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長谷川博「オキノタユウの島で 無人島滞在アホウドリ調査日誌」(偕成社)

 

オキノタユウの島で

 長谷川博先生(東邦大学名誉教授)が、生涯をかけて取り組んでいるオキノタユウ保護と生態調査の日誌である。日本ではアホウドリと呼んでいるが、長谷川先生は、この呼び名は不遜ないいかただからやめようと提唱、山口県長門地方で呼んでいるオキノタユウがふさわしいとして、もうだいぶ前からこの呼称を提起している。

 確かに、陸の上では歩くのももどかしく、江戸時代から明治時代には鳥島を埋め尽くしていた数百万羽のオキノタユウが、羽毛や肉を取るために撲殺されていた。人間にほとんど取り尽くされて戦後は絶滅宣言までなった種であった。

 長谷川先生は1973年5月7日、京都大学大学院生時代にイギリス人の鳥類学者のランス・ティッケル博士と出会ったことから始まる。イギリス海軍の支援を受けて、博士が鳥島にオキノタユウの調査に出向いたことなどの様子を詳細に聞いてびっくりする。鳥島は1965年11月16日に気象観測所が閉鎖されてから無人島だった。

 ティッケル博士は、「鳥島は日本の島であり、そこで絶滅種に瀕しているオキノタユウの保護は、日本が責任を負っている」と長谷川博士にメッセージを寄せるが、この一言で長谷川博士は鳥島のオキノタユウの調査と保護に取り組む決心をする。

 この本は鳥島でたった一人でオキノタユウの生態を調査し、孵化して育った幼鳥に足環をつける活動を克明に記録した内容で埋め尽くされている。鳥島に滞在した1か月間を日誌風に書いているものではあるが、読み始めるとやめられない。そこには鳥島の自然、動植物の様子とオキノタユウの生態が書かれているだけでなく、長谷川先生のオキノタユウに対する愛情が行間に埋め尽くされている。

 鳥島に渡った当時、ヒナと成鳥合わせて71羽だったものが、すでに観測数が1000羽を超えるまでに回復している。筆者は、長谷川先生の調査の初期のころから読売新聞にその活動を掲載したり、調査の支援をしてきた。たいした支援にはならなかったが、その活動には敬意をもって見守ってきた。

 この本は、鳥類のフィールドワークをする研究者にとっては、バイブルのような資料になるだろう。そして一般の読者にとっても、絶滅種を保護しようと立ち上がった研究者の行動に共鳴し、ここまで続けてきた研究活動に感動せずにいられない内容になっているだろう。

 読み進むにしたがって、長谷川先生と一緒に鳥島で生活しているような錯覚に陥ったが、鳥島の自然の厳しさと生物たちの生態を肌で感じるような場面も随所に書かれており、自然観察書としても一級の資料である。

 

 

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