黒木登志夫「iPS細胞 不可能を可能にした細胞」(中公新書)
2015/04/30
生物学、医学を志す若き学徒にとって必須の本であると同時にマスコミ人にも必須の文献である。私たち一般の人にも読みごたえがあり、ためになる本である。読みだしたら止まらない興味が次々と出現することにも感心する。
前半は細胞分裂を繰り返して体が出来上がってくるまでのプログラムを組み込んだ幹細胞の役割や、これまでの研究進展を解説している。そして第2章でiPS細胞研究に至るまでの先人の業績に触れ第3章で山中伸弥教授の生い立ちから研究取り組みへと入っていく。
生物・医学の研究内容だからどうしても専門用語が多数出てくるが、巻末に「基本のキ」という項を設けて解説している。文中に出てくる人物イラストは、著者の中学時代からの親友である永沢まこと・イラストレーターであることが巻末で分かったが、それだけで感動した。この種の書物で、イラストで人物描写をするのは多分初めてではないか。
著者の黒木登志夫先生のこのようなアイデアと配慮が、書いている内容を身近にひきつける役割を果たしていることは間違いない。
黒木先生は達意の文体の書き手として知られているが、この本も大変わかりやすく随所に黒木先生だけしか言えないユーモラスな表現があって、その都度硬さをほぐしてくれている。これは「黒木節」ともいうものであって誰も真似ができない。
山中教授の語る「大阪弁の英語」のカッコ書きは秀逸である。そのほかにも折々に書いているカッコ書きのつぶやきもまた気が利いている。
この本の価値は、がん細胞の研究者として実績を積み上げてきた黒木先生が、最新の研究現場を取材し、一級の研究者の意見を吸い上げ学術論文を読み解いて書いた啓発本であることだ。だから書かれている内容は、実証的であり科学的にも確かな論述で埋まっている。巻末に掲出されている参考資料の一覧をみると、研究論文そのものである。
取材の中で得たと思われる研究者仲間の情報や学界の動きがふんだんに入っていることも読者を飽きさせない。黒木先生自身が読者に伝えたいと思うその心意気ともいうべき動機が、読者をひきつけてしまうのである。
さらに、iPS細胞は再生医療への応用というよりも、第7章の「シャーレのなかに組織を作る」、8章の「シャーレのなかに病気を作る」などで、iPS細胞研究の広がりを知りびっくりした。第9章の「幹細胞で病気を治す」でiPS細胞研究の集大成へのプロセスを知ることになる。
最後に先に世間を揺るがせた小保方晴子氏のスタップ細胞など幹細胞研究をめぐる過去の疑惑と不祥事についても言及しているが、これはいわば顔出しであって、黒木先生の次作は「研究不正」(仮題)という予告があった。こちらにも大いに期待している。
書物の紹介にしては枝葉の内容になってしまったが、黒木先生の著書の紹介ではどうしてもそちらに目が向いてしまう。書物の中核と本筋は言わずものだからだろう。是非、手にしてもらいたい一級の科学書である。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。