自己保身のため法理より詭弁を優先させる最高裁判事  朝日新聞に掲載された意見広告で明解に解説
小林有也先生の足跡をたどります

北村行孝・鶴岡憲一「日航機事故の謎は解けたか」(花伝社)


 

 あの事故から30年。メディアの報道特集を見ながら時間の流れを感じていたが、この本を広げて読み出すと、あの日あのことが臨場感あふれる筆致で展開されており、つい先ごろの事故であったように再現されていた。

 2人の元読売新聞社会部記者が、どうしても書き残したいという思いを持ち続け、ついに上梓したものである。専門的なデータと証言を再検証して整理した記録であるが、同時にこの事故の原因に迫った一級の資料にもなっている。

 全編を通じて、新聞記者らしく事実に即した記録を辿っている。事故調査委員長だった八田桂三氏が書き残したB747型機の安全向上策を書いた「建議書」は、公式に取り上げられることなく幻に終わる。入院先の病院でまとめ、米側にも伝えようとしながら、結局は幻の建議書となったが、八田氏の思いが込められた直筆の文書(写真)が、巻末に収納されている。このような人物と文書を知っただけでも、この本を読んだ価値があった。

 著者らは、アメリカから原因調査で日本へ派遣されてきたトム・スウイフト氏の事故原因を詳細に記述した直筆の文書(コピー)を入手する。この文書を中心に、当時の関係者の証言と資料を検証しながら機体尾部が破壊に至った過程を追跡して詳細に記述している。

  事故機がどのような機内環境で飛び続け、機内の急減圧は生じたのかどうか。その様相を検証した事故調報告書とパイロットで組織する連絡会議の見解は平行線をたどったままであることを示し、さらにベテラン機長だった杉江弘氏の見解も取り上げている。

  520人の命を犠牲にした史上最悪の航空機事故の原因は、30年経てもなお議論の余地を残していることを知り、あの事故は解明されない部分を残したまま、まだ「飛行」を続けているようにも感じた。本のタイトルにある「謎は解けたか」と問いかけた理由であろう。

  第3章に収納されている事故調専門委員ら7人とのインタビューは、当時の生々しい状況を伝える記録として歴史的な意味も含んでいる。事故直後のインタビューだけでなく、長い歳月を経て当時を振り返りながらこの事故の教訓を改めて述べている人もいる。墜落事故の全貌を肉声で残そうとした試みでもある。

 読みやすい一般書であるが、専門資料としても貴重な書籍になっている。

 



 

 

 

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