーナリストであるサンちゃんの素晴らしい成果である。

 

本の紹介

 

「劇場政治の誤算」 加藤紘一著 角川書店

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 元自民党幹事長の加藤紘一先生が、小泉内閣を検証した本を出版し、4月23日に全日空コンチネンタルホテルで出版パーティが行われた。

 加藤先生は、若い時から自民党のプリンスとして将来を嘱望されていた政治家だが、森内閣のときに「加藤の乱」といわれる政局を巻き起こし、その後、政治資金の在り方で秘書が逮捕されるなど、不運がつきまとった。

科学技術に疎い政治家の中では、科学技術に対する理解度が深い方であり、元外務官僚らしくアメリカ、中国にも太いパイプを持っている。グローバルに展開される科学技術に対する視点は、日本の政治家の中ではトップクラスである。

 本の中身は、自民党政権の歴史的な役割を検証しながら、小泉政権から現政権までのさまざまな政策を政治家の立場から論評している。



「猿橋勝子という生き方」 米沢富美子著 岩波科学ライブラリー


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 地球科学者・猿橋勝子先生の凛とした生き方を描き出したすぐれた科学書である。「猿橋賞」の創設者としても知られている先生であり、女性研究者として一生を捧げた先生の在りし日が物理学者の米沢先生らによって生き生きとつづられている。

猿橋賞は、50歳未満の女性科学者を対象とした顕彰であるが、その審査委員を委嘱された筆者は、猿橋先生からこの賞の持っている社会的意義を強く叩き込まれた。それは先生が言葉で語ったものではなく、女性科学者たちの置かれている立場を理解し、そして励まそうとするその心根が先生の態度からいつもほとばしっていた。

 猿橋先生の業績と珍しい写真を見て、先生の在りし日をしのんだ。


「知的財産物語 枝豆戦争」 松村直幹著 文栄社


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知財分野では、近来まれにみる傑作である。著者は、元ニチロ専務を務めた方で、食品業界ではよく知られた方である。筆者はたまたま、食品業界の集まりにでたところ、この著者の松村さんは、「有名人」であることがわかった。

 枝豆を塩ゆでして冷凍する。その豆が特許になった。取得したのは日水である。日水は、冷凍塩ゆで枝豆を販売している同業他社に対し、特許使用料を要求した。知財の現場では、当然の権利であるから、この要求は間違っていない。

 しかし要求された企業はびっくりした。支払いに応じようとする企業と特許の無効審判を申し立てて闘う企業。特許庁と裁判所を舞台にした知財紛争の顛末をすべて実名で書いたものであり、特筆に値する内容である。