01 日々これ新たなり

世界一周の船旅の記録その1をアップします。1~30回です。

 2024年4月から7月まで、ピースボートのパシフィック・ワールド号(7万7千トン)に乗船して、世界一周をしてきました。

 その様子を60回に渡って、ブログでアップします。

 その①1~30回分のPDFファイルをアップします。

   船旅1-30通しをダウンロード


沖村憲樹さんの中国の国際科学技術協力賞受賞の祝賀会

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 中国の「国家国際科学技術協力賞」を授与された沖村憲樹さん(JST特別顧問、さくらサイエンスプラン推進室長)をお祝いする会が、3月8日、東京・一橋の如水会館で開催された。

 祝賀会の発起人は、尾身幸次(STSフォーラム理事長、元財務大臣)、高村正彦(衆議院議員、自由民主党副総裁)、有馬朗人(武蔵学園学園長、元文部大臣、元東京大学総長)、土屋定之(文部科学事務次官)、濵口道成(科学技術振興機構理事長、前名古屋大学総長)氏であり、沖村さんの広い人脈を物語るように、政官界、学界などから多くの人がお祝いに駆けつけ、行政官として異例の受勲を受けた沖村さんをお祝いした。

 今回の受賞はブログでも紹介してきたので、賞の内容や受賞の意味については繰り返さない。ここでは、出席者に配布された沖村さんのお礼の言葉と一緒に入っていた、中国の科学技術の動向について触れたい。

 というのも、沖村さんは早くから中国の発展を予想し、これからの日本は、中国の科学技術研究と協調してアジアや世界の発展に貢献することが重要であるとことあるごとに主張してきた。

 科学技術は、イデオロギーを超えて人類の福祉に貢献できるものであるから、中国と共生できるというのが沖村さんの考えである。

 その考えを出席者に伝えようと配布されたのが、この日の「引き出物」の文書であり、折りたたんだ大きさは内ポケットに入るように工夫されていた。そのさわりの部分を紹介したい。

急進的に拡充する中国の大学・研究現場

 2013年の日中の大学数を比較すると中国が4745校に対し日本は1141校である。大学生と大学院生の合計は、中国が1674万人に対し、日本は282万人であり、日本の約6倍である。当然ながら高等教育への投資額も27兆円以上であり、日本の8兆7000億円の3倍以上である。

 人口比は中国の方が10倍以上多いから、この程度の差は当然だという意見もあるかもしれないが、中国政府は重点大学を選択的に指定し、そこへ集中投資する戦略を展開している。

 1993年に指定した「211工程」は、世界的レベルの大学を目指すように112大学を指定し、重点的に投資してきた。

 1998年に当時の江沢民主席が提唱した「985工程」では、ハーバード大学、オックスフォード大学並みの世界一流の大学を目指すように39大学を指定している。最先端の研究設備や機器を備えた世界トップクラスの研究型大学の構築を目指したものだ。

 実際に中国の大学を訪問するとその規模の雄大さと勉強や研究に取り組む学生のエネルギーに圧倒されることが多い。中国から出ていく外国留学生は年々増えており、受け入れる留学生も急増している。

 次の表は、2011年の米国大学院博士取得者数である。世界中で優秀な中国人留学生が活躍している。

国名

博士号取得者数

1.中国

3978人(29%)

2.インド

2161人(15%)

3.韓国

1442人(10%)

8.日本

243人(2%)

 

 独特な中国のサイエンスパーク

 中国の大学にはサイエンスパークという独特の産学連携システムがある。主要94大学のサイエンスパークの総売り上げは7794億円である。中国を代表する清華大学のサイエンスパークには、世界中のトップ企業が集まっている。

 また大学が企業を経営しているのも中国流である。これを校弁企業と呼んでおり、北京大学の校弁企業の方正集団有限公司の売上高は、OECDの購買力平価計算によると1兆7703億円であり清華大学の同方股份有限公司は、9892億円である。

 中国の552の大学が5279のベンチャー企業を保有している。

 中国にはこのほかに世界に類をみないハイテクパーク政策があり、国家だけでなく地方政府や自治体の下で2000以上のハイテクパークが活動をしている。

 原子力、宇宙、海洋開発などビッグプロジェクトはすでに先進国に追いついており、きわめて高水準の観測衛星を多数打ち上げている。2012年には、「神舟」9号(3名の宇宙飛行士)は、「天宮1号」にドッキングすることに成功。2020年には、中国独自の宇宙ステーションを完成させるという。

 研究開発費も急激に伸びており、この13年間に6倍以上の伸びを示し、すでに日本の金額の2倍の開発費の総額になっている。

 

2000

2013

5.1兆円

35兆円

16.3兆円

18.1兆円

 論文数でもすでに日本を抜いて米国に次いで世界で2番目である。被引用トップ10パーセントの論文数も世界2位である。特許出願件数はすで米国を抜いて世界トップ。その急増ぶりは驚異的である。

 日中の科学技術投資金額の歳出割合を見ても、中国の大胆な戦略が見えてくる。

中国財政歳出(2013年 兆円)

 

日本財政歳出(2013年 兆円)

1.教育支出

65.1

18.0%

 

1.文教及び科学

5.4

5.8%

2.科学技術支出

15

4.1%

 

2.公共事業

5.3

5.7%

3.国防費

21.9

6.1%

 

3.防衛

4.8

5.1%

4.公共安全支出

23

6.4%

 

4.社会保障

29.1

31.4%

5.社会保障と就業費

42.9

11.9%

 

5.地方交付税交付金

16.4

17.7%

6.文化体育とメディア

7.5

2.1%

 

6.国債

22.2

24.0%

     ・

     ・

     ・

     

7.その他

9.4

10.2%

歳出総額

361.5

100.0%

 

歳出総額

92.6

100.0%

  この比較表でショッキングなのは、中国の教育支出割合が突出しているのに対し、日本が突出しているのは社会保障費である。

 安倍自民党・公明党の連立政権は、憲法改正を目指して躍起となっているが、日本の将来像を描く政治哲学は国民に見えない。大体、科学技術創造立国を国是としている日本が、未来の投資である科学技術予算に投与していないし、人材育成の教育に対する政策にも無関心のようだ。

 この日の祝賀会で祝辞に立った有馬朗人・元文部大臣・東大総長は「このままでは日本は滅びる。いまこそ国家の未来を考えなければならない」と声を張り上げて自説を訴えた。

 沖村さんは、中国の科学技術の実態を知ってもらうために客観的なデータを示して参加者に中国の重要性をアピールしたものである。同時に日本の中国に対する態度と方針を改める必要性を暗に示したものである。

 


シダックス55年史「志魂の道」(シダックス社史編纂委員会、河出書房新社)

士魂の道

 「シダックス55年史」とあるが、この本は感動と成功物語で埋めた通俗的な社史ではなく、シダックス株式会社の創業から今日までの企業活動のあらましを、創業者の志太勤氏と二代目社長の勤一氏の理念をどのように体現して今日に至ったかを語った本である。

