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2015年3 月

隅田川支流の大横川の両岸のさくら並木は、一夜にして二分咲きから五分咲き、七分咲きにまで開きました。
 近くの牡丹公園付近に咲き誇るユキヤナギ、ハクモクレン、シモクレンもさくらに負けじと咲き誇っていました。

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第117回21世紀構想研究会の報告

第117回21世紀構想研究会の報告

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 第117回・21世紀構想研究会は、2015年3月18日、プレスセンタービル9階宴会場で開催され、世界で初めて3Dプリンターの原理を発明した弁理士の小玉秀男先生が「3Dプリンターの創出顛末」のタイトルで発明の経緯と特許取得できなかった失敗などを語って会場の人々に感銘を与えた。

   また東京メイカーの毛利宣裕氏が「3Dプリンターの最新動向」として、実用化が本格化してくるまでの歴史と現在の実用化の状況と今後の展望を追加コメントとして発表し、参加者を驚かせた。

   小玉先生はまず、三次元CADで三次元設計ができることを知ってから、この電子情報をどのようにして立体形として出力できるか、ずっと考えていた。ある時、新聞印刷のデモを見学したとき、感光性樹脂に光を当てて文字部分を硬化させ、それを版下にして印刷する技術を知った。さらに名古屋市工業研究所で半導体加工技術のホトレジスト技術を知った。

   感光性樹脂を貰い受けて自分で実験することを思い立ち、自宅の設計図をもとに家のモデルをXYZプロッターで作った。これこそが3Dプリンターの原理の実現である。

    ここまでの過程を研究ノートの記載と時宜に応じての見直し、好奇心の持続と何度も反芻して考えることからついに立体物の製造を実現した道筋を語った。

    その後、特許出願し学会などや学術誌にも発表しているが、評価が余りたくないためこの技術開発の実用性などに自信を失い、弁理士試験に合格した後はすっかり忘れてしまい、アメリカに研修に行っていた。

    帰国後にアメリカでこの原理を利用した実用機、つまり3Dプリンターが世に出てきたことを知り、特許を取り損ねた失敗なども含めて率直に経過を語ってくれた。

    なお、この経過については、発明通信社のコラムで「3Dプリンターに見る技術革新と特許」のタイトルで6回に渡り報告している。

 第1回コラムから6回まで 

1回:http://www.hatsumei.co.jp/column/detail/2/52.html

6回: http://www.hatsumei.co.jp/column/detail/2/57.html

   小玉先生の後に東京メイカーの毛利宣裕氏が最新動向を豊富なビジュアルで報告し、産業現場だけでなく趣味や芸術の分野まで3Dプリンターは広がっていることを示した。

   いまや3Dプリンターでジェットエンジンの部品など少量多品種の生産や5日で電気自動車を生産した事例、人工臓器や住宅を作った事例、血管再生に応用した事例など燎原の火のように広がっている現実を語り、参加者に大きな衝撃を与えた。

 


トヨタはなぜ特許開放も英断に踏み切ったのか

トヨタはなぜ特許開放も英断に踏み切ったのか

びっくり仰天させたトヨタの特許開放戦略

2015年の冒頭、アメリカからビックニュースが伝わってきた。トヨタ自動車が単独で保有する燃料電池車関連の特許約5680件をすべて無 償で提供すると発表したのである。

特許のオープン・クローズ戦略は、近年の世界の流れであるが、IT関連企業には見られても製造業、 それもトヨタのように自動車企業の世界トップが踏み切るとはだれも予想していなかった。

 トヨタが開放するのは燃料電池に関する 特許約1970件、燃料電池を制御するシステムに関する特許約3350件、高圧水素タンク関連特許が約290件、水素ステーション関連特許が約70件 である。

 いずれもトヨタが単独で保有している特許であり、開放は2020年までの期限付としている。ただし、水素の生産や供給など 水素ステーションに関する特許には開放期限は設けていない。ここからもトヨタの戦略が見えてくる。

 日本企業の知財部門のスタッ フにコメントを求めたら、ある人は「これはトラップ開放だ」と言った。トラップとは、ワナとか落とし穴という意味だからただごとではない。つまり2020 年までは開放するので無料だが、その後はロイヤリティをいただきますよということだという。

 確かに第一報を聞いた限りでは、ま ず甘い誘いでひきつけておいて、後でしっかりとロイヤリティをいただきますよという仕掛けにも見える。しかしトヨタがそんな見え透いた戦略をする わけがない。これはそれなりの戦略を練ったうえでの発表ではないかと思った。

 

特許開放はテスラ・モーターズが先行

今回のトヨタの特許開放のニュースを聞いてすぐに思い当たったのは、アメリカの電気自動車メーカーのベンチャー企業、テスラ・モーター ズ(以下、テスラと呼称)の特許開放である。

 テスラは2014年6月、保有する約200件の特許をすべて開放すると発表したのである。 テスラは、シリコンバレー発の電気自動車製造のベンチャー企業である。創業者のイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)は、カリスマ性のある人 物として知られている。

 同社は特許開放によって、外部の電気自動車の開発技術者や部品メーカーなどに開発を促し、電気自動 車の普及を促進しようとしたものだ。マスク最高経営責任者(CEO)は、「特許は大企業が自社を防御する道具になっており、技術革新の妨げとなっ ている」との見解を示し、「特許を開放して、電気自動車の普及と関連技術の進化を促進させたい」と表明した。

 しかしここで思い当 たるのは、トヨタとテスラとは数年前には蜜月時代にあったことだ。2010年5月にトヨタ・テスラは電気自動車の分野で共同開発・販売を行う業務提 携を結んだ仲である。

 トヨタは、テスラから自社が開発したスポーツ型多目的電気自動車「RAV4 EV」用のバッテリー、充電システ ム、インバーター、モーターなどを購入すると発表した。この提携で両社はともに未来の電気自動車の普及を目指して技術開発や製造技術で蜜月 関係を結んだように見えた。

 ところが提携発表から4年後の2014年5月、テスラは「RAV4 EV」に関するトヨタとの共同プログラムは 、2014年内に終了すると発表した。そしてその直後に、テスラの電気自動車の特許の全面開放の発表である。

  「RAV4 EV」車

 両社の技術者の間で電気自動車の技術開発を巡って主張が食い違ったとか、「RAV4 EV」の販売台数が計画より下回っていたこ となどから提携解消になったとの憶測を呼んだが、真相はわからない。

 電気と電池の双方に弱点がある

c水素を反応させて電気を起こしてモーターを駆動させて走らせるのはいいが、水素を 簡単に車に補充することができるのかどうか。

 つまり電気自動車と電池自動車の長所と欠点がそれぞれあげられており、そのど ちらが世界の自動車市場を制するか、正念場に差し掛かっている。

 トヨタは、世界初の量産燃料電池車として「MIRAI(ミライ)」を 2014年12月15日に発売すると発表した。車両本体価格は723万6000円(税込み)と高価だが、水しか出さない環境にやさしい量産型自動車として市 場に投入してきた。

  

 一方のテスラも強気で世界制覇を狙っている。世界最大の自動車メーカーのトヨタ対自動車製造ベンチャー企業のテスラの闘いでもある。

 しかし筆者の見方は、どちらも補完しあって将来は一緒になるのではないかという予想である。一緒になるとは、企業が合体する のではなく技術的に相互補完する相手になるという意味である。

 トヨタとテスラがWIN・WINになる。それは2020年である。そのよう に予想してみたい。

 


加藤紘一団長の日中友好訪中団の報告ーその1

                         

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 想像以上に悪化していた北京の空

 加藤紘一・日中友好協会会長(元自民党幹事長)を代表とする日中友好訪中団の一行は7月1日の正午過ぎ、北京空港に降り立った。

 北京空港に着陸した飛行機の窓から見た北京の空は、深いスモッグに覆われていた。北京には20回ほど来ているが、これだけ曇っている大気と空は初めてである。北京の大気汚染が想像以上に悪化していることを初めて実感した。

 環境浄化で日本の技術を中国に持ち込もうとする活動が活発だが、環境浄化は技術では成功した。行政施策がなくして環境浄化はできない。技術より行政施策。これは筆者の取材体験からきたものだが、今回の訪中でもこの視点で発言した。

 王蕾との再会で誕生祝い

  ホテルに落ち着くとすぐに、馬場研5期生の王蕾に電話をした。王蕾は筆者のこのブログを見て直接アクセスしてきた縁で、1年間東京理科大学で留学生生活を 送った。帰国して中国科学院で博士学位を取得し、いまポスドク研究員として清華大学で日本の科学歴史や科学普及活動の研究を続けている。

 

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  電話をするとすぐにホテルに駆けつけてきた。早速、隣の北京飯店の喫茶店に行って近況報告会。往時の馬場研の仲間たちの消息を報告した。話をしているうちに王蕾がこの日誕生日であることが判明。早速、誕生祝にすぐ近くにある北京随一の繁華街・王府井に繰り出した。

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 王蕾に何か気の利いたプレゼントをしたいが、女性のブティックはどれ もこれも垢抜けしない。それでも王蕾のファッションは、どう見ても10代の女性っぽい。たまたま見つけた帽子屋さんで可愛い帽子をプレゼント。ついでに若 い女性用のお店でいかにも王蕾が好みそうなひらひらのついたブラウスを発見。これもプレゼントして大いに盛り上がった。

 中日友好協会招待の夕食会

 加藤会長が北京空港に着くとすぐにVIP室に案内された。そこで待っていたのは、堀之内秀久公使ら在中国日本大使館のスタッフだった。いま、日中間は尖閣諸島問題で「冷たい関係」が続いている。加藤紘一先生の友好訪中団に期待する雰囲気を感じた。

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 夕刻から王秀雲・中日友好協会副会長主催の夕食会である。関立彤・中日友好協会秘書長、程海波・中日友好協会理事、府博・中日友好協会交流部スタッフなど多くの中国人と一緒に楽しい歓談の夕食会だった。

 夕食会では、「尖閣諸島」という言葉にはお互いに触れない。しかし「いま日中間の交流が細くなっている異常な状態を民間交流で打開したい」という日中双方の思いが会話の端々に出ている。雰囲気は友好的なムードで和気あいあいだった。

 しかしこの時の会話と雰囲気から、いま硬直化している日中間は容易には溶解しないことを感じた。それは誰もそのことを言わないが、言葉の端々から、打開策が容易ではないという雰囲気が伝わってくる。

 今回の硬直化は、かなりの期間続くだろう。日中の要人の会話には、そのような文言はなかったが、筆者は肌で感じた。その感じは、瀋陽、大連市でも同じだった。 

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写真は夕食会で出ていた筆者の名札。中国漢字に「錬」という字はないので、

このような字になります。「錬」は日本人が作った漢字だったようです。

 

日中友好代表団の一員として訪中

 加藤紘一・日中友好協会会長の代表団が、7月1日から北京、瀋陽、大連での友好交流で訪中した。筆者もその一員として随行し、初日の北京で直近の日中交流について意見を交換した。

 冒頭の写真は、北京空港の午後12時過ぎの空模様である。飛行機が着陸すると、まるで濃霧の中に着陸したように視界がどんより曇っている。天候は曇りと いうことだが、夕方の日暮れのような光景である。大気汚染の状態は、昔の日本のそれに比べるとやはり相当に深刻ではないかと思った。

 宿泊先の北京貴賓楼飯店は、北京飯店の隣りにある高級ホテルであり、中日友好協会が手配した素晴らしいホテルである。すぐ近くには北京随一の繁華街「王府井」があり、散歩がてら行ってみると観光客で大混雑である。欧米からの観光客が多いのに驚いた。

 馬場研に留学してきた中国科学院の王蕾に連絡し、ホテルで再会した。北京飯店の喫茶ルームでコーヒーを飲みながらしばし互いに近況を報告しあった。王蕾は、中国に帰国後、中国科学院で日本の科学普及活動をテーマに博士学位論文を書いて学位を取得した。

 いまはポスドクの身分で清華大学日本文化センターで研究をしている。日本に再びわたって、日本の科学普及の歴史を研究したいが、なかなかチャンスがない。そんな話をして喫茶ルームを出るときにびっくりしたのはコーヒーの値段である。

 ホテルの何の変哲もない喫茶店だったが、2人のコーヒー代が日本円で約3200円だった。日本の5倍程度の値段にびっくりしたが、北京ホテルは中国で最高級のホテルだけに、これくらいはとるのだろうが、それにしても中国の高級ホテルの物価高には驚いた。

 夜は、中日友好協会の王秀雲副会長主催の歓迎夕食会に招かれ、中国風西洋料理というユニークな晩餐を楽しんだ。この夕食会では、日中の文化の共通項や食文化などについて話題が広がり楽しい懇談だった。

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 下の写真は、王蕾と久しぶりに再会しての記念写真である。北京飯店の正面玄関前で撮ったものだが、話をしているうち、本日7月1日は王蕾の誕生日である ことが分かった。そこですぐに王府井へ誕生祝いの買い出しに出かけた。限られた時間だったので、帽子とひらひらのついた王蕾好みのブラウスをプレゼントし た。

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 下の写真は、誕生祝いにプレゼントした可愛い帽子とブラウスに「お色直し」をしたところである。時間がないので急いで着替えて記念写真となった。王蕾 は、この日の誕生日でいくつになったのか。本人は言わなかったが筆者は分かっている。ヒントは、馬場研5期生の6人娘のうち下から2人目の歳である。

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 つかの間の王蕾の近況報告と楽しい誕生祝い、そして中日友好協会の歓迎夕食会と続いて北京での一日はあっという間に過ぎて行った。

            

                               

麻生晴一郎氏の講演「中国の草の根を見つめる・・・日本観、市民社会、日中民間交流」

                               
                  
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 科学技術振興機構(JST)中国総合研究交流センター(CRCC)の中国研究サロンが、5月24日、同センターで開催され、ノンフィクション作家の麻生 晴一郎氏が、草の根運動の実態を紹介しながら、将来に向けた前向きの日中交流について多くの示唆に富んだ講演を行った。 講演後には聴衆と麻生氏が飲み物を傾けながら、意見交換を行う交流会を行った。

 麻生氏の体験談は非常に興味深いものだった。地方の人々と会話をしてみると、日本のことをほとんど知らない人が多い。日本が過去の戦争で日本が謝罪した ことがないと認識している人も多いという。また、日本の中には古代の中国の歴史や文化に興味を持つ人が多いこともまったく認識していない人も多い。

 日本に対するイメージは、抗日戦争ドラマの域を出ないのが普通だ。こうした体験は若い世代との交流で感じたものだというが、中国人のお年寄りは日本について話をする機会がほとんどないことも若い世代の日本知識貧困に結びついているようだ。

 沿海部で日本のサブカルがいかに人気であっても、反日になるとあえて日本を擁護することはやりにくくなる。 一方で日本に対する評価もそれなりにある。礼儀正しくマナーがいいことなどを評価するが、日本に対して怖いという印象も出ている。これを日本の団結心とか 愛国心と結びつけて評価する中国人もいるようだ。しかしこれは日本人に対する悪意と隣り合わせになることもある。

  政府と民間の距離は状況によってさまざまだが、地方政府に不満を持つ人でも、徹底した社会主義を目指す人と民主化を目指す人と2つのタイプに分かれると分析している。この2つの階層が、脱政府的な意見階層として市民社会層を作っている。

 日本はとかく中国の草の根民衆とのふれあいや内陸部との交流を軽視しがちだが、これからは個人交流も含めたこうした民間交流が重要であるとの見解を示した。

 地方から沿岸部の大都市部など広範囲に中国の民衆と交流のある麻生氏は、体験談から基づいた中国人の対日観を語った。これまであまり語られていなかった 内容や分析であり、非常に興味ある話だった。 講演のあとは懇親会が開かれ、麻生氏を囲んで中国観について討論と意見交換が続いた。

 

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袁堂軍先生の講演「どのような企業が中国から離れるか?」

                                                

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 尖閣諸島問題をきっかけに日中間の交流が冷え込み、かつてない停滞期になっているが、この状況の中で日本の企業は中国とどのように付き合うべきか。5月 16日に開かれたJST・中国総合研究交流センター主催の研究会で、日中の企業活動の状況を調査して分析した結果を復旦大学アジア経済研究センター長で国 際金融報研究院学術院長の袁堂軍先生が講演を行った。

  中国の最近の人件費の上昇はすさまじい勢いである。袁先生の示したデータによると、縫製業ではすでに月収2500人民元(約4万円)から3000元(約4 万8000円)に達しているという。ベトナムは500元(約8000円)、インドは250元(約4000円)、カンボジアは300元(4800円)であ る。 さらに人民元の切り上げ、外資系企業に対する優遇措置の撤廃などが続き、中国でのビジネスリスクが高くなってきた。

 さらに袁先生らの調べで、他の新興国と中国とをビジネスリスクで比較をしたところ、次のような点が浮かび上がってきている。

 中国は「法制度が未整備であり運用に問題がある」、「知的財産権の保護に問題あり」、「代金回収上のリスクがある」、「政情リスクに問題がある」などの 項目で、他の国々に比べてかなり高い率で指摘されているという。こうした状況から中国ビジネスに参入しないか離れる理由として、①生産コストなど製造面で 他の国・地域より劣る、②法律や規制が整備されておらず運用も不安定だ、③カントリーリスクが高いなど安定的な工場操業や店舗の営業にリスクを伴う-など が指摘されている。

 その一方で中国でビジネス展開する魅力は、日本の大企業や中小企業にとって、中国は市場規模が大きいことや成長性から考えてビジネスが拡大できると袁先生らは考えているようだ。

 それでは日本企業はどのような戦略で中国ビジネスを考えるべきか。袁先生は次の3つの道筋を示した。第1が中国プラスワンである。中国をメインの投資・運営先とするがリスク分散でもう1つの拠点を東南アジアに設立する。

 第2の戦略は、中国・パッシングである。完全に中国から撤退するものであり、日本企業にとってはsunk cost(事業に投下した資金のうち、事業の撤退・縮小を行っても回収できない費用)が大きくなる。他に転用ができない事業ほど埋没費用は大きくなること になる。しかしこれは中国にとっても打撃となる。

 第3の戦略は中堅・中小企業は果敢に参入するべきとする戦略である。こうした状況と戦略の選択は、企業のサプライチェーン、バリューチェーンをどう位置付けるかにかかってきているとした。

 これは生産工程の国際分業化の深化をどのように企業経営に取り入れて有利なビジネスを築いていくかにかかってきている。日本企業は、中間財、サービス、 最終財の輸出先をアメリカから中国に大きくシフトしてきている。その状況を大まかに言えば、中国貿易では電機、金属、化学などの中間財輸出が急増し、電 機、繊維、食品などの最終財輸入が急増した。相対的に対米貿易は、2005年ごろから急激に減少したことになる。

  しかし国際分業の深化によって、中間財の生産が日系企業も含めて現地生産が拡大し、中国やアセアン諸国が部材供給国として台頭してきた。相対的に日本からの輸出が減少した。「日本がFTAやEPAの分野で大きく出遅れたことにも起因している」と袁先生は指摘した。

   このような状況を考えると袁先生は「日本企業はむしろこれから、中国とのビジネスチャンスにある」と提起した。それは生産拠点として依然として中国の魅力 は変わっていないこと、中国の人的資本、熟練労働者が蓄積されてきていること、物流やインフラなどが整備されてきたことなどをあげている。

 特に大企業の下請けで成長してきた日本の中小企業は、技術力が高いので中国の様々な資源と「合わせ技」にもっていけば、利益を享受できるとの主張を展開 した。さらに付加価値として中国の消費者は、「イデオロギー主義」から「合理的な消費者」に変化してきており、消費者として日本製を評価する時代になって いる。消費者の選択が「量から質」に変革してきたもメリットがあると指摘している。

 日本企業が中国から東南アジアに移行している反面、中国の内需市場に狙いを定めて二次産業から金融やコンサルティングなど研究開発も含めた三次産業に移行していることを指摘し、中国は依然として日本にとっては主要な投資対象国であると結論付けている。

 袁先生の見解は、一つの見方でありこれが切り札になるとは思えない。というのは政治的な状況は不安定であるが、それとは無関係に国際ビジネス環境は激変の道を歩いている。つまり経済活動は止めようがない環境の中で速度を速めている。

 袁先生の分析と見解は簡潔に整理された内容であり素晴らしいものだった。この見解が実現することを筆者は熱望する。是非、日中の友好関係を取り戻したいと思う。

 

中国総合研究センター・アドバイザリー委員会の開催

                                                

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 科学技術振興機構(JST)中国総合研究センターのアドバイザリー委員会が3月25日、東京市ヶ谷で開かれ、今年度の活動総括と次年度の活動計画について討論が行われた。

 今年度は、昨年9月に開催予定だった「第3回日中大学フェア&フォーラム」が、尖閣諸島問題に延期となり、大きな打撃を受けた。

 しかし今月、中国の北京・上海で開催された「中国国際教育巡回展」と「上海地域大学サイエンスパーク・イノベーションフォーラム」への参加で、交流の打開ができ、大きな実績となった。この中国でのイベントに日本の40の大学が参加して、中国の学術関係者に感銘を与えた。

 これはJSTが費用補助をしながら、中国総合研究センターのスタッフが日本の大学と中国当局への働きかけが功を奏したもので、日中大学交流の全面再開に向けた第一歩となる活動となった。

 こうした活動の報告のほかに、次年度からの積極的な活動展開を提示し、アドバイザーの委員から多くの注文と期待するコメントをもらった。

蔡成平氏の講演「中国マスメディアの実態と微博革命」

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中国のメディアは、中国当局の厳しい締め付けの中でも本来のメディアの役割を目指して頑張っている様子を新浪財経日本支局長の蔡成平氏が講演した。

 3月21日に開催されたJST中国総合研究センター(CRC)の研究会で講演したもので、特にインターネットによる情報交換の実態は世界一の規模で独特の発展をしている様子が分かった。

 中国当局が考えている中国のマスメディアとは、中国共産党と政府の「喉舌(代弁者)」であり、場合によっては党の路線に対する反応を探るための「耳目」の役割も担っているという。つまり、マスメディアは、党と政府の都合のいい宣伝機関でしかない。

 新聞の発行は、新聞社の登記と発行認可の規定の中で行われている。中国の新聞記者は、西側先進国の記者に比べて質が悪いという評価を聞くことがあるとい うが、蔡支局長によると「中国の記者は当局からの重い圧力の中で、読者が知りたいものを報道している」とし、むしろ質が高いのではないかとの見解を語っ た。

 党の機関紙「人民日報」の発行部数は急速に減少しており、「青年報」「経済日報」などの専門紙や庶民に密着したニュースを掲載する各地の夕刊紙、海外の情報を転載する「参考消息」などが、急激に読者数を増やしているという。

 中国全国各地で発行している新聞各紙は、発行部数の急増と共に売り上げも伸ばし、競争が激化して弱小新聞社は経営悪化から整理統合になる社も少なくない ようだ。こうした中で、当局の締め付けをくぐり抜けるように巧みな表現方法で真実を伝えようとする新聞や週刊誌も出てきている。

 たとえば都市報ジャンルでトップとされている「南方都市報」は、2011年のノーベル平和賞を劉暁波氏が受賞した際には、一面に空席の椅子とタンチョウ (丹頂鶴)の写真を掲載した。中国語で「鶴」は「賀」と同じ発音であることから、劉氏の受賞をお祝いする無言のメッセージを伝えようとしたようだ。

 中国政府は、劉氏の平和賞受賞に反発していたため、中国の報道機関はこの受賞をほとんど前向きに報道しなかった。このような動向の中で南方都市報は、祝意を表現しようとしたものだが同社は「他意はなく、過度の解釈をしないように望む」との見解を示したという。

 また、「南方人物週刊」では、2010年10月18日付けで「あなたが知らない石原慎太郎」との特集を組み、石原氏は「反中国ではなく反中共だ」という大胆な報道をしたという。

 総じて南方のメディアは、反政府的な視点で報道する姿勢が見えるようで、北京に近い北方系のメディアはどうしても腰が引けているか当局のコントロール下で活動せざるを得ないようだ。こうした中で最近、急速に発展してきたのがネットメディアである。

 ユーザーがインターネットで自由に発言することができ、情報発信の役割もある。当局の管轄下にある新聞、テレビ、ラジオなどとは違って、中国国民に自由 な発言の機会を与えるようになってきた。現在、中国の4大ネットメディア・ポータルサイトは、テンセント(騰訊)、シーナ(新波網)、ソーフー(捜狐)、 ネットイーズ(網易)でこの4社でポータル市場の4分の3を占めている。

 このようなポータルサイトは、当局の意に沿わない発信や活動があれば、ただちに当局がサイトに介入してくるので、市場化、産業化と規制の狭間の中で活動 せざるを得ない。また最近、中国版ツイッターと呼ばれる「新浪微博」 が、人気急上昇しているという。このミニブログサイトは、ツイッターとフェイスブッ クの両方を併せ持っているようなサイトで、2012年3月時点で3億2千万人以上のユーザーがいるという。

 経営する新浪公司の総資産は36億ドルとされ、そのうち新浪微博の資産価値は23億ドルという。ほぼすべてのメディア会社が登録しており、微博は中国ビ ジネスに不可欠のツールになっている。蔡支局長は、インターネット時代を迎えて時々刻々と変化する中国のメディアの動向から目を離せない実態を報告した。

 

袁堂軍先生の講演「どのような企業が中国から離れるか?」

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 尖閣諸島問題をきっかけに日中間の交流が冷え込み、かつてない停滞期になっているが、この状況の中で日本の企業は中国とどのように付き合うべきか。5月 16日に開かれたJST・中国総合研究交流センター主催の研究会で、日中の企業活動の状況を調査して分析した結果を復旦大学アジア経済研究センター長で国 際金融報研究院学術院長の袁堂軍先生が講演を行った。

  中国の最近の人件費の上昇はすさまじい勢いである。袁先生の示したデータによると、縫製業ではすでに月収2500人民元(約4万円)から3000元(約4 万8000円)に達しているという。ベトナムは500元(約8000円)、インドは250元(約4000円)、カンボジアは300元(4800円)であ る。 さらに人民元の切り上げ、外資系企業に対する優遇措置の撤廃などが続き、中国でのビジネスリスクが高くなってきた。

 さらに袁先生らの調べで、他の新興国と中国とをビジネスリスクで比較をしたところ、次のような点が浮かび上がってきている。

 中国は「法制度が未整備であり運用に問題がある」、「知的財産権の保護に問題あり」、「代金回収上のリスクがある」、「政情リスクに問題がある」などの 項目で、他の国々に比べてかなり高い率で指摘されているという。こうした状況から中国ビジネスに参入しないか離れる理由として、①生産コストなど製造面で 他の国・地域より劣る、②法律や規制が整備されておらず運用も不安定だ、③カントリーリスクが高いなど安定的な工場操業や店舗の営業にリスクを伴う-など が指摘されている。

 その一方で中国でビジネス展開する魅力は、日本の大企業や中小企業にとって、中国は市場規模が大きいことや成長性から考えてビジネスが拡大できると袁先生らは考えているようだ。

 それでは日本企業はどのような戦略で中国ビジネスを考えるべきか。袁先生は次の3つの道筋を示した。第1が中国プラスワンである。中国をメインの投資・運営先とするがリスク分散でもう1つの拠点を東南アジアに設立する。

 第2の戦略は、中国・パッシングである。完全に中国から撤退するものであり、日本企業にとってはsunk cost(事業に投下した資金のうち、事業の撤退・縮小を行っても回収できない費用)が大きくなる。他に転用ができない事業ほど埋没費用は大きくなること になる。しかしこれは中国にとっても打撃となる。

 第3の戦略は中堅・中小企業は果敢に参入するべきとする戦略である。こうした状況と戦略の選択は、企業のサプライチェーン、バリューチェーンをどう位置付けるかにかかってきているとした。

 これは生産工程の国際分業化の深化をどのように企業経営に取り入れて有利なビジネスを築いていくかにかかってきている。日本企業は、中間財、サービス、 最終財の輸出先をアメリカから中国に大きくシフトしてきている。その状況を大まかに言えば、中国貿易では電機、金属、化学などの中間財輸出が急増し、電 機、繊維、食品などの最終財輸入が急増した。相対的に対米貿易は、2005年ごろから急激に減少したことになる。

  しかし国際分業の深化によって、中間財の生産が日系企業も含めて現地生産が拡大し、中国やアセアン諸国が部材供給国として台頭してきた。相対的に日本からの輸出が減少した。「日本がFTAやEPAの分野で大きく出遅れたことにも起因している」と袁先生は指摘した。

   このような状況を考えると袁先生は「日本企業はむしろこれから、中国とのビジネスチャンスにある」と提起した。それは生産拠点として依然として中国の魅力 は変わっていないこと、中国の人的資本、熟練労働者が蓄積されてきていること、物流やインフラなどが整備されてきたことなどをあげている。

 特に大企業の下請けで成長してきた日本の中小企業は、技術力が高いので中国の様々な資源と「合わせ技」にもっていけば、利益を享受できるとの主張を展開 した。さらに付加価値として中国の消費者は、「イデオロギー主義」から「合理的な消費者」に変化してきており、消費者として日本製を評価する時代になって いる。消費者の選択が「量から質」に変革してきたもメリットがあると指摘している。

 日本企業が中国から東南アジアに移行している反面、中国の内需市場に狙いを定めて二次産業から金融やコンサルティングなど研究開発も含めた三次産業に移行していることを指摘し、中国は依然として日本にとっては主要な投資対象国であると結論付けている。

 袁先生の見解は、一つの見方でありこれが切り札になるとは思えない。というのは政治的な状況は不安定であるが、それとは無関係に国際ビジネス環境は激変の道を歩いている。つまり経済活動は止めようがない環境の中で速度を速めている。

 袁先生の分析と見解は簡潔に整理された内容であり素晴らしいものだった。この見解が実現することを筆者は熱望する。是非、日中の友好関係を取り戻したいと思う。

 

中国総合研究センター・アドバイザリー委員会の開催

                                                

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 科学技術振興機構(JST)中国総合研究センターのアドバイザリー委員会が3月25日、東京市ヶ谷で開かれ、今年度の活動総括と次年度の活動計画について討論が行われた。

 今年度は、昨年9月に開催予定だった「第3回日中大学フェア&フォーラム」が、尖閣諸島問題に延期となり、大きな打撃を受けた。

 しかし今月、中国の北京・上海で開催された「中国国際教育巡回展」と「上海地域大学サイエンスパーク・イノベーションフォーラム」への参加で、交流の打開ができ、大きな実績となった。この中国でのイベントに日本の40の大学が参加して、中国の学術関係者に感銘を与えた。

 これはJSTが費用補助をしながら、中国総合研究センターのスタッフが日本の大学と中国当局への働きかけが功を奏したもので、日中大学交流の全面再開に向けた第一歩となる活動となった。

 こうした活動の報告のほかに、次年度からの積極的な活動展開を提示し、アドバイザーの委員から多くの注文と期待するコメントをもらった。

 

蔡成平氏の講演「中国マスメディアの実態と微博革命」

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中国のメディアは、中国当局の厳しい締め付けの中でも本来のメディアの役割を目指して頑張っている様子を新浪財経日本支局長の蔡成平氏が講演した。

 3月21日に開催されたJST中国総合研究センター(CRC)の研究会で講演したもので、特にインターネットによる情報交換の実態は世界一の規模で独特の発展をしている様子が分かった。

 中国当局が考えている中国のマスメディアとは、中国共産党と政府の「喉舌(代弁者)」であり、場合によっては党の路線に対する反応を探るための「耳目」の役割も担っているという。つまり、マスメディアは、党と政府の都合のいい宣伝機関でしかない。

 新聞の発行は、新聞社の登記と発行認可の規定の中で行われている。中国の新聞記者は、西側先進国の記者に比べて質が悪いという評価を聞くことがあるとい うが、蔡支局長によると「中国の記者は当局からの重い圧力の中で、読者が知りたいものを報道している」とし、むしろ質が高いのではないかとの見解を語っ た。

 党の機関紙「人民日報」の発行部数は急速に減少しており、「青年報」「経済日報」などの専門紙や庶民に密着したニュースを掲載する各地の夕刊紙、海外の情報を転載する「参考消息」などが、急激に読者数を増やしているという。

 中国全国各地で発行している新聞各紙は、発行部数の急増と共に売り上げも伸ばし、競争が激化して弱小新聞社は経営悪化から整理統合になる社も少なくない ようだ。こうした中で、当局の締め付けをくぐり抜けるように巧みな表現方法で真実を伝えようとする新聞や週刊誌も出てきている。

 たとえば都市報ジャンルでトップとされている「南方都市報」は、2011年のノーベル平和賞を劉暁波氏が受賞した際には、一面に空席の椅子とタンチョウ (丹頂鶴)の写真を掲載した。中国語で「鶴」は「賀」と同じ発音であることから、劉氏の受賞をお祝いする無言のメッセージを伝えようとしたようだ。

 中国政府は、劉氏の平和賞受賞に反発していたため、中国の報道機関はこの受賞をほとんど前向きに報道しなかった。このような動向の中で南方都市報は、祝意を表現しようとしたものだが同社は「他意はなく、過度の解釈をしないように望む」との見解を示したという。

 また、「南方人物週刊」では、2010年10月18日付けで「あなたが知らない石原慎太郎」との特集を組み、石原氏は「反中国ではなく反中共だ」という大胆な報道をしたという。

 総じて南方のメディアは、反政府的な視点で報道する姿勢が見えるようで、北京に近い北方系のメディアはどうしても腰が引けているか当局のコントロール下で活動せざるを得ないようだ。こうした中で最近、急速に発展してきたのがネットメディアである。

 ユーザーがインターネットで自由に発言することができ、情報発信の役割もある。当局の管轄下にある新聞、テレビ、ラジオなどとは違って、中国国民に自由 な発言の機会を与えるようになってきた。現在、中国の4大ネットメディア・ポータルサイトは、テンセント(騰訊)、シーナ(新波網)、ソーフー(捜狐)、 ネットイーズ(網易)でこの4社でポータル市場の4分の3を占めている。

 このようなポータルサイトは、当局の意に沿わない発信や活動があれば、ただちに当局がサイトに介入してくるので、市場化、産業化と規制の狭間の中で活動 せざるを得ない。また最近、中国版ツイッターと呼ばれる「新浪微博」 が、人気急上昇しているという。このミニブログサイトは、ツイッターとフェイスブッ クの両方を併せ持っているようなサイトで、2012年3月時点で3億2千万人以上のユーザーがいるという。

 経営する新浪公司の総資産は36億ドルとされ、そのうち新浪微博の資産価値は23億ドルという。ほぼすべてのメディア会社が登録しており、微博は中国ビ ジネスに不可欠のツールになっている。蔡支局長は、インターネット時代を迎えて時々刻々と変化する中国のメディアの動向から目を離せない実態を報告した。

 

日中知財情報交換会を開催

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 上海で知財関係の調査会社、IPフォーワード社(IPF)を経営する分部悠介弁護士を囲んで、2月7日、プレスセンターで日中の知財情報交換会を開い た。IPFは、中国を拠点にアジア地域など広範囲の知財調査を展開しており、分部社長は中国社会の事情やビジネス環境を熟知している。

 この日参加したのは、中国の雲南省で元従業員が会社の秘密情報を盗用してコピー工場を建設した被害者であるバイオジェニック社の部長、中国の大手特許事 務所である北京銘碩国際特許事務所日本代表、東京税関幹部職員、ソニー知財センターのスタッフ、日本司法支援センター職員など多彩な人々が集まった。

 中国での模倣品被害は一向におさまらない。最近は、会社乗っ取りに近いコピー工場の建設や特許、実用新案、商標などの権利を先取りし、その権利を主張して損害賠償金を請求する事件など、不正の手口が進化してきている。

 中国では、こうした調査や行政・司法・公安などへの働きかけ、様々な中国当局への対策費(いわゆる賄賂)などで使う費用は、「必要経費」と考えるべきと 思っていたが、分部社長も全く同じ意見だった。中国で経営する日系企業で日常的に起きている様々な話を聞いていると、中国社会が成熟するのは無理ではない かと思うことがしばしばある。

 これは学歴とか頭脳の良し悪しとは無関係だ。一国の文化であり、民族のDNAでもある。日本と日本人が特に優れているわけではないが、民族の差、社会の差は歴然と存在するものであり、その前提に立った対策や経営をしなければビジネスは成功しないという感慨を持った。

 

 

忘年・麻雀大会で今年も締めくくり

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 科学技術振興機構・中国総合研究センター(CRC)のメンバーらと、恒例になっている今年最後の麻雀大会と忘年会を開催した。麻雀は、中国ルールで行ったが、これが独特のルールで面白い。 実力というよりも運が左右するが、運だけでもない。

 いつものことだが勝ち負けよりも、自分と他人の浮き沈みを楽しみ、その過程を楽しむ。日本人と中国人がお互いに勝手なことを言い合って、ま、だまし合い。そしてこの日に出し物は、秘伝の味噌で作ったちゃんこ鍋。

 これは大相撲の羽黒花親方が発明した秘伝の味噌で、親方が亡くなってから女将さんから特に伝授されたものだ。その作製方法は、女将さんとの約束で誰にも教えることはできない。しかし、作った味噌は、希望者に少しだけおすそ分けしている。

 おいしいちゃんこ鍋を食べて、楽しい麻雀大会をして、今年も無事に締めくくった。波乱の2012年も間もなく暮れようとしている。

中国総合研究センターの忘年会の開催

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文部科学省・科学技術振興機構(JST)の中国総合研究センター(CRC)の忘年会が、12月18日、東京・麹町の中華レストランで開催し、今年の日中の諸問題について総括を行った。

 この日は、日本人、中国人のスタッフが集合して、今年一年を振り返って一番よかったこと、一番よくなかったことなどを各自披露してこの一年を振り返った。

 CRCにとって最も残念だったのは9月27日、28日に開催予定だった、「第3回日中大学フェア&フォーラム」が尖閣問題で延期になったこと だ。この開催には、CRCの日中のスタッフが心血を注いで準備してきただけに、延期と決まったときは半ば放心状態だった。このハプニングは、全員がそれぞ れ今年一番の出来事として受け止めていた。

 しかし、11月29日には、これに代わるイベントとして「中国の新体制下での日中関係」をテーマに掲げたシンポジウムを開催し、本音で語る日中の未来志 向について討論を行った。歴史も民族も思考方法も価値観も政治体制も全く違う日中両国がどうすれば未来志向で向き合えるか。

 このシンポジウムでは、中国の新体制下の政策や日本の政局なども視野に入れながら忌憚のない意見が出て大変面白かった。その内容については、このブログでも報告している。

 忘年会では、尖閣問題などは論議を尽くした話題であるため話に出なかったが、国際的な男女交際から結婚問題、そして日常の業務の不満と愚痴など、どこの国でもどこの組織でも出てくる諸問題が最も熱く語られることになり、それはそれで実りある忘年会だった。

 筆者にとって面白かったのは中国のヤクザと日本のヤクザの違いを語り合ったときだ。中国のヤクザは、例外なく刺青を入れているそうで、中国で刺青の人を 見かけたらヤクザ?と思ったほうがいいのだろうか。ただ、ヤクザの思考とその価値観とやり方は日中とも同じようなもので、どうもマフィアとかヤクザという 人種の思考過程は万国共通のようだということで話は一致した。

 このような一見、他愛のない会話のようだが、日中のスタッフがお互いの立場を超えて和気あいあいの中で話し合うことで共通の楽しい時間を持つことができた。 その機会と時間が最も貴重なことだと思った。

 

中国新体制下の日中関係で緊急シンポジウム

   尖閣諸島の領有権問題をめぐって日中関係はかつてないほど悪化しているが、その一方で先ごろ開かれた中国共産党大会で習近平氏をトップとする中国の新しい体制がスタートした。

 このような状況を踏まえて独立行政法人科学技術振興機構(JST)中国総合研究センター(CRC)は、11月29日、東京のイイノホールで「中国の新体制下での日中関係」と題する緊急シンポジウムを開催した。

 習近平氏の新体制の下で、どのように日中関係の再構築を図るべきか。中国の状況をよく知る専門家の提言とパネルディスカッション行い、今後の日中関係再構築への有意義な討論と提言が出された。約500人が参加して盛会のうちに閉幕した。

 「中国の新体制下での日中関係」シンポジウム 

挨拶 

有馬朗人(JST中国総合研究センター アドバイザリー委員会委員長)

基調講演1

「党大会後の中国政治と日中関係」 高原明生(東京大学大学院教授)

基調講演2

「日中経済関係の新局面と日本企業の対応」 服部健治(中央大学大学院教授)

基調講演3

「転機の中国経済と日本」 大西康雄(JETROアジア経済研究所新領域研究センター長)

パネルディスカッション

モデレータ 加藤千洋(同志社大学大学院教授)

パネリスト

大西康雄(JETROアジア経済研究所 新領域研究センター長)
柯 隆(富士通総研経済研究所主席研究員)
川口 清(敏実集団有限公司執行董事)
瀬口清之(キャノングローバル戦略研究所 研究主幹)
服部健治(中央大学大学院教授)

 冒頭の挨拶に立った有馬朗人氏は、日中の文化交流の歴史を振り返り、日本と中国の歴史的背景と科学分野での学術交流などで多大な実績があったことを紹介した。

 さらに最近の中国の科学技術の活動を紹介し、世界最先端の科学技術の成果を出す一方、基礎研究の分野でも先進国と肩を並べるまでになっている中国の学術活動を紹介した。

 このような歴史と現在の中国の学術活動を考え、これからは東アジアの共同体として両国は一層の学術交流が重要であると主張し、一日も早く日中の交流を従来の形に取り戻すべきであると主張した。

 基調講演 

 基調講演では高原明正氏が、「党大会後の中国政治と日中関係」とのタイトルでまず日中両国の「戦略的な互恵関係」を打ち出した経緯を説明した。そして今回の中国の指導部の交代がどのような権力構造の中で行われたかを様々な情報や報道を分析して説明した。

  さらに反日プロパガンダによるナショナリズムの高揚は、中国社会の不満層の眼をそらす効果がある一方で不満のはけ口が中国政府に向かってくることと表裏の 関係になる危険性も指摘した。そして日中が相互に発展するための道筋をどのようにするべきか重要な時期であることを指摘した。

 最後に日本が中国と付き合うことで最重要なこととして、先の戦争で日本が中国国民に迷惑をかけたことを決して忘れてはならないと主張した。

  続いて服部健治氏は、「日中経済関係の新局面と日本企業の対応」とのタイトルで、様々な資料を示して今後の対応策を提示した。尖閣問題で反日デモが発生し て日系企業が襲撃されたり略奪された。政治問題でこのような圧力をかける手法は許されないこと、暴力行為を容認する中国政府のあり方はWTOの理念に違反すると総括した。

 また中国社会に報道の自由はなく、中国国民は暴力デモや略奪行為をTVや新聞で見ていないのではないかとし、日中の情報の非対称性を指摘した。 しかしこのような緊迫した状況になっても、日中の経済活動は相互に深く連関し、日系企業は中国社会の発展のために頑張っているのであり、金儲けのためだけで企業活動をしていないとの企業理念をはっきりと表明することを薦めた。

  またこれからの中国での経済活動のあり方は長期的視点で戦略を練ることや中国人幹部の養成と現地適応技術の開発など持続的な発展を目指す方向を示した。最 後に今回の事件を契機に日本の学校では戦争の責任のあり方をきちんと学ばせ、中国を侵略した事実を率直に国民全体が認めて共通認識にするべきこと、中国政 府には政経分離を要請することなどを主張した。

 最後に大西康雄氏は「転機の中国経済と日本」とのタイトルで、中国経済の成長について歴史的な過程を分析して紹介した。著しい成長は輸出主導型であり、賃金の急上昇、人民元の為替レートの上昇、労働力の枯渇などの課題も提示した。

 そして今後20年間の課題をあげてその対応策を提示し、日中の今後の経済活動のあり方を提言した。その中で日本が必要とするものと中国が必要とするものを分析し、日中の今後の経済交流について提言した。

  最後にパネルディスカッションが行われた。

 柯 隆氏は「ポスト胡錦濤政権の中国の政治経済見通し」とする中国の経済政策の新たな動きと所得分配の公正化などについて意見を述べた。

 川口清氏は、中国で経済活動をしている現場で感じた尖閣問題後の体験から、中国市場の動きを説明し特に日系企業の活動について提言をした。

 瀬口清之氏は「中国経済の構造変化と今後の日中経済関係」について分析し、中国は2005年から輸出投資主導型経済から内需主導経済型へと転換を進めていることを主張した。

 そして中国国民の所得が上昇している現在と今後の動向を分析し、質のいい日本製品がこれから中国市場で伸びる可能性を示唆し日本企業の取り組み方について提言を行った。

  パネルディスカッションでの論点は、日中の経済、文化、学術交流などがきわめて重要であることが語られ、特に日中の相互互恵関係の重要性が認識された。経 済で大きく成長して自信を深めてきた中国が今後も、対日強硬策を発動する可能性が危惧されるが、こうした中国政府の政策は中国の経済、文化にも影響が出て くることを指摘し、互恵関係をさらに成熟化させることで意見が一致した。  

  

 

中国総合研究センターアドバイザリー委員会の開催

                               

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 日中間の学術、産学連携活動の交流を促進するために活動を広げているJSTの中国総合研究センター(吉川弘之センター長)のアドバイザリー委員会(有馬朗人委員長)が、3月14日に開催され、今年度の活動内容と次年度の活動予定について討議を行った。

 同センターの活動は年々幅を広げており、昨年は第2回日中大学フェア&フォーラムで日中の大学の交流を促進した。今年は9月27日、28日にイノベー ションジャパン大学見本市との同時開催を予定しており、日中国交回復40周年記念の年でもあり、いまから大きな期待がかかっている。

 また昨年からは、日本の現状を中国に中国語で発信する「客観日本」を中国センターンのウエブサイトで公開しているが、最近、アクセス数が急激に上がって きており、日本の情報を求める中国人が着実に増えているようだ。アドバイザリー委員会の委員で中国大使館の李公使は「客観日本の記事は非常にいい。日中双 方に役立つし、友好発展のためにも長期的に続けることが意味がある」とのコメントもあった。

 これからも、日中間の大学や研究現場の情報交換の場として役立つよう積極的な活動が期待されており、高校、大学生の交流促進にも力を入れるようにとの意見も出された。

 

中国に向けた情報サイト「客観日本」発信から1年

                     

 中国の政治、経済、社会の動向は様々な情報によって日本に入ってくるが、日本の動向が中国に正確な形で伝わっているとは限らない。そこで中国総合研究センターは、中国への情報発信を強化するために、中国向けポータルサイト「客観日本」を平成23年3月31日(木)から一般公開した。

 それから約1年になるが、最近になってようやく中国の人たちにも広がったようで、アクセス数が増加してきた。本サイトは、「科学技術」、「教育」、「文化」、「経済・産業」、「社会・生活」、「日中交流」、「日本百科」など幅広い日本の情報を中国の人々に伝え、日本への理解を深めてもらうことを目的としている。

 「客観日本-日本情報プラットフォーム」というサイト名をつけたのは、偏った見方や情報発信ではなく客観的な見方、情報を発信することを目標としたからである。

 中国の多くの人々に利用してもらうために、発信する全ての情報を中国語にし、ニュース、写真スライドショー、動画、漫画、ゲームなどさまざまな形で提供しているのが特徴だ。

 日本に在住する中国人、中国本国にいる人たちに是非、このサイトを知ってもらいたいと思う。

 

中国中央民族大学の張華ご夫妻と懇談

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北京の中央民族大学歴史文化学院教授の張華先生と奥様の李今玉先生と東京・銀座で懇親会を開催し、最近の日中学術交流などを話し合った。

