世界一周の船旅の記録その1をアップします。1~30回です。
2024/11/25
2024年4月から7月まで、ピースボートのパシフィック・ワールド号(7万7千トン)に乗船して、世界一周をしてきました。
その様子を60回に渡って、ブログでアップします。
その①1~30回分のPDFファイルをアップします。
2024年4月から7月まで、ピースボートのパシフィック・ワールド号(7万7千トン)に乗船して、世界一周をしてきました。
その様子を60回に渡って、ブログでアップします。
その①1~30回分のPDFファイルをアップします。
船上で「学校給食世界一」を講演する
PEACE BOATでは、毎日、多数のエベントが展開されています。各種スポーツ、趣味・道楽、映画、教養、音楽、語学、料理その他諸々のテーマです。朝7時から夜10時ころまで切れ目なく、船のどこかで多数のイベントが同時進行で走っています。
その中でも異彩を放っているのが自主企画です。これは乗船者が企画立案し、PEACE BOAT担当者のOKをとり、会場を確保し、船内新聞で告知してもらって参加者を集めるもので、前日の夜に部屋に配布されて来る新聞案内を見て、翌日、それぞれ興味あることに行動を起こすというものです。
筆者はこの機会に、日本の学校給食は世界一のソフトパワーであることを知ってもらい、食育推進の理解度を高める活動を船の上でやってみることに挑戦しました。
と言うのも、船の乗客はそれなりに社会的活動をやってきた方であり、年配者が多いので今の学校給食を知ってもらうことで社会的な認知度が広がるだろうという思惑です。学校給食甲子園を知ってもらい、主催者の認定NPO法人21世紀構想研究会の活動にも触れたいと思ったのです。
フリースペースとして一番広い場所を確保しましたが、果たしてどれくらい聴者が来るかまったく未知数でしたが、フタを開けてみれば約100人を超える方々が出席したので、びっくりしました。
日本人で学校給食を体験しなかった人はいません。年代によって献立の中身が違っているだけで、脱脂粉乳、コッペパンから始まって、今風の料理に至るまで驚くほど進化してきました。その有様と学校給食の重要性をまず理解してもらうために、2枚のスライドをお見せすると、関心は一気に高まりました。
学校給食の現状を見出しだけで紹介し、続いて学校給食摂取基準で示されている栄養管理について紹介しました。
今の子どもたちは、カロリー、タンパク質、脂肪、塩分を摂り過ぎています。家庭料理と外食が摂り過ぎの原因であり、それがやがて生活習慣病に結びついていきます。子どもが摂りすぎと言うことは大人も同じだということになります。
その一方で各種ミネラル、ビタミン、食物繊維などは不足しがちになっています。
学校給食では、摂りすぎになる栄養素を抑え、不足しがちの栄養素を補充する献立を作っています。栄養教諭がその基準を守るために必死になって献立を作成し、しかも美味しいものを出さないと子どもたちに食べてもらえない。加えて最近の物価高で、食材は軒並み値段が上がり、四苦八苦して予算内で献立を作っているのです。
食べるものに事欠いた戦後間もない時代は、コッペパンに脱脂粉乳、それに簡単なおかずだけという献立であり、船上客の大方がこの時代でした。それから時代を追って、日本の経済発展と歩調を合わせて学校給食の献立も激変していきます。
やがて飽食の時代になり、家庭環境も両親が働くようになって家族団らんの食卓は徐々に姿を消して行きます。子どもの睡眠不足と朝食抜きが問題点として浮上し、ファストフードの普及と子どもの健康が語られる時代になってきました。
そうした時代背景の中でも学校給食の栄養管理は徹底しており、ヘルシーな食事は肥満児出現で世界最低の実績を誇り、諸外国からは「日本の長寿国家は学校給食に原点あり」とまで、言われるようになってきました。
2005年に制定された食育基本法と栄養教諭制度のスタートで、食と健康を学び世界の食文化を知り、健康に生きていく基本行動と知識を身につける教育がいま、確かに根付いてきました。その実情を知ることで人それぞれが健康を考え、100歳時代に近づいていく状況を改めて認識しましょうというのがこの講演の狙いでもありました。
最後に、こんなに栄養管理ができた美味しい給食になった最大の功績者は誰か、質問しました。
正解は3の児童・生徒です。子どもたちはまずければ食べません。学校給食での食べ残しは献立を作り調理している栄養教諭と調理員の最大の課題になっています。美味しく食べて完食すれば、調理場だけでなく保護者も生産者も学校関係者はみな喜び、国民全体の健康保持にもつながっています。
最後の問いかけの内容と正解は、聴者の皆さんにも意外感があったようで、ここで学校給食の理解度がさらに高まったように感じました。
船長主催の歓迎会
深圳で乗船した中国の人たちを迎えて、1300人の乗客が一通り揃い、船長が主催するウエルカムセレモニーが船のど真ん中の7階ふき抜けの大ホールで開催されました。船上とは思えない規模と豪華さ、歓待するスタッフの立ち居振る舞いもそれなりに洗練されています。船長からのウエルカム・ドリンクのシャンペーンが配布され、式典が始まりました。