 志太勤氏の自伝であり二代目社長・勤一氏の事業展開の報告である。それだから読むものを惹きつけていく。

  筆者が見てきたシダックスは、社会人野球の「野村監督チーム」と「給食事業」と「カラオケ事業」を展開する企業という程度で、実際の企業活動の姿がよくわからなかった。しかしこの本を読んで、勤氏が高校時代から企業活動をはじめ地面にはいつくばるようにして頑張っていった歴史を読んで感動した。

  人を感動させ評価させるのは行動ではないというのが、筆者の長年の取材活動から知った確信である。行動はいっとき一瞬でも完結するが、感動と評価を獲得できるのはその人の行動を支えている信念であり哲学である。

  勤氏の言葉に「努力還元」と言うのがある。努力には感謝されるという還元があるという。これは至言である。シダックスの悪戦苦闘の歴史を彩った努力こそ顧客に感謝され、社員や家族から支持されたから多くの試練を乗り越えることができたのである。

  この本に書かれている社史は、戦後間もない日本全体が貧しかったあの時代から現代にいたるまで、どれもこれも泥臭い物語で埋まっている。ここには学歴や出自は無関係であり、あるのは本音だけである。

 いまここにある課題を解決し次へと進むには、本音で行動するしかなかった。本音とはあるときは優しさであり、あるときは度胸である。失敗は許されないから価値がある。勤氏の家族の話から始まって、静岡県の田舎から勇躍、東京に出てきて町工場を立ち上げ、創意工夫で給食事業を拡大していった物語は痛快である。

  後半は創業者の事業を若干40歳で社長を継いだ二代目勤一氏の活動へと続いていく。アメリカに留学し、アメリカの食事業を体験し学び会得していく過程は、潮目の速い技術革新の流れを語っているものでもある。製造業だけでなく食とサービス事業もそうだったのだ。

  その事業はやがて「ソーシャル・ウェルネス・カンパニー」の企業理念へと収斂していく。人の幸せを追求する事業の展開を切り開くという。いかにもこの時代の風をはらんだ企業活動である。

 モノ作りがデジタルでバーチャル手法というサービス事業に変革してきたように食とその周辺、つまり社会と人の営むすべての手法もまた変革してきたのである。その変わり身に合わせるように新たな切り口をさぐり、新たな事業へと進展していく経営者の視点を感じさせる。

  シダックスは給食事業で日本一になった成功した企業である。しかしこの先、発展するかどうかは経営者の哲学と企業理念にかかっている。浮き沈みはつきものである。その試練を乗り越えて次の時代にも覇者になってほしい。そのような感慨を抱かせた社史であった。

 

 


第124回・21世紀構想研究会 永野博氏の講演「ドイツに学ぶ科学技術政策」

 

DSC_1336  ドイツに学ぶ科学技術政策

 永野博さんは、2013年に「世界が競う次世代リーダーの養成」(近代科学社)を出版し、今度は今回の講演と同タイトルの「ドイツに学ぶ科学技術政策」(同)を上梓した。

 いずれも日本が抱えている科学技術の重要な課題を見通すためには、必要不可欠の視点を衝いてきたものである。永野さんの最近の内外での活躍ぶりと著作活動は、眼を見張るものがある。

 日本人でドイツという国家を知らない人はいないが、ドイツの科学技術政策についてはほとんど知らないのではないか。マックス・プランク、ライプ ニッツ、フラウンホーファー協会など個別の組織の名前ぐらいは知っていても、その活動内容や財政確保の仕組みなどは詳しく説明できない。

 これは筆者の貧困な知識・情報に照らして語っているのだが、国際的な科学技術政策の動向を知らないことを改めて痛感させたのが今回の講演である。

 第一に戦後のドイツの首相は、メルケル首相まで8人しかいないということを聞いてびっくりしたが、メルケル氏が物理学者と聞いて20世紀の科学進展で貢献してきたドイツ民族を垣間見た気がした。日本で女性の物理学者が首相になる日は、永遠に来ないような気がする。

 永野さんの講演から、連邦国家が集まった複雑な統治機構というドイツの国体はもとより、科学研究は政治や行政と一線を画して自主独立にあることを 初めて知った。そして科学研究は国家の発展と位置付けている政治家の考えや、ポスドクの流動性を促進するなど次世代の研究者を養成する政策など、20世紀 の科学研究の先導役を果たしてきた国家の違いを見せつけられ、どうしても思いは日本の貧弱な姿に思い至ることになる。

 ドイツも日本も工業国家であり、中小企業がかなり重要な位置づけにあると思ってきた。これは多くの日本人がドイツと聞いて思い抱いていたことだと思うが、内実はかなり違うことがわかった。

 ここでは講演のスライドを見せられた象徴的な3枚を紹介する。各種の産業輸出額を示したグラフであるが、特にハイテク産業輸出額のグラフでは、世界の主要5カ国の中で、電子機器だけがほとんどを占めている日本のガラパゴス工業国家が浮き出ている。


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  ドイツは、歴史的に医薬品が強いことは分かっていたが、日本のハイテク競争力の様相とはかなり違う国家であることがわかる。医薬品や医療機器でのドイツの 優位性は、研究現場の取材で仄聞してきたが、このような明確な図で示されると日本は特異な工業国家ということがわかる。

 私見だが、憲法改正などに注力している場合ではない。ハイテク国家を標榜するなら、あるべき科学技術立国としての国家観を示し、それを実現するための政治哲学を国民に訴えるのが先である。

Image1

 私見はさておき、ミディアムハイテク産業輸出額を見ても、近年のドイツの伸びに比べて日本の明確な下降線はやはり気になった。中国の消費人口を視 野に入れて、自動車販売など対中国戦略で躍進しているドイツは、自動車で伸びている。戦前の対中国視点から抜けきらない日本の政治をここでも思い浮かばせた。

 直近のドイツの話題で出てくる「インダストリー4.0」とは、ドイツでは「第4次産業革命」と呼んでいるということだが、これは情報通信技術と製造業を融合して新たな産業現場と工業生産を通じて新しい社会創造を目指すコンセプトだという。

 モノ作り国家としては日本よりドイツの方が先輩だが、インダストリー4.0に見るように、新しい技術革新に合わせて工業社会、産業社会の在り方を明確に描き、中小企業支援をするドイツと日本は格段に違うように感じた。

 それは次のグラフで見てもヨーロッパ諸国と日本の中小企業の位置付けの違いを見せつけられたように思う。

Image1

 永野さんの講演で感じたドイツの科学技術政策の要諦は、政策立案ではボトムアップであり制度を自分たちで作り上げていくという実行力が伴っている ことだ。強力なリーダーのもとで組織を作り上げていくのは、やはり伝統と歴史がそうさせているとしか言いようがないのではないか。

 最後に永野さんが示したドイツの「知的なものへの敬意」という日本の政治に最も不足している示唆は、重い言葉に響いた。詳しくは、同名の著書を読まれるようお勧めする。

文責・馬場錬成



日本の企業社会に巣くう「産業スパイ王国」を返上できるのか

産業スパイ活動の実態を詳細に書いた本の出版

  日本は、以前から産業スパイが跋扈する「産業スパイ王国」と言われてきた。企業の中で不遇をかこっていたりリストラされた従業員が、韓国、台湾、中国に渡った技術を不当に漏えいしたり企業情報を持ち込み、多額の報酬を得ているという噂が絶えなかった。

