PEACE BOATで世界一周の旅ーその57
PEACE BOATで世界一周の旅ーその59(総括その1)

PEACE BOATで世界一周の旅ーその58

濃霧と時化と強風で荒れるアリューシャン列島の海

船は一路横浜を目指して毎日、南西へ向かっています。アリューシャン列島から千島列島沿いに航海していますが、海上はほぼ終日霧に包まれており、島影は見えず海は時化ています。船の屋上の甲板に出ると冷たい風が容赦なく吹いており、冬支度でないと1分といられない過酷な環境です。夕食の食卓が賑やかになっているとき、同席している共同通信社元論説委員長の西川孝純さんが「5分間講話をしましょう。アッツ島とキスカ島のことです」と発言しました。

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濃霧に包まれた海は終日時化ており、アリューシャン列島の島影を見ることは出来ませんでした。終日、大揺れの航海が続き、北方海域の過酷な海の環境を体験しました。

玉砕と撤退・アッツ島とキスカ島

西川さんはいま、船が通過しているアリューシャン列島のアッツ島とキスカ島が、先の太平洋戦争で正反対の運命をたどった戦争ドラマを語って聞かせました。

太平洋戦争が始まって半年を過ぎた1942年6月から、アメリカ軍は当時、日本が占領していたアッツ島の奪還のために戦艦、空母などの大部隊で包囲し、1万人を超える兵力を投下して守備隊わずか2500人のアッツ島に上陸してきました。その壮絶な戦いと最後の場面は、筆者も実録伝記を読んで知っていましたが、今回の航海でその島の脇を通過して帰路につくとは思いもしませんでした。

アッツとキスカJPEG
戦力・兵員・装備ともに圧倒的に上回る米軍に激しく抵抗する日本守備隊でしたが、ほどなく守備隊は全滅の悲運をたどり、日本国内ではこれを「玉砕した勇猛な兵士たち」として報じられました。玉砕という戦死者を称える言葉を使った最初の出来事でした。

続いて米軍は、隣にあるキスカ島も海軍部隊で包囲し、殲滅作戦を始めました。キスカ島には6000人の守備隊がいたのです。このとき日本の大本営本部は、北方の過酷な自然条件の中で占領を続けていた守備隊を放棄する判断に傾き、アッツ島はいわば「見捨てる」戦略をとり、キスカ島守備隊には撤退するように命令しました。

6000人の守備隊は、濃霧の中をキスカ島に接近してきた巡洋艦「竹隈」を旗艦とする艦隊に次々と乗り込み、わずか1時間足らずの中で全員の撤退に成功して離脱し、この作戦は成功したのです。濃霧と荒れる北海海域で起きた玉砕と撤退。二つの命運を決めたのは当時の戦争指導者であり、大本営の作戦本部でした。正しい判断と素早い決断と実行さえあれば、国の命運をも変えることができることを教えた出来事でした。

北海道出身者多数が犠牲者になった

船がアリューシャン列島を抜けるころ、ランチの食卓で筆者は窓から海を見ながら「晴れていれば、この向こうにアッツ島が見えたかもしれませんね」と独り言のように語りました。するとすぐ右隣りにいたご婦人が「玉砕した島ですよね」と反応したのでびっくりしました。

玉砕という言葉を知っているとは驚きでしたが、いろいろ話をするうちにご婦人は札幌にお住まいの昭和9生まれでした。アッツ島で玉砕した戦死者の英霊を北海道神宮(当時は北海道護国神社と呼んでいたそうです)に納めるため、神社に向かう行列がしずしずと進んでいく光景が忘れならないと語りました。北の守りを固めるということから、多くの北海道出身兵士がアッツ島の守備隊にいたということでした。

遅すぎる決断と実行

日本は、いつの時代でも国家として先を見通した正しい戦略とその結論に基づいた決断と実行が出来ないことを80年前の大戦の中でも数多く見ることが出来ます。21世紀になってから、デジタル技術革新が急速度で始まり、IT産業革命が勃発しました。100年後に今日を振り返って総括すれば、間違いなく第3次産業革命のど真ん中にいたことを認識することが出来るでしょう。

デジタル化した技術が教育・研究、社会、企業、組織、国家を急進展で変えていき、人の考えも価値観も文化も何もかも変えてきました。途上国・先進国に関係なく世界同時進行で進んだことに、前2回の産業革命とは大きな違いがありました。日本人、とりわけ国家・行政・企業の指導者たちは、時代認識をしっかりと持ち、先を見通した技術革新を先導する国家を作る責任があるでしょう。同時にそれは、筆者たち国民にも相応の責務を課せられたことにもなるのです。

世界一周の旅で感慨を持った様々な出来事の中でも、西川さんの講話から思い起こした「玉砕と撤退」の史実は、重い課題を背負って帰国する機会になったのでした。

世界一周の旅の報告は、ここで区切りをつけ、次回はこの船旅の総括を書きます。

IMG_7740船のラテン系バンドで人気のある「Joy&アップスタート」のファイナル演奏を聴きに行ったら、「アッツ島とキスカ島の史実」を講話してくれた西川さんご夫妻とバッタリ。記念写真に収まる栄誉をいただきました。

 

コメント

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ヤン ウェイ

本当に素敵な旅ですね。先生のblogのおかげで、私は次の目標ができました!帰ってきたらぜひ詳しい話を聞かせてください。

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