PEACE BOATで世界一周の旅ーその59(総括その1)
105日間世界一周航海の報告会を開催

PEACE BOATで世界一周の旅ーその60で最終回(総括その2止)

乗船客とスタッフを入れて総勢1500人

これだけの人間を乗せて衣食住すべてまかなう船は、日常的に生活している町が海上を動いていくようなものです。あるいは12階建てのマンションが海上に浮かんで動いていくということでしょうか。

乗ってみて意外感があったのは、車いすの方や歩行が困難な方がかなり目についたことです。手押し車で移動する方も相応にいました。乗って間もなく、風邪がはやりインフルエンザ、コロナ罹患者も出て筆者も気管支炎にかかり1週間ほど船室でゴロゴロしていました。

航海中に緊急ボートやヘリコプターで退船した方もおり、船内で亡くなった方も4人と言われています。平均年齢が73歳とも言われ、最高齢は95歳とか101歳とか言われていました。いずれの数字も食卓などで噂話として語られたことですが、筆者は大体そんなことではないかと信じていました。

船は築30年です。船内の温度コントロールは、うまく作動しているようには思えませんでした。筆者の船室も、寒かったり暑かったりで、エアコンダイアルはまったく不能であり、レストランは総じて寒い環境でした。 

和食朝

毎朝の食事。上が和食、下が洋食。写真の中のすべてを食べるわけではなく、適宜選んだものだけを食べます。

洋食

PEACE BOATに乗船した目的は何ですか?

こういう問いかけが乗船客の間でよく出てくる言葉でした。なぜ、世界一周とうたった105日間の長い船旅に乗船したのか。単なる観光目的なのか、はたまたなにか目的があったのか。筆者が自問しても、回答は見つかりませんでした。強いて言えば、自転車操業のように続けてきた仕事一筋の生活、生き方に一つの区切りをつけたいということでしょう。しかし時間的に余裕を持った観光も旅の楽しみ方も、思ったようには出来ませんでした。

なぜか? それは自分の年齢と関係があることに気が付きました。今年11月の誕生日を迎えると84歳です。見かけは年齢より若く見られますが、糖尿病を抱えておりその他には特段の病気を持っているわけではないのですが、年相応に発散するエネルギーが低下していることを感じることが多くなりました。つまり馬力がなくなったのです。往時、最も活発に仕事をしていた時代に比べると3分の1程度の出力エネルギーになっているでしょう。

船の寄港地のツアーでも、楽な方を選んでいたように思います。昔ならツアーなどに参加しないで真っ先に自分勝手に見聞をするために、地図を片手に街に飛び出したと思います。周囲をみていると、リタイアして間もない方が、生き生きと旅を楽しんでいる様子が見えました。そういえば60歳から70歳までの10年間、筆者が最も充実した仕事に明け暮れていた年代でした。

船内活動に精を出す

船内活動では、最も期待して乗り込んだのが社交ダンスでした。これは身体を動かすので、それなりの運動量を確保できると踏んだのですが、これとて上手くはいきませんでした。ダンスは講習会形式が多いので初心者と踊ることが多くなります。しかし、ダンス教師に教えてもらうことだけで過ごしてきたので、いきなり教える立場にはなれません。教え方が分からないのです。

フリーのダンス会が毎日開かれていますが、これに出てくる方は、千差万別なので筆者がペアとなって踊れる方はほとんどいませんでした。そんなこともあって、後半はダンスにも行かなくなり、もっぱら本を読んだり乗船客とお茶をする時間が増えました。

そんな中で自主企画という講演会を9回も行ってしまったのです。

*学校給食は世界一のソフトパワー

*沖縄返還を巡る密使・密約外交の真実(上下2回)

*沖縄返還と日本の民主主義のあり方(PEACE BOATと共催)

