「第8回学校給食甲子園大会」の地区代表表彰式の開催

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 今年の学校給食甲子園大会は第8回目を迎えるが、西日本の地区代表表彰式が、10月12日、大阪市内のホテルで開かれた。西日本の県代表となった30人 (2人が欠場)が出席し、ブロック代表12校(学校給食センター)と、さらにそこから絞られた決勝戦大会出場校の6校(同)が発表された。

 決勝大会は12月7日(土)、8日(日)の両日、東京・豊島区駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催される。決勝戦に出場する西日本代表6校(同)は次のとおりである。

 岐阜県大垣市北部学校給食センター(山崎香代先生)

 大阪府泉大津市立上条小学校(武田綾先生)

 香川県高松市立国分寺北部小学校(下岡純子先生)

 愛媛県新居浜市立大生院小学校(武方和宏先生)

 長崎県平戸市立中南部学校給食共同調理場(石田美穂先生)

 鹿児島県屋久島町学校給食東部地区共同調理場(西野間かおり先生)

 今年も公正厳正な第4次審査までで絞り込まれたもので、いずれの代表も素晴らしい献立である。東京で開催される決勝大会では激戦になるのは間違いない。

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 発表と表彰式のあと、代表6人はゼッケンを身に着け、写真のように健闘する決意をポーズで表現した。写真は右から岐阜県→鹿児島県までの代表順である。

 

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 発表後に話題となったのは、写真の2人である。愛媛県代表となった愛媛県西条市立神拝小学校の武方美由紀先生と新居浜市立大生院小学校の武方和宏先生が母子であることが分かったことだ。

 決勝大会には、ご子息が出場することになるが、甲子園大会では初めての嬉しい母子代表だった。決勝大会出場の選手たちは、それぞれ決意表明を行ったが、これから大会開催までに研鑽することを誓ってこの日の表彰式は終了した。

 東日本代表の発表と表彰式は、10月14日に行われる。この発表で第8回大会の決勝戦代表12が決定する。

第4回食育の在り方に関する有識者会議

                                                

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 日本の食の文化を引き継ぎ、教育現場での食の在り方を検討する第4回「今後の学校における食育の在り方に関する有識者会議」が、10月3日、文部科学省 で開催され、先に策定された中間まとめをもとに、スーパー食育スクール(SSS)事業の展開や食育推進について意見を出し合い討論を行った。

 これまでの3回の会議で討論した内容は「中間まとめ」として発表しており、第4回会議ではSSS実施についての内容や方向性について各委員から提案を出しあった。さらに食育推進について指導内容や学校給食の充実、食育教科書の内容などについて具体的な提案をし討論した。 

 文部科学省が来年度から実施する予定のSSSの事業内容については、ファイルにある通り、全国32か所で展開するものである。

<SSS事業について="http://babarensei.coolblog.jp/blog/%EF%BC%B3%EF%BC%B3%EF%BC%B3%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E6%A1%88.pdf">

  目的は、食育のモデル実践プログラムを構築することで、全国の学校における食育の底上げを図る事業としている。小中高校が大学や研究機関、企業など各種外部機関と連携し、科学的な視点を加味したプログラムを開発することを目標にしている。

 SSSに指定されるには、次ような要件が課せられる。

 小中高校を対象に、実践中心校を指定する。原則として栄養教諭が配置されており、栄養教諭を中核とした食育推進事業を策定して申請するように求めてい る。たとえば、食と健康、食とスポーツ、食と学力、給食の充実などの事業プランがあげられており、1か所あたり上限1000万円程度を予定している。 指定期間は1年としているが、最長3年まで延長も可能としている。

 こうしたモデル事業を実現し実施する過程で、食育の理解度を高め、質の高い食と教育と文化を実現することが狙いになる。どのような世界でも10年経てば それなりの進展がある。それは日本人の知恵でもある。このような事業を通じて、食育、学校給食、学校教育でも必然的にレベルアップになることは間違いな い。

 SSS事業を実施することで、全国の栄養教諭、学校給食関係者、教育関係の人々だけでなく、一般の人々にも啓発していくことができるだろう。

 

学校における食の安全に関する実態調査委員会の開催

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 安全でおいしい学校給食を提供するには万全の体制で臨まなければならない。そのためには調理場の整備はもちろん、日常的な衛生管理、食材の検収など多く の課題がある。そのような実態を調査して現場の栄養教諭、学校栄養職員、調理員に役立つ報告書を作成する委員会が、3月27日に開かれ、今年度の実態調査 報告書の内容を討議した。

 この日の検討テーマは、カジキマグロなどのヒスタミン中毒と、外部の委託パン製造業者から感染していったノロウイルス中毒事件のケースである。

 ヒスタミン中毒は、赤身のマグロ類の鮮度の問題から発生することが大半であり、学校給食ではこの食材はほとんど使用されていない。それにも関わらず、全国の学校給食現場のごく一部では、いまだに食材として使用し、中毒事件を起こすことがある。

 マグロ類を食べないと学校給食が立ち行かないというならこれを使用することは仕方ないが、あえてリスクのある食材を採用する必要性が感じられない。そのような視点で学校給食のレシピを作成する必要があるのではないか。

 また、ノロウイルスに感染した人が焼き上げたパンに触れ、それが学校に運ばれてノロウイルス中毒事件を発生させる。これは学校給食の調理場ではなく、外部の施設による感染源であり、学校給食設置者の責務の問題でもある。

 そのような課題について、多くの意見が出され、今後の安全でおいしい学校給食について意見を交換した。

                   

総括:第7回学校給食甲子園大会を振り返る

     第7回学校給食甲子園大会が終了した。毎回、大会終了後に感じることは、「今年もまた多くの感銘と感動を残した大会だった」という感慨である。

 調理が終了し、食味審査を経て審査委員会が開かれるが、その舞台裏は毎年、悩ましい評価の現場である。正に紙一重で優勝、準優勝、2つの特別賞が決まる。これがベスト4になるが、残された8チームもまた、ほぼ同レベルでひしめくことになる。

 審査委員として感じたことは、毎年レベルが上がっているという実感である。調理をする現場を評価する審査委員は、衛生管理を重点にして細かく厳しい評点 をしている。その見る目は毎年厳しくなっているようにも感じる。その一方で食味や見た目を評点する筆者にとっては、毎年出場校の実力があがっているという 感慨である。

 代表校のレシピを見ると、地場産物をいかに活用しておいしい給食を提供するか、その目標に向かって献立を吟味していることである。子どもたちに喜ばれる給食を提供しようとする熱意が、レシピと出来上がった給食によく表れている。

 また今年とくに感じたことは、見た目がどの代表もよくできていたことである。児童・生徒の食欲をそそる給食は非常に重要である。その目的に向かって給食を作る意欲が完成品であるトレイの中に息づいていた。

 回を追うごとにメディアの取り上げも多くなり、特に各地の地域報道は熱を帯びている。それだけ地域の注目度が大きくなっているということである。学校給食の意義と重要性は、このような注目度によって多くの国民に認識されるだろう。

 最近、日本の学校給食が国際的に注目を浴びている。中国では日本の学校給食を見習うとするインターネット記事が発信され、ドイツでも日本の学校給食を評 価する記事が出ている。日本列島がほぼ均一に衛生管理と栄養管理をしている日本の学校給食は世界に冠たるものとしてこれからも存在感を示してほしいと思っ た。

 

学校給食甲子園 優勝は愛知県代表に

                               

                 

 

 

 第7回学校給食甲子園大会の優勝の栄冠は、愛知県西尾市立西尾中学校の学校栄養職員、富田直美さん、調理員の三浦康子さんの頭上に輝いた。

 全国2271施設の応募の頂点に立ったお二人に拍手喝さいを送ります。栄冠を勝ち取った献立は、地場産物の抹茶を活用した料理でした。「てん茶しらす 飯」は、ほんのりとした彩りを称えたご飯であり、地元野菜の照り焼つくね、レンコンサラダ、人参ニギス団子すまし汁は絶品でした。ニギスとは三河湾で捕れ るニギスをすり身にし、地元産人参を練り込んで蒲鉾屋さんと共同開発した食材でした。

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 準優勝に輝いたのは、和歌山県和歌山市立名草小学校の学校栄養職員、土井登世先生と調理員の山中恭子さんでした。

 名草小学校は昨年の優勝校です。果たして史上初の2連覇が実現できるかどうか注目を集めていましたが、最後の詰めの差で2連覇の栄光を阻まれました。 しかし素晴らしいレシピと成熟した調理法は多くの人に感銘を与えました。

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 優勝、準優勝の栄冠を勝ち取った代表選手のお顔は輝いていました。

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 多くの報道陣に囲まれて優勝インタビューを受ける愛知県代表チーム

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 21世紀構想研究会特別賞に輝いたのは、栃木県代表で宇都宮市立田原中学校の学校栄養職員、塚原治子先生と調理員の木村雅恵さんでした。

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 女子栄養大学特別賞を勝ち取ったのは、岩手県代表、岩手大学教育学部附属特別支援学校の学校栄養職員、斎藤洋子先生、調理員の目黒沙織さんでした。

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 決勝戦に進出した全員との記念写真。どのチームも優勝、準優勝、特別賞とは紙一重であり、郷土の代表として誇りある闘いでした。

第7回学校給食甲子園大会始まる

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 第7 回学校給食甲子園大会が、12月2日、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで始まった。全国6ブロック12代表の24選手が調理服装に着替えて開会式 に臨み、銭谷眞美大会実行委員長が挨拶に立ち、続いて埼玉県代表の所沢市立第1学校給食センターの栄養教諭、小林洋介さんが選手宣誓を行った。

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選手宣誓を行う小林洋介さん 

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 調理場に移動した選手は、直ちに手洗いを行い、洗浄が合格かどうかのテストを受けた。2次洗浄までに全選手が合格となり、いよいよ調理に入った。1時間で6食を作るもので、各選手はレシピを見ながら手順よく調理を進めた。

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 この大会の決勝戦に3回出場を果たした福島県代表の福島県鮫川村学校給食センターの芳賀公美さんら2人の選手は、初優勝をかけて調理に取り組んだ。

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 昨年の第6回大会で優勝した和歌山県代表の和歌山市立名草小学校の土井登世さん、山中恭子さんのコンビは、大会初の2連覇にかけて調理に取り組んだ。

 

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 1時間後に出来上がり。直ちに食味審査にはいった。

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第7回学校給食甲子園大会の前夜祭の開催

    第7回学校給食甲子園大会が12月2日に開催されるが、その前夜祭が1日の夜、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催され、決勝大会に進出してきた12代表、24選手が大会での健闘を誓った。

 この日は、決勝戦に出場する6ブロック12代表の栄養教諭、学校栄養職員、調理員が一同に集まり、大会に臨む決意表明と代表施設としてのアピールを発表 する場でもある。各代表は、趣向を凝らしたポスターや資料を掲げながら、地場産物の説明や給食レシピへの工夫などを披露した。

 最大の関心は、明日の選手宣誓は誰がやるかである。くじ引きで引き当てた人が晴れの宣誓を行うものだが、第1回と2回大会では、選手宣誓したチームが優勝するというジンクスを作っただけに、毎年この抽選には注目が集まる。

 今年は、埼玉県代表の所沢市立第1学校給食センターの栄養教諭の小林洋介さんが引き当てた。小林さんは、この大会の決勝戦では初めての男性の栄養教諭である。またこのチームは調理員も男性であり、異色のコンビで大会に挑むことになる。

 前夜祭には学校給食関係者が多数参加し、選手たちを励ましながら各地の学校給食や地場産物の話で楽しいひと時を過ごした。

 

地場産物を学校給食に活用する分科会の開催

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 第63回全国学校給食研究協議大会2日目は、学校給食のさまざまな課題をテーマに8分科会が開かれ、熱心な討論が行われた。

 学校給食で地場産物を活用するための3つの要点

1.      地場産物が学校給食調理場に確実に納入されるシステムを確立することである。そのためには、いくつかの課題がある。

  ①   行政、流通業者、生産者などを組み込んだ組織ができているかどうか

  ②   その組織が機能するかどうか

  ③   流通業者、生産者が喜んで協力できる条件になっているかどうか

 2.      次に食材の活用方法がうまくできているかどうかである

  ①   いい食材を生かす献立を作っているかどうか

  ②   郷土料理、おふくろの味の伝承者になっているかどうか

  ③   子どもたちの喜ぶ給食になっているかどうか 

3.      成果と課題がきちんと回っているかどうかも重要だ

  ①   成果が出ているかどうか検証しているか

  ②   流通業者・生産者・子供たちがそれぞれ喜んでいるかどうか

  ③   その成果をもとに次の目標が立てられているかどうか

  筆者は以上の視点でこの日の発表についてコメントをした。

 そのうえで「学校給食で地場産物を活用するための名案、決め手は、1にも2にも地場産物が学校に確実に入荷するかどうかにかかている」ことを強調した。 

 地場産物さえ入れば、おいしい給食も実現できる。学校も栄養士も保護者や生産者、地域の人々と一体になっていろいろなイベントができる。献立内容も行事もいろいろアイデアを出すことができる。 残量も少なくなるし、子どもの感謝の気持ちも出てくる。 

 そこで2点について提示した。

 1つは、栄養士の役割である。これを再認識したい。学校で最も対外渉外のおおい教員である。地場産物を利用するには、生産者、流通業者、子どもの3者が喜んでくれる体制を作ることが重要だ。

  ウイン・ウインの関係がなければだめだ。業者が利益を出すだけでなく、次世代の子供の健康、栄養を支援するという気持ちを持ってもらうことが重要だ。生産者が無理したり、流通業者が泣くようなら、継続性がない。

 2つめは、学校給食の地場産物を推進するバックアップ体制が重要だ。ひとり学校給食栄養士が頑張っても実現しない。市町村の行政、教育関係者、地元のJA、保護者らの協力体制がなければ成功しない。

 栄養教諭、学校栄養職員だけでは無理だ。その体制をどう作るか。校長はじめ多くの人を支援者にすることが大事だ。 世界で日本はダントツの学校給食を実施している。地場産物活用などという学校給食は日本だけである。これからも学校給食を支援していきたい。

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第2分科会の先生方と記念撮影。前列左から司会者の森脇郷子先生(佐伯市教委指導主事)、江口陽子・文部科学省学校給食調査官、市村百合子・栄養教諭(千葉県佐倉市立臼井小)、後列左から筆者、上杉玲子・栄養教諭(新潟市立大形小)、山本桃子・栄養教諭(佐伯市立佐伯小)

 

第63回全国学校給食研究協議大会の開催

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 全国の学校給食、教育関係者が集まって学校給食の活動を通じた食育推進について講演、討論を行う大会が、大分市で始まった。栄養教諭をはじめ多く関係者が集まり、食育推進について日常の活動報告が行われた。

 日本では学校給食は教育の一環の中で確立されたものであり、国民の間では当たり前の制度になっている。しかし世界の中では、これほどすぐれた制度は見ら れない。 ドイツの教育関係者が日本の学校給食現場を視察したときに「信じられないような非効率的な調理現場」という感想を漏らしたという。

 大量食事を食材の加工から出来上がりまで調理する日本の学校給食調理場は、家庭のキッチンと同じことをする。大勢の昼食を作るといっても工場でやる大量 生産とは違う。この調理方法こそ、日本の食の文化を伝承し、きめ細かい食の伝統を守る現場になっていることが、にわかに理解できなかったようだ。

 しかし、最近になってドイツは日本の学校給食をべた褒めである。日本と同じことはとうてい真似ができないという。アメリカの学校給食も、日本から考えると信じられないくらいずさんな栄養管理である。フランスの学校給食も同じような状況だ。

 外国の場合は、たまたま見たり体験した学校給食だけということがあるかもしれないが、日本ほど衛生管理と栄養管理を完璧に行っている国はないのではないか。日本の誇るべき食育の現場を支えている学校給食の栄養教諭らの研究発表は年を追って進化している。

 明日の分科会の様子も報告したい。

 

第7回学校給食甲子園大会の実行委員会の開催

                                                

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 第7回学校給食甲子園大会 (http://www.kyusyoku-kosien.net/)の実行委員会(銭谷眞美委員長)が、9月24日開催され、今年の開催要項を決定した。
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 今回から実行委員として殿塚婦美子・女子栄養大学名誉教授、長島美保子・全国学校栄養士協議会会長が加わり、各専門の立場から知恵を出し合って運営することになった。
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 今年はすでに事前審査を経て、都道府県代表から地区代表選考の審査日程が決まっており、10月末までには地区代表も発表される予定である。
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 今年の応募総数は、2271となり過去最大数。新潟県からは227の応募があり、突出した応募数となった。また例年、熱心に取り組んで応募している県は例年通りの応募数となり、甲子園大会はますます注目を集めるようになっている。
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 また、今年のプログラムのデザインもこの日、見本をもとに意見を出し合い、昨年までとは違った感じの表紙に衣替えすることで決定した。
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 表紙のデザインを見て意見交換する実行委員の先生方

 

第7回学校給食甲子園大会の事前審査が始まる

                                                

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第7回学校給食甲子園大会(特定非営利活動法人21世紀構想研究会主催)の事前審査が、9月22日から始まった。今年の甲子園大会は、12月1日、2日の両日、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで決勝大会が実施されるが、その準備はこの事前審査から始まる。

 今年の応募総数は、2271校(給食センター)にのぼり過去最高の応募数となった。学校給食甲子園大会は年々、学校現場での人気が高まっており、今年は応募締切が終わった後も問い合わせが相次ぐなどかつてない関心が高まっている。

 応募数のトップだったのは新潟県の227、続いて鹿児島県の140、長崎県の121、宮崎県の109などとなっている。これから事前審査で応募侯校の具 体的な内容を精査し、これをもとに第一次審査、2次審査、3次審査と続く。最終的には、全国6ブロック、12代表校が選ばれ、12月2日に女子栄養大学駒 込キャンパスで栄冠を目指して調理競争が実施される。

 

全国学校給食甲子園のHPをリニューアルへ

                                                

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全国学校給食甲子園のHPのリニューアルを検討するミーティングが、2月1日、東京・神楽坂の筆者の部屋で行われ、トップページのデザインなどで意見を交換した。

 これまでのHPデザインをベースに改良を加え、より親しみやすいページとコンテンツにしようという試みだ。今後は、ソーシャル・ネットワークとのリンクや全国の栄養士の方々の情報交換、報告・発表などにも拡大する予定である。

 すでに筆者のブログでは「学校給食のひろば」とするコーナーがスタートしており、2人の栄養教諭からの投稿をアップして反響も寄せられている。今後も食育振興、子供の栄養と健康を守るためのウエブサイトとしても社会貢献するように頑張りたい。

 

学校給食の衛生管理の改善・充実する会議

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 学校給食は、日本の次世代を担う子供たちの成長・健康を支える最大の事業の一つである。その視点から学校給食を支援している筆者は、年間を通じて様々な 活動をしている。文部科学省の「学校給食における衛生管理の改善・充実に関する調査研究協力者会議」の委員としての活動もその一つである。

 1月25日に開催された会議では、「学校給食調理従事者研究マニュアル」の内容について、長時間の論議を行い、密度の濃いマニュアル作成へと進行した。

 学校給食の食中毒事件は、年々減少を続け、この数年は年間2,3件の発生にとどまっている。これも文部科学省と都道府県の衛生管理への取り組みが功を奏したからであり、現場のスタッフの努力の成果でもある。

 今年の学校給食での食中毒発生は、この日現在2件にとどまっている。いずれも千葉県内で発生したもので、カジキマグロのヒスタミン中毒、パン製造工場が 原因とするノロウイルスの食中毒事件である。2件とも千葉県の発生であり千葉県は評価を下げたように見える。しかしこれは偶然そうなっただけであり、どの 現場でも同じリスクがあると理解したい。

 この日のマニュアル作成の会議では、きめ細かい表現や内容に論議が広がり、完成に向けてさらに磨きをかけることになった。学校給食の現場の衛生管理では、おそらく世界でも例がないくらい充実した行動を展開しており、また成果も上がっている。

 今後もこの活動で貢献したいと思った。

 

学校給食甲子園大会事務局ミーティング

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 学校給食甲子園大会の事務局のミーティングが12月26日開催され、今後の方針などを決めた。今年の第6回大会は史上最多の2057校が応募してくれ、盛大な大会となった。

 大会終了直後から3つの大手出版社から甲子園大会関連の出版打診があり、この大会がようやく社会的にも認知度を高めてきていることを感じた。今後は、ホームページも充実させるなどIT時代にマッチした活動を進めていきたい。

 

第62回全国学校給食研究協議大会の2日目の開催

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  「生きる力を育む食育の推進と学校給食の充実」を主題に掲げた第62回全国学校給食研究協議大会の2日目の11月9日は、9つの分科会に分かれて各論 の討論を行った。どの会場でも全国から参加した学校給食関係者が研究発表をした後にフロアとの討論を行い、実りある研究会となった。

 筆者が出席したのは、第2分科会でテーマは「学校給食における地場産物の活用方策」である。発表者は、福島県川俣町立川俣南小の栄養教諭の井間真理子さん、北海道洞爺湖町立とうや小の藤川知子さん、広島県三原市立西小の森川文子さん。

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 それに司会者は三原市立三原小の山田昌子校長、さらに指導助言者として大分県教育委員会体育保健課の指導主事、伊藤京子さんと筆者の2人だった。

 発表した3人は、いずれも地域の生産者、関係機関、保護者、学校という社会の中で地場産物を利用した学校給食を提供している活動状況をパワーポイントを使って発表したが、非常に内容の濃いものだった。総じて栄養士の先生方のパワーポイントや発表内容は素晴らしい。

 常日頃から献立を作成し、料理に取り組んているセンスと行動と無関係ではなさそうだ。文化を作っている最前線の戦士の本音は、聞いていても気持ちがいい。

 筆者は指導助言者として、3人の発表内容を踏まえたうえで学校給食を形成している二つの重要な要因をあげた。1つは学校給食の栄養士の役割であり、2つ目は郷土料理の伝承という役割である。 

 栄養士は、学校にあっては対外折衝の多い役割を担っており、食材の購入や様々な人々とのコミュニケーションを考えるとマネジメント、ビジネスセンスを磨かなければならない。そのような時代にあった栄養士になることを目指し、研鑽してほしいとのコメントを発した。

 2年前に筆者が栄養教諭らから聞き取り調査をしてまとめた栄養教諭の仕事の内容と折衝する人々を整理すると、学校現場の中では特異な職責になっているこ とが浮かび上がってきた。こうした現状は見過ごされてきたようであり、今後、この現状を分析しよりよい栄養教諭の在り方を探ってみたい。これは筆者の次の 研究テーマになる。

 また、日本列島全体がコンビニ、ファストフード、スーパー、居酒屋などの普及で、どこへ行っても単一された文化になり、郷土の産物を生かした伝統的な郷 土料理が姿を消しつつあるという問題意識を提示した。さらに家庭にあっては、レトルト、インスタント食品の普及で料理、献立が標準化され、さらにインター ネットの普及で料理情報が簡単に誰でも入手できる時代となった。

 これはいい悪いという問題ではなく時代に趨勢であり、このような社会の動きの中で私たちは生活している現状を認識するべきということを主張した。そのう えで旬の食材を使った郷土料理を伝承するのは学校給食であり、気が付けばそのような風潮、流れになっていることを語った。

 学校給食は時代とともに変革していくものであり、栄養教諭もまたそれをリードしていかなければならない。食は文化でありその一端を担っている学校給食の旗手として頑張ってほしいとのメッセージを送って締めくくった。

和歌山県の新旧両雄がばったり
          

 

 第6回学校給食甲子園大会が、2日前の11月6日に行われ、和歌山市立名草小学校の栄養教諭、土井登世さん(写真右)が優勝の栄冠を勝ち取ったばかりだ が、8日に広島市で開催さている第62回全国学校給食研究協議大会に駆け付けた。2日前の大激戦で勝ち抜いたばかりだが、その疲れも見せず、この日は実践 報告や特別講演を聞くために会場に来たという。

 ここで、第4回の学校給食甲子園大会で準優勝した、 和歌山市立有功小学校の栄養教諭、高橋啓子さんとばったり出会った。2年前の大会で準優勝した悔しさをいともあっさりと優勝を手に入れてしまったようだが、並大抵の努力ではなかっただろう。

 高橋さんは「私たちの無念を晴らして優勝しました。すごいですね」と語りながら後輩の健闘を称えた。また、その出会いをしている場に、香川県の栄養士協議会香川支部長も来合わせ、和歌山、香川とお互いに全力で闘った大会の様子を語り合い、健闘を称えあっていた。 

                                

第62回全国学校給食研究協議大会の開催

                                                

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  「生きる力を育む食育の推進と学校給食の充実」を主題に掲げた第62回全国学校給食研究協議大会が、11月8日から広島市で開催された。この日は、開会式の後、文部科学大臣表彰が行われ、全体会議では実践報告と特別講演が行われた。

 まず、文部科学省から学校給食の役割と食育推進について説明があり、引き続いて広島市立皆実小学校の清水陽子校長、栗本淳子栄養教諭らから実践発表が あった。 同校では「3つのあ」をスローガンにしている。3つの「あ」とは、「あいさつ」「あんぜん」「あさごはん」であり、これをしっかりと行うことのできる学校 経営を目指している。

 また、児童に対する食育では、学年別に取り組んでいる様子を発表した。1、2年生には野菜の皮むきを指導し、家庭でもお手伝いができるようにした。4年 生は、バランスよく食べる食生活を学習し、5年生は食事のマナーを学んだ。調理を児童とともにすることで調理員の苦労を実際に体験し、残食率の低下に取り 組んだ実践活動を発表した。

 特別講演は早稲田大学総合研究機構の福岡秀興教授で、「子どものときからの生活習慣病対策」として成長期の食習慣が次世代の健康を決めることにつながっているとして次のような内容を講演した。

一般に壮年期から始まると思われている生活習慣病は実は胎児期に芽生えているという最新の国際的な研究動向を報告しながら、若い女性のやせ願望がやが て妊婦のやせ願望につながっている危険性を示した。妊婦が痩せていると胎内にいる赤ちゃんの代謝系に異常を生じ、生まれてから長じて影響が出てくるという 研究内容を発表して、会場の人々に衝撃を与えた。

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 この研究動向は、日本で昔から言われてきた「小さく産んで大きく育てる」という言い伝えが間違っていることを示したものである。その詳細については、「理大科学フォーラム」の2012年1月号でも特集として掲載される予定である。

 11月9日は、分科会が行われるが、筆者は第2分科会「学校給食での地場産物の活用方策」のセッションで指導助言することになった。この日の全体会議の前に発表者らと事前の打ち合わせを行い、1日目の予定を終了した。

 

 栄冠は和歌山市立名草小学校の土井登世、山中恭子さんに

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 第6回全国学校給食甲子園大会の 決勝戦は、11月6日、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催され、和歌山市立名草小学校の土井登世、山中恭子さんが参加2057校の頂点に立っ た。深紅の優勝旗と大カップを手にして喜ぶお二人(写真上)。優勝インタビューでは、多くの報道人に囲まれ、感激に涙ぐむ土井さん(写真下)。

 大会は、午前10時半から1時間で6食を作る競争である。事前審査を入れると4回の審査をくぐり抜けてきた全国6ブロック、12代表チームは、いずれも素晴らしい献立であり、それだけで甲乙付け難いものだった。

 地場産物を生かした給食は、どれもこれも魅力にあふれている。出来上がりの見た目、味付け、地場産物の生かし方などで審査する筆者も、どれもこれもおい しくて採点に迷うばかりである。しかし勝負は非情であり、心を鬼にして減点方式で採点していった。審査委員14人の採点を単純合計して上位から決める方式 だが、審査員の持ち点はみな違う。高度、専門性の高い審査員は、審査する項目が多く、持ち点も高くなる。

 ともかくも優勝、準優勝が決まり、女子栄養大学特別賞と特定非営利活動法人21世紀構想研究会特別賞の4つが決まると、のこりの8つはすべて入賞である。しかし点差がそれほど開くわけではなく、大激戦と言っていいだろう。

 優勝した和歌山県は第4回の準優勝をばねに、ついに栄冠を勝ち取った。今回、準優勝したのは高知県大月町立大月中学校の野坂なつこ、安岡千冬さんであ る。応援団もきていただけに準優勝には感激もひとしおだったようで、受賞発表の瞬間、大歓声があがった。高知県の準優勝は初めてである。

 女子栄養大学特別賞を獲得したのは、香川県観音寺市大野原学校給食センターの真鍋美枝子、合田香代子さんである。香川県勢は、第1回から第6回まで連 続、決勝戦に駒を進めているが、第1回大会で準優勝したのが最高。それだけに悲願の優勝を目指していたが、今回も特別賞にとどまった。と言っても、連続出 場は素晴らしいものであり、これをどこまで伸ばすか。また悲願の優勝はいつ果たされるか注目である。

 21世紀構想研究会特別賞に輝いたのは岐阜県の海津市学校給食センターの山崎香代、大倉寿美恵さんである。岐阜県は、第2回大会から連続5回の出場を果 たしており、第3回と5回に優勝している強豪である。今回も郷土のアユを生かした独自の給食で挑み、特別賞を勝ち取った。

 第6回を数えて年々、献立内容が工夫されてきており、見た目、味付けもレベルアップしている。衛生管理などではまだ課題も指摘されているが、これからも 甲子園大会はますます存在感を出していくだろう。早くも第7回大会を目指す意気込みを選手たちから聞いて、頼もしい感じだった。

                                第6回学校給食甲子園大会決勝大会が開かれる

  
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 第6回学校給食甲子園大会の決勝大会が、11月6日、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで行われた。まず、文部科学省で配布している手洗いが完全に行われているかどうかを見る実習には全員が参加して点検を行った。

 そのあとで調理場に入り、いよいよ試合開始。1時間で6食を作るコンテストに取り組んだ。

 この結果は、学校給食甲子園大会の公式HPで見ることができます。

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写真左は調理開始の様子。右は調理場の外から支援する応援団。

                                                                                

第6回学校給食甲子園大会の前夜祭が行われる

                                               

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 第6回学校給食甲子園大会が11月5日、6日、東京の女子栄養大学駒込キャンパスで始まった。この日は、前夜祭が開催され、12チーム、24人の選手が勢ぞろいして翌日の大会での健闘を誓い合った。

 詳報は、学校給食甲子園大会の公式HPで見ることができる。

  

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群馬県吉岡町で学校給食の実態調査

                               
                 

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 学校給食現場の衛生管理などを指導している有識者らが11月1日、2日に群馬県吉岡町の学校給食センターを訪れ、衛生管理などの実態を調査し、栄養士、調理員、県、町の関係者らと意見交換して今後の安全な学校給食について話し合った。

 一般的に学校給食現場で食中毒事件を発生しないようにするためには、大きく分けて2つの方法がある。まず事件が発生しないように衛生管理を徹底すること と、第2は不幸にして発生した場合の対応策である。訪問した吉岡町学校給食センターは、写真でみるように広々とした施設であり、衛生管理のやりやすい施設 である。

 ただし調理の手順で抜け道があれば細菌が入り込んでくる。トイレや手洗いの施設の完備からエプロンの使い方など細かい点で討論があった。また中毒事件が 発生した場合の対応策である。関係機関への伝達、保護者への連絡、児童生徒の指導などで不備がなかったかどうかなども話し合われた。

 

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2階から見た調理場だが、敷地面積が広くて清潔感があった。

 

フードシステムソリューションのシンポジウムを開催

                               

                 

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 学校給食調理場の衛生管理などについて討論するシンポジウムが、東京・お台場で開催中のフードシステムソリューションの学校給食セミナーセッションで開催された。

 このシンポジウムは「食中毒発生調理場から見えてきたもの」のテーマで行われたもので、 パネリストには、伊藤武、中村明子、丸山務の3氏が出場し、筆者がコーディネーターとして司会とまとめを行った。パネリストの3人は、学校給食衛生管理に 関する文部科学省の審議会の委員であり、どの方も学校給食関係のプロである。

 まず伊藤、中村、丸山の3氏がそれぞれの立場から衛生管理の課題について発表を行った。伊藤氏は、全国の食中毒の動向と学校給食の食中毒の動向を示しながら、衛生管理では何が課題としてあげることができるか。一般的な話から学校給食へと広げて話をした。

 中村さんは、調理場での二次汚染が食中毒発生のカギを握っていると指摘し、具体的な二次汚染について例を出しながら、その防止策について提示した。さら に丸山氏は、最近、学校給食現場では見られなくなったサルモネラ菌による食中毒事件が、昨年度2件発生したことを報告。その現場を視察して原因を分析した 結果を発表した。

 食中毒事件は、過去の教訓をきちんと汲み取り、予防策を守っていれば発生することはない。しかし事件は時間とともに風化して人々から忘れさられていく。 丸山氏は、サルモネラ菌の場合は特に卵を食材とした場合の危険性を指摘し、実例をあげながら予防への取り組みを提示した。

 また、学校給食の施設設備については、設置者である市町村がもっと予算をかけて整備することの重要性を強調し、無駄な予算を消費しないように警告した。 さらに危機管理の視点では、中毒事件の発生前と後の対応策について特に学校長の責務をあげ、学校給食を栄養士と調理員にお任せをするような意識で対応しな いことを主張した。

 

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 会場では、災害が発生した場合の炊き出しの実演が行われた。学校給食調理場の設備を使って、素早く炊き出しをしとり、味噌汁を作る実演であり、岐阜県の栄養士の栗山愛子先生ら筆者の知っているベテランの栄養士の先生方が活躍していた。

 炊き出しをしたお赤飯とご飯は、どちらも大変おいしくいただき、具だくさんの味噌汁も絶品だった。

 

学校給食甲子園の東日本の代表を決定

                               

                 

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 第6回学校給食甲子園大会の県代表、ブロック代表、決勝戦進出校を発表する地区代表表彰式が、2011年10月8日、埼玉県大宮市で開かれ、東日本の決勝戦進出6代表が決まった。発表後には 決勝戦で着装するゼッケンをつけてファイトポーズをとり必勝を誓った。

 表彰式では、まず21都道県の代表が発表され、その中から第2次審査で選ばれた12代表が発表された。そして、最後に決勝戦に進出する東日本の6代表が発表された。 

 

北海道・東北ブロック道県代表

ブロック代表

決勝進出

北海道

札幌市立屯田小学校

 

 

青森県

青森県立弘前聾学校

 

岩手県

平泉町立平泉小学校

秋田県

八峰町立学校給食協同調理場

 

 

宮城県

仙台市立湯元小学校

 

 

山形県

高畠町立糠野目小学校

 

福島県

南会津郡只見町学校給食センター

 

関東ブロック都県代表

 

 

東京都

葛飾区立東金町小学校

 

神奈川県

横浜市立名瀬小学校

 

 

埼玉県

所沢市立和田小学校

 

 

千葉県

流山市立東小学校

 

 

栃木県

宇都宮市立横川東小学校

 

 

茨城県

築西市立下館学校給食センター

群馬県

沼田市白沢調理場

静岡県

掛川市西山口学校給食共同調理場

 

 

甲信越・北陸ブロック県代表

 

 

山梨県

甲州市学校給食センター

 

 

長野県

小諸市立東小学校

新潟県

上越市立春日新田小学校

 

 

富山県

富山県立富山総合支援学校

石川県

金沢市学校給食緑共同調理場

 

福井県

南条給食センター

 

岩手県の平泉は、中尊寺がある世界遺産登録になった地域であり、甲子園へ初出場でさらに花を添えた。東北地方は先の大震災で大きなダメージを受けたが、そのハンデを跳ね返し、決勝戦では健闘してほしい。

 そのほかの代表もいずれも地域を代表する栄養士と調理員であり、これからも給食の実施で功績をあげていくだろう。表彰式の後には、昨年の決勝進出を果た した、福生市の第1学校給食センターの学校栄養職員である菅野幸さんが昨年の体験談と日ごろの給食活動についてレクチャーを行い、非常に実のある楽しい表 彰式だった。 

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第6回全国学校給食甲子園大会の第3次審査を開催

                               

                 

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 第6回全国学校給食甲子園大会の決勝大会は、11月5日(土)、6日(日)に東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催されるが、そのときにブロック別代表として出場する12校・センターの選抜審査会が、10月3日に女子栄養大学で開催され、12代表が決まった。

 今年の応募数は、2057校・センターという過去最高であり、大会が年々盛り上がっていることを示している。 応募してきた献立も郷土の食材をふんだんに使い、児童・生徒が喜びそうな給食を工夫して作っていることがわかる。

 都道府県によっては、応募に積極的に取り組んでいる県とほとんど何もしていない都府県などと際立っている。特に大都会地の学校・センターにとっては、甲子園大会に対しては無関心であることは間違いなく、地方の学校とセンターの方が関心度が深い。

 地場産物という意識が都会では地方ほど高くないので、献立を作るインセンティブが弱いのではないかと思う。地方では、地場産物へのこだわりがあり、地域 社会と学校が一体となって活動していることが多い。給食施設設備も年々向上してきており、衛生管理意識も以前に比べると格段に高くなっている。

 今年も12チームによる料理コンテストが展開されるが、果たして栄冠はどの地域の代表になるのか。いまから楽しみである。

                                                 

             

                               

第6回学校給食甲子園大会の事前審査が始まる

                               
                 

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 第6回学校給食甲子園大会の事前審査が9月15日から、女子栄養大学駒込キャンパスで始まった。今年の応募数は、約2060になりこれは史上最高となった。大震災もあって応募数が例年より下回るのではないかと危惧していたが、これは完全に裏切られた。

 事前審査は、応募書類の確認、栄養価の確認が主たる作業だが、何しろ2000通を超える書類を丁寧に見るので時間がかかる。金田雅代・学校給食甲子園大 会実行委員で審査副委員長らベテランの栄養士の先生6人が20人の女子栄養大学の学生を指導しながらの確認作業が延々と続いた。

 点検・確認は複数の人が行い、さらに栄養士の先生が最終確認する作業になるので時間がかかる。さらに学校給食の研究データとして毎年とっているっ色の区分け、主菜の区分けなどではマーカーで色づけして統計をとっていくのでこれまた大変な作業だった。

 それで3日間の事前審査は無事に完了し、次の第1次審査から3次審査までの手順へと回された。今年は11月5日、6日に地区代表の12校・センターのチームが東京に集結して深紅の大優勝旗を狙うことになる。

 

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学校の食の安全に関する実態調査委員会の開催

                               

                 

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 学校給食現場の食中毒事件は、1996年7月に大阪府堺市の学校給食で発生した腸管出血性大腸菌O157食中毒事件をピークに下降線を辿り始め、近年は1、2件の発生にとどまっている。

 平成21年度は、12月10日に東京都足立区でノロウイルスによる食中毒事件が発生するまでゼロが続き、史上初の発生件数なしに終わるかと期待されたが、結局この1件に終わった。平成22年度は2件となった。一般の食中毒事件が減少していないことを考えると奇跡に近い激減である。

 このように激減したのは、文部科学省の学校給食衛生管理の施策の徹底が功を奏してきたものであり、衛生管理への意識向上の効果が出てきていると見てもいいだろう。学校給食現場で食中毒事件を起こすと日本スポーツ振興センター学校安全部から派遣される実態調査チームが給食調理場に入り、事細かに調査を行う。

 調査は早朝7時 ころから学校給食調理場に入り、栄養教諭、学校栄養職員、調理員らの作業をつぶさに検分し、その行動・所作を点検する。施設・設備の内容から衛生管理に対 する備え、食材の納入の状況から調理する際の手順や衛生管理への配慮などがきちんと行われているかどうか、派遣された委員は調理場のあちこちに移動しなが ら黙って検分するものである。

  今年もまたこの調査が実施されるが、この日の会議ではどのような調査内容にするべきか、また調査の日程などについて討議をした。中毒事件が年間に1件も発 生しないというのが目標だが、そこまでいかなくても年間数件という被害最小を維持できれば学校の食の安全はほぼ達成されるものだ。今年も調理場の人たちと 一緒になって頑張りたい。

 

文部科学省・学校給食衛生管理委員会の開催

                               

                 

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 文部科学省が1996年に設置した「学校給食における衛生管理の改善・充実に関する調査研究協力者会議」(学校給食衛生管理委員会)の今年度の第1回会議が6月29日、文部科学省で開かれ、学校給食現場での食中毒の発生状況、今後の衛生管理について論議を行った。

 この委員会は、大阪府堺市の学校給食で発生したO157による食中毒事件で7人の児童の死亡者を含む7178人の感染者を出したことを受けて、当時の文 部省が設置した委員会である。それ以来筆者は16年間にわたって委員を務め、学校給食の調理場へも数十回、足を運んできた。

 今年6回目を迎える「全国学校給食甲子園大会」の開催を決めたのも、委員としての活動を続けているうちに、学校給食現場で日夜頑張っている栄養教諭、学校栄養職員、調理員たちを元気付けてやりたいという気持ちが自然と芽生えたからでもある。

 この日開かれた委員会では、昨年度発生した2件の中毒事件を総括した。昨年度は、2月8日まで食中毒事件の発生はなく、史上初めて「学校給食の食中毒事 件ゼロ」という画期的な記録を達成するかに見えた。しかし2月9日に北海道岩見沢市で、続いて2月25日に群馬県吉岡町で相次いで食中毒事件が発生した。

 発生原因はいずれも、サルモネラ・エンテリティデス菌である。最近の食中毒事件はノロウイルスによるものが多いが、このような古典的な中毒菌による発生にはショックを受けた。なぜ、今頃になってサルモネラ菌の食虫毒事件が発生したのか。

 委員会でもこの対策をめぐって論議され、今後の衛生管理はやはり初歩からの徹底という点で一致した。今年度に入ってから、さる6月10日に千葉県柏市で カジキマグロのヒスタミン中毒事件が発生している。カジキマグロの冷凍管理の不適切で発生する中毒であり、生産者側に大きな責任があるだけに流通業界全体 で取り組まなければ根絶は難しい。

 こうした現状を見ながら対応策を立てる方策について様々な意見が出され、今後の衛生管理について引き続き積極的に取り組むよう現場に厳しい目を光らせることを確認して委員会を終了した。

 

食の安全に関する実態調査委員会

                               

                 

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  学校給食の安全に関する実態調査をまとめている独立行政法人日本スポーツ振興センターの食の安全委員会が、6月23日開催され、平成22年度の報告書 の骨格と内容を検討した。22年度に実施した実態調査校は3校あった。ノロウイルスによる食中毒事件を起こした学校が2校、ヒスタミン中毒発生校が1校で ある。

 ヒスタミン中毒は、キハダマグロのフライで発生したもので、またかという感じがした。というのもキハダマグロのヒスタミン中毒はよく発生するために、学 校給食では使わない現場が増えていると聞く。危うきに近寄らずである。食材はいくらでもあるのだから、何もこのマグロを使う必要はない。

 しかも中毒事件発生の経過を見ると、食材を検収したときにすでに「いつもと色が違って茶色っぽい」と感じ、校長や学校栄養職員と相談。業者にわざわざ問 い合わせている。しかし業者は、「品質に問題はない」と回答。翌日に解凍してフライにしたが、その際にも栄養士や調理員は、味見を数回繰り返し、異常がな いとして子供たちに提供した。

 ところが、食べてから間もなく、口の周りが赤くなり、かゆみが出てきた子供がいた。その後も次々と同じような症状を訴える子供と教師が出てきたために保 健所に連絡した。保健所が回収したキハダマグロと調理済みのフライなどを調べたところヒスタミンが検出され原因が判明した。

 ヒスタミンはマグロ類の魚などの鮮度が劣化状態になったときに発生するたんぱく質の一種で、食べると一種のアレルギー反応が出てくることがある。学校給 食現場では、ヒスタミンが発生しやすい魚はできるだけ使わないようにしているところが多いが、それでも毎年のようにヒスタミン中毒事件が発生している。

 ノロウイルスは手洗いの不十分さが原因であることが多く、今年の実態調査でもこの点が重点的な検討課題となっている。

 

健康教育行政担当者研修会で給食甲子園を説明

                               

                 

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 文部科学省がオリンピック青少年センターで開催している健康教育行政担当者研修会で、5月31日、第6回全国学校給食甲子園大会の開催説明を行った。

 都道府県と政令都市の行政担当者が出席している研修会であり、文部科学省の配慮で第6回大会のスケジュール、応募要項などについて説明したものだ。

 今年の大会は、11月5日、6日で、例年通り東京の女子栄養大学駒込キャンパスで開催される。出場校の応募期間は、7月1日から8月10日までである。応募内容は、第3次審査までで各ブロック代表に絞り込み、最終的には6ブロック12代表が優勝をかけて熱戦を展開する。

 地区代表表彰式は10月上旬に2か所で開催される。今年は大震災の影響もあって被災地では盛り上げるに欠けることが心配されている。しかし学校給食は、被災地でも普及への取り組みが早いので、甲子園大会への応募も期待している。

健康教育行政担当者会議情報交換会の開催

                               

                 

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 子供の健康教育を担当する47都道府県、政令都市などの健康教育担当者が東京に集まり、文部科学省の主催で研修会を開催している。その担当者らの情報交換会が5月30日に霞が関ビルで開催され、昼間の研修業務から離れた楽しい交歓会となった。

 参加した担当者は、各県のスポーツ健康課の管理職や学校給食担当の管理職であり、交歓会では互いの活動状況を語り合ったり情報を交換する場となった。自己紹介もあったが、単に名乗って仕事の紹介をするのではなく、趣向を凝らす自己紹介となった。

 その趣向は、鹿児島県・与論島に伝わる「与論献奉」という伝統的な交歓儀式である。与論島の銘酒であるサトウキビを材料にした焼酎「有泉」を盃に注ぎ、自己紹介をした後、その盃を一気に飲み干して盃を逆さに振って全部飲んだことを示す。

 盃に焼酎を注ぐ人は「親」を名乗り、焼酎を飲み干す人は「子」となる。焼酎を注いで飲んでもらうといっても強制して飲ませるわけではなく、飲めない場合 は子が親に盃を返して飲んでもらう。筆者が親に指名されて焼酎を注ぐ役割だったが、盃を返されると飲めない筆者としては困る。

 しかしそうなったときには、文部科学省学校健康教育課の森泉哲也調査官がさっとお出ましになって、一気に飲んでくれる。そんな交歓会であったが、これが何とも楽しいコミュニケーションの場になり、自己紹介も楽しい雰囲気となった。

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 この与論献奉は、先ごろ与論島で栄養教諭の研修会が開かれた際に田中延子学校給食調査官、筆者らが与論島教育委員会のスタッフの人々や平田さおり栄養教諭らとの交歓会で歓待されたときに体験した伝統的な島の作法だった。

 これを今回の研修会の交歓会に取り入れたもので、焼酎も与論島から取り寄せた「有泉」であり、南の果ての文化が東京のど真ん中で華が開いた格好になった。

 

「第6回全国学校給食甲子園大会」の実行委員会の開催

                               

                 

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 第6回全国学校給食甲子園大会は、11月5日(土)、6日(日)の二日間、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催されることが、この日の実行委員会で決定した。

 これまで毎回、全国から1000校(給食センター)の応募があったが、、今年は東日本大震災の影響もあってかなり応募数は減少する可能性が強い。1000校を切る可能性もあるが、大会は例年通りに開催する。

 来月 20日(金)の午後2時半ころからTBSラジオで、給食甲子園大会について筆者が様々な話題を語ることになっている。年を追うごとに大会は注目度を増しており、今では給食関係者で甲子園を知らない人はいないほどになった。

 いずれ近隣諸国の代表校も加えた国際学校給食甲子園大会を目指すことにする。 目標は、第10回大会である。

全国学校給食甲子園大会の2011年開催のスタート

                               

                 

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 毎年、1000校・施設が参加している全国学校給食甲子園大会の2011年度の開催要項案を決めるミーティングが、4月22日行われ、実行委員会に提案する骨子を決めた。

 毎年、決勝大会の会場は、女子栄養大学駒込キャンパスになっているが、今年は大学の都合で11月上旬しか会場が空いていないため、どのように開催日程を決めるかが大きな課題になっている。

 今年は大震災があったために東北・関東の一部の県では、学校給食も思うようにできず、甲子園大会に参加することも非常に難しい県と地域がある。また支援している企業も、大震災の影響があって思うようにいかない事情もあり、今年は試練の大会になりそうだ。

 といっても大会開催を期待する学校関係者も多く、これに応えるためにも主催者・事務局が一体となって取り組むことを確認した。

 

食の安全に関する実態調査

                               

                 

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学校における食の安全に関する実態調査が、2011年2月2日、3日の両日、東京都足立区で行われ、同区立伊興小学校などの学校給食現場を視察した。

 学校給食の食中毒事件は、20年ほど前には年間数十件も発生して半ば常態化していた。その後、文部科学省が衛生管理の徹底に乗り出し、金田雅代さん、田中延子さんという優れた2人の調査官を繰り出し、全国の学校給食調理場の衛生管理改善に取り組んだ。

 その効果が出始めており、昨年度の学校給食での食中毒事件は、わずか1件、今年度の発生は2月4日現在ゼロとなっている。1年間を通じてゼロとなればもちろん史上初である。

 今回の調査はこれとは直接関係ないが、伊興小学校の調理場の施設・設備を視察し、さらに午前7時から調理場に入り込んだ実態調査委員たちが衛生管理や調 理のあり方を見て、指導助言を行った。筆者は委員の一人として主として校長先生が取り組んでいる管理責任などについて聞き取り調査を行い、様々な意見交換 の場となった。

 

優勝は岐阜県代表、準優勝に富山県代表

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 第5回全国学校給食甲子園決勝大会が12月12日、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催され、 岐阜県代表の郡上市白鳥学校給食センターの白瀧芳美さん、見付清美さんが1817校の頂点に立って優勝した。準優勝は、富山県代表の砺波市学校給食セン ターの亀ヶ谷昭子さん、山田久美子さんだった。

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深紅の大優勝旗は、筆者から岐阜県代表の白瀧芳美さんの手に渡った。
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優勝した白瀧さんは、大勢の報道陣に囲まれ、喜びのコメントを語った。
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惜しくも準優勝となったのは、富山県代表の2人。サラヤ賞を受賞して記念撮影
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女子栄養大学特別賞には、香川県代表の高松市立国分寺南部小学校の宮武千津子さん、間嶋みどりさんが受賞した。受賞後に女子栄養大学の香川芳子学長(左から2人目)、金田雅代教授(左端)、小川久恵教授(右端)らと記念撮影。真ん中が宮武さん右に間嶋さんである。
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特定非営利活動法人21世紀構想研究会特別賞に輝いたのは、鳥取県代表の鳥取県東伯郡三朝町、三朝町調理センターの山下恵さんと山根里美さんである。筆者から賞状を受け取った。
               
                                
                                 

全国学校給食甲子園決勝大会の前夜祭を開催

  

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前夜祭で勢ぞろいした12代表の選手たち

 第5回全国学校給食甲子園決勝大会が、12月12日、東京駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催されるが、その前夜祭が同大で開催され、出場選手の紹介発表会などで大きく盛り上がった。

 このブログでも紹介しているように、全国6ブロックから12校・施設の代表が決勝大会に出場する。今年は、全国から1817校の応募があり、第3次審査までをくぐり抜けた12代表が、12日に同大で開催される決勝大会で優勝、準優勝、特別賞などを決める。

 この日の前夜祭では、出場する選手24人全員がステージにあがって挨拶。その後、文科省、農水省関係者ら後援団体からの挨拶があった。そして選手代表が、自己紹介もかねてそれぞれの日ごろの活動や自慢の地場産物、そして決勝大会で作る献立の内容などについて披露した。

 どの代表もポスターや写真などビジュアルな方法を使って、日ごろの活動をPRし明日の健闘を誓った。筆者は毎年見ているが、年々、この自己PRもレベル が上がっており、見ていて楽しく勉強になる内容が多くなった。また、栄養教諭、栄養職員、調理員らの表情や動作にも余裕が出てきており、このようなイベン トも回を追うことによって、段々と洗練されていくように感じた。

 12日は午前9時半過ぎから開会式が行われ、1時間かけて自慢の献立の料理を作成し、深紅の大優勝旗を争う。今年はどの県の代表が勝ち取るか。楽しみである。

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新潟県代表は、昨年優勝した同じ上越市の栄養教諭から贈られた兜をかぶり、健闘を

誓った。兜は、上越市ゆかりの戦国時代の雄、上杉謙信の出陣にあやかったものだ。

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第1回大会から第5回大会まで連続して出場している香川県代表。

悲願の優勝を勝ち取ることができるだろうか。自己紹介にも力が入っていた。

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選手宣誓を引き当てた東京代表の菅野幸さん(中央)。選手宣誓をした選手は、

過去4回のうち2回優勝しているだけにゲンのいい役回りとなった。

                                 

第5回全国学校給食甲子園決勝大会の準備が完了

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 第5回全国学校給食甲子園決勝大会が、12月12日、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催されるが、その最終準備の確認作業が12月7日に行われた。

 今年は1817校という過去最大数の参加校があったが、その中から厳選された12校が決勝大会に駒を進めた。地域を代表する給食調理場から出場するので、いずれも地元の期待を背負っての決勝大会出場である。

 写真で見るように試合当日に着る色違いのエプロンや都道府県名が入ったゼッケンも出揃い、準備は整った。12月11日の夜は、前夜祭として各代表が地元のPRを行い、選手宣誓の抽選を経ていよいよ12日午前10時には試合開始となる。

 今年もまた、新たな感動ドラマが出てくるだろう。どの代表が優勝してもおかしくない魅力的な献立であり、当日の熱戦が待ち遠しい。

 

学校における食の安全に関する実態調査委員会の開催

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  「学校における食の安全に関する実態調査委員会」の今年度の第1回委員会が、11月16日、国立霞ヶ関競技場会議室で開かれ、今年度の実態調査の計画が策定された。

  この委員会は安心・安全で健康にもいい学校給食のあり方と衛生管理について指導・助言する委員会である。特に食中毒事件を起こした学校や調理場などに調査に出向き、聴き取り調査を行っている。

  今年度は、青森県、東京都、札幌市の3つの施設を訪問してその実態調査を行う方針である。いずれも食中毒事件を起こした学校であり、発生した経過と対応、その後の中毒防止への取り組みや施設の改善などを調べる。

  実施する時期は、来年早々になる予定であり、調査結果は「実態調査報告書」としてまとめ、来年夏ごろまでに発刊する予定である。

学校給食研究協議会の分科会の開催

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 香川県高松市で開催された文部科学省など主催の第61回全国学校給食研究協議大会の分科会が、11月12日開かれ、活発な論議を展開した。

 筆者は第1分科会「学校給食を活用した家庭への食育の普及」のテーマの指導・助言者を委嘱されて出席し、質疑に参加しコメンテーターとして発言した。

 この分科会ではまず、香川県三豊市立詫間中の大矢美智子栄養教諭、徳島県石井町立石井中の乾久美子栄養教諭が、日ごろの食育活動の取り組みを報告し、実績と課題を提起した。

 お二人の発表内容は、最近の生徒の中に朝食抜きで来る人が増えていることから、朝ごはん抜きを減らしていく取り組みが1つの焦点として発表された。育ち盛りの生徒が朝ごはんを抜くと、栄養素の不足が出てくるし栄養バランスも崩れる。

 朝ごはんをしっかりとることは生徒たちの生活サイクルを正常に し、学習やその他の活 動を活性化する。2つの中学はその取り組みで着実に朝ごはん抜きを減少させ、ほとんどゼロに近づけることに成功した。また、家庭と地域との連携を重視して 交流することで、地場産物を給食に取り入れる意義を理解し、食に対する意識の向上を果たす役割をしたと報告した。

 また2人の発表者は、それぞれの地域の食育推進活動を報告し、家庭・地域と学校、児童・生徒との連携について具体的な活動内容を紹介した。そして残されている課題についての整理して発表した。 

 筆者は総括コメントとして、5点をあげた。まず第1に発表者のパワーポイントを使用し た内容は、過不足なく取り組みと実績、課題を簡潔に整理して説明しており、素晴らしい発表であることを称えた。2点目は、食は文化であることを改めて認識 し、学校給食がその文化の原点になりつつあることを実感したと発言した。地場産物と生産者、父母と児童・生徒、家庭とのつながり、そこに芽生える社会的な つながりが食の文化として形成していくことを指摘した。

 第3点は、食育は地域ブランドを醸成する活動であることを認識し、地場産物、郷土料 理、地域ブランドという3要素が食の知的財産へと発展している実感を持ったことを発言した。4点目は栄養学の進歩とともに学校給食のあり方も進歩しなけれ ばならないとする観点を示した。最近、低体重児の出産による弊害が新しい学問の創造となって出てきている。

 たとえば「小さく産んで大きく育てる」という日本の格言は間違っており、妊婦の栄養摂 取の見直しが行われている。またアトムバランスという原子・分子レベルで追跡する新しい栄養学が創設されており、そうした動きと学校給食現場は無縁ではな く今後も進歩しなければならないとの認識を示した。

 さらに5つ目として栄養教諭の役割の重要性と期待に言及した。栄養教諭は、学校の教諭の中では最も対外折衝の多い教諭である。校長、教頭よりも多いかもしれない。地域の生産者、農協と漁協、行政機関、納入業者らとの折衝があり、安全な給食を提供するために学校医、学校薬剤師、行政機関、保健所などと連絡したり連携する必要がある。

 さらに給食を通して食育、産業、生物、環境などの学習をするために行政機関や様々な団体や機関と連携しなければならない。こうした活動の理解度を高めてもらうためには、生産者や父母を対象に成果を発表する機会も自ら企画して実行しなければならない。

 栄養教諭が関係している個人や機関を整理してみると40を超えている。その役割については、このブログでも報告したことがある。このような対外折衝を通じて社会との接点が多い栄養教諭の役割に私たちも理解を示し、今後に期待することを述べて締めくくった。

第61回全国学校給食研究協議大会の開催

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 文部科学省、香川県などが主催する第61回全国学校給食研究協議大会が、11月11日から香川県高松市で開催され、全国から約1000人の栄養教諭ら学校給食関係者が参加し、発表と討論が展開された。

 この日はまず、文部科学大臣らの挨拶のあと文部科学大臣表彰が行われ、全国の47施設、17個人が、長年、学校給食の普及発展に功績があったとして表彰状を授与された。

 筆者は、この大会の分科会の指導助言者として招かれたもので、11月12日の第1分科会「学校給食を活用した家庭への食育の普及」をテーマに発表と討論を行うときの助言者になる。

 10日にはその事前打ち合わせも行われたが、地域の特性を生かした学校給食が全国各地で展開されていることを改めて実感した。

 知的財産権の視点で見ると各地の地場産物と郷土料理は、重要な地域ブランドである。地場産物は、生鮮市場でそれなりに評価されているが、郷土料理 は地域ブランドであるという意識はまだまだ薄い。日本列島どこへ行ってもコンビニ、スーパーなどが散在し、そこに並んでいる食品群は標準化された大手企業 のインスタント、レトルト商品が席巻している。

 そうした中で、学校給食が果たす役割は、郷土の地場産物を利用した伝統的な郷土料理の継承という色合いが段々強くなっているように感じる。食の文 化に芽生える新しい価値観である。学校給食の中で生きている郷土料理をブランド化し、全国に知ってもらう運動をすることを筆者は考えている。

 NPO法人21世紀構想研究会が主催する「全国学校給食甲子園大会」もこのような流れを作るものと位置付けており、食文化・学校給食・地域ブランドというキーワードで新しい知的財産権を考える場にするのが筆者の狙いでもある。

 11日の全体会議の中で、香川県宇多津町立宇多津小学校の愛染麻水栄養教諭、真鍋由美教諭、山地朋子養護教諭の3人が、「望ましい食生活を実践できる児童生徒の育成」~学校給食を中心に家庭・地域をつなぐ食育の推進~とするテーマで日ごろの活動を発表した。

 学校と地域が一体となった食育推進活動は素晴らしいものであり、望ましい食生活が定着していない課題はあるが、日本の地域社会の優れた点を見せてくれたように感じて嬉しかった。

学校給食甲子園決勝大会の12代表決まる

     きたる12月11日、12日に東京都文京区の女子栄養大学駒込キャンパスで行われる第5回学校給食甲子園大会の代表12が決まった。

 今年は史上最多の1817の応募件数があり、3次審査までの激戦を勝ち抜いた代表だけに素晴らしい献立内容になっている。 

北海道・東北ブロック  

道県

施設名

献立

青森県

黒石市立六郷小学校・学校栄養職員・宇野由香子さん

りんごごはん、牛乳、たまごのココット風、五目きんぴら、ほたてスープ、りんご

福島県

鮫川村学校給食センター・学校栄養職員・芳賀公美さん ごはん、牛乳、ぶた肉の唐揚げ~大豆ソースがけ~、じゅうねん卵入りサラダ、かぼらいすいとん汁、ミニトマト
関東ブロック  

都県

施設名

献立

東京都

檜原村学校給食共同調理場・学校栄養職員・菅野 幸さん

雑穀ごはん、牛乳、とびうおのさつま揚げ、檜原里芋と檜原こんにゃくのピリカラ煮、小松菜と白菜の味噌汁、みかん

栃木県

宇都宮市立豊郷中央小学校・学校栄養職員・坂本治己さん

古代米おこわ、牛乳、米粉と豆腐のかき揚、さっぱりあえ、ゆばの味噌汁、いちごゼリー

甲信越・北陸ブロック  

施設名

献立

新潟県

上越市立春日小学校・栄養教諭・山本雅代さん ごはん、牛乳、めぎすのから揚げ、切干大根の焼きそば風いため、ひたし豆、あつめ汁、花みかん

富山県

砺波市学校給食センター・栄養教諭・亀ヶ谷昭子さん 古代米入りご飯、牛乳、富山の幸かき揚げ、地場産野菜の炒め物、となみ野汁、うさぎりんご
中部・近畿ブロック  

府県

施設名

献立

愛知県

幸田町学校給食センター・栄養教諭・伊藤恵美さん さっぱりなすじゃこごはん、牛乳、なすのベーコン巻フライ、野菜の昆布和え、根菜汁、なし

岐阜県

郡上市白鳥学校給食センター・栄養教諭・白瀧芳美さん 麦ごはん、牛乳、あゆとあまごの梅とろり、かみかみあえ、じんだみそ汁、郡上のくだもの
中国・四国ブロック  

施設名

献立

鳥取県

三朝町調理センター・栄養教諭・山下 恵さん 漬けもんずし、焼きのり、牛乳、千草焼き、おかか和え、湯葉のすまし汁、アイスクリーム

香川県

高松市立国分寺南部小学校・栄養教諭・宮武千津子さん ごまごはん、牛乳、オリーブはまちの香草焼き、大根サラダ、しょうゆ豆、具だくさんふしめん汁、みかん
九州・沖縄ブロック  

施設名

献立

佐賀県

嬉野市塩田学校給食センター・学校栄養職員・阿部香理さん お茶ごはん、牛乳、冬瓜のうまか味噌だれ、ミニトマト、うったち汁、いちご羊羹

長崎県

峰学校給食共同調理場・栄養教諭・佐田マキさん やまねこの里の赤米ご飯、牛乳、対馬ごま味噌焼き(漁火焼きとぼたん焼き)、紅白かぶの甘酢和え、ろくべえ、豆酘みかん

北海道・東北と関東ブロックの決勝大会出場校発表

      

 

 第5回全国学校給食甲子園大会(主催・特定非営利活動法人21世紀構想研究会)の北海道・東北および関東両ブロックの地区代表表彰式と決勝大会出場校の発表会が、11月3日、仙台市のKKRホテル仙台で行われ、15校の表彰と決勝大会に進出する4校の発表が行われた。

 今年は全国から1,817の応募があり、過去最高を記録し予選審査でも激戦だった。北海道・東北、関東両ブロックでは439校の応募があり、そのなかを勝ち抜いた代表が次のように決まった。

北海道・東北ブロック

青森県 黒石市立六郷小学校 (学校栄養職員・宇野由香子さん)
福島県 鮫川村学校給食センター (同・芳賀公美さん)

関東ブロック

東京都 檜原村学校給食共同調理場 (同・菅野 幸さん)
栃木県 宇都宮市立豊郷中央小学校 (同・坂本治己さん)

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 決勝進出を決めた4校の栄養教諭は、ガッツポーズをとりながら、深紅の大優勝旗を是非持ち帰りたいと豊富を語った。

 この日表彰された15校の献立は、いずれも大変魅力的な内容であり、決勝進出を決めた 4校は紙一重で勝ち取ったものだ。それだけに喜びも大きく、2年連続で決勝大会に出てくる福島県 鮫川村学校給食センター の芳賀公美さんは、発表されるとこみ上げる感激にむせびながら「頑張ります・・・」としぼり出すように語ってくれた。

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 表彰式の後に全員で記念撮影をし、このあと懇親会を開いてお互いに情報を交換したり学校給食や食育の活動を語り合うなど有意義な会だった。

 先月30日には、甲信越・北陸ブロックと中部・近畿ブロックの決勝大会進出校が発表されており、これで12校のうち8校が決まった。残りの九州・四国ブロックの代表発表は、6日に福岡市で行われる。

甲信越・北陸ブロック代表

新潟県 上越市立春日小学校 (栄養教諭・山本雅代さん)
富山県 砺波市学校給食センター (同・亀ヶ谷昭子さん)

中部・近畿ブロック代表

愛知県 幸田町学校給食センター (同・伊藤恵美さん)
岐阜県 郡上市白鳥学校給食センター (同・白瀧芳美さん)

                
                               

全国学校給食甲子園大会の審査が大詰め

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 第5回全国学校給食甲子園大会の応募は、1817にのぼり過去最高となった。決勝大会は12月12日(日)に東京の女子栄養大学駒込キャンパスで行われるが、その審査が10月19日、女子栄養大学で行われた。

 決勝大会へ進む12代表はまだ未定であり発表はしていないが、今年も非常にレベルの高い応募内容であり、いずれ激戦になることは必至である。この日の審査でも、審査委員がまるで難問を解くような真剣な眼差しで取り組んでいた。

 決勝大会進出代表は、今月下旬から地域ごとに発表される予定である。決定次第、この欄でも紹介したい。

 

第5回全国学校給食甲子園大会の応募は1817で過去最高

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 第5回給食甲子園大会の応募校・施設は、締め切りまでに1817にのぼり、過去最高の応募件数となった。今年は、12月12日(日)に東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで本戦大会が開かれるが、予選から激戦は必死の状況となった。

 9月15日には、女子栄養大学で応募書類の記述確認や栄養素の確認作業が行われた。金田雅代・大会審査員らベテランの栄養士5人の指導を受けながら、女子栄養大学の学生らが確認作業を手伝った。

 1817件数をきめ細かく内容をチェックする作業である。記述されている内容が応募要項に合致しているかどうかなどを確認しながら進めるため、大変手間がかかる。
 これは審査を行う前の段階であり、このような完璧な確認作業をした上で審査を行っていく。

 各担当者は、応募書類と首っ引きで精査し、ベテラン栄養士の先生方が適宜、書類を処理していく。ため息が出るほど膨大な作業である。
 確認作業を手伝っている学生諸君の感想を聞いてみると、「大変、興味ある内容であり勉強になります」と将来の栄養士候補たちも、真剣な表情で取り組んでいた。

 この事前審査である確認作業が終了すると、栄養士の先生など専門家による第一次審査、第二次審査、第三次審査と進んでいくが、今年もまた激戦になるのは必至であり、12月の本戦が楽しみである。

 

激戦の後を振り返った再会

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 和歌山市で開かれた第51回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会の第7分科会、「食に関する指導部会 -学校と家庭・地域の連携推進-」に、全国学校給食甲子園大会で入賞した栄養教諭が偶然、4人参加していた。

 しかも、この分科会の指導助言者は、前文部科学省学校給食調査官の金田雅代・女子栄養大短期大学部教授と市場祥子・全国学校栄養士協議会会長の2人であるが、この2人とも給食甲子園大会の審査副委員長である。

 分科会の前半が終了したところで、再会を記念する写真を撮影した。
 写真は前列指導助言者の金田先生(左)、市場先生。後列の4人は左から、第4回大会の入賞者の香川県三豊市立詫間中学校栄養教諭の大矢美智子先生、同じ く第4回大会入賞者の徳島県勝浦町学校給食センター栄養教諭の早川良子先生、第3回大会優勝者の岐阜県多治見市共栄調理場栄養教諭の松原恵子先生、第2回 大会の準優勝者の滋賀県守山市立守山小学校栄養教諭の広田美佐子先生。

 4人は、それぞれの県内の栄養教諭のリーダーになっており、さすがに給食甲子園大会へ地域代表として出てきた貫禄は十分である。この日の分科会でも、それぞれの地域での食育推進への取り組みを発表していた。

 

栄養教諭全国大会2日目の分科会

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 和歌山市で開かれている第51回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会の2日目は、会場を10ヶ所に分かれて分科会を行った。筆者は、第7分科会の「食に関する指導部会 -学校と家庭・地域の連携推進-」に参加して、討論に加わった。

 この分科会の指導助言者は、前文部科学省学校給食調査官の金田雅代・女子栄養大短期大学部教授と市場祥子・全国学校栄養士協議会会長の2人である。
 まず活動の事例として愛知県田原市立赤羽根小の伊與田敬子栄養教諭、和歌山県田辺市立三栖小の田上成美栄養教諭の2人が、それぞれの活動内容をパワーポイントで示しながら行った。

 伊與田教諭らの活動で特色があったのは、地元の生産者の主婦ら約20人が組織した学校給食支援グループ「にんじんの会」との連帯した活動である。 このような組織は、全国いたるところにあるが、田原市の場合も活発な活動を通じて地元の農産物を給食に提供し、学校と地域と一体になって食育を推進する事 例である。

 「にんじんの会」の指導と協力を得ながら児童・生徒たちがナス、スイカ、とうもろこしを栽培し、みんなで収穫して食べることで感謝の気持ちが芽生え、親子の絆も深まったという。

 また、梅干作りをしたり、海水から塩を作ったり、温室メロン栽培にも挑戦して、見事なメロンを収穫した。地元の漁師からは魚のさばき方を教えても らうなど地域の連帯感がいっそう強くなっていったようだ。子供たちが自分たちで作った煮干、塩、ねぎ、しょうがを材料に、うどんを作って食べたそうだが聞 いていてご馳走になりたい気分だった。

 田上教諭の方は、梅と温習みかんの産地にある学校での活動だが、小中学校のアンケート調査で意外だったのは便秘である。
 2日~3日に便通が一回程度の児童・生徒は、小学校で43パーセント 中学校で47パーセントもいたという。食物繊維の摂取不足や朝食の充実が図られていないことが原因ではないかとの問題提起があった。

 食育推進の活動では、幼稚園から取り組むことで好き嫌いなしに何でも食べることを目標にしており、特に重点的に取り組んだのは朝ごはんだった。 
 朝食を抜きにする子供たちが全国的に増えている。最近は塾や稽古事、テレビなどで夜遅くまで起きている生活習慣が定着し、朝起きることが辛くなって朝食を食べる時間もなくなってしまう。

 文部科学省では、「早寝、早起き、朝ご飯」をスローガンに、朝食を摂取するように運動を広げている。

 田上教諭らの活動のスローガンは、「しっかり食べよう朝ご飯」となっており、積極的に朝食を取ろうとする姿勢が、このスローガンにも込められている。
 「朝ご飯はとりあえず食べればいいという考えではなく、きちんと一食作って食べることが大事だという考えを実践している」と発表した。
 また地場産物の購入も、生産者らに働きかけることによって飛躍的に増えてきており、今後は農産物から水産物へ広げる目標を掲げていた。

 討論の場面では、各地の栄養教諭がそれぞれの活動を発表して意見を述べたり討論する展開となり、活発で実り多い分科会だった。

 この分科会の発表者のパワーポイントは、大変よくまとまっており、聴衆に理解してもらい自分の意見や考えを訴える力もある素晴らしいものだった。
 昨年の大会でも同じようにパワーポイントの内容は素晴らしい出来栄えであり、食材を活用して献立を作る栄養士の思考過程には、パワーポイント作成の素養が自然と備わってくるのではないかと筆者は思ったくらいだった。

        

第51回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会の開催

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 第51回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会が、8月5日から2日間、和歌山市の市民会館などで開催され、全国から約1000人の栄養教諭や学校給食関係者が集まり、シンポジウムや分科会で意見表明と討論を行った。

 今年の大会テーマは、「栄養教諭を中核とした学校における食育の推進 ~紀の国わかやまから 食育の風を全国に~」。文部科学大臣、和歌山県教育 長、全国学校栄養士協議会会長などの挨拶のあと、和歌山県知事、和歌山市長などの祝辞が続き、文部科学省の田中延子学校給食調査官の「学校における食育の 中核としての栄養教諭の役割」とする講演が続いた。

 午後からは、和歌山県有田川町が取り組んでいる「栄養教諭がコーディネーターとなり学校・家庭・地域が一体となって取り組む食育の推進」が実践活動として発表された。
 さらに「世界的視野をもった栄養教諭を目指して」とするシンポジウムが開催された。

  

学校給食の安全に関する実態調査報告書

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 独立行政法人日本スポーツ振興センターがまとめた平成21年度の「学校における食の安全に関する実態調査報告書」がこのほどまとまり刊行された。

 学校給食現場の食中毒事件は、衛生管理が徹底してきた効果が出て、年々減少しており、平成21年度の発生は1件に留まった。これは奇跡に近い実績である。

 このような効果が出ているのも、文部科学省が衛生管理で多くの指導・通達を出して現場の衛生管理の意識向上に拍車をかけているだけでなく、現場を守る栄養教諭、栄養職員、調理士たちのたゆまぬ努力が両輪となって出ている効果である。

 今回、刊行された報告書では、カジキマグロなどによるヒスタミン食中毒事件について3件をまとめて取り上げている。
 細菌、ウイルス性の食中毒事件ではなく、調理する食材による中毒事件は、事前の準備段階で対応策をきちんとすれば予防できるものだ。

 中毒事件を起こした調理現場を視察すると、多くの場合、事件と結びついた原因が解明できると同時に施設の不備が指摘される。つまり起こるべきして起きた中毒事件であるという場合が多い。

 特に地方の学校の給食施設は、老朽化しているものが多く、学校施設そのものがお粗末としか言いようのないものも多い。次世代を担って育ってくる子 供たちの教育施設だけに、もう少しお金をかけてもいいのではないか。今のようなお粗末な学校施設では、教員もいい人材が集まらないのではないかと思う。

 初等教育にもっとお金をかける国つくりを目指すべきである。

               

学校給食甲子園大会実行委員会の開催

         

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全国学校給食甲子園大会実行委員会が、5月27日に東京国立博物館の会議室で開催され、今年の実施要綱の細目を決定した。            

 今年の開催は、例年より1ヶ月遅れで、12月11日(土)の前夜祭、同12日(日)の決勝大会となる。会場は例年と同じ女子栄養大学駒込キャンパスである。

 決勝大会はこれまで、60分で5食作るルールになっていたが、今年から70分で6食作ることになった。大会開始前に10分ほどかけて、手洗いを十分にする時間をとることになった。

 また今年から予選会表彰式を実施する。これは全国を仙台、名古屋、福岡の3つのエリアに分け、各会場で表彰式を行う。表彰されるのは、第一次予選を通過した47都道府県代表校の栄養教諭もしくは栄養職員と調理員である。

 さらにこのとき、2次予選を通過した学校を発表する。全国6ブロック、24校である。さらにその中から選抜された6ブロック代表の12校が発表される。この発表で地域の人々の大会への熱が一挙に盛り上がるだろう。今年も激戦が予想されるが、今から楽しみである。

                                                         

栄養教諭の役割を改めて認識した

     「生きる力をはぐくむ食育の推進と学校給食の充実」をテーマに、滋賀県大津市で開催された「第60回全国学 校給食研究協議大会」(主催・文部科学省、全国学校給食会連合会など)に全国から1000人を超える栄養教諭、学校栄養職員が集まり、2日間に渡って全体 会と10の分科会に分かれて活発な討論を行った。この大会に参加して、多くの栄養教諭と意見交換する機会があった。

 21世紀構想研究会が主催する「全国学校給食甲子園大会」は、どのようにして地場産物を学校給食に取り入れているかを競う大会である。地元の新鮮でおいしい食物を子どもたちに食べさせるために栄養教諭たちは日夜努力を重ねている。

 筆者は今回の研究協議大会で「学校給食における地場産物の活用方策」をテーマにした分科会に参加して討論に加わった。佐賀県、滋賀県、福井県の代表がそれぞれの地域で展開している地場産物の活用の報告を聞いて、栄養教諭の役割が一層明確になってきたと思った。

 栄養教諭が日常的に連携している人や機関をまとめてみると次のような表になる。

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 さらに栄養教諭が関わる行事は多彩である。給食試食会、青空給食、給食週間・月間の行事、農業・漁業祭、招待給食会などこれもまた次の表で見るように、年間15行事は超えている。

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 このような役割と活動状況をみると、栄養教諭はおそらく学校教員の中で最も対外折衝と対外活動の多い教員であろう。
 食育推進で設置された栄養教諭だが、その任務が軌道に乗るに従って、これまで例がなかったまったく新しい教員像が生まれようとしている。

 栄養教諭の役割と社会的活動、認識などについて、さらに研究を続けてみたい。

 

学校給食120周年記念表彰で文部科学大臣賞を受賞

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 滋賀県大津市の大津プリンスホテルで開かれている第60回全国学校給食研究協議大会で、筆者は「学校給食120周年記念表彰」として功績のあった10人 とともに文部科学大臣賞を受賞した。思いもかけぬ受賞に感激した。受賞理由として「平素より学校給食の充実に尽力した功績」となっている。

  筆者が学校給食と縁ができたのは、1996年7月13日に大阪府堺市内の小学校の学校給食で発生した「腸管出血性大腸菌O157」(O157)による 食中毒事件であった。2次感染力の強いO157は、1次感染した小学生から家族にまで広がり、患者数は約9500人にのぼり6人が死亡した。

 このとき当時の文部省が、学校給食の衛生管理に問題ありとして調査協力者会議を設置した。主として衛生管理と感染症、病原細菌学者ら約20人で構成した ものだが、その中に筆者も文部省から委嘱されて加わった。当時、筆者は読売新聞論説委員をしており、科学技術庁、厚生省、文部省の行政問題を担当してい た。

政府がこのような委員会を組織する場合、マスコミ界からも1人加えるのが通例になっている。一般社会の目線でものを言うことができるからだろう。 こ うして死亡者まで出した学校給食の食中毒事件という衝撃的な出来事がきっかけで学校給食にかかわることになる。もとより学校給食などまったく縁がなかった のだが、このときの委員会を通して、学校給食のあり方、調理現場の衛生管理、いったん事故が出た場合の責任の所在などさまざまな問題が横たわっていること を知った。

当然、筆者は一般社会常識に照らして辛口だが言いたいことを言ったと思う。それ以来、この委員会は13年を経て今なお継続している。最初の委員会のメンバーで残っているのは、筆者1人ではないかと思うことがあるくらいメンバーが変わった。

この事件をきっかけに、学校給食の調理現場の衛生管理は驚くほど意識が変わっていった。その主導役をしたのは、文部科学省学校給食調査官だった金田雅 代氏と現調査間の田中延子氏の2人であり、現場の衛生管理の意識改革はこの2人の尽力に負うところが多い。学校給食の衛生管理の整備の功績で表彰されると したら、真っ先にこの2人が受けるべきだろう。  大阪府堺市のO157の事件以来、学校で学校給食の食中毒事件が起きると文部科学省は、私たち委員を学校現場に派遣して、聞き取り調査を行わせ、その結 果を衛生管理に役立てる事業を行った。

 その成果は見事なまでに効果をあげ、学校給食の食中毒事件は減少の一途をたどり、その後O157による中毒事件は1件も出ていない。これは全国の学校給 食現場の栄養教諭、学校栄養職員、調理員、教育関係者らの努力の成果であり、日本人の優れた衛生意識を感じることが少なくない。

 今回の表彰は、身に余る光栄という言葉がぴったりする出来事であった。筆者は学校給食との縁ができたことから、4年前に「全国学校給食甲子園大会」とい う学校給食のコンテストを主催する立場になり、今度は地場産物を使ったおいしい給食の実現に力を注いでいる。これもすべてO157事件から始まった縁であ り、今回の表彰とつながっているのだからこれは機縁というほかない。

 食育推進に役立つ社会活動を今後も続けていきたいと思う。

       

学校の食の安全実態調査

  21年度の学校における食の安全に関する実態調査委員会が18日、独立法人日本スポーツ振興センターで開催され、今年の実態調査の対象校などを決めた。

 20年度の学校給食での食中毒発生は、群馬、大阪、東京、北海道、青森の5件になっている。このほかに高知県でパン工場が汚染源と思われるノロウイルスの中毒事件が発生している。

 この日の委員会で、このうち5件について実態調査を行うことを決めた。調査内容は、中毒事件の発生の経過と対応、文部科学省の調査で指摘された改善点の取り組み状況などを聞き取り調査するものだ。

 昨年度はキハダマグロ、カジキマグロによるヒスタミン中毒が3件もあり、この食材の扱い方や鮮度確保にどのような対応策が行われていたかなどが調査の中心になりそうだ。

優勝は上越市の春日新田小学校

    新潟県上越市の春日新田小学校が栄冠 

 準優勝に和歌山市の有功小学校 

 構想研特別賞に青森市の油川小学校 

 女子栄養大学特別賞に富山県高岡市の野村小学校 

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 優勝した上越市立春日新田小学校の冨澤さん(左)と植木さん

 全国の学校、給食センター1552校・施設が参加した第4回全国学校給食甲子園大会の決勝大会が11月8日、東京・女子栄養大学・駒込キャンパスで開催され、新潟県代表の上越市立春日新田小学校(宮澤富美子栄養教諭、植木節子調理員)が初優勝し、深紅の大優勝旗と優勝カップを獲得した。

 準優勝には和歌山県代表の和歌山市立有功(いさお)小学校(高橋啓子栄養教諭、倉八由 佳調理員)、21世紀構想研究会特別賞には青森県代表の青森市立油川小学校(長沼裕美子学校栄養職員、工藤一史調理員)、女子栄養大学特別賞には、富山県 代表の高岡市立野村小学校(串岡美智子栄養教諭、高林登美子調理員)が受賞した。

  この日は午前10時10分の試合開始とともに、一斉に調理が始まった。正味1時間で 5人分の給食を作製するが、調理中の衛生管理も採点の対象になるだけにベテランの栄養教諭・栄養職員、調理員も緊張の連続。狭い調理場には審査員のほかに テレビ局、新聞などマスコミの取材人も入るため、熱気あふれる試合現場となった。

  採点は、衛生管理のほかに出来上がり給食の見た目、献立、地場産物の取り入れや調理 法、味付け、栄養のバランスなど各審査員の専門分野に分かれて採点する方法がとられ、総合点で順位が確定した。  優勝した上越市新田小学校の献立は、卵、たまねぎ、トマト、ピーマン、チーズの手作りの玉子焼きなどで、食材の味がミックスされ彩りもよくおいしいと大 好評だった。

 優勝した富澤さんと植木さんは、「給食の時間になると先生方が全員教室に向かい、子供 たちと一緒に給食の時間を持ち、大変素晴らしい教育をしている。そのような取り組みがあるから子供たちもしっかりと給食を食べて楽しい時間を持てると思 う」と学校全体で取り組んでいる様子を語った。

 準優勝した高橋さんと倉八さんは「この大会へ出ることを子供たちもPTAも教職員もみんなで応援してくれた。その支援があったからいい成績を出せた」と涙のコメントだった。

 

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出場選手全員で記念写真
               
     

給食甲子園大会の出場校の紹介

       第4回全国学校給食甲子園大会の代表12チームの紹介

代表校は趣向を凝らしたプレゼンテーションを行った 

出場ブロック

学校(センター)名・出場者名・住所・電話番号 見出し風献立紹介 献立
北海道・東北ブロック (青森県)
青森市立油川(あぶらかわ)小学校

長沼 裕美子
青森県青森市大字油川字船岡36番地
電話017-788-1202
陸奥湾産「ほたて」に県産牛すき焼き煮で実現する安心・安全 ほたてごはん、牛乳、県産牛のすき焼き煮、ほうれん草と菊のおひたし、二色なめこ汁、りんご
北海道・東北ブロック (福島県)
鮫川村(さめがわむら)学校給食センター


芳賀 公美(はが さとみ)
福島県東白川郡鮫川村大字赤坂中野字宿ノ入34
電話0247-49-2113
「いもがら」「じゅうねん」など地元食材100%献立で育む郷土愛 ごはん、牛乳、ぶた肉のじゅうねん焼き、大豆とりんごのサラダ、いもがら汁、蒸しかぼちゃ
関東ブロック (茨城県)
笠間市岩間学校給食センター


吉田 美紀
茨城県笠間市下郷5109-1
電話0299-37-8500
名物あんこうのみそかつなど茨城の恵みいっぱいの味 むぎごはん、牛乳、あんこうみそかつ、くるみあえ、いもがら入りけんちん汁、りんご
関東ブロック (静岡県)
静岡市立蒲原東(かんばらひがし)小学校


青木 みさ子
静岡県静岡市清水区蒲原666番地
電話054-385-4155
人気メニュー支える桜エビがたっぷり使えるのも地域のおかげ 雑穀おこわ、牛乳、黒はんぺんの磯辺焼き、桜エビとほうれんそうのごまドレあえ、豆腐のくずじる、キーウィのソース添え
甲信越・北陸ブロック (新潟県)
上越市立春日新田(かすがしんでん)小学校


宮澤 富美子(ふみこ)
新潟県上越市春日新田1274番地
電話025-543-4256
本場コシヒカリで伝えたい日本食のごはんの素晴らしさ ごはん、牛乳、タマタマトマピーチーズ焼き、ひじき佃煮、ゴマネーズ和え、打ち豆みそ汁、柿
甲信越・北陸ブロック (富山県)
高岡市立野村小学校

串岡 美智子
富山県高岡市野村405
電話0766-22-3419
体験・給食通じ、人は食べ物の命をもらって生きていることを知る 昆布とお豆のご飯、牛乳、庄川鮭のゆずみそかけ、小松菜のごまあえ、野菜のうま煮、国吉りんご
中部・近畿ブロック (岐阜県)
土岐(とき)市学校給食センター


遠山 致得子(ちえこ)
岐阜県土岐市肥田町浅野17-1
電話0572-54-6195
海のない県だからこそ、一番おいしい旬の魚で苦手克服 五平餅、牛乳、鮭の秋の香あんかけ、もみじおろしあえ、けんちん汁、みかん
中部・近畿ブロック (和歌山県)
和歌山市立有功(いさお)小学校


高橋 啓子
和歌山県和歌山市園部1453
電話073-461-0124
特産の梅酢にこだわったから揚げは臭みなく独特のうまみ めはりずし、牛乳、紀州梅鶏の梅酢揚げ、インゲンとほねくの煮物、ふわふわかき玉汁、みかん
中国・四国ブロック (徳島県)
勝浦町学校給食センター


早川 良子(よしこ)
徳島県勝浦郡勝浦町大字中角字豊田1番地の1
電話0885-42-3096
保存食干し魚に香り良いゆず酢加え寿司にした先人の努力 干魚寿司、牛乳、ごぼうとさつまいものあげ煮、阿波のめぐみ汁、みかん
中国・四国ブロック (香川県)
三豊(みとよ)市立詫間(たくま)中学校


大矢 美智子
香川県三豊市詫間町詫間5796番地1
電話0875-83-2108
「焼き鯛」を家族で分け合う「さつま」に込められた生活の知恵 麦ごはん、牛乳、さつま、金時にんじんの松葉あげ、ブロッコリーの甘酢あえ、そうめん汁、みかん
九州・沖縄ブロック (長崎県)
峰学校給食共同調理場


佐田(さた) マキ
長崎県対馬市峰町佐賀608-1
電話0920-82-0285
捨てるものも工夫し、大切に食べた郷土料理「かしげぇ」 サザエの炊き込みご飯、牛乳、いかのかしげぇ、対馬海幸山幸サラダ、せんちまき
九州・沖縄ブロック (沖縄県)
名護市立屋部(やぶ)学校給食センター


糸数 睦子(いとかず むつこ)
沖縄県名護市字宇茂佐804-8
電話0980-53-0670
健康長寿食に欠かせない巨大屋部大根使ったお汁を伝承 セルフおむすび、牛乳、しらすとゴーヤーの卵焼き、パパイヤイリチー、屋部大根のお汁、たんかん
 
 
     

第4回全国学校給食甲子園大会の前夜祭開かれる

                               

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 国学校給食甲子園大会が11月8日(日)、女子栄養大学駒込キャンパスで開催されるが、その前夜祭が7日午後6時半から、同大で開かれた。

 全国6ブロックから12チームが決勝戦に上がってきたが、1チーム2人の出場選手総勢24人が勢ぞろいして、各校(給食センター)のPRを行った。

 まず、文部科学省の布村幸彦・スポーツ青少年局長が「食育推進からもこの大会は非常に有意義であり、学校給食を国民に理解してもらうためにも意義があるので、皆さん頑張ってください」と来賓を代表して挨拶し、香川芳子・女子栄養大学学長の乾杯の音頭で交歓会が開かれた。

 各地域代表のチームは、それぞれ趣向を凝らしたPRプレゼンを行い、大会での健闘をアピールした。選手宣誓の抽選の結果、今年の宣誓を引き当てたのは和歌山県代表の高橋啓子・栄養教諭だった。過去2回、選手宣誓をしたチームが優勝している縁起のいい役割であり、喜び半分プレッシャー半分という感じだった。

 さて、深紅の大優勝旗と優勝カップをもぎ取るのはどのチームになるのか。明日午前10時から試合が開始される。

学校給食甲子園大会の決勝大会出場校決まる

    特定非営利活動法人21世紀構想研究会が主催している第4回全国学校給食甲子園大会の決勝戦に出場する12の代表が決まった。

 今年は、過去最高の1552校が応募。書類による第1次選考で47都道府県から54校、第2次選考で全国6ブロックから24校を選出、地域性も加味した最終選考で本大会出場12校(給食センターを含む)を決定した。

 本年は沖縄県を始め、青森・茨城・新潟・和歌山・徳島と6県から初出場が実現した。選考の基準は文部科学省の学校給食実施基準をクリアしていること、地場産物の特色を活かし子どもが喜ぶ献立であること、調理場の衛生管理が適正に行われていることなどである。

 学 校給食は、食の文化、食の安全を守り育てる食育の現場であり食の地域ブランドにも密接に関わっている。全国の学校給食で提供されている郷土を代表する料理 を競う大会を通じ、食育を啓発することを目的としており、毎年、新聞・テレビ・雑誌などマスメディアで、大きく報道されている。 

大会期日

平成21年11月7日(土)~8日(日)

7日(土)=出場校顔合わせ及びレセプション

8日(日)=午前・開会式、調理、午後・審査及び成績発表と表彰式、閉会式

会場女子栄養大学駒込キャンパス(東京都豊島区駒込3-24-3) 

<出場校>

<北海道・東北ブロック>

① 青森市立油川(あぶらかわ)小学校(青森県)

②鮫川(さめがわ)村学校給食センター(福島県) 

<関東ブロック>

③笠間市岩間学校給食センター(茨城県)

④静岡市立蒲原東(かんばらひがし)小学校(静岡県) 

<甲信越・北陸ブロック>

⑤上越市立春日新田小学校(新潟県)

⑥高岡市立野村小学校(富山県) 

<中部・近畿ブロック>

⑦土岐(とき)市学校給食センター(岐阜県)

⑧和歌山市立有功(いさお)小学校(和歌山県) 

<中国・四国ブロック>

⑨勝浦町学校給食センター(徳島県)

⑩三豊市立詫間(たくま)中学校(香川県) 

<九州・沖縄ブロック>

⑪峰学校給食共同調理場(長崎県)

⑫名護市立屋部(やぶ)学校給食センター(沖縄県)

 

学校給食甲子園大会 応募数は1542校で過去最多

    第4回全国学校給食甲子園大会は、この11月7日、8日に東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催されるが、8月27日、実行委員会が開かれ、実施内容の細目を決定した。

 まず47都道府県から応募された学校と給食センターは、1542校(センター)に及 び、これは過去最高数である。茨城県が165、岐阜県145、長崎県116が100を超えた。これに対し東京からはわずか4校にとどまり、首都東京の学校 給食現場では、この「甲子園大会」には全く興味を示していないことがわかった。

 これから審査が始まるが、すでに事前審査で基礎データがそろい始めており、今後はベテランの栄養士や栄養教諭などが多数関与して書類審査が始まる。第3次審査までで全国6ブロック12代表校が決まり、11月7日に東京に集結する。

 その日は前夜祭で、12代表校がそれぞれの調理現場の現状を報告したり、地域の地場産物などを紹介するなど大会を盛り上げ、翌8日に女子栄養大学の調理場で、1時間で5人分の給食作成に腕をふるう。

 大会は年々盛り上がっており、今年も地方の新聞、テレビでも大きく取り上げられている。

  

栄養教諭の役割を考える

  平成17年4月から発足した栄養教諭の役割は、国が定めている「職務」ではカバーしき れないほど多岐に渡っていることが最近の活動例から浮かび上がってきた。おそらく、20年後、30年後の栄養教諭の役割は、今とは違った社会的な使命を多 く抱えた教員像に変わっているだろう。  

 文部科学省が定めている栄養教諭の職務とは、「食に関する指導と給食管理を一体のものとして行うことにより、地場産物を活用して給食と食に関する指導を実施するなど、教育上の高い相乗効果がもたらされる職務」となっている。

  食に関する指導とは、肥満、偏食、食物アレルギーなどの児童生徒に対する個別指導を行うことであり、さらに学級活動、教科、学校行事等の時間に、学級担任等と連携して、集団的な食に関する指導を行う。

 また、他の教職員や家庭・地域と連携した食に関する指導を推進するための連絡・調整を行う。そのほかに栄養管理、衛生管理、検食、物資管理などおよそ学校での食に関するあらゆる事項が含まれている。  

 ところで、このような職務を完全に遂行するためには、栄養教諭はこれまで誰もやっていなかった教育指導上の仕事や学校外との折衝、保護者や家庭での生活レベルの指導など非常に広い領域での活動が要求されるようになってきた。 

 栄養教諭の制度がスタートして4年経つとその役割と活動が具体的に見えてきたために明 確になってきたということだろう。 成長段階にある児童生徒の食生活を正しいものにするためには、生活そのものを改善することが必要になってきた。最近、「早寝早起き朝ご飯」というスローガ ンが広がっているが、これは食育の中心課題の1つという位置づけになってきている。

 これを実現するためには、子供の生活環境を整えるだけでなく、社会の変貌の中で変わってきている子供たちの行動様式を知り、それを分析するような研究も必要になってきた。  

 食事をするときの子供たちの姿勢、箸の持ち方なども家庭の中での「しつけ」の問題であ り、学校と家庭の連携がなければ改善に結びつけることはできない。学校給食の食材に地場産物を導入するにしても、地元のJAや生産者との折衝は誰がやるの か。流通機構が過度に発達している現在、これを変えて地元産物を直接、学校給食に搬入するとなると並大抵のことではない。  

 折衝は栄養教諭の仕事であり、社会との接点がかつてないほど広がってきている。このような現象はさらに拡大していく段階であり、役割が成熟するには10年以上かかるだろう。

 

第50回栄養教諭大会第7分科会 食に関する指導部会の開催

               

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  第50回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会の2日目は、10の分科会が開催され、 それぞれのテーマで研究発表と討論が展開された。筆者は、第7分科会の「食に関する指導部会 ―学校と家庭・地域の連携推進―」のセッションに指導助言者 として参加し、コメントと提言を行った。  

 この分科会の発表者は、北海道今金町立今金小学校栄養教諭の森敏江先生と岩手県奥州市 立常盤小学校栄養教諭の在家香織先生の2人。どちらも素晴らしいパワーポイントを制作し、スライドと動画を操作しながら、学校と地域の人々、特に農産物の 生産者との交流や保護者と児童・生徒の生活態度などの改善の取り組みから食の指導までの活動状況を報告した。

  「早寝・早起き・朝ご飯」は、生活習慣でももっとも大事なことだが、小学校高学年に 行くにしたがって就寝時間が遅くなっていく。これを克服するには保護者らの協力も欠かせない。また、食事をするときの姿勢や箸の使い方でも課題がある。  このような課題は、食事内容や栄養問題とは違っているように見えるが、実は大きな関連性を持っており食育の中でも重要な柱になっている。 

 栄養教諭の役割についても、食の指導、栄養指導だけでなく、正しい生活習慣をきちんと指導しておかないと正しい食生活習慣が身につかない。

 さらに地元で生産された農産物を安価に学校給食現場で利用するには、地域の農協、生産 者との交流、連携などこれまで学校にはなかった任務が栄養教諭に期待されるようになってきた。 このように新しい教員像を作っていくことも栄養教諭に与え られている任務と役割であることを浮き彫りにしたセッションであった。

   

第50回全国栄養教諭大会の開催

                               
                 

 



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  学校の食育の推進に向けて、学校給食を充実させたり児童生徒の食生活を指導する研究を発表する第50回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会が、8月6日から札幌市の札幌コンベンションセンターで開かれた。

  この日は、文部科学大臣の開会式の挨拶などのあと、東北大の川島隆太教授が「早寝早起き朝ご飯の大切さ」とのタイトルで記念講演を行い、実践発表と「栄養教諭制度とその成果について」と題したシンポジウムが行われた。  

  シンポジウムでは、栄養士を教諭として認めているのは世界でも日本だけであり、食育 の施策はきわめてユニークな学校教育の一環であることなどが論議された。また、給食のおばさんと言われていた時代から、栄養教諭として国が認めるまでの活 動については、全国学校栄養士協議会の田中信・名誉会長が報告した。  

 7日は、学校と家庭・地域の連携の推進などをテーマに10の分科会が開催され、全国から集まった1100人を超える栄養士らが研究成果を発表しながら食育の推進などで討論を展開する。

            

    

学校給食

                               

                 

 全国学校給食甲子園のホームページ 

 http://www.kyusyoku-kosien.net/

 21世紀構想研究会は、教育活動の一つとして、食育推進計画の啓発と学校給食の重要性を世の中に広げるため、2006年11月から「全国学校給食甲子園」を開催しています。

 高校野球の甲子園大会にあやかって、学校給食の献立の全国コンテストを展開するもので、第1回大会には全国の学校給食の1514調理場が参加して、東京で盛大に開催された。

 第2回大会も2007年11月3日、4日に東京で決勝大会が開催される。

 

     


「第8回学校給食甲子園大会」の地区代表表彰式の開催

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 今年の学校給食甲子園大会は第8回目を迎えるが、西日本の地区代表表彰式が、10月12日、大阪市内のホテルで開かれた。西日本の県代表となった30人 (2人が欠場)が出席し、ブロック代表12校(学校給食センター)と、さらにそこから絞られた決勝戦大会出場校の6校(同)が発表された。

 決勝大会は12月7日(土)、8日(日)の両日、東京・豊島区駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催される。決勝戦に出場する西日本代表6校(同)は次のとおりである。

 岐阜県大垣市北部学校給食センター(山崎香代先生)

 大阪府泉大津市立上条小学校(武田綾先生)

 香川県高松市立国分寺北部小学校(下岡純子先生)

 愛媛県新居浜市立大生院小学校(武方和宏先生)

 長崎県平戸市立中南部学校給食共同調理場(石田美穂先生)

 鹿児島県屋久島町学校給食東部地区共同調理場(西野間かおり先生)

 今年も公正厳正な第4次審査までで絞り込まれたもので、いずれの代表も素晴らしい献立である。東京で開催される決勝大会では激戦になるのは間違いない。

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 発表と表彰式のあと、代表6人はゼッケンを身に着け、写真のように健闘する決意をポーズで表現した。写真は右から岐阜県→鹿児島県までの代表順である。

 

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 発表後に話題となったのは、写真の2人である。愛媛県代表となった愛媛県西条市立神拝小学校の武方美由紀先生と新居浜市立大生院小学校の武方和宏先生が母子であることが分かったことだ。

 決勝大会には、ご子息が出場することになるが、甲子園大会では初めての嬉しい母子代表だった。決勝大会出場の選手たちは、それぞれ決意表明を行ったが、これから大会開催までに研鑽することを誓ってこの日の表彰式は終了した。

 東日本代表の発表と表彰式は、10月14日に行われる。この発表で第8回大会の決勝戦代表12が決定する。

第4回食育の在り方に関する有識者会議

                                                

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 日本の食の文化を引き継ぎ、教育現場での食の在り方を検討する第4回「今後の学校における食育の在り方に関する有識者会議」が、10月3日、文部科学省 で開催され、先に策定された中間まとめをもとに、スーパー食育スクール(SSS)事業の展開や食育推進について意見を出し合い討論を行った。

 これまでの3回の会議で討論した内容は「中間まとめ」として発表しており、第4回会議ではSSS実施についての内容や方向性について各委員から提案を出しあった。さらに食育推進について指導内容や学校給食の充実、食育教科書の内容などについて具体的な提案をし討論した。 

 文部科学省が来年度から実施する予定のSSSの事業内容については、ファイルにある通り、全国32か所で展開するものである。

<SSS事業について="http://babarensei.coolblog.jp/blog/%EF%BC%B3%EF%BC%B3%EF%BC%B3%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E6%A1%88.pdf">

  目的は、食育のモデル実践プログラムを構築することで、全国の学校における食育の底上げを図る事業としている。小中高校が大学や研究機関、企業など各種外部機関と連携し、科学的な視点を加味したプログラムを開発することを目標にしている。

 SSSに指定されるには、次ような要件が課せられる。

 小中高校を対象に、実践中心校を指定する。原則として栄養教諭が配置されており、栄養教諭を中核とした食育推進事業を策定して申請するように求めてい る。たとえば、食と健康、食とスポーツ、食と学力、給食の充実などの事業プランがあげられており、1か所あたり上限1000万円程度を予定している。 指定期間は1年としているが、最長3年まで延長も可能としている。

 こうしたモデル事業を実現し実施する過程で、食育の理解度を高め、質の高い食と教育と文化を実現することが狙いになる。どのような世界でも10年経てば それなりの進展がある。それは日本人の知恵でもある。このような事業を通じて、食育、学校給食、学校教育でも必然的にレベルアップになることは間違いな い。

 SSS事業を実施することで、全国の栄養教諭、学校給食関係者、教育関係の人々だけでなく、一般の人々にも啓発していくことができるだろう。

 

学校における食の安全に関する実態調査委員会の開催

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 安全でおいしい学校給食を提供するには万全の体制で臨まなければならない。そのためには調理場の整備はもちろん、日常的な衛生管理、食材の検収など多く の課題がある。そのような実態を調査して現場の栄養教諭、学校栄養職員、調理員に役立つ報告書を作成する委員会が、3月27日に開かれ、今年度の実態調査 報告書の内容を討議した。

 この日の検討テーマは、カジキマグロなどのヒスタミン中毒と、外部の委託パン製造業者から感染していったノロウイルス中毒事件のケースである。

 ヒスタミン中毒は、赤身のマグロ類の鮮度の問題から発生することが大半であり、学校給食ではこの食材はほとんど使用されていない。それにも関わらず、全国の学校給食現場のごく一部では、いまだに食材として使用し、中毒事件を起こすことがある。

 マグロ類を食べないと学校給食が立ち行かないというならこれを使用することは仕方ないが、あえてリスクのある食材を採用する必要性が感じられない。そのような視点で学校給食のレシピを作成する必要があるのではないか。

 また、ノロウイルスに感染した人が焼き上げたパンに触れ、それが学校に運ばれてノロウイルス中毒事件を発生させる。これは学校給食の調理場ではなく、外部の施設による感染源であり、学校給食設置者の責務の問題でもある。

 そのような課題について、多くの意見が出され、今後の安全でおいしい学校給食について意見を交換した。

                   

総括:第7回学校給食甲子園大会を振り返る

     第7回学校給食甲子園大会が終了した。毎回、大会終了後に感じることは、「今年もまた多くの感銘と感動を残した大会だった」という感慨である。

 調理が終了し、食味審査を経て審査委員会が開かれるが、その舞台裏は毎年、悩ましい評価の現場である。正に紙一重で優勝、準優勝、2つの特別賞が決まる。これがベスト4になるが、残された8チームもまた、ほぼ同レベルでひしめくことになる。

 審査委員として感じたことは、毎年レベルが上がっているという実感である。調理をする現場を評価する審査委員は、衛生管理を重点にして細かく厳しい評点 をしている。その見る目は毎年厳しくなっているようにも感じる。その一方で食味や見た目を評点する筆者にとっては、毎年出場校の実力があがっているという 感慨である。

 代表校のレシピを見ると、地場産物をいかに活用しておいしい給食を提供するか、その目標に向かって献立を吟味していることである。子どもたちに喜ばれる給食を提供しようとする熱意が、レシピと出来上がった給食によく表れている。

 また今年とくに感じたことは、見た目がどの代表もよくできていたことである。児童・生徒の食欲をそそる給食は非常に重要である。その目的に向かって給食を作る意欲が完成品であるトレイの中に息づいていた。

 回を追うごとにメディアの取り上げも多くなり、特に各地の地域報道は熱を帯びている。それだけ地域の注目度が大きくなっているということである。学校給食の意義と重要性は、このような注目度によって多くの国民に認識されるだろう。

 最近、日本の学校給食が国際的に注目を浴びている。中国では日本の学校給食を見習うとするインターネット記事が発信され、ドイツでも日本の学校給食を評 価する記事が出ている。日本列島がほぼ均一に衛生管理と栄養管理をしている日本の学校給食は世界に冠たるものとしてこれからも存在感を示してほしいと思っ た。

 

学校給食甲子園 優勝は愛知県代表に

                               

                 

 

 

 第7回学校給食甲子園大会の優勝の栄冠は、愛知県西尾市立西尾中学校の学校栄養職員、富田直美さん、調理員の三浦康子さんの頭上に輝いた。

 全国2271施設の応募の頂点に立ったお二人に拍手喝さいを送ります。栄冠を勝ち取った献立は、地場産物の抹茶を活用した料理でした。「てん茶しらす 飯」は、ほんのりとした彩りを称えたご飯であり、地元野菜の照り焼つくね、レンコンサラダ、人参ニギス団子すまし汁は絶品でした。ニギスとは三河湾で捕れ るニギスをすり身にし、地元産人参を練り込んで蒲鉾屋さんと共同開発した食材でした。

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 準優勝に輝いたのは、和歌山県和歌山市立名草小学校の学校栄養職員、土井登世先生と調理員の山中恭子さんでした。

 名草小学校は昨年の優勝校です。果たして史上初の2連覇が実現できるかどうか注目を集めていましたが、最後の詰めの差で2連覇の栄光を阻まれました。 しかし素晴らしいレシピと成熟した調理法は多くの人に感銘を与えました。

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 優勝、準優勝の栄冠を勝ち取った代表選手のお顔は輝いていました。

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 多くの報道陣に囲まれて優勝インタビューを受ける愛知県代表チーム

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 21世紀構想研究会特別賞に輝いたのは、栃木県代表で宇都宮市立田原中学校の学校栄養職員、塚原治子先生と調理員の木村雅恵さんでした。

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 女子栄養大学特別賞を勝ち取ったのは、岩手県代表、岩手大学教育学部附属特別支援学校の学校栄養職員、斎藤洋子先生、調理員の目黒沙織さんでした。

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 決勝戦に進出した全員との記念写真。どのチームも優勝、準優勝、特別賞とは紙一重であり、郷土の代表として誇りある闘いでした。

第7回学校給食甲子園大会始まる

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 第7 回学校給食甲子園大会が、12月2日、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで始まった。全国6ブロック12代表の24選手が調理服装に着替えて開会式 に臨み、銭谷眞美大会実行委員長が挨拶に立ち、続いて埼玉県代表の所沢市立第1学校給食センターの栄養教諭、小林洋介さんが選手宣誓を行った。

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選手宣誓を行う小林洋介さん 

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 調理場に移動した選手は、直ちに手洗いを行い、洗浄が合格かどうかのテストを受けた。2次洗浄までに全選手が合格となり、いよいよ調理に入った。1時間で6食を作るもので、各選手はレシピを見ながら手順よく調理を進めた。

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 この大会の決勝戦に3回出場を果たした福島県代表の福島県鮫川村学校給食センターの芳賀公美さんら2人の選手は、初優勝をかけて調理に取り組んだ。

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 昨年の第6回大会で優勝した和歌山県代表の和歌山市立名草小学校の土井登世さん、山中恭子さんのコンビは、大会初の2連覇にかけて調理に取り組んだ。

 

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 1時間後に出来上がり。直ちに食味審査にはいった。

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第7回学校給食甲子園大会の前夜祭の開催

    第7回学校給食甲子園大会が12月2日に開催されるが、その前夜祭が1日の夜、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催され、決勝大会に進出してきた12代表、24選手が大会での健闘を誓った。

 この日は、決勝戦に出場する6ブロック12代表の栄養教諭、学校栄養職員、調理員が一同に集まり、大会に臨む決意表明と代表施設としてのアピールを発表 する場でもある。各代表は、趣向を凝らしたポスターや資料を掲げながら、地場産物の説明や給食レシピへの工夫などを披露した。

 最大の関心は、明日の選手宣誓は誰がやるかである。くじ引きで引き当てた人が晴れの宣誓を行うものだが、第1回と2回大会では、選手宣誓したチームが優勝するというジンクスを作っただけに、毎年この抽選には注目が集まる。

 今年は、埼玉県代表の所沢市立第1学校給食センターの栄養教諭の小林洋介さんが引き当てた。小林さんは、この大会の決勝戦では初めての男性の栄養教諭である。またこのチームは調理員も男性であり、異色のコンビで大会に挑むことになる。

 前夜祭には学校給食関係者が多数参加し、選手たちを励ましながら各地の学校給食や地場産物の話で楽しいひと時を過ごした。

 

地場産物を学校給食に活用する分科会の開催

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 第63回全国学校給食研究協議大会2日目は、学校給食のさまざまな課題をテーマに8分科会が開かれ、熱心な討論が行われた。

 学校給食で地場産物を活用するための3つの要点

1.      地場産物が学校給食調理場に確実に納入されるシステムを確立することである。そのためには、いくつかの課題がある。

  ①   行政、流通業者、生産者などを組み込んだ組織ができているかどうか

  ②   その組織が機能するかどうか

  ③   流通業者、生産者が喜んで協力できる条件になっているかどうか

 2.      次に食材の活用方法がうまくできているかどうかである

  ①   いい食材を生かす献立を作っているかどうか

  ②   郷土料理、おふくろの味の伝承者になっているかどうか

  ③   子どもたちの喜ぶ給食になっているかどうか 

3.      成果と課題がきちんと回っているかどうかも重要だ

  ①   成果が出ているかどうか検証しているか

  ②   流通業者・生産者・子供たちがそれぞれ喜んでいるかどうか

  ③   その成果をもとに次の目標が立てられているかどうか

  筆者は以上の視点でこの日の発表についてコメントをした。

 そのうえで「学校給食で地場産物を活用するための名案、決め手は、1にも2にも地場産物が学校に確実に入荷するかどうかにかかている」ことを強調した。 

 地場産物さえ入れば、おいしい給食も実現できる。学校も栄養士も保護者や生産者、地域の人々と一体になっていろいろなイベントができる。献立内容も行事もいろいろアイデアを出すことができる。 残量も少なくなるし、子どもの感謝の気持ちも出てくる。 

 そこで2点について提示した。

 1つは、栄養士の役割である。これを再認識したい。学校で最も対外渉外のおおい教員である。地場産物を利用するには、生産者、流通業者、子どもの3者が喜んでくれる体制を作ることが重要だ。

  ウイン・ウインの関係がなければだめだ。業者が利益を出すだけでなく、次世代の子供の健康、栄養を支援するという気持ちを持ってもらうことが重要だ。生産者が無理したり、流通業者が泣くようなら、継続性がない。

 2つめは、学校給食の地場産物を推進するバックアップ体制が重要だ。ひとり学校給食栄養士が頑張っても実現しない。市町村の行政、教育関係者、地元のJA、保護者らの協力体制がなければ成功しない。

 栄養教諭、学校栄養職員だけでは無理だ。その体制をどう作るか。校長はじめ多くの人を支援者にすることが大事だ。 世界で日本はダントツの学校給食を実施している。地場産物活用などという学校給食は日本だけである。これからも学校給食を支援していきたい。

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第2分科会の先生方と記念撮影。前列左から司会者の森脇郷子先生(佐伯市教委指導主事)、江口陽子・文部科学省学校給食調査官、市村百合子・栄養教諭(千葉県佐倉市立臼井小)、後列左から筆者、上杉玲子・栄養教諭(新潟市立大形小)、山本桃子・栄養教諭(佐伯市立佐伯小)

 

第63回全国学校給食研究協議大会の開催

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 全国の学校給食、教育関係者が集まって学校給食の活動を通じた食育推進について講演、討論を行う大会が、大分市で始まった。栄養教諭をはじめ多く関係者が集まり、食育推進について日常の活動報告が行われた。

 日本では学校給食は教育の一環の中で確立されたものであり、国民の間では当たり前の制度になっている。しかし世界の中では、これほどすぐれた制度は見ら れない。 ドイツの教育関係者が日本の学校給食現場を視察したときに「信じられないような非効率的な調理現場」という感想を漏らしたという。

 大量食事を食材の加工から出来上がりまで調理する日本の学校給食調理場は、家庭のキッチンと同じことをする。大勢の昼食を作るといっても工場でやる大量 生産とは違う。この調理方法こそ、日本の食の文化を伝承し、きめ細かい食の伝統を守る現場になっていることが、にわかに理解できなかったようだ。

 しかし、最近になってドイツは日本の学校給食をべた褒めである。日本と同じことはとうてい真似ができないという。アメリカの学校給食も、日本から考えると信じられないくらいずさんな栄養管理である。フランスの学校給食も同じような状況だ。

 外国の場合は、たまたま見たり体験した学校給食だけということがあるかもしれないが、日本ほど衛生管理と栄養管理を完璧に行っている国はないのではないか。日本の誇るべき食育の現場を支えている学校給食の栄養教諭らの研究発表は年を追って進化している。

 明日の分科会の様子も報告したい。

 

 

 

               

著書

[著書]

「大村智伝」(中国語訳、人民出版社、2022年)
「沖縄返還と密使・密約外交 宰相佐藤栄作、最後の一年」(日本評論社、2022年)
「大村智ものがたり 苦しい道こそ楽しい人生」(毎日新聞出版、2015年)
「大村智物語 ノーベル賞への歩み」(中央公論新社、2015年)
「知財立国が危ない」(日本経済新聞社、荒井寿光と共著、2015年) 
「21世紀の日本最強論」(共著、文藝春秋編、2015年)
「スイカ」の原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡(日本評論社、2014年)
「青年よ理学をめざせ ~東京理科大学物語~」(東京書籍、2013年)
「大村智 2億人を病魔から守った化学者」(中央公論新社、2012年)
「大村智 2億人を病魔から救った化学者」(中央公論新社、2012年)
「変貌する中国の知財現場」(共著、日刊工業新聞社、2006年)
「物理学校」(中公新書ラクレ、2006年)
「新・特許戦略ハンドブック」(共著、商事法務、2006年)
「中国ニセモノ商品」(中公新書ラクレ,2004年)
「知的財産権入門」(法学書院、2004年)
「ノーベル賞100年」(韓国ハングル語翻訳、2003年)
「特許戦略ハンドブック」(共著、中央経済社、2003年)
「大丈夫か 日本の産業競争力」(プレジデント社、2003年)
「ノーベル賞の100年」(中公新書、2002年)
「知財立国 日本再生の切り札100の提言」(共著、日刊工業新聞社、2002年)
「日本のモノづくり52の論点」(共著、日本プラントメンテナンス編、2002年)
「大丈夫か 日本の特許戦略」(プレジデント社、2001年)
「知的創造時代の知的財産」(共著、慶應義塾大学出版会、2000年)
「大丈夫か 日本のもの作り」(プレジデント社、2000年)
「やさしい知的所有権のはなし」(法学書院、1998年)
「腸内細菌」(中国語翻訳、台湾・青春出版社、1997年)
「発想のタネになる科学の本」(講談社ブルーバックス、1997年)
「C型肝炎と閾う」(講談社、1996年)
「腸内宇宙」(健康科学センター、1992年)
「科学面白トビックス」(講談社ブルーバックス、1990) 
「母さんのじん臓をあげる」(偕成社、1989年)
「帰ってこいよ東京っ子サケ」(偕成社、1988年)
「人体スペシャル・レポート」(共著、講談社ブルーバックス、1987年)
「サケ多摩川に帰る」(農山漁村文化協会、1985年)
「技術革新と労働運動」(正村公宏編著、現代総合研究集団、1983年) 
「恐竜の証言」(グリーンアロー社、1977年)
「北の新博物記」(共著、太陽出版、1975年)
「人間この不可思議なもの」(共著、読売新聞社、1971年) 
「高校紛争の記録」(共著、学生社、1971年)

2009年04月30日

08年度馬場研諸君の修士論文が高い評価を受ける

 08年度の修士論文のうち優れた論文22編をCD化して各界などに配布するMIP叢書の選定結果が発表された。

 馬場研からは5人の論文が選定された。研究室単位ではたぶん、トップと思われる。このような成果は、1年間の努力と研鑽の結果であり、大変素晴らしいことである。

 この余勢をかって09年度の諸君も是非、いい論文を書いてほしい。ただ、論文執筆の前に立ちはだかっているのが就職活動である。いま経済不況の嵐の中にあるだけに、試練の就職活動が当分続くだろう。頑張ってほしい。

 

4月30日 自民党立国調査会の開催

 本日4月30日、自民党本部で「研究開発成果実用化促進法案プロジェクトチーム」および「世界最先端研究支援強化プログラム・プロジェクトチーム」の合同会議が開催された。

 前者は、総合科学技術会議議員であった井村裕夫先生が言い出したもので、これから法制化するものであり、議員立法になるだろう。どのような施策内容にするか、いまネタ探しをしているところだ。

 後者は、4月27日に閣議決定された景気対策の補正予算の中で、文部科学省所管分の中にあるものであり、研究者最優先の研究システムを構築するとして総額2700億円、30人にそれぞれ90億円を付けるというかつてない大胆なプロジェクトである。90億円の予算をもらった研究者は、いったい何に使うの?