ウエルカムセレモニーは吹き抜け大ホールで華やかに展開されました
前日の船内新聞で、「思い思いのおしゃれをして」参加してくださいという呼び込みがあり、会場に行ってみると和洋それぞれに着飾った女性陣の華やかに圧倒されました。男性陣もそれなりに「趣向」をこらしており、筆者はタキシードに帽子をつけて出席しました。社交ダンスを20年間習ってきたので、燕尾服もタキシードもそれなりに着こなしてきたつもりですが、久しぶりのタキシードを身につけてみるとビシッと姿勢がよくなるのがいいところです。
映画「風とともに去りぬ」のヒーロー、Rhett Butler を気取ったつもりでしたが・・
式典は日・中・英の3か国語の通訳が入るのですが、日本人が大多数、そこへ互いに顔では見分けがつかない中国、台湾、韓国からの乗船客が混じり、あちこちに西洋人の顔立ちの人が散見しています。互いに運命共同体の船に乗ったfamilyですから、言葉は交わさなくても、そこはかとなく同胞・仲間・同志・戦友・・という意識が芽生えてくるから不思議です。
歓迎のバンド演奏やらスピーチと花束贈呈など一通りの式典が終了すると、ダンスパーティが始まりました。
式典後はダンスパーティで爆発
筆者が社交ダンスを始めたきっかけは、友人の整形外科医の助言からでした。膝関節から下肢全体に老化現象が見え、あぐらもかけない硬直化が顕著になって来たとき、脚を使うダンスがいいと薦められたのです。最初は、東京・日比谷の東宝ダンスホールで習っていましたが、そこの教師の紹介で、江東区門前仲町の毛塚ダンスアートアカデミーの会員となり、本格的に習い始めました。
社交ダンスはタンゴ、ワルツ、スローステップ、ルンバ、チャチャチャなど種目がいろいろありますが、どれひとつとっても際限なく奥が深いものです。習い始めて徐々にこの「道楽」の深淵をのぞき見ては、ため息をついてきたものです。
船上での記念ダンスパーティは、端的に言うと「イモ洗い」の様相でした。ともかくも船でダンスを踊ってみたいという気持ちがあるためでしょうか。華やいだ会話と笑いが会場全体を盛り上げ、ま、言ってみれば高齢者の合コンでしょうか。
タキシードで決めてきたのに、完全に浮いています。ステップなどというものではなく、足踏みしては誰やらの足を踏んだり蹴ったりの有様ですが、それがまた途方もなく楽しく愉快ですからどのお顔も幼児の時代に戻っていました。
日本と遮断された閉空間を楽しむ
新聞、テレビなど情報と手段がないので、日本国内と国際的な動きは、この1週間、完全に遮断されています。スマホとPCを持っているので、Wi-Fiにつないでネット情報は国内と同じ環境で見聞できますが、大きな制約がありました。Wi-Fi接続は船を通じてやるので、その料金がバカにならない。乗った当初は、誰もがWi-Fi接続を求めてサポートデスクに殺到しましたが、つないでみると国内と同じ環境になりますが料金が高い。
料金はスマホやPCに流通するデータ量に比例してかかりますが、YouTuberなどで映画を見ればあっという間に数千円になるという噂を聞いて、みな尻込みを始めました。きめ細かく使用するたびにセットしたり切ったりすれば節約できますが、これが面倒だから時間とともにスマホ・PCから離れて行ってしまう。
こうなると、完全自由時間。しかも3食、昼寝付きでタダ。実際はそれなりの料金を払っているのを忘れて天国気分。こうして船旅は、一週間が過ぎていきました。
最初の寄港地・深圳(シンセン)で事件勃発
神戸港を出てから2日余で中国の深圳に接岸しました。最初の寄港地であり、ここから中国人乗船客が多数、乗ってきます。
深圳は常に、中国近代化のトップ引きとなって発展している大都市で、広東省の省都でもあります。ほぼ10年ぶりの訪問なので、都会の様相がどのように変わったか期待していましたが、港の周辺をバスと徒歩で2時間ほど回っただけなので深圳の全貌は窺いべくもない短時間でした。
経済特区で売り出した都市ですが、筆者の専門分野の知的財産施策でも、常に特区扱いで新施策が導入され、たびたび北京の中央政府の先を行く知財推進政策や助成金制度などを断行し、話題になってきました。往時の深圳発展の出来事を思い出しながらビールを一杯飲み、さて船に帰還する時間になって「事件」が勃発しました。
日本のVISAカードは使えない
レストランに入るとき、受付の女性にVISAカードを見せて、これで勘定はできるかと聞いたところ、問題ないという回答。そばにいた男性従業員も、同意の意思表示です。
簡単なおつまみとビールで、こちらはいい気分です。昔、中国ではビールを冷やして飲む習慣がなく、飲むときはあらかじめ冷やしておくように注文したことを思い出しました。ビールを常温で飲むのは旧ソ連のロシアも同じでした。いまは黙っていても、冷えたビールが出てきますが。