 張教授は、現在、学習院大学東洋文化研究所から招聘されて研究を行っている。研究テーマは、日本の環境政策や取り組みの歴史的な過程を調べ、中国の環境 対策に役立てようとする研究である。中国は現在、高度経済成長期にあって、大気汚染、工場排水などによる河川、海水汚染など環境が悪化している。

 日本も1970年代の高度経済成長期には同じように環境汚染を招き、環境浄化のための技術開発や政策で国ぐるみの取り組みをやってきた。張教授は、その歴史的な取り組み過程を調べるものであり、中国の環境保護にどのように対応するべきかを研究しているものだ。

 奥様の李先生は、同じ大学の生命と環境科学学院実験センターの管理者をしており、大学の学生、大学院生らの実験を指導している。今回は、春節の休みを利用して来日したもので、ご夫妻の訪問を受けての懇談会となった。

 今後の日中の学術交流でもお互いに人脈を活用して発展させることで意見が一致、これからの活動が楽しみだ。

 

中国総合研究センターの定例会

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日中の学術交流、文化交流を推進しているJSTの中国総合研究センターの月例会議が、1月24日に開かれ、昨年開催された日中大学フェア&フォーラムの総括などを論議した。

 日中大学フェア&フォーラムは、日中の大学や研究機関が一堂に会して交流を推進しようとするイベントであり、日中から100を超える大学などの参加があった。参加大学・研究機関の率直な意見・感想を聞き、今後の開催に役立てる準備が始まっている。

 筆者もその推進者の一人として模索しているが、日中の大学人の考え思惑は当然ながら違うものである。一国の経済状態、文化、国民性などを考えれば当然であるがそれをどう乗り越えていくかが最大の課題だろう。

 今年は第3回のフェア&フォーラムの開催が予定されており、成功させるために筆者も活動を開始したいと考えている。このイベントへの支援を期待している。

 

中国総合研究センター運営会議の開催

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 JSTの中国総合研究センターの運営会議が12月6日に開かれ、先月開催された第2回日中大学フェア&フォーラムのアンケート調査について討議を行った。この調査はまだ集計・分析の途上にあるが、日中の大学関係者から多くの貴重な意見が寄せられている。

 このような日中の大学の交流は、これまでに実施されたことがないため、初めての体験による反省点もあるし思わぬ収穫もある。この日の会議でも、大学関係者から出されている率直な意見を分析して今後の開催時に生かすことなどが話し合われた。

 いずれこのアンケート調査は公表されることになっており、そこからまた新たな意見が出され、次回開催への参考になれば幸いである。

 

日中大学フェア&フォーラムの打ち上げ会

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 入場者がおよそ1万人でにぎわった「第2回日中大学フェア&フォーラム(FF)」の関係者が反省会と慰労を兼ねた打ち上げ会が、10月19日に東京・四谷で開かれ、真摯で楽しい打ち上げ会となった。

 FFは、未来型のイベントなので、反対する人、疑問視する人など様々だが、時代の趨勢を見ればこのイベントが間違っていないことは明らかだ。これからの 日中の関係がより深まることがあっても後退することはない。特に科学技術分野を中心に、学術的な交流は深まる一方になる。

 それはこのFFに参加している中国関係の人々の言動を見ていると、間違いなく未来志向であることを確信する。沖村憲樹JST顧問の強力なリーダーシップで始まったものであり、今後もこのイベントは続ける必要がある。このような交流は、継続して初めて価値が出る。

 イベントの実施方法も、スポンサーを付けるなど様々な形態が予想されるし、ブースをセットしてあれだけの面積と人を動員するなら、別のやり方が模索出来かもしれない。今は自由な発想で模索を繰り返しながら、次の開催へ向けて関係者の理解を深めていくことが重要だろう。

 ともかくも、日中のスタッフのエネルギーが結集して、初めてできたイベントであり、この日の打ち上げでも反省しながらも大いに盛り上がった。

 

日中大学フェア&フォーラム2日目の開催

             

  日中の大学間の新たなパートナーシップの構築に向けて開催されている「第2回日中大学フェア&フォーラム」2日目の10月10日は、東京・池袋のサンシャイン文化会館で引き続き開かれ、1000人を超える入場者でにぎわった。 

 2日目の午前中は、「海外企業の中国進出戦略と大学連携」をテーマに講演会が開かれ、大競争時代を背景として生産拠点のみならずR&D拠点がグローバル化していく中で、中国における産学連携の現状についての報告が相次いだ。 

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  講演した人は、次の通り。

 アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)グローバルリサーチセンター日本代表の浅倉眞司さん

 ドイツのシーメンス(Siemens AG) Corporate Technology, Chief Technology Office, Innovation Strategy  

 旭化成株式会社CSR室長 高見澤正さん  

 オムロン株式会社執行役員常務 技術本部長 荒尾眞樹さん  

 ジャパンローヤルゼリー株式会社代表取締役会長 山口喜久二さん

 双葉電子工業株式会社執行役員 経営企画部長 有馬資明さん  

 三菱重工株式会社執行役員 技術統括本部副本部長 児玉敏雄さん  

 講演内容についての詳細は後日まとめるが、全体の要旨は次のようなものだった。

  講演企業のすべてが中国を単なるマーケットとはとらえていない。グローバルな事業展開におけるR&D拠点の1つとして位置付けている。 R&D拠点としては大学連携があり、企業の研究・開発の関心分野に応じて人的なつながりにおいて大学が選ばれている。これは中国の大学に置ける産 学連携思考との合致するものと考えられる。

   また、「中国のイノベーションを牽引する産学連携の仕組み」については、中国のサイエンスパーク、ハイテクパーク、大学発ベンチャーは中国経済成長を牽引する原動力となっている現状について講演があいついだ。講演者は次の通り。

中関村サイエンスパーク協会常務・副会長 劉卓軍さん

清華大学サイエンスパーク常務副総裁 李志強さん

方正株式会社社長 管祥紅さん

呉中サイエンスパーク蘇州呉中管理委員会主任 馬立恒さん  

 講演の後に会場から質問が出され、質疑が行なわれた。 

  一方、午後2時前から行なわれた特別講演の加藤嘉一さんの会場は、参加希望者であふれ、椅子が足りないために床に座り込んで聴く人たちが多数出た。

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 最初に加藤さんの基調講演の要旨は次のようなものだった。

 自身の生い立ちから高校卒業後に北京大学に留学し、中国語をマスターしながら中国市民との交流を深めていった体験と大学で多国籍の留学生と交流することで国際的な視野と考えが自然と備わっていった過程を語った。

 日中の若者たちの考え方の相違を埋めるために、東大・北京大の学生が英語で討論する交流を行い、それぞれの考えを述べて理解することを学んだ。 中国の若者や学生は、自ら海外へと出ていくことを望み、多くのハンデを乗り越えて実現しているが、日本の若い世代は内向きであり、保守的、閉鎖的ではないか。もっと外国へ出て行く気概が必要だ。

 日本は戦後、高度経済成長からバブル崩壊、失われた20年まで60年間の体験を踏んでいるが、中国はまさに日本の60年間を同時に直面しているように感じる。中国をウオッチすることは同時に日本を振り返ることになる。

 日本人の若者が海外へ出て行くことはローリスク・ハイリターンである。中国では、ビザの問題、費用の問題など多くの課題があるがそれを乗り越えて出て行く。日本の大人は若い人が行動することに邪魔しないようにしてもらいたい。

  この後、会場との質疑討論が行なわれた。フロアから発言した人は、中国人が半数、日本人が半数で男女も半数だった。中国人で日本へ留学している若者からは、加藤さんが北京で当初感じたように、中国に抱いている日本の若者の違和感を訴える内容が多かった。

  こうした状況をどのように理解して立ち向かうべきか。そのような意見を求める人もいた。また、中年のご婦人からは過去20年間に中国、香港、台湾などで生 活し教育し自身が学んできた体験談を語った。その体験に照らして見ると、いつの時代もその時代の状況によって様々な体験が生まれ、交流が行なわれ歴史がつ づられていくことを示唆したもので、加藤さんも共鳴する意見をのべていた。

 講演と討論の時間はあっという間に予定の時間を消費してしまい、日中の若者世代の考えと行動、歴史を考えさせる充実した時間だった。       

 

第2回日中大学フェア&フォーラムの開催

       日中の100を超える大学、研究機関が一同に会して新たなパートナーシップを築く「第2回日中大学フェア&フォーラム」が、10月9日、東京・池袋のサンシャイン文化会館で開催された。 

 10時の定 刻になるとオープンを告げるテープカットが行なわれた。中川正春文部科学省大臣、程永華中国大使、有馬朗人・武蔵学園園長、白章徳中国留学服務中心主任、 安西祐一郎日本学術振興会理事長、遠藤勝裕日本学生支援機構理事長、藤嶋昭東京理科大学長、中村道治JST理事長、吉川弘之CRCセンター長がそれぞれ テープを手にしてカットし、会場をオープンした。  

 このあと、中川大臣、程大使らが大学のブースの並ぶ会場に入り、熱心に見学しながらブースの係員らの説明を聞いたり活動について質問するなど楽しい見学の時間となった。 

   11時からは、北京大学を皮切りに大学アピール大会が開催され、この日は中国の48大学がそれぞれの特色をPRするアピールを行なった。2日目の10日は、日本の大学と研究機関が43のアピールを予定している。

 

 展 示会場の一角で人気を集めていたのは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)、旭化成グループなど11の機関と企業が展示している先端技術展示である。二足歩 行ロボットを展示している株式会社アールティ社には多くの見物人が取り囲み、人間の動作を真似て動くかわいらしいロボットに感嘆の声をあげていた。

   また宇宙探査をして地球に帰還した「ハヤブサ」の搭載カプセルとイトカワの模型を展示しているJAXAのコーナーにも日中の若い人たちが立ち寄り、宇宙活動の様子を見学していた。

 

   この日の特別開催プログラムでは、中国の科学技術・高等教育の推進に重要な役割を果たす各政府機関から、中国独特の社会経済的背景の下で進められる産学連携、地域連携、イノベーション促進活動や人材活用方策などについて紹介する講演を行なった。

 

 講演機関と講演者は次の通りである。

中国科学技術部・タイマツセンター副主任 修小平中国科学院・院地合作局 副局長 孫殿義中国教育部・留学服務中心投資処 処長 戴争鳴 

   午後か らは、パネルディスカッション行なわれた。テーマは、「中国の大学における産学連携の取組み」である。このパネルディスカッションの目的は、日本の企業が 中国へビジネス展開を進めるに当たって、中国の大学が重要な役割を果たすが、中国の大学は日本の大学と比べ、極めて多様かつ強力に産学連携活動を進めてい る。

 

  そこで、パネルディスカッションでは、中国の大学の現役トップからそれぞれの大学の産学連携の取組み、経験、成果などを紹介し、会場のご質問にも答えて議論を行なった。講演機関及び講演者は次の通り。

モデレーター:【大阪大学】理事・副学長 馬場章

パネリスト:【華東師範大学】副学長 範軍【東北電力大学】 学長 李国慶【大連理工大学】 学長補佐 李俊傑【西北工業大学】副学長 翁志黔コメンテーター:【琉球大学】理事・副学長 佐藤良也  

 

洪水のように出回るデッドコピー

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 上海の知財調査会社のQCACを訪問した際に、ゼブラ株式会社の秋山守雄氏(前同社知的財産部担当部長)と出会う機会があった。秋山氏は、いま洪水のように出回っている同社のデッドコピーの摘発をQCACとともに進めているという。

 写真は前列右が藩徳山QCAC社長、左が秋山氏、後列左がQCAC知財部・日本部の張麗麗マネージャー、右が同業務担当の江藤真愛さんである。

 先の報告で中国での模倣品は、第3世代に入ってきたとしたが、デッドコピーなどの第1世代も依然として中国で出回っている現状を聞いて、やはり模倣品被害はまだ深刻な状況にあることを認識した。

 下の写真で見るように真正品(上)と模倣品(下)とを見比べても、一見しては見分けが非常に難しい。よくよく見れば、真正品のデザインや印刷文字に違いがでていることが多いが、消費者の目からは同じものに見えるだろう。

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 摘発する際に中国の公安当局へ持ち込むが、その際には模倣品である証拠をそろえる必要がある。ボールペンやマーカーなどの場合は、インクを分析すること になるが、これは手間も費用もかかる。秋山氏は「市場を調査して模倣品を発見し、インクなどを分析して証拠を揃えてやっと摘発への準備が整うのでそれなり に時間も費用もかかる」と語っている。

 秋山氏は、日本ー中国を往復しながら模倣品根絶に取り組んでいるが、このように粘り強く取り組まない限り、市場から模倣品を追放することは難しい。最近の模倣品動向について、もう少し掘り下げた分析とその報告が必要なことを痛感した。

 

上海の知財調査会社のQCACを訪問

              

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  中国の模倣品の手口はさらに進化をしてきた。第1世代を商標やブランドマークのデッドコピーを主体としたものとするなら、第2世代は特許技術、意匠の模倣である。さらに最近になって「先取り権利」の手口などが出てきた。第3世代と位置付けたい。

  といっても商標ブランドと製品のデッドコピーがなくなったわけではなく、製造技術が進歩してきたこと、模倣品製造業者が当局の取締りの網の目をくぐるノウ ハウを身につけてきたことなどから、手口がさらに複雑化して被害企業をてこずらせている。これもまた第3世代の模倣品の動向と位置付けられるだろう。

 筆者は7月20日、上海を拠点に模倣品調査と摘発を手がけているQCAC駿麒国際諮詢有限公司(QCAC=Quick Commodity Agency Corporation)を訪問して藩徳山社長らに最近の模倣品調査活動の動向を取材した。

 QCAC社は、設立してから13年経つが、その間多くの模倣品調査を摘発してきた実績を持っており、今年からは新たに法律事務所も設立し模倣品摘発の法的対応と刑事事件立件への強化をはかっているという。

 最近の摘発実績を聞いてみると、文房具、農薬、医療機器、自動車、スポーツなど多彩な分野にまたがっている。傾向として増えているのは日本の中小企業からの摘発依頼が増えてきたことだという。

 大企業はこれまで多くの模倣品被害にあい、その摘発と防衛手段では様々な手を打ってきた。その効果は徐々に浸透してきており、従来のような被害は減少してきているが、模倣品業者が手口を進化させてきたため、新たな対応に迫られるケースも出ている。

 たとえばデッドコピー製品を大量に製造しても、摘発を警戒して一箇所に模倣品を貯蔵しないようにしたり夜間の監視を強化して、当局の摘発をいち早く察知する方策も備えるようになってきた。

 藩社長は「こちらの尾行、監視なども模倣品業者の警戒が強くて以前のようにはいかなくなった。工場に関する聞き込みもずっと難しくなっている。しかし、こちらも摘発手段を進化させているので問題はない」と語っている。

 これまでの摘発で、行政処分による罰金はなんら効果がないことも分かってきたため、刑事摘発して模倣品業者を逮捕して有罪に持ち込む手段に切り替えてきている。そのためには調査に時間もかかるし依頼企業の経費もかかる。

 しかしケースによっては、公安当局の捜査よりもずっと手厚い内定調査によって証拠を固めることもある。裁判所で軽い刑にならないように十分な証拠をそろえて提出することを重点的な取組みにしているという。

 さる6月29日と7月1日には、JETRO主催の「中小企業のための中国模倣品対策セミナー」にQCAC社の国際部マネージャー張麗麗さんが調査活動について講演するなど日本企業の模倣品被害について重点的な取組みをPRしている。

 

中国科学院と日本の学術交流の講演

                                     

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 科学技術振興機構(JST)の中国総合研究センター(CRC、吉川弘之センター長)の研究会が7月5日、東京・麹町のJST会議室で開かれ、中国科学院国際合作局の邱華盛・副局長が「中国科学院と日本の学術交流・提携内容」とする講演をおこなった。

 邱華盛副局長は、知日家として知られている方で、中国科学院の組織から活動内容までよくまとまったパワーポイントで説明した。中国科学院の組織構造は、 行政機関、研究機関、大学院などが統合されている世界的に見ても例がない巨大な研究拠点であり、国際的な知名度は抜群である。

 特に目を引いたのは、最近の国際的な連携と活動状況である。学術活動も急進的に高まっており、特に産学連携による社会貢献の実績が大きくなってきた。中国科学院が経営している有限公司が経営に参加している企業は33社にのぼっている。

 材料、バイオ、IT関連などの分野で実績をあげており、資産総額は2010年で1470億元(約2兆円)にのぼっているという。また、株式を保有している企業の売上高は、合計で2004億元(約2兆6000億円)にのぼっている。

 国際交流でもアメリカ、欧州各国と急速に広がっており、日本の存在は近年、かすんでいるように見える。今後の友好交流は、政府間だけでなく大学、研究機関など民間ベースも非常に重要になってきており、日中学術交流は新し時代を迎えていることを感じさせた。

 

中国総合研究センターの研究会

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 科学技術振興機構(JST)の中国総合研究センター(CRC、吉川弘之センター長)の研究会が、6月30日、JSTの麹町オフィスで開かれ、李志東・長岡技術科学大学教授が「低炭素社会に向けた中国のエネルギー戦略の動向」とするタイトルで講演をおこなった。

 李教授は、中国が2006年から経済成長至上主義から持続可能な発展へと大きく戦略を転換したことを紹介。2009年には、低炭素社会を目指す総合戦略 を確立したことを示した。そして2011年から始まった「第12次五か年計画」では、低炭素社会構築に向けた取り組みの強化策について解説した。

 中国は確かに低炭素政策では積極的に取り組んでいるが、省エネ技術などでは日本に比べればまだ遥かに遅れている。制度の枠組みができたからとてすぐに実効性があるわけではない。そのような現状を分析した内容も発表された。 

 中国の技術開発が急速に発展しているのは事実だが、まだ工業化で進めなけらばならない課題を多く抱えている途上国であるだけに、低炭素社会の構築が見え るまでには、まだ20年はかかるだろう。長期戦略で日本が中国を手本にする施策が出てくるかどうか。日本がもたつく間に追いつくということもあるかも知れ ない。

 

中国総合研究センターの定例会議

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  科学技術振興機構(JST)の中国総合研究センター(CRC、吉川弘之センター長)の定例会議が、5月24日に開催され、今年度に実施する調査研究の内容について検討を行った。

 調査研究のテーマは3つある。①中国の基礎教育の現状と動向、②中国の産業分野におけるイノベーション調査、③マクロに見る中国の留学交流の現状と動向であり、どれも注目度のあるテーマになっている。

 特に教育状況は、一人っ子政策になってからは教育にお金をかける風潮が強くなり、中国はいまや先進国を上回る受験国家になっている。筆者の知人の子弟も、小学校から大学の教員の家庭教師を付けられ、受験で実績のある塾通いで子供たちは忙しい日々である。

 教育制度の調査でも、単に制度の調査だけでなく、こうした受験戦争の副産物として生まれている資質の高い教育の現状も報告してほしいと思う。また中国の産業分野でのイノベーションの調査もどのような内容で整理されるか興味がある。

 

中国総合研究センターの研究会を開催

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 科学技術振興機構(JST)の中国総合研究センター(CRC、吉川弘之センター長)の研究会が、5月19日に開催され、富士通総研経済研究所の柯隆氏が「ポスト胡錦濤の中国経済の行方ー日本企業にとってのチャンスとリスク」とのタイトルで講演をおこなった。

 柯隆氏は先ごろ「チャイナクライシスへの警鐘ー2012年中国経済は減速する」(日本実業出版社)との本を出版したばかりであり、大きな反響を呼んだ。この本についての書評は筆者が担当し、中国総合研究センターのホームページに掲載している。

 この日の講演でも、著書で示したように中国経済の実体を数字で示しながら、金融政策、人民元の為替相場、不動産バブルが助長する土地価格上昇、GDPの今後の伸び率などについて論評した。

 そして中国では、第一次産業と第3次産業の構造的な転換が必要であることを主張し、農村からはみ出す人材の受け皿はサービス業であることを強調した。ま た中国国内大都市の経済規模、経済効率、人材、産業基盤など9つのテーマについて競争ランキングを示したが、非常に参考になった。

 さらに短期、長期の中国政府の課題に触れ、これからの日本企業の活動についても戦略を示唆した。

 

中国総合研究センターのアドバイザリー委員会の開催

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 日中の科学技術振興を促進するために発足した科学技術振興機構(JST)の中国総合研究センター(CRC、吉川弘之センター長)の2010年度アドバイザリー委員会が、3月31日に開催され、今年度の事業の評価と来年度の計画について活発な論議が行われた。

 CRCは2006年4月に創設された機関で、日中の科学技術交流や情報交換、相互の研究振興を促進しようというセンターである。筆者も初代のセンター長 として、主として日中間の交流の糸口に尽力した。当時は十分な予算もスタッフも不足していたが、それなりの成果は出したと自負している。

 それから5年間を経てCRCは大きく変貌した。日中の有能なスタッフを抱え、中国の科学技術や知的財産の現状を日本向けに分析したり報告し、日本の科学技術情報を中国向けに発信してきた。また今年度から「客観日本」という中国語のポータルサイトを開設した。

 5年前に中国を視野に入れ、科学技術をキーワードにした学術交流の機関を立ち上げたのは、当時、JSTの理事長だった沖村憲樹氏であり、これからは中国という時代認識に立った優れた判断と行動だったと思う。

 アドバイザリー委員会では、今年度の事業成果である様々な報告書や動向調査を評価する意見が相次ぎ、来年度に向けた更なる取り組みで意見が出された。

 日本は今まさに巨大地震と津波被災、原発トラブルで大きな試練に立たされている。中国の原子力安全政策は万全なのか。関心はどうしてもそちらに向いてし まう。中国に精通している委員が多いだけに、具体的な意見も出されたが、中国では優れた人材が原子力関係に関与しており、原発運転ではそれなりのレベルを 保っているとする意見が多かった。

 CRCは今年10月9日から11日まで、池袋のサンシャインシティや大手町サンケイプラザなどで第2回日中大学フェア&フォーラムを開催する計画であ り、日中の若い人材の交流は大きく盛り上がるだろう。今年は、日中の留学生の交流、産学連携の振興などで具体的なイベントが開催される予定であり、今から 楽しみである。

 

CRCシンポジウム「日中科学技術協力の新展開」の開催

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 大発展する中国と日本の科学技術交流を促進することを目的とした中国総合研究センター(CRC)の国際シンポジウムが、3月2日、国連大学のウ・タント国際会議場で開催され、約300人の参加者のもとに活発な討論が展開された。

 吉川弘之センター長の開会挨拶に続いて、日中双方の関係者が来賓として挨拶し、ジョン・ボイド元駐日英国大使、張傑・上海交通大学学長、仲尾功一・タカラバイオ代表取締役がそれぞれ基調講演を行った。

 そのあと2つのパネルディスカッションが行われた。第1のテーマは「中国と日本の新しい競争・協調関係 ~ものづくりの現場から~ 」とのテーマを掲げ、有本建男氏をモデレーターに次のパネリストで進められた。

■朝比奈 宏・・・東芝メディカルシステムズ株式会社 上席常務
■梶原 巡・・・株式会社大塚製薬工場 専務取締役
■木村 昌平・・・日産自動車株式会社 執行役員
■高橋 理佳・・・株式会社資生堂 技術企画部海外技術企画室 室長
■富高 忠房・・・ソニー中国研究院 院長

 2つめのテーマは「第12次五か年計画と日中科学技術協力の新展開」として、角南篤氏をモデレーターに次のパネリストによって行われた。

   穆 栄平・・・中国科学院科技政策・管理科学研究所所長 兼 創新発展研究センター主任

   松見 芳男・・・伊藤忠商事理事、伊藤忠先端技術戦略研究所長

   有本 建男・・・パネル1のモデレータ

   角南 篤・・・JST中国総合研究センター副センター長

 筆者は、最初のパネルディスカッションでは、日産の木村さんとソニーの冨髙さんに対して、中国で開発された特許技術の管理について質問した。お二人とも 核心に触れる回答ではなかったが、いずれにしても中国で開発された技術も日本、アメリカ、ヨーロッパなど世界への出願を行っていることを示唆した。

 日本の多くの企業の中国での知財管理は、現地主義ではなく中心になっているのは日本の本社知財担当であることが多く、戦略としてこれがいいかどうかよく 議論されている。模倣品の発生が多発している中国では、迅速性からも現地に相当なる権限を与える必要があるが、その点はまだ未整備になっている。

 第2のパネルディスカッションでは、特に穆 栄平先生に対し、中国での農業イノベーションについての展開と国家の方針を聴いた。日本の工業は、プロセスイノベーションで高度経済成長を実現したが、そ の間、農業は補助金漬けにしたため、結果的に隔離された農業政策になり国際競争力にも遅れることになった。

 中国では技術のイノベーションが声高に言われているが農業の道筋が見えない。農産物は日本への輸出も年々上昇する時代であり中国の農業は日本にとって大 きな関心ごとである。穆先生の回答は、時間的な制限もあって十分なものではなかったが、それでも国家五か年計画でも農業の重要性は触れているという回答 だった。

 穆 栄平先生とは旧知の間なので、いずれ北京に行った折にでも詳しく聴いてみたい。

 

中国総合研究センターの国際シンポジウムの案内

       「日中科学技術協力の新展開」をテーマにした中国総合研究センターの国際シンポジウムが、3月2日(水)に東京・渋谷区神宮前の国連大学ウ・タント国際会議場で開催される。 

 参加申し込み、開催の内容、アクセスなどは、国際シンポジウムのお知らせにあります。 

 開催趣旨は、2001年の21世紀の幕開けとともに、世界的に広がっている途上国を主体としたIT(情報技術)産業革命は、大きなうねりとなって巨大なエネルギーを発散しています。

 特に中国では、2000年代に入ってから科学技術の研究が急進的に進展し、国際的な水準の企業も数多く生まれてきました。

 今回のシンポジウムでは、元駐日英国大使であるジョン・ボイド氏による基調講演、中国の産学連携活動と研究開発でトップクラスとして評価されている上海交通大学の張傑学長、及び日本の最先端科学技術を担うタカラバイオ社の仲尾功一社長による基調講演が続き、日中の科学技術の現状認識をお話していただきます。

 続いて中国で活躍している日本産業界の方々から中国との技術協力、技術提携の在り方に関する具体的なお話をしていただき、それを踏まえて、かつて産業力、技術力で世界に貢献した日本が今後新しい国際貢献をするための取り組みについて広く議論を展開することにしています。 

 開催要項

日 時 2011年3月2日(水)午前10時~午後5時

会 場 国連大学ウ・タント国際会議場(東京都渋谷区神宮前5丁目)

主 催 科学技術振興機構 中国総合研究センター

定 員 300名参加費 無料

言 語 日英中同時通訳付き

 

中国総合研究センターの定例会議の開催

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科学技術振興機構(JST)・中国総合研究センターの今年最初の定例会議が、1月18日、麹町のJSTで開かれ、来る3月2日に開催される中国総合研究センター国際シンポジウムの開催要項や、今秋開催される第2回日中大学フェア&フォーラムの企画案、中国向けポータルサイトの整備状況などで意見を交換した。

 中国総合研究センターは、日中の科学技術の交流を大きな柱にしているが、科学技術だけでなく日本の情報を広く中国の人々に知ってもらうことも重要だ。こ のような幅広い日本の情報を中国語で発信しているサイトはないので、今進行中の中国向けポータルサイトの実施には大きな期待がかかっている。

 またこの日の会議では、平成22年度の中国の科学技術に関する調査内容について報告があり、その進捗状況と今後の調査方法や内容についても討議された。

 3月2日開催のシンポジウムについては、別途、案内をしたい。

 

中国総合研究センターの定例会議の開催

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 科学技術振興機構(JST)・中国総合研究センター(CRC)の定例会が、12月7日、東京・麹町のJSTで開催され、来年秋に開催する第2回日中大学フェア&フォーラムなどについて討議を行った。

 日中大学フェア&フォーラムは、中国の大学側からの希望も多く、どのような開催内容にするかすりあわせが続いている。開催会場もほぼ固まってきており、会場施設などの点検を行っている。

 また平成22年度のCRC国際シンポジウムの骨格も固まってきた。開催日は、来年3月2日で決定しており、会場は東京・青山の国連大学ウ・タント国際会 議場になる。基調講演とパネルディスカッションが予定されており、日中の科学技術交流や産学交流について未来志向のシンポジウムが予定されている。

中国総合研究センターの研究会

    
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 科学技術振興機構・中国総合研究センターの研究会が、10月22日開催され、剣豪集団株式会社の鄭 剣豪取締役会長が「日本の中小製造業は中国市場に活路を見出すことができるか」として豊富な実例による講演と討論を行った。

 この日の講師は、剣豪先生と呼ばれている熱血経営者であり、日中の企業活動についてコラムも多数書いている。先日も日本の中小企業経営者は老齢化 していることを書いた剣豪先生のコラムを題材に、筆者が東京理科大学知財専門職大学院で行っている授業「科学技術政策論」で、受講者らと一緒に考える時間 をもったばかりである。

 この日の研究会では、中国の産業界の現状と日本企業の中国社会での活動状況など豊富な事例をもとに話が展開された。その話そのものは、多くの示唆に富んでおり、楽しくためになる内容が多かった。

 しかし、中国で2000年から始まった急進的な産業現場の発展と日本の企業が中国で成功したり失敗する要因については、明解な分析が示されていなかった。筆者はいま、その明解な要因について大きな興味を持っており、筆者の「見解」も持っている。

 この日は剣豪先生とその点で討論する時間がなく、今後、意見交換する場を持とうと約束した。

   

中国大使館の公使参事官・阮湘平氏が離任

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 写真の向こう側の3人のうち、真ん中が離任する阮公使参事官、その左が新任の李参事官、右は苗書記官。

 中国大使館科学技術処の公使参事官・阮湘平氏がこのほど離任することになり、9月14日、中国総合研究センターに離任の挨拶に来訪した。代わって参事官に就任したのは、李纓氏である。

 阮公使参事官は、5年間にわたって日本大使館に勤務し、日中の科学技術の協力関係に尽力した。特に小泉内閣当時、日中間はぎくしゃくとしていたが、阮公使参事官は終始友好的に対応し、両国の科学技術の振興に貢献した。
 
 代わって就任した李参事官も、阮公使参事官と同様、大変日本語が堪能であり、この日の離任・新任挨拶の来訪では約1時間に渡って日中の科学技術から文化、政治、経済など広範囲に意見交換した。

 いま、釣魚島海域での中国漁船をめぐる問題が勃発しているが、こうした事案にも冷静に対応しながら両国の科学技術の振興に互いに協力し合う関係を 保持することが重要だろう。この日は、この問題にはいっさい触れず、終始和やかに談笑しながら今後の学術交流や科学技術振興策について率直な意見を出し 合った。

 阮公使参事官は、北京に帰任後は国際交流センターの責任者になる予定と聞いており、今後も日本との縁は切れないだろう。これからもお互いに協力関係を保ちながら日中の友好関係を深めたい。

               
     

中国総合研究センターの定例会議

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 JST・中国総合研究センターの定例会議が9月14日開催され、9月29日(水)にホテルニューオータニで開催される「第4回・持続社会を目指した科学技術に関する日中円卓会議」の開催要項などが報告された。

 また、来年2月ー3月に開催予定の国際シンポジウムは「日中科学技術力の新展開 ~産業の視点から~」とのテーマで開催するべく準備を進めており、その進捗状況が検討された。

 日中大学フェア&フォーラムについても開催検討が続いており、中国側との折衝や会場の設定などで準備が始まっている。

 また「中国向けポータルサイトの構築」の具体的な検討にも入っており、夏場を過ぎてからスタッフの活動が活発になってきたようだ。

  

JST中国総合研究センターの研究会

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 JST中国総合研究センターの研究会が、6月24日開催された。この日の講師は、東大社会科学研究所の丸川知雄教授で講演タイトルは「移動通信における中国の自主イノベーション第三世代とゲリラ携帯」だった。

 丸川教授によると、携帯電話はいま、アジア、アフリカ、中南米などで爆発的に普及している。先進国の普及は頂点に達しており、伸び率はほとんど見られないが、中国、インド、アフリカ諸国、中東諸国などではものすごい勢いで普及している。
 その多くの携帯電話は、中国で製造されて輸出されているという。中国はいつのまにか、世界最大の携帯電話の生産拠点になっていた。

 丸川教授はまず、世界と中国での携帯電話の技術の進化について、第1世代から3世代までを検証した。中国は国家の方針と思惑から、携帯電話のメー カーや技術開発の変遷が非常に複雑になっており、第3世代の携帯電話の実用化を実現したものの、その普及率は非常に低く、何のための第3世代への取り組み だったか理解できないと指摘した。

 さらに中国ではゲリラ携帯が次々と現れてきた。パソコンの「インテルICプラス台湾マザーボード」という製造方法を真似て、携帯電話の基板にIC を組み合わせて携帯電話を製造するものだ。中小零細メーカーでも製造できるようになったため、中国ではおびただしいゲリラ携帯が普及してきた。

 こうした携帯電話は、端末のFTA(full-type approval)の認証を受けていなかったり、中国の付加価値税を脱税する製品だという。しかしこの製品普及には歯止めがかからず、中国だけでなく世界に輸出されるなど燎原の火のように広がっているようだ。

 ゲリラ携帯には、着信すると発光ダイオードが全面に光るようにつくったものや、二つのSIMカードを収納できる携帯電話を製造するなどゲリラ携帯の中でイノベーションを起こしており、中国らしいたくましい現状を報告した。

 筆者は、こうした現状は中国当局がある程度黙認しているのではないかと考える。広東省では携帯電話の製造だけで100万人の雇用を生んでいると言 われており、正規品の携帯電話であろうとゲリラ携帯電話だあろうと、もはや中国の産業界では無視できないほどに成長してしまった。そのスピードはまさに第 3次産業革命そのものである。

 産業振興、雇用創出、輸出振興と外貨獲得などを考えると、これに代わる産業はとても見つからない。またゲリラ携帯などは、他社の模倣品やデットコ ピーも出回っているが、当局がこれを取り締まるのは無理だろう。というのも、これまでの電子部品、自動車部品から日用雑貨類、食品まで広がっている模倣品 の取締りで、工商行政管理局、質量技術監督局などの行政当局は手がいっぱいだろう。

 中国の模倣品は、技術革新とともに絶え間なく進化していることを示しており、そのことにも驚いた研究会の報告だった。

               
     

中国の原子力関係報告の研究会の開催

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 中国の原子力活動の現状を報告するJST中国総合研究センターの研究会が、4月8日に開催され、近未来の中国のエネルギーを感じさせる報告会だった。

 中国の原子力発電は、いま11基が運転中であり、総出力は908万キロワットである。世界では11位である。中国では、一人当たりの電力消費量が欧米先進国の4分の1から6分の1程度である。

 ところが、消費生活の向上によって電力消費量も急増しており、中国政府は将来のエネルギー対応策に、原子力発電を利用する方針を明らかにしている。

 現在、建設中の原子力発電所は16基あり、計画中は189基にのぼる。2030年の世界の原子力発電設備容量を見ると、おそらく米国を抜いて世界トップになるとの予測も出ている。

 原子力発電所の稼働率を見ると、日本の65パーセントに比べて中国は現時点で87パーセントであり、日本よりもずっといい稼働率だ。かつて日本は、優良施設と人材によって高い稼働率を誇っていたが、いまや韓国、中国にも抜かれている。

 中国のエネルギーインフラにはあまり関心がなかったが、こうした報告を聞くとやはり世界の大国に向かって着実に歩いているように見える。

      

中国の科学技術力についての講演会

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 急速に発展している中国の科学技術は、本当のところどのくらいの力量にあるのか。
宇宙開発など国家を挙げて取り組んでいる科学技術は、すでに日本を追い越しているように見える。産業技術の中でも突出している分野もある。

 しかし、全体的に見た場合、中国の科学技術の力量はどの程度なのか。JST中国総合研究センターの特任フェローで、宇宙航空研究開発機構副理事長 をしている林幸秀氏、文部科学省科学技術政策研究所の阪彩香研究員は、3月18日、「中国の科学技術力についての分析結果」を報告した。

 中国の研究開発費、研究人口、研究論文数、特許出願数などいずれも急速に増加している。しかし、分野ごとの米国、日本、欧州、中国、韓国を比較した発表を見ると、中国の科学技術力はまだ、先進国に相当の距離がある。

 たとえば、電子情報通信分野では、米国が圧倒的に強く、次いで日本と欧州が肩を並べている。韓国も相当に追いついてきたが中国はその韓国とも差がある。
 中国には、華為という世界トップの通信機器メーカーがあるが、全体的なレベルではまだ相当に距離があることを示した。

 ナノテク・材料分野では、日本が米国より優位に立っているがその差はほとんどない。欧州もすぐ背後にいる。韓国はまだ相当に距離があり中国もその背後にいる。先端計測技術分野では、米国の強さが際立ち次いで欧州、日本と続き韓国、中国は相当に差がある。

 日本得意の環境技術分野では、日本がかろうじてトップになっているが、米国、欧州もほとんど差がなくなってきた。韓国はまだ相当の差があり、中国に至っては存在感があまりない。
 ライフサイエンス、臨床医学は、米国が圧倒的に強く、次いで欧州、日本となるが、韓国、中国はかなり差がある。

 このように先端技術でみると、中国の科学技術力はまだ途上にあることがうかがえるが、部分的に突出してくるテーマが出てくる気配はある。また研究 開発につぎ込む国の予算も、年々増加しており、海外で実績をあげた研究者の帰国も相次いでおり、中国の上昇機運はまだ当分、続くだろう。

 しかし、将来、たとえば10年後に、中国はどのくらいの科学技術力になるか。筆者の予想を言えば、韓国を抜いてアジアでは日本に次ぐ科学技術力を誇るようになるだろう。

 

中国総合研究センターの研究会で講演

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 科学技術振興機構・中国総合研究センターの第26回研究会が、3月11日開催され、「中国の知的財産権制度と運用および技術移転の現状」のテーマで講演と質疑応答、意見交換が行われた。

 中国の科学技術の研究開発は、2000年以降、急進展している。それと歩調を合わせるように知的財産権に対する意識も短期間で驚くほど変革した。

 この日の研究会ではまず、「中国の知財活動の現状と動向」のタイトルで筆者が最近の中国知財事情を講演した。90年代から始まったIT産業革命によって、モノ作りの現場は世界的に標準化され、時間差と距離感がなくなった。

 そのためモノ作りのツールと手段を手に入れた中国は、作るものがないため国営企業も巻き込んでニセモノ製造に走る現象が広がった。

 しかしこれは一過性の問題であり、過渡期にあるいま、中国でも先進国と肩を並べる知財活動を活発に行う企業が出てきた現状を報告した。

 さらに昨年話題となった、正泰集団とフランスのシュナイダー社との実用新案1件をめぐる紛争は、中国側の全面的な勝利となり、日仏特許紛争が決着した経緯を説明し、中国ではこれから実用新案戦略が非常に大きな課題になるとの認識を示した。

 また筆者は、10年後の中国の研究開発現場と知財現場がどのように変革しているかを大胆に予想する見解も発表した。

 続いて「中国の知財制度の概要と商標権をめぐる日中間の紛争について」とのタイトルで、羊建中・中国弁護士(中国専利代理(香港)有限公司日本代表処長、中国弁護士、中国商標弁理士)が講演を行った。

 羊弁護士は、中国の知財制度を解説した後、「先取り商標」のケーススタディを発表した。これは日本企業の商標を中国人や中国企業が先に中国で商標登録し、日本企業の営業活動にストップをかけて多額の値段で買い取りを迫ってくる案件だ。

 中国で製造し日本だけで販売する場合でも、中国の税関で商標権利者から船出のストップをかけられ、日本への持ち込みが出来なくなるケースがある。商標を先取りした中国の権利者が、権利をたてにして輸出を阻止するからだ。

 先取り商標をしている中国人は、商標を商品として扱っているものであり、登録した商標を高く売りつけようとする狙いがある。羊弁護士は、こうした 場合にはダミー企業などを使って相手を自分たちのペースに引き込み、価格を引き下げたり有利な条件で決着を図る方法を提示した。

 また模倣品対策には、行政機関の利用と司法機関の利用を効率よく使う方法を提示した。講演の後は多くの質問が出され、日中の知財制度の違いを確認したり、中国での知財戦略について意見を交換した。

 

中国総合研究センターのアドバイザリー委員会を開催

              中国総合研究センターの第4回アドバイザリー委員会が3月8日開催され、中国とアメリカからの委員も参加して今後の活動などについて活発な論議を行った。

 まず最初に平成21年度中国総合研究センター活動状況を報告した。

 中国総合研究センターでは、中国の科学技術動向を日本に伝えると同時に、日本の科学技術動向を中国に伝え、日中の科学技術に対する相互理解促進に寄与することを目的とした活動を行った。
 平成21年度においては、具体的な活動としては、中国の科学技術に関する調査及び基本的データセットのアップデートの実施、日中科学技術動向に関する情 報発信機能の強化、日中大学フェア&フォーラムの開催、各種研究会開催、中国文献データベースの構築及び拡充、日中科学技術分野における人的ネットワーク の構築・強化等を行った。
 
1.中国の科学技術に関する調査及び基本的データセットのアップデートの実施
1.1 「中国における技術移転の現状と動向調査」                     
1.2 「中国高等教育の現状と動向調査」                           
1.3 「中国の環境・エネルギー分野における現状と動向調査」
1.4 中国科学技術力について」 
                            
2.日中科学技術動向に関する情報発信機能の強化
2.1 「サイエンスポータルチャイナ」の拡充と更新
2.2 中国科学技術月報の発行                             

3.日中大学フェア&フォーラムの開催                          
4.研究会開催、共催
4.1 研究会の開催
1) 中国科学技術分野別動向シリーズ
2009.5.14   「中国の原子力開発」
日本テピア株式会社・テピア総合研究所 副所長 窪田秀雄
2009.6.11   「中国のライフサイエンス及びナノテクノロジー・材料分野の研究現状」
日本テピア株式会社・テピア総合研究所 副所長 胡俊傑
               研究員 坂野 ももこ
2009.6.25   「中国電子情報通信および製造技術の研究現状」
     日本テピア株式会社・テピア総合研究所 研究員 鄧 納
     上海太比雅総合研究所 主任研究員 金 徳万
2009.7.9 「中国の環境・資源・エネルギー分野および社会基盤分野の研究現状」
日本テピア株式会社・テピア総合研究所 副所長 窪田秀雄
上海太比雅総合研究所 研究員 曹 雪飛
2009.7.23 「中国宇宙開発分野およびフロンティアサイエンス分野の研究現状」
日本テピア株式会社・テピア総合研究所 副所長 窪田秀雄
北京太比雅総合研究所 研究員 盧 蕩

2) 中国経済シリーズ
2009.8.6   「中国経済の現状と課題-世界的金融危機を乗り越えて-」
    野村資本市場研究所シニアフェロー 関 志雄
2009.10.8   「金融危機に立ち向かう中国経済-政策と課題」
    富士通総研経済研究所 柯 隆
2009.11.19   「中国における内需拡大について」
   京都大学経済学研究科 劉 徳強
2010.2.10   「中国が日本を救う
-中国の成長を取り込むために中国への対応はいかにあるべきか-」
   株式会社インフォーム代表取締役 和中 清
2010.3.11
(予定)   「中国の知的財産権制度と運用および技術移転の現状」
   中国専利代理(香港)有限公司日本代表処長 羊 建中
   東京理科大学知財専門職大学院教授 馬場 錬成

3) 環境・エネルギーシリーズ
2009.12.3   「ポスト京都を巡る中国の動きと今後の展望
-中国の低炭素戦略とCOP15への対応-」
立命館大学政策科学部教授 周 瑋生

4) 中国科学技術力シリーズ
2010.3.18
(予定)   「中国の科学技術力について」
   宇宙航空研究開発機構副理事長 林 幸秀
   文部科学省科学技術政策研究所研究員 阪 彩香
   JST研究開発戦略センタフェロー 岡山 純子

 4.2 研究会の共催・後援
2009.11.18    「中国におけるアントレプレナーシップ教育」講演会
2010.3.24
(予定)  「特別企画ワークショップ-留学生の就職問題を考える-」

5. 中国文献データベースの構築及び拡充

6.日中科学技術分野におけるネットワーク構築に関する各種活動
6.1 中国からの訪問団受入

2009.8.28   科学技術信息研究所
2009.10.8   上海交通大学
2009.10.15   中国青年訪日代表団
2009.10.27   国家自然科学基金委員会
2009.11.26    重慶大学

6.2 中国関連機関への訪問
2009.6.18-19   上海交通大学
2009.6.24   中国留学服務中心
2009.6.25   中国教育国際協会
2009.8.18   国家自然科学基金委員会
2009.9.19   北京大学、北京航空航天大学、中国科学院
2009.9.25   中国シンセンハイテクパーク
2009.9.28   東北師範大学
2009.10.19   北京大学
2009.10..20  中国科学院科技政策・管理科学研究所、科学技術信息研究所
2009.12.14  中国科学院科技政策・管理科学研究所、科学技術信息研究所
2010.1.4  中国留学服務中心

    

中国総合研究センターの第25回研究会

                               

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 JST・中国総合研究センターの第25回研究会が、2月10日開催され、株式会社インフォームの和中清氏が「中国が日本を救う」とのタイトルで講演を行った。

 和中氏はまず、巨大な人口と国土を持っている中国の実情を、日本人が正確にとらえる難しさを説き、社会主義市場経済とは、社会主義と市場経済を切り離して考えるべきとの見解を説明した。

 また中国の都市と農村とのさまざまな格差を統計で示しながら、中国の農村の成長が農村の周辺に加工基地を作り、農地の流動化、農業戸籍の非農業戸籍化が新しい需要を呼び、中国の按手につながっていく方向性を示した。

 筆者の分析でも中国は、いま大きな流動期を迎えている。都市と農村の格差は不安定な要因を含んでおり中国政府もその点を熟知して対応策を次々と講じている。
 中国の中産階級と下層階級の底上げによる需要喚起が、中国の成長路線を継続的に支えることになるが、そのためには西部・内陸地域の発展が欠かせなくなっている。

 科学技術の先端分野でも中国は、急進的に発展しており、それを成長路線の先導役としていかに活用するべきか。このテーマについては、いずれ私見を述べたいと思う。

 

中国の知的財産権制度の特集報告書

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 中国の知的財産権を研究する学者と企業の知的財産権担当者14人が書いた「中国の知的財産権制度と運用および技術移転の現状」が、中国総合研究センターから発刊された。

 1985年に近代中国の特許法(中国専利法)が施行されてからまだ25年しか経ていないが、その間に中国の知的財産権は急速に制度も運用も変革してきた。この報告書は、現在の中国を代表する知的財産権の研究者が書いたものである。

 2009年10月1日から、第3次中国専利法の改正後の施行が開始されて、新たな中国の知的財産権の活動が始まっている。産業現場では、中国との連携が進んでおり日中間の貿易も増加の一途である。

 この報告書は、時代を反映した知的財産権の現状を知るためのテキストとして有力な資料になるだろう。

     
    現在の中国の知財制度と知財現場の課題などを特集した「中国の知的財産制度と運用および技術移転の現状」が、中国総合研究センターのHPにアップされた。

 執筆者は、現代中国の知財研究を代表する14人であり、中国でこの数年、特許出願数でトップを維持し2008年の特許協力条約(PCT : Patent Cooperation Treaty)の国際特許出願数で世界トップに躍り出た華為技術有限公司の知財部長が寄稿するなど興味ある論文で埋まっている。