 

 これまでのような、ハコものに使うことは禁止するので、純粋な真水の研究費になるという。

 このようなドタバタ予算は思い付きが多くなるので、大半は失敗するのではないか。つまり、さしたる成果が上がらないように危惧する。

 

 大体、1プロジェクト3~5年で90億円使うのは大変である。ハコもの消費に近い発想で使うことになるのではないか。ということになると、結局は失敗してもしょうがないと思わせる、東大など有名大学、有名研究者に予算を重点的につけるのではないか。

 

 

 最初から悲観的で批判めたことを言いたくはないが、この危惧を吹き飛ばすような成功例が2つや3つほしいところである。すべて成功するのは不可能なので、30人に予算をつけたらその1割、つまり3つくらいの成功例を出してほしい。

 

 

 この日の調査会では、橋本和仁東大教授、金澤一郎・日本学術会議会長、丸山瑛一・理研特別顧問の3人が提言した。

 5月中も各界の大物を呼んで提言をしてもらう予定であり、論議を吸い取った形で立法化と政策が推進される。

 

 

 この大型プロジェクトは、政権が民主党に代わった場合はどうなるのか。自民党の論議だけにこの仮定の発言はタブーではあるが、政権が交代してもこのような施策は是非、実現してほしい。

 

2009年04月27日

松下昭博士との会見

 

 

 

 

 JR東日本とソニーを相手取り、特許侵害による損害賠償請求訴訟を提起していた松下昭・神奈川大学名誉教授と4月26日、久しぶりに会見した。

 すでに一部の報道などで知られているが、松下博士が1985年に出願した非接触伝送装置の特許を侵害しているかどうかで争われていた訴訟は、一審、二審ともに松下博士が敗訴となり上告を断念したためこの紛争は確定した形となった。

 本件訴訟の詳細は、いずれ論文として発表する予定だが、概略報告は、ビズプラスの「知財戦略で勝つ」のコラムで近々紹介する予定である。

 松下博士の発明した特許は、非接触ICカードの基本特許であることは間違いなく、今回 の訴訟でもソニーの開発したスイカの技術の根幹部分はこの発明に充足することがわかった。ただ、スイカはカードと固定装置側との交信の信号の処理で特許明 細書に記述されている権利内容に充足しないと判断され、侵害ではないとの判決となった。

 松下博士の発明のきっかけは、缶詰工場の生産ラインの非接触伝送装置化から始まったものであり、1985年当時すでに松下博士の頭の中ではICカードへの応用という構図が描かれていた。

 訴訟で負けたということは、特許が否定されたことではない。特許明細書に記述されてい る技術的思想が、スイカの技術に合致しなかったという意味である。松下博士は、侵害しているとする実験結果をいくつか出しているが、それが実証的な証拠と して裁判所に取り上げられなかったため、侵害として認定されなかっただけである。

 日本では、ディスカバリー制度が導入されていない。しかし高度専門的な技術内容について特許侵害かどうかの争いになった場合、文言解釈による争いよりも実証的なデータによる決着が必要である。

 今回の訴訟では、日本でもディスカバリー制度の導入が必要であることを強く感じさせた。 松下博士は訴訟で負けたとは思えないほどお元気であり、今後は技術者の発明と特許化への啓発に尽力したいとの決意を語ってくれた。

 

 

2009年04月26日

「劇場政治の誤算」 加藤紘一著 角川書店

  

 元自民党幹事長の加藤紘一先生が、小泉内閣を検証した本を出版し、4月23日に全日空コンチネンタルホテルで出版パーティが行われた。

 加藤先生は、若い時から自民党のプリンスとして将来を嘱望されていた政治家だが、森内閣のときに「加藤の乱」といわれる政局を巻き起こし、その後、政治資金の在り方で秘書が逮捕されるなど、不運がつきまとった。

 科学技術に疎い政治家の中では、科学技術に対する理解度が深い方であり、元外務官僚らしくアメリカ、中国にも太いパイプを持っている。グローバルに展開される科学技術に対する視点は、日本の政治家の中ではトップクラスである。

 本の中身は、自民党政権の歴史的な役割を検証しながら、小泉政権から現政権までのさまざまな政策を政治家の立場から論評している。

 

黒木登志夫・前岐阜大学長が講演

 

 
 

 

 

 「落下傘学長奮闘記」(中公新書ラクレ)を書いた黒木登志夫・前岐阜大学学長が、第72回特定非営利活動法人21世紀構想研究会で講演した。

 黒木先生は、基礎医学研究者として40年間、がん細胞の研究に専念してきた先生で、日 本癌学会の会長も務めた方である。それが知っている教授は4人だけという岐阜大学の学長になってしまった。東大医科研の教授を長い間務めたが、そのときも 医科研所長になることを固辞してきた先生である。

 大学の運営経験ゼロの「落下傘学長」を待ち受けていたのは、法人化前の地方の国立大学であった。文部官僚が牛耳る大学運営の中で、法人化の準備をし、大学を個性化し、生き残りをかけた孤軍奮闘ぶりは、このブログの本の紹介でも書いたとおりである。

 この日の講演は、地方大学の生き残りだけではなく、日本の高等教育の在り方、財務省の考え、経済界や政界に根強い「選択と集中」という考えを高等教育に持ち込む愚かな考えなど、大学の現場に横たわる課題を余すことなく示し、感銘を与えた。

 黒木先生は、現在日本学術振興会・学術システム研究センター副所長として活動を続けており、今後も大学教育に対し遠慮なく発言していく意向だという。

 

2009年04月25日

知財戦略論の講義始まる

 

2008年度知財戦略論オムニバス授業予定(敬称略)  
  授業日 授業1 休憩 授業2 担当 授業のテーマ
1 4月8日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 馬場錬成 ガイダンス、時代認識と知財立国
2 15日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 糸賀道也 技術デザインと知財戦略
3 22日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 中嶋 隆 企業の知的能力の活用と管理
4 5月13日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 秋元 浩 製薬企業の知財戦略
5 20日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 下坂スミ子 知財戦略と弁理士の役割
6 27日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 荒井寿光 知財立国への課題と実行
7 6月3日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 酒井一弘 企業の知財戦略
8 10日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 馬場錬成 島津製作所はなぜ世界制覇に失敗したか
9 17日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 山本貴史 TLO活動と産学連携
10 24日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 大津山秀樹 知的資産と知財マネジメント
11 7月1日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 矢口太郎 日米の研究連携と技術移転
12 8日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 渡部俊也 産学連携と知的財産
13 15日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 馬場錬成 ベンチャー企業の知財戦略
14 22日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 林崎良英 研究現場の知財戦略
15 29日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 馬場錬成 まとめ
 

 

 今年度の知財戦略論オムニバス授業が始まった。

 今年もスケジュール表に見るように、毎週水曜日に日本を代表する知財リーダーが次々と登場して講義を行う。8日のスタートアップは、筆者が「日本の知財戦略に提起されている課題」とのタイトルで、さまざまな課題の提起と解決法を探る授業を行った。

 2回目は、糸賀道也氏が「技術デザインを知財戦略を、3回目は中嶋隆氏が「人間の知的能力活用と管理」と題してそれぞれ非常に魅力的な講義を行った。

 この講義では、毎回、授業の最後に10分間論文を書かせており、受講者に大きな刺激を与えている。

 

 

六本木エグゼクティブ・コミュニティ

 

 

 

 

 政策研究大学院大学の隅蔵康一准教授が主宰する集まりであり、毎回、各界の有識者や研究者を呼んで講演と討論を行っている。

 4月21日に開催された第11回の会合には、国際標準化機構(ISO)の会長を3年間 務めた田中正躬・財団法人建材試験センター理事長が「ISO会長の3年間を振り返って」と題して講演を行った。田中氏は、通産省工業技術院標準部長を最後 に官界から日本化学協会専務理事に転出、ISO理事から2005年に会長選出された。

 この日の講演では、157カ国・地域の加入するISOの運営の苦労を語りながら、財政 問題、ISO規格の著作権の利用のルール、アメリカのSDO(規格作成団体)との協定問題などを解説した。また持続可能な世界のための標準を目指した 「ISO戦略計画2005-2010」策定のためのテーマの設定や課題解決などについて解説を行った。

 また、会長を務めた経験からの提言として、日本の技術や考え方を世界標準にするために ISOの仕組みをうまく使うこと、多様な価値観を持つ人たちとコミュニケーションをよくすることが大事であること、世界中の国々にある国家標準機関を含め て認証ビジネスと一体化が重要であることなどを述べた。

 

全ての国民のための科学リテラシー

 日本学術会議の機関誌である「学術の動向」の2009年4月号は、「科学技術の智」プロジェクトの目指すものとして「全ての国民のための科学リテラシー」の特集をしている。

 北原和夫・国際基督教大学教授をはじめ、「科学技術の智」プロジェクトで活動している川勝博、星元紀、長谷川寿一、丹羽富士雄、中川尚志、佐々義子、渡邊政隆、毛利衛、永山国昭、佐藤年緒、鈴木晶子氏ら各界の代表者が執筆している。

 筆者は、科学ジャーナリストの立場から、「日本社会の科学リテラシー」と題して、日本 国の政官界、実業界の科学リテラシーの不足を書いた。これは科学技術に関する的確な情報がさまざまなリーダーに届かず、理系文化が社会の中で育っていない 現状を実例を挙げながら書いたものだ。

 特に官界では、技術官僚のポストが極端に少なく、出世も遅くなる。昔は技術官僚と事務 官僚の間には、初任給から格差があったという。戦後、日本は科学技術立国を目指すとして科学技術行政を一元的にまとめる科学技術庁の設置を目指したが、 霞ヶ関の行政官庁はほとんどが反対し、結局、議員立法で科学技術庁を設立した。

 しかし2001年からの省庁再編のときには、この役所をとりつぶし、文部省に吸収させて文部科学省となった。今回の特集記事には、このときのいきさつは書かずに、脳死問題、フッ素水道水の問題など筆者が体験した実態を踏まえた提言をしている。

2009年04月22日

建築行政共用データベースの開発

 建築行政共用データベースシステムは、不完全施工で問題になったマンション建築の「アネハ事件」以来、国土交通省の支援で構築しているシステムである。

 建築士・事務所登録閲覧システム、台帳・帳簿登録閲覧システム、通知・報告配信システム、建築基準法令データベース、道路情報登録閲覧システムなどの情報データベースである。

 このシステムが動き出すと、建築現場の情報の透明性が確保され、建築業者にとっても重要な情報源になる。システムの内容も重要だが、作成したシステムを何時でも誰でも安価に利用できる実務的な面での課題も壊滅する必要がある。

 開発委員会では、こうした内容について討議し、各界の識者から意見を出してもらい、シ ステム構築に反映していくものだ。この日は道路情報登録閲覧システムの内容について説明があったが、衛星通信とインターネット機能をフルに使ったシステム は素晴らしい。これを安価に使い勝手よく提供できるかどうか。

 建築技術については、日本は世界トップの水準にあるとされているが、制度については評価されているわけではない。国民の期待をいかに実現していくか。これは建築行政の大きな課題である。

 

 

2009年04月16日

第13回東大薬学部の研究倫理委員会の開催

 ヒトを対象とする研究倫理審査委員会が4月16日、東大薬学部で開催され、数件の研究テーマについて論議された。

 最近の研究テーマは、遺伝子解析や生体内のたんぱく質の振る舞いを追跡する研究が多くなっているが、その材料となるのは多くは、患者は健常人の血液である。もちろん、ヒト胎盤を必要とするような他の臓器を材料とした研究もある。

 このような研究には、多くの人が血液や臓器を提供しなければ研究は進まないが、その場合、問題となるのは個人情報の管理や提供者の不利益の防除などである。

 研究者は誰でも、いい加減にやったり不利益を承知していながら被験者や提供者に告知し ないという人はいない。問題が生じるのは大体、不注意や思い込みによる欠落から出てくることが多い。その意味では倫理上の問題点も一皮むけば、工程の管理 と似ているところもあるし、ある意味では危機管理の範疇であるかもしれない。

 研究倫理は、社会と科学技術の接点でもある。そういう視点で論議を聞いていると、非常にためになる。

2009年04月14日

「猿橋勝子という生き方」 米沢富美子著 岩波科学ライブラリー

 

 地球科学者・猿橋勝子先生の凛とした生き方を描き出したすぐれた科学書である。「猿橋賞」の創設者としても知られている先生であり、女性研究者として一生を捧げた先生の在りし日が物理学者の米沢先生らによって生き生きとつづられている。

 猿橋賞は、50歳未満の女性科学者を対象とした顕彰であるが、その審査委員を委嘱され た筆者は、猿橋先生からこの賞の持っている社会的意義を強く叩き込まれた。それは先生が言葉で語ったものではなく、女性科学者たちの置かれている立場を理 解し、そして励まそうとするその心根が先生の態度からいつもほとばしっていた。

 猿橋先生の業績と珍しい写真を見て、先生の在りし日をしのんだ。

 

「知的財産物語 枝豆戦争」 松村直幹著 文栄社

 

 知財分野では、近来まれにみる傑作である。著者は、元ニチロ専務を務めた方で、食品業界ではよく知られた方である。筆者はたまたま、食品業界の集まりにでたところ、この著者の松村さんは、「有名人」であることがわかった。

 枝豆を塩ゆでして冷凍する。その豆が特許になった。取得したのは日水である。日水は、冷凍塩ゆで枝豆を販売している同業他社に対し、特許使用料を要求した。知財の現場では、当然の権利であるから、この要求は間違っていない。

 しかし要求された企業はびっくりした。支払いに応じようとする企業と特許の無効審判を申し立てて闘う企業。特許庁と裁判所を舞台にした知財紛争の顛末をすべて実名で書いたものであり、特筆に値する内容である。

 

 

2009年04月11日

2009年度馬場研のスタート

 

 

 

 

 2009年度の馬場研の精鋭8人が勢ぞろいして、今年のスタートを切った。

 今年は、新卒で就職活動をする院生が5人おり、経済不況で求人数が少なくなっているた め、緒戦から苦戦を強いられている。企業側も必死で人材確保に動いており、不況が永遠に続くわけではないのでこの機会にいい人材を是非とも確保したいとし てむしろ積極的に取り組んでいるとも聞く。

 4月10日の第1回プロジェクト研究会では、まず、全員発表の日本知財学会での発表内容とスケジュールを確認し、修士論文のテーマと完成までの日程を確認した。また夏期合宿についても打ち合わせをし、9月第2週の土日に仮日程を決めた。

 就職戦線が落ち着くのは5月連休前であるが、今年は厳しい状況なので、内定者がそれまでどのくらい出るか全く予想できない。しかし、一生、職が見つからないわけではなく、これまでのMIPの就職でも最後にはどこかに就職が決まるし、内定先も例外なく大企業になっている。

 とはいうものの、全力をあげてがんばるよりない。院生諸君と歩調をとりながら支援できる面では動くこともあるが、これまでの経験からあまり影響力を発揮できないのが課題ではある。就職活動はいつでも難しいものであり、誰に相談しても誰も解決できない。

 ともかくも全力でぶつかるよりない。

 

 

2009年04月01日

知財専門職大学院スタート

 

  5期生の精鋭が入学

   4月1日、東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の第5期生89人がめでたく入学した。この日は、ガイダンスが行われ、専攻教員の紹介や授業の日程、授業内容やテキストなどについて説明が行われた。

  また、ガイダンスに先立ち、新入生の相談会が開催され、授業の履修科目の相談や将来の進路を見ながらどのような科目を選択し、修士論文は何を書くべきかなどについて、担任になる教員と話し合った。

  毎年感じることだが、新入生と言っても3分の2は社会人であり、企業などの第一線で活動している人材なので社会人大学という趣である。知財知識や実務についてのスキルアップを目指して入学した院生なので取り組むテーマはかなり絞り込まれている人が多い。

  これに対し、学部の学生から進学してきた院生は、まだ進路もはっきりと決めかねてお り、社会人としてどのような人材になるのか模索している学生が多い。  今週の土曜日からは授業も開始されるが、4月の授業は毎年、新鮮な空気が教室一杯にみなぎり緊張感にあふれている。今年もまた、こうして新しい世代の知 財研究が始まった。

 

               
                               
               
             

                           

                   
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2009年03月20日

MIPさよなら懇親会

 

 
2年前に入学してからあっという間に過ぎ去った。IT産業革命の中で最も
戦略的に重要視されてきた知的財産権の研究をよく取り組んだメンバー
の顔は、門出を迎えてとても輝いて見えた。  

 

 

 
原田さんは家族で東京に出てきたが都合でパーティには欠席。
駱ちゃんと健ちゃんも欠席したのが寂しかったが、清水君は
パーティの幹事として最後のお勤めを無事果たした。

 

馬場研メンバーの晴れ姿

 

 日本武道館で修了式を終わった後、MIPで学位記の授与式が行われた。式の直前に研究室に集まったメンバーとの記念撮影。原田さんと健ちゃんが折悪しくいなかったのが残念だった。

               
                               
               
             

                           

                   
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2009年02月19日

上海の知財・経済事情

 2月16日から19日まで上海に行き、知財と直近の経済事情を聞いてきた。知財は主として、模倣品調査会社として多くの実績を重ねてきたQCAC駿麒国際諮詢有限公司に最近の中国での模倣品実態と今後の動向などを聞いてきた。

 同 社の副総経理で国際業務部ディレクターをしている王煒氏らによると、日本企業からの調査依頼は、多数の分野にわたっており、依然として中国で被害を受けて いる企業が多いという。業種では、自動車部品、農薬、文具、食品、アパレル関連、化粧品、スポーツ用品、釣り具、医療器具などであり、デッドコピーから類 似商標などによる被害は後を絶たないという。

 同社は国際業務部、行政部、調査部、法律部の組織で活動しており、法律部には専門の弁護士が3人いる。中国全土に情報提供組織を持っており、市場に出回る模倣品調査の結果などから被害にあっている企業に情報を提供し、最終的には中国政府機関の摘発まで行う。行政摘発をしても、罰金や模倣品の押収だけで済むことがほとんどだが、これでは根絶できない。製造者がまた行うケースが多いからだ。

 最近はこうした歯止め策として公安当局に摘発を訴えて、関係者の拘束に持ち込むことを目指しているという。被害にあっている企業も、こうした刑事罰を望むようになってきた。具体的な報告はいずれ、コラムなどで紹介したい。

 上 海と中国の経済状況だが、今回は専門家には会えなかったが、社会活動をしている人々から様々な状況を聞いた。日本よりも経済活動の落ち込みは軽いようだ が、もちろん影響は大である。しかしインフラ整備の社会資本建設は相変わらず活発であり、高級レストランの賑わいも以前と変わりないように見えた。

 中国の株式市場は日本同様に低迷しているが、上海の実業家の中には為替の売り買いに乗り出している人が出ていると聞いた。円高は相対的に円、つまり日本が強いという証拠であり、絶好のチャンスが巡ってきたと受け止められる。

 上海の一部の実業家の話を聞いていると、株を購入することは「リスクを買う」ことであり、為替に乗り出すことは「お金でお金を買う」ことではないか。日本円で安くなった外国通貨を買うのが一番確実だという話が結論だった。 

 

 

2009年02月08日

差止請求権をめぐる論議

 差止請求権をめぐる論議

  2012年の施行を目指した特許法改正の論議が始まっている。2月5日に開かれた経産省のソフトIP研究会に臨時委員として委嘱され、「日本の知財戦略に提起されている課題」をタイトルにした提言を行った。 

 筆者は中小・ベンチャー企業の代弁者という立場で提言したものだ。この研究会のメンバーは大企業の知財関係者、知財法律学者が大半であり、特許法改正に対しても主として法理論からの論議が主となっているように感じた。 

 特許権は、法制度が基盤になっていることは間違いないが、実態は技術の競争力の場で展開される戦略の話である。米国の連邦最高裁で出たeBay判例などを基盤にして差止請求に制限を加えようとする考えがにわかに高まっている。本当にそれでいいのだろうか。

  特に特許権利の不実施機関に対する制限が視野に入っているようだが、パテントトロールを意識したものだとしても、藤野仁三東京理科大学知財専門職大学院教授によると、米国のパテントトローラーは、90パーセントがビジネスモデル特許の関連だという。日本にはパテントトロールによる係争はほとんど聞いたことがない。

 大体、パテントトロラーとは何か。ある大学の研究者は、「日本のパテントトローラーは大企業ではないでしょうか。アメリカのような実態はないですね」と言う。 一方で大企業に5回も無効審判を起こされてほとほと困っている研究開発型の小企業の役員は、「日本では差止請求権を武器にするようなパテントトローラーは必要だ」とまで言っている。

  こ うした意見もまた特異なものだとしても、論議は行政主導で一方的に米国追随型の制度に走っているように見える。産業構造はもとより社会構造も司法制度も価 値観もモノ作りの技術も全く違う米国の知財制度を後追いするようなことになれば、また制度の歪を招きかねないことになる。

  これから大いなる論議が必要だ。

 

 

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2009年02月03日

中国特許法改正の解説セミナー

 

 

 

 改正された中国特許法の解説セミナー 

 (株)エイバックズームが主催する中国の特許法(専利法)の解説セミナーが2月3日開催された。中国特許法は昨年末に改正されたもので、法的な解説と実務上の運用について特許庁職員と中国弁護士・弁理士らが解説したもので、大変、有意義なセミナーだった。

 その一部を紹介したい。中国では従来から発明と実用新案は同時に出願可能だったが、今回の改正で明確に条文にした。これで初めて分かったことは、これまでは運用で行っていたもので、法制度ではなかったことだ。 実用新案の審査は特許審査に比べて1,2年早いという。早く保護を受けたい場合は、先に実用新案で登録し、後でこの権利を放棄して特許に切り替えることが出来るという。

   また、外国へ出願する場合は、従来はまず中国に出願しなければならなかったがこれが改正された。これからは外国に出願する際には、国務院専利行政部門の秘 密保持審査を受ければいいことになる。しかし、この制度の運用については全く白紙であり、今後の実務にかかっている。審査・運用のあり方によっては、骨抜 きの制度になりかねないので今後の実務を注目したい。

  意匠権に関する法制度も実態に即したものに改正した。原則として商品陳列、広告、展示会での陳列広告も意匠権を侵害してはならないとしたものだ。今後は公 証購買で証拠を入手するという面倒なことをやらないでも、広告、商品陳列でも公証証拠になるので権利侵害を確認することは非常に楽になったという。

 日本企業にとっても、運用面で活用できる改正内容はかなりあるだろう。 

 

2009年02月02日

山梨大学で産学官連携シンポジウムを開催


 

 1月27日開催された山梨産学官連携シンポジウム 

 「産 学官で考える環境・エネルギー」をテーマに掲げた「山梨産学官連携シンポジウム」がこのほど甲府市で開かれ、①知財の創生と活用、②環境とクリーンエネル ギー、③流域の水環境・水災害と健康の3つのテーマ別フォーラムで講演と活気あふれるパネルディスカッションが行われた。

 この産学官シンポジウムは今年で3回目だが、地域の人々を中心に多くの分野の研究者、企業人、行政マンなどが集まるもので、この種のシンポジウムではモデルと言っていいだろう。主催は山梨県、山梨大学であり、共催に甲府、山梨、北杜、都留、岡谷市、やまなし産業支援機構、日本弁理士会関東支部、甲府商工会議所、山梨中央銀行など多彩な機関が入っている。

 さ らに後援は文部科学省、独立行政法人科学技術振興機構(JST)など国の機関から新聞社、テレビ局など山梨に拠点のあるマスコミがすべて後援しており、開 会式の時にはマスコミ各社の支社長、支局長らが知事や山梨大学長らと一緒になってステージに並び、紹介されるというのも珍しい。つまり、山梨県の各界が一 体となって共通認識に立ち、産学官連携を盛り上げていこうという気概を感じさせる点でも素晴らしい。

 山梨大の燃料電池、太陽電池・環境計測に関する研究は、全国の大学でもひときわ光っている。平成19年度からクリーンエネルギー特別教育として基礎から応用研究まで俯瞰した課程を新設し、エネルギー関連で即戦力になる人材を教育する大学としても知られている。 

               
                               
               
             

                           

                   
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2009年01月27日

知的クラスター創生事業

 地域の活性化と知的創生を振興する「第2期知的クラスター創生事業」が今年度からスタートすることになった。

 1月22日に開催された産学官連携推進委員会で論議された内容によると、文部科学省と経済産業省とが共同で支援する政策であり、2つの省が同じ目的で予算を出し合い、支援する事業は珍しい。

 21年度の予算は文部科学省が135億円、経産省が129億円で総額264億円になる。全国を9つのブロックに分け、産学官連携のネットワークを作り、大学発事業の振興などを支援する。

 この事業そのものはいいことだが、課題もある。両省の予算をどのように配分するのか。ユーザーの使い勝手のいい制度を作らないと、手続きに手間取り事業内容も形式的なものになって実効性が疑問だということになりかねない。

 コーディネーターなどの育成事業もあるが、結果的に期限付きの失対事業になりかねない ようにするべきという意見も出されている。評価方法もどうするのか。9か所の地域が全てうまくいくとは思えない。成功する地域には重点的に予算を配分し て、確実に事業がうまく回るようにするなど柔軟な施策もとるべきではないか。

 是非、成功物語を作ってほしいと思う。

 

 

スイカ訴訟の控訴審が結審

 松下昭神奈川大学工学部名誉教授が、ソニー、JR東日本を相手取って特許侵害訴訟を提起していた裁判の控訴審(飯村敏明裁判長)は、27日に最初の口頭弁論で結審となり、3月末に判決言い渡しとなった。

 この訴訟の根拠となった2本の特許請求の技術を、スイカ技術が侵害しているかどうかが争われているものだが、一審の東京地裁では侵害をしていないと認定されて原告側敗訴。それを不服として原告が控訴していた。

 争点になっている技術的な内容については、別途、解説を試みたい。

 

 

2009年01月12日

日本弁理士会新年賀詞交歓会

 2009年の新年の知財関係者の顔合わせ会でもある日本弁理士会の新年賀詞交歓会が、8日、霞ヶ関の霞山会館で開催された。

 交歓会には、日本の知財各界のリーダーのなっている関係者が一堂に集まり、懇談する場でもあり、筆者も多くの関係者と意見を交換した。

 特許庁は2012年度の施行を目標に特許法の大改正をスケジュールに載せており、今年から改正に向けた本格的な論議がさまざまな審議会で開催される。

 最近の知財侵害訴訟は、原告不利の流れというのが一般的な感想であるが、この流れについて司法関係者に率直にぶつけて質問したところ、その傾向を認めた上で、原告不利という流れはあまり良くないのではないかという感想を漏らしていた。

 また、侵害訴訟で被告側が特許権利の無効を主張し、それが司法判断で認められるケース も出ていることについても、特許庁審査と司法判断が乖離することはユーザーを困惑させることにつながるので、これも好ましい流れではないという意見もでて いた。何らかの形で原告の権利を救済する方策が考えられてもいいのではないかという意見もあった。

 

2009年01月07日

特許法大改正への年

 特許法を2011年改正へ

 日本経済新聞の1月5日付け朝刊の1面トップの報道によると、特許法大改正のスケジュールが今年から始まる。

 報道によると、新特許法は2011年の通常国会で成立させ、2012年からの施行を目指すとしている。問題はその改正内容である。

 報道されている主な検討項目は7つ挙げられている。

1.保護の対象となる「発明」の定義の見直し

2.「差止請求権」の放棄など技術革新の促進に向けた制度作り

3.職務発明の見直し

4.審査基準の法制化に向けた検討

5.迅速で効率的な紛争解決方法の検討

6.審査の迅速化と出願者のニーズへの対応

7.分かりやすい条文作り

 この中で注目されるのは、2と3の差止請求権、職務発明のあり方だ。どのような検討と議論がされるのか。法改正の狙いは何か。

 産業競争力の確保には大企業の知財強化は欠かせないが、と言って大企業優先の知財法制度を作れば、創造意欲が削がれ日本のベンチャーと個人発明家の活動は沈滞するだろう。

 大企業の活動を促進しさらにベンチャー、個人発明家の活動を促進するような知財文化を作る必要がある。その点を間違えると日本は「知財途上国」に転落し、日本のモノ作り国家は衰退するだろう。

 このテーマから今後目が離せない。 

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年11月20日

20年度第2回日本弁理士会アドバイザリーボードの開催

 弁理士活動の充実と拡大を課題に

 

 アドバイザリーボードの開催にあたり、中島会長から次期日本弁理士会会長選挙の結果が発表された。筒井大和執行理事が選出され正林副会長が異例の3期連続で副会長に就任することも明らかになった。

 

 会務の進捗状況では、次の5本柱の活動について報告があった。

1.弁理士業務の高度化・広域化の推進と研修・人材育成事業の拡充 2.知財立国の実現に向けた社会貢献」活動の展開と社会の期待への対応3.便利士法改正への対応及び弁理士制度の基盤整備と充実4.特許事務所の基盤整備の支援及びビジネス環境の変化への対応支援5.会務運営の基盤強化と会員サービスの向上  平成20年10月1日に施行された改正弁理士法によって、弁理士試験合格者は指定を受けた修習期間で実務修習を義務付けられており、これを修了しないと弁理士登録を受けられない。 実務修習は今後の弁理士活動にも非常に重要な位置づけになるものであり、社会貢献、知財基盤の強化に一層の努力が期待されている。

 

 また、弁理士会は、顧客の経営戦略にも関与できる総合アドバイザー型の弁理士育成を実現するために知財専門シンクタンクの構築を目指している。ワーキンググループを設置して具体的に検討を進めるという。

 

 これに関して筆者から特に「個人起業や中小企業の経営戦略に関与しながら、経営コンサルテイィングやブランド確立、知財権利確保、権利を実施する場合に本当に強い特許なのかどうかの評価、無効審判や侵害訴訟にも耐えられる知財権利なのかを評価したり、技術評価、マーケティング、資金運用まで幅広い弁理士業務が期待されている。是非、実現するように取り組んでほしい」と発言した。

 

 

 

2008年11月15日

馬場研の最近の動向

 修士論文の執筆に追い込み

 そろそろ修論の追い込みに入ってきました。例年、この時期を迎えると論文の骨格が出来上がり、執筆に拍車がかかる時期です。

 今年のM2院生は7人おり、うち3人が日中の弁理士です。今年の日本知財学界では、全員が発表に名前を出し、うち5人が口演者として演壇に立って発表しました。その時の演題をそのまま拡張して修論にした院生もいますが、まったく別のテーマに変更した院生もいます。

 またアメリカ、中国に研修に出た院生もおり、それぞれのテーマで格闘を続けています。いずれその内容の詳細は、このサイトでも報告します。

 

 

2008年11月09日

全国学校給食甲子園大会の栄冠は岐阜県代表に

  

 宣誓校が優勝のジンクス破れる

 第3回全国学校給食甲子園大会が、9日午前10時から東京の女子栄養大学駒込キャンパ スで開催され、岐阜県代表の多治見市共栄調理場(松原恵子栄養士、水野はるみ調理員)が優勝し、参加1329校の頂点に立った。準優勝は香川県代表の高松 市立国分寺北部小学校(下岡純子栄養士、間嶋みどり調理員)だった。

 特別賞の非営利活動法人21世紀構想研究会賞には、鹿児島県代表の出水市立米ノ津東小学校、女子栄養大学賞には秋田県代表の横手市立平鹿学校給食センターに授与された。

 第1回、2回と続いていた選手宣誓した学校が優勝するというジンクスは今回は破れたが、今回宣誓した島根県代表松江市立八雲学校給食センターの長島美保子栄養士、宇山宏文調理員には、特別に財団法人学校給食栄養改善研究会賞が授与された。

 今年もまた多くの感動を残して、大会の幕を閉じた。

2008年11月08日

学校給食甲子園大会の前夜祭

 

  選手宣誓を引き当てたのは鳥取県代表 

  全国学校給食甲子園大会(給食甲子園大会)の前夜祭が、8日午後7時から女子栄養大学駒込キャンパスで開催された。今年の代表12校(給食センター)が一堂に集まり、学校紹介と明日への決意表明を行った。

 冒頭に文部科学省の銭谷事務次官が「日頃の研鑽結果を明日の試合で存分に発揮してほしい」と挨拶した。 

  各代表とも、趣向を凝らしたポスターや地場産物の現物を持ち込み、給食に生かしている素材の話や学校での食育活動について報告を行った。 そのあと、注目の選手宣誓のくじ引き。第1回、2回とも、選手宣誓を行った選手の学校が優勝旗を手にしている。2回連続のジンクスが今年もそのまま生きていいるのかそれともこのジンクスが崩れるのか。

 全員が注目する中、引き当てたのは中国・四国ブロック代表の鳥取県松江市八雲学校給食センターの中島美保子栄養士だった。長島さんは「ジンクスが崩れないように頑張ります」と力強く決意表明し、満場の喝さいを浴びた。

 大会は9日午前10時から開催される。

 

全国学校給食甲子園が開幕

 2008年度の全国学校給食甲子園大会が、11月8日、9日に東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催された。今年の応募校は、全国から約1200校となり、予選を通過したブロック代表の12校が決勝戦に残って優勝を争った。

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年08月06日

アジアの産学官連携についての研究会

 中国を始めアジア地域の産学官連携に関する研究会が、産業技術総合研究所で開催された。 

 

第1回研究会:「アジア産学官連携と研究者能力に関して」
日時:2008年8月5日 午後2時~4時
場所:(独)産業技術総合研究所 東京本部秋葉原事業所11階大会議室
発表者:
新藤晴臣氏(明星大学経済学部経営学科准教授、当プロジェクト分担者)
     「中国・台湾・香港における研究機関の産学官連携について」
本多克也氏(三菱総合研究所 科学・安全政策研究本部先端科学研究グループ 主任研究員)
     「中国における研究者能力について」
コメンテータ:元橋一之氏(東京大学大学院工学系研究科教授)
司会:木村行雄(産総研ベンチャー追跡評価チームチーム長、当プロジェクト代表

 

 

 

2008年08月05日

中国総合研究センターの第10回研究会を開催

 

 中国総合研究センターの第10回研究会が、7月29日に中国総合研究センターで開催された。

 今回の研究会には、北京徳琦知識産権代理有限公司の総裁である弁理士の王琦女史、副総裁の王継文弁理士、パテントエンジニアの鞠文軍氏、弁護士、弁理士、商標弁理士の杜少輝氏を講師として迎え、セミナー方式の開催となった。

 研究会のテーマは、  「中国知財実務上の課題と戦略」。まず最初に、鞠文軍氏が 「特許出願と審査について」講演し、続いて 杜少輝氏が「特許侵害訴訟について」ケーススタディを行った。

 このあと会場との質疑応答となり、実務上の様々な問題について日中の知財制度の違いも入れながら討論を行った。なお、研究会の詳細については、後日、中国総合研究センターのHPに掲載される。

 

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2008年08月04日

8月4日 理研・林崎研究室を訪問

 

 たった30分で遺伝子診断法「SMAP」を開発して世界の生物・医学界に衝撃を与えた 林崎研究室を訪問した。目的は、いま調理現場でその防疫対策で大きな課題になっているノロウイルスの検出方法を見学するためである。ノロウイルスを30分 で検出することができると、調理現場にとっては大きな福音となる。

 見学に同行したのは、文部科学省・学校健康教育課の田中延子・学校給食調査官、慶応義塾大学の中村明子客員教授、文部科学省科学技術政策研究所・科学技術動向研究センターの重茂浩美研究官との4人。

 ノロウイルスは、新型の食中毒原因ウイルスとして調理現場を悩ませており、特に冬の寒 い時期に中毒事件を発生させることが多い。田中調査官はその対応策で全校の学校給食調理現場の学校栄養職員や栄養教諭らと腐心しており、感染症学が専門の 中村明子教授は、専門の立場からアドバイスを行ってきた。また、重茂研究官は、先ごろノロウイルスのすべてを解説する論文を書き上げ、関係者の間で評価さ れており、この日の見学会の実現となった。

 ノロウイルス検出のキットは、理研発のベンチャー企業であるダナフォームと荏原実業が開発し来月中にも販売する予定という。

 

2008年08月02日

科学技術動向研究センターの全体ミーティング

 文部科学省 科学技術政策研究所の科学技術動向研究センターの全体ミーティングは、論文執筆者たちのピア・レビューの場であり、毎回、非常に活発な論議が展開されている。

 筆者は、同研究所の客員研究官の立場で出席して論議に加わるが、非常に勉強になっている。ここで論議された論文の内容は、毎月発行されている「科学技術動向」という雑誌に掲載されるが、最新の研究動向と政策提言が盛り込んであるので多くの読者をかかえている。

 先月号の掲載内容は、こちらのサイトから見ることができる。http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/stfc/stt088j/index.html

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年08月06日

アジアの産学官連携についての研究会

 中国を始めアジア地域の産学官連携に関する研究会が、産業技術総合研究所で開催された。 

 

第1回研究会:「アジア産学官連携と研究者能力に関して」
日時:2008年8月5日 午後2時~4時
場所:(独)産業技術総合研究所 東京本部秋葉原事業所11階大会議室
発表者:
新藤晴臣氏(明星大学経済学部経営学科准教授、当プロジェクト分担者)
     「中国・台湾・香港における研究機関の産学官連携について」
本多克也氏(三菱総合研究所 科学・安全政策研究本部先端科学研究グループ 主任研究員)
     「中国における研究者能力について」
コメンテータ:元橋一之氏(東京大学大学院工学系研究科教授)
司会:木村行雄(産総研ベンチャー追跡評価チームチーム長、当プロジェクト代表

 

 

 

2008年08月05日

中国総合研究センターの第10回研究会を開催

 

 中国総合研究センターの第10回研究会が、7月29日に中国総合研究センターで開催された。

 今回の研究会には、北京徳琦知識産権代理有限公司の総裁である弁理士の王琦女史、副総裁の王継文弁理士、パテントエンジニアの鞠文軍氏、弁護士、弁理士、商標弁理士の杜少輝氏を講師として迎え、セミナー方式の開催となった。

 研究会のテーマは、  「中国知財実務上の課題と戦略」。まず最初に、鞠文軍氏が 「特許出願と審査について」講演し、続いて 杜少輝氏が「特許侵害訴訟について」ケーススタディを行った。

 このあと会場との質疑応答となり、実務上の様々な問題について日中の知財制度の違いも入れながら討論を行った。なお、研究会の詳細については、後日、中国総合研究センターのHPに掲載される。

 

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2008年08月04日

8月4日 理研・林崎研究室を訪問

 

 たった30分で遺伝子診断法「SMAP」を開発して世界の生物・医学界に衝撃を与えた 林崎研究室を訪問した。目的は、いま調理現場でその防疫対策で大きな課題になっているノロウイルスの検出方法を見学するためである。ノロウイルスを30分 で検出することができると、調理現場にとっては大きな福音となる。

 見学に同行したのは、文部科学省・学校健康教育課の田中延子・学校給食調査官、慶応義塾大学の中村明子客員教授、文部科学省科学技術政策研究所・科学技術動向研究センターの重茂浩美研究官との4人。

 ノロウイルスは、新型の食中毒原因ウイルスとして調理現場を悩ませており、特に冬の寒 い時期に中毒事件を発生させることが多い。田中調査官はその対応策で全校の学校給食調理現場の学校栄養職員や栄養教諭らと腐心しており、感染症学が専門の 中村明子教授は、専門の立場からアドバイスを行ってきた。また、重茂研究官は、先ごろノロウイルスのすべてを解説する論文を書き上げ、関係者の間で評価さ れており、この日の見学会の実現となった。

 ノロウイルス検出のキットは、理研発のベンチャー企業であるダナフォームと荏原実業が開発し来月中にも販売する予定という。

 

2008年08月02日

科学技術動向研究センターの全体ミーティング

 文部科学省 科学技術政策研究所の科学技術動向研究センターの全体ミーティングは、論文執筆者たちのピア・レビューの場であり、毎回、非常に活発な論議が展開されている。

 筆者は、同研究所の客員研究官の立場で出席して論議に加わるが、非常に勉強になっている。ここで論議された論文の内容は、毎月発行されている「科学技術動向」という雑誌に掲載されるが、最新の研究動向と政策提言が盛り込んであるので多くの読者をかかえている。

 先月号の掲載内容は、こちらのサイトから見ることができる。http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/stfc/stt088j/index.html

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年07月18日

本日からブログを再開  7月18日

 長い間、PCの事情で更新ができませんした。
 本日からまた、再会します。

 全国学校給食甲子園大会実行委員会の開催

 今年の学校給食甲子園大会は、11月8日(土)、9日(日)の
2日間にわたって、東京の女子栄養大学駒込キャンパスで
開催される。
 その実施内容、審査内容を決める実行委員会(工藤智規委員長)が
7月16日に開催された。
 審査の内容については、学校給食甲子園大会の公式ホームページで
公表する予定である。

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年05月10日

5月9日(土)埼玉県知財センター・シンポジウム

 

 埼玉県知財センター・シンポジウムが開催される  

 埼玉県の知財支援センター開設3周年を記念して、「知的財産立県の実現に向けて」とテーマとするシンポジウムが、9日午後1時半から、大宮ソニックシティビル10階の埼玉県中小企業振興公社の研修室で開かれた。

 筆者は、「知的財産立県の実現に向けて」をタイトルにした基調講演を行い、このあと「中小企業に求められる知財経営の取り組みと今後の支援のあり方」をテーマにパネルディスカッションが行われた。

 プログラムと実施内容は大略次の通りである。

 第1部 基調講演(70分)

「知的財産立県の実現に向けて」 馬場錬成 

 講演のあらまし

1.  世界はいま、第3次産業革命にあるという時代認識を持つことが重要である。

2.   日本の戦後の経済成長に果たした特許の役割を概観し、日本の「特許文化」を検証。

3.   1990年代後半から世界的に始まったIT産業革命によるプロパテント時代の産業技術と知財について検証。

4.   特許に中小企業の中で、知財戦略ですぐれた実績を残しているケースを具体的に紹介し、何が重要であったのか分析。

5.   オープン・イノベーション時代を迎えて囲い込みではなく、相互に知財を活用する時代に入っていることを紹介して将来展望を提示。

 第2部 パネルディスカッション

「中小企業に求められる知財経営の取組と(知的財産総合支援センター埼玉)の今後の支援のあり方」

 

パネリスト(敬称略)   

コーディネーター 東京理科大学知財専門職大学院教授     馬場 錬成 

パネラー  ユアサハラ法律特許事務所 弁護士・弁理士 矢部 耕三 

      高田国際特許事務所所長  弁理士     高田 修治 

      彩都総合特許事務所    弁理士     佐原 雅史  

知財総合支援センター埼玉知財アドバイザー野口 満 

 パネリストからのプレゼン(各10分)

1.野口 満さんプレゼン

・知財センター埼玉が開設されて以来3年間の活動内容の紹介・多くの支援事例を紹介 

2.佐原雅史さんプレゼン   

・お仕事の内容と知財センターとの関わりについて説明

・株式会社アキムの知財支援事例について具体的な取り組みと課題を提起した。特に中小企業の知財管理の問題について具体案を提起。

3.髙田修治さんプレゼン  

・これまでの専門相談や知財センターがらみの支援事例について紹介。特に商号と商標との権利化の仕組みとトラブルについて紹介

・地域団体商標、各地域興し事業、インターネットの影響などについて報告 

4.矢部耕三さんプレゼン  

・日ごろの仕事と活動内容とセンターでの役割を紹介  

・センターでの経験事例から、企業間のクロスライセンスに関する契約交渉をアドバイスすることで展望が開けた事例を紹介・中小企業はこれから知的財産権とどう取り組むべきかを提言  

5.このあと、パネラー間で活発な論議が展開され、中小企業に求められる知財経営の取組と知的財産総合支援センター埼玉の今後の支援のあり方について提言が行われた。    

この日の内容の詳細は、後日、センターのHPで報告される。 

               
                               
               
             

                           

                   
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2007年プロジェクト研究総括

 努力を結実させた若き日のエネルギー 

 2007年度の馬場研究室は、6人の精鋭部隊でスタートを切った。ところが間もなく、そのうちの1人が職場の勤務の都合でMIPを退学し、もう1人は商標関係のテーマで取り組むために西村研究室に移籍となり、4人という少数精鋭でスタートを切ることになった。  

 佐藤貴臣君は、早くからワーキング・ペーパーのテーマは模倣品・海賊版の現状と取り締まり状況に焦点をあてて論文をまとめたいという希望を出していたが、就職先が長野県警に決まったためにいっそう、やりがいのあるテーマとなった。

 就職活動では、思いもよらない機関の受験に挑戦するなど、貴臣君は可能性を求めて行動する点では評価できるものであった。論文作成では、調査分析にやや時間を取りすぎ、後半の検証と見解のまとめでは十分な活動ができなかったことは残念であった。

 ただ、貴臣君には思わぬ才覚があることを発見して嬉しくなった。彼が書いた文章はなかなかこなれた分かりやすい文体であり、もしかすると新聞記者にむいているのかもしれないと思わせるほどであった。

 論文では、2007年、 世の中を騒がせた一連の偽装表示問題を法的な根拠を示しながら当局の摘発のあり方を検証したのは評価できる内容となった。自治体によって取締りの法整備が ばらばらである点を指摘しており、これまでの模倣品・海賊版をまとめた論文には見られない視点を持ち込んで独自性を打ち出した点は、大変良かった。

  小國聡美さんは、学部の専攻は化学であるために、化学や環境問題に興味を抱いていた。その中から酸化チタン光触媒の研究動向と標準化に焦点を合わせたのはタイムリーな問題意識であった。 酸化チタン光触媒の研究では、藤嶋昭教授、橋本和仁教授が双璧であるが、その1人の橋本教授の研究室を訪ねて、研究テーマについて教示を受けたことは大変良かった。

 ただ、酸化チタン光触媒の研究動向と知的財産権に関する調査分析では、詳細な内容で先行しているレポートがすでにあることに途中で気がつき、聡美さんのテーマの焦点は標準化へと絞り込んでいった。 標準化には、光触媒の品質を担保する意味と、国際的に取り決めて品質を確保する国際標準化と2つの意味があり、そのどちらに関しても日本の研究現場と産業界の意識が希薄である点を指摘する論文となった。

 論文をまとめる時期に身内の方が病気で倒れてその看病に追われるなど、学業と仕事と看病という3重苦を克服してようやくまとめたものである。このため本人にとっては不十分な出来だったようだが、このテーマは今後さらに深化させ卒業後も取り組んでほしい。

  有馬徹さんは、自動車メーカーのサプライヤーに勤務し、国際的に活動する職場にいることをフルに活用して、知財をキーワードにしながら国際産業文化論を展開するユニークな論文にまとめた。自分の考えと主張を奔放に書き進めた論述であり非常に面白かった。

 特にサプライヤーから見た日本と外国の商習慣の比較論述は、徹さんの体験と見解に基づいた内容であり説得力があった。一国の産業競争力はモノ作りから金融にシフトされたという見方も、この論文の流れから読者を十分に納得させていた。中国で産業活動を論じるくだりでは、アメリカ式とヨーロッパ式を論じながら、日本のそれはアメリカ式ではないかというコメントは、そうかもしれないと思わせる内容であり、ここにも独自の視点を披瀝していた。特に面白かったのは、サミュエル・ハンチントンが主張しているアメリカの「目論見」を整理して記述し、その後で日本の「目論見」を整理して提示したもので、これは秀逸であった。

 企業戦士として活動する傍ら、常に内外の社会、と文化を見ながら深く思索した活動から出たオリジナル論評であり、この論文テーマは徹さんのライフワークになるだろう。

  押久保政彦さんは、弁理士の資格を持つだけに論述した内容は厚みがあり読み応えがあった。第1章、2章、3章と組み立てた章立てとその内容は、非常に整理されており、しかも制度上の問題、法的解釈、司法判断、国際的な動きなど時代背景を入れながら重厚に解説したのは大変結構だった。

 特に2章 で語っている小売等役務商標制度の導入までの経過を読むと、改正前の制度上の問題がよく分かり、「役務」についての法的解釈の経緯もよく整理されて論述さ れていた。「シャディ事件」、「ESPRIT」事件という2つの判例を紹介しながら、改正までの経緯をまとめることで、時代とともに変革する知的財産権の 現場を語っていた。

 後半は、小売等役務商標出願動向の調査を紹介しているが、主な業界別の動向は労力をかけた分析調査であり、業種ごとに小売等役務商標に対する取り組みに温度差があることを明快に見せてくれた。

 最後のまとめでは、この商標がどのように活用されるか課題をいくつかあげ、商品商標と小売等役務商標との関係、審査実務、総合的な小売サービスというカテゴリーで検討すべしと課題を提起しており、このテーマの研究はまだこれからの領域であることを示唆していた。 押久保さんは、馬場研の級長として様々な雑用を差配し、研究室をまとめた点で多大の貢献をした。ここに心から感謝の念を示したい。

 2007年馬場研諸君へはなむけの言葉 

 馬場研は、修論作成のために一時的に集まった仲間ではなく、諸君がこれから社会活動をする上でも折りに触れて情報を交換し、時には助け合い、友情を確かめ合う和として未来永劫続けて欲しい。

 2006年の馬場研は7人の精鋭が集まってともに語り、研鑽し論文をまとめた。級長を務めたのは弁理士の丹波真也さんであった。その伝統を2007年も引き継ぎ、共有する時間の中で共に研鑽する機会を何度も持った。時代は休むことなく刻みながら、新しい研究開発を促し、新しい文化を作り文明を残していく。それが地球上に存在する生命体の宿命である。

 世界の中の日本という位置付けを考えながら、諸君はこの先50年間も社会活動を続けなければならない。その時もっとも要求されることは時代認識である。いま我々はどのような時代に生きているのか。どのような技術開発がホットなテーマになり、そしてこの先20年、30年後にはどのような社会が現出し、そのときどのような技術が普及しているのか。

 そのための政策決定から研究開発のあり方が、国と企業の国際競争力であり、その中核に位置するのが知的財産権である。そのような世界観をしっかりと描き、これからの日常活動に取り組んでほしい。変革には果敢に対応し、新しいものには臆せず立ち向かうのが馬場研の伝統である。

 その伝統を守る社会活動を続けてほしい。これが馬場研で学んだ同志4人に送る私のメッセージである。 

                          2008年3月19日 馬場 錬成

 

修了式の日、袴姿の小國聡美さんと記念写真

2007年プロジェクト研究

2007年の馬場研究室の研究生と研究テーマは次の通り。 

 

押久保政彦                           出願動向から考察する小売等役務商標制度の現状に関する研究 

有馬 徹                            グローバル経済化における日本の未来と日本の責務          ―日本が果たすべきリーダーシップ―

小国聡美                           光触媒に関する特許動向と市場動向及び標準化に関する研究 

佐藤貴臣                                                        日本国内における知的財産侵害事犯の現状と対策

 

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年3月のアーカイブ

                               
                 

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2008年03月30日

3月30日 門前仲町の桜が満開

 

 

 

 

  門仲の桜が満開である。黒船橋のかかる隅田川の支流の小さな川である大横川で、手漕ぎの和船に乗って川面から桜を見物した。

 両岸から川面に張り出した桜並木は圧倒的であり、その下を静かに進む和船からの桜見物は格別である。地元にいて初めて乗った観桜だが、これはお勧めであり来年は和船からの観桜会を開催したい。

 舟からの観桜のあと、門前仲町にある京都の漬物や「近為」でブランチをとったが、近くのアクセサリー店の前に写真のようなワンちゃんが愛嬌をふりまいていて人気者になっていた。 

 

 

 

 

 

3月28日 日本弁理士会外部意見聴取会

  19年度の第3回外部意見聴取会が開催され、日本弁理士会臨時総会の報告や継続研修に関するガイドブック、倫理問題のテキストなどについて検討、論議を行った。 

  継続研修については、日本弁理士会も着々と準備を進めているが、その中の1部になるe-ラーニングコンテンツ一覧が配布された。すでに87本のe-ラーニングが作成されており、弁理士研修のための科目や話題が多数用意されている。

  この中には企業の知財関係者など一般の人にもためになる科目や内容があるので、将来にわたっては一般公開も考慮してほしいとの意見も出された。 また弁理士業務標準案も提出され、報酬問題についても論議された。

3月26日 岐阜大学の経営協議会

  第23回国立大学法人岐阜大学経営協議会が開催され、多くの議事が論議された。筆者は、4年間にわたり経営協議会の委員を委嘱されてきたが、この委員会を最後に退任した。

 黒木登志夫学長もこの3月末で学長を退任し、新しく森秀樹副学長が学長に就任する。岐阜大学は地方大学の中でも非常に活性化された大学であり、この4年間に多くの改革案を消化し、古びた地方の国立大学から脱皮したものである。受験生からも評価されてきており、志願者数のアップにもつながっている。

 岐阜シンポジウムの評価も高く、参加者が全国から集まっている。最後の協議会で黒木学長は、教員免許状の更新についての事業は、誰が責任を持って実施するのか曖昧になっている現状を報告した。文部科学省の政策で進めているのだが、教員の身分は地方自治体に所属している。

 しかし自治体には、免許更新に伴って行うべき研修会などの予算はほとんどないため、教育学部を持っている大学に頼る事態になっている。このままでは、実効性のある更新事業は無理ではないかと黒木学長は憂いていたが、今後に大きな問題を抱えているようだ。

3月25日 早大大学院科学技術ジャーナリスト養成講座の追い出しコンパ

  早稲田大学大学院政治学研究科にある科学技術ジャーナリスト養成講座の第1回修了者をお祝いする追い出しコンパが新宿で開催され、教師、在学生が多数参加して楽しいパーティとなった。 

 これは文部科学省振興調整費の予算で、早稲田大、北大、東大の3大学で試行されている5年間の養成講座だが、早大の講座には現役、社会人など2人近くが参加して2年間のジャーナリスト講座を受講し、修士の学位を取得した。

 修了者の中には、2つ目の修士学位を取得したという高校の教師もおり、社会人になっても勉学に励む機運が高まっていることを感じさせた。

3月25日 学校給食の衛生管理に関する調査協力者会議

  中国の冷凍餃子事件を巡る食の安全問題が大きな関心ごとになっており、特に成長期せにある児童・生徒に食事を提供する学校給食の安全について論議した。

 この日は、学校給食衛生管理の基準の改定に向けての検討事項を論議したもので、食品納入業者の選定や食品の検収・保管などについて現行のままでいいかどうか検討を行った。

 今後も安全な学校給食を確保するための衛生管理について、検討を深めることになる。

 

3月25日 大学知的財産本部審査・評価小委員会

 今回は、「国際的な産学官連携の推進体制整備」の進捗状況について、3つの大学についてヒアリングを行った。

 知財本部の活動がどのように展開されそして将来展望はどうなっているのか。これは非公開となっているので具体的な内容は報告できないが、各大学ともに非常に熱心に取り組んでいる様子が分かった。 

 大学の知財活動は、第2期目に入りこれから正念場を迎える。イノベーションを起こすような優れた創出が本当に大学から出てくるのか。国際的な活動をどう展開するのか。旧帝大のような規模も人的資源も豊かな大学と、地方の国立大学と私立大学がどのような戦略で行くべきか。

 高度・専門的な技術が要求される時代になったとき、企業と大学研究室がどう棲み分けるのか。大学の自治・独立性と学問の自由という理念と折り合いながら、大学人は研究に取り組むことになるだろう。

 

3月24日 就職活動の模擬面接

 就職活動は4月いっぱいが勝負。その中でも面接試験が一番の要になる。というわけで馬場研の院生と筆者が客員教授をしている早稲田大学の院生を対象に、模擬面接を行った。

 模擬面接官を引き受けてくれたのは、人材紹介業を長年やってきた人と大企業の部長経験者の2人である。事前に面接の準備項目を配布し、一問一答の準備をしていたせいもあって、ほぼ順調な模擬面接だった。

 しかし細部にわたっては模擬面接官からアドバイスがあり、非常に有意義だったようだ。 本来なら就職試験を目指す多くの人にやりたいところだが、模擬面接官の時間の都合で馬場研関係者だけにとどめている。

3月22日 MIP修了記念パーティ

 

 MIPの修了者が主催する記念パーティが、ホテルエドモンドで開催された。教師と院生が一堂に会したパーティは最初で最後になる。2年間の思い出を語り合い、教師たちは、修了者たちの門出を祝った。

 アトラクションに福引があり、筆者のナンバーの下2桁は「86」。これは中国の国のコードである。国際電話を中国にする場合、頭には必ず86がつくので、中国と付き合いのある筆者には、馴染みのコードである。

 これはひょっとすると・・・と思っていたらやはり1等賞を射止めた。いただいたものは、任天堂の「Wii」というゲーム装置。嬉しかったが、しかしこれを駆使して楽しむ時間はなさそうなので、当日の準備でご苦労した幹事の1人にプレゼントして大喜びされた。

 

3月19日 学位記・修了証書授与式

 

 今年度の修了式が3月19日に、九段の日本武道館で開催された。今年の東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の修了者は86人である。

 博士、修士、学士の各学位を授与する式典は、毎年同じ手順で粛々と進行される儀式であり、それ自体は退屈なものであるが、しかし見る者はやはりなにがしかの感動が伝わってきて飽きない式典でもある。

 特に社会人で終了したMIPの人たちは感慨もひとしおではなかったかと思う。 

 

2008年03月19日

山形県のサイエンス・ナビゲーター交流合同会議で講演

「子供の科学する心醸成に係る連携会議およびサイエンス・ナビゲーター交流会合同会議」

  山形県は、科学技術振興の一環として県民の科学リテラシー向上に対する施策を積極的に推進している。

 この日は、県の研修センターに、サイエンス・ナビゲーター、教諭、総合学習センターの館長、教育庁の職員など約30人が出席し、筆者の講演と今後の事業計画について論議を行った。

 筆者は「知識社会の到来と国民の科学リテラシー」と題し、まず時代認識について説き、1990年代の後半から世界的に起きているIT産業革命について講演した。

 また後半には科学リテラシーについて考え、OECDが2001年に行った科学リテラ シー調査のテストを参加者に出題して回答してもらった。11問の質問にマルまたはバツで回答するもので、日本人の平均正解率は11問中6問である。この日 の回答では、全問正解者が1人、10問正解者が5,5人おり、日本人平均よりもぐんと高い結果をだした。

 

 

 

 

山形県科学技術会議が開かれる

 次期重点推進方策を検討

 山形県科学技術会議が3月17日に開催され、次期重点推進方策についてその方向性を論議した。

 山形県は、国が策定している第3期科学技術基本計画を受け、県の試験・研究機関を見直し、時代に合った体制を構築してきた。これまでも競争力が期待される分野での研究開発の推進、研究開発プロジェクト、新産業の創出に向けた支援の強化などについて推進している。

 次期重点推進方策の方向性としては、知的財産の戦略的な創出・活用の促進、人材育成と人的ネットワークの形成などを挙げており、この日の会議でも熱心に論議された。

 また、会議には、試験研究機関などで出された最近の主な研究成果が発 表された。その中で、県衛生研究所が行ったエンテロウイルス71型の変異と抗原性に関する研究は、いくつかの変異株を分析しても抗原性に差異がないことを 確認し、今後のワクチン開発へ貢献する成果となった。

 また、コシヒカリよりも食味ですぐれた水稲「山形97号」の成果が発 表された。倒伏があまりなく育成が容易であり食味の検査でもコシヒカリを上回る結果が出ており、山形発でおいしいご飯が食卓にのぼる日が待たれる。来年に は育成者権を確立し、平成22年から市場へ出す予定だという。

 

2008年03月12日

自民党・知財戦略調査会が開かれる

 コンテンツ振興策とオープン・イノベーション対応で策定

 自民党政務調査会の知的財産戦略調査会が3月12日に開催され、先に2つの専門調査会でとりまとめた報告書について論議した。

 「デジタル時代におけるコンテンツ振興のための総合的な方策について」と「オープン・イノベーションに対応した知財戦略の在り方について」の2つの報告書である。いずれも知的財産戦略推進事務局にある専門調査会で取りまとめたものである。

 コンテンツ振興については、①コンテンツを取り巻く環境の急激な変化に素早く対応す る、②コンテンツ産業が持つ強みを最大限に発揮する、③グローバルビジネスを展開するーの3本柱を課題としてしており、その基本理念に「コンテンツ・フロ ンティア(市場・創造)の開拓」を掲げている。

 一方、オープン・イノベーションの方は、企業などの研究開発力をアップするために、外部から研究成果を導入して事業化することを推進するもので、戦略的な知的財産の活用に結び付けようとする施策の推進である。

 この実現にはいくつかの基盤整備があげられている。学術・技術情報の利用環境や情報技術の利用環境を整備することによって、大学から良質の知財の提供を受けられるようにすること、知財を事業化する総合プロデュース機能を整備することなどである。

 自民党は、こうした施策について積極的に取り組む方針を表明しており、この日の調査会でも議員の間から課題を乗り越えていく意見が出され、政府側の各省の知財担当者からこれを実現しいく方針が示された。

 

学校給食における衛生管理

 学校給食の安全性で論議

 中国から輸入された冷凍餃子をめぐって輸入食品の安全性が論議されているが、学校給食現場でも衛生管理とは別に大きな課題となってきた。

  文部科学省の「学校給食における衛生管理の改善・充実に関する調査研究協力者会議」は、厚生労働省、農水省と連携しながら、学校の給食に安全な輸入食材が届くような仕組みを考えることを論議した。

  餃子事件で問題となったのは中国の天洋食品が製造した製品だが、文科省の調べによると、同社の冷凍食品を給食に使っていた学校給食現場は、全国で578校にのぼることがわかった。

 健康被害が出ていなかったのは幸いだったが、今後、同じような問題が出ないように水際で防止する仕組みを考えると同時に、学校給食現場で購入する食材について、安全性の点検をどのようにすることが効率的か論議を続けることになった。

 

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年01月03日

2007年を総括する

 これまでの人生でもっとも多忙だった1年 

 2007年は、私の人生に中でもっとも多忙を極めた年であった。67歳を迎えたいま、このような多忙を体験するとは夢にも思わなかった。主な仕事を列記すると次のようになる。 

 第1は、本業である東京理科大学知財専門職大学院の専任教員としての仕事である。これは例年通り知財戦略論、科学技術政策論、知財プロジェクト研究という3つの授業を担当したものであり、全力を挙げてこの仕事には取り組んだ。 

 第2は、科学技術振興機構(JST)中国総合研究センターのセンター長としての仕事である。1週間のうち2日半の勤務時間であったが、その時間を作るのが難しくなったために1日半に短縮してもらった。

 しかし、小泉政権退陣とともに日中の学術交流が盛んになり、中国の科学技術関係者ら中国側の要人との折衝や接遇などが増えてきたこともあり、日常の判断・決済もこなしながら十分に仕事ができたとは思えなかった。 

 第 3は、早稲田大学大学院政治学研究科に設置されている科学技術ジャーナリスト養成講座の客員教授としての仕事である。これは後期だけの授業であるが、時間 的制約の中で科学技術ジャーナリストを目指す院生諸君の講義と指導という役割をこなすことはこれまた大きな負担となっていた。 

 第4は、2009年4月から東京理科大学に設置される新しい大学院の設立推進委員長としての仕事であった。これは現在の理学部大学院理学研究科の中にある理数教育専攻を発展的に拡充改組し、科学文化の概念を取り込んだ新しい大学院の設置である。 

 こ れについては、膨大な時間と折衝の苦労を体験したが、結果的には文部科学省に対する届出手続きに落ち着いて私としては中途半端な終結となった。大学に根強 くある(と思われる)守旧思想を垣間見ることができ、貴重な体験であった。これは今後10年、20年先の後輩たちに伝えるために、いずれその全貌は書き残 して死にたいと思っている。一般社会常識では理解することができないことが、大学の中ではまかり通っているとの思いを強くした。  

 振って沸いたハプニングで多忙に輪をかける 

 第 5は、ハプニングとして発生したある事件である。この事件は決着していないのでこれ以上触れることはできないが、私はその当事者の支援を引き受けた形とな り多くの事柄に関与した。今後も解決するまでは関与することになるが、結果としては「問題は何もなかった」という結論になると信じている。 

 この事件でも膨大な時間と労力を費やした。特に夏の暑い盛りには、この事件の収拾策に奔走することが多かった。1999年から続いてきた毎年1冊以上の本の出版という執筆活動は、今年は多忙にさえぎられてついに途絶えることになった。私の本務はジャーナリストとしての社会活動である。

 執筆活動はその柱である。東京理科大学知財専門職大学院の専任教員という仕事は、ジャーナリスト活動の延長線上にあると理解している。また院生諸君にもそのように伝えている。研究大学院とは違った教員活動を要求されている専門職大学院だからできることである。

 いずれにしても、このような多忙な状況は全部の仕事を完璧に遂行することを困難にしていることから、中国総合研究センター長を2007年12月末日をもって退任することにした。また、早稲田大学の客員教授も、2008年度から読売新聞東京本社編集局科学部長の小出重孝氏に譲ることにした。

 この2つの大任を辞退することによって、本来の仕事に打ち込むことにし、時間的な余裕を持つことによって再びジャーナリストとしての仕事に取り組むことにした。2007年は、私にとって1つの転機を迫った年であり、新しい視点を持たせた年でもあった。多くの協力をいただいた関係者には心から感謝している。 

               
                               
               
             

                           

                   
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2007年11月04日

学校給食甲子園は千葉県代表が優勝

 

選手宣誓をした代表が2時間後に優勝旗をもぎ取る

昨年に続いて奇跡を起こした千葉県勢

 第2回全国学校給食甲子園大会が11月4日、東京・駒込の女子栄養大学で開かれ、千葉県代表の匝瑳市野栄学校給食センター(秋山真理子栄養士、小川徳子調理員)が優勝した。

 秋山さんは大会の冒頭、選手を代表して選手宣誓を行ったあとの2時間後には大優勝旗と優勝カップをもぎ取るという離れ業をやってのけ大会を一気に盛り上げた。 

 準優勝は滋賀県代表・守山市立守山小学校(廣田美佐子栄養士、井上宏子調理員)で、学校から校長、教頭らが応援に駆けつけており、発表の会場で感動を分かち合った。

 特別賞として女子栄養大学から授与されたのは江戸川区立下鎌田小学校(千葉幸子栄養士、長谷川雅亮調理員)で、地場産物のない東京にあって、唯一、地元産の小松菜を使った様々な料理が評価された。

 また、北海道代表の江別市立学校給食センター対雁調理場(菊地恵美子栄養士、諏佐久美子調理員)は、特別賞として特定非営利活動法人21世紀構想研究会から授与された。北海道産の小麦、大豆、トマトなど大地に根差した料理が評価された。  

 

               
                               
               
             

                           

                   
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2007年09月30日

ますますお元気な松下昭先生

 
スイカは特許侵害だとソニーとJR東日本を訴えた松下博士
 歴史的な特許侵害訴訟として話題になっている松下昭博士と本日、インタビューを行った。先生は東京理科大学知財専門職大学院でも毎年、教えている先生であり、独自のアイデアで世に出したワイヤメモリーは、電子情報の歴史を書き換えたほどの画期的な発明だった。
そのご、このこの特許発明は産業現場で役立つ製品化にの成功したが、すぐに半導体チップに世代が交代して、貢献する時間は非常に短かった。しかし産業史燦然と輝く大発明である。
この発明の後に出てきたのが通称「松下特許」と言われる非接触で情報と電力をやり取りする基本特許である。JRで使用されているスイカは、まさにこの技術を利用したものであり、松下特許に抵触するというのが博士の主張である。東京地裁での判断が待たれる。

2007年09月02日

馬場研メンバーから坊っちゃん賞の「副賞」が贈与される

坊っちゃん賞の「副賞」が贈与される

馬場研メンバーが贈ってくれた素晴しいプレゼント

  

上の写真は「副賞」を手にして喜ぶ筆者

下の左は坊っちゃん賞、右は贈与された「副賞」

      

 2007年1月6日、私は思いもよらない「坊っちゃん賞」をいただいた。この賞は、東京理科大学に貢献したOB,OGに与えられる賞であり、突然の授与にびっくり仰天だった。

 というのも当日、受賞式が挙行されることも知らないで、会場のホテルへと向かった。その日は朝からあいにくの冷雨であり、私は出席するのをためらっていた。そこで同窓生から誘いの声がかかり、渋々、会場へ向かった。

 受付すると大きな花の胸章がつけられ、会場の最前列の端に案内された。いったいこれは何だろうと案内の女性に聞いてみると「先生は、坊っちゃん賞受賞しました。本日はその授賞式です」と言う。すでに式典は進んでおり、ほどなくステージに上がるようにアナウンスされた。

 青天の霹靂とはこのこと である。他人の話としては面白いが自身がその主人公になっていることに2度びっくりだ。受賞のスピーチは、その霹靂の有様を正直に話したから大うけだっ た。理窓会は私の研究室に受賞の連絡を何度も試みたらしいが、いつでも留守であり、そのうち受賞式当日になったということらしい。研究室の滞留時間が短い ことも、この一件でばれてしまった。

 その授賞式から8ヶ月後、馬場研の暑気払い飲み会が神楽坂で開催された。その会場で、ばかでかい袋に入ったプレゼントがこれまた突然授与された。聞けば坊っちゃん賞をお祝いするプレゼントだという。いわばこれは「副賞」だろう。

 いや、まったくもって、 何もかもこの大学の「行事」は何となくずれているところに特色がある。そんなことはどうでもいいのであって、賞と名のつくものは、久しぶりにもらった。現 役時代は、読売新聞社から社長賞2回を含む9つの賞をもぎ取った。これはいわば取材活動の汗の結晶であるが、今回の坊っちゃん賞も、その素晴らしい「副賞」もその結晶に劣らず重みのある賞となった。

 ここに馬場研の皆さんに、心から御礼を申しあげます。

 有り難うございました。

 

立石哲也先生らが「生体医工学の軌跡」を刊行

 

医工学の進展を報告したためになる本
 工 学分野の研究者が医学畑で活躍する現場を紹介した本である。編著者の立石哲也先生とはときどきお会いして、医工学分野の研究進展をお聞きする機会がある。 この本では、ピンポイント診断や治療のためのナノデバイスの研究、人工関節の素材の開発、金属材料からバイオマテリアルまでのフレークスルーの話などを分 かりやすく解説している。

 

 

東大の中尾政之教授が「失敗は予測できる」を刊行

 

失敗は本当に回避できるのか

 失敗学の創始者である畑村洋太郎先生の後継者である中尾先生が、失敗学の実践編として書いた本である。200例からなる実例を検証し、失敗の裏側に潜む真の原因をあぶりだして、失敗から成功への道筋を探ったユニークな本である。

 

2007年09月01日

台湾の知財活動を取材

     台湾で弁理士制度がスタート

 

 これまで弁理士制度がなかった台湾で、2007年6月17日に弁理士法が成立し12月16日に施行されることになった。この機会に台北市で活動する台湾の代表的な弁理士・弁護士のお2人を訪問し、台湾の知財の現状をお聞きした。

 

 

劉勝芳先生(連邦国際専利商標事務所・国外部副理)に聞く

 

 劉先生によると、台湾では弁理士制度がなかったが、弁理士法の成立とともに弁理士試験を実施することになり、このほどその受験資格について検討したばかりだったという。

 台湾特許庁と専利法は1949年1月に施行されていたが、弁理士資格については法的な根拠はなかったという。来年からは弁理士試験を実施して合格者を決めるという。また台湾特許庁の審査官を4年以上勤めた人は、弁理士資格を取得できる。

 

 最近の台湾の知財活動は、2006年の特許出願数は、日本からの出願が、約1万1000件、台湾から日本への出願が1800件余、実用新案は約1500件余だったという。

 台湾からアメリカへの出願は約7万件、中国へは約3万8000件としている。台湾ではいま、知的財産権財庁を設立する準備を進めており、2008年4月からスタートする予定だという。

 知財の侵害訴訟はそんなに多くないという。訴訟になっても、和解が多くなっている。 模倣品の侵害訴訟は少なくなってきており、侵害訴訟の多くは著作権の問題である。

 最近、台湾の工場が中国に移転しており、いま中国で働いている台湾人は約100万人という。人口約2200万人のうちの100万人だから相当の数である。特許出願費用は、中国のほうが出願費用、代理費用が高くなっているという。  

 

 李文傑先生(理律法律事務所(LEE&LI)弁護士)に聞く 

 

 李先生は知財弁護士として活躍しており、仕事は侵害事件が多いという。台湾弁理士法(専利代理人法)が公布されたので12月16日の施行からは、出願関係は代理人の資格がないとできなくなった。

 近年、台湾の多くの工場が中国に移転しており、台湾の工業力が弱体化するのではないかという心配はあるという。中国は台湾に比べて人件費が安く、多くの工場が移転していった。

 

 しかし、R&Bは、台湾で行うことが多いとも言う。いま担当している侵害訴訟の90パーセント以上は、日本企業である。つまりクライアントは日本企業だ。多くの訴訟は著作権侵害によるコンテンツ関係が多い。CD、DVDの侵害が多いという。

 台湾では半導体、液晶技術は自力で開発してきたものがあり、こうした 技術を知財で守ることも重要だと語っている。

               
                               
               
             

                           

                   
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2007年04月24日

4月19日(木) KASTで知財戦略の講演

 

財団法人神奈川科学技術アカデミー(KAST)主催

「実務者のための『強くて良い特許網の構築』コース」

~訴訟に勝てる実践的特許戦略~ 

 こ の教育講座は、知的財産を経営の重要な要とする技術志向企業に所属する経営者、研究・技術者、知財担当者、技術系本社スタッフ、研究・技術リーダーを対象 に、特許制度の今後の動向、プロパテント化の目指すものは何か、研究リーダーの役割は何か、出願明細書作成のポイント、最近の重要判例について、知的財産 分野の第一線で活躍中の講師陣による実践的なセミナーを開催するものだ。

 カリキュラム編成は、宇都宮大学の知的財産センター長の山村 正明教授が担当した。筆者は約30人の受講者に対し、90年代から始まった第3次産業革命ともの作りの現場の変革、知識社会の移行の中で始まった新しい技術革新をめぐる研究開発の国際的な競争の中での知財活動、中国の技術革新と知財活動などについてレクチャーを行った。

 

 

2007年04月21日

4月19日(水) 東北電力の顧問会議に出席

原子力の品質保証体制と課題について論議

 東北電力の「原子力の安全と信頼に関する顧問会議」が、19日、東北電力で開催され、東北電力の現場から出されている課題の対応策などをめぐって活発な論議が行われた。

 筆者は、品質保証体制を機能させるには企業トップがいかに係わるか、さらに技術革新に 合わせて、劣化するプラント、設備などをいかに近代化していくかが大きな課題になると主張した。劣化の科学という学問も走り出しており、成熟した社会に あって様々な設備・プラントが劣化をしており、その品質保証に大きなコストがかかる時代になってきた。

 このコストは、国家としても社会としても企業としても必要経費であり、劣化をいち早く 感知し、それを補正していくメンテナンスが重要であり、そのための技術革新も始まっている。すでにアメリカでは、GDPの3%以上が劣化の科学の研究投資 額になっているが、日本はまだ1%程度である。

 知識社会への変革にしたがって技術開発も新しい局面へと変貌してきていることを敏感に察知し、対応に遅れないようにしたい。

 

4月20日(金) 科学技術リテラシー企画推進会議

  

21世紀の科学技術リテラシー像

 

~豊かに生きるための智~プロジェクト
 

続きを読む

折り紙名人は国際知財活動をする弁理士

世界に発信する日本の「折り紙文化」 
 
日米で活躍する国際弁理士・矢口太郎さんにインタビュー
 
 
 
たった1枚の紙からご覧のように新幹線が折れてしまう。  
  
 
これも一枚の紙から折った車 
写真でご覧の作品は、弁理士の矢口太郎さんが作成した折り紙である。
これらはたった1枚の紙からおりあげたものだが、信じられない作品だ。
折り紙の展開図、つまり折り紙の柄は、すべて日本、米国、欧州の特許庁
に意匠登録されたか出願中のものばかりだという。一部は、米国著作権庁
に著作権登録されているという。
折り紙文化とその知的財産については、近く日経新聞ホームページのコラム
「ビズプラス」の「知財で勝つ」に執筆する予定です。ご期待ください。
矢口さんの活躍は「taro's origami studio」でご覧下さい。

2007年04月17日

4月17日(火) 銭其琛回顧録の出版記念パーティ

「銭其琛回顧録 中国外交20年の証言」

(銭其琛著、濱本良一訳、東洋書院)

  出版記念パーティが、17日午後6時30分から、ホテルニューオオタニで開催され、日中の要人が多数出席し盛大な日中交歓会となった。

 詳報は、本サイトの中国総合研究センターでご覧ください。 

2007年04月15日

4月14日(土)  東京理科大学大学院修士論文構想発表会

         東京理科大学大学院 理学研究科 理数教育専攻

修士論文構想発表会 

  修士論文をどのような構想で書き上げるのか。その内容をパワーポイントでまとめ、プリントしたレジメをもとに発表する構想発表会が開催され、見学に行った。

 

 学内の2つの会場に別れて開催されたが、初めて見学してびっくりした。どの院生もパワーポイントを工夫して作成しており、プレゼンテーションのやり方もよく訓練されており、感心した。

 私の研究室の修士論文(専門職大学院ではワーキングペーパーと呼んでいる)の取り組みでも大いに参考にしたい。

 

MIP2期生が「ベトナムの風」を出版

 MIP2期生の東村篤さんが本を自費出版しました。紹介の中身は、このHPの「東京理科大知財専門職大学院」のコーナーにあります。

 ご覧ください。

2007年04月11日

JETROが植物新品種の保護と活用でレポート作成

 JETROが植物新品種の保護と活用のレポートをまとめる

 日本貿易振興機構(JETRO)は、植物の新品種に関する知的財産権の現状と課題をまとめたレポート「植物新品種の育成者権の活用と保護の戦略」を作成し、JETROの農水産情報研究会に加入している約500社に配布した。写真は執筆者の農水産調査課の阿部道太さん。

 

  このレポートでは、育成者権とは何かから始まり、種苗法と品種登録の実際、育成者権の活用戦略と侵害対策などについて現状を取材した内容と解説、将来展望など多岐にわたってまとめている。

 このテーマについてこれまで参考資料や報告書がなかっただけに大変、参考になる内容だ。特に花の国際的な流通機構や侵害の実態などを取材した内容は、ビジネスの現場の空気も伝えていてためになる。

 お問い合わせは、JETRO農水産調査課まで。 

 電話03-3582-5186 Mail:[email protected]

  

 

2007年04月08日

中国総合研究センターのご紹介

 中国総合研究センターは、2006年4月から、独立行政法人科学技術振興機構(JST)に設置されました。

同センターは、中国の科学技術関係の諸団体や機関との相互理解と学術交流を目指す一方、中国の科学技術関係のさまざまな成果を日本に伝えたり、日本の科学技術関係のニュースを中国に伝える役割を担っています。


 

「銭其琛回顧録 中国外交20年の証言」

 本書は、1982年から2003年まで中国外交の中心にいた銭其琛 氏の回顧録であるが、すでに数カ国語に翻訳されている。今回、日本語訳として出版されたもので、翻訳を担当したのは読売新聞調査研究本部主任研究員の濱本 良一氏である。濱本氏は2回にわたって北京支局に駐在した国際記者であり、銭氏が外務大臣をしていた時代からお互いに知り合っていた。

  銭氏が外務大臣として活躍した時代、世界はIT産業革命に突入した時代であり、特に2000年をはさんで中国が急激に発展した時代でもある。銭氏が世界各 国を回って中国外交を展開したその詳細な記録がそのまま著書となったもので、外交史の観点からも貴重な文献になるだろう。

  昭和天皇が崩御して大喪の礼が行われたとき、銭氏は中国を代表して大喪の礼に参列したが、実はその直前に竹下首相の先の大戦に関する国会答弁をめぐって、 日中間には重大な外交障壁が持ち上がっていた。昭和天皇に戦争責任はないとする竹下首相の答弁に対し、中国政府が激しく反発したものであった。

  銭氏は、そのときの日中政府間の対応と中国政府の判断を解説しながら、弔問外交の舞台裏を生々しく再現している。またこの時に23年間にわたって中断して いた中国とインドネシアの関係を回復させたインドネシア大統領との会見も記している。弔問外交の成果として高く評価されたものだ。

  銭氏は日本語版の出版にあたって冒頭で特に序文を書いているが、その中で「中国のいにしえの聖賢たちは、仁と義をよりどころにすれば、道は人を遠ざけるこ とはないと説いている。誠意と真心で正しい方向に絶えず進めば、われわれは崇高な目標に近づくことができよう」と説き、日中友好の発展を希望している。

 銭氏は日本の政治家とも深い交流があり、この日のパーティには、海部俊樹、羽田孜の両元首相、河野洋平衆院議長、福田康夫、中山太郎、山崎拓氏ら政界の大物が顔をそろえるなど盛大なお祝い会だった。

 著者の銭氏も当初から出席の予定だったが、手術を受けた後であるため海外旅行を医師団に止められており、やむなく来日を断念し、日中友好発展を望むメッセージを寄せ、これを王毅中国大使が読み上げた。

 

「創英ヴォイス」「創EI VOICE」

 

 「ソウエイヴォイス」が50号一歩手前 ということは「49号」を発行 

  創英国際特許法律事務所(長谷川芳樹所長)の機関誌「ソウエイヴォイス」の49号が手元に届いた。知財情報だけでなく、ソウエイ集団の個性が様々な形で集約されている面白い雑誌である。その中でも冒頭に掲載している「視点」は長谷川所長が書いている主張・論評である。

 今回、長谷川所長は「職務発明の対価は本当に必要 か?」、「大学知財の先覚者たち」、「中小企業待遇の新しい仕組み」、「失われつつある実務習得の環境」の4題話を書いている。どれも主張点がはっきりし た意見公開であり、読み手にはなにがしかの感慨を抱かせるものだが、その中でも中小企業の優遇対策については特に共鳴した。

 長谷川所長は「出願公開制度の実質的廃止」を提示し ている。中小企業には、出願と同時に審査請求をすることを条件にして、出願公開を待たないで審査を終了するというものだ。これによって、特許権を得られな かった出願案件については、公開前に出願を取り下げられるので、世間に知られることがなくなる。中小企業にとっては、たとえ特許にならなくても、心血を注 いで開発した自社技術が公開されないことになるのは大きな意味がある。

 この制度が実施されても特許制度の基本を曲げるものではないと長谷川所長は言う。今の公開制度は、もともとは特許庁の審査が遅いことに起因しているものだからだ。

 「ソウエイヴォイス」には、内外の知的財産に関する実務上の解説や調査ものが掲載されているだけでなく、所員の日々の活動を語るコーナーや趣味道楽の話、クイズなどもあって楽しめる。50号記念特集、たぶん、そうなるであろう次号を期待している。

 

 

2007年04月07日

4月7日(土)

 07年度の馬場研がスタート

 今年の馬場研メンバーは5人の精鋭でスタートを切りました。メンバーは、有馬徹さん、押久保政彦さん、佐藤貴臣君、小國聡美さん、渡辺彩さんです。このうち有馬さん、押久保さん、小國さんは社会人です。

 級長は押久保さんに依頼しましたが、昨年の丹波さんに続いて押久保さんも弁理士です。ワーキングペーパーは、06年度に劣らず素晴らしいものが出てくると期待しています。

 

4月3日(火)

 

 「知財紛争 トラブル100選」(梅原潤一編著、三和書籍)

 弁理士の的場成夫先生か ら贈呈されたこの本は、実務に役立つ100の知財紛争を事実の概要、判例の要旨、解説という3つのカテゴリーで簡潔に提供している本である。知財の判例集 はいくつか出ているが、法的論拠に偏っているために初心者には難解なものであり、とっつきにくい。

 この本は、アルプス電気株式会社の技術法務部のスタッフのみなさんや特許事務所の弁理士たちが手掛けたものであり非常にわかりいい。判例は特許法、意匠法、商標法、著作権法、不正競争防止法の代表的な事例を取り上げており、ためになる。

 的場先生は、知財の知識普及にも熱心な先生で、ウエブサイトでも役立つ情報を発信しているので是非、こちらもお勧めしたい。

 的場先生のサイト

 

2007年04月03日

3月27日(火) 岐阜大学

 岐阜大学の経営協議会 

 岐阜大学(黒木登志夫学長)の経営協議会委員を委嘱されており、今年度の会議に出席した。国立大学が独立行政法人に移行するにしたがって、外部の有識者の意見を経営にも取り入れ、より機能的に大学を経営していくために設置された組織である。

 議事は19年度の計画と予算、組織規則の制定や学則 の改正などであり、大学経営の現状を知るためには非常にいい機会である。その内容についてはここでは触れることはできないが、一言で言うと岐阜大学は非常 に意欲的に改革に取り組み、着実に研究実績もあげるなど地方大学のモデルになっている。

 近隣には名古屋大学、名古屋工業大学などもあって、厳しい競争が強いられているが、身の丈をわきまえた大学経営は他の地方大学にとっても参考になるだろう。

 高い満足度を示した意識調査結果

 岐阜大学では教職員、学生、院生に対し、意識調査を 行い、経営協議会でその結果が報告された。その中で注目したのは学生の満足度調査である。たとえば「あなたは昨年度の設定した学修達成目標を達成できたで しょうか」という設問に対し、「達成できた」が31%、「ほぼ達成できた」が41%で、あわせると72%だった。

 「あなたは大学の卒業後の進路について考え、そのた めの行動をしていますか」との設問に対しては、「進むべき方向を決定し、そのために必要な行動をとっている」とした学生は42%、「進むべき方向は決定し てるが、そのための行動はしていない」とした学生が20%だった。進むべき方向を決定している学生は62%である。

 これを多いとみるか少ないと見るかは見解の分かれる ところだが、是非、他の大学の学生の意識調査と比べてみたい。そのほかの設問では、大学の施設、教育機材などの満足度を調べているが、普通以上とした学生 が70%近くであり、シラバスの整備状況についても普通以上とした学生が76%あった。

 私はこれまで岐阜大学とは何の縁もゆかりもなかった が、委員になって以来、岐阜大学の陰の支援者になってしまった。学術研究などの活動や、大学の知財本部の活動状況などについても、岐阜大学の状況を気にし てみており、活動が活性化するのを聞いたりみたりすると嬉しくなる。「頑張れ!岐阜大学」である。

 

               
                               
               
             

                           

                   
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2007年03月06日

馬場研掲示板開設

馬場研究室掲示板


 馬場研究室の掲示板がスタートしました

 馬場研究室に所属する院生だけが利用する掲示板を設定しました。

 1期生の姜真臻(キョウ・シンシン)君がセットしてくれたものです。

 利用方法

 ブログの馬場研究室開設から→馬場研究室掲示板に入ってください。

 入る時は共通のPWが必要です。

 次の画面で、各自の情報などを書き、「書き込む」をクリックしてください。プロフィールはブランクでもOKです。

 次の画面が出たら、下のほうに見える画像・動画を投稿せずに完了をクリックしてください。画面が出ると、自分の書いた文章が確認できます。

 馬場研の諸君の連絡、情報交換など皆さんで自由に使用してください。不特定多数の人が使用するような掲示板にすると、ルール違反のケースが出てくる可能性は高いので、MIP馬場研だけに限定しました。

 ただし、MIPなどの友人などで利用したいという人がいれば、歓迎しますので皆さんの責任内で加わるように裁量してください。

 以上です。

 馬場錬成

               
                               
               
             

                           

                   
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2007年02月25日

執筆活動

 このサイトは、日常的に執筆している活動を記録するコーナーである。

2007年02月24日

2000年以降に発表した論文などのリスト

「中国の知的財産権の現状と将来展望」   「改革者」 2007年7月号

「給食の地場産物、食文化を育む」 「時事評論」2007年6月号

「知財フロントランナー回想録 知財の取材現場で知った産業構造の激変」 「ライトナウ」2007年4月号

「地域団体商標 地域に夢与える制度に」 朝日新聞「beword」2006年4月29日 

「キヤノンのインクカートリッジ訴訟事件 消費者感情として疑問が残る逆転判決」 「エコノミスト」2006年3月14日号

「知的財産侵害 ますます巧妙、悪質化。ホンモノ駆逐する中国ニセモノ展示館の仰天コピー商品」SAPIO 2006年4月12日号 

「物理学校」余話―明治時代の理系白書 「科学ジャーナリスト会報」2006年5月

 「知財立国への制度改革とその成果」                                                                          オペレーションズ・リサーチ Vol.51 No.8 2006

「中国の科学技術と研究現場の現状 国家戦略で急進展、先進国を急追」 時事評論 2006年11月号

「大丈夫か旭化成のものづくり」 A-SPIRIT MARCH

「知識社会の到来に横たわる日本の課題」 Science & Technology Journal Apr.2005

「知財立国への途」 「経済人」2005May 

「知的財産推進 時代先取りする施策必要」 読売新聞「論点」2005年7月6日

「国立大学の法人化と学術研究の推進 学術研究か教育かー身の丈に合った大学経営が重要だ」

 日本学術振興会 「学術月報」 2004年4月号 Vol.57 No.4  

 

〔2000年以降の主な論文、評論など〕 

「臨界事故の背景に横たわる安全意識と経済性」

       「エネルギーレビュー」 2000年4月号(P18-21)

 

「IT産業革命と日本のもの作り」 

       財団法人日本立地センター「産業立地」 2001年10月号(P9-13)

 

「情報とモノが求めるスピード」

       「NOVA」特別号 Vol.14 2000年

 

「ものづくり再生への道」

         「経営者」 2001年1月号 

「IT産業革命と日本のもの作り」 

         社団法人日本ロボット工業会 「ロボット」 2002年1月号 (P17-22)

 

「急進展する技術革新と特許重視の研究活動への期待」 

       日本学術振興会 「学術月報」 2002年1月号 Vol.55 No.1 (P32-34)

 

「大丈夫か 日本のもの作りーIT産業革命が製造業を変える」

       「東経連」 2002年4月号 

「日本の研究現場で席巻する外国製装置類を奪い返そう」

       月刊「エネルギーフォーラム」 2002年12月号

  

「日本の知的財産戦略」

       関西社会経済研究所レポート 2002年12月号

 

「我が国の科学とノーベル賞-利根川進先生の業績」 

 日本学術振興会 「学術月報」 2002年3月号 Vol.55 No.3 (P34-35)

 

「どうなる日本のもの作り」

       「産業立地」VOL.41 No.4 2002年4月号

 

「ブロードバンド時代のIT・金融・グローバル競争戦略」

       中央大学経済研究所研究会報 2002年5月31日発行

 

「知的財産立国へ改革急げ」

       読売新聞社論点 2002年10月30日付け

 

「科学技術創造立国へ求められるもの」

       「公明新聞」文化欄 2002年11月15日付け

 

「人間探検[35] 飯島澄男(NEC特別主席研究員、名城大教授)―ナノに潜む宝を発掘するノーベル賞候補者」

       「エコノミスト」誌 2002年12月8日号

 

「ジャーナリストから見た日本の知的財産」

 日本学術振興会 「学術月報」 2003年1月号 Vol.56 No.1 (P63-65)

 

「知の時代を勝ち抜く中小企業」-「知的財産を生かすための企業戦略」

       あさひ銀総研レポート 2003年2月号(P6-11)

 

「日本人にノーベル賞のチャンスがめぐってきた」

―3年連続受賞の快挙はまぐれではないー 

「JISTEC-Report」 2003年Winter Vol.46(P3-7)

 

「拡大する中国のニセモノ製造―転換迫られる産業技術の競争力」

                     「素形材」 2003年5月号

 

「日本を再生する第四次産業」

        「公明新聞」文化欄 2003年6月13日付け

 

「中国社会に見た第三次産業革命」

        「サイエンス&テクノロジー ジャーナル」2003年10月号

 


 

2007年02月23日

「弁理士受験新報」コラム・羅針盤

 法学書院の発行する「弁理士受験新報」のコラム「羅針盤」を執筆しています。

 弁理士試験の合格を目指して受験勉強をしている多くの方々への励ましになりそうなことや、知財現場の課題について少しでも役立つような情報を取り上げています。

著書

[著書]

《児童書》

「帰ってこいよ東京っ子サケ」(偕成社、1988年)

「母さんのじん臓をあげる」(偕成社、1989年)

 

《外国で翻訳出版された著書》

「腸内細菌」(中国語翻訳、台湾・青春出版社、1997年)

「ノーベル賞100年」(韓国ハングル語翻訳、2003年)

 

《中国関係》

「中国ニセモノ商品」(中公新書ラクレ,2004年)

「変貌する中国の知財現場」(共著、日刊工業新聞社、2006年)

 

《科学啓蒙書》

「人間この不可思議なもの」(共著、読売新聞社、1971年) 

「北の新博物記」(共著、太陽出版、1975年)

「恐竜の証言」(グリーンアロー社、1977年)

「サケ多摩川に帰る」(農山漁村文化協会、1985年)

「人体スペシャル・レポート」(共著、講談社ブルーバックス、1987年)

「科学面白トビックス」(講談社ブルーバックス、) 

「腸内宇宙」(健康科学センター、1992年)

「C型肝炎と閾う」(講談社、1996年)

「発想のタネになる科学の本」(講談社ブルーバックス、1997年)

「ノーベル賞の100年」(中公新書、2002年)

「物理学校」(中公新書ラクレ、2006年)

 

《知財関係書》

「やさしい知的所有権のはなし」(法学書院、1998年)

「知的創造時代の知的財産」(共著、慶應義塾大学出版会、2000年)

「大丈夫か 日本の特許戦略」(プレジデント社、2001年)

「知財立国 日本再生の切り札100の提言」(共著、日刊工業新聞社、2002年)

「特許戦略ハンドブック」(共著、中央経済社、2003年)

「知的財産権入門」(法学書院、2004年)

「新・特許戦略ハンドブック」(共著、商事法務、2006年)

 

《産業技術・産業構造関係書》

「技術革新と労働運動」(正村公宏編著、現代総合研究集団、1983年) 

「大丈夫か 日本のもの作り」(プレジデント社、2000年)

「日本のモノづくり52の論点」(共著、日本プラントメンテナンス編、2002年)

「大丈夫か 日本の産業競争力」(プレジデント社、2003年)

 

《その他のジャンル》

「高校紛争の記録」(共著、学生社、1971年)

 

学校給食

 全国学校給食甲子園のホームページ 

 http://www.kyusyoku-kosien.net/

 21世紀構想研究会は、教育活動の一つとして、食育推進計画の啓発と学校給食の重要性を世の中に広げるため、2006年11月から「全国学校給食甲子園」を開催しています。

 高校野球の甲子園大会にあやかって、学校給食の献立の全国コンテストを展開するもので、第1回大会には全国の学校給食の1514調理場が参加して、東京で盛大に開催された。

 第2回大会も2007年11月3日、4日に東京で決勝大会が開催される。

 
 

東京理科大学知財専門職大学院・馬場研究室

 阿倍道太さんの結婚披露宴

 研究室の阿部さんが、2007年3月4日、結婚式を挙げ、引き続いて披露宴を開催しました。JR目黒駅近くの邸宅風の会場ですが、整備されたお庭も素晴らしく、新郎新婦の手作りによる楽しく和やかな、大変印象深い披露宴でした。 

 


 

 

 馬場研究室は、平成18年度に初めて研究大学院生7人を迎えて、知財プロジェクト研究を行った。

 7人の内訳は、3人が学部から進級してきた院生で、残り4人は社会人である。それぞれのテーマを掲げて1年間かけて修士論文に相当するワーキング・ペーパーを書き上げた。

 その院生とテーマを次に紹介したい。

 


 

平成18年度修士論文

 

2006 年(平成18年度)の馬場研究室の院生は、7人だった。社会人院生4人、学部院生3人であり、いずれも知財のプロを目指す優れた院生ばかりだった。その7 人の修士論文(専門職大学院ではプロジェクト研究ワーキング・ペーパーと呼んでいる)のテーマは次の通りである。 

 

阿部 道太

 「植物新品種の育成者権保護・活用の戦略に関する研究」 

 

姜 真臻 

「多国籍企業のR&D活動から見た中国の科学技術政策戦略

            -上海張江ハイテクパークのケースについてー」 

 

杉山 忠裕 

「中国における模倣品対策から見た中国での市場戦略に関する研究」

 

 丹波 真也

 「先使用権制度を活用した知財戦略の有効性に関する研究」 

 

土屋 輝之

 「サプライヤー特有の開発成果保護に関する問題点並びに連携

 リスク回避のためのADR活用の可能性に関する考察-自動車業界

 に見る連携のリスクを中心に-」 

 

柳 勝人

「オープン・イノベーションにおけるデスバレーの克服」

 

IP NEXT コラム

 1965年から読売新聞社で取材記者を続け、2000年11月からは、フリーのジャーナリストとして執筆活動を行ってきた。

 取材した成果は、出版物として出したり、インターネットのコラム、新聞、雑誌などでも多くのコラム、論評を発表している。

 またテレビ、ラジオへの出演も多く、テーマはノーベル賞、知的財産権、学校給食などである。


 「IP NEXT」コラムには、「知的財産創出の現場」のタイトルで、ベンチャー企業の創業者とのインタビュー取材を掲載している。

 取材をしていつも感じるのは、日本には世間ではほとんど知られていない人物でも、もの作りに優れた才能を発揮する人材があちこちに存在しているという事実である。日本人の優れた創意工夫は、このような人々によって支えられていることを知らされる。

 

 

2007年02月22日

食トピックス

全国の学校で広く読まれている「学校の食事」(学校食事研究会発行)のコラム「食トピックス」に連載を始めたのは、2001年4月号からです。

それ以来、毎月、さまざまな食べ物についてエッセー風のコラムを書いてきました。読者が学校給食関係者が多いので、なるべく給食に関係したことに触れたいと思っています。

私が理事長をしている21世紀構想研究会では、2006年から

「全国学校給食甲子園」(www.kyusyoku-kosien.net/

を開催し、全国の学校給食の献立を競う大会を開催しています。

これは政府が推進している食育政策とも連動した社会活動です。

「食トピックス」の固定読者も増えており、反響が来るのが楽しみです。

2007年02月21日

21世紀構想研究会についてご紹介

 21世紀構想研究会

 わが国が、知的基盤の強固な研究現場と産業振興の技術革新を実現し、真の科学技術創造立国を確立するため、適宜、研究テーマを掲げて討論する場として、1997年9月26日、21世紀構想研究会はスタートしました。

 研究会の会員は、主としてベンチャー企業、行政官庁、大学、マスコミの4極から参加し、毎回、活発な議論を展開して来ました。

 研究会で得られた成果を社会に訴えて啓発をはかりながら、国の政策にも結びつくように活動するという目的も、回を追うにしたがって明確となり、政府審議会のパブリックメントなどにも積極的に発言するようにしています。

 研究会は、2000年7 月に東京都から特定非営利活動法人として認められ、さらに生命科学委員会(東中川徹委員長)、産業技術・知的財産権委員会(生越由美委員長)、環境・エネ ルギー安全委員会(千葉英之委員長)が下部組織として設立され、適宜テーマを定めて活動を続けています。

 まだ世に知られていないベンチャー企業の優れた技術を、研究会を通して広く認識してもらったり、これまであまり接点がなかった中央行政官庁の官僚との交流を通じて、政策への提言をすることも活動の一つにしています。

 会員数は現在約100人 であり、アドバイザーとして、荒井寿光・内閣官房知的財産戦略推進事務局長、安西祐一郎・慶應義塾長、黒川清・日本学術会議会長、利根川進・MIT教授、 吉川弘之・産業技術総合研究所理事長の方々にお願いし、適宜、活動への助言をいただいています。

日経bizコラム

日経bizコラム

 日本経済新聞のインターネットコラムの「ビジネスコラム」(略称・ビズコラム)に、2002年9月13日から連載を開始しました。

 知財現場のさまざまなテーマを書いていますが、固定読者も多く反響もあります。読者の関心が深いのは中小・ベンチャー企業の知財活動ではないかと思います。

 これからも、興味あるテーマを追い求めていきますので、よろしくご支援をお願いします。

中国総合研究センターのご紹介

 中国総合研究センターは、2006年4月から、独立行政法人科学技術振興機構(JST)に設置されました。

同センターは、中国の科学技術関係の諸団体や機関との相互理解と学術交流を目指す一方、中国の科学技術関係のさまざまな成果を日本に伝えたり、日本の科学技術関係のニュースを中国に伝える役割を担っています。

東京理科大学知財専門職大学院の紹介

東京理科大学知財専門職大学院

東京理科大学知財専門職大学院は、2005年4月から、日本で最初の知的財産専門職大学院として設置されました。

この専門職大学院は、知的財産に関する実務的な知識を習得するために学ぶ大学院であり、院生の3分の2は社会人、3分の1が学部からの進級生となっています。

また、教師の多くは企業で長い間知的財産権を扱う部署にいた方や弁護士、弁理士などである。いずれも知的財産の専門知識を持ったその道のプロである。


 MIP院生の東村篤さんが「ベトナムの風」を出版

   

 東村篤さんは、岡三ベンチャーキャピタル株式会社の投資部長をなさっている現役バリバリの知財人材である。日本広報学会、日本知財学会、日本ベンチャー学会、日本モノづくり学会など多くの学会に所属して精力的に活動を展開している。

 今回は、今年の3月にベ トナムを訪問し、1週間にわたって見聞してきた内容を政治、経済、社会、歴史、民俗などの視点から多角的にまとめている力作である。ポスト中国としてにわ かに脚光を浴びてきているベトナムだが、日本企業が進出するには、多くの課題が横たわっているようだ。

 この本は生きた教材であり、東村さんの社会活動の立体的で広角的な視点が存分に発揮されている。


 

平成18年度修士論文

 

2006 年(平成18年度)の馬場研究室の院生は、7人だった。社会人院生4人、学部院生3人であり、いずれも知財のプロを目指す優れた院生ばかりだった。その7 人の修士論文(専門職大学院ではプロジェクト研究ワーキング・ペーパーと呼んでいる)のテーマは次の通りである。 

 

阿部 道太

 「植物新品種の育成者権保護・活用の戦略に関する研究」 

 

姜 真臻 

「多国籍企業のR&D活動から見た中国の科学技術政策戦略

            -上海張江ハイテクパークのケースについてー」 

 

杉山 忠裕 

「中国における模倣品対策から見た中国での市場戦略に関する研究」

 

 丹波 真也

 「先使用権制度を活用した知財戦略の有効性に関する研究」 

 

土屋 輝之

 「サプライヤー特有の開発成果保護に関する問題点並びに連携

 リスク回避のためのADR活用の可能性に関する考察-自動車業界

 に見る連携のリスクを中心に-」 

 

柳 勝人

「オープン・イノベーションにおけるデスバレーの克服」


21世紀構想研究会ー旧バージョン

第116回・21世紀構想研究会の報告

第116回・21世紀構想研究会の報告

 

「荒井寿光さんの叙勲をお祝いし知財現場の課題について語る特別講演会」

2015年1月29日(木)午後7時からプレスセンタービル9階大宴会場で開催され、約40人が出席して楽しい講演と意見交換が行われました。

荒井さんの特別講演タイトルは「特許人生・知財人生 これからの知財を考える」でした。

日本でただ一人「知財評論家」を名乗る荒井さんは、特許庁長官、通商産業審議官、内閣官房知的財産推進戦略事務局長などを務められるなど、1996年から日本の知財立国のためにご尽力されてきました。

 官界での長年の功績により、2014年秋の叙勲で「瑞宝重光章」を受章されました。今回は、21世紀構想研究会の皆さんで叙勲のお祝いをし、荒井さんにはこれまで活動してきた知財人生を振り返っていただきながら、日本の知財の課題と将来展望を提示していただきました。

 荒井さんは1996年に特許庁長官に就任し、それまで停滞していた特許行政の改革に取り組み、日本に知財立国の実現に初めて取り組みました。講演会では長官に就任後に気が付いた特許行政の「伝統」を打ち破るために特許庁新設運動を開始。特許庁は従業員2500人、売上1000億円規模のサービス産業と位置づけ、それまでの国家権力を付与する「お上意識」を献上するように改革しました。

 知識社会を迎えて知的財産が非常に重要になったことを啓発する多くの講演を行い、多数の著書も世に出しました。行動する長官として産業界からも歓迎され、その後、内閣官房知的財産戦略推進事務局長に抜擢されました。

 このような経歴の中で活動した日々のことを振り返りながら、日本の知財現場に横たわっていた問題が今なお未解決、未改善のままにあることをとらえ、さらにそれを解決・改善する道筋まで示しました。

  分かりやすいパワーポイントを駆使し、会場と双方向の講演であり、聴く人の興味を引き出す手腕はいつもの「荒井節」で魅了させました。話題は工業製品の特許に限らず、医療、農業、クールジャパン、模倣品対策など多角的な話題に広がりました。

 荒井さんは近々「知財立国が危ない」という本を日経新聞から出版します。この本には、日本の知財課題を出すだけではなく、解決策を具体的に書き込んだ本です。

 荒井さんのパワーポイントは、伏字がところどころにあり、フロアの聴衆も一緒に考えるように工夫しています。これがただ聴くだけの立場から一緒に考える立場になり、講演会を一層盛り上げる効果になっています。

 講演会の後は、荒井さんの叙勲をお祝いするセレモニーに移り、記念品贈呈からお祝いスピーチなど最後まで楽しい研究会でした。

                     

第115回・21世紀構想研究会「忘年パーティ」報告

    

 第115回・21世紀構想研究会「忘年パーティ」報告

 今年の忘年パーティは、12月11日(木)午後6時半から開催され、多数の参加者でにぎわいました。
 第一部は、黒木登志夫先生の「パタゴニア紀行」の講演でした。すでにパタゴニアの大自然を伝える前触れを送付しておりましたので、みなさん楽しみにしていました。

 ところが黒木先生は、意表を衝いて冒頭からまったく別の話を始めました。世の中には指数関数とべき乗関則があることを説明して、地震の発生規模や戦争の死者数が指数関数に合致していることを示しました。

 続いて加齢とともにべき乗則で増加する がん、心筋梗塞、脳卒中の年齢別死亡グラフを示して高齢者の多いフロアの参加者を震え上がらせました。60歳を過ぎると急激にこの3大成人病で死亡する確率が上がっていくのです。

 黒木先生の分析によると、60歳から1年刻みで9-12%の死亡リスクが上昇するというのです。特に70歳を過ぎた人にとっては、1年間無事に生きることがどれだけ大変かという統計分析を示されたもので、人は必ず死に向かって歩を進めていることを示してくれました。

 ま、このショックも一晩寝て翌日にはほぼ忘れているので、無事にまた生きていけるのでしょうか。

 パタゴニアの自然はAricaから200km地点にある 最高地点標高4660mまでを紹介されました。途中の景色は雄大ですごいの一言でした。双子富士とか高地の動物たち、土産物屋の風景など一度は行ってみたいパタゴニアですが、簡単には行けないでしょう。

 第二部は、恒例の楽しいパーティです。黒木先生のパタゴニア紀行にちなんで、南米ワインを楽しみました。

 第三部は、これまた恒例の「合原さんちの有機野菜即売会」でした。有機野菜栽培でとれたし新鮮な野菜の数々を販売しましたが、どれもこれも好評でした。

  第114回・21世紀構想研究会
      
第114回・21世紀構想研究会 

「どうする日本の地方再生と企業経営」

日本の価値最大化に求められる重要課題

いまそしてこれまでの延長線上に日本の未来はない

株式会社・Aurea Lotus CEO 柳下裕紀   

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 学生時代、女性を輝かせてくれる社会でないように感じていたので、男女区別なくフェアな扱いをする外資系企業に入った。それから30年経ったが、日本社会はまだ女性を輝かせていないように感じる。 

 日本はなかなか変わろうとしない。息苦しさがある。アベノミクスが2012年末からスタートして13年4月に第1弾そして最近、第2弾を施策しているが、実態経済がおかしいと感じている。

 消費税の増税でインフレを実現するという。アメリカの金融緩和は日本と違う。リーマン ショックのときは、アメリカの金融機関は非常に深刻だった。モラルハザードを度外視せねばならないほど緊急だった。日本は、リーマンショックのときは金融 が重症でなかったが金融緩和してきた。

 白川前日銀副総裁のとった金融政策は教科書的にも正しい。効果がまったくなかったわけではない。 いま、企業は簡単に設備投資できない。将来的にも、設備投資は回らないと白川さんは強調していた。

 いまアメリカのFRBは金融緩和が直接経済を回復させるとは言っていない。日本は社会保障費をどうするか大きな問題だが、公共投資をしている。民間に出すべき金が、利益を出さないものに投資している。 

 株高を演出し、下品な表現になるが「シャブづけ」にしているように感じる。白川前日銀総裁 は、ちゃんと仕事をしていた。黒田総裁になってマネタリーベースを増やしても、銀行が世の中に放出するストックベースが全く増えない。日銀当座預金が増え ても貸出残高は増えていない。銀行が放出しないのでデフレを解消していない。 

 フィッシャーの貨幣数量方程式に当てはめても、日銀方針がおかしいことがわかる。(通貨の 総量)×(貨幣の流通速度)=(物価水準)×(財・サービスの取引量)=GDP この方程式の中で日銀がいくらお金を供給しても銀行にお金がたまっていれ ば、貨幣の流通速度はゼロになる。

 貨幣の流通速度や財・サービスの取引量を決めるのは国民だが、雇用に不安があり生活防衛で買い物をしなければ、この方程式はうまくいかない。  銀行がお金を出す、国民がお金を使う、そしてGDPを決めるのは国民だが生活防衛でお金を使わないのでは成り立たない。

  日銀は、短期国債を償却額の上回る金額で市場から買い入れている。マネタリーベースの増 加が政策目標なので国債買い入れが目的化している。損失覚悟で額面を上回る高い価格で落札し金融機関にプレミアムを付けている。 コストはすべて国庫納付 金から出るのでつけは国民にくる。

 日本は総事業所数の91パーセント、雇用者の84パーセントが非製造業である。輸出依存も15パーセント以下の内需大国である。この60年間、日本の輸出依存度は10-15パーセントである。円安になっても一部の輸出企業が潤うだけである。

 消費税のアップは、経営に対する中立性が欠如した弱いものいじめである。人口減少が進めばお金を使う人数が減るのだから一人当たりの使う金額を増やすために減税しなければならないのに増税している。内需の減少は、所得税、法人税など他の税収も落ち込むことになる。

 これこそ天下の愚策だ。

  かつて超円高水準の中で輸出を倍増させていた。バブルのころ42兆円でありリーマン ショックの前には80兆円台になっていた。日本の企業の競争力はものすごく強いからもっていた。 円安になったらその特質を生かす政策をしなければならな い。観光業の伸びしろはまだ大きく、外国から呼び込む観光客の総数はモロッコと同じ程度の観光産業である。これを活性化しなければならない。

  国内の旅行効果だけでも30兆円ほどあり、雇用者も460万人を生む。海外から旅行者を呼び込めば、高齢者の活用の広がりも出るし外国人の消費は国内減退の補完になる。必要な施策は規制緩和、許認可制度の改善、新規ビジネスのアイデアを積極的に採用するなどがある。

  カジノで国を救うなんて懐疑的だ。経済効果に疑問符をつけたい。日本はギャンブル大国であり24兆円の市場規模がある。カジノで4000億円の収入があっても小さい。

  世界は今カジノ離れでありマカオも不況だし斜陽産業だ。ラスベガスはカジノだけではな い。子供、家族も楽しませるデザインと洗練されたビジネスメソッドになっている。政府は経営しないでテナント料を取るだけだ。債権管理能力をどこに任せる のか。地方振興になるわけがない。

  地方再生の要諦は、外部の力や財源に頼らず、地元の人、モノ、金、文化を最大限活用する ことだ。地元を最大限活用して地域住民を巻き込むことだ。自立して稼ぐことしかない。 たとえば清酒造りは日本の風土そのものだ。日本酒造りは独自に磨き 上げられたワザである。並行複発酵は日本独特のものだ。日本人だけが麹菌を発見した唯一の民族だ。

  発酵が進むとアルコール度が高くなる。水がおいしい場所でないと酒が造れないし日本の風土とあっている。日本酒を水で薄めたりシャンパンにしたり自由度の高いお酒である。日本が伝統として持っている酒の資源を大事にすることだ。

  海外20か国に日本酒を出している桜井博志さんは、巧みなブランド戦略と明確なコンセプトで成功している。「日本酒の伝道師」である長谷川酒店の長谷川浩一社長は、全国の酒蔵200以上をめぐり、知られていない地酒を発掘し、常時800種の銘柄を取り揃えている。

  いま進行中のTPPを恐れず、外へ攻めて出ることを考えよう。円安の弊害を緩和して外へ攻めることを考えよう。良質なコメをアメリカに売り込むチャンスだ。将来の人口年齢層別分布の推移を見てもアメリカが成長することは間違いない。 

 四国には徳島県上勝町の過疎化・高齢化を強みに転換した株式会社いろどり、伊予現代町家のコンセプトで施工まで請け負う建築事務所の株式会社コラボハウスなど、多くの成功事例がある。

  愛媛の今治造船も大手海運企業、造船所、荷主、保険会社、船舶部品メーカー、銀行などと連携した独自のビジネスを築いて成功している。このような成功例を見習い、日本の再生に取り組むことが重要だ。 

第112回 21世紀構想研究会の報告 

第112回 21世紀構想研究会の報告   

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  第112回・21世紀構想研究会は、9月17日に開催され、科学技術振興機構(JST)特別顧問、日本・アジア青少年サイエンス交流事業(さくらサイエンスプラン)推進室長の沖村憲樹氏が「アジアからなぜ2600人の青少年を招へいするのか」とのタイトルで、さくらサイエンスプランの事業について講演した。

  講演後に活発な議論が行われ盛会だった。

 沖村さんは、JSTの理事長時代から中国に関心もち、将来は中国が世界の大国へと成長することを予想し、JSTに中国総合研究センターを創設した。そして中国の科学技術の文献データベースを構築し、中国との学術交流を始めた。   

 小泉政権以降の日中の友好関係は必ずしも良好ではなく、日中両国の国民が相手国への印象をよく思っていないことが、各種の世論調査でも出ている。たとえば、最近のNHK世論調査でも日本人(93.0%)、中国人(86.8%)ともに9割前後が「(相手国に)よくない印象をもっている」との結果が出ている。   

 こうした結果から、両国の特に若い世代が直接顔を合わせて交流する機会を作るべきとの考えを持つようになった。交流には国同士というのではなく、民間交流、草の根交流であるべきとの考えから、政府機関はこの交流を支援する立場で行うことにした。  

 また、当初は中国だけに特化した交流にしたかったが、下村文部科学大臣らの助言・指導もあり東アジア14カ国・地域の青年を招へいするプランに切り替え、名称をさくらサイエンスプランと付けた。   

 さくらサイエンスプラン事業は、大学や企業からの公募を採択する①公募計画コースと、JSTがすべて企画・実施する②高校生特別コースを実施している。高校生特別コースはすでに8か国の高校生281人の招へいが終了した。これらの高校生は例外なく感謝し、日本の科学技術の先端研究を評価し、将来は日本へ留学したいとの希望を持って帰国していった。  

 公募計画コースは、全国の大学・研究機関で現在進行中であり、アジア各国の大学生らが日本の大学、研究機関、企業などを訪問してセミナー、見学、実習、研修に取り組んでいる。 

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これからの交流方法を提案する藤島昭・東京理科大学長
  

 沖村さんは、このような経過を説明しながら、さくらサイエンスプランが具体的に活動しているようすを説明した。 

  活動の交流は、次の2つのサイトから見られる。  

さくらサイエンスプラン公式HP=http://ssp.jst.go.jp/index.html   さくらサイエンスプラン応援サイト=https://www.facebook.com/sspjapan 

 沖村さんの講演後、フロアとの活発な討論が行われ、多くの出席者がこのプランの成功を喜び、今後ももっと充実したプランへと広げていくことなど前向きなコメントが次々と寄せられた。  

                                

震えるほど感動した中国の高校1年生のスピーチ

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 日本政府がアジアの優秀な青年を招へいして科学技術交流を展開している「さくらサイエンスプラン」で来日した中国の高校生第一陣が、1週間の見学や研修を終えて7月26日に無事帰国しました。

  1週間のスケジュールは分刻みの過密でしたが、多くの大学、研究機関、人々と科学技術交流をしました。その報告会が7月25日に開かれ、8人の高校生がそ れぞれの感想をスピーチしました。中でも北京市第11中学校1年(日本の高校1年)の李釣正君のスピーチは、堂々とした態度といいその内容といい聞いてい て感動せずにいられませんでした。

 スピーチの要旨を紹介します。

 「私たち中日は兄弟のように似た国です。中国と日本は漢字や茶の文化など、とても共通するところが多い国です。中日の言葉は似た文字を使っているし顔もよく似ています。よりよく理解するべきですが、実際にはそうではありません。

 似た民族なのにそれぞれが利益を考えて、お互いに怒りが大きくなっており争いが大きくなっています。人々を怖がらせているのが現状です。これには失望を覚えていましたが、今回、新たな希望の光を見たと思いました。

 理化学研究所には多くの中国人が研究者として活動していましたし東大にもいました。研究の成果も共有していました。しかしこれに反対する人がいるかもしれません。

  昨日(7月24日)は、東工大付属科学技術高校の生徒とお昼に交流会がありました。そのときお互いに写真をとり合い、一緒に笑いあいました。彼らは非常に 誠実でした。だから女生徒も心配することなく心を通じて握手をし、友情を素直に示すことができました。これは純粋な気持ちでした。

 30年後、ここにいる高校生は必ず社会で活躍しているでしょう。政治家や科学者になっているかもしれません。各方面で立派な社会人になっているでしょう。  あるいはその時には、国を背負っているかもしれないし、いまの純粋な気持ちが変わっているかもしれません。

 しかし昨日の友情が変わることがないと信じています。

 30年後 科学者になった人は緊密に協力し、すべての国民が純粋な協調をもって二つの国と世界のために貢献することを競い合うでしょう。これからは共同の未来を築くことです。

 それはあなたの未来ではなく僕たちの共同の未来です。」

                                

日本一秋田工場を見学(秋田シンポジウムの後で)

 

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  焼き鳥・うなぎ製造・販売の老舗で、21世紀構想研究会の理事を務めている染谷幸雄さん(日本一ホールディングス株式会社代表取締役社長)が経営する日 本一フード秋田株式会社(齋藤英二社長)の工場を見学した。秋田シンポジウムに参加した21世紀構想研究会のメンバーで総勢20人ほどだった。

 今年の2月に操業開始したばかりであり、ご覧のように見るからに新工場らしくピカピカ。齋藤社長ら社員の皆さんの歓迎を受けてまず工場の会議室で、新工場の経営方針などをうかがった。鶏肉を串刺しにし、冷凍して全国に出荷する工場であり従業員は61人。

 驚いたことに、60人が正規社員で、1人は本人の都合により臨時で就業しているという。染谷社長の方針で、正規社員によるこだわりの製造を実現している そうだ。焼き鳥製造の工場は、日本全国に多数あるが、従業員はほとんどが臨時雇用とかバイトである。しかしそれでは、いい品質の焼き鳥はできないというこ だわりから雇用も正規社員にしたという。

 齋藤社長は、人件費が高くなっているので経営は大変だが、「それを乗り越えて頑張っています」ということだった。工場の中に入ることになったが、そこでまたまた驚いた。 頭のてっぺんから靴まで全て帽子から白衣、マスクなどで完全衛生管理の服装。

 工場内に入る際も、手洗いからエアシャワーでの洗浄など、原発施設と同じような厳格な管理になっている。中に入ると整然と作業台に並んだ社員が手際よく 焼き鳥を串刺しにしている。完全衛生管理であり、しかも手際がいいので、あっという間にケースに入った焼き鳥が次々と冷凍保存されていく。

 その製造工程は自動化されており、手作業は串刺しの行程だけ。これとてできるだけ作業をやりやすく準備しているそうであり、自動化の各種作業設備も開発中という。作業現場の写真撮影は禁止なのでお見せできないのが残念だ。

 見学したあとで、焼きあげたばかりの焼き鳥をいただいたが、これがほっくりした味のいい焼き鳥であり、大満足の見学会だった。

 
 
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会社説明会では齊藤社長から焼き鳥工場の設備内容や経営方針をうかがった。
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秋田シンポジウム速報「跳びだせ世界へ秋田県」

「跳びだせ世界へ秋田県」

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 モデレーター 

橋本五郎(読売新聞特別編集委員、ニュースキャスター、21世紀構想研究会理事) 

パネリスト  

銭谷眞美(東京国立博物館館長、元文部科学省事務次官、21世紀構想研究会顧問)

吉村 昇(東北公益文科大学学長、前秋田大学学長、秋田大学学事顧問)

三浦廣巳(秋田商工会議所会頭、秋田日産自動車会長)

生越由美(東京理科大学知財専門職大学院教授、21世紀構想研究会理事)

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橋本 先に出版された「中央公論」6月号、7月号によると、2040年までに何もしなければ日本の市町村は半分になってしまうという報告が掲載され、大きなショックを与えています。秋田県も同様の減少率で24市町村がなくなると出ています。地方の振興がいま、重要な政治課題になっている。

  ところで安部政権は、1年経っても支持率が下がらない。最近の内閣では非常に安定している。しかし不満がある。地方の再興という政策が成長戦略の中に入っていない。これは大きな問題だ。 

 過去の内閣を見ると、田中内閣、大平内閣でも日本の地方振興という政策を重視してきた。故郷をどうするかという視点があった。これをいま、どうすればいいのか。

 まず大事なことは、いま地方に住んでいる人たちが何かをしようという発想や行動がなければならない。地方の再生可能にするためには自分たちで考えて行動を起こすということが大事だ。

 今日のシンポジウムは、地方再生を考える一つのきっかけにしたい。この秋田に生まれてよかったとするにはどうあるべきか。そのような論議を期待したい。

 それではこのシンポジウムでパネリストの方々に秋田県を活性化する発想でそれぞれの思いを語っていただきたい。地方を活性化するきっかけにしたいと思います。銭谷さんから順にご発言をお願いします。

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  銭谷 昨夜は秋田市に帰り実家に泊まった。秋田で生まれ育ったが、高校を卒業後は、秋田を離れてしまったが秋田を心から愛している。

  本日のシンポジウムのモデレーターを担当している橋本さんは、高校の先輩であり、先年、東京で50年前の秋田の映画「17歳は一度だけ」を観る会があり、 そのとき橋本さんの講演を聞いて感動した。橋本さんは、故郷を思う気持ちを語り母親の話をしたときには会場の多くの人が感動して泣いていた。そのような縁 で、本日のパネリストになった。

  さて、いま私は日本で一番規模が大きく一番古い歴史を持っている博物館の東京国立博物館の館長をしているが、ここには多くの国宝や重要文化財が収納されており、随時展示もしている。

 秋田県関係の重要文化財を調べてもらったところ、縄文時代の土器から始まって江戸時代の秋田城に関する文書、後三年役の絵巻物、佐竹氏の時代まで文書や資料が多く保存されていることを知った。秋田は江戸時代から交通の要衝にあり、拠点になっていたことが分かった。

 さらに当時は鉱山、油田という産業がありそれに関連する化学工業もあった。そのような歴史的な産業や古くからある文化を見直す機会を持つことが大事ではないか。

  吉村 秋 田大学学長から酒田にある東北公益文科大学学長に転出した。鳥海山を見ながら酒田と秋田を往復する生活になっているため、山形県と秋田県を比較するように なった。山形県民は、よく働き競争して活動してきたようだが、秋田は食うに困らない人が多いせいか、のんびりしている。

  秋田大学の歴史を見ても、意欲的に学部を増やすようなことをしなかった。秋田はほんわかした土地であるが、これを考え直す時期になってきた。東京は、オリンピック開催もありさらに一極集中が進むだろう。リニアモーターカーにしても常に東京を中心に考えている。

 アメリカは各地で栄えており一極集中にはなっていない。大震災後の復興も太平洋側が優先的になっているが、日本海側も考えてやらないと均衡ある発展にはならない。

  三浦  このシンポジウムの冒頭に橋本さんから重い発言があった。何もやらなければ、2050年には秋田県の人口が70万人になると言われている。知恵を出してや ならいとこうなってしまう。それではわれわれは、何をやるのか。秋田商工会議所でも、中小企業経営者らと現実をしっかりと認識し、いろいろな課題を話し 合っている。

  企業経営でもそうだが対前年実績を割らないことが一つの目標になっている。しかしそう簡単にはいかない。それでも最低限、これだけはやろうという目標を立 てている。それは人口減少への対応でも同じだ。秋田県の人口は100万人を割らない、減らさないという目標にこだわりを持つことが大事だ。

  人口が増えれば企業が増えるし雇用者が増えることは成長することだ。首都圏一極集中を解消するという構想があったが、いつの間にか消えてしまっている。首都圏に大地震が発生したら甚大な被害が出る。地方に首都圏の機能を分散してリスクを軽減するという考えがあるべきだ。太平洋戦争のときは、都会から地方へと疎開した。これを見習って企業のバックアップは地方へ持っていくべきだ。地方に分散することを考えるべきだ。

  生越 産 業史を振り返ってみると、農業社会から工業社会になりいまは知識社会へと発展してきた。社会の中心価値の変遷をみると、無形資産と有形資産の割合が劇的に 変化した。1978年には無形資産は17パーセントだったものが20年後の1998年には69パーセントになっている。

 昨日から秋田県庁などでご当地の産業や地域ブランドについて取材しましたが秋田県にはたくさんのブランドがあることが分かりました。これを生かす方策がいろいろ考えられると思います。

  世界競争に生き残るためのポイントの一つは、地域にしか存在しないものとか地域に行かないと味わえないもの、地域でしか作れないものなど地域の固有化が要になる。ウエブ情報でみても秋田県には多数の食文化がある。「いぶりがっきー」とか「ぷれすてなまはげ」などユニークな食品も開発されている。

  ポイントの2つ目は、価値と価格の多層化時代を認識して対応することだ。ハンバーガーも100円から2000円まであって、高くても付加価値があれば売れ る時代だ。ポイントの3つ目は、使えるものは全て使うという発想だ。曲げわっぱ、秋田八丈など名品があるので活用方法を広げたい。

 秋田には多くの強みがある。竿灯、なまはげ、かまくら、ハタハタなどや横手市増田町の内蔵など文化資本である地域資源、歴史資源、コンテンツ資源など多数ある。今後の展開によって楽しみな県である。

  橋本 大 変素晴らしいご意見をいただきました。銭谷さんからは、秋田には歴史的に古い文化の資料が多数あることが報告され改めて再認識したものです。一極集中は、 なぜそうなるのか。もう一度私たちは考える必要があるようです。新幹線もすべて東京から始まる。大震災が発生したらいったいどうするのかという課題もあり ます。

  一極集中が改められないと職を求めて多くの人材が東京に行くことになる。雇用の問題を地方で考えると大変な課題がある。いまは、大学を卒業しても正規社員 として就職できない人がかなりいる。これでは若い世代がかわいそうだ。産業界は雇用問題では自分で首を絞めているような感じもある。

  吉村  日本の発展をみると西から発展してきた。東北はどうしても遅れてきた。秋田も工業と農業しかなかった。アメリカは一極集中ではなく、歴史的に分散して発展 してきている。ボストンから始まって北から南へと発展した。シアトル、ロチェスター、ニューヨーク、デトロイトというように産業の種類によっても固有に発 展する都市が変わっていった。

  日本は東京から南へ発展した。半導体の九州、自動車の名古屋という具合だ。山形県には売上100億円以上の企業が数社あるが秋田県にはない。これからは秋 田県の企業で世界へ羽ばたくような企業を育てなければならない。その意味で大学の責任は重い。これからは産学官で連携して発展する時代だ。

  三浦 最近は企業の環境が変わってきた。本社はどこにあってもいいという時代になってきた。日本は中小企業が95%と言われている。秋田は中小企業ばかりだが、一流の技術を持った中小企業が秋田には多数ある。

  秋田はまだまだアピールが足りない。親はどうしても子供の就職先は大企業がいいと思っているが、魅力ある中小企業をアピールしてひきつけることが肝要だ。 商業地の地価を考えると、東京は秋田の36倍も高い。秋田には付加価値を付けて、よりいい地域であることをアピールしていくことが大事だ。

  橋本 今日のシンポジウムの見出しはどうなるか。「東京の一極集中を見直す」とならないか。それには地方は何をなすべきか。東京でなく自分の住んでいる地方都市の魅力を見直し、外から見ても魅力あるものに見えないとならない。

 鳥取県の知事が「わが県にはスタバはないが砂場がある」と語っていた。鳥取砂丘を砂場と言ったものだが、マイナス面と考えないでプラス思考で考えることが必要だ。

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  生越 徳島では刺身のつまに使う葉っぱで収入があがった地域がある。山奥の葉っぱを生かすことで年収がみな1500万円から2000万円になった。こうなると地方に対する若い人の見る目が変わってくる。

 またブランド豚肉を売り出した平田牧場のように、豚作りで独自の産業に発展させている例がある。農業はこれからハイテク化が進むので逆転の発想と成果が出てくることが期待できる。. 