 これは単なる噂ではなく、真実であることを決定づけたのが、2012年4月、新日本製鉄(現・新日鉄住金)が、「特殊鋼板の製造技術を盗まれた」として、元従業員技術者と韓国の鉄鋼メーカー、ポスコに損害賠償を求めて東京地裁に訴えた事件である。
 1990年ころに新日鉄を辞めていった複数の技術者たちが、企業秘密になっていた特殊鋼板の製造技術をポスコに流し続け、ポスコはその技術を使って新日鉄が独自に開発した鋼板技術に追いついてきた。

 この事件は2015年9月、ポスコが300億円を新日鉄住金に支払うことで和解した。ポスコが今後、特殊鋼板の製造販売に関するライセンス料を新日鉄住金に支払うことなども合意事項に含まれているとされている。
 ア メリカでの訴訟なら、軽く1000億円を超えた損害賠償支払いと予想される。和解が異常に多い日本の知財訴訟で、ポスコは救われたのではないか。韓国の大 手企業が、日本では正当に特許を守ってもらえないので、日本には出願をしなくなっていると聞く。アメリカの大手企業も同じである。

                             

                                                           渋谷高広氏の著書

 産業スパイ活動は、地下に潜って実情が分からない状況が続いていた。その実情を丁寧な取材と裏付けで書いた本「中韓産業スパイ」(日経プレミアシリーズ)が昨年出版されて話題となった。

 執筆者は日本経済新聞社の渋谷高弘・編集委員である。第1章をこの新日鉄産業スパイ事件の顛末で埋めており、詳細に訴訟での争点が解説されている。 それを読むとポスコ側は、訴訟理由とした不正競争防止法違反の対象になる営業秘密の管理が不十分だったとする理由を執拗に追及している。

 つまり日 本の旧不正競争防止法では、営業秘密であることを立証する条件が厳しすぎるとして使い勝手が悪いとされていた「欠点」を衝いてきたことになる。こうしたこ ともあって昨年、改正不正競争防止法が成立し、今年1月から施行されている。罰則が引き上げられ、警察などの捜査当局は被害届がなくても捜査・摘発できる 法制度に改正した。

 さて渋谷氏の著書だが、これまで話題となった日本の産業スパイ事件を検証し、旧不正競争防止法の欠陥と日本企業の営業秘密管理の取り組み、そして中国、韓国などに流れていった技術とスパイ行為の手法などについて詳しく記述している。

 この本は、日本企業の知財部門のスタッフにとって必読の書である。企業が産業スパイから守るための処方についても言及しており、サイバー攻撃から守る術やセキュリティ対策にも広げている。

                          

改正不正競争防止法でどれだけ産業スパイを摘発できるか

 日本企業の中に潜り込んでなかなか露見してこない産業スパイの実態だが、2016年2月9日付け、日本経済新聞の社会面トップで、企業が積極的に捜査当局に情報提供してスパイ行為を摘発するべきとの主張で報道している。

 この記事では、企業側は産業スパイに被害があっても顧客への信用棄損を恐れて警察沙汰にしたくないという風潮を報告している。警察でもこうした事実 をつかんだ際には独自に捜査して摘発できるために、専門の捜査員を要請し、企業にも積極的に相談を促すように働きかけているという。
この報道も参考になるので、是非、企業の知財担当者は読んでほしいと思う。

 


教育でも先進国を猛追する中国の本気度

   中国の教育現場は巨大なエネルギーを内包して、先進国型へと急変して いる。中国政府は、教育こそ立国の基盤になるとの方針を強力に推進しており、都市と地方の教育格差の解消策と同時進行で、理系・イノベーション人材のエ リート速成策もダイナミックに展開している。教育にかける国民の熱気が沸騰しており、10年後、中国の教育レベルは間違いなく先進国の一角に食い込んでく るだろう。

 二大課題を同時進行で強力に進める

  中国政府が教育施策に本格的に取り組んできたのは、21世紀になってからである。国の発展には教育が最重要課題であることをことあるごとに国民に訴え、重点的に予算配分をしてきた。

 教育費の国家予算は長い間、GDPの2%前後だったが、2000年以降増額に転じており、12年には4%を超え、その後も増加している。ちなみに10年の日本は3.6%であり、先進国は5%を超えている。

 中国は義務教育に予算を重点配分しており、グラフで見るように、小・中学校の教育予算は、近年、急進的に右肩上がりになっている。グラフは名目値だが実質値もほぼ同じである。

 小学校の児童1人当たりの教育予算の推移

 出典:中国・国家統計局「全国教育経費執行状況統計公告」(1996-2010)

  • 出典:中国・国家統計局「全国教育経費執行状況統計公告」(1996-2010)

  中学校の生徒1人当たりの教育予算の推移

 出典:中国・国家統計局「全国教育経費執行状況統計公告」(1996-2010)

  • 出典:中国・国家統計局「全国教育経費執行状況統計公告」(1996-2010)

 

 約6万人の教員を輩出

  予算では、学校の施設設備にとどまらず、教員の養成、教員の 質の向上、学校間の格差是正のための教員の流動性などを同時並行で一挙に進めてきた。たとえば、教員養成のための師範大学を拡充し、成績のいい学生は授業 料免除プラス生活費補助を行っており、すでに6万人近い教員を輩出している。

 一般の大学でも教員養成コースを拡充してきた。また優秀な教員を育成するための施策を進め、都会と農村の格差を是正するために、教員を強制的に異動させたり定期的に配属先を交代させたりするもので、都市と農村間の異動には経済補償まで用意している。

  義務教育から大学教育まで全般的な教育の底上げ、同時に知的レベルの高い人材育成も並行して進めてきた。それが重点校施策である。

 高校の中でも重点校に指定された高校は、予算の投与で施設設備を充実させ、質の高い教員を配置し、徹底した英才教育を展開している。飛び級制度が設けられており、小・中・高一貫校や中・高一貫校も増えてきている。

  北京、上海など大都市には、重点高校が多数ある。中には米・ 英・カナダなどの高校のカリキュラムをそっくり採用し、教員の半分は外国人が占め、授業を英語で行っている高校もある。卒業後は、中国の大学に進学するの ではなく、欧米の有名大学に直接進学する生徒が増えている。

 また、北京市は「●翔計画(こうしょうけいかく:●翔とは大鷲が天空を飛翔すること)」を展開しており、こちらはイノベーション人材育成の高大連携型の高校である。拠点校29校と大学・研究所36機関を指定しており、高大が連携して高度な人材育成に取り組んでいる。

  欧米に留学する生徒や学生も年々、若年化してきている。10年の中国人の留学生のうち高校生以下の留学生は7万6400人となり、全体の留学生の20%になっている。留学生の低年齢化は、年々、高くなってきた。

 特に中国とカナダとの間では、ダブルディグリー制度(複数学位制度)を取り入れるなど教育連携が急速に進んでいる。

  北京市第8高校では、小学4年生を入学させる制度を設置し、優秀な児童を取り込む戦略を展開している。小学4年生の選抜試験は、体験入学と行動観察テストを導入し、単にペーパーテストがいい児童だけ選抜するわけではないという。