 中国は、火薬、印刷技術、羅針盤、紙を発明した国である。清の時代の1898年(明治31年)には特許法が制定され、1904年(明治37年)には商標法、1910年(明治43年)には著作権法が公布されている。

 日本も明治維新までは先進国だった清国に学んでいたが、欧米に後れを取っていることに気が付き、清国からの文化をすべて捨てて欧米一辺倒になっ た。その後の中国は、騒乱と外国からの侵略によって混乱を起こし、社会主義国家の建国に成功したが社会制度に後れをきたし、1978年の改革開放によって 再び生気を取り戻した。

 1980年に世界知的所有権機関に加盟し、1983年から商標法の施行、1985年に中国特許法の施行、1990年に著作権法の公布をして知財の近代化に向かっている。

 今回の論文では、こうした歴史的な経過も含めて現代の世界の知財潮流から中国の制度整備までの現状と課題を網羅したものであり、読みごたえのある論文集となっている。

   

日中の学術交流について意見を交換

    日中の学術交流について意見を交換
 
 2009年9月26日から中国・長春で開催されている「第16回光電知能材料・分子電子学シンポジウム」(SIEMME’16)に出席している藤嶋昭・ JST中国総合研究センター長、橋本和仁東大教授、魚崎浩平北大教授、及川英俊東北大教授、劉忠範・北京大学教授、江雷・北京航天大学教授らが、日中の学 術交流について話し合った。

 このシンポジウムのテーマになっている光触媒を中心とした光関係ナノ材料学の世界では日中の交流が非常に活発に見えるが、40歳代以下の若手の研究者らはあまり交流をしていないことが浮かび上がった。

 劉教授は「ナノ材料などの研究は、この10年間で中国の研究者のレベルが非常にアップした。というものの全体的には、アメリカ、日本にはまだ及ばないが、日中の40歳代以下の若手の交流がないのが非常に悩みだ」と打ち明けた。

 劉教授はまだ47歳代の若さだが、交流している日本人研究者は50歳代、60歳代がほとんどであり、世代間にギャップがあることを心配した。また 劉教授によると「40歳以下の中国の研究者は忙しくて、学会やシンポジウムに出るのも興味がないようだ。日本の若手研究者が何をしているのか中国側も分 かっていない」と語り、双方に問題点があることを指摘した。

 劉教授は、47歳の若さだが、北京大学で材料関係の部門の研究者の年齢では上から2番目の「長老」だと言う。来年、先輩研究者が定年で大学を去る と一番の「長老」になる。このような現象は、中国の研究現場ではよく見られる。文化大革命の時代に研究現場から追われた人々の年代が空白になっているため に起きている現象である。しかし見方によっては、時代の変革の激しい現代にあっては、中国のように本当の長老がいなく、働き盛りの研究者があふれているこ とは、若いエネルギーがあるので活性があることにもなる。

 江雷教授は「日中の若手同士が研究交流することは非常に大事だ。われわれ中国側の研究者が日本の研究者で交流しているのは年配の先生ばかりだ。年下はあまりいない。もう少し若い世代に輪を広げたい」と言う。

 こうした意見に対し、日本側の研究者は、日中の若い研究者が知り合う機会が少ないので、これを目的にした交流助成などのプログラムが必要ではないか。今後、日本政府にもこの視点で訴えたいと言う。

 シンポジウムに出席している栄永泰明・慶応義塾大学理工学部准教授は「私は37歳だが確かに若手の日中の学術交流はあまりない。中国と共同で研究 をするのはいいが、中国の研究者と知り合う機会がない。欧米で開かれる国際的な学会に出ても、中国の研究者は余り来ない。論文は時々いいものを読むが、論 文だけでコミュニケーションがないように思う」と課題を提起しており、日中双方の課題を解決しながら、今後の交流を活性化する道筋を考え出すことで意見は 一致した。

 近く具体的なプログラムを策定し、政府側に提案する動きにつなげたい。

                                           

中国人留学生が感動のコラムを発表

    文部科学省・科学技術振興機構(JST)中国総合研究センター(CRC)のホームページにある「日中交流最前線」で、東京理科大学知財専門職大学院の2人の中国人留学生が感動的なコラムを寄稿して、話題になっている。

 先月は、2年生の史可君が書きました。

 【09-004】"車到山前必有路"~進めば必ず道は開く~
 そして今月は、1年生の楊威(ヤン・ウエイ)さんが寄稿しました。
 【09-005】天国からの感謝
 いずれも感動的な内容であり、中国総合研究センターでも評判になっています。またこのコラムを読んだ多くの日中関係者が感動したとの感想を寄せてきています。
 
 
               
                                                   

中国の科学技術の現状と動向

                                             

 ファイルをダウンロード 中国の科学技術の研究開発は急進的に展開しており、その現状を知るためのデータブックを、中国総合研究センターが まとめた。  

 

 この本は第1部・中国の科学技術における施策の現状と動向、第2部・中国の科学技術の分野別活動の現状と動向からなっている。日本で言うと科学技術白書 と各種科学技術統計を収録したものであり、中国の科学技術の研究開発状況を知る上で大変、参考になるデータブックである。

 中国は1981年以来、国家科学技術計画を5年ごとに策定してきており、現在は2006年から始まった「第十一五時期科学技術発展規画」になる。技術イ ノベーション誘導プロジェクト、科学技術基礎的特定プロジェクトなど四つの柱で推進しており、経済発展と合わせるように研究開発現場も活性化している。

  いずれの統計を見てもすべて右肩上がりで推移しており、化学、材料など中国得意の分野の動向が出ている。また研究者数も多いので、各分野の論文数ではす でに世界トップクラスが出ており、研究の中身も年々専門性を高めている。

  いずれにしても、中国の科学技術の発展は日本にも好影響をもたらすことは間違いなく、日中の学術交流はますます深まっていくだろう。

                                 

 一方、中国では大学入学者数の急増、政府による各種重点化施策等に対応し、財務、人事、教育研究のシ ステム全般に関し、先進的な制度を取り入れようとする動きが顕著となっている。 
 
 このような時代を迎えて、日中の大学が一堂に会して、各々の大学の取り組 みを学ぶことは、日中両国にとってその意義は計り知れないこととしている。近年、日中大学交流は目覚ましく拡大しているが、これをさらに発展させる必要が あるとしている。 
 
 今回の日中大学フェア&フォーラムは日中大学全体に向け俯瞰的な交流の場を提供することより、両国の大学の新たな動きに対する最新の情 報を提供すると同時に、研究協力をはじめとする両国の大学の協力・連携の更なる推進を目指すものである。 
 
 また、本フェア&フォーラムは大学関係者だけで なく、日中の大学行政に携わる方々、そして企業の方々等にもこのようなダイナミックな大学変革と研究進展にどう対応するか検討する機会を提供することも目 指している。 
 
 【開催概要】(予定)・会期: 平成22年1月29日~30日・
 開催場所: 東京国際フォーラム・
 主催: 独立行政法人科学技術振興機構中国総合研究センター、独立行政法人日本学術振興会、中国留学服務中心後援(予定): 文部科学省、中華人民共和国駐日本国大使館、社団法人国立大学協会、公立大学協会、社団法人日本私立大学連盟、財団法人日中経済協会、独立行政法人学生支援機構、独立行政法人大学評価・学位授与機構
                                   

中国総合研究センターの定例会議と研究会

            

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 中国総合研究センターの定例会議が7月23日に開かれ、来春開催される「日中大学フェア&フォーラム」の準備状況、今後の中国の科学技術の調査内容などを検討した。会議後、中国のフロンティアサイエンス分野の研究会が開催され、中国の基礎研究の現状が報告された。

 来年開催予定の日中大学フェアは、かつてない大きな規模になる。参加する大学は、日中から50大学になるかもしれないが、まだ大筋は決まっておらず、今後、実行委員会で具体的な内容を決めていく予定。

 また、この日開催された研究会では、中国の宇宙、海洋開発の現状と数学、基礎物理、高 エネルギー物理、天文学、海洋の分野の研究予算、人材、成果、国際交流などについて発表された。宇宙開発では、有人宇宙活動など最近の中国の進展は目覚ま しく、将来は火星探査まで視野に入れた宇宙計画が進んでいる状況が報告された。

                              

中国総合研究センターのご紹介

  中国総合研究センターは、2006年4月から、独立行政法人科学技術振興機構(JST)に設置されました。

同センターは、中国の科学技術関係の諸団体や機関との相互理解と学術交流を目指す一方、中国の科学技術関係のさまざまな成果を日本に伝えたり、日本の科学技術関係のニュースを中国に伝える役割を担っています。

               
       

「第8回学校給食甲子園大会」の地区代表表彰式の開催

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 今年の学校給食甲子園大会は第8回目を迎えるが、西日本の地区代表表彰式が、10月12日、大阪市内のホテルで開かれた。西日本の県代表となった30人 (2人が欠場)が出席し、ブロック代表12校(学校給食センター)と、さらにそこから絞られた決勝戦大会出場校の6校(同)が発表された。

 決勝大会は12月7日(土)、8日(日)の両日、東京・豊島区駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催される。決勝戦に出場する西日本代表6校(同)は次のとおりである。

 岐阜県大垣市北部学校給食センター(山崎香代先生)

 大阪府泉大津市立上条小学校(武田綾先生)

 香川県高松市立国分寺北部小学校(下岡純子先生)

 愛媛県新居浜市立大生院小学校(武方和宏先生)

 長崎県平戸市立中南部学校給食共同調理場(石田美穂先生)

 鹿児島県屋久島町学校給食東部地区共同調理場(西野間かおり先生)

 今年も公正厳正な第4次審査までで絞り込まれたもので、いずれの代表も素晴らしい献立である。東京で開催される決勝大会では激戦になるのは間違いない。

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 発表と表彰式のあと、代表6人はゼッケンを身に着け、写真のように健闘する決意をポーズで表現した。写真は右から岐阜県→鹿児島県までの代表順である。

 

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 発表後に話題となったのは、写真の2人である。愛媛県代表となった愛媛県西条市立神拝小学校の武方美由紀先生と新居浜市立大生院小学校の武方和宏先生が母子であることが分かったことだ。

 決勝大会には、ご子息が出場することになるが、甲子園大会では初めての嬉しい母子代表だった。決勝大会出場の選手たちは、それぞれ決意表明を行ったが、これから大会開催までに研鑽することを誓ってこの日の表彰式は終了した。

 東日本代表の発表と表彰式は、10月14日に行われる。この発表で第8回大会の決勝戦代表12が決定する。

第4回食育の在り方に関する有識者会議

                                                

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 日本の食の文化を引き継ぎ、教育現場での食の在り方を検討する第4回「今後の学校における食育の在り方に関する有識者会議」が、10月3日、文部科学省 で開催され、先に策定された中間まとめをもとに、スーパー食育スクール(SSS)事業の展開や食育推進について意見を出し合い討論を行った。

 これまでの3回の会議で討論した内容は「中間まとめ」として発表しており、第4回会議ではSSS実施についての内容や方向性について各委員から提案を出しあった。さらに食育推進について指導内容や学校給食の充実、食育教科書の内容などについて具体的な提案をし討論した。 

 文部科学省が来年度から実施する予定のSSSの事業内容については、ファイルにある通り、全国32か所で展開するものである。

<SSS事業について="http://babarensei.coolblog.jp/blog/%EF%BC%B3%EF%BC%B3%EF%BC%B3%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E6%A1%88.pdf">

  目的は、食育のモデル実践プログラムを構築することで、全国の学校における食育の底上げを図る事業としている。小中高校が大学や研究機関、企業など各種外部機関と連携し、科学的な視点を加味したプログラムを開発することを目標にしている。

 SSSに指定されるには、次ような要件が課せられる。

 小中高校を対象に、実践中心校を指定する。原則として栄養教諭が配置されており、栄養教諭を中核とした食育推進事業を策定して申請するように求めてい る。たとえば、食と健康、食とスポーツ、食と学力、給食の充実などの事業プランがあげられており、1か所あたり上限1000万円程度を予定している。 指定期間は1年としているが、最長3年まで延長も可能としている。

 こうしたモデル事業を実現し実施する過程で、食育の理解度を高め、質の高い食と教育と文化を実現することが狙いになる。どのような世界でも10年経てば それなりの進展がある。それは日本人の知恵でもある。このような事業を通じて、食育、学校給食、学校教育でも必然的にレベルアップになることは間違いな い。

 SSS事業を実施することで、全国の栄養教諭、学校給食関係者、教育関係の人々だけでなく、一般の人々にも啓発していくことができるだろう。

 

学校における食の安全に関する実態調査委員会の開催

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 安全でおいしい学校給食を提供するには万全の体制で臨まなければならない。そのためには調理場の整備はもちろん、日常的な衛生管理、食材の検収など多く の課題がある。そのような実態を調査して現場の栄養教諭、学校栄養職員、調理員に役立つ報告書を作成する委員会が、3月27日に開かれ、今年度の実態調査 報告書の内容を討議した。

 この日の検討テーマは、カジキマグロなどのヒスタミン中毒と、外部の委託パン製造業者から感染していったノロウイルス中毒事件のケースである。

 ヒスタミン中毒は、赤身のマグロ類の鮮度の問題から発生することが大半であり、学校給食ではこの食材はほとんど使用されていない。それにも関わらず、全国の学校給食現場のごく一部では、いまだに食材として使用し、中毒事件を起こすことがある。

 マグロ類を食べないと学校給食が立ち行かないというならこれを使用することは仕方ないが、あえてリスクのある食材を採用する必要性が感じられない。そのような視点で学校給食のレシピを作成する必要があるのではないか。

 また、ノロウイルスに感染した人が焼き上げたパンに触れ、それが学校に運ばれてノロウイルス中毒事件を発生させる。これは学校給食の調理場ではなく、外部の施設による感染源であり、学校給食設置者の責務の問題でもある。

 そのような課題について、多くの意見が出され、今後の安全でおいしい学校給食について意見を交換した。

                   

総括:第7回学校給食甲子園大会を振り返る

     第7回学校給食甲子園大会が終了した。毎回、大会終了後に感じることは、「今年もまた多くの感銘と感動を残した大会だった」という感慨である。

 調理が終了し、食味審査を経て審査委員会が開かれるが、その舞台裏は毎年、悩ましい評価の現場である。正に紙一重で優勝、準優勝、2つの特別賞が決まる。これがベスト4になるが、残された8チームもまた、ほぼ同レベルでひしめくことになる。

 審査委員として感じたことは、毎年レベルが上がっているという実感である。調理をする現場を評価する審査委員は、衛生管理を重点にして細かく厳しい評点 をしている。その見る目は毎年厳しくなっているようにも感じる。その一方で食味や見た目を評点する筆者にとっては、毎年出場校の実力があがっているという 感慨である。

 代表校のレシピを見ると、地場産物をいかに活用しておいしい給食を提供するか、その目標に向かって献立を吟味していることである。子どもたちに喜ばれる給食を提供しようとする熱意が、レシピと出来上がった給食によく表れている。

 また今年とくに感じたことは、見た目がどの代表もよくできていたことである。児童・生徒の食欲をそそる給食は非常に重要である。その目的に向かって給食を作る意欲が完成品であるトレイの中に息づいていた。

 回を追うごとにメディアの取り上げも多くなり、特に各地の地域報道は熱を帯びている。それだけ地域の注目度が大きくなっているということである。学校給食の意義と重要性は、このような注目度によって多くの国民に認識されるだろう。

 最近、日本の学校給食が国際的に注目を浴びている。中国では日本の学校給食を見習うとするインターネット記事が発信され、ドイツでも日本の学校給食を評 価する記事が出ている。日本列島がほぼ均一に衛生管理と栄養管理をしている日本の学校給食は世界に冠たるものとしてこれからも存在感を示してほしいと思っ た。

 

学校給食甲子園 優勝は愛知県代表に

                               

                 

 

 

 第7回学校給食甲子園大会の優勝の栄冠は、愛知県西尾市立西尾中学校の学校栄養職員、富田直美さん、調理員の三浦康子さんの頭上に輝いた。

 全国2271施設の応募の頂点に立ったお二人に拍手喝さいを送ります。栄冠を勝ち取った献立は、地場産物の抹茶を活用した料理でした。「てん茶しらす 飯」は、ほんのりとした彩りを称えたご飯であり、地元野菜の照り焼つくね、レンコンサラダ、人参ニギス団子すまし汁は絶品でした。ニギスとは三河湾で捕れ るニギスをすり身にし、地元産人参を練り込んで蒲鉾屋さんと共同開発した食材でした。

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 準優勝に輝いたのは、和歌山県和歌山市立名草小学校の学校栄養職員、土井登世先生と調理員の山中恭子さんでした。

 名草小学校は昨年の優勝校です。果たして史上初の2連覇が実現できるかどうか注目を集めていましたが、最後の詰めの差で2連覇の栄光を阻まれました。 しかし素晴らしいレシピと成熟した調理法は多くの人に感銘を与えました。

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 優勝、準優勝の栄冠を勝ち取った代表選手のお顔は輝いていました。

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 多くの報道陣に囲まれて優勝インタビューを受ける愛知県代表チーム

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 21世紀構想研究会特別賞に輝いたのは、栃木県代表で宇都宮市立田原中学校の学校栄養職員、塚原治子先生と調理員の木村雅恵さんでした。

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 女子栄養大学特別賞を勝ち取ったのは、岩手県代表、岩手大学教育学部附属特別支援学校の学校栄養職員、斎藤洋子先生、調理員の目黒沙織さんでした。

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 決勝戦に進出した全員との記念写真。どのチームも優勝、準優勝、特別賞とは紙一重であり、郷土の代表として誇りある闘いでした。

第7回学校給食甲子園大会始まる

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 第7 回学校給食甲子園大会が、12月2日、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで始まった。全国6ブロック12代表の24選手が調理服装に着替えて開会式 に臨み、銭谷眞美大会実行委員長が挨拶に立ち、続いて埼玉県代表の所沢市立第1学校給食センターの栄養教諭、小林洋介さんが選手宣誓を行った。

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選手宣誓を行う小林洋介さん 

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 調理場に移動した選手は、直ちに手洗いを行い、洗浄が合格かどうかのテストを受けた。2次洗浄までに全選手が合格となり、いよいよ調理に入った。1時間で6食を作るもので、各選手はレシピを見ながら手順よく調理を進めた。

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 この大会の決勝戦に3回出場を果たした福島県代表の福島県鮫川村学校給食センターの芳賀公美さんら2人の選手は、初優勝をかけて調理に取り組んだ。

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 昨年の第6回大会で優勝した和歌山県代表の和歌山市立名草小学校の土井登世さん、山中恭子さんのコンビは、大会初の2連覇にかけて調理に取り組んだ。

 

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 1時間後に出来上がり。直ちに食味審査にはいった。

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第7回学校給食甲子園大会の前夜祭の開催

    第7回学校給食甲子園大会が12月2日に開催されるが、その前夜祭が1日の夜、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催され、決勝大会に進出してきた12代表、24選手が大会での健闘を誓った。

 この日は、決勝戦に出場する6ブロック12代表の栄養教諭、学校栄養職員、調理員が一同に集まり、大会に臨む決意表明と代表施設としてのアピールを発表 する場でもある。各代表は、趣向を凝らしたポスターや資料を掲げながら、地場産物の説明や給食レシピへの工夫などを披露した。

 最大の関心は、明日の選手宣誓は誰がやるかである。くじ引きで引き当てた人が晴れの宣誓を行うものだが、第1回と2回大会では、選手宣誓したチームが優勝するというジンクスを作っただけに、毎年この抽選には注目が集まる。

 今年は、埼玉県代表の所沢市立第1学校給食センターの栄養教諭の小林洋介さんが引き当てた。小林さんは、この大会の決勝戦では初めての男性の栄養教諭である。またこのチームは調理員も男性であり、異色のコンビで大会に挑むことになる。

 前夜祭には学校給食関係者が多数参加し、選手たちを励ましながら各地の学校給食や地場産物の話で楽しいひと時を過ごした。

 

地場産物を学校給食に活用する分科会の開催

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 第63回全国学校給食研究協議大会2日目は、学校給食のさまざまな課題をテーマに8分科会が開かれ、熱心な討論が行われた。

 学校給食で地場産物を活用するための3つの要点

1.      地場産物が学校給食調理場に確実に納入されるシステムを確立することである。そのためには、いくつかの課題がある。

  ①   行政、流通業者、生産者などを組み込んだ組織ができているかどうか

  ②   その組織が機能するかどうか

  ③   流通業者、生産者が喜んで協力できる条件になっているかどうか

 2.      次に食材の活用方法がうまくできているかどうかである

  ①   いい食材を生かす献立を作っているかどうか

  ②   郷土料理、おふくろの味の伝承者になっているかどうか

  ③   子どもたちの喜ぶ給食になっているかどうか 

3.      成果と課題がきちんと回っているかどうかも重要だ

  ①   成果が出ているかどうか検証しているか

  ②   流通業者・生産者・子供たちがそれぞれ喜んでいるかどうか

  ③   その成果をもとに次の目標が立てられているかどうか

  筆者は以上の視点でこの日の発表についてコメントをした。

 そのうえで「学校給食で地場産物を活用するための名案、決め手は、1にも2にも地場産物が学校に確実に入荷するかどうかにかかている」ことを強調した。 

 地場産物さえ入れば、おいしい給食も実現できる。学校も栄養士も保護者や生産者、地域の人々と一体になっていろいろなイベントができる。献立内容も行事もいろいろアイデアを出すことができる。 残量も少なくなるし、子どもの感謝の気持ちも出てくる。 

 そこで2点について提示した。

 1つは、栄養士の役割である。これを再認識したい。学校で最も対外渉外のおおい教員である。地場産物を利用するには、生産者、流通業者、子どもの3者が喜んでくれる体制を作ることが重要だ。

  ウイン・ウインの関係がなければだめだ。業者が利益を出すだけでなく、次世代の子供の健康、栄養を支援するという気持ちを持ってもらうことが重要だ。生産者が無理したり、流通業者が泣くようなら、継続性がない。

 2つめは、学校給食の地場産物を推進するバックアップ体制が重要だ。ひとり学校給食栄養士が頑張っても実現しない。市町村の行政、教育関係者、地元のJA、保護者らの協力体制がなければ成功しない。

 栄養教諭、学校栄養職員だけでは無理だ。その体制をどう作るか。校長はじめ多くの人を支援者にすることが大事だ。 世界で日本はダントツの学校給食を実施している。地場産物活用などという学校給食は日本だけである。これからも学校給食を支援していきたい。

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第2分科会の先生方と記念撮影。前列左から司会者の森脇郷子先生(佐伯市教委指導主事)、江口陽子・文部科学省学校給食調査官、市村百合子・栄養教諭(千葉県佐倉市立臼井小)、後列左から筆者、上杉玲子・栄養教諭(新潟市立大形小)、山本桃子・栄養教諭(佐伯市立佐伯小)

 

第63回全国学校給食研究協議大会の開催

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 全国の学校給食、教育関係者が集まって学校給食の活動を通じた食育推進について講演、討論を行う大会が、大分市で始まった。栄養教諭をはじめ多く関係者が集まり、食育推進について日常の活動報告が行われた。

 日本では学校給食は教育の一環の中で確立されたものであり、国民の間では当たり前の制度になっている。しかし世界の中では、これほどすぐれた制度は見ら れない。 ドイツの教育関係者が日本の学校給食現場を視察したときに「信じられないような非効率的な調理現場」という感想を漏らしたという。

 大量食事を食材の加工から出来上がりまで調理する日本の学校給食調理場は、家庭のキッチンと同じことをする。大勢の昼食を作るといっても工場でやる大量 生産とは違う。この調理方法こそ、日本の食の文化を伝承し、きめ細かい食の伝統を守る現場になっていることが、にわかに理解できなかったようだ。

 しかし、最近になってドイツは日本の学校給食をべた褒めである。日本と同じことはとうてい真似ができないという。アメリカの学校給食も、日本から考えると信じられないくらいずさんな栄養管理である。フランスの学校給食も同じような状況だ。

 外国の場合は、たまたま見たり体験した学校給食だけということがあるかもしれないが、日本ほど衛生管理と栄養管理を完璧に行っている国はないのではないか。日本の誇るべき食育の現場を支えている学校給食の栄養教諭らの研究発表は年を追って進化している。

 明日の分科会の様子も報告したい。

 

第7回学校給食甲子園大会の実行委員会の開催

                                                

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 第7回学校給食甲子園大会 (http://www.kyusyoku-kosien.net/)の実行委員会(銭谷眞美委員長)が、9月24日開催され、今年の開催要項を決定した。
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 今回から実行委員として殿塚婦美子・女子栄養大学名誉教授、長島美保子・全国学校栄養士協議会会長が加わり、各専門の立場から知恵を出し合って運営することになった。
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 今年はすでに事前審査を経て、都道府県代表から地区代表選考の審査日程が決まっており、10月末までには地区代表も発表される予定である。
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 今年の応募総数は、2271となり過去最大数。新潟県からは227の応募があり、突出した応募数となった。また例年、熱心に取り組んで応募している県は例年通りの応募数となり、甲子園大会はますます注目を集めるようになっている。
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 また、今年のプログラムのデザインもこの日、見本をもとに意見を出し合い、昨年までとは違った感じの表紙に衣替えすることで決定した。
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 表紙のデザインを見て意見交換する実行委員の先生方

 

第7回学校給食甲子園大会の事前審査が始まる

                                                

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第7回学校給食甲子園大会(特定非営利活動法人21世紀構想研究会主催)の事前審査が、9月22日から始まった。今年の甲子園大会は、12月1日、2日の両日、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで決勝大会が実施されるが、その準備はこの事前審査から始まる。

 今年の応募総数は、2271校(給食センター)にのぼり過去最高の応募数となった。学校給食甲子園大会は年々、学校現場での人気が高まっており、今年は応募締切が終わった後も問い合わせが相次ぐなどかつてない関心が高まっている。

 応募数のトップだったのは新潟県の227、続いて鹿児島県の140、長崎県の121、宮崎県の109などとなっている。これから事前審査で応募侯校の具 体的な内容を精査し、これをもとに第一次審査、2次審査、3次審査と続く。最終的には、全国6ブロック、12代表校が選ばれ、12月2日に女子栄養大学駒 込キャンパスで栄冠を目指して調理競争が実施される。

 

全国学校給食甲子園のHPをリニューアルへ

                                                

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全国学校給食甲子園のHPのリニューアルを検討するミーティングが、2月1日、東京・神楽坂の筆者の部屋で行われ、トップページのデザインなどで意見を交換した。

 これまでのHPデザインをベースに改良を加え、より親しみやすいページとコンテンツにしようという試みだ。今後は、ソーシャル・ネットワークとのリンクや全国の栄養士の方々の情報交換、報告・発表などにも拡大する予定である。

 すでに筆者のブログでは「学校給食のひろば」とするコーナーがスタートしており、2人の栄養教諭からの投稿をアップして反響も寄せられている。今後も食育振興、子供の栄養と健康を守るためのウエブサイトとしても社会貢献するように頑張りたい。

 

学校給食の衛生管理の改善・充実する会議

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 学校給食は、日本の次世代を担う子供たちの成長・健康を支える最大の事業の一つである。その視点から学校給食を支援している筆者は、年間を通じて様々な 活動をしている。文部科学省の「学校給食における衛生管理の改善・充実に関する調査研究協力者会議」の委員としての活動もその一つである。

 1月25日に開催された会議では、「学校給食調理従事者研究マニュアル」の内容について、長時間の論議を行い、密度の濃いマニュアル作成へと進行した。

 学校給食の食中毒事件は、年々減少を続け、この数年は年間2,3件の発生にとどまっている。これも文部科学省と都道府県の衛生管理への取り組みが功を奏したからであり、現場のスタッフの努力の成果でもある。

 今年の学校給食での食中毒発生は、この日現在2件にとどまっている。いずれも千葉県内で発生したもので、カジキマグロのヒスタミン中毒、パン製造工場が 原因とするノロウイルスの食中毒事件である。2件とも千葉県の発生であり千葉県は評価を下げたように見える。しかしこれは偶然そうなっただけであり、どの 現場でも同じリスクがあると理解したい。

 この日のマニュアル作成の会議では、きめ細かい表現や内容に論議が広がり、完成に向けてさらに磨きをかけることになった。学校給食の現場の衛生管理では、おそらく世界でも例がないくらい充実した行動を展開しており、また成果も上がっている。

 今後もこの活動で貢献したいと思った。

 

学校給食甲子園大会事務局ミーティング

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 学校給食甲子園大会の事務局のミーティングが12月26日開催され、今後の方針などを決めた。今年の第6回大会は史上最多の2057校が応募してくれ、盛大な大会となった。

 大会終了直後から3つの大手出版社から甲子園大会関連の出版打診があり、この大会がようやく社会的にも認知度を高めてきていることを感じた。今後は、ホームページも充実させるなどIT時代にマッチした活動を進めていきたい。

 

第62回全国学校給食研究協議大会の2日目の開催

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  「生きる力を育む食育の推進と学校給食の充実」を主題に掲げた第62回全国学校給食研究協議大会の2日目の11月9日は、9つの分科会に分かれて各論 の討論を行った。どの会場でも全国から参加した学校給食関係者が研究発表をした後にフロアとの討論を行い、実りある研究会となった。

 筆者が出席したのは、第2分科会でテーマは「学校給食における地場産物の活用方策」である。発表者は、福島県川俣町立川俣南小の栄養教諭の井間真理子さん、北海道洞爺湖町立とうや小の藤川知子さん、広島県三原市立西小の森川文子さん。

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 それに司会者は三原市立三原小の山田昌子校長、さらに指導助言者として大分県教育委員会体育保健課の指導主事、伊藤京子さんと筆者の2人だった。

 発表した3人は、いずれも地域の生産者、関係機関、保護者、学校という社会の中で地場産物を利用した学校給食を提供している活動状況をパワーポイントを使って発表したが、非常に内容の濃いものだった。総じて栄養士の先生方のパワーポイントや発表内容は素晴らしい。

 常日頃から献立を作成し、料理に取り組んているセンスと行動と無関係ではなさそうだ。文化を作っている最前線の戦士の本音は、聞いていても気持ちがいい。

 筆者は指導助言者として、3人の発表内容を踏まえたうえで学校給食を形成している二つの重要な要因をあげた。1つは学校給食の栄養士の役割であり、2つ目は郷土料理の伝承という役割である。 

 栄養士は、学校にあっては対外折衝の多い役割を担っており、食材の購入や様々な人々とのコミュニケーションを考えるとマネジメント、ビジネスセンスを磨かなければならない。そのような時代にあった栄養士になることを目指し、研鑽してほしいとのコメントを発した。

 2年前に筆者が栄養教諭らから聞き取り調査をしてまとめた栄養教諭の仕事の内容と折衝する人々を整理すると、学校現場の中では特異な職責になっているこ とが浮かび上がってきた。こうした現状は見過ごされてきたようであり、今後、この現状を分析しよりよい栄養教諭の在り方を探ってみたい。これは筆者の次の 研究テーマになる。

 また、日本列島全体がコンビニ、ファストフード、スーパー、居酒屋などの普及で、どこへ行っても単一された文化になり、郷土の産物を生かした伝統的な郷 土料理が姿を消しつつあるという問題意識を提示した。さらに家庭にあっては、レトルト、インスタント食品の普及で料理、献立が標準化され、さらにインター ネットの普及で料理情報が簡単に誰でも入手できる時代となった。

 これはいい悪いという問題ではなく時代に趨勢であり、このような社会の動きの中で私たちは生活している現状を認識するべきということを主張した。そのう えで旬の食材を使った郷土料理を伝承するのは学校給食であり、気が付けばそのような風潮、流れになっていることを語った。

 学校給食は時代とともに変革していくものであり、栄養教諭もまたそれをリードしていかなければならない。食は文化でありその一端を担っている学校給食の旗手として頑張ってほしいとのメッセージを送って締めくくった。

和歌山県の新旧両雄がばったり
          

 

 第6回学校給食甲子園大会が、2日前の11月6日に行われ、和歌山市立名草小学校の栄養教諭、土井登世さん(写真右)が優勝の栄冠を勝ち取ったばかりだ が、8日に広島市で開催さている第62回全国学校給食研究協議大会に駆け付けた。2日前の大激戦で勝ち抜いたばかりだが、その疲れも見せず、この日は実践 報告や特別講演を聞くために会場に来たという。

 ここで、第4回の学校給食甲子園大会で準優勝した、 和歌山市立有功小学校の栄養教諭、高橋啓子さんとばったり出会った。2年前の大会で準優勝した悔しさをいともあっさりと優勝を手に入れてしまったようだが、並大抵の努力ではなかっただろう。

 高橋さんは「私たちの無念を晴らして優勝しました。すごいですね」と語りながら後輩の健闘を称えた。また、その出会いをしている場に、香川県の栄養士協議会香川支部長も来合わせ、和歌山、香川とお互いに全力で闘った大会の様子を語り合い、健闘を称えあっていた。 

                                

第62回全国学校給食研究協議大会の開催

                                                

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  「生きる力を育む食育の推進と学校給食の充実」を主題に掲げた第62回全国学校給食研究協議大会が、11月8日から広島市で開催された。この日は、開会式の後、文部科学大臣表彰が行われ、全体会議では実践報告と特別講演が行われた。

 まず、文部科学省から学校給食の役割と食育推進について説明があり、引き続いて広島市立皆実小学校の清水陽子校長、栗本淳子栄養教諭らから実践発表が あった。 同校では「3つのあ」をスローガンにしている。3つの「あ」とは、「あいさつ」「あんぜん」「あさごはん」であり、これをしっかりと行うことのできる学校 経営を目指している。

 また、児童に対する食育では、学年別に取り組んでいる様子を発表した。1、2年生には野菜の皮むきを指導し、家庭でもお手伝いができるようにした。4年 生は、バランスよく食べる食生活を学習し、5年生は食事のマナーを学んだ。調理を児童とともにすることで調理員の苦労を実際に体験し、残食率の低下に取り 組んだ実践活動を発表した。

 特別講演は早稲田大学総合研究機構の福岡秀興教授で、「子どものときからの生活習慣病対策」として成長期の食習慣が次世代の健康を決めることにつながっているとして次のような内容を講演した。

一般に壮年期から始まると思われている生活習慣病は実は胎児期に芽生えているという最新の国際的な研究動向を報告しながら、若い女性のやせ願望がやが て妊婦のやせ願望につながっている危険性を示した。妊婦が痩せていると胎内にいる赤ちゃんの代謝系に異常を生じ、生まれてから長じて影響が出てくるという 研究内容を発表して、会場の人々に衝撃を与えた。

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 この研究動向は、日本で昔から言われてきた「小さく産んで大きく育てる」という言い伝えが間違っていることを示したものである。その詳細については、「理大科学フォーラム」の2012年1月号でも特集として掲載される予定である。

 11月9日は、分科会が行われるが、筆者は第2分科会「学校給食での地場産物の活用方策」のセッションで指導助言することになった。この日の全体会議の前に発表者らと事前の打ち合わせを行い、1日目の予定を終了した。

 

 栄冠は和歌山市立名草小学校の土井登世、山中恭子さんに

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 第6回全国学校給食甲子園大会の 決勝戦は、11月6日、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催され、和歌山市立名草小学校の土井登世、山中恭子さんが参加2057校の頂点に立っ た。深紅の優勝旗と大カップを手にして喜ぶお二人(写真上)。優勝インタビューでは、多くの報道人に囲まれ、感激に涙ぐむ土井さん(写真下)。

 大会は、午前10時半から1時間で6食を作る競争である。事前審査を入れると4回の審査をくぐり抜けてきた全国6ブロック、12代表チームは、いずれも素晴らしい献立であり、それだけで甲乙付け難いものだった。

 地場産物を生かした給食は、どれもこれも魅力にあふれている。出来上がりの見た目、味付け、地場産物の生かし方などで審査する筆者も、どれもこれもおい しくて採点に迷うばかりである。しかし勝負は非情であり、心を鬼にして減点方式で採点していった。審査委員14人の採点を単純合計して上位から決める方式 だが、審査員の持ち点はみな違う。高度、専門性の高い審査員は、審査する項目が多く、持ち点も高くなる。

 ともかくも優勝、準優勝が決まり、女子栄養大学特別賞と特定非営利活動法人21世紀構想研究会特別賞の4つが決まると、のこりの8つはすべて入賞である。しかし点差がそれほど開くわけではなく、大激戦と言っていいだろう。

 優勝した和歌山県は第4回の準優勝をばねに、ついに栄冠を勝ち取った。今回、準優勝したのは高知県大月町立大月中学校の野坂なつこ、安岡千冬さんであ る。応援団もきていただけに準優勝には感激もひとしおだったようで、受賞発表の瞬間、大歓声があがった。高知県の準優勝は初めてである。

 女子栄養大学特別賞を獲得したのは、香川県観音寺市大野原学校給食センターの真鍋美枝子、合田香代子さんである。香川県勢は、第1回から第6回まで連 続、決勝戦に駒を進めているが、第1回大会で準優勝したのが最高。それだけに悲願の優勝を目指していたが、今回も特別賞にとどまった。と言っても、連続出 場は素晴らしいものであり、これをどこまで伸ばすか。また悲願の優勝はいつ果たされるか注目である。

 21世紀構想研究会特別賞に輝いたのは岐阜県の海津市学校給食センターの山崎香代、大倉寿美恵さんである。岐阜県は、第2回大会から連続5回の出場を果 たしており、第3回と5回に優勝している強豪である。今回も郷土のアユを生かした独自の給食で挑み、特別賞を勝ち取った。

 第6回を数えて年々、献立内容が工夫されてきており、見た目、味付けもレベルアップしている。衛生管理などではまだ課題も指摘されているが、これからも 甲子園大会はますます存在感を出していくだろう。早くも第7回大会を目指す意気込みを選手たちから聞いて、頼もしい感じだった。

                                第6回学校給食甲子園大会決勝大会が開かれる

  
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 第6回学校給食甲子園大会の決勝大会が、11月6日、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで行われた。まず、文部科学省で配布している手洗いが完全に行われているかどうかを見る実習には全員が参加して点検を行った。

 そのあとで調理場に入り、いよいよ試合開始。1時間で6食を作るコンテストに取り組んだ。

 この結果は、学校給食甲子園大会の公式HPで見ることができます。

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写真左は調理開始の様子。右は調理場の外から支援する応援団。

                                                                                

第6回学校給食甲子園大会の前夜祭が行われる

                                               

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 第6回学校給食甲子園大会が11月5日、6日、東京の女子栄養大学駒込キャンパスで始まった。この日は、前夜祭が開催され、12チーム、24人の選手が勢ぞろいして翌日の大会での健闘を誓い合った。

 詳報は、学校給食甲子園大会の公式HPで見ることができる。

  

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群馬県吉岡町で学校給食の実態調査

                               
                 

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 学校給食現場の衛生管理などを指導している有識者らが11月1日、2日に群馬県吉岡町の学校給食センターを訪れ、衛生管理などの実態を調査し、栄養士、調理員、県、町の関係者らと意見交換して今後の安全な学校給食について話し合った。

 一般的に学校給食現場で食中毒事件を発生しないようにするためには、大きく分けて2つの方法がある。まず事件が発生しないように衛生管理を徹底すること と、第2は不幸にして発生した場合の対応策である。訪問した吉岡町学校給食センターは、写真でみるように広々とした施設であり、衛生管理のやりやすい施設 である。

 ただし調理の手順で抜け道があれば細菌が入り込んでくる。トイレや手洗いの施設の完備からエプロンの使い方など細かい点で討論があった。また中毒事件が 発生した場合の対応策である。関係機関への伝達、保護者への連絡、児童生徒の指導などで不備がなかったかどうかなども話し合われた。

 

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2階から見た調理場だが、敷地面積が広くて清潔感があった。

 

フードシステムソリューションのシンポジウムを開催

                               

                 

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 学校給食調理場の衛生管理などについて討論するシンポジウムが、東京・お台場で開催中のフードシステムソリューションの学校給食セミナーセッションで開催された。

 このシンポジウムは「食中毒発生調理場から見えてきたもの」のテーマで行われたもので、 パネリストには、伊藤武、中村明子、丸山務の3氏が出場し、筆者がコーディネーターとして司会とまとめを行った。パネリストの3人は、学校給食衛生管理に 関する文部科学省の審議会の委員であり、どの方も学校給食関係のプロである。

 まず伊藤、中村、丸山の3氏がそれぞれの立場から衛生管理の課題について発表を行った。伊藤氏は、全国の食中毒の動向と学校給食の食中毒の動向を示しながら、衛生管理では何が課題としてあげることができるか。一般的な話から学校給食へと広げて話をした。

 中村さんは、調理場での二次汚染が食中毒発生のカギを握っていると指摘し、具体的な二次汚染について例を出しながら、その防止策について提示した。さら に丸山氏は、最近、学校給食現場では見られなくなったサルモネラ菌による食中毒事件が、昨年度2件発生したことを報告。その現場を視察して原因を分析した 結果を発表した。

 食中毒事件は、過去の教訓をきちんと汲み取り、予防策を守っていれば発生することはない。しかし事件は時間とともに風化して人々から忘れさられていく。 丸山氏は、サルモネラ菌の場合は特に卵を食材とした場合の危険性を指摘し、実例をあげながら予防への取り組みを提示した。

 また、学校給食の施設設備については、設置者である市町村がもっと予算をかけて整備することの重要性を強調し、無駄な予算を消費しないように警告した。 さらに危機管理の視点では、中毒事件の発生前と後の対応策について特に学校長の責務をあげ、学校給食を栄養士と調理員にお任せをするような意識で対応しな いことを主張した。

 

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 会場では、災害が発生した場合の炊き出しの実演が行われた。学校給食調理場の設備を使って、素早く炊き出しをしとり、味噌汁を作る実演であり、岐阜県の栄養士の栗山愛子先生ら筆者の知っているベテランの栄養士の先生方が活躍していた。

 炊き出しをしたお赤飯とご飯は、どちらも大変おいしくいただき、具だくさんの味噌汁も絶品だった。

 

学校給食甲子園の東日本の代表を決定

                               

                 

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 第6回学校給食甲子園大会の県代表、ブロック代表、決勝戦進出校を発表する地区代表表彰式が、2011年10月8日、埼玉県大宮市で開かれ、東日本の決勝戦進出6代表が決まった。発表後には 決勝戦で着装するゼッケンをつけてファイトポーズをとり必勝を誓った。

 表彰式では、まず21都道県の代表が発表され、その中から第2次審査で選ばれた12代表が発表された。そして、最後に決勝戦に進出する東日本の6代表が発表された。 

 

北海道・東北ブロック道県代表

ブロック代表

決勝進出

北海道

札幌市立屯田小学校

 

 

青森県

青森県立弘前聾学校

 

岩手県

平泉町立平泉小学校

秋田県

八峰町立学校給食協同調理場

 

 

宮城県

仙台市立湯元小学校

 

 

山形県

高畠町立糠野目小学校

 

福島県

南会津郡只見町学校給食センター

 

関東ブロック都県代表

 

 

東京都

葛飾区立東金町小学校

 

神奈川県

横浜市立名瀬小学校

 

 

埼玉県

所沢市立和田小学校

 

 

千葉県

流山市立東小学校

 

 

栃木県

宇都宮市立横川東小学校

 

 

茨城県

築西市立下館学校給食センター

群馬県

沼田市白沢調理場

静岡県

掛川市西山口学校給食共同調理場

 

 

甲信越・北陸ブロック県代表

 

 

山梨県

甲州市学校給食センター

 

 

長野県

小諸市立東小学校

新潟県

上越市立春日新田小学校

 

 

富山県

富山県立富山総合支援学校

石川県

金沢市学校給食緑共同調理場

 

福井県

南条給食センター

 

岩手県の平泉は、中尊寺がある世界遺産登録になった地域であり、甲子園へ初出場でさらに花を添えた。東北地方は先の大震災で大きなダメージを受けたが、そのハンデを跳ね返し、決勝戦では健闘してほしい。

 そのほかの代表もいずれも地域を代表する栄養士と調理員であり、これからも給食の実施で功績をあげていくだろう。表彰式の後には、昨年の決勝進出を果た した、福生市の第1学校給食センターの学校栄養職員である菅野幸さんが昨年の体験談と日ごろの給食活動についてレクチャーを行い、非常に実のある楽しい表 彰式だった。 

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第6回全国学校給食甲子園大会の第3次審査を開催

                               

                 

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 第6回全国学校給食甲子園大会の決勝大会は、11月5日(土)、6日(日)に東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催されるが、そのときにブロック別代表として出場する12校・センターの選抜審査会が、10月3日に女子栄養大学で開催され、12代表が決まった。

 今年の応募数は、2057校・センターという過去最高であり、大会が年々盛り上がっていることを示している。 応募してきた献立も郷土の食材をふんだんに使い、児童・生徒が喜びそうな給食を工夫して作っていることがわかる。

 都道府県によっては、応募に積極的に取り組んでいる県とほとんど何もしていない都府県などと際立っている。特に大都会地の学校・センターにとっては、甲子園大会に対しては無関心であることは間違いなく、地方の学校とセンターの方が関心度が深い。

 地場産物という意識が都会では地方ほど高くないので、献立を作るインセンティブが弱いのではないかと思う。地方では、地場産物へのこだわりがあり、地域 社会と学校が一体となって活動していることが多い。給食施設設備も年々向上してきており、衛生管理意識も以前に比べると格段に高くなっている。

 今年も12チームによる料理コンテストが展開されるが、果たして栄冠はどの地域の代表になるのか。いまから楽しみである。

                                                 

             

                               

第6回学校給食甲子園大会の事前審査が始まる

                               
                 

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 第6回学校給食甲子園大会の事前審査が9月15日から、女子栄養大学駒込キャンパスで始まった。今年の応募数は、約2060になりこれは史上最高となった。大震災もあって応募数が例年より下回るのではないかと危惧していたが、これは完全に裏切られた。

 事前審査は、応募書類の確認、栄養価の確認が主たる作業だが、何しろ2000通を超える書類を丁寧に見るので時間がかかる。金田雅代・学校給食甲子園大 会実行委員で審査副委員長らベテランの栄養士の先生6人が20人の女子栄養大学の学生を指導しながらの確認作業が延々と続いた。

 点検・確認は複数の人が行い、さらに栄養士の先生が最終確認する作業になるので時間がかかる。さらに学校給食の研究データとして毎年とっているっ色の区分け、主菜の区分けなどではマーカーで色づけして統計をとっていくのでこれまた大変な作業だった。

 それで3日間の事前審査は無事に完了し、次の第1次審査から3次審査までの手順へと回された。今年は11月5日、6日に地区代表の12校・センターのチームが東京に集結して深紅の大優勝旗を狙うことになる。

 

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学校の食の安全に関する実態調査委員会の開催

                               

                 

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 学校給食現場の食中毒事件は、1996年7月に大阪府堺市の学校給食で発生した腸管出血性大腸菌O157食中毒事件をピークに下降線を辿り始め、近年は1、2件の発生にとどまっている。

 平成21年度は、12月10日に東京都足立区でノロウイルスによる食中毒事件が発生するまでゼロが続き、史上初の発生件数なしに終わるかと期待されたが、結局この1件に終わった。平成22年度は2件となった。一般の食中毒事件が減少していないことを考えると奇跡に近い激減である。

 このように激減したのは、文部科学省の学校給食衛生管理の施策の徹底が功を奏してきたものであり、衛生管理への意識向上の効果が出てきていると見てもいいだろう。学校給食現場で食中毒事件を起こすと日本スポーツ振興センター学校安全部から派遣される実態調査チームが給食調理場に入り、事細かに調査を行う。