  橋本 秋田県の人口が減少すると心配しているが、秋田は100万人を維持するということにこだわるべきだ。卑近な例で恐縮だが、読売新聞は1000万部を何が何でも維持しようと目標を掲げて頑張っている。そのように目標をきちんと立てないと人口も購読者数も維持できなくなる。

  高齢化率が高いと言うが、それは長生きする率が高いということになる。マイナス思考ではなくプラス思考でいきたい。がんの死亡率は、秋田県が最も高いと言 うが、がん研究者に言わせるとそれは長生きする人が多いからだという。長生きすればがんで死亡する人が多くなるからだ。

 また地方の文化の良さもアピールして都会の人に認識してもらうことも必要だ。

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  銭谷 橋本さんがいま言ったことは私も言いたかった。高齢化率日本一は長生きしているからである。子育て環境日本一にすれば、人口を100万人は維持できるだろう。米国は企業の定年制がない。これを見習っていくこともいいのではないか。

 秋田は北緯40度だが、世界地図をみると北緯40度の都市は、北京、ニューヨーク、スペインのマドリードなど世界の文明圏として重要な都市になっている。

  健康で長生きする健康寿命には、文化が重要だ。50年前に地域にいた人に来てもらい、いろいろやってもらうこともいい。秋田大学は鉱山学部からさらに発展 して国際資源学部を作った。これこそ秋田の特徴を生かしている。就職すると秋田を離れると言うが、若い学生が4年間秋田にいるだけでもいいという考えが あってもいいのではないか。

  橋本 隣の県に移った吉村さんは、秋田県を隣から見て分かる点があると思う。どこに問題があるのか。

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  吉村  秋田は米に困ったことがない。これに比べ他の県や地域はたくましく生きてきた。秋田大学も昭和24年に学芸部、鉱山学部から出発した。農学部も工学部もな かなか作れなかったし、今も農学部はない。昔の学長や事務局長に責任があるということも言われているが、それはさておき秋田はゆったりと生きてきたという ことではないか。

  橋本 なるほど、秋田は豊かであるがゆえたくましさがなくなった。暮らしずらい方がエネルギーを生み出すことになるかもしれない。

  三浦 秋田は農業で発展してきた。だから他人と違うことはやらない。しかしこれを打破しないとならない。ベストの計画を立て事業経営者はチャレンジしないと伸びない。可能性のあるものを応援することも大事だ。

 岩手は手を引っ張るが秋田は足を引っ張るという言葉がある。秋田は人がやらないことはやらない。リセットして、おれもやるからお前もやれということにならないと可能性が出てこない。

  ベンチャー企業を立ち上げ、時間がかかるだろうが新しい企業を育てていくというように仕組みを変えていくことが必要だ。他人の邪魔をしないことだ。応援出来ない人は、静かに見守ってほしい。秋田は自分たちがプレーヤーとして頑張っていくよりない。

  橋本  行政の役割も大事なのでこれを考えてみたい。行政は積極的に秋田のいいところ魅力を見つけ、それを伸ばしていく必要がある。このシンポジウムでも秋田のい いところがたくさんでてきた。農業も大事だし秋田を高齢者の県にするというのもいい。2つとか3つに絞って施策をすることだ。

  生越 各地に行って取材をすると、リーダーはよそ者、若者、馬鹿者と言われている。たとえば宇都宮餃子は、長老がうまく育てた。行政は安心して挑戦できる環境を作ることだ。

  橋本 行政の役割の重要性が出てきた。さて時間も少なくなってきたので、最後にこれだけは言っておきたいという発言をお願いしたい。

  銭谷 冒頭にも言ったが文化と観光とは別物ではない。文化は人が来なくても育っていく。文化と観光は資源である。その良さを知ってもらうことが重要だ。

  吉村 過去からの脱却が大事だ。安いカネで大量の消費をしてきた。それをやめて日本のオリジナルを作ること、できることをやるということが重要だ。

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  三浦 秋田にはいいものがたくさんある。いいもの、悪いものなどと言い訳しないで秋田のいいものを伸ばすことだ。親父の生き方を経営に生かしていくことが最も大事だ。

  生越 秋田の生活の豊かさをみんなに見せることが大事だ。日本は介護技術が遅れている。そのような産業を秋田から起こすことができないだろうか。

  橋本 外から来ないとカネが落ちない。そのためにはちゃんと自分のよさを見つけて強固なものにすることだ。秋田に行くとすごくいいというものがほしい。改めていいところを再認識してもらう。

 秋田駅に降り立つと私はちょっと不満だ。県庁所在地だが秋田だなあというもが見えない。まだ盛岡はある。隣の芝生はよく見えるというのと同じかもしれないが。

 いいところを伸ばし悪いところを逆に利用する。発送の転換だ。東京に住んでいても孫が秋田へ行きたいという時代と土地にしなければならない。

 「中央公論」で衝撃的な報告と課題提起がされたが、これを乗り越えていくことを秋田に期待していシンポジウムを終了したい。

21世紀構想研究会の第14期総会の開催

   

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 特定非営利活動法人21世紀構想研究会の第14期総会が、6月2日、プレスセンタービル9階の宴会場で開催され、今年度の事業計画や新役員の陣容を全会一致で承認した。

  昨年度の21世紀構想研究会は、100回記念シンポジウムの開催のほか、知的財産委員会の活発な論議と政策提言や、教育委員会の第8回全国学校給食甲子園の開催など、例年以上の事業の開催で非常に活性化した活動だった。

 総会では、昨年度の事業の報告、会計報告と今年度の事業計画と予算案が提案され、いずれも全会一致で承認された。また特定非営利活動法人21世紀構想研究会定款を改正し、理事・監事を20人以下に改正する案も承認された。これまでは10人以下となっていた。

 理事の増員は、活動を活性化させるために各界の人材を理事会に集めて、企画、実行などに弾みをつける目的がある。様々な意見やアイデア、さらに助言などもいただきながら、21世紀構想研究会の活動を発展させていきたい。

 総会後の講演は、政策研究大学院大学の永野博先生が「 次世代リーダーの養成にしのぎをけずる世界 ~第4の矢は若者への投資。理研の出来事がブレーキをかけてはならない~」とのタイトルで、日本の大学や研究機関に横たわる若手人材養成の課題を解説した。

 永野先生は、ドイツに滞在し期間が長く、たびたび欧州へも出張する機会があった。その体験からヨーロッパ学界での見聞が豊富だ。イギリスやドイツでの若 手の人材養成の実際を紹介しながら、日本が立ち遅れているとの認識を示しながら、これから日本の取り組みについても提言を行った。

                                

21世紀構想研究会・生命科学委員会の開催

  生命科学委員会の開催報告 

  21世紀構想研究会・生命科学委員会(東中川徹委員長)が、5月19日、プレスセンタービル9階の宴会場で開かれ、黒木登志夫先生(日本学術振興会・学術 システム研究センター・相談役、東大名誉教授、元岐阜大学学長)が、STAP細胞論文は捏造にあたるとする厳しい見解を示した。

  黒木先生のレクチャータイトルは「幹細胞研究の光と影 Hop STAP Drop」。受精卵というたった1個の細胞から、人間一人分=60兆個で出来上がっている生物個体を形成する元になっている幹細胞について学術的に分かり易く解説した。

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      幹細胞の研究の歴史を紹介

  これまでの幹細胞の研究の歴史とその業績、臨床研究への応用への挑戦まで多くの歴史的事実を駆使して解説した。またノーベル賞受賞者の山中伸弥博士が開発したiPS細胞の作成までの歴史も紹介した。

  そして幹細胞であることの証明は、その細胞が多分化能であることを証明しなければならないと解説。それには①培養細胞の分化、②奇形腫の形成、③キメラマウスの作成、④丸ごとES細胞マウスの作成の4つの証明が必要であることを示した。

  黒木先生が論文を精査したところ、小保方晴子さんのSTAP細胞論文は、この4つの証明をきれいに書いており、論文としてはきわめて完成度の高い内容になっていた。しかしこの論文の信じられなかった理由と信じた理由を書き分けてみたという。

  信じられなかったのは、いとも簡単に幹細胞を証明しており、信じたのはこの分野のトップクラスの研究者が共同研究者として名前が記載されていたことだった。

 STAP細胞をめぐる疑惑を解説 

 STAP細胞論文の発表直後から、「11jigen」などのネット上に論文を疑問視する指摘が相次ぎ多分化能を証明する画像の捏造を指摘されるようになる。改ざん、不審、疑問点を整理したうえで黒木先生は、小保方さんは研究者失格であるとして4つの点をあげた。

   それは①他の論文からのコピペ、②データ画像のコピペ、③スキームのコピペ、④お粗末な実験ノートである。そして「論文は自己完結でなければならないが、 STAP細胞論文はこれを著しく逸脱しており、STAP細胞存在の証明はされていない。論文は撤回するよりない」との結論を表明した。

  さらにSTAP細胞問題が日本の科学界へ波及していく懸念があることを指摘し、「日本の科学研究が生き延びるためには、むしろ小保方さんと共同研究者らのしっぽ切りが必要である」とする独自の見解を示した。

   講演は黒木先生のいつものように、ユーモアやときに皮肉を織り込んだ分かりやすい興味あふれる内容であり、聴衆が理解できるように組み立てたものであり、 このテーマの学術研究を歴史的に解説した点でも優れた内容だった。聴きに来ていた高校生も非常に感銘を受けた様子だった。 

 

中尾政之教授講演「論文数・伸び悩みの理系、論文数・さっぱりの文系」

 

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 第109回21世紀構想研究会は、2014年4月21日(月)にプレスセンター9階宴会場で開催され、中尾政之東大工学系研究科教授が「論文数伸び悩みの理系、さっぱりの文系」とのタイトルで講演と討論を行った。  

 就職活動では修論を語るほうが有利

 中尾先生はまず、東大をめぐる学生の考え方や就職活動、研究に取り組む姿勢などを語った。日本の大学の頂点に位置する東大でも悩みが大きいことを、さまざまな出来事や客観的なデータなどをもとに語ったもので、中でも筆者の印象に残ったのは就職活動のことである。

  筆者もかつて勤務した東京理科大学知財専門職大学院で院生の就職活動には、ずいぶん力を入れていた。企業の面接時の対応などは最も重要な準備である。中尾先生が語ったことは、「一番苦労したこと楽しかったことを語る際、旅行の話やバイト、NPO活動などを話しするよりも、卒論や修論についての苦労や楽しさ、その中身を語ったほうがはるかにいい印象を与えているようだ」ということだった。

  確かに学生生活を語る上では最もふさわしい話題であり、就職活動対応のノウハウ本では紹介されていないテーマだと思った。 また日本の大学で取得した単位は、外国の大学では等価交換できないというショッキングな話もあった。これでは日本と外国の大学間の交換学生交流などに支障をきたすことになる。

 論文数で下降線を辿る日本

 中尾先生が示した世界の国別論文数の動向を見ると、アメリカ、中国などの論文数は年毎に増加しているのに日本は近年下降線を辿っている。また大学ランキングを見ても、日本の大学のポジションは低下してきたように見える。 ここ10年間、研究資金が伸び悩んでおり、その結果を語るように、理系の論文数も伸び悩みになっているという指摘である。

 さらに、論文数を教員数で割ると、欧州の一流大学に比較するとその数が半分くらいに落ちる。それは統計の中に「論文数・さっぱり」の文系が含まれるからである。 

 ま た日本の大学の論文は、ポスドクなど任期つき研究員である非正規職の研究者がかなりの割合で執筆されていることだ。非正規職の研究者はローンを組むもこと もできず、身分不安定で研究に取り組まなければならない。このような現状も研究現場を脆弱にしているとの課題もあげた。 

 理系・文系とわけることも日本独特の文化である。最近、文系の就職が難しくなってきて、理系のほうに受験生が流れてくることは戦後始めての流れであるという。「文系の教員も英語の論文を大量生産して、海外で自論を主張する文化に変えるべきであろう」とも提示した。 

 日本の文系の研究者が英語で論文を書かないのは、その必要性を問われていないからでもある。能力がないからではなく、英語で発信するテーマが少ないと理解したい。これからは国際的なテーマを掲げて、大いに英語の論文を書いて海外へも発信することを期待したい。 

 と ころで、中尾先生の話でびっくりしたのは、東大は入学したら最後、退学や落第がほとんどないことである。極端な言い方をすれば、勉強しなくても卒業できる 大学なのである。東大は、こうした現状を変えようとしているのかどうか。もし落第学生を出すようになれば、他の大学への影響も大きくなるので、是非、東大 はリーダーになって適正な大学生指導を発揮してもらいたい。 

 また東大などエリート大学の学生は、適正検査をしてみると「反復・継続」が得意であるという結果が出ているという。 これが日本のエリートは「ミスを起こさない」という結果につながっているのではないかということだ。一面では結構なことだが、「堅実だけで発展性がない」人材になりかねない。こうした大学現場の教育課題にも言及し、会場との活発な討論が展開された。   

 

「スイカの原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡」出版祝いと松下昭先生のご健勝をお祝いする会の開催

  

 先ごろ日本評論社から上梓した拙著「スイカの原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡」の出版を祝い松下昭先生のご健勝をお祝いする会が、2014年2月26日、プレスセンターで開催され、多くの人たちの参加をいただき盛会だった。

 筆者がこのような形で開催したのは、出版のお祝いというよりも松下先生の発明人生を顕彰し、85歳になっても頭脳明晰、言語明瞭である先生のご健勝をお 祝いしたかったからである。発起人代表になっていただいた荒井寿光元特許庁長官はじめ、多くの支援者に囲まれ、筆者はもちろん松下先生も満足した表情だっ た。

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発起人代表でスイカカードを掲げながら松下先生の発明人生を紹介した荒井寿光さん
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祝辞を述べる藤嶋昭東京理科大学学長(左)と佐藤一雄元日本弁理士会会長

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挨拶した馬場錬成(左)と松下昭先生

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松下先生を囲んで記念写真

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生島和正・21世紀構想研究会理事から記念品の贈呈

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渡部政博さんから強力抗酸化作用のあるアスタキサンチンが贈呈された

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美女軍団に囲まれてご満悦の筆者

21世紀構想研究会・メタンハイドレート実用化委員会の開催

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 東京都知事選で各候補者たちは、脱原発かどうかなどエネルギー政策をめぐって激しい論戦を展開しているが、21世紀構想研究会のメタンハイドレート実 用化委員会(委員長・平朝彦・独立行政法人海洋研究開発機構=JAMSTEC理事長)が、1月29日にプレスセンターで開催され、活発な論議が展開され た。

 まず冒頭の挨拶に立った平委員長は、メタンハイドレート研究についての現在の国の取り組みの概略を説明し、今後、この委員会でも活発に論議していくべきとする抱負を語った。

 続いてJAMSTECの木川栄一海底資源研究プロジェクトリーダーが、メタンハイドレートの基礎的な知識から現在の研究開発に対する国の取り組み、さら にJAMSTECの最先の研究を分かりやすい写真や図を示して解説した。日本は研究レベルで世界の先端を行っていることにも言及し、新たなエネルギー源と して期待されているものの、過去のエネルギー開発の歴史を示しながら、実用化までには相当の歳月を要するのではないかとする見解も語った。

 続いてメタンハイドレート実用化への技術開発について株式会社みかづき代表取締役社長の杉本昭寿氏が講演した。杉本氏は、海底で採取するメタンハイド レートのシステム設計を開発して特許を取得している。今回はその特許技術に基づいた採掘現場の実際をイメージするアニメーション絵を披露し、凍結している メタンハイドレートを効率よく採集する技術を語った。

 このあと会場との討論となった。21世紀構想研究会理事長の馬場錬成氏は、「個人の見解だが」と断りながら、「大震災後に原発事故被災で深刻な事態を体 験した日本は、いまこそ新エネルギー源としてメタンハイドレートを実用化するべきだ。国家として取り組むテーマであるが、既成の原発・電力企業の消極的反 対にあって新エネルギー開発が滞っている。これを乗り越えていかなければ、日本の将来のエネルギー政策は行き詰まる」と述べた。

 また、メタンハイドレートの研究開発と商業的実用化への取り組みが、省庁別になっていたり研究現場で別れていることは非効率的だとの意見も出され、これからは国家が一本化したプロジェクトとして取り組むべきとする意見も強く出された。

                                

第108回21世紀構想研究会で林原靖氏が講演

                               
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第108回21世紀構想研究会は、岡山県の有力な地元企業として活動していた優良企業の株式会社林原が、実質的に倒産に追いまれた顛末について講演 し、活発な質疑が展開された。倒産に追い込まれたのは、同属経営による放漫経営であり、長い間、粉飾決算をしていたと報道された。本体の株式会社林原は、 子会社の林原生物化学研究所で研究開発した多くの成果を特許出願しており、少なくとも数千件の特許があったはずだ。

 この日の林原氏は、まず1886年の創業以来から破綻に至るまでの社歴と世界初として市場に出してきた製品の数々を紹介した。本体だけで年間350億円ほどの売上があり、年間キャッシュ獲得は100億円を超えていた。関連子会社を入れると650億円の売上だった。

 しかも破綻とされたときに、弁済率が93パーセント以上であり、知的財産権や様々な文化的な資産を計上すれば、優に100パーセントを超えていたとも語った。そのような企業がなぜ、金融機関によって破綻させられたのか。

 金融機関の事業価値の評価は、知的財産権のような無形資産は評価せず、社長の個人保証や生命保険を担保にするような非人間的な査定だったことを明らかにした。個人保証は、憲法違反とする意見もあるなど、日本の会計処理の後進性を訴えた。

  またマスコミの報道も表層的なものだけであり、「ガラパゴス状態」になっていると厳しく指摘した。ここの部分は、会場がプレスセンターであることなどから レジュメだけにして口に出さなかったが、中国銀行、住友信託銀行、大手法律事務所、マスコミの3極によって押し潰された実体を詳細に語った。

 林原氏が書いて出版した「破綻 バイオ企業・林原の真実」(WAC)は10万部を超えるベストセラーになっており、すべて実名で書いたものである。書か れた金融機関や法律事務所からクレームが来てもおかしくないと思われていたが、これまでクレームは1件もきていないという。

 また、粉飾決算とされた内容について質問が出たが、林原氏は売上の過大計上が30年間に300億円ほどあったが、年々これが減少しており、破綻とされた 時点で先の見通しがあったとも語った。一挙に計上して正常決算にする道もあったが、そうすると税金が過大にかけられてくる心配があり、徐々に減らす方向で 努力していたともいう。このあたりの事情は、講演会後の打ち上げ会で語ったものだ。

 いずれにしても林原は、約700億円で長瀬産業に「身売り」され、事業はほぼ引き継がれているという。創業一家が追い出され、蓄積してきた実績がそっく り他人の手に渡ったことになる。また、多くの美術品や土地、建物など林原グループとその一族が所有していたものは、二束三文で処分されてしまい、この倒産 劇では、まるでハゲタカのように利得を手にしていった人たちもいたことになる。

 個人資産を債務にあてるなど日本の未熟な制度は、産業の進展に大きな妨害要因として残っており、今後は社会問題として制度を見直す方向へ行かなければ、競争力のある国家や企業はできないし、ベンチャー企業も生まれにくくなる。

 そのような問題意識を確認して活発な講演と討論を終了させた。

 第4回知的財産委員会の開催

                              
      今後の知財制度の改革を論議する21世紀構想研究会の第4回知的財産委員会(荒井寿光委員長)が、12月19日、プレスセンター会議室で開催された。

 この日はまず、経産省知的財産政策室の川上敏寛室長が「営業秘密の保護」とのタイトルで講演し、その後に出席者らと討論を行った。川上室長の講演内容 は、営業秘密保護のこれまでの取り組み、営業秘密をめぐる近年の情勢、営業秘密をめぐる国際情勢、営業秘密の今後の方向性など豊富な情報を報告したもの だった。

 この中で、海外拠点からの技術流出、サイバー攻撃による技術流出、技術提携先からの技術漏洩など最近の動向を解説した内容を知って、出席者の視点が大きく広がったように感じた。特に韓国ではすでに技術流出に関する保護法律を実施しており、その迅速な対応には感心した。

 筆者の感想を言えば、日本は技術流出の現状と課題が分かっており、これに対応する法制度など枠組みをどのように実現するかがまだ見えない。その手順を進 めなければ漏洩の被害を食い止めることはできない。特に中国に流出した日本企業の技術で製品が製造され、日本を含む世界に輸出されている実例もある。

 国内法の整備を早急にしなければ、技術垂れ流しが常態化していくことになる。この日の委員会の後半は、日本の技術漏洩防止に関する法整備について具体的 に論議し、営業秘密保護法の試案も発表された。 今後この試案については修正しながら政策提言などの取り扱いについては荒井委員長に一任することで了承した。

 次回・第5回知的財産委員会は、1月28日(火)に開催する。

 第106回・21世紀構想研究会の開催

      

 第106回・21世紀構想研究会は、科学技術振興機構(JST)・中国総合研究交流センターの上席フェロー(元JST理事長)、沖村憲樹氏の講演で盛り上がった。

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 講演タイトルは「日本の科学技術は中国に抜かれた」というショッキングなものである。沖村氏は、中国の巨大大学群を築いた戦略的な大学・研究現場の統計データを示し、さらに世界に例がないハイテク・テーマパークの現状を紹介した。

 さらに中国の最近の研究水準が、欧州・日本に接近してきたこと、これに伴って産業技術力も急速に向上していること、宇宙、原子力など巨大プロジェクトで も日本に並び、あるいはぬき去っていった実情を報告した。中国の科学技術政策は、強力な政策遂行体制で推進しているものであり、政策決定と実行に時間がか かる日本の各種データと統計の比較なども随所で示した。

 この日の講演内容は、これまで一般に示されていなかった中国の科学技術の客観的なデータや現状を紹介して、日本の科学技術政策遂行に刺激を与えるためとも受け止められるものだ。また、中国の科学技術の現状に対する正しい日本人の視点を提起したものでもある。

 講演後の質疑応答では、次のような質問が出た。中国のハイテクパークは、不動産投資と外国企業や技術を呼び込むものであり、言われるほどの効果は上がっ ていない。それほど大きなインパクトはないのではないかとか中国は近未来、国が崩壊するのではないか。あるいは、中国の模倣品は世界中にばら撒かれている 現状を憂慮する意見なども出された。

 沖村氏とこの日、出席していた共同研究者の中国センターのスタッフなども加わって、こうした観測や見方に対する意見交換と討論を行い、実のある講演・討論の時間だった。

 

21世紀構想研究会で伊勢神宮を正式参拝

  
 21世紀構想研究会の活動報告をし、これからの社会貢献の決意を誓う伊勢神宮正式参拝が10月25日に行われ、19人の会員が厳かな中で参拝した。

伊勢神宮はさる10月2日、20年ごとに繰り返されている式年遷宮が滞りなく行われた。内宮は参拝が再開され、21世紀構想研究会としてご神体が移されたばかりの新正殿に参拝することを計画した。

本研究会会員の南川三治郎氏が、20年に一度催行される式年遷宮の写真記録を続けており、月刊「文藝春秋」10月号、「週刊文春」10月17日号(http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3204)のグラビアで、「遷御の儀」として写真とともに原稿が掲載された。

今回は南川氏の尽力で伊勢神宮への正式参拝が実現したもので、10月25日は、堀川宗晴氏(元神宮徴古館館長)の案内で新正殿の中に進み出た。服装は全員ダークスーツという正装に威儀をただし、堀川氏の説明に聞き入った。

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当日は折しも台風27号の接近による暴風雨が心配されたが、「台風接近決行」で行われたものの、参拝する時刻には台風も沈静化して雨もなく、靄の中で煙るようにうっそうと茂る森林と大雨の水を集めて流れる五十鈴川の景観を見ながら、緊張した面持ちで正殿へと進んだ。

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 参拝者の氏名などはすでに登録しており、代表者記名などの手続きを経たうえで玉砂利の中を正殿前に導かれた。正殿の前に出るとさすがに心が洗われる気 分になる。ヒノキの香りが辺りを支配する中で弐礼弐拍壱礼という儀式にのっとり、無事、参拝を済ませた。 参拝後は、相差海岸花の小宿「重兵衛」に宿泊 し、楽しい歓談を行った。

翌日の10月26日は、マイクロバスで伊勢と鳥羽の間にある朝熊山・金剛證寺へと向かった。金剛證寺は、西暦572年に即位したとされる欽明天皇の時代に、暁台上人が草庵を建て修法したことに始まった寺院である。

その後、825年には弘法大師(空海)が真言密教の道場として、この金剛證寺を建立したとされる。

金剛證寺は、神仏が一体となった神仏習合の教えから伊勢神宮の鬼門を守る寺として、また霊場として伊勢神宮と並んでこの時代から信仰の対象とされてきた。

 この参拝でも南川氏の配慮で特に寺院の内部にまで入ることができ、寺院の祭壇の奥に祭ってある「天照大神」の神霊祭壇をも参拝できた。厳粛な気持ちの中で神道と仏教が融合する日本の歴史を実感した。

この金剛證寺には国宝が9点、国の重要文化財指定が5点あり、平安時代から桃山時代までの歴史の変遷を学び充実した気持ちで帰途についた。

 
                               
   21世紀構想研究会の知的財産委員会の第1回会合が、9月30日、プレスセンタービル9階の会議室で開催され、多くの知財改革への提言を討論した。

 この委員会は、従来からあった産業技術・知的財産権委員会を発展的に改組し、新たに出発したものである。新委員会の委員長には、荒井寿光さん(元内閣官 房知的財産戦略推進事務局長、元特許庁長官)に、副委員長に佐々木信夫さん(元特許庁特許技監)、事務局長に生越由美・東京理科大学知財専門職大学院 (MIP)教授が就任した。

 議題は、知的財産制度への提言をまとめることである。2002年の第一次知的財産制度改革から10年余を経て、知財制度にもほころびが出ている。中国、韓国など近隣諸国が着々と知財制度を構築しているのに比べ、先行していた日本はむしろ追い越された点もある。

 また模倣品対策などはもっときめ細かく、かつ迅速にしないと日本の技術流出が続き産業競争力が低下していく。こうした現状を考えれば制度改革は喫緊の課題である。

 この日の委員会では、出席者の立場から多くの意義のある意見が出され、討論された。模倣品が日本に入らないように水際で阻止する制度などでも不十分になっていることや、営業秘密保護法制定の必要性などの意見も出された。

 今後も論議を重ねて提言をまとめ、いずれ政府に提出することも視野に入れている。

                                

第104回・21世紀構想研究会の開催

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 第104回・21世紀構想研究会は、岩本沙弓先生をお招きして「これからどうなる日本経済」とのタイトルで講演をお願いした。当日はオープン参加としたため60人以上が参加して盛会だった。

 岩本先生は、100回記念シンポジウムのパネリストの1人として経済関係の見解を発表していただいたが、当日は時間の制約があって十分な発言には至らなかった。このため、この日の講演で存分に語ってもらう機会とした。

 講演ではまず、日銀の異次元金融緩和によって金利が低下するのかどうかを2008年からの米国10年もの金利のデータを基に解説を行った。日本の10年 もの国債については1981年からの金利の推移を示し、80年代の8パーセント代から1パーセント以下に低下していった経緯を解説した。

 金利急騰は4.6年に1回発生することを示しながら、過去の国際的な経済状況と連動する金利推移を解説し、日本国債の市場価格が下落することで日本経済、金融システムが破たんするというような論調は行き過ぎであると指摘した。

 消費税引き上げによる景気動向でも見解を表明したが、その中で非関税障壁としの消費税の在り方の例として、消費税のないアメリカの事情を解説した。これ は岩本先生の研究テーマの一つであり、これまでマスコミなどでもほとんど触れられていないテーマだけに非常に面白かった。

 日本の税の配分では、うまく機能していない日本の税の仕組みを指摘したが、OECDの所得再分配後の可処分所得の各国比較を見せられると、確かに日本は 分配がうまく機能していないように思えた。 税の仕組みについては、先月号の月刊「文藝春秋」でも、岩本先生は自民党野田税調会長らとの座談会で見解を語っている。

 アベノミクスの総括では、3本の矢のうち第2、第3の矢はこれからの政策であり、物価上昇の目標よりも日本経済力の増強がメインとなるべきだと指摘した。成長戦略についても具体的な内容はまだ出ておらず、国土強靭化にとって日本経済の死角はエネルギー問題であるとした。

 日本の強固な経済ファンダメンタルズにも言及した。支払能力の指標となる経常黒字、対外純資産、外貨準備高などは、いずれも世界のトップクラスであり、10年もの国債の利回りも世界の中で日本が最も低い事実も示した。

 いま、株式市場はきわめて神経質に上下を繰り返しており、直近のトレンドは東京オリンピック招致決定もあって上昇している。しかし株価は、為替相場と連動しており、米国の大統領選と株価・為替の推移とオバマ大統領の再選後の為替政策は転換する可能性を示した。

 岩本先生は、いまドル高材料になっているシェールガス革命に言及し、米国が本当に世界一の産油国になるのか、革新的技術改革が実体経済に浸透するまでのタイムラグを示しながらオイルバブルのリスク要因なども指摘した。

 グローバルな経済状況を歴史的なデータを俯瞰しながら自らの見解を披歴し、現在と近未来の経済を読み解いて解説した講演であり、参加者に大きな感銘を与えた。

 

 21世紀構想研究会・100回記念イベント打ち上げ会の開催
 

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さる4月から続いていた21世紀構想研究会・100回記念イベントの最後を飾る「打上げ会」が、7月19日、プレスセンタービル9階で開催され、50人を超える参加者で盛会のうちにイベントを閉幕した。

この日は、100回記念イベントの講演を行った、加藤紘一・日中友好協会会長(元自民党幹事長)、記念シンポジウムのシンポジストになった藤嶋昭・東京理 科大学学長、岩本沙弓・大阪経済大学客員教授、本会アドバイザーの荒井寿光・元特許庁長官ら多くの人が参加して楽しい宴となった。

打上げ式に先立ち、本会会員で曹洞宗の名刹・霊巌寺住職、秋尾常民師が「遊び心と禅」のタイトルで講話を行った。多くの仏教語を出しながら、その深遠 な意味と現代人の行動様式を引合いに出しながら、思い遣りや気配り、時代が変遷しても変わらぬ物事の価値観などについて思索する話をして参加者に感銘を与 えた。

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                      講話をする秋尾常民師

 この後で日本酒を賞味しながら日本酒文化の国際的な広がりを語り合う「日本酒を国酒に!」とする打上げパーティを行った。

 この日は本会会員である伊勢丹本社フードアテンダントの中澤律子さんが、特別に調達しきた12種類の銘酒を飲みながら、日本酒を堪能する会となった。

  

 

乾杯の挨拶をする加藤紘一先生(左端)、真ん中が筆者、右端は中澤律子さん。

 

 

ずらり並んだ銘酒と特製の升とお猪口も準備万端。

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次々と銘酒を味わい、連日続いた猛暑を吹き飛ばした。

  まず乾杯には「八海山」(新潟)スパークリングシャンパンと同じ製法で作られた発砲酒である。まるでワイン趣向の乾杯に参加者も大喜びだった。さらに次々と開けられた銘酒を特注のお猪口や特製の升(本会会員・井上善男氏の寄贈)で飲みながら楽しんだ。

堪能した銘酒は次の通りである。

*  新千歳(福井) さくらロック お酒の概念を変えてアルコール度数を氷でお好きなように。

*  小左衛門(岐阜) ゆず酒  香りとほのかな甘味を楽しんで。

*  古酒(福島) 流転 ワインのようにヴィンテージを楽しむ大人の味わい。

*  萬乗酒造(愛知) 醸し人九平次 三ツ星レストランのワインリストにも掲載される世界の酒。

*  大村酒造(秋田) 福小町 通の大吟醸 オリンピック招致のレセプションで出されました。

*  南部酒造(福井) 花垣 日本酒をオーク樽につけてバニラ香を楽しむ新しい日本酒。

*  宮坂醸造(長野) 真澄 ワインに近いアルコール度数を12度に抑えた優しい創造酒。

*  出羽桜酒造(山形)出羽櫻 100年前以上前から鑑評会に出ている地酒の雄といえる酒。

*  菊水酒造(新潟) 菊水 酒造米ではなく魚沼産コシヒカリで醸した柔らかい味わい。

*  勝山酒造(宮城) 勝山 貴腐ワインのような味わい チーズやショコラとのマリアージュも。

*  大七酒造(福島) 大七生もと 最高級の雫原酒の選りすぐり サミット乾杯酒にも採用!

 

100回記念シンポジウムの報告(その4)

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 記念シンポジウムは、「希望ある日本のために何をなすべきか」をテーマに、5人のパネリストによる意見発表のあと、橋本五郎氏をモデレーターに討論を行った。

  橋本五郎氏

 それではこれからディスカッションをしたい。論点を私なりに絞って、パネリストの先生方から話をお聴きしたい。

 最初に岩本先生からアベノミクス後の株式、債券市場の乱高下の話があった。これは最も切実な問題であり神のみぞ知るとあったが、まさに政治では制御不能という状況ではないか。岩本さんの指摘を踏まえてもう少し考え、分析を試みたい。塩崎先生はいかがでしょうか。

塩崎恭久氏

 株式、債券などのマーケットは近視眼的に動き過ぎる。たとえば不良債権を処理しようとなった時、次に何をやろうかと いうときにマーケットの動きが大きくなることがあった。今回の株の乱高下のようにナーバスになっているときは、何か変化が起きるときであり、政治が制御不 能だからではない。いずれ市場は落ち着いていくことだろう。

 毎日動いていることに一喜一憂しないで、トレンドとしてどうなっていくのかを見るべきだろう。株価ではなく本当の経済実態を見ることだ。日本はいい方向 ヘと向いているのであり、基本的にアメリカも同じだ。アメリカの金融引き締めは、景気がよくなっていくからそうするのであり、マーケットは賢くないと思 う。

 政治が不能なのではなくマーケットとはこんなものだ。時間が経てば一つの方向に向かっていくのであり、むしろトレンドとしてどうなるか、本当のところを見ることだ。日本はいい方向へ向かっているし、アメリカは経済もよくなっている。

 橋本五郎氏

 大きなが流れとしては、成長戦略がきちんと実行できるようにならないといけないとよく言われるが、岩本さんは如何でしょうか。

 岩本沙弓氏

 日本経済は、エネルギーの問題を抱えており貿易収支は赤字である。原発は止められ原油の輸入価格が上がっているので赤字が続いている。海外にエネルギー を頼っている場合には一方的に円高がいいのではなく、やはり円安もいい。円高はエネルギー源を安く調達できるのでいいかもしれないが、円高・円安のどちら がいいとか悪いとかの問題ではない。これまでは円安がいいのではないかという論調もあったが、ここはバランスを取ってニュートラルに考えるべきだろう。

 塩崎恭久氏

 為替は双方向だ。これまではどう考えても円高が強すぎたかもしれない。しかしこちら側が決めることではなく、相対的なことで決まることだ。金融政策でど こまで変えられるかという問題があったが、今回、政策でこんなことができることが分った。あとはどのくらいがいいのか考えながらやることだ。

 橋本五郎氏

 さて経済の問題はこのくらいで、次にリーダーはどうあるべきか、リーダー像をどう思うかというテーマに移っていきたい。藤嶋さん如何でしょうか。

 藤嶋昭氏

 橋本さんがイギリスのサッチャー首相や大平首相についてのリーダー論を語った。これを聴いて、いま本当に真のリーダーが必要だなと思った。それがいま一番欠けているように思う。

 橋本五郎氏

 大学の現場ではどうですか?

 藤嶋昭氏

 大学は使命をきちんとわきまえて活動することが大事だ。日本が生きていくためには、資源がないから科学技術でしか生きていけない。今までは自動車、カメ ラ、電気製品とか工業製品でリードしていた。それがどんどん中国などに追い上げられてきた。こうなると日本は、ブレークスルーをやっていくよりない。私た ちもその使命を担って次世代の素晴らしい技術を開発するよりない。大学としてはそれよりない。

 橋本五郎氏

 中曽根内閣のときにがん撲滅10か年計画という政策を打ち出した。何年計画というのは、やはり必要ではないか。柳澤さんは、これをどう理解するか。

 柳澤幸雄氏

 自分は環境問題が専門だ。中曽根政権の打ち出したがん撲滅10か年計画では、確かに人材の基礎が出来上がった。研究の基盤を作り若い人を育てるというの は、短期間では意味がないので10年規模くらいの期間で人の基盤を作っていくことが重要だ。いくつかの分野でやるべきだ。人が育っていく土壌を作る必要が ある。

 橋本五郎氏

その点で塩崎さんはいかがでしょうか?

 塩崎恭久氏

 今回の成長戦略でも長期計画は見ている。ただ10年は長い気もする。例えばGNI(gross national income=国民総所得 )を増やすとか、名目3パーセント成長を目指すとか、10年目標でやっているが、しかしもっと短期間になるべきこともある。

 政府も今回、高低を付けて停滞から次の10年、再生の10年と言っている。10年は長いと思うが、他に短くていいものが多数あり政府も一つ一つに目標を定めてやることが重要だ。

今回のアベノミクスの特長は、総理が絶対ぶれない意志を持っていることが伝わっている。第1弾で農業とか医療とか雇用とかの課題でオンゴーイングするんだということだ。

  岩本沙弓氏

 アベノミクスを肯定する立場というわけではないが、私はディーラーとして、いい状況があれば必ず悪い状況もあるはずだという常にリスクを考える仕事をし てきた。アベノミクスの最大の問題は、日本の経済状態の好転はアベノミクスだけなのか、ちょっと俯瞰して考える必要がある。 

 国内だけの要因ではなく海外特に米国の事情もある。アメリカはシェールガス革命になっている。たまたまアメリカ経済が立ち上がってきた、日本も一緒に立ち上がる状況になってきた。

 ドル・円レートでも、円だけの要因で動くのではなくドルの要因でも動いている。双方の要因がオーバーラップしていくことを分析して見ることが重要だ。アベノミクスの一番のリスク要因は消費税である。これまでも消費税を導入した後にさまざまな状況が派生的に起きている。

  塩崎恭久氏

 97,98年の金融危機は、消費税が主因ではないと思っている。不良債権問題があり、借りたけど返せない状態になった。不動産屋さんだけでなく、そうで ないところも同じになった。産業構造の転換がうまく言っていなかったという構造の問題があったからあのようなことが起きてしまった。

 それには金融機関も責任あったし、監督する当時の大蔵省にも責任があった。課題解決を先に送ってきた。みんなで先送りした。

 今回の消費税は合計5パーセントあげるのだから、これには備えて行かなければならない。財政で勝てるかとなると、それだけではなく国際競争で負けてきたという問題がある。

 どうもうまくいってなかったし、日本は負けてきた。その根本のところを日本はどうするのかが大事だ。景気が上がったら反動が必ずある。これをどうするかが大事だ。

 社会保障の先行きに不安を持ちならが、財政にも赤字垂れ流しでいくのでは経済健全化にならない。財政はある程度の方向性を出すべきだろう。

 橋本五郎氏

 経済を議論したが教育の問題に移りたい。藤嶋さんが示した753を864に変えるには。いったいどこに問題があるのか。教師にあるのかそれとも文部科学省にあるのか。どこに問題があるのか。

 藤嶋昭氏

 いま一番の重要なことは小学5,6年の理科教育をきちんとやることだ。小学5,6年生の理科はかなり難しい。小学校の教師は大体文系だ。これで全科目を やらないとならない。そこで5,6年の理科を専任の教員かあるいは理科に強い先生が教えてくれて、理科の面白さを子供たちに伝えることが大事だ。

 橋本五郎氏

教師たちはどう思っているのか。

 藤嶋昭氏

 小学校の先生は全教科をみるのだが、大体は文系の先生だ。理科の難しいのを教えるのは難しい。実験の面白さからやってもらうようにしないとならない。観察とか実験をやるだけなら簡単だ。それ以上のことをやることが難しい。そこをうまく教えることが重要だ。

 橋本五郎氏

 現場では苦心のしどころだろうが、それではどういう風にやるべきか。柳澤さんいかがでしょうか。

 教えることはものすごくお金がかかる。さきほど、藤嶋先生はコンパクトな実験を見せてくれた。そのような実験を子供たちがやるには一人だけではできない。実験助手が必要になってくる。

 理科の専任の先生と同じ人数だけ助手が必要になってくる。そうするとその人たちの給料が必要になる。理科の教室の設備も含めてお金がかかる。

 たとえば枕草子を読むだけならお金はかからない。そころが、ある現象を教育するにはお金がかかってくる。これをどうするかが大きな課題だ。

 

橋本五郎氏

 退職された先生をバイトで雇うことはできないか。辞めたが一日中、家にいるのでは奥さんが一番困るだろう。それを敏感に察知した男性は、朝飯食うと公園 に出かけて静かに時間をつぶしているらしい。これをバイトで雇えば元気が出てくる 学校では余り教え子に近づけたくないのだろうか。昔の話ばかりするから かなとも思う。

 

藤嶋昭氏

 東京理科大学は歴史的に数学と理科の教員を多数世に出している。いい先生を出すには学生のうちに指導することが大事だ。この教員の育成には、校長先生を やって家にいると困る人にお願いして指導者になってもらっている。理科大ではボタンティアに近い形でやってもらっている。

 

 橋本五郎氏

 理科だけでなく、大学を出たばかりの若い先生がすべてに対応できるわけがない。一線を退いた人をうまく使うことは資源のリサイクルになるのではないか。もうちょっと積極的にやるとうまくいくのではないか。

 

塩崎恭久氏

 世界の100の大学のランキングを見ると日本の大学では東大と京大しか入っていない。 韓国は3つ入っている。自民党は10年内に10大学を入れることを目標にしている。

 そのために何をやるか。たくさんやることがある。3年前に成長戦略を作った時に、指標は実は国際化で負けている。しかし科学という指標でいくと上に行くがトータルで行かないとダメだ。日本の大学は外国の先生が少ないし、外国の学生も研究者の少ない。開かれていない。

 留学生の話もあった。希望する人が優秀なら全員、留学できるようにやりたいし逆に来てもうこともオープンにするべきだ。小中高といろいろ問題が出ている が、入試にも問題もある。日本では自分の大学で入試問題を作ってやっている。この形式は先進国ではあまりない。みんな共通テストでやり、後は論文とかアド ミッション方式でやっている。日本は大学入試制度を変えないとダメだ。

 高校生が入試を目標にやると、大学入試後は燃え尽きた学生になりがちだ。入試の点数が高いからいいというものではない。それでは決まらない。高校でどう いう社会貢献をしたのか、大学がアドミッション方式で取るときに評価の基準を作ればいい。そうすると高校生は、自分が地域で何をしたのか何を貢献したのか を考えるようになる。

 そのように入試を改革することは、とても大きな課題であると位置づけている。小学1年から英語を教科にしようとしたら、時の文部科学大臣が日本語もできないのに英語をやるのはダメだと反対した。結局、小学5年生からになった。

 英語をただ読んだり書いたりではなく、英語でコミュニケーションができる人を育てないとならない。コミュニケーションができないのでは社会に出ても伸びない。大学改革が大事だ。

 学長は選挙で選ばれるのではなく、理事会とか選考会が指名するなど大学のガバナンスを高める必要があるのではないか。教授会が学長の足を引っ張ったりすることがないようにするために、教授会の位置づけを本来の学長の諮問機関とするべきだ。

 選挙で学長を選んでいるとなかなかうまくいかないのではないか。我々国会議員も選挙で選ばれていると、あっちににこにここっちににこにこしないと選挙に当選しない。これでは大胆な改革などできない。

 ノーベル賞級の学者がなぜ日本で教えられないのか。逆になぜ、日本でノーベル賞を取った人が外国へ出ていくのか。そういうことを考えると大学のありかた、ガバナンスを考える必要がある。リーダーシップをとれる大学に期待している。自民党は改革のメニューを入れている。

 

橋本五郎氏

 大学は一見、民主主義的にやっているようだが結構無責任だ。恨みと嫉妬だけはある。政界とかなり似ているところもある。弾が後ろから飛んでくることもある。藤嶋さん、これはどうあるべきか。

 

藤嶋昭氏

 やはり理事会がリーダーシップを持って確固たる方針をもってやるべきだ。そうするとついてくる。堂々とやることが大事だ。さっきの大学のリーダーが必要だということと同じだ。

 

橋本五郎氏

 日本で最初にノーベル賞をもらった湯川秀樹博士の自伝の中で、父親は兄弟の中で一番ダメだと言われたという。ところが学校の先生は一番可能性があると見抜いて、ちゃんと大学に行かせるべきだと進言したという。

 先生が子どもをちゃんと見ている。そのことで一生が左右される。そうなると先生の役割は最も大切だと思っている。この世の中で、それぞれの一生を決めて しまうほどの役割がある。そうなるとそのような体制になっているのかという問題もある。東大に行くのも一つの指標かもしれないが、長い一生を決めるにあ たっては、先生がその役割を担っていることは非常に大事だ

 

柳澤幸雄氏

 子供が生まれて誰に育てられるのか。時系列で考えると生まれてすぐは親だ。幼稚園から小、中、高校と先生が関与する。そして思春期になると友人の影響が非常に大きくなる。

だからどういう生徒集団、どういう学生集団を作るか、その中でどういう形でお互いに切磋琢磨するのか。

 それを教員が持っていないと、時間的に持っていないとダメだ。教員は教室で知識を教授するだけではない。ものの考え方人格の形成に大きな影響を発揮するべきだ。また、友人関係をどう意識するのか、それを意識させる学校運営が大事だ。

 

 橋本五郎氏

 藤嶋さんは時代の雰囲気が非常に大事だと言った。昔、末は博士か大臣かと言ったが、あれは結構いいキャッチフレーズだ。いまはそれに代わるものがない。この雰囲気をどうやったら作れるのか。

 

藤嶋昭氏

 それは一人では無理だ。複数の同じ考えの人が集まって、なんかやろうとなるときにできる。やはり2,3人の同じ考えの人が来るというのが最も大事だ。明治時代もいろんな芸術でも同じ分野の人が集まって雰囲気を作って大きな力になった。

 

橋本五郎氏

 非常に大事だ。気持ちが国民全体の中に回ることが重要だ。宇宙探査機「はやぶさ」のときもそうだった。知識を血に対することだ。

 

藤嶋昭氏

 本を読もうという運動をやったきっかけは、川崎市の教育委員を10年やった経験からだ。教員採用試験をしたとき、面接者にこの1年間に読んだ本を言ってくださいと質問したら誰1人読んだ本を言えなかった。

 受験勉強の本を読んでいても一般の本を誰一人読んでいない。その人たちがみんな先生になる。これはひどい。自分を高めないとダメなので本を読もうというキャンペーンを始めた。

 大平正芳元首相はすごい読書家だった。あーうーと言っているが、一番の読者家だったのをみんな知っている。自分を高めることをしている人はみんな分かっている。

 

橋本五郎氏

 アメリカの元大統領のリチャード・ニクソンが、指導者とは、偉大な政治家とは、偉大な読者家であったとも言っている。塩崎さんいま政界を見ていて如何ですか。

 

塩崎恭久氏

 ま、人それぞれだと思います。今回まとめたものに知恵に対する話があったが、中間提言のなかで総理の科学顧問を設けよと提案している。英米では、チーフサイエンスアドバイザーがいる。

 政治家が科学をどのくらい受け入れる心を持っているか。原発事故が発生したとき、海水注入をやめろとか、あるいはベントを早く命令するとか、大きな声を 出した総理大臣もいた。イギリスの人に聞いたら、イギリスの政治家はそのような科学的な判断に口を出す人はいませんと言っていた。原子炉の中の問題につい ては、独立性をもってやならいとならない。

 下手な科学者の判断よりも政治家の方が判断は正しいと思い込んでいる政治家が多いのではないか。サイエンスアドバイザーを日本でもおけと言っている。しかし文部科学省が反対している。総合科学技術会議があるではないかと言っている。しかしこれは人を置くことだ。

 イギリスにはほとんどの役所にサイエンテフィックアドバイザーがいる。国務省にもいる。深い科学者として考えを持った人が科学的判断を提供している。そ してそれを受け入れる人がいる。事務官にも政治家にもいる。向こうでは専門的なアドバイスを受け入れることが事務官にも役所にも政治家にもある。

 

橋本五郎氏

 専門家が十分に機能を果たしているのか。そこだと思う。それぞれの立場もあるし意見もあるのだろうが、日本で言えるのは、みんな自信なげである。そう やっていままで原発をやってきたのかとなる。ここは藤嶋さんに聞きたい。専門家がこうやるべきだ、素人が口を出す問題ではないと言わねばならないのに、国 民の目線になっているようだ。専門家がこれではどうするんだとなるがいかがでしょうか。

 

藤嶋昭氏

 それについてコメントするのは難しい。大体、原子力の専門家は同級生にいるが、あのときは優柔不断というか決断をちゃんと言わなかったように感じる。それが一番問題だ。 専門家はちゃんと言わないとダメだ。

 

塩崎恭久氏

 国会の事故調査委員会で問題になったことは、規制のとりこになっていたことだ。専門性があまりに高いので、専門性の規制のされる側にとりこになった。

 原子力安全基盤機構があって、専門家として組織を統合して、かつての保安院は基盤機構に下請けに出して作ってもらっていた。事故のとき基盤機構に100くらい提案あるとしていたが、保安院にいくと10くらいしか理解できなかった。官邸には1くらいしか届かなかった。

 これを解決するには、1つにまとめてこれを専門性のある力のあるものに変えていかないとならない。統合することに法律で決めている。しかし一部政府の人 たちは熱心にしていない。早くやらないと原子力規制に対する信頼はいつまでたってもできない。能力がないと言われてはダメだ。

 

橋本五郎氏

 高校のときからいい人材を作っていくことが大事だ。大学でなく高校のときからということが大事なことでしょう?

 

柳澤幸雄氏

 英語、数学、国語という科目が入試にある。抜けていることで典型的なことがある。たとえば国語で漢字をよく知っている。教養があると思われている。数学がよくできる。この人は頭がいいと思われている。英語がよくできる、この人はスマートな人と思われている。

 日本の場合、大学で文系と理系に分ける。高校でも分けている学校がある。開成高校は分けていない。大学に行くとき、数学が苦手だから文系に行くという人が非常に多い。そうすると仕事に入った時にも数学的な素養が不足し、損をすることになる。

 高校で言うと、入学試験は教育の大きな流れを決める非常に大きな要素だ。小学、中学、高校とも指導要領に縛られているが、生徒は学校だけでなく塾でも勉 強をしている。そうすると大学の入試はこういう問題である。それに合わせて子供たちは勉強している。莫大なエネルギーがそこに使われている。

 大学がどのような入試問題を出すかというのは、大学の社会的に存在する自分たちのメッセージなっている。いま入試改革が言われている。そのとき日本の入試では生徒自身が自分を評価しているというメカニズムがない。

 TOEFLなどは何回も受けられる。最大で7回受けられる。自己評価とその試験の評価の一致をはかることができる。何度も受けることができると自分はもっとできるのに点数が悪い。それならもっと勉強するとなる。また受ける限界かなとか判断できる。高校時代に判断できる。

 そのように生徒自身が判断できる。自己判断ができることが大事だ。是非とも入試改革をするべきだ。

 

 

橋本五郎氏

 最後に株価はいったいどうなるのか。買ったらいいのか買わない方がいいのか。ということは受験勉強と何も関係がない。スポーツのあり様と株価のあり様とどう関係があるのか。

 

岩本沙弓氏

 難しいですね(笑)。大阪経済大で教えているが大阪には堂島という取引所がある。先物取引所がある。この取引を世界に先がけて開発したのは日本人である。

 実は日本人は市場経済に非常に敏感な国民である。大阪と京都にいち早く伝える旗振り通信、火の見やぐらを作って伝えた。旗振りの中継所は4か所ある。そこで旗振って伝達していた。

 大阪から京都まで旗振りで伝える中継地点が全部で4つある。旗を振るだけだが、どのくらいの時間がかかると思うか?

 

橋本五郎氏

?・・?・・、3時間くらいだろうか。

 

岩本沙弓氏

 実は4分でできていた。旗を振り、双眼鏡で眺めて情報を収集した。いまNTTで電波通信は旗振り通信だと言われている。日本人は創意工夫する国民だ。相場も、もともとそうだった。

 いわき市にカンガルーという会社がある。大震災で100パーセントダメになってから1か月で回復させた。底力のポテンシャルがある。底力があるのだから、もう少し自信をもってやると全然変わると思う。

 

橋本五郎氏

なるほど。そのポテンシャルに期待してこのシンポジウムを終わりたい。

 

 

馬場錬成・21世紀構想研究会理事長の閉幕挨拶

 5人の先生方の専門性の高い思索からの意見が述べられ、一時は話が発散してどうなるかと思いながら聴いていた。アベノミクス、財政金融問題、そして広く教育問題へと話題は広がり、日本のためにどうするのかというフォーカスでは一致していた。

 5人の先生方が明確にそのようなメッセージで語ったわけではないが、私なりにそのように感じた。ご発言の中で共通だったことは、日本にはリーダーが不足している。今こそ確固とした信念をもった専門性の高いリーダーが必要だ。

 国を建てるのは教育である。教育は教師の在り方、教育制度の在り方、入試のありかたなどで各論が出ていたがリーダーといい人材を育てていく教育が一番重要であることを5人の先生が角度を変えて発言していた。

 日本と日本人は、この150年間に世界でも稀有な進歩を遂げた。日本と日本人はきわめて優れた民族の1つだ私は考えている。これまでの実績と民族の資質 を認識し、これからも誤りなきように歩いて生きていきたと思う。世界に貢献できる人類の福祉に貢献できる日本と日本人でありたいと思う。

 21世紀構想研究会100回記念シンポジウムは、実り多い討論に終始して終了した。5人の先生方に篤くお礼を述べ、改めて盛大な拍手で謝意を表したい。

 有難うございました。

             

                               

21世紀構想研究会・100回記念シンポジウム報告(その2)

                               
                 

 冒頭に21世紀構想研究会の歴史と活動を紹介

 シンポジウムの冒頭、21世紀構想研究会の馬場錬成・理事長から、1997年9月の創設から今日までの研究会の活動実績を報告し、今後も社会貢献を目指して討論や政策提言を目指す決意が語られた。

  まず、21世紀構想研究会の設立目的は、時代の変革で続出してきた課題を提起、討論する場を作ったことだった。IT(情報科学)の進展によって国、企業、 社会のあらゆる場面での変革を予見し、知的基盤の強固な研究現場と産業振興の技術革新の実現をしなければ、日本は真の科学技術創造立国を確立できない。

 そのような課題を認識し、適宜、研究テーマを掲げて討論し、そこで得られた成果を社会に訴えて啓発しながら国の政策にも結びつくように活動する方向を目指して出発した。

 会員は現在およそ100人。主として有力なベンチャー企業、政府機関、大学・研究機関、マスコミの4極から集まっている。

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 21世紀構想研究会の歴史と活動を紹介する馬場錬成・理事長

  下部組織として4つの委員会が活動

 21世紀構想研究会には現在、産業技術・知的財産権委員会(生越由美・委員長)、生命科学委員会(東中川徹・委員長)、教育委員会(銭谷眞美・委員長)、メタンハイドレート実用化委員会(平朝彦・委員長)が活動を行っている。

 それぞれ時代の要請を見ながら研究会を通して課題を認識し、政治、行政に対して成果を伝え、働きかける活動につなげている。過去の実績では、本会アドバイザーの元特許庁長官、荒井寿光氏を中心に度々、知財立国への制度改革や現場の課題を報告し、政府にも政策提言を行ってきた。

 また中国にも2回訪問し、中国社会の急速な進展と日系企業の現地での活動を視察した。さらに東日本大震災の前後には東北電力女川原発を視察し、原発の実情を学び、大震災の被災の現場を見る機会があった。 

 会員企業の栄枯盛衰

 21世紀構想研究会の会員は、有力なベンチャー企業の創業者に参加を求めたところに大きな特徴があったが、会員となった企業は成長するとは限らず、厳しい競争社会の中で大きな試練に立っている現状を知った。

 会員企業の中で、業績が順調に伸びた企業と事実上倒産した企業が交錯している。業績を伸ばした代表的な会員企業は次のような企業である。

 武蔵エンジニアリング株式会社、株式会社日本一、株式会社ガリレオ、株式会社発明通信社、株式会社高速屋、株式会社みかづき、株式会社グッドバンカー、株式会社ホトロン、ユーヴィック株式会社、株式会社東京大学TLO、バイオジェニック株式会社などである。

 会員になった多くのベンチャー企業は、特許など知的財産権を多数取得し、独創的な技術を武器に市場へ打って出たものであり、順調に業績を伸ばして上場した企業も3社ある。一部上場まで果たしたのが荏原実業株式会社である。

 その一方で上場した後に事実上倒産した企業が2社出ている。株式会社YOZANとシコー株式会社である。また知的財産戦略をもとに活動を続けるも業績不振で事実上倒産した会員企業が5社出ている。

 株式会社 YOZANは、第3世代携帯電話(W-CDMA)用の集積回路の設計・開発を行い国際的にも脚光を浴びて2000年9月1日に株式をJASDAQに上場し た。その後、半導体開発では安定的な成長が望めないとして電気通信事業者へ業態転換を行ったがうまくいかず事実上の倒産となった。

 シコー株式会社は、振動モーターを発明して携帯電話機のマナーモードを世界中に広げたものだが、円高、中国での人件費高騰、デリバティブ差損などの逆風に持ちこたえることができず、わずか3億9千万で中国の名もない中小企業に買収されていった。

 このような実例を知ることによって、21世紀構想研究会は国際的な技術開発競争、ビジネス経営の難しさを知り、分析・研究を行い、研究成果の一部は2011年度の日本知財学会で発表した。 

 「たかが学校給食と言うなかれ」

 また、食育推進事業の一環として始めた「全国学校給食甲子園大会」は、2013年に第8回目を迎えることになり、全国の学校給食現場では知らない人がいないくらいに有名なイベントになった。 

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  第7回学校給食甲子園大会に優勝した愛知県西尾市立西尾中学校
学校栄養職員・冨田直美さん、調理員・三浦康子さん
 

  昨年の応募校は、全国から2271校(センターも含む)あり、年々参加校の数が増えている。これは単に学校給食の調理コンテストではなく、一般の人々にあ まり知られていない学校給食の理解を高め、日本を背負っていく次世代の児童・生徒の栄養と健康を見守り、重要な使命を帯びて日夜頑張る栄養教諭、学校栄養 職員、調理員を顕彰する大会にするのが主たる目的である。

 また、地場産物を供給する生産者、流通業者、保護者らとの交流促進にも役立て、食文化が一国の文化と密接につながっていることを理解しながら学校給食の重要性を社会に向かって啓発しているイベントである。「たかが学校給食」と言うなかれというのが私たちの主張である。学校給食は、食育推進の観点から、次のようなキーワードで研究を進めることができる。

  子供 栄養 健康 躾 教育 生活 地域 社会 国家 文化

 学校給食から見えてくる課題は、国家観にまで広がっている。  

 これからの21世紀構想研究会活動にご支援を

 世 界的な産業構造の大変革の中で、日本はどのような国作りをし、どのように産業構造を変えていくのか。そのために知的財産戦略をどのように策定し推進するの か。これは国家だけではなく企業、大学・研究機関など日本全体の課題である。産業技術・知的財産権委員会では、近く知財改革の討論を開始し、日本の近未来 の産業構造や知財戦略の再構築を模索しながら政策提言できるような改革案を作成したいと考えている。

 私たちは時代認識を明確に意識した社会啓発活動を続けていく決意である。

 これからもご指導、ご支援をお願いしたい。

 大学学長、東大特別栄誉教授) 

柳澤幸雄(開成中学・高校校長、東大名誉教授)

  21世紀構想研究会の100回開催記念のシンポジウムが6月11日午後6時半から、東京・内幸町の日本記者クラブ10階のプレスセンター大ホールで開催された。 

 冒頭、筆者は21世紀構想研究会の理事長として、第1回の研究会開催から今日までの歴史を簡単に説明し、これまでの活動実績や今後の活動方針について報 告した。この後、「希望ある日本のために何をするべきか」をテーマに、モデレーター、パネリストの5人が冒頭にコメントを述べ、そのあとで討論を行った。

 今回の報告では、全体の印象を筆者なりに示したいと思う。まず第一印象は、自分たちが主導で決めたパネリストの人選であるが、多方面の分野からの代表と いう形になり非常によかった。(自賛) 将来の首相候補として最も近い距離に立っている塩崎先生は、さすがに政界事情を巧みに勘案した発言をしていたが、 基本的に「実現可能な政策」という視点に立っていたことは政治家として一定の評価をしたい。

 岩本先生は経済学者、特に直近の為替変動、金融政策、株価乱高下を日々解説する立場に立っているので、冒頭は株式市場の解説を歴史的なデータを示して行っていた。これは冷静な視点を示したもので非常にためになった。

 藤嶋先生は、最近取り組んでいる青少年の読書運動と理科離れへの歯止め運動から教育全般にまで広げた話題は面白かった。「空はなぜ青いか」と問いかけ、その理屈を解説し、しかも持参したペットボトルに懐中電灯を当てて青空の理屈を見せてくれたのは、鮮やかな手法だった。

 柳沢先生は、東大進学断然トップという有名高校の校長らしく、開成高校の卒業式での式辞の話からこれから人生を歩む若い世代に告げるメッセージを披露しながら、親や社会人の果たすべき責務について考えさせるメッセージを発言していた。

 モデレーターの橋本先生は、膨大な蔵書を抱える読書人らしく、昔の偉人たちのエピソードを適宜に織り込みながら、地方の疲弊、少子化問題など現代の重要 課題を国民の目線で考えることを提起しながら深く思索するように示唆した。さらに4人のパネリストを巧みに束ねて2時間の論戦を仕切った手腕はさすがだっ た。

 5人の討論の内容については、この後で詳報を掲載していきたい。

 

                               

21世紀構想研究会・100回記念イベント第3弾で生島和正氏が講演

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 21世紀構想研究会の100回記念イベントの第3弾は、武蔵エンジニアリング株式会社の生島和正社長が「我が社の事業とその経営哲学について、または、これからの世の中を確かに生きていくために -若者に捧ぐー」とのタイトルで講演を行い、会場と熱い討論を展開した。

 生島社長はまず、液体を超細密に制御するハイテク技術で世界トップの技術力とマーケット支配をしている活動を分かり易い映像データなどを使って説明した。

 経営哲学とする基本理念には、幸田露伴の「努力論」と二宮尊徳の「報徳訓」の思想を取り入れた「露伴・尊徳ism」を確立し、独自の経営理念で活動して いることを熱く語った。具体的な行動様式としては、誠実、挑戦、独創性の3本の柱を掲げていることを説明したが、この中でも特に誠実という企業姿勢を明確 に打ち出していると語った。 

 さらにビジネス社会は競争ではなく闘いであるとし、企業が強くなるためには技術力、製品力、販売力、組織力、仕事力、人間力をあげ、もの作りに取り組む経営は「美学」であるとする独自の経営観を語った。

 さらに「これからの世の中を確かに生きていくために -若者に捧ぐー」として、世の中の見方、考え方について独自の歴史観と世界観を披歴し、感銘を与えた。

 21世紀構想研究会「100回記念シンポジウム」の開催案内

    
 21世紀構想研究会は、設立から15年目の2013年6月、100回開催記念のシンポジウムを開催します。

 是非、参加をお待ちしています。無料です。

特定非営利活動法人21世紀構想研究会100回記念シンポジウム案内

 開催日時:2013年6月11日(火) 午後6時半~9時

テーマ :希望ある日本のために何をなすべきか
 

モデレーター 橋本五郎(読売新聞東京本社・特別編集委員)

 

パネリスト 

岩本沙弓(大阪経済大学 経営学部 客員教授) 

塩崎恭久(自民党衆院議員、元内閣官房長官) 

藤嶋 昭(東京理科大学学長、東大特別栄誉教授)

柳澤幸雄(開成中学・高校校長、東大名誉教授)

 

  橋元五郎氏

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 1946年生。1970年、慶應義塾大学法学部政治学科卒、読売新聞社入社。政治部、論説委員、政治部長、編集局次長などを歴任。読売新聞編集委員を経て現在同特別編集委員。日本テレビキャスター(「ジパングあさ6」「ズームイン!!朝!」)、東京大学経営協議会委員、NHK中央放送番組審議会委員、東日本大震災復興構想会議委員などに就任。 読売新聞紙面でタイムリーなテーマで論評を執筆して多くの「橋本ファン」を作った。現在、読売テレビ「ウェークアップ!ぷらす」コメンテーターなどを務める。著書に『新聞の力』(労働調査会)、『総理の器量』(中公新書ラクレ)、『「二回半」読む』(藤原書店)、『範は歴史にあり』)など多数。

 岩本沙弓氏

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  1991年東京女子大学卒。同年から日・米・加・豪の大手金融機関にて外国為替(直物・先物)、短期金融市場を中心にトレーディング業務に従事。日本経済新聞社発行のニューズレターに7年間、為替見通しを執筆。金融機関専門誌「ユーロマネー誌」のアンケートで為替予想部門の優秀ディーラーに選出される。 現在、為替・国際金融関連の執筆・講演活動の他、国内外の金融機関勤務の経験を生かし、参議院特別委員会にて参考人として出席するほか、政党関連の勉強会等の講師にも招かれる。大阪経済大学経営学部の客員教授を務めている。主な著作に「新・マネー敗戦」(文春新書)、「最後のバブルがやってくる」(集英社)など。最新刊「バブルの死角」(集英社新書)は2013年5月発刊。

 塩崎恭久氏

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1950年(昭和25年)生。1975年、東大教養学部教養学科アメリカ科を卒業して日銀に入行。1982年にハーバード大学行政学大学院を修了、行政学修士号を取得。1993年、衆院議員選に出馬して初当選。以後、衆院議員6期、参院議員1期を務める。金融危機に伴う1998年の金融国会では、金融再生トータルプラン、金融再生法の策定に奔走し、政策新人類と呼ばれ注目された。衆議院法務委員長、外務副大臣を経て2006年の第1次安倍内閣で内閣官房長官・拉致問題担当大臣に就任。2011年3月の福島第一原発事故を機に「国会事故調査委員会」(憲政史上初めての国会内調査委員会)を立ち上げ、「原子力規制委員会」の創設を主導し原発・原子力問題に全力傾注。現在は、自民党政調会長代理・日本経済再生本部本部長代行として日本経済のデフレからの早期脱却に向けて鋭意取組み中。

 

 藤嶋昭氏

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 1966年、横浜国立大学工学部卒業、71年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。神奈川大学工学部講師、東大工学部講師、助教授を経て教授、同大学院工学系研究科教授。東京大学特別栄誉教授。2003年4月より財団法人 神奈川科学技術アカデミー理事長、08年科学技術振興機構・中国総合研究センター長。2010年1月より東京理科大学学長。酸化チタン光触媒の原理を発見した業績で世界的に知られる。日本化学会賞、紫綬褒章、日本国際賞、日本学士院賞を受賞。2010年文化功労者。 学術的な専門書を数多く刊行したが、最近は子供の科学啓発教育に情熱を燃やしている。「時代を変えた科学者の名言」、「科学も感動から」(いずれも東京書籍)、「太陽と光しょくばいものがたり」(偕成社)など著書多数。

 

 柳沢幸雄氏

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   1947年生、東大工学部化学工学科を卒業。コンピュータ会社のシステムエンジニアとして3年間従事後、東大大学院で大気汚染を研究し博士号取得。東大助手を経て、84年よりハーバード大学公衆衛生大学院に移り、研究員、准教授、併任教授としなる。1993年より、財団法人地球環境産業技術研究機構の主席研究員を併任。1999年東大大学院・新領域創成科学研究科教授、2012年東大名誉教授。主要研究テーマは、空気汚染と健康に関する研究。2011年より母校の学校法人開成学園・中学校、高等学校校長に就任。社団法人大気環境学会副会長、室内環境学会会長、臨床環境学会理事、NPO法人環境ネットワーク文京副理事長などを歴任。主な著書に「化学物質過敏症」(共著、文春新書)、「CO2ダブル」(三五館、1997)など多数。
               
     
                               

永野博氏が読売新聞・論点欄で若手人材育成の国家戦略について提言

                               
  永野博氏が、2013年5月1日付け、読売新聞論点欄に「研究リーダー養成必要」との論文を発表した。

 世界主要国、後発国ともに、若手の人材育成に力を入れて多くの政策を遂行しているが、日本の人材育成はこれでいいのか。世界の現状を調べて分析し、日本の国家戦略として若手の人材育成をどう取り組むべきか。

 その視点を明快に提起している論文である。是非、読んでほしいと思った。

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21世紀構想研究会・100記念イベントで佐々木信夫先生が講演

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 21世紀構想研究会の100回記念イベントが進んでいるが、4月24日には第2弾として佐々木信夫先生(元特許庁特許技監、株式会社特許戦略設計研究所 代表取締役)が講演し、日本に横たわる知財戦略の課題を分析して指摘し、これから取り組むべき戦略について多くの示唆に富んだ提言を行った。

 佐々木先生は、1998年に特許技監を務めたが、そのときの特許庁長官は荒井寿光氏である。この日は荒井氏も出席し、往時の長官・技監の名コンビで講演の後の討論を盛り上げた。

 佐々木先生の講演内容で筆者が印象に残ったのは、アジア・中国を中心に広がっている巧妙な特許模倣システムの広がり、欧州特許庁の停滞ぶり、日米特許対 話の流れなどである。また、自身の手がけている具体的な特許・ビジネス戦略について、ケーススタディの形で披露し、日本の特許戦略と産学連携の現場に横た わる様々な課題をあげた。

 安倍政権の掲げる「三本の矢」政策の最大の課題は、失われた20年で現出していたデフレ経済を脱するために成長戦略を見直して具体化し、速やかに実現す ることだ。そのために佐々木先生は、知財の保護ルールの国際的な共通化をあげた。TPPの知財保護ルールの共通化、日中韓のFTA交渉の知財保護ルールの 共通化、日欧のEPA交渉の知財の保護ルールの共通化などである。

 また国内の知財政策では、グレースピリオド1年の制度化、超早期審査の制度化、18か月以内の特許取得手続きの制度化などをあげ、そのためには特許紛争 実態の調査と監視の励行や無審査実用新案法の根絶などをあげた。これは中国で急増する実用新案出願と特許出願は、中国独自の制度が権利意識を突出させてお り、こうした実態を国際的な共通システムに改めていかないと公正な競争にならないことを指摘したものである。

 そのほかにも重層多岐にわたる国際的な課題提起と日本のとるべき戦略は極めて重大なものばかりであり、今後、佐々木先生の提起した課題を整理し、安倍政権に政策提言できるよう論議を成熟化していく方向を確認してこの日の講演は終了した。

 

                               

加藤紘一氏(日中友好協会会長)が日中問題について21世紀構想研究会で講演

                               
                 

 

 元自民党幹事長の加藤紘一氏(日中友好協会会長)が、4月19日、21世紀構想研究会で講演し、緊迫する日中問題について核心に触れる解説を行った。こ の中で加藤氏は、2012年9月9日、ロシアのウラジオストックで開催されたAPECで、中国の胡錦濤国家主席が野田総理と非公式ながら30分ほどの会談 を行っていたという新たな事実を披露した。

 日本では、日中の2人の首脳が立ち話をした程度として伝わっているが、立話以外に日中2人のトップが部屋に入り、通訳を交えずに片言の英語で語り合った 内容が問題であったと推測できる中国側の動きと情報を元に、これまで伝えらていない日中外交問題の齟齬について大胆な解説を行った。

 また1984年 - 1986年に、中曽根内閣の国務大臣防衛庁長官をしていた時代に、日本海を舞台に日中で緊迫した事態が勃発した秘話、尖閣紛争を原因とした日中の武力衝突 の可能性、レアアースを巡る日本の報道とその真相、中国共産党の若い指導層の仕事ぶりと近年の日本の官僚の考えと仕事ぶりなどについて見解を述べた。

 加藤氏は元外務官僚であり中国語語学研修で鍛えたチャイナ・スクールの系譜にある人である。中国語が堪能なので中国の指導層、要人とも個人的な太い人脈 がある。この日の講演でも、中国に関する豊富な情報量を感じさせる多くの話が語られ、真の日中関係を理解するうえで非常に役立った。

 また、膠着している日中問題を打開する手だてについて加藤氏は、日本の政治家の中でいま中国側と最も太いパイプを持っているのは安倍首相であると解説 し、安倍総理自ら動くことが重要であるとの見解を述べた。第一次安倍政権誕生後の中国との外交を振り返りながら、先月下旬、中国側が安倍首相に期待をかけ ている動きを見せたが、日本側がそれに対応しなかったとのいきさつを語った。

 この膠着状態を打開するのは政治問題として取り組んでも困難なので、民間が積極的に様々な交流を進めることが重要なカギになるとの見解も語った。

 またこの日の研究会には、在日中国大使館の李纓(Li Ying)公使も出席して熱心に加藤氏の話を聴いていた。研究会後半のフロアとの質疑応答では、フロアから李公使に中国の経済問題や科学技術問題で質問す る人も出たが、李公使は流暢な日本語で率直な意見を述べて参加者に感銘を与えた。

 

 加藤紘一先生(日中友好協会会長)と懇談

                               
                 

 

元自民党幹事長で同党の重鎮である加藤紘一先生と2月28日、東京・六本木でお会いし、直近の様々な話題で意見交換した。

 加藤先生は先の衆院選で山形3区で14選を目指したが前坂田市長の阿部寿一氏に負けて落選した。この日、久しぶりの出会いだったが元気な様子であり、健啖ぶりは相変わらずで安心した。

 最近の加藤先生は、緊迫する日中関係の改善に貢献したいという意欲を持っている。それは、外務官僚時代から中国通として活動し、中国の要人にも太いパイプを持っているからだ。現在も日中友好協会会長として中国との関係改善に動いているという。

 そこで、100回開催記念イベントを行う21世紀構想研究会の特別講話として、来る4月19日午後7時から、プレスセンタービル9階の宴会場で、特別講話をしてもらうことにした。

 演題は「中国第6世代が考える日中未来志向」と決まった。第1世代・毛沢東、第2世代・鄧小平、第3世代・江沢民、第4世代・胡錦濤、第5世代・習近平と続き、次の中国共産党のリーダー候補が第6世代となる。

 いわば中堅幹部として活動する中国の第6世代は何を考え日中対応にどのように動こうとしているのか。日中戦争勃発寸前という緊迫した状況もあるだけに加藤先生の分析と解説を注目したい。

 

 

             

                               

第98回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

第98回・21世紀構想研究会は、2013年1月25日、プレスセンターで開催され、「大丈夫か日本の大学の産学連携活動」のタイトルで、株式会社東大TLO社長の山本貴史さんの講演と討論で盛り上がった。

 山本さんは、日本の大学TLOの必要性を1990年代から主張し、時代の先駆けを行った人である。それはアメリカの産学連携の最初のシステムを構築したニルス・ライマース氏に私淑し、そのイロハを教えてもらい、日本にその文化を導入した。

 産学連携など日本ではほとんど話題にならなかった時代に、次世代の風をかぎ取って活動を始めたという点で非常に価値ある活動であった。

 日本の産学連携は、まだ道遠しであり、軌道にのるのに、あと10年かかるだろう。山本さんは、東大への国からの莫大な資金投与と高度資質の人材とこれまでの研究インフラがあるから成功していると思いがちだが、そうではない。

 この日の講演でも、マーケティングを最重要課題に掲げ、営業努力があって初めて成功している企業活動であることが分かった。外国の企業が東大の発明成果 に素早く群がってくるという報告は、日本の企業文化、官僚文化がいかに世界の潮流に遅れているかという現実を報告していた。

 いま、日本で最も遅れている点は、決定までに至る道筋と時間である。官僚の世界でも企業でも大学でもあらゆる世界で即決即断ができない。それは日本の文化であり、それがいい時代もあった。しかし今は違う。競争の世界では後れを取ることが少なくない。

 産学連携の話を聞いていて、産業競争力と政治、行政の現状に思いが至った。日本はやはり国のカタチを変えなければならない。そのためには、若い世代のエネルギーを使って年寄りたちの知恵を現代の社会に生かさなければならない。

 産学連携の話は、実は日本の社会構造変革の課題の取り組みを語っていることに気が付いた。産学連携の成功事例が多数出てきたときに、日本は再び日のいずる国として世界の羨望を浴びるだろう。

 

 21世紀構想研究会 忘年パーティの開催

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の忘年パーティが12月10日、東京のプレスセンタービルで開催した。会員の合原亮一氏(株式会社ガリレオ社長)が長野県上田市で展開している有機野菜の実際を語る講演があり、収穫した野菜の即売会も行った。

 驚いたことに日本の野菜は、年を追うごとにビタミン類などの含有量が少なくなってきたという事実だ。有機野菜の必要性を知って本当にためになった。

 最後に一人一票実現のために、来るべき総選挙での最高裁裁判官の国民審査では、心を鬼にして現在の最高裁判事にバッテン(×)を付けることで司法にカツを入れ、立法府にも影響を及ぼして日本に真の民主主義国家を建設しようと盛り上がった。

 

                               

構想研100回記念委員会の開催

                               
                 

 

1997年9月に創設された21世紀構想研究会は、来年4月ころに100回開催の記念日を迎える。その節目の開催を記念するイベントや研究会をどうするか。

 このほど100回記念委員会(合原亮一委員長)が設置され、その第1回委員会が11月21日、プレスセンタービルで開催され、シンポジウムなどの開催について意見を交換した。来年4月ころの日本全体の動きを今から想定するのは非常に難しい。

 間もなく衆院選挙が公示され投票が行われる。比較第1党は自民党が予想されるが、そうなれば安倍内閣の発足となる。2回目の首班指名となるが、右翼志向の強い内閣ができると中国との関係がさらに緊迫することになる。

 第1党になっても他の会派と組まなければ首班指名は難しだろう。そうなると組む相手の政策とのすり合わせで外交、経済問題がゆがんでくる可能性もある。 政府原案の予算案は年内には無理だとすれば、来年1月中に作成し、通常国会に急ぎ提案して年度内に成立させなければならない。

 こうしたスケジュールも考えると、21世紀構想研究会の100回記念開催時には、日本全体が緊迫した動きの真っただ中にあることも想定される。そのような状況も考えたテーマのシンポジウム実施となると、開催直前までテーマを決められない可能性もある。

 そのような意見を踏まえながら、いまは広くテーマを設定し、直前になって的を絞る方向でさらに検討することでこの日の委員会は終わった。21世紀構想研 究会の今後の活動方針、社会貢献、政策提言集団としての役割など再考する懸案があるので、この委員会は将来展望も踏まえた討論を重ねることになるだろう。

 

 

                               

第96回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 

  インターモダル社社長の園山玲子さんが講演

第96回21世紀構想研究会は、10月30日に開催され、インターモダル株式会社代表取締役社長の園山玲子さん(本研究会会員)が「知られざる世界-航空貨物の現場 どうする日本」をテーマに語ってもらった。

  園山さんは航空コンサルタントとして格安航空を手がけるなど航空ビジネスのエキスパート。アジアで急成長する格安航空社の誘致を目指す地方関係者が頼りにする強い味方である。 長年の外資系企業勤務で培った人脈と行動力・交渉力で世界を奔走。中国の空港公団の重鎮が相手でも、一歩も引かずズバズバ物を言える。それでいて険悪な雰囲気にはならない。交渉の巧みさに大手商社マンも舌を巻くという。

 航空貨物の動向は産業構造と連関している 

 この日の講演では、航空貨物の状況が産業構造の変化と密接不可分にあることを示して参加者たちを驚かせた。例えば輸出入貨物の取扱量と金額の推移を見ると、日本の製造業が海外へ移転して国内産業が空洞化してきた現状が統計に表れている。いまの状況を端的に言えば、輸出する貨物が急激に少なくなってきたということだ。

 これまでの機械、部品、 化学製品などに代わって高級果物や生鮮食品などが新たに存在感を見せ始めている。このような物流は温度管理をして輸送することになるので、輸送手段も空港 の設備も運搬する方法もすべて温度管理に適したものでなければビジネスにはならない。航空輸送の構造改革が始まっている。

 国際的な物流、航空貨物現場の遅れなどをしてきた園山氏は「世界は物流からモノの価値が生まれる時代になっている。国際物流の出入り口である空港は、いつでも必要なときに離発着が可能でなければ新しいビジネスは獲得できない」という。

 韓国の仁川空港に後塵を拝する日本 

 

 たとえば成田空港は、午後11時から午前6時まで発着はできない。空港周辺住民の騒音規制からだが、このままにしておけば日本は産業競争力で大きなデメリットを持つことになるという。韓国の仁川空港は24時間の発着を許可しており、何よりも年間の1機当たりの着陸料が成田のほぼ3分の1程度になる。空港の上屋賃借料は成田5分の1強、ハンドリング料も成田のほぼ3分の1である。

 

 韓国は東アジアの航空貨物のハブ空港を目指し、国ぐるみで取り組んでいる。さらに航空貨物の設備と運用を売り物に、途上国などの貨物空港ターミナル建設の受注を目指して積極的に攻勢をかけており、仁川空港は航空貨物の中心に育てる戦略が着々と実現しているという。

 

 これはシステムのノウハウであり、知的財産権でもある。このようなビジネスは戦略がなければ成功しない。日本はこの面でも劣化してこないよう国家的な戦略がほしいのである。

 

 

                               

第95回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第95回21世紀構想研究会(http://www.kosoken.org/)は、9月18日にプレスセンタービルで開催され、東京理科大学の坂口謙吾教授から「バイオ発電」について語ってもらった。

 バイオ発電とは、グルコース(ブドウ糖)を原料にする発電で、よく言われているバイオマス発電とは違う。坂口教授は、人類が地球上に登場して以来、どのようにエネルギー消費が変転したかを説明し、化石燃料を使い続けているといずれ人類は破たんすることを示した。

 そのあとでエネルギー革命を起こすにはバイオ発電しかないとして、その具体的な実現方法について学術的な根拠を示しながら提示した。日本にとってバイオ 発電は、十分な電力を安定的に生産でき、原料は海外に依存することなくクリーンで何よりも高い電気料金にならないということだ。

 ただ今の状況では政府も研究機関も及び腰で、この構想は賛成しても実現に取り組む姿勢が見えないという。それならば、世界の大金持ちに投資してもらい、実現の研究を広げる方法があるのではないか。そのような視点での討論だったが、非常に盛り上がった講演会だった。

 

 

                               

荒井寿光氏の講演

                               
                 

 

 第94回21世紀構想研究会が7月9日(月)に開催され、多くの参加者で盛り上がった。

 今回の講師は元特許庁長官、内閣官房知財戦略推進事務局長、通産省通商産業審議官、21世紀構想研究会アドバイザーでもある荒井寿光氏(中小企業投資育成投資株式会社代表取締社長)である。

荒井寿光氏は、1996年に特許庁長官になると矢継ぎ早に知財改革に着手し、産官学の知財意識に変革を求め特に企業の知財戦略を変えることに成功した。そ の後、通産省通商産業審議官を経て民間に転進したが、小泉内閣の知財戦略本部の設置とともに内閣官房に設置された知財戦略推進事務局長として采配をふる い、知財推進計画を策定して多くの実績をのこした。

しかし小泉政権終了後、知財改革は停滞期に入り、くるくる変わる歴代内閣の知財政策も存在感が薄くなってしまった。
  その間、中国、韓国が知財改革を急進的に推進させ、両国の産業競争力の増強ともあいまって知財政策でも日本を凌駕し始めている。米欧も知財政策を着々と進めており、日本の停滞が際立ってきた。
 荒井氏は、直近の世界の知財動向を分析しながら日本の知財改革への道筋を提言し、知財再構築への提言なども行った。

 講演後の質疑応答では、多くの人が意見を陳述したり討論を行い、日本の知財の将来展望について今後の取り組みを語り合った。

 

                               

第91回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

第91回・21世紀構想研究会が2月1日、東京日比谷のプレスセンターで開催され、研究会のアドバイザーでもある銭谷眞美・東京国立博物館長が「東京国立博物館ーその歴史と今年開催のハイライト」と題する講演をおこなった。

 トーハクの呼称で親しまれている東京国立博物館は、日本で最も古い歴史を持つ博物館であり、国宝だけで137点を所蔵しているという。明治5年(1872年)に創設されて以来、幾多の所管の移転と災害をくぐり抜けて今日のトーハクにつながっている。

 来年は創立140周年を迎えるという。その記念のイベントも盛りだくさん用意されている。今年は、現在開催されている「北京故宮博物院200選」に続いて、3月20日からボストン美術館が所蔵する日本美術のコレクションを披露する特別展が開催される。

 この日の講演ではトーハクの歴史とその活動内容など興味あふれる話が続き、参加者との質疑応答、意見交換も活発に行われた。日本の伝統的な美術は、世界の中でも異色なものであり、世界に発信する力を強くすることも必要だろう。

 デジタル、インターネット時代だからこそ、芸術活動や美術鑑賞の世界が価値観を持つ時代になったと受け止められる。そのような感慨を持ちながら銭谷館長の講演を聞いて楽しかった。

 

                               

21世紀構想研究会の忘年パーティを開催

                               
                 

 21世紀構想研究会の忘年パーティが、12月7日、プレスセンターで開催され50人を超える参加者でにぎわった。

 この日のゲストスピーカーには、藤原歌劇団団員ソプラノ歌手の砂川涼子さんが来てくれた。21世紀構想研究会の会員である永野博・(財)日本オペラ振興会理事長が、自分とオペラとの関わりについて講演し、そのあとで砂川さんのトークと会場との質疑応答となった。

 

 この日の演題が「心おどるオペラの世界へようこそ」となっているので、砂川さんの歌唱を期待して出席した会員もいたようだが、会場のこの部屋では唄うことは禁止されているので、砂川さんと永野さんのトークだけとなった。

砂川涼子さんのプロフィール

http://www.gotoh-mf.jp/show/0074_16_opera_ryouko_sunakawa.php

 

 

 オペラの観劇というと敷居が高いようだが、意外と21世紀構想研究会の会員の皆さんも観劇している人がおり、興味もあるようだ。オペラの魅力について語る砂川さんのお話で、すっかりオペラファンになり、劇場に足を運ぶ人も出てきそうだ。

 

 

 

 トークショーのあとは、恒例のパーティとなり、異分野の人の飛び入り参加もあって楽しい懇談の場となった。21世紀構想研究会へ入会した井上リサさん、 福間智人さん、三和圭二郎さんの3人が挨拶を行い、21世紀構想研究会も新しい人々の輪が広がっていくことを期待したい。

 

 また、本研究会の最年少である33歳の小林憲人さんが挨拶に立ち、埼玉県ふじみ野市の市会議員として活動している様子を語って拍手を浴びていた。

 この忘年パーティで、21世紀構想研究会は90回を迎えており、2013年には100回を迎えることになる。今からその記念開催に向けて準備に入ることになる。

 

                               

メタンハイドレート委員会の打ち合わせ会

                               
                 

 

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 21世紀構想研究会のメタンハイドレート実用化研究委員会(平朝彦委員長)の打ち合わせ会が、10月27日、東京・内幸町の海洋研究開発機構(JAMSTEC)東京事務所のセミナー室で開催され、平委員長を囲んで当面の研究動向について討議し、情報交換を行った。

 この日の打ち合わせ会ではまず、高知県の杉本昭寿氏から最近の研究動向が発表され、今後の展開について話し合った。東日本大震災がもたらした東電福島原発の事故を見るまでもなく、新エネルギーに対する開発と取り組みは非常に重要な課題になっている。

 その中でメタンハイドレート(MH)の実用化開発をどうするのか。国の開発戦略は、必ずしも挑戦的なものでなく、企業の開発参加も重要ではないか。国際 的な開発動向とMHの世界の埋蔵分布による戦略も俯瞰する必要があるだろう。そのような話題を話し合いながら委員会の開催に向けて今後の活動を模索した。

 

                               

山下俊一教授が21世紀構想研究会で講演

                               
                 

 

「私たちは、発がん物質の海の中を泳いでいる」と語ったのは、杉村隆・国立がんセンター名誉総長である。ことほど左様に環境中には、発がん物質があふれており、がんへのリスクに日常的にさらされて私たちは生活している。

 海外へいくために長時間、フライトすれば宇宙からの放射線を浴びるし、健康検診でCTスキャンを受ければこれまた大量の放射線を浴びることになる。単に発がんリスクを語れば、タバコ、高塩分摂取、肥満、運動不足などいくらでもある。

 先の東電福島原発の事故で、福島県民はどのくらいの放射線リスクにさらされているのか。それを科学的に検証して説明し、いたずらに怖がるのではなく「正 しく怖がろう」と説明するのが福島県立医科大学副学長の山下俊一教授である。山下教授は長崎大学医学部で放射線医学の第一人者として国際的な活動をしてき た。

 この日の21世紀構想研究会の講演でも、広島・長崎の原爆被爆者の膨大な疫学データや、チェルノブイリ原発事故後の科学的なデータを示しながら、諄々と説明した。

 山下先生の解説では、「放射線を100ミリシーベルト以上浴びると発がんのリスクが上がるが、それ以下の低線量被爆者の健康被害の確定的なことは分かっていない」としている。ただ福島県民の人々で100ミリシーベルトを超える線量を受ける危険性はないという。

 山下先生が強調しているのは、政府の発信するデータへの信頼回復とメディアの正しい報道、さらに被ばく医療の専門家が住民に丁寧に説明することだとい う。一部の週刊誌や出版物で、科学的に未確定のことをあげて危険性を主張する論述がある。こうした報道がいたずらに国民に不安感を植え付けないようにする ことこそ大事なことである。

 山下先生の解説をバッシングする風潮も出ているようだが、自身の信念に責任を持って語ることの重要さをこの日の講演で受けたもっとも重要なことだった。

 

                               

東北電力女川原発を見学

                               
                 

 

 東日本大震災で被災しながらも津波の被害を受けず、原発サイトにある体育館を避難住民に提供した東北電力・女川原子力発電所を8月25日、21世紀構想研究会の一行が見学訪問した。

 一行は女川原子力発電所の渡部孝男所長らの案内で所内を見学し、まず原子力発電の状況を見学した。いま同原発は定期検査と今回の震災後の点検で3機とも安定した冷温停止状態にあるが、そのメンテナンスの状況の説明を受けて、原発が稼働するメカについて勉強した。

 また、原子力技術訓練センターでは、想定された大地震発生の瞬間から緊急に対応する訓練を見せてもらった。中央制御室のモックアップの前での臨場感あふれるきびきびした書員の対応は、いかにも訓練を重ねてきたという感じが出ており、見ていて参考になった。

 
中央制御室のモックアップで訓練する所員

 今回の見学の説明で東電・福島原発との比較で分かり易かったのは次のような数値である。まず津波襲来の想定推移であるが、女川では、9.1メートルとしていたが、福島では5.7メートルだった。

 続いて原発サイトの敷地の高さだが、女川は13.8メートルに対し、福島は、10メートルだった。さらに津波の高さは、女川が13メートル福島も同程度 の高さを想定していた。しかし福島は、敷地の高さが10メートルであるから、最高の津波が来たらもろに超えてくるのは設計上でもわかっていたはずだ。

 女川の敷地を海岸の隣接状況を見て、その高さが津波からの決定的な防御になったことがよくわかった。

 また、女川町に隣接する石巻市の被害の状況を、東北電力石巻営業所の山形安生所長と引地宗範副所長の案内で見ることができた。まだ被災地は津波の爪痕が 残っている地域が多く、その惨状を目の当たりにしてびっくりした。引地副所長が被害直後から被災地をつぶさに見てきた話を聞きながら、津波の恐ろしさとそ の被害にあった人々の不幸を思って暗澹たる気持ちだった。

 

 

              津波被害の惨状が、まだいたるところに見られた。

 

 
 
 

被災者の鎮魂のモニュメントには、献花する人々が絶えないという。石巻の1日も早い復興を願わらずにはいられなかった。

 
      

             

                               

21世紀構想研究会の法人会を開催

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の法人会の集まりが、7月25日、赤坂の「ふきぬけ」で開催され、これからの構想研究会の在り方などで意見交換をした。

 「ふきぬけ」は、本会理事で法人会員である染谷幸雄さんの企業、株式会社日本一が経営するうなぎのレストランで、有名な老舗である。この日は高知県の杉本昭寿さんと渡辺望稔さんらも加わって、楽しい懇談の席となった。

 21世紀構想研究会の研究会は、今年で90回を超えて、2年後には100回を迎える。継続は力なりであり、ここまで続いているのは法人会からの支援によ るところが大きい。大震災では、2回にわたって緊急報告・討論の会を開催したが、これからもタイムリーなテーマで研究会を開き、社会への喚起や政策提言で 存在感を出していきたい。

 

                               

第88回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

第88回・21世紀構想研究会は、7月7日に日本記者クラブで開催され、「大震災の報告その3」として、 東北電力女川原発の報告と原発に関する課題について活発な討論が行われた。

 この日の講師は、東北電力東京支社の宮本保彦副支社長、大渕正和同副支社長で「東北地方太平洋沖地震による女川原子力発電所の状況について」と題して講 演を行った。女川原発の現場には、高さ13メートルの巨大な津波が押し寄せたが、運転中の3基の原発はいずれも自動停止し、冷温停止に至った。

 東電福島原発の惨状と比べると余りの違いにびっくりするが、その原因がよくわかった。女川原発は、海面から13.8メートルの敷地に建設されていたために、津波が押し寄せることはなく、海水をかぶって電源を失うこともなかったのである。

 それでも地震の揺れで重油タンクが倒壊して油が漏出したり、地下に埋設してあった潮位計の上蓋が押し上げられて海水が入り込んだりしたが、それほどの被 害もなく無事に収拾した。女川周辺では津波の被害をもろにかぶってすべてを失った住民も多く、被災者たちを原発敷地内に誘導して緊急の避難所として提供し たことも分かった。

 東電と女川の決定的違いは、原発サイトの建設敷地である。津波が来ても届かない敷地を選択した女川とそのような考えもなく防潮堤も低かった福島原発で は、天地の差が出てしまった。また東電は、災害が発生した後の処理はミスがあったとしか考えられない不手際が続き、取り返しのつかない事態へとつながって いった。

 この大災害は、たとえて言えば戦争に匹敵する国難である。指揮系統、判断力、決断力など人知の総力をあげて取り組んだ結果が今日の体たらくということ は、危機管理が全くできていなかったということにもなる。女川原発は対照的に非常にうまく危機を潜り抜けたことになり、3基の原発はすぐに冷温停止となり 以来、安定している。

 研究会の論議では、再生可能エネルギーによる発電などの推進策も出たが、GDP世界3位、家庭では何不自由なく使い放題の電力を使い、工業国として世界 有数の生産力を誇る日本のすべての電力をまかなうことを考えると風力、地熱、太陽光などのエネルギーでは到底間に合わない。

 もちろん、節電効果も考える余地はあるが、しかしこれは限度がある。それでは日本のエネルギーはどのようにして確保するのか。海底に眠るメタンハイドレードの利用を含め、再生可能エネルギーの推進策もあるが、もっとも重要なことは国民の意識改革だろう。

 ことはエネルギー問題だけではない。これからの日本をどのような国家として建設するのか。国民の価値観と生活様式、文化まで考える必要がある。エネル ギー問題は、単に経済的な問題ではなく国家と国民の意識と文化にまで広がってきている。そのようなことを意識させた研究会だった。

 

 

                               

第87回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第87回・21世紀構想研究会は、5月31日に日本記者クラブで開催された。この日は2011年度の総会も開かれ、昨年度の活動報告と決算内容が満場一致で承認された。さらに2011年度の活動計画と予算案についても承認され、近く東京都に届け出ることになった。

 総会のあとは、「東日本大震災の報告会その2」をおこなった。この日の講師は、内閣府参与の広瀬研吉氏である。本会の会員でもあるが、広瀬氏は元原子力安全保安院院長として、いま首相官邸と原子力安全保安院、原子力安全委員会の連絡調整役という重要な任務を行っている。

 講演では、福島原発の事故について時系列に従って事故の概要を説明した。原子炉に制御棒が入って炉心の反応が停止したあとに津波の被害を受けて電源を失い、冷却システムの立て直しに至る過程を整理して示した。

 広瀬氏は、現在の立場と任務があるので個人的な見解は全くせず、すべて公表されてきた内容に基づいて整理したものを示したものだが、改めてこの事故の流れを知って問題の整理をすることができた。

 講演の後は質疑応答と見解の発表、意見交換などであったが、非常に活発な意見交換会だった。今後の日本の原子力防災と取り組みについても建設的な意見か ら原発撤退という厳しい意見まで一通り出されたが、まだ原発サイトの冷温システムは確立されていないだけに心配する声も多かった。

 筆者もいくつかの見解を述べたが、特に今回の大地震とよく似た平安時代の貞観地震の学術的な検証と行政対応についていくつかの疑問点をあげた。このテーマについては、これから多くの検証が行われるだろう。

 

                               

第86回21世紀構想研究会は大震災の報告会

                               
                 

 

 第86回・21世紀構想研究会は、4月25日、プレスセンターで開催され、「東日本大震災の緊急報告会」を行った。

 報告者は、宮城県南三陸町で大震災に被災した佐藤門哉さん、災害発生後から日夜報道をしてきた読売新聞東京本社科学部の柴田文隆部長、野依英治科学部記者、伊藤崇科学部記者の4人である。

 津波の被害を受けて九死に一生を得て助かった宮城県南三陸町の佐藤門哉さんが、まず被災した当日の模様を語った。有線放送で流れてきた津波情報は、高さ 6メートルという警告であり佐藤さんはこれなら防波堤を超えてこないだろうと軽い気持ちで自宅裏の高台にのぼったという。

 その時のビデオ映像と写真をもとに報告した内容には、息をのむような場面が多数あった。逃げ遅れて津波に呑み込まれようとしている人々の姿には何とも言えない痛切の気持ちだった。

 取材記者として巨大地震のメカニズムを追い求め、津波の被害を見るために現地を取材した記者たちの仕事は、現場と読者の間に立ち、媒体としての役割を果たしている活動がよくわかった。

 福島原発のトラブルについては、柴田部長が報告したが、政府、東電側の説明と発表内容に幾多の矛盾が見られ、国民に対する報告義務に欠けているのではないかと思わせる原子力安全委員会の活動などについて言及した。

未曽有の災害に遭遇した菅政権は、ある意味で政権浮上の絶好のチャンスを得たにもかかわらず、国民の信頼を得られなかった。政権浮上を意識したときに 守りの意識に入り込んでいったのではないか。日本の最近の政治活動の貧困さを浮き彫りにするような出来事だったのではないか。

 いずれ今後の歴史の検証で明らかになっていくだろう。

  

第84回21世紀構想研究会 

第84回21世紀構想研究会は2月22日(火)に、東京駅丸の内の創英特許法律事務所のセミナー室で開催され、約40人が参加して有意義な時間を過ごした。

今回の講師は、ベンチャー企業を立ち上げて東証1部上場まで育てあげた株式会社モリテックス創業者の森戸祐幸氏が、内紛に嫌気をさして創業した同社を惜しげもなく売却、再び起業家として身を投じました。

そして、その体験から得た日本の企業文化、日本の社会、日本人の精神文化を鋭利に分析して語ってもらいました。

講演後の質疑では、感銘を受けたというコメントが寄せられ、翌日になっても反響が続いている。

             

                               

ベンチャー企業で果敢に市場に打って出る森戸祐幸氏を訪問

      

東証1部上場企業の株式会社モリテックの創業者として知られる ユーヴィック株式会社社長の森戸祐幸氏を訪問し、活動状況を取材した。

 森戸さんは、昭和39年、日本はまさに高度経済成長期に差し掛かったころ、東京理科大学理学部応用化学科を卒業して丸紅に就職。その後、自ら商社企業を興しやがて光ファイバー関係の製造業へと転進した。ベンチャー企業の走りである。

 創業したモリテックスは右肩上がりに業績を伸ばし、東証1部上場にまでのし上がった。しかしその後、経営方針で企業内部でトラブルが発生し、嫌気した森戸氏は創業会社を辞めて別天地へと転進した。それが光触媒関連のユーヴィック株式会社である。

 森戸さんは、60歳過ぎてからベンチャー企業を興しているので、これをシニアベン チャーと名付けているが、その飽くなき技術開発への挑戦は、その方針を聞いている方も胸が躍るような話である。2月22日には21世紀構想研究会で下記の ような講演をする予定であり、今から楽しみである。

第84回21世紀構想研究会 

 第84回21世紀構想研究会は2月22日(火)に開催いたします。

 今回の講師は、ベンチャー企業を立ち上げて東証1部上場まで育てあげた株式会社モリテックス創業者の森戸祐幸氏が、内紛に嫌気をさして創業した同社を惜しげもなく売却、再び起業家として身を投じました。

 そして、その体験から得た日本の企業文化、日本の社会、日本人の精神文化を鋭利に分析して語ってもらいます。 

 8421世紀構想研究会

日 時:2011222日(月)19:00

 場:創英国際特許法律事務所セミナールーム

演 題:「シニアベンチャー企業を立ち上げる」   

  ~あくなき挑戦 魅力ある人生を求めて~

 講 師:森戸祐幸氏(ユーヴィックス株式会社代表取締役社長、株式会社モリテックス創業者、元同社代表取締役会長)

 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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メタンハイドレート実用化について高知県知事と会見

                               
                 

 メタンハイドレートの実用化で内閣官房の総合特区に申請している21世紀構想研究会の代表である筆者と平朝彦・メタンハイドレート実用化研究いい回委員長らメンバー及び高知県の黒岩県議らは、12月24日、高知県庁を訪問し、尾崎正直知事と会見した。

 まず、筆者から21世紀構想研究会の自己紹介をした後、平委員長からメタンハイドレートと高知県の関連について説明し、今後のメタンハイドレート実用化には県も全面的に協力体制を整えてほしいとの要請を行った。

 これに対し知事は、メタンハイドレートの実用化についての意義を理解し、これから高知県がどのようなメリットがあるかなどを検討し、このプロジェクトに 前向きに取り組むことを検討したいと表明した。県がどのような体制で参加してくれるかはまだ決まっていないが、知事と出席した県幹部の方々も好意的に受け 止めたように感じられた。

 これから地元産業界などにも働きかけ、東京の21世紀構想研究会のメンバーと一体となってこの実用化戦略を推進したい。

 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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高知市でメタンハイドレート研究会を開催

                               
                 

 

 メタンハイドレート実用化研究会が12月23日、高知市のホテルで開催され、地元の産業界、行政、各種団体、市会・県会議員ら約40人が参加して、今後の産業化へのプログラムについて意見交換を行った。

 この研究会は、21世紀構想研究会が内閣官房が公募している総合特区制度に提案したメタンハイドレート実用化についてのプロジェクトの具体的な取り組みについて、地元高知県で初めて趣旨説明と今後の支援を依頼するために黒岩県議らが奔走して開催したものだ。

 まず、平朝彦・独立行政法人海洋研究開発機構理事が「海底資源研究開発と高知県の役割 -特にメタンハイドレート研究開発を例としてー」の講演を行った。これは総合特区に提出した申請書に描かれているプロジェクトの内容について理解を求めたものだ。

 ついで筆者が、21世紀構想研究会がこの提案に至った経過を説明し、高知県の皆さんと東京のグループが一体となって総合特区のプロジェクトに採用されるように頑張りたいとの決意を表明した。

 さらに21世紀構想研究会の渡邉望稔弁理士が、メタンハイドレートを海底から汲み出す技術で特許出願をしている杉本昭寿氏の技術内容と今後の展望について説明し、地元の方々の賛同と一体化となって活動することを訴えた。

 出席者の多くは、このプロジェクトの趣旨や内容については初めて触れる人が多かったようだが、この研究会後に開催された懇親会の席上でも、大半の参加者がプロジェクトに賛同しており、今後の取り組みに積極的に参加する意志を表明した。

 

 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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第84回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第84回・21世紀構想研究会が12月21日、プレスセンターで開催され、忘年会もかねた楽しい宴で今年の活動に区切りをつけた。

 この日は、21世紀構想研究会のメンバーだけでビジネスを立ち上げているVOXMOL方式の発表会を行った。この方式は、21世紀構想研究会のメンバーである関口博司さんが発明者した技術であり、それを長谷川芳樹弁理士が特許権利化した。

 その技術開発の話を聞いた筆者が、メンバーの株式会社ガリレオ社長の合原亮一氏に実用化戦略で検討を依頼し、ガリレオが実用化の開発を手がけて、市場へ出すまでになった。つまり、21世紀構想研究会の4人がそれぞれの立場で力を発揮して、市場に殴り込みをかけているものだ。

 開発したのは、英語、中国語など外国語のリスニング学習をする場合に音声再生プレ イヤーに応用する技術である。リスニング学習をしているとき、「再生されたところをもう一度聴き直したい」と思ったときに、適切な位置に戻す技術である。 ガリレオでは「spirivio」として市場に出した。

 関口さんが以前に開発したリンガマスター方式をさらに進化させ、人間の発声と呼吸 との間合いをうまく取り込んだ方式になっている。教材はインターネットにある音声ファイルである。たとえば教材となる英語の音声ファイルをサーバで区切っ て位置データを作成し、その区切り位置をもとに元の音声を再生する。 サーバで提供される音声ファイルの区切り位置データは日々追加することも可能だ。

 最初は無償で提供し、後で有償にしていくというビジネスメソッドであるが、この方法がビジネスとしてうまく軌道に乗るかどうか。関口氏のリベンジ開発であり、ガリレオの新規市場開拓として成功するように支援したい。

 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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メタンハイドレート実用化研究委員会の開催

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の第2回メタンハイドレート実用化研究委員会(平朝彦委員長)が、12月6日、東京・内幸町の海洋研究開発機構(JAMSTEC)東京事務所のセミナー室で開催され、約20人が参加して活発な討論を展開した。

 この日の委員会ではまず、平委員長が「海底資源探査の現状と将来」と題する基本的な情報レクチャーを行い、続いて鈴木朝夫氏(高知市在住、東工大、高知工大名誉教授)が、杉本昭寿氏の発明したメタンハイドレート採取工法について説明を行った。

 この技術は、海底数百メートルから1000メートルにあるメタンハイドレートを採取する際に、海底の現場でエネルギー源を作り、そのエネルギーを利用し てガス化して海上へと汲み上げる方法である。特許出願もしており、この技術をメタンハイドレート採取の標準化までできないかとする夢を持っている。

 続いてメタンハイドレート開発について東大工学研究科の増田昌敬・准教授がカナダで実施された日加共同プロジェクトの成果を紹介した。これは永久凍土下 の地層中にあるメタンハイドレートを減圧方式と言う技法によって分解してガスを汲み上げるもので、実用化になるだけの生産もできた。しかしメタンハイド レートの分解に伴って地層中の砂が産出するという現象も確認され、これをどう処理するかという新たな課題も出てきている。

 このような課題解決には、技術開発で相当の時間がかかりそうだ。天然ガスのコストより下回り、安定して供給できるようになるためには、まだいくつもの難問を突破する必要があるだろう。

 杉本氏の発明した特許技術がどのように実証されて実用に利用できるようになるか。その期待も大きいが、まだ実証もできていない技術だけに未知数である。 しかしこうした技術の実証実験を通して高知県の地域振興に活用したい意気込みもあり、東京グループと連携しながらエネルギー改革への波紋を起こしていきた い。

 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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第83回21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第83回21世紀構想研究会が11月22日、プレスセンターで開催され、約40人の参加者が活発な論議を展開した。

 この日の研究会では、まず林幸秀氏(元文部科学省文部科学審議官)が、日本に横たわる科学技術をめぐる課題を洗いざらい整理して提示した。これは先ごろ 刊行した「理科系冷遇社会」(中公新書ラクレ)で提示した課題をまとめたものであり、科学技術創造立国を国是としている日本は果たして、そのような国創り になっているかどうか疑問視するデータを多く示した。

 この基調講演のあと、会場との質疑・討論に入ったが、安西祐一郎・慶応義塾大学理工学部教授は「日本はあらゆる階層の人々が、本気になって科学技術創造立国に取り組んでいない」とする主旨の発言をしたが、その通りであると筆者は感じた。

 時の政権は、都合のいいときだけ科学技術を標榜するが、日ごろから政策の課題としてはほとんど視野に入れていない。法学部卒が主体の財務省官僚は並べて 科学オンチであり、科学技術を語るときは予算緊縮など数字的な裁量をするときだけのようである。これは多くの技術官僚の感想である。

 政治家もまた、ほとんどが科学オンチであり、2代続いた理系総理大臣には、科学技術創造立国を前面に出すような言動は何もなく、科学技術に関する国家的な戦略は自民党政権から続いて依然として不明である。

 日本から科学技術を取り除いたら、何が残るのか。借金だけではないか。デジタル産業革命によって世界は時間差がなくなり距離感もなくなった。その時代の変革に迅速に対応する国家戦略の中では、科学技術が最も重要なテーマである。

 この日の討論でもその課題に集約する発言が相次いだ。

 

               
                               
               
             

                           

                   
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メタンハイドレート実用化戦略のミーティング

                               
                 

 

 内閣官房が公募している総合特区制度への提案に、21世紀構想研究会からメタンハイドレート実用化戦略について提出した。政策提言であり、採用されればメタンハイドレート実用化への大きな刺激になると期待される。

 11月15日、このプロジェクトの中心になりリーダーになっている平朝彦先生の事務所に集まり、メタンハイドレートを海底から回収する技術を発明して特許出願している杉本昭寿氏からその特許技術について解説を受けた。

 民主党政権の新成長戦略「元気な日本復活のシナリオ」として総合特区制度が創設されるが、「メタンハイドレート実用化に向けた戦略」が採用されれば、日本をエネルギー大国へと転換させることも夢ではなくなる。

 今回応募した内容をさらに討議して熟度を高める必要があり、12月6日には21世紀構想研究会で第2回のメタンハイドレート実用化研究委員会を開催する。

               
                               
               
             

                           

                   
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第82回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第82回の21世紀構想研究会は、9月17日、東京内幸町のプレスセンタービルで開催され、60人というかつてない参加者が熱心に聴講した。

 この日の講師は、平朝彦先生(独立行政法人海洋研究開発機構理事)で、 演題は「ちきゅう」号による新しい地球像の探求 ~ メタンハイドレート 熱水鉱床 地下生命圏 ~」
   
 海世界トップの性能を誇る地球深部探査船「ちきゅう」が探査する巨大地震発生のしくみ、地球規模の環境変動、生命の起源と海底に広がる新しい生命観、新しい海底資源などについて最新の情報を解説した。

 暗黒の海底は、想像を絶する生命体やエネルギー源であふれているようであり、特にメタンハイドレートの広がりには、大変、興味を持った。
 メタンハイドレートとは、簡単に言うと海底1000メートル付近にたまっているシャーベット状になっているメタンである。海底1000メートルは100気圧になるので、メタンガスにならないでシャーベットになっている。

 これを地上にくみ上げると約160倍の容積のメタンガスになり、これを燃料に使ったり、化学製品の原料にする。埋蔵量は、高知県沖合いなど日本列島のすぐ近くに眠っているメタンハイドレートだけで、日本の天然ガス消費量のほぼ100年分とされている。

 これを実用化しようという「メタンハイドレート実用化委員会」が21世紀構想研究会に設置され、委員長に平先生が就任した。また、内閣官房で公募している地域活性化プロジェクトに応募することも決まっている。

 このプロジェクトには、21世紀構想研究会会員である、高知県の杉本昭寿氏の発明した特許技術を活用しようとするものだ。その杉本氏の発明を特許 化している渡辺望稔弁理士も会員である。こうした人的ネットワークをフルに動員して、高知県の地域活性化だけでなく、日本をエネルギー大国にしようと言う 野望である。

 メタンハイドレートの実用化は、世界の誰かがやるエネルギー革命である。日本が世界の先導役にならなければ意味がない。なぜなら日本近海に眠っているメタンハイドレートを利用しないてはないからだ。

 大きなプロジェクトのスタートで、21世紀構想研究会の会員の中にも活気がみなぎってきた。是非、形あるものにしたい。

               
                               
               
             

                           

                   
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メタンハイドレート実用へ取り組む4人が来訪

                               
                 


 写真は左から黒岩直良高知県議会議員、渡辺望稔弁理士(元日本弁理士会副会長)、鈴木朝夫東工大名誉教授(高知工科大名誉教授)、杉本昭寿株式会社みかづき代表取締役。

 日本を世界有数のエネルギー大国にしようと考えている4人の活動家が、8月27日に馬場研究室に訪ねてきた。21世紀構想研究会で新たな委員会を設置することも決まっており、近く内閣官房が公募している国際戦略総合特区への応募を予定している。

 来訪したのは、写真で見るように黒岩直良・高知県議会議員、渡辺望稔弁理士(元日本弁理士会副会長)、鈴木朝夫・東工大名誉教授(高知工科大名誉教授)、杉本昭寿・株式会社みかづき代表取締役の4人。

 4人の方々は、メタンハイドレートを実用化するために並々ならぬ情熱を持っており、この日は21世紀構想研究会で政策提言テーマにしてほしいとの熱い思いを語るための来訪だった。

 日本近海には、膨大な量のメタンハイドレートが眠っている。 
 メタンハイドレートとは、簡単に言うと海底1000メートル付近にたまっているシャーベット状になっているメタンである。海底1000メートルは100気圧になるので、メタンガスにならないでシャーベットになっている。

 これを地上にくみ上げると約160倍の容積のメタンガスになる。これを燃料に使ったり、化学製品の原料にするが、メタンは非常に使い勝手のいい化学原料とされており、実用化への期待が大きい。

 埋蔵量は、高知県沖合いなど日本列島のすぐ近くに眠っているメタンハイドレートだけで、日本の天然ガス消費量のほぼ100年分とされている。これを実用化に成功すれば、日本は世界有数のエネルギー資源国になる。

 すでにカナダでは海底から汲み上げて実用化に着手しているが、汲み上げたときに海底の砂も一緒に地上へ汲み出すので、新たな環境問題が出てきている。
 そのような課題を解決する技術を考えたのが、発明家でもある杉本昭寿氏である。すでに2件の特許を出願しているが、そのほかにも多くのアイデアを練っているようだ。

 杉本氏は独創的な水の浄化装置を発明し、代々木のオリンピックプールなどにも採用されている。そのほかにも様々な特許技術を編み出している発明家であり、その特許出願、取得で支えているのが渡辺望稔弁理士である。

 このお二人は、21世紀構想研究会の会員でもある。さらに鈴木朝夫先生もメタンハイドレート実用化推進の共鳴者であり、地元の有力者である黒岩直良高知県議も加わってプロジェクトチームを結成している。

 21世紀構想研究会では、エネルギー安全委員会を衣替えして、メタンハイドレート実用化研究委員会とし、委員長には平朝彦先生(独立行政法人海洋研究開発機構理事)に就任することになっており、近く政府に対する政策提言へ向けて活動を開始したい意向である。

               
                               
               
             

                           

                   
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創英国際特許法律事務所の移転

                               
                 




 新事務所の入り口で長谷川所長(左)と光野文子所長補佐が出迎えてくれた。

 特定非営利活動法人21世紀構想研究会の理事をしている長谷川芳樹所長の創英国際特許法律事務所が東京・銀座から丸の内に移転した。
 旧明治生命ビルに隣接した近代的なビルの9階に移転したものだが、早速表敬訪問すると、ロビーは移転お祝いの花に埋もれていた。

 オフィスの窓からは、皇居を眺望できる素晴らしいビューポイントがあり、職場の人たちも生き生きした様子で働いている。周辺は丸の内のビル街であり、近代的な垢抜けした雰囲気が漂っていた。

 創英国際特許法律事務所の移転先は下記の通りです。

〒100-0005 
東京都千代田区丸の内二丁目1番1号 
丸の内 MY PLAZA(明治安田生命ビル) 9階
TEL 03-6738-8001 (代) FAX 03-6738-8004 (代) 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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「小さく産んで大きく育てるは大きな誤り」を講演

                               
                 

 

 第81回・21世紀構想研究会は、7月1日午後7時から東京の日本記者クラブで開催され、早大胎生期エピジェネテック制御研究所の福岡秀興教授が、最新のエビデンスを紹介しながら生活習慣病は胎児期に発病のタネを植えられてくるとする衝撃的な研究内容を発表した。

 日本では昔から赤ちゃんを産むとき「小さく産んで大きく育てる」という言い伝えが語られてきた。出産は大変な負担だが、赤ちゃんが小ぶりならそれだけお産の負担が軽くなる。出産後の育児で大きくて丈夫な子供に育だてていけば、その方が母子ともに幸せである。

 そのようなことを希望してこの言い伝えは代々、言われてきたのだろう。
 ところが最近の医学は、これを否定するエビデンスを突きつけてきた。小さく生まれた子供は、子供時代も大人になっても老年になっても、健康不安や成人病の罹患率が高くなるという論証だ。

 生活習慣病は、胎児期に発症する芽を植えられてくるという衝撃的な疫学調査結果である。イギリスの研究者らを中心に発展した研究テーマだが、胎児プログラミング説としてにわかに注目を集めるようになってきた。

 生まれたときの体重が2500グラム以下を低出生体重児と呼んでいる。日本ではこのような低体重の赤ちゃんの生まれる比率が年々高まっているとい う統計にはびっくりした。1975年ころは出生割合が5パーセント程度だったが、近年は10パーセント程度まで増えてきている。

 2003年の経済開発協力機構(OECD)の先進30カ国の統計を見ると、日本は9.1パーセントで低体重児が生まれる最大割合になっている。つまりワースト1である。
 なぜ、こうなってきたのか。日本の出産女性(妊婦)はやせている女性が多いようであり、これでは必然的に小さな赤ちゃんが生まれてしまう。妊婦が細身になったのだ。

 若い女性の間では、ダイエットが大きな課題になっており、その影響が妊婦にも及ぼしているのではないかという推測もあるが、正確にはよく分からない。
 このように小さな赤ちゃんは、様々な疾病にかかるリスクが、平均的な体重で生まれてきた赤ちゃんに比べて大きく、成長してからも成人病に罹患するリスクが、平均的な体重で生まれた人に比べて高く出ている。
 
 いずれも欧米などの疫学調査や動物実験の結果出てきているものだ。まず因果関係を調べる必要があるし、日本と外国での相違についても正確にとらえる必要があるだろう。
 さらに日本人の生活習慣や社会的な価値観など社会学からのアプローチも必要だし、教育的な観点からの研究も必要だろう。

 福岡先生の研究テーマは、重大な課題を突きつけており、国を挙げての取り組みが必要だ。とりあえず、研究支援を広げていくように文部科学省に働きかけたいと思う。

 

               
                               
               
             

                           

                   
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第80回・21世紀構想研究会の総会と講演会の開催

                               
                 


   2010年度の総会にかける議事内容を決定する21世紀構想研究会理事会
 2010年度の21世紀構想研究会の総会で決定するための理事会が、5月18日、プレスセンターで開催され、昨年度の事業内容と決算を承認し、総会の議 題を決定した。理事会終了後に引き続いて開催された総会では、この承認事項を全会一致で決議し、今年度の活動計画と予算書を決定した。

 その後、第80回の節目を迎えた21世紀構想研究会が開催され、40人以上の会員が日本の研究現場や企業活動現場の課題と将来展望について熱い討論を行なった。

 この日は、文部科学省の中川正春副大臣が講演を行い、その後討論する予定だったが、国会の本会議開催が大幅に遅れたために午後7時からの開催時間に間に合わず、急遽、民主党に要望する討論の場となった。

 中川副大臣に対する要望書は、希望者が各自書面にして直接手渡すことになっていたが、当の本人が欠席となったために準備していた会員がその内容を発表し、それをめぐって討論するという展開となった。

 

 いずれの意見も日本の現状を憂うと同時に、政府の対応施策を要望するものだった。その中でもショックだったのは、日本の研究現場から発信する学術論分数が年々減少の一途をたどっており、研究エネルギーが先細りになってきたのではないかとする黒木登志夫先生の発表だった。

 また、佐々木信夫先生は、日本の成功した高度経済成長期型の経済活動モデルがすでに役割を終えて役立たなくなってきていること、中国、韓国、台 湾、シンガポールなどアジア諸国が日本のかつての経済モデルを追従して追いついてきていることなどを示しながら、知財を重視した施策の重要性を強調し、そ の政策について提言した。

 民主党政権に対する期待と注文は非常に大きく、後日、中川副大臣にこうした要望書を届ける予定である。

               
                               
               
             

                           

                   
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第79回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第79回・21世紀構想研究会が、4月19日、プレスセンタービルで開催され、筆者が「中国の科学技術力と中国の知的財産権の動向」のタイトルで講演を行った。

 中国の経済活動が毎年、驚異的な伸びを示しているのは誰もが認識しているが、科学技術、特に研究開発の力はどの程度なのか知ることは難しい。
 日本科学技術振興機構(JST)の中国総合研究センターなどが実施した、中国の科学技術や知的財産権に関する最近の調査結果と筆者の独自の取材、情報などに基づいた講演内容となった。

 中国の科学技術政策の中で注目するのは、優秀な人材の招聘戦略である。海外へ留学で出て行った中国人留学生を母国へ呼び寄せて、中国の活性化に役立たせようとする国家政策である。
 10年ほど前までは、国費で先進国へ留学した中国人が帰国するのは少数派だったからだ。

 近年始まった「1000人計画」では、一時金として1300万円を政府が帰国研究者に進呈。家の提供はもちろん、配偶者の就職、子弟の学校の斡旋、税制優遇措置など多くの特典を用意している。
 実際に、日本で活躍しているトップクラスの中国人研究者が中国政府から帰国しないかと声をかけられており、大いに迷っているようだ。いずれ、この様な政策は外国人研究者の招聘へと発展するだろう。

 知的財産権の活動も近年素晴らしい実績を積み上げており、すでに商標、意匠、実用新案の出願数は世界トップである。特許出願数でもアメリカ、日本についで3位に浮上してきた。

 PCTによる特許の国際出願数では、通信機器メーカーの華為(ファーウエイ)が2008年にトップになり、2009年にはパナソニックに首位を譲ったが2位を保持している。
 特に最近は実用新案を登録する個人と企業が増えており、侵害訴訟も増加傾向にある。トラブルになっても実用新案の権利を無効にすることは非常に難しいという。
 
 このような現状を踏まえて、中国の知財戦略を展開する必要性などについても強調した。

               
                               
               
             

                           

                   
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第78回21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

第78回21世紀構想研究会は2月4日(木)に開催され、1月1日に東京理科大学学長に就任された藤嶋昭学長が 「物華天宝 ー研究にはセンス、雰囲気、そして感動が大切ー」のタイトルで講演を行った。