 入学後も研究性、実践性を評価の対象にし、文理の向き不向きなどを見ながら、資質に合ったクラス分けを行い、個性を伸ばす教育を進めているという。

  中国人民大学附属高校は、10年から中国科学院、中国社会科学院と提携し、「突出したイノベーション人材早期培養実験クラス」(以下「早培クラス」)を開設し、各分野のリーダー人材を育成することを目標に進めている。

 早培クラスでは、「学科の壁を取り払い、学科間が交差・融合 する」方式を採用し、中学・高校の教材を統合し、教学内容を拡大。また1クラス10~20人という少人数クラス制度を採用し、生徒は国語、心理、生物、化 学、科学技術イノベーション活動、専門家講座など、11種類の中から研修課題を選ぶことができる。指導教官制度を取り入れ、専門家、学者などを学校外から 招き、生徒の興味や特徴に合わせた学習指導を行っている。

 ※●は皐の「白」が「自」でつくりが羽の旧字体

 拡大する補習授業教育(塾教育)とその産業

  中国はこれまで一人っ子政策を採ってきたので、子どもの教育 にお金をかけるのは当然の成り行きだった。高学歴を目指し、有名大学に子弟を入れることの競争となり、しかも重点高校などが出てきたために、子弟を競って いい高校や大学に入れる風潮が高まった。特に中学・高校への入学を目指して学力をつけさせる競争が激しくなってきた。 

  学校以外で教育を受ける代表的なものは塾であり家庭教師であ る。中国ではこれを「校外補習教育」(ここでは「塾教育」と呼ぶ)としている。中国の行政機関は、公式的には「塾教育は個人の問題であって行政機関として 関わることがない」としてきたが、2000年以降、あっという間に塾教育は世論を形成するまでに膨れ上がってきた。

  上海で企業を経営している筆者の知人の一人っ子の長女は、小学生時代から大学教授を家庭教師にしていた。中学卒業後は、イギリスの名門校に留学している。

 大都市の所得の高い家庭の場合、小中学校の教育費に日本円で1 か月10万円~20万円をかけるのは普通である。中国は夫婦共働きであり、子の面倒は祖父母が見る。つまり子供の両親が働き、祖父母が孫の面倒を見る。教 育の経済的な負担は、祖父母と両親が一緒になって負担することになる。

 大学、高校教師が家庭教師になっている人が多く、中国の富裕層は教員が多いとも聞く。

度肝を抜かれた中国視察の日本人教師

  15年9月14日から6日間、国立研究開発法人・科学技術振興機構(JST)、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の支援で、NPO法人ネットジャーナリスト協会主催の「理科教育ルネッサンス・理科の達人先生海外視察」が行われた。

 理科教育の立場から中国の教育現場を視察する目的であり、中国を代表する大学・研究機関や高校などを駆け足で見学した。同行した中国総合研究交流センターの趙晋平フェロー(九州大学教育学博士)に、状況を聞いた。

  • 北京第35高校の授業風景
    北京第35高校の授業風景
  • まるで大学並みの施設を持っている北京第35高校
     
    まるで大学並みの施設を持っている北京第35高校

 中高一貫校で進学校として有名な北京第35高校では、生徒の研究発 表を聴講したが、起き上がりロボット、指ロボット、人工雷の研究など、どの研究にも独自視点があった。内容も高度なものであり、実験棟などの設備は大学並 みであったという。若く優秀な教員を配置し、スポーツ、伝統音楽にも取り組み、勉強一辺倒という学校ではなかった。

 上海市甘泉外国語高校は、日本語を第1外国語とする上海市で唯一の高校である。10年前に筆者も趙先生と訪問したことがあるが、校長が派手なアロハシャツ姿で出迎えてくれたことがうれしかった。

 授業をしている教室をのぞいたとき、なんとなく日本語で「こんにちは」とつぶやいたら、怒とうのような叫びで「こんにちは!」と返ってきたので仰天したことがある。

 これまで多くの日本語を話せる人材を育ててきたが、いまでは 英語、韓国語、独語、仏語、露語課程に広げており、国際的な人材養成高校になっていたという。一方で、語学だけでなく、理系の授業と実験にも力を入れてお り、どちらかというと理系人材の育成高校になってきたようだ。

  視察した一人は「指導者が先導して強力に政策を推進できる中国は、民意よりも中央政府の判断で国家が動くため、研究開発や教育でも党と政府の方針で進められている。最先端科学研究に国家の予算が潤沢に投入されているのが中国の強みである」(要旨)と語っている。

 これは筆者の見方とまったく同じである。一国の教育行政は、民意の合意で進めるものではなく、政府の強力な教育哲学・施策方針・将来展望で進めるものである。

 中国の場合は、「先進国に追いつき追い越す」という大命題がある。いいか悪いかの問題ではなく、国の現状を認識して次世代へ効率いい教育施策を進めざるを得ないのである。

中国の劣等生の吹きだまりになりかねない日本の大学

  中国の普通の大学に合格しない子を安易に日本の大学に「留学」させる例が増えているような気がする。留学というと聞こえはいいが、落ちこぼれを拾ってくれる日本の大学に子弟を預けるという構図である。

 実際、「アメリカやヨーロッパは遠すぎる。日本は近いし、日本語も中国語から来ているから簡単だ」と語っている親がいた。

 10年後、日本の教育現場は中国に追い抜かれている可能性がある。教育は短期決戦である。歴史や伝統がモノを言う世界ではあるが、現実の成果は歴史や伝統ではなくなってきた。

 20世紀末から21世紀にかけて世界的に興隆してきたIT産業革命の中で勝者になるのは、潮流に乗って改革を進めたものである。10歳の子供は10年後20歳になっている。教育の成果は早い。この10年間は、その後の100年間に影響を与える。

 日本の教育現場の課題を検討している10年間に、後発国の中国が追いついてくるだろう。そのような認識を日本の政治家、行政官が持ってほしい。

 


第123回21世紀構想研究会での安西祐一郎先生の講演 「日本の教育と科学技術 ~現状と将来展望~」

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 さる1月22日に開催された第123回・21世紀構想研究会は、研究会のアドバイザーでもある安西祐一郎先生が、「日本の教育と科学技術 ~現状と将来展望~」のタイトルで講演を行いました。

 その主な点を報告します。

科学技術関係予算の伸び率が停滞

 多くの基礎的なデータを駆使しての講演でしたが、重層多岐にわたる日本の教育現場の課題は、聞いているだけで気が重くなり、教育改革の抜本的な取り組みの必要性を痛感しました。

 2015年の日本の文教・科学振興費の予算は、5兆3613億円でした。社会保障費予算は、31兆5297億円ですから、科学振興費の約6倍です。将来にかける予算の6倍を高齢社会になってきた社会保障費に追われている日本の縮図を見る思いです。

 科学技術・教育予算に関する国際比較を見ると、日本の将来にかけるお金の使い方がよく出てきます。各国の科学技術関係の予算を2000年度に100とした場合、中国は10倍以上の1075であり、驚異的な伸び率です。

 韓国が457、アメリカ162、ドイツ158、イギリス144といずれも順調に伸びていますが、日本は111ですからこの10年間で1割ちょっとの伸びです。

 国として将来に投資する科学技術関係予算が停滞している日本の将来は、本当にどうなるのかと考えざるを得ませんでした。

教育予算も各国比較で最低

 これは教育予算を見ても同じです。2010年のGDP比3.6パーセントが日本の予算規模だが、アメリカ5.1、イギリス5.9、フランス5.8、中国4.0(2012年)などとなっています。