さて、船に帰るバスの時刻も迫ってきたところでお勘定となり、カードを挿入して暗証番号を入れたところで拒否されました。何度やっても受け付けない。筆者は、現金ゼロ、クレジットカード一枚だけで下船したのでさあ、困った。中国では、日本のクレカは使えないことが多いとアドバイスを受けてことを軽視していた失敗です。
とっさに北京に駐在している、JST(国立研究開発・科学技術振興機構)の米山春子さんを思い出し、WeChatで連絡するとうまくつながりました。WeChatは、中国独自のSNSです。日本のラインのような存在であり、中国圏に入ったとたん、国家の方針でPEACE BOATのWi-Fiは繋がらなくなり、ラインもメールもまったく使えません。命の綱はWeChatだけなのです。筆者は、このサイトができた当時から使っているので、大助かりでした。
「文無し」の事情を米山さんから話すように、レストランの女性にスマホを手渡しました。米山さんが自分のデジタル口座で支払うことを申し出て、なんなくこの事件は解決となりました。
JST時代、春子さんとは中国総合研究センターで、日中科学技術交流、さくらサイエンスプランなどで日中両国の反日・反中勢力を乗り越えながら交流推進に取り組んだいわば同志です。こういうときこそ、一番頼りにする仲だったのです。地獄に仏とはこのことです。
筆者は飲み逃げ同然で急いで帰りのバスに駆け込みました。その直後、北京にいる米山さんと深圳のレストランが通信のやりとりをし、いとも簡単に勘定が払われたのです。その勘定書きのWeChat画面をバスの中で見たときは、感動しました。「やったね、中国!」という気分でした。
日本でもこういうことができるのでしょうか。寡聞にして知りませんが、ネット社会、デジタル時代の実用化では、中国の方が日本を超えていったことは10年ほど前から知っていました。ああ、中国が先を行くと何度も思ったものです。キャッシュレス時代の先頭を切った国であることは、間違いないことを自分の体験で確認したような気持ちでした。
PEACE BOATって何だ
出発前、船に乗る話をすると決まっ聞かれるのが「PEACE BOATって何だ」という言葉です。ピースボートって聞いたことはあるが、それがどのような組織で運営されているのか。拠点は日本なのか外国なのか、旅行会社なのかNGOなのか。筆者を含め、多くの人が曖昧なままになっています。
この機会に急いで調べて、筆者なりに分かりやすく整理してみました。
20か国・地域以上にまたがる乗客1300人とスタッフ600人が乗船。
乗客の男女比は7対3で女性優位。
乗客の年齢別構成は以下の通りです。
30歳以下 18%
31-60歳 10%
61-79歳 63%
80歳以上 9%
最高齢は95歳で2人
平均年齢は、筆者の想像では70歳代前半かなと思います。
自由な雰囲気で健康歓談する
乗客同士は、非常にフランクな付き合いです。レストランに行けば、案内人が相席させて客同士のコミュニケーションが自然にとれるように配慮しています。名刺交換などの挨拶もなく、自己紹介を印刷した名刺や紙を出す人もいますが、それはまれです。筆者も知人のアドバイスで自己紹介の名刺をPCで作成して持っていますが、それを出す機会はほとんどありません。
口火となる話題は、出てくる料理や食べ物から始まり、決まって健康の話、病気の話へと発展します。年配者が多いので自然そういう流れになりますが、面白いのは健康を自慢する人はおらず、大体はいかに健康維持が難しいかを語って聞かせ、相ずちをうち、距離感がなくなり、それから話題は世の中の出来事へと発散していきます。
自分の経歴や体験を話す人はまれですが、話せば決まって興味があり引き込まれていく内容なので、座は一気にまとまり散会するときには10年の知己になるという雰囲気です。
社会的地位や学歴や職歴などとは無関係で、お互いにフラットな立場で自由に発言できる不思議な空間を作っています。
ここまで書いたところで船は深圳を離れて一路、シンガポールへと向かいました。
一直線で200m超の船室廊下
左右の舷側に並んだ船室は、外から見るといかにも豪華客船という風景ですが、中に入って驚いたのは、船室が左右に並んだ一直線廊下の長さでした。全長330メートルの巨大な客船ですから、真ん中に背骨のように伸びた一直線の廊下が200m以上あっても驚くことはありませんが、その廊下を見たとたん、向こうの端が小さく点になっており、人の姿も見分けがつきませんでした。
左右の壁はすべて、ホテルと同じような船室になっており、そこに個室から、2人、3人、4人部屋と並んでいます。筆者は、1人部屋の並みですが、入ったところ15平米はありそうで、大きなダブルベッドを備えた広い部屋であり、大きな窓も気に入りました。
乗船客の出会いの会があり参加してみました。席の近隣同士がたちまち仲良しグル-プを形成し、話題はどんな部屋で何人で参加しているかということになり、誰言うともなくそれぞれの部屋を見せてもらう「部屋見学会」となりました。
相部屋の楽しさと難しさ
中部地方から参加した女性は、窓なしの2人部屋でした。2つのベッドが並んだ、ま、行ってみれば大きめのツインルームの感じであり、中央にバカでかい鏡があります。その時点では、相部屋の方がまだ部屋に来ていないとのことでしたが、どこの誰が来るかは未定とのこと。