 藤嶋昭先生は、1967年に東大大学院生だったとき、酸化チタンを電極にして光を当てると水を分解する現象を世界で初めて発見し、科学ジャーナル「ネーチャー」に発表した。これは「ホンダ・フジシマ効果」と呼ばれ、世界中に知れ渡った。
 
 その後この原理による研究は、橋本和仁東大教授、渡部俊也東大教授らに引き継がれ、藤嶋先生らとも共同研究を進めながら、浄化作用、殺菌作用、親水作用による様々な応用研究と実施へと広がっている。

 講演では、光触媒の研究のあらましを紹介しながら、研究現場の「集団の雰囲気」の重要性や「アインシュタインとナビゲーション」、「ピラミッドの奇跡と土台作り」、「ソメイヨシノはなぜ一斉に開花するか」など独自の視点を織り込んだ非常に魅力ある講演だった。

 特に創造する時代、世代、社会には雰囲気があることを強調し、科学研究には特に必要であることを実例を織り交ぜながら話をした。

 また、自然界の不思議、驚異に感動する心を養うことや、それを子供の科学教育に役立てる話など非常に示唆に富んだ話が続き、会員に大きな感銘を与えた。

               
                               
               
             

                           

                   
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第77回21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 第77回21世紀構想研究会は、12月14日(月)開催され、中村明子・慶応義塾大学薬学部客員教授が新型インフルエンザ対策の講演を行い、そのあとで忘年パーティが開催された。

 新型インフルエンザ(H1N1)は、メキシコ、アメリカなどで確認されたもので、季節性インフルエンザとは違うタイプであるため、従来のワクチンでは効かない。
 症状は、高熱、咳、咽頭痛、倦怠感などであり、鼻が詰まったり頭が痛くなる。通常の季節性インフルエンザとよく似ているが、下痢などの消化器症状が多いと指摘されている。

 新型インフルエンザは、文字通り新型であり、ほとんどの方が免疫を持っていないので、爆発的に感染する恐れがある。

 1918年に世界的に流行したスペイン風邪と同様にパンデミック(pandemic、世界流行)となっているので、この冬は一段と警戒する必要がある。
新型インフルエンザの感染経路は通常のインフルエンザと同じように、咳やくしゃみとともに放出されたウイルスを吸い込むことによっておこる飛沫感染と、ウ イルスが付着したものをふれた後に目、鼻、口などに触れることで、粘膜・結膜などを通じて感染する接触感染が考えられているという。

 スペイン風邪のときにも全く同じこと指摘されていることを中村教授は紹介しながら、マスク、手洗いなどの基本的な予防法が重要であることを強調した。
講演の後は、懇談しながら今年の総括スピーチ・コメントがあり、お楽しみ福引もあって忘年パーティは大いに盛り上がった。

 

               
                               
               
             

                           

                   
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第76回 21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 知的財産権の職務発明や侵害訴訟などで活躍している升永英俊弁護士(ブログ)が、11月9日の21世紀構想研究会で、日本の国政選挙の選挙区割りがいかに不平等であるかを論理的に説明し、大きな感銘を与えた。

 日本では、住んでいる住民の地域によって国政選挙への1票の重みが違う。単純に言うと、田舎に住んでいる人は1票の重みがあり、都会人は軽い。民主主義は、多数決で決めると小学校の時に習ったが、その教えで言うと日本の国政選挙は民主主義ではないのではないか。

 そのことは升永弁護士が7年前に、青色発光ダイオードの職務発明をめぐる訴訟の代理人をしていた多忙なときに、ふいに頭をよぎったという。そのときから民主主義と1票の格差問題について考えるようになり、一人一票実現国民会議の運動へと発展した。

日本のどこに住居があってもほぼ平等に1人1票になるように、公職選挙法を改正するべきだ。それをするのは立法府である。しかし、政治家は、直接自分の利害に関する立法に取り組むことはしない。人情としては分かるが、政治家としては堕落である。

 ならば、最高裁が違憲立法審査権を行使して、違憲判決を出すかというと、高度な政治的な判断だとして違憲判決を避け、立法府に裁量を委ねるという「逃げ」を打つだけである。

 結局、国民だけ置き去りにされており、いつまでたっても一人一票の実現はできない。本来なら3権分立の役割からいっても、司法が明確に違憲判決を出して立法府に法律改正をさせるべきことではないか。

 総選挙のときに最高裁判事の審査を審査をすることができる。日本国憲法79条2項および3項最高裁判所裁判官国民審査法に基づいて、司法の人事に国民が関与できる唯一の国民投票であるが、この制度は一般国民の間で明確には認識されていない。

 升永弁護士がこのことに明確に気がついたのは、2か月前のことだという。この制度を使えば、違憲判決を出さない最高裁裁判官を国民審査の多数決で罷免することが可能だ。「一人一票実現国民会議」の運動は、この制度を利用して、違憲判決を出せないような裁判官は、総選挙の国民審査のときに「×」をつけて罷免しようという運動だ。

 これまで20回ほど、各種新聞などに意見広告を掲載してきたが、その掲載費用はすべて升永弁護士の個人負担でやっているものであり、高い志がなければこのような運動はできない。

 今後はインターネットを利用して支援者の輪を広げ、総選挙の時に行使できる最高裁判事の罷免権を活用する運動に結び付けたいという。この日の出席者は20人ほどだったが、共鳴する人がほとんどであり、今後の運動の発展に協力することだろう。

 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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第75回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 75回21世紀構想研究会は、9月7日、プレスセンターで開かれ、約50人の出席者で盛大な会となった。

 まず、「アトリエの巨匠に会いに行く」と題して写真家の南川三治郎さんが講演し、シャガール、ミロ、ダリ、キリコ、リクテンスタインらとの出会いと撮影の興味深いエピソードを披露し、聴衆を魅了した。

 講演後は会員の中澤律子さん(伊勢丹フードアテンダント)が、アメリカ大統領府のホワイトハウスでもよく飲まれているシャンパンやオーストリアのワインを解説付きで振る舞い、ビンゴの景品と女性限定のワインプレゼントで盛り上がった。
 
 講演会「アトリエの巨匠に会いに行く」 南川三治郎・写真家
 南川さんは主にヨーロッパの人と文化をキーワードに取材、撮影、執筆を続けている。代表作に欧米の画家や彫刻家シャガール、ミロ、ダリ、キリコ、リクテンスタインなどの巨匠と彼らのアトリエを撮影した「アトリエの巨匠・100人」(新潮社)がある。
 また欧米のミステリー作家・グレアム・グリーン、フレデリック・フォーサイス、エド・マクベイン、マイケル・クライトンといった彼らの書斎を撮影した「推理作家の発想工房」(文藝春秋)も高く評価されている。
 これまでに500人以上のアーティストをインタビュー、撮影しているが、このような活動、実績を残しているのは世界で南川さん以外誰もいない。
 
 このほど1970年~1990年にかけて撮影した300人のアーティストの中から31人を抜粋し朝日新聞出版より新書「アトリエの巨匠に会いに行く」を刊行し大きな反響呼んだ。
 今回の講演では世界の巨匠に会うまでのドラマティックな道のりや忘れられないエピソードなどを貴重な記録を写しながら講演した。
 
 オーストリアワインで初秋を爽やかに
 今年は、日墺修好140年の年にあたる。そこで、キリリと冷えた<オーストリアワイン>を味わってみませんか・・・との趣向で、ウィーン、ザルツブルク、ドナウ河その清々しい響きのある国で造られるワインを賞味した。
 生産量が少なく、自国消費の為世界中に僅か1%しか出回っていない<オーストリアワイン>ちょっときどって<ウィーンワイン>と言っているようだ。この日はラベルもカラフルな数種類のウィーンワインを揃え、いろいろ飲み比べてもらった。
               
                               

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第74回21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

            

 

 2009年7月7日(火)、午後7時から21世紀構想研究会が開催され、自民党の小野晋也代議士が、「さらば国会議員、さらば永田町」と題して講演し、参加者と討論を行った。
  
 自民党のホープと言われ、文部科学副大臣など要職を歴任した小野晋也(おの しんや)代議士(54歳)が、次期総選挙には出馬しないと表明して各界に衝撃を与えている。愛媛3区、当選5回。政治家としてはこれから大成する人材として嘱望されていただけに、突然の「引退」宣言には驚きを隠せない。
 先日、自民党の政調会・立国調査会のヒアリングでばったり出会い、小野先生に真意を聞いたところ「政界の論理に疑問を感じた。国民の政治 への不信感は国会で活動を続けても払拭できない。今回の決断は、政界からの引退ではない。今後は在野の政治家として人材を育てていきたい」と語っている。
 代議士になりたい人は山ほどいるが、中央政界のホープとされた中堅政治家が潔く辞めていくのは稀有のケースである。

 小野代議士は、講演の中で次のように語った。

 永田町にとどまるのはよくない。在野になって政治をやる。 いまの政治をどう見るか。日本の政治は政治ではなく政治ごっこだ。 政治家のふりをしてやっているだけだ。本当の政治家になっていない。 政治は本来何をなすべきか。 3つある。

1.     大きな社会のうねり、時代のうねりを見て、政治がどう方向づけるかである。文明の大きな流れの中で、どう方向づけするか。文明の変化を論じなければならない。導かれなければならない。

2.     同 時に政治は、時代の動きについてこれない人をどうするか。変化をつかみとることができない、どうしたらいいかわからない。このような人々をどうするかが政 治である。おちこぼれに手をさし述べることだ。政治が手を打つべきことは、大勢の人をターゲットにしていることではない。これは、政治が本来するべきこと ではない。

 社会は基本的には、時代の先端をになう人と、そこについていけない人がいる。先端部分をいかにするべきか。対応できないで困っている人をどうするか。上下をきちんと政治の判断におかれると中間層はそれなりにすべて1つの中に入ってくる。これで国つくりになる。民主主義は、もっとも大勢の人を対象にするので上下には手を出さない。

 中間の人たち、先端の人に金を入れてもたかが知れている。本来きちんと政治をするなら、多少の金を出しても負担にならない。政治の原点を問い直さないとならない。

3.     いかなる時代がやってきて、どんな社会が出てきても、問題に取り組んでいるという良識と能力を持っている人材を育てることだ。人間として社会を支えていくことだ。 この3つが政治で行われているかどうかが重要だ。時代を切り開き、本気で立ち向かっているか。今の政治にはそれが足りない。

 小野晋也代議士の略歴
 愛媛県新居浜市出身。愛光高等学校、東京大学工学部航空学科卒業。同工学系大学院航空学専修修士課程修了後、1983年、松下政経塾の第1期生として卒塾。同期生には逢沢一郎・野田佳彦、横尾俊彦、岡田邦彦らがいる。
 その後、愛媛県会議員選挙に立候補して最年少で初当選。2期つとめた後、1993年、衆議院議員選挙に自民党公認で立候補し、初当選。連続5回当選。
 ロボット工学や宇宙工学を専門にしており、教育問題でもたびたび見解を表明。数少ない理系議員として存在感を示していた。
 これまで経済企画総括政務次官、自民党文部科学部会長、文部科学副大臣を務め、現在は、財務金融委員長、自民党宇宙開発特別委員長を務め、2007年8月から、自民党中央政治大学院長を務めている。 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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21世紀構想研究会についてご紹介

                               
                 

 21世紀構想研究会

 わが国が、知的基盤の強固な研究現場と産業振興の技術革新を実現し、真の科学技術創造立国を確立するため、適宜、研究テーマを掲げて討論する場として、1997年9月26日、21世紀構想研究会はスタートしました。

 研究会の会員は、主としてベンチャー企業、行政官庁、大学、マスコミの4極から参加し、毎回、活発な議論を展開して来ました。

 研究会で得られた成果を社会に訴えて啓発をはかりながら、国の政策にも結びつくように活動するという目的も、回を追うにしたがって明確となり、政府審議会のパブリックメントなどにも積極的に発言するようにしています。

 研究会は、2000年7月に東京都から特定非営利活動法人として認められ、さらに生命科学 委員会(東中川徹委員長)、産業技術・知的財産権委員会(生越由美委員長)、環境・エネルギー安全委員会(千葉英之委員長)が下部組織として設立され、適 宜テーマを定めて活動を続けています。

 まだ世に知られていないベンチャー企業の優れた技術を、研究会を通して広く認識してもらったり、これまであまり接点がなかった中央行政官庁の官僚との交流を通じて、政策への提言をすることも活動の一つにしています。

 会員数は現在約100人であり、アドバイザーとして、荒井寿光・内閣官房知的財産戦略推進 事務局長、安西祐一郎・慶應義塾長、黒川清・日本学術会議会長、利根川進・MIT教授、吉川弘之・産業技術総合研究所理事長の方々にお願いし、適宜、活動 への助言をいただいています。

               

第116回・21世紀構想研究会の報告

                               
                 

第116回・21世紀構想研究会の報告

 

「荒井寿光さんの叙勲をお祝いし知財現場の課題について語る特別講演会」

 

2015年1月29日(木)午後7時からプレスセンタービル9階大宴会場で開催され、約40人が出席して楽しい講演と意見交換が行われました。

荒井さんの特別講演タイトルは「特許人生・知財人生 これからの知財を考える」でした。


日本でただ一人「知財評論家」を名乗る荒井さんは、特許庁長官、通商産業審議官、内閣官房知的財産推進戦略事務局長などを務められるなど、1996年から日本の知財立国のためにご尽力されてきました。

 

官界での長年の功績により、2014年秋の叙勲で「瑞宝重光章」を受章されました。今回は、21世紀構想研究会の皆さんで叙勲のお祝いをし、荒井さんにはこれまで活動してきた知財人生を振り返っていただきながら、日本の知財の課題と将来展望を提示していただきました。

 

荒井さんは1996年に特許庁長官に就任し、それまで停滞していた特許行政の改革に取り組み、日本に知財立国の実現に初めて取り組みました。講演会では長官に就任後に気が付いた特許行政の「伝統」を打ち破るために特許庁新設運動を開始。特許庁は従業員2500人、売上1000億円規模のサービス産業と位置づけ、それまでの国家権力を付与する「お上意識」を献上するように改革しました。

 

知識社会を迎えて知的財産が非常に重要になったことを啓発する多くの講演を行い、多数の著書も世に出しました。行動する長官として産業界からも歓迎され、その後、内閣官房知的財産戦略推進事務局長に抜擢されました。

 

このような経歴の中で活動した日々のことを振り返りながら、日本の知財現場に横たわっていた問題が今なお未解決、未改善のままにあることをとらえ、さらにそれを解決・改善する道筋まで示しました。

 

  

分かりやすいパワーポイントを駆使し、会場と双方向の講演であり、聴く人の興味を引き出す手腕はいつもの「荒井節」で魅了させました。話題は工業製品の特許に限らず、医療、農業、クールジャパン、模倣品対策など多角的な話題に広がりました。

 

荒井さんは近々「知財立国が危ない」という本を日経新聞から出版します。この本には、日本の知財課題を出すだけではなく、解決策を具体的に書き込んだ本です。

 

 

荒井さんのパワーポイントは、伏字がところどころにあり、フロアの聴衆も一緒に考えるように工夫しています。これがただ聴くだけの立場から一緒に考える立場になり、講演会を一層盛り上げる効果になっています。

 

講演会の後は、荒井さんの叙勲をお祝いするセレモニーに移り、記念品贈呈からお祝いスピーチなど最後まで楽しい研究会でした。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

第115回・21世紀構想研究会「忘年パーティ」報告

                               
                 

 第115回・21世紀構想研究会「忘年パーティ」報告

 今年の忘年パーティは、12月11日(木)午後6時半から開催され、多数の参加者でにぎわいました。
 第一部は、黒木登志夫先生の「パタゴニア紀行」の講演でした。すでにパタゴニアの大自然を伝える前触れを送付しておりましたので、みなさん楽しみにしていました。

 ところが黒木先生は、意表を衝いて冒頭からまったく別の話を始めました。世の中には指数関数とべき乗関則があることを説明して、地震の発生規模や戦争の死者数が指数関数に合致していることを示しました。

 続いて加齢とともにべき乗則で増加する がん、心筋梗塞、脳卒中の年齢別死亡グラフを示して高齢者の多いフロアの参加者を震え上がらせました。60歳を過ぎると急激にこの3大成人病で死亡する確率が上がっていくのです。

 黒木先生の分析によると、60歳から1年刻みで9-12%の死亡リスクが上昇するというのです。特に70歳を過ぎた人にとっては、1年間無事に生きることがどれだけ大変かという統計分析を示されたもので、人は必ず死に向かって歩を進めていることを示してくれました。

 ま、このショックも一晩寝て翌日にはほぼ忘れているので、無事にまた生きていけるのでしょうか。

 パタゴニアの自然はAricaから200km地点にある 最高地点標高4660mまでを紹介されました。途中の景色は雄大ですごいの一言でした。双子富士とか高地の動物たち、土産物屋の風景など一度は行ってみたいパタゴニアですが、簡単には行けないでしょう。

 第二部は、恒例の楽しいパーティです。黒木先生のパタゴニア紀行にちなんで、南米ワインを楽しみました。

 第三部は、これまた恒例の「合原さんちの有機野菜即売会」でした。有機野菜栽培でとれたし新鮮な野菜の数々を販売しましたが、どれもこれも好評でした。

               
                               
               
             
                                         
                               

第114回・21世紀構想研究会

                               
                 

第114回・21世紀構想研究会 

 

「どうする日本の地方再生と企業経営」

日本の価値最大化に求められる重要課題

いまそしてこれまでの延長線上に日本の未来はない

株式会社・Aurea Lotus CEO 柳下裕紀   

 学生時代、女性を輝かせてくれる社会でないように感じていたので、男女区別なくフェアな扱いをする外資系企業に入った。それから30年経ったが、日本社会はまだ女性を輝かせていないように感じる。 

 日本はなかなか変わろうとしない。息苦しさがある。アベノミクスが2012年末からスタートして13年4月に第1弾そして最近、第2弾を施策しているが、実態経済がおかしいと感じている。

 消費税の増税でインフレを実現するという。アメリカの金融緩和は日本と違う。リーマン ショックのときは、アメリカの金融機関は非常に深刻だった。モラルハザードを度外視せねばならないほど緊急だった。日本は、リーマンショックのときは金融 が重症でなかったが金融緩和してきた。

 白川前日銀副総裁のとった金融政策は教科書的にも正しい。効果がまったくなかったわけではない。 いま、企業は簡単に設備投資できない。将来的にも、設備投資は回らないと白川さんは強調していた。

 いまアメリカのFRBは金融緩和が直接経済を回復させるとは言っていない。日本は社会保障費をどうするか大きな問題だが、公共投資をしている。民間に出すべき金が、利益を出さないものに投資している。 

 株高を演出し、下品な表現になるが「シャブづけ」にしているように感じる。白川前日銀総裁 は、ちゃんと仕事をしていた。黒田総裁になってマネタリーベースを増やしても、銀行が世の中に放出するストックベースが全く増えない。日銀当座預金が増え ても貸出残高は増えていない。銀行が放出しないのでデフレを解消していない。 

 フィッシャーの貨幣数量方程式に当てはめても、日銀方針がおかしいことがわかる。(通貨の 総量)×(貨幣の流通速度)=(物価水準)×(財・サービスの取引量)=GDP この方程式の中で日銀がいくらお金を供給しても銀行にお金がたまっていれ ば、貨幣の流通速度はゼロになる。

 貨幣の流通速度や財・サービスの取引量を決めるのは国民だが、雇用に不安があり生活防衛で買い物をしなければ、この方程式はうまくいかない。  銀行がお金を出す、国民がお金を使う、そしてGDPを決めるのは国民だが生活防衛でお金を使わないのでは成り立たない。

  日銀は、短期国債を償却額の上回る金額で市場から買い入れている。マネタリーベースの増 加が政策目標なので国債買い入れが目的化している。損失覚悟で額面を上回る高い価格で落札し金融機関にプレミアムを付けている。 コストはすべて国庫納付 金から出るのでつけは国民にくる。

 日本は総事業所数の91パーセント、雇用者の84パーセントが非製造業である。輸出依存も15パーセント以下の内需大国である。この60年間、日本の輸出依存度は10-15パーセントである。円安になっても一部の輸出企業が潤うだけである。

 消費税のアップは、経営に対する中立性が欠如した弱いものいじめである。人口減少が進めばお金を使う人数が減るのだから一人当たりの使う金額を増やすために減税しなければならないのに増税している。内需の減少は、所得税、法人税など他の税収も落ち込むことになる。

 これこそ天下の愚策だ。

  かつて超円高水準の中で輸出を倍増させていた。バブルのころ42兆円でありリーマン ショックの前には80兆円台になっていた。日本の企業の競争力はものすごく強いからもっていた。 円安になったらその特質を生かす政策をしなければならな い。観光業の伸びしろはまだ大きく、外国から呼び込む観光客の総数はモロッコと同じ程度の観光産業である。これを活性化しなければならない。

  国内の旅行効果だけでも30兆円ほどあり、雇用者も460万人を生む。海外から旅行者を呼び込めば、高齢者の活用の広がりも出るし外国人の消費は国内減退の補完になる。必要な施策は規制緩和、許認可制度の改善、新規ビジネスのアイデアを積極的に採用するなどがある。

  カジノで国を救うなんて懐疑的だ。経済効果に疑問符をつけたい。日本はギャンブル大国であり24兆円の市場規模がある。カジノで4000億円の収入があっても小さい。

  世界は今カジノ離れでありマカオも不況だし斜陽産業だ。ラスベガスはカジノだけではな い。子供、家族も楽しませるデザインと洗練されたビジネスメソッドになっている。政府は経営しないでテナント料を取るだけだ。債権管理能力をどこに任せる のか。地方振興になるわけがない。

  地方再生の要諦は、外部の力や財源に頼らず、地元の人、モノ、金、文化を最大限活用する ことだ。地元を最大限活用して地域住民を巻き込むことだ。自立して稼ぐことしかない。 たとえば清酒造りは日本の風土そのものだ。日本酒造りは独自に磨き 上げられたワザである。並行複発酵は日本独特のものだ。日本人だけが麹菌を発見した唯一の民族だ。

  発酵が進むとアルコール度が高くなる。水がおいしい場所でないと酒が造れないし日本の風土とあっている。日本酒を水で薄めたりシャンパンにしたり自由度の高いお酒である。日本が伝統として持っている酒の資源を大事にすることだ。

  海外20か国に日本酒を出している桜井博志さんは、巧みなブランド戦略と明確なコンセプトで成功している。「日本酒の伝道師」である長谷川酒店の長谷川浩一社長は、全国の酒蔵200以上をめぐり、知られていない地酒を発掘し、常時800種の銘柄を取り揃えている。

  いま進行中のTPPを恐れず、外へ攻めて出ることを考えよう。円安の弊害を緩和して外へ攻めることを考えよう。良質なコメをアメリカに売り込むチャンスだ。将来の人口年齢層別分布の推移を見てもアメリカが成長することは間違いない。 

 四国には徳島県上勝町の過疎化・高齢化を強みに転換した株式会社いろどり、伊予現代町家のコンセプトで施工まで請け負う建築事務所の株式会社コラボハウスなど、多くの成功事例がある。

  愛媛の今治造船も大手海運企業、造船所、荷主、保険会社、船舶部品メーカー、銀行などと連携した独自のビジネスを築いて成功している。このような成功例を見習い、日本の再生に取り組むことが重要だ。 

(文責・馬場錬成)

               
                               
               
             
                                         
                               

第112回 21世紀構想研究会の報告 

                               
                 

第112回 21世紀構想研究会の報告   

 

 
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  第112回・21世紀構想研究会は、9月17日に開催され、科学技術振興機構(JST)特別顧問、日本・アジア青少年サイエンス交流事業(さくらサイエンスプラン)推進室長の沖村憲樹氏が「アジアからなぜ2600人の青少年を招へいするのか」とのタイトルで、さくらサイエンスプランの事業について講演した。

 

 講演後に活発な議論が行われ盛会だった。

 沖村さんは、JSTの理事長時代から中国に関心もち、将来は中国が世界の大国へと成長することを予想し、JSTに中国総合研究センターを創設した。そして中国の科学技術の文献データベースを構築し、中国との学術交流を始めた。   

 小泉政権以降の日中の友好関係は必ずしも良好ではなく、日中両国の国民が相手国への印象をよく思っていないことが、各種の世論調査でも出ている。たとえば、最近のNHK世論調査でも日本人(93.0%)、中国人(86.8%)ともに9割前後が「(相手国に)よくない印象をもっている」との結果が出ている。   

 こうした結果から、両国の特に若い世代が直接顔を合わせて交流する機会を作るべきとの考えを持つようになった。交流には国同士というのではなく、民間交流、草の根交流であるべきとの考えから、政府機関はこの交流を支援する立場で行うことにした。  

 また、当初は中国だけに特化した交流にしたかったが、下村文部科学大臣らの助言・指導もあり東アジア14カ国・地域の青年を招へいするプランに切り替え、名称をさくらサイエンスプランと付けた。   

 さくらサイエンスプラン事業は、大学や企業からの公募を採択する①公募計画コースと、JSTがすべて企画・実施する②高校生特別コースを実施している。高校生特別コースはすでに8か国の高校生281人の招へいが終了した。これらの高校生は例外なく感謝し、日本の科学技術の先端研究を評価し、将来は日本へ留学したいとの希望を持って帰国していった。  

 公募計画コースは、全国の大学・研究機関で現在進行中であり、アジア各国の大学生らが日本の大学、研究機関、企業などを訪問してセミナー、見学、実習、研修に取り組んでいる。 

 
これからの交流方法を提案する藤島昭・東京理科大学長
  

 沖村さんは、このような経過を説明しながら、さくらサイエンスプランが具体的に活動しているようすを説明した。 

  活動の交流は、次の2つのサイトから見られる。  

さくらサイエンスプラン公式HP=http://ssp.jst.go.jp/index.html   さくらサイエンスプラン応援サイト=https://www.facebook.com/sspjapan 

 沖村さんの講演後、フロアとの活発な討論が行われ、多くの出席者がこのプランの成功を喜び、今後ももっと充実したプランへと広げていくことなど前向きなコメントが次々と寄せられた。  

 

               
                               
               
             
                                         
                               

震えるほど感動した中国の高校1年生のスピーチ

                               
                 

 

 日本政府がアジアの優秀な青年を招へいして科学技術交流を展開している「さくらサイエンスプラン」で来日した中国の高校生第一陣が、1週間の見学や研修を終えて7月26日に無事帰国しました。

  1週間のスケジュールは分刻みの過密でしたが、多くの大学、研究機関、人々と科学技術交流をしました。その報告会が7月25日に開かれ、8人の高校生がそ れぞれの感想をスピーチしました。中でも北京市第11中学校1年(日本の高校1年)の李釣正君のスピーチは、堂々とした態度といいその内容といい聞いてい て感動せずにいられませんでした。

 スピーチの要旨を紹介します。

 「私たち中日は兄弟のように似た国です。中国と日本は漢字や茶の文化など、とても共通するところが多い国です。中日の言葉は似た文字を使っているし顔もよく似ています。よりよく理解するべきですが、実際にはそうではありません。

 似た民族なのにそれぞれが利益を考えて、お互いに怒りが大きくなっており争いが大きくなっています。人々を怖がらせているのが現状です。これには失望を覚えていましたが、今回、新たな希望の光を見たと思いました。

 理化学研究所には多くの中国人が研究者として活動していましたし東大にもいました。研究の成果も共有していました。しかしこれに反対する人がいるかもしれません。

  昨日(7月24日)は、東工大付属科学技術高校の生徒とお昼に交流会がありました。そのときお互いに写真をとり合い、一緒に笑いあいました。彼らは非常に 誠実でした。だから女生徒も心配することなく心を通じて握手をし、友情を素直に示すことができました。これは純粋な気持ちでした。

 30年後、ここにいる高校生は必ず社会で活躍しているでしょう。政治家や科学者になっているかもしれません。各方面で立派な社会人になっているでしょう。  あるいはその時には、国を背負っているかもしれないし、いまの純粋な気持ちが変わっているかもしれません。

 しかし昨日の友情が変わることがないと信じています。

 30年後 科学者になった人は緊密に協力し、すべての国民が純粋な協調をもって二つの国と世界のために貢献することを競い合うでしょう。これからは共同の未来を築くことです。

 それはあなたの未来ではなく僕たちの共同の未来です。」

 

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

日本一秋田工場を見学(秋田シンポジウムの後で)

                               
                 

 

 

 

 焼き鳥・うなぎ製造・販売の老舗で、21世紀構想研究会の理事を務めている染谷幸雄さん(日本一ホールディングス株式会社代表取締役社長)が経営する日 本一フード秋田株式会社(齋藤英二社長)の工場を見学した。秋田シンポジウムに参加した21世紀構想研究会のメンバーで総勢20人ほどだった。

 今年の2月に操業開始したばかりであり、ご覧のように見るからに新工場らしくピカピカ。齋藤社長ら社員の皆さんの歓迎を受けてまず工場の会議室で、新工場の経営方針などをうかがった。鶏肉を串刺しにし、冷凍して全国に出荷する工場であり従業員は61人。

 驚いたことに、60人が正規社員で、1人は本人の都合により臨時で就業しているという。染谷社長の方針で、正規社員によるこだわりの製造を実現している そうだ。焼き鳥製造の工場は、日本全国に多数あるが、従業員はほとんどが臨時雇用とかバイトである。しかしそれでは、いい品質の焼き鳥はできないというこ だわりから雇用も正規社員にしたという。

 齋藤社長は、人件費が高くなっているので経営は大変だが、「それを乗り越えて頑張っています」ということだった。工場の中に入ることになったが、そこでまたまた驚いた。 頭のてっぺんから靴まで全て帽子から白衣、マスクなどで完全衛生管理の服装。

 工場内に入る際も、手洗いからエアシャワーでの洗浄など、原発施設と同じような厳格な管理になっている。中に入ると整然と作業台に並んだ社員が手際よく 焼き鳥を串刺しにしている。完全衛生管理であり、しかも手際がいいので、あっという間にケースに入った焼き鳥が次々と冷凍保存されていく。

 その製造工程は自動化されており、手作業は串刺しの行程だけ。これとてできるだけ作業をやりやすく準備しているそうであり、自動化の各種作業設備も開発中という。作業現場の写真撮影は禁止なのでお見せできないのが残念だ。

 見学したあとで、焼きあげたばかりの焼き鳥をいただいたが、これがほっくりした味のいい焼き鳥であり、大満足の見学会だった。

 
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会社説明会では齊藤社長から焼き鳥工場の設備内容や経営方針をうかがった。
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秋田シンポジウム速報「跳びだせ世界へ秋田県」

                               
                 

秋田シンポジウム

「跳びだせ世界へ秋田県」

 

モデレーター 

橋本五郎(読売新聞特別編集委員、ニュースキャスター、21世紀構想研究会理事) 

パネリスト  

銭谷眞美(東京国立博物館館長、元文部科学省事務次官、21世紀構想研究会顧問)

吉村 昇(東北公益文科大学学長、前秋田大学学長、秋田大学学事顧問)

三浦廣巳(秋田商工会議所会頭、秋田日産自動車会長)

生越由美(東京理科大学知財専門職大学院教授、21世紀構想研究会理事)

 

橋本 先に出版された「中央公論」6月号、7月号によると、2040年までに何もしなければ日本の市町村は半分になってしまうという報告が掲載され、大きなショックを与えています。秋田県も同様の減少率で24市町村がなくなると出ています。地方の振興がいま、重要な政治課題になっている。

 

 ところで安部政権は、1年経っても支持率が下がらない。最近の内閣では非常に安定している。しかし不満がある。地方の再興という政策が成長戦略の中に入っていない。これは大きな問題だ。 

 過去の内閣を見ると、田中内閣、大平内閣でも日本の地方振興という政策を重視してきた。故郷をどうするかという視点があった。これをいま、どうすればいいのか。

 まず大事なことは、いま地方に住んでいる人たちが何かをしようという発想や行動がなければならない。地方の再生可能にするためには自分たちで考えて行動を起こすということが大事だ。

 今日のシンポジウムは、地方再生を考える一つのきっかけにしたい。この秋田に生まれてよかったとするにはどうあるべきか。そのような論議を期待したい。

 それではこのシンポジウムでパネリストの方々に秋田県を活性化する発想でそれぞれの思いを語っていただきたい。地方を活性化するきっかけにしたいと思います。銭谷さんから順にご発言をお願いします。

  銭谷 昨夜は秋田市に帰り実家に泊まった。秋田で生まれ育ったが、高校を卒業後は、秋田を離れてしまったが秋田を心から愛している。

  本日のシンポジウムのモデレーターを担当している橋本さんは、高校の先輩であり、先年、東京で50年前の秋田の映画「17歳は一度だけ」を観る会があり、 そのとき橋本さんの講演を聞いて感動した。橋本さんは、故郷を思う気持ちを語り母親の話をしたときには会場の多くの人が感動して泣いていた。そのような縁 で、本日のパネリストになった。

 

 さて、いま私は日本で一番規模が大きく一番古い歴史を持っている博物館の東京国立博物館の館長をしているが、ここには多くの国宝や重要文化財が収納されており、随時展示もしている。

 秋田県関係の重要文化財を調べてもらったところ、縄文時代の土器から始まって江戸時代の秋田城に関する文書、後三年役の絵巻物、佐竹氏の時代まで文書や資料が多く保存されていることを知った。秋田は江戸時代から交通の要衝にあり、拠点になっていたことが分かった。

 さらに当時は鉱山、油田という産業がありそれに関連する化学工業もあった。そのような歴史的な産業や古くからある文化を見直す機会を持つことが大事ではないか。

  吉村 秋 田大学学長から酒田にある東北公益文科大学学長に転出した。鳥海山を見ながら酒田と秋田を往復する生活になっているため、山形県と秋田県を比較するように なった。山形県民は、よく働き競争して活動してきたようだが、秋田は食うに困らない人が多いせいか、のんびりしている。

 

 秋田大学の歴史を見ても、意欲的に学部を増やすようなことをしなかった。秋田はほんわかした土地であるが、これを考え直す時期になってきた。東京は、オリンピック開催もありさらに一極集中が進むだろう。リニアモーターカーにしても常に東京を中心に考えている。

 アメリカは各地で栄えており一極集中にはなっていない。大震災後の復興も太平洋側が優先的になっているが、日本海側も考えてやらないと均衡ある発展にはならない。

  三浦  このシンポジウムの冒頭に橋本さんから重い発言があった。何もやらなければ、2050年には秋田県の人口が70万人になると言われている。知恵を出してや ならいとこうなってしまう。それではわれわれは、何をやるのか。秋田商工会議所でも、中小企業経営者らと現実をしっかりと認識し、いろいろな課題を話し 合っている。

  企業経営でもそうだが対前年実績を割らないことが一つの目標になっている。しかしそう簡単にはいかない。それでも最低限、これだけはやろうという目標を立 てている。それは人口減少への対応でも同じだ。秋田県の人口は100万人を割らない、減らさないという目標にこだわりを持つことが大事だ。

 

 人口が増えれば企業が増えるし雇用者が増えることは成長することだ。首都圏一極集中を解消するという構想があったが、いつの間にか消えてしまっている。首都圏に大地震が発生したら甚大な被害が出る。地方に首都圏の機能を分散してリスクを軽減するという考えがあるべきだ。太平洋戦争のときは、都会から地方へと疎開した。これを見習って企業のバックアップは地方へ持っていくべきだ。地方に分散することを考えるべきだ。

  生越 産 業史を振り返ってみると、農業社会から工業社会になりいまは知識社会へと発展してきた。社会の中心価値の変遷をみると、無形資産と有形資産の割合が劇的に 変化した。1978年には無形資産は17パーセントだったものが20年後の1998年には69パーセントになっている。

 昨日から秋田県庁などでご当地の産業や地域ブランドについて取材しましたが秋田県にはたくさんのブランドがあることが分かりました。これを生かす方策がいろいろ考えられると思います。

 

 世界競争に生き残るためのポイントの一つは、地域にしか存在しないものとか地域に行かないと味わえないもの、地域でしか作れないものなど地域の固有化が要になる。ウエブ情報でみても秋田県には多数の食文化がある。「いぶりがっきー」とか「ぷれすてなまはげ」などユニークな食品も開発されている。

  ポイントの2つ目は、価値と価格の多層化時代を認識して対応することだ。ハンバーガーも100円から2000円まであって、高くても付加価値があれば売れ る時代だ。ポイントの3つ目は、使えるものは全て使うという発想だ。曲げわっぱ、秋田八丈など名品があるので活用方法を広げたい。

 秋田には多くの強みがある。竿灯、なまはげ、かまくら、ハタハタなどや横手市増田町の内蔵など文化資本である地域資源、歴史資源、コンテンツ資源など多数ある。今後の展開によって楽しみな県である。

  橋本 大 変素晴らしいご意見をいただきました。銭谷さんからは、秋田には歴史的に古い文化の資料が多数あることが報告され改めて再認識したものです。一極集中は、 なぜそうなるのか。もう一度私たちは考える必要があるようです。新幹線もすべて東京から始まる。大震災が発生したらいったいどうするのかという課題もあり ます。

  一極集中が改められないと職を求めて多くの人材が東京に行くことになる。雇用の問題を地方で考えると大変な課題がある。いまは、大学を卒業しても正規社員 として就職できない人がかなりいる。これでは若い世代がかわいそうだ。産業界は雇用問題では自分で首を絞めているような感じもある。

  吉村  日本の発展をみると西から発展してきた。東北はどうしても遅れてきた。秋田も工業と農業しかなかった。アメリカは一極集中ではなく、歴史的に分散して発展 してきている。ボストンから始まって北から南へと発展した。シアトル、ロチェスター、ニューヨーク、デトロイトというように産業の種類によっても固有に発 展する都市が変わっていった。

  日本は東京から南へ発展した。半導体の九州、自動車の名古屋という具合だ。山形県には売上100億円以上の企業が数社あるが秋田県にはない。これからは秋 田県の企業で世界へ羽ばたくような企業を育てなければならない。その意味で大学の責任は重い。これからは産学官で連携して発展する時代だ。

  三浦 最近は企業の環境が変わってきた。本社はどこにあってもいいという時代になってきた。日本は中小企業が95%と言われている。秋田は中小企業ばかりだが、一流の技術を持った中小企業が秋田には多数ある。

  秋田はまだまだアピールが足りない。親はどうしても子供の就職先は大企業がいいと思っているが、魅力ある中小企業をアピールしてひきつけることが肝要だ。 商業地の地価を考えると、東京は秋田の36倍も高い。秋田には付加価値を付けて、よりいい地域であることをアピールしていくことが大事だ。

  橋本 今日のシンポジウムの見出しはどうなるか。「東京の一極集中を見直す」とならないか。それには地方は何をなすべきか。東京でなく自分の住んでいる地方都市の魅力を見直し、外から見ても魅力あるものに見えないとならない。

 鳥取県の知事が「わが県にはスタバはないが砂場がある」と語っていた。鳥取砂丘を砂場と言ったものだが、マイナス面と考えないでプラス思考で考えることが必要だ。

  生越 徳島では刺身のつまに使う葉っぱで収入があがった地域がある。山奥の葉っぱを生かすことで年収がみな1500万円から2000万円になった。こうなると地方に対する若い人の見る目が変わってくる。

 またブランド豚肉を売り出した平田牧場のように、豚作りで独自の産業に発展させている例がある。農業はこれからハイテク化が進むので逆転の発想と成果が出てくることが期待できる。

 

  橋本 秋田県の人口が減少すると心配しているが、秋田は100万人を維持するということにこだわるべきだ。卑近な例で恐縮だが、読売新聞は1000万部を何が何でも維持しようと目標を掲げて頑張っている。そのように目標をきちんと立てないと人口も購読者数も維持できなくなる。

  高齢化率が高いと言うが、それは長生きする率が高いということになる。マイナス思考ではなくプラス思考でいきたい。がんの死亡率は、秋田県が最も高いと言 うが、がん研究者に言わせるとそれは長生きする人が多いからだという。長生きすればがんで死亡する人が多くなるからだ。

 また地方の文化の良さもアピールして都会の人に認識してもらうことも必要だ。

  銭谷 橋本さんがいま言ったことは私も言いたかった。高齢化率日本一は長生きしているからである。子育て環境日本一にすれば、人口を100万人は維持できるだろう。米国は企業の定年制がない。これを見習っていくこともいいのではないか。

 秋田は北緯40度だが、世界地図をみると北緯40度の都市は、北京、ニューヨーク、スペインのマドリードなど世界の文明圏として重要な都市になっている。

  健康で長生きする健康寿命には、文化が重要だ。50年前に地域にいた人に来てもらい、いろいろやってもらうこともいい。秋田大学は鉱山学部からさらに発展 して国際資源学部を作った。これこそ秋田の特徴を生かしている。就職すると秋田を離れると言うが、若い学生が4年間秋田にいるだけでもいいという考えが あってもいいのではないか。

  橋本 隣の県に移った吉村さんは、秋田県を隣から見て分かる点があると思う。どこに問題があるのか。

  吉村  秋田は米に困ったことがない。これに比べ他の県や地域はたくましく生きてきた。秋田大学も昭和24年に学芸部、鉱山学部から出発した。農学部も工学部もな かなか作れなかったし、今も農学部はない。昔の学長や事務局長に責任があるということも言われているが、それはさておき秋田はゆったりと生きてきたという ことではないか。

  橋本 なるほど、秋田は豊かであるがゆえたくましさがなくなった。暮らしずらい方がエネルギーを生み出すことになるかもしれない。

 

  三浦 秋田は農業で発展してきた。だから他人と違うことはやらない。しかしこれを打破しないとならない。ベストの計画を立て事業経営者はチャレンジしないと伸びない。可能性のあるものを応援することも大事だ。

 岩手は手を引っ張るが秋田は足を引っ張るという言葉がある。秋田は人がやらないことはやらない。リセットして、おれもやるからお前もやれということにならないと可能性が出てこない。

  ベンチャー企業を立ち上げ、時間がかかるだろうが新しい企業を育てていくというように仕組みを変えていくことが必要だ。他人の邪魔をしないことだ。応援出来ない人は、静かに見守ってほしい。秋田は自分たちがプレーヤーとして頑張っていくよりない。

  橋本  行政の役割も大事なのでこれを考えてみたい。行政は積極的に秋田のいいところ魅力を見つけ、それを伸ばしていく必要がある。このシンポジウムでも秋田のい いところがたくさんでてきた。農業も大事だし秋田を高齢者の県にするというのもいい。2つとか3つに絞って施策をすることだ。

  生越 各地に行って取材をすると、リーダーはよそ者、若者、馬鹿者と言われている。たとえば宇都宮餃子は、長老がうまく育てた。行政は安心して挑戦できる環境を作ることだ。

  橋本 行政の役割の重要性が出てきた。さて時間も少なくなってきたので、最後にこれだけは言っておきたいという発言をお願いしたい。

  銭谷 冒頭にも言ったが文化と観光とは別物ではない。文化は人が来なくても育っていく。文化と観光は資源である。その良さを知ってもらうことが重要だ。

  吉村 過去からの脱却が大事だ。安いカネで大量の消費をしてきた。それをやめて日本のオリジナルを作ること、できることをやるということが重要だ。

  三浦 秋田にはいいものがたくさんある。いいもの、悪いものなどと言い訳しないで秋田のいいものを伸ばすことだ。親父の生き方を経営に生かしていくことが最も大事だ。

  生越 秋田の生活の豊かさをみんなに見せることが大事だ。日本は介護技術が遅れている。そのような産業を秋田から起こすことができないだろうか。

  橋本 外から来ないとカネが落ちない。そのためにはちゃんと自分のよさを見つけて強固なものにすることだ。秋田に行くとすごくいいというものがほしい。改めていいところを再認識してもらう。

 秋田駅に降り立つと私はちょっと不満だ。県庁所在地だが秋田だなあというもが見えない。まだ盛岡はある。隣の芝生はよく見えるというのと同じかもしれないが。

 いいところを伸ばし悪いところを逆に利用する。発送の転換だ。東京に住んでいても孫が秋田へ行きたいという時代と土地にしなければならない。

 「中央公論」で衝撃的な報告と課題提起がされたが、これを乗り越えていくことを秋田に期待していシンポジウムを終了したい。

(文責・馬場錬成)

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会の第14期総会の開催

                               
                 
 

 特定非営利活動法人21世紀構想研究会の第14期総会が、6月2日、プレスセンタービル9階の宴会場で開催され、今年度の事業計画や新役員の陣容を全会一致で承認した。

  昨年度の21世紀構想研究会は、100回記念シンポジウムの開催のほか、知的財産委員会の活発な論議と政策提言や、教育委員会の第8回全国学校給食甲子園の開催など、例年以上の事業の開催で非常に活性化した活動だった。

 総会では、昨年度の事業の報告、会計報告と今年度の事業計画と予算案が提案され、いずれも全会一致で承認された。また特定非営利活動法人21世紀構想研究会定款を改正し、理事・監事を20人以下に改正する案も承認された。これまでは10人以下となっていた。

 理事の増員は、活動を活性化させるために各界の人材を理事会に集めて、企画、実行などに弾みをつける目的がある。様々な意見やアイデア、さらに助言などもいただきながら、21世紀構想研究会の活動を発展させていきたい。

 総会後の講演は、政策研究大学院大学の永野博先生が「 次世代リーダーの養成にしのぎをけずる世界 ~第4の矢は若者への投資。理研の出来事がブレーキをかけてはならない~」とのタイトルで、日本の大学や研究機関に横たわる若手人材養成の課題を解説した。

 永野先生は、ドイツに滞在し期間が長く、たびたび欧州へも出張する機会があった。その体験からヨーロッパ学界での見聞が豊富だ。イギリスやドイツでの若 手の人材養成の実際を紹介しながら、日本が立ち遅れているとの認識を示しながら、これから日本の取り組みについても提言を行った。

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会・生命科学委員会の開催

                               
                 

 生命科学委員会の開催報告 

  21世紀構想研究会・生命科学委員会(東中川徹委員長)が、5月19日、プレスセンタービル9階の宴会場で開かれ、黒木登志夫先生(日本学術振興会・学術 システム研究センター・相談役、東大名誉教授、元岐阜大学学長)が、STAP細胞論文は捏造にあたるとする厳しい見解を示した。

  黒木先生のレクチャータイトルは「幹細胞研究の光と影 Hop STAP Drop」。受精卵というたった1個の細胞から、人間一人分=60兆個で出来上がっている生物個体を形成する元になっている幹細胞について学術的に分かり易く解説した。

 

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  幹細胞の研究の歴史を紹介

  これまでの幹細胞の研究の歴史とその業績、臨床研究への応用への挑戦まで多くの歴史的事実を駆使して解説した。またノーベル賞受賞者の山中伸弥博士が開発したiPS細胞の作成までの歴史も紹介した。

  そして幹細胞であることの証明は、その細胞が多分化能であることを証明しなければならないと解説。それには①培養細胞の分化、②奇形腫の形成、③キメラマウスの作成、④丸ごとES細胞マウスの作成の4つの証明が必要であることを示した。

  黒木先生が論文を精査したところ、小保方晴子さんのSTAP細胞論文は、この4つの証明をきれいに書いており、論文としてはきわめて完成度の高い内容になっていた。しかしこの論文の信じられなかった理由と信じた理由を書き分けてみたという。

  信じられなかったのは、いとも簡単に幹細胞を証明しており、信じたのはこの分野のトップクラスの研究者が共同研究者として名前が記載されていたことだった。

 STAP細胞をめぐる疑惑を解説 

 STAP細胞論文の発表直後から、「11jigen」などのネット上に論文を疑問視する指摘が相次ぎ多分化能を証明する画像の捏造を指摘されるようになる。改ざん、不審、疑問点を整理したうえで黒木先生は、小保方さんは研究者失格であるとして4つの点をあげた。

   それは①他の論文からのコピペ、②データ画像のコピペ、③スキームのコピペ、④お粗末な実験ノートである。そして「論文は自己完結でなければならないが、 STAP細胞論文はこれを著しく逸脱しており、STAP細胞存在の証明はされていない。論文は撤回するよりない」との結論を表明した。

  さらにSTAP細胞問題が日本の科学界へ波及していく懸念があることを指摘し、「日本の科学研究が生き延びるためには、むしろ小保方さんと共同研究者らのしっぽ切りが必要である」とする独自の見解を示した。

   講演は黒木先生のいつものように、ユーモアやときに皮肉を織り込んだ分かりやすい興味あふれる内容であり、聴衆が理解できるように組み立てたものであり、 このテーマの学術研究を歴史的に解説した点でも優れた内容だった。聴きに来ていた高校生も非常に感銘を受けた様子だった。 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

中尾政之教授講演「論文数・伸び悩みの理系、論文数・さっぱりの文系」

                               
                 

 

 
 

 

 第109回21世紀構想研究会は、2014年4月21日(月)にプレスセンター9階宴会場で開催され、中尾政之東大工学系研究科教授が「論文数伸び悩みの理系、さっぱりの文系」とのタイトルで講演と討論を行った。  

 就職活動では修論を語るほうが有利

 中尾先生はまず、東大をめぐる学生の考え方や就職活動、研究に取り組む姿勢などを語った。日本の大学の頂点に位置する東大でも悩みが大きいことを、さまざまな出来事や客観的なデータなどをもとに語ったもので、中でも筆者の印象に残ったのは就職活動のことである。

  筆者もかつて勤務した東京理科大学知財専門職大学院で院生の就職活動には、ずいぶん力を入れていた。企業の面接時の対応などは最も重要な準備である。中尾先生が語ったことは、「一番苦労したこと楽しかったことを語る際、旅行の話やバイト、NPO活動などを話しするよりも、卒論や修論についての苦労や楽しさ、その中身を語ったほうがはるかにいい印象を与えているようだ」ということだった。

  確かに学生生活を語る上では最もふさわしい話題であり、就職活動対応のノウハウ本では紹介されていないテーマだと思った。 また日本の大学で取得した単位は、外国の大学では等価交換できないというショッキングな話もあった。これでは日本と外国の大学間の交換学生交流などに支障をきたすことになる。

 論文数で下降線を辿る日本

 中尾先生が示した世界の国別論文数の動向を見ると、アメリカ、中国などの論文数は年毎に増加しているのに日本は近年下降線を辿っている。また大学ランキングを見ても、日本の大学のポジションは低下してきたように見える。 ここ10年間、研究資金が伸び悩んでおり、その結果を語るように、理系の論文数も伸び悩みになっているという指摘である。

 さらに、論文数を教員数で割ると、欧州の一流大学に比較するとその数が半分くらいに落ちる。それは統計の中に「論文数・さっぱり」の文系が含まれるからである。 

 ま た日本の大学の論文は、ポスドクなど任期つき研究員である非正規職の研究者がかなりの割合で執筆されていることだ。非正規職の研究者はローンを組むもこと もできず、身分不安定で研究に取り組まなければならない。このような現状も研究現場を脆弱にしているとの課題もあげた。 

 理系・文系とわけることも日本独特の文化である。最近、文系の就職が難しくなってきて、理系のほうに受験生が流れてくることは戦後始めての流れであるという。「文系の教員も英語の論文を大量生産して、海外で自論を主張する文化に変えるべきであろう」とも提示した。 

 日本の文系の研究者が英語で論文を書かないのは、その必要性を問われていないからでもある。能力がないからではなく、英語で発信するテーマが少ないと理解したい。これからは国際的なテーマを掲げて、大いに英語の論文を書いて海外へも発信することを期待したい。 

 と ころで、中尾先生の話でびっくりしたのは、東大は入学したら最後、退学や落第がほとんどないことである。極端な言い方をすれば、勉強しなくても卒業できる 大学なのである。東大は、こうした現状を変えようとしているのかどうか。もし落第学生を出すようになれば、他の大学への影響も大きくなるので、是非、東大 はリーダーになって適正な大学生指導を発揮してもらいたい。 

 また東大などエリート大学の学生は、適正検査をしてみると「反復・継続」が得意であるという結果が出ているという。 これが日本のエリートは「ミスを起こさない」という結果につながっているのではないかということだ。一面では結構なことだが、「堅実だけで発展性がない」人材になりかねない。こうした大学現場の教育課題にも言及し、会場との活発な討論が展開された。   

 

               
                               
               
             
                                         
                               

「スイカの原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡」出版祝いと松下昭先生のご健勝をお祝いする会の開催

                               
                 

 

 

 

 先ごろ日本評論社から上梓した拙著「スイカの原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡」の出版を祝い松下昭先生のご健勝をお祝いする会が、2014年2月26日、プレスセンターで開催され、多くの人たちの参加をいただき盛会だった。

 筆者がこのような形で開催したのは、出版のお祝いというよりも松下先生の発明人生を顕彰し、85歳になっても頭脳明晰、言語明瞭である先生のご健勝をお 祝いしたかったからである。発起人代表になっていただいた荒井寿光元特許庁長官はじめ、多くの支援者に囲まれ、筆者はもちろん松下先生も満足した表情だっ た。

 

 
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発起人代表でスイカカードを掲げながら松下先生の発明人生を紹介した荒井寿光さん
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祝辞を述べる藤嶋昭東京理科大学学長(左)と佐藤一雄元日本弁理士会会長

 

挨拶した馬場錬成(左)と松下昭先生

 

松下先生を囲んで記念写真

 

生島和正・21世紀構想研究会理事から記念品の贈呈

 

渡部政博さんから強力抗酸化作用のあるアスタキサンチンが贈呈された

 

美女軍団に囲まれてご満悦の筆者

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会・メタンハイドレート実用化委員会の開催

                               
                 
 

 

東京都知事選で各候補者たちは、脱原発かどうかなどエネルギー政策をめぐって激しい論戦を展開しているが、21世紀構想研究会のメタンハイドレート実 用化委員会(委員長・平朝彦・独立行政法人海洋研究開発機構=JAMSTEC理事長)が、1月29日にプレスセンターで開催され、活発な論議が展開され た。

 まず冒頭の挨拶に立った平委員長は、メタンハイドレート研究についての現在の国の取り組みの概略を説明し、今後、この委員会でも活発に論議していくべきとする抱負を語った。

 続いてJAMSTECの木川栄一海底資源研究プロジェクトリーダーが、メタンハイドレートの基礎的な知識から現在の研究開発に対する国の取り組み、さら にJAMSTECの最先の研究を分かりやすい写真や図を示して解説した。日本は研究レベルで世界の先端を行っていることにも言及し、新たなエネルギー源と して期待されているものの、過去のエネルギー開発の歴史を示しながら、実用化までには相当の歳月を要するのではないかとする見解も語った。

 続いてメタンハイドレート実用化への技術開発について株式会社みかづき代表取締役社長の杉本昭寿氏が講演した。杉本氏は、海底で採取するメタンハイド レートのシステム設計を開発して特許を取得している。今回はその特許技術に基づいた採掘現場の実際をイメージするアニメーション絵を披露し、凍結している メタンハイドレートを効率よく採集する技術を語った。

 このあと会場との討論となった。21世紀構想研究会理事長の馬場錬成氏は、「個人の見解だが」と断りながら、「大震災後に原発事故被災で深刻な事態を体 験した日本は、いまこそ新エネルギー源としてメタンハイドレートを実用化するべきだ。国家として取り組むテーマであるが、既成の原発・電力企業の消極的反 対にあって新エネルギー開発が滞っている。これを乗り越えていかなければ、日本の将来のエネルギー政策は行き詰まる」と述べた。

 また、メタンハイドレートの研究開発と商業的実用化への取り組みが、省庁別になっていたり研究現場で別れていることは非効率的だとの意見も出され、これからは国家が一本化したプロジェクトとして取り組むべきとする意見も強く出された。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

第108回21世紀構想研究会で林原靖氏が講演

                               
                 

 

第108回21世紀構想研究会は、岡山県の有力な地元企業として活動していた優良企業の株式会社林原が、実質的に倒産に追いまれた顛末について講演 し、活発な質疑が展開された。倒産に追い込まれたのは、同属経営による放漫経営であり、長い間、粉飾決算をしていたと報道された。本体の株式会社林原は、 子会社の林原生物化学研究所で研究開発した多くの成果を特許出願しており、少なくとも数千件の特許があったはずだ。

 この日の林原氏は、まず1886年の創業以来から破綻に至るまでの社歴と世界初として市場に出してきた製品の数々を紹介した。本体だけで年間350億円ほどの売上があり、年間キャッシュ獲得は100億円を超えていた。関連子会社を入れると650億円の売上だった。

 しかも破綻とされたときに、弁済率が93パーセント以上であり、知的財産権や様々な文化的な資産を計上すれば、優に100パーセントを超えていたとも語った。そのような企業がなぜ、金融機関によって破綻させられたのか。

 金融機関の事業価値の評価は、知的財産権のような無形資産は評価せず、社長の個人保証や生命保険を担保にするような非人間的な査定だったことを明らかにした。個人保証は、憲法違反とする意見もあるなど、日本の会計処理の後進性を訴えた。

  またマスコミの報道も表層的なものだけであり、「ガラパゴス状態」になっていると厳しく指摘した。ここの部分は、会場がプレスセンターであることなどから レジュメだけにして口に出さなかったが、中国銀行、住友信託銀行、大手法律事務所、マスコミの3極によって押し潰された実体を詳細に語った。

 林原氏が書いて出版した「破綻 バイオ企業・林原の真実」(WAC)は10万部を超えるベストセラーになっており、すべて実名で書いたものである。書か れた金融機関や法律事務所からクレームが来てもおかしくないと思われていたが、これまでクレームは1件もきていないという。

 また、粉飾決算とされた内容について質問が出たが、林原氏は売上の過大計上が30年間に300億円ほどあったが、年々これが減少しており、破綻とされた 時点で先の見通しがあったとも語った。一挙に計上して正常決算にする道もあったが、そうすると税金が過大にかけられてくる心配があり、徐々に減らす方向で 努力していたともいう。このあたりの事情は、講演会後の打ち上げ会で語ったものだ。

 いずれにしても林原は、約700億円で長瀬産業に「身売り」され、事業はほぼ引き継がれているという。創業一家が追い出され、蓄積してきた実績がそっく り他人の手に渡ったことになる。また、多くの美術品や土地、建物など林原グループとその一族が所有していたものは、二束三文で処分されてしまい、この倒産 劇では、まるでハゲタカのように利得を手にしていった人たちもいたことになる。

 個人資産を債務にあてるなど日本の未熟な制度は、産業の進展に大きな妨害要因として残っており、今後は社会問題として制度を見直す方向へ行かなければ、競争力のある国家や企業はできないし、ベンチャー企業も生まれにくくなる。

 そのような問題意識を確認して活発な講演と討論を終了させた。

 

               
                               
               
             
                                         
                               

第4回知的財産委員会の開催

                               
                 

 

 今後の知財制度の改革を論議する21世紀構想研究会の第4回知的財産委員会(荒井寿光委員長)が、12月19日、プレスセンター会議室で開催された。

 この日はまず、経産省知的財産政策室の川上敏寛室長が「営業秘密の保護」とのタイトルで講演し、その後に出席者らと討論を行った。川上室長の講演内容 は、営業秘密保護のこれまでの取り組み、営業秘密をめぐる近年の情勢、営業秘密をめぐる国際情勢、営業秘密の今後の方向性など豊富な情報を報告したもの だった。

 この中で、海外拠点からの技術流出、サイバー攻撃による技術流出、技術提携先からの技術漏洩など最近の動向を解説した内容を知って、出席者の視点が大きく広がったように感じた。特に韓国ではすでに技術流出に関する保護法律を実施しており、その迅速な対応には感心した。

 筆者の感想を言えば、日本は技術流出の現状と課題が分かっており、これに対応する法制度など枠組みをどのように実現するかがまだ見えない。その手順を進 めなければ漏洩の被害を食い止めることはできない。特に中国に流出した日本企業の技術で製品が製造され、日本を含む世界に輸出されている実例もある。

 国内法の整備を早急にしなければ、技術垂れ流しが常態化していくことになる。この日の委員会の後半は、日本の技術漏洩防止に関する法整備について具体的 に論議し、営業秘密保護法の試案も発表された。 今後この試案については修正しながら政策提言などの取り扱いについては荒井委員長に一任することで了承した。

 次回・第5回知的財産委員会は、1月28日(火)に開催する。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

第106回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第106回・21世紀構想研究会は、科学技術振興機構(JST)・中国総合研究交流センターの上席フェロー(元JST理事長)、沖村憲樹氏の講演で盛り上がった。

 講演タイトルは「日本の科学技術は中国に抜かれた」というショッキングなものである。沖村氏は、中国の巨大大学群を築いた戦略的な大学・研究現場の統計データを示し、さらに世界に例がないハイテク・テーマパークの現状を紹介した。

 さらに中国の最近の研究水準が、欧州・日本に接近してきたこと、これに伴って産業技術力も急速に向上していること、宇宙、原子力など巨大プロジェクトで も日本に並び、あるいはぬき去っていった実情を報告した。中国の科学技術政策は、強力な政策遂行体制で推進しているものであり、政策決定と実行に時間がか かる日本の各種データと統計の比較なども随所で示した。

 この日の講演内容は、これまで一般に示されていなかった中国の科学技術の客観的なデータや現状を紹介して、日本の科学技術政策遂行に刺激を与えるためとも受け止められるものだ。また、中国の科学技術の現状に対する正しい日本人の視点を提起したものでもある。

 講演後の質疑応答では、次のような質問が出た。中国のハイテクパークは、不動産投資と外国企業や技術を呼び込むものであり、言われるほどの効果は上がっ ていない。それほど大きなインパクトはないのではないかとか中国は近未来、国が崩壊するのではないか。あるいは、中国の模倣品は世界中にばら撒かれている 現状を憂慮する意見なども出された。

 沖村氏とこの日、出席していた共同研究者の中国センターのスタッフなども加わって、こうした観測や見方に対する意見交換と討論を行い、実のある講演・討論の時間だった。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会で伊勢神宮を正式参拝

                               
                 

 21世紀構想研究会の活動報告をし、これからの社会貢献の決意を誓う伊勢神宮正式参拝が10月25日に行われ、19人の会員が厳かな中で参拝した。

伊勢神宮はさる10月2日、20年ごとに繰り返されている式年遷宮が滞りなく行われた。内宮は参拝が再開され、21世紀構想研究会としてご神体が移されたばかりの新正殿に参拝することを計画した。

本研究会会員の南川三治郎氏が、20年に一度催行される式年遷宮の写真記録を続けており、月刊「文藝春秋」10月号、「週刊文春」10月17日号(http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3204)のグラビアで、「遷御の儀」として写真とともに原稿が掲載された。

今回は南川氏の尽力で伊勢神宮への正式参拝が実現したもので、10月25日は、堀川宗晴氏(元神宮徴古館館長)の案内で新正殿の中に進み出た。服装は全員ダークスーツという正装に威儀をただし、堀川氏の説明に聞き入った。

 

当日は折しも台風27号の接近による暴風雨が心配されたが、「台風接近決行」で行われたものの、参拝する時刻には台風も沈静化して雨もなく、靄の中で煙るようにうっそうと茂る森林と大雨の水を集めて流れる五十鈴川の景観を見ながら、緊張した面持ちで正殿へと進んだ。

 

 

 

参拝者の氏名などはすでに登録しており、代表者記名などの手続きを経たうえで玉砂利の中を正殿前に導かれた。正殿の前に出るとさすがに心が洗われる気 分になる。ヒノキの香りが辺りを支配する中で弐礼弐拍壱礼という儀式にのっとり、無事、参拝を済ませた。 参拝後は、相差海岸花の小宿「重兵衛」に宿泊 し、楽しい歓談を行った。

翌日の10月26日は、マイクロバスで伊勢と鳥羽の間にある朝熊山・金剛證寺へと向かった。金剛證寺は、西暦572年に即位したとされる欽明天皇の時代に、暁台上人が草庵を建て修法したことに始まった寺院である。

その後、825年には弘法大師(空海)が真言密教の道場として、この金剛證寺を建立したとされる。

金剛證寺は、神仏が一体となった神仏習合の教えから伊勢神宮の鬼門を守る寺として、また霊場として伊勢神宮と並んでこの時代から信仰の対象とされてきた。

 この参拝でも南川氏の配慮で特に寺院の内部にまで入ることができ、寺院の祭壇の奥に祭ってある「天照大神」の神霊祭壇をも参拝できた。厳粛な気持ちの中で神道と仏教が融合する日本の歴史を実感した。

この金剛證寺には国宝が9点、国の重要文化財指定が5点あり、平安時代から桃山時代までの歴史の変遷を学び充実した気持ちで帰途についた。

  
               
                               
               
             
                                         
                               

知的財産委員会の開催

                               
                 

 

21世紀構想研究会の知的財産委員会の第1回会合が、9月30日、プレスセンタービル9階の会議室で開催され、多くの知財改革への提言を討論した。

 この委員会は、従来からあった産業技術・知的財産権委員会を発展的に改組し、新たに出発したものである。新委員会の委員長には、荒井寿光さん(元内閣官 房知的財産戦略推進事務局長、元特許庁長官)に、副委員長に佐々木信夫さん(元特許庁特許技監)、事務局長に生越由美・東京理科大学知財専門職大学院 (MIP)教授が就任した。

 議題は、知的財産制度への提言をまとめることである。2002年の第一次知的財産制度改革から10年余を経て、知財制度にもほころびが出ている。中国、韓国など近隣諸国が着々と知財制度を構築しているのに比べ、先行していた日本はむしろ追い越された点もある。

 また模倣品対策などはもっときめ細かく、かつ迅速にしないと日本の技術流出が続き産業競争力が低下していく。こうした現状を考えれば制度改革は喫緊の課題である。

 この日の委員会では、出席者の立場から多くの意義のある意見が出され、討論された。模倣品が日本に入らないように水際で阻止する制度などでも不十分になっていることや、営業秘密保護法制定の必要性などの意見も出された。

 今後も論議を重ねて提言をまとめ、いずれ政府に提出することも視野に入れている。

 

 

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

第104回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第104回・21世紀構想研究会は、岩本沙弓先生をお招きして「これからどうなる日本経済」とのタイトルで講演をお願いした。当日はオープン参加としたため60人以上が参加して盛会だった。

 岩本先生は、100回記念シンポジウムのパネリストの1人として経済関係の見解を発表していただいたが、当日は時間の制約があって十分な発言には至らなかった。このため、この日の講演で存分に語ってもらう機会とした。

 講演ではまず、日銀の異次元金融緩和によって金利が低下するのかどうかを2008年からの米国10年もの金利のデータを基に解説を行った。日本の10年 もの国債については1981年からの金利の推移を示し、80年代の8パーセント代から1パーセント以下に低下していった経緯を解説した。

 金利急騰は4.6年に1回発生することを示しながら、過去の国際的な経済状況と連動する金利推移を解説し、日本国債の市場価格が下落することで日本経済、金融システムが破たんするというような論調は行き過ぎであると指摘した。

 消費税引き上げによる景気動向でも見解を表明したが、その中で非関税障壁としの消費税の在り方の例として、消費税のないアメリカの事情を解説した。これ は岩本先生の研究テーマの一つであり、これまでマスコミなどでもほとんど触れられていないテーマだけに非常に面白かった。

 日本の税の配分では、うまく機能していない日本の税の仕組みを指摘したが、OECDの所得再分配後の可処分所得の各国比較を見せられると、確かに日本は 分配がうまく機能していないように思えた。 税の仕組みについては、先月号の月刊「文藝春秋」でも、岩本先生は自民党野田税調会長らとの座談会で見解を語っている。

 アベノミクスの総括では、3本の矢のうち第2、第3の矢はこれからの政策であり、物価上昇の目標よりも日本経済力の増強がメインとなるべきだと指摘した。成長戦略についても具体的な内容はまだ出ておらず、国土強靭化にとって日本経済の死角はエネルギー問題であるとした。

 日本の強固な経済ファンダメンタルズにも言及した。支払能力の指標となる経常黒字、対外純資産、外貨準備高などは、いずれも世界のトップクラスであり、10年もの国債の利回りも世界の中で日本が最も低い事実も示した。

 いま、株式市場はきわめて神経質に上下を繰り返しており、直近のトレンドは東京オリンピック招致決定もあって上昇している。しかし株価は、為替相場と連動しており、米国の大統領選と株価・為替の推移とオバマ大統領の再選後の為替政策は転換する可能性を示した。

 岩本先生は、いまドル高材料になっているシェールガス革命に言及し、米国が本当に世界一の産油国になるのか、革新的技術改革が実体経済に浸透するまでのタイムラグを示しながらオイルバブルのリスク要因なども指摘した。

 グローバルな経済状況を歴史的なデータを俯瞰しながら自らの見解を披歴し、現在と近未来の経済を読み解いて解説した講演であり、参加者に大きな感銘を与えた。

 

 

 

 

 

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会・100回記念イベント打ち上げ会

                               
                 

21世紀構想研究会・100回記念イベント打ち上げ会の開催

 

 

さる4月から続いていた21世紀構想研究会・100回記念イベントの最後を飾る「打上げ会」が、7月19日、プレスセンタービル9階で開催され、50人を超える参加者で盛会のうちにイベントを閉幕した。

この日は、100回記念イベントの講演を行った、加藤紘一・日中友好協会会長(元自民党幹事長)、記念シンポジウムのシンポジストになった藤嶋昭・東京理 科大学学長、岩本沙弓・大阪経済大学客員教授、本会アドバイザーの荒井寿光・元特許庁長官ら多くの人が参加して楽しい宴となった。

打上げ式に先立ち、本会会員で曹洞宗の名刹・霊巌寺住職、秋尾常民師が「遊び心と禅」のタイトルで講話を行った。多くの仏教語を出しながら、その深遠 な意味と現代人の行動様式を引合いに出しながら、思い遣りや気配り、時代が変遷しても変わらぬ物事の価値観などについて思索する話をして参加者に感銘を与 えた。

 

 

 

                     講話をする秋尾常民師

 この後で日本酒を賞味しながら日本酒文化の国際的な広がりを語り合う「日本酒を国酒に!」とする打上げパーティを行った。

 この日は本会会員である伊勢丹本社フードアテンダントの中澤律子さんが、特別に調達しきた12種類の銘酒を飲みながら、日本酒を堪能する会となった。

 

 

 

 

乾杯の挨拶をする加藤紘一先生(左端)、真ん中が筆者、右端は中澤律子さん。

 

 

 

ずらり並んだ銘酒と特製の升とお猪口も準備万端。


次々と銘酒を味わい、連日続いた猛暑を吹き飛ばした。

 まず乾杯には「八海山」(新潟)スパークリングシャンパンと同じ製法で作られた発砲酒である。まるでワイン趣向の乾杯に参加者も大喜びだった。さらに次々と開けられた銘酒を特注のお猪口や特製の升(本会会員・井上善男氏の寄贈)で飲みながら楽しんだ。

堪能した銘酒は次の通りである。

*  新千歳(福井) さくらロック お酒の概念を変えてアルコール度数を氷でお好きなように。

*  小左衛門(岐阜) ゆず酒  香りとほのかな甘味を楽しんで。

*  古酒(福島) 流転 ワインのようにヴィンテージを楽しむ大人の味わい。

*  萬乗酒造(愛知) 醸し人九平次 三ツ星レストランのワインリストにも掲載される世界の酒。

*  大村酒造(秋田) 福小町 通の大吟醸 オリンピック招致のレセプションで出されました。

*  南部酒造(福井) 花垣 日本酒をオーク樽につけてバニラ香を楽しむ新しい日本酒。

*  宮坂醸造(長野) 真澄 ワインに近いアルコール度数を12度に抑えた優しい創造酒。

*  出羽桜酒造(山形)出羽櫻 100年前以上前から鑑評会に出ている地酒の雄といえる酒。

*  菊水酒造(新潟) 菊水 酒造米ではなく魚沼産コシヒカリで醸した柔らかい味わい。

*  勝山酒造(宮城) 勝山 貴腐ワインのような味わい チーズやショコラとのマリアージュも。

*  大七酒造(福島) 大七生もと 最高級の雫原酒の選りすぐり サミット乾杯酒にも採用!

 

               
                               
               
             
                                         
                               

100回記念シンポジウムの報告(その4)

                               
                 

100回記念シンポジウムの報告(その4)

 

 記念シンポジウムは、「希望ある日本のために何をなすべきか」をテーマに、5人のパネリストによる意見発表のあと、橋本五郎氏をモデレーターに討論を行った。

 

 橋本五郎氏

 それではこれからディスカッションをしたい。論点を私なりに絞って、パネリストの先生方から話をお聴きしたい。

 最初に岩本先生からアベノミクス後の株式、債券市場の乱高下の話があった。これは最も切実な問題であり神のみぞ知るとあったが、まさに政治では制御不能という状況ではないか。岩本さんの指摘を踏まえてもう少し考え、分析を試みたい。塩崎先生はいかがでしょうか。



塩崎恭久氏

 株式、債券などのマーケットは近視眼的に動き過ぎる。たとえば不良債権を処理しようとなった時、次に何をやろうかと いうときにマーケットの動きが大きくなることがあった。今回の株の乱高下のようにナーバスになっているときは、何か変化が起きるときであり、政治が制御不 能だからではない。いずれ市場は落ち着いていくことだろう。

 毎日動いていることに一喜一憂しないで、トレンドとしてどうなっていくのかを見るべきだろう。株価ではなく本当の経済実態を見ることだ。日本はいい方向 ヘと向いているのであり、基本的にアメリカも同じだ。アメリカの金融引き締めは、景気がよくなっていくからそうするのであり、マーケットは賢くないと思 う。

 政治が不能なのではなくマーケットとはこんなものだ。時間が経てば一つの方向に向かっていくのであり、むしろトレンドとしてどうなるか、本当のところを見ることだ。日本はいい方向へ向かっているし、アメリカは経済もよくなっている。

 

橋本五郎氏

 大きなが流れとしては、成長戦略がきちんと実行できるようにならないといけないとよく言われるが、岩本さんは如何でしょうか。

 

岩本沙弓氏

 日本経済は、エネルギーの問題を抱えており貿易収支は赤字である。原発は止められ原油の輸入価格が上がっているので赤字が続いている。海外にエネルギー を頼っている場合には一方的に円高がいいのではなく、やはり円安もいい。円高はエネルギー源を安く調達できるのでいいかもしれないが、円高・円安のどちら がいいとか悪いとかの問題ではない。これまでは円安がいいのではないかという論調もあったが、ここはバランスを取ってニュートラルに考えるべきだろう。

 

塩崎恭久氏

 為替は双方向だ。これまではどう考えても円高が強すぎたかもしれない。しかしこちら側が決めることではなく、相対的なことで決まることだ。金融政策でど こまで変えられるかという問題があったが、今回、政策でこんなことができることが分った。あとはどのくらいがいいのか考えながらやることだ。

 

橋本五郎氏

 さて経済の問題はこのくらいで、次にリーダーはどうあるべきか、リーダー像をどう思うかというテーマに移っていきたい。藤嶋さん如何でしょうか。

 

藤嶋昭氏

 橋本さんがイギリスのサッチャー首相や大平首相についてのリーダー論を語った。これを聴いて、いま本当に真のリーダーが必要だなと思った。それがいま一番欠けているように思う。

 

橋本五郎氏

 大学の現場ではどうですか?

 

藤嶋昭氏

 大学は使命をきちんとわきまえて活動することが大事だ。日本が生きていくためには、資源がないから科学技術でしか生きていけない。今までは自動車、カメ ラ、電気製品とか工業製品でリードしていた。それがどんどん中国などに追い上げられてきた。こうなると日本は、ブレークスルーをやっていくよりない。私た ちもその使命を担って次世代の素晴らしい技術を開発するよりない。大学としてはそれよりない。

 

橋本五郎氏

 中曽根内閣のときにがん撲滅10か年計画という政策を打ち出した。何年計画というのは、やはり必要ではないか。柳澤さんは、これをどう理解するか。

 

柳澤幸雄氏

 自分は環境問題が専門だ。中曽根政権の打ち出したがん撲滅10か年計画では、確かに人材の基礎が出来上がった。研究の基盤を作り若い人を育てるというの は、短期間では意味がないので10年規模くらいの期間で人の基盤を作っていくことが重要だ。いくつかの分野でやるべきだ。人が育っていく土壌を作る必要が ある。

 

橋本五郎氏

その点で塩崎さんはいかがでしょうか?

 

塩崎恭久氏

 今回の成長戦略でも長期計画は見ている。ただ10年は長い気もする。例えばGNI(gross national income=国民総所得 )を増やすとか、名目3パーセント成長を目指すとか、10年目標でやっているが、しかしもっと短期間になるべきこともある。

 政府も今回、高低を付けて停滞から次の10年、再生の10年と言っている。10年は長いと思うが、他に短くていいものが多数あり政府も一つ一つに目標を定めてやることが重要だ。

今回のアベノミクスの特長は、総理が絶対ぶれない意志を持っていることが伝わっている。第1弾で農業とか医療とか雇用とかの課題でオンゴーイングするんだということだ。

 

 岩本沙弓氏

 アベノミクスを肯定する立場というわけではないが、私はディーラーとして、いい状況があれば必ず悪い状況もあるはずだという常にリスクを考える仕事をし てきた。アベノミクスの最大の問題は、日本の経済状態の好転はアベノミクスだけなのか、ちょっと俯瞰して考える必要がある。 

 国内だけの要因ではなく海外特に米国の事情もある。アメリカはシェールガス革命になっている。たまたまアメリカ経済が立ち上がってきた、日本も一緒に立ち上がる状況になってきた。

 ドル・円レートでも、円だけの要因で動くのではなくドルの要因でも動いている。双方の要因がオーバーラップしていくことを分析して見ることが重要だ。アベノミクスの一番のリスク要因は消費税である。これまでも消費税を導入した後にさまざまな状況が派生的に起きている。

 

 塩崎恭久氏

 97,98年の金融危機は、消費税が主因ではないと思っている。不良債権問題があり、借りたけど返せない状態になった。不動産屋さんだけでなく、そうで ないところも同じになった。産業構造の転換がうまく言っていなかったという構造の問題があったからあのようなことが起きてしまった。

 それには金融機関も責任あったし、監督する当時の大蔵省にも責任があった。課題解決を先に送ってきた。みんなで先送りした。

 今回の消費税は合計5パーセントあげるのだから、これには備えて行かなければならない。財政で勝てるかとなると、それだけではなく国際競争で負けてきたという問題がある。

 どうもうまくいってなかったし、日本は負けてきた。その根本のところを日本はどうするのかが大事だ。景気が上がったら反動が必ずある。これをどうするかが大事だ。

 社会保障の先行きに不安を持ちならが、財政にも赤字垂れ流しでいくのでは経済健全化にならない。財政はある程度の方向性を出すべきだろう。

 

橋本五郎氏

 経済を議論したが教育の問題に移りたい。藤嶋さんが示した753を864に変えるには。いったいどこに問題があるのか。教師にあるのかそれとも文部科学省にあるのか。どこに問題があるのか。

 

藤嶋昭氏

 いま一番の重要なことは小学5,6年の理科教育をきちんとやることだ。小学5,6年生の理科はかなり難しい。小学校の教師は大体文系だ。これで全科目を やらないとならない。そこで5,6年の理科を専任の教員かあるいは理科に強い先生が教えてくれて、理科の面白さを子供たちに伝えることが大事だ。

 

橋本五郎氏

教師たちはどう思っているのか。

 

藤嶋昭氏

 小学校の先生は全教科をみるのだが、大体は文系の先生だ。理科の難しいのを教えるのは難しい。実験の面白さからやってもらうようにしないとならない。観察とか実験をやるだけなら簡単だ。それ以上のことをやることが難しい。そこをうまく教えることが重要だ。

 

橋本五郎氏

 現場では苦心のしどころだろうが、それではどういう風にやるべきか。柳澤さんいかがでしょうか。

 

柳澤幸雄氏

 理科をきちんと教えることはものすごくお金がかかる。さきほど、藤嶋先生はコンパクトな実験を見せてくれた。そのような実験を子供たちがやるには一人だけではできない。実験助手が必要になってくる。

 理科の専任の先生と同じ人数だけ助手が必要になってくる。そうするとその人たちの給料が必要になる。理科の教室の設備も含めてお金がかかる。

 たとえば枕草子を読むだけならお金はかからない。そころが、ある現象を教育するにはお金がかかってくる。これをどうするかが大きな課題だ。

 

橋本五郎氏

 退職された先生をバイトで雇うことはできないか。辞めたが一日中、家にいるのでは奥さんが一番困るだろう。それを敏感に察知した男性は、朝飯食うと公園 に出かけて静かに時間をつぶしているらしい。これをバイトで雇えば元気が出てくる 学校では余り教え子に近づけたくないのだろうか。昔の話ばかりするから かなとも思う。

 

藤嶋昭氏

 東京理科大学は歴史的に数学と理科の教員を多数世に出している。いい先生を出すには学生のうちに指導することが大事だ。この教員の育成には、校長先生を やって家にいると困る人にお願いして指導者になってもらっている。理科大ではボタンティアに近い形でやってもらっている。

 

 橋本五郎氏

 理科だけでなく、大学を出たばかりの若い先生がすべてに対応できるわけがない。一線を退いた人をうまく使うことは資源のリサイクルになるのではないか。もうちょっと積極的にやるとうまくいくのではないか。

 

塩崎恭久氏

 世界の100の大学のランキングを見ると日本の大学では東大と京大しか入っていない。 韓国は3つ入っている。自民党は10年内に10大学を入れることを目標にしている。

 そのために何をやるか。たくさんやることがある。3年前に成長戦略を作った時に、指標は実は国際化で負けている。しかし科学という指標でいくと上に行くがトータルで行かないとダメだ。日本の大学は外国の先生が少ないし、外国の学生も研究者の少ない。開かれていない。

 留学生の話もあった。希望する人が優秀なら全員、留学できるようにやりたいし逆に来てもうこともオープンにするべきだ。小中高といろいろ問題が出ている が、入試にも問題もある。日本では自分の大学で入試問題を作ってやっている。この形式は先進国ではあまりない。みんな共通テストでやり、後は論文とかアド ミッション方式でやっている。日本は大学入試制度を変えないとダメだ。

 高校生が入試を目標にやると、大学入試後は燃え尽きた学生になりがちだ。入試の点数が高いからいいというものではない。それでは決まらない。高校でどう いう社会貢献をしたのか、大学がアドミッション方式で取るときに評価の基準を作ればいい。そうすると高校生は、自分が地域で何をしたのか何を貢献したのか を考えるようになる。

 そのように入試を改革することは、とても大きな課題であると位置づけている。小学1年から英語を教科にしようとしたら、時の文部科学大臣が日本語もできないのに英語をやるのはダメだと反対した。結局、小学5年生からになった。

 英語をただ読んだり書いたりではなく、英語でコミュニケーションができる人を育てないとならない。コミュニケーションができないのでは社会に出ても伸びない。大学改革が大事だ。

 学長は選挙で選ばれるのではなく、理事会とか選考会が指名するなど大学のガバナンスを高める必要があるのではないか。教授会が学長の足を引っ張ったりすることがないようにするために、教授会の位置づけを本来の学長の諮問機関とするべきだ。

 選挙で学長を選んでいるとなかなかうまくいかないのではないか。我々国会議員も選挙で選ばれていると、あっちににこにここっちににこにこしないと選挙に当選しない。これでは大胆な改革などできない。

 ノーベル賞級の学者がなぜ日本で教えられないのか。逆になぜ、日本でノーベル賞を取った人が外国へ出ていくのか。そういうことを考えると大学のありかた、ガバナンスを考える必要がある。リーダーシップをとれる大学に期待している。自民党は改革のメニューを入れている。

 

橋本五郎氏

 大学は一見、民主主義的にやっているようだが結構無責任だ。恨みと嫉妬だけはある。政界とかなり似ているところもある。弾が後ろから飛んでくることもある。藤嶋さん、これはどうあるべきか。

 

藤嶋昭氏

 やはり理事会がリーダーシップを持って確固たる方針をもってやるべきだ。そうするとついてくる。堂々とやることが大事だ。さっきの大学のリーダーが必要だということと同じだ。

 

橋本五郎氏

 日本で最初にノーベル賞をもらった湯川秀樹博士の自伝の中で、父親は兄弟の中で一番ダメだと言われたという。ところが学校の先生は一番可能性があると見抜いて、ちゃんと大学に行かせるべきだと進言したという。

 先生が子どもをちゃんと見ている。そのことで一生が左右される。そうなると先生の役割は最も大切だと思っている。この世の中で、それぞれの一生を決めて しまうほどの役割がある。そうなるとそのような体制になっているのかという問題もある。東大に行くのも一つの指標かもしれないが、長い一生を決めるにあ たっては、先生がその役割を担っていることは非常に大事だ

 

柳澤幸雄氏

 子供が生まれて誰に育てられるのか。時系列で考えると生まれてすぐは親だ。幼稚園から小、中、高校と先生が関与する。そして思春期になると友人の影響が非常に大きくなる。

だからどういう生徒集団、どういう学生集団を作るか、その中でどういう形でお互いに切磋琢磨するのか。

 それを教員が持っていないと、時間的に持っていないとダメだ。教員は教室で知識を教授するだけではない。ものの考え方人格の形成に大きな影響を発揮するべきだ。また、友人関係をどう意識するのか、それを意識させる学校運営が大事だ。

 

 橋本五郎氏

 藤嶋さんは時代の雰囲気が非常に大事だと言った。昔、末は博士か大臣かと言ったが、あれは結構いいキャッチフレーズだ。いまはそれに代わるものがない。この雰囲気をどうやったら作れるのか。

 

藤嶋昭氏

 それは一人では無理だ。複数の同じ考えの人が集まって、なんかやろうとなるときにできる。やはり2,3人の同じ考えの人が来るというのが最も大事だ。明治時代もいろんな芸術でも同じ分野の人が集まって雰囲気を作って大きな力になった。

 

橋本五郎氏

 非常に大事だ。気持ちが国民全体の中に回ることが重要だ。宇宙探査機「はやぶさ」のときもそうだった。知識を血に対することだ。

 

藤嶋昭氏

 本を読もうという運動をやったきっかけは、川崎市の教育委員を10年やった経験からだ。教員採用試験をしたとき、面接者にこの1年間に読んだ本を言ってくださいと質問したら誰1人読んだ本を言えなかった。

 受験勉強の本を読んでいても一般の本を誰一人読んでいない。その人たちがみんな先生になる。これはひどい。自分を高めないとダメなので本を読もうというキャンペーンを始めた。

 大平正芳元首相はすごい読書家だった。あーうーと言っているが、一番の読者家だったのをみんな知っている。自分を高めることをしている人はみんな分かっている。

 

橋本五郎氏

 アメリカの元大統領のリチャード・ニクソンが、指導者とは、偉大な政治家とは、偉大な読者家であったとも言っている。塩崎さんいま政界を見ていて如何ですか。

 

塩崎恭久氏

 ま、人それぞれだと思います。今回まとめたものに知恵に対する話があったが、中間提言のなかで総理の科学顧問を設けよと提案している。英米では、チーフサイエンスアドバイザーがいる。

 政治家が科学をどのくらい受け入れる心を持っているか。原発事故が発生したとき、海水注入をやめろとか、あるいはベントを早く命令するとか、大きな声を 出した総理大臣もいた。イギリスの人に聞いたら、イギリスの政治家はそのような科学的な判断に口を出す人はいませんと言っていた。原子炉の中の問題につい ては、独立性をもってやならいとならない。

 下手な科学者の判断よりも政治家の方が判断は正しいと思い込んでいる政治家が多いのではないか。サイエンスアドバイザーを日本でもおけと言っている。しかし文部科学省が反対している。総合科学技術会議があるではないかと言っている。しかしこれは人を置くことだ。

 イギリスにはほとんどの役所にサイエンテフィックアドバイザーがいる。国務省にもいる。深い科学者として考えを持った人が科学的判断を提供している。そ してそれを受け入れる人がいる。事務官にも政治家にもいる。向こうでは専門的なアドバイスを受け入れることが事務官にも役所にも政治家にもある。

 

橋本五郎氏

 専門家が十分に機能を果たしているのか。そこだと思う。それぞれの立場もあるし意見もあるのだろうが、日本で言えるのは、みんな自信なげである。そう やっていままで原発をやってきたのかとなる。ここは藤嶋さんに聞きたい。専門家がこうやるべきだ、素人が口を出す問題ではないと言わねばならないのに、国 民の目線になっているようだ。専門家がこれではどうするんだとなるがいかがでしょうか。

 

藤嶋昭氏

 それについてコメントするのは難しい。大体、原子力の専門家は同級生にいるが、あのときは優柔不断というか決断をちゃんと言わなかったように感じる。それが一番問題だ。 専門家はちゃんと言わないとダメだ。

 

塩崎恭久氏

 国会の事故調査委員会で問題になったことは、規制のとりこになっていたことだ。専門性があまりに高いので、専門性の規制のされる側にとりこになった。

 原子力安全基盤機構があって、専門家として組織を統合して、かつての保安院は基盤機構に下請けに出して作ってもらっていた。事故のとき基盤機構に100くらい提案あるとしていたが、保安院にいくと10くらいしか理解できなかった。官邸には1くらいしか届かなかった。

 これを解決するには、1つにまとめてこれを専門性のある力のあるものに変えていかないとならない。統合することに法律で決めている。しかし一部政府の人 たちは熱心にしていない。早くやらないと原子力規制に対する信頼はいつまでたってもできない。能力がないと言われてはダメだ。

 

橋本五郎氏

 高校のときからいい人材を作っていくことが大事だ。大学でなく高校のときからということが大事なことでしょう?

 

柳澤幸雄氏

 英語、数学、国語という科目が入試にある。抜けていることで典型的なことがある。たとえば国語で漢字をよく知っている。教養があると思われている。数学がよくできる。この人は頭がいいと思われている。英語がよくできる、この人はスマートな人と思われている。

 日本の場合、大学で文系と理系に分ける。高校でも分けている学校がある。開成高校は分けていない。大学に行くとき、数学が苦手だから文系に行くという人が非常に多い。そうすると仕事に入った時にも数学的な素養が不足し、損をすることになる。

 高校で言うと、入学試験は教育の大きな流れを決める非常に大きな要素だ。小学、中学、高校とも指導要領に縛られているが、生徒は学校だけでなく塾でも勉 強をしている。そうすると大学の入試はこういう問題である。それに合わせて子供たちは勉強している。莫大なエネルギーがそこに使われている。

 大学がどのような入試問題を出すかというのは、大学の社会的に存在する自分たちのメッセージなっている。いま入試改革が言われている。そのとき日本の入試では生徒自身が自分を評価しているというメカニズムがない。

 TOEFLなどは何回も受けられる。最大で7回受けられる。自己評価とその試験の評価の一致をはかることができる。何度も受けることができると自分はもっとできるのに点数が悪い。それならもっと勉強するとなる。また受ける限界かなとか判断できる。高校時代に判断できる。

 そのように生徒自身が判断できる。自己判断ができることが大事だ。是非とも入試改革をするべきだ。

 

 

橋本五郎氏

 最後に株価はいったいどうなるのか。買ったらいいのか買わない方がいいのか。ということは受験勉強と何も関係がない。スポーツのあり様と株価のあり様とどう関係があるのか。

 

岩本沙弓氏

 難しいですね(笑)。大阪経済大で教えているが大阪には堂島という取引所がある。先物取引所がある。この取引を世界に先がけて開発したのは日本人である。

 実は日本人は市場経済に非常に敏感な国民である。大阪と京都にいち早く伝える旗振り通信、火の見やぐらを作って伝えた。旗振りの中継所は4か所ある。そこで旗振って伝達していた。

 大阪から京都まで旗振りで伝える中継地点が全部で4つある。旗を振るだけだが、どのくらいの時間がかかると思うか?

 

橋本五郎氏

?・・?・・、3時間くらいだろうか。

 

岩本沙弓氏

 実は4分でできていた。旗を振り、双眼鏡で眺めて情報を収集した。いまNTTで電波通信は旗振り通信だと言われている。日本人は創意工夫する国民だ。相場も、もともとそうだった。

 いわき市にカンガルーという会社がある。大震災で100パーセントダメになってから1か月で回復させた。底力のポテンシャルがある。底力があるのだから、もう少し自信をもってやると全然変わると思う。

 

橋本五郎氏

なるほど。そのポテンシャルに期待してこのシンポジウムを終わりたい。

 

 

馬場錬成・21世紀構想研究会理事長の閉幕挨拶

 5人の先生方の専門性の高い思索からの意見が述べられ、一時は話が発散してどうなるかと思いながら聴いていた。アベノミクス、財政金融問題、そして広く教育問題へと話題は広がり、日本のためにどうするのかというフォーカスでは一致していた。

 5人の先生方が明確にそのようなメッセージで語ったわけではないが、私なりにそのように感じた。ご発言の中で共通だったことは、日本にはリーダーが不足している。今こそ確固とした信念をもった専門性の高いリーダーが必要だ。

 国を建てるのは教育である。教育は教師の在り方、教育制度の在り方、入試のありかたなどで各論が出ていたがリーダーといい人材を育てていく教育が一番重要であることを5人の先生が角度を変えて発言していた。

 日本と日本人は、この150年間に世界でも稀有な進歩を遂げた。日本と日本人はきわめて優れた民族の1つだ私は考えている。これまでの実績と民族の資質 を認識し、これからも誤りなきように歩いて生きていきたと思う。世界に貢献できる人類の福祉に貢献できる日本と日本人でありたいと思う。

 21世紀構想研究会100回記念シンポジウムは、実り多い討論に終始して終了した。5人の先生方に篤くお礼を述べ、改めて盛大な拍手で謝意を表したい。

 有難うございました。

(文責・特定非営利活動法人21世紀構想研究会事務局)

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会・100回記念シンポジウム報告(その2)

                               
                 

 冒頭に21世紀構想研究会の歴史と活動を紹介

 シンポジウムの冒頭、21世紀構想研究会の馬場錬成・理事長から、1997年9月の創設から今日までの研究会の活動実績を報告し、今後も社会貢献を目指して討論や政策提言を目指す決意が語られた。

  まず、21世紀構想研究会の設立目的は、時代の変革で続出してきた課題を提起、討論する場を作ったことだった。IT(情報科学)の進展によって国、企業、 社会のあらゆる場面での変革を予見し、知的基盤の強固な研究現場と産業振興の技術革新の実現をしなければ、日本は真の科学技術創造立国を確立できない。

 そのような課題を認識し、適宜、研究テーマを掲げて討論し、そこで得られた成果を社会に訴えて啓発しながら国の政策にも結びつくように活動する方向を目指して出発した。

 会員は現在およそ100人。主として有力なベンチャー企業、政府機関、大学・研究機関、マスコミの4極から集まっている。

 

 

 

  

 21世紀構想研究会の歴史と活動を紹介する馬場錬成・理事長

 

 下部組織として4つの委員会が活動

 21世紀構想研究会には現在、産業技術・知的財産権委員会(生越由美・委員長)、生命科学委員会(東中川徹・委員長)、教育委員会(銭谷眞美・委員長)、メタンハイドレート実用化委員会(平朝彦・委員長)が活動を行っている。

 それぞれ時代の要請を見ながら研究会を通して課題を認識し、政治、行政に対して成果を伝え、働きかける活動につなげている。過去の実績では、本会アドバイザーの元特許庁長官、荒井寿光氏を中心に度々、知財立国への制度改革や現場の課題を報告し、政府にも政策提言を行ってきた。

 また中国にも2回訪問し、中国社会の急速な進展と日系企業の現地での活動を視察した。さらに東日本大震災の前後には東北電力女川原発を視察し、原発の実情を学び、大震災の被災の現場を見る機会があった。 

 会員企業の栄枯盛衰

 21世紀構想研究会の会員は、有力なベンチャー企業の創業者に参加を求めたところに大きな特徴があったが、会員となった企業は成長するとは限らず、厳しい競争社会の中で大きな試練に立っている現状を知った。

 会員企業の中で、業績が順調に伸びた企業と事実上倒産した企業が交錯している。業績を伸ばした代表的な会員企業は次のような企業である。

 武蔵エンジニアリング株式会社、株式会社日本一、株式会社ガリレオ、株式会社発明通信社、株式会社高速屋、株式会社みかづき、株式会社グッドバンカー、株式会社ホトロン、ユーヴィック株式会社、株式会社東京大学TLO、バイオジェニック株式会社などである。

 会員になった多くのベンチャー企業は、特許など知的財産権を多数取得し、独創的な技術を武器に市場へ打って出たものであり、順調に業績を伸ばして上場した企業も3社ある。一部上場まで果たしたのが荏原実業株式会社である。

 その一方で上場した後に事実上倒産した企業が2社出ている。株式会社YOZANとシコー株式会社である。また知的財産戦略をもとに活動を続けるも業績不振で事実上倒産した会員企業が5社出ている。

 株式会社 YOZANは、第3世代携帯電話(W-CDMA)用の集積回路の設計・開発を行い国際的にも脚光を浴びて2000年9月1日に株式をJASDAQに上場し た。その後、半導体開発では安定的な成長が望めないとして電気通信事業者へ業態転換を行ったがうまくいかず事実上の倒産となった。

 シコー株式会社は、振動モーターを発明して携帯電話機のマナーモードを世界中に広げたものだが、円高、中国での人件費高騰、デリバティブ差損などの逆風に持ちこたえることができず、わずか3億9千万で中国の名もない中小企業に買収されていった。

 このような実例を知ることによって、21世紀構想研究会は国際的な技術開発競争、ビジネス経営の難しさを知り、分析・研究を行い、研究成果の一部は2011年度の日本知財学会で発表した。 

 「たかが学校給食と言うなかれ」

 また、食育推進事業の一環として始めた「全国学校給食甲子園大会」は、2013年に第8回目を迎えることになり、全国の学校給食現場では知らない人がいないくらいに有名なイベントになった。 

 

 

  第7回学校給食甲子園大会に優勝した愛知県西尾市立西尾中学校
学校栄養職員・冨田直美さん、調理員・三浦康子さん
 

  昨年の応募校は、全国から2271校(センターも含む)あり、年々参加校の数が増えている。これは単に学校給食の調理コンテストではなく、一般の人々にあ まり知られていない学校給食の理解を高め、日本を背負っていく次世代の児童・生徒の栄養と健康を見守り、重要な使命を帯びて日夜頑張る栄養教諭、学校栄養 職員、調理員を顕彰する大会にするのが主たる目的である。

 また、地場産物を供給する生産者、流通業者、保護者らとの交流促進にも役立て、食文化が一国の文化と密接につながっていることを理解しながら学校給食の重要性を社会に向かって啓発しているイベントである。「たかが学校給食」と言うなかれというのが私たちの主張である。学校給食は、食育推進の観点から、次のようなキーワードで研究を進めることができる。

  子供 栄養 健康 躾 教育 生活 地域 社会 国家 文化

 学校給食から見えてくる課題は、国家観にまで広がっている。  

 これからの21世紀構想研究会活動にご支援を

 世 界的な産業構造の大変革の中で、日本はどのような国作りをし、どのように産業構造を変えていくのか。そのために知的財産戦略をどのように策定し推進するの か。これは国家だけではなく企業、大学・研究機関など日本全体の課題である。産業技術・知的財産権委員会では、近く知財改革の討論を開始し、日本の近未来 の産業構造や知財戦略の再構築を模索しながら政策提言できるような改革案を作成したいと考えている。

 私たちは時代認識を明確に意識した社会啓発活動を続けていく決意である。

 これからもご指導、ご支援をお願いしたい。

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会・100回記念シンポジウムの開催(初報)

                               
                 

 

テーマ:希望ある日本のために何をなすべきか

モデレーター 橋本五郎(読売新聞東京本社・特別編集委員)

パネリスト 

岩本沙弓(大阪経済大学 経営学部 客員教授) 

塩崎恭久(自民党衆院議員、元内閣官房長官) 

藤嶋 昭(東京理科大学学長、東大特別栄誉教授) 

柳澤幸雄(開成中学・高校校長、東大名誉教授)

 

 21世紀構想研究会の100回開催記念のシンポジウムが6月11日午後6時半から、東京・内幸町の日本記者クラブ10階のプレスセンター大ホールで開催された。 

 冒頭、筆者は21世紀構想研究会の理事長として、第1回の研究会開催から今日までの歴史を簡単に説明し、これまでの活動実績や今後の活動方針について報 告した。この後、「希望ある日本のために何をするべきか」をテーマに、モデレーター、パネリストの5人が冒頭にコメントを述べ、そのあとで討論を行った。

 今回の報告では、全体の印象を筆者なりに示したいと思う。まず第一印象は、自分たちが主導で決めたパネリストの人選であるが、多方面の分野からの代表と いう形になり非常によかった。(自賛) 将来の首相候補として最も近い距離に立っている塩崎先生は、さすがに政界事情を巧みに勘案した発言をしていたが、 基本的に「実現可能な政策」という視点に立っていたことは政治家として一定の評価をしたい。

 岩本先生は経済学者、特に直近の為替変動、金融政策、株価乱高下を日々解説する立場に立っているので、冒頭は株式市場の解説を歴史的なデータを示して行っていた。これは冷静な視点を示したもので非常にためになった。

 藤嶋先生は、最近取り組んでいる青少年の読書運動と理科離れへの歯止め運動から教育全般にまで広げた話題は面白かった。「空はなぜ青いか」と問いかけ、その理屈を解説し、しかも持参したペットボトルに懐中電灯を当てて青空の理屈を見せてくれたのは、鮮やかな手法だった。

 柳沢先生は、東大進学断然トップという有名高校の校長らしく、開成高校の卒業式での式辞の話からこれから人生を歩む若い世代に告げるメッセージを披露しながら、親や社会人の果たすべき責務について考えさせるメッセージを発言していた。

 モデレーターの橋本先生は、膨大な蔵書を抱える読書人らしく、昔の偉人たちのエピソードを適宜に織り込みながら、地方の疲弊、少子化問題など現代の重要 課題を国民の目線で考えることを提起しながら深く思索するように示唆した。さらに4人のパネリストを巧みに束ねて2時間の論戦を仕切った手腕はさすがだっ た。

 5人の討論の内容については、この後で詳報を掲載していきたい。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会・100回記念イベント第3弾で生島和正氏が講演

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の100回記念イベントの第3弾は、武蔵エンジニアリング株式会社の生島和正社長が「我が社の事業とその経営哲学について、または、これからの世の中を確かに生きていくために -若者に捧ぐー」とのタイトルで講演を行い、会場と熱い討論を展開した。

 生島社長はまず、液体を超細密に制御するハイテク技術で世界トップの技術力とマーケット支配をしている活動を分かり易い映像データなどを使って説明した。

 経営哲学とする基本理念には、幸田露伴の「努力論」と二宮尊徳の「報徳訓」の思想を取り入れた「露伴・尊徳ism」を確立し、独自の経営理念で活動して いることを熱く語った。具体的な行動様式としては、誠実、挑戦、独創性の3本の柱を掲げていることを説明したが、この中でも特に誠実という企業姿勢を明確 に打ち出していると語った。 

 さらにビジネス社会は競争ではなく闘いであるとし、企業が強くなるためには技術力、製品力、販売力、組織力、仕事力、人間力をあげ、もの作りに取り組む経営は「美学」であるとする独自の経営観を語った。

 さらに「これからの世の中を確かに生きていくために -若者に捧ぐー」として、世の中の見方、考え方について独自の歴史観と世界観を披歴し、感銘を与えた。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会「100回記念シンポジウム」の開催案内

                               
                 

 21世紀構想研究会は、設立から15年目の2013年6月、100回開催記念のシンポジウムを開催します。

 是非、参加をお待ちしています。無料です。

特定非営利活動法人21世紀構想研究会100回記念シンポジウム案内

 開催日時:2013年6月11日(火) 午後6時半~9時

テーマ :希望ある日本のために何をなすべきか
 

モデレーター 橋本五郎(読売新聞東京本社・特別編集委員)

パネリスト 

岩本沙弓(大阪経済大学 経営学部 客員教授) 

塩崎恭久(自民党衆院議員、元内閣官房長官) 

藤嶋 昭(東京理科大学学長、東大特別栄誉教授)

柳澤幸雄(開成中学・高校校長、東大名誉教授)

  橋元五郎氏

 1946年生。1970年、慶應義塾大学法学部政治学科卒、読売新聞社入社。政治部、論説委員、政治部長、編集局次長などを歴任。読売新聞編集委員を経て現在同特別編集委員。日本テレビキャスター(「ジパングあさ6」「ズームイン!!朝!」)、東京大学経営協議会委員、NHK中央放送番組審議会委員、東日本大震災復興構想会議委員などに就任。 読売新聞紙面でタイムリーなテーマで論評を執筆して多くの「橋本ファン」を作った。現在、読売テレビ「ウェークアップ!ぷらす」コメンテーターなどを務める。著書に『新聞の力』(労働調査会)、『総理の器量』(中公新書ラクレ)、『「二回半」読む』(藤原書店)、『範は歴史にあり』)など多数。

 岩本沙弓氏

  1991年東京女子大学卒。同年から日・米・加・豪の大手金融機関にて外国為替(直物・先物)、短期金融市場を中心にトレーディング業務に従事。日本経済新聞社発行のニューズレターに7年間、為替見通しを執筆。金融機関専門誌「ユーロマネー誌」のアンケートで為替予想部門の優秀ディーラーに選出される。 現在、為替・国際金融関連の執筆・講演活動の他、国内外の金融機関勤務の経験を生かし、参議院特別委員会にて参考人として出席するほか、政党関連の勉強会等の講師にも招かれる。大阪経済大学経営学部の客員教授を務めている。主な著作に「新・マネー敗戦」(文春新書)、「最後のバブルがやってくる」(集英社)など。最新刊「バブルの死角」(集英社新書)は2013年5月発刊。

 塩崎恭久氏

1950年(昭和25年)生。1975年、東大教養学部教養学科アメリカ科を卒業して日銀に入行。1982年にハーバード大学行政学大学院を修了、行政学修士号を取得。1993年、衆院議員選に出馬して初当選。以後、衆院議員6期、参院議員1期を務める。金融危機に伴う1998年の金融国会では、金融再生トータルプラン、金融再生法の策定に奔走し、政策新人類と呼ばれ注目された。衆議院法務委員長、外務副大臣を経て2006年の第1次安倍内閣で内閣官房長官・拉致問題担当大臣に就任。2011年3月の福島第一原発事故を機に「国会事故調査委員会」(憲政史上初めての国会内調査委員会)を立ち上げ、「原子力規制委員会」の創設を主導し原発・原子力問題に全力傾注。現在は、自民党政調会長代理・日本経済再生本部本部長代行として日本経済のデフレからの早期脱却に向けて鋭意取組み中。

 

 藤嶋昭氏

 

 1966年、横浜国立大学工学部卒業、71年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。神奈川大学工学部講師、東大工学部講師、助教授を経て教授、同大学院工学系研究科教授。東京大学特別栄誉教授。2003年4月より財団法人 神奈川科学技術アカデミー理事長、08年科学技術振興機構・中国総合研究センター長。2010年1月より東京理科大学学長。酸化チタン光触媒の原理を発見した業績で世界的に知られる。日本化学会賞、紫綬褒章、日本国際賞、日本学士院賞を受賞。2010年文化功労者。 学術的な専門書を数多く刊行したが、最近は子供の科学啓発教育に情熱を燃やしている。「時代を変えた科学者の名言」、「科学も感動から」(いずれも東京書籍)、「太陽と光しょくばいものがたり」(偕成社)など著書多数。

 

 柳沢幸雄氏

   1947年生、東大工学部化学工学科を卒業。コンピュータ会社のシステムエンジニアとして3年間従事後、東大大学院で大気汚染を研究し博士号取得。東大助手を経て、84年よりハーバード大学公衆衛生大学院に移り、研究員、准教授、併任教授としなる。1993年より、財団法人地球環境産業技術研究機構の主席研究員を併任。1999年東大大学院・新領域創成科学研究科教授、2012年東大名誉教授。主要研究テーマは、空気汚染と健康に関する研究。2011年より母校の学校法人開成学園・中学校、高等学校校長に就任。社団法人大気環境学会副会長、室内環境学会会長、臨床環境学会理事、NPO法人環境ネットワーク文京副理事長などを歴任。主な著書に「化学物質過敏症」(共著、文春新書)、「CO2ダブル」(三五館、1997)など多数。
               
                               
               
             
                                         
                               

永野博氏が読売新聞・論点欄で若手人材育成の国家戦略について提言

                               
                 

 

 元文部科学省国際統括官、政策研究大学院大学教授などを歴任した永野博氏が、2013年5月1日付け、読売新聞論点欄に「研究リーダー養成必要」との論文を発表した。

 世界主要国、後発国ともに、若手の人材育成に力を入れて多くの政策を遂行しているが、日本の人材育成はこれでいいのか。世界の現状を調べて分析し、日本の国家戦略として若手の人材育成をどう取り組むべきか。

 その視点を明快に提起している論文である。是非、読んでほしいと思った。

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会・100記念イベントで佐々木信夫先生が講演

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の100回記念イベントが進んでいるが、4月24日には第2弾として佐々木信夫先生(元特許庁特許技監、株式会社特許戦略設計研究所 代表取締役)が講演し、日本に横たわる知財戦略の課題を分析して指摘し、これから取り組むべき戦略について多くの示唆に富んだ提言を行った。

 佐々木先生は、1998年に特許技監を務めたが、そのときの特許庁長官は荒井寿光氏である。この日は荒井氏も出席し、往時の長官・技監の名コンビで講演の後の討論を盛り上げた。

 佐々木先生の講演内容で筆者が印象に残ったのは、アジア・中国を中心に広がっている巧妙な特許模倣システムの広がり、欧州特許庁の停滞ぶり、日米特許対 話の流れなどである。また、自身の手がけている具体的な特許・ビジネス戦略について、ケーススタディの形で披露し、日本の特許戦略と産学連携の現場に横た わる様々な課題をあげた。

 安倍政権の掲げる「三本の矢」政策の最大の課題は、失われた20年で現出していたデフレ経済を脱するために成長戦略を見直して具体化し、速やかに実現す ることだ。そのために佐々木先生は、知財の保護ルールの国際的な共通化をあげた。TPPの知財保護ルールの共通化、日中韓のFTA交渉の知財保護ルールの 共通化、日欧のEPA交渉の知財の保護ルールの共通化などである。

 また国内の知財政策では、グレースピリオド1年の制度化、超早期審査の制度化、18か月以内の特許取得手続きの制度化などをあげ、そのためには特許紛争 実態の調査と監視の励行や無審査実用新案法の根絶などをあげた。これは中国で急増する実用新案出願と特許出願は、中国独自の制度が権利意識を突出させてお り、こうした実態を国際的な共通システムに改めていかないと公正な競争にならないことを指摘したものである。

 そのほかにも重層多岐にわたる国際的な課題提起と日本のとるべき戦略は極めて重大なものばかりであり、今後、佐々木先生の提起した課題を整理し、安倍政権に政策提言できるよう論議を成熟化していく方向を確認してこの日の講演は終了した。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

加藤紘一氏(日中友好協会会長)が日中問題について21世紀構想研究会で講演

                               
                 

 

 元自民党幹事長の加藤紘一氏(日中友好協会会長)が、4月19日、21世紀構想研究会で講演し、緊迫する日中問題について核心に触れる解説を行った。こ の中で加藤氏は、2012年9月9日、ロシアのウラジオストックで開催されたAPECで、中国の胡錦濤国家主席が野田総理と非公式ながら30分ほどの会談 を行っていたという新たな事実を披露した。

 日本では、日中の2人の首脳が立ち話をした程度として伝わっているが、立話以外に日中2人のトップが部屋に入り、通訳を交えずに片言の英語で語り合った 内容が問題であったと推測できる中国側の動きと情報を元に、これまで伝えらていない日中外交問題の齟齬について大胆な解説を行った。

 また1984年 - 1986年に、中曽根内閣の国務大臣防衛庁長官をしていた時代に、日本海を舞台に日中で緊迫した事態が勃発した秘話、尖閣紛争を原因とした日中の武力衝突 の可能性、レアアースを巡る日本の報道とその真相、中国共産党の若い指導層の仕事ぶりと近年の日本の官僚の考えと仕事ぶりなどについて見解を述べた。

 加藤氏は元外務官僚であり中国語語学研修で鍛えたチャイナ・スクールの系譜にある人である。中国語が堪能なので中国の指導層、要人とも個人的な太い人脈 がある。この日の講演でも、中国に関する豊富な情報量を感じさせる多くの話が語られ、真の日中関係を理解するうえで非常に役立った。

 また、膠着している日中問題を打開する手だてについて加藤氏は、日本の政治家の中でいま中国側と最も太いパイプを持っているのは安倍首相であると解説 し、安倍総理自ら動くことが重要であるとの見解を述べた。第一次安倍政権誕生後の中国との外交を振り返りながら、先月下旬、中国側が安倍首相に期待をかけ ている動きを見せたが、日本側がそれに対応しなかったとのいきさつを語った。

 この膠着状態を打開するのは政治問題として取り組んでも困難なので、民間が積極的に様々な交流を進めることが重要なカギになるとの見解も語った。

 またこの日の研究会には、在日中国大使館の李纓(Li Ying)公使も出席して熱心に加藤氏の話を聴いていた。研究会後半のフロアとの質疑応答では、フロアから李公使に中国の経済問題や科学技術問題で質問す る人も出たが、李公使は流暢な日本語で率直な意見を述べて参加者に感銘を与えた。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

加藤紘一先生(日中友好協会会長)と懇談

                               
                 

 

元自民党幹事長で同党の重鎮である加藤紘一先生と2月28日、東京・六本木でお会いし、直近の様々な話題で意見交換した。

 加藤先生は先の衆院選で山形3区で14選を目指したが前坂田市長の阿部寿一氏に負けて落選した。この日、久しぶりの出会いだったが元気な様子であり、健啖ぶりは相変わらずで安心した。

 最近の加藤先生は、緊迫する日中関係の改善に貢献したいという意欲を持っている。それは、外務官僚時代から中国通として活動し、中国の要人にも太いパイプを持っているからだ。現在も日中友好協会会長として中国との関係改善に動いているという。

 そこで、100回開催記念イベントを行う21世紀構想研究会の特別講話として、来る4月19日午後7時から、プレスセンタービル9階の宴会場で、特別講話をしてもらうことにした。

 演題は「中国第6世代が考える日中未来志向」と決まった。第1世代・毛沢東、第2世代・鄧小平、第3世代・江沢民、第4世代・胡錦濤、第5世代・習近平と続き、次の中国共産党のリーダー候補が第6世代となる。

 いわば中堅幹部として活動する中国の第6世代は何を考え日中対応にどのように動こうとしているのか。日中戦争勃発寸前という緊迫した状況もあるだけに加藤先生の分析と解説を注目したい。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

第98回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

第98回・21世紀構想研究会は、2013年1月25日、プレスセンターで開催され、「大丈夫か日本の大学の産学連携活動」のタイトルで、株式会社東大TLO社長の山本貴史さんの講演と討論で盛り上がった。

 山本さんは、日本の大学TLOの必要性を1990年代から主張し、時代の先駆けを行った人である。それはアメリカの産学連携の最初のシステムを構築したニルス・ライマース氏に私淑し、そのイロハを教えてもらい、日本にその文化を導入した。

 産学連携など日本ではほとんど話題にならなかった時代に、次世代の風をかぎ取って活動を始めたという点で非常に価値ある活動であった。

 日本の産学連携は、まだ道遠しであり、軌道にのるのに、あと10年かかるだろう。山本さんは、東大への国からの莫大な資金投与と高度資質の人材とこれまでの研究インフラがあるから成功していると思いがちだが、そうではない。

 この日の講演でも、マーケティングを最重要課題に掲げ、営業努力があって初めて成功している企業活動であることが分かった。外国の企業が東大の発明成果 に素早く群がってくるという報告は、日本の企業文化、官僚文化がいかに世界の潮流に遅れているかという現実を報告していた。

 いま、日本で最も遅れている点は、決定までに至る道筋と時間である。官僚の世界でも企業でも大学でもあらゆる世界で即決即断ができない。それは日本の文化であり、それがいい時代もあった。しかし今は違う。競争の世界では後れを取ることが少なくない。

 産学連携の話を聞いていて、産業競争力と政治、行政の現状に思いが至った。日本はやはり国のカタチを変えなければならない。そのためには、若い世代のエネルギーを使って年寄りたちの知恵を現代の社会に生かさなければならない。

 産学連携の話は、実は日本の社会構造変革の課題の取り組みを語っていることに気が付いた。産学連携の成功事例が多数出てきたときに、日本は再び日のいずる国として世界の羨望を浴びるだろう。

 

 

 

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会 忘年パーティの開催

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の忘年パーティが12月10日、東京のプレスセンタービルで開催した。会員の合原亮一氏(株式会社ガリレオ社長)が長野県上田市で展開している有機野菜の実際を語る講演があり、収穫した野菜の即売会も行った。

 驚いたことに日本の野菜は、年を追うごとにビタミン類などの含有量が少なくなってきたという事実だ。有機野菜の必要性を知って本当にためになった。

 最後に一人一票実現のために、来るべき総選挙での最高裁裁判官の国民審査では、心を鬼にして現在の最高裁判事にバッテン(×)を付けることで司法にカツを入れ、立法府にも影響を及ぼして日本に真の民主主義国家を建設しようと盛り上がった。

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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構想研100回記念委員会の開催

                               
                 

 

1997年9月に創設された21世紀構想研究会は、来年4月ころに100回開催の記念日を迎える。その節目の開催を記念するイベントや研究会をどうするか。

 このほど100回記念委員会(合原亮一委員長)が設置され、その第1回委員会が11月21日、プレスセンタービルで開催され、シンポジウムなどの開催について意見を交換した。来年4月ころの日本全体の動きを今から想定するのは非常に難しい。

 間もなく衆院選挙が公示され投票が行われる。比較第1党は自民党が予想されるが、そうなれば安倍内閣の発足となる。2回目の首班指名となるが、右翼志向の強い内閣ができると中国との関係がさらに緊迫することになる。

 第1党になっても他の会派と組まなければ首班指名は難しだろう。そうなると組む相手の政策とのすり合わせで外交、経済問題がゆがんでくる可能性もある。 政府原案の予算案は年内には無理だとすれば、来年1月中に作成し、通常国会に急ぎ提案して年度内に成立させなければならない。

 こうしたスケジュールも考えると、21世紀構想研究会の100回記念開催時には、日本全体が緊迫した動きの真っただ中にあることも想定される。そのような状況も考えたテーマのシンポジウム実施となると、開催直前までテーマを決められない可能性もある。

 そのような意見を踏まえながら、いまは広くテーマを設定し、直前になって的を絞る方向でさらに検討することでこの日の委員会は終わった。21世紀構想研 究会の今後の活動方針、社会貢献、政策提言集団としての役割など再考する懸案があるので、この委員会は将来展望も踏まえた討論を重ねることになるだろう。

 

 

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

第96回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 

  インターモダル社社長の園山玲子さんが講演

第96回21世紀構想研究会は、10月30日に開催され、インターモダル株式会社代表取締役社長の園山玲子さん(本研究会会員)が「知られざる世界-航空貨物の現場 どうする日本」をテーマに語ってもらった。

  園山さんは航空コンサルタントとして格安航空を手がけるなど航空ビジネスのエキスパート。アジアで急成長する格安航空社の誘致を目指す地方関係者が頼りにする強い味方である。 長年の外資系企業勤務で培った人脈と行動力・交渉力で世界を奔走。中国の空港公団の重鎮が相手でも、一歩も引かずズバズバ物を言える。それでいて険悪な雰囲気にはならない。交渉の巧みさに大手商社マンも舌を巻くという。

 航空貨物の動向は産業構造と連関している 

 この日の講演では、航空貨物の状況が産業構造の変化と密接不可分にあることを示して参加者たちを驚かせた。例えば輸出入貨物の取扱量と金額の推移を見ると、日本の製造業が海外へ移転して国内産業が空洞化してきた現状が統計に表れている。いまの状況を端的に言えば、輸出する貨物が急激に少なくなってきたということだ。

 これまでの機械、部品、 化学製品などに代わって高級果物や生鮮食品などが新たに存在感を見せ始めている。このような物流は温度管理をして輸送することになるので、輸送手段も空港 の設備も運搬する方法もすべて温度管理に適したものでなければビジネスにはならない。航空輸送の構造改革が始まっている。

 国際的な物流、航空貨物現場の遅れなどをしてきた園山氏は「世界は物流からモノの価値が生まれる時代になっている。国際物流の出入り口である空港は、いつでも必要なときに離発着が可能でなければ新しいビジネスは獲得できない」という。

 韓国の仁川空港に後塵を拝する日本 

 

 たとえば成田空港は、午後11時から午前6時まで発着はできない。空港周辺住民の騒音規制からだが、このままにしておけば日本は産業競争力で大きなデメリットを持つことになるという。韓国の仁川空港は24時間の発着を許可しており、何よりも年間の1機当たりの着陸料が成田のほぼ3分の1程度になる。空港の上屋賃借料は成田5分の1強、ハンドリング料も成田のほぼ3分の1である。

 

 韓国は東アジアの航空貨物のハブ空港を目指し、国ぐるみで取り組んでいる。さらに航空貨物の設備と運用を売り物に、途上国などの貨物空港ターミナル建設の受注を目指して積極的に攻勢をかけており、仁川空港は航空貨物の中心に育てる戦略が着々と実現しているという。

 

 これはシステムのノウハウであり、知的財産権でもある。このようなビジネスは戦略がなければ成功しない。日本はこの面でも劣化してこないよう国家的な戦略がほしいのである。

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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第95回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第95回21世紀構想研究会(http://www.kosoken.org/)は、9月18日にプレスセンタービルで開催され、東京理科大学の坂口謙吾教授から「バイオ発電」について語ってもらった。

 バイオ発電とは、グルコース(ブドウ糖)を原料にする発電で、よく言われているバイオマス発電とは違う。坂口教授は、人類が地球上に登場して以来、どのようにエネルギー消費が変転したかを説明し、化石燃料を使い続けているといずれ人類は破たんすることを示した。

 そのあとでエネルギー革命を起こすにはバイオ発電しかないとして、その具体的な実現方法について学術的な根拠を示しながら提示した。日本にとってバイオ 発電は、十分な電力を安定的に生産でき、原料は海外に依存することなくクリーンで何よりも高い電気料金にならないということだ。

 ただ今の状況では政府も研究機関も及び腰で、この構想は賛成しても実現に取り組む姿勢が見えないという。それならば、世界の大金持ちに投資してもらい、実現の研究を広げる方法があるのではないか。そのような視点での討論だったが、非常に盛り上がった講演会だった。

 

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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荒井寿光氏の講演

                               
                 

 

 第94回21世紀構想研究会が7月9日(月)に開催され、多くの参加者で盛り上がった。

 今回の講師は元特許庁長官、内閣官房知財戦略推進事務局長、通産省通商産業審議官、21世紀構想研究会アドバイザーでもある荒井寿光氏(中小企業投資育成投資株式会社代表取締社長)である。

荒井寿光氏は、1996年に特許庁長官になると矢継ぎ早に知財改革に着手し、産官学の知財意識に変革を求め特に企業の知財戦略を変えることに成功した。そ の後、通産省通商産業審議官を経て民間に転進したが、小泉内閣の知財戦略本部の設置とともに内閣官房に設置された知財戦略推進事務局長として采配をふる い、知財推進計画を策定して多くの実績をのこした。