 調査は早朝7時 ころから学校給食調理場に入り、栄養教諭、学校栄養職員、調理員らの作業をつぶさに検分し、その行動・所作を点検する。施設・設備の内容から衛生管理に対 する備え、食材の納入の状況から調理する際の手順や衛生管理への配慮などがきちんと行われているかどうか、派遣された委員は調理場のあちこちに移動しなが ら黙って検分するものである。

  今年もまたこの調査が実施されるが、この日の会議ではどのような調査内容にするべきか、また調査の日程などについて討議をした。中毒事件が年間に1件も発 生しないというのが目標だが、そこまでいかなくても年間数件という被害最小を維持できれば学校の食の安全はほぼ達成されるものだ。今年も調理場の人たちと 一緒になって頑張りたい。

 

文部科学省・学校給食衛生管理委員会の開催

                               

                 

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 文部科学省が1996年に設置した「学校給食における衛生管理の改善・充実に関する調査研究協力者会議」(学校給食衛生管理委員会)の今年度の第1回会議が6月29日、文部科学省で開かれ、学校給食現場での食中毒の発生状況、今後の衛生管理について論議を行った。

 この委員会は、大阪府堺市の学校給食で発生したO157による食中毒事件で7人の児童の死亡者を含む7178人の感染者を出したことを受けて、当時の文 部省が設置した委員会である。それ以来筆者は16年間にわたって委員を務め、学校給食の調理場へも数十回、足を運んできた。

 今年6回目を迎える「全国学校給食甲子園大会」の開催を決めたのも、委員としての活動を続けているうちに、学校給食現場で日夜頑張っている栄養教諭、学校栄養職員、調理員たちを元気付けてやりたいという気持ちが自然と芽生えたからでもある。

 この日開かれた委員会では、昨年度発生した2件の中毒事件を総括した。昨年度は、2月8日まで食中毒事件の発生はなく、史上初めて「学校給食の食中毒事 件ゼロ」という画期的な記録を達成するかに見えた。しかし2月9日に北海道岩見沢市で、続いて2月25日に群馬県吉岡町で相次いで食中毒事件が発生した。

 発生原因はいずれも、サルモネラ・エンテリティデス菌である。最近の食中毒事件はノロウイルスによるものが多いが、このような古典的な中毒菌による発生にはショックを受けた。なぜ、今頃になってサルモネラ菌の食虫毒事件が発生したのか。

 委員会でもこの対策をめぐって論議され、今後の衛生管理はやはり初歩からの徹底という点で一致した。今年度に入ってから、さる6月10日に千葉県柏市で カジキマグロのヒスタミン中毒事件が発生している。カジキマグロの冷凍管理の不適切で発生する中毒であり、生産者側に大きな責任があるだけに流通業界全体 で取り組まなければ根絶は難しい。

 こうした現状を見ながら対応策を立てる方策について様々な意見が出され、今後の衛生管理について引き続き積極的に取り組むよう現場に厳しい目を光らせることを確認して委員会を終了した。

 

食の安全に関する実態調査委員会

                               

                 

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  学校給食の安全に関する実態調査をまとめている独立行政法人日本スポーツ振興センターの食の安全委員会が、6月23日開催され、平成22年度の報告書 の骨格と内容を検討した。22年度に実施した実態調査校は3校あった。ノロウイルスによる食中毒事件を起こした学校が2校、ヒスタミン中毒発生校が1校で ある。

 ヒスタミン中毒は、キハダマグロのフライで発生したもので、またかという感じがした。というのもキハダマグロのヒスタミン中毒はよく発生するために、学 校給食では使わない現場が増えていると聞く。危うきに近寄らずである。食材はいくらでもあるのだから、何もこのマグロを使う必要はない。

 しかも中毒事件発生の経過を見ると、食材を検収したときにすでに「いつもと色が違って茶色っぽい」と感じ、校長や学校栄養職員と相談。業者にわざわざ問 い合わせている。しかし業者は、「品質に問題はない」と回答。翌日に解凍してフライにしたが、その際にも栄養士や調理員は、味見を数回繰り返し、異常がな いとして子供たちに提供した。

 ところが、食べてから間もなく、口の周りが赤くなり、かゆみが出てきた子供がいた。その後も次々と同じような症状を訴える子供と教師が出てきたために保 健所に連絡した。保健所が回収したキハダマグロと調理済みのフライなどを調べたところヒスタミンが検出され原因が判明した。

 ヒスタミンはマグロ類の魚などの鮮度が劣化状態になったときに発生するたんぱく質の一種で、食べると一種のアレルギー反応が出てくることがある。学校給 食現場では、ヒスタミンが発生しやすい魚はできるだけ使わないようにしているところが多いが、それでも毎年のようにヒスタミン中毒事件が発生している。

 ノロウイルスは手洗いの不十分さが原因であることが多く、今年の実態調査でもこの点が重点的な検討課題となっている。

 

健康教育行政担当者研修会で給食甲子園を説明

                               

                 

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 文部科学省がオリンピック青少年センターで開催している健康教育行政担当者研修会で、5月31日、第6回全国学校給食甲子園大会の開催説明を行った。

 都道府県と政令都市の行政担当者が出席している研修会であり、文部科学省の配慮で第6回大会のスケジュール、応募要項などについて説明したものだ。

 今年の大会は、11月5日、6日で、例年通り東京の女子栄養大学駒込キャンパスで開催される。出場校の応募期間は、7月1日から8月10日までである。応募内容は、第3次審査までで各ブロック代表に絞り込み、最終的には6ブロック12代表が優勝をかけて熱戦を展開する。

 地区代表表彰式は10月上旬に2か所で開催される。今年は大震災の影響もあって被災地では盛り上げるに欠けることが心配されている。しかし学校給食は、被災地でも普及への取り組みが早いので、甲子園大会への応募も期待している。

健康教育行政担当者会議情報交換会の開催

                               

                 

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 子供の健康教育を担当する47都道府県、政令都市などの健康教育担当者が東京に集まり、文部科学省の主催で研修会を開催している。その担当者らの情報交換会が5月30日に霞が関ビルで開催され、昼間の研修業務から離れた楽しい交歓会となった。

 参加した担当者は、各県のスポーツ健康課の管理職や学校給食担当の管理職であり、交歓会では互いの活動状況を語り合ったり情報を交換する場となった。自己紹介もあったが、単に名乗って仕事の紹介をするのではなく、趣向を凝らす自己紹介となった。

 その趣向は、鹿児島県・与論島に伝わる「与論献奉」という伝統的な交歓儀式である。与論島の銘酒であるサトウキビを材料にした焼酎「有泉」を盃に注ぎ、自己紹介をした後、その盃を一気に飲み干して盃を逆さに振って全部飲んだことを示す。

 盃に焼酎を注ぐ人は「親」を名乗り、焼酎を飲み干す人は「子」となる。焼酎を注いで飲んでもらうといっても強制して飲ませるわけではなく、飲めない場合 は子が親に盃を返して飲んでもらう。筆者が親に指名されて焼酎を注ぐ役割だったが、盃を返されると飲めない筆者としては困る。

 しかしそうなったときには、文部科学省学校健康教育課の森泉哲也調査官がさっとお出ましになって、一気に飲んでくれる。そんな交歓会であったが、これが何とも楽しいコミュニケーションの場になり、自己紹介も楽しい雰囲気となった。

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 この与論献奉は、先ごろ与論島で栄養教諭の研修会が開かれた際に田中延子学校給食調査官、筆者らが与論島教育委員会のスタッフの人々や平田さおり栄養教諭らとの交歓会で歓待されたときに体験した伝統的な島の作法だった。

 これを今回の研修会の交歓会に取り入れたもので、焼酎も与論島から取り寄せた「有泉」であり、南の果ての文化が東京のど真ん中で華が開いた格好になった。

 

「第6回全国学校給食甲子園大会」の実行委員会の開催

                               

                 

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 第6回全国学校給食甲子園大会は、11月5日(土)、6日(日)の二日間、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催されることが、この日の実行委員会で決定した。

 これまで毎回、全国から1000校(給食センター)の応募があったが、、今年は東日本大震災の影響もあってかなり応募数は減少する可能性が強い。1000校を切る可能性もあるが、大会は例年通りに開催する。

 来月 20日(金)の午後2時半ころからTBSラジオで、給食甲子園大会について筆者が様々な話題を語ることになっている。年を追うごとに大会は注目度を増しており、今では給食関係者で甲子園を知らない人はいないほどになった。

 いずれ近隣諸国の代表校も加えた国際学校給食甲子園大会を目指すことにする。 目標は、第10回大会である。

全国学校給食甲子園大会の2011年開催のスタート

                               

                 

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 毎年、1000校・施設が参加している全国学校給食甲子園大会の2011年度の開催要項案を決めるミーティングが、4月22日行われ、実行委員会に提案する骨子を決めた。

 毎年、決勝大会の会場は、女子栄養大学駒込キャンパスになっているが、今年は大学の都合で11月上旬しか会場が空いていないため、どのように開催日程を決めるかが大きな課題になっている。

 今年は大震災があったために東北・関東の一部の県では、学校給食も思うようにできず、甲子園大会に参加することも非常に難しい県と地域がある。また支援している企業も、大震災の影響があって思うようにいかない事情もあり、今年は試練の大会になりそうだ。

 といっても大会開催を期待する学校関係者も多く、これに応えるためにも主催者・事務局が一体となって取り組むことを確認した。

 

食の安全に関する実態調査

                               

                 

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学校における食の安全に関する実態調査が、2011年2月2日、3日の両日、東京都足立区で行われ、同区立伊興小学校などの学校給食現場を視察した。

 学校給食の食中毒事件は、20年ほど前には年間数十件も発生して半ば常態化していた。その後、文部科学省が衛生管理の徹底に乗り出し、金田雅代さん、田中延子さんという優れた2人の調査官を繰り出し、全国の学校給食調理場の衛生管理改善に取り組んだ。

 その効果が出始めており、昨年度の学校給食での食中毒事件は、わずか1件、今年度の発生は2月4日現在ゼロとなっている。1年間を通じてゼロとなればもちろん史上初である。

 今回の調査はこれとは直接関係ないが、伊興小学校の調理場の施設・設備を視察し、さらに午前7時から調理場に入り込んだ実態調査委員たちが衛生管理や調 理のあり方を見て、指導助言を行った。筆者は委員の一人として主として校長先生が取り組んでいる管理責任などについて聞き取り調査を行い、様々な意見交換 の場となった。

 

優勝は岐阜県代表、準優勝に富山県代表

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 第5回全国学校給食甲子園決勝大会が12月12日、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催され、 岐阜県代表の郡上市白鳥学校給食センターの白瀧芳美さん、見付清美さんが1817校の頂点に立って優勝した。準優勝は、富山県代表の砺波市学校給食セン ターの亀ヶ谷昭子さん、山田久美子さんだった。

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深紅の大優勝旗は、筆者から岐阜県代表の白瀧芳美さんの手に渡った。
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優勝した白瀧さんは、大勢の報道陣に囲まれ、喜びのコメントを語った。
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惜しくも準優勝となったのは、富山県代表の2人。サラヤ賞を受賞して記念撮影
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女子栄養大学特別賞には、香川県代表の高松市立国分寺南部小学校の宮武千津子さん、間嶋みどりさんが受賞した。受賞後に女子栄養大学の香川芳子学長(左から2人目)、金田雅代教授(左端)、小川久恵教授(右端)らと記念撮影。真ん中が宮武さん右に間嶋さんである。
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特定非営利活動法人21世紀構想研究会特別賞に輝いたのは、鳥取県代表の鳥取県東伯郡三朝町、三朝町調理センターの山下恵さんと山根里美さんである。筆者から賞状を受け取った。
               
                                
                                 

全国学校給食甲子園決勝大会の前夜祭を開催

  

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前夜祭で勢ぞろいした12代表の選手たち

 第5回全国学校給食甲子園決勝大会が、12月12日、東京駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催されるが、その前夜祭が同大で開催され、出場選手の紹介発表会などで大きく盛り上がった。

 このブログでも紹介しているように、全国6ブロックから12校・施設の代表が決勝大会に出場する。今年は、全国から1817校の応募があり、第3次審査までをくぐり抜けた12代表が、12日に同大で開催される決勝大会で優勝、準優勝、特別賞などを決める。

 この日の前夜祭では、出場する選手24人全員がステージにあがって挨拶。その後、文科省、農水省関係者ら後援団体からの挨拶があった。そして選手代表が、自己紹介もかねてそれぞれの日ごろの活動や自慢の地場産物、そして決勝大会で作る献立の内容などについて披露した。

 どの代表もポスターや写真などビジュアルな方法を使って、日ごろの活動をPRし明日の健闘を誓った。筆者は毎年見ているが、年々、この自己PRもレベル が上がっており、見ていて楽しく勉強になる内容が多くなった。また、栄養教諭、栄養職員、調理員らの表情や動作にも余裕が出てきており、このようなイベン トも回を追うことによって、段々と洗練されていくように感じた。

 12日は午前9時半過ぎから開会式が行われ、1時間かけて自慢の献立の料理を作成し、深紅の大優勝旗を争う。今年はどの県の代表が勝ち取るか。楽しみである。

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新潟県代表は、昨年優勝した同じ上越市の栄養教諭から贈られた兜をかぶり、健闘を

誓った。兜は、上越市ゆかりの戦国時代の雄、上杉謙信の出陣にあやかったものだ。

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第1回大会から第5回大会まで連続して出場している香川県代表。

悲願の優勝を勝ち取ることができるだろうか。自己紹介にも力が入っていた。

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選手宣誓を引き当てた東京代表の菅野幸さん(中央)。選手宣誓をした選手は、

過去4回のうち2回優勝しているだけにゲンのいい役回りとなった。

                                 

第5回全国学校給食甲子園決勝大会の準備が完了

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 第5回全国学校給食甲子園決勝大会が、12月12日、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催されるが、その最終準備の確認作業が12月7日に行われた。

 今年は1817校という過去最大数の参加校があったが、その中から厳選された12校が決勝大会に駒を進めた。地域を代表する給食調理場から出場するので、いずれも地元の期待を背負っての決勝大会出場である。

 写真で見るように試合当日に着る色違いのエプロンや都道府県名が入ったゼッケンも出揃い、準備は整った。12月11日の夜は、前夜祭として各代表が地元のPRを行い、選手宣誓の抽選を経ていよいよ12日午前10時には試合開始となる。

 今年もまた、新たな感動ドラマが出てくるだろう。どの代表が優勝してもおかしくない魅力的な献立であり、当日の熱戦が待ち遠しい。

 

学校における食の安全に関する実態調査委員会の開催

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  「学校における食の安全に関する実態調査委員会」の今年度の第1回委員会が、11月16日、国立霞ヶ関競技場会議室で開かれ、今年度の実態調査の計画が策定された。

  この委員会は安心・安全で健康にもいい学校給食のあり方と衛生管理について指導・助言する委員会である。特に食中毒事件を起こした学校や調理場などに調査に出向き、聴き取り調査を行っている。

  今年度は、青森県、東京都、札幌市の3つの施設を訪問してその実態調査を行う方針である。いずれも食中毒事件を起こした学校であり、発生した経過と対応、その後の中毒防止への取り組みや施設の改善などを調べる。

  実施する時期は、来年早々になる予定であり、調査結果は「実態調査報告書」としてまとめ、来年夏ごろまでに発刊する予定である。

学校給食研究協議会の分科会の開催

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 香川県高松市で開催された文部科学省など主催の第61回全国学校給食研究協議大会の分科会が、11月12日開かれ、活発な論議を展開した。

 筆者は第1分科会「学校給食を活用した家庭への食育の普及」のテーマの指導・助言者を委嘱されて出席し、質疑に参加しコメンテーターとして発言した。

 この分科会ではまず、香川県三豊市立詫間中の大矢美智子栄養教諭、徳島県石井町立石井中の乾久美子栄養教諭が、日ごろの食育活動の取り組みを報告し、実績と課題を提起した。

 お二人の発表内容は、最近の生徒の中に朝食抜きで来る人が増えていることから、朝ごはん抜きを減らしていく取り組みが1つの焦点として発表された。育ち盛りの生徒が朝ごはんを抜くと、栄養素の不足が出てくるし栄養バランスも崩れる。

 朝ごはんをしっかりとることは生徒たちの生活サイクルを正常に し、学習やその他の活 動を活性化する。2つの中学はその取り組みで着実に朝ごはん抜きを減少させ、ほとんどゼロに近づけることに成功した。また、家庭と地域との連携を重視して 交流することで、地場産物を給食に取り入れる意義を理解し、食に対する意識の向上を果たす役割をしたと報告した。

 また2人の発表者は、それぞれの地域の食育推進活動を報告し、家庭・地域と学校、児童・生徒との連携について具体的な活動内容を紹介した。そして残されている課題についての整理して発表した。 

 筆者は総括コメントとして、5点をあげた。まず第1に発表者のパワーポイントを使用し た内容は、過不足なく取り組みと実績、課題を簡潔に整理して説明しており、素晴らしい発表であることを称えた。2点目は、食は文化であることを改めて認識 し、学校給食がその文化の原点になりつつあることを実感したと発言した。地場産物と生産者、父母と児童・生徒、家庭とのつながり、そこに芽生える社会的な つながりが食の文化として形成していくことを指摘した。

 第3点は、食育は地域ブランドを醸成する活動であることを認識し、地場産物、郷土料 理、地域ブランドという3要素が食の知的財産へと発展している実感を持ったことを発言した。4点目は栄養学の進歩とともに学校給食のあり方も進歩しなけれ ばならないとする観点を示した。最近、低体重児の出産による弊害が新しい学問の創造となって出てきている。

 たとえば「小さく産んで大きく育てる」という日本の格言は間違っており、妊婦の栄養摂 取の見直しが行われている。またアトムバランスという原子・分子レベルで追跡する新しい栄養学が創設されており、そうした動きと学校給食現場は無縁ではな く今後も進歩しなければならないとの認識を示した。

 さらに5つ目として栄養教諭の役割の重要性と期待に言及した。栄養教諭は、学校の教諭の中では最も対外折衝の多い教諭である。校長、教頭よりも多いかもしれない。地域の生産者、農協と漁協、行政機関、納入業者らとの折衝があり、安全な給食を提供するために学校医、学校薬剤師、行政機関、保健所などと連絡したり連携する必要がある。

 さらに給食を通して食育、産業、生物、環境などの学習をするために行政機関や様々な団体や機関と連携しなければならない。こうした活動の理解度を高めてもらうためには、生産者や父母を対象に成果を発表する機会も自ら企画して実行しなければならない。

 栄養教諭が関係している個人や機関を整理してみると40を超えている。その役割については、このブログでも報告したことがある。このような対外折衝を通じて社会との接点が多い栄養教諭の役割に私たちも理解を示し、今後に期待することを述べて締めくくった。

第61回全国学校給食研究協議大会の開催

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 文部科学省、香川県などが主催する第61回全国学校給食研究協議大会が、11月11日から香川県高松市で開催され、全国から約1000人の栄養教諭ら学校給食関係者が参加し、発表と討論が展開された。

 この日はまず、文部科学大臣らの挨拶のあと文部科学大臣表彰が行われ、全国の47施設、17個人が、長年、学校給食の普及発展に功績があったとして表彰状を授与された。

 筆者は、この大会の分科会の指導助言者として招かれたもので、11月12日の第1分科会「学校給食を活用した家庭への食育の普及」をテーマに発表と討論を行うときの助言者になる。

 10日にはその事前打ち合わせも行われたが、地域の特性を生かした学校給食が全国各地で展開されていることを改めて実感した。

 知的財産権の視点で見ると各地の地場産物と郷土料理は、重要な地域ブランドである。地場産物は、生鮮市場でそれなりに評価されているが、郷土料理 は地域ブランドであるという意識はまだまだ薄い。日本列島どこへ行ってもコンビニ、スーパーなどが散在し、そこに並んでいる食品群は標準化された大手企業 のインスタント、レトルト商品が席巻している。

 そうした中で、学校給食が果たす役割は、郷土の地場産物を利用した伝統的な郷土料理の継承という色合いが段々強くなっているように感じる。食の文 化に芽生える新しい価値観である。学校給食の中で生きている郷土料理をブランド化し、全国に知ってもらう運動をすることを筆者は考えている。

 NPO法人21世紀構想研究会が主催する「全国学校給食甲子園大会」もこのような流れを作るものと位置付けており、食文化・学校給食・地域ブランドというキーワードで新しい知的財産権を考える場にするのが筆者の狙いでもある。

 11日の全体会議の中で、香川県宇多津町立宇多津小学校の愛染麻水栄養教諭、真鍋由美教諭、山地朋子養護教諭の3人が、「望ましい食生活を実践できる児童生徒の育成」~学校給食を中心に家庭・地域をつなぐ食育の推進~とするテーマで日ごろの活動を発表した。

 学校と地域が一体となった食育推進活動は素晴らしいものであり、望ましい食生活が定着していない課題はあるが、日本の地域社会の優れた点を見せてくれたように感じて嬉しかった。

学校給食甲子園決勝大会の12代表決まる

     きたる12月11日、12日に東京都文京区の女子栄養大学駒込キャンパスで行われる第5回学校給食甲子園大会の代表12が決まった。

 今年は史上最多の1817の応募件数があり、3次審査までの激戦を勝ち抜いた代表だけに素晴らしい献立内容になっている。 

北海道・東北ブロック  

道県

施設名

献立

青森県

黒石市立六郷小学校・学校栄養職員・宇野由香子さん

りんごごはん、牛乳、たまごのココット風、五目きんぴら、ほたてスープ、りんご

福島県

鮫川村学校給食センター・学校栄養職員・芳賀公美さん ごはん、牛乳、ぶた肉の唐揚げ~大豆ソースがけ~、じゅうねん卵入りサラダ、かぼらいすいとん汁、ミニトマト
関東ブロック  

都県

施設名

献立

東京都

檜原村学校給食共同調理場・学校栄養職員・菅野 幸さん

雑穀ごはん、牛乳、とびうおのさつま揚げ、檜原里芋と檜原こんにゃくのピリカラ煮、小松菜と白菜の味噌汁、みかん

栃木県

宇都宮市立豊郷中央小学校・学校栄養職員・坂本治己さん

古代米おこわ、牛乳、米粉と豆腐のかき揚、さっぱりあえ、ゆばの味噌汁、いちごゼリー

甲信越・北陸ブロック  

施設名

献立

新潟県

上越市立春日小学校・栄養教諭・山本雅代さん ごはん、牛乳、めぎすのから揚げ、切干大根の焼きそば風いため、ひたし豆、あつめ汁、花みかん

富山県

砺波市学校給食センター・栄養教諭・亀ヶ谷昭子さん 古代米入りご飯、牛乳、富山の幸かき揚げ、地場産野菜の炒め物、となみ野汁、うさぎりんご
中部・近畿ブロック  

府県

施設名

献立

愛知県

幸田町学校給食センター・栄養教諭・伊藤恵美さん さっぱりなすじゃこごはん、牛乳、なすのベーコン巻フライ、野菜の昆布和え、根菜汁、なし

岐阜県

郡上市白鳥学校給食センター・栄養教諭・白瀧芳美さん 麦ごはん、牛乳、あゆとあまごの梅とろり、かみかみあえ、じんだみそ汁、郡上のくだもの
中国・四国ブロック  

施設名

献立

鳥取県

三朝町調理センター・栄養教諭・山下 恵さん 漬けもんずし、焼きのり、牛乳、千草焼き、おかか和え、湯葉のすまし汁、アイスクリーム

香川県

高松市立国分寺南部小学校・栄養教諭・宮武千津子さん ごまごはん、牛乳、オリーブはまちの香草焼き、大根サラダ、しょうゆ豆、具だくさんふしめん汁、みかん
九州・沖縄ブロック  

施設名

献立

佐賀県

嬉野市塩田学校給食センター・学校栄養職員・阿部香理さん お茶ごはん、牛乳、冬瓜のうまか味噌だれ、ミニトマト、うったち汁、いちご羊羹

長崎県

峰学校給食共同調理場・栄養教諭・佐田マキさん やまねこの里の赤米ご飯、牛乳、対馬ごま味噌焼き(漁火焼きとぼたん焼き)、紅白かぶの甘酢和え、ろくべえ、豆酘みかん

北海道・東北と関東ブロックの決勝大会出場校発表

      

 

 第5回全国学校給食甲子園大会(主催・特定非営利活動法人21世紀構想研究会)の北海道・東北および関東両ブロックの地区代表表彰式と決勝大会出場校の発表会が、11月3日、仙台市のKKRホテル仙台で行われ、15校の表彰と決勝大会に進出する4校の発表が行われた。

 今年は全国から1,817の応募があり、過去最高を記録し予選審査でも激戦だった。北海道・東北、関東両ブロックでは439校の応募があり、そのなかを勝ち抜いた代表が次のように決まった。

北海道・東北ブロック

青森県 黒石市立六郷小学校 (学校栄養職員・宇野由香子さん)
福島県 鮫川村学校給食センター (同・芳賀公美さん)

関東ブロック

東京都 檜原村学校給食共同調理場 (同・菅野 幸さん)
栃木県 宇都宮市立豊郷中央小学校 (同・坂本治己さん)

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 決勝進出を決めた4校の栄養教諭は、ガッツポーズをとりながら、深紅の大優勝旗を是非持ち帰りたいと豊富を語った。

 この日表彰された15校の献立は、いずれも大変魅力的な内容であり、決勝進出を決めた 4校は紙一重で勝ち取ったものだ。それだけに喜びも大きく、2年連続で決勝大会に出てくる福島県 鮫川村学校給食センター の芳賀公美さんは、発表されるとこみ上げる感激にむせびながら「頑張ります・・・」としぼり出すように語ってくれた。

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 表彰式の後に全員で記念撮影をし、このあと懇親会を開いてお互いに情報を交換したり学校給食や食育の活動を語り合うなど有意義な会だった。

 先月30日には、甲信越・北陸ブロックと中部・近畿ブロックの決勝大会進出校が発表されており、これで12校のうち8校が決まった。残りの九州・四国ブロックの代表発表は、6日に福岡市で行われる。

甲信越・北陸ブロック代表

新潟県 上越市立春日小学校 (栄養教諭・山本雅代さん)
富山県 砺波市学校給食センター (同・亀ヶ谷昭子さん)

中部・近畿ブロック代表

愛知県 幸田町学校給食センター (同・伊藤恵美さん)
岐阜県 郡上市白鳥学校給食センター (同・白瀧芳美さん)

                
                               

全国学校給食甲子園大会の審査が大詰め

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 第5回全国学校給食甲子園大会の応募は、1817にのぼり過去最高となった。決勝大会は12月12日(日)に東京の女子栄養大学駒込キャンパスで行われるが、その審査が10月19日、女子栄養大学で行われた。

 決勝大会へ進む12代表はまだ未定であり発表はしていないが、今年も非常にレベルの高い応募内容であり、いずれ激戦になることは必至である。この日の審査でも、審査委員がまるで難問を解くような真剣な眼差しで取り組んでいた。

 決勝大会進出代表は、今月下旬から地域ごとに発表される予定である。決定次第、この欄でも紹介したい。

 

第5回全国学校給食甲子園大会の応募は1817で過去最高

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 第5回給食甲子園大会の応募校・施設は、締め切りまでに1817にのぼり、過去最高の応募件数となった。今年は、12月12日(日)に東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで本戦大会が開かれるが、予選から激戦は必死の状況となった。

 9月15日には、女子栄養大学で応募書類の記述確認や栄養素の確認作業が行われた。金田雅代・大会審査員らベテランの栄養士5人の指導を受けながら、女子栄養大学の学生らが確認作業を手伝った。

 1817件数をきめ細かく内容をチェックする作業である。記述されている内容が応募要項に合致しているかどうかなどを確認しながら進めるため、大変手間がかかる。
 これは審査を行う前の段階であり、このような完璧な確認作業をした上で審査を行っていく。

 各担当者は、応募書類と首っ引きで精査し、ベテラン栄養士の先生方が適宜、書類を処理していく。ため息が出るほど膨大な作業である。
 確認作業を手伝っている学生諸君の感想を聞いてみると、「大変、興味ある内容であり勉強になります」と将来の栄養士候補たちも、真剣な表情で取り組んでいた。

 この事前審査である確認作業が終了すると、栄養士の先生など専門家による第一次審査、第二次審査、第三次審査と進んでいくが、今年もまた激戦になるのは必至であり、12月の本戦が楽しみである。

 

激戦の後を振り返った再会

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 和歌山市で開かれた第51回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会の第7分科会、「食に関する指導部会 -学校と家庭・地域の連携推進-」に、全国学校給食甲子園大会で入賞した栄養教諭が偶然、4人参加していた。

 しかも、この分科会の指導助言者は、前文部科学省学校給食調査官の金田雅代・女子栄養大短期大学部教授と市場祥子・全国学校栄養士協議会会長の2人であるが、この2人とも給食甲子園大会の審査副委員長である。

 分科会の前半が終了したところで、再会を記念する写真を撮影した。
 写真は前列指導助言者の金田先生(左)、市場先生。後列の4人は左から、第4回大会の入賞者の香川県三豊市立詫間中学校栄養教諭の大矢美智子先生、同じ く第4回大会入賞者の徳島県勝浦町学校給食センター栄養教諭の早川良子先生、第3回大会優勝者の岐阜県多治見市共栄調理場栄養教諭の松原恵子先生、第2回 大会の準優勝者の滋賀県守山市立守山小学校栄養教諭の広田美佐子先生。

 4人は、それぞれの県内の栄養教諭のリーダーになっており、さすがに給食甲子園大会へ地域代表として出てきた貫禄は十分である。この日の分科会でも、それぞれの地域での食育推進への取り組みを発表していた。

 

栄養教諭全国大会2日目の分科会

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 和歌山市で開かれている第51回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会の2日目は、会場を10ヶ所に分かれて分科会を行った。筆者は、第7分科会の「食に関する指導部会 -学校と家庭・地域の連携推進-」に参加して、討論に加わった。

 この分科会の指導助言者は、前文部科学省学校給食調査官の金田雅代・女子栄養大短期大学部教授と市場祥子・全国学校栄養士協議会会長の2人である。
 まず活動の事例として愛知県田原市立赤羽根小の伊與田敬子栄養教諭、和歌山県田辺市立三栖小の田上成美栄養教諭の2人が、それぞれの活動内容をパワーポイントで示しながら行った。

 伊與田教諭らの活動で特色があったのは、地元の生産者の主婦ら約20人が組織した学校給食支援グループ「にんじんの会」との連帯した活動である。 このような組織は、全国いたるところにあるが、田原市の場合も活発な活動を通じて地元の農産物を給食に提供し、学校と地域と一体になって食育を推進する事 例である。

 「にんじんの会」の指導と協力を得ながら児童・生徒たちがナス、スイカ、とうもろこしを栽培し、みんなで収穫して食べることで感謝の気持ちが芽生え、親子の絆も深まったという。

 また、梅干作りをしたり、海水から塩を作ったり、温室メロン栽培にも挑戦して、見事なメロンを収穫した。地元の漁師からは魚のさばき方を教えても らうなど地域の連帯感がいっそう強くなっていったようだ。子供たちが自分たちで作った煮干、塩、ねぎ、しょうがを材料に、うどんを作って食べたそうだが聞 いていてご馳走になりたい気分だった。

 田上教諭の方は、梅と温習みかんの産地にある学校での活動だが、小中学校のアンケート調査で意外だったのは便秘である。
 2日~3日に便通が一回程度の児童・生徒は、小学校で43パーセント 中学校で47パーセントもいたという。食物繊維の摂取不足や朝食の充実が図られていないことが原因ではないかとの問題提起があった。

 食育推進の活動では、幼稚園から取り組むことで好き嫌いなしに何でも食べることを目標にしており、特に重点的に取り組んだのは朝ごはんだった。 
 朝食を抜きにする子供たちが全国的に増えている。最近は塾や稽古事、テレビなどで夜遅くまで起きている生活習慣が定着し、朝起きることが辛くなって朝食を食べる時間もなくなってしまう。

 文部科学省では、「早寝、早起き、朝ご飯」をスローガンに、朝食を摂取するように運動を広げている。

 田上教諭らの活動のスローガンは、「しっかり食べよう朝ご飯」となっており、積極的に朝食を取ろうとする姿勢が、このスローガンにも込められている。
 「朝ご飯はとりあえず食べればいいという考えではなく、きちんと一食作って食べることが大事だという考えを実践している」と発表した。
 また地場産物の購入も、生産者らに働きかけることによって飛躍的に増えてきており、今後は農産物から水産物へ広げる目標を掲げていた。

 討論の場面では、各地の栄養教諭がそれぞれの活動を発表して意見を述べたり討論する展開となり、活発で実り多い分科会だった。

 この分科会の発表者のパワーポイントは、大変よくまとまっており、聴衆に理解してもらい自分の意見や考えを訴える力もある素晴らしいものだった。
 昨年の大会でも同じようにパワーポイントの内容は素晴らしい出来栄えであり、食材を活用して献立を作る栄養士の思考過程には、パワーポイント作成の素養が自然と備わってくるのではないかと筆者は思ったくらいだった。

        

第51回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会の開催

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 第51回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会が、8月5日から2日間、和歌山市の市民会館などで開催され、全国から約1000人の栄養教諭や学校給食関係者が集まり、シンポジウムや分科会で意見表明と討論を行った。

 今年の大会テーマは、「栄養教諭を中核とした学校における食育の推進 ~紀の国わかやまから 食育の風を全国に~」。文部科学大臣、和歌山県教育 長、全国学校栄養士協議会会長などの挨拶のあと、和歌山県知事、和歌山市長などの祝辞が続き、文部科学省の田中延子学校給食調査官の「学校における食育の 中核としての栄養教諭の役割」とする講演が続いた。

 午後からは、和歌山県有田川町が取り組んでいる「栄養教諭がコーディネーターとなり学校・家庭・地域が一体となって取り組む食育の推進」が実践活動として発表された。
 さらに「世界的視野をもった栄養教諭を目指して」とするシンポジウムが開催された。

  

学校給食の安全に関する実態調査報告書

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 独立行政法人日本スポーツ振興センターがまとめた平成21年度の「学校における食の安全に関する実態調査報告書」がこのほどまとまり刊行された。

 学校給食現場の食中毒事件は、衛生管理が徹底してきた効果が出て、年々減少しており、平成21年度の発生は1件に留まった。これは奇跡に近い実績である。

 このような効果が出ているのも、文部科学省が衛生管理で多くの指導・通達を出して現場の衛生管理の意識向上に拍車をかけているだけでなく、現場を守る栄養教諭、栄養職員、調理士たちのたゆまぬ努力が両輪となって出ている効果である。

 今回、刊行された報告書では、カジキマグロなどによるヒスタミン食中毒事件について3件をまとめて取り上げている。
 細菌、ウイルス性の食中毒事件ではなく、調理する食材による中毒事件は、事前の準備段階で対応策をきちんとすれば予防できるものだ。

 中毒事件を起こした調理現場を視察すると、多くの場合、事件と結びついた原因が解明できると同時に施設の不備が指摘される。つまり起こるべきして起きた中毒事件であるという場合が多い。

 特に地方の学校の給食施設は、老朽化しているものが多く、学校施設そのものがお粗末としか言いようのないものも多い。次世代を担って育ってくる子 供たちの教育施設だけに、もう少しお金をかけてもいいのではないか。今のようなお粗末な学校施設では、教員もいい人材が集まらないのではないかと思う。

 初等教育にもっとお金をかける国つくりを目指すべきである。

               

学校給食甲子園大会実行委員会の開催

         

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全国学校給食甲子園大会実行委員会が、5月27日に東京国立博物館の会議室で開催され、今年の実施要綱の細目を決定した。            

 今年の開催は、例年より1ヶ月遅れで、12月11日(土)の前夜祭、同12日(日)の決勝大会となる。会場は例年と同じ女子栄養大学駒込キャンパスである。

 決勝大会はこれまで、60分で5食作るルールになっていたが、今年から70分で6食作ることになった。大会開始前に10分ほどかけて、手洗いを十分にする時間をとることになった。

 また今年から予選会表彰式を実施する。これは全国を仙台、名古屋、福岡の3つのエリアに分け、各会場で表彰式を行う。表彰されるのは、第一次予選を通過した47都道府県代表校の栄養教諭もしくは栄養職員と調理員である。

 さらにこのとき、2次予選を通過した学校を発表する。全国6ブロック、24校である。さらにその中から選抜された6ブロック代表の12校が発表される。この発表で地域の人々の大会への熱が一挙に盛り上がるだろう。今年も激戦が予想されるが、今から楽しみである。

                                                         

栄養教諭の役割を改めて認識した

     「生きる力をはぐくむ食育の推進と学校給食の充実」をテーマに、滋賀県大津市で開催された「第60回全国学 校給食研究協議大会」(主催・文部科学省、全国学校給食会連合会など)に全国から1000人を超える栄養教諭、学校栄養職員が集まり、2日間に渡って全体 会と10の分科会に分かれて活発な討論を行った。この大会に参加して、多くの栄養教諭と意見交換する機会があった。

 21世紀構想研究会が主催する「全国学校給食甲子園大会」は、どのようにして地場産物を学校給食に取り入れているかを競う大会である。地元の新鮮でおいしい食物を子どもたちに食べさせるために栄養教諭たちは日夜努力を重ねている。

 筆者は今回の研究協議大会で「学校給食における地場産物の活用方策」をテーマにした分科会に参加して討論に加わった。佐賀県、滋賀県、福井県の代表がそれぞれの地域で展開している地場産物の活用の報告を聞いて、栄養教諭の役割が一層明確になってきたと思った。

 栄養教諭が日常的に連携している人や機関をまとめてみると次のような表になる。

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 さらに栄養教諭が関わる行事は多彩である。給食試食会、青空給食、給食週間・月間の行事、農業・漁業祭、招待給食会などこれもまた次の表で見るように、年間15行事は超えている。

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 このような役割と活動状況をみると、栄養教諭はおそらく学校教員の中で最も対外折衝と対外活動の多い教員であろう。
 食育推進で設置された栄養教諭だが、その任務が軌道に乗るに従って、これまで例がなかったまったく新しい教員像が生まれようとしている。

 栄養教諭の役割と社会的活動、認識などについて、さらに研究を続けてみたい。

 

学校給食120周年記念表彰で文部科学大臣賞を受賞

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 滋賀県大津市の大津プリンスホテルで開かれている第60回全国学校給食研究協議大会で、筆者は「学校給食120周年記念表彰」として功績のあった10人 とともに文部科学大臣賞を受賞した。思いもかけぬ受賞に感激した。受賞理由として「平素より学校給食の充実に尽力した功績」となっている。

  筆者が学校給食と縁ができたのは、1996年7月13日に大阪府堺市内の小学校の学校給食で発生した「腸管出血性大腸菌O157」(O157)による 食中毒事件であった。2次感染力の強いO157は、1次感染した小学生から家族にまで広がり、患者数は約9500人にのぼり6人が死亡した。

 このとき当時の文部省が、学校給食の衛生管理に問題ありとして調査協力者会議を設置した。主として衛生管理と感染症、病原細菌学者ら約20人で構成した ものだが、その中に筆者も文部省から委嘱されて加わった。当時、筆者は読売新聞論説委員をしており、科学技術庁、厚生省、文部省の行政問題を担当してい た。

政府がこのような委員会を組織する場合、マスコミ界からも1人加えるのが通例になっている。一般社会の目線でものを言うことができるからだろう。 こ うして死亡者まで出した学校給食の食中毒事件という衝撃的な出来事がきっかけで学校給食にかかわることになる。もとより学校給食などまったく縁がなかった のだが、このときの委員会を通して、学校給食のあり方、調理現場の衛生管理、いったん事故が出た場合の責任の所在などさまざまな問題が横たわっていること を知った。

当然、筆者は一般社会常識に照らして辛口だが言いたいことを言ったと思う。それ以来、この委員会は13年を経て今なお継続している。最初の委員会のメンバーで残っているのは、筆者1人ではないかと思うことがあるくらいメンバーが変わった。

この事件をきっかけに、学校給食の調理現場の衛生管理は驚くほど意識が変わっていった。その主導役をしたのは、文部科学省学校給食調査官だった金田雅 代氏と現調査間の田中延子氏の2人であり、現場の衛生管理の意識改革はこの2人の尽力に負うところが多い。学校給食の衛生管理の整備の功績で表彰されると したら、真っ先にこの2人が受けるべきだろう。  大阪府堺市のO157の事件以来、学校で学校給食の食中毒事件が起きると文部科学省は、私たち委員を学校現場に派遣して、聞き取り調査を行わせ、その結 果を衛生管理に役立てる事業を行った。

 その成果は見事なまでに効果をあげ、学校給食の食中毒事件は減少の一途をたどり、その後O157による中毒事件は1件も出ていない。これは全国の学校給 食現場の栄養教諭、学校栄養職員、調理員、教育関係者らの努力の成果であり、日本人の優れた衛生意識を感じることが少なくない。

 今回の表彰は、身に余る光栄という言葉がぴったりする出来事であった。筆者は学校給食との縁ができたことから、4年前に「全国学校給食甲子園大会」とい う学校給食のコンテストを主催する立場になり、今度は地場産物を使ったおいしい給食の実現に力を注いでいる。これもすべてO157事件から始まった縁であ り、今回の表彰とつながっているのだからこれは機縁というほかない。

 食育推進に役立つ社会活動を今後も続けていきたいと思う。

       

学校の食の安全実態調査

  21年度の学校における食の安全に関する実態調査委員会が18日、独立法人日本スポーツ振興センターで開催され、今年の実態調査の対象校などを決めた。

 20年度の学校給食での食中毒発生は、群馬、大阪、東京、北海道、青森の5件になっている。このほかに高知県でパン工場が汚染源と思われるノロウイルスの中毒事件が発生している。

 この日の委員会で、このうち5件について実態調査を行うことを決めた。調査内容は、中毒事件の発生の経過と対応、文部科学省の調査で指摘された改善点の取り組み状況などを聞き取り調査するものだ。

 昨年度はキハダマグロ、カジキマグロによるヒスタミン中毒が3件もあり、この食材の扱い方や鮮度確保にどのような対応策が行われていたかなどが調査の中心になりそうだ。

優勝は上越市の春日新田小学校

    新潟県上越市の春日新田小学校が栄冠 

 準優勝に和歌山市の有功小学校 

 構想研特別賞に青森市の油川小学校 

 女子栄養大学特別賞に富山県高岡市の野村小学校 

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 優勝した上越市立春日新田小学校の冨澤さん(左)と植木さん

 全国の学校、給食センター1552校・施設が参加した第4回全国学校給食甲子園大会の決勝大会が11月8日、東京・女子栄養大学・駒込キャンパスで開催され、新潟県代表の上越市立春日新田小学校(宮澤富美子栄養教諭、植木節子調理員)が初優勝し、深紅の大優勝旗と優勝カップを獲得した。

 準優勝には和歌山県代表の和歌山市立有功(いさお)小学校(高橋啓子栄養教諭、倉八由 佳調理員)、21世紀構想研究会特別賞には青森県代表の青森市立油川小学校(長沼裕美子学校栄養職員、工藤一史調理員)、女子栄養大学特別賞には、富山県 代表の高岡市立野村小学校(串岡美智子栄養教諭、高林登美子調理員)が受賞した。

  この日は午前10時10分の試合開始とともに、一斉に調理が始まった。正味1時間で 5人分の給食を作製するが、調理中の衛生管理も採点の対象になるだけにベテランの栄養教諭・栄養職員、調理員も緊張の連続。狭い調理場には審査員のほかに テレビ局、新聞などマスコミの取材人も入るため、熱気あふれる試合現場となった。

  採点は、衛生管理のほかに出来上がり給食の見た目、献立、地場産物の取り入れや調理 法、味付け、栄養のバランスなど各審査員の専門分野に分かれて採点する方法がとられ、総合点で順位が確定した。  優勝した上越市新田小学校の献立は、卵、たまねぎ、トマト、ピーマン、チーズの手作りの玉子焼きなどで、食材の味がミックスされ彩りもよくおいしいと大 好評だった。

 優勝した富澤さんと植木さんは、「給食の時間になると先生方が全員教室に向かい、子供 たちと一緒に給食の時間を持ち、大変素晴らしい教育をしている。そのような取り組みがあるから子供たちもしっかりと給食を食べて楽しい時間を持てると思 う」と学校全体で取り組んでいる様子を語った。

 準優勝した高橋さんと倉八さんは「この大会へ出ることを子供たちもPTAも教職員もみんなで応援してくれた。その支援があったからいい成績を出せた」と涙のコメントだった。

 

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出場選手全員で記念写真
               
     

給食甲子園大会の出場校の紹介

       第4回全国学校給食甲子園大会の代表12チームの紹介

代表校は趣向を凝らしたプレゼンテーションを行った 

出場ブロック

学校(センター)名・出場者名・住所・電話番号 見出し風献立紹介 献立
北海道・東北ブロック (青森県)
青森市立油川(あぶらかわ)小学校

長沼 裕美子
青森県青森市大字油川字船岡36番地
電話017-788-1202
陸奥湾産「ほたて」に県産牛すき焼き煮で実現する安心・安全 ほたてごはん、牛乳、県産牛のすき焼き煮、ほうれん草と菊のおひたし、二色なめこ汁、りんご
北海道・東北ブロック (福島県)
鮫川村(さめがわむら)学校給食センター


芳賀 公美(はが さとみ)
福島県東白川郡鮫川村大字赤坂中野字宿ノ入34
電話0247-49-2113
「いもがら」「じゅうねん」など地元食材100%献立で育む郷土愛 ごはん、牛乳、ぶた肉のじゅうねん焼き、大豆とりんごのサラダ、いもがら汁、蒸しかぼちゃ
関東ブロック (茨城県)
笠間市岩間学校給食センター


吉田 美紀
茨城県笠間市下郷5109-1
電話0299-37-8500
名物あんこうのみそかつなど茨城の恵みいっぱいの味 むぎごはん、牛乳、あんこうみそかつ、くるみあえ、いもがら入りけんちん汁、りんご
関東ブロック (静岡県)
静岡市立蒲原東(かんばらひがし)小学校


青木 みさ子
静岡県静岡市清水区蒲原666番地
電話054-385-4155
人気メニュー支える桜エビがたっぷり使えるのも地域のおかげ 雑穀おこわ、牛乳、黒はんぺんの磯辺焼き、桜エビとほうれんそうのごまドレあえ、豆腐のくずじる、キーウィのソース添え
甲信越・北陸ブロック (新潟県)
上越市立春日新田(かすがしんでん)小学校


宮澤 富美子(ふみこ)
新潟県上越市春日新田1274番地
電話025-543-4256
本場コシヒカリで伝えたい日本食のごはんの素晴らしさ ごはん、牛乳、タマタマトマピーチーズ焼き、ひじき佃煮、ゴマネーズ和え、打ち豆みそ汁、柿
甲信越・北陸ブロック (富山県)
高岡市立野村小学校

串岡 美智子
富山県高岡市野村405
電話0766-22-3419
体験・給食通じ、人は食べ物の命をもらって生きていることを知る 昆布とお豆のご飯、牛乳、庄川鮭のゆずみそかけ、小松菜のごまあえ、野菜のうま煮、国吉りんご
中部・近畿ブロック (岐阜県)
土岐(とき)市学校給食センター


遠山 致得子(ちえこ)
岐阜県土岐市肥田町浅野17-1
電話0572-54-6195
海のない県だからこそ、一番おいしい旬の魚で苦手克服 五平餅、牛乳、鮭の秋の香あんかけ、もみじおろしあえ、けんちん汁、みかん
中部・近畿ブロック (和歌山県)
和歌山市立有功(いさお)小学校