しかし事務局は、年齢がほぼ同じであり、双方の希望なども勘案して相部屋の人を選ぶそうですが、相性がいいかどうかは実際に生活してみないと分からないらしい。相性が悪いと最悪の旅になるそうで、事務局が最も腐心するメンバー選びということでした。
バルコニーは海と隣接する贅沢でした
2人部屋でもバルコニー付きの部屋に案内されると、広さは変わらないのにバルコニーに出て見ると途方もなく開放的な気分になりました。海と直接ふれ合うことは素晴らしい環境であることを知りました。
3人部屋、4人部屋も見せてもらいましたが、間取りと天井の高さ、他人との間隔などに設計者の工夫が見て取れて、それなりに生活環境としては満足できる間取りになっていました。
3人以上の相部屋は、若い人たちが比較的多いと聞きましたが、確かに学生たちの合宿気分を思い出させるグループも見えており、外国人も混じった華やいだ雰囲気でした。若者たちと雑談を交わしましたが、ショックを受けたのは「日本はもうダメです。みんなそう思っています」という言葉です。3人いた女性がみな、そう言ってうなずきます。
そうなったのは、私たち壮年以上の日本人の責任でもあるのです。3人のうち1人は学生、2人はボランティア活動をしているとのこと。再会を約束して別れました。
交流会で東京人が少ないのはなぜなのか
乗船客の住所別・地域別で交流する会にも出て見ました。都道府県や地域別に分けての交流ですが、東京からきた人の出席者が少ないことに違和感がありました。全員の参加ではないので、大勢参加しているはずの東京からの人は、こうした交流会は出ないか苦手なのか。大都会人の「疎遠で無関心・無関係」に徹する状況がここにも出ているようにも思いました。
もう一つ意外だったのは、お一人参加者が多いことでした。正式な発表はないのですが、7,8割が単独で参加しているようであり、ご夫婦とおぼしきペアは意外と少ない感じでした。
乗客2000人、平均年齢70歳代半ばの客船「パシフィック ワールド号」(PEACE BOAT117)に乗船して、105日間の世界一周の旅に出ました。
4月13日、土曜日、横浜港の大桟橋を出港したPEACE BOAT117(以下、PB117と表記)は、神戸港で乗船客を乗せ最初の寄港地、中国の深圳に向かいます。
航路は上の地図で見るように、アフリカ大陸の喜望峰をぐるりと回って北上し、イギリス、フランス沿岸からスカンジナ半島さらに、レイキャビクからニューヨークへ向かいます。北米大陸を南下してパナマ運河を経て太平洋へ。メキシコ沖から北上してカナダ、アラスカを経てアリューシャン列島沿いに日本へ向かい、7月27日に横浜港に帰ってきます。
船は7万9千トンと言いますから戦艦大和と同等以上の排水量です。15階建てのバカでかいホテルが海上を移動していく感じです。左右の舷に分かれて配置された船室は、ホテルと同じようにずらりと窓際に並んでいます。その廊下は一直線に200メートル以上のまっすぐで細い廊下ですから、一番向こうは人間が豆粒ほどのサイズでしか見えません。
船室、つまり乗船客の部屋の扉に、小さな白板で外出先(といっての船内のどこかですが)を書いたメモ用紙が張り出されていたり、簡単な連絡メモなどを張り出している部屋もあります。乗船客とクルーの身分はすべて把握され、しかも全員が「身柄拘束」されています。その上外からは誰も侵入できない船内ですから、セキュリティは万全というわけで、きわめてオープンムードになっています。
一晩かけて14日の日曜日に神戸港に接岸しました。ここで船客を拾って日本を離れ、いよいよ世界一周の旅に出ます。接岸すると手が届くような距離の向こう側に、見送りする人々が多数いるのでびっくりしました。お顔もはっきりと分かる距離ですから、お互いに目線が合うと手を振り合って出会いと出港の挨拶をします。
賑やかな出港のイベントが終わると間もなく、ボワーッと腹に響くような汽笛が何度か鳴り、巨船は静かに岸壁を離れていきます。すると双方が手を大きく振って、しばしの別れを惜しみます。筆者も知らない人々に向かって手を振り、それにこたえて岸壁の人たちも手を振ってきました。徐々に距離が開いていくだけで、例えようもない心細い感情が湧き上がってきます。
岸壁での別れは、誰もが感傷的になるのかもしれません。旅立つ人としばしの別れというのに、岸壁で涙を拭いている光景も見えます。そのとき筆者は、戦争に駆り出されていった人々の別れの有様を思いおこし、胸に突き上げてくるものがありました。死地への旅を送った人々と戦場に向かっていった人たちのことです。
岸壁を船が徐々に離れていったとき、兵隊さんとその恋人や肉親たちはどれほど別れを惜しんだことか。その別れを包むように、いま聞こえてくるむせび泣くような汽笛が流れていったのです。
複雑な感傷に浸りながら、神戸港を魅惑的に囲む美しい夜景を飽かずに眺めました。こうして筆者の旅路は始まりました。
右股関節の痛みはダンスレッスンのせい?