 高等教育機関にかけるお金の対GDP比でも、日本は0.5パーセントですが、韓国0.7、アメリカ1.0、フランス1.3、イギリス0.7、OECD平均は1.1となっています。

 日本は、親が負担している金額が多く、人材育成は国がやるという意識が低く、国民が取り組めと言う図式に見えます。

 安西先生は「収入の多い家庭に生まれないと、有名大学に行けないということになりかねない」と語っていました。たとえば東大に入学した学生の親の年収は、非常に高いことが実証されています。

 この数年の中国の教育改革は、高校と大学・研究機関を連携する高大連携で優秀な人材を育成する政策を大胆に進めていますが、日本はどうでしょうか。

 安西先生の講演では2019年から20年までに「高大接続システム改革」が開始された後の変革について解説してくれました。

 まず家庭での子育て、幼少中学校段階の変化が出てくるでしょう。学習指導要領の抜本的改定、職業教育の改革、企業の採用・処遇の仕組みの改革、地方創生への貢献などをあげていました。

 これからは教師が一方的に教えるという構図ではなく、協働学習、個別学習などが展開され、ICTツールも教室でごく普通に活用される時代になるでしょう。

 社会改革としての教育の転換について安西先生は「十分な知識・技能をもち、それ を活用できる思考力・判断力・表現力を臨機応変に発揮でき、主体性をもって多様な人々と協力して学び、働く力が身につく教育の機会をすべての子どもたちが 持てるようにするにはどうすればいいか」という課題を提起していました。

大学・高校生の質の低下に歯止めをかけたい

 安西先生の講演の中でショックだったのは、日本の高校生の現状報告でした。 1990年と2006年を比較したものですが、偏差値45未満と偏差値55以上の高校生の平日の学習時間は、この間の変化はほとんどありませんでした。と ころが偏差値40-55までの中間層にいる高校生は、大幅に学習時間が減っていました。

 たとえば1990年当時、平日112分の学習時間があった生徒層が、2006年にはほぼ半分の60分までに減っていました。つまり高校生の中間層は、ますます学習する時間が減っているということです。

 また進路について考えるときの気持ちで「将来、自分がどうなるか不安になる」とする生徒の国際比較を見ると、日本は38.7パーセントもあるが、アメリカ17.7、中国12.3、韓国33.5パーセントになっています。

 また、大学生の1週間当たりの学修時間の日米比較を見ると、日本は0-5時間しか学修していない学生は3分の2の66.8パーセントもいるが、アメリカは15.6パーセントです。

 1週間に11時間から15時間、学修する学生はアメリカで58.4パーセントもいるのに、日本はたった14.8パーセントです。

 日本の学生は勉強しないことがこれでもはっきりしています。また、就職受け入れをしている企業側の感想を見ると、今の学生には「主体性」「粘り強さ」「コミュニケーション力」の不足を感じます。大学教育には、重要な課題が課せられていると言えるでしょう。

 さらに安西先生は、大学入試について、知識・技能だけ問うのではなく、思考・判断・表現力を問うことが重要だと指摘しています。

 この日の講演では、盛りだくさんの内容があったため、日本の科学技術の課題までは至らず、時間の都合で主として教育問題に絞った内容になりました。

 講演後の質疑討論の場で、一番問題になったのは、この課題を共通認識として多くの人に持ってもらうことと、日本の各界のリーダーや政治家にも知ってもらうことが大事だということでした。

 今後、教育問題については、引き続き21世紀構想研究会でも積極的に発言する機会を作り、多くの識者の共通認識になるように展開したいと思います。


大みそかから正月3が日に観た映画4本

 大みそかから正月3が日は、4本の映画を見ました。
 どの映画も感動して泣きました。

①「黄金のアデーレ 名画の帰還」
• サイモン・カーティス 監督  • ヘレン・ミレン, ライアン・レイノルズ, ダニエル・ブリュール, ケイティ・ホームズ, タチアナ・マズラニー, マックス・アイアンズ, チャールズ・ダンス

 ②「母と暮せば」
• 山田洋次 監督  • 吉永小百合, 二宮和也, 黒木華, 浅野忠信, 加藤健一, 広岡由里子, 本田望結,

③「海難1890」
• 田中光敏 監督  • 内野聖陽, ケナン・エジェ, 忽那汐里, アリジャン・ユジェソイ, 夏川結衣, 永島敏行,

④「杉原千畝 スギハラチウネ」
• チェリン・グラック 監督  • 唐沢寿明, 小雪, 小日向文世, 塚本高史, 濱田岳, 二階堂智, 板尾創路, 滝藤賢一

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①は、著作権も絡んだ知財ものであることを知らないで観に行きびっくりしました。歴史認識を思い起こす映画であり、ナチに迫害されるユダヤ人たちに涙しました。

②は、長崎原爆の悲劇を語った映画ですが、戦後間もない庶民の生活を描いている点で共感しました。何もない貧乏な時代でしたが、長崎ではもっと別の世界があったことを知って泣きました。永遠の処女、吉永小百合を観てとてもよかった。

③は、あのトルコ海軍の軍艦が和歌山沖で遭難した明治初期の話と、中東事変のあった20年ほど前の歴史を掘り起こして語った日本とトルコの物語でした。人間の心を描いた国際物語であり、科学技術立国のトルコを少しだけ知りました。トルコ脱出の日本人たちの心情をとてもよく描いていました。

④は、日本のシンドラー・杉原を描いた映画でした。千畝はセンポと呼ばれていたことを知り、またセンポが帰国後に外務省を追われて小さな貿易会社に勤めていたことを知りました。千畝の人生を語ったあの日あの時を知って泣きました。

 こうして2016年の新年は、映画館で涙して過ごしました。今年は、どんな年になるか。そのような感慨を胸にしながら3が日をそれなりに有意義に過ごしました。

 

③は


大村智先生のノーベル賞受賞で暮れた2015年を回想する

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 2015年は、筆者にとって格別の年となった。3年前から、ノーベル賞受賞を確信していた大村先生が、まさに受賞したからである。

 大村先生と筆者の出会いは、2011年4月だから、あれから4年後にノーベル賞を受賞したことになる。しかしこれには、前段がある。筆者は2005年から、東京理科大学知財専門職大学院の常勤教授として知財戦略論を担当していた。そのときオムニバス授業に荒井寿光・元特許庁長官(内閣官房知的財産戦略推進事務局長)を講師として迎え、授業を行っていた。

 荒井さんは、その授業の中で大村先生を「日本で断然トップの産学連携の実績を誇っている科学者です」と紹介し、韮崎大村美術館の写真と共にその活動を紹介していた。筆者もそれを聞いて大村先生の業績を調べたり、ある大学の研究者に聞いていた。確かに素晴らしい業績を持っている科学者であることがわかった。

 しかし本格的な取材を先延ばしにしていた。それが2011年に大村先生が理事長をしている女子美術大学と東京理科大学が提携することになり、大村先生と東京理科大学の塚本桓世理事長、藤嶋昭学長との鼎談が行われ、その司会役に筆者が担当した。そこで初めて大村先生にお目にかかった。

