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2016年1 月

第123回21世紀構想研究会での安西祐一郎先生の講演 「日本の教育と科学技術 ~現状と将来展望~」

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 さる1月22日に開催された第123回・21世紀構想研究会は、研究会のアドバイザーでもある安西祐一郎先生が、「日本の教育と科学技術 ~現状と将来展望~」のタイトルで講演を行いました。

 その主な点を報告します。

科学技術関係予算の伸び率が停滞

 多くの基礎的なデータを駆使しての講演でしたが、重層多岐にわたる日本の教育現場の課題は、聞いているだけで気が重くなり、教育改革の抜本的な取り組みの必要性を痛感しました。

 2015年の日本の文教・科学振興費の予算は、5兆3613億円でした。社会保障費予算は、31兆5297億円ですから、科学振興費の約6倍です。将来にかける予算の6倍を高齢社会になってきた社会保障費に追われている日本の縮図を見る思いです。

 科学技術・教育予算に関する国際比較を見ると、日本の将来にかけるお金の使い方がよく出てきます。各国の科学技術関係の予算を2000年度に100とした場合、中国は10倍以上の1075であり、驚異的な伸び率です。

 韓国が457、アメリカ162、ドイツ158、イギリス144といずれも順調に伸びていますが、日本は111ですからこの10年間で1割ちょっとの伸びです。

 国として将来に投資する科学技術関係予算が停滞している日本の将来は、本当にどうなるのかと考えざるを得ませんでした。

教育予算も各国比較で最低

 これは教育予算を見ても同じです。2010年のGDP比3.6パーセントが日本の予算規模だが、アメリカ5.1、イギリス5.9、フランス5.8、中国4.0(2012年)などとなっています。

 高等教育機関にかけるお金の対GDP比でも、日本は0.5パーセントですが、韓国0.7、アメリカ1.0、フランス1.3、イギリス0.7、OECD平均は1.1となっています。

 日本は、親が負担している金額が多く、人材育成は国がやるという意識が低く、国民が取り組めと言う図式に見えます。

 安西先生は「収入の多い家庭に生まれないと、有名大学に行けないということになりかねない」と語っていました。たとえば東大に入学した学生の親の年収は、非常に高いことが実証されています。

 この数年の中国の教育改革は、高校と大学・研究機関を連携する高大連携で優秀な人材を育成する政策を大胆に進めていますが、日本はどうでしょうか。

 安西先生の講演では2019年から20年までに「高大接続システム改革」が開始された後の変革について解説してくれました。

 まず家庭での子育て、幼少中学校段階の変化が出てくるでしょう。学習指導要領の抜本的改定、職業教育の改革、企業の採用・処遇の仕組みの改革、地方創生への貢献などをあげていました。

 これからは教師が一方的に教えるという構図ではなく、協働学習、個別学習などが展開され、ICTツールも教室でごく普通に活用される時代になるでしょう。

 社会改革としての教育の転換について安西先生は「十分な知識・技能をもち、それ を活用できる思考力・判断力・表現力を臨機応変に発揮でき、主体性をもって多様な人々と協力して学び、働く力が身につく教育の機会をすべての子どもたちが 持てるようにするにはどうすればいいか」という課題を提起していました。

大学・高校生の質の低下に歯止めをかけたい

 安西先生の講演の中でショックだったのは、日本の高校生の現状報告でした。 1990年と2006年を比較したものですが、偏差値45未満と偏差値55以上の高校生の平日の学習時間は、この間の変化はほとんどありませんでした。と ころが偏差値40-55までの中間層にいる高校生は、大幅に学習時間が減っていました。

 たとえば1990年当時、平日112分の学習時間があった生徒層が、2006年にはほぼ半分の60分までに減っていました。つまり高校生の中間層は、ますます学習する時間が減っているということです。

 また進路について考えるときの気持ちで「将来、自分がどうなるか不安になる」とする生徒の国際比較を見ると、日本は38.7パーセントもあるが、アメリカ17.7、中国12.3、韓国33.5パーセントになっています。

 また、大学生の1週間当たりの学修時間の日米比較を見ると、日本は0-5時間しか学修していない学生は3分の2の66.8パーセントもいるが、アメリカは15.6パーセントです。

 1週間に11時間から15時間、学修する学生はアメリカで58.4パーセントもいるのに、日本はたった14.8パーセントです。

 日本の学生は勉強しないことがこれでもはっきりしています。また、就職受け入れをしている企業側の感想を見ると、今の学生には「主体性」「粘り強さ」「コミュニケーション力」の不足を感じます。大学教育には、重要な課題が課せられていると言えるでしょう。