歩くたびに右の股関節が痛いなあと感じながら2,3日過ごしていました。椅子から立ち上がるとき、座るときにも右の股関節が痛む。ああ、あれのせいだという思い当りがありました。
2月下旬に、社交ダンスの発表会があり、そこでやや動きの激しいクイックステップを踊るため、レッスンを続けていたのです。その無理がたたって、股関節を痛めたかなとも思っていました。
こういう時は、お風呂に入って、股関節辺りをモミモミすれば快方に向かうのではないか。午後の早い時間に、温泉気分でお風呂を沸かし、ゆったりと湯船につかって、さて、右の股関節マッサージをと始めました。
すると股関節の痛みはない。痛いのは股関節と至近距離に存在するあれです。そう、英語でscrotumという器官です。中には大事なtestesという器官が収納されています。湯船の中を覗き込みました。お湯の中で揺れるものを3秒間、凝視しました。
見た瞬間、慄然とした光景
その時、襲ってきた戦慄感はたとえようもないほどのショックでした。Scrotumくんが異様に膨れているのです。右側にいびつに膨れ、まるで洋梨(そう、用ナシともいう)のように揺れているのです。洋梨くらいに大きく膨れており、恐る恐る触ってみると痛い。触った感じは、明らかに中にあるものが腫れている感じで、ちょっと力を入れると痛い!
ああ、ついにこやつが命取りに来たんだ。私の寿命もこれまでか。これはただ事ではない。湯船から飛び出ました。鏡に映った光景は、この世のものとも思えないような恐ろしい光景が眼前にありました。
ネットで早速調べてみると日本泌尿器学会のHPにあるガイドラインに、筆者の症状とそっくりの病状を解説しているページが出てきました。
https://www.urol.or.jp/public/symptom/11.html
図解入りだからよくわかります。自己診断では、右の精巣が何らなの原因で腫れて痛くなっている。この解説から、感染症の疑いがある。つまり尿道辺りから何らかの細菌が入り込んで精巣に巣食い、そこで繁殖して炎症を起こしているのではないか。
そこまで考えて、早速、都心部のときたま通院しているS病院泌尿器科のS医師の外来に、急患として診察をお願いしました。なぜ。泌尿器科にときたま通院していたかは、この後で話をします。
一目見たS医師は「ああ、大丈夫です」
男性諸君!とまあ、偉そうに言って見ましたが、S病院に行ったときは、意気消沈してもはやこれまでと言う沈んだ気分でいました。だからS医師もその表情から、すぐにベッドに寝かせて診察に入りました。
服は着たまま、靴は履いたままでいいと看護師さんが笑顔で言います。下着まですべて下におろしてベッドに仰向けに寝ます。つまり服は着たまま、靴は履いたまま、下半身だけ露出させて仰向けに寝るのです。男性諸君、我が身を想像してみてください。
なんだか自分でもおかしくなって、笑ったかもしれません。カーテンを開けて入ってきたS医師は、患部をしげしげと診て、それから触って「痛いですか?」と言うので「痛い!」とやや大げさに言うと「大丈夫です! 感染症科に回しますから治してもらいましょう」と言います。
感染症と聞いて、筆者は「ああ、やっぱり、ネット情報のように雑菌がおふくろさんの中まで入ってきて、飲めや歌えの大盤振る舞いをして痛みと腫れを引き起こしているんだ。
見るからに頼りになりそうなごつい感じの感染症科のI医師も、診て触ってすぐに「抗生剤の点滴をします」と言います。そして紙に図解入りで説明をしてくれます。
それが患者の疑問点を先回りして解説するような名講義なのです。思わず筆者は「分かりやすいですね」と褒めたかも知れません。
するとI医師は「ここは外国人の患者さんが多いので、説明をきちんとやるのですよ」と言います。
「多分、大腸菌が入り込んで繁殖し、悪さをしていると思いますので、これをたたきます。3日間、通院して、点滴をしましょう」といいます。
「ま、心配いりません。たたいて終わりです」とも言います。それだけでなんだか、半分治ったような気分でした。
普通は入院ですが元気だから通院です
最後の診察の際に語った感染症科のI医師は、「普通は入院して点滴をしますが、あなたは元気そうだし通院で十分と思ったのですよ。本日で全快です。後は泌尿器科のS医師の診察を受けてください」と言う。
泌尿器科のS医師にかかったのは、数年前に夥しい血尿を出し、この時もびっくりして泌尿器科に駆け込んだものでした。いろいろ診察を受けましたが、結果的には原因不明で、前立腺からの出血と言うものでした。精密検査でも血液検査でも、がんなどの悪性病状の気配はなく、偶然の出血らしいということでした。