 それから大村先生の評伝を書こうと思い立った。動機は、優れた学術実績を蓄積しただけでなく、人間的な魅力ある人生を重ねてきた研究者であったからだ。山梨県韮崎市の生家にも行って、自然と親しんで育った子供時代の様子も取材してきた。大村先生は、過去の出来事を克明に書き残しており、4冊のエッセイ集まで出していた。その記録を読んで先生の実相が一層色濃く印象に残った。

 「大村智 2億人を病魔から守った化学者」(中央公論新社)を上梓したのは、2011年である。この本のタイトルは、最初、「2億人を病魔から守った化学者」を主題にしたいと思っていた。しかし中央公論新社の横手拓治氏は、「この本は大村智先生の実像を描いた実録であるから、人物の名そのものを主題にしたほうがいい」と主張し、そのようにした。

 大村先生は、学術的な世界では有名だったが、ちょっとテーマが違った研究者にとっては無名に近い研究者だった。まして一般の人には知られていなかった。選挙にでもでるようなタイトルに、やや違和感を覚えた気分だったが本になってみるとこれがなかなかいいタイトルだったと思っていた。

 ノーベル賞受賞後は、絶版状態になっていたこの本を増版して世に再び出したが、同時にメディアからは嵐のような取材申し入れが殺到した。最初は対応に当惑したが、ある人が「あなたが責任を持って大村先生の実像を語るべきです」と言う助言を聞いて、徹底的にメディアの取材を受けて立とうと決心した。生半可な情報を伝えれば不正確な報道が展開されるだろう。ならば徹底的に情報を提供したほうが、大村先生の実像を知ってもらうことになる。

 ほどなく東京理科大学の藤嶋昭学長が「ハードカバーのあの本は、学生に読ませるにはちょっと硬い。高校生向けの本をすぐに書いてほしい」という助言をいただいた。「あなたなら1週間で書けるでしょう」という「挑発」である。これでは書かないわけに行かない。ハードカバーを下敷きにして、学術的な細かい記述は極力省きながら、新書版で「大村智物語」(中央公論新社)を書きあげた。

 そのころ東京理科大学のホームカミングデイに大村先生をお迎えして、トークショーがあった。私がインタビューアーになったものだが、その会場で毎日新聞出版・児童書担当の編集者、五十嵐麻子さんと出会って名刺を交換した。すると翌日、五十嵐さんが面会を求めてきた。児童書を書いてほしいという相談である。ハードカバーの本は一般向け、新書版は高校生、大学生向けとそろったので、児童書も書いたほうがいいかなという気持ちになった。これを書けば、全年代層に向けた3部作になる。それで引き受けて大車輪で書き上げた。

 大村先生の研究人生をこのような形で書いたが、研究の内容についてはほとんど書いていない。つまり微生物を採取し、どのようにして分類し、産生する化学物質を抽出して役立つものを取り出しているのか。サイエンスの部分が抜けていることに気が付いた。今年の宿題は、このサイエンス活動を一般向けに書かなければならないという気分になっている。

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大村智博士が北里研究所に250億円を導入した産学連携活動(上) 

 日本中を沸かせた大村博士のノーベル生理学・医学賞の受賞

 2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学特別栄誉教授の大村智先生は、産学連携の先駆けとしてかつてない実績を残した点で素晴らしい受賞者となった。

 受賞理由は、熱帯地方の感染症、オンコセルカ症(河川盲目症)の絶滅に貢献する薬剤を開発した業績を評価したものだ。しかし大村先生はこの業績だけではなく、多くの優れた天然化学物質を発見して化学や医学の基礎研究に貢献している。

 それと同時に、大村研究室で発見した化学物質をアメリカのメルク社などとの共同研究で得られた研究費は、総額250億円以上になっている。この稿では2回にわたって産学連携と学術資金の還流について論じてみたい。

  CIMG0682ノーベル賞受賞の発表を受け、大村先生の研究室にお祝いに駆けつけた筆者とのツーショット

  産学連携の言葉もなかった時代から始める

 大学・研究機関の研究室で生まれた学術的な研究成果を、社会で役立てるため産業現場に成果を移転して実用化に貢献する。これが産学連携であ る。 1990年代から本格的に始まったIT(情報科学)産業革命は、従来の基礎研究の成果が実用化されるまでのタイムラグ(時間差)がきわめて短縮されて きた。

 大学で基礎研究の成果として出たものがすぐに実用化されるような時代になってきた。一見、大学の研究室は企業の下請けのように見えることもある。しかしそれは外見的にそう見えるだけで、学問の創造と学問の自由は失われていない。


 近年のノーベル賞受賞業績は、実用化になってから1兆円市場を作るような基礎研究の成果を出さないと受賞できないとも言われるようになっている。つまりノーベル賞でも実用化での成果が重視されているということだ。

 北里研究所名誉理事長の大村智博士は今年80歳になり、現役の研究者から司令塔へと役割を移動しているが、その発想と後継者育成への情熱はますます 熱くなっている。大村博士が産学連携で250億円以上もの特許ロイヤリティ収益を北里研究所に還流させた実績はあまり日本では語られていない。ここで2回 にわたって、大村博士の発明研究と産学連携の話をしてみたい。

 大村博士の研究は、土壌中に生息する微生物がつくる化学物質の中から、役に立つものを探し出す研究だ。これまで国内各地の土壌から9属、31種の新しい微生物を発見し、微生物が作り出す化学物質を450種も見つけた。このうち26種類が医薬、動物薬、研究用試薬などとして実用化されている。世界でも断トツの実績である。


 微生物の作った化学物質を役立てることを歴史的に最初にやった人は、イギリスのアレクサンダー・フレミングであった。アオカビが他の微生物との生存競争 に打ち勝って生き延びるために産生していた化学物質を人間に役立てたのである。これが最初の抗生物質であるペニシリンである。
 つまりアオカビは、ペニシリンを作り出して他の微生物を殺し、自身が生き延びることをやっていた。人間はこれを、病原細菌を殺して生き延びることに応用した。フレミングはこの業績で1945年にノーベル賞を受賞している。

 大村博士は、国内各地の土壌を採取しては研究室に持ち込み、スクリーニング(選別・検索)にかけてまず微生物の性質を説きあかし、次いで微生物が産生している化学物質のスクリーニングをして人間に役立つ物質を発見することを始めた。
 ここまでが基礎研究であり、これを実用化するのが応用研究である。大村博士は米国に客員教授として招聘されているときに製薬企業のメルク社と連携することを取り付け、帰国後に本格的にこれを推進した。

 「大村方式」という産学連携の契約を交わす

 大村博士の研究室で微生物由来の化学物質を発見して特許を取得し、メルク社がそれを製剤などにして実用化をはかり、特許ロイヤリティを大村博士に支 払う。まさに産学連携であるが、これを大村博士は1973年、日本では産学連携という言葉もなかった時代から実際に始めたものであった。
 大村博士がメルク社との産学連携で交わした契約は「大村方式」と呼ばれるものであり、いまでは普通のやり方になっているが当時は珍しかった。大村―メルク社で交わされた契約の大略は次のようなものである。