しかし小泉政権終了後、知財改革は停滞期に入り、くるくる変わる歴代内閣の知財政策も存在感が薄くなってしまった。
  その間、中国、韓国が知財改革を急進的に推進させ、両国の産業競争力の増強ともあいまって知財政策でも日本を凌駕し始めている。米欧も知財政策を着々と進めており、日本の停滞が際立ってきた。
 荒井氏は、直近の世界の知財動向を分析しながら日本の知財改革への道筋を提言し、知財再構築への提言なども行った。

 講演後の質疑応答では、多くの人が意見を陳述したり討論を行い、日本の知財の将来展望について今後の取り組みを語り合った。

 

 

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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第91回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

第91回・21世紀構想研究会が2月1日、東京日比谷のプレスセンターで開催され、研究会のアドバイザーでもある銭谷眞美・東京国立博物館長が「東京国立博物館ーその歴史と今年開催のハイライト」と題する講演をおこなった。

 トーハクの呼称で親しまれている東京国立博物館は、日本で最も古い歴史を持つ博物館であり、国宝だけで137点を所蔵しているという。明治5年(1872年)に創設されて以来、幾多の所管の移転と災害をくぐり抜けて今日のトーハクにつながっている。

 来年は創立140周年を迎えるという。その記念のイベントも盛りだくさん用意されている。今年は、現在開催されている「北京故宮博物院200選」に続いて、3月20日からボストン美術館が所蔵する日本美術のコレクションを披露する特別展が開催される。

 この日の講演ではトーハクの歴史とその活動内容など興味あふれる話が続き、参加者との質疑応答、意見交換も活発に行われた。日本の伝統的な美術は、世界の中でも異色なものであり、世界に発信する力を強くすることも必要だろう。

 デジタル、インターネット時代だからこそ、芸術活動や美術鑑賞の世界が価値観を持つ時代になったと受け止められる。そのような感慨を持ちながら銭谷館長の講演を聞いて楽しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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21世紀構想研究会の忘年パーティを開催

                               
                 

 21世紀構想研究会の忘年パーティが、12月7日、プレスセンターで開催され50人を超える参加者でにぎわった。

 この日のゲストスピーカーには、藤原歌劇団団員ソプラノ歌手の砂川涼子さんが来てくれた。21世紀構想研究会の会員である永野博・(財)日本オペラ振興会理事長が、自分とオペラとの関わりについて講演し、そのあとで砂川さんのトークと会場との質疑応答となった。

 

 この日の演題が「心おどるオペラの世界へようこそ」となっているので、砂川さんの歌唱を期待して出席した会員もいたようだが、会場のこの部屋では唄うことは禁止されているので、砂川さんと永野さんのトークだけとなった。

砂川涼子さんのプロフィール

http://www.gotoh-mf.jp/show/0074_16_opera_ryouko_sunakawa.php

 

 

 オペラの観劇というと敷居が高いようだが、意外と21世紀構想研究会の会員の皆さんも観劇している人がおり、興味もあるようだ。オペラの魅力について語る砂川さんのお話で、すっかりオペラファンになり、劇場に足を運ぶ人も出てきそうだ。

 

 

 

 トークショーのあとは、恒例のパーティとなり、異分野の人の飛び入り参加もあって楽しい懇談の場となった。21世紀構想研究会へ入会した井上リサさん、 福間智人さん、三和圭二郎さんの3人が挨拶を行い、21世紀構想研究会も新しい人々の輪が広がっていくことを期待したい。

 

 また、本研究会の最年少である33歳の小林憲人さんが挨拶に立ち、埼玉県ふじみ野市の市会議員として活動している様子を語って拍手を浴びていた。

 この忘年パーティで、21世紀構想研究会は90回を迎えており、2013年には100回を迎えることになる。今からその記念開催に向けて準備に入ることになる。

 

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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メタンハイドレート委員会の打ち合わせ会

                               
                 

 

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 21世紀構想研究会のメタンハイドレート実用化研究委員会(平朝彦委員長)の打ち合わせ会が、10月27日、東京・内幸町の海洋研究開発機構(JAMSTEC)東京事務所のセミナー室で開催され、平委員長を囲んで当面の研究動向について討議し、情報交換を行った。

 この日の打ち合わせ会ではまず、高知県の杉本昭寿氏から最近の研究動向が発表され、今後の展開について話し合った。東日本大震災がもたらした東電福島原発の事故を見るまでもなく、新エネルギーに対する開発と取り組みは非常に重要な課題になっている。

 その中でメタンハイドレート(MH)の実用化開発をどうするのか。国の開発戦略は、必ずしも挑戦的なものでなく、企業の開発参加も重要ではないか。国際 的な開発動向とMHの世界の埋蔵分布による戦略も俯瞰する必要があるだろう。そのような話題を話し合いながら委員会の開催に向けて今後の活動を模索した。

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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山下俊一教授が21世紀構想研究会で講演

                               
                 

 

「私たちは、発がん物質の海の中を泳いでいる」と語ったのは、杉村隆・国立がんセンター名誉総長である。ことほど左様に環境中には、発がん物質があふれており、がんへのリスクに日常的にさらされて私たちは生活している。

 海外へいくために長時間、フライトすれば宇宙からの放射線を浴びるし、健康検診でCTスキャンを受ければこれまた大量の放射線を浴びることになる。単に発がんリスクを語れば、タバコ、高塩分摂取、肥満、運動不足などいくらでもある。

 先の東電福島原発の事故で、福島県民はどのくらいの放射線リスクにさらされているのか。それを科学的に検証して説明し、いたずらに怖がるのではなく「正 しく怖がろう」と説明するのが福島県立医科大学副学長の山下俊一教授である。山下教授は長崎大学医学部で放射線医学の第一人者として国際的な活動をしてき た。

 この日の21世紀構想研究会の講演でも、広島・長崎の原爆被爆者の膨大な疫学データや、チェルノブイリ原発事故後の科学的なデータを示しながら、諄々と説明した。

 山下先生の解説では、「放射線を100ミリシーベルト以上浴びると発がんのリスクが上がるが、それ以下の低線量被爆者の健康被害の確定的なことは分かっていない」としている。ただ福島県民の人々で100ミリシーベルトを超える線量を受ける危険性はないという。

 山下先生が強調しているのは、政府の発信するデータへの信頼回復とメディアの正しい報道、さらに被ばく医療の専門家が住民に丁寧に説明することだとい う。一部の週刊誌や出版物で、科学的に未確定のことをあげて危険性を主張する論述がある。こうした報道がいたずらに国民に不安感を植え付けないようにする ことこそ大事なことである。

 山下先生の解説をバッシングする風潮も出ているようだが、自身の信念に責任を持って語ることの重要さをこの日の講演で受けたもっとも重要なことだった。

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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東北電力女川原発を見学

                               
                 

 

 東日本大震災で被災しながらも津波の被害を受けず、原発サイトにある体育館を避難住民に提供した東北電力・女川原子力発電所を8月25日、21世紀構想研究会の一行が見学訪問した。

 一行は女川原子力発電所の渡部孝男所長らの案内で所内を見学し、まず原子力発電の状況を見学した。いま同原発は定期検査と今回の震災後の点検で3機とも安定した冷温停止状態にあるが、そのメンテナンスの状況の説明を受けて、原発が稼働するメカについて勉強した。

 また、原子力技術訓練センターでは、想定された大地震発生の瞬間から緊急に対応する訓練を見せてもらった。中央制御室のモックアップの前での臨場感あふれるきびきびした書員の対応は、いかにも訓練を重ねてきたという感じが出ており、見ていて参考になった。

 
中央制御室のモックアップで訓練する所員

 今回の見学の説明で東電・福島原発との比較で分かり易かったのは次のような数値である。まず津波襲来の想定推移であるが、女川では、9.1メートルとしていたが、福島では5.7メートルだった。

 続いて原発サイトの敷地の高さだが、女川は13.8メートルに対し、福島は、10メートルだった。さらに津波の高さは、女川が13メートル福島も同程度 の高さを想定していた。しかし福島は、敷地の高さが10メートルであるから、最高の津波が来たらもろに超えてくるのは設計上でもわかっていたはずだ。

 女川の敷地を海岸の隣接状況を見て、その高さが津波からの決定的な防御になったことがよくわかった。

 また、女川町に隣接する石巻市の被害の状況を、東北電力石巻営業所の山形安生所長と引地宗範副所長の案内で見ることができた。まだ被災地は津波の爪痕が 残っている地域が多く、その惨状を目の当たりにしてびっくりした。引地副所長が被害直後から被災地をつぶさに見てきた話を聞きながら、津波の恐ろしさとそ の被害にあった人々の不幸を思って暗澹たる気持ちだった。

 

 

              津波被害の惨状が、まだいたるところに見られた。

 

 
 
 

被災者の鎮魂のモニュメントには、献花する人々が絶えないという。石巻の1日も早い復興を願わらずにはいられなかった。

 

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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21世紀構想研究会の法人会を開催

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の法人会の集まりが、7月25日、赤坂の「ふきぬけ」で開催され、これからの構想研究会の在り方などで意見交換をした。

 「ふきぬけ」は、本会理事で法人会員である染谷幸雄さんの企業、株式会社日本一が経営するうなぎのレストランで、有名な老舗である。この日は高知県の杉本昭寿さんと渡辺望稔さんらも加わって、楽しい懇談の席となった。

 21世紀構想研究会の研究会は、今年で90回を超えて、2年後には100回を迎える。継続は力なりであり、ここまで続いているのは法人会からの支援によ るところが大きい。大震災では、2回にわたって緊急報告・討論の会を開催したが、これからもタイムリーなテーマで研究会を開き、社会への喚起や政策提言で 存在感を出していきたい。

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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第88回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

第88回・21世紀構想研究会は、7月7日に日本記者クラブで開催され、「大震災の報告その3」として、 東北電力女川原発の報告と原発に関する課題について活発な討論が行われた。

 この日の講師は、東北電力東京支社の宮本保彦副支社長、大渕正和同副支社長で「東北地方太平洋沖地震による女川原子力発電所の状況について」と題して講 演を行った。女川原発の現場には、高さ13メートルの巨大な津波が押し寄せたが、運転中の3基の原発はいずれも自動停止し、冷温停止に至った。

 東電福島原発の惨状と比べると余りの違いにびっくりするが、その原因がよくわかった。女川原発は、海面から13.8メートルの敷地に建設されていたために、津波が押し寄せることはなく、海水をかぶって電源を失うこともなかったのである。

 それでも地震の揺れで重油タンクが倒壊して油が漏出したり、地下に埋設してあった潮位計の上蓋が押し上げられて海水が入り込んだりしたが、それほどの被 害もなく無事に収拾した。女川周辺では津波の被害をもろにかぶってすべてを失った住民も多く、被災者たちを原発敷地内に誘導して緊急の避難所として提供し たことも分かった。

 東電と女川の決定的違いは、原発サイトの建設敷地である。津波が来ても届かない敷地を選択した女川とそのような考えもなく防潮堤も低かった福島原発で は、天地の差が出てしまった。また東電は、災害が発生した後の処理はミスがあったとしか考えられない不手際が続き、取り返しのつかない事態へとつながって いった。

 この大災害は、たとえて言えば戦争に匹敵する国難である。指揮系統、判断力、決断力など人知の総力をあげて取り組んだ結果が今日の体たらくということ は、危機管理が全くできていなかったということにもなる。女川原発は対照的に非常にうまく危機を潜り抜けたことになり、3基の原発はすぐに冷温停止となり 以来、安定している。

 研究会の論議では、再生可能エネルギーによる発電などの推進策も出たが、GDP世界3位、家庭では何不自由なく使い放題の電力を使い、工業国として世界 有数の生産力を誇る日本のすべての電力をまかなうことを考えると風力、地熱、太陽光などのエネルギーでは到底間に合わない。

 もちろん、節電効果も考える余地はあるが、しかしこれは限度がある。それでは日本のエネルギーはどのようにして確保するのか。海底に眠るメタンハイドレードの利用を含め、再生可能エネルギーの推進策もあるが、もっとも重要なことは国民の意識改革だろう。

 ことはエネルギー問題だけではない。これからの日本をどのような国家として建設するのか。国民の価値観と生活様式、文化まで考える必要がある。エネル ギー問題は、単に経済的な問題ではなく国家と国民の意識と文化にまで広がってきている。そのようなことを意識させた研究会だった。

 

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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第87回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第87回・21世紀構想研究会は、5月31日に日本記者クラブで開催された。この日は2011年度の総会も開かれ、昨年度の活動報告と決算内容が満場一致で承認された。さらに2011年度の活動計画と予算案についても承認され、近く東京都に届け出ることになった。

 総会のあとは、「東日本大震災の報告会その2」をおこなった。この日の講師は、内閣府参与の広瀬研吉氏である。本会の会員でもあるが、広瀬氏は元原子力安全保安院院長として、いま首相官邸と原子力安全保安院、原子力安全委員会の連絡調整役という重要な任務を行っている。

 講演では、福島原発の事故について時系列に従って事故の概要を説明した。原子炉に制御棒が入って炉心の反応が停止したあとに津波の被害を受けて電源を失い、冷却システムの立て直しに至る過程を整理して示した。

 広瀬氏は、現在の立場と任務があるので個人的な見解は全くせず、すべて公表されてきた内容に基づいて整理したものを示したものだが、改めてこの事故の流れを知って問題の整理をすることができた。

 講演の後は質疑応答と見解の発表、意見交換などであったが、非常に活発な意見交換会だった。今後の日本の原子力防災と取り組みについても建設的な意見か ら原発撤退という厳しい意見まで一通り出されたが、まだ原発サイトの冷温システムは確立されていないだけに心配する声も多かった。

 筆者もいくつかの見解を述べたが、特に今回の大地震とよく似た平安時代の貞観地震の学術的な検証と行政対応についていくつかの疑問点をあげた。このテーマについては、これから多くの検証が行われるだろう。

 

 

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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第86回21世紀構想研究会は大震災の報告会

                               
                 

 

 第86回・21世紀構想研究会は、4月25日、プレスセンターで開催され、「東日本大震災の緊急報告会」を行った。

 報告者は、宮城県南三陸町で大震災に被災した佐藤門哉さん、災害発生後から日夜報道をしてきた読売新聞東京本社科学部の柴田文隆部長、野依英治科学部記者、伊藤崇科学部記者の4人である。

 津波の被害を受けて九死に一生を得て助かった宮城県南三陸町の佐藤門哉さんが、まず被災した当日の模様を語った。有線放送で流れてきた津波情報は、高さ 6メートルという警告であり佐藤さんはこれなら防波堤を超えてこないだろうと軽い気持ちで自宅裏の高台にのぼったという。

 その時のビデオ映像と写真をもとに報告した内容には、息をのむような場面が多数あった。逃げ遅れて津波に呑み込まれようとしている人々の姿には何とも言えない痛切の気持ちだった。

 取材記者として巨大地震のメカニズムを追い求め、津波の被害を見るために現地を取材した記者たちの仕事は、現場と読者の間に立ち、媒体としての役割を果たしている活動がよくわかった。

 福島原発のトラブルについては、柴田部長が報告したが、政府、東電側の説明と発表内容に幾多の矛盾が見られ、国民に対する報告義務に欠けているのではないかと思わせる原子力安全委員会の活動などについて言及した。

未曽有の災害に遭遇した菅政権は、ある意味で政権浮上の絶好のチャンスを得たにもかかわらず、国民の信頼を得られなかった。政権浮上を意識したときに 守りの意識に入り込んでいったのではないか。日本の最近の政治活動の貧困さを浮き彫りにするような出来事だったのではないか。

 いずれ今後の歴史の検証で明らかになっていくだろう。

 

 

 

 

 

 

                     
                               

第84回・21世紀構想研究会の開催

       
第84回21世紀構想研究会 

第84回21世紀構想研究会は2月22日(火)に、東京駅丸の内の創英特許法律事務所のセミナー室で開催され、約40人が参加して有意義な時間を過ごした。

今回の講師は、ベンチャー企業を立ち上げて東証1部上場まで育てあげた株式会社モリテックス創業者の森戸祐幸氏が、内紛に嫌気をさして創業した同社を惜しげもなく売却、再び起業家として身を投じました。

そして、その体験から得た日本の企業文化、日本の社会、日本人の精神文化を鋭利に分析して語ってもらいました。

講演後の質疑では、感銘を受けたというコメントが寄せられ、翌日になっても反響が続いている。

                                

ベンチャー企業で果敢に市場に打って出る森戸祐幸氏を訪問

                               
     

東証1部上場企業の株式会社モリテックの創業者として知られる ユーヴィック株式会社社長の森戸祐幸氏を訪問し、活動状況を取材した。

 森戸さんは、昭和39年、日本はまさに高度経済成長期に差し掛かったころ、東京理科大学理学部応用化学科を卒業して丸紅に就職。その後、自ら商社企業を興しやがて光ファイバー関係の製造業へと転進した。ベンチャー企業の走りである。

 創業したモリテックスは右肩上がりに業績を伸ばし、東証1部上場にまでのし上がった。しかしその後、経営方針で企業内部でトラブルが発生し、嫌気した森戸氏は創業会社を辞めて別天地へと転進した。それが光触媒関連のユーヴィック株式会社である。

 森戸さんは、60歳過ぎてからベンチャー企業を興しているので、これをシニアベン チャーと名付けているが、その飽くなき技術開発への挑戦は、その方針を聞いている方も胸が躍るような話である。2月22日には21世紀構想研究会で下記の ような講演をする予定であり、今から楽しみである。

第84回21世紀構想研究会 

 第84回21世紀構想研究会は2月22日(火)に開催いたします。

 今回の講師は、ベンチャー企業を立ち上げて東証1部上場まで育てあげた株式会社モリテックス創業者の森戸祐幸氏が、内紛に嫌気をさして創業した同社を惜しげもなく売却、再び起業家として身を投じました。

 そして、その体験から得た日本の企業文化、日本の社会、日本人の精神文化を鋭利に分析して語ってもらいます。 

 8421世紀構想研究会

日 時:2011222日(月)19:00

 場:創英国際特許法律事務所セミナールーム

演 題:「シニアベンチャー企業を立ち上げる」   

  ~あくなき挑戦 魅力ある人生を求めて~

 講 師:森戸祐幸氏(ユーヴィックス株式会社代表取締役社長、株式会社モリテックス創業者、元同社代表取締役会長)

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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メタンハイドレート実用化について高知県知事と会見

                               
                 

 メタンハイドレートの実用化で内閣官房の総合特区に申請している21世紀構想研究会の代表である筆者と平朝彦・メタンハイドレート実用化研究いい回委員長らメンバー及び高知県の黒岩県議らは、12月24日、高知県庁を訪問し、尾崎正直知事と会見した。

 まず、筆者から21世紀構想研究会の自己紹介をした後、平委員長からメタンハイドレートと高知県の関連について説明し、今後のメタンハイドレート実用化には県も全面的に協力体制を整えてほしいとの要請を行った。

 これに対し知事は、メタンハイドレートの実用化についての意義を理解し、これから高知県がどのようなメリットがあるかなどを検討し、このプロジェクトに 前向きに取り組むことを検討したいと表明した。県がどのような体制で参加してくれるかはまだ決まっていないが、知事と出席した県幹部の方々も好意的に受け 止めたように感じられた。

 これから地元産業界などにも働きかけ、東京の21世紀構想研究会のメンバーと一体となってこの実用化戦略を推進したい。

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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高知市でメタンハイドレート研究会を開催

                               
                 

 

 メタンハイドレート実用化研究会が12月23日、高知市のホテルで開催され、地元の産業界、行政、各種団体、市会・県会議員ら約40人が参加して、今後の産業化へのプログラムについて意見交換を行った。

 この研究会は、21世紀構想研究会が内閣官房が公募している総合特区制度に提案したメタンハイドレート実用化についてのプロジェクトの具体的な取り組みについて、地元高知県で初めて趣旨説明と今後の支援を依頼するために黒岩県議らが奔走して開催したものだ。

 まず、平朝彦・独立行政法人海洋研究開発機構理事が「海底資源研究開発と高知県の役割 -特にメタンハイドレート研究開発を例としてー」の講演を行った。これは総合特区に提出した申請書に描かれているプロジェクトの内容について理解を求めたものだ。

 ついで筆者が、21世紀構想研究会がこの提案に至った経過を説明し、高知県の皆さんと東京のグループが一体となって総合特区のプロジェクトに採用されるように頑張りたいとの決意を表明した。

 さらに21世紀構想研究会の渡邉望稔弁理士が、メタンハイドレートを海底から汲み出す技術で特許出願をしている杉本昭寿氏の技術内容と今後の展望について説明し、地元の方々の賛同と一体化となって活動することを訴えた。

 出席者の多くは、このプロジェクトの趣旨や内容については初めて触れる人が多かったようだが、この研究会後に開催された懇親会の席上でも、大半の参加者がプロジェクトに賛同しており、今後の取り組みに積極的に参加する意志を表明した。

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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第84回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第84回・21世紀構想研究会が12月21日、プレスセンターで開催され、忘年会もかねた楽しい宴で今年の活動に区切りをつけた。

 この日は、21世紀構想研究会のメンバーだけでビジネスを立ち上げているVOXMOL方式の発表会を行った。この方式は、21世紀構想研究会のメンバーである関口博司さんが発明者した技術であり、それを長谷川芳樹弁理士が特許権利化した。

 その技術開発の話を聞いた筆者が、メンバーの株式会社ガリレオ社長の合原亮一氏に実用化戦略で検討を依頼し、ガリレオが実用化の開発を手がけて、市場へ出すまでになった。つまり、21世紀構想研究会の4人がそれぞれの立場で力を発揮して、市場に殴り込みをかけているものだ。

 開発したのは、英語、中国語など外国語のリスニング学習をする場合に音声再生プレ イヤーに応用する技術である。リスニング学習をしているとき、「再生されたところをもう一度聴き直したい」と思ったときに、適切な位置に戻す技術である。 ガリレオでは「spirivio」として市場に出した。

 関口さんが以前に開発したリンガマスター方式をさらに進化させ、人間の発声と呼吸 との間合いをうまく取り込んだ方式になっている。教材はインターネットにある音声ファイルである。たとえば教材となる英語の音声ファイルをサーバで区切っ て位置データを作成し、その区切り位置をもとに元の音声を再生する。 サーバで提供される音声ファイルの区切り位置データは日々追加することも可能だ。

 最初は無償で提供し、後で有償にしていくというビジネスメソッドであるが、この方法がビジネスとしてうまく軌道に乗るかどうか。関口氏のリベンジ開発であり、ガリレオの新規市場開拓として成功するように支援したい。

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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メタンハイドレート実用化研究委員会の開催

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の第2回メタンハイドレート実用化研究委員会(平朝彦委員長)が、12月6日、東京・内幸町の海洋研究開発機構(JAMSTEC)東京事務所のセミナー室で開催され、約20人が参加して活発な討論を展開した。

 この日の委員会ではまず、平委員長が「海底資源探査の現状と将来」と題する基本的な情報レクチャーを行い、続いて鈴木朝夫氏(高知市在住、東工大、高知工大名誉教授)が、杉本昭寿氏の発明したメタンハイドレート採取工法について説明を行った。

 この技術は、海底数百メートルから1000メートルにあるメタンハイドレートを採取する際に、海底の現場でエネルギー源を作り、そのエネルギーを利用し てガス化して海上へと汲み上げる方法である。特許出願もしており、この技術をメタンハイドレート採取の標準化までできないかとする夢を持っている。

 続いてメタンハイドレート開発について東大工学研究科の増田昌敬・准教授がカナダで実施された日加共同プロジェクトの成果を紹介した。これは永久凍土下 の地層中にあるメタンハイドレートを減圧方式と言う技法によって分解してガスを汲み上げるもので、実用化になるだけの生産もできた。しかしメタンハイド レートの分解に伴って地層中の砂が産出するという現象も確認され、これをどう処理するかという新たな課題も出てきている。

 このような課題解決には、技術開発で相当の時間がかかりそうだ。天然ガスのコストより下回り、安定して供給できるようになるためには、まだいくつもの難問を突破する必要があるだろう。

 杉本氏の発明した特許技術がどのように実証されて実用に利用できるようになるか。その期待も大きいが、まだ実証もできていない技術だけに未知数である。 しかしこうした技術の実証実験を通して高知県の地域振興に活用したい意気込みもあり、東京グループと連携しながらエネルギー改革への波紋を起こしていきた い。

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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第83回21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第83回21世紀構想研究会が11月22日、プレスセンターで開催され、約40人の参加者が活発な論議を展開した。

 この日の研究会では、まず林幸秀氏(元文部科学省文部科学審議官)が、日本に横たわる科学技術をめぐる課題を洗いざらい整理して提示した。これは先ごろ 刊行した「理科系冷遇社会」(中公新書ラクレ)で提示した課題をまとめたものであり、科学技術創造立国を国是としている日本は果たして、そのような国創り になっているかどうか疑問視するデータを多く示した。

 この基調講演のあと、会場との質疑・討論に入ったが、安西祐一郎・慶応義塾大学理工学部教授は「日本はあらゆる階層の人々が、本気になって科学技術創造立国に取り組んでいない」とする主旨の発言をしたが、その通りであると筆者は感じた。

 時の政権は、都合のいいときだけ科学技術を標榜するが、日ごろから政策の課題としてはほとんど視野に入れていない。法学部卒が主体の財務省官僚は並べて 科学オンチであり、科学技術を語るときは予算緊縮など数字的な裁量をするときだけのようである。これは多くの技術官僚の感想である。

 政治家もまた、ほとんどが科学オンチであり、2代続いた理系総理大臣には、科学技術創造立国を前面に出すような言動は何もなく、科学技術に関する国家的な戦略は自民党政権から続いて依然として不明である。

 日本から科学技術を取り除いたら、何が残るのか。借金だけではないか。デジタル産業革命によって世界は時間差がなくなり距離感もなくなった。その時代の変革に迅速に対応する国家戦略の中では、科学技術が最も重要なテーマである。

 この日の討論でもその課題に集約する発言が相次いだ。

 

               
                               
               
             
                           
                   
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メタンハイドレート実用化戦略のミーティング

                               
                 

 

 内閣官房が公募している総合特区制度への提案に、21世紀構想研究会からメタンハイドレート実用化戦略について提出した。政策提言であり、採用されればメタンハイドレート実用化への大きな刺激になると期待される。

 11月15日、このプロジェクトの中心になりリーダーになっている平朝彦先生の事務所に集まり、メタンハイドレートを海底から回収する技術を発明して特許出願している杉本昭寿氏からその特許技術について解説を受けた。

 民主党政権の新成長戦略「元気な日本復活のシナリオ」として総合特区制度が創設されるが、「メタンハイドレート実用化に向けた戦略」が採用されれば、日本をエネルギー大国へと転換させることも夢ではなくなる。

 今回応募した内容をさらに討議して熟度を高める必要があり、12月6日には21世紀構想研究会で第2回のメタンハイドレート実用化研究委員会を開催する。

               
                               
               
             
                           
                   
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第82回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第82回の21世紀構想研究会は、9月17日、東京内幸町のプレスセンタービルで開催され、60人というかつてない参加者が熱心に聴講した。

 この日の講師は、平朝彦先生(独立行政法人海洋研究開発機構理事)で、 演題は「ちきゅう」号による新しい地球像の探求 ~ メタンハイドレート 熱水鉱床 地下生命圏 ~」
   
 海世界トップの性能を誇る地球深部探査船「ちきゅう」が探査する巨大地震発生のしくみ、地球規模の環境変動、生命の起源と海底に広がる新しい生命観、新しい海底資源などについて最新の情報を解説した。

 暗黒の海底は、想像を絶する生命体やエネルギー源であふれているようであり、特にメタンハイドレートの広がりには、大変、興味を持った。
 メタンハイドレートとは、簡単に言うと海底1000メートル付近にたまっているシャーベット状になっているメタンである。海底1000メートルは100気圧になるので、メタンガスにならないでシャーベットになっている。

 これを地上にくみ上げると約160倍の容積のメタンガスになり、これを燃料に使ったり、化学製品の原料にする。埋蔵量は、高知県沖合いなど日本列島のすぐ近くに眠っているメタンハイドレートだけで、日本の天然ガス消費量のほぼ100年分とされている。

 これを実用化しようという「メタンハイドレート実用化委員会」が21世紀構想研究会に設置され、委員長に平先生が就任した。また、内閣官房で公募している地域活性化プロジェクトに応募することも決まっている。

 このプロジェクトには、21世紀構想研究会会員である、高知県の杉本昭寿氏の発明した特許技術を活用しようとするものだ。その杉本氏の発明を特許 化している渡辺望稔弁理士も会員である。こうした人的ネットワークをフルに動員して、高知県の地域活性化だけでなく、日本をエネルギー大国にしようと言う 野望である。

 メタンハイドレートの実用化は、世界の誰かがやるエネルギー革命である。日本が世界の先導役にならなければ意味がない。なぜなら日本近海に眠っているメタンハイドレートを利用しないてはないからだ。

 大きなプロジェクトのスタートで、21世紀構想研究会の会員の中にも活気がみなぎってきた。是非、形あるものにしたい。

               
                               
               
             
                           
                   
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メタンハイドレート実用へ取り組む4人が来訪

                               
                 


 写真は左から黒岩直良高知県議会議員、渡辺望稔弁理士(元日本弁理士会副会長)、鈴木朝夫東工大名誉教授(高知工科大名誉教授)、杉本昭寿株式会社みかづき代表取締役。

 日本を世界有数のエネルギー大国にしようと考えている4人の活動家が、8月27日に馬場研究室に訪ねてきた。21世紀構想研究会で新たな委員会を設置することも決まっており、近く内閣官房が公募している国際戦略総合特区への応募を予定している。

 来訪したのは、写真で見るように黒岩直良・高知県議会議員、渡辺望稔弁理士(元日本弁理士会副会長)、鈴木朝夫・東工大名誉教授(高知工科大名誉教授)、杉本昭寿・株式会社みかづき代表取締役の4人。

 4人の方々は、メタンハイドレートを実用化するために並々ならぬ情熱を持っており、この日は21世紀構想研究会で政策提言テーマにしてほしいとの熱い思いを語るための来訪だった。

 日本近海には、膨大な量のメタンハイドレートが眠っている。 
 メタンハイドレートとは、簡単に言うと海底1000メートル付近にたまっているシャーベット状になっているメタンである。海底1000メートルは100気圧になるので、メタンガスにならないでシャーベットになっている。

 これを地上にくみ上げると約160倍の容積のメタンガスになる。これを燃料に使ったり、化学製品の原料にするが、メタンは非常に使い勝手のいい化学原料とされており、実用化への期待が大きい。

 埋蔵量は、高知県沖合いなど日本列島のすぐ近くに眠っているメタンハイドレートだけで、日本の天然ガス消費量のほぼ100年分とされている。これを実用化に成功すれば、日本は世界有数のエネルギー資源国になる。

 すでにカナダでは海底から汲み上げて実用化に着手しているが、汲み上げたときに海底の砂も一緒に地上へ汲み出すので、新たな環境問題が出てきている。
 そのような課題を解決する技術を考えたのが、発明家でもある杉本昭寿氏である。すでに2件の特許を出願しているが、そのほかにも多くのアイデアを練っているようだ。

 杉本氏は独創的な水の浄化装置を発明し、代々木のオリンピックプールなどにも採用されている。そのほかにも様々な特許技術を編み出している発明家であり、その特許出願、取得で支えているのが渡辺望稔弁理士である。

 このお二人は、21世紀構想研究会の会員でもある。さらに鈴木朝夫先生もメタンハイドレート実用化推進の共鳴者であり、地元の有力者である黒岩直良高知県議も加わってプロジェクトチームを結成している。

 21世紀構想研究会では、エネルギー安全委員会を衣替えして、メタンハイドレート実用化研究委員会とし、委員長には平朝彦先生(独立行政法人海洋研究開発機構理事)に就任することになっており、近く政府に対する政策提言へ向けて活動を開始したい意向である。

               
                               
               
             
                           
                   
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創英国際特許法律事務所の移転

                               
                 




 新事務所の入り口で長谷川所長(左)と光野文子所長補佐が出迎えてくれた。

 特定非営利活動法人21世紀構想研究会の理事をしている長谷川芳樹所長の創英国際特許法律事務所が東京・銀座から丸の内に移転した。
 旧明治生命ビルに隣接した近代的なビルの9階に移転したものだが、早速表敬訪問すると、ロビーは移転お祝いの花に埋もれていた。

 オフィスの窓からは、皇居を眺望できる素晴らしいビューポイントがあり、職場の人たちも生き生きした様子で働いている。周辺は丸の内のビル街であり、近代的な垢抜けした雰囲気が漂っていた。

 創英国際特許法律事務所の移転先は下記の通りです。

〒100-0005 
東京都千代田区丸の内二丁目1番1号 
丸の内 MY PLAZA(明治安田生命ビル) 9階
TEL 03-6738-8001 (代) FAX 03-6738-8004 (代) 

 

               
                               
               
             
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日々これ新たなりー旧バージョン

 

日々これ新たなり(18)「ノーベル物理学賞と特許ロイヤリティについて 」

 ノーベル物理学賞と特許ロイヤリティについて

自然科学19人の受賞者の業績はどこであげたものか 今年のノーベル賞発表は、青色発光ダイオードの製造技術を開発した赤﨑 勇、天野浩、中村修二博士の3人が受賞して日本中が沸き返った。やはりノーベル賞は別物である。

これは日本だけでなく欧米の先進国でも同じであり別格 の顕彰なのである。 自然科学の3分野の日本人のノーベル賞受賞者は表のように19人となった。このうち2008年に物理学賞を受賞した南部 陽一郎博士と今回受賞した中村修二博士は、いずれもアメリカ国籍であるが日本人としてカウントした。

というのは、2人とも日本で生まれ、教育を受 け、受賞対象となった業績はいずれも日本国内であげたものだ。後年、アメリカ国籍を取得したのが、中村博士はアメリカの研究助成金をもらうためにアメリカ 国籍を取得したとしている。

ノーベル賞受賞業績をあげた主たる地域を調べてみると表のように圧倒的に国内であげた業績が多い。外国で あげた業績は、いずれも外国の研究者の指導によって示唆を受け開花したものである。

このようにして見ると、日本の研究基盤も決して外国に劣っている訳ではないことが分かる。これからも日本からノーベル賞受賞者が次々と出てくる可能 性が高い。

ノーベル賞と特許

世界中で誰も気が付かなかった発見、発明をしなければ取得できないのが特許で ある。ノーベル賞もまったく同じである。誰も成し遂げることができなかった業績を上げ、人類に貢献した人だけに授与される。 ノーベル生理 学・医学賞の審査機関の事務局長が来日して講演したとき、ノーベル賞受賞候補者のスクリーニングに特許の出願実績を見ていると語っている。

世界で最初 に発明した人だけに付与される特許権は、ノーベル賞授与の条件に合致していることになるから当然である。 受賞者した3人(NHKの報道から) 赤﨑勇博士が開発した青色LEDは、名古屋大学に14億円を超える特許収入をもたらしている。

赤﨑博士は、名古屋大学の助手などをへて、昭和56年か ら平成4年まで名古屋大学工学部の教授を務めた。 赤﨑博士の最初の特許は1985年だった。それからこれまでに青色LEDの基盤となる特 許6件を取得しているという。主な特許は2007年までに切れたてしまったが、こうした特許は、いずれも赤﨑博士と豊田合成の共同研究で生み出されたもの だった。

経過をたどってみると次のようになる。 1986年、JSTが名古屋大学の赤﨑教授の研究開発成果を豊田合成で実用化するた めに研究開発費の提供を申し出た。赤﨑博士は最初、時期尚早として渋ったが後で同意することになる。

JSTから豊田合成には、3.5年間で 5億5000万円の融資型助成金を提供した。そのときの条件は、研究開発期間の3.5年間はJSTより研究開発資金を提供し、研究開発が終了してJSTよ り開発 が成功と認定された後の5年間で、JST提供資金を無利子で返済することだった。

ただし、助成金による研究開発成果が売上高に貢献した場合は、売 上に応じてJSTにロイヤリティを支払う条件になっていた。 結果的に豊田合成は、この助成金で青色LEDを開発して売り出し、売上高を延ば していく。この売上高に応じて豊田合成は、1997年から2005年まで総額46億円(2013年までは総額56億円)のロイヤリティをJSTに支払った。

同社の LED売り上げは、2005年までに1480億円と推定されている。 JSTに支払われた56億円の行方 JSTに支払われた 特許ロイヤリティの56億円のうち、14億3000万円を当時の契約によって名古屋大学(当時、国立大学)へ還元した。その残りは国庫へと還元された。

名古屋大 学は、入金されたロイヤリティの一部を当時の国立大学の規定に従って、発明補償金として赤﨑教授に還元した。    ただし 上限は、当時年間600万円だった。これは当時の国家公務員の制度がそうなっていたからだ。

特許庁では上限600万円は少なすぎるとして、後に上限なしに 制度に改正している。(http://www.jpo.go.jp/torikumi/hiroba/1402-003.htm)

赤﨑教授は、この制度改正によって、当初は年間600万円以上の報酬を得た。その後はこれをはるかに超えるロイヤリティを受けていたと思 われるが、その総額がどのくらいかは公表されていないので推測でしかない。

多分、少なくとも1億円を越えるのではないかという。赤﨑博士の貢献から見ると 少なすぎる気もする。

一方、名古屋大学は赤﨑博士の業績を称えて、特許収入を基金にして平成18年に「赤﨑記念研究館」を建設し、青色 発光ダイオードなどの研究者の拠点となっている。 国内の産学連携活動で、特許ロイヤリティとしてこれだけの額が支払われたことは例がない。ただし、外国との産学連携では、北里研究所名誉理事長である大村智博士が、アメリカのメルク社から総額250億円のロイヤリティを取得している。

産学連携の特許ロイヤリティとしては、世界的に見て も破格の還元である。 次回は、中村修二博士の特許係争とロイヤリティについて検証してみる。

                                

日々これ新たなり(17)「ノーベル賞受賞で無念を晴らした中村修二教授」

 ノーベル賞受賞で無念を晴らした中村修二教授

 今回のノーベル物理学賞でまず感じたことは、産業界に近い業績でもノーベル賞に手が届くことを改めて示したことであり、日本の科学界と産業史にとって画期的な結果となった。(写真はいずれもNHKテレビから) 

 2014年のノーベル物理学賞は、青色発光ダイオード(LED)を開発した名城大学の赤崎勇教授(85)と名古屋大学の天野浩教授(54)、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授(60)の3人が受賞したのである。

  
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  2008年に「素粒子物理学と核物理学における自発的対称性の破れの発見」に対して3人の日本人が受賞しているが、シカゴ大学名誉教授の南部陽一郎博士はアメリカに帰化しているので、日本人とはカウントできなかった。中村教授がアメリカに帰化しているとすると今回も同じである。

   ノーベル賞は基礎研究の原理原則、真理の発見や究明をした人に与えられるとされてきた。産業技術を改良してもノーベル賞には届かないという印象を持ってい た。しかし今回の受賞者の中村教授は、もともと日亜化学工業の研究者であり、同社で開発した青色発光ダイオード製造の画期的な技術が認められて受賞したも のである。

 そ の中村教授は、「日本の司法は腐っている」と捨てぜりふを吐いてアメリカに去っていったことを思い出すが、今回の受賞によってこの無念を晴らしたのではな いか。中村教授が日亜を辞めて研究者に転進する意向を明らかにしたとき、アメリカのトップクラスの約10大学が招聘に動いたが、日本の大学や研究機関から の誘いはほとんどなかった。

 評価できなかったのは、企業や司法だけでなく日本の大学も研究機関も同じだった。

 ノーベル財団の受賞理由を読むと、まさに画期的な発明であると最大限の賛辞で評価している。日本の産業界、裁判所、大学はこのノーベル財団の評価をどのように受け止めるのか。喜ぶのか批判するのか。それを聴きたい。 

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青色発光ダイオードの職務発明裁判を改めて総括する

 青色発光ダイオード(LED)の職務発明の対価をめぐる中村教授と日亜化学工業の裁判の一審判決(三村量一裁判長)は、中村教授の発明の対価は604億円と認定したが、博士の請求額が200億円だったことから満額の200億円の支払いを日亜側に命じた画期的な判決だった。

  ところが二審東京高裁(佐藤久夫裁判長)は、本件控訴審の争点になっている「404号特許」以外のすべての中村教授関連の特許や実用新案など195件を一括したうえで、一連の「一括発明」による日亜側の利益を120億円と認定した。そのうち中村教授の貢献度は6億円(5%に相当)とはじき出し、遅延損害金を含めて8億4000万円を日亜側が支払うこととする和解を「強要」して決着した。

 東京高裁は和解勧告の中で、判決を出してもこれ以上の金額が示されることはなく、最高裁へ上告しても算定基準などを判断することはないので、中村教授が法廷で闘える機会は事実上失われていることを示唆したとされている。高裁は強い「訴訟指揮」で日亜と中村教授に和解でこの裁判を決意させたものと受け止められており、それは判決を避けたという見方が当たっている。

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  一審判決では、中村教授が青色LEDの研究開発に取り組んだいわば「創業者貢献」を認めたものであり、判決文全体にその考えがにじみ出ていた。高裁の判断では、争点になっている404号特許だけでなく、中村教授に関連する特許・実用新案などすべての知的財産権を一括して対価の対象にしたものであり、一審とは違った土俵での和解条項にした。

  高裁はその理由を「(中村教授関連の)すべての職務発明の特許の権利について和解し、全面的な解決を図ることが極めて重要」(要旨)と述べている。しかしこれは、裁判所がやるべきことから逸脱している。日本の特許裁判は、真理の究明による判断ではなく、文言・レトリック勝負であり、法学部出身の法律家はこれを「技術で裁くのではなく法理で裁く」と語っている。実体は技術オンチの裁判官が裁くものであり、これでは真理の究明からは程遠い結果になってしまう。

   中村教授が発明した青色LED訴訟をめぐる一審判決と二審和解の結果を見ると、日本の裁判所の限界を示していることをノーベル賞によって明確に示したことになる。企業は自社の研究社員に対し「ノーベル賞をもらうほどの技術発明をせよ」とはっぱをかけているが、価値ある発明をしても企業も社会も大学も正当な評価ができなければ、研究者は外国へ逃げていくことになるだろう。

  今回のノーベル賞は、発明の正当な対価を改めて考えさせた日本にとって歴史的な出来事だった。 

 日々これ新たなり(16)「赤木順彦さんを偲ぶ会」

 赤木さんが亡くなってから早くも丸6年になる。その七回忌が9月27日、長野県上田市で行われた。初めて墓参をしたが、西側を向いた立派な墓石の下にあの赤木さんが眠っている現場を見て、こみ上げるものがあった。

 赤木さんが亡くなったときに霊前に捧げた追悼文をここに掲載して、偲ぶことにした。

  駆け抜けた時代の寵児赤木順彦さんのこと

 千葉県房総半島の東京湾沿いを走る内房線・五井駅の改札口に立っている体格のいい男、それが初めて出会った赤木順彦さんであった。コンピュータにしがみついている線の細い男を想像していた私は、その第一印象に意外感を持った。

  1995年の夏、暑い日盛りの午前、私たちは初めて言葉を交わした。その当時、まだほとんどの人が使っていなかったパソコンメールとポケットベル表示以外 は連絡を受けない、電話はお断りという赤木さんの要望を人づてに聞いていたので、慣れないメールとポケベルを駆使してようやく連絡を取り合い、約束の時間 に五井駅に降り立った。

  本当にその人は来るのだろうか。不安を抱きながら改札口を通過した私に、人懐こい笑顔で赤木さんは声をかけてきた。自宅兼事務所に案内されると、そこには 見たこともない機器類が足の踏み場もないほど散らかっていた。30歳になっていた赤木さんは、青年のように弾んだ言葉で押し寄せるインターネット社会の到 来を語ってやむことがなかった。

  全米科学財団(NSF)傘下の学術研究用だったネットワークが一般に開放され、マックに対抗するOSの「ウインドウズ95」がアメリカで発売され、日本で も間もなく販売される予定になっていた。インターネットという言葉は、日本ではまだ市民権を得たわけではなかったが、その後爆発的に広がるであろうネット ワーク社会の予兆として、誰言うともなく肌で感じさせる時代の風が吹き始めていた。

  その時代の風を満身に受けて、赤木さんはトップを切って走っていた。事務所で一番目を引いたのは、コンピュータの画面の上にセットされていた大きな目玉の ようなものであり、それは何ですかと聞けばカメラだという。そのカメラで自分の顔を写して相手に送り、相手の顔もまた画面に写してコンピュータ通信をする という。「ええ! そんなことができるんですか?」「最近は飽きちゃって、もう、やってないです」

  異星人に出会ったような気分で赤木さんの話に引き込まれていった。そのときの取材の一端は、1995年10月2日付け読売新聞社説の冒頭で紹介する。その 社説を書くために開かれた論説委員会で私が説明を始めると、並みいる委員たちは理解できない顔つきで聞いていた。一人が「その赤木さんとかいう人は、信用 できる人なんですか?」と言って皆を笑わせて会議はお開きとなった。

  赤木さんと私は、そのころマック族であったが、何も知らない私はなにもかもすべて赤木さんに聞いた。おびただしいメールを交換し、分からないことは隅から 隅まですべて赤木さんに聞いた。どのような難問にも愚問にも彼は即座に回答して私の疑問を解決してくれた。私が人より先んじてコンピュータのあれこれがで きたのはすべて赤木さんのお陰であった。

  あるとき、それは1996年の春ごろである。コンピュータで作成した多数の原稿類をバックアップする方法を例によって赤木さんに相談した。すると東京・門 前仲町の拙宅まで車を飛ばしてきて、見るからに高価そうな装置を使って円盤のメディアに記録してくれた。それは今で言うCDRであり、私は茫然としてその 操作を眺めていた。誰よりも先んじてコンピュータツールを導入して使いこなし、誰よりもマシンを愛した男であり、そして常にコンピュータ・ネットワーク社 会の先端を走っていった男であった。

  その赤木さんが、突然、姿を消した。何の予告もなく風のように逝ってしまった。短すぎる彼の生涯を一言であらわせば、それは「時代の光芒」であった。IT 産業革命が勃発した20世紀の最後の時代に現れ、その才能を思うままに駆使して時代の寵児となり、さまざまな足跡を残して逝ってしまった。

  自信に満ちて語ってくれた若き日の赤木さんの声と姿は、私の脳裡に焼き付いて消えることはない。恐ろしい速さで技術革新が進み、秒進分歩と言われる時代の 変転の中で、赤木さんは躍動しエネルギーを発散しそして燃焼した。時代の移り変わりをいち早く知らなければならない宿命を負っているジャーナリストの私 に、世間でまだ知られていなかったユビキタスという言葉とその意味を最初に教えてくれたのは赤木さんであった。

 メールと宅急便を連動させた新しい宅配方法を発明し、特許を取得したのも赤木さんであった。その豊かな才能を惜しげもなく捨て、彼はさよならも言わずに去っていった。

  しかし「時代の光芒」は、輝きを失うことなく私の胸の内で輝き続けるだろう。マックマシンを語り、その操作方法を伝授し、嘆き、笑い、共鳴し、ともに語っ た時間こそ、まぎれもなく私たちが共有したかけがえのない青春時代であった。もし彼とまた遭遇することがあったとしても、また同じ話題を語り、笑い、嘆き そして際限なく語り明かすだろう。

 赤木さんとの別れは痛恨の極みであり、できることなら今一度でいいから会いたかった。会って往時の熱気を思い出させ、新たなエネルギーを復活させてやりたかった。今一度この世に引き戻し、マシンと格闘する機会を彼に与えたかった。

 さよなら赤木さん。短かったけれども濃密だった珠玉の時間を感謝し、茫々とけむる追憶の中で彼の姿を探し求め、果てしなく魅了してやまなかった二人の共有した時間をいつまでも繰り返し思い起こすことだろう。 

                                

日々これ新たなり(15)「難局を打開して中日交流を推進しよう」程永華中国大使の講演                    

「東京都・北京市友好都市提携35周年と今後の中日関係」をタイトルに中国の程永華大使が、9月4日18時30分から、東京市谷のJST本部で講演した。 

 大使は吉林省長春市出身であり、学生時代を含めると21年間日本に滞在しており、東京の日本大使館への勤務は通算で17年間に及ぶ知日家である。流暢な日本語で心に響く中日感を語って感銘を与えた。

  大使は、冷え込んでいる日中の現状認識について3点に絞って話を進めた。

 まず第1点は、二千年に及ぶ日中間の歴史の深さを大事にするべきだと語った。歴史には多くのエピソードが残っており、中日双方の言葉はもちろん、文化、宗教、建築、服装からお茶やインゲン豆まで多くの共通の価値観や歴史やエピソードを残した。 

漢字はもちろん書道、水墨画は中国と日本人しかその価値が分からない。両国関係の交流の歴史を大事にしなければならないと主張した。

 

第2点は互いの関係は、重要な関係であることを改めて認識する必要があると説いた。中国国民も日本国民もお互いの国の70パーセントが重要だと認めている調査結果もあるという。

国交正常化後に貿易は年々盛んになり、いまはお互いに欠かせない貿易相手国になっている。 

 

 このような交流になったのは先人の努力があったからであり、その努力を忘れてはならない。中国には水を飲むときにその井戸を掘った人を忘れないという言い伝えがあるが、まさにそのことをしっかりと認識しなければならない。

  そして現状の中日間には、領土問題、歴史認識などの難題があるがこれを超えていく必要がある。日本側にとっては、過去の日本の侵略戦争の責任を明確にし、そしていまその侵略戦争と一線を画するということが必要だ。A級戦犯が祀ってある靖国神社の参拝は戦争責任をあいまいにするものではないか。 

 中国は日本にとってどういう国か、中国にとって日本はどんな国かを客観的に見なければならない。最近の日本のメディアは、中国にことさら泥を塗って悪く言っているように思う。 

 中国脅威論をことさら大きく取り上げて、日本の安全保障政策に利用しているのではないかとも見られる。日本は、戦後の平和主義の国であることを続けるのかどうかを示す必要がある。 

そして3点目として、このような難題を乗り越えて交流を引き続き進めて行くことは中日双方に大きな利益をもたらすものだ。両国はこれからの平和的発展を維持する能力を持っている。日本の経済にとっても中国との友好関係はチャンスを作ることになる。

 

中国との友好は、「日本の経済と科学技術の発展をすることにつながるし、理解と信頼を深める必要がある」と語り、最後にこの日聴講に来た人とともに「中日の友好と発展を祈ります」と結んだ。

 

程大使は中国政府の主張する対日要求をきちんと踏まえて語ったものだが、その語り口は冷静でむしろ説得力を感じた。

 中国語には「推心置腹」という言葉がある。「誠意をもって人と接する」という意味だろうか。日本語で語る大使には、そのような雰囲気を感じた。 

 質疑応答のときに筆者も質問した。最初に「科学技術と青少年」という2つをキーワードをあげ、「日中で若者の交流が非常に需要だ。さくらサイエンスプランで中国の高校生らを招聘し、多くの感銘を与えたが、日本が招へいするだけでなく日本の高校生が中国の大学を訪問したり、科学技術研究現場を見学する交流があってもいい」とし、大使の意見を聞いた。 

 程大使は、「感受性の強い若い世代が交流することは大事だ。双方向で交流することも大事であり、今後も積極的にお互いが訪問する交流に拡大していきたい」と語った。  

                               

日々これ新たなり(14)「安倍政権とは何者なのか?」

  国民の生活基盤と将来を描かない安倍政権

 先の衆参選挙は違憲状態という最高裁判決を無視して何もやらず、憲法解釈の変更や靖国神社参拝などに心血を注ぎ「戦後レジームからの脱却」などという文言を掲げて、自分だけが酔っているような政策を進める安倍政権とは、一体、何者なのか。

 時代が変わったから戦後レジームから脱却するという言い方は、太平洋戦争の廃墟から働き詰めで這い上がってきた日本の政治・経済・社会の過去の歴史をま るで否定するような軽薄な表現である。時代が変わったから政治も変えるなどというのは、安倍晋三さんに言われなくても誰もが分かっていることである。 日本のために、いま政治は何をやるかが重要なのである。

 少子高齢化、人口減少への対応策、多くの成熟した産業をどう転換するべきか。もっと卑近な課題を言えば、若い世代の理科離れ、覇気の喪失。そのような日 本の現状、そして地方の疲弊、これを解決して次世代の日本をどのように築いていくのか。その明確な政策と実行こそがいま求められている最大の政治課題では ないのか。

 近隣諸国との摩擦を増長するような政策や行動をすることが戦後レジームからの脱却と思っているとしたら、甚だ方向違いの政策である。

 「3本の矢の経済政策」とは聞こえはいいが・・・

 安倍政権は、「アベノミクス3本の矢」を掲げている。①大胆な金融政策、②機動的な財政政策、③民間投資を喚起する成長戦略である。①は、日銀の量的緩和策をとることで円安に誘導し、輸出企業に大きな利益をもたらした。しかしこれは為替による見せ掛けの事業実績である。

 過去2番目となる超大型補正予算の執行で賑わっているのは、②の財政政策である。ハコモノ主導の「土建屋政治」であり、一過性の景気対策である。これこ そ旧式の自民党景気対策から一歩も出ていない前時代の政策である。③の3本目の矢である成長戦略こそ安倍政権の成否を占う政策であるが、これはほとんど期 待できない。

 なぜそうなっているのか。それは安倍政権のやっていることが、国民生活の実態から乖離していること、旧来の産業構造の延長線上で産業政策を考えていること、政治家は二世、三世が跋扈し「政治ごっこ」で終わっていることにある。いまの政治家には使命感と迫力がない。

 違憲状態であると司法が判決を出しても、それに真剣に反応する政治家がいない。日本共産党をはじめとする野党も同じである。三権分立を標榜する国家であ るなら、司法の判断を最優先させて取り組むような立法府のエネルギーがなければ、途上国以下の国家である。法の理念も国民主権もないに等しいと言わざるを 得ない。

 国民が求めている真の政策

 集団的自衛権の是非を問うよりも、いま日本の国民にとって重要な課題は経済活性化とそれをテコにして構築しなければならない社会資本の再興である。安倍 さんが言っていることで唯一いいことは「女性が輝く日本」という政策である。遅きに失した感はあるが、女性の登用は日本の活性化への大きなカギを握ってい る。

 女性政策を除くとおよそ何もないという政権では、国民が沈んでいくだけである。安倍政権は、よほど現実的な政策転換をしない限り、「政治ごっこ」をして 潰れる政権になるだろう。メディアが実施している内閣支持率など当てにならない。政権とはいったん下降線を辿ると奈落の底に一直線である。

 そうなる前に少なくとも違憲状態を解消する選挙制度を改革し、出直し選挙による政権を樹立して真の民主国家を実現しなければならない。そのためには、一人一票実現運動に命をかけている升永英俊弁護士の市民活動を盛り上げていくことだ。

                                

日々これ新たなり(13)「82年前に発生した5・15事件に思う」

     首相を殺害したテロ集団

 いまから82年前の1932年(昭和7年)5月15日に発生した「5・15事件」は、日本の歴史上、血なまぐさい軍国主義に走り出した重要な出来事であ る。総理官邸に乱入して犬養毅首相を殺害した軍人は死刑にならず、禁固刑として受刑したが恩赦で釈放されるという非常識な国家の対応だった。

 これが日本を誤った道・軍国主義へと進ませた発端となったのである。

 国を想えば何をやっても許される

 5・15事件を起こした軍人は大日本帝国海軍の青年将校と若い兵士たちである。その動機はワシントンとロンドンで開催された軍縮会議で欧米列強に対して日本は対等ではないとして政府の対応に不満を募らせ、首相らを粛清して軍事政権を立てようとしたものだった。

 1936年(昭和11年)2月26日に発生した「2・26事件」は、陸軍の部隊が総理官邸などを襲撃して首相らを殺害した軍事クーデターだったが、5・ 15事件は、大川周明らから資金と拳銃の提供を受けて軍人が決行したものであり、クーデターというよりもテロ事件と理解するべきだろう。

 「昭和維新」を掲げてテロ軍団を組織した軍人たちは、総理大臣官邸、内大臣官邸、立憲政友会本部を襲撃し、昭和維新に共鳴する大学生2人が財閥の代表として三菱銀行に爆弾を投げこんだ。さらに警視庁と東京近辺に電力を供給する変電所数ヶ所を襲撃した。

 これは東京を暗黒化する目的だったとされている。総理官邸でテロ軍団と遭遇した犬養首相は、腹部と頭部に銃撃を受けて死亡した。

当時の世相は、1929年(昭和4年)の世界恐慌の影響を引きづっており、企業の倒産が相次ぎ社会的に閉塞感が漂っていた。日本ではようやく議会制民主主義が根付き始めたころだが、しかし一方で国民は政党政治の腐敗に嫌気がさし反感を抱いていた。

 このため犬養首相を殺害し、多くの被害を出したテロ集団に対しても同情する雰囲気が広がり、殺害犯人の将校たちの助命嘆願運動が巻き起こり、彼らの刑は 軽いものとなった。これはのちに2・26事件を起こした陸軍将校たちの判断を後押ししたと言われている。憂国の志士として反乱を起こしても刑は軽いもので 済むだろうとする楽観視である。

 戦争に彩られた近代史

 明治維新(1868年)、日清戦争(明治27年、1894年)、日露戦争(明治37年、1904年)、韓国併合(明治43年、1910年)、満州事変 (昭和6年、1931年)、日中戦争(昭和12年、1937年)、太平洋戦争(昭和16年、1941年)と並べてみると、日清戦争から太平洋戦争まで47 年間は、戦争に彩られた近代史であった。

 日清戦争以来、日本はひたすら外地に資源を求めて侵略を繰り返し、最後に対米戦争を仕掛けて自滅した。これらの戦争は、すべて日本から仕掛けたものである。

 そのような血なまぐさい歴史に歩きだし太平洋戦争へと流れていくきっかけを作った事件として5・15事件は忘れてはならない事件である。

 大陸進出を図った軍部の言い分は、東アジア諸国を欧米列強から解放するというものだったが、日本が欧米の植民地政策に割り込もうとして加わったものであるという見方のほうが正しいのではないか。その一方で、日本列島は無傷で守り通した。

 太平洋戦争は、100%負ける戦力で戦いを起こしたものであり、多くの若者を戦場に送り込んで戦死させた。誰にも責任がないというのでは、社会正義の原理に反する。為政者の戦争責任は厳然と問われなければならない。

 だれが責任者であるか明確に総括するべきである。責任者をどのように処罰するかは別問題である。日本人として責任の所在を明確にすることがなければ、いつまで経っても日本に真の民主主義は確立できないだろう。

                                

日々これ新たなり(12)「3Dプリンターを発明したのは日本人である」

         拳銃を3Dプリンターで製造して逮捕された

 3Dプリンターに関するニュースが、思わぬ形で注目を集めている。アメリカから設計データを導入した日本人が、拳銃を3Dプリンターで製造して逮捕され たニュースである。筆者は、1996年ころから3Dプリンターのことを取材していたので、このような展開になってきたことに驚いている。

 1996年ごろは、3Dプリンターなどとは呼んでいなかった。光造形装置と呼んでおり、横文字では、ラピット・プロトタイピング( rapid prototyping) と呼んでいた。これでは、何がなんだか分からなかったが、その価値をいち早く見抜いて日本へ導入したのが、株式会社インクスを創業した山田眞次郎氏であっ た。

 山田氏は三井金属でドアロックの設計をしており、90年代のアメリカ・クライスラーのドアロックの全車種の設計をした男として知られていた。ドアロック とは、車のドアの部分一式である。ドアを閉めたときに「バタン、カチッ」と快い響きを残してきちんと締まるあのドアの部分の設計のプロだった。

 山田氏は、設計・試作そして量産する工程を熟知していたので、光造形装置が実用化してきたとき、試作する行程が飛躍的に迅速・効率化すると見抜き、製造 現場が激変すると感じたのである。山田氏は三井金属を辞めて、光造形装置をアメリカから輸入して販売し、日本の製造現場にいち早く変革を起こさせようと起 業家に転進したのであった。

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最新の3Dプリンターを操作する山田氏(右)
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 ところで、この光造形装置の原理を世界で最初に発明した人は、名古屋市工業研究所の研究員だった小玉秀男氏(現在、特許業務法人快友国際特許事務所所 長)である。小玉氏の発明の話を聞き、光造形装置を初めて筆者が見たとき、これは立体プリンターだと思ってコラムにもそう書いたことがある。

 立体プリンターとは、いい名称だと今でも思っているが、むろん3Dプリンターでもいい。小玉氏と会ってインタビューし、その発明へのストーリーを聞いて 興奮したことを思い出す。当時、コンピュータのアウトプットは、紙に印刷するものだけだった。今でもほとんどはそうである。

 小玉氏の優れていたことは、コンピュータの中で3次元の立体設計ができ、しかもそのデジタルデータが形成されるのだから、立体的にアウトプットできないかと考えたことにある。プリントとして紙に出すことはできても、立体形で出すということは普通は考えない。

 小玉氏は、たとえて言えば、コンピュータの内部で設計したデータを100万回印刷を重ねていけば、立体形になるはずだという考えだ。積層技術の最初の発想である。光を当てると瞬時に固まるプラスチックの装置を作れば積層して立体形が出来上がっていくと考えた。

 そして小玉氏は、実際に自宅の設計データを自作の光造形装置で積層させて、立体モデルをアウトプットしたことである。しかもその技術の全てを英文の論文 として仕上げてアメリカの物理学会誌「REVIEW OF SCIENTIFIC INSTRUMENTS」(1981年、Vol.52 No.11)に投稿して掲載されたことだ。これこそ3Dプリンターの最初のアイデアと実践を記載し た世界で最初の論文として燦然と輝く業績である。

 
 
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世界で初めて作成した3Dプリンターの作品が論文となって写真も掲載されている。

 この積層技術でノーベル賞が出るとしたら小玉氏は間違いなく入るだろう。この優れたアイデアを思い出しながら、3Dプリンターで拳銃を製造した事件報道の推移を見ているが、3Dプリンターのメーカーはアメリカメーカーが大半を占めているのは残念である。

 小玉論文がアメリカで掲載された直後に、アメリカ人がこの原理を特許として出願し取得している。実用化と産業ツールとして世に出したのはアメリカ人だったのは残念だ。原理原則は日本人が発明し、実用化にはアメリカ人が貢献した典型例である。

 3Dプリンターについては、今後も適宜このコラムで取り上げていきたいと思う。

                                

日々これ新たなり(11)「STAP細胞の存在は真実か思い込みかそのどちらかである」

                 

 小保方さんのSTAP細胞は「真実」か「思い込み」かそのどちらかである

 STAP細胞の論文をめぐって渦中にある小保方晴子さんの記者会見の実況中継をテレビで観た。筆者は午後1時からのニッポン放送「大谷ノブ彦 キキマス」という番組に、この記者会見と同時進行でコメントするためにスタジオに入っていた。

 大掛かりな会見場と多数の報道関係者、そしてその質問内容を聞いていて、一種の査問委員会のようにも感じたし芸能人の会見にも等しい雰囲気を感じた。学術研究の適否をめぐって、落ち着いた雰囲気の中でやり取りするような会場の雰囲気でないことに違和感を持った。

 その番組でも語ったコメントを整理し、改めてこの問題について述べてみたい。

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 ニッポン放送「大谷ノブ彦 キキマス」に出演。スタジオ内で番組開始直前に撮影。左がアシスタントの脊山麻里子さん、真ん中が大谷さん。明るく率直な雰囲気で自由に話が出来た。

 小保方さんの発言で印象に残ったことは2つある。まず第一に論文作成に際し不注意、不勉強、未熟、自己流だったと反省を何度も述べ、それが疑念を生んだ 根源であると反省し、理研と共同研究者らに多大な迷惑をかけたと率直に詫びた点である。これは論文の不備を認めて謝罪したという点で評価したい。

 第二の印象は、小保方さんと報道関係者の一問一答を聴いていると、小保方さんはSTAP細胞の存在は真実であるという確信に立っていることだった。記者 の質問に「STAP細胞はあります」と毅然として言ったその言葉の調子と態度は確信がなかったら言えないものと感じた。 なかったものをでっち上げたとは到底思えない。

 この二つの印象から筆者は、小保方さんはSTAP細胞の作製に成功したことは間違いないと確信しているので、論文作成のときの画像の取り違いや画像の張 り替えは、本質的な過誤ではないと主張したかったのではないか。画像の張り替えは、自分で実験して出した画像を使ったのだから、許されると思っていたふし がある。

 STAP現象とSTAP細胞の違いはなるのか 

 この2つの印象から、筆者の考えを言えば、最初のお詫びの部分は小保方さん自身が何度も語っているように科学者としてやってはいけないことをやったこと を認めて謝罪したことでありそれ以上でもそれ以下でもない。しかしこの謝罪表明とSTAP細胞の存在の有無は別問題として切り分けたことだ。小保方さんが 強く主張していることは、「STAP細胞はあった」ということである。

 ただ、気になるのは「STAP現象は何度も確認された」という言葉を使ったことだ。これはSTAP細胞とSTAP現象という2つの言葉の意味に根本的な 違いがあるのではないかと思わせた。前者は文字通り現象であって途中経過かもしれないし存在として残るものでもないという意味で小保方さんが言ったのかも しれない。

 こうなるとSTAP細胞の存在を実現することが、この問題に決着をつける唯一最大の課題になってきた。 ただしここにも筆者には不安が出てきている。小保方さんが確信しているSTAP細胞は、もしかしたら小保方さんだけの「思い込み」でありSTAP細胞と信 じてやっていた実験だが、実際にはSTAP細胞ではなかったのではないかという疑念だ。

 「ネーチャー」誌に論文を掲載された科学者に対して、甚だ失礼な見方になるが、科学者にはえてして思い込みがあることがある。科学者自身それを知ってい るからこそ、繰り返し繰り返し、念には念を入れて実験を積み上げて結論を出すのが普通だ。もし万一、小保方さんの思い込みでありSTAP細胞がなかったと したら、それは共同研究者らにもその責任のいったんは問われるべきである。

 しかし、筆者はやはりSTAP細胞はあったのだと思いたい。小保方さんは「200回以上、STAP現象があった」とここでも「現象」として語ってはいる が、これを信じたい。実験にはコツやレシピがあるので難しいとの見解も語っていた。科学実験では、このようなコツやノウハウがあるのは理解できる。特許出 願の明細書にしても、他人に真似されないためにもコツやノウハウは極力書かないものだ。

 STAP細胞再現実験には「どこにでも行く」という小保方さんを信じたい

 小保方さんは会見の中で、もし要請されるならSTAP細胞再現実験のために「どこへでも行きます」という主旨の発言をしていた。これはやはり存在を確信しているからと理解した。

 ただ実験ノートは、4冊程度しかなかったことも語っていた。これだけの実験を積み上げてきた実績から見ると、いかにも少ない。日本の研究現場では実験 ノートの重要性が20年も前から指摘されてきた。アメリカは、先発明主義だったこともあって、大学でも企業でも研究現場での実験ノートは非常に重要だっ た。

 若い小保方さんに対し、その点で理研の同僚や先輩が指導・助言できなかったことは、研究現場の不備であり理研の反省点である。そのような教育がされてこ なかった小保方さんだけに責任をすべてかぶせてはならない。共同研究者と理研の研究体制にも相当なる責任があったことは間違いないことであり、この問題に 対する調査結果だけではなく、理研の反省点を明確にして後世に残す必要もあると思う。

                                

日々これ新たなり(10)「STAP細胞の存在は、本当に捏造だったのか」

 小保方さんにSTAP細胞確認のチャンスを与えるべきだ

 理化学研究所の研究ユニットリーダー、小保方晴子さんらが発表したSTAP細胞発見の論文発表で、理研は「論文画像に意図的な改ざんと捏造があった」として、著者全員に論文取り下げの勧告をおこなった。

 筆者は小保方さんを信じている。ないものをあったかのように最初から実験成果を捏造したとは到底思えない。もしSTAP細胞を発見していなかったとしたら、それは重大なミスではあるが研究者には思い込みということがよくある。

 間違いなくSTAP細胞だと断定したものであっても、よくよく精査してみれば違うものだったという間違いはなきにしもあらずである。

 理研の衝撃的な結論に悄然としたが、ここは冷静に考える必要がある。小保方さんが国際的な科学誌「ネーチャー」に論文を発表したとき、筆者はコラムでその快挙を称え特に若い女性研究者を育ててここまで引き上げた研究現場を褒めた。

 画像の不自然さを指摘された後、小保方さんをめぐる研究スキャンダルは、メディ報道でエスカレートする一方だった。研究室のボスとの男女関係など、本来なら研究と無関係な話にまで話題が広がり、 もはや学術研究の話からは遠ざかるようになっていた。

 理研が出した「研究不正」との調査結果に対し、小保方さんは弁護士を通じで猛烈に反発している。彼女のコメントを読むと「驚きと憤り」と表現し、「改ざ ん、捏造と決め付けられたことは承服できない」とした上で「STAP細胞の発見自体が捏造であると誤解されかねない」としている。

 もちろん今回のような論文の場合、あってはならない思い違い、思い込みであっても、研究者はまだ30歳の若さである。研究仮説も研究手法も何もかも経験 不足であった。STAP細胞だと本人が思い込んだことが間違いだったとしたら、共同研究者として名前を連ねているベテラン研究者らに責任がないわけではな いだろう。

 小保方さんから「画像の取り違え」と言われてもにわかには信じ難いし、博士論文の画像を使い回したと理解されても、これを覆すことは困難だろう。だから と言ってSTAP細胞まで捏造したというには、小保方さんが可愛そうだ。現時点ではそう思いたい。彼女が「承服できない」というのは、STAP細胞発見を 信じているからである。

 STAP細胞はあったのかなかったのかという観点で見れば、追試で実現できていないことから考えると「なかった」ようにも思える。しかし真実はまだ分か らない。小保方さんはこのような評価を覆すべく、全力を上げてSTAP細胞を確認して欲しい。そうでなければ、すべては捏造だったということにされてしま う。

 この30歳の若い研究者にもう一度チャンスを与えたい。STAP細胞さえ存在すれば、画像の捏造と糾弾されていることから少しは救われるだろう。すべて 免罪になることはあり得ないが、少なくとも研究者として土俵際に踏みとどまり、再起をかける研究人生に立つことが出来る。

 日本の科学界に汚点を残したことは事実だが、それでもなおSTAP細胞の存在でこの汚点を挽回するチャンスがあることを理研と研究スタッフは考えて欲しい。 そのためには、小保方さんにもう一度、研究現場を用意する必要がある。何もかも奪うことがあってはならない。

 彼女の仕事の主要な部分は、ハーバード大学で行われているようだ。しかしハーバード大に頼らず、理研は研究現場を提供するべきだ。結果としてSTAP細胞の存在が確認できなかったとしても、その成否を確認することは日本の研究現場の責務である。

 小保方さんの研究未熟さを、日本の研究現場がカバーする必要がないという意見も出るだろう。しかしそれを超えて成否の決着をしなければならない。それは若い研究者のためであり日本の科学研究のためでもある。

                                

日々これ新たなり(9)「アホウドリの研究にかけた長谷川博先生」

                               
                 
 この写真は長谷川先生のHPからの転載です

  退職記念パーティに集まった仲間たち

 絶滅に瀕していたアホウドリを復活させ、この鳥の生態の研究に人生をかけた長谷川博・東邦大学理学部教授の退職記念シンポジウムとパーティが、2014年3月8日、東邦大学習志野キャンパスで開催され、長谷川先生の研究仲間と友人、知人が集合して盛り上がった。

 
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  長谷川先生の人をそらさないお人柄と明るいキャラクターは、多くの人々に愛されてきたがこの日のパーティもそのような雰囲気が会場を包み込み、楽しい懇談の宴だった。

   35年ほど前、東京・晴海ふ頭に接岸した船から降り立った長谷川先生を筆者が呼び止めたことから、先生とのお付き合いが始まった。鳥島から帰ってきた長谷 川先生を、筆者は待ち構えていた。鳥島の様子を取材してアホウドリの生息状況を報道しようと意気込んでいた。その当時、確認されているだけで世界で数十羽 ほどしかアホウドリは生息していなかった。

  絶海の孤島となっていた鳥島には、かつて島を埋め尽くすほどのアホウドリが数百万羽生息していた。翼を広げほとんど滑空だけで大空を飛翔するアホウドリの乱舞は、圧倒する光景だったと想像できる。それが翼をたたんで陸上にいるときは、よちよち歩きですぐに捕獲できる。 

 良質な羽毛は、 羽根布団の材料として大正時代から昭和時代にかけて貴重な日本の輸出製品になっていた。鳥島に上陸した日本人が鈍感なアホウドリを撲殺してその肉と羽毛を ほしいままに略奪した。その乱獲によって、アホウドリは瞬く間に絶滅に瀕することになる。 太平洋戦争で負けた日本にやってきた欧米の生物学者は、アホウ ドリの生息を調べたがその個体を確認できず、一時は絶滅宣言されたこともあった。

 しかしアホウド リは奇跡的に生き延びていた。その証拠写真を偶然にも撮影していたのは読売新聞のカメラマンだった。 その歴史的な写真は、読売新聞社のデータベースに保 管されており、撮影者も生存していた。長谷川先生と一緒に興奮してそのカメラマンにインタビューに行ったこともあった。

  アホウドリの復活は日本人の使命

  絶 滅に瀕していたアホウドリを復活されるのは、日本人の使命であると長谷川先生は考え、京都大学卒業後には、アホウドリの研究家に転じた。 研究家と言って も、まずアホウドリの種の保存に長谷川先生は取り組んだ。毎年、繁殖期の冬季になると、八丈島から漁船をチャーターして単独で鳥島に上陸した。

 アホウドリの生 態を研究するだけでなく、アホウドリの繁殖地を安定されるために、ハチジョウススキを移植する作業を単独で始める。 アホウドリが崖地に卵を産んでも、卵 が転がっていく危険性をハチジョウススキを植えることで防止し、少しでも繁殖ができる環境を整える取り組みをした。そのような活動を知った筆者は、長谷川 先生のその取り組みを読売新聞や系列の日本テレビで報道することで支援しようと考えた。

  地道な研究活動を報道することで世間の耳目を集め、研究費確保に結び付けられると考えたのである。長谷川先生はそのときのことを覚えていて、この日の退職記念パーティの会場でも「私の研究活動のプロデューサーです」と筆者を持ち上げてくれた。

  そのような地道な努力が実を結び、アホウドリはいま世界中で優に1000羽を超えるまでに復活した。「もう絶滅することはありません」と誇らしげな手紙を先生からもたったときは、わがことのように嬉しかった。

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 記念パーティで乾杯をする長谷川先生ご夫妻
 

 オキノタユウと改名する日が来るだろう 

 長谷川先生の研究活動は、アホウドリ復活にかけたものであり、特異な研究活動であった。しかしこれが終わったわけではなく、長谷川先生の研究活動はまだまだ続く。そのひとつがアホウドリの改名である。 アホウドリとは、簡単に撲殺できる阿呆な鳥という意味で付けられた。

 英語名はアルバトロス(albatross)であり、ゴルフをする人なら憧れの呼称である。ゴルフでパーから数えて3打少なくホールを終えるのがアルバトロスである。ダブルイーグルとも呼んでいる。 

 大空を飛翔するアホウドリの姿を長谷川先生は「たとえようもなく美しい」と語っている。その鳥の呼び名がアホウドリとは余りにひどい。英名ではalbatrossであり、ゴルフ競技でもアルバトロスは尊敬される呼称になっている。 それが日本ではアホウドリとは余りにひどい。

 そう考えた長谷川先生は「オキノタユウ」と和名にすることを提唱し、自身ではずっとこの和名を使っている。これは日本での鳥の公式名を変えることになるので容易に改名することはできない。しかし長谷川先生は諦めない。 この日のシンポジウムでも、2050年ころには間違いなくアホウドリの復活が世界的に認められるだろう。そのときこそオキノタユウに改名するときだという提案に、会場は大きな拍手で沸き返った。

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 写真は、記念パーティで配布された「長谷川博新聞」。一面トップには、アホウドリが太平洋を埋め尽くすという夢のニュースが特報されている。絶滅宣言 から奇跡的に回復した種として、アホウドリは永遠に語り継がれるだろう。その第一の貢献者は長谷川先生であり、アホウドリとともにその名を永くとどめるだ ろう。

                                

日々これ新たなり(8)「死の灰」という言葉を創った辻本芳雄氏

  1954年3月1日、太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁で、アメリカが水爆実験を行った。1946年から20回以上の水爆実験をビキニ環礁で行っ ており、この日の実験は最大規模のものであった。広島に投下された原爆の1000倍以上の威力があったというから、聞くだけで恐ろしい話である。
 ビキニ 水爆 
 
爆発実験直後に、空からハラハラと灰が降ってきた。放射性物質を含む「死の灰」である。当時、ビキニ環礁付近を航行していた静岡県のマグロ漁船「第五福 竜丸」の乗組員23人が死の灰に触れて被ばくし、無線長の久保山愛吉さんが半年後に亡くなった。周辺の島々に住む人たちも被ばくし、長い間、健康被害を訴 えることになる。

 あれから60年経った。メディアが一斉に被爆60年の報道をしていた。 筆者はこの事件が発生した当時、中学生だったので、記憶はおぼろげながら残っている。大学卒業後に読売新聞社に入社した。そこで最初に出会った人が辻本芳雄氏だった。

 体格のいい人で、言葉遣いに関西弁の名残りを残したやさしい響きを持っており、初対面から親しみの持てる人だった。この人が、読売新聞社会部の敏腕記者 だったことはすぐに分かった。名文を書くだけでなく、ニュースセンスを持った優れた社会部記者だったことを多くの先輩記者から聞いてびっくりした。

 何かのときに辻本氏は「死の灰という言葉を創ったのはわしや。デスクをしているとき、漁船員が振ってくる灰に被爆した話を聞いて、そりゃ死の灰やと言っ たら見出しになった」と語った。写真は当時の読売新聞の紙面である。「死の灰」という言葉が世に出た最初の紙面であり、この言葉はたちまちジャーナリズム の世界を席巻することになる。 

 
 

 その話を聞いて驚いている筆者に、辻本氏は「原子爆弾が爆発する理屈も、放射性物質の恐ろしさも、実は新聞記者のほとんどが知らなかった」と打ち明け た。この事件が発生した直後、東大の原子核物理学者を社に来てもらって講義を受け、にわか勉強をしてその理屈と恐ろしさを知ったという。

 辻本さんは新米記者だった筆者に、知識はなくても勉強すれば新たな知識を蓄積できるという当たり前のことを語り、普段から知識の吸収を心がけるようにさ としたのである。辻本さんからは、時たま声をかけられて飲みに連れて行かれた。自宅を訪問して有意義な話を聞いたことが何回もあった。それはジャーナリス トとしての心構えであり、 取材にかける記者魂の真髄を語ったものでもあった。

 辻本さんは社会部長から編集局次長を務め、その後「昭和史の天皇」という長期連載のデスク兼執筆者となった。「昭和史の天皇」の連載は、その後菊池寛賞 を受賞している。受賞の報を聞いたとき、胸が熱くなったことを覚えている。筆者はそのころ、日曜版に連載をはじめた「人間この不可思議なもの」という大脳 生理学と分子生物学を解説する長期連載を社会部の中澤道明デスクと2人で取材・執筆していた。

 社会部のラインを離れ、別室に取材拠点を構えたが、それは辻本氏が執筆している部屋だった。辻本氏が原稿用紙に書き付けている姿を、いまでもありありと 思い起こすことが出来る。取材から帰って部屋に入り、辻本氏が原稿用紙に鉛筆を走らせている姿を見たとき、奮い立つような気持ちが沸き起こった。 新聞記者として圧倒的な存在感があった。

 丸々一年間だった。辻本氏のすごそばで記者業を出来たことは望外の幸せだった。辻本氏の謦咳に触れる機会があったればこそ、その後の活動といまがあるのではないか。ふとしたときに、そのような感慨を持つこともあったが、これを誰にも語ったことはなかった。

 しかし第五福竜丸事件から60年のニュースを見聞しているうち、辻本氏と筆者は並々ならぬ縁で結ばれていたことに気がつき、にわかに筆をとった。辻本氏ご夫妻は、筆者の結婚式の媒酌人でもあった。茫々とけむる往時の日々を想い出させた「死の灰」の報道であった。

                                

日々これ新たなり(7)都知事選の結果を総括する

  過去ワースト3の低投票率に泣かされた細川護煕さん

 東京都知事選は、自民、公明両党の推す舛添要一氏が当選した。筆者が願っていた細川護煕知 事の実現は夢と消えたが、その主張と選挙運動の実績まで消滅したわけではなく、即脱原発運動の火種を残したことは間違いない。今後、既成の原発利権と脱原 発技術開発志向のせめぎ合いが続くだろう。

 投票率46.15パーセントとは、驚きの数字である。前日、記録的な大雪に見舞われた東京 だったが、投票日の日曜日はまずまずの天気だった。しかし蓋を開けてみればこの数字である。投票行動が、大雪の後遺症に阻まれたのだろう。投票率が低けれ ば、組織的に運動を展開する候補者に有利になる。舛添、宇都宮両候補の票は、その基礎票だけだったのではないか。

 それにしても細川・小泉両首相の街頭演説には、多くの人たちが足を止め、拍手や声援も多 かった。銀座で行われた舛添候補と細川候補の演説会を筆者も聴いたが、人も熱気も細川さんの方が格段に多かった。各地の演説会でも同様だった。しかしこの 熱気が、そのまま票となって現れなかった。

 その原因として考えられるのは、細川さんの政策の内容が、有権者に正確に伝わらなかったか らではないだろうか。即脱原発の内容もそうである。筆者は、なぜいま脱原発なのか、なぜ都知事選の政策テーマになるのか、なぜ首相経験者が立ち上がったの かなどについて、友人・知人に片っ端から説明して細川支援を訴えたが、言われるまで細川さんの脱原発の理由や動機が分かっていなかった人が多数だった。

 硬い公明党支持者に説明し、舛添候補から細川候補へ「寝返る」ことに成功した例が5人ほどあった。この体験からしても、運動する日数が足りなかったのだと思う。逆にきちんと説明すれば、理解度が格段に高まったと思われるだけに今回の選挙結果は本当に無念残念である。

 NHK、新聞各社などの事前の世論調査によると、有権者に関心があるテーマは医療・福祉、景気や雇用、原発・エネルギーなどの順になっていた。即脱原発を主張した細川さんが、相対的に不利になることは当初から危惧されていた。

 2月10日に掲載された読売新聞朝刊の出口調査結果は、239投票所での投票者、8180 人から回答を得たものであり、統計的にはかなり参考にできる内容である。これによると投票先(候補者)を選ぶ際に重視した政策は、原発などエネルギー政策 をあげた人は、細川さんに投票した人の62パーセントでダントツであり、舛添候補への投票者はきわめて少なかった。宇都宮候補も医療や福祉が重視されて投 票されていた。

 無党派層がもっとも重要視した政策は、原発などエネルギー問題が最も多く24パーセントであり、次いで医療や福祉が18パーセント、景気や雇用が16パーセントだった。 無党派層がもっと投票所に足を運べば、違った得票率になっただろう。

 即脱原発問題はこれから本格化する課題である

 来年4月は統一地方選挙である。原発は地方に散在しておりその地域では最重要関心事になる だろう。脱原発で自然エネルギーを開拓するという課題は、技術立国の日本にとっては魅力あるテーマである。日本列島近海には、日本のエネルギーの100年 分のメタンハイドレートが眠っているという。

 メタンハイドレートを海底からくみ上げる技術開発に成功すれば、日本はエネルギー大国にな る。そのような具体的なテーマがありながら、国をあげてこのエネルギーの実用化に取り組む姿勢は出てこない。これは原発などの利権集団が、他のエネルギー 開発を消極的にブロックしているからと筆者は見ている。

 積極的にブロックすれば目立つが、他のエネルギー開発を無視したり開発予算も積極的につけ ないように放置しておくのは消極的ブロックである。エネルギー政策を国家的な視点で考えるのではなく、既得権益や事勿れ主義の中で考えているとしか思えな い。 企業・政治家・官僚・ジャーナリストの既得権益集団である。

 危険な地殻に立地されている日本の原発

 日本列島の地殻は、地球を覆っている4枚のプレートの衝突部に位置しており、世界的にも大地震多発国である。世界中でこの90年間に発生したマグニチュード7以上の地震は900回ほどあるが、そのうち約10パーセントは日本で発生している。

 マグニチュード8クラスの巨大地震は、日本海溝、南海トラフなどに集中して発生しているの だから、日本は元々原発の立地には適していない国なのである。細川さんを支援した小泉元首相も、「原発は安全、コスト安と専門家に言われて信じてきたが、 この大震災とその後の対応で間違いであることが分かった。脱原発して2年も経っている。再稼動する必要はない」と訴えた。

 万一、原発立地地帯に直下型大地震が発生して原発大事故につながれば、甚大な被災をこうむるだけでなく日本は世界から信用を失うだろう。そのような危険と隣り合わせでいるのだから、脱原発から新エネルギー開発に舵を切ることは最重要課題である。

 細川さんの知事選敗退は、終わりの始まりである。いまこそ脱原発から自然エネルギー開発への機運を盛り上げなければならない。

 

日々これ新たなり(6)「過ちては改むるに憚ることなかれ」

 
 「過ちては改むるに憚ることなかれ」=過ちを犯したことに気がついたら、体裁や対面、立場などにとらわれず、ただちに改めるべきだ。

  2014年2月2日、東京・銀座4丁目交差点で、細川護煕・都知事選候補の立会い演説のとき、小泉純一郎元首相の言ったこの言葉が頭から離れず、翌朝になっても小泉さんの絶叫を思い出していた。
 小泉さんは、行政トップの首相のときに、原発は安全でコスト安だと専門家に言われ、原発推進政策をしてきた。細川元首相も同じだった。

 しかし、大震災のあの原発事故を体験し、ヨーロッパ諸国などの実情を検分した結果、その知 識は誤りだったと分かった。小泉さんは、ドイツが脱原発に踏み切ったことや、自然エネルギー実現を目指して本格的に開発に取り組み始めたヨーロッパの国々 の実情を検分してきたことを語った。そしてこう絶叫した。

  「過ちては改むるに憚ることなかれ。私は騙されていた。それが分かったいま、これをただし、脱原発に舵を切った。若い世代に原発を残してはならない。細川さんと私の(元総理経験者の)2人がやむになまれぬ気持ちから立ち上がった」と訴えた。
 ライオン髪を振り乱して訴えたあのポーズとあの場面が、脳裏に焼きついて離れない。 

 この言葉に感動した。日本の総理大臣経験者で、国の根幹に関わるような政策について、過去の不明を国民の前で明確に語った人は初めてである。反省したのではなく、ここで明確に過去の不明、つまり過ちを認めて新たな政策転換に舵を切ったのである。

 2人の首相経験者が、同じ思いで都知事選で訴えていることを日本国民は真摯に受けたとめなければならない。 政治家に限らず企業人であれ組織のトップに居座っている人であれ、自身の過去の失敗や不明に直接関係する事がらを検証することを好まないのが普通である。

 まして自身の不明や瑕疵をあからさまに自ら語り、しかも方向転換することまで一般大衆の前 で宣言することは、歴代の政治家にはなかったことだ。 小泉元首相は、原発の安全性を信じてきた過去の「不明を恥じる」とまで国民の前で語った。そうまで語った元首相の脱原発宣言は、信念から出た言動である。 細川さんも同じである。

 小泉・細川両氏が自身で語っている要旨を言えば「原発を稼動していく負の遺産を後世の若い人たちに残してはならない。いま、われわれ(老年)が立ち上がらなければならない責任がある」との訴えは、真摯に受け止めるべきである。

 小泉氏は、演説の最後に声をからして訴えた。「われわれ(自身と細川氏)は、年も年だし長く活動できるものではない。しかし原発の問題は、若い世代の問題だ。是非、若い人たちに考えてもらいたい」(要旨)。若い世代の決起を呼びかけたものであった。

        

日々これ新たなり(5)「STAP細胞の発見に見る若い才能を伸ばすようになった日本の研究現場」

  STAP細胞の発見に見る
「若い才能を伸ばすようになった日本の研究現場」

 第3の万能細胞「STAP」を作成した理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子さん(30歳)とその共同研究者の成果は、日本の科学研究現場が間違いなく様変わりしてきたことを実感させたビッグニュースだった。
 ここで筆者が主張することは、小保方さんの才能の顕彰ではなく、彼女の才能の華を開かせた日本の研究現場への賞賛である。

 動物の組織・器官を製造する遺伝子を備えてコントロールする細胞は、長い間、神が作った領域のものとして私たちは崇めてきた。しかし科学の進歩、平たく言えば人間の飽くなき好奇心がこの聖域を徐々に侵し始め、神の領域の扉を少しずつ開き始めた。
 ノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授が発明したiPS細胞は、人工的に神の領域に踏み込み、人類の手で生命活動をコントロールできることを実証して世界中を驚かせた。

 小保方さんの成果は、iPS細胞の作製で難しい手法となっていた手順をきわめて簡略化し、臨床応用のときに危惧を抱かせていたがん化のリスクを低減できる可能性も示唆する画期的な手法の開発だった。
 この成果は再生医療の決定打になるだろうか。そうはいかないことを筆者は自信を持って主張することができる。科学研究には、自然現象の究極的な真理の発 見以外、決定打というものはほとんどない。画期的な成果の次に新たな研究テーマが提起され、その命題でまた科学者たちは必死に取り組む時間が与えられる。 科学研究の歴史的な流れを見ていると、数十年単位で展開されるその繰り返しである。

 多くの報道では、小保方さんの30歳という若さに焦点を当てているが、筆者はそれよりもこの若き才能を伸ばしてきた日本の研究現場の成長に、眼を見張り 賞賛したい気持ちになった。山梨大学の若山照彦教授と理研という組織とそのスタッフたちは、日本の科学研究現場の近代化に大きな貢献をしたと言っていいだ ろう。

 小保方さんがこの成果のきっかけに気がついたのは、留学先のハーバード大学で24歳のときだった。これは不思議でもなんでもない。この年代の頭脳は、過去の科学実績にとらわれず柔軟に独自の発想を膨らませる時期なのである。
 20世紀最大の物理学者とされるアルバート・アインシュタインは、スイス特許局の職員をしていた26歳のときに、光電効果に関する論文や特殊相対性理論を発表している。
20世紀最大の生物学の発見とされている遺伝子の塩基配列を解明しジェームズ・ワトソンが偉大な発見をしたのは25歳のときである。
 量子力学と生命科学の創始につながる偉大な業績を作った二人の天才は、かくも若き年齢でこのような成果を打ち立てた。

 日本人にもいる。2002年に「生体高分子の質量分析法のための穏和な脱離イオン化法の開発」でノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一さんが、この成果を発見したのは26歳のときだった。
 「ノーベル賞をもらうほどの画期的成果」を社員が出しておきながら、島津製作所はこの成果を企業活動に生かすことができず、それを生かして産業界に貢献したのはヨーロッパの企業だった。

 小保方さんの成果は、産業現場でなく学術現場でのものだが、彼女のひらめきとその実績を公正に評価し、後押ししたのは若山教授と理研の研究スタッフである。日本の研究現場は長い間、ともすれば出る杭を打ち若い才能を伸ばしきれないできた。
 芽を出しかけた才能に気がつかず、みすみすつぶす結果をつながることも数多くあった。長い間、科学研究現場を取材してきた筆者は、そのような事例を多数見てきた。
 しかし今回は、小保方さんの才能を認め、それを支援して画期的な成果へとつなげた点で日本の研究現場の進歩を見たと思った。

 小保方さんがノーベル賞に届くような成果をだしたことは間違いない。これが本当にノーベル賞に輝くかどうかは、このSTAP細胞が臨床実験に結びつき、さらに実際に再生医療現場で数々の実績を残したときである。
 常識的に考えれば10年かかる。しかし10年経っても小保方さんは40歳という若さである。日本の研究現場は、栄冠に向かってこの芽をさらに伸ばしてもらいたい。
 久しぶりに美味しいお酒を飲むことができた。
 有難う小保方さんとその研究仲間たち。

                               

日々これ新たなり(4)「大学の競争力とは何か」

                               
                 

  「めざせエベレスト! 山は登ろうと思わないと登れない」

  このようなスローガンを掲げて大学経営の年頭の方針を発表したのは、東京理科大学理事長の中根滋氏である。恒例になっている新年茶話会で、理事長ビジョンを5つのあるべき魅力としてパンフレットにまとめて出席者に配布した。

 第1の魅力は、科学の基本を学べる大学である。第2の魅力は、教えるのが世界一うまい大学 である。第3の魅力は、女性にも若手にも十分な自己実現のチャンスが開かれている大学である。第4の魅力は、卒業生がその大学生であることを誇りに思って いる大学である。第5の魅力は、世界がいちもく置く大学である。

 5つの魅力には、さらに各論的にあるべき大学の経営、方針が盛り込まれている。新年にあ たって、大学経営の最高ポストにいる理事長が、このように発信した姿勢に好感を持った。企業にあっては、よく見られることかもしれないが、大学経営者が大 学の教職員と学生に向かって、新年早々発信したその姿勢を評価するとともに、大学の競争力とは何かを筆者なりに考えてみた。

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 写真は、新年茶話会の3次会に、たまたま集合したメンバーの記念写真。 写真では、にこやかに笑っている面々だが、ここでかなり熱い論議が展開された。後列左端の中根理事長のお顔の表情に、その雰囲気が少々残っている。

 大学は研究と教育が双璧である

 筆者は読売新聞論説委員を最後にリタイアした後、縁があって母校の東京理科大学知財専門職 大学院の常勤教授として6年間勤務した。それまで母校とは縁もゆかりもなかったが、写真の前列右端にいる前理事長の塚本桓世氏から2003年に突然呼び出 しを受け、それから東京理科大学にかかわるようになった。

 取材する立場にあったときは、多くの大学人と会見し論議する機会があった。そのほとんどは 研究者である。新聞記者がニュースを求めて取材に行く研究者は、トップクラスの実績を出している研究者である。教育者としての大学人に取材したこともある が、やはり大学トップの人か特別の実績を誇っている人に限られていた。

 つまり筆者の体験では、日本のトップクラスの大学人、研究者と教育者から研究内容や見解を 聞き、それを社会に伝える役をしていたことになる。自分が大学の教員になったときに、今度は大学の当事者としての立場に立ったことを意識し、それまでの取 材内容を考える機会がたびたびあった。

 過去の取材で蓄積した人脈があればこそ、多くの難問を解決する手段が見つかり、その活動の中で自分を磨く機会も出てきた。筆者は教員という立場よりも、学生、研究生という意識を持つことにし、自分の研究室に所属した院生諸君とともに研鑽する日々でもあった。

 筆者が担当した科目は、知財戦略論、科学技術政策論であり、このほかに修士論文を書く院生 諸君を指導する立場になった。自分自身を客観的に見れば、知的財産に関する法律や制度を学術研究してきたものではなく、ジャーナリストとして知的財産に関 わる内外の動きや政策を見聞し、本に書いて発表してきた実績はあった。

 つまり筆者にとっての専門知識は、実学で蓄積した知的財産に関する情報であり、ジャーナリ ストとしての勘から得られる内外の動向とそれへの対応の検証である。たとえば筆者は、中国が驚異的な速さで工業化へと発展するその状況をつぶさに観察・検 証し、それと同時平行で雲が沸く如く出てきた模倣品被害の実体の取材と中国の知的財産制度の動向取材であった。

 このテーマには、誰にも負けないと思うほど中国通いをして現場から取材し、その視点で「中国ニセモノ商品」(中公新書ラクレ、2004年)と「変貌する中国知財現場」(共著、日刊工業新聞社、2006年)の2冊も上梓した。

 顧客満足度にこだわった

 大学の顧客は、学生・院生である。特に筆者が教員をしていた専門職大学院とは、社会で実務 上役立つ人材を育成する大学院である。学術研究だけではなく、実務的な研究をすることが最大の目標になる。在籍する院生は、学部からストレートに進級して くる院生と、社会人の学び直しに大別される。

 筆者が教員として最も意識していたことは、顧客満足度である。学部から進級してきた院生の 最大の目的は就職活動にある。自分の希望する企業や機関にうまく就職できるかどうか。社会人院生は、個々人の目標があるので多面的になるが、知的財産とい うキーワードでくくることができる。

 このような個々人、つまり顧客がいかに満足するか。満足してもらうために教員として何をす るべきか。それをいつも考えていた。 学術的な知識を蓄積した教員ではなかったが、現場取材で鍛え上げた情報だけは、誰にも負けないという自負があった。そうでなければ専門職大学院の教員は勤 まらない。

 いま、筆者の過去を振り返りながら自己反省もしたが、教員の役割は現場を離れても捨てたわ けではなく、研究室を出て行ったOG、OBとのつながりは大事にしているし、これからも共に研鑽する日々になるだろう。大学の競争力とは、中根理事長がス ローガンとして掲げた文言はむろん意味があり、これは教員、学生たるもの意識の底にいつもしみ込ませておく必要があるだろう。

 日常的に活動する教員にとっては、研究以外にも雑多な仕事があり、筆者が最も力を入れてき た就職活動や社会人院生との共通認識に立った実践研究こそ、大学の競争力の末端を支える要因になっていると確信している。その観点に立っている大学教員 は、どれほどいるのか。そういうことを知りたいと思うこともあった。

 中根理事長の年頭スローガンは、多くの示唆を筆者に残し、そしてこれからの活動に道筋をつけたものでもあった。

                                

日々これ新たなり(3)「安倍首相の靖国神社参拝に想う」

  安倍首相が、12月26日、靖国神社を参拝しました。この時期に参拝したのは、「政権一年、不戦の誓いのためだった」と語っています。

 これは一国を代表する首相の行動と発言としては、甚だ個人的な行動と感慨であり国民を代表する立場のものではない軽率な言動と思いました。靖国神社は誰 もが知っているように、これまで日本が関わってきた戦争で命を落とした英霊を祀ってある神社です。その神社を参拝することに誰も異議をとなえません。

 しかし国を守ろうとして命を捨てていった多くの兵士の純粋な命と、太平洋戦争の開戦を主導し廃墟と化すまで戦争を遂行した当時の日本の指導者が、一緒くたに祀ってあるところに筆者は甚だしい違和感を持っています。

 筆者に言わせれば、あの太平洋戦争を主導した当時の日本の指導者は世界の歴史に残る愚者でした。

 「純粋な魂と愚者の魂」を一緒くたに祀ってあるところに筆者は違和感を覚え、靖国神社の神殿の前まで行くことがあっても手を合わせたことはありません。

 家族を思い国を思い、帰還率ゼロの戦闘機に搭乗して太平洋の藻屑と消えていった若き特攻隊員や、母国から遠く離れた島々や地域の劣悪な戦場で散っていっ たおびただしい兵士たちと、終戦時まで愚考の日々の中で生き延びてきた指導者が、一緒くたに祀ってある神社に手を合わせることはできません。

 まして、安倍政権発足から1年などという節目は、安倍首相の個人的な感慨であり、日々苦楽を体験して生きている大半の国民にとって、安倍政権1年目などなんの意味もありません。そのような個人的なことを理由にあげることには、国民として恥ずかしい思いでいっぱいです。

 歴史作家・司馬遼太郎は、次のような言葉を残しています。

 「大東亜戦争は、世界史最大の快事件であろう。常識で考えても敗北と分かっているこの戦争をなぜ陸軍軍閥がおこしたのか」、「昭和軍閥を動かした連中 は、陸軍人であったが日本人ではなかった。われわれ日本人は、陸軍人という人種によって国家や家庭を破られた」(司馬遼太郎の著作より引用)

 昭和天皇は、毎年、靖国神社に参拝していましたが、東京裁判のA級戦犯が合祀されていることが判明した年から参拝をやめました。今の天皇陛下もそれを踏襲しています。それには重い意味があると斟酌するのが常識です。

 まして、近隣の国が外交問題にしようと手ぐすね引いて待っている問題に、首相自ら火をつけるという愚挙に対し断固として抗議します。

 このような浅慮の指導者と国という現実を世界に発進したことに、暗澹たる気持ちになりました。

                                

コラム・日々これ新たなり(2)「中国の月探査実現はIT産業革命の象徴だ」

                               
 中国の月への軟着陸成功は世界で3番目

 中国の月面探査車が活動を始めた。中国の宇宙探査の実力は、この10年であっという間に世界トップレベルへと躍り出てきた。驚くべき進展である。先ご ろ、「嫦娥(じょうが)3号」が月面に軟着陸し、月探査車の「玉兎(ぎょくと)号」がゆっくりと滑り出し、月面にわだちを付けた実績は、1966年の旧ソ 連、米国についで世界で3番目である。

 宇宙探査技術は、先端技術の粋を集めたものであり、一国の技術水準の指標とみなしてもいい。中国が21世紀に入ってから次々と宇宙活動を進展させてはいたが、このような短期間に月面活動まで達成できるとは世界中のほとんどの科学者は予想していなかったのではないか。

 筆者は、アメリカのスペースシャトルの打ち上げで2回、旧ソ連のソユーズ打ち上げで1回、それぞれ現地まで取材に行っている。 轟音とともに天を目指して上昇していくロケットの迫力と、そのロケットを地上からコントロールする「ミッション・コントロールタワー」を見ると興奮せざる を得なかった。

 米国フロリダ州のケープケネディの打ち上げサイトには、大勢の見物人が集まっていたが、上昇していくロケットを仰ぎ見ながら感動で涙を流している人もいた。人間が搭乗したロケットが宇宙を目指して上昇していく光景は感動を呼ぶのである。

 トータル・サイエンスを駆使する宇宙活動

 地球周回軌道に乗った宇宙船を地上からコントロールする基地は、打ち上げサイトとは別の都市にある。米国の場合、ヒューストンでありソ連の場合はモスクワにあった。打ち上げるとすぐに、飛行機でヒューストン、モスクワに移動して、宇宙船の飛行を見守ることになる。

 ロケットの打ち上げ、月への軟着陸、月面探査車の地球からのコントロールなど全てを成功に導くには、相当な技術力がなければできない。宇宙で活動する全ての装置の材料も、宇宙の過酷な環境に耐えなければならない。総合的な科学技術力がなければ成功しない。

 中国がこうした科学技術力を急速に力を付けたのは、IT(情報技術)の進展とともにコンピュータ化による「デジタルもの作り」が普及したからである。従来のもの作りの先端技術は、技術開発をピラミッド型に積み上げ、その頂点が最先端技術という姿になっていた。

 しかし1990年代からITの普及に伴って、もの作りの現場はデジタル化が進み、従来のような積み上げ式でピラミッド式に積み上げなくても、いきなり頂 上を目指すことが可能になった。有線電話を引かずにいきなり無線通信による携帯電話が普及したように、旧来の技術の上に立って次のステップへという手順を 踏まなくても、あたかもヘリコプターで頂上に舞い降りるように、いきなり頂点を極めることもできるようになったのである。

 資金力が技術革新を推進する

 中国にとってもう一つ大きなファクターは、カネがあることだ。90年代から「世界の工場」になってあらゆるものを作り、それを世界に供給して「荒稼ぎし た」と言ってもいい。巨額の宇宙開発予算を生み出し、国威発揚、軍事への応用などを視野に入れれば、宇宙開発は中国にとって最も野心的な科学技術プロジェ クトであった。

 ITによる産業革命は、90年代後半から始まっていると筆者は見ているが、その恩恵をもっとも得ているのは中国である。宇宙開発への挑戦と実績という形 になったものを見せられ、IT産業革命の象徴的現象を目撃した気持ちになる。この先中国は、宇宙開発をどのように人類に役立てようとしているのか。

 米国主導で始まっている国際宇宙ステーション(ISS)と、どのように中国は折り合うのか。有人宇宙活動で月面を歩く実績をいつ実現するのか。 興味は 尽きない。中国の先端宇宙技術が、やがて頂上から裾野へと広がり、中国の工業力にどのように影響を波及させていくのだろうか。

 中国の月着陸と月面活動を見て、21世紀の新しい科学技術の動向を見たように思った。

              

     「日々これ新たなり」を新設しました

 この欄は、身辺に起こった雑多な出来事をもとに何かを考え、はたまた素朴な感想や喜びや悲しみや怒りを書くエッセイにしたいと思います。

 11月24日(日)

 最高裁判決を「助かった」と漏らした高村副総裁

 今朝のNHKの日曜討論で取り上げられた一人一票実現運動訴訟に対する最高裁判決について、各党の代表者がそれぞれの主張を出し合った。この中で高村正彦・自民党副総裁は「最高裁判決は助かった」と漏らした。本音がちらっとでてしまったという感じだった。

 この言葉の裏には、「最高裁に助けられた」というニュアンスが色濃くにじみ出ている。立法府と司法府が「阿吽の呼吸」でつながっていることをはからずも語ってしまったのではないか。

 最高裁が憲法に基づいた法理で裁けば、「違憲、人口比例選挙でないから選挙無効」となるのだが、そのような判決では、国会が混乱して困るだろう。ここは 「執行猶予付き違憲」としてこの場を助け、課題先送りにするから国会であと始末はしてほしい。そういう球を投げたものだ。

 国会は、ストライクゾーンから外れた球を見て「助かった」と思い、次の瞬間、最高裁に助けられたとも思っただろう。阿吽の呼吸とは、相手の状況を見て互 いに微妙な気持ちと調子を合わせることである。「阿」は口を開いて発音するので「吐く息」のことであり、「吽」は口を閉じて発音するので「吸う息」のこと である。

 阿吽の呼吸は、物言わずして互いに心情を通わせる雰囲気でもあり、司法と立法がこの手法で互いに利害を分け合ったという言い方でも間違いないだろう。

   

阿(左)吽(吽)の狛犬は神社・仏閣を守っている

 神社や寺院の入り口に獅子に良く似た狛犬が左右に向き合う形で置かれている。この狛犬は、どちらかが「阿」と発し、どちらかが「吽」と発している。阿吽 の呼吸の狛犬は、神社・仏閣の魔よけになっている。 司法と立法は、阿吽の呼吸の狛犬となって、国民世論から自分たちの身を守ったということではないか。

                  

自伝・知財立国に取り組んだ日々 その8

    日本では特許を侵害しているとして企業が訴えられても、侵害を立証するのは原告側だから至難の業である。たとえ侵害をみとめられても、損害賠償金は小額で済むから産業界の間では「侵害し得(しんがいしどく)」という言葉が飛び交っていた。

 実際には大企業間で特許侵害訴訟までいくのは非常に珍しい。侵害の疑いのある揉め事があると、大体はクロスライセンスにして収めてしまう。大企業間のまあまあ体質が知財の世界にも色濃く横たわっていた。

 これが大企業と中小企業になると様相は一変する。特許の権利を持っているベンチャー企業や中小企業と大企業が特許をめぐってトラブルになると、大体は中小企業の泣き寝入りになることが多い。

 たとえば世界的にも知られているある大企業が、ベンチャー企業の技術を盗み、ある製品を大量生産して市場に出していた。侵害は明白であり、ベンチャー企業側からの警告を受けて初めて大企業は和解で切り抜けた。裁判になれば負けると思ったからだ。

 この実例は、聞けば聞くほどあきれてものが言えないという話であった。世に出せばどれだけ、その大企業はダメージを受けるかしれない。これは公表 するべきだとベンチャー企業の社長を説得したが、和解条項の中に守秘義務が入っているので出来ないという。もし、これを破ってまで公表すると、今度はこの 業界では食っていけないとも言う。つまり大企業はダメージを受けないように出来ている。

 侵害を受けた多くのベンチャー企業は、最後まで闘う余力はない。和解内容に多少不満であっても、早期解決を図らないと自社の営業活動に支障が出る。特許がものをいうのは技術力ではなく、その特許を持っている企業の資本力である。

 そのような状況を聞いていたので、1998年(平成10年)度と1999年(平成11年)度の特許法改正の特許庁審議会の委員になった筆者は、声を大にして中小企業からの立場で侵害立証を容易にする法制度の構築を主張した。
 裁判所を代表している委員や大企業の委員は、筆者の主張に反対する意見を述べていたが、この2つの改正では次のような点が改正された。

1998年(平成10年)度特許法改正
・特許権等侵害に対する民事上の救済及び刑事罰の見直し(特許法第102条)
・願書の記載項目中「発明の名称」の削除(特許法第36条)
・先願の地位の見直し(特許法第39条)
・優先権書類のデータの交換(特許法第43条)
・特許料及び手数料の取扱い(特許法第107条、第195条)
・無効審判の審理促進(特許法第131条)
・証明書等の請求の規定の見直し(特許法第186条、第66条)

1999年(平成11年)度特許法改正
・審査請求期間の短縮(特許法第48条の3)
・訂正請求の見直し(特許法第120条の4、第134条)
・審判書記官制度の創設(特許法第144条の2、第147条、第150条、第190条)
・特許等の権利侵害に対する救済設置の拡充(特許法第104条の2~第105条の3、第71条、第71の2)
・特許存続期間の延長登録制度の見直し(特許法第67条~第67条の3、第159条)
・申請による早期出願公開制度(特許法第64条~第64条の3、第9条、第14条、第17条の3、他)
・裁判所と特許庁との侵害事件関連情報の交換(特許法第168条)
・新規性阻却事由の拡大(特許法第29条)
・新規性喪失の例外規定の適用対象の拡大(特許法第30条、第184条の14)
・分割・変更出願に係る手続の簡素化(特許法第44条)
・特許料金の引き下げ(特許法第107条)

 平成10年、11年の特許法改正は、日本の知財現場で大きな転換点となった。改正の重要案件の第1は、特許権等侵害に対する民事上の救済及び刑事罰の見直し(特許法第102条)である。

 そして第2が、審査請求期間の短縮(特許法第48条の3)である。それまで7年間だった審査請求の猶予期間が3年に短縮された。さらに第3は、申請による早期出願公開制度(特許法第64条~第64条の3、第9条、第14条、第17条の3、他)の設置である。

 日本はそれまで、特許大国と呼ばれていた。1986年から95年までの10年間の日本の特許出願件数は、約366万件でありアメリカの約174万 件の2倍である。ところが、生きている特許、つまり活用されている特許ストックを見ると、アメリカは111万件であるが、日本は68万件でしかない。
 さらに特許請求項に書かれている発明の数は、1出願あたりアメリカは日本の3倍になっている。実力はアメリカが抜き出ていることが分かる。

 さらに7年間という審査請求期間の差が、特許取得時期に大きな影響を与えていることが分かった。
 日本の企業が、1985年に日本特許庁に出願し、同時にアメリカとヨーロッパ特許庁にも出願したケースを10年間追跡して比較したものがある。

 日本で出願したものが特許になった件数は、2690件でしかないが、アメリカでは6566件も特許になっている。ヨーロッパでは5374件だ。アメリカでは、出願した件数よりも増えているのは、出願後に分割して複数の出願にしたために増えたものだ。
しかも特許取得時期を比べると、アメリカは出願から3年後にピークがあり、ヨーロッパは5年後、6年後にピークがきている。これに対し日本は9年後にピークがきており、明らかに特許の有効期間で見ると日本は短い。つまり寿命の短い特許を取得していると言うことだろう。
 これでは、世界で技術競争をしても負けるのではないか。たとえば次のような調査結果が出ている。

 平成10年に通産省のイノベーション研究会が出した報告書によると、アメリカ商務省(DOC)がアメリカ人を対象に調査した発明調査の結果は、日 本人にとってショックである。私たちの身近にあるハイテク製品38品目について、発明した人とそれを新製品にした人と商品化した人を、日米欧のいずれであ るかを聞いた調査結果である。

 38品目のうち日本人が発明したものは一つもない。まさかと思うが、原理原則はみな欧米人が発明したものだ。新製品化とは、発明に基づいて製品にするために研究・開発することだが、こちらも日本人は2つしかない。

 ところが、市場へ出す商品化になると、とたんに24品目を占めて圧倒的に強くなる。日本人は商品化することは得意だが、世の中にないものを発明して世に出していく資質が欠けているということになる。

 製品を作る製造工場の工程では、創意工夫して優れた製造現場を作ってしまうが、新しい製品を世の中に出していく才能には欠けている。プロセス・イ ノベーションには強いが、プロダクト・イノベーションには向いていないということになる。これではいつまで経ってもキャッチアップ思考、状態から抜け出せ ないのではないか。

 日本人の発明は、本当に価値があるのだろうか。製品化する技術には優れていても、新製品を生み出す資質にかけている民族なのだろうか。そのような疑問が次々とわいてきたのである。

               
                                
                
 自伝・知財立国に取り組んだ日々 その7
                               
                 

 このシリーズでも触れているように、日本の中央行政官庁が知財重視に大きく舵を切ったのは、1996年7月 に荒井寿光長官が就任してからである。特に「21世紀の知的財産権を考える懇談会(座長:有馬朗人・理化学研究所理事長)」の報告書が世に出てからは、産 業界も学界も特許に強い関心を持つようになっていた。

 筆者は、科学技術の研究開発に取り組んでいる人に会う機会が多かったが、この報告書が出てから、にわかに特許に注目する人が増えてきていることに 気がついた。アメリカの研究者は、「右手に特許、左手に論文」というのが当たり前であり、論文よりも特許を重視しているという話も伝わってきた。

 いま振り返ってみると、あの当時、多くの人たちは、世界が変わりつつあることを感じ始めていたのである。日本の高度経済成長を推進してきた産業技術は成熟し、新しい技術革新を起こさない限り競争力を得ることはできないことを、誰言うともなく肌で感じ始めていた。

 それこそが、筆者が主張してきたIT(情報技術)を推進ツールとした第三次産業革命の勃発である。高度で専門性の高い産業技術でなければ、競争力を得ることはできない。それはとりもなおさず特許に囲まれた技術開発でなければならない。

 品質のいいものを安く、大量に製造する時代は過ぎ去ったのである。誰も考えなかった世界初のアイデアや技術を駆使した製品やそれまで存在しなかった機能を持った製品を開発して市場に投入しない限り、企業は競争力を持つことはできなくなってきた。
 
 基礎研究に裏付けられた大学の研究者たちが開発した技術をもとに、大学発のベンチャー企業を起こしたり、産学連携による技術移転が必要になったのは、産業技術が理論的な限界を追い求めるようになったからであり、それが時代の趨勢であった。

 大学の研究者による基礎研究の成果が実用レベルになるのは、20年から30年かかると言われていた。しかしインターネットであらゆる情報が瞬時に 世界を駆け巡り、コンピューターとソフトが世界中に普及したために、モノ作りの現場が標準化され、いいものを安く大量に生産することは、誰でも出来るよう になっていた。

 日本で、にわかに知的財産権のテーマが浮上してきたのは、このように産業技術の進化と世界的な産業構造の変革によるものであり、知的財産権を取り巻く諸制度もこの変革に合わせたものでなければ産業競争力を得ることはできない。
 しかし特許を取り巻く制度は古びたままになっていた。

 荒井特許庁長官は、その制度の抜本的な改革に乗り出した。法制度は社会の実態があって初めて構築するものであり、法制度は社会が作るものであっ て、法律家が作るものではない。特に特許法を始め知的財産権を取り巻く法制度は、一国の産業競争力の確保という国際的視点も入れた制度でなければ意味がな い。

 それまでの特許制度は、どちらかというと産業界の意見や意向を取り入れるものではなく、行政と法律家主導で構築していた。産業界には、その不満も 鬱積していた。しかしその一方で大企業は、制度が不備であることに気が付きながら、その制度に合わせていくことに精いっぱいであり、特許庁に意見や希望を いうことなどまったく考えていなかった。

 そのころ筆者が企業の特許部の人たちにインタビューして最も強烈な印象を受けたのは、「大事な特許訴訟は欧米でします」と明言していたことだ。企 業同士が特許紛争になった場合、アメリカで訴訟を起こして決着をつけようとしているのだ。自分の国の特許制度や司法判断を信用できない実態を知ってびっく りした。

 そのような状況をとらえて、荒井長官は矢継ぎ早に特許法改正に着手し、後任の長官は弁理士法改正へと動き出していく。
 
 1997年に特許庁長官の諮問機関として特許法改正のいわゆる審議会が設置されその委員に筆者も委嘱された。その第1回の委員会で、筆者は「日本の特許 紛争は、侵害したほうが得するようになっている。原告が侵害を立証することは難しく、仮に原告が勝った場合でも損害賠償金は小額である。これは制度が悪い からであり、抜本的に改正しない限り、知的財産権を重視するような社会は生まれない」という趣旨の発言をした。

 これに対し裁判所の代表となっていた委員から、猛烈に反発する意見が出された。その委員とはその後も、多くのことで意見衝突した。「現行法制度の 枠組み」という考え方もこの審議会を通して知ることになる。要するに制度が先にあって、企業や社会がそれ合わせるのであり、社会の実態に合わせて制度を作 るという考え方ではないように見える。

 この審議会では、特許の侵害に対する民事上の救済や刑事罰の見直しが大きなテーマになってきた。また同時に、特許出願後に7年間という長期間の審査請求期間を設けていることも、もはや世界の潮流に合わない制度であることも指摘されるようになっていた。

 どのような審査であっても、審査請求をするかどうか7年間も猶予期間があるなどとは聞いたことがない。なぜ、7年間の猶予なのか。聞いてみると、特許庁の審査が間に合わないので、審査案件がたまっていく。猶予期間を置いて審査を緩和するという。

 企業側もそれでいいという。とりあえず出願しておいて、事業の展開と技術開発の進展を見て審査請求するかどうかを決める。企業にはその方が都合がいいというのだが、日本の企業全体がそのような制度の中で「都合」よく考えているのではないか。
 筆者にとっては、驚くような制度だった。

                                

自伝・知財立国に取り組んだ日々 その6

   知的財産権の重要性を明確に認識させた最初の知財報告書「21世紀の知的財産権を考える懇談会(座長:有馬朗人・理化学研究所理事長)」の衝撃は、日本の産業界、大学、研究機関、官界、政界などあらゆる分野に静かに広がっていった。

 「知的財産権」という言葉自体が新鮮な響きを持っていた。そのころ一般的に「知的所有権」という言葉が使われていた。これは 「Intellectual Property」を「知的所有権」と翻訳したためであり、国際的な機関であるWIPOは「世界知的所有権機関(World Intellectual Property Organization)」と言われていた。

 この機関名の日本語表記は今でも「知的所有権」と変わっていないが、これは固有名詞として使用した場合は変えないという慣習に従ったのだろう。

  「21世紀の知的財産権を考える懇談会」の報告書が出てから間もなくである。法律専門書の出版社である法学書院から、工業所有権の初歩的な啓発 書を書いてほしいとの出版要請が持ち込まれた。特許、実用新案、意匠、商標の4権を工業所有権と呼んでおり、その慣習で工業所有権だという。

 この連載の「その4」でも書いたように、当時の特許庁長官、荒井寿光さんと共著で特許に関する本を出そうとしても引き受ける出版社がない。それで 断念した経過があったから喜んで引き受けることにした。出版社の意向を聞くと特許庁長官と共著で出すような内容ではなく、初歩的で一般啓発書を求めてい た。

 そのころ筆者は「21世紀構想研究会」を創設し、多くのベンチャー企業創業者、官僚、大学人と討論する機会があったが、一般的に知的財産権という 認識はまだ希薄であった。21世紀構想研究会の事務局を手伝っていた弁理士の伊藤哲夫さん、主婦の君島美那子さんらと話をしているうち、3人で共著にしよ うという話になった。

 伊藤さんは、26年間にわたって特許庁の審査官、審判官、審判長などを務めた知財のプロであり、君島さんは大学を卒業後、出版社に勤めており著作権についてのプロである。それぞれの分担を決めてまず目次を作った。
 
 編集者と何度か打ち合わせをしたが、出版社の意図は初歩的な知識の啓発だから本のタイトルにも「やさしい」という言葉を付けたいと言う。そのとき、知的 財産権という言葉を使うか知的所有権とするかで意見が割れた。出版社側は「知的所有権」でいきたいという。まだ、知的財産権という言葉は市民権を得ていな かった。

 結局、本のタイトルは「やさしい知的所有権のはなし」(法学書院)と決まり、3人の分担執筆で取りかかった。この本をいま広げて見ると、初歩的な 知識のほかに当時の知財の話題がかなり盛り込まれており、「21世紀の知的財産権を考える懇談会」の報告書からの引用もされている。

 教本的な知識だけでなく、知的財産権の初歩的な知識を、興味を持たせて読ませようという意図が感じられる。知的所有権という言葉は、2002年7 月3日に策定された政府の知的財産戦略大綱で、明治時代以来用いられてきた「工業所有権」が「産業財産権」と改められ、「工業所有権法」も「産業財産権 法」と改められた。同時に「知的所有権」も「知的財産権」と改められ、新しい時代の到来を告げることになる。

 1998年1月10日付けの読売新聞社説は、「日本活性化」という総合見出しの中で「技術立国めざし基盤整備を急げ」というタイトルで筆者が書い ている。新年を迎えるとどの新聞社の社説も、政治、経済、国際、社会、科学技術などのテーマで毎日、大型の社説を書くことになっていた。

 その慣例で筆者は、科学技術分野で書いたものだが、いま読んでみるとまずユニークな書き方をしていることにびっくりする。インクスの山田真次郎氏 の実名を出し、あたかも連載物の冒頭のような書き出しで社説を書き始めている。そして自動車1台の部品は約2万点あり、その情報がデータベースとなり、自 動車製造工程がコンピューター化されてきた現場を紹介している。

 そのころからあらゆる製造現場では、コンピューターによる設計へと様変わりし始めており、コンピューターに内蔵されたデジタル情報でモノ作りを完 結し、物理的な製造物は最後の工程で出てくる。モノ作りの現場で活躍した熟練職人は必要性が小さくなり、コンピューターが幅を利かす時代に入ってきたので ある。技能が技術化されて、デジタルファクトリーという言葉も出てきた。

 山田真次郎氏は、その状況を「情報工業化」と命名し、独自の構想を実現するため果敢にITモノ作りを目指し、工程の改革に挑戦していた。社説の前半は、山田氏の挑戦と製造現場の変革を語りながら、いま起きている変革に対応しないと日本は沈没することを警告している。

 そして社説の後半は、アメリカの知財戦略を紹介しながらこのIT変革に勝つためには知的財産権を強化し、特許裁判所の創設を含めた知財の体制強化 を主張している。さらに大学と国研の制度が古びていることを指摘し、国研の再編と大学研究現場の活性化を激しく主張している。1998年当時の科学技術、 研究開発、大学、公的研究機関、知的財産分野などの課題がすべて網羅されているような社説になっている。

 この社説が掲載された前日の1998年1月9日、ノーベル化学賞受賞者の福井健一博士が亡くなった。筆者にとってもっとも入魂にお付き合いした科 学者の一人であり、欧州と国内を一緒に旅行する機会が数多くあった。その道々、福井先生から示唆に富んだ話をたくさん伺った。その類まれな洞察力と日本の 科学研究現場に常に想いを致してやまなかった偉大な科学者であった。

 筆者は、1月11日付け社説で「寛容の自然観を説いた研究人生」とのタイトルで追悼文を書きあげた。ゲラを読んでいるとき、福井先生の在りし日の姿が彷彿と湧きあがり、活字がかすんで見えなくなった。
 福井先生は、特許には非常なこだわりをもっている科学者であり、日米欧で35件の特許出願をしていた。