そのとき、前立腺が老人特性で肥大しており、世に言う「おしっこが近くなっている」症状もあり、しばらく肥大症を抑えるお薬を処方するので、3か月おきくらいに通院していました。そのS医師から、今度は「右精巣上体炎」(この診断名は、感染症科のI医師によるものです)という診断名で診てもらうことになったのです。
若者とご老体と両極端に出る感染症
一体全体、こんな感染症になぜかかったのか。感染症科のI医師に訊いても判然とはしませんでした。ただ、「最近は若者とご老体の両極端に分かれて多い」と言います。
若者は、性行動が元気なので淋菌などが尿道から入り込んで炎症を起こすことがあるそうです。淋菌と聞いて、風俗などで感染するのだろうかと想像しました。
ご老体はというと「大腸菌が入って来ることが多いのですが、菌株までは特定できません」と言います。大腸菌と聞いて、腸内細菌の一大勢力ですが、大体は無害と思い込んでいました。ところが高齢者になると免疫力も低下するので、大腸菌が紛れ込むとこれを叩く免疫力が負けてしまい、炎症を起こすということでした。
ということで、高齢者になると思わぬ疾患、病に見舞われるということでしょうか。誰にも言えない話ですが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
この炎症が鎮まるまで、PCにとりついて仕事を続けていましたが、それはいけないと思いながら、おりしもNHK・BSの連続シリーズで放映していた黒澤明監督の映画を堪能しました。
七人の侍 椿三十郎 隠し砦の三悪人 蜘蛛の素城
筆者の青年時代に夢中になって観た名画ばかりでした。
テーブルの上で咲き誇っているボケの花に水やりしながら、楽しみました。
ボケの花は、意外と水飲みです。水が途切れるとしぼんでいく。似ています。
お粗末の一席でした。
沖縄返還交渉の密約文書を外務省から入手して逮捕された元毎日新聞政治部記者の西山太吉氏が死去
西山氏が2月24日、心不全のため北九州市内の介護施設で亡くなった。91歳だった。
さる2月2日、西山氏から提供された外務省機密電信文を根拠に国会で激しく密約を追求した横路孝弘氏が82歳で亡くなったばかりである。その死を追うように西山氏も逝った密約外交を追求した2人が相次いで世を去ったが、日本の外交史上に残した汚点は消えることはない。
西山氏は、沖縄返還交渉で日米が外交折衝をしているとき、日米間で密約があるのではないかと取材をはじめ、その証拠となる機密電信文を外務省女性職員から入手した。
それをもとに西山氏は解説記事など4本の独自記事を書いたが、実物の証拠を示さなかったために政府から無視されていた。そのことに怒りを感じた西山氏は、同僚に託して当時、社会党のプリンスと言われていた横路孝弘代議士(元衆議院議長)に提供し、代議士は1972年3月の衆院予算委員会で、この電信文をもとに激しく追及する。この追及で佐藤政権は立ち往生し、翌年の予算案は年度内に国会を通過せず、暫定予算を組んで急場をしのぐという大失態を演じた。ところがその数日後、機密電信文を漏洩した女性職員が西山氏に渡したことを告白し、二人は国家公務員法違反で逮捕された。西山氏は国家公務員ではなかったが、公務員をそそのかして漏洩させたとして逮捕された。
一審東京地裁で女性職員は、執行猶予付きの刑を言い渡され、西山氏は正当な取材活動として無罪を言い渡された。女性職員は一審判決を受け入れて決着。西山氏の判決については国側が控訴し、二審東京高裁で執行猶予付きの逆転有罪になり最高裁でも有罪で決着した。西山氏はこの判決でジャーナリストとしての命脈を断たれた。
この裁判は国家権力によって曲げられた判断と筆者は確信している。一審で無罪を言い渡した裁判官は、のちに弁護士になり「取材方法がけしからんという理由で二審及び最高裁は有罪にしたが、けしからんと咎める法律はない」と激しく逆転有罪判決を批判していた。
西山氏がある人(毎日新聞社の同僚記者)を介して機密電信文を横路氏に提供したことは間違いないが、横路氏はそれ以前に西山氏から取材して、密約があるに違いないと確信して独自に調べ、その結果をもとに国会で数回にわたって追及していた。しかし当時の首相、外相、外務省高官らはことごとく、密約はないという嘘の答弁で切り抜けていた。しかし後年、嘘の答弁をした外務省の元局長、米国の公文書公開、密約をおぜん立てした首相密使の若泉敬氏の暴露本によって、密約は真実であったことが明らかになった。
筆者が2022年5月に上梓した「沖縄返還と密使・密約外交 宰相佐藤栄作、最後の1年」(日本評論社)でその一部始終を書き残した。上梓本の原稿段階で、西山氏と横路氏に読んでいただき、いくつかの表現で意見をいただき修正したところがあったが、大筋では「よく調べた作品である」(西山氏があるジャーナリストに漏らした言葉)との評価をいただき、横路氏からも「事実として間違いない」とのコメントをいただいていた。