高橋 啓子
和歌山県和歌山市園部1453
電話073-461-0124
特産の梅酢にこだわったから揚げは臭みなく独特のうまみ めはりずし、牛乳、紀州梅鶏の梅酢揚げ、インゲンとほねくの煮物、ふわふわかき玉汁、みかん
中国・四国ブロック (徳島県)
勝浦町学校給食センター


早川 良子(よしこ)
徳島県勝浦郡勝浦町大字中角字豊田1番地の1
電話0885-42-3096
保存食干し魚に香り良いゆず酢加え寿司にした先人の努力 干魚寿司、牛乳、ごぼうとさつまいものあげ煮、阿波のめぐみ汁、みかん
中国・四国ブロック (香川県)
三豊(みとよ)市立詫間(たくま)中学校


大矢 美智子
香川県三豊市詫間町詫間5796番地1
電話0875-83-2108
「焼き鯛」を家族で分け合う「さつま」に込められた生活の知恵 麦ごはん、牛乳、さつま、金時にんじんの松葉あげ、ブロッコリーの甘酢あえ、そうめん汁、みかん
九州・沖縄ブロック (長崎県)
峰学校給食共同調理場


佐田(さた) マキ
長崎県対馬市峰町佐賀608-1
電話0920-82-0285
捨てるものも工夫し、大切に食べた郷土料理「かしげぇ」 サザエの炊き込みご飯、牛乳、いかのかしげぇ、対馬海幸山幸サラダ、せんちまき
九州・沖縄ブロック (沖縄県)
名護市立屋部(やぶ)学校給食センター


糸数 睦子(いとかず むつこ)
沖縄県名護市字宇茂佐804-8
電話0980-53-0670
健康長寿食に欠かせない巨大屋部大根使ったお汁を伝承 セルフおむすび、牛乳、しらすとゴーヤーの卵焼き、パパイヤイリチー、屋部大根のお汁、たんかん
 
 
     

第4回全国学校給食甲子園大会の前夜祭開かれる

                               

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 国学校給食甲子園大会が11月8日(日)、女子栄養大学駒込キャンパスで開催されるが、その前夜祭が7日午後6時半から、同大で開かれた。

 全国6ブロックから12チームが決勝戦に上がってきたが、1チーム2人の出場選手総勢24人が勢ぞろいして、各校(給食センター)のPRを行った。

 まず、文部科学省の布村幸彦・スポーツ青少年局長が「食育推進からもこの大会は非常に有意義であり、学校給食を国民に理解してもらうためにも意義があるので、皆さん頑張ってください」と来賓を代表して挨拶し、香川芳子・女子栄養大学学長の乾杯の音頭で交歓会が開かれた。

 各地域代表のチームは、それぞれ趣向を凝らしたPRプレゼンを行い、大会での健闘をアピールした。選手宣誓の抽選の結果、今年の宣誓を引き当てたのは和歌山県代表の高橋啓子・栄養教諭だった。過去2回、選手宣誓をしたチームが優勝している縁起のいい役割であり、喜び半分プレッシャー半分という感じだった。

 さて、深紅の大優勝旗と優勝カップをもぎ取るのはどのチームになるのか。明日午前10時から試合が開始される。

学校給食甲子園大会の決勝大会出場校決まる

    特定非営利活動法人21世紀構想研究会が主催している第4回全国学校給食甲子園大会の決勝戦に出場する12の代表が決まった。

 今年は、過去最高の1552校が応募。書類による第1次選考で47都道府県から54校、第2次選考で全国6ブロックから24校を選出、地域性も加味した最終選考で本大会出場12校(給食センターを含む)を決定した。

 本年は沖縄県を始め、青森・茨城・新潟・和歌山・徳島と6県から初出場が実現した。選考の基準は文部科学省の学校給食実施基準をクリアしていること、地場産物の特色を活かし子どもが喜ぶ献立であること、調理場の衛生管理が適正に行われていることなどである。

 学 校給食は、食の文化、食の安全を守り育てる食育の現場であり食の地域ブランドにも密接に関わっている。全国の学校給食で提供されている郷土を代表する料理 を競う大会を通じ、食育を啓発することを目的としており、毎年、新聞・テレビ・雑誌などマスメディアで、大きく報道されている。 

大会期日

平成21年11月7日(土)~8日(日)

7日(土)=出場校顔合わせ及びレセプション

8日(日)=午前・開会式、調理、午後・審査及び成績発表と表彰式、閉会式

会場女子栄養大学駒込キャンパス(東京都豊島区駒込3-24-3) 

<出場校>

<北海道・東北ブロック>

① 青森市立油川(あぶらかわ)小学校(青森県)

②鮫川(さめがわ)村学校給食センター(福島県) 

<関東ブロック>

③笠間市岩間学校給食センター(茨城県)

④静岡市立蒲原東(かんばらひがし)小学校(静岡県) 

<甲信越・北陸ブロック>

⑤上越市立春日新田小学校(新潟県)

⑥高岡市立野村小学校(富山県) 

<中部・近畿ブロック>

⑦土岐(とき)市学校給食センター(岐阜県)

⑧和歌山市立有功(いさお)小学校(和歌山県) 

<中国・四国ブロック>

⑨勝浦町学校給食センター(徳島県)

⑩三豊市立詫間(たくま)中学校(香川県) 

<九州・沖縄ブロック>

⑪峰学校給食共同調理場(長崎県)

⑫名護市立屋部(やぶ)学校給食センター(沖縄県)

 

学校給食甲子園大会 応募数は1542校で過去最多

    第4回全国学校給食甲子園大会は、この11月7日、8日に東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催されるが、8月27日、実行委員会が開かれ、実施内容の細目を決定した。

 まず47都道府県から応募された学校と給食センターは、1542校(センター)に及 び、これは過去最高数である。茨城県が165、岐阜県145、長崎県116が100を超えた。これに対し東京からはわずか4校にとどまり、首都東京の学校 給食現場では、この「甲子園大会」には全く興味を示していないことがわかった。

 これから審査が始まるが、すでに事前審査で基礎データがそろい始めており、今後はベテランの栄養士や栄養教諭などが多数関与して書類審査が始まる。第3次審査までで全国6ブロック12代表校が決まり、11月7日に東京に集結する。

 その日は前夜祭で、12代表校がそれぞれの調理現場の現状を報告したり、地域の地場産物などを紹介するなど大会を盛り上げ、翌8日に女子栄養大学の調理場で、1時間で5人分の給食作成に腕をふるう。

 大会は年々盛り上がっており、今年も地方の新聞、テレビでも大きく取り上げられている。

  

栄養教諭の役割を考える

  平成17年4月から発足した栄養教諭の役割は、国が定めている「職務」ではカバーしき れないほど多岐に渡っていることが最近の活動例から浮かび上がってきた。おそらく、20年後、30年後の栄養教諭の役割は、今とは違った社会的な使命を多 く抱えた教員像に変わっているだろう。  

 文部科学省が定めている栄養教諭の職務とは、「食に関する指導と給食管理を一体のものとして行うことにより、地場産物を活用して給食と食に関する指導を実施するなど、教育上の高い相乗効果がもたらされる職務」となっている。

  食に関する指導とは、肥満、偏食、食物アレルギーなどの児童生徒に対する個別指導を行うことであり、さらに学級活動、教科、学校行事等の時間に、学級担任等と連携して、集団的な食に関する指導を行う。

 また、他の教職員や家庭・地域と連携した食に関する指導を推進するための連絡・調整を行う。そのほかに栄養管理、衛生管理、検食、物資管理などおよそ学校での食に関するあらゆる事項が含まれている。  

 ところで、このような職務を完全に遂行するためには、栄養教諭はこれまで誰もやっていなかった教育指導上の仕事や学校外との折衝、保護者や家庭での生活レベルの指導など非常に広い領域での活動が要求されるようになってきた。 

 栄養教諭の制度がスタートして4年経つとその役割と活動が具体的に見えてきたために明 確になってきたということだろう。 成長段階にある児童生徒の食生活を正しいものにするためには、生活そのものを改善することが必要になってきた。最近、「早寝早起き朝ご飯」というスローガ ンが広がっているが、これは食育の中心課題の1つという位置づけになってきている。

 これを実現するためには、子供の生活環境を整えるだけでなく、社会の変貌の中で変わってきている子供たちの行動様式を知り、それを分析するような研究も必要になってきた。  

 食事をするときの子供たちの姿勢、箸の持ち方なども家庭の中での「しつけ」の問題であ り、学校と家庭の連携がなければ改善に結びつけることはできない。学校給食の食材に地場産物を導入するにしても、地元のJAや生産者との折衝は誰がやるの か。流通機構が過度に発達している現在、これを変えて地元産物を直接、学校給食に搬入するとなると並大抵のことではない。  

 折衝は栄養教諭の仕事であり、社会との接点がかつてないほど広がってきている。このような現象はさらに拡大していく段階であり、役割が成熟するには10年以上かかるだろう。

 

第50回栄養教諭大会第7分科会 食に関する指導部会の開催

               

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  第50回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会の2日目は、10の分科会が開催され、 それぞれのテーマで研究発表と討論が展開された。筆者は、第7分科会の「食に関する指導部会 ―学校と家庭・地域の連携推進―」のセッションに指導助言者 として参加し、コメントと提言を行った。  

 この分科会の発表者は、北海道今金町立今金小学校栄養教諭の森敏江先生と岩手県奥州市 立常盤小学校栄養教諭の在家香織先生の2人。どちらも素晴らしいパワーポイントを制作し、スライドと動画を操作しながら、学校と地域の人々、特に農産物の 生産者との交流や保護者と児童・生徒の生活態度などの改善の取り組みから食の指導までの活動状況を報告した。

  「早寝・早起き・朝ご飯」は、生活習慣でももっとも大事なことだが、小学校高学年に 行くにしたがって就寝時間が遅くなっていく。これを克服するには保護者らの協力も欠かせない。また、食事をするときの姿勢や箸の使い方でも課題がある。  このような課題は、食事内容や栄養問題とは違っているように見えるが、実は大きな関連性を持っており食育の中でも重要な柱になっている。 

 栄養教諭の役割についても、食の指導、栄養指導だけでなく、正しい生活習慣をきちんと指導しておかないと正しい食生活習慣が身につかない。

 さらに地元で生産された農産物を安価に学校給食現場で利用するには、地域の農協、生産 者との交流、連携などこれまで学校にはなかった任務が栄養教諭に期待されるようになってきた。 このように新しい教員像を作っていくことも栄養教諭に与え られている任務と役割であることを浮き彫りにしたセッションであった。

   

第50回全国栄養教諭大会の開催

                               
                 

 



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  学校の食育の推進に向けて、学校給食を充実させたり児童生徒の食生活を指導する研究を発表する第50回全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会が、8月6日から札幌市の札幌コンベンションセンターで開かれた。

  この日は、文部科学大臣の開会式の挨拶などのあと、東北大の川島隆太教授が「早寝早起き朝ご飯の大切さ」とのタイトルで記念講演を行い、実践発表と「栄養教諭制度とその成果について」と題したシンポジウムが行われた。  

  シンポジウムでは、栄養士を教諭として認めているのは世界でも日本だけであり、食育 の施策はきわめてユニークな学校教育の一環であることなどが論議された。また、給食のおばさんと言われていた時代から、栄養教諭として国が認めるまでの活 動については、全国学校栄養士協議会の田中信・名誉会長が報告した。  

 7日は、学校と家庭・地域の連携の推進などをテーマに10の分科会が開催され、全国から集まった1100人を超える栄養士らが研究成果を発表しながら食育の推進などで討論を展開する。

            

    

学校給食

                               

                 

 全国学校給食甲子園のホームページ 

 http://www.kyusyoku-kosien.net/

 21世紀構想研究会は、教育活動の一つとして、食育推進計画の啓発と学校給食の重要性を世の中に広げるため、2006年11月から「全国学校給食甲子園」を開催しています。

 高校野球の甲子園大会にあやかって、学校給食の献立の全国コンテストを展開するもので、第1回大会には全国の学校給食の1514調理場が参加して、東京で盛大に開催された。

 第2回大会も2007年11月3日、4日に東京で決勝大会が開催される。

 

     


「第8回学校給食甲子園大会」の地区代表表彰式の開催

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 今年の学校給食甲子園大会は第8回目を迎えるが、西日本の地区代表表彰式が、10月12日、大阪市内のホテルで開かれた。西日本の県代表となった30人 (2人が欠場)が出席し、ブロック代表12校(学校給食センター)と、さらにそこから絞られた決勝戦大会出場校の6校(同)が発表された。

 決勝大会は12月7日(土)、8日(日)の両日、東京・豊島区駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催される。決勝戦に出場する西日本代表6校(同)は次のとおりである。

 岐阜県大垣市北部学校給食センター(山崎香代先生)

 大阪府泉大津市立上条小学校(武田綾先生)

 香川県高松市立国分寺北部小学校(下岡純子先生)

 愛媛県新居浜市立大生院小学校(武方和宏先生)

 長崎県平戸市立中南部学校給食共同調理場(石田美穂先生)

 鹿児島県屋久島町学校給食東部地区共同調理場(西野間かおり先生)

 今年も公正厳正な第4次審査までで絞り込まれたもので、いずれの代表も素晴らしい献立である。東京で開催される決勝大会では激戦になるのは間違いない。

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 発表と表彰式のあと、代表6人はゼッケンを身に着け、写真のように健闘する決意をポーズで表現した。写真は右から岐阜県→鹿児島県までの代表順である。

 

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 発表後に話題となったのは、写真の2人である。愛媛県代表となった愛媛県西条市立神拝小学校の武方美由紀先生と新居浜市立大生院小学校の武方和宏先生が母子であることが分かったことだ。

 決勝大会には、ご子息が出場することになるが、甲子園大会では初めての嬉しい母子代表だった。決勝大会出場の選手たちは、それぞれ決意表明を行ったが、これから大会開催までに研鑽することを誓ってこの日の表彰式は終了した。

 東日本代表の発表と表彰式は、10月14日に行われる。この発表で第8回大会の決勝戦代表12が決定する。

第4回食育の在り方に関する有識者会議

                                                

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 日本の食の文化を引き継ぎ、教育現場での食の在り方を検討する第4回「今後の学校における食育の在り方に関する有識者会議」が、10月3日、文部科学省 で開催され、先に策定された中間まとめをもとに、スーパー食育スクール(SSS)事業の展開や食育推進について意見を出し合い討論を行った。

 これまでの3回の会議で討論した内容は「中間まとめ」として発表しており、第4回会議ではSSS実施についての内容や方向性について各委員から提案を出しあった。さらに食育推進について指導内容や学校給食の充実、食育教科書の内容などについて具体的な提案をし討論した。 

 文部科学省が来年度から実施する予定のSSSの事業内容については、ファイルにある通り、全国32か所で展開するものである。

<SSS事業について="http://babarensei.coolblog.jp/blog/%EF%BC%B3%EF%BC%B3%EF%BC%B3%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E6%A1%88.pdf">

  目的は、食育のモデル実践プログラムを構築することで、全国の学校における食育の底上げを図る事業としている。小中高校が大学や研究機関、企業など各種外部機関と連携し、科学的な視点を加味したプログラムを開発することを目標にしている。

 SSSに指定されるには、次ような要件が課せられる。

 小中高校を対象に、実践中心校を指定する。原則として栄養教諭が配置されており、栄養教諭を中核とした食育推進事業を策定して申請するように求めてい る。たとえば、食と健康、食とスポーツ、食と学力、給食の充実などの事業プランがあげられており、1か所あたり上限1000万円程度を予定している。 指定期間は1年としているが、最長3年まで延長も可能としている。

 こうしたモデル事業を実現し実施する過程で、食育の理解度を高め、質の高い食と教育と文化を実現することが狙いになる。どのような世界でも10年経てば それなりの進展がある。それは日本人の知恵でもある。このような事業を通じて、食育、学校給食、学校教育でも必然的にレベルアップになることは間違いな い。

 SSS事業を実施することで、全国の栄養教諭、学校給食関係者、教育関係の人々だけでなく、一般の人々にも啓発していくことができるだろう。

 

学校における食の安全に関する実態調査委員会の開催

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 安全でおいしい学校給食を提供するには万全の体制で臨まなければならない。そのためには調理場の整備はもちろん、日常的な衛生管理、食材の検収など多く の課題がある。そのような実態を調査して現場の栄養教諭、学校栄養職員、調理員に役立つ報告書を作成する委員会が、3月27日に開かれ、今年度の実態調査 報告書の内容を討議した。

 この日の検討テーマは、カジキマグロなどのヒスタミン中毒と、外部の委託パン製造業者から感染していったノロウイルス中毒事件のケースである。

 ヒスタミン中毒は、赤身のマグロ類の鮮度の問題から発生することが大半であり、学校給食ではこの食材はほとんど使用されていない。それにも関わらず、全国の学校給食現場のごく一部では、いまだに食材として使用し、中毒事件を起こすことがある。

 マグロ類を食べないと学校給食が立ち行かないというならこれを使用することは仕方ないが、あえてリスクのある食材を採用する必要性が感じられない。そのような視点で学校給食のレシピを作成する必要があるのではないか。

 また、ノロウイルスに感染した人が焼き上げたパンに触れ、それが学校に運ばれてノロウイルス中毒事件を発生させる。これは学校給食の調理場ではなく、外部の施設による感染源であり、学校給食設置者の責務の問題でもある。

 そのような課題について、多くの意見が出され、今後の安全でおいしい学校給食について意見を交換した。

                   

総括:第7回学校給食甲子園大会を振り返る

     第7回学校給食甲子園大会が終了した。毎回、大会終了後に感じることは、「今年もまた多くの感銘と感動を残した大会だった」という感慨である。

 調理が終了し、食味審査を経て審査委員会が開かれるが、その舞台裏は毎年、悩ましい評価の現場である。正に紙一重で優勝、準優勝、2つの特別賞が決まる。これがベスト4になるが、残された8チームもまた、ほぼ同レベルでひしめくことになる。

 審査委員として感じたことは、毎年レベルが上がっているという実感である。調理をする現場を評価する審査委員は、衛生管理を重点にして細かく厳しい評点 をしている。その見る目は毎年厳しくなっているようにも感じる。その一方で食味や見た目を評点する筆者にとっては、毎年出場校の実力があがっているという 感慨である。

 代表校のレシピを見ると、地場産物をいかに活用しておいしい給食を提供するか、その目標に向かって献立を吟味していることである。子どもたちに喜ばれる給食を提供しようとする熱意が、レシピと出来上がった給食によく表れている。

 また今年とくに感じたことは、見た目がどの代表もよくできていたことである。児童・生徒の食欲をそそる給食は非常に重要である。その目的に向かって給食を作る意欲が完成品であるトレイの中に息づいていた。

 回を追うごとにメディアの取り上げも多くなり、特に各地の地域報道は熱を帯びている。それだけ地域の注目度が大きくなっているということである。学校給食の意義と重要性は、このような注目度によって多くの国民に認識されるだろう。

 最近、日本の学校給食が国際的に注目を浴びている。中国では日本の学校給食を見習うとするインターネット記事が発信され、ドイツでも日本の学校給食を評 価する記事が出ている。日本列島がほぼ均一に衛生管理と栄養管理をしている日本の学校給食は世界に冠たるものとしてこれからも存在感を示してほしいと思っ た。

 

学校給食甲子園 優勝は愛知県代表に

                               

                 

 

 

 第7回学校給食甲子園大会の優勝の栄冠は、愛知県西尾市立西尾中学校の学校栄養職員、富田直美さん、調理員の三浦康子さんの頭上に輝いた。

 全国2271施設の応募の頂点に立ったお二人に拍手喝さいを送ります。栄冠を勝ち取った献立は、地場産物の抹茶を活用した料理でした。「てん茶しらす 飯」は、ほんのりとした彩りを称えたご飯であり、地元野菜の照り焼つくね、レンコンサラダ、人参ニギス団子すまし汁は絶品でした。ニギスとは三河湾で捕れ るニギスをすり身にし、地元産人参を練り込んで蒲鉾屋さんと共同開発した食材でした。

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 準優勝に輝いたのは、和歌山県和歌山市立名草小学校の学校栄養職員、土井登世先生と調理員の山中恭子さんでした。

 名草小学校は昨年の優勝校です。果たして史上初の2連覇が実現できるかどうか注目を集めていましたが、最後の詰めの差で2連覇の栄光を阻まれました。 しかし素晴らしいレシピと成熟した調理法は多くの人に感銘を与えました。

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 優勝、準優勝の栄冠を勝ち取った代表選手のお顔は輝いていました。

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 多くの報道陣に囲まれて優勝インタビューを受ける愛知県代表チーム

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 21世紀構想研究会特別賞に輝いたのは、栃木県代表で宇都宮市立田原中学校の学校栄養職員、塚原治子先生と調理員の木村雅恵さんでした。

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 女子栄養大学特別賞を勝ち取ったのは、岩手県代表、岩手大学教育学部附属特別支援学校の学校栄養職員、斎藤洋子先生、調理員の目黒沙織さんでした。

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 決勝戦に進出した全員との記念写真。どのチームも優勝、準優勝、特別賞とは紙一重であり、郷土の代表として誇りある闘いでした。

第7回学校給食甲子園大会始まる

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 第7 回学校給食甲子園大会が、12月2日、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで始まった。全国6ブロック12代表の24選手が調理服装に着替えて開会式 に臨み、銭谷眞美大会実行委員長が挨拶に立ち、続いて埼玉県代表の所沢市立第1学校給食センターの栄養教諭、小林洋介さんが選手宣誓を行った。

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選手宣誓を行う小林洋介さん 

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 調理場に移動した選手は、直ちに手洗いを行い、洗浄が合格かどうかのテストを受けた。2次洗浄までに全選手が合格となり、いよいよ調理に入った。1時間で6食を作るもので、各選手はレシピを見ながら手順よく調理を進めた。

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 この大会の決勝戦に3回出場を果たした福島県代表の福島県鮫川村学校給食センターの芳賀公美さんら2人の選手は、初優勝をかけて調理に取り組んだ。

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 昨年の第6回大会で優勝した和歌山県代表の和歌山市立名草小学校の土井登世さん、山中恭子さんのコンビは、大会初の2連覇にかけて調理に取り組んだ。

 

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 1時間後に出来上がり。直ちに食味審査にはいった。

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第7回学校給食甲子園大会の前夜祭の開催

    第7回学校給食甲子園大会が12月2日に開催されるが、その前夜祭が1日の夜、東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催され、決勝大会に進出してきた12代表、24選手が大会での健闘を誓った。

 この日は、決勝戦に出場する6ブロック12代表の栄養教諭、学校栄養職員、調理員が一同に集まり、大会に臨む決意表明と代表施設としてのアピールを発表 する場でもある。各代表は、趣向を凝らしたポスターや資料を掲げながら、地場産物の説明や給食レシピへの工夫などを披露した。

 最大の関心は、明日の選手宣誓は誰がやるかである。くじ引きで引き当てた人が晴れの宣誓を行うものだが、第1回と2回大会では、選手宣誓したチームが優勝するというジンクスを作っただけに、毎年この抽選には注目が集まる。

 今年は、埼玉県代表の所沢市立第1学校給食センターの栄養教諭の小林洋介さんが引き当てた。小林さんは、この大会の決勝戦では初めての男性の栄養教諭である。またこのチームは調理員も男性であり、異色のコンビで大会に挑むことになる。

 前夜祭には学校給食関係者が多数参加し、選手たちを励ましながら各地の学校給食や地場産物の話で楽しいひと時を過ごした。

 

地場産物を学校給食に活用する分科会の開催

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 第63回全国学校給食研究協議大会2日目は、学校給食のさまざまな課題をテーマに8分科会が開かれ、熱心な討論が行われた。

 学校給食で地場産物を活用するための3つの要点

1.      地場産物が学校給食調理場に確実に納入されるシステムを確立することである。そのためには、いくつかの課題がある。

  ①   行政、流通業者、生産者などを組み込んだ組織ができているかどうか

  ②   その組織が機能するかどうか

  ③   流通業者、生産者が喜んで協力できる条件になっているかどうか

 2.      次に食材の活用方法がうまくできているかどうかである

  ①   いい食材を生かす献立を作っているかどうか

  ②   郷土料理、おふくろの味の伝承者になっているかどうか

  ③   子どもたちの喜ぶ給食になっているかどうか 

3.      成果と課題がきちんと回っているかどうかも重要だ

  ①   成果が出ているかどうか検証しているか

  ②   流通業者・生産者・子供たちがそれぞれ喜んでいるかどうか

  ③   その成果をもとに次の目標が立てられているかどうか

  筆者は以上の視点でこの日の発表についてコメントをした。

 そのうえで「学校給食で地場産物を活用するための名案、決め手は、1にも2にも地場産物が学校に確実に入荷するかどうかにかかている」ことを強調した。 

 地場産物さえ入れば、おいしい給食も実現できる。学校も栄養士も保護者や生産者、地域の人々と一体になっていろいろなイベントができる。献立内容も行事もいろいろアイデアを出すことができる。 残量も少なくなるし、子どもの感謝の気持ちも出てくる。 

 そこで2点について提示した。

 1つは、栄養士の役割である。これを再認識したい。学校で最も対外渉外のおおい教員である。地場産物を利用するには、生産者、流通業者、子どもの3者が喜んでくれる体制を作ることが重要だ。

  ウイン・ウインの関係がなければだめだ。業者が利益を出すだけでなく、次世代の子供の健康、栄養を支援するという気持ちを持ってもらうことが重要だ。生産者が無理したり、流通業者が泣くようなら、継続性がない。

 2つめは、学校給食の地場産物を推進するバックアップ体制が重要だ。ひとり学校給食栄養士が頑張っても実現しない。市町村の行政、教育関係者、地元のJA、保護者らの協力体制がなければ成功しない。

 栄養教諭、学校栄養職員だけでは無理だ。その体制をどう作るか。校長はじめ多くの人を支援者にすることが大事だ。 世界で日本はダントツの学校給食を実施している。地場産物活用などという学校給食は日本だけである。これからも学校給食を支援していきたい。

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第2分科会の先生方と記念撮影。前列左から司会者の森脇郷子先生(佐伯市教委指導主事)、江口陽子・文部科学省学校給食調査官、市村百合子・栄養教諭(千葉県佐倉市立臼井小)、後列左から筆者、上杉玲子・栄養教諭(新潟市立大形小)、山本桃子・栄養教諭(佐伯市立佐伯小)

 

第63回全国学校給食研究協議大会の開催

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 全国の学校給食、教育関係者が集まって学校給食の活動を通じた食育推進について講演、討論を行う大会が、大分市で始まった。栄養教諭をはじめ多く関係者が集まり、食育推進について日常の活動報告が行われた。

 日本では学校給食は教育の一環の中で確立されたものであり、国民の間では当たり前の制度になっている。しかし世界の中では、これほどすぐれた制度は見ら れない。 ドイツの教育関係者が日本の学校給食現場を視察したときに「信じられないような非効率的な調理現場」という感想を漏らしたという。

 大量食事を食材の加工から出来上がりまで調理する日本の学校給食調理場は、家庭のキッチンと同じことをする。大勢の昼食を作るといっても工場でやる大量 生産とは違う。この調理方法こそ、日本の食の文化を伝承し、きめ細かい食の伝統を守る現場になっていることが、にわかに理解できなかったようだ。

 しかし、最近になってドイツは日本の学校給食をべた褒めである。日本と同じことはとうてい真似ができないという。アメリカの学校給食も、日本から考えると信じられないくらいずさんな栄養管理である。フランスの学校給食も同じような状況だ。

 外国の場合は、たまたま見たり体験した学校給食だけということがあるかもしれないが、日本ほど衛生管理と栄養管理を完璧に行っている国はないのではないか。日本の誇るべき食育の現場を支えている学校給食の栄養教諭らの研究発表は年を追って進化している。

 明日の分科会の様子も報告したい。

 

 

 

               

著書

[著書]

「大村智伝」(中国語訳、人民出版社、2022年)
「沖縄返還と密使・密約外交 宰相佐藤栄作、最後の一年」(日本評論社、2022年)
「大村智ものがたり 苦しい道こそ楽しい人生」(毎日新聞出版、2015年)
「大村智物語 ノーベル賞への歩み」(中央公論新社、2015年)
「知財立国が危ない」(日本経済新聞社、荒井寿光と共著、2015年) 
「21世紀の日本最強論」(共著、文藝春秋編、2015年)
「スイカ」の原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡(日本評論社、2014年)
「青年よ理学をめざせ ~東京理科大学物語~」(東京書籍、2013年)
「大村智 2億人を病魔から守った化学者」(中央公論新社、2012年)
「大村智 2億人を病魔から救った化学者」(中央公論新社、2012年)
「変貌する中国の知財現場」(共著、日刊工業新聞社、2006年)
「物理学校」(中公新書ラクレ、2006年)
「新・特許戦略ハンドブック」(共著、商事法務、2006年)
「中国ニセモノ商品」(中公新書ラクレ,2004年)
「知的財産権入門」(法学書院、2004年)
「ノーベル賞100年」(韓国ハングル語翻訳、2003年)
「特許戦略ハンドブック」(共著、中央経済社、2003年)
「大丈夫か 日本の産業競争力」(プレジデント社、2003年)
「ノーベル賞の100年」(中公新書、2002年)
「知財立国 日本再生の切り札100の提言」(共著、日刊工業新聞社、2002年)
「日本のモノづくり52の論点」(共著、日本プラントメンテナンス編、2002年)
「大丈夫か 日本の特許戦略」(プレジデント社、2001年)
「知的創造時代の知的財産」(共著、慶應義塾大学出版会、2000年)
「大丈夫か 日本のもの作り」(プレジデント社、2000年)
「やさしい知的所有権のはなし」(法学書院、1998年)
「腸内細菌」(中国語翻訳、台湾・青春出版社、1997年)
「発想のタネになる科学の本」(講談社ブルーバックス、1997年)
「C型肝炎と閾う」(講談社、1996年)
「腸内宇宙」(健康科学センター、1992年)
「科学面白トビックス」(講談社ブルーバックス、1990) 
「母さんのじん臓をあげる」(偕成社、1989年)
「帰ってこいよ東京っ子サケ」(偕成社、1988年)
「人体スペシャル・レポート」(共著、講談社ブルーバックス、1987年)
「サケ多摩川に帰る」(農山漁村文化協会、1985年)
「技術革新と労働運動」(正村公宏編著、現代総合研究集団、1983年) 
「恐竜の証言」(グリーンアロー社、1977年)
「北の新博物記」(共著、太陽出版、1975年)
「人間この不可思議なもの」(共著、読売新聞社、1971年) 
「高校紛争の記録」(共著、学生社、1971年)

2009年04月30日

08年度馬場研諸君の修士論文が高い評価を受ける

 08年度の修士論文のうち優れた論文22編をCD化して各界などに配布するMIP叢書の選定結果が発表された。

 馬場研からは5人の論文が選定された。研究室単位ではたぶん、トップと思われる。このような成果は、1年間の努力と研鑽の結果であり、大変素晴らしいことである。

 この余勢をかって09年度の諸君も是非、いい論文を書いてほしい。ただ、論文執筆の前に立ちはだかっているのが就職活動である。いま経済不況の嵐の中にあるだけに、試練の就職活動が当分続くだろう。頑張ってほしい。

 

4月30日 自民党立国調査会の開催

 本日4月30日、自民党本部で「研究開発成果実用化促進法案プロジェクトチーム」および「世界最先端研究支援強化プログラム・プロジェクトチーム」の合同会議が開催された。

 前者は、総合科学技術会議議員であった井村裕夫先生が言い出したもので、これから法制化するものであり、議員立法になるだろう。どのような施策内容にするか、いまネタ探しをしているところだ。

 後者は、4月27日に閣議決定された景気対策の補正予算の中で、文部科学省所管分の中にあるものであり、研究者最優先の研究システムを構築するとして総額2700億円、30人にそれぞれ90億円を付けるというかつてない大胆なプロジェクトである。90億円の予算をもらった研究者は、いったい何に使うの?

 

 これまでのような、ハコものに使うことは禁止するので、純粋な真水の研究費になるという。

 このようなドタバタ予算は思い付きが多くなるので、大半は失敗するのではないか。つまり、さしたる成果が上がらないように危惧する。

 

 大体、1プロジェクト3~5年で90億円使うのは大変である。ハコもの消費に近い発想で使うことになるのではないか。ということになると、結局は失敗してもしょうがないと思わせる、東大など有名大学、有名研究者に予算を重点的につけるのではないか。

 

 

 最初から悲観的で批判めたことを言いたくはないが、この危惧を吹き飛ばすような成功例が2つや3つほしいところである。すべて成功するのは不可能なので、30人に予算をつけたらその1割、つまり3つくらいの成功例を出してほしい。

 

 

 この日の調査会では、橋本和仁東大教授、金澤一郎・日本学術会議会長、丸山瑛一・理研特別顧問の3人が提言した。

 5月中も各界の大物を呼んで提言をしてもらう予定であり、論議を吸い取った形で立法化と政策が推進される。

 

 

 この大型プロジェクトは、政権が民主党に代わった場合はどうなるのか。自民党の論議だけにこの仮定の発言はタブーではあるが、政権が交代してもこのような施策は是非、実現してほしい。

 

2009年04月27日

松下昭博士との会見

 

 

 

 

 JR東日本とソニーを相手取り、特許侵害による損害賠償請求訴訟を提起していた松下昭・神奈川大学名誉教授と4月26日、久しぶりに会見した。

 すでに一部の報道などで知られているが、松下博士が1985年に出願した非接触伝送装置の特許を侵害しているかどうかで争われていた訴訟は、一審、二審ともに松下博士が敗訴となり上告を断念したためこの紛争は確定した形となった。

 本件訴訟の詳細は、いずれ論文として発表する予定だが、概略報告は、ビズプラスの「知財戦略で勝つ」のコラムで近々紹介する予定である。

 松下博士の発明した特許は、非接触ICカードの基本特許であることは間違いなく、今回 の訴訟でもソニーの開発したスイカの技術の根幹部分はこの発明に充足することがわかった。ただ、スイカはカードと固定装置側との交信の信号の処理で特許明 細書に記述されている権利内容に充足しないと判断され、侵害ではないとの判決となった。

 松下博士の発明のきっかけは、缶詰工場の生産ラインの非接触伝送装置化から始まったものであり、1985年当時すでに松下博士の頭の中ではICカードへの応用という構図が描かれていた。

 訴訟で負けたということは、特許が否定されたことではない。特許明細書に記述されてい る技術的思想が、スイカの技術に合致しなかったという意味である。松下博士は、侵害しているとする実験結果をいくつか出しているが、それが実証的な証拠と して裁判所に取り上げられなかったため、侵害として認定されなかっただけである。

 日本では、ディスカバリー制度が導入されていない。しかし高度専門的な技術内容について特許侵害かどうかの争いになった場合、文言解釈による争いよりも実証的なデータによる決着が必要である。

 今回の訴訟では、日本でもディスカバリー制度の導入が必要であることを強く感じさせた。 松下博士は訴訟で負けたとは思えないほどお元気であり、今後は技術者の発明と特許化への啓発に尽力したいとの決意を語ってくれた。

 

 

2009年04月26日

「劇場政治の誤算」 加藤紘一著 角川書店

  

 元自民党幹事長の加藤紘一先生が、小泉内閣を検証した本を出版し、4月23日に全日空コンチネンタルホテルで出版パーティが行われた。

 加藤先生は、若い時から自民党のプリンスとして将来を嘱望されていた政治家だが、森内閣のときに「加藤の乱」といわれる政局を巻き起こし、その後、政治資金の在り方で秘書が逮捕されるなど、不運がつきまとった。

 科学技術に疎い政治家の中では、科学技術に対する理解度が深い方であり、元外務官僚らしくアメリカ、中国にも太いパイプを持っている。グローバルに展開される科学技術に対する視点は、日本の政治家の中ではトップクラスである。

 本の中身は、自民党政権の歴史的な役割を検証しながら、小泉政権から現政権までのさまざまな政策を政治家の立場から論評している。

 

黒木登志夫・前岐阜大学長が講演

 

 
 

 

 

 「落下傘学長奮闘記」(中公新書ラクレ)を書いた黒木登志夫・前岐阜大学学長が、第72回特定非営利活動法人21世紀構想研究会で講演した。

 黒木先生は、基礎医学研究者として40年間、がん細胞の研究に専念してきた先生で、日 本癌学会の会長も務めた方である。それが知っている教授は4人だけという岐阜大学の学長になってしまった。東大医科研の教授を長い間務めたが、そのときも 医科研所長になることを固辞してきた先生である。

 大学の運営経験ゼロの「落下傘学長」を待ち受けていたのは、法人化前の地方の国立大学であった。文部官僚が牛耳る大学運営の中で、法人化の準備をし、大学を個性化し、生き残りをかけた孤軍奮闘ぶりは、このブログの本の紹介でも書いたとおりである。

 この日の講演は、地方大学の生き残りだけではなく、日本の高等教育の在り方、財務省の考え、経済界や政界に根強い「選択と集中」という考えを高等教育に持ち込む愚かな考えなど、大学の現場に横たわる課題を余すことなく示し、感銘を与えた。

 黒木先生は、現在日本学術振興会・学術システム研究センター副所長として活動を続けており、今後も大学教育に対し遠慮なく発言していく意向だという。

 

2009年04月25日

知財戦略論の講義始まる

 

2008年度知財戦略論オムニバス授業予定(敬称略)  
  授業日 授業1 休憩 授業2 担当 授業のテーマ
1 4月8日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 馬場錬成 ガイダンス、時代認識と知財立国
2 15日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 糸賀道也 技術デザインと知財戦略
3 22日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 中嶋 隆 企業の知的能力の活用と管理
4 5月13日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 秋元 浩 製薬企業の知財戦略
5 20日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 下坂スミ子 知財戦略と弁理士の役割
6 27日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 荒井寿光 知財立国への課題と実行
7 6月3日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 酒井一弘 企業の知財戦略
8 10日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 馬場錬成 島津製作所はなぜ世界制覇に失敗したか
9 17日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 山本貴史 TLO活動と産学連携
10 24日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 大津山秀樹 知的資産と知財マネジメント
11 7月1日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 矢口太郎 日米の研究連携と技術移転
12 8日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 渡部俊也 産学連携と知的財産
13 15日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 馬場錬成 ベンチャー企業の知財戦略
14 22日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 林崎良英 研究現場の知財戦略
15 29日(水) 16:10-17:40 50分 18:30-20:00 馬場錬成 まとめ
 

 

 今年度の知財戦略論オムニバス授業が始まった。

 今年もスケジュール表に見るように、毎週水曜日に日本を代表する知財リーダーが次々と登場して講義を行う。8日のスタートアップは、筆者が「日本の知財戦略に提起されている課題」とのタイトルで、さまざまな課題の提起と解決法を探る授業を行った。

 2回目は、糸賀道也氏が「技術デザインを知財戦略を、3回目は中嶋隆氏が「人間の知的能力活用と管理」と題してそれぞれ非常に魅力的な講義を行った。

 この講義では、毎回、授業の最後に10分間論文を書かせており、受講者に大きな刺激を与えている。

 

 

六本木エグゼクティブ・コミュニティ

 

 

 

 

 政策研究大学院大学の隅蔵康一准教授が主宰する集まりであり、毎回、各界の有識者や研究者を呼んで講演と討論を行っている。

 4月21日に開催された第11回の会合には、国際標準化機構(ISO)の会長を3年間 務めた田中正躬・財団法人建材試験センター理事長が「ISO会長の3年間を振り返って」と題して講演を行った。田中氏は、通産省工業技術院標準部長を最後 に官界から日本化学協会専務理事に転出、ISO理事から2005年に会長選出された。

 この日の講演では、157カ国・地域の加入するISOの運営の苦労を語りながら、財政 問題、ISO規格の著作権の利用のルール、アメリカのSDO(規格作成団体)との協定問題などを解説した。また持続可能な世界のための標準を目指した 「ISO戦略計画2005-2010」策定のためのテーマの設定や課題解決などについて解説を行った。

 また、会長を務めた経験からの提言として、日本の技術や考え方を世界標準にするために ISOの仕組みをうまく使うこと、多様な価値観を持つ人たちとコミュニケーションをよくすることが大事であること、世界中の国々にある国家標準機関を含め て認証ビジネスと一体化が重要であることなどを述べた。

 

全ての国民のための科学リテラシー

 日本学術会議の機関誌である「学術の動向」の2009年4月号は、「科学技術の智」プロジェクトの目指すものとして「全ての国民のための科学リテラシー」の特集をしている。

 北原和夫・国際基督教大学教授をはじめ、「科学技術の智」プロジェクトで活動している川勝博、星元紀、長谷川寿一、丹羽富士雄、中川尚志、佐々義子、渡邊政隆、毛利衛、永山国昭、佐藤年緒、鈴木晶子氏ら各界の代表者が執筆している。

 筆者は、科学ジャーナリストの立場から、「日本社会の科学リテラシー」と題して、日本 国の政官界、実業界の科学リテラシーの不足を書いた。これは科学技術に関する的確な情報がさまざまなリーダーに届かず、理系文化が社会の中で育っていない 現状を実例を挙げながら書いたものだ。

 特に官界では、技術官僚のポストが極端に少なく、出世も遅くなる。昔は技術官僚と事務 官僚の間には、初任給から格差があったという。戦後、日本は科学技術立国を目指すとして科学技術行政を一元的にまとめる科学技術庁の設置を目指したが、 霞ヶ関の行政官庁はほとんどが反対し、結局、議員立法で科学技術庁を設立した。

 しかし2001年からの省庁再編のときには、この役所をとりつぶし、文部省に吸収させて文部科学省となった。今回の特集記事には、このときのいきさつは書かずに、脳死問題、フッ素水道水の問題など筆者が体験した実態を踏まえた提言をしている。

2009年04月22日

建築行政共用データベースの開発

 建築行政共用データベースシステムは、不完全施工で問題になったマンション建築の「アネハ事件」以来、国土交通省の支援で構築しているシステムである。

 建築士・事務所登録閲覧システム、台帳・帳簿登録閲覧システム、通知・報告配信システム、建築基準法令データベース、道路情報登録閲覧システムなどの情報データベースである。

 このシステムが動き出すと、建築現場の情報の透明性が確保され、建築業者にとっても重要な情報源になる。システムの内容も重要だが、作成したシステムを何時でも誰でも安価に利用できる実務的な面での課題も壊滅する必要がある。

 開発委員会では、こうした内容について討議し、各界の識者から意見を出してもらい、シ ステム構築に反映していくものだ。この日は道路情報登録閲覧システムの内容について説明があったが、衛星通信とインターネット機能をフルに使ったシステム は素晴らしい。これを安価に使い勝手よく提供できるかどうか。

 建築技術については、日本は世界トップの水準にあるとされているが、制度については評価されているわけではない。国民の期待をいかに実現していくか。これは建築行政の大きな課題である。

 

 

2009年04月16日

第13回東大薬学部の研究倫理委員会の開催

 ヒトを対象とする研究倫理審査委員会が4月16日、東大薬学部で開催され、数件の研究テーマについて論議された。

 最近の研究テーマは、遺伝子解析や生体内のたんぱく質の振る舞いを追跡する研究が多くなっているが、その材料となるのは多くは、患者は健常人の血液である。もちろん、ヒト胎盤を必要とするような他の臓器を材料とした研究もある。

 このような研究には、多くの人が血液や臓器を提供しなければ研究は進まないが、その場合、問題となるのは個人情報の管理や提供者の不利益の防除などである。

 研究者は誰でも、いい加減にやったり不利益を承知していながら被験者や提供者に告知し ないという人はいない。問題が生じるのは大体、不注意や思い込みによる欠落から出てくることが多い。その意味では倫理上の問題点も一皮むけば、工程の管理 と似ているところもあるし、ある意味では危機管理の範疇であるかもしれない。

 研究倫理は、社会と科学技術の接点でもある。そういう視点で論議を聞いていると、非常にためになる。

2009年04月14日

「猿橋勝子という生き方」 米沢富美子著 岩波科学ライブラリー

 

 地球科学者・猿橋勝子先生の凛とした生き方を描き出したすぐれた科学書である。「猿橋賞」の創設者としても知られている先生であり、女性研究者として一生を捧げた先生の在りし日が物理学者の米沢先生らによって生き生きとつづられている。

 猿橋賞は、50歳未満の女性科学者を対象とした顕彰であるが、その審査委員を委嘱され た筆者は、猿橋先生からこの賞の持っている社会的意義を強く叩き込まれた。それは先生が言葉で語ったものではなく、女性科学者たちの置かれている立場を理 解し、そして励まそうとするその心根が先生の態度からいつもほとばしっていた。

 猿橋先生の業績と珍しい写真を見て、先生の在りし日をしのんだ。

 

「知的財産物語 枝豆戦争」 松村直幹著 文栄社

 

 知財分野では、近来まれにみる傑作である。著者は、元ニチロ専務を務めた方で、食品業界ではよく知られた方である。筆者はたまたま、食品業界の集まりにでたところ、この著者の松村さんは、「有名人」であることがわかった。

 枝豆を塩ゆでして冷凍する。その豆が特許になった。取得したのは日水である。日水は、冷凍塩ゆで枝豆を販売している同業他社に対し、特許使用料を要求した。知財の現場では、当然の権利であるから、この要求は間違っていない。

 しかし要求された企業はびっくりした。支払いに応じようとする企業と特許の無効審判を申し立てて闘う企業。特許庁と裁判所を舞台にした知財紛争の顛末をすべて実名で書いたものであり、特筆に値する内容である。

 

 

2009年04月11日

2009年度馬場研のスタート

 

 

 

 

 2009年度の馬場研の精鋭8人が勢ぞろいして、今年のスタートを切った。

 今年は、新卒で就職活動をする院生が5人おり、経済不況で求人数が少なくなっているた め、緒戦から苦戦を強いられている。企業側も必死で人材確保に動いており、不況が永遠に続くわけではないのでこの機会にいい人材を是非とも確保したいとし てむしろ積極的に取り組んでいるとも聞く。

 4月10日の第1回プロジェクト研究会では、まず、全員発表の日本知財学会での発表内容とスケジュールを確認し、修士論文のテーマと完成までの日程を確認した。また夏期合宿についても打ち合わせをし、9月第2週の土日に仮日程を決めた。

 就職戦線が落ち着くのは5月連休前であるが、今年は厳しい状況なので、内定者がそれまでどのくらい出るか全く予想できない。しかし、一生、職が見つからないわけではなく、これまでのMIPの就職でも最後にはどこかに就職が決まるし、内定先も例外なく大企業になっている。

 とはいうものの、全力をあげてがんばるよりない。院生諸君と歩調をとりながら支援できる面では動くこともあるが、これまでの経験からあまり影響力を発揮できないのが課題ではある。就職活動はいつでも難しいものであり、誰に相談しても誰も解決できない。

 ともかくも全力でぶつかるよりない。

 

 

2009年04月01日

知財専門職大学院スタート

 

  5期生の精鋭が入学

   4月1日、東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の第5期生89人がめでたく入学した。この日は、ガイダンスが行われ、専攻教員の紹介や授業の日程、授業内容やテキストなどについて説明が行われた。

  また、ガイダンスに先立ち、新入生の相談会が開催され、授業の履修科目の相談や将来の進路を見ながらどのような科目を選択し、修士論文は何を書くべきかなどについて、担任になる教員と話し合った。

  毎年感じることだが、新入生と言っても3分の2は社会人であり、企業などの第一線で活動している人材なので社会人大学という趣である。知財知識や実務についてのスキルアップを目指して入学した院生なので取り組むテーマはかなり絞り込まれている人が多い。

  これに対し、学部の学生から進学してきた院生は、まだ進路もはっきりと決めかねてお り、社会人としてどのような人材になるのか模索している学生が多い。  今週の土曜日からは授業も開始されるが、4月の授業は毎年、新鮮な空気が教室一杯にみなぎり緊張感にあふれている。今年もまた、こうして新しい世代の知 財研究が始まった。