 福井先生はそのころから、野依良治博士のノーベル賞受賞は間違いなしと予言していたが、野依先生はその予言通り2001年にノーベル化学賞を受賞 する。野依先生はその当時、日米欧で270件の特許出願をしており、歴代のノーベル化学賞受賞者の中でも突出している特許出願人の科学者であった。

 筆者は、ノーベル賞受賞者のフォーラムを担当したため、多くのノーベル賞受賞者にインタビューする機会があった。ノーベル賞授賞式に行ったこともある。身近に接するノーベル賞受賞者たちは、実に多彩な人柄と才能にあふれていた。

 ノーベル賞と特許というテーマについても、その中から生まれた。特許庁の幹部にその話をしたら、1980年以降のノーベル賞受賞者と特許について調べてみたいと言い出した。これは筆者にとって望外の喜びであった。
 特許庁は、その約束を2000年になって実現した。後で聞いたところでは、かなりの費用がかかったという。日米欧の特許をすべて調べるのだから個人ではできないことだ。この調査は、2000年時点の1回だけで終わっている。当時の調査結果は次のとおりである。

ノーベル賞受賞者と特許1981―2001年までの21年間(特許庁調べ)
 特許出願した受賞者
 物理学賞       27人(56%)
 化学賞        25人(60%)
 生理学・医学賞     23人(48%)

ノーベル賞科学3分野受賞者の特許出願トップ3
物理学賞
キルビー 2000年 129 集積回路
ビニッヒ 1986年 92 走査型トンネル電子顕微鏡
ジェーバー 1973年 83 半導体トンネル効果
化学賞
野依良治 2000年 270 キラル触媒による不斉水素化反応
レーン 1987年 95 クラウン化合物の合成
ヒーガー 2000年 91 導電性プラスチック
生理学・医学賞
ハウンズフィールド 1979年       192  エックス線断層撮影
シャレイ 1977年 134 脳のペプチドホルモン生産
ヒッシング 1988年 123 薬物療法の重要な原理

  
             

自伝・知財立国に取り組んだ日々 その5

                               
                 

 知財の意識革命を喚起した最初の報告書 
 日本の産業界、大学、研究機関、官界、政界などあらゆる分野に知的財産権の重要性を明確に認識させたのは、1996年12月、荒井寿光・特許庁長官の諮 問機関として設置された「21世紀の知的財産権を考える懇談会(座長:有馬朗人・理化学研究所理事長)」の報告書である。

 これが、日本で知財意識を目覚めさせた最初の歴史的報告書である。後日、座長の有馬先生に会った折にそのような話をしたら「私もそう思う」と明確に言っていたのを思い出す。

 それまで知的財産権という言葉はあまり使われていなかったが、この懇談会で初めてその言葉の意味と世界の状況を紹介し、日本の置かれている立場を分析して21世紀に備える日本の指針を示した。

 しかもこの報告書では、知的財産権を生み出す最も重要な基盤になる日本の科学研究現場の後進性をずばりと衝いている。科学ジャーナリストなどと語っていた自分は、いったい今まで何をしていたのかという思いをした。

 この報告書を筆者が最初に見たとき、本当に衝撃を受けた。その内容は、来るべき21世紀は、研究開発や社会全体に大きな変革をもたらす「情報化」と、国境を越えた大競争をもたらす「グローバル化」の2つがキーワードになることを示し、次のような警告を発した。

 まず第1に、その年の前年に策定された第1期科学技術基本計画を受けて、「科学技術創造立国」を実現していくためには、基本技術中心の研究開発、研究成果の権利化、経済財としての権利の活用による知的財産権と知的創造サイクルを築き上げることが必要である。

 日本のそれまでの実情を見ると、研究開発の成果が国際的な競争力の源泉になっておらず、技術貿易収支からみると輸入国である。また海外での特許出願、特許取得を見るとアメリカから大きく遅れている。
 荒井寿光特許庁長官は、「知財分野では、アメリカから1周遅れている」と語ったが、まさにそのような感じだった。

 アメリカの知財戦略は、1980年代から始まっていた。知財戦略に対するおもな動きを1998年までの年表にすると次のようになる。

1980年 アメリカで史上初めて、微生物を特許と認める
      バイ・ドール法を制定(大学から民間への技術移転を促進する法)
1981年 ソフトウエア特許を認める(アメリカの知財強化と産業競争力の強化)
1982年  連邦巡回控訴裁判所(CAFC、アメリカの知財高裁)を創設。
1985年 「ヤング・レポート」がまとまる。(アメリカの産業競争力を強化するための政策提言)
1986年  「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」
      (TRIPS=トリプス)の交渉が始まる。(知財保護を前提とした自由貿易の協定)
1988年  国際貿易委員会(ITC)の権限強化(アメリカの知財保護の制度強化)
1995年   トリプス協定がまとまる。仮出願制度を創設(アメリカの知財制度の強化)
1996年   経済スパイ法を施行(アメリカの知財保護の強化)
1998年   ビジネスモデル特許を認める(アメリカの知財権利の強化)
      カーマーカー法(線形計画法のアルゴリズム)特許成立(アメリカの知財権利の強化)

 21世紀は知的創造時代になるのは確実であり、知的創造サイクルを加速化するには、研究開発の成果を活用することが極めて重要である。アメリカは80年代から知的財産権を重視し、国の競争力を強化してきており、日本は大きく水をあけられている。まさに1周遅れであった。

 21世紀の日本は、国全体として知的財産権の価値を再認識し、それを最大限に高め、有効活用していくという「知的財産権についての意識革命」が必要だ。

 この報告書は、このように問題意識を提起したあと、今後の指針として次のような項目を示した。

*産業界は、企業経営戦略の中での知的財産権戦略を抜本的に強化すべし。
*大学と研究機関は、研究開発の成果は知的財産権として確立すべきだ。
*行政は、特許重視(プロパテント)政策とそのための知的財産権インフラの整備をするべきだ。

 そして21世紀の知的財産権の目指す方向として、産業界、大学・研究機関、行政の目指す方向として次のような指針を示した。

第1.知的財産権の「広い保護」
第2.知的財産権の「強い保護」
第3.大学・研究所の「知的財産権振興」
第4.「特許市場」の創設
第5.「電子パテント」の実現
第6.「発展途上国協力」の推進
第7.「世界共通特許」への道
第8.「知的財産権政策」の国家的取り組み

 筆者は、この報告書に盛り込まれている各種データと分析結果、そして提言を何度も読みながら、21世紀は違う時代になるのだという認識が明確に広がっていくのを感じた。
 その感慨が後々、「時代認識」という言葉となって自身の思考と活動に関わるようになる。

 自伝・知財立国に取り組んだ日々 その4

                              
                 

 本の出版を企画するが受ける出版社がない
 前回まで既述したように、筆者はさまざまな知財関係に関係する人々との出会いによって、知的財産権についての現状認識と知識が蓄積されていった。
 その知識を元に97年の夏にかけて、筆者は荒井特許庁長官と共著本を書くためにまず目次を作り、それに前文を添えて出版企画書を作った。事前に荒井さんの了解を得て出版社に働きかけてみた。

 まだ知的財産という言葉は「業界言葉」だったので、「特許を見れば世界がわかる」「特許情報は宝の山」などいくつかのタイトルを提示した。こうしたタイトルは、荒井さんの講演資料から取ったタイトルであり、荒井さんはそのようなキャッチを作るのが実にうまかった。

 目次を作った段階で、魅力的な知財啓発書になると自負した。これならすぐにでも出版できるのではないか。しかし実際に動いてみると、どこの出版社も引き受けてくれない。
 知的財産と言うと「それは学術書ですね」と言う。「特許」と切り出すと「専門書ですね」と言う。その内容を説明しても分かってもらえない。

 さまざまな人脈を使って6つの出版社に話をしたが乗ってこない。落胆の中でこの共著企画はご破算になった。

 しかし荒井さんは独自に「これからは日本もプロパテントの時代」(発明協会 1997)、「特許はベンチャービジネスを支援する」(発明協会 1998)、「特許戦略時代」(日刊工業新聞社 1999)などを矢継ぎ早に出版していった。
 どの本も一般の人々にも興味を持つように書かれており、その行動力には舌を巻き後塵を拝したという思いだった。

 97年の夏を迎えるころ、複数の企業人から相談を持ちかけられた。
 「荒井特許庁長官は、まもなく任期が来て交代するらしい。荒井さんが交代すると特許庁行政は停滞する危惧がある。なんとか任期を延長する方策はないだろうか」

 官僚の人事は、民間にとってはどうにもならない問題だ。しかし任命者にたいして社会の声を届けることは意味があるのではないか。そう思い直し、各界の人々に相談をしてみた。

 そのとき、「荒井留任」を要請する声が、産業界だけでなく政界、弁理士会、マスコミ界にまで広がっていることを知った。官僚の人事でこのような広がりを見せたのはおそらく前例がないのではないか。
 しかしその心配は杞憂に終わった。まもなく「荒井留任」が決定し、さらに1年延びることが確定的になった。

 21世紀構想研究会を創設する 
 1997年9月、筆者は何人かの仲間を集めて「21世紀構想研究会」(現特定非営利活動法人21世紀構想研究会、http://www.kosoken.org/)を作った。
 知的財産権を重視した産業構造に変えるべき時代に、日本は何をするべきか。さまざまなテーマを討論して政策提言もしたいという研究集団を目指した。

 メンバーは、有力なベンチャー企業の創業者、中央行政官庁の課長クラス以上の官僚、大学人、新聞各社の論説委員・編集委員など約80人だった。そのメンバーに加わった株式会社インクス創業者の山田眞次郎氏との出会いが、私の世界観を変えた。

 山田氏は三井金属でドアロック(自動車のドア部分の機能)の設計をしていた。山田氏の設計したドアロックは、ホンダやクライスラーのほとんどの車に搭載され、ドアロックでは世界トップまで上り詰めた設計者である。

 1989年、デトロイトの展示会で、コンピューターのデジタル情報を3次元物体としてアウトプットする光造形装置を見てからもの作りの現場が変わると予感し、会社を辞めてもの作りのコンサルタント業に転進していた。

 光造形装置とは、簡単に言えば、コンピューターの中で設計したものを3次元の物体としてアウトプットするものだ。通常、我々は、コンピューターの中で作成したデータなどをアウトプットする場合、紙に印刷する2次元のものだ。
 それが3次元の物体としてアウトプットする。最初に筆者が聞いたとき、わが耳を疑った。

 光造形装置は、コンピューターで作成したデータを3次元物体としてアウトプットするのだから画期的な方法だ。しかもその画期的なアウトプット装置を世界で初めて発明し、実際にモノを作って見せた人物は、小玉秀男氏(現在は弁理士)という名古屋市の技術者であった。

 筆者は、すぐに小玉氏に連絡をとり取材したところ、驚くような事実を知る。小玉氏はこの画期的な装置の特許を取得するために、当然、特許出願をするのだが、審査請求をするのをすっかり忘れていたため、権利を取り損ねていた。

 装置の開発ではアメリカの技術者に先を越され、その装置が日本へ入ってきていた。当時の審査請求は7年間という猶予があり、小玉氏はアメリカに留学している間に忘れてしまい、審査請求権を失効するのである。

 その発明から日米での特許紛争に至るまでの詳細な報告は、筆者が書いた「大丈夫か日本のもの作り」(プレジデント社)に詳しく書いている。

 音を立てて崩れていく日本のモノ作り現場を見る
 ともかくも、光造形装置とは、コンピューターソフトの3次元CADを使って入力された3次元ソリッドデータを平面で切って2次元の断面データを作成し、 このデータをもとに液状の光硬化性樹脂に紫外線レーザ光を照射して硬化させ、一層ずつ積層することによって3次元立体モデル(造形物)をアウトプットする ものだ。

 たとえて言えば、平面に印刷したものを次々と積層して、立体形を作っていくような装置である。

 3次元積層造形法(ラピッド・プロトタイピング=RP)とも呼ばれており、開発のスピード化、開発コストの削減、開発工期の効率化に大きく寄与し、製品開発に不可欠な手段となって、モノ作りの現場を急速に変えていった装置であった。

 インクスに話を戻すと、同社は携帯電話の金型製造をしていたがそれは仮の姿であり、本命はもの作りのシステム設計であった。もっと具体的に言えば、日本の大企業の製造現場を作り変えるためのコンサルタント業である。

 携帯電話の金型は、その当時、設計図ができてから45日くらいかかるのが普通だった。それをインクスは45時間という信じられない時間に短縮する。その工程システムと技術はもちろん、特許に囲まれた新しい工法であった。

 山田氏はドアロックの設計者として約150件の特許を出願しており、知的財産権の世界も熟知していた。その山田氏から、産業現場の変革を懇切丁寧に伝授された。もの作りの現場に連れて行かれ、多くの企業人を紹介され取材に飛び回った。筆者にとって興奮の連続であった。

 特に蒲田地域の金型工場を見て回ったり、自動車、電気、材料関係などの大企業の技術者にも会い、モノ作り現場の変化を徹底的に取材した。
 産業技術に素人の筆者にとっては知らないことばかりであり興味が尽きない。その積み重ねによって、間違いなくモノ作り現場では革命が始まっていることを知った。

 こうして高度経済成長期を支えた日本のもの作りの現場が音を立てて崩れていく最後の現場を見ることができた。それは筆者にとって幸運であった。なぜなら次の産業構造の再構築の現場を理解する際に大いなるヒントをもらったからである。

 そしてそれは、1999年に初めて上海、北京を見たときの衝撃に結び付いていく。中国の台頭を肌で感じ、中国ウオッチャーになろうと決心したその動機こそ、日本の産業現場の転換期を見ていた体験があったからであった。

 古いモノ作りの現場に代わって台頭してきたのは、知的財産権を軸として再構築されていく新しい産業構造の現場であった。

 それは荒井寿光・特許庁長官が、日本の企業の特許意識の変革を訴え、日本は国際的な知財戦略を打ち立てないと競争力を失っていくことを警告していた活動と符合するものであった。
 知的財産権についての興味はますます大きくなっていった。

  

自伝・知財立国に取り組んだ日々 その3

                               
                 

 荒井寿光さんとの出会いで特許に開眼
 特許とは何か。知的財産権とはどういうことなのか。その感をますます強くしたのは、1996年に特許庁長官に就任した荒井寿光さんと出会ってからである。

 1993年に筆者が、論説委員になったことはこの前にも書いた。論説委員は、社説を書くのだが、社説は新聞社の社論であり、自社の主張する論点を内外に向かって発信するものであり、言論を売り物にする新聞社の核心にあたるものである。

 社説を書いて世に社論を発表する執筆者になってみると、想像以上の緊張感があった。あらゆる分野、テーマについて日々勉強することの連続であり、7年間、論説委員をやっていたが、新聞記者としてこの時期が最も自分を磨いた時期でもあった。

 筆者はその日々の活動の中でも、特許や知的財産権の一般的な案件に興味を持ち、自分なりに学習を重ねていた。そのころである。特許庁が各社の論説 委員を集めて説明会を開いてくれた。荒井長官は、特許の重要性を論説委員に理解してもらい、メディアでも啓発してほしかったのである。

 懇親会の席でスピーチに立った荒井長官は、特許について実に分かりやすい言葉で熱心に話し、「特許のことをもっとマスコミでも取り上げてほしい」と言った。
 それは、特許の時代になったことを社会に認識させ、知財の国際戦略が不十分と指摘されていた企業にも、意識改革を迫るためにマスコミを通じて世に働きかけたいという意欲を語ったものであるが、同時にマスコミにも意識改革を迫ったものでもあった。

 そのころ、日本弁理士会がマスコミ向けの勉強会を始めた。新聞、テレビ、雑誌などの記者を集めて特許、意匠、商標などの初歩的な知識の伝授と直近の話題が講義内容だったが、筆者の知識蓄積と後々の取材活動には非常に役立った。

 それに毎回、一線で活躍する多くの弁理士と名刺を交換し、人脈を広げるのにも役立った。昼食をはさんだ時間帯を設定していたので、現役の記者は夕刊の締め切り間際なので出席できない。
 比較的時間に制約されない雑誌や専門誌の記者数人という寂しさだったが、大学のセミナーのような雰囲気で実にいい講義内容が聴けた。

 そのころご教示をいただいた弁理士は、村木清司、下坂スミ子、渡辺望稔、伊藤高英、長谷川芳樹の諸先生方をはじめ多くの弁理士である。
 その後日本弁理士会のアドバイザリー委員会の委員を委嘱され、組織の活動と弁理士の活動領域について意見を述べる立場となったが、それは同時に多くの知財情報と知識をいただくことになる。それが筆者の知財取材活動に大いに役立った。

 1997年の弁理士会の新年賀詞交歓会で、荒井寿光特許庁長官と出会ったとき、荒井さんは「いっしょに本を書きませんか」と誘ってきた。荒井さんは特許の啓発書を世に出したいと願っていることが分かった。

 そのころ荒井さんは、世界の産業構造の変革によって知的財産権を重視する時代になっていることを訴えるため、全国を講演して歩いていた。その活動の様子は、弁理士や企業人たちから聞いて知っていた。

 「今度、特許庁長官になった人は、これまでの長官とはだいぶ違う。特許や知的財産権について意欲的に勉強をし、特許の重要性を説いて歩いている。こんなに行動力のある長官はこれまでいなかった」

 企業人の間では、これまで例を見ない長官であり、実務上のことまで踏み込んで辛口のコメントを発し、特許の啓発をしてくる「やる気のある長官」として歓迎されていた。

 荒井長官が大局的立場でやったことは、日本の企業、大学・研究現場などに与えたショック療法である。アメリカから始まったプロパテント時代の到来 を敏感に察知した荒井さんは、戦後営々と築き守られてきた日本型の知財文化がすでに時代にマッチしていないことを訴え、知財関係者の精神風土を変えるた め、新しい知財社会が到来していると警鐘を鳴らし始めたのである。

 荒井さんのこの特許啓発活動を裏から支えたのは、特許庁ナンバー2の清水啓助特許技監と次の佐々木信夫特許技監である。筆者はそのころ、特許法改正の審議会の委員を委嘱され、特許の制度のあり方を勉強中だった。

 あるとき、佐々木技監(現株式会社特許戦略設計研究所代表取締役)が生越由美特許庁審判部書記課課長補佐(現東京理科大学知財専門職大学院教授)と一緒に読売新聞論説委員室に訪ねてきた。
 特許法改正の審議会で論議中の議案の中身について事前説明をするためであったが、そのとき佐々木技監はアメリカで紛争となったミノルタとハネウエルの自動焦点カメラの特許権利の日米の違いを日米の特許審査と比較しながら明快な説明をしてくれた。

 このとき初めて日米の特許戦争の深い意味が理解できるようになった。

 佐々木技監には、98年7月にアメリカでステート・ストリート銀行のビジネスモデル特許が認められたとき、特許の解釈の変遷と意味を教えていただ き、アメリカの特許弁護士のヘンリー・幸田さんからは、アメリカでのビジネスモデル特許をめぐる振興企業のせめぎ合いとすさまじいビジネス状況を教えてい ただいた。

 さらに荒井さん、佐々木さん、生越さんらから、特許を武器にして有力なベンチャー企業として台頭してきたシコー技研(白木学社長)、アイジー工業 (石川尭社長)らの話を聞き、すぐに経営者に会いに行った。白木社長も石川社長も実に明確な特許哲学をお持ちであり、日本のベンチャー企業には優れた人が いることを実感した。

 それは筆者がその後、多くのベンチャー企業の創業者に取材をするきっかけを作った。

 

                                              

自伝・知財立国に取り組んだ日々 その2

                               
                 

 ワープロショックから感じた世界観 
 バブル崩壊期から少々遡るが、筆者がどうしても書いておきたいことがある。それはパーソナルコンピューター(PC)が一般機として世に出る前に普及したワードプロセッサー(ワープロ)についてである。

 そのワープロを自由に使いこなしている現場を見たときのショックは、後年、自分の世界観を大きく変えた出来事として思いだされるからである。

 1984年8月、アメリカのスペースシャトルのコロンビア号、チャレンジャー号に続く3機目の宇宙船として「ディスカバリー号」が打ち上げられ、 その取材でフロリダのケネディ宇宙センターに行った。そのときプレスサイトに集まっていたアメリカ人記者らの会話は、その多くがワープロの話題だった。

 彼らの会話を聞いていると、「copyright」「patent」という言葉がしきりに出てくる。それが実際にどういう意味なのか理解できなかったが、ワープロソフトと機種の優劣についての情報交換だった。

 そのとき初めて、ワープロと言う機械とその機能を実感として知った。アルファベット26文字をそれまでのタイプライターと同じように打ち込むと、それが同時に画面に表示され、打ち込んだ文章は電話線で本社とつながり、印刷されてしまう。

 つまり、オンラインで原稿が遠隔地にあるデスクの机上にリアルタイムで表示され、そこでチェックを受けてすぐに工場にオンラインで送られ、新聞として印刷されていく。

 原稿を升目の原稿用紙に手書きし、その原稿がデスクの手直しを経て校閲でチェックされ、工場で1字ずつ拾われて活版になって印刷される。そのような状況にある日本の新聞制作を見ている記者としては、信じられない光景だった。

 宇宙センターのプレスサイトにいた日本人記者は、まず国際電話で東京の本社につなぎ、電話口で原稿を読み上げると、東京の同僚記者がそれを原稿用紙に書き写してデスクに届ける。それから手直し、校閲を経て工場で活版にされて印刷される。

 筆者らが電話にかじりついて送稿している様子を見ていたアメリカ人記者たちは「おまえら、まだそんなことをしているんだ。だいぶ遅れているな」という眼付きだった。

 宇宙船とミッションコントロールタワーとで交わされる会話は、リアルタイムでプレスルームにも聞こえているが、その会話の内容がよく分からない。英語力がないからだが、その上、宇宙飛行士と地上スタッフの間には独特の「業界言葉」があって、分からないことが多い。

 彼らは、会話を聞きながら、機関銃のような速さでワープロに打ち込んで文字化していく。仲良くなったアメリカ人記者がワープロ画面に打ち出す原稿を後ろから読ませてもらい、デスクよりも一足先にニュースを読む。

 情けないことだが、耳で聞くのではなく他人が文字化した画面を後ろから覗いて会話の意味を読み取っていく。アメリカ人記者は、ときどき筆者向けに赤字の注釈までつけて打って行く。原稿が完成すると、筆者向けの注釈を削除してワンタッチで本社のデスクに送っている。

 感心して見ている筆者にアメリカ人記者は「日本にはワープロはないのか?」と言う。「ない」というと、「日本はエレクトロニクスですごい国ではな いのか」と言う。日本がモノ作りでアメリカを抜いたのは、筆者が分析した統計的処理でみると1982年である。ハーバード大のエズラ・ヴォーゲルが「ジャ パン アズ ナンバーワン(Japan As Number One)」を書いたのが1979年だが、80年代はその言葉を体現する日本として、世界中が見ていた。

 プレスサイトでの体験から、ワープロは26文字の欧米文化のものであり、漢字・平仮名・カタカナ交じりの日本語は無理である。英語はタイプライターそのものがワープロになっただけであり、それが電話線とつながってリアルタイムで情報を共有化できる。

 そのころの日本語のタイプライターは、多くの文字盤を持っている特殊装置であり、専門に訓練された人しか操作できない。一般人が使いこなせるものではないので、日本語ワープロは無理だろう。

 帰りの飛行機の中でも、英語ワープロの光景が頭から離れず、アルファベット文化は全く違った局面へと急速に進展し、日本は取り残されていくのではないかとそればかり考えていた。

 日本語ワープロの誕生に驚愕
 しかし筆者の感慨は杞憂に終わった。富士通の神田泰典氏らが親指シフトという日本語ワープロを開発し、汎用機で日本語の情報処理を可能にする拡張システムを開発して家庭用ワープロとして売り出したのである。

 日本語でワープロができるとはまったく考えていなかったので、半信半疑だった。しかし、富士通だけでなく、キヤノン、NEC、パナソニック、日立、東芝、シャープなど日本を代表する家電メーカーが続々とワープロ機を開発して市場に出していく。

 筆者は神田氏に取材に行き、メモ用紙のようにしてワープロを使いこなす姿を見て驚愕した。今では誰でもこのような使い方をしているが、初めて見る日本語ワープロの達人のワザはわが眼を疑った。

 ワープロは、親指シフトだけでなく、ローマ字打ち込みを変換すると漢字に変わる方式が主流になり、日本語タイプライターに代わる装置として普及し 始めた。筆者はそのとき、ローマ字打ち込みがうまくできないと効率が悪いことに気が付き、英文タイプライターの教本を買ってきて毎日、トレーニングを積 み、ほどなくブラインドでも打てる腕前になる。

 すぐに最新式のワープロを購入し、おそらく読売新聞社編集局の中でも最も早い時期に原稿をワープロで打って提稿していた。古いデスクからは、それだけで疎んじられる時代でもあった。

 日本のバブル崩壊が本格的に始まったのは1992年からだろう。1992年(平成4年) には東京を始め全国的に地価急落となり東京圏は前年比マ イナス12.9%、東京都区部はマイナス19.1%の下落となった。株価は日経平均が1万5000円を割り、日銀は公定歩合を3.25%に引き下げた。

 ほかにも政府は、住宅取得の各種優遇策や経済対策を次々と打ち出したように見えたが、あとから検証すると後手、後手に回ったものであった。地価は92年から毎年下げ続けるという試練の時代を迎え、日本は失われた10年に突入する。

 1993年(平成5年)4月、筆者は解説部次長から論説委員に昇格した。論説委員は社説を書く役割であり、毎日午前11時半から、ほぼ1時間以上かけて論説委員会が開かれて、翌日掲載する社説のテーマについて討論する。
 
 筆者の担当分野は科学技術全般、研究開発などだが、新聞がカバーするあらゆる分野を誰かが担当しなければならず、筆者は科学関連だけでなく、いわゆるニッチ分野を担当したように思う。
 そのころからIT(情報技術)という言葉が頻繁に使われるようになり、これに関連するテーマの社説は、筆者が担当することが多くなる。

 取材でカバーする行政官庁は、文部省、科学技術庁、通産省、郵政省、農水省、建設省などであり、それらの官庁の審議会の委員を務めるようになる。各種審議会でもまたIT言葉の連発であり、時代の変革を明確に感じるようになる。

 知的財産という言葉は、まだ誰も使ってはいなかったが、インターネットの普及によって距離感と時間差がなくなり、情報は瞬時に世界中を飛び回る時代に入っていた。産業現場の取材をしてみると、産業界は急激に変わりつつあることを実感した。

 いま振り返ってみると、知的財産の時代が始まっていたのである。

               
                                
               

自伝・知財立国に取り組んだ日々 その1

                               
                 

 知的財産権のテーマに関わり始めて、今年でちょうど20年になる。知的財産権という言葉が市民権を得るまでは、一般的には知的所有権と言われていた。その時代、日本の知財は特許だけだった。
 なぜ、知財に興味を持ったのか。それを自問することもあるが、強いて挙げればジャーナリズムの世界に身を置いて得た勘である。世界が大きなうねりで動き始めたと感じたのである。
 今年その20年目の節目を迎えて、知財に関わった自伝を書いてみたい。

 アメリカから始まったプロパテント政策
  「特許が世界を変える」と筆者が明確に認識したのは、1991月6月である。アメリカ国立保健機関(NIH)が、DNAの塩基配列を解読した断片(DNA)をアメリカ特許商標庁(USPTO)に特許として出願したときである。

 世界中の研究者は仰天した。これが認められると、分子生物学、バイオテクノロジー、医学・薬学などの研究開発は、アメリカに覇権を握られて身動きが取れなくなる。
  折しもそのころ、自動焦点カメラの技術をめぐってミノルタがハネウエルに特許侵害で巨額の和解金を支払うなど、日米特許紛争が持ち上がっていた。

 「知財」と言う言葉が、まだ市民権を得ないころである。特許庁へ通うことから筆者の取材活動が始まった。

 バブル経済期の最後の時代に感じたこと
 当時の特許庁の審査官は、教えを乞いに訪問してもいやな顔ひとつしないで懇切丁寧に教えてくれた。今では考えられないことだが、直接電話で審査官と約束してその席を訪ねていくということもできた。

 そのころ筆者は、読売新聞編集局解説部に所属する解説部のデスク(次長)であり、ニュースの背景を文字通り解説する署名記事を書いていた。署名記事であるだけに、主観も許される記事になるが、自分の名前で1000万人読者に発表する執筆文でもあるから緊張感があった。
 できのいい記事を書いても当たり前だが、筆が滑って見当の外れた記事を書けば、容赦なく専門家や読者から鋭い指摘が執筆者に直接寄せられる。やりがいのある仕事でもあった。

 一般紙の新聞記者が特許庁に取材に来ることなどは稀であり、珍しいことだったのだろう。応対振りにそのような雰囲気があった。

 NIHの特許出願は、その後、世界中の非難を浴びて出願を取り下げて一件落着した。しかし、もの作りで日本に追い越されたアメリカが、バイオテク ノロジーで巻き返しを計っていることは明らかであり、産業技術の特許でも権利を前面に出すライセンスビジネスに切り替えてきていた。

 筆者はまだ、IT産業革命という事態を明確に認識していなかったが、日本の産業技術がアメリカを追い抜いて行ったという雰囲気は、製造業の技術者らと話をしていると感じ取ることができた。

 一部の製造業の技術者たちは、傲慢な雰囲気を出していた。「もはや、欧米に学ぶことはない」。日本企業がニューヨークの一等地を買収し、世界の不 動産を買いあさっていた。しかし1991年当時、日本はすでにバブル経済の崩壊が始まっていたのだが、まだほとんどの人は気が付いていなかった。

 筆者は何かおかしいと思うこともあったが、日本と日本人の底力を信じることもあった。そんな日常的な流れの中で、漠然と考えたことが特許とは一体 何なのかという単純な疑問だった。常識的なことは分かっているつもりだったが、それが研究開発、企業のビジネス戦略とどうつながっているのか、よく理解し ていなかった。ただ、特許という言葉が、折に触れて出てくるようになっていたような気がする。

 世界は何か変わろうとしているのではないか。産業技術も飽和点を迎えて、次の技術革新への岐路に差し掛かっているのではないか。

 特許に関する本も読み漁ったが、学術書か弁理士活動を紹介しているような本がほとんどで、世界の動きも日本の企業戦略もよく分からない。
 日米間の特許紛争を扱った本もあったが、主として事案の中身だけであり、産業構造や技術革新の背景まで解説したものがない。

 そのときジャーナリストの本性がむらむらと頭をもたげ、一般国民が興味を示すような啓発書をいずれ書いてみようと思い始めていた。

 

               

科学文化学

科学文化概論の授業を行う                       

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 今年度の科学文化概論は、北原和夫教授が担当して進めている。筆者は、5月30日の授業の講義を担当して「科学の進歩によってもたらされた新たな問題」として昨年と同じテーマで講義を行った。

 今年も40人以上の受講生が来ているが、受講生の眼差しは昨年同様、非常に真剣身が感じられた。筆者は、脳死と臓器移植の現場、生殖医療技術の現場を題 材にして、科学が進歩したため医療現場では恩恵に浴する人たちが出る一方で、医療制度、法的整備、社会倫理などが置き去りにされている現状を考える授業と した。

 冒頭に世界の国々の臓器移植数と日本のそれとの一覧表を配布し、思うことを書いてもらった。日本が極端に実施数が小さいことに受講生はみな一様に驚いたようであったが、なぜそのような状況になっているのか一歩踏み込んで考える受講生は少なかったようだ。

 しかし日本が少ない理由を討論する場面になると、様々な思いを語る受講生が出てくる。この授業のテーマは考えることである。結果だけを見て単に日本の臓器移植数が少ないことを認識するのではなく、認識と同時に、そのよって来る理由について考えることである。

 生殖医療技術についても、体外受精の技術が確立されることによって、様々な生殖医療が広がってきた。もともとは不妊治療から始まった医療であるが、それがビジネス化したり男女産み分けの道具になってきた国もある。

 そのように科学技術の進歩によって社会規範、倫理、法律などの整備をしなければならないのに、放置されてきている状況があるのではないかとする授業となった。このテーマの論議はまだ尽きないので、これからも大いに論議の輪広げていきたい。                                        

来年度の科学文化概論の方針を確認

                             
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 今年度から日本で初めて始まった「科学文化概論」の授業を2011年度も開講することに決まった。正式には専攻科で決めることだが、2011年度から本学に招聘される北原和夫国際基督教大学教授と筆者との連携で開講する。主査は、北原教授になる。

 この授業は、将来、学校教員を目指す院生諸君に、科学と社会の関係や科学に対する広い視点を涵養するための授業である。毎回、内外の有識者やジャーナリストを招聘してのオムニバス授業になっているが、受講者の真摯な態度にはびっくりした。

 それだけ講師の皆さんの講義内容が素晴らしいものだったということだろう。今年も原則的に昨年実施したオムニバス方式を踏襲することになっており、1月14日にその調整と今後の予定についてミーティングを行った。

 来年度も前期の授業になるが、今年以上に面白くためになる授業を目指したい。

  科学文化概論最終回・第14回目の講義

                               
                 

第14回「科学文化概論」(7月19日)講義の報告
担当教諭 塚本 桓世先生(東京理科大学理事長、教授)
講義のテーマ:日本の科学文化

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 塚本先生はまず「日頃から科学と文化につい考えてきた」と話しかけ、「講義の後半になぜこのような科目ができたか話をし、最後に教師になる諸君への希望 を話したい」と切り出した。そして4大文明による世界の文明史を紹介し、文明と文化の言葉の定義について考えることから話し始めた。

 欧米では科学と技術は明確に分けて考えられているが、日本では「科学技術」という1つの言葉で使われている。明治維新以降に入ってきた科学だが、 なぜ科学と言わずして科学技術と言うようになったのか。明治維新以降、西洋文化として持ち込まれた科学であったため科学という概念はなく、科学と技術が いっしょになって言われるようになったのではないか。

 政策についても文部科学省は科学という視点で施策を考えているようだが、経産省は技術という観点で施策を考えている。しかし政策として峻別するほどの区分けはなく、渾然一体となっているように感じる。

 科学は本来、学問としてあったものであり、代表的な例がソルベー会議(1911年からエルネスト・ソルベーが主宰して開いた会議。10数人から20人程度の会議であり、物理学の発展に多大の貢献をした)である。
 しかし科学は、時代と共に変革してきた。この科目の授業でもNHKの村松秀先生が触れたように、論文捏造という犯罪が発生した。これは、科学は文化でない証拠であり、科学は経済とか国力とか資本主義とかにつながることによって捏造問題も発生したと考えられる。

 昭和の終わりごろにドイツのベドノルツ、ミューラーという2人の物理学者が高温超伝導物質を発見してノーベル物理学賞を受賞した。金属で超伝導を起こすのではなく、酸化物で起こすところに独創性があったのだが、2人はアメリカのメジャーな学術誌に発表しなかった。

 常識的には、まず最初にアメリカの物理学会誌に投稿するものだが、そうしなかったことについて2人は、プライオリティでアメリカに出し抜かれる危 惧があると考えたようだ。これもまた科学は文化ではなくなったということだろう。さらに同じころ、常温核融合という現象が報告され、大きな話題となった が、これも文化という現象とは捉えられなかった。

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 本日、受講している諸君の多くは、将来、理数系の学校の教師になると聞いている。将来の教師像としてこうなってもらいたいということを念頭に話をしてみたい。

 江戸時代に日本には多くの伝統工芸があった。たとえば漆塗りと言っても科学的なデータを駆使してやったわけではなく、日本刀の製造もそうだった。五重塔に代表される建築も学問として確立された技法ではなく、経験と勘によって成し遂げたものだった。

 日本には、そのような技術的な風土があった。サイエンスではなく技術が文化と共存している時代があった。その時代が長く続いた。

 明治維新以降、本学の創立者たちが西欧から理学を持ち込んで今日に至った。受講生諸君が将来、学校で理数科目を教えるときには、知識だけを教えるのではなく、文明と文化という視点を考えて欲しい。

 1999年にハンガリーの首都・ブダペストで開催されたブダペスト会議で出された宣言でも科学は知識のためだけではなく、社会、平和、開発のためとし、文明と文化と科学いう視点を取り入れた。

 日本では古来から、18歳前後に元服という成人の儀式があった。18歳までに人間形成の教育を受けて一人前の大人となるという意味であり、社会人としてきちんとして教育をすることが重要であることを示している。

 人を教育することとは文化を教えることである。若い時代にはサイエンスだけでなく、広い分野の知識に触れることがいい。リベラル・アーツ (liberal arts)として人文科学、自然科学、社会科学を包括する分野を俯瞰して教えることである。そのためにも多くの分野の本を読んでもらいたい。ネットで本を 探すのではなく、本屋に足を運んで様々な本を見ることによって様々な知識や情報に触れ自己啓発に結びついていくものだ。是非、実行してもらいたい。

 最後の10分間小論文の課題は次のものだった。
「『科学』と『文化』を再認識し、教育に生かすことについて述べよ」

                                 

科学文化概論第13回目の講義

  第13回「科学文化概論」(7月12日)講義の報告
担当教諭 北原和夫先生(国際基督教大学教授)
講義のテーマ:科学技術リテラシー:持続可能性に向けた協働する知性の構築

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 北原先生はまず、東大理学部物理学科からベルギーに留学した時代に「ヨーロッパの知性」に出会った体験談から後年、ノーベル物理学賞受賞者のイリ ヤ・プリコジンとの出会いを語った。そしてMIT化学科へのポスドク時代から帰国後に静岡大、東工大、ICUと転進した経歴を語り、日本学術会議などで 「科学技術の智」プロジェクトを主導してきた活動を語った。

 欧州で体験したことは、科学の人材育成の考え方である。論文を書くことは独自の成果を書くものだが、むしろ若いときに論文ではなく書籍を単著で書くことで、論文では書けない哲学や広がりを持つことを知った。

 また、欧州の知性を感じたのは、探査機「タイタン」の記事をフランスのル・モンド紙が一面トップで扱ったことである。宇宙の光年スケールの話と、中東問題の解決までには相当な長期間かかるであろうことをひっかけ、ユーモアを入れて報道している姿勢に感動した。

 そして、科学という学問を学ぶことは、人知を超えた自然の摂理を知ることであり謙虚さを学ぶことである。科学者のコミュニティのあり方は、ピアレヴューのような評価の意義、伝達と伝承、アーカイブと記録によって他人がさらに次のステップへと進む社会的行為であるとした。

 ここまではヨーロッパの智に触れて感じた自身の科学と科学者のあるべき姿の考えを述べたものだ。

 次に科学リテラシーとは何かを語った。科学リテラシーには3つの段階があり最後のステップは自分の専門と異なる他の分野の専門家と協働できるための素養とした。
 20世紀には急速に科学技術が発達し、後半で陰の部分が見えてきた。人口爆発、エネルギーの持続可能性、気候保全と安全保障問題などである。21世紀 は、持続可能性の課題に取り組む時代であり、先進国は資源、エネルギーの保全が重要課題であり、途上国は社会改革が重点になってきた。

 平行して教育改革、とりわけ理科教育が重視されるようになり、ヨーク大学での「21世紀の科学教育プログラム」での「知識よりも思考の過程を重視」した取り組みを紹介した。

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 日本での理科離れに対応する日本学術会議の「科学力増進特別委員会」の創設に加わり、子供たちへの働きかけを模索した活動を語った。特に科学者が社会と 互いに共感し信頼をもって協同することが科学研究の世界を活性化する原動力になること、科学者たちが社会と向き合って科学の夢を育てること、若者向けの講 演会やサイエンスカフェの開催などで活動する重要性を語った。

 アメリカで始まった「全米国民のための科学」(Science for all Americans)の展開を紹介して日本でも同様の活動を開始し、2005年から08年までのプロジェクト「科学技術の智」での活動に触れた。

 数理科学部会、生命科学部会、物質科学部会、情報学部会、宇宙・地球環境科学部会、人間科学・社会科学部会、技術部会の7つの各部会に10-15 名程度の科学者、教育学者、技術者、メディア、行政者、科学技術理解増進を目指す個人、機関の関係者が集まり、学問の枠を超え日本の現状と歴史を踏まえ、 科学者と教育学者等が協同して行う作業を語った。

 人間や社会の現象を科学の視点からホモサピエンスの現象として考えることや、地球と人類の歴史を基礎として、社会、経済、政治、倫理などの起源は何か。人間と社会の課題に直面したときに、科学的な思考の枠組みをどのように提示できるかなどを模索した。

 人類の存在の基盤を知ること、現状を知ることで「命の継承」として存在することを知り、将来を予想して行動を決めることの重要性を語った。さらに 近代科学だけでなく、伝統的な智も持続可能性には必要であるとして「千字文」を紹介した。最後に自身が主導している南アフリカ共和国と日本が環境や農業、 生物観察などを題材にしながら持続可能性を学ぶ共同プロジェクトの活動をDVDで紹介した。

 最後の10分間小論文の課題は次のものだった。
「持続可能性な世界のためにさまざまな専門性、国籍階層の協働が求められる。そのような協働ができる人材を育てるために教育の場でどのような工夫が可能か?」

 

    科学文化概論第12回目の講義
                                     

 報告
 担当教諭 神田 淳先生(京葉ガス株式会社常務取締役)
 講義のテーマ:日本人と科学精神

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 神田先生はまず、「日本人にも科学ができるでしょうか」とのタイトルで日本に科学を持ち込んだ仁科芳雄博士を取り上げた。そして森永晴彦・ミュンヘン工科大教授の「西洋の自然観から考えると、本質的に自然科学は西洋のもの」とした見解を述べさらに3人の見解に言及した。

 江崎玲於奈(1925- )「サイエンスに弱い日本人」、小室直樹(1932- )「日本には宗教がないから科学もない」、中谷宇吉郎(1900-1962)「日本人の科学性は、低いとか足りないとかいうよりも、むしろゼロに近い」。

 さらにコペルニクスの天体回転を発表した1543年を科学革命元年とし、ニュートンが「自然哲学の数学的原理」を著した1687年を科学革命完成 年とした。そして近代科学が生んだ精神を取り上げ、自然の中に神の秩序を見出す精神から実験する精神を語り、自然を外から見る精神として、「神-人間-自 然」という序列を語った。
 ここまでが近代科学を生んだ精神を講義した。

 続いて近代科学の特色として技術との相補性に言及した。この中でハイゼンベルグの「自然科学と応用科学・工学との関連は初めから相補的なもので あった。応用科学・工学の進歩、道具の改良、新しい装置の発明は、自然に関するより多くの、より正確な、実験に基づく知識の基礎を提供した。

 また、自然のより深い理解と、自然法則の究極的な数式化は、応用科学・工学の新しい応用の道を切り開いた」の言葉から、もともと科学と技術は異なるものであることを語った。
 さらに日本では明治維新以降、日本の古来からの精神を大事にしながらも西洋から技術を導入して調和をはかる「和魂洋才」が盛んに言われたが、実は科学と は「洋魂」そのものであるとした。中谷宇吉郎の「西洋の科学は、西洋人が血で闘いとったものである。だからそれは非常に強いものなのである」との言葉を引 用し、日本での科学の受容は「科学技術」であったとした。

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 東京大学工学部(工科大学)は1886年に創設されたが、これは世界で最初の工学部のある大学であり科学技術は日本における世界的な時代の先取りだったとした。

 日本の科学技術は経済繁栄の手段として傾斜していき、科学が持つ本来の哲学や文化とは遊離した形となり、西洋の科学技術の導入はプロセスイノベーションを起こしたもののプロダクトイノベーションが弱いものへと変転していった。

 日本と日本人の科学に対する思想と西洋のそれとの違いについて言及した。東西の自然観の比較論であり、西洋の思想は現象を神の視座から見る二次元的な思想構造であるのに対し、日本の思想は自然と共にある人間という一元的な思想構造にあるとする浦壁伸周の見解を紹介した。

 神田先生自身の見解として次のように整理した。
• 科学において、文化と世界観の違いは創造性に影響するが、決定的ではない
• 現生人類の能力は基本的に同じであることが決定的である
• 明治以来、西洋文明を学んで吸収した日本人のやり方で基本的に正しい
• 創造性は学んだ後出てくる
• 日本人ノーベル賞受賞者の数が戦後に出ていることが以上を証明している
 
 さらに日本の精神文化の特色として次のようなことをあげた。
・組織と集団の和を尊ぶ ・ロジックを重視せず ・原理主義を嫌う
・情緒に傾斜する ・美しい生き方を重視する ・清浄さを尊ぶ
・繊細な美、繊細な神経 ・空気と雰囲気を重視する、流される
・権利の主張をはしたないと感じる ・察する文化 ・自然に対する尊敬、親和感
・本覚思想 ・おのずから成るの思想 ・言挙げせず ・しつっこくなく水に流す
・集団的な閉鎖性、独立心の弱さ ・学ぶ姿勢 ・鎖国性向

 このようなキーワードによって、日本の科学文化を考える糸口を与えたものであり、深く思索する方向へ導いた。

 最後の10分間小論文の課題は次のものだった。
「科学における独創性の発揮の上で、日本の精神文化の特色が有利に働くと思われる面を考察せよ」

               
                                  

科学文化概論第11回目の講義

 「科学文化学概論」(6月28日)講義の報告
担当教諭 北村 行孝先生(東京農大教授、元読売新聞論説委員)
講義のテーマ: 科学文化と新聞報道

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 北村先生は、読売新聞社の科学記者、科学論説委員の経験から、科学報道を通じて広がってきている科学文化の現象を実証的に示した点で非常に示唆に富んだ内容であり面白かった。
7月12日にここでの講義が予定されている北原和夫先生が学生1人を伴って現れ、熱心に傍聴されていた。

 北村先生は、冒頭に宇宙惑星探査機「はやぶさ」帰還の快挙を報道する新聞各社の扱いが一面トップだったことを紹介し、科学ニュースの重要性を示した。私見としながらも「科学文化の諸相」として次のようなカテゴリーを列挙した。
■生活文化を豊かにする科学
科学のための科学から、人々のための科学へ
■成熟した社会の基盤としての科学
安全・安心のための科学、リスク・コミュニケーション・・・
■文化・芸術の対象としての科学
小説、SF、詩歌、絵画、音楽・・・
■科学の成果を人々の世界観・自然観に反映
ニセ科学、エセ科学にだまされない社会のためにも・・・
■科学の営み自体を文化的な活動とみる社会を
科学者も人間。科学を身近なものに感じる社会へ向けて
■科学リテラシー向上のために
専門家には社会リテラシーを、人々には科学リテラシーを
 さらに科学と技術とは多様な機能と多様な期待を人々から集めているとして、次のように整理した。
① 知の探求、②産業・国力増進へ貢献、③社会の課題解決へ貢献、④世界・地球
規模の課題に挑戦、⑤芸術・文化・スポーツに貢献、⑥個人の暮らしや心を豊かに
 このような整理をした上で、科学報道はそれぞれのカテゴリーにどれだけ貢献しているかを6角形グラフ(レーダーチャート)で示したが、「知の探求」が突出しており、かなりのいびつ型になっていることを示した。

 しかし最近になって、科学を扱う新聞報道は「知の探求」のテーマだけではなく、芸術、スポーツ、文芸などと科学の関係を捉えたニュースも目立つよ うになってきた。科学記者の数が増えてきたこともあって、取り上げるネタが幅広くなってきたこと、文化部や社会部の記者も科学・技術に興味を持ってさまざ まなニュースを取り上げるようになってきた。科学文化に関係しそうな記事が結構増えていることを実証的に紹介したものであり、非常に面白かった。

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 新聞各社の科学部の歴史をたどってみると、1960年代から70年代には各社とも科学部は10人前後であり、取り上げる題材も原子力、宇宙開発な ど専門的なテーマに限られていた。ところが現在は、読売新聞科学部員は30人に届こうとしており、朝日、毎日、共同通信なども20人を超えるまでに膨張し ている。
 それは科学・技術の分野と社会とのかかわりが広がってきたからであり、科学ジャーナリズムへの期待も、科学者や政府関係者から一般国民まで多岐に渡って広がっている現状を分析した。
 また、安心・安全を巡る悩ましい問題として食品の安全性のニュースの取り上げ方、原発工場の出来事を報道する際の視点と取り上げ方などをあげ、専門家がニュース報道に不信感を抱く例などもあげた。
 リスクを巡っては、BSE問題、鳥インフルエンザ、新型インフルエンザ、環境ホルモン、食品添加物、原子力施設のトラブルなどに対する報道は、一歩間違えば真相から大きくずれてしまう危険もある。
安全=安心ではない難しさもあり、メディアも相当なる自覚がなければならない。そのための記者教育の充実、専門記者の養成、バランスの取れた初期報道、時間経過後の検証やまとめの報道などの課題をあげた。
 この日の講義は、科学文化を支える新聞報道の多様化を捉えながら、今日的な課題を洗い出し、その改善方法を提起した点でためになる講義だった。

 最後の10分間小論文の課題は次のものだった。
「科学ジャーナリズムは、どうあるべきでしょうか」

                                

科学文化概論第10回目の講義

 報告
担当教諭 三石 祥子先生(独立行政法人科学技術振興機構・社会技術研究開発センター)
講義のテーマ:科学という文化
 
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 三石先生の講義は、「科学文化」とはどのような概念であるかをイギリスの科学史に焦点を当てながら幅広く考える素材を提供した点で秀逸な講義だった。
 出だしは、「科学という文化を築いた人々」として①コンビ型、②その他の文化のコンビ、③科学とその他の文化の違い、④コンビ型以外の型の4つの例を提示した。

 コンビ型としては、小林誠と益川俊英、マリー・キューリーとピエールキューリー、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックをあげ、コンビによる創造性の相乗効果によって偉大な業績に結びついていった足跡を検証した。
その他の文化のコンビとしては、ゴッホと弟、ピカソと女性、杉山親子、浅田姉妹をあげて、コンビが心のよりどころとなる存在であったとして創造や活動の源になったことを語った。

 科学とその他の文化の違いについては、ゴッホとゴーギャンの「ぶつかり合う個性」「ゴッホの耳切りで終わる破滅コンビ」という視点を語った。
 このようなコンビに見る「科学文化」の特徴は、対等の立場で各人の個性や能力を互いに出し合い、その相乗効果によって新しい結果を導きだしているという見解を語った。

 コンビ型以外の型としては、一匹狼型の利根川進、ボス型の仁科芳雄をあげた。このようにさまざまな型による科学文化構築の検証をして感じたことと して「先人の築き上げた知の成果と人とのつながりの中から新たに生まれる進歩であり、それが科学という文化の素晴らしいところである」と語った。

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 続いて科学文化について考え行動をした人々としてイギリスのマイケル・ファラデー、ハンフリー・デービー、ジョゼフ・バンクス、ベンジャミン・ト ンプソンなど王立協会を立ち上げ活動した巨人たちを紹介した。さらに物理学者であり小説家でもあったC.P.スノーが書いた「二つの文化と科学革命」を解 説しながら、科学という文化を考え行動を起こした動機と著作活動とその反響などを語った。

 なぜ、スノーは二つの科学、人文科学と自然科学について書いたのだろうか。なぜスノーの講演と著作は至るところ、あらゆる分野で時代を超えて注目を浴びているのだろうか。その答えはなんだろうか。
 そのような思索を問いかける講義の内容は、歴史的な出来事を俯瞰しながら論理的な思考過程を呼び覚まして考えさせるものだった。

 この思索の結語として三石先生は、ファラデーの「ロウソクの科学」とスノーの「二つの文化と科学革命」をあげ、その役割はいまなお続いていることを示唆した。

 さらに東京理科大学の発祥となった東京物理学校を創った人々21人の志に触れ、生命誌研究館の中村桂子先生の出会った研究者とその影響によって今日の中村先生を作っていった軌跡をたどってみせた。
 科学者たちと直接話をして学んだこととして、「科学者の仕事を他の人がすべて理解することは難しいが、しかしその活動には理由とそこに至るまでの過程がある。その理由と過程が想像できると相手への理解につながる」とした。

そして「科学という文化は人がつくり、人が支えている」ものであることを披瀝して講義を締めくくった。

 最後の10分間小論文の課題は次のものだった。
「本日の言及した人物の中で最も気になった人は誰ですか。その理由も記載してください」

               
 科学文化概論第9回目の講義
                               
 第9回「科学文化概論」(6月14日)講義の報告

担当教諭 村松 秀先生(NHKエデュケーショナル 科学健康部エグゼクティブ・プロデューサー)

 講義のテーマ:番組のデザイン学と科学文化  

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 村松先生の講義は、過去20年間に渡って自身の制作してきた映像番組を随所に入れながら、1つの番組を作るような流れの中で科学文化とはどのような学問として成り立つものなのかを考えさせるものだった。 映像も楽しいし、その番組を制作する側の考えと舞台裏を見せられ、楽しい授業だった。 授業の流れをメモ風に記録してみたい。 

・自己紹介:科学番組を中心に長年テレビ番組を制作

 NHK番組の「ためしてガッテン」、「ツナガルカガク」など自身が手がけてきた番組を紹介しながら、自己紹介をした。 

・論文捏造に至るまでの道のり 

 2004年10月に放映された「史上空前の論文捏造」は、アメリカのベル研究所に所属していたドイツ人科学者が3年間に渡って有機物の超伝導転移温度などに関する新しい知見を「サイエンス」、「ネーチャー」など世界のトップクラスのジャーナルに次々と発表した。 それまでの常識を破る成果は専門家から絶賛され、多くの賞をもらいノーベル賞も間違いなしと言われた。しかしそれがすべて捏造された業績と分かり、科学界に衝撃を与える。 村松先生は、このテーマを番組制作として取り上げた動機は「偶然」であったが、しかし「偶然の必然性があったのではないかと」として過去に取り組んだ番組制作とそのテーマについて語っていった。 

・キーワードは「分からなさ」 

 村松先生は「自分が取り組んだ番組制作は、どれも『分からなさ』というキーワードでくくることが出来ると語った。

 ・蝋型鋳金・宮田藍堂さん

 佐渡の宮田さんの蝋型鋳金は、金属で作るオブジェであり、現代アートであった。特に海岸への漂着物やゴミをアートの素材する視点は、分からなさの塊みたいなものだった。 

・ミッドウェーのコアホウドリ

  コアホウドリの世界一の繁殖地はミッドウェーであるが、死亡したひな鳥の屍骸を見ると、プラスチック類のゴミ類が多数あることに気がついた。親鳥が海に浮 遊するプラスチック類、ライターなどを運んできて、ヒナにエサをして与えた結果、死に追いやってしまったものだが、ライター見ると日本製であるものもあっ た。 多分、日本の海岸で無意識に捨てたものが、海を漂いコアホウドリに拾われて遠いミッドウェーに運ばれ、ヒナに給餌されて1羽のヒナの命を落とす。ここには原因と結果に途方もない距離感があることに驚いた。 ここにも「分からなさ」というキーワードが絡まってくる。

 ・環境ホルモンとは

 このテーマでは、イボニシなどの巻貝が、男性ホルモン様の働きをするホルモンによって男性化している事実や、フロリダのワニのペニスが精巣が小型化し、ペニスが小型化することによって繁殖力が劣化していく事実を知った。 環境に広がっていく微細な化学物質の影響によって驚くべきことが広がっているのではないか。 人間のへその緒からも数十種類の環境ホルモンを検出した。また人間の精巣の重さも1996年代から減少傾向にあり、環境ホルモンとの関係が疑われているが、巨大かつ深遠なブラックボックスになっており、ここでも「分からなさ」がキーワードに絡んでくる。 

・安全なのか危険なのか「分からない」

 このように、世の中には「安全」なのか「危険」なのか「分からない」ものが多数ある。 科学で、すべて分かる分かるわけではない。ドーピング問題で五輪金メダルを剥奪された選手も、単に「検査を拒絶した」だけでクロと判断されたり、風邪薬を飲んで検査に引っかかった選手もいるが真相は分からない。 

・なぜ妙な論調が起こるのか

 科学で、すべて分かるわけではない。ドーピング問題で五輪金メダルを剥奪された選手も、単に「検査を拒絶した」だけでクロと判断されたり、風邪薬を飲んで検査に引っかかった選手もいるが真相は分からない。

・「分からなさ」と向き合うスポーツという社会

 スポーツはルールだけでは分からないものがでてきた。 

・「文化を共有する」、ということの意義

 日本社会と「分からなさ」という視点で見ると、政治、経済、国際社会、教育などあらゆる局面でこれが存在する。

 ・「科学的」、という言葉のあやうさ

 科学によってすべてが分かるわけではない。

 ・ラグビー・平尾誠二さん

 ラグビーの日本代表監督になった平尾さんは、「日本人は集団でやる球技スポーツは弱い。分からない局面が多すぎるからだ。どうやって最適な判断をするべきかが日本人は分からないのではないか」と語ったことに非常に印象を受けた。 

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・日本人と「分からなさ」

 日本文化には、分からなさが多い、ワビ、サビの世界は分からない。竜安寺の石庭は見て美しいがそれがどのような意味か分からない。日本文化には「あいまいさ」がある。

 ・論文捏造とプロセス

 科学は「分からないこと」は扱いにくい。論文捏造も「結果重視」、「成果主義」、「過激な競争」から生まれたものではないか。科学は結果ではなくプロセスという考え方があるのではないか。 

・「すイエんサー」を制作する意義

 いま、制作しているこの番組は、結果を安直に求める「科学的なもの」へのアンチテーゼとして制作している。科学=情報という誤解をはずすものだ。 出演者と一緒に分からないなりにプロセスを考えて楽しんでいく。その中で考え「プチ科学研究感」を持つことができればいいという番組である。新しい科学番組のあり方を模索している。

 ・まとめ

 科学が文化となるためには、「分からなさ」を考えることであり、ぐるぐると思考することによって想像力と創造力を養い本当の創造力が出てくるのではないか。  最後の10分間小論文の課題は次のものだった。

「あなたの身の回りの「分からなさ」について、思ったことを述べてください。」  

               
  科学文化概論第8回の講義
                                      

 第8回「科学文化概論」(6月7日)講義の報告
 担当教諭 山本威一郎先生(日本スペースガード協会理 
           事、元NECシステム開発部長)
 講義のテーマ:システム開発と科学文化

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 山本先生の講義の目次は次のようなものだった。
 最近の話題  
 科学と技術の歴史
 システムと社会     
 電子技術の発展とコンピュータの進化
 システムの進化と背景
 システム障害の社会的影響 
 システム開発の手法
 システムの限界と課題  
 科学文化の未来 

 山本先生は、豊富なビジュアル資料を駆使したパワーポイントを次々と示しながら、科学技術の歴史 → システムの語源から誕生 → コンピュータの進化 → システムの進化 → システムの社会的役割 → システムの限界と課題などを話した。

 ご自身は主として海洋、航空、宇宙などに関するシステムの開発者であったので、その体験から出たシステムに関するテーマと課題は非常にためになり面白かった。
 コンピュータの歴史では、エニアック開発の初期の話から最近のクラウド、スマートグリッド、キンドルなどに至る開発の歴史は、人類の英知の流れを示しており、若い院生諸君にどのように映ったか興味があった。

 システムの話では、まずその語源がギリシア語でσύστημα (systema)「結合する」から来ているものであるという。そして1913年にフォード車のコンベア流れ作業による生産方式をデトロイトジャーナル誌 が『システム』と表現したことから定着した言葉だった。

 山本先生は、このような話題性のある話を織り込みながら、システムの言葉とその組織が、いかに現代社会に広がり深く根を張っているかその現状を報 告した。そしてコンピュータ社会の現出によってシステムはさらに進化をしていった状況を豊富なビジュアル資料を取り込んだパワーポイントによって次々と説 明した。

 システムの本格的な稼動は、アメリカの防空システムという軍事目的から始まったものであり、それが現代社会にはなくてはならないものに進化した過 程とその背景を説明し、システムの失敗や事故なども紹介した。このあたりの話は、山本先生のご自身の体験もあるので具体的で面白かった。
 システムの障害と社会的影響あたりで持ち時間が少なくなり、最後は時間切れの中で流れてしまったのは残念だった。

小論文の課題は、一枚のグラフを示して、思うことを書かせたものでありユニークな課題だった。          

                               

科学文化概論第7回の授業

           
第7回「科学文化概論」(5月31日)講義の報告担当教諭 馬場錬成(東京理科大学知財専門職大学院)

講義のテーマ:科学の進歩によってもたらされた新たな問題

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  科学の進歩によってもたらされた成果によっては、従来の政治、経済、社会、倫理、法律などの枠組みが根底から崩れることがある。 生命誕生の現場と死の臨床を例に考えてみたい。 

* 生命誕生の現場

1.生殖医療技術生殖医療技術の進歩によって出てきた新しい生命誕生の方法である。その目的は不妊治療にある。人工授精=男子の精子を女性の子宮に人工的に注入して妊娠・出産を実現する方法。配偶者間と非配偶者間がある。

 この方法は、法的な規範がないままに、不妊治療の有力な治療方法として実施されてきた。ところが、体外受精の技術が確立されてから、不妊治療のあり方が一挙に広がった。技術が先行し、社会倫理、法律、道徳などの面で十分に論議されておらず、社会的な合意も得られていない。不妊患者と専門医だけの密室の医療になっている。

  配偶者間体外受精=何らかの原因で体外受精しなければ妊娠・出産できない夫婦非配偶者間体外受精=提供精子または提供卵子による体外受精体外受精した受精卵の移植代理母=夫の精子を妻以外の女性の卵子と受精卵を作ってその女性の子宮に着床させ妊娠・出産させる方法借り腹=夫の精子と妻の卵子を体外受精してできた受精卵を妻以外の女性の子宮に着床させてその女性に妊娠・出産してもらう方法代理母と借り腹につての「定義」は一応、上記のように定義した。

 問題点

・子の出自を知る権利にどう答えるか

・遺産相続で、遺伝子の両親と育てた両親が違う場合はどうするか

・代理母、借り腹の親権は誰になるのか

・安易な子の誕生につながらないか(出産を嫌がる女性が子をほしいだけの目的で借り腹をするなど。)

 2.ES細胞をめぐる技術開発と知的財産権、倫理問題 体外受精技術が確立されたために、様々な手法が広がった。

 ES細胞(胚性幹細胞)をめぐる研究開発もその1つである。 クローン胚の実現によって、男性、オスがいなくても子孫を残せる時代になった。遺伝子の組み換えによって淘汰されていく生命原理が崩れようとしている。

 3.京都大学iPS細胞研究所長山中 伸弥教授の発明した画期的な成果人工多能性幹細胞(Induced pluripotent stem cells、iPS細胞)体細胞へ数種類の遺伝子導入することにより、ES細胞(胚性幹細胞)のように多くの細胞に分化できる分化万能性(pluripotency)と、分裂増殖を経てもそれを維持できる自己複製能を持たせた細胞のこと。山中伸弥教授が、マウスの線維芽細胞から2006年に世界で初めて作った。 

 再生医療への道が開かれ国際的な競争になった。生命操作による新たなビジネスであり、国際的に戦略を考えて産業競争力を確保する時代になったのだろうか。 

 * 死の臨床

 脳死と臓器移植と世界の移植医療の現状 脳死とは何か脳幹を含む脳領域の機能が完全に失われ、回復不能に陥った状態(全脳死)。人工呼吸器(レスピレーター)なしでは生きられない状態をさす。

 従来の心臓死(三徴候死説=呼吸停止・心拍停止・瞳孔拡大)に替わる、新しい死の概念である。植物状態とは、脳幹部は生きている状態であり、自発呼吸が可能であり脳死とは違う。 脳死判定基準① 深昏睡。②自発呼吸の消滅。③瞳孔固定。④脳幹反射の消失。⑤30分以上の平坦脳波。⑥6時間の経過をみても①~⑤の変化がないこと。

  脳死をめぐる課題1.脳死を「人の死」として受け入れる社会的合意はあるか。「日本人と死生観という文化の根幹に関わること」と言うがこれは本当か。2.脳死は臓器移植とセットにして論じられることが多いが、人の死の決定とその遺体をどう扱うかは本質的に別個の問題ではないか。

 3.脳死により治療を打ち切る目的には、医療費の問題もある。1997年に成立した脳死・臓器移植法も、法案目的に医療費の節減を揚げている。

  1997年、世界で脳死を認めない国は、日本、ルーマニア、パキスタンとなった。脳死を認めず、外国に行って脳死移植を認めている日本人とはいったい何者なのか。

 世界中が奇異な目で見始めたことで、脳死を認める臓器移植法が超党派による議員立法で成立した。ただし、各党とも「党議拘束」をはずして、議員個人の判断にした。

 脳死は科学の問題ではなく、個人の考え方の問題とされた。

  生命誕生と死の臨床の変革は、科学の進歩によって出てきた新たな問題を日本人に突きつけている。それは、法律、社会、宗教、倫理、教育など多面的な学問による対応が迫られている。

 小論文の課題 「科学の進歩が人類を幸福にするためには、どのような学問領域を研究することが大事でしょうか。その研究領域を1つあげ、その理由を書きなさい」

                              

科学文化概論第6回の授業       

第6回「科学文化概論」(5月17日)講義

担当教諭 元村有希子先生(毎日新聞科学環境部副部長)

講義のテーマ:欧州の科学文化 

 
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  元村先生は、毎日新聞紙面で「理系白書」という連載記事を担当し、日本社会での理系人間の活動がいかに活性化されていないか、いかに不遇をかこっているかを告発し、2006年に科学ジャーナリスト大賞を受賞した。

 その後、理系白書ブログの管理人となり、ウエブサイトから理系社会への問題点を衝くインターネット活動を続けている。 2007年から1年間、科学コミュニケーションを研究するためにイギリスに留学し、イギリスを中心に欧州の科学文化の有様を見聞してきた。今回の授業ではそのときの成果を紹介しながら、日本の科学文化のあり方を考える授業となった。

   元村先生は、イギリスでは科学に関する国民の関心が日本より高いように見えるとして、①政治や外交といった話題と科学・技術が同列に扱われている、②科学 館や講演会に足を運んでいる、③政府や団体による促進活動が盛んである、④「盛り上げる人」の層の厚さがあることなどをあげた。

 ただし、階級や人種によるギャップが大きいこともあげた。

  特にイギリス人が科学館や講演会に足を運んでいるという証拠として、過去1年間に訪問した場所として、科学館は18パーセント、博物館19パーセント、テーマパーク29パーセント、歴史的建物や庭園32パーセントなどをあげている。 

 また、イギリス人は総じて疑い深い人が多いようであり、Frankenstein FoodとかFrankenstein Eggなどのエピソードを紹介した。

 「疑い深い」ことは、科学への関心の深さでもあり、現象に対する理由を追求しようとする国民的な関心度が高いことをうかがわせている。 

 これに対し日本では、科学は万能であるという思い込みが強く、さらに科学者は嘘を突かないという信頼もある。何ごとによらず「科学的」という言葉に弱い点をあげ、その心理を悪用した擬似科学の流行を示しながら「科学を楽しむ」という文化がまだ未成熟であるとした。

 またこのような日本の文化風土には、メディアにも責任の一端があると指摘した。 

 PUST=Public Understanding of Science & Tech

 公衆の科学理解増進という言葉は、無知な市民を啓蒙するという「上から目線」のニュアンスがある。しかしいまは次のような言葉へとシフトしてきている。

 PEST=Public Engagement in Science & Tech

 これは公衆の科学への関与へと移行してきていることを示す言葉である。科学者と公衆は対等な関係であり、お互いの関与があって初めて互いの理解が進む時代になっていることを示した。PUSTからPESTへのシフトである。

  このあと、イギリスやスペインで開催されている各種の科学フェステバスなどの様子を楽しい写真やパンフレットで示した。また新聞の科学付録などを紹介しながら、ヨーロッパ社会で根付いている「科学は文化」とする風土を紹介した。

   このような講義を通じて元村先生は、ヨーロッパ社会の科学文化の歴史や市民の受け止め方、現象などを示しながら日本の社会との比較を認識させ、日本の政治 や社会で理解されている科学に対する知識や認識の違いを際立たせ、どのようにして科学文化を醸成すればいいかを考えさせる授業となった。

 小論文の課題は次のようなものだった。

 「多くの人を科学に引き込むのに、最適と思う手法を具体的に紹介してください」

 科学文化概論第5回の講義

                                 

 5月17日の第3回「科学文化概論の講義は、自民党元幹事長の加藤紘一先生をお迎えして行なわれた。  

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 加藤先生は、日本の政治家の中では突出して科学技術に詳しい政治家であり、特に基礎研究、研究開発には並々ならぬ関心を抱き、そしてまた自民党政 権の中枢ポストにあっては、科学技術予算を支援し続けてきた。1995年から始まった、科学技術基本計画の策定でも大きな役割を果たした。

 今回の講義では、政治家として科学技術政策にかかわった具体的な体験をもとに、日本が世界をリードするのは科学技術研究であり日本のグローバリゼーションとは科学技術研究の振興にあるとした。
 また、聴講する院生の多くが、中高校などの理科教師になることを踏まえて、科学技術情報を分かりやすく国民に伝える科学ジャーナリストの重要性を説き、さらに勉強の面白さを伝える教師になるように要望して締めくくった。

 加藤先生はまず、自身が大学入試のときに理系を目指していたが果たせなかったことを語り、やむなく文系に進んだことを打ち明けながら、科学技術に対する興味はこのような背景にあることを示唆した。

 政治家になって若手代議士として活動を始めたころ、オイルショックに見舞われ、30年後、石油は枯渇するから代替エネルギーを開発するべきと財界人から言われた。

そこで夢のエネルギーとして核融合の実用化を支援してきたが、30年経った今もって実現できず、石油も枯渇するわけではなかった。
 政治家も科学技術の何が本物かを見極める必要があるだろう。
 今から17年前に細川内閣から自社さ連立政権に代わり、橋本竜太郎内閣が誕生した。そのとき、3党政策責任者会議の議長として政策のとりまとめをやったが、アメリカの政策によって円高になり、製造業でアメリカを凌駕していた日本の優位さがなくなった。

 円高を乗り越えるためにはどうすればいいか。霞ヶ関官僚の頂点に立つ大蔵官僚にしても打つ手はないと言って来た。
 そのような状況の中で自分が最終的に到達したのは、科学技術の基礎研究をてこ入れするべきという考えだった。科学技術立国への取り組みが重要だと考えた。科学技術基本計画は、このような中で生まれた。

 IT、ライフサイエンスなどに力を入れていたが、ゲノム解読ではアメリカに圧倒的に優位に立たれてしまった。
 しかし、ゲノム解読の装置、シーケンサーは日立が開発したものであり、日本でも戦略さえ間違わなければアメリカより優位に立つことが出来ただろう。

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 日本には優れた技術がある。たとえば浜松ホトニクスの開発した光電子増倍管は世界トップの成果であり、ニュートリノ研究の先陣を切った。このような研究を一般に分かりやすく伝えるのは科学ジャーナリストの役割であり、そのような予算も獲得した。

 政府の中に科学技術政策を推進する組織がないので総合科学技術会議を設置し、科学技術政策に評価点をつけて予算に重みをつけるような組織にした。
 いま政権交代して民主党政権になったが、科学技術政策はあやふやである。日本をどのような国にするのかビジョンが見えない。

 日本の国際化、グローバリゼーションの中で国際競争力を考えれば、科学技術立国に行き着くだろう。環境、生命科学などで優位に立ち、世界にないものを日本から供給できるようにすることで日本はプライドを保つことが出来る。

 生徒が理科の勉強をする場合は楽しくしてほしい。自身の体験では、勉強が面白いと思ったのは、大学を卒業して外務省に入り、ハーバード大学に留学しているときである。
 最初に書いた論文は自分の意見、見解を書いていないとして落第点となったが、東大ならパスした論文だろう。ハーバードの教師の指導によって、中国共産党 の歴史を検証する研究を行い、歴史的記録を読みながら、その意味付けに自分の見解を入れて論文を書いていい点数を取った。
 この体験で勉強は大変面白いと感じた。是非、生徒が面白いと感じるような指導が出来る教師になってほしい。

 日本のグローバリゼーションとは、科学技術立国にすることである。小中高校の生徒がのびのびと成長するような教育者になってもらいたい。

 小論文の課題は次のようなものだった。

 「日本の理系学生の創造性を発揮させるには、政治家はどのような政策をするべきか。またどのような制度を作るべきか」

   科学文化概論第4回講義
            

第4回「科学文化概論」(5月10日)講義の報告
担当教諭 有本建男先生

 授業タイトルは「科学文化と科学技術行政」である。
 有本先生は、グローバリゼーションという視点の中で、科学が人々に与えた影響と政治、経済、文化とのかかわりなどを、歴史を縦糸にしながら俯瞰的に述べて考えさせる授業内容だった。

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 有本先生は別途用意したレジメをもとに、パワーポイントで詳細な項目を示しながら熱心な講義を行った。

 レジメを元に講義の概略を紹介すると次のような流れであった。
1.はじめに
   ○生物進化のカレンダー、自らの位置、
   ○事業仕分け
   ○20世紀の20大イノベーション
   ○科学の終焉論争、反科学の動き

2.世界に広がる科学文化
 ○科学文化と国
 イギリス、アメリカ、ハンガリー、EU、スイス、ポーランド、北欧、中国、インド、韓国、タイ、ベトナム、シンガポール、イスラエル、チュニジアなどの動きを紹介。
 ○先進国、新興国、途上国の科学と文化。
 ○政治、宗教、社会、経済、環境、「2つの文化」の乖離(文系と理系)

3.歴史における科学文化の現れ
 ○日本の近代大学の始まり
 ・東京理科大学の前身である東京物理学校 ・東大工学部の発祥
 ○日本の伝統文化と先端技術
 ○先進国と後進国
 ・脱亜入欧(福沢)、脱独入伊(ゲーテ)、脱米入独
博物館への感動(米欧回覧実記)
・ベルツの慨嘆、朝永のアメリカ体験
・カーネギー、ロックフェラーの志
 ○20世紀科学の光と陰
  ・ノーベル賞
  ・戦争と科学・技術 
・「フランス科学」、「ドイツ科学」、「日本科学」
・科学者のエートスの変化

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4.科学文化と科学技術行政
 ○科学技術に対する国民の期待
 ○科学技術の推進構造
 ○科学技術基本法の体系と進展、新しい展開
 *基本法(1995年)
 「国は、・・広く国民があらゆる機会を通じて科学技術に 対する理解と関心を深めることができるよう、科学技術に 関する学習の振興、啓発、知識の普及に必要な施策を講ず る」
 *科学技術基本計画
 ・第3期科学技術基本計画
 ・第4期科学技術基本計画
 現在来春の閣議決定をめざして、総合科学技術会議を中心に検討中。素案の中で、「科学・技術コミュニケーションの抜本的強化 」は大きな柱。「国民が参画して議論できる場の形成」、「社会的課題に関する調査・分析を支援」、「リテラシー向上への取組」、「科学・技術コミュニケー ターの養成確保」、「国会議員と研究者の対話の場づくり」、「倫理的・法的・社会的課題(ELSI)への取組み、テクノロジーアセスメント(TA)を促 進するために、研究資金の一部を充当する制度を検討」など。


  
5.21世紀の科学文化
○今何故、科学文化なのか
・低い科学技術リテラシー、「21世紀の科学技術リテラシー像」

○ブダペスト宣言「21世紀の科学の責務」「科学と社会の新しい契約」
   “Science and use of scientific knowledge in the 21st century”
     20世紀: “Science for knowledge, Knowledge for progress”
     21世紀: “Science for knowledge, Science for peace, Science for sustainable development, Science in society and Science for society
・国、分野に依る異論;”Modern science and traditional knowledge”
    次第に各国の政策に浸透
   ・世界科学アカデミー会議

○科学技術イノベーション
・科学~技術~価値
・何のためのイノベーションか? 
   科学技術政策から科学技術イノベーション政策へ
       ・異分野融合
・2つの文化(文理)の再接近、融合
  ・科学と政治、科学と社会、科学と価値、科学の健全性
*Principles of Scientific Advice to Government to govern the relationship between Government and its advisors(英政府):
 独立性、透明性、公開性
 
○グローバリゼーションと2つの危機と科学文化
・危機後の世界、価値、科学とは?
・科学活動の重心の移動(アジアへアフリカへ)
・新しい価値の尺度
・科学のガバナンス(国~世界)
    先進国~新興国~途上国
科学者共同体、地域、国(ナショナル)、世界(グローバル・ガバナンス)
・AAAS年次総会
「Bridging science and society」(2010)
“Silent Sputnik”, “Scientific Integrity”
  「Science without borders」(2011)
   
(参考1)近代科学技術の制度体制の歴史
         19世紀:「科学技術の制度化」  
         20世紀:「科学技術の体制化」   
         21世紀:「科学技術の戦略化」  

(参考2)科学文化とは何か。
○science and culture
○science in culture,
○culture in science・・・・scientific culture
○science for culture
○culture for science

(参考3)「文化」の定義
ある民族・地域・社会などでつくり出され、その社会の人々に共有・習得されながら受け継がれてきた固有の行動様式・生活様式の総体。
人間がその精神的な働きによって生みだした、思想・宗教・科学・芸術などの成果の総体。物質的な成果の総体は特に「文明」として区別される。

(参考4)科学文化の“5W1H”―“Who, What, When, Where, Why, How”
誰が:個人と集団;科学者、技術者、研究マネジャー、学会、学校、地域、市民、政治家、社会・・
何を:・・・・
何時:17世紀「科学革命」、19世紀、20世紀、21世紀、
1980年代、グローバリテゼーション時代、ここ15年(1995年以降)・・・
何処で:世界、欧・米、EU、日本、アジア、地域、大学、学会・・・
何故:問題の発生源、問題解決の方法・・・(人類生存~地域の問題解決)
どうやって:教育、学習、継承・伝承、コミュニケーション、リテラシー、ELSI(倫理的・法的・社会的課題)、TA(テクノロジー・アセスメント),・・

 最後の論文課題
「グローバリゼーションと科学文化について述べなさい」
 

科学文化概論の第3回の講義

  

 第3回「科学文化概論」(4月26日)講義の報告
 担当教諭 川村康文先生
 

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 授業タイトルは「サイエンス・コミュニケーション・コンサート」である。川村先生は、「科学・サイエンス」は「芸術・アート」と同様に、ひとつの文化として位置づけ取り上げられるべきものであるとの持論を展開しており、科学文化の視点を持つべきだとの考えだ。

 この授業でも簡単な物理実験を取り入れたり、自身が作詞・作曲した歌を歌ったりしながら、「科学文化実践教室」を実現した。

 最初に、小学校の理科、中学校の理科、高校物理における「好嫌度」と「自信度」の調査を紹介した。
川村先生のデータでは、小学校では「理科嫌い」と言うよりは、明らかに「物理嫌い」がみられ、理科に関しては、「おおむね好き」であるという結果がでているという。

 小学校の先生の中には、理科指導に自信がもてない先生もいるが、それだから「理科嫌い」になったというわけではないのではないかとも語っている。

 続いて、中学校理科の実態が紹介された。理科系でない男女では、理科好きとはいえない状況がみられたものの、男子では理科嫌いだとはいえないと説明があった。
 女子でも理科のなかで、生物、地学の分野は好きであると意思表示している。しかし、物理は嫌いだと明確に答えている人が多いという。

 まとめると、小中学校の理科では、とかく物理分野が嫌われているのであって、化学・生物・地学の分野では、強く嫌われていると一概に言い切れないのではないだろうかとのことだった。
 川村先生は、なぜ「物理嫌い」が多いのかというテーマに強い関心をもっており、高校物理での状況を継続的に調査している。

 高校1年目の物理では、物理選択者は物理が好きとしていたが、高校での2年目の物理では、内容を理解しているかどうか自信がなく、高校生は厳しい状況におかれていることが示された。

 川村先生は「それでは、高校の物理教師は、何もしないで手ぐすね引いているだけなのかということになるが、現実はそうではない」としていくつかの例を出した。

 青少年のための科学の祭典などで、おもしろい実験を指導し、物理に興味・関心を向けるように指導されている先生も多くいる。それなりの努力はしているのだが「それだけでは、高校生に物理の自信をつけさせることが難しいのが現状である」とも語った。

 その問題の解決は、物理教師のサイエンス・コミュニケーション能力の向上により見いだせるのではないかとし、物理教師の実施可能なサイエンス・コミュニケーション活動について、いくつか紹介をした。

 そのモデルとして2つのエコ実験が紹介された。1つは、「省エネ電球でエコ」という実験であり、もう1つは「プラスチックのリサイクル実験」である。

 「省エネ電球でエコ」実験では、白熱電球の消費電力、発熱量とスペクトルを示し、それと省エネ電球の消費電力、発熱量とスペクトルを比較した。
 省エネ電球では、蛍光灯のスペクトルと同様であることが確認された。電球1個からでも、地球環境問題解決のための活動に参加できることが分かった。

 もう1つの「プラスチックのリサイクル実験」では、プラスチックのリサイクル用のマークである1~7のそれぞれの具体例が示され、水に浮くかどうかの実験も行った。
 地球温暖化のために異常気象にみまわれ、ゲリラ豪雨のような大洪水に巻き込まれたとき、ペットボトルを工夫して使うと人命救助の道具になることなど、防災意識も高めましょうという話もしていた。

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 川村先生はギターを弾きながら、自身が作詞・作曲した歌を披露した。

 授業の最終場面では、川村先生が自らギターを弾き、自身が作詞、作曲した歌を歌う、サイエンス・コミュニケーション・コンサートが行われた。

 川村先生によると「サイエンス・コミュニケーションの方法については,確立した方法論があるわけではないと考える。しかし世の中は,確実にサイエンス・コミュニケーションを求めている」という。

 川村先生は「温暖化星人から地球をまもる宇宙船にっぽん号のたたかい」というサイエンス・ライブ・ショーの100回公演をめざして実践している。
 環境保護ソングや世界平和を願う歌などをベースにしたサイエンス・コミュニケーション活動の実践を始めており、その一端をこの授業で試みた。
 

科学文化概論の第2回の講義

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 第2回目の講義は、藤嶋昭・東京理科大学学長が担当した。藤嶋先生は、多数の資料をお持ちになり、ご著書を全員に配布した。 
 藤嶋先生の講義のタイトルは、科目名の「科学文化概論」だったが、これはこれで意味があったように思う。
 教室は一回り大きなゆったりしたスペースに変わり、教室全体が余裕ある感じになり変えたのは正解だった。

  藤嶋先生の講義内容(パワーポイントを使用)
1. 桜が満開でした
 南から北へと日本列島を縦断して開花していくソメイヨシノの生物的な意味を考えさせ、自然界の感動を伝えた。

2. アインシュタインと太陽エネルギー
 1905年、世界の科学史に燦然と輝くアインシュタインの3つの論文が生まれた当時のヨーロッパ文化を考えた。

 1927年に撮影された一群の科学者たちの写真には、量子力学を創設した世界の天才たちがキラ星のごとく並んでいる。
 アインシュタイン、マリー・キューリーなどを取り上げながら、科学の成果とは、学問と文化が織り成す「雰囲気」の中で醸成され波及していくことを示唆した。そしてアインシュタインの言葉を引用しながら、若い人々の学問への取り組みを誘導した。

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3. 私と太陽エネルギー
 自身の酸化チタン光触媒の研究から生まれた実用的な成果をまず伝えた。そして、研究のきっかけ、最初の水の分解を目撃したときの感激、論文投稿に至るまでの学界の反応、朝日新聞の報道で社会に認識されていく経過。
 さらに現在までの実用研究の数々の成果と今後の課題に触れた。

4. 本を読もう
 締めくくりに知的才覚を掘り起こし、触発してくれる読書を勧め、人生を豊かにする本を紹介した。
 自身の著書「科学も感動から-光触媒を例にして-」(東京書籍)を配布し、その巻末にあげた「読んでほしい本」を是非、読むように伝えた。

 最後に若干の質疑応答があり、小論文には「最近、感動したことは何か」の課題を出して終了した。
 

               
        科学文化概論の第1回の講義
     「科学文化概論」オムニバス授業

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 第1回の授業は、科学教育研究科の大学院1、2年生を主体に、29人が受講した。このほかに、3回目の授業に登壇する川村康文教授、4回目の授業に登壇する有本建男先生の代理人が受講した。

  この日の講師は、筆者であり「科学文化ってなんだ」というタイトルで大略次のような授業をした。

1.科学文化という言葉と概念は、まったく新しいものと受け止め、授業を受けて学習するという態度ではなく、自ら科学文化とはどういうものか、科学文化とは、こうあるべきという主体性を持った考え・態度で授業に参加することが重要だ。

2.この授業を通じて科学文化とはどのような概念なのか東京理科大発で世に発信することにしたい。その発信元の1人として授業に参加してもらいたい。

3.日本は明治維新以来、それまで主として清国(今の中国)から取り入れていた文化をすべて捨て、欧米からの文化移入一辺倒に切り替えた。このよう な劇的な転換を経て近代国家形成へと歩んだもので、科学をはじめ法律、行政、社会制度全般にわたって欧米からその思想とシステムを移入して近代化をはかっ た。

4.太平洋戦争によって、それまでの国家体制が瓦解し、多くの社会資本も失ってしまいゼロからリスタートしたが、高度経済成長期を経て奇跡の復興を 果たした。しかし1990年代からITをツールと手段とした「第3次産業革命」が勃発し、世界はものすごい勢いで変革し始めた。その変革はこの後も続いて いくものであり、これをIT産業革命という位置付けで考えることが大事である。

5.このような時代的な流れを俯瞰しながら、科学技術によって生まれた成果が、どのように個人、社会、国家を変えたかを考えてみたい。たとえば携帯 電話は、この10年間で劇的に進化したツールである。携帯電話1台で知的財産権が約1万件あるといわれており、ハイテク技術の固まりである。これは電話で はなくモバイルターミナルであり、このようなツールの普及によって、社会も文化も価値観も犯罪も劇的に変化した。

6.そのような時代の中で、人々は何を考え行動するかが問われており、科学文化とはその課題を考え、解決策を模索する新しい学問の創造と位置づけたい。

7.最後の10分間に「私が考えるITとは何か」という課題で小論文を書いてもらった。

                                

科学文化学を東京理科大学から発信

     「科学文化」という新しい概念を確立するため、東京理科大学科学教育研究科で新しいオムニバス方式の講義が始まった。

 
 科学文化概論について  
 科学は、自然・人間・社会、そして自分自身をも対象に観察・分析・分類し、「真理の探究」をする学問として出発した。19世紀には、熱力学や電磁気学のような数学的実験物理学が誕生し、自然科学は客観性・論理性・普遍性・再現性を重視するようになった。

 科学は徐々に、「人間による自然の支配」を肯定するテクノロジー科学へと移行し、20世紀に入ると科学の応用により産業上の大成功がもたらされ た。現在、科学をマクロにみれば、政治、経済、社会と密接に関わる「富や力としての知・製品・システム」であり、ミクロにみれば、個人と密接に関わる「生 活の知・製品・システム」「健康の知・製品・システム」「喜びの知・製品・システム」などである。

 現在、科学技術は人々の生活の隅々にまで浸透している。人々は、排気ガスを出す自動車に乗り、都市ガスや電気で料理し、インターネットで旅行情報 を得て海外で休暇を過ごす。携帯電話は、約1万件の特許、実用新案、意匠、商標、著作権などの知的財産権に囲まれている超ハイテク機器だが、このような機 器を身につけて日常的に使っている状況は人類始まって以来このことである。

 日々、これらの製品・システムを使いこなすだけでなく、そのコストとして、環境汚染、エネルギー枯渇、狂牛病などの感染症、情報セキュリティな ど、地球規模で国際政治的な視点も欠かせない「知・製品・システム」の諸問題に直面している。つまり、科学技術の適切な運営・理解・価値観なくして、人々 は安心・安全・快適に生きていけない状況に置かれている。

 しかし一方、科学の「知・製品・システム」はますます増大し、複雑になっており、変化は加速している。人々と社会は、これらを適切に運営・理解す ることが難しい場面に遭遇しているし、このままでは将来は、さらに難しい場面に遭遇するだろう。現在すでに、科学の「知・製品・システム」を適切に運営・ 理解する必要に迫られている。

 そこで、自然・人間・社会を支配するという偏った科学の「知・製品・システム」から脱却し、科学技術に対する適切な理解を基盤とする運営を確立す るため、科学技術と人間・社会との関係を学際的に研究する学問、ここではこの学問を「科学文化学」と呼び、この学問を創設することで時代の要請に応えた い。

 授業は各界の識者を講師に来てもらい、様々な観点から科学文化に対する知見を講義してもらうことにする。予定の講師や講義のテーマは、変更するこ とがある。また科学文化に関するテーマで、社会的に耳目を集めるような事態が発生した場合は、急きょ授業のテーマを変えて適宜、論議するようにしたい。

 講義を通じて科学文化という概念を理解し、科学と国家、社会、個人のつながりや関係を深く考えることができるような授業とする。

               

東京理科大学関係の旧バージョン

桂歌助師匠が「理学の志士」を口演(東京理科大維持会)

  桂歌助師匠が「理学の志士」で一席をうかがい

東 京理科大の維持会報告会が、10月3日開催され、そこで桂歌助師匠が落語「理学の志士」を口演した。歌助師匠は、新潟県十日町出身、昭和62年 (1987)に東京理科大理学部数学科を卒業したが、在学中から桂歌丸師匠に弟子入りしていた。修行を積んで前座、二つ目と順調に出世し、平成11年5月 に真打となった。

数学科卒の落語家である。筆者も理科大数学科を出て新聞記者になった変り種だが、その後輩がまた落語家とは嬉しい。ついでに言うと、ジャズ作曲家でピアニストの鬼武みゆきさん、ジャズシンガーの祥子さんも数学科卒でジャズ音楽界で存在感を出している異才である。

さ て、歌助師匠の話した内容は、「青年よ理学をめざせ」(東京書籍)を原作にしており、この本の著者は筆者である。だからこの落語の脚本の監修もしている が、実際に落語を聴くのは初めてだった。明治維新直後に、日本の発展は理学なくしてあり得ないとして、20歳代の若者が夜間の塾を開いて理学の普及に取り 組んだ物語である。

こ の20歳代の若者は、東大理学部仏語物理学科を卒業した16人であり、東京物理学校を創設した志士たちである。物理学校は東京理科大の前身であり、この学 校なくしていまの理科大はなかったわけである。何よりもこの若者たちの高い志は素晴らしいもので、落語と言うよりも講談に近い話の運びだった。しかし随所 でしゃれを入れて笑わせるのはさすがである。

桂歌助師匠は、このような硬い題材を練達の語り口で観客を引き込み、明治時代の青年たちの意気を語って感銘を与えた。やはりプロの話術はすごいと思った。歌助師匠の師匠は「笑点」の司会でおなじみの桂歌丸師匠である。

歌丸師匠が引退すれば、後がまは歌助師匠になるのだろうか。それにしても歌丸師匠は丈夫だねえ。

    渡部政博氏が中国のコピー工場の全てを開示して理科大で講義

                               
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 中国・雲南省昆明市にバイオプラントを建設し、抗酸化物質として知られているアスタキサンチンを製造していた日系企業・昆明バイオジェニック社(渡部政 博・董事長)が、中国人従業員に培養技術を盗まれ、その技術を中国で実用新案登録されていた事件の詳細が、東京理科大学知財専門職大学院の生越由実教授の 授業で報告された。

 この事案は、中国で活動する日本のバイオジェニック社(渡部政博社長)のいわば失敗した経営方針と実態を詳細に語ったもので、非常に珍しいケースであ る。日本の企業は、中国での管理や経営失敗を語らずう、できるだけ隠蔽しようとするが、渡部社長は日本企業のために全て情報を開示するという英断を実行し たものだ。

 渡部社長はさる4月にも、北京のIPG(中国で活動する日系企業の知的財産関係者の集まり)でも特別講演を行い、多くの在中知財関係者に衝撃を与えた。営業秘密、技術保護の管理体制をどうするかを示唆するものとして各界で大きな関心を呼んでいる。

 ジェトロ(JETRO=独立行政法人日本貿易振興機構)では、この事案を早くから重視し、先ごろ詳細な報告書「中国における営業秘密の管理・その流出と対応に関する実態調査報告書」を作成し広報した。 この報告書は、下記のウエブサイトで見ることができる。

 http://www.jetro-pkip.org/html/ztshow_BID_bgs201209.html

 この日の講義で渡部社長は、この報告書をもとに語ったものであり、受講生も大いに参考になったようだ。この問題は解決したわけではなく、今後、中国での刑事訴追、損害賠償なども視野に入れながら長期的な戦略で対応する戦略を練っているようだ。

 いま日中は、尖閣列島問題などで冷え込んだ状態にあり、中国で活動する日系企業にとっては厳しい時代になっている。この時期を超え、中国での対日感情が緩和する時期になれば、このような理不尽な事案への対応も変わってくるだろう。

 東村篤著「母照子が語る東村写真館 真心を写して49年」

 

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 日本人の心のふるさとの尽くせぬ出来事を語り、そして記録として残そうとした書籍である。著者のおふくろがこの本の主人公であるが、ここに記録されている出来事は、あの日あのときの尽きせぬ思いが込められていて読むものは感動せずにいられない。

 あの時代、貧しくもともに価値観を共有する幸せがあった。全国の多くの土地にあった写真館は、その幸せを記録する拠点であった。デジカメが普及した今の 時代からは想像できない社会のなかで、多くの国民は汗を流し喜びと悲しみを分かち合い、笑い涙して日々を過ごしていた。 その記録を残してくれたのが写真館であった。

  その日々の出来事と往時を彷彿とさせる地域社会の動きがふんだんに込められた書籍であり、地域を越えて感動する記録集でもある。 このような記録を残すことが非常に貴重な時代になってきた。そしてこのような行動をおこした著者の東村篤先生に敬意を表したい。 有難うございました。

 東京理科大学のホームカミングデイの開催

                               
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 東京理科大学のOG、OBが母校に集まって交流する「ホームカミングデイ」が、10月27日、葛飾キャンパスで行われ、多くのOG、OBが参加して賑わった。

 盛りだくさんのプログラムが用意されており、実施関係者が多くの時間を割いて企画・実施した内容がよく伝わってくる。恒例となっている秋山仁教授の講演 は、いつもの名調子で満員の会場を沸かせる。この日は、よきパートナーとなって活動している由美かおるさんが舞台でアシスタントを務め、最後にはお二人の アコーディオンの演奏で楽しい締めくくりとなった。

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 中庭に設置された「ふれあいライブステージ」では、和太鼓、混成合唱団、吹奏楽団、曲芸、祥子さんの歌唱など盛りだくさんのプログラムで観客を楽しませた。

  講義棟では、研究室の成果の発表や、写真のように子供たちのサイエンスへの興味を抱かせる「サイエンス夢工房」などからお笑い、アートギャラリー、年代別の同窓会などここでも多くのプログラムが並んでおり、楽しい訪問だった。
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 上の写真は研究成果発表の教室で、バイオ発電を展示していたコーナーである。学術研究の発表の場でもあり、子供たちから大人まで楽しめるイベントだった。

 光触媒国際研究センターの開所式

 

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 光触媒の国際的な研究拠点として東京理科大学野田キャンパスに「光触媒国際研究センター」がオープンした。光触媒の研究でこれだけまとまった研究センターは、世界でも初めてである。

 光触媒の研究に火をつけたのは、藤嶋昭・東京理科大学学長である。東大の大学院生だったころ、酸化チタンと白金を電極にして水槽に沈め、強い光を与えた ところ水が分解して酸素と水素になった。1969年に電気化学会主催の第一回電極反応討論会で藤嶋先生が発表したところ、次のような反応だったという。

 「内容が間違っているが訂正する時間がないので、そのまま載せておいた」

 「理論電位よりもマイナスの電位で酸素が発生するわけがない」

 「こんな非常識な話は聞いたことがない」

 「電気化学をもう一度よく勉強しなおしてから来るように」

 こうした批判のコメントを聞きながら、藤嶋先生は「葉っぱの表面で起きている光合成と同じ反応が起きている。なぜ分からないのだろうか・・・」と思ったという。

 それから半世紀。いまや光触媒のビジネスが1000億円を超えるまでになった。世界で1兆円市場ができるとノーベル賞に結び付く。この研究と実用化も、どこかで爆発する可能性があるが、その起点がそろそろ始まろうとしている。

 研究センターには、セルフクリーニンググループ、人工光合成グループ、環境浄化グループなどに分かれており、光触媒の世界の学術的なメッカとなるだろう。

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  水耕栽培では、クリーン水槽実現に光触媒が利用されており、青々と育った野菜類が見ていても気持ちよかった。

 科学文化概論で講義

                               
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  「知的財産権は研究開発の成果なのかそれとも文化なのか」-このようなテーマで6月3日、東京理科大学科学教育研究科で講義を行った。これは北原和夫教授が主導する「科学文化概論」の講義の1コマを担当したものである。

 知的財産権には産業財産権(特許、実用新案、意匠、商標)から著作権、育成者権など様々な権利がある。こうした権利のうち、産業振興にもっとも深い関係があるのが特許である。その特許を代表例にしながら知的財産権と文化が交錯する現代の場面と課題をあげて講義を行った。

 授業ではまず、知的財産権とは何か。さらに産学連携について考え、なぜ産学連携が必要になったかを考えてもらった。そしてスマホにはどのくらいの知財が 使われているかを考え、パテントプール、パテントトロール、パテントオークションなどの用語の意味について考えてもらった。

 また途上国で宣言されている特許の強制実施権についても考え、アルダージ社のパテントプールを実例としてあげながら産業現場でのパテントの運用、実施例 などをもとにパテントは研究開発の成果なのかそれとも文化としてとらえるべきか。そのような切り口で考える授業を行った。

 この10年で知的財産権の世界は激変してきている。その現状も大急ぎで俯瞰し、最後に特許は誰のものか、特許は人々を幸せにするのかどうか。それを問い かける小論文を書いてもらった。この授業は90分間で現代の知的財産権の世界に横たわる課題を網羅しながら改めて知的財産権を考えるものにした。

 短時間の中だけに、消化不良になっている部分もあっただろう。しかし知的財産権について、単に権利として考えるだけではなく、社会の価値観の中で考えるきっかけをつくることを狙いの一つともした。このような授業は試行錯誤を繰り返しながら成熟させるよりないだろう。

 といってもこれは受講者を軽視しているわけではなく、激しく動いているテーマを取り上げる宿命であろう。

 東京理科大学葛飾キャンパスの竣工式

                               
                 

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明治の天才画家と言われた青木繁の「わだつみのいろこの宮」の陶板碑の除幕式。             右から大村智博士、塚本桓世・前理事長、藤嶋昭学長、山田義幸理窓会会長

 東京理科大学の葛飾キャンパスの竣工式が、2月20日行われ、多くの関係者が出席して大学施設を見学した。葛飾キャンパスは、この4月1日から開校することになっており、基礎工学部と工学部などが新装なったキャンパスに入る。

 このキャンパスは、前理事長の塚本桓世先生が計画して実現し、昨年12月末から交代した中根滋理事長に引き継がれ、新しい東京理科大学へと進展することになった。

 金町駅から徒歩7分程度の場所で、駅からキャンパスまでの一本道は商店街になっている。と言ってもちらほらシャッター店舗もある。しかし、この地に若いエネルギーが大挙押し寄せてくることになり、商店街も期待しているようだ。

 この一本道に「理科大学通り」という名前が付けられており、街の再開発に弾みがつくようなら大変結構だ。葛飾区の青木克徳区長も、「葛飾区に名門の大学が来てくれて大変嬉しい。地域の皆さんと一緒にここで素晴らしい研究地域を築いていきたい」と語っていた。

第104回理窓会新年茶話会の開催

                               
                 

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 恒例になっている東京理科大学・理窓会の新年茶話会が1月12日、東京・飯田橋のホテルエグモントで開催され多くの同窓生が出席して近況を報告し今年の抱負を語り合った。

 昨年、叙勲・表彰を受けたOB,OGの人々の中でひときわ光彩を放っていたのは、文化功労者に選出された大村智博士(北里研究所名誉理事長、女子美術大 学理事長)である。有機化学・薬学の分野で世界に先駆けて優れた業績を残し、ノーベル賞受賞の至近距離にあるとされており、同じように取りざたされている 酸化チタン光触媒の藤嶋昭・東京理科大学学長らと楽しい歓談となった。

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 大村博士は、昭和38年に東京理科大学理学部化学科の大学院生として入学し、都築先生の研究室で先端実験化学に取り組んだ。当時、大村博士は、都立高校の夜間の教師をしており、学び直しをするために東京理科大学に入ってきたものだった。

 お祝いの席では、その当時のエピソードも披露しながら、藤嶋学長らとも楽しい懇談をしていた。また、そのほかにも、叙勲された人々が多数紹介され、理窓会・坊っちゃん賞の受賞者3人も紹介されるなど、茶話会は終始楽しい雰囲気の中で行われた。

 終わって二次会は、数学者の秋山仁先生、女優の由美かおるさんらと中華レストランに繰り出し、藤嶋学長、塚本理事会会長らも加わって、様々なテーマで今年の抱負を語り合った。

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真ん中の由美かおるさんは、いったい、いくつになったのか。

テレビのバラエティ番組のでお茶の間の人気スターになったころと変わらない愛らしさだった。

               
      「理大 科学フォーラム」の編集委員会の開催
                               
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  東京理科大学のジャーナルである「理大 科学フォーラム」誌の今年最後の編集委員会が12月20日に開かれ、2013年1月号の内容の評価と2月号の校了を行った。

 1月号の特集は、お正月であることも考えてお酒にまつわる発酵の科学について専門の先生方の執筆を収納した。また、新年号から始まる特別連載「大丈夫か日本の知財戦略」と各種コラムについても評価を行った。

 今年最後の編集委員会を最後に筆者は委員長を退任することに決めており、この日は委員会終了後に送別会を開催していただき、大変、嬉しく思った。また、広報担当でこのジャーナル誌の責任理事になっている秦野純理事も出席し、同じく送別会をしてもらった。

 このジャーナル誌は、物理学校時代に発刊した「物理学校雑誌」以来、延々と続いている大学のジャーナルであり、おそらく日本の大学では最長寿のジャーナルの一つだろう。

 その伝統を引き継いだものであり、大変、意義のある雑誌の発刊でもある。これからもますますの発展を祈念したい。

 日本知財学会の分科会で討論

                               
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 2012年度の日本知財学会が、大阪市の大阪工業大学で開かれ、ほぼ1000人の会員らが集まり熱心に討論を行った。

 筆者は、「 中国で活動する日本企業の知財戦略についての留意点とその考察」とのタイトルで、雲南省で発生したバイオプラントのコピー事件などを実例にあげ、第3世代に入った中国での知財トラブルの対応策について討論を行った。

 この事例はいま、日本政府機関からの要請により詳細な報告書を作成する準備を進めており、詳細は学会で発表することができなかった。しかし類似の知財紛争は、筆者のもとにいくつか集まっており、これからの日中間の新たな知財紛争として課題になるだろう。

 特に中国で高等教育を受けたいわゆるエリート集団が、戦略的に日本企業の知財を侵害したり悪用する手法は研究課題として十分取り上げる必要がある。雲南 省のコピー工場事件は、中国での刑事事件となるのかどうかも含めて非常に重要な内容を含んでおり、今後もフォローを続けたい。

 知財学会では、筆者の発表の後、「知財人材育成・知財教育」のセッションで座長をしたが、妹尾堅一郎先生の「イノベーションモデルの変容と知財人材 - イノベーションモデル、知財マネジメントモデル、知財人材モデルの移行自体をメタモデル化するー」との意欲的なテーマには多数の聴者が集まり、活発な討論 があった。

東京理科大学募金顕彰の会の開催

                               
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東京理科大学の同窓生で構成する維持会の顕彰の会が、11月2日に開催され、新たに2人の会員の表彰が行われた。

 この維持会は、東京物理学校を創設した16人の同志たちが、ポケットマネーを出し合って学校を経営した歴史に学んで、いまなおOGやOBが募金活動をし て母校の支援をしているものである。寄付した額が一定の額を超えると表彰する制度をとっており、この日は新たに澤芳昭氏と森田昌宏氏が表彰を受けた。

 折しもこの日、文部科学省が新設を求めていた3つの大学の認可を認めなかったというニュースが流れ、私大の経営と大学の質の低下が社会問題となっていることをうかがわせた。

 東京理科大学は、毎年、5万人の志願者がおり、2万人の学生を抱えている。来年4月からは葛飾キャンパスもスタートを切ることになり、大学の健全なうんねいはますます重要になってきている。これからも伝統ある大学の経営に少しでも役立つ行動を起こしたいと考えている。

 東京理科大学ホームカミングデイで特別講演

 

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 東京理科大学のOG、OBが集まって懇親を深める東京理科大学ホームカミングデイが、10月の最終日曜日に開催され、多くの同窓生で賑わった。筆者も記 念講演会に招かれ、卒業してすぐに入社した読売新聞記者時代を俯瞰しながら、2000年以降の世界の動向と自身の活動を総括し、潮目の速い時代の対応へ提 言した。

 上の写真は、学生の懸賞論文で入賞した人の表彰式である。下の写真は、記念講演で講演とアコーディオン演奏で盛り上げた秋山仁先生と「恋人」の由美かお るさんである。由美さんは、高校生時代からテレビで活動していた歌手・ダンサーであり、今でも妖しい美しさで筆者を大いに惑わせた。

 筆者は懸賞論文の講評を依頼された。講評は以下の通りである。

 今年度の論文テーマは「豊かさ・安心・安全追求のために果たすべき未来の科学技術」という抽象的で難しいテーマでした。

 最優秀賞に選ばれた高木英美子さんの論文は、課題に対し「サービス付き高齢者向け住宅専用生活支援ロボット開発の提案」という副題をつけて論述しました。  この論文には、大変優れた点をあげることができます。

 第1に、豊かさ・安心・安全追求という課題テーマに対し、老齢化社会のサービスを考えた点です。日本は急速な高齢化社会を迎え、要介護高齢者も急増することが予想されています。

 このような社会構造の中で最も求められるものの1つとして老齢化社会のサービスを実現することであり、高木さんはそこに論文の骨子を求めたものです。

  第2の優れた点は、要介護高齢者サービスを実現するために、日本の産業技術の中でも、常に世界のトップを走っているロボット技術を応用しようとした点です。介助支援、家事支援を行うロボットは、冷蔵庫の開閉、調理補助、お盆運搬、声の指示の認識、簡単なコミュニケーションができるものを目指そうとするものです。

 このような先端技術の開発は、日本でなければできません。他の国では、優れたロボット技術の蓄積がありませんから実現するのは極めて難しい。世界の中で日本が先端技術で実現できるところに眼をつけた高木さんの発想は素晴らしいと思います。

  第3に、この構想を机上のプランに終わらせないために、ロボットメーカーと住宅メーカー、さらに介護従事者など専門分野を結集して取り組む体制を提案し、国が積極的に支援することを提案したものです。介護支援ロボットの導入を前提とした住宅設計、家具や家電へのチップ埋め込みなど未来の老齢化世帯のイメージを書いている点でも楽しく読ませてもらいました。

  IT産業革命を迎えて日本の産業は地盤沈下を起こしているのではないかという危惧があります。また、高齢化社会を迎えて、日本は要介護者への介助などで社会的負担が増し、人手不足を解消できずに行き詰まるのではないかという心配も出ています。

  しかし高木さんの論文は、日本が世界で断トツのロボット技術を駆使して、要介護者の介助という課題を解決しようという大変元気の出る提案であり、最優秀賞に輝いたものであります。 

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東京理科大学の「維持会栄誉・特別・終身会員報告会」の開催

 

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 明治14(1881)年に設立された東京理科大学の前身、東京物理学講習所(後年、東京物理学校と改称)の伝統を引き継ぐ「東京理科大学維持会栄誉・特別・終身会員報告会」が10月5日、東京・新宿区の日本出版クラブ会館で開かれた。
 

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 この席で森野義男維持会会長は、写真で見るように明治14年6月13日に「郵便報知新聞」に掲載された同講習所設立広告を紹介した。物理学校は、東大仏 語物理学科を卒業した日本初の理学士16人が、「理学の普及こそ国運の発展の基礎となる」との志と情熱を傾け、ポケットマネーを出し合って作った夜学の学 校であった。
 創設者の年齢は20歳代の後半であり、昼は大学や役所に勤務し夜は物理学校の無給の教師となり、実力主義の授業で多くの優秀な学徒を世に送り出した。
 その遺志を引き継いで行こうと往時の多数の記録写真とエピソードを紹介しながら、森野会長は出席者に呼びかけた。

 来年の1月からは、東京理科大学の月刊雑誌「理大 科学フォーラム」に、この当時の歴史物語を連載する予定だという。いまから楽しみである。

 

 また、東京理科大学同窓会である理窓会の山田義幸会長からは、来年4月開校の東京理科大学葛飾キャンパスの状況などの報告があり、キャンパス内に設置するシンボル記念碑の建設資金の支援などで呼びかけがあった。

 報告会終了後の懇親会でも、物理学校卒業生など長老も出席しており、往時の思い出を語り合った。 

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 「理大 科学フォーラム」の編集委員会の開催

 

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 「理大 科学フォーラム」の編集委員会が、夏休みを挟んだために2か月ぶりに開催された。委員の先生方はみなさん元気であり、編集題材を持ち寄って今後の方針を討論した。

 写真は9月号の表紙である。元気先生と元気理大生をこの構図のように並べているが、女子大生の凛々しい姿を見てほしい。学生は、山口東京理科大学工学部応用化学科2年生の榎戸可織さんである。この凛々しい姿は素晴らしい。

 今年の特集は工学部創設50年であり、この間の歴史を掘り起こしながら、これからの工学部の歩むべき道筋などについて特集した。

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 9月19日に開催された編集委員会である

                                

「特許ステーキ」を食べながら宗定勇先生、MIP院生らと懇談

                               
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 東京・東向島にある「特許ステーキ」で有名な「レストラン・カタヤマ」で、宗定勇先生を囲んで懇親会を行った。このレストラン経営者の片山幸弘さんは、 安くて硬い牛のももの部分(らんいちと言うそうです)を特殊な調理法で柔らかくておいしい肉に改変する技術を発明し、特許を取得した。

 このステーキをいつしか「特許ステーキ」と呼ぶようになったもので、何とも嬉しいのはその値段と味である。特許ステーキは、260グラムで1670円と いう格安である。分厚くカットされた豪州牛であり、想像以上に柔らかい。あっさり味で肉のうまみはやや薄いが、筆者にはぴったりの味である。

 このステーキを食べがら宗定先生と東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の院生諸君とが近況を語り合いながら懇談した楽しいひと時だった。 

 第1期から5期まで歴代の馬場研メンバーは、全員がこのレストランへ行った思いでの場所でもある。スカイツリーがすぐ近くにそびえ立ち、夜になると明かりで縁取りしたツリーは、なかなか見ごたえがあった。また是非、行く機会を実現したい。

               

レストランカタヤマの別室で記念写真。この部屋の壁には、宗定先生が訪問したときの写真が展示会のように飾ってあった。

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  「理大 科学フォーラム」編集委員会
                               
                 

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  東京理科大学の科学ジャーナル誌の「理大 科学フォーラム」の編集委員会が、7月20日に開催され、8月号以降の編集方針を決定した。

 今月発行された7月号の特集は科学とジャーナリズムである。先の東日本大震災での東電・福島原発の事故は、科学があらゆる分野と連関を持っていることを改めて明るみに出してくれた。それはマスコミの代表機関である新聞・テレビ報道を見ても思い知らされた。

 マスコミは科学畑だけでなく政治、経済、社会、国際、家庭・生活、文化、教育などあらゆる部門が総力をあげて福島原発の諸問題に取り組んでいた。原子力発電技術は純粋な科学技術のジャンルであるが、原子力の安全性、エネルギー問題になると社会学、経済学へと広がってくる。

 原子力政策になれ ば当然、政治の問題であるし核拡散問題やエネルギー確保の問題になれば国際的な政治力学の話になる。核分裂の放射能、放射線の人体や環境への影響になると 医学、生態学から農畜産などへと広がってくる。マスコミの世界では、科学は特殊なジャンルではなくこのように複雑に連関し合ったテーマを内包しているもの になってきた。

 原子力だけではない。ノーベル賞一つとってみても、一国の研究開発力から産業技術力を占う指標の一つとなっており、国際社会での発言の軽重にも影響を与えるようになっている。科学技術創造立国の果たすべき役割は重要なのである。 

 7月号特集のテー マ「科学とジャーナリズム」は、新聞、テレビ、科学雑誌のジャンルから精鋭4人の執筆者にお願いして論じてもらった。佐藤年緒氏は、元時事通信編集委員で あり、現在、科学技術振興機構(JST)の科学教育誌『Science Window』の編集長である。

 柴田文隆氏は、読売新聞東京本社科学部長として日々、科学報道の第一線で陣頭指揮している。辻篤子さんは朝日新聞論説委員として、科学に関する社論を内外に向けて発信している。

 映像文化を代表して書いてもらったNHKの村松秀さんは、科学番組で名を馳せているディレクター・プロデューサーであり、BSドキュメンタリー『史上空前の論文捏造』(2004年放送)とその番組をもとに書いた『論文捏造』(中公新書ラクレ)では大きな話題となった。科学技術ジャーナリスト会議からは、2007年度の「科学ジャーナリスト大賞」を授与されている。

 東 京理科大学大学院科学教育研究科では、2年前から「科学文化概論」という科目を新設し、科学を文化として考える新学問体系を目指して授業を展開している。 本誌でも今年の1月号で特集を組んでいる。科学とジャーナリズムは、幾多の命題を抱えながら模索する時代が続いている。

                                

「理大 科学フォーラム」の編集委員会の開催

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    東京理科大学のジャーナルである「理大 科学フォーラム」の編集委員会が4月20日に開催され、今年度の編集方針などを決めた。今年の1月号からリ ニューアルした本誌の最大の売り物は表紙である。「元気先生がゆく」と「元気理大生がくる」というコーナーに合わせて、先生と学生の2人の写真が表紙に登 場している。

 4月号は、火災科学研究センターの水野正之先生と薬学研究科博士課程の高井英里奈さんのお二人である。それぞれの活動を報告し、これからの抱負を語る。元気はつらつとした活動が書かれている。

 元気先生のライターは山本明文さんで、気鋭のライターとしてノンフィクション分野で多くの著作を世に出している。元気理大生のライターは、多分、日本で 初めての「知財コラムニスト」を名乗る天道猛さんである。東京理科大学知財専門職大学院(MIP)を修了し、いま知財分野で活動を始めたばかりである。

 編集委員会では、これからの掲載予定のテーマと執筆者などの案を出し合い、編集の狙いと掲載の体裁などを話し合った。来年の連載企画もそろそろ考える時期であり、来年は博物館・美術館などを案内するコーナーが登場しそうだ。

 雑誌の編集は、半年先を走っていないと間に合わなくなる。だから今年の年末から来年初頭のことをいま考える時期である。そのようなタイムラグを乗り越えて、読者が興味を持ってくれる内容を模索している。今後も編集委員会一同で頑張るので、読者を増やしていきたい。

                                

上海理窓会設立総会が開かれる

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 東京理科大学のOG、OBの親睦団体である理窓会の中国での初の設立総会が、2012年3月11日、上海のガーデンホテル上海で開催され、中国で活躍する理科大関係者の交流の輪が広がった。

 この日は、東日本大震災から1年にあたる日であるため、設立総会の冒頭に全員が起立して黙とうを捧げた。続いて理科大の校歌を斉唱。設立までの経過報告の後、議長を選出、会則制定があり役員の選出を行った。 

 その結果、会長には大谷三喜男さん(79年工学部工業化学科卒)、副会長に葉維英さん(94年工業研究科経営工学専攻修了)、幹事に草野信さん(89年理学部数学科卒)、同井上幹宏さん(92年理工学部経営工学科卒)がそれぞれ選出され、新しい組織の形が整った。

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会場はOG、OB、来賓ら約70人の参加者が熱心に講演に聴き入った

 設立総会に続いて記念講演会となり、まず塚本理事長が「世界に誇る大学構築に向けた取り組み」、藤嶋学長が「20年後の東京理科大学への期待」とのタイ トルでそでぞれ講演を行った。さらに記念講演としてシコー株式会社の白木学社長が「夢の扉」と題して、理科大時代から超小型モーターを次々と開発して企業 化していった活動の軌跡をたどりながら発明人生を語って聴衆に深い感銘を与えた。

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 続いて開かれた懇親会では、互いに名刺交換しながら交流の輪が広がり、中国での理窓会の活動が始まった。

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「理大 科学フォーラム」の編集委員会の開催

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 東京理科大学の月刊ジャーナルの「理大 科学フォーラム」の編集委員会が2月17日に開催され、今後の編集方針について論議し、3月号以降の編集内容について決定した。

 

 「理大 科学フォーラム」の編集委員会の開催

                               
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 「理大 科学フォーラム」の編集委員会が1月20日に開催され、今後の編集内容について論議し、特集・企画案などを決定した。

 「理大 科学フォーラム」は2012年1月号から、内容を大刷新した。これまでは論文方式の記述が多く、アカデミズムの内容に偏っていたものを、もう少し一般化した内容にシフトし、高校生、大学生もなじむような話題も提供することにした。

 この雑誌は大学のジャーナルであり、アカデミックなポリシィは保持しながらも、読者層を広げるために一般的な話題も提供することにした。表紙には毎号、 「元気先生がいく」「元気理大生がくる」に登場する2人のポーズ写真を使い、中面にそのインタビュー記事を掲載している。

 また留学生の手記や学生クラブ活動の紹介も収納しており、特集記事も学術活動だけではなく、読者を広く啓発する記事も掲載する方針である。

 第103回理窓会新年茶話会の開催

 

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 2012年の初頭を飾る東京理科大学同窓会の新年茶話会が、1月7日、東京・飯田橋のホテル・メトロポリタンエドモンドで開催され、多くのOG、OBらが出席してにぎわった。103回という開催回数だけでも伝統の重みを感じる。

 出席者の中には、戦前の東京物理学校時代のOBもいて、往時の思い出話を聞く機会があったが、このような伝統の重みを感じながら母校の一層の繁栄を思う 茶話会だった。この茶話会で、「理窓会坊ちゃん賞」の授与式があった。今年の受賞者は、諏訪部喜義氏(昭和24年、東京物理学校応用化学科卒)、中西繁氏 (昭和44年東京理科大学工学部建築学科卒)、林直昭氏(平成6年、理学部化学科卒)の3人だった。

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 歴代の受賞者の中でも最年少の40歳で受賞者となった宇都宮タマル工業(株)の代表取締役社長の林さんは、この20年間、メッキ一筋に技能の研さんに務 め、無電解メッキと電気メッキをミックスさせた処理に卓越した技能を発揮してきた。高度熟練技能者と認定した国は、林さんを「現代の名工」に指定してい る。写真は、受賞式前に藤嶋昭学長との記念撮影である。

 林さんは特に、密着性やピット防止の改善を行うなど安定したメッキ皮膜を作成することを得意としており、若手社員の教育だけではなく中学生、高校生に対するメッキの実演や金属の腐食防止の実技講演をおこなうなど社会貢献でも評価されている。

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 茶話会では、上の写真の左にあるように、物理学校卒のお歴々が壇上で紹介され拍手喝さいを浴びていた。また東京理科大学理学部数学科を卒業後、ジャズ歌手になった祥子さんと落語家の桂歌助さんも紹介され、祥子さんの歌が披露された。(写真右)

                               

東京理科大学ソフトボール部の納会

                         

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 この1年間の活動を総括する東京理科大学ソフトボール部の2011年納会が、12月25日、千葉県柏市の「ふるさと五兵衛」で開催され、今年一年を振り返りながら活躍した選手たちの労をねぎらい、表彰カップや盾を贈って健闘を称えあった。

 筆者は昨年から名誉顧問の肩書をいただき、インカレ優勝を祈願して陰から応援してきた。今年は1部の春季リーグ戦で全勝して幸先のいいスタートと思って いたが、念願のインカレ予選では宿敵の千葉大に敗れて出場はならなかった。秋季リーグ戦は春の敵討ちにあったのか1勝3敗1分とふるわなかったが、東日本 選手権大会では、3勝1敗で第3位となった。

 ソフトボール部の監督として長年、部員を引っ張ってきた丸山監督が、今年から総監督となり、代わって柳田信也監督がチームを率いることになった。長い間に築かれた「丸山イズム」はそのまま引き継がれており、この日の納会でも随所に丸山総監督からの檄が飛んでいた。

 また、納会にはインドネシアからの留学生4人が招かれており、ナショナルチームとの交歓以来の交流を温めた。納会の最後には、今年活躍した選手たちと陰から支援してきた女子マネージャーたちを表彰する授与式が行われ、楽しい納会を締めくくった。

 

 

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受賞した選手たちの面々

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女子マネージャーたちも受賞

                                

「理大 科学フォーラム」編集委員会を開催

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 「理大 科学フォーラム」の編集委員会が12月9日に開催され、2012年1月号の最終校正を完了し、12年冒頭からの編集方針を論議して決定した。編集委員会の後、翁庵に会場を移し、忘年懇談会を開いて忌憚ない意見を出しあった。

 「理大 科学フォーラム」の編集は、編集委員になっている本学の教員が、編集室の一員の役割をするところが特徴になっている。つまり企画・立案から原稿発注、原稿書きぶりの助言、原稿催促まで一貫した作業を支援している。

 このような支援なくしてこのジャーナルは成り立たないものであり、通常の編集委員会とはかなり違う面を持っている。2012年1月号からは、従来からの ジャーナルの内容をリニューアルして新しい編集を行っており、果たしてこれが多くの読者をひきつけることになるかどうか注目している。

 このジャーナルの読者が学内の学生、教職員に支持されないようでは、存在価値が薄くなってしまうので緊張感をもってリニューアルに取り組んできた。その 責任者になっている筆者としては、まさに被告席に座っているような心境であり、年明け早々の反響をかたずをのんで見守りたい。

 

東京理科大学こうよう会秋田支部で講演」

 

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 東京理科大学父母の会である「こうよう会」の秋田支部で、11月26日に講演会が開かれ、工学部第二電気工学科の西川英一教授と2人で講演を行った。

 筆者の講演演題は「物理学校の歴史と激変する現代社会」とし、東京物理学校から始まった東京理科大学の歴史を振り返りながら、大学を創設したころの理念 を引き継ぎ、連綿と歴史を刻んできた状況を説明した。その上に立って、大学の伝統をどのように守り引き継ぐかを提起した。

 特に草創期に、理学普及こそ国を支える最重要課題として取り組んだ物理学校を創った偉大な先人たちの遺志に思いを馳せながら、現代に生きる私たちの責務をどこに置くべきかを語った。さらに時空を超えて現代に一足飛びに話題を引き戻した。

 世界規模で進展している、第3次産業革命という時代認識を明確に認識することが重要であるとする筆者の持論を展開し、その進展する状況を中国の急進的な 改革を見ながら示した。最後にいま筆者が取り組んでいる一人一票実現運動が、日本の民主主義国家を確立するもっとも大事な要素であることを主張し、混沌と したこの時代にいかに必要な運動であるかを強調して講演を終えた。

 その後に行われた懇親会では、大学教育や進学、就職問題について具体的な話で意見を交換し、大変有意義な講演と懇親会となった。

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 講演会終了後は、懇親会を開催し、大学教育や学生の進学・就職問題などについて忌憚ない意見交換の場となった。

 

 

「理大 科学フォーラム」編集委員会の開催

                                              

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 「理大 科学フォーラム」の編集委員会が11月25日に開かれ、リニューアル編集で「変身」する新誌面などについて論議を行った。この日は、編集委員の出席者がいつもより少なかったが、2012年1月号から変わる誌面内容などについていくつかの確認を行った。

 また、巻頭言、特集、理大人列伝などの予定を話し合い、今後の誌面構成を展望した。いつものことだが、このジャーナルは、編集委員の先生方の協力なくし ては発行できない。その意味で様々な専門家であり研究者である先生方の視点で企画案を出したり、人脈で執筆者を模索するなど今後も楽しくもためになる ジャーナル発行を目指したい。

 

                               

第63回理大祭が盛大に開催

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 東京理科大学の学生たちが日ごろの活動を披露したりアピールをする「理大祭」が、11月19日、20日に開催され、大勢の学生、一般人の参加者でにぎわった。

 理大祭実行委員会(内田悠太委員長、140人)の話によると、渉外など5部門が1年間かけて準備をしてきたもので、企画、立案を進めてこの2日間で燃焼してしまう。約90団体が参加しており、食べ物やさんが軒を並べて開店していた。

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実行委員会(写真左)は階段教室に陣取り、理大祭の運営を支えた。右は漫研の活動風景。 

 赤十字奉仕団の女子学生が、駅弁屋さんのように巡回販売をしていたので「焼きうどん」を購入しながら活動状況を聞いてみた。田代桂太郎団長(理学部応用物理学科3年)によると、献血推進、肢体不自由児者のサポートなどもしており、他の大学との連携活動が多いという。

 「赤十字東京支部からの要請もありますし、他の大学主催の行事に呼ばれて活動したりボランティア活動なのでいろいろな形態があります」という。この日も車椅子で見学に来た身体障害者の姿も多く見受けられ、奉仕団の活動のプレゼンスが出ていた。

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赤十字奉仕団のメンバー(写真左)は巡回販売に精を出していた。

写真右はモダンジャズグループの演奏風景。ひと時を楽しませてくれた。

 モダンジャズの演奏をのぞいてみると、カルテットの演奏中でありドラムスは女性である。なかなかいい感じのジャズ演奏なので、終わったところで取材してみると、堺理人部長(理学部2部物理学科3年)ら30人の部員がいるという。

 ドラムを叩いていたのは工学部建築学科4年の船戸麻瑠珠さんで、中高のブラスバンドでパーカッションをやった経験を生かし、大学入学後にドラムに挑戦した。日常的には3号館地下にある防音室でのトレーニングがあり、セッションを組んでの練習もあるという。

 神楽坂キャンパスの中は、学生、一般人の参加者で大盛況であり、さまざまな文科系クラブや体育会系クラブの学生たちがイベント開催の勧誘に声をかけてい た。筆者が楽しみにしていた舞踏研究部のデモはすでに土曜日に終わったそうで、この日は明かりも人気もなくひっそりとしていたのは残念だった。

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各部のメンバーも趣向を凝らして楽しい理大祭を盛り上げていた。

  東京理科大学の学生たちが日ごろの活動を披露したりアピールをする「理大祭」が、11月19日、20日に開催され、大勢の学生、一般人の参加者でにぎわった。

 理大祭実行委員会(内田悠太委員長、140人)の話によると、渉外など5部門が1年間かけて準備をしてきたもので、企画、立案を進めてこの2日間で燃焼してしまう。約90団体が参加しており、食べ物やさんが軒を並べて開店していた。

 

実行委員会(写真左)は階段教室に陣取り、理大祭の運営を支えた。右は漫研の活動風景。 

 赤十字奉仕団の女子学生が、駅弁屋さんのように巡回販売をしていたので「焼きうどん」を購入しながら活動状況を聞いてみた。田代桂太郎団長(理学部応用物理学科3年)によると、献血推進、肢体不自由児者のサポートなどもしており、他の大学との連携活動が多いという。

 「赤十字東京支部からの要請もありますし、他の大学主催の行事に呼ばれて活動したりボランティア活動なのでいろいろな形態があります」という。この日も車椅子で見学に来た身体障害者の姿も多く見受けられ、奉仕団の活動のプレゼンスが出ていた。

 

東京理科大学募金検証の会の特別会員に藤嶋明学長ら6人表彰

                               
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 東京物理学校から連綿と歴史をつないでいる東京理科大学は、多くの篤志家からの寄金で運営されている。維持会(森野義男会長)があって、寄金を大学発展のために役立てているが、それもこれも寄金を寄せる同窓生や篤志家が多数いるからである。

 11月4日は、その寄金者の中でも合計で250万円を超えた篤志家の表彰式が行われ、藤嶋昭学長ら6人が新たに表彰された。この日の表彰者は、このほかに石井智、吉本成香、森野晴、田中治、水島盤男の各氏であった。

 物理学校が発足した当時も、16人の志士たちが個人的にお金を出し合って物理学校を創設した。当時のお金を今の物価に換算すると、1人50万円程度だったと思われる。それを20歳代から30歳前後の若者たちが負担して学校を作ったのである。

 その志を継いで、東京理科大学発展のために寄金をする人々がいることは大変、心強い。ちなみに筆者は昨年表彰を受けているが、今後もできるだけ貢献したいと考えている。

 「理大 科学フォーラム」の編集会議の開催

 

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 「理大 科学フォーラム」の編集委員会が、10月28日開催され、今後の編集方針いついて2時間余り討議した。2012年1月号からリニューアルする方針が決まっており、すでに新しい視点で書かれた原稿が続々と集まってきている。

 1月号は、表紙に元気先生がゆくと元気理大生がくるというコラムに連動した写真を掲載する予定であり、ユニークな大学ジャーナルになるだろう。また、読みやすいコラムも多数、用意したので学内でも売れることを期待している。

 東京理科大学維持会報告会の開催

 

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      東京理科大学の維持会栄誉・特別・終身会員報告会が、2011年10月7日、東京・新宿の出版クラブ会館で開かれ、東京理科大学の発展に寄与している 人々の交歓会がにぎやかに行われた。維持会は、東京理科大学の前身である東京物理学校が実質的に創設された明治17年(1884年)、当時、東大理学部仏 語物理学科を第1期生として卒業した16人の志士たちが、ポケットマネーを出して作った維持会である。その資金を基盤にして学校を設立、今日の東京理科大 学へと発展した。

 その伝統を引き継ぎ、今なお母校に基金を拠出している多くのOB,OGがおり、さらに東京理科大学以外の卒業生らがその意志に共鳴して基金を拠出している人々が集まり、これからの東京理科大学の発展を話し合った。

 東京理科大学は、昭和24年(1949年)に東京物理学校から新制の東京理科大学に生まれ変わったものだ。この日の報告会に東京物理学校の卒業生3人が出席して、私たちを驚かせた。

 写真は、その卒業生3人が藤嶋昭学長を囲んで記念撮影したものである。写真の左から昭和24年卒の飯田行郎さん(84)、藤嶋学長(69)、昭和20年 卒の清水一三雄さん(87)、そして昭和24年卒の酒井泰治さん(85)である。筆者は早速、武蔵工業大学名誉教授である酒井先生にインタビューを行っ た。

 -失礼ですが、先生のご専門はなんでしょうか?