日本政府、外務省、外交専門家の一部は、いまなお密約はなかったという見解だが、真実を認めない国家は衰退をたどる。「歴史の証人」として外務省機密電信文の存在を忘れてはならない。
写真はその機密電信文である。この文書には、左端に昭和47年4月7日付けで「極秘指定を解除した」とある。国会でこの電信文のコピーを突き付けられ、外務省が数日後にしぶしぶ「この文書の決済した同じものが省内に保管されていた」と認めた。このコピーが世間に知れ渡ったため、極秘扱いしても意味がなくなり極秘指定を解除したものだろう。
日本は国民主権でなく国会議員主権になっているのは明らかに憲法違反
升永英俊弁護士から日本国憲法の解釈により、一人一票になっていない現状は国民主権ではなく国会議員主権になっていることを論理的かつ明快に主張・解説した文書をいただき感動しました。文書を写真で紹介します。
升永先生の主張・解説をより簡潔に要約してみました。以下の通りです。
日本国憲法は「主権は国民にある」と明記しています。主権とは、国の政治のあり方を最終的に決定する権力です。主権の行使について最高裁大法廷(在外邦人選挙権制限違憲訴訟、平成17年9月14日)は、要約次のように判示しています。
「憲法は国民主権の原理に基づき、有権者が両議院議員選挙で投票をすることは、国の政治に参加する固有の権利として保障している」
つまり国民の選挙権行使は、国民主権の行使であるとしています。ところが選ばれる議員は、選挙区によって等価値でない票によって選出されています。衆院選で約2倍、参院選で約3倍までばらつきがあり、平等でない選挙区で選出されています。国民主権の代表となっているはずの国会議員は、憲法に違反して平等でない選挙区で選ばれています。
こうして選ばれた国会議員は、国会の議決での投票では、全ての議員が等価値の一人一票の権利を行使して総理大臣を選出し、法案を可決しています。これは国会議員主権であり、国民主権ではないのです。国会の議決で各議員の投票する1票が全て等価値であることは、各議員が全員、同じ人数の有権者から選出されなければなりません。これは一票の格差のない人口比例選挙によってのみ実現可能なのです。①日本国憲法56条2項、②憲法1条、③憲法前文第1項第1文後段、④同第1文前段は、人口比例選挙を要求しているのに、最高裁はそれを無視した判決を出し続けています。
世界の臨床試験93件を解析した八木澤守正・北里大学客員教授
イベルメクチン効果判定はさらに続く
イベルメクチンがCOVID-19 に対し有効かどうかを巡って、2年越しの論議が続いています。筆者は多くのイベルメクチン投与結果の論文と、自ら調べたアフリカ54カ国のイベルメクチン投与とCOVID-19 発症の疫学調査から、イベルメクチンはCOVID-19 の治療と予防に効果があると確信してきました。
先ごろ製薬企業大手の興和が、2021年11月~22年8月まで、軽症患者1030人を対象に偽薬(プラセボ)と比較する二重盲検試験を実施した結果、有効性を見いだせなかったと発表しました。
簡単には重症化しないオミクロン株の症例を主体とした試験結果であり、偽薬グループでも投与開始から4日前後で症状軽減が認められたという結果でした。重症化して死亡者が相次いだ従来のCOVID-19への投与とは状況が変わってしまい、イベルメクチンの効果を証明することが困難な状況での結果でした。
それではイベルメクチンをどう評価するべきか。世界で出ているイベルメクチン投与に関する多数の論文ではどうなのか。北里大学客員教授で抗感染症薬開発、薬剤耐性対策などを専門テーマに研究している八木澤守正教授が、イベルメクチンが有効であると論述した論文がどのくらいあるか解析した結果をこのほど纏めました。
93件の試験内容を解析
八木澤教授は、WEBで配信されている「Ivermectin for COVID-19:real-time meta analysis of 93 studies; Covid Analysis, Oct 28, 2022, Version 201」に掲載されている93件の試験内容を解析しました。ここでは臨床治験もしくは臨床試験を単に「試験」と表記します。
八木澤教授が解析した結果を整理したチャートは次の通りです。
早期治療37件、後期治療40件、発症予防16件です。
この93件を解析対象の論文に適しているかどうかを精査したところ、イベルメクチンの効果を解析出来ない内容4件を除外しました。残り89件を解析対象としました。
合計83件のうち46件(55%)が有効