*イベルメクチンがコロナ特効薬になれなかった事情

*野口英世はノーベル賞をつかみかけていた

*新札千円札に登場した北里柴三郎のノーベル賞物語

*北里の無念を晴らした大村智先生のノーベル賞物語

*25年間劣化し続ける国家と組織

沖縄返還の「密使・密約外交と日本の民主主義」の講演については、PEACE BOAT事務局が支援してきたものです。会場は最初の学校給食の講演だけは、大きなオープンスペースでしたが、その他はすべて船の中で2番目に大きなビスタラウンジという劇場型の会場でした。毎回、200人内外の聴者が来てくれました。

沖縄3沖縄の日に合わせて、「沖縄返還の密使密約外交と日本の民主主義」について講演しました。多くの方から反響をいただきました。

スライド34
「国家と組織の劣化」の講演では、筆者の主宰する認定NPO法人21世紀構想研究会の活動に言及し、船を降りてからも日本の劣化の歯止めへ提言活動を続ける覚悟を語りました。

講演後の反響の大きさを筆者の実感として上げると、「劣化する国家と組織」がトップで、「沖縄返還の密使・密約外交」の3回の講演が同列で続きました。また野口・北里・大村のノーベル賞がらみの話もそれなりに好評であり、筆者としては満足するものでした。

この講演活動は、PEACE BOAT乗船体験者からのアドバイスもあり、事前にPEACE BOATから相談があったので持参したPCには、過去の講演資料やデータ類などを入れてきました。それを基にしたリニューアル・パワーポイントを作成して講演しました。

やり残したオカリナと短編小説

乗船する前に目標があったオカリナ演奏のマスターと、書きかけていた短編小説の完成は出来ませんでした。オカリナは、講習会の集まりがあったので参加しましたが、参加者はいずれもそれなりに習熟している人ばかりであり、筆者のような初歩クラスの人はいないのでオカリナは捨てることにしました。ところが何かのきっかけで初級者に教えてくれる先生がいると聞いたので、そこに参加してなんとか「ふるさと」だけはほぼ一人前に吹くことが出来るようになりました。習い事の発表会があり、そこで「初級者のオカリナ演奏」グループ5人の1人として壇上で演奏する機会もいただき、成果らしきことをやり遂げた気持ちでした。

小説執筆の方は、頭の中で展開を考えることはたびたびありましたが、PCに向かって執筆していく気分にはならず、そのまま帰国することになりました。

1初心者オカリナ隊IMG_4259オカリナ発表会では、壇上に並んで「ふるさと」などを演奏しました。

費用対効果は?

食卓で知らない同士で話をすると、乗船費用の話になることがあります。4人、3人、2人部屋、個室、セミスイート、スイートなどですが、4人部屋1人100万円から個室は350万円くらい。その上は不明でした。契約の時期によって、大きく違っていました。コロナ前に予約した方と直前に予約した方では「割引」が違っています。総じて早めに申し込めば「早割」で安く済んだようです。

このほか、船内のアルコール飲料などは自己負担ですが、フルコースの洋食、ビュッフェスタイルの食事などは費用ゼロ。上陸して観光するオーバーランドツアーについてはすでに書いたので省きますが、様々な観光コースを用意したオプショナルツアーは、すべて相応の費用がかかりました。

105日間の旅は、乗船内容によって差が出ますが、ざっと200万円から500万円程度でしょうか。これが高いか安いかは、乗船者それぞれの価値判断になりますが、筆者が聞いた方からは、そうじて「楽しかった」「まあ、よかった」というご意見が多く、「もうごめんだ」という方もごく少数いました。筆者は「満足でした」という感想で締めくくります。

これを含めて60回の旅の報告を発信しました。多くの方から好意あるコメントをいただき、筆者の励ましになりました。皆さんに感謝の気持ちをお伝えして、PEACE BOATのブログに幕を引きたいと思います。ありがとうございました。

部屋で集まる乗船仲間が筆者の船室に集まってお別れ会をしました。

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