 

               
                               
               
             

                           

                   
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2009年03月20日

MIPさよなら懇親会

 

 
2年前に入学してからあっという間に過ぎ去った。IT産業革命の中で最も
戦略的に重要視されてきた知的財産権の研究をよく取り組んだメンバー
の顔は、門出を迎えてとても輝いて見えた。  

 

 

 
原田さんは家族で東京に出てきたが都合でパーティには欠席。
駱ちゃんと健ちゃんも欠席したのが寂しかったが、清水君は
パーティの幹事として最後のお勤めを無事果たした。

 

馬場研メンバーの晴れ姿

 

 日本武道館で修了式を終わった後、MIPで学位記の授与式が行われた。式の直前に研究室に集まったメンバーとの記念撮影。原田さんと健ちゃんが折悪しくいなかったのが残念だった。

               
                               
               
             

                           

                   
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2009年02月19日

上海の知財・経済事情

 2月16日から19日まで上海に行き、知財と直近の経済事情を聞いてきた。知財は主として、模倣品調査会社として多くの実績を重ねてきたQCAC駿麒国際諮詢有限公司に最近の中国での模倣品実態と今後の動向などを聞いてきた。

 同 社の副総経理で国際業務部ディレクターをしている王煒氏らによると、日本企業からの調査依頼は、多数の分野にわたっており、依然として中国で被害を受けて いる企業が多いという。業種では、自動車部品、農薬、文具、食品、アパレル関連、化粧品、スポーツ用品、釣り具、医療器具などであり、デッドコピーから類 似商標などによる被害は後を絶たないという。

 同社は国際業務部、行政部、調査部、法律部の組織で活動しており、法律部には専門の弁護士が3人いる。中国全土に情報提供組織を持っており、市場に出回る模倣品調査の結果などから被害にあっている企業に情報を提供し、最終的には中国政府機関の摘発まで行う。行政摘発をしても、罰金や模倣品の押収だけで済むことがほとんどだが、これでは根絶できない。製造者がまた行うケースが多いからだ。

 最近はこうした歯止め策として公安当局に摘発を訴えて、関係者の拘束に持ち込むことを目指しているという。被害にあっている企業も、こうした刑事罰を望むようになってきた。具体的な報告はいずれ、コラムなどで紹介したい。

 上 海と中国の経済状況だが、今回は専門家には会えなかったが、社会活動をしている人々から様々な状況を聞いた。日本よりも経済活動の落ち込みは軽いようだ が、もちろん影響は大である。しかしインフラ整備の社会資本建設は相変わらず活発であり、高級レストランの賑わいも以前と変わりないように見えた。

 中国の株式市場は日本同様に低迷しているが、上海の実業家の中には為替の売り買いに乗り出している人が出ていると聞いた。円高は相対的に円、つまり日本が強いという証拠であり、絶好のチャンスが巡ってきたと受け止められる。

 上海の一部の実業家の話を聞いていると、株を購入することは「リスクを買う」ことであり、為替に乗り出すことは「お金でお金を買う」ことではないか。日本円で安くなった外国通貨を買うのが一番確実だという話が結論だった。 

 

 

2009年02月08日

差止請求権をめぐる論議

 差止請求権をめぐる論議

  2012年の施行を目指した特許法改正の論議が始まっている。2月5日に開かれた経産省のソフトIP研究会に臨時委員として委嘱され、「日本の知財戦略に提起されている課題」をタイトルにした提言を行った。 

 筆者は中小・ベンチャー企業の代弁者という立場で提言したものだ。この研究会のメンバーは大企業の知財関係者、知財法律学者が大半であり、特許法改正に対しても主として法理論からの論議が主となっているように感じた。 

 特許権は、法制度が基盤になっていることは間違いないが、実態は技術の競争力の場で展開される戦略の話である。米国の連邦最高裁で出たeBay判例などを基盤にして差止請求に制限を加えようとする考えがにわかに高まっている。本当にそれでいいのだろうか。

  特に特許権利の不実施機関に対する制限が視野に入っているようだが、パテントトロールを意識したものだとしても、藤野仁三東京理科大学知財専門職大学院教授によると、米国のパテントトローラーは、90パーセントがビジネスモデル特許の関連だという。日本にはパテントトロールによる係争はほとんど聞いたことがない。

 大体、パテントトロラーとは何か。ある大学の研究者は、「日本のパテントトローラーは大企業ではないでしょうか。アメリカのような実態はないですね」と言う。 一方で大企業に5回も無効審判を起こされてほとほと困っている研究開発型の小企業の役員は、「日本では差止請求権を武器にするようなパテントトローラーは必要だ」とまで言っている。

  こ うした意見もまた特異なものだとしても、論議は行政主導で一方的に米国追随型の制度に走っているように見える。産業構造はもとより社会構造も司法制度も価 値観もモノ作りの技術も全く違う米国の知財制度を後追いするようなことになれば、また制度の歪を招きかねないことになる。

  これから大いなる論議が必要だ。

 

 

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2009年02月03日

中国特許法改正の解説セミナー

 

 

 

 改正された中国特許法の解説セミナー 

 (株)エイバックズームが主催する中国の特許法(専利法)の解説セミナーが2月3日開催された。中国特許法は昨年末に改正されたもので、法的な解説と実務上の運用について特許庁職員と中国弁護士・弁理士らが解説したもので、大変、有意義なセミナーだった。

 その一部を紹介したい。中国では従来から発明と実用新案は同時に出願可能だったが、今回の改正で明確に条文にした。これで初めて分かったことは、これまでは運用で行っていたもので、法制度ではなかったことだ。 実用新案の審査は特許審査に比べて1,2年早いという。早く保護を受けたい場合は、先に実用新案で登録し、後でこの権利を放棄して特許に切り替えることが出来るという。

   また、外国へ出願する場合は、従来はまず中国に出願しなければならなかったがこれが改正された。これからは外国に出願する際には、国務院専利行政部門の秘 密保持審査を受ければいいことになる。しかし、この制度の運用については全く白紙であり、今後の実務にかかっている。審査・運用のあり方によっては、骨抜 きの制度になりかねないので今後の実務を注目したい。

  意匠権に関する法制度も実態に即したものに改正した。原則として商品陳列、広告、展示会での陳列広告も意匠権を侵害してはならないとしたものだ。今後は公 証購買で証拠を入手するという面倒なことをやらないでも、広告、商品陳列でも公証証拠になるので権利侵害を確認することは非常に楽になったという。

 日本企業にとっても、運用面で活用できる改正内容はかなりあるだろう。 

 

2009年02月02日

山梨大学で産学官連携シンポジウムを開催


 

 1月27日開催された山梨産学官連携シンポジウム 

 「産 学官で考える環境・エネルギー」をテーマに掲げた「山梨産学官連携シンポジウム」がこのほど甲府市で開かれ、①知財の創生と活用、②環境とクリーンエネル ギー、③流域の水環境・水災害と健康の3つのテーマ別フォーラムで講演と活気あふれるパネルディスカッションが行われた。

 この産学官シンポジウムは今年で3回目だが、地域の人々を中心に多くの分野の研究者、企業人、行政マンなどが集まるもので、この種のシンポジウムではモデルと言っていいだろう。主催は山梨県、山梨大学であり、共催に甲府、山梨、北杜、都留、岡谷市、やまなし産業支援機構、日本弁理士会関東支部、甲府商工会議所、山梨中央銀行など多彩な機関が入っている。

 さ らに後援は文部科学省、独立行政法人科学技術振興機構(JST)など国の機関から新聞社、テレビ局など山梨に拠点のあるマスコミがすべて後援しており、開 会式の時にはマスコミ各社の支社長、支局長らが知事や山梨大学長らと一緒になってステージに並び、紹介されるというのも珍しい。つまり、山梨県の各界が一 体となって共通認識に立ち、産学官連携を盛り上げていこうという気概を感じさせる点でも素晴らしい。

 山梨大の燃料電池、太陽電池・環境計測に関する研究は、全国の大学でもひときわ光っている。平成19年度からクリーンエネルギー特別教育として基礎から応用研究まで俯瞰した課程を新設し、エネルギー関連で即戦力になる人材を教育する大学としても知られている。 

               
                               
               
             

                           

                   
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2009年01月27日

知的クラスター創生事業

 地域の活性化と知的創生を振興する「第2期知的クラスター創生事業」が今年度からスタートすることになった。

 1月22日に開催された産学官連携推進委員会で論議された内容によると、文部科学省と経済産業省とが共同で支援する政策であり、2つの省が同じ目的で予算を出し合い、支援する事業は珍しい。

 21年度の予算は文部科学省が135億円、経産省が129億円で総額264億円になる。全国を9つのブロックに分け、産学官連携のネットワークを作り、大学発事業の振興などを支援する。

 この事業そのものはいいことだが、課題もある。両省の予算をどのように配分するのか。ユーザーの使い勝手のいい制度を作らないと、手続きに手間取り事業内容も形式的なものになって実効性が疑問だということになりかねない。

 コーディネーターなどの育成事業もあるが、結果的に期限付きの失対事業になりかねない ようにするべきという意見も出されている。評価方法もどうするのか。9か所の地域が全てうまくいくとは思えない。成功する地域には重点的に予算を配分し て、確実に事業がうまく回るようにするなど柔軟な施策もとるべきではないか。

 是非、成功物語を作ってほしいと思う。

 

 

スイカ訴訟の控訴審が結審

 松下昭神奈川大学工学部名誉教授が、ソニー、JR東日本を相手取って特許侵害訴訟を提起していた裁判の控訴審(飯村敏明裁判長)は、27日に最初の口頭弁論で結審となり、3月末に判決言い渡しとなった。

 この訴訟の根拠となった2本の特許請求の技術を、スイカ技術が侵害しているかどうかが争われているものだが、一審の東京地裁では侵害をしていないと認定されて原告側敗訴。それを不服として原告が控訴していた。

 争点になっている技術的な内容については、別途、解説を試みたい。

 

 

2009年01月12日

日本弁理士会新年賀詞交歓会

 2009年の新年の知財関係者の顔合わせ会でもある日本弁理士会の新年賀詞交歓会が、8日、霞ヶ関の霞山会館で開催された。

 交歓会には、日本の知財各界のリーダーのなっている関係者が一堂に集まり、懇談する場でもあり、筆者も多くの関係者と意見を交換した。

 特許庁は2012年度の施行を目標に特許法の大改正をスケジュールに載せており、今年から改正に向けた本格的な論議がさまざまな審議会で開催される。

 最近の知財侵害訴訟は、原告不利の流れというのが一般的な感想であるが、この流れについて司法関係者に率直にぶつけて質問したところ、その傾向を認めた上で、原告不利という流れはあまり良くないのではないかという感想を漏らしていた。

 また、侵害訴訟で被告側が特許権利の無効を主張し、それが司法判断で認められるケース も出ていることについても、特許庁審査と司法判断が乖離することはユーザーを困惑させることにつながるので、これも好ましい流れではないという意見もでて いた。何らかの形で原告の権利を救済する方策が考えられてもいいのではないかという意見もあった。

 

2009年01月07日

特許法大改正への年

 特許法を2011年改正へ

 日本経済新聞の1月5日付け朝刊の1面トップの報道によると、特許法大改正のスケジュールが今年から始まる。

 報道によると、新特許法は2011年の通常国会で成立させ、2012年からの施行を目指すとしている。問題はその改正内容である。

 報道されている主な検討項目は7つ挙げられている。

1.保護の対象となる「発明」の定義の見直し

2.「差止請求権」の放棄など技術革新の促進に向けた制度作り

3.職務発明の見直し

4.審査基準の法制化に向けた検討

5.迅速で効率的な紛争解決方法の検討

6.審査の迅速化と出願者のニーズへの対応

7.分かりやすい条文作り

 この中で注目されるのは、2と3の差止請求権、職務発明のあり方だ。どのような検討と議論がされるのか。法改正の狙いは何か。

 産業競争力の確保には大企業の知財強化は欠かせないが、と言って大企業優先の知財法制度を作れば、創造意欲が削がれ日本のベンチャーと個人発明家の活動は沈滞するだろう。

 大企業の活動を促進しさらにベンチャー、個人発明家の活動を促進するような知財文化を作る必要がある。その点を間違えると日本は「知財途上国」に転落し、日本のモノ作り国家は衰退するだろう。

 このテーマから今後目が離せない。 

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年11月20日

20年度第2回日本弁理士会アドバイザリーボードの開催

 弁理士活動の充実と拡大を課題に

 

 アドバイザリーボードの開催にあたり、中島会長から次期日本弁理士会会長選挙の結果が発表された。筒井大和執行理事が選出され正林副会長が異例の3期連続で副会長に就任することも明らかになった。

 

 会務の進捗状況では、次の5本柱の活動について報告があった。

1.弁理士業務の高度化・広域化の推進と研修・人材育成事業の拡充 2.知財立国の実現に向けた社会貢献」活動の展開と社会の期待への対応3.便利士法改正への対応及び弁理士制度の基盤整備と充実4.特許事務所の基盤整備の支援及びビジネス環境の変化への対応支援5.会務運営の基盤強化と会員サービスの向上  平成20年10月1日に施行された改正弁理士法によって、弁理士試験合格者は指定を受けた修習期間で実務修習を義務付けられており、これを修了しないと弁理士登録を受けられない。 実務修習は今後の弁理士活動にも非常に重要な位置づけになるものであり、社会貢献、知財基盤の強化に一層の努力が期待されている。

 

 また、弁理士会は、顧客の経営戦略にも関与できる総合アドバイザー型の弁理士育成を実現するために知財専門シンクタンクの構築を目指している。ワーキンググループを設置して具体的に検討を進めるという。

 

 これに関して筆者から特に「個人起業や中小企業の経営戦略に関与しながら、経営コンサルテイィングやブランド確立、知財権利確保、権利を実施する場合に本当に強い特許なのかどうかの評価、無効審判や侵害訴訟にも耐えられる知財権利なのかを評価したり、技術評価、マーケティング、資金運用まで幅広い弁理士業務が期待されている。是非、実現するように取り組んでほしい」と発言した。

 

 

 

2008年11月15日

馬場研の最近の動向

 修士論文の執筆に追い込み

 そろそろ修論の追い込みに入ってきました。例年、この時期を迎えると論文の骨格が出来上がり、執筆に拍車がかかる時期です。

 今年のM2院生は7人おり、うち3人が日中の弁理士です。今年の日本知財学界では、全員が発表に名前を出し、うち5人が口演者として演壇に立って発表しました。その時の演題をそのまま拡張して修論にした院生もいますが、まったく別のテーマに変更した院生もいます。

 またアメリカ、中国に研修に出た院生もおり、それぞれのテーマで格闘を続けています。いずれその内容の詳細は、このサイトでも報告します。

 

 

2008年11月09日

全国学校給食甲子園大会の栄冠は岐阜県代表に

  

 宣誓校が優勝のジンクス破れる

 第3回全国学校給食甲子園大会が、9日午前10時から東京の女子栄養大学駒込キャンパ スで開催され、岐阜県代表の多治見市共栄調理場(松原恵子栄養士、水野はるみ調理員)が優勝し、参加1329校の頂点に立った。準優勝は香川県代表の高松 市立国分寺北部小学校(下岡純子栄養士、間嶋みどり調理員)だった。

 特別賞の非営利活動法人21世紀構想研究会賞には、鹿児島県代表の出水市立米ノ津東小学校、女子栄養大学賞には秋田県代表の横手市立平鹿学校給食センターに授与された。

 第1回、2回と続いていた選手宣誓した学校が優勝するというジンクスは今回は破れたが、今回宣誓した島根県代表松江市立八雲学校給食センターの長島美保子栄養士、宇山宏文調理員には、特別に財団法人学校給食栄養改善研究会賞が授与された。

 今年もまた多くの感動を残して、大会の幕を閉じた。

2008年11月08日

学校給食甲子園大会の前夜祭

 

  選手宣誓を引き当てたのは鳥取県代表 

  全国学校給食甲子園大会(給食甲子園大会)の前夜祭が、8日午後7時から女子栄養大学駒込キャンパスで開催された。今年の代表12校(給食センター)が一堂に集まり、学校紹介と明日への決意表明を行った。

 冒頭に文部科学省の銭谷事務次官が「日頃の研鑽結果を明日の試合で存分に発揮してほしい」と挨拶した。 

  各代表とも、趣向を凝らしたポスターや地場産物の現物を持ち込み、給食に生かしている素材の話や学校での食育活動について報告を行った。 そのあと、注目の選手宣誓のくじ引き。第1回、2回とも、選手宣誓を行った選手の学校が優勝旗を手にしている。2回連続のジンクスが今年もそのまま生きていいるのかそれともこのジンクスが崩れるのか。

 全員が注目する中、引き当てたのは中国・四国ブロック代表の鳥取県松江市八雲学校給食センターの中島美保子栄養士だった。長島さんは「ジンクスが崩れないように頑張ります」と力強く決意表明し、満場の喝さいを浴びた。

 大会は9日午前10時から開催される。

 

全国学校給食甲子園が開幕

 2008年度の全国学校給食甲子園大会が、11月8日、9日に東京・駒込の女子栄養大学駒込キャンパスで開催された。今年の応募校は、全国から約1200校となり、予選を通過したブロック代表の12校が決勝戦に残って優勝を争った。

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年08月06日

アジアの産学官連携についての研究会

 中国を始めアジア地域の産学官連携に関する研究会が、産業技術総合研究所で開催された。 

 

第1回研究会:「アジア産学官連携と研究者能力に関して」
日時:2008年8月5日 午後2時~4時
場所:(独)産業技術総合研究所 東京本部秋葉原事業所11階大会議室
発表者:
新藤晴臣氏(明星大学経済学部経営学科准教授、当プロジェクト分担者)
     「中国・台湾・香港における研究機関の産学官連携について」
本多克也氏(三菱総合研究所 科学・安全政策研究本部先端科学研究グループ 主任研究員)
     「中国における研究者能力について」
コメンテータ:元橋一之氏(東京大学大学院工学系研究科教授)
司会:木村行雄(産総研ベンチャー追跡評価チームチーム長、当プロジェクト代表

 

 

 

2008年08月05日

中国総合研究センターの第10回研究会を開催

 

 中国総合研究センターの第10回研究会が、7月29日に中国総合研究センターで開催された。

 今回の研究会には、北京徳琦知識産権代理有限公司の総裁である弁理士の王琦女史、副総裁の王継文弁理士、パテントエンジニアの鞠文軍氏、弁護士、弁理士、商標弁理士の杜少輝氏を講師として迎え、セミナー方式の開催となった。

 研究会のテーマは、  「中国知財実務上の課題と戦略」。まず最初に、鞠文軍氏が 「特許出願と審査について」講演し、続いて 杜少輝氏が「特許侵害訴訟について」ケーススタディを行った。

 このあと会場との質疑応答となり、実務上の様々な問題について日中の知財制度の違いも入れながら討論を行った。なお、研究会の詳細については、後日、中国総合研究センターのHPに掲載される。

 

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2008年08月04日

8月4日 理研・林崎研究室を訪問

 

 たった30分で遺伝子診断法「SMAP」を開発して世界の生物・医学界に衝撃を与えた 林崎研究室を訪問した。目的は、いま調理現場でその防疫対策で大きな課題になっているノロウイルスの検出方法を見学するためである。ノロウイルスを30分 で検出することができると、調理現場にとっては大きな福音となる。

 見学に同行したのは、文部科学省・学校健康教育課の田中延子・学校給食調査官、慶応義塾大学の中村明子客員教授、文部科学省科学技術政策研究所・科学技術動向研究センターの重茂浩美研究官との4人。

 ノロウイルスは、新型の食中毒原因ウイルスとして調理現場を悩ませており、特に冬の寒 い時期に中毒事件を発生させることが多い。田中調査官はその対応策で全校の学校給食調理現場の学校栄養職員や栄養教諭らと腐心しており、感染症学が専門の 中村明子教授は、専門の立場からアドバイスを行ってきた。また、重茂研究官は、先ごろノロウイルスのすべてを解説する論文を書き上げ、関係者の間で評価さ れており、この日の見学会の実現となった。

 ノロウイルス検出のキットは、理研発のベンチャー企業であるダナフォームと荏原実業が開発し来月中にも販売する予定という。

 

2008年08月02日

科学技術動向研究センターの全体ミーティング

 文部科学省 科学技術政策研究所の科学技術動向研究センターの全体ミーティングは、論文執筆者たちのピア・レビューの場であり、毎回、非常に活発な論議が展開されている。

 筆者は、同研究所の客員研究官の立場で出席して論議に加わるが、非常に勉強になっている。ここで論議された論文の内容は、毎月発行されている「科学技術動向」という雑誌に掲載されるが、最新の研究動向と政策提言が盛り込んであるので多くの読者をかかえている。

 先月号の掲載内容は、こちらのサイトから見ることができる。http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/stfc/stt088j/index.html

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年08月06日

アジアの産学官連携についての研究会

 中国を始めアジア地域の産学官連携に関する研究会が、産業技術総合研究所で開催された。 

 

第1回研究会:「アジア産学官連携と研究者能力に関して」
日時:2008年8月5日 午後2時~4時
場所:(独)産業技術総合研究所 東京本部秋葉原事業所11階大会議室
発表者:
新藤晴臣氏(明星大学経済学部経営学科准教授、当プロジェクト分担者)
     「中国・台湾・香港における研究機関の産学官連携について」
本多克也氏(三菱総合研究所 科学・安全政策研究本部先端科学研究グループ 主任研究員)
     「中国における研究者能力について」
コメンテータ:元橋一之氏(東京大学大学院工学系研究科教授)
司会:木村行雄(産総研ベンチャー追跡評価チームチーム長、当プロジェクト代表

 

 

 

2008年08月05日

中国総合研究センターの第10回研究会を開催

 

 中国総合研究センターの第10回研究会が、7月29日に中国総合研究センターで開催された。

 今回の研究会には、北京徳琦知識産権代理有限公司の総裁である弁理士の王琦女史、副総裁の王継文弁理士、パテントエンジニアの鞠文軍氏、弁護士、弁理士、商標弁理士の杜少輝氏を講師として迎え、セミナー方式の開催となった。

 研究会のテーマは、  「中国知財実務上の課題と戦略」。まず最初に、鞠文軍氏が 「特許出願と審査について」講演し、続いて 杜少輝氏が「特許侵害訴訟について」ケーススタディを行った。

 このあと会場との質疑応答となり、実務上の様々な問題について日中の知財制度の違いも入れながら討論を行った。なお、研究会の詳細については、後日、中国総合研究センターのHPに掲載される。

 

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2008年08月04日

8月4日 理研・林崎研究室を訪問

 

 たった30分で遺伝子診断法「SMAP」を開発して世界の生物・医学界に衝撃を与えた 林崎研究室を訪問した。目的は、いま調理現場でその防疫対策で大きな課題になっているノロウイルスの検出方法を見学するためである。ノロウイルスを30分 で検出することができると、調理現場にとっては大きな福音となる。

 見学に同行したのは、文部科学省・学校健康教育課の田中延子・学校給食調査官、慶応義塾大学の中村明子客員教授、文部科学省科学技術政策研究所・科学技術動向研究センターの重茂浩美研究官との4人。

 ノロウイルスは、新型の食中毒原因ウイルスとして調理現場を悩ませており、特に冬の寒 い時期に中毒事件を発生させることが多い。田中調査官はその対応策で全校の学校給食調理現場の学校栄養職員や栄養教諭らと腐心しており、感染症学が専門の 中村明子教授は、専門の立場からアドバイスを行ってきた。また、重茂研究官は、先ごろノロウイルスのすべてを解説する論文を書き上げ、関係者の間で評価さ れており、この日の見学会の実現となった。

 ノロウイルス検出のキットは、理研発のベンチャー企業であるダナフォームと荏原実業が開発し来月中にも販売する予定という。

 

2008年08月02日

科学技術動向研究センターの全体ミーティング

 文部科学省 科学技術政策研究所の科学技術動向研究センターの全体ミーティングは、論文執筆者たちのピア・レビューの場であり、毎回、非常に活発な論議が展開されている。

 筆者は、同研究所の客員研究官の立場で出席して論議に加わるが、非常に勉強になっている。ここで論議された論文の内容は、毎月発行されている「科学技術動向」という雑誌に掲載されるが、最新の研究動向と政策提言が盛り込んであるので多くの読者をかかえている。

 先月号の掲載内容は、こちらのサイトから見ることができる。http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/stfc/stt088j/index.html

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年07月18日

本日からブログを再開  7月18日

 長い間、PCの事情で更新ができませんした。
 本日からまた、再会します。

 全国学校給食甲子園大会実行委員会の開催

 今年の学校給食甲子園大会は、11月8日(土)、9日(日)の
2日間にわたって、東京の女子栄養大学駒込キャンパスで
開催される。
 その実施内容、審査内容を決める実行委員会(工藤智規委員長)が
7月16日に開催された。
 審査の内容については、学校給食甲子園大会の公式ホームページで
公表する予定である。

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年05月10日

5月9日(土)埼玉県知財センター・シンポジウム

 

 埼玉県知財センター・シンポジウムが開催される  

 埼玉県の知財支援センター開設3周年を記念して、「知的財産立県の実現に向けて」とテーマとするシンポジウムが、9日午後1時半から、大宮ソニックシティビル10階の埼玉県中小企業振興公社の研修室で開かれた。

 筆者は、「知的財産立県の実現に向けて」をタイトルにした基調講演を行い、このあと「中小企業に求められる知財経営の取り組みと今後の支援のあり方」をテーマにパネルディスカッションが行われた。

 プログラムと実施内容は大略次の通りである。

 第1部 基調講演(70分)

「知的財産立県の実現に向けて」 馬場錬成 

 講演のあらまし

1.  世界はいま、第3次産業革命にあるという時代認識を持つことが重要である。

2.   日本の戦後の経済成長に果たした特許の役割を概観し、日本の「特許文化」を検証。

3.   1990年代後半から世界的に始まったIT産業革命によるプロパテント時代の産業技術と知財について検証。

4.   特許に中小企業の中で、知財戦略ですぐれた実績を残しているケースを具体的に紹介し、何が重要であったのか分析。

5.   オープン・イノベーション時代を迎えて囲い込みではなく、相互に知財を活用する時代に入っていることを紹介して将来展望を提示。

 第2部 パネルディスカッション

「中小企業に求められる知財経営の取組と(知的財産総合支援センター埼玉)の今後の支援のあり方」

 

パネリスト(敬称略)   

コーディネーター 東京理科大学知財専門職大学院教授     馬場 錬成 

パネラー  ユアサハラ法律特許事務所 弁護士・弁理士 矢部 耕三 

      高田国際特許事務所所長  弁理士     高田 修治 

      彩都総合特許事務所    弁理士     佐原 雅史  

知財総合支援センター埼玉知財アドバイザー野口 満 

 パネリストからのプレゼン(各10分)

1.野口 満さんプレゼン

・知財センター埼玉が開設されて以来3年間の活動内容の紹介・多くの支援事例を紹介 

2.佐原雅史さんプレゼン   

・お仕事の内容と知財センターとの関わりについて説明

・株式会社アキムの知財支援事例について具体的な取り組みと課題を提起した。特に中小企業の知財管理の問題について具体案を提起。

3.髙田修治さんプレゼン  

・これまでの専門相談や知財センターがらみの支援事例について紹介。特に商号と商標との権利化の仕組みとトラブルについて紹介

・地域団体商標、各地域興し事業、インターネットの影響などについて報告 

4.矢部耕三さんプレゼン  

・日ごろの仕事と活動内容とセンターでの役割を紹介  

・センターでの経験事例から、企業間のクロスライセンスに関する契約交渉をアドバイスすることで展望が開けた事例を紹介・中小企業はこれから知的財産権とどう取り組むべきかを提言  

5.このあと、パネラー間で活発な論議が展開され、中小企業に求められる知財経営の取組と知的財産総合支援センター埼玉の今後の支援のあり方について提言が行われた。    

この日の内容の詳細は、後日、センターのHPで報告される。 

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年4月のアーカイブ

                               
                 

2008年04月 アーカイブ

2007年プロジェクト研究総括

 努力を結実させた若き日のエネルギー 

 2007年度の馬場研究室は、6人の精鋭部隊でスタートを切った。ところが間もなく、そのうちの1人が職場の勤務の都合でMIPを退学し、もう1人は商標関係のテーマで取り組むために西村研究室に移籍となり、4人という少数精鋭でスタートを切ることになった。  

 佐藤貴臣君は、早くからワーキング・ペーパーのテーマは模倣品・海賊版の現状と取り締まり状況に焦点をあてて論文をまとめたいという希望を出していたが、就職先が長野県警に決まったためにいっそう、やりがいのあるテーマとなった。

 就職活動では、思いもよらない機関の受験に挑戦するなど、貴臣君は可能性を求めて行動する点では評価できるものであった。論文作成では、調査分析にやや時間を取りすぎ、後半の検証と見解のまとめでは十分な活動ができなかったことは残念であった。

 ただ、貴臣君には思わぬ才覚があることを発見して嬉しくなった。彼が書いた文章はなかなかこなれた分かりやすい文体であり、もしかすると新聞記者にむいているのかもしれないと思わせるほどであった。

 論文では、2007年、 世の中を騒がせた一連の偽装表示問題を法的な根拠を示しながら当局の摘発のあり方を検証したのは評価できる内容となった。自治体によって取締りの法整備が ばらばらである点を指摘しており、これまでの模倣品・海賊版をまとめた論文には見られない視点を持ち込んで独自性を打ち出した点は、大変良かった。

  小國聡美さんは、学部の専攻は化学であるために、化学や環境問題に興味を抱いていた。その中から酸化チタン光触媒の研究動向と標準化に焦点を合わせたのはタイムリーな問題意識であった。 酸化チタン光触媒の研究では、藤嶋昭教授、橋本和仁教授が双璧であるが、その1人の橋本教授の研究室を訪ねて、研究テーマについて教示を受けたことは大変良かった。

 ただ、酸化チタン光触媒の研究動向と知的財産権に関する調査分析では、詳細な内容で先行しているレポートがすでにあることに途中で気がつき、聡美さんのテーマの焦点は標準化へと絞り込んでいった。 標準化には、光触媒の品質を担保する意味と、国際的に取り決めて品質を確保する国際標準化と2つの意味があり、そのどちらに関しても日本の研究現場と産業界の意識が希薄である点を指摘する論文となった。

 論文をまとめる時期に身内の方が病気で倒れてその看病に追われるなど、学業と仕事と看病という3重苦を克服してようやくまとめたものである。このため本人にとっては不十分な出来だったようだが、このテーマは今後さらに深化させ卒業後も取り組んでほしい。

  有馬徹さんは、自動車メーカーのサプライヤーに勤務し、国際的に活動する職場にいることをフルに活用して、知財をキーワードにしながら国際産業文化論を展開するユニークな論文にまとめた。自分の考えと主張を奔放に書き進めた論述であり非常に面白かった。

 特にサプライヤーから見た日本と外国の商習慣の比較論述は、徹さんの体験と見解に基づいた内容であり説得力があった。一国の産業競争力はモノ作りから金融にシフトされたという見方も、この論文の流れから読者を十分に納得させていた。中国で産業活動を論じるくだりでは、アメリカ式とヨーロッパ式を論じながら、日本のそれはアメリカ式ではないかというコメントは、そうかもしれないと思わせる内容であり、ここにも独自の視点を披瀝していた。特に面白かったのは、サミュエル・ハンチントンが主張しているアメリカの「目論見」を整理して記述し、その後で日本の「目論見」を整理して提示したもので、これは秀逸であった。

 企業戦士として活動する傍ら、常に内外の社会、と文化を見ながら深く思索した活動から出たオリジナル論評であり、この論文テーマは徹さんのライフワークになるだろう。

  押久保政彦さんは、弁理士の資格を持つだけに論述した内容は厚みがあり読み応えがあった。第1章、2章、3章と組み立てた章立てとその内容は、非常に整理されており、しかも制度上の問題、法的解釈、司法判断、国際的な動きなど時代背景を入れながら重厚に解説したのは大変結構だった。

 特に2章 で語っている小売等役務商標制度の導入までの経過を読むと、改正前の制度上の問題がよく分かり、「役務」についての法的解釈の経緯もよく整理されて論述さ れていた。「シャディ事件」、「ESPRIT」事件という2つの判例を紹介しながら、改正までの経緯をまとめることで、時代とともに変革する知的財産権の 現場を語っていた。

 後半は、小売等役務商標出願動向の調査を紹介しているが、主な業界別の動向は労力をかけた分析調査であり、業種ごとに小売等役務商標に対する取り組みに温度差があることを明快に見せてくれた。

 最後のまとめでは、この商標がどのように活用されるか課題をいくつかあげ、商品商標と小売等役務商標との関係、審査実務、総合的な小売サービスというカテゴリーで検討すべしと課題を提起しており、このテーマの研究はまだこれからの領域であることを示唆していた。 押久保さんは、馬場研の級長として様々な雑用を差配し、研究室をまとめた点で多大の貢献をした。ここに心から感謝の念を示したい。

 2007年馬場研諸君へはなむけの言葉 

 馬場研は、修論作成のために一時的に集まった仲間ではなく、諸君がこれから社会活動をする上でも折りに触れて情報を交換し、時には助け合い、友情を確かめ合う和として未来永劫続けて欲しい。

 2006年の馬場研は7人の精鋭が集まってともに語り、研鑽し論文をまとめた。級長を務めたのは弁理士の丹波真也さんであった。その伝統を2007年も引き継ぎ、共有する時間の中で共に研鑽する機会を何度も持った。時代は休むことなく刻みながら、新しい研究開発を促し、新しい文化を作り文明を残していく。それが地球上に存在する生命体の宿命である。

 世界の中の日本という位置付けを考えながら、諸君はこの先50年間も社会活動を続けなければならない。その時もっとも要求されることは時代認識である。いま我々はどのような時代に生きているのか。どのような技術開発がホットなテーマになり、そしてこの先20年、30年後にはどのような社会が現出し、そのときどのような技術が普及しているのか。

 そのための政策決定から研究開発のあり方が、国と企業の国際競争力であり、その中核に位置するのが知的財産権である。そのような世界観をしっかりと描き、これからの日常活動に取り組んでほしい。変革には果敢に対応し、新しいものには臆せず立ち向かうのが馬場研の伝統である。

 その伝統を守る社会活動を続けてほしい。これが馬場研で学んだ同志4人に送る私のメッセージである。 

                          2008年3月19日 馬場 錬成

 

修了式の日、袴姿の小國聡美さんと記念写真

2007年プロジェクト研究

2007年の馬場研究室の研究生と研究テーマは次の通り。 

 

押久保政彦                           出願動向から考察する小売等役務商標制度の現状に関する研究 

有馬 徹                            グローバル経済化における日本の未来と日本の責務          ―日本が果たすべきリーダーシップ―

小国聡美                           光触媒に関する特許動向と市場動向及び標準化に関する研究 

佐藤貴臣                                                        日本国内における知的財産侵害事犯の現状と対策

 

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年3月のアーカイブ

                               
                 

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2008年03月30日

3月30日 門前仲町の桜が満開

 

 

 

 

  門仲の桜が満開である。黒船橋のかかる隅田川の支流の小さな川である大横川で、手漕ぎの和船に乗って川面から桜を見物した。

 両岸から川面に張り出した桜並木は圧倒的であり、その下を静かに進む和船からの桜見物は格別である。地元にいて初めて乗った観桜だが、これはお勧めであり来年は和船からの観桜会を開催したい。

 舟からの観桜のあと、門前仲町にある京都の漬物や「近為」でブランチをとったが、近くのアクセサリー店の前に写真のようなワンちゃんが愛嬌をふりまいていて人気者になっていた。 

 

 

 

 

 

3月28日 日本弁理士会外部意見聴取会

  19年度の第3回外部意見聴取会が開催され、日本弁理士会臨時総会の報告や継続研修に関するガイドブック、倫理問題のテキストなどについて検討、論議を行った。 

  継続研修については、日本弁理士会も着々と準備を進めているが、その中の1部になるe-ラーニングコンテンツ一覧が配布された。すでに87本のe-ラーニングが作成されており、弁理士研修のための科目や話題が多数用意されている。

  この中には企業の知財関係者など一般の人にもためになる科目や内容があるので、将来にわたっては一般公開も考慮してほしいとの意見も出された。 また弁理士業務標準案も提出され、報酬問題についても論議された。

3月26日 岐阜大学の経営協議会

  第23回国立大学法人岐阜大学経営協議会が開催され、多くの議事が論議された。筆者は、4年間にわたり経営協議会の委員を委嘱されてきたが、この委員会を最後に退任した。

 黒木登志夫学長もこの3月末で学長を退任し、新しく森秀樹副学長が学長に就任する。岐阜大学は地方大学の中でも非常に活性化された大学であり、この4年間に多くの改革案を消化し、古びた地方の国立大学から脱皮したものである。受験生からも評価されてきており、志願者数のアップにもつながっている。

 岐阜シンポジウムの評価も高く、参加者が全国から集まっている。最後の協議会で黒木学長は、教員免許状の更新についての事業は、誰が責任を持って実施するのか曖昧になっている現状を報告した。文部科学省の政策で進めているのだが、教員の身分は地方自治体に所属している。

 しかし自治体には、免許更新に伴って行うべき研修会などの予算はほとんどないため、教育学部を持っている大学に頼る事態になっている。このままでは、実効性のある更新事業は無理ではないかと黒木学長は憂いていたが、今後に大きな問題を抱えているようだ。

3月25日 早大大学院科学技術ジャーナリスト養成講座の追い出しコンパ

  早稲田大学大学院政治学研究科にある科学技術ジャーナリスト養成講座の第1回修了者をお祝いする追い出しコンパが新宿で開催され、教師、在学生が多数参加して楽しいパーティとなった。 

 これは文部科学省振興調整費の予算で、早稲田大、北大、東大の3大学で試行されている5年間の養成講座だが、早大の講座には現役、社会人など2人近くが参加して2年間のジャーナリスト講座を受講し、修士の学位を取得した。

 修了者の中には、2つ目の修士学位を取得したという高校の教師もおり、社会人になっても勉学に励む機運が高まっていることを感じさせた。

3月25日 学校給食の衛生管理に関する調査協力者会議

  中国の冷凍餃子事件を巡る食の安全問題が大きな関心ごとになっており、特に成長期せにある児童・生徒に食事を提供する学校給食の安全について論議した。

 この日は、学校給食衛生管理の基準の改定に向けての検討事項を論議したもので、食品納入業者の選定や食品の検収・保管などについて現行のままでいいかどうか検討を行った。

 今後も安全な学校給食を確保するための衛生管理について、検討を深めることになる。

 

3月25日 大学知的財産本部審査・評価小委員会

 今回は、「国際的な産学官連携の推進体制整備」の進捗状況について、3つの大学についてヒアリングを行った。

 知財本部の活動がどのように展開されそして将来展望はどうなっているのか。これは非公開となっているので具体的な内容は報告できないが、各大学ともに非常に熱心に取り組んでいる様子が分かった。 

 大学の知財活動は、第2期目に入りこれから正念場を迎える。イノベーションを起こすような優れた創出が本当に大学から出てくるのか。国際的な活動をどう展開するのか。旧帝大のような規模も人的資源も豊かな大学と、地方の国立大学と私立大学がどのような戦略で行くべきか。

 高度・専門的な技術が要求される時代になったとき、企業と大学研究室がどう棲み分けるのか。大学の自治・独立性と学問の自由という理念と折り合いながら、大学人は研究に取り組むことになるだろう。

 

3月24日 就職活動の模擬面接

 就職活動は4月いっぱいが勝負。その中でも面接試験が一番の要になる。というわけで馬場研の院生と筆者が客員教授をしている早稲田大学の院生を対象に、模擬面接を行った。

 模擬面接官を引き受けてくれたのは、人材紹介業を長年やってきた人と大企業の部長経験者の2人である。事前に面接の準備項目を配布し、一問一答の準備をしていたせいもあって、ほぼ順調な模擬面接だった。

 しかし細部にわたっては模擬面接官からアドバイスがあり、非常に有意義だったようだ。 本来なら就職試験を目指す多くの人にやりたいところだが、模擬面接官の時間の都合で馬場研関係者だけにとどめている。

3月22日 MIP修了記念パーティ

 

 MIPの修了者が主催する記念パーティが、ホテルエドモンドで開催された。教師と院生が一堂に会したパーティは最初で最後になる。2年間の思い出を語り合い、教師たちは、修了者たちの門出を祝った。

 アトラクションに福引があり、筆者のナンバーの下2桁は「86」。これは中国の国のコードである。国際電話を中国にする場合、頭には必ず86がつくので、中国と付き合いのある筆者には、馴染みのコードである。

 これはひょっとすると・・・と思っていたらやはり1等賞を射止めた。いただいたものは、任天堂の「Wii」というゲーム装置。嬉しかったが、しかしこれを駆使して楽しむ時間はなさそうなので、当日の準備でご苦労した幹事の1人にプレゼントして大喜びされた。

 

3月19日 学位記・修了証書授与式

 

 今年度の修了式が3月19日に、九段の日本武道館で開催された。今年の東京理科大学知財専門職大学院(MIP)の修了者は86人である。

 博士、修士、学士の各学位を授与する式典は、毎年同じ手順で粛々と進行される儀式であり、それ自体は退屈なものであるが、しかし見る者はやはりなにがしかの感動が伝わってきて飽きない式典でもある。

 特に社会人で終了したMIPの人たちは感慨もひとしおではなかったかと思う。 

 

2008年03月19日

山形県のサイエンス・ナビゲーター交流合同会議で講演

「子供の科学する心醸成に係る連携会議およびサイエンス・ナビゲーター交流会合同会議」

  山形県は、科学技術振興の一環として県民の科学リテラシー向上に対する施策を積極的に推進している。

 この日は、県の研修センターに、サイエンス・ナビゲーター、教諭、総合学習センターの館長、教育庁の職員など約30人が出席し、筆者の講演と今後の事業計画について論議を行った。

 筆者は「知識社会の到来と国民の科学リテラシー」と題し、まず時代認識について説き、1990年代の後半から世界的に起きているIT産業革命について講演した。

 また後半には科学リテラシーについて考え、OECDが2001年に行った科学リテラ シー調査のテストを参加者に出題して回答してもらった。11問の質問にマルまたはバツで回答するもので、日本人の平均正解率は11問中6問である。この日 の回答では、全問正解者が1人、10問正解者が5,5人おり、日本人平均よりもぐんと高い結果をだした。

 

 

 

 

山形県科学技術会議が開かれる

 次期重点推進方策を検討

 山形県科学技術会議が3月17日に開催され、次期重点推進方策についてその方向性を論議した。

 山形県は、国が策定している第3期科学技術基本計画を受け、県の試験・研究機関を見直し、時代に合った体制を構築してきた。これまでも競争力が期待される分野での研究開発の推進、研究開発プロジェクト、新産業の創出に向けた支援の強化などについて推進している。

 次期重点推進方策の方向性としては、知的財産の戦略的な創出・活用の促進、人材育成と人的ネットワークの形成などを挙げており、この日の会議でも熱心に論議された。

 また、会議には、試験研究機関などで出された最近の主な研究成果が発 表された。その中で、県衛生研究所が行ったエンテロウイルス71型の変異と抗原性に関する研究は、いくつかの変異株を分析しても抗原性に差異がないことを 確認し、今後のワクチン開発へ貢献する成果となった。

 また、コシヒカリよりも食味ですぐれた水稲「山形97号」の成果が発 表された。倒伏があまりなく育成が容易であり食味の検査でもコシヒカリを上回る結果が出ており、山形発でおいしいご飯が食卓にのぼる日が待たれる。来年に は育成者権を確立し、平成22年から市場へ出す予定だという。

 

2008年03月12日

自民党・知財戦略調査会が開かれる

 コンテンツ振興策とオープン・イノベーション対応で策定

 自民党政務調査会の知的財産戦略調査会が3月12日に開催され、先に2つの専門調査会でとりまとめた報告書について論議した。

 「デジタル時代におけるコンテンツ振興のための総合的な方策について」と「オープン・イノベーションに対応した知財戦略の在り方について」の2つの報告書である。いずれも知的財産戦略推進事務局にある専門調査会で取りまとめたものである。

 コンテンツ振興については、①コンテンツを取り巻く環境の急激な変化に素早く対応す る、②コンテンツ産業が持つ強みを最大限に発揮する、③グローバルビジネスを展開するーの3本柱を課題としてしており、その基本理念に「コンテンツ・フロ ンティア(市場・創造)の開拓」を掲げている。

 一方、オープン・イノベーションの方は、企業などの研究開発力をアップするために、外部から研究成果を導入して事業化することを推進するもので、戦略的な知的財産の活用に結び付けようとする施策の推進である。

 この実現にはいくつかの基盤整備があげられている。学術・技術情報の利用環境や情報技術の利用環境を整備することによって、大学から良質の知財の提供を受けられるようにすること、知財を事業化する総合プロデュース機能を整備することなどである。

 自民党は、こうした施策について積極的に取り組む方針を表明しており、この日の調査会でも議員の間から課題を乗り越えていく意見が出され、政府側の各省の知財担当者からこれを実現しいく方針が示された。

 

学校給食における衛生管理

 学校給食の安全性で論議

 中国から輸入された冷凍餃子をめぐって輸入食品の安全性が論議されているが、学校給食現場でも衛生管理とは別に大きな課題となってきた。

  文部科学省の「学校給食における衛生管理の改善・充実に関する調査研究協力者会議」は、厚生労働省、農水省と連携しながら、学校の給食に安全な輸入食材が届くような仕組みを考えることを論議した。

  餃子事件で問題となったのは中国の天洋食品が製造した製品だが、文科省の調べによると、同社の冷凍食品を給食に使っていた学校給食現場は、全国で578校にのぼることがわかった。

 健康被害が出ていなかったのは幸いだったが、今後、同じような問題が出ないように水際で防止する仕組みを考えると同時に、学校給食現場で購入する食材について、安全性の点検をどのようにすることが効率的か論議を続けることになった。

 

               
                               
               
             

                           

                   
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2008年01月03日

2007年を総括する

 これまでの人生でもっとも多忙だった1年 

 2007年は、私の人生に中でもっとも多忙を極めた年であった。67歳を迎えたいま、このような多忙を体験するとは夢にも思わなかった。主な仕事を列記すると次のようになる。 

 第1は、本業である東京理科大学知財専門職大学院の専任教員としての仕事である。これは例年通り知財戦略論、科学技術政策論、知財プロジェクト研究という3つの授業を担当したものであり、全力を挙げてこの仕事には取り組んだ。 

 第2は、科学技術振興機構(JST)中国総合研究センターのセンター長としての仕事である。1週間のうち2日半の勤務時間であったが、その時間を作るのが難しくなったために1日半に短縮してもらった。

 しかし、小泉政権退陣とともに日中の学術交流が盛んになり、中国の科学技術関係者ら中国側の要人との折衝や接遇などが増えてきたこともあり、日常の判断・決済もこなしながら十分に仕事ができたとは思えなかった。 

 第 3は、早稲田大学大学院政治学研究科に設置されている科学技術ジャーナリスト養成講座の客員教授としての仕事である。これは後期だけの授業であるが、時間 的制約の中で科学技術ジャーナリストを目指す院生諸君の講義と指導という役割をこなすことはこれまた大きな負担となっていた。 

 第4は、2009年4月から東京理科大学に設置される新しい大学院の設立推進委員長としての仕事であった。これは現在の理学部大学院理学研究科の中にある理数教育専攻を発展的に拡充改組し、科学文化の概念を取り込んだ新しい大学院の設置である。 