 私は、物理学校を卒業した後、東京外語大学や東京文理科大学(現在の筑波大学の前身)で学び、武蔵工大では英語を教え、後半は科学史を教えた。科学史をやるには、欧州の科学史を知らないとできない。それで欧州の国際学会にはよく出かけた。

 -ということは、英語を教え、それから科学史へと発展したのですね。語学も相当に必要だったのではないですか?

 もちろんだよ。英語は普通として、ドイツ語、オランダ語、そして日本語は絶対だよ。オランダ語ができないようでは、江戸時代からの日本の科学史は研究で きない。外国語は必至でやったからしゃべれるようになった。ドイツ人との討論では、論理的に来るドイツ人の論旨に対抗しないと話にならんからね。

 -ドイツ語、オランダ語は分かりますが、日本語もですか?

 そう。日本の古文書を読めないようでは科学史はできない。それに私は、欧州の「神」と「日本の神」について研究した。古文書には神がある。

 ー神と科学ですね。欧州ではあらゆるものが神の被造物ですね。日本思想とは違う。

 君の言うことはよく言われることだが、本質は違う。そのことを深く追求しないと科学史にはなりえない。神の研究は科学の研究になる。

 -先生のご専門は何と言ったらいいのでしょうか?

 科学思想史だな。きみ、もっと知りたかったら今度、家にきたまえ。ゆっくり講義してやろう。

 ということで、また酒井先生とお会いする約束をした。先輩のこのような話を聞くことができて至福の時間だった。

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 森野義男維持会会長と記念撮影

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山田義幸理窓会会長と記念撮影

                                 

「理大 科学フォーラム」の編集委員会の開催

                               
                 
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 東京理科大学の科学ジャーナル誌である「理大 科学フォーラム」の編集委員会が9月30日に開催され、2012年1月号からリニューアルされる誌面構成、企画案などについて話し合った。

 このジャーナルは、大学の学部を代表する形で委嘱されている編集委員の先生方が企画立案から原稿依頼まで差配する独自のやり方で発行している。アカデミ ズムの色彩が強いのが特徴だが、これにやや一般的な話題も加味した読みやすい誌面にしようというのがリニューアルの方向である。

 1月号からは、表紙に教員と学生を入れた大胆なデザインを目指し、掲載記事もアカデミズムの話から軽いタッチのコラムまで読みやすさを狙ったものにす る。新連載には、黒木登志夫先生のいわば理系人間の「文章読本」を予定しており、さらに「誕生樹」として1年365日の記念の樹木を語る椋周二さんの読み 物も予定されている。

 編集委員の先生方のアイデアを持ち寄り、よりいいものを目指しているので、今度こそ学生たちにも読まれるジャーナルになるだろう。本離れ、活字離れの歯止めになるのかどうか。編集長を委嘱されている筆者にとっては、「被告席」に座らされている心境である。

 「理大 科学フォーラム」編集委員会の開催

                               
                 

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東京理科大学から発信している科学ジャーナルの月刊「理大 科学フォーラム」の編集委員会が7月28日に開催され、2012年1月号からのリニューアル編集内容について討議を行った。

 「理大 科学フォーラム」は、東京理科大学の前身である東京物理学校時代の「物理学校雑誌」から伝統を引き継いでいる学術雑誌である。現在は全国の高校・大学への寄贈が多いので、学内でもその存在感が薄いように感じる。

 筆者は、この4月からこのジャーナルの編集委員会の委員長を下命され、最初の仕事に「理大 科学フォーラム」を活性化することに取り組んでいる。リ ニューアルでは、表紙の大胆な改装から着手し、編集内容では学術的なものと一般の話題を盛り込んだより親しみを持てる雑誌に変貌することを狙っている。

 この日の編集委員会では、より充実した読んで面白いジャーナルになるよう話し合った。今後は学内の学生のクラブ活動や学外の人からの寄稿、巻頭言の新設など盛りだくさんの改革案が決まり、さっそく委員の皆さんで準備に入ることになった。

 このジャーナルは、編集委員の先生方の企画立案から執筆者への交渉など一般の雑誌編集とは違った形の活動をしており、大学発の広報誌としても重要な役割を担っている。このような伝統を生かしながらもっと存在感を出せるかどうか。

 新装「理大 科学フォーラム」のスタートに向けて頑張りたい。編集委員会の先生方も非常に積極的な意見をお持ちであり、これからの活動を期待したい。

 

                         

北京の張華教授が研究室に来訪

                                              

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北京の中央民族大学文化歴史学院の張華教授(写真の前列左)、北京銘硯特許事務所日本代表の朴木理華さん(同右)が、研究室に来訪し、最近の日中の話題などで意見を交換した。

 張教授は、中国の歴史学の教授で、今回は学習院大学に客員研究員として長期滞在する。日中の歴史の専門家であり、日中の比較文化にも精通している。馬場 研に研究生として来日した中国科学院博士課程の王蕾と宿舎が同じ日中友好会館であるため、王蕾にも参加を呼びかけて楽しい懇談会となった。 

 専門の違う先生との懇談は役立つ情報も多く、これからも交流を続けていく。

 東京理科大学の3人の精鋭が編集参画を検討する会

                               
                 

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 東京理科大学の科学ジャーナルである「理大 科学フォーラム」の編集に、東京理科大学新聞会、写真部、漫画研究同好会の3人の精鋭が参画する相談で研究室に来訪した。

 写真は向かって左から町田憲昭・新聞会会長(工学部経営工学科3年)、鈴木邦洋・写真部長(工学部建築学科3年)、長村和俊・漫画研究同好会部長(工学部経営工学科3年)の諸君である。

 「理大 科学フォーラム」は、東京理科大学の前身である東京物理学校時代の「物理学校雑誌」時代からの伝統を引き継ぐ形で発刊されたもので、本格的な科 学ジャーナルである。時代とともに編集する内容も変転としてきたが、今度、新しい時代の風を受けて内容を刷新する方針だ。

 この日来訪してくれた3人の精鋭は、大学のクラブ活動で頑張っているリーダーである。それぞれの立場で「理大 科学フォーラム」の編集に関与できないか 検討してくれることになった。新聞会は立派な新聞を発行しているし、写真部は毎年、展示会を開催している。漫画研究会も漫画やイラストで個性を発揮できる 活動をしている。

 このような学生たちのエネルギーを科学ジャーナルにも反映できれば、雑誌に若い息吹を吹き込むことができる。是非、今後も検討会を開いて、参画できる方向を探りたい。大いに期待したい。

 出版戦略で時事通信の石田氏らとミーティング

 

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 最近の出版会は依然として冬の時代が続いている。業界に詳しい時事通信OBの石田徹氏と東京理科大学総合研究機構・基礎工学研究科教授の辻孝先生らと出版会の動向などについて情報交換を行った。

 石田さんは、ソマリア海域などの海賊問題の専門家でもある。この日は海賊問題は話題に取り上げなかったが、辻先生と出版物の編集や執筆者の目線などについて意見交換をし、今後の活動に役立てることになった。

 辻先生は再生医療の基礎的な研究で実績をあげており、毛髪再生や永久歯の再生の実現の基礎研究で成果を出している。こうした研究内容を国民に分かり易い形で発信できないか。科学者のアカウンタビリティーの課題でもあり、この日はそんなテーマで楽しい懇談だった。

 「理大 科学フォーラム」編集委員会の開催

                               
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 東京理科大学の科学ジャーナルである「理大 科学フォーラム」の編集委員会が、6月24日に開催され、8月号以降の編集内容について論議し、今後の方針を確認した。

 7月号と8月号は、東日本大震災の特集が入り、それ以外に通常の特集も入ったために多くの原稿が順番待ちになった。嬉しい悲鳴と言えばそうかもしれないが、やはり執筆は旬でなければ鮮度が落ちて、見向きもされなくなる。

 来年、2012年1月号からは、「理大 科学フォーラム」のリニューアルを目指しており、その編集方針について編集長である筆者からいくつかの提案を行った。編集委員の先生方からはおおむね賛意を得られたが、しかし最大の課題は誰が書くかである。

 筆者の予定では学生諸君の中で、取材・執筆に興味を持っている人々を編集室のスタッフとして呼び込み、取材・執筆のトレーニングを兼ねた活動を展開したいと思っている。アイデア倒れにしないためには、大学事務関係の協力も必要だし、理事長や学長の理解も必要だ。

 編集委員会が終わった後に6人の先生方で懇親会を開いたが、どの先生も「理大 科学フォーラム」の現在の編集方針を変えたいという希望を持っており、変えるには今だという確信を持った。近日中に、構成案をまとめて、大学幹部への説明に行く予定だ。

 「乞う、ご期待」である。

 「理大 科学フォーラム」編集委員会の開催

                               
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 東京理科大学のサイエンスジャーナルの「理大 科学フォーラム」の編集委員会が5月27日に開催され、今後の編集企画について論議をした。

 「理大 科学フォーラム」は、東京物理学校時代の「物理学校雑誌」という日本で初めての理学ジャーナルを発祥とする伝統あるジャーナルである。毎月発行しているが、その内容と読者ターゲットがよくわからない。学内外の意見もそのような感想が多かった。

 この日の編集委員会でも、個別のテーマと原稿内容よりも、このジャーナルの根本的な編集方針について編集委員の先生方が真剣に考えている様子が分かった。これからよりいいものを目指して頑張りたいと思う。

 編集委員会の後に懇談会を開催して忌憚ない意見交換会となった。

 平成23年度・理窓会東京支部総会と懇親会の開催

 

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 東京理科大学のOG、OBの組織である理窓会の東京支部総会が、5月22日、東京理科大学1号館で開かれ、記念講演と懇親会などで楽しくも有意義なイベントで盛り上がった。

 総会では、過去1年間の活動報告や決算報告があり、そのあとで渡辺恒夫常務理事から東京理科大学の現状について報告があった。また理窓会会長の山田義幸さん、維持会会長の森野義男さんからも活動報告があり、その後、記念講演となった。

 講師は、1969年に理学部物理学科を卒業したHOYA株式会社の技術開発者だった木谷明さんである。木谷さんは、HOYAに就職してから一貫してレン ズの設計に取り組み、多くの優れた製品を世に出してきた。この日の講演では、世界で初めて実現した両面複合累進レンズの開発にまつわる話をしてくれた。

 ライバル企業になっているフランス企業の特許技術を上回る技術開発の使命を帯びて取り組み、ついに目的のレンズを実現する過程は非常に面白かった。さっそく、「理大 科学フォーラム」にこの開発過程の話を掲載したいと思い、原稿執筆を会場で申し入れた。

  

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  総会の後は懇親会となり、多くの先輩・後輩たちとの交流の場となった。歌手の祥子さんも参加して、リリースしたCDの売り上げを東日本大震災の義捐金に送るので協力してほしいとの申し出に、賛同者の拍手で盛り上がり、祥子さんはカラオケなしで1曲、歌ってくれた。

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東京理科大学近代資料館のリニューアル

                                                

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 東京理科大学の近代科学資料館がリニューアルし、5月18日にお披露目のパーティが開催された。近代科学資料館は、平成3年、東京理科大学のOBである二村富久氏が寄付した建物であり、東京物理学校時代の校舎を復元して建設されたものである。

 ここに東京物理学校時代からの所蔵品を展示したもので、科学実験に使用された歴代の装置・機器類から計算機の歴史を歩む貴重な展示物が陳列されている。

 またこのリニューアルを記念して「火災の科学-江戸時代の火災から高層ビル火災までー」との特別企画展示会が開催されている。こちらの展示物には、火災の歴史をたどる記録と機器類が展示されており、煙を検知して報知する実験装置もセットされている。

 「火災の科学」は、東京理科大学の辻本誠教授が執筆した同名の新書が中公新書ラクレから出版され、販売も好調と聞いている。その出版を記念する特別展示会でもある。是非、足を運んで見てほしい内容である。

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 近代科学資料館の館長は、前東京理科大学の学長だった竹内伸先生(写真上)である。東京物理学校時代からの資料を整理し、理学教育と研究に今なお情熱を注いでおり、これからも同館の運営に大きな力を発揮するだろう。

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 「火災の科学」の特別展示会には、東京理科大学の大学院生が説明役に来ており、展示物の解説をしてくれる。

 東京理科大の出版戦略がスタート

 

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 東京理科大には、社会的に価値ある研究成果を出している研究者が多い。このような研究者の成果をできるだけ多くの人に知ってもらうためには、啓発本として出版することも大事だ。そのような方針から、多くの成果を出版する検討に入っている。

 5月19日には、その第一歩として資料の検討や整理をするために、編集業務のプロ集団であるワードワンのスタッフが研究室を訪れ、今後の方針を確認し資料の整理を行った。

 今年度中に、東京理科大から少なくとも2冊の本を出版する方針である。執筆者候補は多数いるので、これからどのような本が出版されるか楽しみだ。

                                

小林憲人氏がふじみ野市議会議員に当選

   

 東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の馬場研4期の修了生である小林憲人氏が、4月24日に行われた統一地方選挙の埼玉県ふじみ野市の市議選で第7位の得票数で当選した。

 小林氏の得票数は、1627票。立候補者は28人で、定数21人中の第7位という高点得票だった。候補者の中では最年少であり、「しがらみなし」をスローガンに掲げ、若さと行動力を市民に訴えた。

 選挙戦でも自転車にハンディマイクで駆け回り、資金も看板もない闘いだったが、多くの市民から支持を受けて当選したものだ。 東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の修了生としては異色の道を歩くことになるが、今後は産学連携など独自の活動領域を市政に生かすことを目指すとい う。

 地方から清新な風を舞いおこし、新しい時代の旗手として頑張ってほしい。小林氏の活躍を期待する。

                                

6期生の天道さんが来訪

                                               

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 東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の6期生の天道猛さんが、研究室に来訪した。今年の知財学会での発表内容や、筆者の著書「物理学校」の漫画版を作成する可能性などについて意見を交換した。

 漫画版は、筆者も積極的に進めようとしているプロジェクトだが、漫画にするにはそれ相当の費用が掛かる。これをどのように捻出するべきか。そのような課題が横たわっており、これを解決して実現するにはまだ詰めなければならない案件が多い。

 こうしたことを話し合ったが、今後は様々な話題、テーマで毎月1回くらいの懇談会を持とうという意見で一致した。開催が楽しみである。

 辻孝先生の研究成果を出版しよう

                               
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 東京理科大学総合研究機構の辻孝教授の成果を世の中に広げようという目的で、4月22日、森戸記念館の「理大 科学フォーラム」編集長に有志が集まった。

 辻先生は再生医療研究のトップを走る研究者であり、特に毛髪や歯の再生研究では、日本でも第一人者となっている。毛髪に続いて永久歯の再生にも取り組んでおり、これまで再生はできないと言われてきた医療にも大きな転機が訪れている。

 辻先生の再生医療分野はまだ未知数である部分が多く、これからの学問の進展が期待される。

                                

新書文庫

                               
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 東京理科大学の8号館の地下に、新書本だけを集めた「新書図書館」が開館して、学生たちに提供を始めた。この新書図書館は、塚本桓世理事長と藤嶋昭学長の2人が、東京理科大学の学生たちの情緒教育の一環として読書の楽しさを勧めようという目的で創設したものだ。

 新書だけを集めて無料で自由に学生たちに提供しようというアイデアで、これまでに5800冊が出そろった。この新書はすべて、塚本理事長と藤嶋学長がポケットマネーで購入したものを提供するものだ。

 8号館は学食もある建物であり、地下にある学食の一角に図書館を創設した。図書館といってもいつも無人であり、読みたいときに自由に読むようにしている。近く貸し出しもする予定であり、それも利用者が自主的な運営で行うようにするという。

 このような試みは活字離れへの歯止めが期待されるだけに、多数の学生諸君が利用するように祈りたい。

                                

4期生の小林憲人君がふじみ野市議選に立候補

                               

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雄姿に栄冠あれ!  

 4期生の小林憲人君が、埼玉県のベッドタウンであるふじみ野市の市議選に立候補した。写真で見るように5期生の鳥海沙矢香が書いた手作りの看板であり、「しがらみなし」という候補者キャッチフレーズも掲げた。

 ふじみ野市は、農業地域だったが東京への通勤には便利なこともあって急速にベッドタウン化していった。平成17年には、上福岡市と大井町が合併してふじみ野市が誕生し現在の人口は約10万1000人である。

 「しがらみなし」を掲げたように小林君は、地元の地域性の強い有権者を意識せず、新生移住者、転入者らからも受け入れてもらえるような街作りを提起し、とくに産学連携や教育面での施策の取り組みなどを重点として掲げている。

 自転車に乗り、ハンディマイクで呼びかける選挙運動は却って人目を引いているようで、市民からの激励の声もよくかかっている。自転車なので機動性がやや欠けてもその分、小回りがきき肌で訴える利点もある。何といっても32歳という若さも魅力的である。

 ベッドタウンには、このような若いエネルギーと行動力、そして時代認識に立った新しい街つくりのセンスが必要であり、市政に新風を吹き込む代表者になれば素晴らしい。是非、当選してふじみ野市に新しい風を吹き込んでもらいたい。

 がんばれ、小林のりひと君!

 MIPの多くが陰ながら支援しているよ。

 大学会館のお披露目会が行われる

                               
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街灯の中に浮かぶ瀟洒な大学会館は風情がある

 神楽坂に再開発していた東京理科大学の大学会館のお披露目会が、4月1日、維持会と理窓会の主催で開催され、多くのOG、OB、教職員らでにぎわった。

 坂に沿って建てられた近代的な建物であるが、まだ完成前の未整備の部分もあり、これからという感じだったが、参加した人々は一様に満足した言葉を発しており、東京理科大学の新しい歴史が始まった。

 理窓会、維持会の倶楽部談話室のほかに、イノベーション研究科のMOTが入り、快適な研究環境になった。今後の発展を祈念したい。

 「理大 科学フォーラム」編集長を拝命

                                                

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 2011年4月1日をもって東京理科大学の学術月刊誌の「理大 科学フォーラム」の編集長を拝命し、新しい任務に取り組むことになった。昨年から「坊 ちゃん選書」の編集長も拝命しており、今後は東京理科大学発の書籍、文献に関する推進作業を積極的に取り組むことになった。

 また東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の客員教授として、知財戦略論の授業も担当することになっており、このほかにも科学教育研究科の「科学文化概論」の授業も担当する。

 筆者にとっては、科目の授業を担当することでこれまでと同じような生活になるが、そのうえ学術誌の編集という非常に重要な任務にも取り組むことになる。本日は、学内関係者への挨拶などで様々な意見と声を聴いた。誠心誠意、頑張っていきたい。

                                

第20回・MIP知財セミナーの開催

                                              

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 東京理科大学知財専門職大学院(MIP)とNPO法人・21世紀構想研究会が開催しているMIP知財セミナーの最終回が、2011年2月25日、MIP のC1教室で開催され、読売新聞東京本社科学部デスクの笹沢教一氏が「クールジャパンの危機 -アメリカからの報告ー」と題して講演と討論を行った。

 笹沢氏は、ワシントン特派員としてアメリカで取材したほか、カリフォルニア大学バークレー校大学院のジャーナリズムコースで教鞭をとっていたこともあ り、アメリカの事情に詳しい。特にアニメについてはプロはだしの知識と体験を持っており、アメリカに滞在中はアメリカ国内での日本のアニメやクールジャパ ンで知られるコンテンツについて観察を行っていた。

 この日の講演では、最近、日本発のアニメを放映するCATVなどの時間数が減少しており、ひところのクールジャパンは減縮しているとの認識を示した。な ぜそのように退潮気味になっているのかを笹沢教一氏の独自の見解を披歴しながらアメリカと世界の「アニメ事情」について解説した。

 独自の視点を披歴した点で非常に斬新な内容であり、この分野に知識と情報のない筆者は驚くばかりだった。最近、アメリカで台頭してきたという2Dアニメ というコンピューターソフトで作成したなんとなく平板なアニメも披露されたが、物語の筋立てと絵の展開は刺激的であり、日本の視聴者に受けるかどうか疑問 であるが、これがアメリカ方式なのかという感慨を抱かせた。

 またアジア諸国・地域からのアニメ浸食はそれほどではないというアメリカ人の見解も伝えられたが、日本のアニメがやや退潮基調に入ってきたという現象にはやはり考えさせられた。

 なお、MIP創設時から続いてきたMIP知財セミナーは、20回を持って一応の区切りをつけることになり、今後は新たな企画がセットされていく。21世紀構想研究会としても、別の観点での知財セミナーを模索しており、今後の展開をご期待ください。

 2011年1月13日に実質的な最終講義

                               
                 

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2011年1月13日(木)が、筆者の常勤教員としての実質的な最終講義となった。1月20日が最終講義になるが、この日はゲストスピーカーとして、 林幸秀氏にお願いしているため、13日が実質的には東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の常勤教員としては最終となった。

 この日の講義では、アメリカへの高速鉄道(新幹線)の売込みで、日本の強力なライバルとして中国が出てきたことを受けて、特に時代に認識について講義をした。中国の新幹線は、すでに速度では日本を遥かに追い抜いており、上海ー杭州間で世界最速記録を更新している。

 中国の新幹線は、日本の新幹線の模倣であると主張する人もいるが、世の中に技術模倣でないキャッチアップなどあり得ない。明治維新以降、世界の国々で日 本がもっとも技術模倣をしてきた国である。要は中国の発展を認めたくないという心情的なものや、余り早くキャッチアップしてきたので信じられないというこ とかもしれない。

 この件については、このブログでも数日前に掲載しているが、これからは日中がウイン・ウインの関係で発展する時代である。技術競争をするのはいいが、棲み分けも重要なポイントになる。そのような観点でこれからの科学技術の進展に取り組む必要がある。

 2005年4月から始まった東京理科大学知財専門職大学院の常勤教員の生活を振り返ってみれば、多くの反省点がある。修士論文の指導、研究室の運営、就 職活動の取り組みという3点が最も大きな任務・役割だった。この任務についても3年目ころからポイントが分かり始めたが、そうすると1期、2期の馬場研諸 君への役割が不十分だったということにもなる。

 かといって3期以降の馬場研諸君への任務が十分だったかというと必ずしもそうではなく、筆者としてはやはり反省点がある。授業でも同じである。

 昨年までは主としてパワーポイントを使用したものであったが、今年はパワーポイントを一度も使用しないで、受講者との対話形式を試みた。これは科学教育研究科の授業を体験して、自分なりに思い至ったための変更であった。

 このような体験をしてみると、日々これ努力と改良の連続であることを身にしみて感じる。ダーウインの進化論でいうように、強いもの、賢いものが生き残るのではなく、変化や環境に対応したものだけが生き残るのである。その感慨を新たにしMIPを去りたい。

                                

鹿児島県のエルム社を訪問取材

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      鹿児島県南さつま市から世界に発進している株式会社エルム社(宮原隆和社長)を、12月27日に訪問して、研究開発に特化したベンチャー企業の戦略などについて宮原社長から取材した。

 同社は、光 ディスクを修復する装置を発明して一躍世界に羽ばたいた。この装置は、磨耗したり傷ついたDVD、CDなどを、過熱を防止しながら短時間で修復する自動装 置である。光ディスクを繰り返し使用するレンタルビデオ店や図書館などで利用されている。いまでは世界32カ国で使用されており、この装置のシェアは世界 トップである。

  このように短時間で修復する高性能装置を開発したのは、2001年である。そのころこの種の修復する装置は、ほとんど手動で行うような装置であり、アメリ カの企業が世界に売っていた。宮原社長は、これを高機能自動装置として開発し、国内で売り出したところ非常に好評だった。そこで世界に打って出ることにす る。

  2002年1月、アメリカのラスベガスで開催されたCES( Consumer Electronics Show)で出展し、市場の評価を確かめることにした。その際、当時、この種装置のトップシェアを誇っていたアメリカ企業のすぐ前のブースを希望し、顧客 がライバル社の製品と自社のものをすぐに比較できるようにした。

 勝負は一瞬のうちに決着した。展示してすぐに当のライバル企業がエルム社の優秀性を認め、販売代理店になりたいと申し入れてきた。これで自信を深めた宮原社長は、この装置の製造・販売のビジネスモデルを構築し、世界中で販売することになる。

 同社は研究開発に特化した企業であり、自社で工場は持たないし販売もしない。いま開発中で最も有望なものはLED照明である。写真は開発したLEDを説明する宮原社長だ。同社の魅力あふれる企業活動については、後日、発明通信社のコラムで報告する。

 ソフトボール部の納会に出席

 

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     東京理科大学体育会ソフトボール部の2010年納会が、12月25日、現役選手、OB会のメンバーなども出席して柏市で開かれた。今年の活動を振り返りながら、来年度に向けた健闘を誓って決意を新たにした。

 今年のソフトボール部は、インターカレッジ(インカレ)に出場するなど大活躍であり、富山県で開催されたインカレでは1回戦で敗退したものの、その健闘 は多くの人に感銘を与えた。納会では、1年間を振り返りながらもすでに来年に向けたトレーニングの話も出るなど、気持ちはすでに2011年のインカレ大会 出場への意欲にあふれていた。

 納会の後半は、今年1年間に活躍した選手の表彰が行われたが、表彰カップや楯などが数多く用意されており、OB回代表、丸山克俊監督・顧問らから次々と 選手諸君に手渡され、感激を分かち合った。また、今年から名誉顧問に就任した筆者からの表彰カップも用意されており、総務担当の友光裕子さんに手渡す栄誉 もいただいた。

 東京理科大学のような理系単科大学の運動クラブが、インカレのような全国大会に駒を進めるのは並大抵のことではない。丸山イズムが浸透した活動が実績を残しているものであり、全国優勝するのも夢ではない。その栄冠を掴み取る精神力と体力の涵養を目指して頑張ってほしい。

 第19回・MIP知財セミナーの開催

 

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 第19回・MIP知財セミナーが12月3日、東京理科大学知財専門職大学院(MIP)で開催された。この日の講師は、東京大学総括プロジェクト機構の小 川紘一特任教授である。「知財で優る日本がなぜ他国に勝てないのか -21世紀のグローバル産業構造と日本企業の課題ー」と題して講演を行い、活発な質疑 と討論が展開された。

 小川先生は、先に「国際標準化と事業戦略ー日本型イノベーションシステムとしての標準化ビジネスモデルー」(白桃書房)を刊行した。この著書はIT産業革命の中で産業構造の改革が出遅れている日本の状況の課題を浮き彫りにした点で優れた啓発書となり、多くの企業人の共鳴を呼んだ。

 

 同書の目次だけを紹介すると次のようになる。  第Ⅰ部  国際標準化が創る21世紀の経営環境 

    第1章:日本企業が置かれた21世紀の経営環境

    第2章:製品アーキテクチャの転換と巨大市場の興隆

    第3章:技術伝搬と比較優位の国際分業・国際貿易

 第Ⅱ部: 標準化ビジネスモデル

    第4章:標準化ビジネスモデルとその背景

    第5章:パソコン産業に見るアメリカ企業の標準化ビジネスモデル

    第6章:ネットワーク型産業に見るアメリカ企業の標準化ビジネスモデル

  第7章:デジタル携帯電話産業に見るヨーロッパ企業の標準化ビジネスモデル

     第8章:デジタルカメラに見る日本企業の標準化ビジネスモデル

    第9章:DVDとBlu-rayDisc産業に見る日本企業の標準化ビジネスモデル

    第10章:メモリー・カードに見る日本企業の標準化ビジネス・モデル

    第11章:太陽光発電システムの標準化とビジネスモデル

 第Ⅲ部  標準化知財マネージメジメント

    第12章:知財マネージメントの役割変遷

    第13章:DVD産業に見る日本企業の知財マネージメント

 第14章:デジタル・ネットワーク型産業に見る欧米企業の知財マネージメント

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この日の講演は、この本で発表した独自の産業構造論をもとに話が展開された。筆者の印象に残った点を箇条書き風に記述すると次のようになる。

 欧米の先進企業は、クロスライセンスを排除しながら、いかに独占的な地位を確保するかに注力してきた。その例の1つとしてインテルがあげられる。技術の 中核部分はブラックボックス化し、その上下の「接点」にあたるインターフェースだけオープン標準化した。これによって、インテルの技術の優位性を確保しな がらPCの覇者となった。

 欧米先進国企業と途上国、後発国企業とは、国際分業による産業構造によってwin-win関係を結び、ともに発展した。さらに欧州企業は、クロスライセンスをするときに欧州企業間だけで結び、日米企業を排除した。

 さらに欧州先進企業は、デッドコピーしか認めないライセンス契約を行い、リバースエンジニアリングを認めない方針を展開した。そして後発国、途上国は政 府と企業が一体化した「国策産業」で先進国の産業競争力に対抗してキャッチアップした。このような世界的な状況の変革ぶりを、日本の多くの経営者は気がつ かなかった。

 小川先生の講義の内容と主旨と違った点はないと思うが、筆者は概略以上のような点に非常に印象を深くした。また筆者は日ごろから言っているように、現代は第3次産業革命の時代を迎えており、この変革はまだ数十年続くだろう。

 日本はいま閉塞状態に陥っているが、明治維新と戦後復興期を乗り越えてきた日本と日本人は、ここで立ち直れないことはない。この10年内に再び日本は、 世界の中で存在感を出す国に蘇るだろうというのが筆者の感想である。これは小川先生も同じように考えているように思った。

 馬場クラスの懇親会を開催

                                                

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 今年度の馬場クラスの懇親会が、11月27日、神楽坂で開催され、10人が参加して楽しくも有意義な時間を共有した。クラス担任の懇親会は、年度によっ て開催に積極的な年とほとんど何もしない年度に別れるようだ。今年度は、どちらかというと余り積極的な年ではないようだったが、幹事になった院生諸君の配 慮で、クラスに関係なく賛同者が集まった。

 また馬場研4期生の史可君と原孝英君が参加し、中国からの留学生の王蕾も加わって、それぞれの職場や専門分野の話に広がり楽しかった。

 筆者は、この機会に即席のアンケート調査をしてみた。対象者は、筆者と来日して日が浅い王蕾を除く8人である。まず日本の近未来、5年から10年先の競 争力は強くなっているか弱くなっているか。二者択一で回答を求めたところ、4対4の同数となった。社会人は強くなるに挙手し、学生と若い世代は弱くなる方 に挙手していた。

 筆者の考えは、強くなるである。いま日本は長い間の制度疲労を改革することで手間どっている。IT産業革命に対応できる構造改革もできていなし。しか し、明治維新を起こし、戦後ゼロの廃墟から立ち上がった国と民族である。その底力は世界の民族の中でも稀有のものである。日本と日本民族の力を信じたい。

 続いて米国はどうなるか。回答は3つの選択肢にした。弱くなるか、横ばいか、強くなるか。結果は強くなるとした人が2人、横ばいが6人となった。それではロシアはどうか。強くなるとした人は4人、横ばいが4人だった。

 教育についての考え方も聞いてみた。小学、中学、高校、大学の4つの課程の中で、最も大事な教育課程はどこか。小学とした人は4人、高校が2人、中学と 大学がそれぞれ1人だった。社会人の熱田達彦氏は「教育は訓練である。それは10歳まででなければならない。それ以後は手遅れだ。いま大事なのは小学校教 育だ」というコメントが印象に残った。

 このような思いつきアンケートは、筆者がときどき試みる手法である。自分の考えている見解とどう違うかをチェックすることもあるし、みんなで1つのテー マを考えるきっかけにすることもある。回答対象者が10人程度が最も効率がよく、アンケート結果から派生する話題も広がるように感じる。この日のアンケー ト調査が、それぞれのテーマを考えるきっかけになればいいだろう。

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王蕾を歓迎する馬場研4期生の史可君と原君

               
    東京理科大学維持会特別会員として表彰される
                               
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  東京理科大学は、明治14年から同16年まで、東京大学理学部仏語物理学科を卒業した21人が創設した東京物理学校から始まったものである。当時、20 歳代だった少壮の理学士たちは、その後ポケットマネーを出し合って「維持会」をつくり、物理学校の礎を確固としたものに築き上げた。東京理科大学の前身の 物理学校は、そのような若き学徒の高邁な志によって理学普及の旗手となったのである。

 その伝統を守りさらに発展させるために組織された維持会は今も多くのOB,OGに支えられて、母校の発展に寄与している。その維持会の特別会員に筆者が推挙され、11月26日、東京理科大学の塚本桓世理事長や維持会の諸先輩に囲まれて表彰された。身に余る光栄である。

 筆者は東京理科大学の卒業生でありながら、卒業後、長い間、母校とかかわりを持つことはなかった。それは母校を忌避していたからではない。母校を顧みる 縁がなかったというほかない。その縁がかすかに漂った最初の出来事は、1998年に突如やってきた。ある政党の中堅議員が、東京理科大学の「スキャンダ ル」を衆院文教委員会で暴露し、政府を追及するという。

 その話で議員から相談を受けた筆者は、その「スキャンダル」なる内容を聞いてびっくりした。多くが伝聞に基づく話であり、どれもこれも筆者にとって真偽 のほどは不明の話である。そのようなあやふやな内容の話を貴重な国会論戦の中で暴露したところで、何か世の中のためになるとは思えない。政府を追及すると いうことなら、たとえば国からの競争的研究助成資金が余りに小さいことなどもっと大きな課題があるのではないか。

 そのとき母校に対する愛好心がにわかに沸き起こり、その議員には別のテーマで国会論戦に臨むべきとして別の具体的なテーマを提示し、筆者の意見を具申し た。結果的に東京理科大学のスキャンダルもどき情報は日の目を見ないで終わった。母校への愛好心がむらむらと沸き起こったものの、それは一過性のことであ り間もなく自然消滅してしまった。

 2002年の冬、突然、東京理科大学の理事長室から呼び出しがあった。何ごとかといぶかりながら出向いてみると、塚本桓世理事長が待ち構えていた。「あ なたの著書をいくつか読んだが、略歴を見ると確かに本学の卒業生になっている。しかし同窓会名簿では所在不明である」と言う。確かな話に恐縮しながら理事 長と様々なテーマで意見交換をすると、共鳴することが多い。

 そのような縁から東京理科大学の特別顧問の拝命を受けた。そして間もなく、理事長と常務理事の幡野純先生から知財専門職大学院の創設で手伝ってほしいと のご下命が来た。こうして筆者は、東京理科大学知財専門職大学院の創設にかかわることになる。日本で最初の知財専門職大学院の創設には、多くの困難な局面 があったが、しかし多くの人々の協力と尽力で切り抜け、2005年4月からスタートを切った。筆者が東京理科大学への愛好心を芽生えさせた第2の節目で あった。

 第3の愛好心への節目はすぐにやってきた。東京理科大学の創立125周年記念が間もなくくるというのに、東京理科大学の歴史を書いた書籍がない。残され ている資料の類は、記録的な文書であり読んでみたところで無味乾燥であり、読むに耐えない。そのことを塚本理事長に言ったところ「それなら多くの読者が読 めるような本を君が書いてほしい」というご下命である。

 学内のあらゆる資料をかき集め、物理学校時代から戦後の東京理科大学へのスタートまでを資料で追跡した。そして物理学校の歴史を書き始めたのである。そ のとき物理学校を作った人々の高邁な精神とたゆまぬ努力、草創期の苦労を跳ね除けて学校経営を軌道に乗せていった執念を記録文書などで知り、先輩たちに対 する敬愛とともに母校への愛情が筆者の中で醸成されていった。

 その成果は、2006年3月、125周年記念式典の直前になってよやく「物理学校 近代史のなかの理科学生」(中公新書ラクレ)となって上梓された。こ れまで4刷り、1万7500部を世に出している。印税は全て東京理科大学の維持会へ寄付しているが、ミリオンセラーを夢見ていた筆者にすれば、一滴にも満 たない僅かなものであった。

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母校との出会いを作ってくれた塚本理事長から名誉ある楯を受け取る

 今回、表彰を受けたのは、塚本理事長との出会いがあった2002年冬から僅か8年弱の間に筆者と母校との縁が実を結んだという結果ではないか。そのよう に考えると、多くの人々との交流と指導を受けたことによって筆者の晩年にいささかの彩を添えていただいたことに感謝しなければならない。表彰状の楯をしみ じみと見ながら、母校、東京理科大学の益々の繁栄を祈願し、過ぎし日々の出来事を思い起こさずにいられないのである。

                               

第62回理大祭の開催

                               
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 第62回理大祭が、11月20日から22日まで開催されている。初日の夕方、覗いてみたがなかなかの盛況である。クラブ活動の成果を発表するプログラムが目白押しであり、参加を勧誘する学生たちの活動も活発である。

 模擬店にも寄ってみたが、これまた客引き合戦とともにそれなりの出しものを並べており、大変結構であった。クラブのデモンストレーションでは、ダンスクラブを覗いて見た。ワルツ、チャチャチャ、ルンバ、タンゴなどを次々と踊って見せてくれた。

 1年生が多かったようだが、ラテンは若い動きだけでもそれなりの踊りになっていた。モダンも悪くはないが、円熟にはまだほど遠く、これからの研鑽次第だろう。競技ダンスでは、理科大は大学のコンテストでもいい位置をつけていると聞いているので、これからを期待したい。

 東京理科大学2010TUSフォーラムの開催

                               
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 「科学は技術を拓き、技術は科学を深める」をテーマにした「東京理科大学2010TUSフォーラム」が、11月2日、秋葉原のダイビル・コンベンションホールで開かれ、多くの研究者、大学人、本学教職員らが参加して学術研究の動向を語り合った。

 第1部は、本学の教員の研究報告であり、6人の教員がそれぞれ研究成果を発表したが、どれも面白い内容だった。質疑応答のときに筆者が質問した研究内容をいくつか紹介したい。

 まず、「新型放射線増感剤を用いた癌治療法の複合化」として発表した理工学部の坂口謙吾先生の話は、癌特効薬の開発を目指したものであり、びっくりする ほど実験結果は癌撲滅になっていた。しかしラット、マウス、犬などの動物実験の段階であり、臨床治験はこれからだという。

 しかし坂口先生が発見した抗癌物質は、夢の抗癌薬剤の開発に結びつくのではないかとの予感を抱かせるものであり、大いに期待した。ただ、このような実験結果が出ていても、臨床治験になるととたんに効果が思ったほどではないことが多い。

 筆者は、ペットである犬・猫などの癌治療にこの薬剤を投与して安全性や効率的な投与方法などを確立し、それを臨床治験にシフトするような方法があるのではないかとの意見を述べた。

 次に「アジアの火災安全を支える」として発表した国際火災科学研究科の辻本誠教授の話も、日本の火災現場からアジア諸国の火災事例まで広げた報告内容で あり、非常にためになった。また同研究科では、英語の授業を行っているとのことだが、必要に迫られれば教員もその気になってやるのではないかと思わせた。

 筆者は、日本の焼死者が直近20年ほど、年間2000人前後で推移しており、この横ばいはどのように理解すればいいかとの質問をした。辻本先生のお返事 は良く分からなかったが、今後はもっと増えるだろうという予測にはびっくりした。日本は「焼死者大国」であり、今後も増えるという専門家の見解には、文化 が発達すると火災での焼死者が増えていくという話を思い出した。

 第2部の冒頭は、藤嶋昭学長の光触媒の歴史的な話から今日の研究成果までの話だが、この話は何回聞いても感動する。1つの基本原理の発見が枝葉に分かれる応用研究へと広がる過程は、非常に面白い。藤嶋学長の後は、4人の学外の研究者が発表した。

 「材料研究の醍醐味 All or Something」とのタイトルで発表したのは、いま売り出し中の東工大フロンティア研究機構の細野秀雄教授である。日本の材料学界に躍り出てきた細野 先生の研究成果は、その変転が余りに早く、まさにIT産業革命を地で行くような話しだった。筆者は、特許出願、取得、管理などについてどのように取り組ん でいるかを質問した。

 細野教授の回答は、そつなく対応しているというものだったが、果たしてそのように機能した管理になっているのかどうか筆者には良く分からなかった。

 「頑張り始めた日本の大学とそれを活かす社会」とのタイトルで発表したのは、JST理事長の北澤宏一先生である。元気がない日本と言われているが、実は 日本の科学技術開発現場は、それなりに実績を蓄積しており、経済状態も言われているほど悪くはないという見解を、豊富なデータをもとに展開し、非常に参考 になった。

 筆者は、こうした事実はさておき、日本の政治の世界では、「科学オンチ」が跋扈している。民主党政権になり、首相が2代続いて理系になっているにもかか わらず、所信表明演説でも科学技術の影は薄く、科学技術創造立国の影も見えない。政界へのロビー活動が必要ではないかとして、北澤理事長にその活動を求め る意見を述べた。

 この後の交流会でも多くの研究者と意見交換し、筆者にとっては実り多いフォーラムだった。

 東京理科大学ホームカミングデー2010

 

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 「新たな絆 ~世代を超えて~」をスローガンに、2010年の東京理科大学ホームカミングデーが、10月31日、神楽坂キャンパスで開催された。筆者は中国科学院から馬場研に留学してきた王蕾と二人で参加し、記念講演などを聴いた。

 記念講演は、まず篠原菊紀・諏訪東京理科大共通教育センター教授の「脳を上手にだましましょう」を聴いた。視覚や聴覚などと連動した脳の活動を身近な実例を引き合いに出しながら、非常に楽しい講演だった。

 続いて登壇した数学者、秋山仁先生の話は、東京理科大を卒業した当時から今日までの活動の様子を語ったもので、タイトルは「思えば遠く来たものだ ~理大、それはホロ苦き初恋の想い~」。

 バンダナをハチマキ風に巻いたいつもの姿で現れた秋山先生は、表情豊かな語り口で理科大に入ったころから話し始めた。大学時代の数学は、難しくて分からなかったというが、日本を代表する数学者の高木貞治博士の有名な「解析概論」をボロボロになるまで読み込んだという。

 秋山先生は、学生時代は落第生であったと言わんばかりに語ったが、高木先生の厚さセンチはあろうという「解析概論」をボロボロになるまで何回も読んだという話を聞いて、やはり数学に打ち込み学者になった人は違うと感じた。

 最近の研究成果の1つとして、立体形の組成は1つの5面体(だったような気がするが)の集合から出来上がっており、それは物質の素粒子のようなものだとして、様々な立体形の組成を模型で示した。

 まるでマジックのような手際のいい実験講義は楽しく、面白かった。最後はアコーディオンを演奏しながらシャンソンを歌って聞かせた。一緒に講演を聞いた 王蕾は、「高校生のときに、このような先生に出会っていたら、数学嫌いにならなかったのに・・・。とても面白かった」と満面に笑顔を浮かべていた。

 数学嫌いをここまで引き込んだ秋山先生の講演は、その語り口といい内容といい、聴衆の心をつかんで離さない魔力のようなオーラが充溢しており、筆者にとっても非常に参考になる講演だった。

 東京物理学校の卒業生と奇跡の出会い

                               
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 東京理科大の「維持会栄誉・特別・終身会員の報告会」が、10月29日、東京都新宿区の日本出版クラブで開催された。会場には、同窓会の会員の中でも多 額の寄金を拠出した栄誉会員、特別会員、終身会員と大学関係者ら約80人が出席し、最近の東京理科大学の活動状況などの報告会を開いた。

 その後で懇親会が開催されたが、筆者はそこで一人のご老人に声をかけられた。拙著「物理学校」の読者であり、往時のあの物理学校についてことのほか詳し い。名刺をいただくと終身会員の清水一三雄氏とある。溌剌とした表情を見ながらお年を聞いたら、驚いたことに清水氏は、大正13年(1924年)9月7日 生まれの86歳である。

 ということは、物理学校の卒業生に違いないと思って聞いてみると、内ポケットから取り出した手帳の間に大事に挟まれていた「卒業證書」を拝見して思わず 身が引き締まった。サイズはB5版を横にした程度であり、卒業年月日は、昭和20年9月30日とある。当時の学校長は、あの大河内正敏である。 「おお・・・・」筆者は思わず感嘆の声をあげた。

 本校本科理化学部第一部ノ課程ヲ履修シ成規ノ試験ヲ完了セリ依テ茲二之ヲ證ス

 昭和二十年九月三十日 東京物理学校長 従二位勲二等 工学博士 子爵 大河内正敏

 ボロボロに朽ちかけた卒業證書の写しであるが、あの大戦の終戦から僅か1ヵ月半後の卒業である。清水氏に話を伺った。

 卒業後は旧制中学の「物象」(物理と化学)の教師になり、やがて新制高校の教師となった。しかしその後、技術発明をして特許を取得し、いまで言うベンチャー企業を興して実業界に身を投じ、企業人として長い間、活動したという。

 満70歳になったときに全てを辞め、それからは好きなスキーの指導者などをしながら楽しい人生を過ごしてきたと語ってくれた。このような大先輩に巡り 会った幸せをしみじみと感じた。早速、藤嶋学長と記念写真を撮影したが、すでに学長とのツーショットを持参しており、その写真は大事な定期券入れに格納さ れていた。 上の写真は、右が藤嶋学長、左が清水氏である。お二人のさわやかな笑顔をご覧ください。 

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上の写真は、歴史を伝える昭和二十年九月三十日の卒業證書である。

 清水氏とはまた、お会いする約束をして懇親会での出会いを締めくくった。


                                        

東京理科大学こうよう会本部行事で講演

                               
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  東京理科大学の学生父母の会である「こうよう会」本部主催行事が、10月24日、香川県高松市で開催された。中国・四国地域のこうよう会の父母、理窓会のOG、OBら約80人が参加したが、筆者は「物理学校の歴史と激変する現代社会」と題する講演を行った。

 行事はまず、こうよう会の船木真左実会長、理窓会の山田義幸会長が挨拶した。こうよう会の父母は、子弟を東京理科大に在学させている人たちであ り、理窓会会員は東京理科大を卒業した面々である。いわば身内の親睦会であり、会場の雰囲気にも身内の親しみを持った空気が流れていた。

 筆者は、物理学校から東京理科大までの歴史的な流れを語り、そのあとで安部内閣が策定した「イノベーション25」のときに提言した内容を語る予定であった。
 しかし、会場に向かううちに気が変わり、後期授業で行っている「時代認識」について語ることにした。というのも、10月20日に富山県で同じテーマで講 演を行ったが、多くの人たちに時代の変革ぶりを考えさせるきっかけを作ったようであり、その印象から同じテーマで語りたいと思ったからだ。

 筆者の講演のあとに、東京理科大OBで株式会社大塚製薬工場専務取締役の梶原巡氏が、自身の学生時代から今日までの「自分史」を語りながら、大塚製薬グループの社会活動を語った。

 梶原氏の飾らない語り口とまた率直な社会活動などは非常に面白く、参加者に大きな感銘を与えた。特に大塚製薬グループが、1980年代から国際活 動を展開し、海外への製造拠点と営業戦略を展開する同社の積極的な企業活動は、まさにIT産業革命のさきがけを行く日本企業であり、筆者にとっても大変参 考になった。

 このあと、懇親会に入り、東京理科大OGで歌手の祥子さんが、豊かで情感あふれる歌唱を披露して喝采を浴びた。

                                

総括 丸山イズムで鍛え上げた理科大ソフトボール部

                            
    ソフトボール全国大会の総括
 第45回全日本大学ソフトボール選手権大会(インカレ)が富山県富山市で開催され、地区大会を勝ち抜いて全国大会へ出場した東京理科大学ソフトボール部は、惜しくも1回戦で強豪・京都産業大学のまえに9対2で敗退した。

 点差は大きな開きになったが、試合内容は善戦といっていいだろう。試合終了後のミーテングで円陣を組んだ選手の中には、こみ上げる悔しさに涙する学生もいた。その悔しさは、なんと言っても1回裏の理科大先制攻撃があったからだろう。

 1番打者のクリーンヒットを足場に、エンドランを仕掛けて相手エラーを誘い、四球を挟んで三塁打が出て一挙2点の先制点となった。なお、一死満塁と詰め寄り、もっとも信頼できる打者の一人を迎えて一挙に大量点に結びつくかに見えた。
 結果はサードごろでゲッツー。これが運命の岐路となった。

 ゲームはやり直しがきかない。過ぎ去った出来事を振り返ってみても所詮は過去の出来事でしかない。それは人生と同じである。だから一瞬の出来事に も、生涯に残るほどの価値が刻まれるのである。ゲッツーを食った打者がどれほど悔しかったか。しかしそれは選手たち全員の試練であり、共通の思いであっ た。こうして彼らは最後まで全力で闘いそして敗れた。

 その中で終始声を張り上げて叱咤激励していたのは丸山克俊監督である。1977年にソフトボール部が創設されて以来、丸山先生は指導者として先頭に立って引っ張ってきた。その間、インカレ出場は14回、ベスト8にも3回進んでいる。これは半端な実績ではない。

 インカレに出てくるような大学は、そのほとんどが授業料免除などの特典で選手を集めた大学である。スポーツで名門といわれる大学の多くは、大学あ げての支援の中で実績を残している。その中で理科大のソフトボール部は、丸山監督の熱血指導と部員たちの努力によって実力で掴み取ったインカレである。

 ソフトボール部には「克己鍛錬主義」があると聞く。グループ練習、個人練習では、一定のノルマを決めて基本の反復練習と身体能力の強化を行い、選 手たちは「報告書」を書いて研鑽する。丸山イズムの核になるのは、誠実に真剣に練習を積み上げることによって「克己鍛錬」することである。

 インカレ出場が決まってからの練習では、インカレ・レギュラー選手選考1・2軍戦が45試合行われ、勝ち負けのチームの貢献者と負の貢献者へのポ イントと反省ポイントが課せられ、評価された。そのような合理的な競争原理を持ち込み、勝者にはインカレ・レギュラー出場のチャンスを与えた。

 「インカレは熱誠をもって戦うお祭りである」という丸山監督の言葉は、熾烈な練習と競争の中で鍛え上げられた選手たちへのはなむけの言葉であろう。
 戦いそして敗れたが、その悔しさは次のステップのエネルギーになるものである。応援に駆けつけていた現役選手の父母、そしてソフトボール部のOBたちがそれを一番よく知っている。

 戦いは終わったが、早くも次への戦いの準備が始まっている。打ち上げ会での話題の多くは、その話であった。理科大生らしい清新な真面目さを残して いる選手たちの表情に曇りはなかった。全国一に輝く日がやがて来るのではないか。その期待感を抱かせる選手たちの表情でもあった。

 

 

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打ち上げで丸山監督の総括講評を正座で聞く部員たち。この真摯な取り組みが理科大ソフトボール部の伝統である。

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ソフトボール部を陰から支えるのがOBたちである。この日の試合にも多くのOBが応援に駆けつけていた。

                               
                 %E8%A9%A6%E5%90%88%E3%81%A7%E5%86%86%E9%99%A3.JPG  京都産業大学 0 5 0 1 0 3  9

   東京理科大学 2 0 0 0 0 0  2   

 第45回全日本大学ソフトボール選手権大会(インカレ)が、9月9日から富山市岩瀬スポーツ公園などで開かれた。関東大会でベスト4に残った東京理科大 学は、2年ぶり14回目のインカレ大会に出場したが、緒戦に強敵、京都産業大学と対戦、9対2で6回コールド負けとなった。

毎回、攻撃のときは円陣を組んで気勢を上げる 

 インカレに出場するチームはさすがに洗練されたチームである。まず、ピッチャーが投じる剛速球にはびっくりした。腕を回転させて遠心力をフルに使った独特の投法だが、投手の手元から離れたボールは、一瞬のうちに捕手のミットに納まる。

 筆者など打者として立ったとしても、おそらくバットにかすりもしないだろう。  ゴロをさばく野手の動きもきびきびしており、何よりもスピード感がすごい。理科大チームの練習を見ながら、これならいけるのではないかと期待感が高まった。

 その期待に応えるようにチャンスが来た。理科大が1回の立ち上がりに2点を先取したときは、素晴らしかった。 まず、1番バッターの下沖君がセンター前にヒット、2番渥美君のときエンドランをかけ、2塁のエラーを誘って走者一、二塁の好機となった。

  ここで3番の藤井君が、センターオーバーの三塁打をかっ飛ばして2点を先取、4番毎田君はフォアボールで、ノーアウト走者一、三塁の好機が続く。

 続く5番の浅野君は三振に倒れるも、なお1死一,三塁。6番川島君がフォアボールを選んで1死満塁の絶好機を迎える。 バッターは、キャプテンの中山君。4番を任されたこともある強打者。理科大ナインと応援団は、いやがうえにも燃え上がった。

しかし、中山君はサードごろ。京都産業大は、これを無難にさばいてゲッツー。おせおせの1回の攻撃はこうして、2点どまりとなった。

この日の試合の圧巻はこの攻撃に尽きる。これを見ただけでも、応援に来たかいがあった。 理科大チーム、有難う。  京都産業大の内海投手は、1回のピンチを2点どまりで切り抜けると、回を追うごとに調子をあげ、理科大打者は外角よりの速球にてこずり、惜しくも敗退し た。

試合終了とともにナインは悔しさがにじみ出てきたようで、応援団との総括報告会では涙にくれるナインもいた。点差は意外と開いたが、それを感じさせない素晴らしい試合内容だった。

 

%E8%A9%A6%E5%90%88%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%86%86%E9%99%A3.JPG試合後は全員が集まって総括ミーティングを開きリベンジを誓った

 長万部のマドンナ・サマースクールの総括

 

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 マドンナプロジェクト長万部サマースクールが閉幕 

 閉校式を行い、楽しいサマースクールを締めくくった。

 8月9日から12日まで、東京理科大学長万部キャンパスで開催されていたマドンナプロジェクトのサマースクールは、最終日の12日午前9時半から閉校式を行い、東京理科大学基礎工学部・長万部教養部長の藤井志郎教授からサマースクール修了証書が授与されて閉幕した。

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 全員集合で記念写真。楽しい思い出の総決算である。

 台風の影響で列車は不通、バスをチャーターして帰途へ 
  この日は、台風4号の北上による集中豪雨などの影響で函館本線などが不通となり、急遽、バスをチャーターして札幌、函館両方面へ帰路につくことになった。
 筆者は、函館経由で帰路についたが、バスの運行は順調であり、フライトを変更し予定を早めて帰京した。

 サマースクール修了で総括コメント
 マドンナプロジェクトは、2年前から東京都新宿区の神楽坂キャンパス、千葉県野田市の野田キャンパス、そして北海道長万部町の長万部キャンパスと年間3回開催している。

 神楽坂は春、野田は秋の開催でそれぞれ、科学の講演と実験授業などを行っている。泊り込みのイベントは、夏の長万部サマースクールだけだが、これには全国から高校生らが集まってくる。

 筆者は今回初めてこのサマースクールをつぶさに見学して非常に感銘を受けたのでこの機会に3つのコメントを書いてみたい。

 科学啓発で強いインパクトを持つ学術イベント
 第1のコメントは、この学術イベントはユニークであり社会的な科学啓発インパクトが強いと感じたことだ。

 女性を対象に科学啓発をねらったというところに新味があるのだが、ともすればこれは男性を除外した一種の差別ではないかという意見も出るだろう。しかしそのような意見は参考にするとしても、臆することはないと筆者は思う。

 日本での科学者全体に占める女性科学者の割合は、先進国の中で最低である。女性の社会進出も先進国の間では低く、これでは女性が本来持っている優れた資質を国家として社会として有用に使っていないことになる。
 このような事情にある日本社会の中で、マドンナプロジェクトは女性の科学する心を啓発するという目的を掲げており、それは大変結構なことだ。

 今回のサマースクールには、女子高校生40人、男子高校生20人が参加しており、男性を拒否しているわけではない。やはりサマースクールのような泊りがけの学術イベントになると男女双方がいないと盛り上がらない。
 大雑把で所作が少々乱暴なくらい元気な男子高校生がいた方が、女子高校生の細やかな行動がより生きてくる。今回も男女双方が楽しい団欒を展開しており、成功だったと思う。

 3ヶ所で特長ある開催内容 
 第2のコメントは、東京・神楽坂、千葉県野田市、北海道長万部町という3ポイントでそれぞれ特長ある学術イベントを開催していることは、非常に意義があると感じた点だ。

 それぞれの地域を中心とした対象者にターゲットを絞り、講演会や科学の実験・実習などを通じて女性への科学啓発を展開することは、大学が外部に対して発信する行動の1つであり、大学の社会貢献でもある。

 サマースクールの場合は、北海道という大自然の環境の中で素晴らしい教育施設、宿泊施設が整備されているのをフルに利用したものであり、東京理科大学しかできない学術イベントである。
 そのような特色ある大学の活動であり、今後はもう少し社会を巻き込んだ形にすることが課題だろう。たとえば、このような学術イベントには、企業や自治体をスポンサーとして巻き込むことも一つのやり方である。

 スポンサーをつけると予算面で余裕が出てくるのでイベントの内容にも幅が出るし、社会的な関心度も高まってくる。メディアとタイアップすることも一つのやり方だろう。
 いずれにしても、今後の活動の可能性は多数の選択肢の中で考えていけば広がりが出てくるだろう。何よりもみんなが楽しんでやる学術イベントにしてほしい。

 学術イベントを陰で支える若きサポーターたち 
 第3のコメントは、サマースクールの実施内容をつぶさに見ていると、このイベント開催を裏から支えている大学教員とサポーターの活動ぶりは素晴らしいという点である。

 ティーチングアシスタント(TA)と呼ばれる同大基礎工学部の学生と院生、そしてOB、OGたちの社会人が、参加した高校生たちの世話役をしている光景は見ていて頼もしいものだった。

 もちろん大学がこの活動を推進し実施部隊の中核には大学と基礎工学部の教職員がいるのだが、その周辺を取り巻くようにアシスタントやボランティア組織があり、それが見事にかみ合ってサマースクールを成功させている。

 高校生、大学生、大学院生、そして20歳代の社会人という若い世代が交流の輪を作り上げており、若さという無垢なエネルギーが全体に発散させて生き生きとさせている。それをまた老練の教職員らが暖かく見守り、必要なときだけ手を貸している。

 今回も台風接近で函館本線が不通になるや、あっという間に大型バスを3台チャーターし、60人の高校生とサポーターたちを札幌、函館に運び、無難に帰途につかせる手はずを整えた。その迅速な対応は見事であった。

 マドンナプロジェクトが成功しているのは、女性をターゲットにした科学啓発活動というだけでなく、実はこのような若い世代が自主的に活動できる自由闊達な組織を作り上げているところにある。大学のユニークな社会活動としてさらに推進してもらいたいと思った。

               
    マドンナ・サマースクールで定性化学分析を実習
                                

 東京理科大学基礎工学部長万部キャンパスで開催されているマドンナプロジェクトのサマースクール第3日目の8月11日は、化学の定性分析の実習を行った。

 この日の当初の予定は、朝から終日、有珠山、唱和新山、洞爺湖などの見学と実習だったが、長万部地方は昨夜から激しい雨が降り、11日朝になっても降り止まないため、有珠山での火山観測見学などは中止とし、代わりの企画として準備していた化学の定性分析を行った。 

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サマースクールに参加した生徒たちは、全員、実験用の白衣に着替えて化学実験室に集合。基礎工学部の竹内謙先生の講義でまず、化学の定性実験についての基礎的な知識を学んだ。
 続いて銀、鉛、銅、鉄、クロム、ニッケル、バリウム、ストロンチウム、ナトリウム、カリウムの10種類の金属イオンの硝酸塩水溶液に様々な試薬を加えたときに出てくる反応によって、定性していく過程を学んだ。

 滴ビンの使い方や水溶液の混合の仕方、遠心分離機の使用法、上澄みと沈殿の分離など定性分析で行う基礎的な操作方法を一通り学ぶものだ。ほとんど の高校生は初めての実験だが、4人で1グループを作って行う実験には、すべて指導する大学生や院生がおり、付きっ切りで指導する姿は頼もしいものだった。

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 試薬などが眼に飛び込んできても保護するために大きなメガネをかけて実験に取り組んだ。

 午後からは無機陽イオンの系統分析
 午後になって、化学定性分析は一歩進化した形になった。試験管には陽イオンを含んでいる未知の試料が入っているので、これを定性する実験である。
 グループに分かれた高校生たちが、遠心分離したり、分属試薬を使って定性化する実験が進められた。

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 定性実験が一段落した後は、お楽しみのバーベキューである。本来は屋外でやる予定だったが、この日未明から長万部地方は本格的な雨になった。特に 午後から夕方にかけて豪雨になる。屋外でのバーベキューは中止となり、バーベキューと同じ材料で料理した食べ物を各自、好きなだけ食べるバイキング方式に 切り替えた。

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 夕食の後は、ポスターセッションで出された質問への回答を社会人のサポーターや院生たちが回答・解説し、そのあとは景品つきクイズ大会になった。
 クイズの回答で一番早く正解を出した高校生には、景品が贈呈され、会場は大いに盛り上がった。

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 サマースクールを支える完璧なサポーター体制 
 ところで、雨でバス見学が中止となっても、代わりの講義や実習にすぐに切り替えていく運営は、すべて基礎工学部の教職員とアシスタントとして参加した社会人、院生、大学生など約60人である。
 このような手厚いサポート組織の運営が、楽しいサマースクールにしていることを知って、非常に参考になった。

 筆者も河川浄化の環境運動や学校給食の啓発運動などボランティア活動に関わってきたが、成功を左右するのはサポーターの運営次第であることを身に しみて知っている。それだけにこのサマースクールでのサポート組織と運営に興味を持ってみていたが、素晴らしい運営振りには感心した。

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 早朝からサポーターの人々がその日のイベントや講義、実習についてミーティングを開いている。このような地道な活動が、サマースクールを陰から支えていることに感動した。

 長万部町の飯生神社のお祭りに参加

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 マドンナプロジェクト・長万部サマースクールの2日目にあたる8月10日の夜、サマースクールに参加している高校生、学生、教職員ら約80人は、町内にある飯生神社の例大祭に参加してお神輿を担いだ。

  「理大」ロゴを背中に描いたそろいのハッピを来た学生たちは、役場前の広場で開催されたお神輿出陣式に参加した。このお神輿は長万部町の「夜お 神輿」と呼ばれているそうで、町内会と役場のお神輿が三基、それに東京理科大のお神輿が加わり、4基が町内を担いで回ることになった。

 出陣式では、町長と議会副議長の挨拶があったが、いずれも少子化、高齢化で町全体が衰退していく有様をにじませながら、「伝統の夜お御輿も今年が最後です。有終の美を飾りましょう」と言うのでびっくりした。
 町内会の人に聞いたところ、もはやお御輿を担いで気勢をあげてくれる若者がいなくなり、担ぎ手も高齢化になってお祭りを支えきれなくなってきたようだという。

 その中で、理科大お神輿の担ぎ手は、平均年齢は20歳代前後という若さであり、そろいのハッピで集まると周囲に若いエネルギーを振りまいて、ひときわ華やいだ雰囲気をまいていた。

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 出陣前に何枚も記念写真を撮影し、担ぐときの発声を練習。町内睦会のリーダーが「セイヤ!」と言えばそれに呼応して「サー」と気勢をあげる。
 「セイヤ」「サー」、「セイヤ」「サー」の掛け声の練習も済ませて、いざ出陣となった。

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 街中を担いで歩くうちに、掛け声のセイヤ、サーも元気な声で唱和できるようになり、それなりにさまになってきた。理科大お御輿の前後は、地元の担 ぎ手が荒々しく担いで気勢をあげていたが、こちらのお神輿は、お上品な感じを崩さず、しかしそれなりに若いエネルギーを発散させながら練り歩いた。

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 担ぎ終わったあとには閉会式が行われ、3・3・7拍子の手打ちで目出度く打ち上げた。来年はこの夜御輿がないのは寂しいようで、地元の人々は最後まで「来年、また担ごうよ」と声を掛け合っていた。
 サマースクールの学生たちは、夜店の通りに繰り出し、カキ氷やお菓子やおもちゃの類を買って、子ども時代を思い出したようにはしゃいでいた。
 楽しいサマースクールの夜は、こうして更けていった。

 長万部サマースクール2日目

                               
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  北海道・長万部町にある東京理科大学基礎工学部長万部キャンパスで開催されているマドンナプロジェクト2日目の8月10日は、午前9時からショートプレゼンテーションで始まった。

 この日から実質的な勉強会や意見交換会、見学会が始まるが、最初のイベントは現役の大学生、大学院生とOG,OBらによる研究内容の紹介である。

 基礎工学部を卒業後、東大大学院の創生科学研究科に進学し、人工生命を作る研究に没頭したと言う。大学院時代に研究情報を交換できるサービス会社を立ち上げたが失敗。しかし現在は、楽しいサービスを作っているという株式会社ディー・エヌ・エーに就職して活動している。

 「人生は楽しまないと損」というテーマを掲げて、高校生たちに自分の子どものころからの生育歴を自己紹介し、大学時代での活動と楽しみ方、大学院時代に研究に没頭した時代、そして起業家に挑戦して失敗したが充実していた時代を語った。

 そしていままた新たな社会活動に取り組んでいる姿を語りながら、「自分の人生を振り返ってみると、大学1年生あたりから人生を楽しみだしたと思う」と語りながら、経験談を披露した。

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 また、基礎工学部大学院電子応用工学専攻の佐藤佳子さんは、「イオンビーム加工によるダイヤモンドツールの先鋭化」のタイトルで、ダイヤモンドを0.00002mmなで尖らせる研究に取り組んでいる活動を発表した。

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 佐藤さんは、イオンに電圧をかけて加速させ、物質に衝突させると物質表面の原始が飛び出してくる。これをスパッタと呼んでいるが、このスパッタを利用してダイヤモンドを加工する技術を紹介した。聞いている高校生たちも、その加工の基礎的技術に触れて、関心を示していた。

 午後からは、化学実験に取り組んだ。
 今回のテーマは、田中郁夫先生の講義でレオロジー現象の実験。レオロジーとは、物質の変形と流動に関する科学であり、材料は片栗粉と水。

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 固体と液体を混ぜた状態の中には、力を加えると流れやすくなるチキソトロピーという現象がある。一方、力を加えると流れにくくなる逆の現象がある。これをダイラタンシーと呼ぶ。
 その実験では、ビーカーに適当に片栗粉を入れて水を加えるだけ。これをこねこねしてほどよく流動性を持たせる。

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 このとろりとした片栗粉流動物を手に取り込んで、強く握ると堅いボールのような塊になる。次に手を開いて堅いボールを手のひらにすると、たちまち崩れて流動体に戻る。
 当たり前のように思うが、実際に筆者も自分でやってみて、不思議な現象であることに気が付く。

 どろどろが入っているビーカーの底に向かって、握りこぶしを力いっぱいぶっつけると、流動体だったものが一瞬のうちに堅くなる。
 水と片栗粉の混ぜ合わせる割合を変えてみるとどうなるか。これがこの日の実験テーマであった。

 

   「なんか、不思議な現象・・・」 松本和子マドンナ・プロジェクト委員長も、実験に加わって楽しそうだった。

  実験はここまでで一段落。最後の比率確認は、ゴルフの練習と言うレクレーションのあとにすることになった。

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 ゴルフ練習は、初めてクラブを握る子が多かったが、先生の指導が分かりやすいので、たちまちにして基本的な動作をマスター。実際にクラブでボールを打つ練習を行った。

  ゴルフ練習のあとは、再び実験棟に戻って、今度は水と片栗粉をどのくらいの割合にすると流動性の性格がどう変わるかを検証した。
 水100に対し片栗粉を130程度に混ぜ合わせ、大きなたらいに入れていくつも並べた。裸足になってたらいに足を入れると、ずぶずぶと片栗粉の流動体に 足が沈んでしまうが、どんと上から強く踏みつけると瞬時に流動体は堅くなる。すばやく歩を進めていけば、足が流動体の中にとられないで、あたかも流動体の 上を走っていくような状態になる。

 用意ドンでたらいを走って歩く試行となり、高校生や大学院生たちが次々と挑戦して無事にたらいの流動体の上を走り抜けることに成功した。

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科学のマドンナプロジェクト長万部サマースクールの開催

                               
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 東京理科大学が高校生を対象に理科への関心を深めてもらい、将来の大学進学の進路の指針にも役立ってもらうために開いている科学のマドンナプロジェクトのサマースクールが、8月9日から、東京理科大学長万部キャンパスで始まった。

 これは2年前から、東京都新宿区の神楽坂キャンパス、千葉県野田市の野田キャンパス、そして北海道長万部町の長万部キャンパスで様々な企画を開催 している一環で、今年のサマースクールには、全国から女子高校生40人、男子高校生20人の60人が参加して楽しい実践勉強が始まった。

 このイベント企画は、女性でも科学に目覚め、女性のきめ細かい思考や女性でなければ気が付かないアイデアを武器に、優れた研究を生み出すような女 性科学者を育成することを目指している。このサマースクールでは、先輩の大学生、大学院生らが取り組んでいる研究や様々な実験を体験してもらい、「理科は 面白い」という認識をもってもらおうという試みだ。

 初日の8月9日は、長万部駅に集合した高校生をバスでキャンパスに案内したが、大自然の中に突如現れた瀟洒なレンガつくりの校舎にびっくりした様 子。早速、松本和子実行委員長の式辞に続いてオリエンテーションに入り、担当スタッフ、学生寮利用のガイダンスなどが行われた。

 学寮の宿泊部屋に分かれたチームがオリエンテーリングを行い、自由時間では自己紹介をしながら高校生たちと学生、大学院生、大学の教職員らとの交流が行われた。

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 基礎工学部長万部キャンパスは、日本でも珍しい全寮制の大学である。男女の宿舎があり、4人で1部屋の共同生活だ。写真は女子寮の個室の一部である。

 東京理科大学知財専門職大学院のFD会議を開催

                               
                 

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 東京理科大学知財専門職大学院(MIP)のファカルティ・ディベロプメント (Faculty Development、FD)の会議が、7月30日に開催され、多くの先生方と有意義な意見交換が行われた。

 FDとは大学教員の教育能力を高めるための実践的方法のことだが、教員同士がお互いに意見交換して啓発しあい、よりよい授業や研究方法を考えることが狙いである。
 この日は、常勤教員と非常勤教員ら約20人が参加して、担当する授業の内容について紹介しながらMIPの教育方針などについて忌憚のない意見が出された。

 非常勤の先生方の意見の中で非常に役立ったのは、院生諸君の日ごろの感想、意見や本音が、非常勤の先生方の耳に届き、それが常勤教員に伝わってきたことだ。
 院生諸君の中には、常勤の教員に対して自分たちの意見や要望を直接言いにくいという事情があるため、筆者のような常勤教員には、届かない事柄がある。

 MIPの授業に来ていただきながら、日ごろほとんど接触のない先生もおり、こうした機会にお顔を見ながら懇談することは非常に役立った。

 第18回MIP知財セミナーの開催
                               
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 第18回東京理科大学知財専門職大学院(MIP)知財セミナーが、7月23日、東京理科大学知財専門職大学院のC1教室で開催され、内外の聴講者約60人が参加して日中の知財の実務について講演と質疑、討論が行われた。

 この日のテーマは「中国特許審査基準から見た出願実務」である。2010年2月1日から施行された中国特許審査基準の解説と実務上のポイントを中心に、中国の知財現場に横たわる様々な課題について検証し、提言を行ったものだ。

 まず、西島孝喜弁理士(中村合同特許法律事務所パートナー)が、この数年、驚くほど急進してきた中国の特許、実用新案、意匠の出願件数の動向を紹介した。続いて中国の特許法(専利法)と日本の特許法との違いを逐条的に解説し、多くの相違点を指摘した。

 続いて韓明星・中国弁理士(北京銘碩国際特許事務所所長)が、中国での特許審査の際に判断する中国審査官の様々な条件による解説を行い、その解釈から出願するときの明細書の書き方や拒絶通知後の補正のやり方など実務に沿った対応策を示した。

 中国特許法(専利法)は、2008年12月に第3次改正を行い2009年10月1日から施行され、2010年2月1日から改正に伴う特許審査基準が施行された。
 
 北京銘碩国際特許事務所では「中国審査指南(審査基準)」の解説をこのたび出版した。その内容は出願段階から積極的に自発補正などの手段を駆使して出願の品質を向上することを提言し、オフィスアクション時の注意点、対策も提言している。

 中国での特許審査基準はどうなっているか、その解説と出願者の実務上の対応について解説したもので、実例をあげながら分かり易い解説は、中国での知財戦略に大いに役立つだろう。

  日本知財学会近づく
                               
         
                                                                                                         
  会場 参加者数 大会テーマ
第1回 東京工業大学 約630名 『~知的財産が切り拓く
 ボーダレスコラボレーション~』
第2回 青山学院 約525名 『Creating Future
 知的財産の過去・現在・未来』
第3回 東京理科大学 約665名 『Regional & International』
第4回 早稲田大学 約635名 『未来志向の知財学
 -技術と経営と政策の、はざまを超えて』
第5回 東京大学 約660名 『原点への回帰
 -知財制度のあり方を問い直す』
第6回 日本大学 約550名 『Global Solution
 -競争と共生の知的財産』
第7回 東京工業大学 約630名 「今あるべき知的財産戦略
-環境パラダイムへの対応とバランスに向けて-」
第8回 東京工科大学 推定650名 「日本経済の『再』成長:知財が担う新たな役割」

 

 第8回日本知財学会が、来る6月19日(土)、20日(日)の両日、東京工科大学 蒲田キャンパス3号館 (新校舎) http://www.teu.ac.jp/campus/access/006648.html で開催される。

 今年のテーマは、「日本経済の『再』成長:知財が担う新たな役割」である。日本の技術力は、どの分野でも世界のトップクラスにあるが、それを活用して利 益に結びつけるビジネス手法が未熟である。たとえば、光関係の特許は、重要なものの多くは日本企業が抑えているが、製品化されるとそのシェアは、韓国、台 湾企業などに奪われてしまい、研究開発投資額の回収が十分にされていないと指摘されている。

 知的財産権戦略は、このような高度瀬門的な技術で知的財産権を取得しても、ビジネスがうまくいかなければ投資額を十分に回収できず、次の開発投資も細く なってくる。今回の学会では、日本経済の再成長に必要な知財の戦略とマネジメント手法などについて活発な論議が展開されるだろう。

 馬場研からもOB,OGの発表や共同研究も含めて10本の発表を行う。


 
                               

MIP知財シンポジウムの開催

                               
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 「多極化時代の知財戦略 ~知財のパラダイムシフトに向けて~ 」を総合テーマに掲げた東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の知財シンポジウムが、6月13日(日)、東京駅前の東商ホールで開催され、多くの参加者でにぎわった。

 最初に登壇したのは、今年の1月1日から東京理科大学の学長に就任した藤嶋昭学長である。藤嶋先生は、酸化チタンに光を当てると、水が酸素と水素に分解されることを世界で初めて発見して、化学者たちを驚かせた。

 この現象はその後、多くの研究者に受け継がれ、藤嶋先生の研究ともあいまって浄化作用、殺菌作用、撥水作用などが発見され、実用化が多方面で広がってい る。この日の講演では、研究の足跡をたどりながら、産業技術として特許出願が年を追って増加していく現状を報告し、これからの展望にも言及した。

 また、パネルディスカッションは、藤野仁三教授をモデレーターに、欧米中日の4人の知財専門家がパネリストになって、企業の知財戦略について討論を行っ た。欧州弁護士のロイド・パーカー氏、アメリカ弁護士のピーター・スターン氏の日本企業の知財戦略に対するコメントは、同じベクトルに向いており、非常に 興味があった。

 スターン氏は、アメリカのITC制度の提訴の状況を1985年から追跡したデータを見せたが、最近になって日本企業は提訴される側から提訴する方へと件 数を増やしていることも分かった。またITCに繰り返し提訴している日本企業は、東芝、シャープ、船井電機などであり、それぞれの企業の知財戦略の方針に よるものではないかと示唆した。

 パーカー氏は、日本企業を巻き込んだ欧州での知財紛争を題材にしながら、日本企業はフェアで丁寧な態度であるが、それは外国企業に弱点とみなされたり、付け込まれることがあるとのコメントは興味があった。

 しかしスターン氏によると、最近になって日本企業は、攻撃型に転じているとしており、パーカー氏の提起した欧州の知財戦略では勝ち目の高いカードを使う こと、相手に圧力をかけてあせらせることなど、攻撃型の戦略について言及した。二人の提示は、日本企業がグローバル展開をする場合の戦略のあり方を示した ものとして非常にためになった。

 中国弁理士の劉新宇氏は、中国での特許審査の実務について一般的な意見を述べたにとどまった。 日本の企業全体のコメンテイターとなった知財協理事長の萩原恒昭氏は、こうした外国勢のコメントを受け入れながら、日本企業のグローバル知財戦略について 多くの課題が横たわっていることを認めながら、今後の展望を前向きに語ることで終始した。

 

 MIPの「知財戦略論」の授業開始

   東京理科大学知財専門職大学院(MIP)のオムニバス授業として知られている「知財戦略論」の今年度の授業が順調に滑り出している。

 この授業は、毎回、知財現場で活動している専門家が大学にきて講義するもので、知財に関して多角的な視点を養い、物事をダイナミックに考える訓練の場としている。

知財戦略論の日程をダウンロード

 授業日程を見ると分かるように、知財の多くの分野から専門家を集めた授業であり、毎年実り多い授業になっている。

 第3回目の授業は、4月28日(水)で、筆者が講師となる。テーマは「島津製作所はなぜ世界制覇ができなかったのか」である。

 田中耕一さんがノーベル賞を受賞したが、受賞対象となった業績で島津は、世界制覇できなかった。なぜだろうか。
 昔からどこの研究現場でも「ノーベル賞をもらうほどの研究成果」を目指している。島津はそれを実現したのに、なぜ、うまくいかなかったのだろうか。

 この授業では、研究開発現場が生み出した画期的な成果を企業はどのようにしてマネジメントに生かすべきかを考えるものにしたい。
 島津製作所を「やり玉」にあげるわけではなく、島津の例を教訓とし、日本の企業の共通の課題として考えることがこの授業の狙いである。

   北京銘碩特許事務所の韓明星所長が来訪
                               
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 共同研究を行っている北京銘碩国際特許事務所の韓明星所長と同事務所東京代表の朴木理華さんが、4月20日、馬場研に来訪した。
 北京銘碩国際特許事務所と馬場研は共同研究を進めており、今回の来訪は来月に開催される日本知財学会で共同で発表する内容についてのすりあわせである。

 韓所長は「アイデア情報工学」という新しい学問の創造に取り組んでおり、学会では斬新な概念を提起することになっている。
 また、筆者と共同発表するテーマは、中国での実用新案の戦略であり、こちらは中国での企業の知財戦略に関する実務的な内容になるだろう。

               
                                
     MIP第6期生のガイダンスを開催
                               
                 
 東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の第6期生の入学者が、4月1日、飯田橋駅前のセントラルプラザビル2階のキャンパスに集まり、ガイダンスに参加した。

 この日は、入学した院生約90人が一堂に会し、MIPの授業日程、科目の履修相談も行った。毎年この時期には、初々しい新入生で教室は活気を帯び てくる。今年も多くの社会人と学部からの進級生が知財に対するそれぞれの取り組みと意気込みを胸に、これからの研究テーマなどについて、教師に相談が始 まった。

 新入生は、この夏までの前期授業が大きなカギになる。ここで知財に対する基礎的な知識を学び、その過程の中で修士論文のテーマを模索することにな る。夏休みも重要な時期だ。夏休みを有意義に過ごした人と何となく目的も持たずに過ごした人では、修士論文の取り組みのときに大きな差となって出てくる。

 4月5日(月)から授業が始まるが、何事もスタートダッシュで勢いをつけてもらいたいというのが教師の願いである。

 一方、MIPを今年修了した社会人1年生からも、元気な報告の電話が入ってきた。この日はどこの企業も入社式を行い、社会人への第一歩を祝ったが、MIP修了生もその一人として社会に踏み出した第一目である。
 「安心してください。今日は無事に第一日目を過ごしました。頑張ります」という声を聞くと、本当に心から良かったと思えてくる。

 大学と社会への2つの門出に接して、新たな決意がにじんでくる一日だった。

        科学技術政策論の打ち上げパーティ
                               
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  後期授業の科学技術政策論の打ち上げパーティが、2月5日、神楽坂の中華料理店で開催され、楽しい情報交換と歓談の場となった。
 楊威さんが、中国語の教師をしていて授業があったために、やむなく欠席したのが残念だった。

 この授業は、教室を使わずに研究室でお茶をしながらだったので、いつでもアト・ホームの雰囲気だった。宮本工業への見学会も楽しかったし、最後の授業では、番外編で遺伝子の意味を講義し、生物学の時代に遅れないように取り組んだ。

 またこの日の打ち上げでは、宮本さんが神楽坂の銘菓「五十鈴」の菓子折を持参して、参加者に配布して喜ばれた。聞けば、参加者に配ろうとおみやげに買った雛あられをタクシーに忘れたので、その代わりに五十鈴の菓子折りにしたという。

 デザートに開けていただくと、最中、神楽坂まんじゅう、栗まんじゅう、甘納豆ともに絶品。最後は、あみだくじでお菓子を配分して盛り上げ、楽しい打ち上げの最後の花を飾った。

 山梨こうよう会で講演

                               
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  東京理科大学こうよう会の山梨県支部の講演会が1月23日に甲府市内のホテルで開かれ、「物理学校の創設から知的財産立国まで」のタイトルで講演を行った。
 こうよう会は、東京理科大学の学生の父母の集まりであり、子弟の教育に熱心な保護者の集まりである。

 筆者は講演の中で、まず知的財産権を重視する時代になった時代背景を語りながら、小泉内閣が知財立国を掲げたまでの経緯とその後の政府の取り組み、そして東京理科大学知財専門職大学院が創設されるまでのいきさつなどを語った。

 さらに東京理科大学の前身である東京物理学校を創設した若き学徒の志を伝え、理科大の伝統を語りながら、社会に存在感を示す大学と学生のあり方を語った。

 特に就職活動などを通じて社会が求める人材は、知識偏重ではなく有能な素養を備えた人材を求めていることを強調し、これからの大学教育の在り方と学生たちの心構えに言及した。

 講演会終了後は茶話会となり、ここでも忌憚ない意見交換の場となり、時代認識の重要性とそれに対応、適応できる人材の教育などについて話題が広がり楽しくも実りある懇談会となった。

 出席者には拙著「物理学校」(中公新書ラクレ)を多数購入していただいたが、この売り上げと講演謝礼は理窓会に寄付することで参加者の志を生かすことになった。

                                

第17回知財セミナーで藤嶋学長が講演

                               
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  第17回東京理科大学専門職大学院(MIP)知財戦略セミナーが、1月22日にMIPで開催され、藤嶋昭・東京理科大学学長が「世界初の酸化チタン光触媒の発見と知的財産権」のタイトルで講演を行った。
 藤嶋学長が就任してから初めての学内での講演であり、多くの学生、社会人が参加した。

 藤嶋先生は、1967年、東大大学院生1年のときに酸化チタンを電極にした水槽に強い光を当てると、水が酸素と水素に分解することを世界で初めて発見し、1972年に「ネーチャー」に発表して世界的に知れ渡った。

 その後この原理による研究は、橋本和仁東大教授、渡部俊也東大教授らに引き継がれ、藤嶋先生らとも共同研究を進めながら、浄化作用、殺菌作用、親水作用による様々な応用研究と実施へと広がっている。

 今回のセミナーでは、光触媒の研究のあらましを紹介しながら、光触媒を軸にした知的財産権のあり方から研究開発での知財戦略、研究と雰囲気という独自の研究観など幅広い話題で講演し、聴衆を引き込んだ。

 質疑応答では、質問者に藤嶋先生の署名入り著書が進呈されたが、研究の動機や研究に取り組む心構え、新製品開発と市場投入の難しさなど多くの課題が広がり、感銘を与えた。

 藤嶋先生の業績に対しては、日本化学会進歩賞(1975年)、朝日賞(1983年)、光化学協会賞(1988年)、井上春成賞(1998年)、電 気化学会学会賞(1999年)、日本化学会賞(2000年3月)、「日本国際賞」(2004年)、「2004年度日本学士院賞」、「内閣総理大臣賞」など が授与されており、今後、光触媒の実用が広がればさらに評価されていくだろう。

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東京理科大学の理窓会新年茶話会が開催される

                               
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 東京理科大学の同窓会である理窓会の新年茶話会が1月9日にホテルメトロポリタンエドモンドで開催され、藤嶋昭学長、塚本桓世理事長ら多くの出席者で賑わった。

 新年会に先立ち祝賀会が開催され、この1月1日から学長に就任した藤嶋昭先生が祝辞を述べた。その中で新学長は「物理学校時代の建学の精神である理学普及こそ国運の発展の基礎であるという言葉を思い出し、理学教育と研究に精魂を傾けて頑張りたい」と決意表明した。

 そのあと、在籍学生の父母の会である「こうよう会」会長の祝辞、叙勲者の紹介と記念品贈呈、3世代会員特別賞、坊っちゃん賞の贈呈などが続いた。

 祝賀会の後で懇親会が開かれ、乾杯や支部長、地方からの出席者からの挨拶などが続き楽しい歓談の時間だった。

       有本建男氏の特別講義
                               
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  元文部科学省科学技術学術政策局長で現在、独立行政法人 科学技術振興機構・社会技術研究開発センター長、研究開発戦略センター副センター長を務めている有本建男さんが、東京理科大学知財専門職大学院の科学技術政策論の特講義を行った。

 講義のタイトルは「世界の科学技術政策と最新の国際動向」であり、文字通り国際的な科学技術政策の動きを解説し、コメントした。

 有本さんは、東京理科大学知財専門職大学院の客員教授であり、この授業は筆者と共同で運営するものである。今回の講義では、諸外国の科学技術政策、とくに最近どの国でも積極的に取り組んでいるイノベーション政策について紹介した。

 さらにこの数年、海外に招聘された様々な国際会議、シンポジウムなどでの論議を紹介し、日本のあるべき進路を示唆する大変インパクトのある講義だった。

                                

宮本工業見学会の写真

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  宮本工業の工場の正面玄関前で記念写真を撮影。会社の皆さんに温かいおもてなしを受けて大変ハッピーでした。

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宮本工業へ向かう前に、腹ごしらえ。宮本一穂会長のご案内とご馳走で、ご当地のおいしいとんかつ屋でほんとにおいしいとんかつをいただきました。宮本会長、有難うございました。

                                  

宮本工業の先端鍛造技術を見学

      科学技術政策論の授業で、栃木県塩谷町にある宮本工業株式会社の船生工場を見学に行った。これは同社の代表取締役会長である宮本一穂さんが、この授業を受講しているのがきっかけになり、日本のモノ作りの現場を実際に見て学ぶことを目的に開催された。

 参加したのは、宮本さんのほかに筆者を含めて7人。09年度馬場研級長の永井武さん は、甲府市から前日に上京して前泊で参加した。工場は男体山や日光連山を望遠する場所にあり、1918(大正7)年に創設されてから今年2009年に創業 91年を迎えるという風格を備えた堂々たる建屋である。

 代表取締役社長の宮本尚明氏、取締役工場長の内城昭治氏、取締役営業部長の三浦武男氏、営業課長の蘇武鋼雄氏らの出迎えを受け、早速、工場内を見学した。

  同社の技術は中国など新興国の追随を許さない独創的で先進的な技術開発を常に行い、 新しいソフトなどの導入を重ねながら、冷間・温間鍛造/インパクト成形品等を作り出してきた。特にアルミ鍛造技術による二輪車・四輪車エンジン用部品は、 ホンダに納品してだけあって非常に品質が高く、また衝撃押出加工による絵具・接着剤などのチューブ量産、カメラ部品、VTR部品、コンピュータ関連部品、 文具など多岐にわたる鍛造部品に生産現場を見学した。

   特に感心したのは、冷間鍛造の世界に、業界のトップを切って金型事前設計(CAE 解析)を取り入れたことだ。このソフトの導入は1990年であり、当時、トヨタ、日産、ホンダ、宮本工業の4社だけが三菱商事を通じてアメリカのソフト企 業から導入したという。当時はアメリカ発のIT産業革命が勃発した時期であり、日本企業でこのソフトを導入する機運はほとんどなかった。

 自動車産業の日本のビッグ3と並んで導入した宮本一穂会長の決断には敬服するよりない。当時、約4000万円の投資をしてこのソフトを導入し、まさに技能から技術へと劇的に変革していったモノ作りの革命の先端を走っていたことになる。

  このソフトの導入によって、生産リードタイムを短縮しただけでなく加工精度の大幅な 向上を達成した。また複雑な形状の製品であっても鍛造後の仕上げ工程(切削処理)が不要となるノン加工技術を確立し、自動車部品で最も重要とされる短納期 化(最短で、出図から7日、他社の1/5の期間で納品可能)を実現するなど大きな成果を上げて、巨額だった初期投資を十分にペイできたという。

  このような先進的なモノ作りに取り組んだ工場を実際に見学できて、大変勉強になった。見学後のミーティングでは、これからの技術開発と知財戦略などについても活発な意見交換が行われ、同社の皆さんの温かいもてなしを受けながら最後まで楽しい見学会だった。

                                

第16回東京理科大学専門職大学院(MIP)知財戦略セミナー

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  第16回東京理科大学知財専門職大学院の知財戦略セミナーが、東京・飯田橋の東京理科大学知財専門職大学院C1大教室で開催され学内外から約50人が参加して熱心な討論が展開された。

 この日のセミナー講師は、2009年6月、ニッスイ(日本水産)が持っている冷凍枝豆の製品特許をめぐって、冷凍食品業界全体が巻き込まれた「枝豆特許戦争」について講演し、大変、好評だった松村直幹さん(元ニチロ専務取締役)が再び登場した。

 講演タイトルは「わかりやすいマーケティングー商品開発と知的財産―」であり、松村さんの体験に基づいた独自のマーケティング戦略と知財戦略について講演した。 

 まず松村氏は、マーケティングとは何か。時代とともに変革した食品業界の中でのマーケティングの意味、そして冷凍業界が取り組む商品開発と営業戦略、知的財産を明確に位置付けた経営戦略などを語った。

  松村さんの話は、すべて実体験から出た「ホンモノ」の素材と背景を語るものであり、迫力満点。話の内容そのものが知的財産権でありノウハウである。 

 他社の技術や成果をいち早く取り込んで新製品を世に出した例では、「おべんとう焼肉」(エバラ食品のたれを導入)、「焼き豚チャーハン」(キューピーと組んで冷凍液卵を使用)などは、工業製品の製造業で言うとオープンイノベーションである。

  また、「そばめし」を出した際には、社員がアイデアを持ちだしたときには売れないと判断して反対したが、社員の熱心な提案に負けて販売してみたらこれが大受けで大ヒット商品になった話も大変参考になった。

 科学技術政策論の授業について

     科学技術政策論の授業は、毎週木曜日の午後1時から同2時半までと、午後6時半から同8時までの2回行います。科学技術は特許、意匠、著作権などの知的財産権とは表裏一体の関係であり、一国の科学技術政策の消長が産業技術の優劣に直結しています。

 今年は、先の総選挙で政権が交代したため、政策がどのように変わるか注目されるところです。自民党の科学技術政策と民主党の目指す科学技術政策はどう違うのか。

 自民党政権のときに成立した補正予算の見直しが始まりますが、史上空前と言われる先端 科学技術研究へ投与される2700億円、地域産学官イノベーション整備事業として投与される700億円は、実際に執行されるかどうかまだ分かっていませ ん。特に2700億円の対象とされる30テーマについては、賛否両論が渦巻いており、執行されるかどうか研究者は見守っています。

 いずれにしても政策決定の道筋がまだ分かっていません。民主党のマニフェストによると、内閣府に設置されている総合科学技術会議を改組して「科学技術戦略本部(仮称)」を設置するようです。今度こそ省庁横断的な政策が実現できるのかどうか注目されます。

 授業では、民主党政権の科学技術の政策動向も見ながら、進めたいと思います。また、日米欧中国の科学研究比較論も試みたいと思います。さらに日本人ノーベル賞受賞者が出た場合は、その業績などにも触れながら科学技術の研究動向を学びたいと思います。

 現在、予定されている授業スケジュールは表の通りですが、この予定通りにはいかないでしょう。臨機応変に中身を変えたいと思います。

2009年度・科学技術政策論・授業予定表

1

9月24日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

日本の科学の始まり

2

10月1日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

自民党政権と民主党政権の科学技術政策の違いは何か

3

10月8日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

第3期科学技術基本計画について読み解く

4

10月15日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

日本の科学技術とノーベル賞

5

10月29日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

ノーベル賞と特許

6

11月5日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

中国の科学技術

7

11月12日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

アメリカの科学技術

8

11月19日(木)

13:00~14:30 18:30~20:33

欧州の科学技術

 

11月26日(木)

 

 学会があるので休講

9

12月3日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

 予備日

10

12月10日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

科学技術と社会と企業倫理について

11

12月17日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

科学の進歩と新たな課題・脳死と臓器移植、生殖医療技術

12

12月24日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

「科学技術研究の国際的な動向」(仮題) 独立行政法人科学技術振興機構・社会技術研究開発センター長・有本建男さん

13

1月7日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

  予備日
14

1月14日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

2025年の社会の姿について
15

1月21日(木)

13:00~14:30 18:30~20:30

 まとめ

 修士論文を研究する研究室はどこにするのか

      2010年度に修了する院生の修士論文と所属研究室についての説明会が、9月18日、同26日の2日間、開かれる。

 専門職大学院の院生が卒業するためには、修士論文を執筆して合格しなければならない。文部科学省によると、MIPの修士論文は「知財プロジェクト研究論文(ワーキングペーパー)」と呼んでいるが、要するに修士論文である。

  テーマを決めて論文を書くには、指導教員を決めて所属する研究室を決めなければならない。指導教員のテーマなどについては、院生諸君へ配布された資料に記載されているが、筆者の研究テーマとして、①中国における研究動向と知財戦略、②ベンチャー企業の知財戦略、③科学技術および知財政策とマネジメント、④知財政策と知財戦略の4点をあげた。

   毎年、馬場研に所属を希望する院生は、このブログでも紹介しているように非常に幅広いテーマを持ってくる。特別の専門領域を持っていない筆者の研究室の、 これが最大の特長である。さまざまなテーマで研究しようとする院生諸君と一緒に、筆者も研究に取り組んでいるが、それは所属する院生諸君全員も同じ立場で ある。

  つまり馬場研は、所属する研究生全員がすべての研究テーマを共有し、研究に取り組むことで多彩な知識を吸収するというのが方針である。

  来年度は、誰がどのようなテーマを抱えて馬場研に来るか楽しみである。すでに馬場研に所属したいとの意向を示している院生もいるが、そのテーマは例年通り幅広いものになっている。

               
   ゴールデン・カップルの誕生
                               
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 東京理科大学知財専門職大学院のOB・OGが華燭の典

 7月11日、東京理科大学知財専門職大学院の第1期生として2007年3月に巣立った馬場研の杉山忠裕君と穂積研の中嶋知美さんがめでたくゴールイン。盛大な祝福の嵐の中でゴールデン・カップルが誕生した。

 新郎新婦ともに東京理科大学理学部応用物理学科を卒業後、そろって東京理科大学知財専門職大学院に進学してきた。杉山君は馬場研に所属して、中国の模倣品問題を研究し、修士論文としてまとめた。

 このテーマに取り組もうとしたきっかけは、少年時代からカシオ計算機製のG-SHOCKの模倣品が中国で出回ってることに他人事ではないと感じ、その実態を調べようとしたものだ。

 修士論文を書き上げると彼は、熱望するカシオ計算機社に入社し、現在、知的財産センターで活躍している。

 新婦の知美さんは、コンテンツビジネスの知的財産権について研究し、修士課程を修了すると凸版印刷に入社し、現在、同社法務本部で知的財産権などの担当として活躍している。

 ゴールデン・カップルの誕生に招かれた友人・知人、同僚、先輩、上司などが盛大に祝福し、梅雨空を吹き飛ばすような勢いと華やかな式典だった。

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東京理科大学知財専門職大学院

東京理科大学知財専門職大学院は、2005年4月から、日本で最初の知的財産専門職大学院として設置されました。

この専門職大学院は、知的財産に関する実務的な知識を習得するために学ぶ大学院であり、院生の3分の2は社会人、3分の1が学部からの進級生となっています。

また、教師の多くは企業で長い間知的財産権を扱う部署にいた方や弁護士、弁理士などである。いずれも知的財産の専門知識を持ったその道のプロである。


               
                                
                
   

一人一票実現運動の記録

最高裁の「夜郎自大」法理に立ちはだかった升永理論

 夜郎自大=自分の力量を知らずにいばること。また、そのさま。(大辞泉)

 画期的な主張を盛り込んだ準備書面

一人一票実現運動を展開している弁護士グループは、先の衆院総選挙は憲法違反で選挙は無効として全国の8高裁、6高裁支部に提訴しているが、この訴訟のリーダーになっている升永英俊弁護士らは1月16日、全高等裁裁判所に第2準備書面を提出した。

その準備書面を読み、升永弁護士の新発見に接して感動した。

一人一票実現訴訟では、これまで50個の高裁判決と4個の最高裁大法廷判決が出ている。その結果は、広島高裁岡山支部の片野悟好裁判長の2つの判決(平成23年3月26日、平成25年11月28日)以外、ことごとく「主権者の多数意見」及び憲法56条2項の出席議員の「多数決」のいずれについても言及することなく、「憲法はできる限り人口比例選挙を要求している」旨の結論を導いている。

つまり肝心かなめの法理を回避したことを次の理由によって喝破したのである。

国民主権をうたった憲法の定めと、憲法第56条2項(両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。)を回避した判断をしたのである。

これは、民主主義の根幹であるの「国民主権による多数決の議会」、「国民主権による多数決の原理」という法理を故意に避けて、国家の権力構造の歯車の中で「さじ加減」の判決文を書いていたことを明確に指摘したものだ。

「結論先にありき」の判決法理

最高裁判決と、最高裁の「判例」という縛りを意識した高裁判決は、大半が「違憲状態であるが選挙は有効」とする判決を出した。これを事情判決とも言っているが、国民主権の立場から言うとまったく意味がない。

司法判断の本音を最高裁に代わって言えば、次のようになるだろう。 「政権与党及び全国会議員の皆さん、選挙は憲法違反ですよ。しかし諸般の事情を考えて選挙は有効としますからできるだけ早く選挙制度の改定をお願いします」 事情判決は、この結論をまず先に出し、それに沿うようにレトリックを駆使して書き連ねた「作文」でしかない。

事情判決についての「法理」はあるが、ここでは意味がないから深入りしない。 升永弁護士はしかし、この「法理」についても鋭く切り込んで、無意味な法理であることの論拠をあげて主張している。

簡単に言えば、文字通りなにがしかの事情があるから法理を曲げても構わないとする誠に都合のいい「法理」である。この「法理」に従えば、憲法などあってもなくてもいいことになる。 日本は法治国家を標榜しているが、「事情判決」によって都合よく法理を捻じ曲げることができるのであるから「法治国家を装っている国家」に過ぎない。

規範を放棄した裁判官

  最高裁を頂点とする日本の司法権は、憲法に基づいた法理で司法権力を護り行使しているのではない。時の政治権力に配慮し自らの身分と立場を護るために国民主権をもないがしろにしている司法権の行使であると言わざるを得ない。

その理由を、升永弁護士は発見した。その法理に従えば、憲法第99条に明確に違反しているということである 憲法第99条=天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

升永理論は、参院選の選挙無効の訴えを裁いた昭和51年の最高裁大法廷判決の法理をはじめ、その後の最高裁大法廷や高裁判決は、ことごとく憲法98条1項(この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。)に違反を承知していながら、憲法99条(天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。)の規範を忠実に行使していないことになるという。

これは明らかに裁判官の憲法違反である。

憲法第99条それ自体が憲法の規範である

升永弁護士は、憲法第99条は憲法そのものの規範であることを発見した。裁判官は、憲法第99条に書いてある規範によって、憲法前文から始まる憲法の103条までの合計104個の条規のすべての規範を尊重して擁護する義務を負っていると主張した。

立憲国家が憲法を護らないならば、それは国家ではない。司法権は三権分立の中の一方の権力を行使する権力機関でありながら、政治権力におもねるさじ加減の判断を出すなら、法治国家は崩れることになる。

戦後、日本は社会発展の過程の中で多くの行政訴訟を抱え、多くの司法判断にすがってきた。しかし社会の弱者の最後のよりどころとした裁判所は、法理や事実認定をも捻じ曲げて多くのさじ加減判決と権力におもねる判決を書いてきたことは間違いない。

筆者は新聞記者として多くの裁判事件を見て、その理不尽さを感じたことが少なくなかった。 日本の司法が三権の一方を標榜するならば、憲法を遵守した民主国家の司法を構築しなければならない。

最高裁は、憲法と法理にしたがって国民主権を確立する権利を持っていながら、政治判断に堕落したままにある。 現行の最高裁が変わらなければ、日本の国家の衰退に拍車をかける役割になるだろう。

 

 違憲・違憲状態を連発する高裁判決

 違憲・違憲状態を連発する高裁判決

 先の参院選は違憲であり選挙無効であると提訴されていた事件の判決が、12月16日に名古屋高裁金沢支部と高松高裁で言い渡されました。 
 それぞれ「違憲状態」であり、投票価値の不平等を明確に認める判決でした。

 これまで3つの高裁判決は次の通りです。
広島高裁・岡山支部 11月28日(木) 違憲・選挙無効
名古屋高裁・金沢支部12月16日(月) 違憲状態・投票価値の著しい不平等
高松高裁 12月16日(月) 違憲状態・投票価値の不平等が顕著

「違憲状態」としながらも、先の最高裁判決を踏襲して、国会での裁量期間を認めたものです。しかしその国会では、投票価値平等へ取り組む具体的な動きは見えず、違憲状態で選ばれた国会議員が、次々と立法行為をしていることは紛れもなく議員主権です。

 升永英俊弁護士が「発見」した憲法前文、憲法第1条、憲法第56条2項による人口比例選挙こそ憲法の要請であるとする法理は、依然として放置されています。

 しかしこの法理は、いずれ認めざるを得ないものです。時間がかかっても必ず、それが認められるでしょう。決定まで時間を要する日本の司法・立法・行政に歯止めをかけないと世界の潮流に遅れることになります。

 日本は多くのことで、当たり前のことを決定するのに時間を要します。最後は結局、その当たり前を認めることになるのですが、それまで空転して損害を受けたものへの責任はいつも誰もとりません。
 判断する時間を要するのではなく、単に「休むに似た時間の空費」と言わざるを得ません。

 参院選の選挙無効を訴えた事件の高裁判決は、これからも11高裁で言い渡しがあります。
 いずれも違憲もしくは違憲状態という判決でしょう。それでもなお、まだ長い「休むに似た時間の空費」が続くのです。

 

国民主権をおき去りにし「法の番人」を放棄した最高裁

 一人一票実現訴訟に対する11月20日の最高大法廷の判決は、国民主権をおき去りし「法の番人」としての権力を自ら放棄した歴史に残る判決でした。

 日本国憲法は、国民主権と自由を保障する三権分立の原則に立って条文を定めています。立法(国会)、行政(内閣)、司法(裁判所)の3つの独立した国家機関が三角形の3つの頂点に位置し、その三角形の内側の中心に国民主権が位置しているものです。

 この3つの権力が相互に牽制し合い、バランスを保つことで権力の濫用を防止して国民主権を実現するように憲法は定めてあります。ところが今回の最高裁判決は、憲法の条文を根拠に主張している原告側の提示には一言も判断せず、国会の思惑に迎合しながら法理とは無関係の裁量判断をしたものでした。

 最高裁は、法の番人とも標榜されてきました。 法の番人とは英訳すると「Keeper of the Constitution」と表記されるように、「憲法の番人」とされているのです。違憲立法審査権を持っている唯一の機関であり、国民にとっては立法府や行政府のチェック機能を持っている機関としてその役割を期待してきました。

 憲法第81条=最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する最終裁判所である。

 憲法第76条3項=すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

 この2つの憲法の条文を読めば明らかなように、最高裁には「サジ加減」や「裁量」などの役割はなく、「憲法に適合するかしないか」の事実関係を「裁判官の良心に従い、独立して職権を行う」ことが義務付けられているのです。

 しかし今回の判決では、原告側が国会議員を選出する1票の格差は法のもとの平等に違反しているとして憲法の条文を根拠に訴えているにも関わらず、法理による論拠を示しませんでした。そればかりか、国会が明らかに課題先送りの拙速法案として成立させた「0増5減」は一定の前進であり、「合理的期間内に是正されなかったとは言えない」などという判断で選挙無効をしりぞけたのは裁量判断の何ものでもありませんでした。

 ただ、裁判官の個別意見で4人が明確に「違憲」だと判示したことは、画期的でした。鬼丸かおる、大谷剛彦、大橋正春、木内道祥裁判官です。この4人の裁判官は、それぞれの理由で「違憲」とする意見を述べたものであり、憲法で定める投票価値の平等や違憲状態を放置してきた国会の責務を厳しく指摘しました。

 今回の判決は、14人の裁判官の多数決で「違憲状態」としながらも「選挙は有効」とする裁量判断を出したものでした。つまり14人の裁判官は一人一票としてカウントされた多数決で、一人一票になっていない選挙区割りの是非を判断するというまことにおかしな裁判を行ったことになります。

 14人の裁判官それぞれに、たとえば住所差別で0.5票にしたり、0.8票にしたり、1票にしてカウントすれば、多数意見と少数意見の比重が変わり、また違った主文になったかもしれません。 一人一票になっていない理屈に合わない国政選挙は不当だと訴えている訴訟に対し、一人一票を厳然と守っている裁判官の合議体によって判決されたのです。

 今回のように「サジ加減」や「裁量」による裁判をすることは、司法が自ら矜持、つまり権力者としての誇りを放棄したものであり、立法府の「従僕」に成り下がったとしか思えません。裁判官の任命権や最高裁長官の指名権が、司法の独立した権力よりも上回ったと言うことでしょうか。

 裁判官の知性を失った判決のように筆者には思えました。

 

政治家を喜ばせた最高裁の「一人一票実現訴訟」の判決

 最高裁の判決は肩透かしだった。主文を読み上げる竹崎博允・最高裁長官の声が、見上げる天井を貫いた大空間にむなしく響き渡った。ペンを握って固唾をのんでいた筆者は、一瞬、呆然となった。

 11月20日午後3時から開かれた最高裁大法廷は、昨年暮れの衆議院選挙は違憲であり選挙無効とする訴えに対し、「違憲状態であった」と認めておきながら、法の下の平等に違反していないとする、理解しがたい判決内容だった。

 主文は「・・・憲法の投票価値の平等の要求に反する状態にあったものであるが、憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったとはいえず、これらの規定が憲法第14条1項(筆者注:国民は法の下の平等である)等の憲法の規定に違反するものということはできない」と言い渡した。

 この意味が分かる人はほとんどいないのではないか。つまり「合理的期間内に是正・・・」と言っているが、この「合理的期間」とは誰が決めるのか。まさか裁判所が決めるものではないだろう。まして 政治家が決めるものでもないだろう。じゃあ、誰が決めるのだろうか。

 原告弁護士グループを主導する升永英俊弁護士らは、憲法の条文に基づいた法理を構築し、その法理に基づいた弁論を展開した。原告側が主張した法理は、憲法前文、憲法第1条、憲法第56条2項を根拠に、「憲法は人口比例選挙を要請している」ことを明確に示した。 小学生でも分かるような明快な法理を展開した。

 ところが最高裁は、この法理に対する判断は一言もなく、筆者には理解できない法理と文言で「現行選挙制度は憲法違反だが、当選した国会議員は憲法違反とは言えない」としか解釈のしようがない、不思議な判決を言い渡した。このようないい加減な司法判断をする国に生まれ、生きて活動してきたことを心から無念に思う。

 これは間違いないく、自分たちの立場に都合のいい「裁量判決」でお茶を濁したものであり、課題を先送りをしてきた政治家が最も喜ぶ判決であった。三権分立を標榜する日本国家の限界を示した司法判断であり、このような対応をする限り、日本が真の民主主義国家を実現することは道遠しであると感じた。

 

 
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写真撮影を禁止されている最高裁大法廷は、抽選であたった人の傍聴券だけが存在意義があるようだ。この傍聴券を後生大事に保管せよという当局側の言い分がこの紙片ににじみ出ている。

「発見」という概念を法学に持ち込んだ「升永法理」

 最高裁大法廷はどのように判断するのか

 11月20日に行われる「衆院選の違憲・選挙無効」に対する最高裁大法廷の判決は、国民主権について司法がどのような判断をするか真価が問われているものだ。先に実施された衆院議員選挙が、国民主権、法のもとの平等であったのかどうか、これを真っ向から判断するのか回避するのか、はたまた肩透かし判決で収束しようとするのか。

 日本の現行選挙制度は、日本全体の過半数に満たない有権者が過半数を超える議員を選出するようになっている。国民の声を代弁するような制度ではなく、単に行政区域で選挙区割りをしたものであり、投票価値という観点から見ると、まったくのデタラメな選挙区になっている。

 日本の国会議員は、戦後営々と選挙区の代表者という役割を期待されることが多く、政治家も地元への利益誘導政策に動くことを最大の目的にしてきた。あるいは、選挙の支持母体を考えた業界団体代表という役割で政治活動を行ってきた。

 しかし、IT産業革命のように高度・専門的な技術革新がグローバルに起こり、情報を共有できる時代になったとき、政治でも経済でも社会的にも迅速な対応をしなければ競争力を失ってしまう。旧態依然の政治活動では世界のなかで取り残されていく。国民の意識も能力も成熟した時代になっているときに、政治の場に国民の意思が的確に反映されなければ日本全体が地盤沈下を起こすだろう。

 そのような時代認識を捉えて最高裁がこの訴訟の判断をしなければ、日本は後発国へと後退していくだろう。

 法学に「発見」の概念を持ち込んだ「升永法理」

 今回の上告審の原告弁護士のリーダーになっている升永英俊弁護士は、原告の弁論の中で「人口比例選挙を憲法が要請していることを発見」したとしている。

 法律の条文という文言や言葉による主張を根拠に、すべてを決着しようとしている法律の世界に、自然科学の発見という概念を持ち込んだ点でかつてない法理である。「升永法理」の根拠は、きわめて簡潔明快である。憲法で保障されている次の4つの条文から「発見」を導き出している。

 ① 憲法前文の第1文冒頭=日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、・・・

 ② 憲法前文第1文の後段=・・主権が国民に存することを宣言し・・・・

 ③ 憲法第1条の後段=・・・主権の存する日本国民・・

 ④ 憲法第56条第2項=両議院の議事は・・・出席議員の過半数でこれを決し・・

 この4つの憲法の条文は、①主権は国民にあること、②国会議員は国民の代表者であること、③その代表者を通じて国民は行動すること、④議事は過半数で決することーを明確に定めている。

 司法判断もレトリックではなく真理の発見が決め手になる

  法律の世界は、文言が支配している。法律の世界は全て、過去の「調べものの学問」であるように見える。過去に起こった事象を文言によって論証し、それを幾重にも積み重ねて論拠を求めている学問である。このような分野に「真理の発見」などという概念を持ち込むと相当なるアレルギーを起こすことは間違いないだろう。

 法律の世界はレトリックの世界でもある。レトリックとは「修辞法」とも訳されているが、平たく言えば「言語表現の技術」ということだろう。法廷で争われる民事裁判は、「レトリック勝負」でもある。筆者が研究している知的財産権をめぐる訴訟でも、技術的な真理ではなくレトリックを駆使して相手を「言い負かした」方が勝つことが珍しくない。 現実はそれで勝敗が決着している。

 「発見」とは覆い隠していたことを白日にさらすことだ

 世界大百科事典の解説によると 「発見」とは、英語ではdiscoverフランス語ではdecouvre,ドイツ語ではentdeckenと表記することからきているという。この語源は、英語で分かるように、「覆い隠している覆いを取り除いた」という考えからきているものだ。

 そこに存在していた事実や法則は客観的に実在しているものだが、その実在を覆い隠していたものを除去して白日の天下にさらしたものを発見とするとしている。

 この解説に従えば、日本国憲法で保障していた人口比例選挙を、升永英俊弁護士は4つの憲法条文によって覆いを取り除き白日の天下にさらしてくれたものであり、まさに発見である。日本国憲法が公布された昭和21年(1946年)11月3日からこれまで、誰もこの「隠された覆い」を取り除いてこなかった。

 そのような事実に照らせば、11月20日の最高裁大法廷の判決がこの発見を認めた判決を出すのかどうか、日本の司法判断、強いては法学の世界観に革命をもたらすものかどうか真価が問われていることになる。

 

一人一票実現運動訴訟の東京高裁弁論

 69年間、誰ひとり気が付かなかった法理  

 先に実施された参院選は「憲法違反であり無効である」と提訴している訴訟の口頭弁論が、2013年10月28日に東京高裁で開かれました。

 原告代理人の升永英俊弁護士らは、日本国憲法は明確に「人口比例選挙を保証している」との法理を簡潔に述べて弁論は終了しました。判決言い渡しは、12月20日午後2時からとなりました。

 弁論の中で升永弁護士は、要旨次のように主張しました。「憲法前文、憲法第56条第2項によれば、日本国憲法は、国民主権と人口比例選挙を保証しているものであり、その法理に過去69年間、誰も気が付かなかった。我々はその法理を発見したものであり、最高裁で審理をしてこの法理が正しいのかどうか結論を出すことを求めている」

  憲法前文=日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、・・・主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 憲法第56条2項=両議院の議事は、この憲法の特別の定めのある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところとなる。 

 この憲法前文と条文から人口比例に従って代議員(国会議員)を選出し、その代議員を通じて国民主権を行使することになるが、現状の日本はそうはなっていない。

 久保利英明弁護士は、多数の有権者が少数の議員しか選出できない現行選挙制度の不条理を訴え、伊藤真弁護士は、国会議員があたかも主権者のごとくふるまっているが、この裁判は国民が主権者であることを取り戻す裁判であると訴えました。 

 先の国会で「0増5減の選挙区割り改定案」を成立させ、一票の格差を2倍未満にし、これであたかも違憲状態を解消したかのような対応策を立法府は取りましたが、これは小手先の対応策であり人口比例とはほど遠いものでした。 

 「1票の格差」が最大2・43倍だった昨年12月の衆院選の選挙無効(やり直し)を求めた訴訟で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允長官)は11月20日に判決を言い渡します。

 「違憲、選挙は無効」という歴史的判断を示すと筆者は確信しています。 

 

 
口頭弁論後に司法記者クラブでの会見

国側の詭弁に失望した最高裁大法廷の弁論

 最高裁大法廷で「国会の経過説明」に終始した国側の弁論

  昨年12月の衆院選の定数配分は憲法違反だとして、升永英俊弁護士ら弁護士グループが選挙の無効を求めた訴訟の上告審弁論が、2013年10月23日、最高裁大法廷(竹崎博允・最高裁長官)で開かれました。

 筆者は、原告・被告の弁論を聞くために最高裁大法廷弁論の傍聴に行きました。写真はその傍聴券です。

 

 原告側の升永英俊、久保利英明、伊藤真弁護士の弁論は、約1時間にわたって日本国憲法の前文、憲法第47条、憲法第56条第2項、昭和51年最高裁大法廷判決、昭和60年最高裁大法廷判決などをもとに、国民主権の在り方を主張し、法理と条理を尽くして「人口比例選挙」のあるべき姿を主張した弁論でした。

 これに対し国側は、憲法判断や国民主権については一切触れず、たった7分程度の陳述で国会の動きを時系列で解説し、「憲法上要求される合理的期間内に是正されなかったわけではない」などと語って、憲法違反にあたらないと主張しました。

 これは明らかに詭弁です。原告の主張に対し真正面から反論しないで、まるで議員たちがやってきた手法をそのまま正当化したような言い分であり、「成り立たない法理」の主張と思いました。国側の主張を聴いて、「この程度の国だったのか」と情けない気持ちでした。

  この日の弁論で印象の残ったのは、升永弁護士が語った「フェルマーの定理」を引合いに出した主張でした。「フェルマーの定理」とは、数学の世界で長年証明ができなかった定理ですが、360年後にアンドリュー・ワイルズによってこの定理は完全に証明されました。

 この歴史的事例を引合いに出し、升永弁護士たちが「発見」した「人口比例選挙」の法理が、法の世界で「発見」にあたるものかどうか最高裁で判断してもらいたいという主張でした。数学界の革命的事件であった「フェルマーの定理」を引合いに出して主張した最高裁大法廷の弁論は、歴史上初めてです。

  いま、私たちが生きているこの時代は、IT(情報科学)産業革命の時代であり、政治・経済の仕組みはもとより、産業現場も、社会制度も、ものごとの価値観も、犯罪も、すべて変わろうとしています。このような時代を明確に認識し、国の仕組みも社会の制度も世の中の価値観も国民自らの手で変革していかなければ、私たちのこの国は未来永劫、浮かばれないでしょう。

 その歯止めをかける橋頭堡は、第一に私たちの行動にあるのですが、同時に司法の判断もまた大きな第一歩になることを実感しながら、あの巨大な最高裁の建物を見上げました。  

 

憲法第98条1項の法理を明解に示した意見広告

 2013年9月7日付け朝日新聞朝刊の3面ぶち抜き意見広告は、憲法第98条1項の法理を小学生でもわかる論法で解説した歴史的な意見広告だった。

  憲法第98条1項=この憲法は、国の最高法規であって、その条項に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

 この憲法の条文をみても明らかなように、違憲状態で「当選」した国会議員は、立法に関与する資格のない人である。そのよってきたる法理を諄々と説いて示した升永英俊弁護士の論述を読んで第1に感じたことは、日本の憲法学者をはじめとする法律学者は、これまでいったい何を論じてきたのかという感想である。

  違憲国会議員だとしておきながら、立法裁量期間を有するとし、その期間に選挙区割りを合憲にするように見直せとする判決の法理を升永弁護士は「憲法破壊の法理」と言明した。

 
                                                                                            . 