チャートでみるように、登録済治験36件のうちの16件(44.4%)、未登録治験47件のうちの30件(63.8%)の合計で83件のうちの46件(55.4%)の試験でイベルメクチンは有効であると判断しています。
一方で35件(42.2%)の試験では、「有意差は認められなかった」としています。イベルメクチンが「無効である」と判断される結果は2件ありました。
八木澤教授は「COVID-19という感染症に対するイベルメクチンの有効性を示すのは難しいことが示されています」と述べています。
早期治療の合計32件中で有効は17件(53.1%)、後期治療の合計36件での有効は15件(41.7%)となっています。
登録試験39件・未登録試験50件を精査
八木澤教授は解析対象の89件を試験登録済と試験未登録に二分した結果を一覧表にまとめて解析しています。試験登録とは、オンライン上で行われる臨床試験の事前登録でありエビデンスの質の向上を目的にした「公表バイアス(publication bias)」とも呼ばれ、後付け解析の防止などを目的にしたものです。しかし新型コロナ感染症のように、治療・予防に緊急を要する臨床現場では、医師主導の臨床試験は十分に準備したものにはなかなかならなかったという事情がありました。
こうした状況でしたが、登録済試験の論文の内訳は査読済みが34件、査読前のpreprintは5件ありました。この39件の論文を精査した結果、3件の論文内容は試験手法に不十分な点が明確であり、論文として解析する対象にならないとして除外しました。結局、登録試験では36件を解析対象としました。
登録済試験一覧
登録36件のうち有効が16件(44%)
解析精査した内訳をみると早期治療では19件のうち8件が有効と判定していますが、「NS=Not Significant(有意ではない)」としたものが11件ありました。
後期治療では、12件のうち4件が有効、NSは7件でした。発症予防・後遺症では4件すべてが有効でした。
未登録試験50件を登録治験と同じように試験内容を精査したところ、論文の内容が不十分である3件を解析対象から除外しました。
未登録試験では、47件を解析対象にしました。
解析は、論文に記述されている試験成績が有意差をもって優れている場合を 「有効」 と判断し、有意差の無い 「有効性/無効性」 は「NS(Not Significant、有意ではない)」と判断しました。
イベルメクチンの成績が有意差をもって劣る場合は 「無効」 と判断しました。
未登録47件のうち有効が30件(64%)
早期治療13件のうち有効が9件でした。いずれも査読済論文でした。後期治療群では24件のうち有効は11件でした。発症予防では10件のうちすべてが有効でした。
未登録試験一覧
発症予防はすべて有効となった
八木澤教授の解析で注目されるのは、発症予防の試験は13件の全てで有効だったことです。さらに後遺症に対する試験は1件のみでしたが、やはり有効と判断されています。
イベルメクチンの発症予防で筆者が衝撃を受けたのは、2020年3月にパリ郊外の老人施設で疥癬治療・予防から偶然にイベルメクチンのCOVID-19への発症予防に効果があることが確認された試験でした。この論文は、八木澤教授の解析対象にも入っていました。
これは老人施設で皮膚病の疥癬が広がったため、収容者と職員に対しイベルメクチンを投与しました。その結果、この施設の居住者、職員共にCOVID-19に感染した人は同じ地域にいる居住者に比べて有為に少なくなっていたという結果でした。
また、JAMA(The Journal of the American Medical Association、米国医師会雑誌)に掲載されたコロンビアの医師グループが出した「有意差なし」の論文は、掲載直後から試験内容に「致命的欠陥がある」と指摘されました。この論文も解析対象になっていますが、論議がまだ収束していないためか、有意差なしのままになっていました。
この論文では米国の医師たちが「研究著者らは主要評価項目を途中で不適切に変更し、主要評価項目を21日目までに完全な症状解決に移行しました。電話調査を通じて得られたこの自己申告による主観的エンドポイントは信頼できません」と訴え、今現在、175人の医師がネットで署名を明らかにして抗議を続けています。 https://jamaletter.com/
査読を受けている論文が70件(84%)
イベルメクチンの試験成績に関する論文は、査読を受けていないという批判がたびたび言われてきました。しかし八木澤教授の解析では「未査読論文は13件(15.7%)だけであり、70件(84.3%)は査読済の論文として発表されています」と語っています。
このような実情が学術的な解析で示されたのは、初めてではないかと思います。