 さらに安西先生は、大学入試について、知識・技能だけ問うのではなく、思考・判断・表現力を問うことが重要だと指摘しています。

 この日の講演では、盛りだくさんの内容があったため、日本の科学技術の課題までは至らず、時間の都合で主として教育問題に絞った内容になりました。

 講演後の質疑討論の場で、一番問題になったのは、この課題を共通認識として多くの人に持ってもらうことと、日本の各界のリーダーや政治家にも知ってもらうことが大事だということでした。

 今後、教育問題については、引き続き21世紀構想研究会でも積極的に発言する機会を作り、多くの識者の共通認識になるように展開したいと思います。


第3回「心に残る給食の思い出」作文コンクール表彰式

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 公益社団法人日本給食サービス協会主催の給食作文コンクールには、全国から2,395作品の応募がありました。その中から、次の10人が個人賞として選出されました。

 写真は左から順に、元田君から伊藤君までの入賞者です。

*文部科学大臣賞 「友だちのがんばり」 愛知県みよし市立黒笹小学校4年 元田晃太朗君
*農林水産大臣賞 「あげパンとぼく」 栃木県栃木市立栃木第三小学校6年 高橋征吾君
*農林水産省食料産業局長賞 「魔法のとん汁」 茨城県神栖市立植松小学校6年 白倉拓実君
*農林水産省食料産業局長賞 「父と私をつなぐお茶」 京都府京田辺市立普賢寺小学校5年 西村優月さん
*公益社団法人日本給食サービス協会会長賞 「給食の味は思い出の味」 愛媛県今治市立朝倉小学校5年 渡邊廉君
同 「今の給食・昔の給食・家族の思い出」 京都府京田辺市立普賢寺小学校5年 中西康太君
同 「除去食解除になった日」 愛知県犬山市立楽田小学校6年 三村統吾君
同 「大好き・最高な学校給食」 沖縄県那覇市立真嘉比小学校5年 饒平名絢音さん
同 「命のバトン」 山形県天童市立長岡小学校6年 菊地夏姫さん
同 「かがやきのケーキ」 埼玉県さいたま市立蓮沼小学校4年 伊藤元氣君

 どの作文も非常に感動的な内容であり、次のサイトで全文が読めます。
 http://www.jcfs.or.jp/information/151211/index.html
 
審査委員をしましたが、子供たちの表現力に感激しました。是非、読んでいただきたいと思います。 


大みそかから正月3が日に観た映画4本

 大みそかから正月3が日は、4本の映画を見ました。
 どの映画も感動して泣きました。

①「黄金のアデーレ 名画の帰還」
• サイモン・カーティス 監督  • ヘレン・ミレン, ライアン・レイノルズ, ダニエル・ブリュール, ケイティ・ホームズ, タチアナ・マズラニー, マックス・アイアンズ, チャールズ・ダンス

 ②「母と暮せば」
• 山田洋次 監督  • 吉永小百合, 二宮和也, 黒木華, 浅野忠信, 加藤健一, 広岡由里子, 本田望結,

③「海難1890」
• 田中光敏 監督  • 内野聖陽, ケナン・エジェ, 忽那汐里, アリジャン・ユジェソイ, 夏川結衣, 永島敏行,

④「杉原千畝 スギハラチウネ」
• チェリン・グラック 監督  • 唐沢寿明, 小雪, 小日向文世, 塚本高史, 濱田岳, 二階堂智, 板尾創路, 滝藤賢一

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①は、著作権も絡んだ知財ものであることを知らないで観に行きびっくりしました。歴史認識を思い起こす映画であり、ナチに迫害されるユダヤ人たちに涙しました。

②は、長崎原爆の悲劇を語った映画ですが、戦後間もない庶民の生活を描いている点で共感しました。何もない貧乏な時代でしたが、長崎ではもっと別の世界があったことを知って泣きました。永遠の処女、吉永小百合を観てとてもよかった。

③は、あのトルコ海軍の軍艦が和歌山沖で遭難した明治初期の話と、中東事変のあった20年ほど前の歴史を掘り起こして語った日本とトルコの物語でした。人間の心を描いた国際物語であり、科学技術立国のトルコを少しだけ知りました。トルコ脱出の日本人たちの心情をとてもよく描いていました。

④は、日本のシンドラー・杉原を描いた映画でした。千畝はセンポと呼ばれていたことを知り、またセンポが帰国後に外務省を追われて小さな貿易会社に勤めていたことを知りました。千畝の人生を語ったあの日あの時を知って泣きました。