*  北里研究所とメルク社は、動物に適合する抗生物質、酵素阻害剤、および汎用の抗生物質の研究・開発で協力関係を結ぶ。

*  北里研究所のスクリーニングおよび化学物質の研究に対しメルク社は年間8万ドルを向こう3年間支払う。

*  研究成果として出てきた特許案件は、メルク社が排他的に権利を保持し二次的な特許権利についても保持する。

*  ただし、メルク社が特許を必要としなくなり北里研究所が必要とする場合は、メルク社はその権利を放棄する。

*  特許による製品販売が実現した場合は、正味の売上高に対し世界の一般的な特許ロイヤリティ・レートでメルク社は北里研究所にロイヤリティを支払う。

 非常に合理的な契約内容である。家畜動物などに絞ったのは、すでに人間用の微生物由来の化学物質は世界中で研究しているので、競争するのは大変である。むしろあまりやられていない動物に役立てる化学物質を発見しようという話になった。


 家畜動物の病気を救ったり予防になる物質を実用化できれば、飼料代だけでも莫大な節約に結びつく。しかも動物に効くことが分かれば、それだけで動物実験になっているので人間に応用できる道が開けるのではないか。
 大村博士の思惑は見事に当たって、動物製剤では世界的なヒット商品を生み、しかも人間への応用も実現して人類の福祉に多大の貢献をすることになる。

 メルク社が大村博士に支払う研究費は年額8万ドル(当時は2400万円に相当)という当時としては破格の研究費供与だった。これは大村博士が招聘さ れたアメリカの名門大学、ウェスレーヤン大学のティシュラー教授がメルク社の元研究所長という縁があったからであり、大村博士はティシュラー教授にその手 腕を高く評価されたために実現した破格の条件でもあった。

 大村博士はいつもビニールの子袋を持参し、土壌を採取しては研究室で分析していた。1975年、大村博士は静岡県伊東市川奈のゴルフ場近くで採取し た土壌の中から、新種の放線菌を発見してメルク社に送った。メルク社は、多様な化学物質を産生していることから動物の寄生虫に効くのではないかとにらんで 実験を続けると、果たせるかな家畜動物の寄生虫の退治に劇的な効果を発揮することが分かる。
 この化学物質はエバーメクチンと名付けられ、その後、実験を重ねる過程で化学的に改良されてイベルメクチンという名前になる。ここでもイベルメクチンという名前で続けていきたい。

 牛のお腹の中には、5万匹もの寄生虫が生息しているが、この寄生虫が牛の栄養分を相当に消費している。これを退治すれば飼料代が節約できるし、牛の 健康状態も良くなるので家畜の量産につながる。メルク社の実験によると、少量のイベルメクチンをたった1回飲ませるだけで寄生虫はすべて排除するという劇 的な効き目があることを実証した。
 これはすぐに動物薬として発売し、たちまち動物薬の売上トップに躍り出てしかも20年以上も首位の座を守ることになる。

 大村博士とメルク社で取り交わした産学連携の契約では、実用化で開発した薬剤の売上高に応じて特許ロイヤリティを北里研究所に支払う内容になっている。この契約に沿って北里研究所は1990年ごろから毎年15億円前後のロイヤリティ収入が入るようになる。
 北里研究所は当時、経営が非常に大変な時期だったが、特許ロイヤリティの収益でたちまち建て直し、さらに埼玉県北本市に病院建設まで実現してしまう。
 それだけにとどまらず、動物に効くイベルメクチンは、やがて人間にも効くことが発見される。対象となった疾病は、アフリカや南米の赤道地帯の熱帯地方で 蔓延しているオンコセルカ症(河川盲目症)という盲目になる恐ろしい病気の予防薬として劇的な効果が発見されるのである。

(つづく)


第120回・21世紀構想研究会の報告です

 日本の高度研究人材を考える  吉海正憲氏の講演報告

 21世紀構想研究会での解説と討論

 知的財産を生み出すもっとも大きな勢力になっている日本の高度研究人材が、年々、先細りになっているとの懸念が言われてきた。実際にはどうなっているのか。

 さる9月29日に開催された特定非営利活動法人21世紀構想研究会の120回研究会で、住友電工顧問の吉海正憲氏(研究・技術計画学会会長)が、様々な実証的なデータをもとに日本の危機を解説し、参加者と討論を行った。

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120回・21世紀構想研究会で解説する吉海正憲氏

  様々なデータで示した日本の先細り状況

 吉海氏はまず、「マクロ構造から見た日本の現状と大学」として多くのデータを示した。

 研究開発投資額を1985年を1とすると、2012年には0.69まで下降した。同じ統計では、アメリカは0.97、ドイツは0.96、イギリスは1.3であり、先進国での日本の落ち込みが際立っていた。

  GDPの増加率を2000年と2011年を比較した数字では、日本が24パーセント増加に対して、アメリカは51、ドイツは91、イギリスは65パーセントだった。他の国はサービス業で著しく伸ばしているが日本は低調だった。

 この間の特許出願数も2000年の日本は世界トップでドイツ、イギリスの20~30倍の水準だったが、2011年には世界3位になりドイツ、イギリスの6~12倍まで低下した。

  大学などの使用研究費の1996年から2012年までの推移が下の表である。

   金額はさておき、伸び率を見ると先進国の中でも日本の鈍化は明らかである。こうした鈍化傾向と対象的に、日本で増えているのが、社会保障費、国債費、地方 交付税交付金などで、軒並み3倍から4倍以上になっている。文教科学振興費は、この間15パーセントの減少になった。

  大学の研究資金は国からが主力

 大学の使用する研究費はどこから来るのか。吉海氏の解説によると、日本は97パーセントが政府もしくは私学負担になっており、欧米の半分から5分の1程度である。大学が海外から受ける研究費も日本は極端に低く、欧米の20分の1から100分の1程度にとどまっている。

  論文数のシェアも日本は先細り傾向が顕著である。表で見るように、1998年から2012年までの低下率を見ると日本は33パーセントであり、先進国の中で突出している。代わって出てきたのが中国で、この間20倍に伸びている。

 また、論文の被引用回数も同様な傾向にあり、中国の約32倍に対し、日本は20パーセントの減少になっている。

  

  アジアの大学ランキングでは、東大がトップで面目を保っているが、中国、韓国が猛追していることが分かる。

 産学連携の重要性を提起

 吉海氏のこの日の講演の主旨は、日本は産学連携を活性化させないと国の科学技術活動が停滞化するとの警告を発信することと、そのためには博士号取得者などの高度研究人材をどのように社会で生かしていくかを提起することにあった。

   そこで「新しい成長構造には大学と産業の強い相互作用が不可欠」とするタイトルで2つ目のテーマを解説した。まず大学が民間企業から受け入れている研究資 金は、平成25年度は695億円でやや増える傾向を見せている。しかし20年度が629億円であることを見ると、大した増加にはなっていない。

  平成25年度の国立大学の寄附金受入額は、前年比40億円の減少で、総額は750億円だった。民間企業との共同研究もわずかずつ増えてはいるが、その上昇ラインはそれほどでもない。受託研究の件数や研究費の受入額もたいした増加にはなっていない。