 升永弁護士の主張は、小学生でもわかる論理である。このような法理をこの意見広告でも述べているように過去37年間、憲法学者も法律家も誰も気が付かなかったという事実は驚きである。憲法改正どころの話ではない。憲法とは何か。どのように法規は守られてきたものか。その検証もしないで改正などと言うのはお笑いものであると筆者は感じた。

 今回の意見広告では、「合理的期間の法理」が憲法の上位に位置し、憲法を破壊する法理であることだけではなく、国民主権を実現するためには一人一票を実現する人口比例選挙の実施が必要であることを明解に説いたものである。

 「升永法理」の構築は、「数学の証明に並ぶ」と自身も漏らしているように、論理をきちんと積み上げた結果を論述しているものである。だから小学生でも分かる理論である。升永弁護士は、東大法学部を卒業後に銀行員になり、弁護士資格を取得後に東大工学部も卒業した人である。

 つまり法学一辺倒ではなく、理系知識、思考もできる稀有の弁護士として活動している人である。文系・理系の思考を併せ持つ弁護士であり、升永弁護士の主張を身近にきいていて、理系思考を感じることがある。論理性のある主張を積み上げていく思考過程に、このような素養が大きな影響を与えているのかもしれない。

 

 

 

7月21日実施の参院選の都道府県選挙区選挙は憲法違反・選挙無効で提訴

 

 

 7月21日に実施された参院選の47都道府県の選挙区選挙は、憲法違反であり選挙無効とする訴えを、升永英俊弁護士らのグループが全国14の高裁・高裁支部に提訴した。 直ちに司法記者クラブで記者会見して提訴の理由を説明した(写真)。

 このような訴訟は史上初めてである。原告団の主張する法理は、想定される不都合な判決法理を隙間なく埋め込んで主張しているものであり、裁判所も認めざるを得ないだろう。戦後の混乱期から、営々と継続されてきた「日本型民主主義」の国のカタチが、いま音を立てて崩れようとしている。

 今回の提訴の最大の法理論は、「事情判決」を切り崩し、違憲・違法で選挙無効を勝ち取るための提訴である。2012年に実施された衆院選の一人一票実現裁判では、17の高裁判決で違憲・違法が13、違憲状態が2、違憲・無効が2つだった。

 しかし多くの判決は事情判決を採用し、選挙は有効としてきた。事情判決とは、選挙無効とした場合、その選挙区から選出された議員が存在しない状態で議員定数配分規定の改正が行われるという「憲法上の予定しない状態が現出する」という不都合を主な理由にしていた。

 今回原告団の主張では、事情判決の法理は憲法98条1項の違反であるとしている。

 憲法第98条1項=この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

 国の最高法規がこのように定めているにもかかわらず、憲法の下位に位置づけられる「事情判決の法理」が、あたかも憲法の上位に位置しているかのような法理は成り立たない。

 違憲違反で選出された国会議員が、選挙は有効とする「事情判決法理」によって次回選挙まで立法に関与することは国民主権を踏みにじるものであるとしている。

 さらに判決を下す裁判官は、憲法によって次のように規定されている。

 憲法第76条3項=すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

 憲法第99条=天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。

 このように裁判官は、憲法を最高法規とする法体系の中で裁かなければならないが、事情判決は憲法をも凌駕する法規として位置付けており、これは認められないとしている。

 このほかにも原告団は、過去の大法廷判決で示された判断に基づきながら、「その他諸般の事情の総合考察」を打破し、選挙管理委員会がこの選挙の有効性を立証することは不可能であるとする理論も展開している。

 そして仮に今回の選挙区選挙で当選した73人の違憲参院議員が最高裁で違憲・選挙無効となって失格しても、参院は比例代表で選出された議員が96人おり、これが憲法の定める定数81人(242人の3分の1)を満たしていることから、参院は立法府として機能することまで言及している。

 今回の選挙で当選した議員らは、TV放映の中で決まったように「万歳」で勝利を祝い、さらに選出された都道府県など地域のために頑張るとするコメントを発しているが、参院議員は地方の代表者として活動するのではないことは言うまでもない。

 しかし戦後の日本の選挙風土及び政治現場では、衆参両議員ともに選挙区、地元のための利益誘導議員としての役割を強調し、それが当然のように認められてきた。しかし時代は変わったのである。

 もはや地方の利益誘導だけを考えて活動する議員が跋扈すれば、国家としての存在が脆弱になっていくことを産業競争力の現場を見ても明らかである。これは地方の衰退とは別の問題であり、一人一票実現運動は、地方と過疎地の切り捨て運動のように誤解している人がいるがこれは明らかに間違いである。

 いまこそ日本国民は国民主権と真の民主主義を実現し、新しい国家像を構築しなければならない。憲法改正の論議が、憲法違反で選出された議員によって論議されるようなことがあってはならない。国家の在り方を今こそ国民主権者が構築しなければならない。

 戦後、営々と継続されてきた日本型の選挙、政治、そして都合よく使われてきた日本型民主主義は、時代の要請によってまさに音を立てて崩れようとしている。一部の有権者の主張によって崩れるのではなく、歴史の中で必然的に崩れていくことをしっかりと認識したい。

 それが筆者の言う、時代認識である。

 

1票の格差1.998倍は明確な憲法違反で不平等

 2倍未満を目指した弥縫策

 衆院選挙区画定審議会(区割り審)が安倍首相に勧告した「0増5減の選挙区割り改定案」(「0増5減案」)は、憲法の要請に反する馬鹿げた案です。この案は、1票の格差が2倍未満を目指しただけのものであり、不平等を認める改定案です。

 たとえて言えば、国民の住んでいる場所によって、税金の支払いを1の人と1.9倍の人を認めるようなものです。政府与党はこれを国会に提出し、法案成立を目指す構えですが、議員主権で進める一時逃れの取り繕いでごまかす弥縫策であることは明らかです。

  3月31日にNHKの番組で自民党の石破茂幹事長は、「憲法上の要請は何よりも優先する」と語り、「0増5減案」に最優先で取り組むことを主張しました。

  石破幹事長の言葉は、まるで「0増5減案」は憲法の要請を満たしているかのような発言です。その直後に語った「法の下の平等」を実現するかのような発言と合わせると、あたかも「0増5減案」で法改正すれば、憲法の要求している一人一票が実現し、憲法第14条の「すべて国民は、法の下に平等である」をも満たすものと錯覚させる発言であり、国民をミスリードする許しがたい発言です。

 16高裁で憲法違反もしくは違反状態

 先の衆院選は、一人一票による選挙区割りではなく憲法に違反するとして升永英俊弁護士ら2つの弁護士グループが全国16の高裁に、選挙無効の訴訟を起こしました。

 その判決結果は、違憲と判決したものが14高裁、違憲状態が2高裁であり、選挙無効を言い渡したのは2高裁でありました。 

判決日 高裁 判 断
3月6日 東京高裁 違憲 事情判決
3月7日 札幌高裁 違憲 事情判決
3月14日 仙台高裁 違憲 事情判決
名古屋高裁 違憲状態 事情判決
3月18日 名古屋高裁金沢支部 違憲 事情判決
福岡高裁 違憲状態 事情判決
3月22日 高松高裁 違憲 事情判決
3月25日 広島高裁岡山支部 違憲 選挙無効
3月26日 広島高裁 違憲 事情判決
福岡高裁那覇支部 違憲 事情判決
広島高裁松江支部 違憲 事情判決
大阪高裁 違憲 事情判決
広島高裁岡山支部 違憲 選挙無効
福岡高裁宮崎支部 違憲 事情判決
福岡高裁那覇支部 違憲 事情判決
3月27日 仙台高裁秋田支部 違憲 事情判決

 

  日本国民として、このようなデタラメな選挙区割りで国政選挙が実施され、すべての国策が国会の多数決で決められていく状況は到底許されません。

 これでは違憲選挙で選出された違憲議員であり、そのような議員が憲法改正を持ち出していることは、もはや国の体裁をしていません。

  3月18日に判決のあった福岡高裁(西謙二裁判長)で、西裁判長が次のように判じています。

 「議員1人当たりの選挙人数又は人口ができる限り平等に保たれることを最も重要かつ基本的な基準とするとの趣旨は、憲法上、人口比例に基づく選挙を原則とし、できる限り投票価値の平等を確保しようとすることにあり、その志向するところは、人口比例選挙の保障に通ずるものとも解される」

  これは「憲法は人口比例選挙を要求している」と明言した歴史的判決であり、「国民はすべて法の下の平等」を要請したものであり、国民主権を認めたものです。

  先のNHKの番組で石破幹事長は、「高裁判決の判断をきちっと読んで対応するべき」との発言を繰り返していましたが、福岡高裁の判決を読めば、「0増5減案」が憲法の要請に著しく反していることは明らかです。  また国会ではこの問題と絡めて、定数削減案の論議を始めていますが、それ自体は筆者も賛成ですが、一人一票問題と定数削減とはまったく異なった課題であり、ごちゃ混ぜで論議するのは意味がありません。

  何も変わっていない「0増5減案」

 先の衆院選では、最大人口選挙区と最小選挙区とは29万1016人も差がありました。「0増5減案」によるとこの差は29万574人となり、442人減っただけです。これはもはや、何も改定されていないことと同じです。


 アメリカの人口に比例した選挙区は、その格差がたった1人であり、奇跡的な数字に見えます。しかしコンピューター時代の区割りは、このようなことが簡単にできるのです。一人一票実現運動は、まだゴールが見えていないと言わざるを得ません。 

 

福岡高裁の「人口比例選挙は憲法の要請」と画期的な判断だが裁量判決は肩透かしだ

  一人一票実現運動を展開している弁護士らが提訴している先の衆院選は無効とする裁判の判決が、3月18日、福岡高裁(西謙二裁判長)で言い渡しがあり、違憲状態を認めたが投票価値の平等は「唯一、絶対の基準になるものでなく、国会の裁量権が認めているものである」として選挙無効をしりぞけた。

 この判決文を読むと、裁判所の判断の前半は「議員1人当たりの選挙人数又は人口が、できる限り平等に保たれることを最も重要かつ基本的な基準とするとの趣旨は、憲法上、人口比例に基づく選挙を原則とし、できる限り投票価値の平等を確保しようとすることにあり、その志向するところは、人口比例選挙の保障に通ずるものとも解される」とした。

 このように「人口比例選挙の保障」とまで言及した判断は画期的だった。

 そして福岡高裁は、「選挙制度の具体的な仕組みにおいて投票価値の不平等の結果が生じている場合には被告において、上記仕組みの決定において考慮された政策目的ないしは理由が投票価値の不平等という結果をもたらしていることに対して合理性を有することを基礎付ける事実を主張立証しなければならない」とたたみかけた。

 一人一票実現訴訟を提訴している原告代理人の升永英俊弁護士は、この判断を99点としている。それほど原告の主張を反映した裁判所の判断なのである。  

 しかし選挙無効判断に及ぶと、その判断の根拠が「国会の裁量」にまで広がり、結局は腰砕けに終わったと言わざるを得ない。

  まず、先の最高裁大法廷判決から選挙実施までに十分な時間があったかどうかの判断に対しては、「高度に政治的な事柄について検討を要するもの」として、選挙制度の見直しには相応の時間がかかるとの判断を示した。 そしてそれが「憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったものと断定するに由ないものといわざるを得ない」とした。

 つまり1年9か月の間に、国会が是正することができなかったことで憲法違反、違法とまでは言えないとの判断を下したことになる。

 さらに追い打ちをかけるように「投票価値の平等をもって最も重要かつ基本的な基準とする一方、これが唯一、絶対の基準となるものではなく、国会に裁量権を認めているのであり、原告らの主張する可能な限りの平等という趣旨が、これに反するものであれば、採用することができない」として原告側の主張をしりぞけた。

 この判決は、前半では人口比例選挙が憲法の要請であることを司法が初めて言及したものとして画期的と評価しても、後半はいわゆる統治行為論の判断であり、一人一票実現訴訟を支持する筆者としては、もろ手をあげて賛成できる判決とまではいかないと思った。  

 

歴史的判決に汚点を残した裁量判断

 先に実施された衆院選挙は違憲であり違法であるとした3月6日の東京高裁の判決は、1票の格差の不合理を裁判所が認めた歴史的な判決であった。

 しかし選挙無効については、「弊害」「不都合」「諸般の事情」などを勘案して、選挙無効としないで「主文で選挙の違法を宣言するにとどめるのが相当」とした。

 これは裁判所の「思い上がり」である。なぜ厳密な法の解釈と結論を明示しないで「宣言」などと言うのか。国民は裁判所に「宣言」など期待していない。裁判所は法の番人であり、法が求めている規範にしたがって厳正な判決をする場と理解している。

 歴史的な判決でありながら、立法府に配慮した裁量判断だったと言わざるを得ない。選挙無効として選挙のやり直しを命じるくらいの司法でなければ、新しい時代の国を創造していくことはできない。そのような時代認識を欠いた判決であった。

 東京高裁は、このように腰が引けた判断に至った基盤には、厳格な投票価値の平等である「人口比例選挙」を認めなかったことにある。その理由として高裁は「憲法が両院議員の各選挙制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の裁量にゆだねていると解すべき」とし、「国民主権の原理及び代表民主制の統治機構上の理念から」、原告の主張する人口比例選挙を認めなかった。

 しかしこの法理論を通せば、「国会の裁量にゆだねる」という帰結にならざるを得ず、これでは三権分立の機能が成り立たないことに繋がる。

 ただ、東京高裁判決では、「国会が決定する具体的な選挙制度において、現実に投票価値の不平等が生じる場合には、これを合理的に基礎づける事実を立証するべき」とした点では評価する。さらに前回の最高裁大法廷判決の「違憲状態」の判断から、1年9か月を経過した時点で総選挙が実施されたことを取り上げ、憲法上要求される「合理的期間が経過していないとは認められない」として被告側の主張をしりぞけた。

 また「訴訟費用は、被告の負担とする」とした主文で、本件判断が原告、つまり国民の側に立っていることを示唆するものと受け止めたい。

 判決文を精査した感想を言えば、違憲・違法を明確に語った判決としては、歴史に残るものであろう。しかしそこまで判断しておきながら、選挙無効、選挙やり直しを命じることができなかったことは評価できない。そのくらいのことをすることによって、国民の政治意識は覚醒され日本の次の世代へと繋がっていくのである。

 

 衆院選挙は違憲・違法であるー東京高裁が歴史的判決

 

 一票の格差を是正しないままに実施された先の衆院選挙は無効であるとして全国の14の高裁・同支部に選挙やり直しを求めていた訴訟の最初の判決言い渡しが、3月6日午後2時半から東京高裁(難波孝一裁判長)で開かれ、難波裁判長は「衆院選挙は違憲であり違法である」と言い渡した。

 選挙無効については、「事情判決の法理」にしたがい、実際に選挙を無効とした場合の影響の大きさを考慮して選挙は有効とした。

 この訴訟は、升永英俊弁護士らが代理人となって先の衆院選の東京1区について選挙無効を求めた訴訟である。ただし全国に300ある選挙区はすべて1票の格差を放置された選挙区であり、デタラメな選挙区割りである。これまで最高裁でも、違憲状態として立法府に是正を求めてきたが、十分な時間があるにも関わらずほとんど何も手を付けなかった。

 今回の判決で東京高裁は、東京1区だけでなく、全国300の小選挙区で選出された衆院議員は、正当性のない選挙法で選出されたものであり、国会議員として国家権力を行使する資格がないことを明確に言い切った点で日本の歴史のターニングポイントとも言える判決だった。

 今後、この一連の訴訟の判決が全国各地で言い渡されるが、おそらく違憲・違法だったとする判決が続出するだろう。すべて上告されて最高裁での判断になるが、早ければ7月の参院選挙の前に最高裁大法廷が開かれて「違憲・違法」判決が言い渡される可能性が高い。

 しかし選挙やり直しまで言い渡さなければ実質的な意味がなくなるだけに、最高裁としてどのような判断に傾くか大いに注目したい。

 

 

 

一斉に始まる1票の格差訴訟の高裁判決

 

  昨年12月に実施された衆院選挙は違憲であるとして、全国の14の高裁と高裁支部に訴えられている訴訟の判決が、3月に一斉に全国で出される。

 判決は、違憲状態から明確な違憲になる可能性が高くなっており、一人一票実現運動がようやく初期の目的に近づいてきている。その運動を盛り上げるために、3月1日にJR新橋駅前でキャンペーンのチラシとティッシュ配布を行った。

 朝8時からの活動だが、これまでも山手線の全駅で展開した活動で慣れているものの、配布する意気込みがなんとなく違う。それは3月6日に東京高裁での判決言い渡しを皮切りに7日に札幌高裁、14日に仙台、高松高裁、18日に福岡高裁、金沢支部と続いているからである。

 今回の一連の判決はすべて上告されることは間違いなく、いずれ最高裁大法廷で一票の格差についての判断が出る。違憲状態ではなく、明確な違憲、選挙やり直しの判決が出る可能性もある。そうなれば日本人に真の民主主義を意識させる司法判断になる。

 日本は立法、司法、行政の三権分立によって国体を構成しているが、その中でも最も遅れているのが司法だと思ってきた。しかしいま、司法が最も国民意識に近い判断をするという論評も出ており、これから始まる1票の格差訴訟の判決は大いに注視したい。

 

 

 

一人一票実現運動地元総括忘年会の開催

 

  一人一票実現運動を展開し、先の総選挙では罷免を求める票数が過去の記録にないほど多数を占めたが、地元・門前仲町でこの運動に理解を示してきた近所の人々が集まって忘年会を開催した。

 ライブコーヒーの富沢ご夫妻らで、お互いに手料理を持ち寄り、「羽黒花味噌」によるちゃんこで楽しい歓談を行った。飛び入りで東大に留学にしてきている中国人のパン・ユアンと杜潔弁理士も駆けつけ、この一年を振り返りながら来年からの健闘を誓い合った。

 一人一票実現運動では、筆者が選挙期間中毎日、地下鉄・門前仲町駅頭でティッシュ配布を行ったが、これを目撃した人々から支援するとの声がかかった。また途中で石井洋子さんが応援に駆け付け、石井さんの手製の資料配布も行ってもらい効果があった。

 一人一票実現運動は、まだこれからも続けて行かなければならず、今回の選挙無効の提訴の判決も予想以上に早く出る可能性が高く、運動は次への段階へとステップをあげていくことになる。

 

最高裁裁判官を全員バッテン(×)で投票

 昨日、12月12日、選挙の期日前投票を行ってきた。総選挙に東京都知事選が重なり、しかも最高裁裁判官の国民審査。衆院選は、小選挙区と比例選とがあるので全部で4つの投票を行った。

 この中で最も思い入れをして投票したのが、最高裁裁判官の国民審査である。前回の国民審査では、2人の判事にバッテン(×)を付けたが、今回は10人の判事、全員に×を付けた。

 言うまでもなく一人一票実現運動をしている筆者としては、一人一票を認めていない裁判官は×である。日本国憲法が求める民主主義は、「一人一票」の選挙権を持つ有権者の多数決によって国会が構成され、政府が運営されることである。

 しかし国民が一人一票を求めた最高裁の判決では、「違憲状態」というあいまいな言い方で、現行の公職選挙法を違憲・違法と認定しなかった。これは国民主権をないがしろにしている判断である。

 私たち国民は、主権のありようを最高裁裁判官などに裁量してもらいたくない。憲法に書かれている文言にしたがって判断してもらわなければ、司法の役割を放棄していることになる。司法は三権分立にのっとり、法の番人として確固たる判断を示せば、日本は民主主義国家として引き締まった国になっていくはずである。

 戦後の司法判断の中には、どう見ても立法、行政の追認機関としか思われないような判断・判決もあった。政治学者によると、今の司法は戦後、最も国民の目線に近いもっとも強い司法になっているという。ならば違憲立法審査権を行使して、明確に違憲・違法であり選挙は無効との判決を出すべきだったが、今年10月の最高裁大法廷の判決ではそうはならなかった。

 そのような過去の「実績」を国民審査で評価することになるのだから、当然、全員が×である。今回の国民審査の結果ではかつてない不信任の票が出て、大きな話題になっていくだろう。罷免することで一人一票が実現したら、日本は民主主義国家として確固たる位置に立つことができるだろう。

 

一人一票実現のキャンペーンを展開

 

  選挙の投票まで残り1週間となった。この日は、午前8時半から渋谷で一人一票実現会議の運営委員会が開かれ、これまでの活動報告と総選挙後に予定されている、選挙無効を訴える裁判についての方針が示された。

 引き続いて東京・新橋のJR新橋駅SL広場で、一人一票実現国民会議のキャンペーンが始まった。広場を行く人々に最高裁裁判官の国民審査で、一人一票を認めていない最高裁判事にバッテン(×)を付けて不支持の表明をするように訴えた。

 自分の選挙区がどのくらい1票の格差があるかPCで確認するコーナーも設け、違憲状態で実施される選挙の理不尽さを訴えた。
 

 

 

 

日本の国会議員はすべて違憲状態で選出という異常事態

 

 違憲状態と断じた歴史的判決 

 2010年7月に実施された参院選挙は違憲だとして選挙無効(やり直し)を求めた訴訟で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允長官)は10月17日、「違憲状態」とする歴史的な判決を言い渡した。

 2009年の最高裁大法廷判決では、一票の格差を合憲としたものの選挙制度の見直しを求めたにも関わらず、なんら是正されずに選挙が行われてきた。この日の判決ではこの点にも言及し、「違憲の問題が生じる程度の著しい不平等状態に至っていた」と断じた。

 さらに現状の区割りを維持して格差を是正することは「もはや著しく困難」とし、「都道府県単位の選挙区で定数を設定する方式を改めるなど、現行制度を見直す立法的措置を講じるべきだ」とした。現行の都道府県単位の選挙区割りは、憲法の要請によるものではないので区割りの見直しを要求したものである。

  昨年3月には衆院選挙の小選挙区の区割りを違憲状態と判断しており、日本の国会議員は衆参とも違憲状態で選出されているという異常な事態となった。

  15人の裁判官のうち、竹崎長官ら12人が「違憲状態」との判断を下し、弁護士出身の3人の裁判官は明確に「違憲」とする意見だった。 

 これで法治国家と言えるのか 

 これは法治国家としては異常な事態である。日本の国家、社会をはじめあらゆる活動は憲法で定めている国民主権ではなく、憲法に違反している「国会議員主権」になっていることを司法が明確に打ち出したことになる。 

 私たちは、国会議員が活動している状況を日常的に見ている。そこは「永田町の論理」と揶揄されるように、政局主導の党利党略活動が主体であって国民の意識からかい離しているのではないかと頻繁に感じることが少なくない。 

 国会議員自身が、国民主権による代議員制度の立法府と明確に意識しているとは思えず、バッチをつけることに最大の目標を置いてきたと言わざるを得ない。衆院選は違憲状態という最高裁判断が出ているにも関わらず、今になっても「0増5減」とか「4増4減」などという小手先でごまかそうとしている。これだけでも政治家は、国民の立場に立っていないことは明らかだ。

 「違憲状態」がまかり通る異常国家 

 大体、衆参ともに違憲状態で選出された議員であらゆる法律が立法化され、国会手続きのあらゆることで社会が動いていることを考えると、この異常時代はもはや法治国家とは言い難いでのはないか。 そもそも国会議員が違憲状態で選出されていることは、内閣も大臣も違憲状態にあることになる。

 この日の大法廷で「違憲状態」と判断した15人の最高裁判所判事は、違憲状態にある内閣が任命した裁判官であるから、「違憲裁判官」であることになる。これはもはや「漫画」である。 

 このような国家の体をなしていない状態を一刻も早く解消し、国民主権を取り戻さなければならない。そのためには国民が意識改革をしなければ何も進まない。 デタラメな選挙区割りであるため、有権者の33パーセント人々が過半数の国会議員を選出し、その国会議員が多数決であらゆる法案を成立させている。

 衆参ねじれ国会などと言っているが、単に国会議員の数の上だけの話であり、国民からかい離した架空の立法府であると言わざるを得ない。 

 これに終止府を打つために一人一票実現への行動をさらに推進する必要がある。

 

 

 

JR新橋駅前SL広場で一人一票実現運動を展開

 

 9月4日にJR新橋駅SL広場前で展開された一人一票実現運動のイベントには、多数の人々の関心を集めて丸一日の長丁場の活動だった。

 筆者は、その日のうちに活動の速報をフェイスブックに投稿したが、無意識の操作の中で「非公開」を設定したため、自分のPC画面だけでしか見られない画面になっていた。誰も見ていないのだから反響もない。その状況を知らない筆者は、しばらくこのままにしていた。

 しかしいくらたっても、誰からも「いいね」の反響もなく、おかしいと思いながら何らかの不都合が起きると困ると思って削除してしまった。その後、「公開」に切り替えれば、回復することを知ったが、大分時間が経ってしまったが、遅まきながら報告しておきたい。

 写真は、その日に「一人一票」浴衣をお披露目した鶴本圭子さんである。その斬新なデザインの浴衣にはびっくりした。この日は、一人一票実現の歌を作ったサンプラザ中野君とのコンビでSL広場の耳目を独占し、一人一票実現運動を盛り上げた。

 あいにく筆者は夕方から会議があって、そのイベントを見ることができなかった。しかし午後の2時間ほど、ティッシュ配布と選挙区の一人一票検証を呼びかけた。通行人の反応は、間違いなく前回よりも関心を高めていると実感した。

 これからも地元の門前仲町を中心に地道にこの運動を広げていきたい。

 

 

 

 

全国駅活・甲府駅の活動を報告

 

 全国駅活の甲府駅キャンペーンが、6月2日正午から行われ、鶴本圭子さん、田上純さんが駆け参じて一人一票実現運動を訴えた。

 甲府駅前は、広々としたバスターミナルになっており、半円形に歩道が取り巻いている。デパート前には人通りが絶えないが、それほど大勢の通行人がいるわけでもない。地方都市の駅前にしては、むしろ人の量は少ない方だろう。

 しかしカード入りティッシュの配布を始めると、そんな不安を吹き飛ばした。受け取り反応が非常によく、配布の効率がいい。それだけではなく、激励の声を掛けていくご婦人もいるし紳士もいた。

 ちょうど呼応するように、みんなの党の永井武さん(次期衆院選山梨1区から出馬予定)の活動カーが来て、アピールを始めた。その中で永井さんは一人一票実現の重要性を訴え、ついでに鶴本圭子さんが縫いぐるみに扮しているクマちゃんの活躍にエールを送るなど「共闘体制」をとってくれた。

 こんなキャンペーンがよかったのか、長い間見物してたタクシーの運転手さんたちも、笑顔でティッシュを受け取ってくれた。若い世代の人たちも、どことなく親近感がある。総じてこの運動に対する反応がよく、甲府での活動は非常に励みになった。

 

 

 

小雪混じりの札幌駅前で一人一票実現運動を展開

 

 
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  一人一票実現を全国の主要都市で訴えるの全国駅前活動が展開されているが、3月31日正午からは、札幌駅前で行われた。この日は、北海道でジャーナリストとして活動をしている浅利圭一郎さんも応援に駆け付け、東京から行った支援仲間と共に一人一票実現を呼びかけるカード入りティッシュを配布した。

 この日の札幌地方は、小雪混じりの強風が吹きつける荒れた天気であり、傘も吹き飛ばされそうになるほど。市民は地下街にもぐってしまい、路上を行きかう人は非常に少ない。それでもチラシとティッシュを受け取ってくれる率は多く、かじかむ手をこすりながら運動の主旨を訴えた。

 全国の主要都市での駅前活動は、これで一区切りがついた。しかし、甲府市で活動する永井武さんから「甲府でも是非」という要望が寄せられ、来る6月2日(土)正午から、甲府駅前で展開することが内定した。いずれ正式に決定し、番外駅活として広報する予定である。

 

 

一人一票実現運動の仙台活動を展開

 

  一人一票実現運動で全国の主要都市でのキャンペーンが展開されているが、3月20日正午からは、仙台市の青葉通りと一番町アーケードの交差する地点で行われた。この日は、東北大学金属材料研究所M1、吉田和樹君も応援に駆け付け、支援仲間と共に一人一票実現を呼びかけるカード入りティッシュを2000個配布した。

 この日の仙台は、時折、みぞれがぱらつく冷え込んだ天候だったが、道行く人の反応はよく、この運動を知っていて支援する声も聞かれた。また鶴本圭子さんの紛争するクマ君が相変わらずの人気者で、子どもたちの関心を集め、楽しいキャンペーンだった。

 また、田上さんのアピール演説もいよいよ磨きがかかり、多くの通行人の関心を集めていた。この全国キャンペーンは、今週末が高松、今月末には札幌で行われる。

 

 

 

 

 

中国にもいた一人一票おじさん

 

 上海の有名な服飾市場に行った。ここの周辺には偽物のブランド品を扱う怪しげな商店があるので有名な市場である。警備員のおじさんは非常に愛想がいい。思わずカメラを向けて一人一票サインをしたら、すかさず一票サインを返してきた。

 

 

一人一票実現運動に下町のパワー立ち上がる

 

 一人一票実現に呼応して下町パワーが立ち上がった。家庭料理で楽しい時間を作ってくれる「家庭料理・小美」が一人一票実現運動に賛同して、お店でも積極的にこの運動を広げようとしています。

 お店のカウンターに、一人一票実現運動のチラシとティシュペーパーを置いて、お店にくる常連客から周辺の人々に輪を広げようとしています。このような草の根運動が、やがて日本を真の民主主義国家へと変貌させるでしょう。

 住む場所によって1票の価値が違うデタラメな選挙区割りを一日も早く解消しましょう。政治家は自分のことだけしか考えていないので、何も期待できません。これを是正できるのは司法だけです。その司法で、一人一票実現に否定的な最高裁裁判官を罷免しましょう

 総選挙のときに最高裁裁判官を審査する国民審査で、罷免しましょう。主権は裁判官でもなく政治家でもなく国民です。これを実現しない限り、日本はいい国なりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

「略奪大国」で一人一票でない日本を糾弾

 先日、このブログの「本の紹介」のコーナーで、ジェームス・スキナー著「略奪大国」を紹介しました。この本は、現代日本の政治、行政の病根を分かり易く検証して示してくれた名著です。

 親日家、知日家のアメリカ人の筆致さばきで目を開かせられた思いです。

 この本の224ページに「日本に民主主義はない」とあります。その部分を紹介します。

 通常、民主主義国家では、略奪はやりにくいと言われています。なぜなら、略奪の規模が大きくなると、大衆が立ち上がり新しい政権を誕生させるからです。

 その前提にあるのはひとり一票の制度になっているということです。しかし現代の日本では、そうなっていません。国会議員を選ぶに当たって、都会に住む人の1票に対して、農業地帯に住む人は3票のウエイトを持っています。国会の選挙が人口比例になるまでは、民主主義とはいうことはできません

 さらに続けて「日本はひとり1票を実現するまで民主主義とは言えません」としています。

 日本の現行選挙制度では、確かに都会と農村地域の票のウエイトは違いますが、この著者が言うように農業地域のウエイトが重く、都会は軽いという画一的なものではありません。同じ農村地域でも軽い地域もあります。つまり今の選挙制度は、民意を正確に反映できるような選挙区割りではなく、単に地域を区切っただけであり、住んでいる場所によって1票の重みが違うということです。つまりデタラメだということです。

 日本は議会制民主主義国家と言いますが、それを構成する代議員がデタラメな選挙制度によって選ばれているのですから、民主主義は破たんしているのです。外国人にまで指摘されている現状を放置しているのは、恥ずべきことです。

一人一票実現国民会議第3回サポーター大会の開催

 

  一人一票実現国民会議の第3回サポーター大会が、12月3日午後2時から、東京・渋谷の伊藤塾で開催され、多くのサポーター参加者が出席して熱心に報告・討論を行った。筆者は前日からの風邪で発熱して最後まで同席できなかったが、インターネットでの中継録画を見て、素晴らしい大会だったと感じた。

 筆者が出席しているときの活動報告などの感想を言うと、共同代表の升永英俊弁護士が「一票の差別というよりも住所差別である」という言い方に共感した。単純に住所差別という言い方は、分かり易い。久保利英明代表が語った「このままでは日本は3年後につぶれる」という見解も一人一票実現運動と関連させて訴えられると思った。

 活動の報告では、TWITTERを使ったツイ活、駅頭でのアピールの駅活、自宅やオフィスのデスクの上からラジオ、TV,ブログ、HPなどへの投稿や働きかけをする卓活、FACEBOOKを利用したF活、0.6票君のデザインしたTシャツを着て練り歩くシャツ活、意見広告への募金をする寄付活、自主ビデオや絵本を作るArt活、友人・学校などで運動を展開する友活、年賀状で訴える年賀状活などがあることが分かった。

 このように並べて言われると、やり方が非常に幅広くできることを改めて認識して非常に参考になった。筆者が展開している隣近所から広げているのは、友活の一種であるしこれからもっとやるべきことは卓活かなとも思う。

 自分にできることをどのように工夫するか。21世紀構想研究会のメンバーへの働きかけと共闘を通じてまた新たな展開へと進みたい。

 

 

 

 

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の29日目の有楽町駅の報告

 

 山手線一周、一人一票実現運動の29日目で最終日の11月29日、有楽町駅でアピール演説とティッシュ・ カード配布を行い、山手線一周駅伝活動を終えた。

 この日は、一人一票実現国民会議ののぼりの竿を紛失し、やむなく手持ちでかざすなど工夫を凝らしてのアピールとなった。思えば11月1日、大改装の真っ最中の東京駅を振り出しにして29駅を回ってきた。まるでマラソンランナーのゴールのような気分になったが、運動そのものは今後も続く。

 この草の根運動の1つを見て、体験して感じたことをいくつかあげてみたい。まず、この駅伝アピールの先導役をした田上純さん、さらにサポートしながら同志として活動をした山下頼行さんには、心から敬意を表したい。 さらに週末になると繰り出して一緒に活動をした同志の皆さんと、ティシュカードの準備やマイク・スピーカーの提供をして後方支援をした伊藤塾とそのスタッフの皆さんにも敬意を表したい。

 一人一票実現運動を始めた升永英俊氏が語っているが、この運動は草の根運動であり、草の根運動とは苦しみを伴う行動であるとしている。山手線一周アピール運動は、まさに草の根運動の1つであり、その実践には堅い信念と辛抱強い行動力が要求される。

 毎朝、8時から駅頭に立ち、マイクを手に一人一票実現のアピールを行い、ティッシュ・カード配りをする行動力は、この運動の成果を信じなければ出来ない。 筆者は途中で出張があって6日間は休んだが、残りの23日間は通いつめてティシュカード配布を手伝った。その行動を通じて、多くの国民にこの運動の意義を浸透させることは並大抵のことではないという思いの一方で、呼びかければ関心を持ってくれる人々がいることも実感として味わった。

 これから不特定多数の人々に関心をもってもらうためには、この運動の効率性も考える必要があるだろう。みんなの党が一人一票実現運動を重要政策遂行の一つに挙げてくれたことは大変なことであり、同党の活動を支持していきたい。また駅頭でのティッシュカード配布運動にしても、大きなターミナル駅でやるほうが効率性という点では意味がある。

 さらに重点日を決めて、全国一斉アピール日を設定して運動することも大変意味がある。草の根運動も全国の同志が呼応してこそ意味が出てくる。これからの展開を同志と話し合いながらさらに波及させていくことを誓いたい。

 

 
ジャンボ宝くじの売り出しキャンペーンではありません。一人一票実現運動の呼びかけアピール演説はいつもそれなりの注目をひいていた。

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の28日目の新橋駅の報告

 

 山手線一周、一人一票実現運動の28日目は、11月28日、新橋駅のSL広場で行われ、アピール演説とティッシュ・ カード配布を行った。 新橋駅は、駅頭での活動発祥の駅でもある。SL広場は人の流れが多く、年末を控えて飲食店などのチラシ配布も目立つ。いわばライバル多数の中での活動となった。

 この日は田中さんが参加して3人であわただしい活動に入った。ただ、田上純さんが仕事の都合で早期に引き上げ、山下頼行さんと田中さんが予定分のテッシュを瞬く間に配布。いつものようにカードに切り替えたが、やはり苦戦したようだ。消費者金融のテッシュ配布の後に続いて配布を試みたが、受け取り非常に少なかったという。

 明日はいよいよ最終日の有楽町である。有終の美を飾りたい。

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の27日目の浜松町駅の報告

 

 山手線一周、一人一票実現運動の27日目は、11月27日、浜松町駅で行われ、アピール演説とティッシュ・ カード配布を行った。 この日は、休日なので応援が期待されたが、高橋昭英さんが駆け付けてくれた。 浜松町駅は、モノレールがあるので旅行に出かける人が多く、山手線の中でも特色ある人の流れだった。

 

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の26日目の田町駅の報告

 

  山手線一周駅伝一人一票活動は、11月26日、田町駅で行われ、千葉県から駆け付けたサポーターの高橋昭英さんを加え、田上純、山下頼行さんお3人で行った。筆者はこの日から秋田、函館出張のために欠席したが、活動の様子はサポーター同士から連絡があり、ここで報告することにした。

 いつものように山下さんが用意した一人一票実現ティッシュ500個(段ボール1箱)は、週末とあって普段よりかなり多かったが、3人で配布が始まると順調にはけてしまった。週末は歩くスピードがゆっくりなので、気持ちよく良く受け取ってくれるという印象だったようだ。

 ティッシュを受け取った方も、時間的に余裕があるせいかじっくり見てくれる人が多かったようだ。27日は浜松町、28日は新橋駅と進が、いよいよ今回のごーるも見えてきた。28日には田中健太さん慶応義塾大学大学院)が参加表明しており、池袋駅に続き、今期、2回目の活動となる。

 



 

 

自民党・加藤紘一議員に一人一票実現運動を説明

 

 自民党の元幹事長で同党の重鎮の一人である衆議院議員の加藤紘一先生に、一人一票実現運動を理解してももらうため、筆者と山下頼行さんの2人は、11月25日、品川駅での駅伝活動に続いて永田町の衆議員第2議員会館を訪れて、加藤先生と会見した。

 いま国会開会中であり、スケジュールが非常にタイトな状況にありながら、この時期にわざわざ面談の時間を作ってくれた加藤先生にまず、感謝の言葉を述べた。用意した資料をもとに説明する予定だったが、加藤先生には時間もほとんどないこともあり、資料説明は割愛して20分ほどの意見交換の場となった。 

 冒頭に加藤先生から一票の格差問題は、「過去、30年間、このテーマを問うシャワーを浴びてきているので(問題の所在は)分かっている」としたうえで、次のような見解が述べられた。

 「確かに一票の格差は問題ではあるが、都会の有権者が投票に行かないことのほうが問題ではないか。投票もしない人間が一票の格差をなくせと主張するのは理解しがたい。田舎の人々は、日常的な生活の中で自分たちの生活が政治に左右されていることを実感している。したがって投票する行動で自分たちの考えを政治に反映させようとしている。

 投票行動と一人一票の格差とは、次元の違う問題ではあるが、いま自分にとって一番重要な課題は、政治の劣化である。その原因は小選挙区の弊害からきていると信じており、中選挙区に戻す必要がある。そのときに、一人一票に少しでも近づける方法をとるべきではないか」

 大略、そのような意見を述べた。これに対して、山下さんは一票の最大格差の推移とこれまでの判決の流れ、一票の重みと高齢化指数の相関関係、一票の格差と待機児童のマップなど、独自のデータを示しながら、「一人一票の格差問題と、政治の劣化や中選挙区回帰の問題は次元の違うものではないか」と食い下がった。そして、一人一票実現は、日本の民主主義と政治にとっても重要な課題であることを主張した。

 しかし、加藤先生は、「形式的な論議は意味がない。日本の政治がどうして劣化してきたかというような大きなテーマで論じたほうがいい」という見解を示し、一人一票実現運動の本質的な意味が、正確に理解してもらえなかったように感じた。

 しかし筆者は悲観はしていない。この日は、あわただしい時間で意見を出し合っただけであり、憲法論議もしながら一人一票実現運動を語れば、法学部出身の加藤先生に理解してもらえると信じている。加藤先生と筆者は、15年以上のお付き合いであり、加藤先生の人柄と政治的な器量を理解している積りなので、必ず理解してもらえると確信している。今後も時間を見つけ、このテーマで加藤先生と話を続けていきたい。

 また、この日の会見から、自民党の良識派でありリベラル派として知られる加藤先生の見解から、永田町の多くの政治家の一人一票格差問題に対する考えを類推することができ、大変参考になった。

 

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の25日目の品川駅の報告

 

 

 山手線一周、一人一票実現運動の25日目は、11月25日、品川駅で行われ、アピール演説とティッシュ・ カード配布を行った。品川駅は、山手線の西側にある大きなターミナル駅であり、今回、初めて早朝から立って見てその人の流れの巨大さに圧倒されてしまった。

 港南口と高輪口に二分されているが、人の波は10対1くらいの割合で、港南口に流れていく。その人波は半端な量ではなく、まるで洪水のように間断なく改札口から吐き出されて流れていく。待ち合わせ場所の不手際から、田上純さんと筆者、山下頼行さんと別れてしまったが、港南口の一角に行ってみると、早くも山下さんがアピール演説を始めていた。

 早速、田上さんと筆者とでティッシュカードの配布に取り掛かるが、手渡すのが忙しくてこちらがあわてるほどに受け取りがいいこともあって、予定の数はあっという間に、はけてしまった。この日の人の流れとティッシュ手渡しから得た収穫は、ウィークディの場合、この品川駅のように巨大な人波のあるターミナルで活動することが一番、効率がいいことが分かった。

 当たり前のことではあるが、効率という点を考えると、活動する側も、ある時には人海戦術で展開することも重要ではないかと思った。さらに週末のように出勤・通学と無関係の場合は、渋谷、新宿、上野のようなターミナル駅で、それなりに余裕をもって展開すると、受け取る人々との接点、会話の機会もあり、また違った意味があると思った。

 今後の活動の展開について考える材料が、今回の山手線駅伝活動でいくつか得られた。

 明日の26日から3日間、筆者は大学の仕事で秋田、函館に出張するので駅伝活動は欠席するが、写真と簡単な報告は引き続きこの欄で掲載する予定である。

 

 

 

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の24日目の大崎駅の報告

  

 山手線一周、一人一票実現運動の24日目は大崎駅で行われ、ティッシュ・ カード配布を行った。この日は、田上純、山下頼行さんと筆者の3人は、それぞれ午前中から予定があるためティッシュ配布もリレー式になった。

 このためそろった写真撮影は無理となり、独りずつの撮影。田上さんが活動準備をしたあとにあわただしく去った後、山下さんがほぼ入れ違いに現れて、あっという間に予定のティッシュを配布してしまった。大崎駅は再開発後にビル群が建ったために通勤の人波が切れ目なく押し寄せる。ティッシュ配布も人の密度に比例することを立証したような活動だった。

 12月3日のサポーター大会の資料について作成者の山下さんから簡単な説明を立ち話で聞いたが、なかなか示唆に富んだ視点のデータを盛り込んでおり、12月25日に予定されている自民党の加藤紘一議員への説明に一部使用することになった。

 

 

 

 

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の23日目の五反田駅の報告

 

 山手線一周、一人一票実現運動の23日目は五反田駅で行われ、ティッシュ・ カード配布を行った。この日は休日とあって、人の動きもゆったりした流れである。いつも感じることは、やはり休日、週末は受け取り率が高いのは、それだけ時間的に余裕があるからだろう。

 田上純さんがアピール呼び掛け、その横で山下頼行さんと筆者がティッシュカード配布をしていたが、この光景をカメラに収めている若い男性がいた。この方は、後で分かったことだが広島県から来た方で支援者の一人だった。すぐにツイッターに投稿しているので分かった。

 素早い対応ぶりに感謝、感激だった。山手線一周も最後の山場に差し掛かってきた。あと6日である。明日は大崎。頑張りたい。

 

 

 

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の22日目の目黒駅の報告

 

三谷英弘代議士(左)も駆けつけて、カード配布を精力的に行い、アピール演説も行った。 

 山手線一周、一人一票実現実現運動の22日目は目黒駅で行われ、ティッシュ・ カード配布を行った。 この日は、晩秋で一番の冷え込みとなり、冷たい風が吹き抜けていく。目黒駅頭は、日差しは明るく温かい雰囲気だったが、ティッシュの配布を始めるとたちまち指先の感覚が鈍くなってきた。

 田上純さんのアピール開始と同時に山下頼行さんがティッシュ配布を始めると、間もなく衆院議員でみんなの党の三谷英弘先生が加わり、やおらカード配布を始めた。こちらはコートを着た重装備だが、三谷先生はコートなしの溌剌たる姿勢で、185センチの長身を折り曲げてカードを差し出す。

 それとなく見ていると、やっぱり姿勢と熱意が伝わるのか、受け取りが多い。筆者はティッシュならまだしもカードとなると自信がない。ほどなく田上さんからマイクを受け取った三谷先生は、一人一票実現国民会議の運動を紹介しながら、一票の格差問題を分かりやすく解説しながら訴えていた。

 12月21日付け、日本経済新聞第2社会面下段の意見広告を引き合いに出しながらのアピールであったが、党名はほとんど出さずに一人一票実現国民会議の運動を前面に出してアピールする姿勢は素晴らしいと思った。この問題は、一つの党派や団体のものではなく国民全体の問題である。

 三谷先生のアピール演説は、そのような思いをにじませたものだった。 このような政治家が出てきたことを心から喜びたいと思う。

 

 
冷たい風をものともせず、一人一票実現を訴える田上さん

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の21日目恵比寿駅の報告

 

 山手線一周、一人一票実現実現運動の21日目は恵比寿駅で行われ、ティッシュ・ カード配布を行った。恵比寿の朝も他の駅と同じように引きも切らない人の波である。筆者はこの日、神奈川県に出張の予定があり、冒頭の15分だけティシュ配布をしたが、手渡しは上々だった。 いつものように田上純さんと山下頼行さんの奮闘に託して、恵比寿駅を後にした。 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の20日目渋谷駅の報告

 

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活動スタッフは、この後からも続々集合して今期最高の16人に膨れ上がった。
    

 山手線一周、一人一票実現運動の20日目は、首都圏の代表的なターミナルである渋谷駅で行われ、今回の「駅伝活動」最多人数の16人が参加し、アピール呼びかけとティッシュ・ カード配布を行った。

 渋谷駅での日曜日の活動とあって、石井洋子さんはじめ、山田世羅さん、藤原豊さん、21世紀構想研究会の峯島朋子さん、鶴本圭子さん、山本友紀さんら伊藤塾のスタッフが8人も駆け付け、田上純、山下頼行さんに加えた16人が、宮益坂口の駅頭で活動を開始した。

 さすがに渋谷の人の流れはすごい。とめどなくつぎから次へと人波は続く。500個のティッシュが詰まっている段ボール6個を見たときには、とても捌き切れない数に思えたが、そこは人海戦術もあって、約1時間半で3000個がすっかり「売れ切れ」となってしまった。

 宝くじボックスのおばさんに聞いたら、「そりゃすごいわねえ。私らはそんなに売れたことないから」と妙な感心をされたが、好意的なおばさんの反応には嬉しくなった。いつも思うことは、ティッシュを手渡す際の受け取る人たちの反応である。

 この日も若い青年に「ありがとうございます」と丁寧にお辞儀をされたときにはびっくりしたし、「ご苦労様」と若い女性に言われた際にもびっくりした。ティッシュを出した瞬間、相手が微笑みかけたのでよく見ると、一人一票実現国民会議事務局長の伊藤真先生だった。にっこりされて「これから講義がありますので」と足早に去って行った。

  

 写真右は、一人一票になっていない日本地図を見せながら説明して理解を深めてもらった。

 鶴本さんは、巨大な日本地図に一票の格差を図示したポスターを持参して広げ、格差の理不尽さを訴えていた。何人かの人々が話しかけてきたり質問をしてきた人もいて、それなりの反応があるのは、見ていて心強く感じた。

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の19日目原宿駅の報告

 

 

 山手線一周、一人一票実現実現運動の19日目は原宿駅で行われ、今回の「駅伝活動」最多人数の5人が参加してティッシュ・ カード配布を行った。 この日の東京地方は朝から小雨模様になり、配布をスタートしたころには霧雨風の空模様となった。

 田上純、山下頼行さんの常連メンバーに加えて山下めぐみさんが参加、ほどなく荷物をいっぱい抱えた石井洋子さんが参加してにぎにぎしいスタートとなった。筆者は最初、集合場所を間違えて「竹下口」の駅頭にいたが、人は大勢いるが「子供」ばかりがうろうろ。どう見ても選挙権はまだという年代層だ。

 しかし活動は、表参道口と分かり、こちらに回ってみると「大人」もかなりいるのでほっと一安心。みぐみさんが転がしてきたキャリアバッグの中身は、テッシュがぎっしり。そこへ石井さんもかなりのティッシュを持参されているので「タマ」は相当にあると思っていた。

 がしかし、思いのほか受け取り反応がよく、筆者が手渡した子供風の「大人」に、「カードの中身も読んでね」と声掛けしたら「はい!」という元気な反応。これが原宿なんだ。あっという間にティッシュは「完売」となった。いつものことだが、複数で手渡しが始まると競うようにしてやるので、あっという間である。

 週末の配布は、受け取り反応がいいので、ついこちらも張り切ってしまう。明日は、渋谷。めぐみさんの話では、「タマ」も相当の数を用意するという。みんな、張り切る様子が目に見えるようだ。

  

石井さん(左の写真)と山下めぐみさんの手渡し雄姿。一人一票実現運動の

もっとも美しい街頭活動の一つの光景である。

山下頼行さんのアピール演説もそれなりに良かった。

 

石井さんが持参したお土産の葉っぱ付きみかん。

その大きさにびっくり。携帯電話と比べてみると分かる。

 

 

 

 

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の18日目代々木駅の報告

 

 山手線一周、一人一票実現実現運動の18日目は代々木駅で行われ、ティッシュ・ カード配布を行った。 この日も午前8時に駅に到着すると、早くも「先客」がのぼりを掲げて忙しく行き来する人々に訴えるている最中だった。

 見れば日本共産党の活動である。代々木は共産党の本部のある拠点であり、日本共産党のことを「代々木」というほどである。さすがにその本拠地だけあって、見ていると手慣れた感じが出ている。新聞を配る人のさばき方も参考になった。

 こちらはいつものメンバー3人でティッシュ・カードの配布を行ったが、気のせいか受け取りかたもいい感じだった。午前中には筆者の大学でミーティングがあり、その席で一人一票実現運動のカードを配って少々理解を求めた。

 昨日は、みんなの党の党員から連絡があり、一人一票実現には党をあげて取り組んでいるという。一人一票実現国民運動でも、みんなの党の一人一票実現の政策を支持しているということを改めて伝えると非常に評価してくれ、これから同じ目的の実現に向かって頑張ることで一致した。

 

 

 

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の17日目新宿駅の報告

 

  山手線一周、一人一票実現アピールの17日目は、首都圏最大のターミナルである新宿駅で行われ、田上純、蓼沼紘明さんが駆け付けて多くの人たちに一人一票カードの入ったティッシュを配りながら実現を訴えた。

 この日は、力強い援軍が来た。蓼沼さんである。冷たい風が吹いているので、用心して中に厚着してきましたといいながら街頭に立つと「一人一票実現運動です」といちいち声を掛けながらティッシュ配布を始めた。朝のラッシュタイムには、話を聞いてくれる人はいないが、それでも声掛けをすると注目してくれる人もいる。

 筆者はもっぱら「おはようございます」の一点張りの声掛けだが、それでも数人に一人は何らかの反応や返事を返してくれる。ときには丁寧に立ち止まってお辞儀までしてくれる人もいる。このように街頭での活動にもいろいろな対応があるので、これからもそのコツを会得することを深めていきたい。

  

 蓼沼さんの手渡し(左)と田上さんの手渡しには独特の雰囲気があって、筆者には参考になった。

 

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の16日目新大久保駅の報告

 

 
新大久保駅の看板は、左上にかすかに見えます。

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 山手線一周、一人一票実現実現運動の16日目は新大久保駅で行われ、 ティッシュ・カード配布を行った。 この日は、冷たい乾燥した風が強く吹いており、風邪には要注意の日である。雨よりはいいものの、やはり街頭での活動には大変だという実感で駅に降り立った。

 ところが、駅頭にはすでに「先客」がいたのでびっくりした。地元の区会議員が、コートも着ないで辻立ちの演説をやっている。感心して見ていると、これが大変的を得た内容であり、心情的に応援したくなった。ともかくもこちらも、いつものように田上・山下の強力コンビが体制を整えていざアピールを始める段になってハプニングが生じた。

 スピーカーを作動させると、なんと10メートルほど離れた辻立ちの議員の演説をもろに拾ってこちらのスピーカーからも発声することが分かった。何度か調整するも改善できず。仕方なく、田上・山下コンビの名アピールは中止して、ティッシュとカードの配布となった。

 一人一票実現運動の「一人一票」というスローガンンは、升永英俊弁護士が言い出した言葉である。これは本人に聞いてみると、英語で言う one person one vote  を翻訳したものだというが、名翻訳である。このスローガンを言うだけで、一票の格差という目的が大体伝わるからだ。

 そんなことを思い出しながら冷たい風を避けながら道行く人たちにカード配布を行った。

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の15日目高田馬場駅の報告

 

 

 山手線一周、一人一票実現実現運動の15日目は高田馬場駅で行われ、 カード配布を行った。 高田馬場駅は、学生の街だけあって若い世代が多い。それだけにカード受け取りは「苦戦」を強いられると予想していたが、はやり非常に難しかった。

 朝の出勤、登校時は誰でも忙しい。人のことには構っていられない。そんな雰囲気が誰にも感じられる。そういう人たちにカードを受け取ってもらい、しかも一人一票実現運動を理解してもらうのは至難の業である。しかし升永英俊弁護士がタネをまいたこの運動を何としても浸透させて実現にこぎつけたい。

 そのような思いを込めてこの日もわずかな時間だったが同志の山下頼行さんとともに活動を行った。筆者はこの日、成人病検診があるために途中で戦列を離れた。

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の14日目目白駅の報告

 

 山手線一周、一人一票実現アピールの14日目は目白駅で行われ、 予定していたティッシュカードをあっという間に配布し、カードに切り替えるほどだった。ティッシュの「売れ行き」はやはり上々である。カードだけでは、なかなか受け取られない。

 この日は、田上純さんが配布役、山下頼行さんがマイクを握ってのアピール役となり、それぞれ持ち味を出した活動だった。写真はバックの「目白駅」の文字を入れたつもりが、今見ると「目」が入っていなかった。残念。

 ところで、筆者は昨日朝早く、宮城県に向かい大震災で壊滅的な被害を受けた南三陸町とその周辺を視察した。惨状の見たままはこのブログで別途報告したが、その道々、関係者に一人一票実現運動のあらましを話した。

 聞いた人は理解を示し、この運動の本質が分かったという反応だった。また、折しも宮城県会議員選挙の当日であり、私の知人も支援としている候補者がいる。夜遅くの開票結果を聞くと見事に当選。さっそく一人一票実現運動に理解してくれるよう当選議員に働きかけた。

 国政選挙ではないものの、地方自治体選挙でも一票の格差は同じである。まず国政の是正が先だが、地方レベルの格差問題も残っていることになる。

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の13日目池袋駅の報告

 

 山手線一周、一人一票実現アピールの13日目は池袋駅で行われ、田上純、山下頼行、田中さんが駆け付け、日曜日で賑わう大ターミナルの駅頭で多くの人たちに一人一票実現を訴えるティッシュカードを配ってこの理不尽な格差の是正を訴えた。

 この日は、新メンバーの田中さんが応援に駆け付けてくれた。田上さんのアピール演説とティッシュ配布を平行して行ったが、山下さんの感想では意外と若い女性が受け取ってくれたようで、うれしくなったとのこと。確かに若い世代は女性に限らず、受け取らない人が多い。

 たまに受け取ってもらえると、手応えらしいものを感じるから不思議である。ともかくも、多くの人々に関心を持ってもらうためには、この行動も無駄ではない。まだ、山手線駅伝は半分まで来ていないが、長丁場を一歩一歩踏みしめて行こう。

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の12日目大塚駅の報告

 

 山手線一周、一人一票実現アピールの12日目は大塚駅で行われ、田上純、山下頼行、鶴本圭子さんが駆け付けて多くの人たちに一人一票実現を訴えるカードや新聞切り抜きを配った。

 この日は週末とあって鶴本さんも応援に駆け付け、いつものように新聞切り抜きとカードを丹念にクリップとめした資料を配布した。またこの日は産経新聞に意見広告が掲載されたので、その新聞も広げて道行く人々に話しかけた。

 マイクで呼びかける田上さんによると、この日は3人の人から「頑張ってください」という声を掛けられたという。「こんなことは、初めてです」と嬉しそうだった。筆者もティッシュカードと、「鶴本資料」の両方を配布したが、週末の通行人は余裕があるせいか、よく受け取ってくれるしまた関心も示す。

 大阪から来たという男女二人連れは、大阪だから関係ないのでは・・という反応だったが、これは日本全体の問題であり、大阪府民も同じ理不尽の中にあることを説明するとすぐに納得した。しばし雑談となったがいま大阪では熾烈な選挙戦を展開中。支持する候補は?と水を向けたら「橋下さん」とはっきりと答えていた。

 ウィークディの朝の出勤時間帯だと忙しい時間になるので、受け取るのもやや鈍くなるようだが、週末は雑談に応じてくれる人もいるので嬉しくなる。山手線はまだ半周にもなっていないが、このように行動を起こして訴える運動はやはり、生の反応を体験できるので今後の運動の展開に参考になる。

 13日の日曜日は、筆者は宮城県南三陸町へ大震災の被災者訪問で出かけるので、カード配布は月曜日から再び復帰する予定である。

 

 

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の11日目巣鴨駅の報告

 

 
 この日は本降りの雨なので、アーケードの下で活動をした。
このため巣鴨駅の看板が見える位置ではなく、このような写真となった。
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 山手線一周、一人一票実現アピールの11日目は巣鴨駅で行われ、田上純、山下頼行さんが駆け付けて多くの人たちに一人一票カードの入ったティッシュを配りながら実現を訴えた。

 この日はあいにくの雨。山手線一周う駅伝が始まって11日にして初の雨となった。朝の出勤や通学に急ぐ人々は、傘を手にしているので空いている手がない。ティッシュ配布も思うようには受け取ってもらえないという悩みもあった。しかし、受け取った人からは、「頑張ってください」と声をかけられることもあり、元気づけられながらキャンペーンを展開した。

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の10日目駒込駅の報告

 

 

 山手線一周、一人一票実現アピールの10日目は駒込駅で行われ、多くの人たちに一人一票カードの入ったティッシュを配りながら実現を訴えた。

 筆者も午前8時から駆けつけてティッシュ配布を行ったが、山下頼行さんにはかなわない。よく見ていると配布にもコツがあって、実にタイミングよく受け取らせているように見える。田上純さんのアピール演説も、なかなか堂に入ったものであり、この運動が間違いなく広がっていくことを実感した。

 高校生か大学生かよくわからない自転車の男の子にティッシュを手渡して聞いてみると、まだ選挙権はないという。しかし一人一票実現運動を手短に説明すると、「はい、分かりました。勉強します」と言って一礼すると、変わった信号と同時に走り去った。今日も配布してよかったと思った。

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の9日目田端駅の報告

 

山手線一周、一人一票実現アピールの9日目は、田上さんと山下さんが参加していつものように始まった。ところが、JR労組による駅前街頭活動が展開されていることから、彼らに配慮することになり、スピーチは途中で断念して一人一票実現ティッシュ配付だけに切り替えた。


 しかし、用意していた250個のティッシュは、瞬く間に配り切りって終了。ティッシュのはやはり少しは推進力がありそうだ。差し出したティッシュの手を出した中年の女性が一人一票実現運動のマスコットに気付いたのか、「あ、一人一票ね」と言って受け取ってくれたという。二人とも「大変嬉しかった」と連絡があった。

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の8日目西日暮里駅の報告

 

  

 山手線一周、一人一票実現アピールの8日目は、田上さんと山下さんの仕事の都合から急遽「朝活」から「夜活」となり、午後7時から同8時まで活動を行った。

 この日は、二人とも勤務先から急行したためカードの持ち合わせがなく、交代で道行く人々に一人一票実現の運動の趣旨と現行の不条理な制度を訴えて、これを改正するアピールを行った。

 初の「夜活」であったが、帰途に向かう人が多いせいか、耳を傾けてくれる人の割合は高かったという印象だったようだ。立ち止まって聞いてくれる方もいたこともあって、二人とも改めて一人一票実現運動は草の根運動であることを実感したという。筆者は、広島出張で支援できなかった。

 写真は他人に依頼して撮影してもらったので、ややピンボケとなっているが、初の「夜活」のしかも貴重な足跡写真だから我慢して掲載した。

 

  

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の7日目日暮里駅の報告

 

 山手線一周、一人一票実現アピールの7日目は、日暮里駅で行われ、田上純さんと山下頼行さんの2人が、出勤、通学に急ぐ人たちに、一人一票実現を訴えるティッシュ付きカード配りを行った。

 ベテランの2人とあって配布するのも手際がいいようだ。筆者の経験でも、手際の良し悪しがある。この日はわずか30分で125部を配布したというのを聞いてびっくりした。ティッシュをもらった人の中には、「おっ、なんだこれは?」とでもいうようにじっと見つめてくれた人も多かったという。

 筆者は、今日から3日間、広島市での学会に参加するために山手線駅伝カード配布は欠席となったが、帰京後はまた復帰する。

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の6日目鶯谷駅の報告

 

 山手線一周、一人一票実現アピールの6日目は、鶯谷駅で行われ、多くの人たちに一人一票の実現を訴えた。また、カードとチラシ配りを行い、関心を示した人への説明も行った。

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の5日目上野駅の報告

 

 山手線一周、一人一票実現アピールの5日目は、上野駅で行われた。この日は鶴本圭子さんもチラシを持参し意見広告ももって応援に駆け付け、田上純さんのアピール演説の横でカードとチラシ配布を行った。

 上野駅頭は週末とあって遠方から来訪した人も多く、切れ目なく人の流れがある。これまでの駅頭でのチラシとカード配布で感じているのは、若い人の関心がほとんどないことである。一人一票の本質的な問題は、これからの日本の民主主義の確立ということにあるだけに、実際には若い世代に課せられた課題であるはずだ。

 しかし、若者がほとんど関心を示さないのは残念だ。この日、筆者の配布に関心を見せて会話をしてくれた人は、いずれも年配の方だった。東京都東村山市から来たという男性は、「一人一票の実現は大事だよ。私は分かっている。頑張ってほしい」と笑顔で言ってくれるたで本当に嬉しくなる。

 また女性は、最高裁判事の国民審査の意味をだいたい理解しているが、×をつける基準が分からないという。一人一票についての最高裁裁判官の意見について説明すると「よくわかりました。×つけますよ」と言ってくれた。さらに愛知県から来たという年配のご夫婦とお嬢さん(20歳代と思われる)3人は、熱心に筆者の説明を聞いてくれ、チラシにも目を通してくれて賛意をしめしてくれた。

 筆者はこの日、大学での会議があるために最初の30分間だけの配布活動だったが、これまでに一番反響があった。ただ、若い人々と話し合う機会がないのが残念だ。

 

 

 

 

 

 

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の4日目御徒町駅の報告

 

 山手線一周、一人一票実現アピールの4日目は、御徒町駅で行われ、出勤を急ぐ人々にカードとチラシ配布を行った。

 御徒町駅を降りてくる人々は、地下鉄・大江戸線に乗り換える人が多い。午前9時過ぎからオープンとなる商店が多いようで、8時前からの人の波は、乗り換え口に急ぐ人の波であわただしい動きだった。9時前あたりから、駅を取り囲むように広がる商店の関係者が出勤する姿が目立った。

 田上純さんの呼びかけは、8時過ぎから始まり間断なく続いていたが、やはり呼びかけは関心を呼ぶことが多く、立ち止まって様子を見たりのぼりを見ていく人もいた。意見広告の新聞切り抜きと同じように裁判官の名前のわきに「×」がついたカードは、一目見て関心を抱かせるらしく、覗き込んだ人は受け取ることが多かった。

 

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の3日目秋葉原駅の報告

 

 田上純さんが活動する、山手線一周、一人一票実現アピールの3日目は、秋葉原駅で行われ、山下頼行さんと筆者も応援に駆け付け、カードとチラシ配布を行った。

 この日は文化の日であり、駅頭は外国人も含めた買い物客で朝からにぎわっていた。田上さんと山下さんが交互に辻立ちアピールを行い、一人一票になっていない日本の現状についてその不条理を訴えた。電気街の広場には多くの若者たちが三々五々集まっていたが、訴えるスピーチに関心を示す人もいた。

 この日は、筆者も初めてチラシを配布してみた。このチラシはA4で一枚に簡潔にまとめた現状の一人一票のインチキさを訴え、国民全員が主権を行使するために考え直そうと呼び掛けるもので、これまでは講演会などで配布していた。

 カードと一緒に配布したが、両方をもらうとまずチラシを読み始める人が多く、この配布にはそれなりに意味があることが分かった。チラシはいくつか用意しているので、今後は内容を改良しながら、より成熟したものにしていきたい。

 明日は、御徒町であり、出張に出る山下さんは来れないので、田上さんと筆者の2人で頑張りたい。

「一人一票実現・山手線一周駅伝アピール」の2日目神田駅の報告

 

 田上純さんが活動する、山手線一周、一人一票実現アピールの2日目は、神田駅で行われた。田上さんの辻立ちスピーチをした神田駅北口は、銀座線との乗換経路ということもあってか、多くの通勤・通学者が行き交い、いつものことだがあわただしい朝の風景だった。

 田上さんは、「国民審査で一人一票は、必ず実現できます」とアピールすると、通りかかった高齢の男性が「具体的にどうすればよいのか?」と詳細を尋ねらきた。田上さんは、マイクを置き、「0.6票君カード」を示しながら説明したところ、相手の紳士も理解したようだった。

 再び、スピーチに入ったところ、援軍来る! 熱心なサポーターの一人である山下さんが到着。出勤前の二人でスピーチと「0.6票君カード」配布を行った。

 あっという間の1時間だったが、昨日の初日・東京駅で男性からもらった「twitterフォローしているよ。がんばって!」というエールに続き、この日は国民審査にまつわる質問もあるなど、「昨年10月時点と比べても、関心の高さを肌で感じることができた」と田上さんも満足そうだった。

 明日は秋葉原駅で10時からのスタート、「一人一票実現ティッシュ」配布の予定である。筆者はこの日から群馬県に出張中であるが、今後もこの活動を広報する立場でインターネット発信を続けたい。

 

 

一人一票実現活動の山手線一周「駅伝」を再開

 

  一人一票実現国民会議の活動の一つとして頑張っている、山手線一周の「駅伝」訴えが、11月1日から始まった。これまで合計3回決行しているので、今回は4度目の決行となった。

 この日は、田上純さんが拡声器、旗、配布カードの3点セットを持参し、午前8時から、東京駅丸の内南口の一角に立って、通勤を急ぐ人々に一票の格差の不条理と改善への熱意を訴えた。

 いま東京駅は大改築の最中で、駅構内付近は立ち入れない。田上さんは構内から出た路上の一角に「店」を広げて活動を行なった。全国各地の一票の格差を訴えながら、この格差を是正するのは国民一人一人の意識改革につながっているなどの主張を呼びかけた。

 通勤を急ぐ人々の中には、おやっと眼を転じて田上さんと国民会議の「のぼり」を見て、何となく支援する眼差しを感じることもあった。この日は初日であり、明日からは神田、秋葉原・・・・と順次、山手線を一周する予定である。

 筆者は、時間が許すときに参加してカード配りくらいしかできないが、このような草の根行動の支援に少しでも役立とうと気持ちだけは持ち続けている。いつも話題にしている学生諸君にも、いい影響が出てくることを期待している。

 

 

 

 

みんなの党が一人一票実現におおきな一歩

 みんなの党の渡辺喜美代表が、10月21日のメルマガで次のようなメッセージを党員らに伝えた。

 【一人一票比例代表制】

 政治の最終決定は選挙で行われる。選挙は、投票価値も含めて「一人一票」でなければならないのは当然だ。

 「一人一票実現国民会議」の発起人の一人である升永英俊弁護士は、「一票 の格差」問題に取り組んできた。
 升永弁護士は、「一票の格差が生じている現行選挙法の下では、有権者の多 数決ではなく、少数決となっている。
 これでは真の民主主義が実現しているとはいえない」、と語る。

 みんなの党は、今日、衆議院選挙制度改革案として、「一人一票比例代表制 (ブロック単位)」を正式に発表した。
 中西健治選挙制度改革本部長が中心となってまとめたもので、定数300(180 の大幅削減)とする新たな比例代表制だ。

 これは、政党名か現行衆議院比例地域ブロック毎に政党が示す非拘束名簿記 載の候補者名のいずれかを投票する仕組みである。
 政党票・候補者票を政党得票として全国で合算集計した得票に基づき政党毎 の議席を確定させるから、一人一票が実現する。

 これを早速、選挙制度改革協議会に提案した。
 しかし、民主党や自民党は、「一人一票」の実現にやる気なし。
 6増6減とか、0増5減の小幅是正で済ませてから抜本改革の議論をやろう という。
 自民党は、「2パット方式」と述べるが、1パットで決めた方が良いに
 決まっている。

 また、区割り変更があるから、抜本改革はムリという声もある。
 だが、みんなの党案であれば、区割り作業は必要ない。
 次の衆議院選挙から実施できるのだから、それは理由にならない。屁理屈だ。

 そもそも、1票の格差を2倍未満にすればよいという考え方が間違っている。1票対0.49票ではダメだが、1票対0.51票でいいと考えるのがおかしい。
 あくまで1票対1票を目指すべきだ。みんなの党は一人一票を徹底追求していく。

 これは政党としては素晴らしい決定である。 衆議院選挙制度改革案として、「一人一票比例代表制 (ブロック単位)」を正式に発表したもので、画期的な政党公約である。みんなの党が政権につけば、この公約が果たされることを考えると、国民審査で最高裁判事のうち一人一票に反対している判事に「×」を付ける運動と並行してみんなの党を支持する運動に発展させたい。  

 

第10回YES!ナイト『一人一票YES!』の開催

 

 150人の若手企業家で発足したYoung Entrepreneur Society (YES!プロジェクト)の第10回イベントが、7月29日午後7時から、東京・麹町のグロービス経営大学院東京校で開かれ、約100人の参加者が出席して一人一票実現運動について考えた。

 パネリストは、この運動の火付け役である升永英俊弁護士のほかに、平将明・自民党衆院議員、三宅紳吾・日本経済新聞社編集委員、青木玲子・一橋大学教授、堀義人・YESプロジェクト発起人代表。ショートスピーカーとして武田薬品工業の長谷川閑史・代表取締役社長が加わり、モデレーターは佐藤大吾・YESプロジェクト発起人で展開された。

 最初にパネリストとショートスピーカーがそれぞれ自身の所見を述べて始まった。升永さんは、現行の選挙はデタラメ選挙区割りで選出された国会議員が多数決の原理で政治を行っている理不尽を訴え、一人一票を実現するには立法府は無理であり、最高裁裁判官を罷免する国民審査で実現する方法を訴えた。

 自民党議員の平さんは、国民が選んだ政治家と国民の間にギャップがあってはならないとし、その後の発言でも少数有権者に選ばれる地方選出の議員と多数の有権者から選ばれる都市部選出の議員の間では、政治的な判断にギャップが生じている現実を訴えた。

 長谷川さんは、一人一票が実現していない格差によって、地方にウエートが置かれ老齢者が優遇され、都市部の若い有権者が割を食っている。これからは個人認証して電子投票を取り入れ、24時間かけて投票するようなシステムを実現すべきだなど独自の見解を述べた。

 この運動はいま、来るべき総選挙の際に最高裁判事のうち、一人一票に反対している6人の裁判官を国民審査で×をつけ、罷免しようとする運動が先導している。実際に×を付けて罷免するには、投票総数の過半数を得なければならない。それには3000万人の投票者が×を付けないと成立しない。

 升永さんは、国民がいまこそ自覚して行動を起こし、日本に有史以来初めて民主主義を実現しようと呼びかけている。デタラメ選挙区割りは、まったくあきれた制度であるが、それに気が付かずに戦後60年間も認めてしまった国民にも相応の責任がある。

 今こそこの制度を打破して真の民主主義国家を作らねばならない。この日の発言で平さんが語った言葉に、100人の意向を動かすには10人の先導者がいればいい。1万人を動かすには100人の先導者、日本国民を動かすには1万人の先導者でいればいいという発言は非常に参考になった。

 一人一票実現運動に本気で取り組んでいく人が、全国で1万人いればいい。これはなんとなく実現可能な数字ではないか。それだけ気が付いただけでも、この日のイベントに参加したかいがあった。この運動には、頑張っていきたい。一人一票実現によって真の民主主義国家を築き、劣化してしまった日本の政治、行政、司法を立て直さなければ、今の子供たち若者の未来はない。

 

 

 

 

現行選挙は違憲状態とする歴史的判決

 
 

 一人一票実現運動を展開している人たちが起こしていた一票の格差は憲法違反とする選挙無効訴訟で、最高裁大法廷(竹崎博允長官)は2011年3月23日、法の下の平等に反して違憲状態にあるとする歴史的な判決を出した。

 判決では、現行制度の小選挙区の区割りを違憲状態としたもので、この選挙制度になってからは初めての最高裁判断である。人口比とは関係なく、各都道府県に1議席を配分していることが格差を生んでいるとしたもので、この方式の速やかな廃止を求めている。

 司法判断は、立法府の国会に是正を命じたものだが、もし国会がこの司法判決を無視するようなら、憲法も順守できない国会ということになり、日本の国の存立の根拠はなくなってしまう。

 この日の大法廷判決には、筆者も傍聴者の一人として入廷した。最高裁大法廷は、先の口頭弁論に続いて2回目の傍聴になる。司法判断の最高意思決定の言い渡しを最初に聞くだけに、それなりに緊張感がある。約130人が傍聴席を埋めていたが、15人の裁判官が入廷するとしわぶきひとつ聞こえない厳粛な雰囲気で主文読み上げを聴いた。

 

 

最高裁大法廷で上告審の口頭弁論行われる

 

 一人一票実現国民会議が中心になって取り組んでいる運動が、いよいよ大きなうねりになってきた。

 2011年2月23日には、これまで出ている9件の高裁判決に対する上告審弁論が最高裁大法廷で行われた。最高裁大法廷での傍聴は筆者にとっても初めてであり、日本の司法の最高の判断機関がどのような部屋と雰囲気にあるのか楽しみにして立ち会うことにした。

 大法廷での傍聴に先立ち、この日午前11時から、JR新橋駅前で一人一票実現を訴えるカード配布を行った。サポーター活動をしている約20人の人々が駆けつけ、それぞれカードの入ったティッシュを手にして駅周辺を行き交う人々に手渡して一人一票実現を訴えた。

 上の写真は、駅活が終了後に最高裁へ向かう直前に撮影した一コマである。この後、一行は地下鉄で最高裁に向かった。

 

 最高裁に到着すると、たちまちにして傍聴希望者の列ができ、約200人の定員をオーバーする人の列が最高裁の周辺を取り囲んだ(写真上)。原告側の弁護団、マスコミ関係者なども加わって、熱気をはらんだ行列となった。定員をオーバーしているとして抽選が行われたが、筆者は幸いにして傍聴券を引き当て、大法廷へ入る幸運を体験した。

 

 傍聴希望者の列に並んでいると、筆者のすぐ後ろにはなんとプロ野球の古田敦也氏も並んでいる。この運動には、旧知の升永英俊弁護士に聞いて関心を持ち、一人一票実現のために一市民として活動をはじめているという。写真は、一人一票実現運動を行っている学生とのツーショットである。 古田さんの手には傍聴券が握られていた。

 さて、長い列を作って大法廷へと進んでみると、確かにそのたたずまいは日本の司法を象徴する部屋らしく重厚な雰囲気を持っていた。約150人の傍聴席の椅子が、15人の最高裁判事が一列に並ぶその前に劇場の椅子席のように並んでいた、15人の裁判官が入廷と同時に傍聴人は一斉に起立して裁判官を迎えた。

 升永英俊弁護士、久保利英明弁護士、伊藤真弁護士の3人が国政選挙には一票の格差があり、憲法に違反しているとする主張を論理的に展開した。その中で特に印象に残ったのは「日本を正しい代議員民主主義国家にするため最高裁は正しい判断をすべきである」という趣旨を展開したことである。

 真の民主主義とはなんであるかを理路整然と説明した点で感銘を受ける弁論であった。3人の弁護士が論述している間、傍聴席はしわぶきひとつ発することなく、まさに水を打ったように静まり返り、厳粛な雰囲気の中で弁論は終始した。印象深い大法廷弁論であった。

 

 

 

 

 

 

一人一票実現全国一斉駅活を展開

 

 2011年2月6日。東京、福岡、名古屋のJRなどの駅頭で、一人一票実現を訴えるカードやティッシュ配りの活動が一斉に行われた。

 筆者は所要で午前10時からの開始には間に合わなかったが、少々の遅れで品川駅に到着すると、一票君のシャツを着こんだスタッフが、道行く人にカード&ティッシュを配布していた。さっそくその行動に加わったが、ティッシュを手渡す手が寒さでかじかんで思うようにいかない。他のスタッフは何事もないように配布しているのを見て、筆者は思わず熱意の足りなさではないかと感じてしまった。

 ところでこの日は、主要新聞に一人一票実現の1ページ意見広告が掲載された。一人一票の実現をするための方策として、国民審査で最高裁判所裁判官を罷免できる権利を行使しようという呼びかけである。憲法前文にあるように、国民が主権者であるから当然の権利として行使できる。

 前回の国民審査の結果も意見広告に掲載されているが、一人一票になっていないことでも合憲とした2人の裁判官への不信任票が突出して多い。これは総選挙の直前に、この運動の代表である升永英俊弁護士が意見広告で訴えた効果が数字となって出たものだ。

 一人一票実現に対する国民の関心は確実に広がっている。駅活もその流れを作る活動だが、それ以上に駅活に参加して行動している若い人たちのエネルギーにはいつも感銘を受ける。このエネルギーはやがて日本全体を動かす巨大なマグマに育つだろう。

 

 

一人一票実現の戦略ミーティングを開催

 

一人一票実現サインの一本指を突き立てて、これからの活動を誓い合った

  一人一票実現を推進しているグループのメンバーが、2011年2月4日、新宿に集合し、さる1月8日にプレスセンタービルで開催された「新成人・若手セミナー」の反省会と今後の推進戦略会議を行った。

 この日集まったのは11人で、学生・社会人の混成部隊である。筆者が升永英俊弁護士との出会いから一人一票実現運動に至った経緯などを紹介し、この運動の広がりについて意見を交換した。この運動の特徴は、誰に訴えても賛意を得られることである。

 ところが全国的な展開となると必ずしも盛り上がってこない。この日集まった学生の中には、将来政治家を目指す人もおり、社会人からは日本の将来を背負う政治家として富を生み出す政策に取り組むようにと早くも期待を寄せる声も出た。

 2月6日の全国一斉駅活には、できるだけ支援に集まることを確認し、楽しくも有意義な時間だった。

 

 

 

一人一票実現運動運営会議

 一人一票実現運動をサポートする人々が集まって、毎月1回開催している運営会議が1月11日、渋谷の伊藤塾会議室で開かれ、今後の運動展開などで情報交換をしたり意見を述べ合った。

 この中で一番話題になったのは、ツイッターをもっと活性化するためのアイデアである。ツイッター参加者が増えることによって、この運動の理解者が広がることになるので、周辺にいる友人・知人たちに働きかけをしていこうという意見が多かった。

 またこの会議では、さる1月8日に日本記者クラブのホールで開催された一人一票実現学生・若手セミナーの報告を21世紀構想研究会から行った。

  開催日の1月8日は、会場の空きがこの日しかなかったために開催したもので、当初の目的の新成人への働きかけがなかなかできなかったが、それなりの目的は達成できたと思う。

 

  学生にできるだけ自主的に開催・運営するように任せた。約10人の学生たちが自主的に運営に取り組んだもので、開催当日は、いくつか反省点もあったがほぼ合格点がでたと思う。学生諸君の取り組みは素晴らしかった。

 セミナーは第1部と第2部に分け、第1部では3人の弁護士の講話と連帯の挨拶、サポーター活動の報告などを行い、第2部ではセミナーの盛り上げに「一人一票実現クイズ大会」を行った。多数の景品は、この運動に理解を示す企業と多くの個人からの提供でまかなった。

 これからも若い人々のエネルギーを元にこの運動の輪を広げていきたい。

 

 

  

一人一票実現若手セミナーを開催

 

 「一人一票実現新成人・若手セミナー」が、1月8日午後2時から、東京・内幸町のプレスセンタービル10階の大ホールで開催され、約100人の参加者が集まって熱心に運動推進で意見交換を行った。

 この日は、今年成人を迎えた若者たちを対象に開いたセミナーだが、成人式を明日に控えているためか様々な予定が入っているせいか新成人は少なかったが、学生、若手がかなり参加してくれた。セミナーではまず、参加者が全員、自分の住んでいる地域の一票の格差について確認。続いてこの運動の火付け役になった升永英俊弁護士が、運動の意味を考える講話を行った。

 さらに久保利英明弁護士、伊藤真弁護士ら、この運動を理論的に指導しているリーダーからの講話が相次ぎ、それから駅活、弁護士ドットコムなどサポーターの活動報告があった。第2部では、一人一票実現クイズが行われ、正解者には次々と景品が手渡され、勉強しながらの楽しい余興で大いに盛り上がった。

 この日のセミナーで、筆者が特に印象を受けたことは2点ある。第1は、サポーターの一人である横井さんが発言した中で、これからは60歳以上の熟年層と20歳代の若い人たちが連携してさまざまな活動をするべきという提起である。

 60歳代以上の熟年層は、時間的、経済的に比較的余裕があり社会経験も豊富である。その長所と若い人々の未熟な思考ながら大きな行動力をうまくかみ合わせると巨大な力になるのではないかという提起である。これは筆者も同感だ。この話を聞いて21世紀構想研究会の今後の活動のあり方で大きなヒントをもらったように感じた。

 第2点は、国民審査という憲法で保証されている国民の基本的権利を是非とも実行しようというこれからの運動方針である。最高裁裁判官を国民が一人一票を実行して、場合によっては罷免できるということは民主主義の権利を行使する最大の行動であろう。

 伊藤真弁護士が語ったように、「神はこの権利を残していた」と考えるべきである。いずれ最高裁大法廷が、一人一票格差問題で判決を出すことになる。早ければ今年中に出る可能性がある。合憲か違憲か。そのどちらになっても、判決内容によって私たちの一人一票実現運動は戦略を見直すことになるだろう。

 運動はまだ始まったばかりであり、これからも社会の動向を注意深く見ながら展開することになるだろう。

 

 

  セミナーは最後に、この日の決議文を満場一致で採択して、全員で読み上げた。読み上げる際に一人一票実現運動のシンボルになっている、一本ユビを高く掲げる行動で、全員の共通意思を確認した。決議文は次の通りである。

 

 私達は、民主主義国家の基本である一人一票を実現するために若い力を発揮し、日本を真の民主主義国家に変えるため、怒涛のごとく邁進することを誓います。         2011年1月8日

 

 

一人一票実現運動若手セミナー事務局会

 

一人一票実現への連帯のサインである1本ユビを立て1月8日の開催の成功を誓った。

一人一票実現新成人・若手セミナー開催の事務局会が、1月7日、プレスセンタービル9階のロビーで行われ、1月8日開催の段取りの最後の点検を行った。

 この日の点検では、セミナーの開催から終了までの進行について、司会者担当の学生諸君らがシナリオ案をもとに実践を予想しながらミーティングを行った。今回のセミナーは、新成人が選挙権をもらっても一人一票になっていない現状を知り、このおかしな日本の民主主義をただそうとする運動である。

 新成人だけでなく学生、熟年も一緒になってこの現状を検証し、今後の運動の展開を確認していくものだ。また、今回のセミナーの目玉は、一人一票実現を勉強しながら楽しむクイズ大会がある。そこで配布される景品の提供を企業や個人に呼びかけたところ、予想以上の景品が集まり、1月8日には参加者全員に景品が手渡される運びとなった。

 これからも楽しみながら升永先生がタネをまいた一人一票実現運動の輪を広げていこうということで学生諸君も燃えており、若い世代のエネルギーで日本を変えていきたい。

 

 

 

一人一票実現運動・1月8日イベント事務局会

 

 一人一票実現運動の新成人・学生への呼びかけを行う「一人一票実現運動 新成人・若手セミナー ~社会人・中堅・熟年のみなさん大歓迎~」の実行部隊のメンバーが、12月18日、東京・日比谷のプレスセンターに集まり、開催内容について具体的な打ち合わせを行った。

 この大会は、来年1月8日(土)、午後1時半から、プレスセンター10階の大ホールで開くもので、この日はこのイベントを運営する学生諸君が集まり、大会プログラムの細部について打ち合わせを行った。

 参加者は、こちら から申し込みができる。今年、成人式を迎え、有権者になった若い人々が中心になる。有権者になったものの、実際には1票の価値がなく、住んでいる場所によって格差が生じている。これは憲法違反であることは間違いなく、日本に真の民主主義をへ根付かせるための最も基本となる権利の主張である。

 是非とも若い人々の参加を募り、この運動の大きなうねりにしていきたい。

 

 

新成人・学生一人一票実現決起大会の事務局が発足

 

一人一票実現運動の連帯のサインは、このように1本の指を突きたてようと

いうことから、写真のポーズもご覧のようになった。

 来年1月8日に東京・内幸町の日本記者クラブの大ホールで開催される「一人一票実現運動新成人・学生決起大会」の事務局が12月11日に正式に発足した。事務局メンバーは、先に開催された慶応義塾大学の学生セミナーに参加した学生たち約10人が馳せ参じており、今後も参加を歓迎する。

 この日は、会場になる大ホールを検分し、その後に大会当日の進め方、今後の参加者勧誘の展開、一人一票実現運動クイズ大会のやり方などについて意見交換した。司会・進行や大会の運営はできるだけ学生主導で行う計画であり、この1週間でその内容を固めたい。

 また一人一票実現運動クイズ大会は、クイズに出題された質問を考えながら一人一票実現運動の主旨や憲法の条文の理解、投票価値などについてみんなで考えるような内容にする予定である。楽しみながら勉強にもなるという狙いだ。

 このクイズ大会では、正解者に景品をだす予定であり、一人一票実現運動に賛同する企業と個人から提供を受けた景品を進呈して当日を盛り上げる計画である。

 事務局に参加したい人は大歓迎であり、是非、参加希望者は、次のメールへ連絡をいただきたい。

 参加希望者の連絡は [email protected]

 

 

一人一票実現で慶應義塾大学の学生ゼミを開催

 

 慶応義塾大学の学生有志諸君が主催する一人一票実現の「学生一日ゼミ」が、12月5日、慶応義塾大学三田キャンパスの517教室で開催され、約100人の学生、社会人らが参加して講演と活発な討論が展開された。

 まず、一人一票実現国民会議の共同代表をしている升永英俊、久保利英明両弁護士が基調講演を行った。二人の法律家は、憲法で保証されている国民主権の平等が国政選挙では、ないがしろにされている現状を論理的に説明した。

 衆院選、参院選で有権者は清き1票として投票用紙をもらって候補者名を記名する。その時点では確かに清き1票の体裁をしているが、投票箱に投じた瞬間にその投票は実質的に有権者の住んでいる地域によって0.5票にも0.2票にも1票にもなる。

 有権者の住んでいる地域に依存している主権とは一体何なのか。誰にでも分かる理不尽で不条理な現状を訴える2人の法律家の話は、聴衆である学生諸君の意識の中にこれを是正すべきとする明確な理念を形成して吸い込まれていった。

 伊藤塾の塾長であり一人一票実現国民会議事務局長の伊藤真弁護士の一言がとどめを刺した。「血を流さずに民主主義を掴み取ろう」という言葉は、間違いなく聴衆の魂を揺るがせたように感じた。

 パネルディスカッションでは、弁護士ドットコムを立ち上げた元榮太一郎弁護士、企業コンサルタントの田上純氏、ivoted代表の原田謙介氏そして筆者が、この運動への取り組みと実践活動について報告・説明し、今後の展開について語った。

 筆者は、来年1月8日に日本記者クラブの大ホールで開催する「一人一票実現 新成人・学生決起大会」の主旨と参加呼びかけを行った。この呼びかけにはすぐに反応があった。この日の深夜までに数人からの学生諸君のボランティア活動参加が表明された。これはまさに 「日本は変わる」と筆者に確信させた。

 若いエネルギーの胎動が巨大なうねりになろうとしている。 

 

 

参院選の1票の格差提訴に違憲判決

 参院選の1票の格差は、違憲だとする判決が11月17日、東京高裁で出された。同日、同じ東京高裁で出た他の4件の参院選格差訴訟では合憲とする許し難い判決も出ており、これを現実的に是正するのは容易ではないことをうかがわせた。

 違憲判断を出した南敏文裁判長は「是正に向けた取り組みが停滞したまま長期にわたって格差が継続しており憲法上許されない」と述べている。住んでいる地域によって、1票の価値が0.2倍になっている現状は法の下の平等、国民主権を定めている憲法に違反しているとするものである。

 「清き1票」という言葉は、選挙実施のたびに国民の投票行動を促す標語として繰り返し掲げられてきた。しかし現実には、選挙民が住んでいる地域によって、1票を投じた瞬間に0.2票の価値しかないなどの格差を生んできた。

 国民が引越しをするたびに、1票の価値がくるくると動くというのは異常である。私たちは地域に依存して政治に参加しているのではないし、憲法の原理に反していることは明らかだ。誰が聞いてもおかしいと思う現状を「合憲」という裁判官がいることも異常だ。

 我々が持っている法の下の平等、国民主権の憲法の原理を、一裁判官がいとも簡単に合憲などとする司法判断は、格差を放置する立法府と同様に到底許されない事態である。

 米国の連邦最高裁は、1対0.993の格差でも憲法違反であり、選挙のやり直しを命じている。それに比べ日本は、1対0.2という格差である。外国人が「日本は途上国並みに選挙がゆがんでいる」との感想を漏らしたのは当然であり、国民として恥ずかしい限りである。

 これを是正するための国会での活動はおよそ期待できない。各党が利害関係者であり、議員もまたそれ以上に敏感に反応するテーマだからだ。先送りで消極的取り組みは明らかであり、3年後の参院選にいまの格差が是正されることは無理だという観測が出ている。

 この提訴はいずれも上告されるので、来年中には最高裁大法廷で合憲・違憲の判断が出るだろう。ここで合憲と判断する裁判官がいれば衆院選で行使できる最高裁裁判官の国民審査で「×」をつけることができる。この権利を行使し、最高裁裁判官を国民が罷免する権利を行使したい。

 昨年の衆院選でも1票の格差を訴える訴訟が行われ、これまで各地の高裁で7件が「違憲」もしくは「違憲状態」とする判決が出ている。先の参院選の格差に対する訴訟は、東京高裁以外でも7高裁と6支部で提訴されており、違憲判決がこれからも出るだろう。

 立法府の国会がこれを放置するようなら、日本は法治国家でもないし民主主義国家でもなくなる。直ちに是正に取り組む必要がある。その場合、衆参の制度そのもののあり方、各党が掲げる議員定数のあり方などはとりあえず先送りし、この格差是正だけに取り組むべきだ。そうでないと課題包括の論議などの理由で際限なく先送りされるだろう。

 

 

升永英俊弁護士が学生相手に一人一票実現の講演

 

 一人一票格差を理解してもらい、この運動の輪を学生たちに広げるため、一人一票実現国民会議の共同代表である升永英俊弁護士が、11月7日、東京・新宿歌舞伎町のロストプラスワンで、大学生約100人を前に講演を行った。 この講演は、一人一票実現国民会議のサポーター運営委員である慶応義塾大学法学部の松下英樹君らの活動によって実現したものだ。

 まず升永弁護士は、男性が1票、女性が0.9票という格差がある選挙があったとした場合、それを許すかどうか多数の人たちに聞いたところ、誰も賛成しなかったというエピソードを紹介しながら、現在、実施されている衆参の国政選挙の1票の格差問題を説明した。

 さらに米国の格差問題について話は進み、日本では1票対0.2票の格差が許されているが、米国では1票対0.993票でも違憲であり、選挙のやり直しを命じる連邦最高裁の判決があったことを引き合いに出した。この例によって、いかに日本の民主主義が、多数決の原理を歪めているかを語ったものである。

 そして、憲法で保障されている国民の主権は、このような1票の格差の歪によって多数決の原理は意味がないものにされており、このような状況を「合憲」としている最高裁判事はきわめて問題が多いと指摘した。日本の政治や社会に、真の民主主義が育たない根本的な原因がlここにあることを示唆した。

 升永弁護士は、このような最高裁判事を、実は私たち国民が罷免する権利を持っていることを明確に認識しようと呼びかけた。来る総選挙のときに同時に実施される最高裁判事の国民審査を有効に活用することが日本の民主主義の確保に重要であるとの見解を示した。

 講演は、升永弁護士のとつとつと語るしゃべり口に会場全体が引き込まれ、しわぶき1つ聞こえず水を打ったように静まりかえっていた。筆者の感じでは、学生たちの頭脳に、砂の中に水が浸透するようにこのテーマの重大性が染み渡ったように感じた。

 若い学生諸君への一人一票実現運動は、来年2011年1月8日に、日本記者クラブの大会議室で「新成人+学生」の決起大会が予定されている。

 新宿で開催された升永弁護士の講演会の最後に、筆者から「新成人+学生決起大会」の開催概要を説明する機会が与えられ、大変、幸運だった。

 

 

 

山手線駅の一周キャンペーンから中央線駅へ

 

 10月1日から始まった「一人一票実現・山手線駅立ちキャンペーン」は、29日の有楽町駅で完結した。この欄で報告が遅れてしまったのは、カメラの故障から写真対応が出来ず、おまけに復帰したカメラに収納されていたのはご覧のような写真であり、報告としては残念なことになった。

 この山手線一周キャンペーンは、先にこの欄でも報告したが、一人一票実現国民会議のサポーターである田上純氏ら若い世代が中心になって、早朝の7時から8時までの1時間、山手線駅前で出勤に急ぐ人々に1票の格差を訴えながら、カードを配ってきた。

 最初の10月1日の東京駅をスタートに、神田、秋葉原・・・・と毎日、駅を1つづつ進めて最後の29駅目の有楽町で完結した。この行動は並大抵のことではない。

 田上氏らは、第2弾として中央線の新宿から東京駅へと移動する週末キャンペーンを展開しており、同時にメディアでも取り上げてもらえるように働きかけている。このような草の根運動によって徐々に国民に1票の格差問題が理解度を深めてきており、今後も様々な機会をとらえて運動を展開したい。

 

先の参院選挙無効訴訟の東京高裁弁論

 さる7月11日に実施された参院選挙は、一票の格差が大きく憲法に違反しているので無効であるとする訴えを東京高裁に提訴した第1回口頭弁論が、9月27日東京高裁で開かれた。

  傍聴人が多いことが事前に裁判所にも知られたらしく、当日の朝になって高裁では一番広い101法廷に変更して開かれた。傍聴人は古田敦也・元プロ野球ヤクルト監督らが詰めかけ、傍聴席はほぼ埋まるほどになった。  弁論ではまず、代理人になった升永英俊弁護士が、鳥取県民の1票は、北海道民にとっては0.2票しか価値がない。有権者は誰でも清き1票と思って投票しているが、このように住居によって大きな格差があることは、世間の常識に反している。

  米国では1票対0.993でも違憲として選挙のやり直しの判決が出ている。日本の国民世論でも、インターネットによる投票を見ると圧倒的に一票の格差に異議を唱えており、現行の参院選のあり方は憲法の主旨に反したもので違法であるとの主旨を主張した。  また、久保利英明代理人、伊藤真代理人の両弁護士も、司法の力で一票の格差是正をするよりないこと、憲法の精神に則って判決をするべきとの主旨を主張して弁論を修了した。  

一人一票実現国民会議第2回サポーター大会

 





 
一人一票実現国民会議の第2回サポーター大会が、7月3日、東京・渋谷の伊藤塾東京校で開催され、260人のサポーターが集まり今後の運動の展開などについて討論した。

  この日はまず升永英俊、久保利英明両代表から、これまで全国の高裁で展開された選挙無効の訴訟の総括を報告し上告理由書の説明があった。これまで9つの判決があったが、違憲もしくは違憲状態としたものが7件、合憲としたものが2件であり、7勝2敗と言う結果だった。

  さらに代表から、今後の司法での闘いの方針について説明し、サポーターの増員、募金運動の展開など具体的な進め方で提起があった。 また、伊藤真事務局長は、一人一票は民主主義国家の生命線であるとして、多数決の原理を説きながらこの運動が国民にとっていかに重要であるかを説明した。

  この運動のリーダになっている3人のスピーチで特に印象に残ったのは、次のような言葉だった。 升永代表は「一人一票の格差があることの本当の意味に気がついたのは、1年前であった。法律家として誠に未熟であった」、そして久保利代表は「この運動に取り組んで法律家がいかに遅れていたかを知った」、さらに伊藤事務局長は「憲法教育者として一人一票の問題意識がなかった。間違って教えていた」という言葉である。

  3人はそれぞれ法曹界のリーダーとして活躍している弁護士であるが、その3人にしてこのような吐露をしなければならないほど、一人一票問題は置き去りにされていたことになる。  フロアの参加者とのディスカッションになったとき、元商社マンだったという年配の方から「本日の大会に参加して失望した。なぜなら弁護士など法曹界の人だけの発言であり、国民運動とは違ったものである」という大変、辛口のコメントがあった。

  確かに発言の多くは、地域で活動している弁護士が多かった。運動の端緒は、最高裁判事の国民審査を訴えた意見広告から始まり、先の総選挙の無効を訴える司法の闘いへと広がったために、どうしても弁護士先導にならざるを得なかった。  そのような背景だったのだが、この方のコメントを聞いてみれば、まさにその通りであり、これからの運動展開を考えるきっかけを与えてくれたという点で素晴らしいコメントだった。

  参院選が終了した後、全国の8高裁、6高裁支部の14裁判所で選挙無効の訴訟を起こす予定である。これは一人一票実現国民会議の運動とリンクした司法の闘いであり、いずれ3年後の総選挙時に行われる最高裁判事の国民審査で決着をつけることになるだろう。




一人一票実現国民会議の運動

 

 一人一票実現国民会議の街頭活動が、5月28日、JR新橋駅前で行われ、道行く人たちに一票の格差を認めてもらい、これを是正するキャンペーンを展開した。

 これまで衆院選の一票の格差をめぐる全国の高裁判決では、合憲としたものが3件、違憲状態としたものが3件、違憲としたものが4件となっている。高裁判断で、違憲もしくは違憲状態判決がこれだけ出たのは、初めてであり、これ自体異常なことである。

 私たちは「清き一票」というスローガンに慣らされてきたが、気がつけば一票どころか0.5票程度しかない。国の政治の仕組みが過半数を原則として行われているときに、自分の行使できる選挙権が半分というのでは納得できない。

 大体、最高裁が過去3回にわたって一票の格差を認めて合憲と判断しているが、国民の基本的人権、参政権の権利まで裁判所が決めることは僭越である。憲法の定めるところにしたがって判決を出すべきであり、その点で高裁判決で違憲と明確に判断した判事はまともである。

 「法の番人」を標榜するなら、最高裁は憲法の定めにしたがって判決を出してもらいたい。

 

福岡高裁は現行の一人一票の格差は違憲と判決

 東京高裁の合憲判断をたった1日で覆した。福岡高裁の1票の格差は違憲・違法として提訴されていた訴訟の判決が、3月12日に言い渡しがあり、同高裁は明確に「格差は違憲」とする判断をくだした。  これまでの高裁での判断は次の表のようになる。   

一人一票実現訴訟の経過

 判決日         高裁        裁判長      判断

2009年12月28日   大阪高裁       成田喜達      違憲

2010年1月25日    広島高裁       廣田聡        違憲

 2月24日        東京高裁       富越和厚      違憲状態

 3月9日      福岡高裁(那覇支部)  河辺義典      違憲状態

3月11日        東京高裁       稲田龍樹       合憲

 3月12日        福岡高裁       森野俊彦      違憲

3月18日        名古屋高裁

 4月8日          高松高裁

 4月27日          札幌高裁

 違憲判断が3件、違憲状態が2件、合憲が1件

 高裁の判断は圧倒的に、違憲もしくは違憲状態である。3月11日に言い渡しがあった東京高裁判決は合憲であったが、これまで合憲としていた最高裁のおひざ元であるため当初から、合憲判断が予想されていた。

 違憲か合憲かの判断は、法理論を根拠に裁判官の独立した判断に委ねられているが、実際にはそのようにきれいごとでいくわけではない。

  今後、名古屋、札幌、高松と続く判決で、どのような判断が出されるか。またこれまでの判決はすべて上告されているので、最高裁の判断が極めて注目される。

  国会議員の意識はどうか

 一人一票実現国民会議は、全国会議員722人に対し、国政選挙の格差に関するアンケート調査を実施した。3月12日までに回答を寄せた議員は28人にとどまっている。

  内訳をみると、違憲状態と見た議員は21人(75%)、合憲は3人(11%)だった。残り4人は、回答しなかった。  300の小選挙区の定数のうち、47都道府県に各1人ずつ配分し、残りを人口比例で割り振っている「一人別枠方式」については、21人(75%)が廃止を求め、4人(14%)が維持と回答している。

  これまでの高裁段階の判決では、立法府の不作為を指摘する判決内容も多かった。立法府が司法判断を重視して対応しない限り、国民はいつまでたっても真の民主主義とは無縁であり続けることになる。 司法判断だけでなく、立法府の対応も国民は注視していく必要がある。

1票の格差で「合憲」判断した東京高裁

 一人一票の格差は許されないとする訴訟が、全国の高裁で提訴されているが、3月11日、東京高裁は「格差は違憲とはいえない」と判断し、原告側の請求を棄却した。

  判決によると、まず不平等の最大の原因ともなっている1人別枠方式については「不平等状態の原因であり、問題ないとは言えない」との判断を示したものの「国会の裁量権の行使として合理性が認められる」と述べるにとどまった。

  今回の判決は、一人一票実現のための訴訟の5つ目である。過去の判断は次の通り。 選挙は違憲であるとしたものが大阪高裁、広島高裁 違憲状態としたものが、東京高裁の別の判決、福岡高裁那覇支部 合憲としたのは、今回が初めてである。

  高裁判決はいずれも上告されているので、いずれ最高裁で最終判断が出されるだろう。 ところで憲法で保障されている国民の平等の権利が、裁判官の判断で揺れ動くのはおかしい。

  我々国民は、裁判官に基本的人権のあり方を委ねているわけではない。一人一票が等しく平等に行使できないのは、誰が考えてもおかしい。 一人一票の選挙区区割りは不可能だーなどという人がいるが、馬鹿げている。やる気になれば、すぐにでも実現できるだろう。

  この日の判決で一人一票実現国民運動のメンバーは、筆者も含めて改めて闘志を燃やしており、実現するまで運動を広げていきたい。

一人一票実現国民会議 第1回サポーター大会を開催

 





 国会議員を選出する際に投票する1票の重さが、自分の住んでいる地域によって大きな格差があることを是正することが、日本の真の民主主義を実現することであるとする
「一人一票実現国民会議」の第1回サポーター会議が、2月13日、東京・日比谷のプレスセンタービルで開催され、全国から約150人が参加して熱のある討論が展開された。

  大会ではまず、サポーター大会の代表に、升永英俊弁護士、久保利英明弁護士が就任することを確認し、さらに事務局長に伊藤真弁護士の就任を確認した。 また、事務局の次長に筆者が、運営委員に古谷洋三氏、大久保勝彦氏を就任することで確認した。

  このあとで、升永弁護士が、「民主主義国家の実現方法」、久保利弁護士が「司法はこの国を民主国家にできるか」とのタイトルでキックオフスピーチを行った。 この中で2人の代表は、真の民主主義国家を実現することは、司法や立法府がやるのではなく、私たち国民がつかみ取るよりないことを主張し、フロアの聴衆からも同意見が多数出された。

  この運動は、升永弁護士が数年前から考えてきたテーマである。3年前に、筆者の東京理科大学知財専門職大学院のセミナーで講演した升永弁護士と筆者、学生ら5人は、講演が終わった後の打ち上げ会の席で、ビールを飲みながら知財に関する懇談を行った。

  そのとき升永弁護士は、唐突に「民主主義とは何か。1人づつ答えてほしい」との質問を発した。筆者はその質問を非常に奇異に感じたが、自分なりに何か意見を言ったように思う。多分ジャーナリストの立場から「言論の自由の確保」と言ったように思う。

  学生の1人は、「民主主義とは多数決の原理だと思う」と言ったとき、升永弁護士は深くうなずいた。このときの話と様子は一過性のものとして筆者の記憶からほとんど薄れかかっていた。

  それから2年半後の昨年夏、升永弁護士、久保利弁護士が世に提起した「一人一票実現国民運動」を知ったとき、筆者の記憶からまざまざとあの3年前にシーンがよみがえった。 2人の弁護士は、たまたま知財分野の双璧とされる法律家であったこともあって、支援者は知財関係者を中心に各界に広がっていった。

  この日開かれたサポーター会議でも、「この種の・・・運動というのは、政治的なものや消費者運動的なもの、イデオロギーの絡んだ運動が多いが、今回の運動は純粋な疑問から発したものであり、誰でも共感できるものである。真の国民運動として広げたい」という趣旨の発言が相次ぎ、盛会の中で終了した。

  今後もサポーターを増やしながら、インターネットによる投票も増加させることになっており、シンボルイラストをあしらったTシャツも披露されて、楽しくも実りある大会だった。

広島高裁が一票の格差で再び違憲判決

 昨年8月、民主党が大勝した総選挙で、一人一票の格差が最大2.3倍となったのは憲法違反であり選挙は無効である訴えていた広島市の男性に対し、広島高裁は1月25日、総選挙全体が違憲、違法性を帯びているとの画期的な判断を示した。

 さらに同高裁は、一人別枠方式による地域特性への配慮は、投票価値の平等に優越する憲法上の要請は考えがたく、この方式は合理性を失っているとしたうえで、「国会は是正に取り組むことを怠り、格差を放置している。憲法上許される限度を超えた不作為というほかない」と立法府の不作為にまで言及した判決であった。

  しかし、選挙を無効とすると公の利益の著しい障害にあたるとして選挙そのものは無効とはしなかった。この判決は、昨年12月に大阪高裁で出された違憲判決に次ぐものであり、今後、判決が予定されている他の5つの高裁判決もこの流れになることは決定的になった。

  一人一票実現国民運動は、升永英俊弁護士が提起した問題で、久保利英明弁護士らも加わって全国の6つの高裁と1つの高裁支部で同様の訴訟を行っている。

  升永弁護士は、国民が等しく持っている1票の価値が、住んでいる地域によって大きな格差が生じるのは民主主義の根幹にかかわることであり、日本の政治が民主主義の統治下で行われていないとして提訴に踏み切ったものだ。

  来る2月13日(土)には、東京・日比谷のプレスセンタービルの10階で、「一人一票実現国民会議・第1回サポーター大会」が行われる。今後、この趣旨を全国民に訴えて1票の格差を是正し、日本にも真の民主主義政治の土壌を醸成することを目的にこの運動を展開することにしている。

世論が後押しする1票格差違憲判決

 これまで憲法違反をたてにした裁判闘争は、多くがイデオロギー闘争であり特定の政党や労働組合などを背後にした原告が提訴することが多かった。

  「一人一票実現国民会議運動」は、知的財産分野の双璧とされる升永英俊、久保利英明両弁護士がリーダーになって進めている運動であり、超党派のノンセクトである。いわば純粋な市民運動であり、草の根運動である。  主張は極めて分かりやすい。国会議員を選出する1票の格差があるのは主権平等に反する憲法違反であり、民主主義の根幹をゆがめているものだ。これを是正せよという主張だ。これに反対する人はいない。

  2009年12月28日午前11時30分、御用納めの最後の時間帯に違憲判決を出すという大阪高裁の成田喜達裁判長もなかなか度胸のある判事である。 今回の判決に対するマスコミの論調は、すべて肯定的であり現在の選挙区割りの変更を求めている論調だった。

  これは当然だろう。立法府は、今度こそ区割り変更に着手することは確実である。もし民主党政権が現行制度の是正に何も着手しなければ、国民の怒りを買うだろう。

  今後、全国6つの高裁で判決がでるが、おそらく大阪高裁と同様、公共の利益に著しい障害を生じるため選挙は有効としながらも、現行の「1人別枠方式」という選挙区割りは憲法違反であるとする判決が相次いで出されるだろう。

  こうした判決によって、次のようなことが世論の中で形成されるだろう。1. 現行の1票の格差がある選挙は、憲法違反である。2. これの是正に対応するのは立法府である。3. 最高裁の判決がどう出るか非常に見ものである。4. 2010年の参院選は間にあわないとしても、3年後の衆院選がどうなるか注目である。

  今回の判決では、 ① 1票の格差が2倍に達する場合は原則として違憲 ② 2倍の格差を大多数の国民が耐え難い不平等と感じている とし、憲法の基本理念である「投票価値の平等」を厳格にとらえたという点で、原告が主張してきた論点と同じであり、画期的である。

  しかし、判決でも示したように「1人別枠方式」による定数配分の位置付けが今後の課題だろう。大阪高裁は、これは過渡期の制度と言う位置づけであり、「すでに役割を終えた」としている。「国会議員は地域代表と理解するものであり、全国民の代表とする憲法の趣旨に反する」としている。

  「1人別枠方式」では、格差是正は実質的に不可能であり、これを今後どのように対応するのか立法府の責任になる。民主党はすでにこの方式を廃止し、人口比例による議席配分と区割りの見直しの方針を示しているが、いつどのように実現するのか。現実を注視する必要がある。  来年は国勢調査の年である。その結果と共に区割りをどうするかが大きな話題になるだろう。

  投票価値の平等は、民主主義の根幹であり絶対に実現することだ。国民は1票の格差が何倍まで許されるなどということを、裁判所に決めてもらいたくないと思っている。これは裁判所の裁量の話ではない。 裁判所は「法の番人」に徹してもらいたい。

大阪高裁が1票の格差に歴史的な違憲判決

 本格的な政権交代を実現した2009年8月30日の衆院選の大阪9区の選挙で、1票の格差が2.05倍あるのは違憲であるとして選挙のやり直しを求めていた訴訟で、大阪高裁は「格差が2倍に達すのは大多数の国民の視点から見て耐え難い不平等である」として違憲であることを認める歴史的判決を言い渡した。府選管側は上告する見込み。

  しかし、選挙のやり直しは「公の利益に著しい障害が生じ、公共の福祉に適合しない」として原告が訴えた選挙やり直しの請求は棄却した。  1994年の小選挙区比例代表制度が導入されて以来、1票の格差の問題は折りに触れて提起されていたが、これを是正する唯一の機能を持っている立法府が動かず、最高裁も立法府に気兼ねして違憲立法審査権を持ちながら、憲法違反に踏み込む判断を示さなかった。

 今回の判決は、こうした流れを変えた初の判断となった。  不利益を被っている国民の是正要求を満たす機能が、司法、立法、行政のどこにもないのでは法治国家とは言えない。この日の判決でも「憲法は選挙権に関し、徹底した平等化を志向し、投票価値の平等をも要求すると解される」としており、「現在の選挙制度は憲法の趣旨に反するものである」と明確に断定した。

  同様の格差訴訟は、2010年1月14日が広島高裁で判決言い渡しがあるが、これまでの弁論の経過と訴訟指揮をみると今回と同様違憲判決が出る可能性が強い。

 さらに福岡高裁、同那覇支部、高松高裁、札幌高裁、東京高裁、名古屋高裁と6つの高裁で訴訟が起こされており、いずれも違憲判決になる可能性がある。

 上告審になるのは決定的であり、最高裁大法廷がどのような判断を示すのか。7つの高裁判断がすべて憲法違反となったとき、ひとり最高裁だけ合憲の範囲もしくは、立法府にすべてゆだねるような中途半端な判断を示せば、国民の怒りを買うだろう。

  こうした状況を予想すれば、今度こそ最高裁も違憲立法審査権を行使して、選挙無効を言い渡す可能性が高くなる。

 つまるところ4年後に想定されている総選挙までには、新しい選挙区割りが出ることになるだろう。  3権分立が実質的に機能することを示す画期的な訴訟であり、升永英俊弁護士がおこした「一人一票実現国民会議運動」は歴史に残る市民運動となるだろう。

  また、この運動を推進した升永英俊弁護士と久保利英明弁護士は、知的財産の分野では双璧とされる代表的な弁護士である。また、運動に共鳴した人々の中には、多数の知的財産分野で活動する大学人、研究者、弁護士らが大勢おり、知財の分野から変革を迫ったという点でもユニークな運動として記録に残るだろう。

歴史的な違憲判決が出る日

 知財弁護士として日本を代表する升永英俊先生が主導する一人一票実現運動が、年末になって一気に緊張感が高まってきた。

  さる8月30日に実施された衆院選挙は、地域(選挙区)によって一人一票の格差が大きくあるので「選挙は無効である」との訴えを出していた大阪高裁で、12月28日午前11時半から判決言い渡しの期日が入った。

  仕事納めの日の最後の時刻に重要な裁判の判決言い渡し。これはただ事ではない。これまでの口頭弁論の流れからいって、判決は違憲による選挙無効になる可能性が高くなっている。

 歴史的な政権交代が実現したこの夏の総選挙は、憲法違反で無効であるという判断が出れば、これまた歴史的な判決になる。

  升永先生の主張は、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動(する)」(憲法前文第1段第1文冒頭)。詳しく言えば、主権者たる日本国民は、「正当(な)選挙」によって「国会における代表者」を選出し、当該選出された「国会における代表者」を通じて、両院での「多数決ルール」に従って、司法、行政、立法から成る国政(両院での議事の可決・否決という行為)に参加する(憲法前文第1段、第1文、15条、56条、96条1項、79条3項)ものであるとしている。

  この論旨に従って大阪高裁の判決を予想すれば、「一人一票は憲法によって保障されている。よって、今回の選挙は無効」という判決を出すのではないかと予想される。  裁判は「水もの」と言われるように判決言い渡しまでは予断を許さないものであるが、今回の訴訟の準備書面、原告側の論旨を読む限り、これを退ける判断は難しいだろう。 それだけ精緻な論旨で組みあがっている説得力のある弁論である。

  明日12月15日午前10時からは、東京高裁の817号法廷でやはり違憲による無効選挙を訴えている訴訟の最終弁論がある。これは、東京1区の選挙無効の訴えである。 訴訟代理人である升永先生は「人生を注ぎ込んだ陳述をします」と明言しており、時間の許す人は是非、傍聴してほしい。

 1票の格差で一歩前進の大法廷判決

 1票の格差で一歩前進の大法廷判決

  1票の格差が最大で4.86倍だった07年の参院選は、違憲であり選挙は無効であるとして訴えていた「1票の格差」訴訟の大法廷判決が、さる10月1日に言い渡された。公職選挙法の規定は合憲とし、原告の上告を棄却した。

 しかし判決で大法廷は、各選挙区の定数を振り換えるだけでは大幅な縮小(つまり是正)は困難であり、「現行選挙制度の仕組み自体の見直しが必要だ」として立法府に選挙制度の抜本改革を求めた。

 住む地域によって選挙民の投票する1票の重みが違うというのは不正義であるとして「一人一票実現国民会議」(代表・升永英俊弁護士)がキャンペーンを展開しているが、この判決はこの運動にも大きな追い風になった。 国会はこの判決を真摯に受け止め、早急に公職選挙法を改正する準備に入ることを強く求めたい。

 大法廷判決を読むと、神奈川県と鳥取県の選挙区の間に4.86倍の1票の格差があることを認めた。しかし06年参院選で「4増4減」の是正措置をとったことを考慮して「憲法に違反するほどではない」との判断を示した。そう言いながらも「大きな不平等が存する」とも判断している。これが多数意見である。

 一方で少数意見ではあるが中川了滋裁判官のように「国会の裁量権の行使として合理性を有すると言うことはできない。不平等状態は違憲と考える」と明確に違憲とした人や、田原睦夫裁判官のように「憲法に反する違法な選挙制度の下で施行されたものであり無効と言わざるを得ない。しかし選出された議員への影響などに鑑み、違法と宣言するにとどめるのが相当だ」とした人もいた。

 注目するべきは那須弘平裁判官の意見である。2007年の最高裁判決では一票の不平等を認めていた人だが、今回の判決では「06年の公選法改正以来、国会で真剣な努力が重ねられた形跡はない。大幅な格差が残されたまま実施された点で憲法違反である」とした。

 これは那須裁判官が「もう許さない」として見解を変えたと見ることができる。那須裁判官は、先の総選挙のときの最高裁裁判官国民審査で罷免とする票を涌井紀夫裁判官とともに突出して受けた裁判官である。つまり国民から罷免とする「×」を多数もらった裁判官2人のうちの1人である。 罷免までは至らなかったが、この結果が多少とも影響があったとしたら、一人一票実現国民会議の運動は大きな意味を持ったことになる。

  一人一票実現国民会議の運動展開を推進させたい

 今回の判決で、最高裁15人の裁判官の出身母体と意見を調べると、一つの大きな問題点が浮かび上がってくる。 判決の多数意見を述べた裁判官の出身母体は、職業裁判官6人、行政官2人、学者、検察官各1人の合計10人となっている。

 これに対し反対意見を述べた裁判官の出身母体は、弁護士4人、職業裁判官1人である。

 選挙区の区割りや定数を是正する制度を作るのは国会とはいえ、三権分立の建前からすると最高裁は違憲立法審査権を有している以上、立法府に配慮する余地を持たずに法の平等、国民の権利という観点で裁判に臨まなければならない。

 大体、裁判所とは「法の番人」を自ら任じていたのではないか。三権分立の建前からしても、国民の利益にならないことは厳しく是正するよう立法、行政にモノを言わなければ存在する意味がない。

 問題は、衆院選の選挙制度であり1票の格差問題である。升永英俊代表らに賛同する有志は、この8月に実施された衆院選の1票の格差が最大2.3倍あるのは違憲だとして、全国の6つの高裁・支部に選挙の無効を求める訴訟を起こしている。

 この運動と並行して、政治の世界にも一人一票実現を強く迫る必要がある。民主党は、2013年をめどに参院の選挙制度の抜本的改革を行うと公約している。しかしこれでは生ぬるい。

 二院生のあり方も含めて選挙制度のあり方を根本的に考える必要がある。民意が本当に反映される政治の場を実現するまでには、まだ相当の距離がある。その第一歩が一人一票実現国民会議の運動であり、これを前進させる必要がある。 

 

一人一票実現国民会議の立ち上げ

 青色発光ダイオードの職務発明をめぐる訴訟の代理人になった升永英俊弁護士が「一人一票実現国民会議」の運動を始めた。総選挙で民主党が地滑り的に大勝したが、日本国民が真に政治に参加し、政治を動かしていると感じたのは、今回の選挙が初めてだろう。

 しかしこの選挙結果とはまた違った次元で升永先生が問いかけているのは、1票の価値である。今回の選挙で多くの国民は、自ら投じた1票がそれぞれの結果につながり、政治に参加したという感慨を持っただろうが、しかしその1票の重みを見ると、自分が住んでいる地域によって、かなりの軽重がある。

 今回の選挙の直前に、総務省が発表した3月末現在の住民基本台帳によると、衆院300小選挙区の「1票の格差」は最大2・337倍となった。格差が2倍を超える選挙区は昨年より3つ増えて56選挙区となった。最大の格差となったのは、人口最少の高知3区(25万2840人、高知県四万十市など)と最多の千葉4区(59万943人、千葉県船橋市)である。

 同時に、参院選挙区ごとの議員1人当たり人口は、最多が神奈川県の147万4722人であり、最少は鳥取県の29万9243人だった。この格差は4・928倍である。格差が4倍を超えたのは、7都道府県であり、2倍を超えているのは29都道府県である。1票の重みが、住んでいる地域によって違う。

 これでは何のための投票なのかということになる。

 升永先生の主張は、次の通りである。

 日本人は、1400年の歴史上、一度として民主主義を自らの手で掴んだことがありません。1945年にお上が、今日から天皇主権を止めてアメリカのいうことを聞きなさいと命令され、国民は、お上の命令にしたがって、アメリカの押し付ける民主主義を受け入れた。


 即ち日本人は、一度も権力に抗して民主主義を自分の手で掴み取ったことがありません。アメリカ人は銃をもち、血を流してイギリス政府から独立し、民主主義国家をつくりました。1983年、米国連邦最高裁は、連邦下院議員選挙で、1票:0.993票の一票の不平等すら、違憲と判決しました。1票:0.5票の不平等を合憲とする、日本の最高裁と対照的です。


 これも日本人は憲法学者も含めて、民主主義を自分の手で掴み取ったことがないからでしょう。米国の下院議員選挙は、1票:0.993票の不平等を違憲としました。米国で、できる以上、日本でも出来ます。選挙区割を人口に応じてきめれば、1票:0.993票も日本でも実現できます。日本は、最高裁が、1:0.5票の不平等を合憲としています。


 国民が、国民審査権を行使して、合憲派の判事を罷免して、最高裁の判事の過半数が、一人一票派になるようにするのです。このように呼びかけ、意見広告を全国紙などに掲載して合憲とした最高裁判事の罷免を呼びかけましたが、罷免には至らなかった。

 この問題は継続的に取り上げたいと思う