 こうして2016年の新年は、映画館で涙して過ごしました。今年は、どんな年になるか。そのような感慨を胸にしながら3が日をそれなりに有意義に過ごしました。

 

③は


大村智先生のノーベル賞受賞で暮れた2015年を回想する

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 2015年は、筆者にとって格別の年となった。3年前から、ノーベル賞受賞を確信していた大村先生が、まさに受賞したからである。

 大村先生と筆者の出会いは、2011年4月だから、あれから4年後にノーベル賞を受賞したことになる。しかしこれには、前段がある。筆者は2005年から、東京理科大学知財専門職大学院の常勤教授として知財戦略論を担当していた。そのときオムニバス授業に荒井寿光・元特許庁長官(内閣官房知的財産戦略推進事務局長)を講師として迎え、授業を行っていた。

 荒井さんは、その授業の中で大村先生を「日本で断然トップの産学連携の実績を誇っている科学者です」と紹介し、韮崎大村美術館の写真と共にその活動を紹介していた。筆者もそれを聞いて大村先生の業績を調べたり、ある大学の研究者に聞いていた。確かに素晴らしい業績を持っている科学者であることがわかった。

 しかし本格的な取材を先延ばしにしていた。それが2011年に大村先生が理事長をしている女子美術大学と東京理科大学が提携することになり、大村先生と東京理科大学の塚本桓世理事長、藤嶋昭学長との鼎談が行われ、その司会役に筆者が担当した。そこで初めて大村先生にお目にかかった。

 それから大村先生の評伝を書こうと思い立った。動機は、優れた学術実績を蓄積しただけでなく、人間的な魅力ある人生を重ねてきた研究者であったからだ。山梨県韮崎市の生家にも行って、自然と親しんで育った子供時代の様子も取材してきた。大村先生は、過去の出来事を克明に書き残しており、4冊のエッセイ集まで出していた。その記録を読んで先生の実相が一層色濃く印象に残った。

 「大村智 2億人を病魔から守った化学者」(中央公論新社)を上梓したのは、2011年である。この本のタイトルは、最初、「2億人を病魔から守った化学者」を主題にしたいと思っていた。しかし中央公論新社の横手拓治氏は、「この本は大村智先生の実像を描いた実録であるから、人物の名そのものを主題にしたほうがいい」と主張し、そのようにした。

 大村先生は、学術的な世界では有名だったが、ちょっとテーマが違った研究者にとっては無名に近い研究者だった。まして一般の人には知られていなかった。選挙にでもでるようなタイトルに、やや違和感を覚えた気分だったが本になってみるとこれがなかなかいいタイトルだったと思っていた。

 ノーベル賞受賞後は、絶版状態になっていたこの本を増版して世に再び出したが、同時にメディアからは嵐のような取材申し入れが殺到した。最初は対応に当惑したが、ある人が「あなたが責任を持って大村先生の実像を語るべきです」と言う助言を聞いて、徹底的にメディアの取材を受けて立とうと決心した。生半可な情報を伝えれば不正確な報道が展開されるだろう。ならば徹底的に情報を提供したほうが、大村先生の実像を知ってもらうことになる。

 ほどなく東京理科大学の藤嶋昭学長が「ハードカバーのあの本は、学生に読ませるにはちょっと硬い。高校生向けの本をすぐに書いてほしい」という助言をいただいた。「あなたなら1週間で書けるでしょう」という「挑発」である。これでは書かないわけに行かない。ハードカバーを下敷きにして、学術的な細かい記述は極力省きながら、新書版で「大村智物語」(中央公論新社)を書きあげた。

 そのころ東京理科大学のホームカミングデイに大村先生をお迎えして、トークショーがあった。私がインタビューアーになったものだが、その会場で毎日新聞出版・児童書担当の編集者、五十嵐麻子さんと出会って名刺を交換した。すると翌日、五十嵐さんが面会を求めてきた。児童書を書いてほしいという相談である。ハードカバーの本は一般向け、新書版は高校生、大学生向けとそろったので、児童書も書いたほうがいいかなという気持ちになった。これを書けば、全年代層に向けた3部作になる。それで引き受けて大車輪で書き上げた。

 大村先生の研究人生をこのような形で書いたが、研究の内容についてはほとんど書いていない。つまり微生物を採取し、どのようにして分類し、産生する化学物質を抽出して役立つものを取り出しているのか。サイエンスの部分が抜けていることに気が付いた。今年の宿題は、このサイエンス活動を一般向けに書かなければならないという気分になっている。

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