 つまり共同研究、受託研究共にやや増加傾向にあるという程度にとどまっている。

 有名大学に集中する研究資金

 民間企業との共同研究に伴う研究費の受入額を大学別にみると、総額390億円のうち、その41パーセントが京大、東大、東北大、阪大、九大という旧帝大に集中している。

  受託研究になると総額105億円のうち京大、慶応義塾大、早大、東大、山形大のトップ5で総額の25パーセントである。この中で山形大学が3億円で5位になっているのが目を引く。

  特許実施料収入を見ると、総額22億円で東大、京大、阪大、日大、九工大のトップ5で61パーセントを占めている。東大だけで30パーセントの6.6億円というのが突出している。

 しかしアメリカのMITは年間のロイヤリティ収入が約90億円だから桁が違う。

  民間からの研究費助成、受託研究費、特許実施料収入の3つの合計を見ると、京大、東大、東北大、阪大、慶応義塾大がトップ5で、総額の512億円の37パーセントにあたる。トップ10では51パーセントになる。

  日本の大学の研究資源は、特定の有名大学、それも旧帝大に集中しており、偏在していることが分かる。これは様々な研究助成金の交付をみても同じ傾向であり、いかに旧帝大が恵まれているかを示している。

 なぜ産学連携が進展しないのか

 吉海氏のこの日の講演は、大学と産業との共同研究がなぜ伸びないのかという点にもあった。吉海氏はこれを企業に由来する原因と大学に由来する原因とに分けて示した。

 企業行動に由来する原因

①    強い内部主義があり、事業戦略全体から大学を活用する発想に乏しい。

②    大学の機密情報管理に対する不信感

③    これまでの大学との関係の惰性

④    時間軸に対する不整合

 大学に由来する原因

①    研究論文主体と共同研究との調整

②    教授個人ないしは研究室レベルの対応で、組織としてのマネジメントができない。

③    研究費を産業から受け入れることに対する歴史的違和感(研究費は文部科学省から得るという意識の浸透)

   このような日本の事情と比較するとアメリカの大学は意識が全く違う。アメリカの大学は自らマーケティングを実施して大学が新しいコンセプトを提唱して企業 に参加を求めていく。大学の研究成果に対する企業のアプローチはスピード感があるし、決定権をすぐにも行使する。日本は、決定権が乏しい。

 そして大事なことは、大学と政府と産業界が一体となって危機感を共有することだと述べた。

   吉海氏はここでアメリカは1970年から80年代にかけて、ベトナム戦争の泥沼化、日本が追いつき、アメリカが追い抜かれていく産業界の状況などで産業、 大学、政府が危機的状況に置かれたと解説。アメリカ政府はプロパテント政策に大きく舵を切り、基礎研究の成果の産業化、産学連携の促進などで再生を図り、 今の強いアメリカと大学を確立したとの見解を述べた。

  これに対し日本は、大学改革が政府主導で進むものの、画一的な選択に陥り、アメリカのように大学と社会が競争原理の中で主体的に改革を構成することができていないと述べた。

 大学発のベンチャー企業についても日米の差は比較にならない。日本でもひところ大学発ベンチャー企業がブームになったがいまは下火である。ただ、最近になって有力なベンチャー企業も生まれるようになり黎明期ではないかと観測する。

  吉海氏は「結局は、運用する人材を確保できるか。生み出した教員への評価・リターンをどのように設計するかにある」との見解を示した。

 高度研究人材の重要性

21 世紀に入ってから世界は新たな産業革命期に入り、研究も技術進化も驚くほど早くなっている。こうした状況から吉海氏は、多様性、高度性、融合性、リスク・ テイキング、スピードなどの社会の変化の対応はもとより、今の時代は対応から変化の先導へと進める時代であることを示し、人材の異質性、異能性の活用を強 調した。

  そして吉海氏は人材こそが成長と活力の源泉であり、高度人材として博士の価値を見直し、現場を知る博士を育成する必要性を強調した。

 日本は明治維新以来、急速に近代化をはかるために工学博士の育成には熱心だったが、基礎的研究に取り組む理学博士の育成では遅れている。理学博士の人口100万人当たりの数を見ると、アメリカの5分の1、ドイツ・イギリスの10分の1程度である。

  自然科学系の修士修了者も近年はやや減少傾向が続いている。博士課程に在籍する社会人の数はわずかながら年々増える傾向があるのは、学び直しの気風が出てきたことだろう。

  博士課程に進学しない理由をきいた統計によると、そもそも博士課程に進学しようと思わなかったという人が64パーセント、博士課程の研究に魅力がない、もしくは将来に不安があるとした人は合わせて25パーセントだった。

  さらに企業が博士課程修了者を採用しない理由として、「特定分野の専門的知識は持つが企業ではすぐには活用できない」が57パーセント、「企業内外での教育・訓練で社内の研究者の能力を高める方が効果的」とした回答が58パーセントだった。

 しかし企業でのポスドクの業務遂行能力の伸びを調べた統計では、71パーセントが期待以上の働きをしているとしている。博士号取得者を採用しても、それほど期待を裏切られていない現状を示していることにもなる。

  こうしたデータをもとに吉海氏は、日本の産業界と大学が高度研究人材の活用で長い間論争を続けてきたが、いまだに基本的解決に至っていない現状を次のように分析した。

 産業界は、狭い専門性にこだわり、変化への対応力に乏しく、総合的なリーダーシップに欠ける。

 大学側は、企業の従来の事業戦略の中でしか評価しておらず、将来の布石としての活用ができていない。

 この結果の弊害として、産業界は修士修了生の囲い込みを行い、企業内で育成するか必要なら企業派遣で博士号を取得させることが多いので大学の不信感が強い。企業は変化を先導する人材価値を認めていないのではないかとする見解を述べた。

 そして「海外の優秀な研究人材は、日本社会で産業から高い評価をされない博士課程に入りたいと思わないだろう」とも述べている。

  ミスマッチを解消する方策

 こうしたミスマッチを解消するための方策として吉海氏は次のような提言を行った。

 たとえば大学法人に2つの大学を創る。既存の構造を変えるには時間がかかりすぎるので、まったく違う構造の大学を創り、時代にマッチした仕組みと要素を的確に反映する大学とする。

  さらに高度研究人材の就業選択の多様性の確保もあげている。研究者の成果と資質を見極めながら研究者の進路を的確、公平に決めていく仕組みの確立である。吉海氏は、「採用する側の目的・要件の明確性にある」としている。

  またベンチャー創業へと誘導する施策も有力な選択肢としてあげている。アメリカでは80年代の大改革の一環として、SBIR(Small Business Innovation Research)を設立して成功している。

 日本でも近年、これをまねた制度を作っているが、日本では博士のベンチャー企業誘導ではなく、中小企業の研究助成金になっていると指摘する。また文部科学省では、博士のベンチャー支援予算が組まれているが、政府全体として一貫性に欠けている点も指摘している。

  吉海氏は最後に「日本社会の持つ強さの賞味期限は、そう長くはないだろう。日本の新しい成長構造の確立は高度研究人材育成にある。これには後追い的な変化への対応ではなく、変化を先導するリスクに立ち向かうことだ」との見解を示して締めくくった。