 こ れについては、膨大な時間と折衝の苦労を体験したが、結果的には文部科学省に対する届出手続きに落ち着いて私としては中途半端な終結となった。大学に根強 くある(と思われる)守旧思想を垣間見ることができ、貴重な体験であった。これは今後10年、20年先の後輩たちに伝えるために、いずれその全貌は書き残 して死にたいと思っている。一般社会常識では理解することができないことが、大学の中ではまかり通っているとの思いを強くした。  

 振って沸いたハプニングで多忙に輪をかける 

 第 5は、ハプニングとして発生したある事件である。この事件は決着していないのでこれ以上触れることはできないが、私はその当事者の支援を引き受けた形とな り多くの事柄に関与した。今後も解決するまでは関与することになるが、結果としては「問題は何もなかった」という結論になると信じている。 

 この事件でも膨大な時間と労力を費やした。特に夏の暑い盛りには、この事件の収拾策に奔走することが多かった。1999年から続いてきた毎年1冊以上の本の出版という執筆活動は、今年は多忙にさえぎられてついに途絶えることになった。私の本務はジャーナリストとしての社会活動である。

 執筆活動はその柱である。東京理科大学知財専門職大学院の専任教員という仕事は、ジャーナリスト活動の延長線上にあると理解している。また院生諸君にもそのように伝えている。研究大学院とは違った教員活動を要求されている専門職大学院だからできることである。

 いずれにしても、このような多忙な状況は全部の仕事を完璧に遂行することを困難にしていることから、中国総合研究センター長を2007年12月末日をもって退任することにした。また、早稲田大学の客員教授も、2008年度から読売新聞東京本社編集局科学部長の小出重孝氏に譲ることにした。

 この2つの大任を辞退することによって、本来の仕事に打ち込むことにし、時間的な余裕を持つことによって再びジャーナリストとしての仕事に取り組むことにした。2007年は、私にとって1つの転機を迫った年であり、新しい視点を持たせた年でもあった。多くの協力をいただいた関係者には心から感謝している。 

               
                               
               
             

                           

                   
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2007年11月04日

学校給食甲子園は千葉県代表が優勝

 

選手宣誓をした代表が2時間後に優勝旗をもぎ取る

昨年に続いて奇跡を起こした千葉県勢

 第2回全国学校給食甲子園大会が11月4日、東京・駒込の女子栄養大学で開かれ、千葉県代表の匝瑳市野栄学校給食センター(秋山真理子栄養士、小川徳子調理員)が優勝した。

 秋山さんは大会の冒頭、選手を代表して選手宣誓を行ったあとの2時間後には大優勝旗と優勝カップをもぎ取るという離れ業をやってのけ大会を一気に盛り上げた。 

 準優勝は滋賀県代表・守山市立守山小学校(廣田美佐子栄養士、井上宏子調理員)で、学校から校長、教頭らが応援に駆けつけており、発表の会場で感動を分かち合った。

 特別賞として女子栄養大学から授与されたのは江戸川区立下鎌田小学校(千葉幸子栄養士、長谷川雅亮調理員)で、地場産物のない東京にあって、唯一、地元産の小松菜を使った様々な料理が評価された。

 また、北海道代表の江別市立学校給食センター対雁調理場(菊地恵美子栄養士、諏佐久美子調理員)は、特別賞として特定非営利活動法人21世紀構想研究会から授与された。北海道産の小麦、大豆、トマトなど大地に根差した料理が評価された。  

 

               
                               
               
             

                           

                   
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2007年09月30日

ますますお元気な松下昭先生

 
スイカは特許侵害だとソニーとJR東日本を訴えた松下博士
 歴史的な特許侵害訴訟として話題になっている松下昭博士と本日、インタビューを行った。先生は東京理科大学知財専門職大学院でも毎年、教えている先生であり、独自のアイデアで世に出したワイヤメモリーは、電子情報の歴史を書き換えたほどの画期的な発明だった。
そのご、このこの特許発明は産業現場で役立つ製品化にの成功したが、すぐに半導体チップに世代が交代して、貢献する時間は非常に短かった。しかし産業史燦然と輝く大発明である。
この発明の後に出てきたのが通称「松下特許」と言われる非接触で情報と電力をやり取りする基本特許である。JRで使用されているスイカは、まさにこの技術を利用したものであり、松下特許に抵触するというのが博士の主張である。東京地裁での判断が待たれる。

2007年09月02日

馬場研メンバーから坊っちゃん賞の「副賞」が贈与される

坊っちゃん賞の「副賞」が贈与される

馬場研メンバーが贈ってくれた素晴しいプレゼント

  

上の写真は「副賞」を手にして喜ぶ筆者

下の左は坊っちゃん賞、右は贈与された「副賞」

      

 2007年1月6日、私は思いもよらない「坊っちゃん賞」をいただいた。この賞は、東京理科大学に貢献したOB,OGに与えられる賞であり、突然の授与にびっくり仰天だった。

 というのも当日、受賞式が挙行されることも知らないで、会場のホテルへと向かった。その日は朝からあいにくの冷雨であり、私は出席するのをためらっていた。そこで同窓生から誘いの声がかかり、渋々、会場へ向かった。

 受付すると大きな花の胸章がつけられ、会場の最前列の端に案内された。いったいこれは何だろうと案内の女性に聞いてみると「先生は、坊っちゃん賞受賞しました。本日はその授賞式です」と言う。すでに式典は進んでおり、ほどなくステージに上がるようにアナウンスされた。

 青天の霹靂とはこのこと である。他人の話としては面白いが自身がその主人公になっていることに2度びっくりだ。受賞のスピーチは、その霹靂の有様を正直に話したから大うけだっ た。理窓会は私の研究室に受賞の連絡を何度も試みたらしいが、いつでも留守であり、そのうち受賞式当日になったということらしい。研究室の滞留時間が短い ことも、この一件でばれてしまった。

 その授賞式から8ヶ月後、馬場研の暑気払い飲み会が神楽坂で開催された。その会場で、ばかでかい袋に入ったプレゼントがこれまた突然授与された。聞けば坊っちゃん賞をお祝いするプレゼントだという。いわばこれは「副賞」だろう。

 いや、まったくもって、 何もかもこの大学の「行事」は何となくずれているところに特色がある。そんなことはどうでもいいのであって、賞と名のつくものは、久しぶりにもらった。現 役時代は、読売新聞社から社長賞2回を含む9つの賞をもぎ取った。これはいわば取材活動の汗の結晶であるが、今回の坊っちゃん賞も、その素晴らしい「副賞」もその結晶に劣らず重みのある賞となった。

 ここに馬場研の皆さんに、心から御礼を申しあげます。

 有り難うございました。

 

立石哲也先生らが「生体医工学の軌跡」を刊行

 

医工学の進展を報告したためになる本
 工 学分野の研究者が医学畑で活躍する現場を紹介した本である。編著者の立石哲也先生とはときどきお会いして、医工学分野の研究進展をお聞きする機会がある。 この本では、ピンポイント診断や治療のためのナノデバイスの研究、人工関節の素材の開発、金属材料からバイオマテリアルまでのフレークスルーの話などを分 かりやすく解説している。

 

 

東大の中尾政之教授が「失敗は予測できる」を刊行

 

失敗は本当に回避できるのか

 失敗学の創始者である畑村洋太郎先生の後継者である中尾先生が、失敗学の実践編として書いた本である。200例からなる実例を検証し、失敗の裏側に潜む真の原因をあぶりだして、失敗から成功への道筋を探ったユニークな本である。

 

2007年09月01日

台湾の知財活動を取材

     台湾で弁理士制度がスタート

 

 これまで弁理士制度がなかった台湾で、2007年6月17日に弁理士法が成立し12月16日に施行されることになった。この機会に台北市で活動する台湾の代表的な弁理士・弁護士のお2人を訪問し、台湾の知財の現状をお聞きした。

 

 

劉勝芳先生(連邦国際専利商標事務所・国外部副理)に聞く

 

 劉先生によると、台湾では弁理士制度がなかったが、弁理士法の成立とともに弁理士試験を実施することになり、このほどその受験資格について検討したばかりだったという。

 台湾特許庁と専利法は1949年1月に施行されていたが、弁理士資格については法的な根拠はなかったという。来年からは弁理士試験を実施して合格者を決めるという。また台湾特許庁の審査官を4年以上勤めた人は、弁理士資格を取得できる。

 

 最近の台湾の知財活動は、2006年の特許出願数は、日本からの出願が、約1万1000件、台湾から日本への出願が1800件余、実用新案は約1500件余だったという。

 台湾からアメリカへの出願は約7万件、中国へは約3万8000件としている。台湾ではいま、知的財産権財庁を設立する準備を進めており、2008年4月からスタートする予定だという。

 知財の侵害訴訟はそんなに多くないという。訴訟になっても、和解が多くなっている。 模倣品の侵害訴訟は少なくなってきており、侵害訴訟の多くは著作権の問題である。

 最近、台湾の工場が中国に移転しており、いま中国で働いている台湾人は約100万人という。人口約2200万人のうちの100万人だから相当の数である。特許出願費用は、中国のほうが出願費用、代理費用が高くなっているという。  

 

 李文傑先生(理律法律事務所(LEE&LI)弁護士)に聞く 

 

 李先生は知財弁護士として活躍しており、仕事は侵害事件が多いという。台湾弁理士法(専利代理人法)が公布されたので12月16日の施行からは、出願関係は代理人の資格がないとできなくなった。

 近年、台湾の多くの工場が中国に移転しており、台湾の工業力が弱体化するのではないかという心配はあるという。中国は台湾に比べて人件費が安く、多くの工場が移転していった。

 

 しかし、R&Bは、台湾で行うことが多いとも言う。いま担当している侵害訴訟の90パーセント以上は、日本企業である。つまりクライアントは日本企業だ。多くの訴訟は著作権侵害によるコンテンツ関係が多い。CD、DVDの侵害が多いという。

 台湾では半導体、液晶技術は自力で開発してきたものがあり、こうした 技術を知財で守ることも重要だと語っている。

               
                               
               
             

                           

                   
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2007年4月のアーカイブ

                               
                 

2007年04月 アーカイブ

2007年04月24日

4月19日(木) KASTで知財戦略の講演

 

財団法人神奈川科学技術アカデミー(KAST)主催

「実務者のための『強くて良い特許網の構築』コース」

~訴訟に勝てる実践的特許戦略~ 

 こ の教育講座は、知的財産を経営の重要な要とする技術志向企業に所属する経営者、研究・技術者、知財担当者、技術系本社スタッフ、研究・技術リーダーを対象 に、特許制度の今後の動向、プロパテント化の目指すものは何か、研究リーダーの役割は何か、出願明細書作成のポイント、最近の重要判例について、知的財産 分野の第一線で活躍中の講師陣による実践的なセミナーを開催するものだ。

 カリキュラム編成は、宇都宮大学の知的財産センター長の山村 正明教授が担当した。筆者は約30人の受講者に対し、90年代から始まった第3次産業革命ともの作りの現場の変革、知識社会の移行の中で始まった新しい技術革新をめぐる研究開発の国際的な競争の中での知財活動、中国の技術革新と知財活動などについてレクチャーを行った。

 

 

2007年04月21日

4月19日(水) 東北電力の顧問会議に出席

原子力の品質保証体制と課題について論議

 東北電力の「原子力の安全と信頼に関する顧問会議」が、19日、東北電力で開催され、東北電力の現場から出されている課題の対応策などをめぐって活発な論議が行われた。

 筆者は、品質保証体制を機能させるには企業トップがいかに係わるか、さらに技術革新に 合わせて、劣化するプラント、設備などをいかに近代化していくかが大きな課題になると主張した。劣化の科学という学問も走り出しており、成熟した社会に あって様々な設備・プラントが劣化をしており、その品質保証に大きなコストがかかる時代になってきた。

 このコストは、国家としても社会としても企業としても必要経費であり、劣化をいち早く 感知し、それを補正していくメンテナンスが重要であり、そのための技術革新も始まっている。すでにアメリカでは、GDPの3%以上が劣化の科学の研究投資 額になっているが、日本はまだ1%程度である。

 知識社会への変革にしたがって技術開発も新しい局面へと変貌してきていることを敏感に察知し、対応に遅れないようにしたい。

 

4月20日(金) 科学技術リテラシー企画推進会議

  

21世紀の科学技術リテラシー像

 

~豊かに生きるための智~プロジェクト
 

続きを読む

折り紙名人は国際知財活動をする弁理士

世界に発信する日本の「折り紙文化」 
 
日米で活躍する国際弁理士・矢口太郎さんにインタビュー
 
 
 
たった1枚の紙からご覧のように新幹線が折れてしまう。  
  
 
これも一枚の紙から折った車 
写真でご覧の作品は、弁理士の矢口太郎さんが作成した折り紙である。
これらはたった1枚の紙からおりあげたものだが、信じられない作品だ。
折り紙の展開図、つまり折り紙の柄は、すべて日本、米国、欧州の特許庁
に意匠登録されたか出願中のものばかりだという。一部は、米国著作権庁
に著作権登録されているという。
折り紙文化とその知的財産については、近く日経新聞ホームページのコラム
「ビズプラス」の「知財で勝つ」に執筆する予定です。ご期待ください。
矢口さんの活躍は「taro's origami studio」でご覧下さい。

2007年04月17日

4月17日(火) 銭其琛回顧録の出版記念パーティ

「銭其琛回顧録 中国外交20年の証言」

(銭其琛著、濱本良一訳、東洋書院)

  出版記念パーティが、17日午後6時30分から、ホテルニューオオタニで開催され、日中の要人が多数出席し盛大な日中交歓会となった。

 詳報は、本サイトの中国総合研究センターでご覧ください。 

2007年04月15日

4月14日(土)  東京理科大学大学院修士論文構想発表会

         東京理科大学大学院 理学研究科 理数教育専攻

修士論文構想発表会 

  修士論文をどのような構想で書き上げるのか。その内容をパワーポイントでまとめ、プリントしたレジメをもとに発表する構想発表会が開催され、見学に行った。

 

 学内の2つの会場に別れて開催されたが、初めて見学してびっくりした。どの院生もパワーポイントを工夫して作成しており、プレゼンテーションのやり方もよく訓練されており、感心した。

 私の研究室の修士論文(専門職大学院ではワーキングペーパーと呼んでいる)の取り組みでも大いに参考にしたい。

 

MIP2期生が「ベトナムの風」を出版

 MIP2期生の東村篤さんが本を自費出版しました。紹介の中身は、このHPの「東京理科大知財専門職大学院」のコーナーにあります。

 ご覧ください。

2007年04月11日

JETROが植物新品種の保護と活用でレポート作成

 JETROが植物新品種の保護と活用のレポートをまとめる

 日本貿易振興機構(JETRO)は、植物の新品種に関する知的財産権の現状と課題をまとめたレポート「植物新品種の育成者権の活用と保護の戦略」を作成し、JETROの農水産情報研究会に加入している約500社に配布した。写真は執筆者の農水産調査課の阿部道太さん。

 

  このレポートでは、育成者権とは何かから始まり、種苗法と品種登録の実際、育成者権の活用戦略と侵害対策などについて現状を取材した内容と解説、将来展望など多岐にわたってまとめている。

 このテーマについてこれまで参考資料や報告書がなかっただけに大変、参考になる内容だ。特に花の国際的な流通機構や侵害の実態などを取材した内容は、ビジネスの現場の空気も伝えていてためになる。

 お問い合わせは、JETRO農水産調査課まで。 

 電話03-3582-5186 Mail:[email protected]

  

 

2007年04月08日

中国総合研究センターのご紹介

 中国総合研究センターは、2006年4月から、独立行政法人科学技術振興機構(JST)に設置されました。

同センターは、中国の科学技術関係の諸団体や機関との相互理解と学術交流を目指す一方、中国の科学技術関係のさまざまな成果を日本に伝えたり、日本の科学技術関係のニュースを中国に伝える役割を担っています。


 

「銭其琛回顧録 中国外交20年の証言」

 本書は、1982年から2003年まで中国外交の中心にいた銭其琛 氏の回顧録であるが、すでに数カ国語に翻訳されている。今回、日本語訳として出版されたもので、翻訳を担当したのは読売新聞調査研究本部主任研究員の濱本 良一氏である。濱本氏は2回にわたって北京支局に駐在した国際記者であり、銭氏が外務大臣をしていた時代からお互いに知り合っていた。

  銭氏が外務大臣として活躍した時代、世界はIT産業革命に突入した時代であり、特に2000年をはさんで中国が急激に発展した時代でもある。銭氏が世界各 国を回って中国外交を展開したその詳細な記録がそのまま著書となったもので、外交史の観点からも貴重な文献になるだろう。

  昭和天皇が崩御して大喪の礼が行われたとき、銭氏は中国を代表して大喪の礼に参列したが、実はその直前に竹下首相の先の大戦に関する国会答弁をめぐって、 日中間には重大な外交障壁が持ち上がっていた。昭和天皇に戦争責任はないとする竹下首相の答弁に対し、中国政府が激しく反発したものであった。

  銭氏は、そのときの日中政府間の対応と中国政府の判断を解説しながら、弔問外交の舞台裏を生々しく再現している。またこの時に23年間にわたって中断して いた中国とインドネシアの関係を回復させたインドネシア大統領との会見も記している。弔問外交の成果として高く評価されたものだ。

  銭氏は日本語版の出版にあたって冒頭で特に序文を書いているが、その中で「中国のいにしえの聖賢たちは、仁と義をよりどころにすれば、道は人を遠ざけるこ とはないと説いている。誠意と真心で正しい方向に絶えず進めば、われわれは崇高な目標に近づくことができよう」と説き、日中友好の発展を希望している。

 銭氏は日本の政治家とも深い交流があり、この日のパーティには、海部俊樹、羽田孜の両元首相、河野洋平衆院議長、福田康夫、中山太郎、山崎拓氏ら政界の大物が顔をそろえるなど盛大なお祝い会だった。

 著者の銭氏も当初から出席の予定だったが、手術を受けた後であるため海外旅行を医師団に止められており、やむなく来日を断念し、日中友好発展を望むメッセージを寄せ、これを王毅中国大使が読み上げた。

 

「創英ヴォイス」「創EI VOICE」

 

 「ソウエイヴォイス」が50号一歩手前 ということは「49号」を発行 

  創英国際特許法律事務所(長谷川芳樹所長)の機関誌「ソウエイヴォイス」の49号が手元に届いた。知財情報だけでなく、ソウエイ集団の個性が様々な形で集約されている面白い雑誌である。その中でも冒頭に掲載している「視点」は長谷川所長が書いている主張・論評である。

 今回、長谷川所長は「職務発明の対価は本当に必要 か?」、「大学知財の先覚者たち」、「中小企業待遇の新しい仕組み」、「失われつつある実務習得の環境」の4題話を書いている。どれも主張点がはっきりし た意見公開であり、読み手にはなにがしかの感慨を抱かせるものだが、その中でも中小企業の優遇対策については特に共鳴した。

 長谷川所長は「出願公開制度の実質的廃止」を提示し ている。中小企業には、出願と同時に審査請求をすることを条件にして、出願公開を待たないで審査を終了するというものだ。これによって、特許権を得られな かった出願案件については、公開前に出願を取り下げられるので、世間に知られることがなくなる。中小企業にとっては、たとえ特許にならなくても、心血を注 いで開発した自社技術が公開されないことになるのは大きな意味がある。

 この制度が実施されても特許制度の基本を曲げるものではないと長谷川所長は言う。今の公開制度は、もともとは特許庁の審査が遅いことに起因しているものだからだ。

 「ソウエイヴォイス」には、内外の知的財産に関する実務上の解説や調査ものが掲載されているだけでなく、所員の日々の活動を語るコーナーや趣味道楽の話、クイズなどもあって楽しめる。50号記念特集、たぶん、そうなるであろう次号を期待している。

 

 

2007年04月07日

4月7日(土)

 07年度の馬場研がスタート

 今年の馬場研メンバーは5人の精鋭でスタートを切りました。メンバーは、有馬徹さん、押久保政彦さん、佐藤貴臣君、小國聡美さん、渡辺彩さんです。このうち有馬さん、押久保さん、小國さんは社会人です。

 級長は押久保さんに依頼しましたが、昨年の丹波さんに続いて押久保さんも弁理士です。ワーキングペーパーは、06年度に劣らず素晴らしいものが出てくると期待しています。

 

4月3日(火)

 

 「知財紛争 トラブル100選」(梅原潤一編著、三和書籍)

 弁理士の的場成夫先生か ら贈呈されたこの本は、実務に役立つ100の知財紛争を事実の概要、判例の要旨、解説という3つのカテゴリーで簡潔に提供している本である。知財の判例集 はいくつか出ているが、法的論拠に偏っているために初心者には難解なものであり、とっつきにくい。

 この本は、アルプス電気株式会社の技術法務部のスタッフのみなさんや特許事務所の弁理士たちが手掛けたものであり非常にわかりいい。判例は特許法、意匠法、商標法、著作権法、不正競争防止法の代表的な事例を取り上げており、ためになる。

 的場先生は、知財の知識普及にも熱心な先生で、ウエブサイトでも役立つ情報を発信しているので是非、こちらもお勧めしたい。

 的場先生のサイト

 

2007年04月03日

3月27日(火) 岐阜大学

 岐阜大学の経営協議会 

 岐阜大学(黒木登志夫学長)の経営協議会委員を委嘱されており、今年度の会議に出席した。国立大学が独立行政法人に移行するにしたがって、外部の有識者の意見を経営にも取り入れ、より機能的に大学を経営していくために設置された組織である。

 議事は19年度の計画と予算、組織規則の制定や学則 の改正などであり、大学経営の現状を知るためには非常にいい機会である。その内容についてはここでは触れることはできないが、一言で言うと岐阜大学は非常 に意欲的に改革に取り組み、着実に研究実績もあげるなど地方大学のモデルになっている。

 近隣には名古屋大学、名古屋工業大学などもあって、厳しい競争が強いられているが、身の丈をわきまえた大学経営は他の地方大学にとっても参考になるだろう。

 高い満足度を示した意識調査結果

 岐阜大学では教職員、学生、院生に対し、意識調査を 行い、経営協議会でその結果が報告された。その中で注目したのは学生の満足度調査である。たとえば「あなたは昨年度の設定した学修達成目標を達成できたで しょうか」という設問に対し、「達成できた」が31%、「ほぼ達成できた」が41%で、あわせると72%だった。

 「あなたは大学の卒業後の進路について考え、そのた めの行動をしていますか」との設問に対しては、「進むべき方向を決定し、そのために必要な行動をとっている」とした学生は42%、「進むべき方向は決定し てるが、そのための行動はしていない」とした学生が20%だった。進むべき方向を決定している学生は62%である。

 これを多いとみるか少ないと見るかは見解の分かれる ところだが、是非、他の大学の学生の意識調査と比べてみたい。そのほかの設問では、大学の施設、教育機材などの満足度を調べているが、普通以上とした学生 が70%近くであり、シラバスの整備状況についても普通以上とした学生が76%あった。

 私はこれまで岐阜大学とは何の縁もゆかりもなかった が、委員になって以来、岐阜大学の陰の支援者になってしまった。学術研究などの活動や、大学の知財本部の活動状況などについても、岐阜大学の状況を気にし てみており、活動が活性化するのを聞いたりみたりすると嬉しくなる。「頑張れ!岐阜大学」である。

 

               
                               
               
             

                           

                   
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2007年3月のアーカイブ

                               
                 

2007年03月 アーカイブ

2007年03月06日

馬場研掲示板開設

馬場研究室掲示板


 馬場研究室の掲示板がスタートしました

 馬場研究室に所属する院生だけが利用する掲示板を設定しました。

 1期生の姜真臻(キョウ・シンシン)君がセットしてくれたものです。

 利用方法

 ブログの馬場研究室開設から→馬場研究室掲示板に入ってください。

 入る時は共通のPWが必要です。

 次の画面で、各自の情報などを書き、「書き込む」をクリックしてください。プロフィールはブランクでもOKです。

 次の画面が出たら、下のほうに見える画像・動画を投稿せずに完了をクリックしてください。画面が出ると、自分の書いた文章が確認できます。

 馬場研の諸君の連絡、情報交換など皆さんで自由に使用してください。不特定多数の人が使用するような掲示板にすると、ルール違反のケースが出てくる可能性は高いので、MIP馬場研だけに限定しました。

 ただし、MIPなどの友人などで利用したいという人がいれば、歓迎しますので皆さんの責任内で加わるように裁量してください。

 以上です。

 馬場錬成

               
                               
               
             

                           

                   
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2007年2月のアーカイブ

                               
                 

2007年02月 アーカイブ

2007年02月25日

執筆活動

 このサイトは、日常的に執筆している活動を記録するコーナーである。

2007年02月24日

2000年以降に発表した論文などのリスト

「中国の知的財産権の現状と将来展望」   「改革者」 2007年7月号

「給食の地場産物、食文化を育む」 「時事評論」2007年6月号

「知財フロントランナー回想録 知財の取材現場で知った産業構造の激変」 「ライトナウ」2007年4月号

「地域団体商標 地域に夢与える制度に」 朝日新聞「beword」2006年4月29日 

「キヤノンのインクカートリッジ訴訟事件 消費者感情として疑問が残る逆転判決」 「エコノミスト」2006年3月14日号

「知的財産侵害 ますます巧妙、悪質化。ホンモノ駆逐する中国ニセモノ展示館の仰天コピー商品」SAPIO 2006年4月12日号 

「物理学校」余話―明治時代の理系白書 「科学ジャーナリスト会報」2006年5月

 「知財立国への制度改革とその成果」                                                                          オペレーションズ・リサーチ Vol.51 No.8 2006

「中国の科学技術と研究現場の現状 国家戦略で急進展、先進国を急追」 時事評論 2006年11月号

「大丈夫か旭化成のものづくり」 A-SPIRIT MARCH

「知識社会の到来に横たわる日本の課題」 Science & Technology Journal Apr.2005

「知財立国への途」 「経済人」2005May 

「知的財産推進 時代先取りする施策必要」 読売新聞「論点」2005年7月6日

「国立大学の法人化と学術研究の推進 学術研究か教育かー身の丈に合った大学経営が重要だ」

 日本学術振興会 「学術月報」 2004年4月号 Vol.57 No.4  

 

〔2000年以降の主な論文、評論など〕 

「臨界事故の背景に横たわる安全意識と経済性」

       「エネルギーレビュー」 2000年4月号(P18-21)

 

「IT産業革命と日本のもの作り」 

       財団法人日本立地センター「産業立地」 2001年10月号(P9-13)

 

「情報とモノが求めるスピード」

       「NOVA」特別号 Vol.14 2000年

 

「ものづくり再生への道」

         「経営者」 2001年1月号 

「IT産業革命と日本のもの作り」 

         社団法人日本ロボット工業会 「ロボット」 2002年1月号 (P17-22)

 

「急進展する技術革新と特許重視の研究活動への期待」 

       日本学術振興会 「学術月報」 2002年1月号 Vol.55 No.1 (P32-34)

 

「大丈夫か 日本のもの作りーIT産業革命が製造業を変える」

       「東経連」 2002年4月号 

「日本の研究現場で席巻する外国製装置類を奪い返そう」

       月刊「エネルギーフォーラム」 2002年12月号

  

「日本の知的財産戦略」

       関西社会経済研究所レポート 2002年12月号

 

「我が国の科学とノーベル賞-利根川進先生の業績」 

 日本学術振興会 「学術月報」 2002年3月号 Vol.55 No.3 (P34-35)

 

「どうなる日本のもの作り」

       「産業立地」VOL.41 No.4 2002年4月号

 

「ブロードバンド時代のIT・金融・グローバル競争戦略」

       中央大学経済研究所研究会報 2002年5月31日発行

 

「知的財産立国へ改革急げ」

       読売新聞社論点 2002年10月30日付け

 

「科学技術創造立国へ求められるもの」

       「公明新聞」文化欄 2002年11月15日付け

 

「人間探検[35] 飯島澄男(NEC特別主席研究員、名城大教授)―ナノに潜む宝を発掘するノーベル賞候補者」

       「エコノミスト」誌 2002年12月8日号

 

「ジャーナリストから見た日本の知的財産」

 日本学術振興会 「学術月報」 2003年1月号 Vol.56 No.1 (P63-65)

 

「知の時代を勝ち抜く中小企業」-「知的財産を生かすための企業戦略」

       あさひ銀総研レポート 2003年2月号(P6-11)

 

「日本人にノーベル賞のチャンスがめぐってきた」

―3年連続受賞の快挙はまぐれではないー 

「JISTEC-Report」 2003年Winter Vol.46(P3-7)

 

「拡大する中国のニセモノ製造―転換迫られる産業技術の競争力」

                     「素形材」 2003年5月号

 

「日本を再生する第四次産業」

        「公明新聞」文化欄 2003年6月13日付け

 

「中国社会に見た第三次産業革命」

        「サイエンス&テクノロジー ジャーナル」2003年10月号

 


 

2007年02月23日

「弁理士受験新報」コラム・羅針盤

 法学書院の発行する「弁理士受験新報」のコラム「羅針盤」を執筆しています。

 弁理士試験の合格を目指して受験勉強をしている多くの方々への励ましになりそうなことや、知財現場の課題について少しでも役立つような情報を取り上げています。

著書

[著書]

《児童書》

「帰ってこいよ東京っ子サケ」(偕成社、1988年)

「母さんのじん臓をあげる」(偕成社、1989年)

 

《外国で翻訳出版された著書》

「腸内細菌」(中国語翻訳、台湾・青春出版社、1997年)

「ノーベル賞100年」(韓国ハングル語翻訳、2003年)

 

《中国関係》

「中国ニセモノ商品」(中公新書ラクレ,2004年)

「変貌する中国の知財現場」(共著、日刊工業新聞社、2006年)

 

《科学啓蒙書》

「人間この不可思議なもの」(共著、読売新聞社、1971年) 

「北の新博物記」(共著、太陽出版、1975年)

「恐竜の証言」(グリーンアロー社、1977年)

「サケ多摩川に帰る」(農山漁村文化協会、1985年)

「人体スペシャル・レポート」(共著、講談社ブルーバックス、1987年)

「科学面白トビックス」(講談社ブルーバックス、) 

「腸内宇宙」(健康科学センター、1992年)

「C型肝炎と閾う」(講談社、1996年)

「発想のタネになる科学の本」(講談社ブルーバックス、1997年)

「ノーベル賞の100年」(中公新書、2002年)

「物理学校」(中公新書ラクレ、2006年)

 

《知財関係書》

「やさしい知的所有権のはなし」(法学書院、1998年)

「知的創造時代の知的財産」(共著、慶應義塾大学出版会、2000年)

「大丈夫か 日本の特許戦略」(プレジデント社、2001年)

「知財立国 日本再生の切り札100の提言」(共著、日刊工業新聞社、2002年)

「特許戦略ハンドブック」(共著、中央経済社、2003年)

「知的財産権入門」(法学書院、2004年)

「新・特許戦略ハンドブック」(共著、商事法務、2006年)

 

《産業技術・産業構造関係書》

「技術革新と労働運動」(正村公宏編著、現代総合研究集団、1983年) 

「大丈夫か 日本のもの作り」(プレジデント社、2000年)

「日本のモノづくり52の論点」(共著、日本プラントメンテナンス編、2002年)

「大丈夫か 日本の産業競争力」(プレジデント社、2003年)

 

《その他のジャンル》

「高校紛争の記録」(共著、学生社、1971年)

 

学校給食

 全国学校給食甲子園のホームページ 

 http://www.kyusyoku-kosien.net/

 21世紀構想研究会は、教育活動の一つとして、食育推進計画の啓発と学校給食の重要性を世の中に広げるため、2006年11月から「全国学校給食甲子園」を開催しています。

 高校野球の甲子園大会にあやかって、学校給食の献立の全国コンテストを展開するもので、第1回大会には全国の学校給食の1514調理場が参加して、東京で盛大に開催された。

 第2回大会も2007年11月3日、4日に東京で決勝大会が開催される。

 
 

東京理科大学知財専門職大学院・馬場研究室

 阿倍道太さんの結婚披露宴

 研究室の阿部さんが、2007年3月4日、結婚式を挙げ、引き続いて披露宴を開催しました。JR目黒駅近くの邸宅風の会場ですが、整備されたお庭も素晴らしく、新郎新婦の手作りによる楽しく和やかな、大変印象深い披露宴でした。 

 


 

 

 馬場研究室は、平成18年度に初めて研究大学院生7人を迎えて、知財プロジェクト研究を行った。

 7人の内訳は、3人が学部から進級してきた院生で、残り4人は社会人である。それぞれのテーマを掲げて1年間かけて修士論文に相当するワーキング・ペーパーを書き上げた。

 その院生とテーマを次に紹介したい。

 


 

平成18年度修士論文

 

2006 年(平成18年度)の馬場研究室の院生は、7人だった。社会人院生4人、学部院生3人であり、いずれも知財のプロを目指す優れた院生ばかりだった。その7 人の修士論文(専門職大学院ではプロジェクト研究ワーキング・ペーパーと呼んでいる)のテーマは次の通りである。 

 

阿部 道太

 「植物新品種の育成者権保護・活用の戦略に関する研究」 

 

姜 真臻 

「多国籍企業のR&D活動から見た中国の科学技術政策戦略

            -上海張江ハイテクパークのケースについてー」 

 

杉山 忠裕 

「中国における模倣品対策から見た中国での市場戦略に関する研究」

 

 丹波 真也

 「先使用権制度を活用した知財戦略の有効性に関する研究」 

 

土屋 輝之

 「サプライヤー特有の開発成果保護に関する問題点並びに連携

 リスク回避のためのADR活用の可能性に関する考察-自動車業界

 に見る連携のリスクを中心に-」 

 

柳 勝人

「オープン・イノベーションにおけるデスバレーの克服」

 

IP NEXT コラム

 1965年から読売新聞社で取材記者を続け、2000年11月からは、フリーのジャーナリストとして執筆活動を行ってきた。

 取材した成果は、出版物として出したり、インターネットのコラム、新聞、雑誌などでも多くのコラム、論評を発表している。

 またテレビ、ラジオへの出演も多く、テーマはノーベル賞、知的財産権、学校給食などである。


 「IP NEXT」コラムには、「知的財産創出の現場」のタイトルで、ベンチャー企業の創業者とのインタビュー取材を掲載している。

 取材をしていつも感じるのは、日本には世間ではほとんど知られていない人物でも、もの作りに優れた才能を発揮する人材があちこちに存在しているという事実である。日本人の優れた創意工夫は、このような人々によって支えられていることを知らされる。

 

 

2007年02月22日

食トピックス

全国の学校で広く読まれている「学校の食事」(学校食事研究会発行)のコラム「食トピックス」に連載を始めたのは、2001年4月号からです。

それ以来、毎月、さまざまな食べ物についてエッセー風のコラムを書いてきました。読者が学校給食関係者が多いので、なるべく給食に関係したことに触れたいと思っています。

私が理事長をしている21世紀構想研究会では、2006年から

「全国学校給食甲子園」(www.kyusyoku-kosien.net/

を開催し、全国の学校給食の献立を競う大会を開催しています。

これは政府が推進している食育政策とも連動した社会活動です。

「食トピックス」の固定読者も増えており、反響が来るのが楽しみです。

2007年02月21日

21世紀構想研究会についてご紹介

 21世紀構想研究会

 わが国が、知的基盤の強固な研究現場と産業振興の技術革新を実現し、真の科学技術創造立国を確立するため、適宜、研究テーマを掲げて討論する場として、1997年9月26日、21世紀構想研究会はスタートしました。

 研究会の会員は、主としてベンチャー企業、行政官庁、大学、マスコミの4極から参加し、毎回、活発な議論を展開して来ました。

 研究会で得られた成果を社会に訴えて啓発をはかりながら、国の政策にも結びつくように活動するという目的も、回を追うにしたがって明確となり、政府審議会のパブリックメントなどにも積極的に発言するようにしています。

 研究会は、2000年7 月に東京都から特定非営利活動法人として認められ、さらに生命科学委員会(東中川徹委員長)、産業技術・知的財産権委員会(生越由美委員長)、環境・エネ ルギー安全委員会(千葉英之委員長)が下部組織として設立され、適宜テーマを定めて活動を続けています。

 まだ世に知られていないベンチャー企業の優れた技術を、研究会を通して広く認識してもらったり、これまであまり接点がなかった中央行政官庁の官僚との交流を通じて、政策への提言をすることも活動の一つにしています。

 会員数は現在約100人 であり、アドバイザーとして、荒井寿光・内閣官房知的財産戦略推進事務局長、安西祐一郎・慶應義塾長、黒川清・日本学術会議会長、利根川進・MIT教授、 吉川弘之・産業技術総合研究所理事長の方々にお願いし、適宜、活動への助言をいただいています。

日経bizコラム

日経bizコラム

 日本経済新聞のインターネットコラムの「ビジネスコラム」(略称・ビズコラム)に、2002年9月13日から連載を開始しました。

 知財現場のさまざまなテーマを書いていますが、固定読者も多く反響もあります。読者の関心が深いのは中小・ベンチャー企業の知財活動ではないかと思います。

 これからも、興味あるテーマを追い求めていきますので、よろしくご支援をお願いします。

中国総合研究センターのご紹介

 中国総合研究センターは、2006年4月から、独立行政法人科学技術振興機構(JST)に設置されました。

同センターは、中国の科学技術関係の諸団体や機関との相互理解と学術交流を目指す一方、中国の科学技術関係のさまざまな成果を日本に伝えたり、日本の科学技術関係のニュースを中国に伝える役割を担っています。

東京理科大学知財専門職大学院の紹介

東京理科大学知財専門職大学院

東京理科大学知財専門職大学院は、2005年4月から、日本で最初の知的財産専門職大学院として設置されました。

この専門職大学院は、知的財産に関する実務的な知識を習得するために学ぶ大学院であり、院生の3分の2は社会人、3分の1が学部からの進級生となっています。

また、教師の多くは企業で長い間知的財産権を扱う部署にいた方や弁護士、弁理士などである。いずれも知的財産の専門知識を持ったその道のプロである。


 MIP院生の東村篤さんが「ベトナムの風」を出版

   

 東村篤さんは、岡三ベンチャーキャピタル株式会社の投資部長をなさっている現役バリバリの知財人材である。日本広報学会、日本知財学会、日本ベンチャー学会、日本モノづくり学会など多くの学会に所属して精力的に活動を展開している。

 今回は、今年の3月にベ トナムを訪問し、1週間にわたって見聞してきた内容を政治、経済、社会、歴史、民俗などの視点から多角的にまとめている力作である。ポスト中国としてにわ かに脚光を浴びてきているベトナムだが、日本企業が進出するには、多くの課題が横たわっているようだ。

 この本は生きた教材であり、東村さんの社会活動の立体的で広角的な視点が存分に発揮されている。


 

平成18年度修士論文

 

2006 年(平成18年度)の馬場研究室の院生は、7人だった。社会人院生4人、学部院生3人であり、いずれも知財のプロを目指す優れた院生ばかりだった。その7 人の修士論文(専門職大学院ではプロジェクト研究ワーキング・ペーパーと呼んでいる)のテーマは次の通りである。 

 

阿部 道太

 「植物新品種の育成者権保護・活用の戦略に関する研究」 

 

姜 真臻 

「多国籍企業のR&D活動から見た中国の科学技術政策戦略

            -上海張江ハイテクパークのケースについてー」 

 

杉山 忠裕 

「中国における模倣品対策から見た中国での市場戦略に関する研究」

 

 丹波 真也

 「先使用権制度を活用した知財戦略の有効性に関する研究」 

 

土屋 輝之

 「サプライヤー特有の開発成果保護に関する問題点並びに連携

 リスク回避のためのADR活用の可能性に関する考察-自動車業界

 に見る連携のリスクを中心に-」 

 

柳 勝人

「オープン・イノベーションにおけるデスバレーの克服」


21世紀構想研究会ー旧バージョン

第116回・21世紀構想研究会の報告

第116回・21世紀構想研究会の報告

 

「荒井寿光さんの叙勲をお祝いし知財現場の課題について語る特別講演会」

2015年1月29日(木)午後7時からプレスセンタービル9階大宴会場で開催され、約40人が出席して楽しい講演と意見交換が行われました。

荒井さんの特別講演タイトルは「特許人生・知財人生 これからの知財を考える」でした。

日本でただ一人「知財評論家」を名乗る荒井さんは、特許庁長官、通商産業審議官、内閣官房知的財産推進戦略事務局長などを務められるなど、1996年から日本の知財立国のためにご尽力されてきました。

 官界での長年の功績により、2014年秋の叙勲で「瑞宝重光章」を受章されました。今回は、21世紀構想研究会の皆さんで叙勲のお祝いをし、荒井さんにはこれまで活動してきた知財人生を振り返っていただきながら、日本の知財の課題と将来展望を提示していただきました。

 荒井さんは1996年に特許庁長官に就任し、それまで停滞していた特許行政の改革に取り組み、日本に知財立国の実現に初めて取り組みました。講演会では長官に就任後に気が付いた特許行政の「伝統」を打ち破るために特許庁新設運動を開始。特許庁は従業員2500人、売上1000億円規模のサービス産業と位置づけ、それまでの国家権力を付与する「お上意識」を献上するように改革しました。

 知識社会を迎えて知的財産が非常に重要になったことを啓発する多くの講演を行い、多数の著書も世に出しました。行動する長官として産業界からも歓迎され、その後、内閣官房知的財産戦略推進事務局長に抜擢されました。

 このような経歴の中で活動した日々のことを振り返りながら、日本の知財現場に横たわっていた問題が今なお未解決、未改善のままにあることをとらえ、さらにそれを解決・改善する道筋まで示しました。

  分かりやすいパワーポイントを駆使し、会場と双方向の講演であり、聴く人の興味を引き出す手腕はいつもの「荒井節」で魅了させました。話題は工業製品の特許に限らず、医療、農業、クールジャパン、模倣品対策など多角的な話題に広がりました。

 荒井さんは近々「知財立国が危ない」という本を日経新聞から出版します。この本には、日本の知財課題を出すだけではなく、解決策を具体的に書き込んだ本です。

 荒井さんのパワーポイントは、伏字がところどころにあり、フロアの聴衆も一緒に考えるように工夫しています。これがただ聴くだけの立場から一緒に考える立場になり、講演会を一層盛り上げる効果になっています。

 講演会の後は、荒井さんの叙勲をお祝いするセレモニーに移り、記念品贈呈からお祝いスピーチなど最後まで楽しい研究会でした。

                     

第115回・21世紀構想研究会「忘年パーティ」報告

    

 第115回・21世紀構想研究会「忘年パーティ」報告

 今年の忘年パーティは、12月11日(木)午後6時半から開催され、多数の参加者でにぎわいました。
 第一部は、黒木登志夫先生の「パタゴニア紀行」の講演でした。すでにパタゴニアの大自然を伝える前触れを送付しておりましたので、みなさん楽しみにしていました。

 ところが黒木先生は、意表を衝いて冒頭からまったく別の話を始めました。世の中には指数関数とべき乗関則があることを説明して、地震の発生規模や戦争の死者数が指数関数に合致していることを示しました。

 続いて加齢とともにべき乗則で増加する がん、心筋梗塞、脳卒中の年齢別死亡グラフを示して高齢者の多いフロアの参加者を震え上がらせました。60歳を過ぎると急激にこの3大成人病で死亡する確率が上がっていくのです。

 黒木先生の分析によると、60歳から1年刻みで9-12%の死亡リスクが上昇するというのです。特に70歳を過ぎた人にとっては、1年間無事に生きることがどれだけ大変かという統計分析を示されたもので、人は必ず死に向かって歩を進めていることを示してくれました。

 ま、このショックも一晩寝て翌日にはほぼ忘れているので、無事にまた生きていけるのでしょうか。

 パタゴニアの自然はAricaから200km地点にある 最高地点標高4660mまでを紹介されました。途中の景色は雄大ですごいの一言でした。双子富士とか高地の動物たち、土産物屋の風景など一度は行ってみたいパタゴニアですが、簡単には行けないでしょう。

 第二部は、恒例の楽しいパーティです。黒木先生のパタゴニア紀行にちなんで、南米ワインを楽しみました。

 第三部は、これまた恒例の「合原さんちの有機野菜即売会」でした。有機野菜栽培でとれたし新鮮な野菜の数々を販売しましたが、どれもこれも好評でした。

  第114回・21世紀構想研究会
      
第114回・21世紀構想研究会 

「どうする日本の地方再生と企業経営」

日本の価値最大化に求められる重要課題

いまそしてこれまでの延長線上に日本の未来はない

株式会社・Aurea Lotus CEO 柳下裕紀   

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 学生時代、女性を輝かせてくれる社会でないように感じていたので、男女区別なくフェアな扱いをする外資系企業に入った。それから30年経ったが、日本社会はまだ女性を輝かせていないように感じる。 

 日本はなかなか変わろうとしない。息苦しさがある。アベノミクスが2012年末からスタートして13年4月に第1弾そして最近、第2弾を施策しているが、実態経済がおかしいと感じている。

 消費税の増税でインフレを実現するという。アメリカの金融緩和は日本と違う。リーマン ショックのときは、アメリカの金融機関は非常に深刻だった。モラルハザードを度外視せねばならないほど緊急だった。日本は、リーマンショックのときは金融 が重症でなかったが金融緩和してきた。

 白川前日銀副総裁のとった金融政策は教科書的にも正しい。効果がまったくなかったわけではない。 いま、企業は簡単に設備投資できない。将来的にも、設備投資は回らないと白川さんは強調していた。

 いまアメリカのFRBは金融緩和が直接経済を回復させるとは言っていない。日本は社会保障費をどうするか大きな問題だが、公共投資をしている。民間に出すべき金が、利益を出さないものに投資している。 

 株高を演出し、下品な表現になるが「シャブづけ」にしているように感じる。白川前日銀総裁 は、ちゃんと仕事をしていた。黒田総裁になってマネタリーベースを増やしても、銀行が世の中に放出するストックベースが全く増えない。日銀当座預金が増え ても貸出残高は増えていない。銀行が放出しないのでデフレを解消していない。 

 フィッシャーの貨幣数量方程式に当てはめても、日銀方針がおかしいことがわかる。(通貨の 総量)×(貨幣の流通速度)=(物価水準)×(財・サービスの取引量)=GDP この方程式の中で日銀がいくらお金を供給しても銀行にお金がたまっていれ ば、貨幣の流通速度はゼロになる。

 貨幣の流通速度や財・サービスの取引量を決めるのは国民だが、雇用に不安があり生活防衛で買い物をしなければ、この方程式はうまくいかない。  銀行がお金を出す、国民がお金を使う、そしてGDPを決めるのは国民だが生活防衛でお金を使わないのでは成り立たない。

  日銀は、短期国債を償却額の上回る金額で市場から買い入れている。マネタリーベースの増 加が政策目標なので国債買い入れが目的化している。損失覚悟で額面を上回る高い価格で落札し金融機関にプレミアムを付けている。 コストはすべて国庫納付 金から出るのでつけは国民にくる。

 日本は総事業所数の91パーセント、雇用者の84パーセントが非製造業である。輸出依存も15パーセント以下の内需大国である。この60年間、日本の輸出依存度は10-15パーセントである。円安になっても一部の輸出企業が潤うだけである。

 消費税のアップは、経営に対する中立性が欠如した弱いものいじめである。人口減少が進めばお金を使う人数が減るのだから一人当たりの使う金額を増やすために減税しなければならないのに増税している。内需の減少は、所得税、法人税など他の税収も落ち込むことになる。

 これこそ天下の愚策だ。

  かつて超円高水準の中で輸出を倍増させていた。バブルのころ42兆円でありリーマン ショックの前には80兆円台になっていた。日本の企業の競争力はものすごく強いからもっていた。 円安になったらその特質を生かす政策をしなければならな い。観光業の伸びしろはまだ大きく、外国から呼び込む観光客の総数はモロッコと同じ程度の観光産業である。これを活性化しなければならない。

  国内の旅行効果だけでも30兆円ほどあり、雇用者も460万人を生む。海外から旅行者を呼び込めば、高齢者の活用の広がりも出るし外国人の消費は国内減退の補完になる。必要な施策は規制緩和、許認可制度の改善、新規ビジネスのアイデアを積極的に採用するなどがある。

  カジノで国を救うなんて懐疑的だ。経済効果に疑問符をつけたい。日本はギャンブル大国であり24兆円の市場規模がある。カジノで4000億円の収入があっても小さい。

  世界は今カジノ離れでありマカオも不況だし斜陽産業だ。ラスベガスはカジノだけではな い。子供、家族も楽しませるデザインと洗練されたビジネスメソッドになっている。政府は経営しないでテナント料を取るだけだ。債権管理能力をどこに任せる のか。地方振興になるわけがない。

  地方再生の要諦は、外部の力や財源に頼らず、地元の人、モノ、金、文化を最大限活用する ことだ。地元を最大限活用して地域住民を巻き込むことだ。自立して稼ぐことしかない。 たとえば清酒造りは日本の風土そのものだ。日本酒造りは独自に磨き 上げられたワザである。並行複発酵は日本独特のものだ。日本人だけが麹菌を発見した唯一の民族だ。

  発酵が進むとアルコール度が高くなる。水がおいしい場所でないと酒が造れないし日本の風土とあっている。日本酒を水で薄めたりシャンパンにしたり自由度の高いお酒である。日本が伝統として持っている酒の資源を大事にすることだ。

  海外20か国に日本酒を出している桜井博志さんは、巧みなブランド戦略と明確なコンセプトで成功している。「日本酒の伝道師」である長谷川酒店の長谷川浩一社長は、全国の酒蔵200以上をめぐり、知られていない地酒を発掘し、常時800種の銘柄を取り揃えている。

  いま進行中のTPPを恐れず、外へ攻めて出ることを考えよう。円安の弊害を緩和して外へ攻めることを考えよう。良質なコメをアメリカに売り込むチャンスだ。将来の人口年齢層別分布の推移を見てもアメリカが成長することは間違いない。 

 四国には徳島県上勝町の過疎化・高齢化を強みに転換した株式会社いろどり、伊予現代町家のコンセプトで施工まで請け負う建築事務所の株式会社コラボハウスなど、多くの成功事例がある。

  愛媛の今治造船も大手海運企業、造船所、荷主、保険会社、船舶部品メーカー、銀行などと連携した独自のビジネスを築いて成功している。このような成功例を見習い、日本の再生に取り組むことが重要だ。 

第112回 21世紀構想研究会の報告 

第112回 21世紀構想研究会の報告   

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  第112回・21世紀構想研究会は、9月17日に開催され、科学技術振興機構(JST)特別顧問、日本・アジア青少年サイエンス交流事業(さくらサイエンスプラン)推進室長の沖村憲樹氏が「アジアからなぜ2600人の青少年を招へいするのか」とのタイトルで、さくらサイエンスプランの事業について講演した。

  講演後に活発な議論が行われ盛会だった。

 沖村さんは、JSTの理事長時代から中国に関心もち、将来は中国が世界の大国へと成長することを予想し、JSTに中国総合研究センターを創設した。そして中国の科学技術の文献データベースを構築し、中国との学術交流を始めた。   

 小泉政権以降の日中の友好関係は必ずしも良好ではなく、日中両国の国民が相手国への印象をよく思っていないことが、各種の世論調査でも出ている。たとえば、最近のNHK世論調査でも日本人(93.0%)、中国人(86.8%)ともに9割前後が「(相手国に)よくない印象をもっている」との結果が出ている。   

 こうした結果から、両国の特に若い世代が直接顔を合わせて交流する機会を作るべきとの考えを持つようになった。交流には国同士というのではなく、民間交流、草の根交流であるべきとの考えから、政府機関はこの交流を支援する立場で行うことにした。  

 また、当初は中国だけに特化した交流にしたかったが、下村文部科学大臣らの助言・指導もあり東アジア14カ国・地域の青年を招へいするプランに切り替え、名称をさくらサイエンスプランと付けた。   

 さくらサイエンスプラン事業は、大学や企業からの公募を採択する①公募計画コースと、JSTがすべて企画・実施する②高校生特別コースを実施している。高校生特別コースはすでに8か国の高校生281人の招へいが終了した。これらの高校生は例外なく感謝し、日本の科学技術の先端研究を評価し、将来は日本へ留学したいとの希望を持って帰国していった。  

 公募計画コースは、全国の大学・研究機関で現在進行中であり、アジア各国の大学生らが日本の大学、研究機関、企業などを訪問してセミナー、見学、実習、研修に取り組んでいる。 

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これからの交流方法を提案する藤島昭・東京理科大学長
  

 沖村さんは、このような経過を説明しながら、さくらサイエンスプランが具体的に活動しているようすを説明した。 

  活動の交流は、次の2つのサイトから見られる。  

さくらサイエンスプラン公式HP=http://ssp.jst.go.jp/index.html   さくらサイエンスプラン応援サイト=https://www.facebook.com/sspjapan 

 沖村さんの講演後、フロアとの活発な討論が行われ、多くの出席者がこのプランの成功を喜び、今後ももっと充実したプランへと広げていくことなど前向きなコメントが次々と寄せられた。  

                                

震えるほど感動した中国の高校1年生のスピーチ

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 日本政府がアジアの優秀な青年を招へいして科学技術交流を展開している「さくらサイエンスプラン」で来日した中国の高校生第一陣が、1週間の見学や研修を終えて7月26日に無事帰国しました。

  1週間のスケジュールは分刻みの過密でしたが、多くの大学、研究機関、人々と科学技術交流をしました。その報告会が7月25日に開かれ、8人の高校生がそ れぞれの感想をスピーチしました。中でも北京市第11中学校1年(日本の高校1年)の李釣正君のスピーチは、堂々とした態度といいその内容といい聞いてい て感動せずにいられませんでした。

 スピーチの要旨を紹介します。

 「私たち中日は兄弟のように似た国です。中国と日本は漢字や茶の文化など、とても共通するところが多い国です。中日の言葉は似た文字を使っているし顔もよく似ています。よりよく理解するべきですが、実際にはそうではありません。

 似た民族なのにそれぞれが利益を考えて、お互いに怒りが大きくなっており争いが大きくなっています。人々を怖がらせているのが現状です。これには失望を覚えていましたが、今回、新たな希望の光を見たと思いました。

 理化学研究所には多くの中国人が研究者として活動していましたし東大にもいました。研究の成果も共有していました。しかしこれに反対する人がいるかもしれません。

  昨日(7月24日)は、東工大付属科学技術高校の生徒とお昼に交流会がありました。そのときお互いに写真をとり合い、一緒に笑いあいました。彼らは非常に 誠実でした。だから女生徒も心配することなく心を通じて握手をし、友情を素直に示すことができました。これは純粋な気持ちでした。

 30年後、ここにいる高校生は必ず社会で活躍しているでしょう。政治家や科学者になっているかもしれません。各方面で立派な社会人になっているでしょう。  あるいはその時には、国を背負っているかもしれないし、いまの純粋な気持ちが変わっているかもしれません。

 しかし昨日の友情が変わることがないと信じています。

 30年後 科学者になった人は緊密に協力し、すべての国民が純粋な協調をもって二つの国と世界のために貢献することを競い合うでしょう。これからは共同の未来を築くことです。

 それはあなたの未来ではなく僕たちの共同の未来です。」

                                

日本一秋田工場を見学(秋田シンポジウムの後で)

 

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  焼き鳥・うなぎ製造・販売の老舗で、21世紀構想研究会の理事を務めている染谷幸雄さん(日本一ホールディングス株式会社代表取締役社長)が経営する日 本一フード秋田株式会社(齋藤英二社長)の工場を見学した。秋田シンポジウムに参加した21世紀構想研究会のメンバーで総勢20人ほどだった。

 今年の2月に操業開始したばかりであり、ご覧のように見るからに新工場らしくピカピカ。齋藤社長ら社員の皆さんの歓迎を受けてまず工場の会議室で、新工場の経営方針などをうかがった。鶏肉を串刺しにし、冷凍して全国に出荷する工場であり従業員は61人。

 驚いたことに、60人が正規社員で、1人は本人の都合により臨時で就業しているという。染谷社長の方針で、正規社員によるこだわりの製造を実現している そうだ。焼き鳥製造の工場は、日本全国に多数あるが、従業員はほとんどが臨時雇用とかバイトである。しかしそれでは、いい品質の焼き鳥はできないというこ だわりから雇用も正規社員にしたという。

 齋藤社長は、人件費が高くなっているので経営は大変だが、「それを乗り越えて頑張っています」ということだった。工場の中に入ることになったが、そこでまたまた驚いた。 頭のてっぺんから靴まで全て帽子から白衣、マスクなどで完全衛生管理の服装。

 工場内に入る際も、手洗いからエアシャワーでの洗浄など、原発施設と同じような厳格な管理になっている。中に入ると整然と作業台に並んだ社員が手際よく 焼き鳥を串刺しにしている。完全衛生管理であり、しかも手際がいいので、あっという間にケースに入った焼き鳥が次々と冷凍保存されていく。

 その製造工程は自動化されており、手作業は串刺しの行程だけ。これとてできるだけ作業をやりやすく準備しているそうであり、自動化の各種作業設備も開発中という。作業現場の写真撮影は禁止なのでお見せできないのが残念だ。

 見学したあとで、焼きあげたばかりの焼き鳥をいただいたが、これがほっくりした味のいい焼き鳥であり、大満足の見学会だった。

 
 
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会社説明会では齊藤社長から焼き鳥工場の設備内容や経営方針をうかがった。
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秋田シンポジウム速報「跳びだせ世界へ秋田県」

「跳びだせ世界へ秋田県」

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 モデレーター 

橋本五郎(読売新聞特別編集委員、ニュースキャスター、21世紀構想研究会理事) 

パネリスト  

銭谷眞美(東京国立博物館館長、元文部科学省事務次官、21世紀構想研究会顧問)

吉村 昇(東北公益文科大学学長、前秋田大学学長、秋田大学学事顧問)

三浦廣巳(秋田商工会議所会頭、秋田日産自動車会長)

生越由美(東京理科大学知財専門職大学院教授、21世紀構想研究会理事)

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橋本 先に出版された「中央公論」6月号、7月号によると、2040年までに何もしなければ日本の市町村は半分になってしまうという報告が掲載され、大きなショックを与えています。秋田県も同様の減少率で24市町村がなくなると出ています。地方の振興がいま、重要な政治課題になっている。

  ところで安部政権は、1年経っても支持率が下がらない。最近の内閣では非常に安定している。しかし不満がある。地方の再興という政策が成長戦略の中に入っていない。これは大きな問題だ。 

 過去の内閣を見ると、田中内閣、大平内閣でも日本の地方振興という政策を重視してきた。故郷をどうするかという視点があった。これをいま、どうすればいいのか。

 まず大事なことは、いま地方に住んでいる人たちが何かをしようという発想や行動がなければならない。地方の再生可能にするためには自分たちで考えて行動を起こすということが大事だ。

 今日のシンポジウムは、地方再生を考える一つのきっかけにしたい。この秋田に生まれてよかったとするにはどうあるべきか。そのような論議を期待したい。

 それではこのシンポジウムでパネリストの方々に秋田県を活性化する発想でそれぞれの思いを語っていただきたい。地方を活性化するきっかけにしたいと思います。銭谷さんから順にご発言をお願いします。

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  銭谷 昨夜は秋田市に帰り実家に泊まった。秋田で生まれ育ったが、高校を卒業後は、秋田を離れてしまったが秋田を心から愛している。

  本日のシンポジウムのモデレーターを担当している橋本さんは、高校の先輩であり、先年、東京で50年前の秋田の映画「17歳は一度だけ」を観る会があり、 そのとき橋本さんの講演を聞いて感動した。橋本さんは、故郷を思う気持ちを語り母親の話をしたときには会場の多くの人が感動して泣いていた。そのような縁 で、本日のパネリストになった。

  さて、いま私は日本で一番規模が大きく一番古い歴史を持っている博物館の東京国立博物館の館長をしているが、ここには多くの国宝や重要文化財が収納されており、随時展示もしている。

 秋田県関係の重要文化財を調べてもらったところ、縄文時代の土器から始まって江戸時代の秋田城に関する文書、後三年役の絵巻物、佐竹氏の時代まで文書や資料が多く保存されていることを知った。秋田は江戸時代から交通の要衝にあり、拠点になっていたことが分かった。

 さらに当時は鉱山、油田という産業がありそれに関連する化学工業もあった。そのような歴史的な産業や古くからある文化を見直す機会を持つことが大事ではないか。

  吉村 秋 田大学学長から酒田にある東北公益文科大学学長に転出した。鳥海山を見ながら酒田と秋田を往復する生活になっているため、山形県と秋田県を比較するように なった。山形県民は、よく働き競争して活動してきたようだが、秋田は食うに困らない人が多いせいか、のんびりしている。

  秋田大学の歴史を見ても、意欲的に学部を増やすようなことをしなかった。秋田はほんわかした土地であるが、これを考え直す時期になってきた。東京は、オリンピック開催もありさらに一極集中が進むだろう。リニアモーターカーにしても常に東京を中心に考えている。

 アメリカは各地で栄えており一極集中にはなっていない。大震災後の復興も太平洋側が優先的になっているが、日本海側も考えてやらないと均衡ある発展にはならない。

  三浦  このシンポジウムの冒頭に橋本さんから重い発言があった。何もやらなければ、2050年には秋田県の人口が70万人になると言われている。知恵を出してや ならいとこうなってしまう。それではわれわれは、何をやるのか。秋田商工会議所でも、中小企業経営者らと現実をしっかりと認識し、いろいろな課題を話し 合っている。

  企業経営でもそうだが対前年実績を割らないことが一つの目標になっている。しかしそう簡単にはいかない。それでも最低限、これだけはやろうという目標を立 てている。それは人口減少への対応でも同じだ。秋田県の人口は100万人を割らない、減らさないという目標にこだわりを持つことが大事だ。

  人口が増えれば企業が増えるし雇用者が増えることは成長することだ。首都圏一極集中を解消するという構想があったが、いつの間にか消えてしまっている。首都圏に大地震が発生したら甚大な被害が出る。地方に首都圏の機能を分散してリスクを軽減するという考えがあるべきだ。太平洋戦争のときは、都会から地方へと疎開した。これを見習って企業のバックアップは地方へ持っていくべきだ。地方に分散することを考えるべきだ。

  生越 産 業史を振り返ってみると、農業社会から工業社会になりいまは知識社会へと発展してきた。社会の中心価値の変遷をみると、無形資産と有形資産の割合が劇的に 変化した。1978年には無形資産は17パーセントだったものが20年後の1998年には69パーセントになっている。

 昨日から秋田県庁などでご当地の産業や地域ブランドについて取材しましたが秋田県にはたくさんのブランドがあることが分かりました。これを生かす方策がいろいろ考えられると思います。

  世界競争に生き残るためのポイントの一つは、地域にしか存在しないものとか地域に行かないと味わえないもの、地域でしか作れないものなど地域の固有化が要になる。ウエブ情報でみても秋田県には多数の食文化がある。「いぶりがっきー」とか「ぷれすてなまはげ」などユニークな食品も開発されている。

  ポイントの2つ目は、価値と価格の多層化時代を認識して対応することだ。ハンバーガーも100円から2000円まであって、高くても付加価値があれば売れ る時代だ。ポイントの3つ目は、使えるものは全て使うという発想だ。曲げわっぱ、秋田八丈など名品があるので活用方法を広げたい。

 秋田には多くの強みがある。竿灯、なまはげ、かまくら、ハタハタなどや横手市増田町の内蔵など文化資本である地域資源、歴史資源、コンテンツ資源など多数ある。今後の展開によって楽しみな県である。

  橋本 大 変素晴らしいご意見をいただきました。銭谷さんからは、秋田には歴史的に古い文化の資料が多数あることが報告され改めて再認識したものです。一極集中は、 なぜそうなるのか。もう一度私たちは考える必要があるようです。新幹線もすべて東京から始まる。大震災が発生したらいったいどうするのかという課題もあり ます。

  一極集中が改められないと職を求めて多くの人材が東京に行くことになる。雇用の問題を地方で考えると大変な課題がある。いまは、大学を卒業しても正規社員 として就職できない人がかなりいる。これでは若い世代がかわいそうだ。産業界は雇用問題では自分で首を絞めているような感じもある。

  吉村  日本の発展をみると西から発展してきた。東北はどうしても遅れてきた。秋田も工業と農業しかなかった。アメリカは一極集中ではなく、歴史的に分散して発展 してきている。ボストンから始まって北から南へと発展した。シアトル、ロチェスター、ニューヨーク、デトロイトというように産業の種類によっても固有に発 展する都市が変わっていった。

  日本は東京から南へ発展した。半導体の九州、自動車の名古屋という具合だ。山形県には売上100億円以上の企業が数社あるが秋田県にはない。これからは秋 田県の企業で世界へ羽ばたくような企業を育てなければならない。その意味で大学の責任は重い。これからは産学官で連携して発展する時代だ。

  三浦 最近は企業の環境が変わってきた。本社はどこにあってもいいという時代になってきた。日本は中小企業が95%と言われている。秋田は中小企業ばかりだが、一流の技術を持った中小企業が秋田には多数ある。

  秋田はまだまだアピールが足りない。親はどうしても子供の就職先は大企業がいいと思っているが、魅力ある中小企業をアピールしてひきつけることが肝要だ。 商業地の地価を考えると、東京は秋田の36倍も高い。秋田には付加価値を付けて、よりいい地域であることをアピールしていくことが大事だ。

  橋本 今日のシンポジウムの見出しはどうなるか。「東京の一極集中を見直す」とならないか。それには地方は何をなすべきか。東京でなく自分の住んでいる地方都市の魅力を見直し、外から見ても魅力あるものに見えないとならない。

 鳥取県の知事が「わが県にはスタバはないが砂場がある」と語っていた。鳥取砂丘を砂場と言ったものだが、マイナス面と考えないでプラス思考で考えることが必要だ。

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  生越 徳島では刺身のつまに使う葉っぱで収入があがった地域がある。山奥の葉っぱを生かすことで年収がみな1500万円から2000万円になった。こうなると地方に対する若い人の見る目が変わってくる。

 またブランド豚肉を売り出した平田牧場のように、豚作りで独自の産業に発展させている例がある。農業はこれからハイテク化が進むので逆転の発想と成果が出てくることが期待できる。. 

  橋本 秋田県の人口が減少すると心配しているが、秋田は100万人を維持するということにこだわるべきだ。卑近な例で恐縮だが、読売新聞は1000万部を何が何でも維持しようと目標を掲げて頑張っている。そのように目標をきちんと立てないと人口も購読者数も維持できなくなる。

  高齢化率が高いと言うが、それは長生きする率が高いということになる。マイナス思考ではなくプラス思考でいきたい。がんの死亡率は、秋田県が最も高いと言 うが、がん研究者に言わせるとそれは長生きする人が多いからだという。長生きすればがんで死亡する人が多くなるからだ。

 また地方の文化の良さもアピールして都会の人に認識してもらうことも必要だ。

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  銭谷 橋本さんがいま言ったことは私も言いたかった。高齢化率日本一は長生きしているからである。子育て環境日本一にすれば、人口を100万人は維持できるだろう。米国は企業の定年制がない。これを見習っていくこともいいのではないか。

 秋田は北緯40度だが、世界地図をみると北緯40度の都市は、北京、ニューヨーク、スペインのマドリードなど世界の文明圏として重要な都市になっている。

  健康で長生きする健康寿命には、文化が重要だ。50年前に地域にいた人に来てもらい、いろいろやってもらうこともいい。秋田大学は鉱山学部からさらに発展 して国際資源学部を作った。これこそ秋田の特徴を生かしている。就職すると秋田を離れると言うが、若い学生が4年間秋田にいるだけでもいいという考えが あってもいいのではないか。

  橋本 隣の県に移った吉村さんは、秋田県を隣から見て分かる点があると思う。どこに問題があるのか。

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  吉村  秋田は米に困ったことがない。これに比べ他の県や地域はたくましく生きてきた。秋田大学も昭和24年に学芸部、鉱山学部から出発した。農学部も工学部もな かなか作れなかったし、今も農学部はない。昔の学長や事務局長に責任があるということも言われているが、それはさておき秋田はゆったりと生きてきたという ことではないか。

  橋本 なるほど、秋田は豊かであるがゆえたくましさがなくなった。暮らしずらい方がエネルギーを生み出すことになるかもしれない。

  三浦 秋田は農業で発展してきた。だから他人と違うことはやらない。しかしこれを打破しないとならない。ベストの計画を立て事業経営者はチャレンジしないと伸びない。可能性のあるものを応援することも大事だ。

 岩手は手を引っ張るが秋田は足を引っ張るという言葉がある。秋田は人がやらないことはやらない。リセットして、おれもやるからお前もやれということにならないと可能性が出てこない。

  ベンチャー企業を立ち上げ、時間がかかるだろうが新しい企業を育てていくというように仕組みを変えていくことが必要だ。他人の邪魔をしないことだ。応援出来ない人は、静かに見守ってほしい。秋田は自分たちがプレーヤーとして頑張っていくよりない。

  橋本  行政の役割も大事なのでこれを考えてみたい。行政は積極的に秋田のいいところ魅力を見つけ、それを伸ばしていく必要がある。このシンポジウムでも秋田のい いところがたくさんでてきた。農業も大事だし秋田を高齢者の県にするというのもいい。2つとか3つに絞って施策をすることだ。

  生越 各地に行って取材をすると、リーダーはよそ者、若者、馬鹿者と言われている。たとえば宇都宮餃子は、長老がうまく育てた。行政は安心して挑戦できる環境を作ることだ。

  橋本 行政の役割の重要性が出てきた。さて時間も少なくなってきたので、最後にこれだけは言っておきたいという発言をお願いしたい。

  銭谷 冒頭にも言ったが文化と観光とは別物ではない。文化は人が来なくても育っていく。文化と観光は資源である。その良さを知ってもらうことが重要だ。

  吉村 過去からの脱却が大事だ。安いカネで大量の消費をしてきた。それをやめて日本のオリジナルを作ること、できることをやるということが重要だ。

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  三浦 秋田にはいいものがたくさんある。いいもの、悪いものなどと言い訳しないで秋田のいいものを伸ばすことだ。親父の生き方を経営に生かしていくことが最も大事だ。

  生越 秋田の生活の豊かさをみんなに見せることが大事だ。日本は介護技術が遅れている。そのような産業を秋田から起こすことができないだろうか。

  橋本 外から来ないとカネが落ちない。そのためにはちゃんと自分のよさを見つけて強固なものにすることだ。秋田に行くとすごくいいというものがほしい。改めていいところを再認識してもらう。

 秋田駅に降り立つと私はちょっと不満だ。県庁所在地だが秋田だなあというもが見えない。まだ盛岡はある。隣の芝生はよく見えるというのと同じかもしれないが。

 いいところを伸ばし悪いところを逆に利用する。発送の転換だ。東京に住んでいても孫が秋田へ行きたいという時代と土地にしなければならない。

 「中央公論」で衝撃的な報告と課題提起がされたが、これを乗り越えていくことを秋田に期待していシンポジウムを終了したい。

21世紀構想研究会の第14期総会の開催

   

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 特定非営利活動法人21世紀構想研究会の第14期総会が、6月2日、プレスセンタービル9階の宴会場で開催され、今年度の事業計画や新役員の陣容を全会一致で承認した。

  昨年度の21世紀構想研究会は、100回記念シンポジウムの開催のほか、知的財産委員会の活発な論議と政策提言や、教育委員会の第8回全国学校給食甲子園の開催など、例年以上の事業の開催で非常に活性化した活動だった。

 総会では、昨年度の事業の報告、会計報告と今年度の事業計画と予算案が提案され、いずれも全会一致で承認された。また特定非営利活動法人21世紀構想研究会定款を改正し、理事・監事を20人以下に改正する案も承認された。これまでは10人以下となっていた。

 理事の増員は、活動を活性化させるために各界の人材を理事会に集めて、企画、実行などに弾みをつける目的がある。様々な意見やアイデア、さらに助言などもいただきながら、21世紀構想研究会の活動を発展させていきたい。

 総会後の講演は、政策研究大学院大学の永野博先生が「 次世代リーダーの養成にしのぎをけずる世界 ~第4の矢は若者への投資。理研の出来事がブレーキをかけてはならない~」とのタイトルで、日本の大学や研究機関に横たわる若手人材養成の課題を解説した。

 永野先生は、ドイツに滞在し期間が長く、たびたび欧州へも出張する機会があった。その体験からヨーロッパ学界での見聞が豊富だ。イギリスやドイツでの若 手の人材養成の実際を紹介しながら、日本が立ち遅れているとの認識を示しながら、これから日本の取り組みについても提言を行った。

                                

21世紀構想研究会・生命科学委員会の開催

  生命科学委員会の開催報告 

  21世紀構想研究会・生命科学委員会(東中川徹委員長)が、5月19日、プレスセンタービル9階の宴会場で開かれ、黒木登志夫先生(日本学術振興会・学術 システム研究センター・相談役、東大名誉教授、元岐阜大学学長)が、STAP細胞論文は捏造にあたるとする厳しい見解を示した。

  黒木先生のレクチャータイトルは「幹細胞研究の光と影 Hop STAP Drop」。受精卵というたった1個の細胞から、人間一人分=60兆個で出来上がっている生物個体を形成する元になっている幹細胞について学術的に分かり易く解説した。

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      幹細胞の研究の歴史を紹介

  これまでの幹細胞の研究の歴史とその業績、臨床研究への応用への挑戦まで多くの歴史的事実を駆使して解説した。またノーベル賞受賞者の山中伸弥博士が開発したiPS細胞の作成までの歴史も紹介した。

  そして幹細胞であることの証明は、その細胞が多分化能であることを証明しなければならないと解説。それには①培養細胞の分化、②奇形腫の形成、③キメラマウスの作成、④丸ごとES細胞マウスの作成の4つの証明が必要であることを示した。

  黒木先生が論文を精査したところ、小保方晴子さんのSTAP細胞論文は、この4つの証明をきれいに書いており、論文としてはきわめて完成度の高い内容になっていた。しかしこの論文の信じられなかった理由と信じた理由を書き分けてみたという。

  信じられなかったのは、いとも簡単に幹細胞を証明しており、信じたのはこの分野のトップクラスの研究者が共同研究者として名前が記載されていたことだった。

 STAP細胞をめぐる疑惑を解説 

 STAP細胞論文の発表直後から、「11jigen」などのネット上に論文を疑問視する指摘が相次ぎ多分化能を証明する画像の捏造を指摘されるようになる。改ざん、不審、疑問点を整理したうえで黒木先生は、小保方さんは研究者失格であるとして4つの点をあげた。

   それは①他の論文からのコピペ、②データ画像のコピペ、③スキームのコピペ、④お粗末な実験ノートである。そして「論文は自己完結でなければならないが、 STAP細胞論文はこれを著しく逸脱しており、STAP細胞存在の証明はされていない。論文は撤回するよりない」との結論を表明した。

  さらにSTAP細胞問題が日本の科学界へ波及していく懸念があることを指摘し、「日本の科学研究が生き延びるためには、むしろ小保方さんと共同研究者らのしっぽ切りが必要である」とする独自の見解を示した。

   講演は黒木先生のいつものように、ユーモアやときに皮肉を織り込んだ分かりやすい興味あふれる内容であり、聴衆が理解できるように組み立てたものであり、 このテーマの学術研究を歴史的に解説した点でも優れた内容だった。聴きに来ていた高校生も非常に感銘を受けた様子だった。 

 

中尾政之教授講演「論文数・伸び悩みの理系、論文数・さっぱりの文系」

 

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 第109回21世紀構想研究会は、2014年4月21日(月)にプレスセンター9階宴会場で開催され、中尾政之東大工学系研究科教授が「論文数伸び悩みの理系、さっぱりの文系」とのタイトルで講演と討論を行った。  

 就職活動では修論を語るほうが有利

 中尾先生はまず、東大をめぐる学生の考え方や就職活動、研究に取り組む姿勢などを語った。日本の大学の頂点に位置する東大でも悩みが大きいことを、さまざまな出来事や客観的なデータなどをもとに語ったもので、中でも筆者の印象に残ったのは就職活動のことである。

  筆者もかつて勤務した東京理科大学知財専門職大学院で院生の就職活動には、ずいぶん力を入れていた。企業の面接時の対応などは最も重要な準備である。中尾先生が語ったことは、「一番苦労したこと楽しかったことを語る際、旅行の話やバイト、NPO活動などを話しするよりも、卒論や修論についての苦労や楽しさ、その中身を語ったほうがはるかにいい印象を与えているようだ」ということだった。

  確かに学生生活を語る上では最もふさわしい話題であり、就職活動対応のノウハウ本では紹介されていないテーマだと思った。 また日本の大学で取得した単位は、外国の大学では等価交換できないというショッキングな話もあった。これでは日本と外国の大学間の交換学生交流などに支障をきたすことになる。

 論文数で下降線を辿る日本

 中尾先生が示した世界の国別論文数の動向を見ると、アメリカ、中国などの論文数は年毎に増加しているのに日本は近年下降線を辿っている。また大学ランキングを見ても、日本の大学のポジションは低下してきたように見える。 ここ10年間、研究資金が伸び悩んでおり、その結果を語るように、理系の論文数も伸び悩みになっているという指摘である。

 さらに、論文数を教員数で割ると、欧州の一流大学に比較するとその数が半分くらいに落ちる。それは統計の中に「論文数・さっぱり」の文系が含まれるからである。 

 ま た日本の大学の論文は、ポスドクなど任期つき研究員である非正規職の研究者がかなりの割合で執筆されていることだ。非正規職の研究者はローンを組むもこと もできず、身分不安定で研究に取り組まなければならない。このような現状も研究現場を脆弱にしているとの課題もあげた。 

 理系・文系とわけることも日本独特の文化である。最近、文系の就職が難しくなってきて、理系のほうに受験生が流れてくることは戦後始めての流れであるという。「文系の教員も英語の論文を大量生産して、海外で自論を主張する文化に変えるべきであろう」とも提示した。 

 日本の文系の研究者が英語で論文を書かないのは、その必要性を問われていないからでもある。能力がないからではなく、英語で発信するテーマが少ないと理解したい。これからは国際的なテーマを掲げて、大いに英語の論文を書いて海外へも発信することを期待したい。 

 と ころで、中尾先生の話でびっくりしたのは、東大は入学したら最後、退学や落第がほとんどないことである。極端な言い方をすれば、勉強しなくても卒業できる 大学なのである。東大は、こうした現状を変えようとしているのかどうか。もし落第学生を出すようになれば、他の大学への影響も大きくなるので、是非、東大 はリーダーになって適正な大学生指導を発揮してもらいたい。 

 また東大などエリート大学の学生は、適正検査をしてみると「反復・継続」が得意であるという結果が出ているという。 これが日本のエリートは「ミスを起こさない」という結果につながっているのではないかということだ。一面では結構なことだが、「堅実だけで発展性がない」人材になりかねない。こうした大学現場の教育課題にも言及し、会場との活発な討論が展開された。   

 

「スイカの原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡」出版祝いと松下昭先生のご健勝をお祝いする会の開催

  

 先ごろ日本評論社から上梓した拙著「スイカの原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡」の出版を祝い松下昭先生のご健勝をお祝いする会が、2014年2月26日、プレスセンターで開催され、多くの人たちの参加をいただき盛会だった。

 筆者がこのような形で開催したのは、出版のお祝いというよりも松下先生の発明人生を顕彰し、85歳になっても頭脳明晰、言語明瞭である先生のご健勝をお 祝いしたかったからである。発起人代表になっていただいた荒井寿光元特許庁長官はじめ、多くの支援者に囲まれ、筆者はもちろん松下先生も満足した表情だっ た。

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発起人代表でスイカカードを掲げながら松下先生の発明人生を紹介した荒井寿光さん
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祝辞を述べる藤嶋昭東京理科大学学長(左)と佐藤一雄元日本弁理士会会長

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挨拶した馬場錬成(左)と松下昭先生

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松下先生を囲んで記念写真

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生島和正・21世紀構想研究会理事から記念品の贈呈

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渡部政博さんから強力抗酸化作用のあるアスタキサンチンが贈呈された

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美女軍団に囲まれてご満悦の筆者

21世紀構想研究会・メタンハイドレート実用化委員会の開催

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 東京都知事選で各候補者たちは、脱原発かどうかなどエネルギー政策をめぐって激しい論戦を展開しているが、21世紀構想研究会のメタンハイドレート実 用化委員会(委員長・平朝彦・独立行政法人海洋研究開発機構=JAMSTEC理事長)が、1月29日にプレスセンターで開催され、活発な論議が展開され た。

 まず冒頭の挨拶に立った平委員長は、メタンハイドレート研究についての現在の国の取り組みの概略を説明し、今後、この委員会でも活発に論議していくべきとする抱負を語った。

 続いてJAMSTECの木川栄一海底資源研究プロジェクトリーダーが、メタンハイドレートの基礎的な知識から現在の研究開発に対する国の取り組み、さら にJAMSTECの最先の研究を分かりやすい写真や図を示して解説した。日本は研究レベルで世界の先端を行っていることにも言及し、新たなエネルギー源と して期待されているものの、過去のエネルギー開発の歴史を示しながら、実用化までには相当の歳月を要するのではないかとする見解も語った。

 続いてメタンハイドレート実用化への技術開発について株式会社みかづき代表取締役社長の杉本昭寿氏が講演した。杉本氏は、海底で採取するメタンハイド レートのシステム設計を開発して特許を取得している。今回はその特許技術に基づいた採掘現場の実際をイメージするアニメーション絵を披露し、凍結している メタンハイドレートを効率よく採集する技術を語った。

 このあと会場との討論となった。21世紀構想研究会理事長の馬場錬成氏は、「個人の見解だが」と断りながら、「大震災後に原発事故被災で深刻な事態を体 験した日本は、いまこそ新エネルギー源としてメタンハイドレートを実用化するべきだ。国家として取り組むテーマであるが、既成の原発・電力企業の消極的反 対にあって新エネルギー開発が滞っている。これを乗り越えていかなければ、日本の将来のエネルギー政策は行き詰まる」と述べた。

 また、メタンハイドレートの研究開発と商業的実用化への取り組みが、省庁別になっていたり研究現場で別れていることは非効率的だとの意見も出され、これからは国家が一本化したプロジェクトとして取り組むべきとする意見も強く出された。

                                

第108回21世紀構想研究会で林原靖氏が講演

                               
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第108回21世紀構想研究会は、岡山県の有力な地元企業として活動していた優良企業の株式会社林原が、実質的に倒産に追いまれた顛末について講演 し、活発な質疑が展開された。倒産に追い込まれたのは、同属経営による放漫経営であり、長い間、粉飾決算をしていたと報道された。本体の株式会社林原は、 子会社の林原生物化学研究所で研究開発した多くの成果を特許出願しており、少なくとも数千件の特許があったはずだ。

 この日の林原氏は、まず1886年の創業以来から破綻に至るまでの社歴と世界初として市場に出してきた製品の数々を紹介した。本体だけで年間350億円ほどの売上があり、年間キャッシュ獲得は100億円を超えていた。関連子会社を入れると650億円の売上だった。

 しかも破綻とされたときに、弁済率が93パーセント以上であり、知的財産権や様々な文化的な資産を計上すれば、優に100パーセントを超えていたとも語った。そのような企業がなぜ、金融機関によって破綻させられたのか。

 金融機関の事業価値の評価は、知的財産権のような無形資産は評価せず、社長の個人保証や生命保険を担保にするような非人間的な査定だったことを明らかにした。個人保証は、憲法違反とする意見もあるなど、日本の会計処理の後進性を訴えた。

  またマスコミの報道も表層的なものだけであり、「ガラパゴス状態」になっていると厳しく指摘した。ここの部分は、会場がプレスセンターであることなどから レジュメだけにして口に出さなかったが、中国銀行、住友信託銀行、大手法律事務所、マスコミの3極によって押し潰された実体を詳細に語った。

 林原氏が書いて出版した「破綻 バイオ企業・林原の真実」(WAC)は10万部を超えるベストセラーになっており、すべて実名で書いたものである。書か れた金融機関や法律事務所からクレームが来てもおかしくないと思われていたが、これまでクレームは1件もきていないという。

 また、粉飾決算とされた内容について質問が出たが、林原氏は売上の過大計上が30年間に300億円ほどあったが、年々これが減少しており、破綻とされた 時点で先の見通しがあったとも語った。一挙に計上して正常決算にする道もあったが、そうすると税金が過大にかけられてくる心配があり、徐々に減らす方向で 努力していたともいう。このあたりの事情は、講演会後の打ち上げ会で語ったものだ。

 いずれにしても林原は、約700億円で長瀬産業に「身売り」され、事業はほぼ引き継がれているという。創業一家が追い出され、蓄積してきた実績がそっく り他人の手に渡ったことになる。また、多くの美術品や土地、建物など林原グループとその一族が所有していたものは、二束三文で処分されてしまい、この倒産 劇では、まるでハゲタカのように利得を手にしていった人たちもいたことになる。

 個人資産を債務にあてるなど日本の未熟な制度は、産業の進展に大きな妨害要因として残っており、今後は社会問題として制度を見直す方向へ行かなければ、競争力のある国家や企業はできないし、ベンチャー企業も生まれにくくなる。

 そのような問題意識を確認して活発な講演と討論を終了させた。

 第4回知的財産委員会の開催

                              
      今後の知財制度の改革を論議する21世紀構想研究会の第4回知的財産委員会(荒井寿光委員長)が、12月19日、プレスセンター会議室で開催された。

 この日はまず、経産省知的財産政策室の川上敏寛室長が「営業秘密の保護」とのタイトルで講演し、その後に出席者らと討論を行った。川上室長の講演内容 は、営業秘密保護のこれまでの取り組み、営業秘密をめぐる近年の情勢、営業秘密をめぐる国際情勢、営業秘密の今後の方向性など豊富な情報を報告したもの だった。

 この中で、海外拠点からの技術流出、サイバー攻撃による技術流出、技術提携先からの技術漏洩など最近の動向を解説した内容を知って、出席者の視点が大きく広がったように感じた。特に韓国ではすでに技術流出に関する保護法律を実施しており、その迅速な対応には感心した。

 筆者の感想を言えば、日本は技術流出の現状と課題が分かっており、これに対応する法制度など枠組みをどのように実現するかがまだ見えない。その手順を進 めなければ漏洩の被害を食い止めることはできない。特に中国に流出した日本企業の技術で製品が製造され、日本を含む世界に輸出されている実例もある。

 国内法の整備を早急にしなければ、技術垂れ流しが常態化していくことになる。この日の委員会の後半は、日本の技術漏洩防止に関する法整備について具体的 に論議し、営業秘密保護法の試案も発表された。 今後この試案については修正しながら政策提言などの取り扱いについては荒井委員長に一任することで了承した。

 次回・第5回知的財産委員会は、1月28日(火)に開催する。

 第106回・21世紀構想研究会の開催

      

 第106回・21世紀構想研究会は、科学技術振興機構(JST)・中国総合研究交流センターの上席フェロー(元JST理事長)、沖村憲樹氏の講演で盛り上がった。

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 講演タイトルは「日本の科学技術は中国に抜かれた」というショッキングなものである。沖村氏は、中国の巨大大学群を築いた戦略的な大学・研究現場の統計データを示し、さらに世界に例がないハイテク・テーマパークの現状を紹介した。

 さらに中国の最近の研究水準が、欧州・日本に接近してきたこと、これに伴って産業技術力も急速に向上していること、宇宙、原子力など巨大プロジェクトで も日本に並び、あるいはぬき去っていった実情を報告した。中国の科学技術政策は、強力な政策遂行体制で推進しているものであり、政策決定と実行に時間がか かる日本の各種データと統計の比較なども随所で示した。

 この日の講演内容は、これまで一般に示されていなかった中国の科学技術の客観的なデータや現状を紹介して、日本の科学技術政策遂行に刺激を与えるためとも受け止められるものだ。また、中国の科学技術の現状に対する正しい日本人の視点を提起したものでもある。

 講演後の質疑応答では、次のような質問が出た。中国のハイテクパークは、不動産投資と外国企業や技術を呼び込むものであり、言われるほどの効果は上がっ ていない。それほど大きなインパクトはないのではないかとか中国は近未来、国が崩壊するのではないか。あるいは、中国の模倣品は世界中にばら撒かれている 現状を憂慮する意見なども出された。

 沖村氏とこの日、出席していた共同研究者の中国センターのスタッフなども加わって、こうした観測や見方に対する意見交換と討論を行い、実のある講演・討論の時間だった。

 

21世紀構想研究会で伊勢神宮を正式参拝

  
 21世紀構想研究会の活動報告をし、これからの社会貢献の決意を誓う伊勢神宮正式参拝が10月25日に行われ、19人の会員が厳かな中で参拝した。

伊勢神宮はさる10月2日、20年ごとに繰り返されている式年遷宮が滞りなく行われた。内宮は参拝が再開され、21世紀構想研究会としてご神体が移されたばかりの新正殿に参拝することを計画した。

本研究会会員の南川三治郎氏が、20年に一度催行される式年遷宮の写真記録を続けており、月刊「文藝春秋」10月号、「週刊文春」10月17日号(http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3204)のグラビアで、「遷御の儀」として写真とともに原稿が掲載された。

今回は南川氏の尽力で伊勢神宮への正式参拝が実現したもので、10月25日は、堀川宗晴氏(元神宮徴古館館長)の案内で新正殿の中に進み出た。服装は全員ダークスーツという正装に威儀をただし、堀川氏の説明に聞き入った。

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当日は折しも台風27号の接近による暴風雨が心配されたが、「台風接近決行」で行われたものの、参拝する時刻には台風も沈静化して雨もなく、靄の中で煙るようにうっそうと茂る森林と大雨の水を集めて流れる五十鈴川の景観を見ながら、緊張した面持ちで正殿へと進んだ。

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 参拝者の氏名などはすでに登録しており、代表者記名などの手続きを経たうえで玉砂利の中を正殿前に導かれた。正殿の前に出るとさすがに心が洗われる気 分になる。ヒノキの香りが辺りを支配する中で弐礼弐拍壱礼という儀式にのっとり、無事、参拝を済ませた。 参拝後は、相差海岸花の小宿「重兵衛」に宿泊 し、楽しい歓談を行った。

翌日の10月26日は、マイクロバスで伊勢と鳥羽の間にある朝熊山・金剛證寺へと向かった。金剛證寺は、西暦572年に即位したとされる欽明天皇の時代に、暁台上人が草庵を建て修法したことに始まった寺院である。

その後、825年には弘法大師(空海)が真言密教の道場として、この金剛證寺を建立したとされる。

金剛證寺は、神仏が一体となった神仏習合の教えから伊勢神宮の鬼門を守る寺として、また霊場として伊勢神宮と並んでこの時代から信仰の対象とされてきた。

 この参拝でも南川氏の配慮で特に寺院の内部にまで入ることができ、寺院の祭壇の奥に祭ってある「天照大神」の神霊祭壇をも参拝できた。厳粛な気持ちの中で神道と仏教が融合する日本の歴史を実感した。

この金剛證寺には国宝が9点、国の重要文化財指定が5点あり、平安時代から桃山時代までの歴史の変遷を学び充実した気持ちで帰途についた。

 
                               
   21世紀構想研究会の知的財産委員会の第1回会合が、9月30日、プレスセンタービル9階の会議室で開催され、多くの知財改革への提言を討論した。

 この委員会は、従来からあった産業技術・知的財産権委員会を発展的に改組し、新たに出発したものである。新委員会の委員長には、荒井寿光さん(元内閣官 房知的財産戦略推進事務局長、元特許庁長官)に、副委員長に佐々木信夫さん(元特許庁特許技監)、事務局長に生越由美・東京理科大学知財専門職大学院 (MIP)教授が就任した。

 議題は、知的財産制度への提言をまとめることである。2002年の第一次知的財産制度改革から10年余を経て、知財制度にもほころびが出ている。中国、韓国など近隣諸国が着々と知財制度を構築しているのに比べ、先行していた日本はむしろ追い越された点もある。

 また模倣品対策などはもっときめ細かく、かつ迅速にしないと日本の技術流出が続き産業競争力が低下していく。こうした現状を考えれば制度改革は喫緊の課題である。

 この日の委員会では、出席者の立場から多くの意義のある意見が出され、討論された。模倣品が日本に入らないように水際で阻止する制度などでも不十分になっていることや、営業秘密保護法制定の必要性などの意見も出された。

 今後も論議を重ねて提言をまとめ、いずれ政府に提出することも視野に入れている。

                                

第104回・21世紀構想研究会の開催

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 第104回・21世紀構想研究会は、岩本沙弓先生をお招きして「これからどうなる日本経済」とのタイトルで講演をお願いした。当日はオープン参加としたため60人以上が参加して盛会だった。

 岩本先生は、100回記念シンポジウムのパネリストの1人として経済関係の見解を発表していただいたが、当日は時間の制約があって十分な発言には至らなかった。このため、この日の講演で存分に語ってもらう機会とした。

 講演ではまず、日銀の異次元金融緩和によって金利が低下するのかどうかを2008年からの米国10年もの金利のデータを基に解説を行った。日本の10年 もの国債については1981年からの金利の推移を示し、80年代の8パーセント代から1パーセント以下に低下していった経緯を解説した。

 金利急騰は4.6年に1回発生することを示しながら、過去の国際的な経済状況と連動する金利推移を解説し、日本国債の市場価格が下落することで日本経済、金融システムが破たんするというような論調は行き過ぎであると指摘した。

 消費税引き上げによる景気動向でも見解を表明したが、その中で非関税障壁としの消費税の在り方の例として、消費税のないアメリカの事情を解説した。これ は岩本先生の研究テーマの一つであり、これまでマスコミなどでもほとんど触れられていないテーマだけに非常に面白かった。

 日本の税の配分では、うまく機能していない日本の税の仕組みを指摘したが、OECDの所得再分配後の可処分所得の各国比較を見せられると、確かに日本は 分配がうまく機能していないように思えた。 税の仕組みについては、先月号の月刊「文藝春秋」でも、岩本先生は自民党野田税調会長らとの座談会で見解を語っている。

 アベノミクスの総括では、3本の矢のうち第2、第3の矢はこれからの政策であり、物価上昇の目標よりも日本経済力の増強がメインとなるべきだと指摘した。成長戦略についても具体的な内容はまだ出ておらず、国土強靭化にとって日本経済の死角はエネルギー問題であるとした。

 日本の強固な経済ファンダメンタルズにも言及した。支払能力の指標となる経常黒字、対外純資産、外貨準備高などは、いずれも世界のトップクラスであり、10年もの国債の利回りも世界の中で日本が最も低い事実も示した。

 いま、株式市場はきわめて神経質に上下を繰り返しており、直近のトレンドは東京オリンピック招致決定もあって上昇している。しかし株価は、為替相場と連動しており、米国の大統領選と株価・為替の推移とオバマ大統領の再選後の為替政策は転換する可能性を示した。

 岩本先生は、いまドル高材料になっているシェールガス革命に言及し、米国が本当に世界一の産油国になるのか、革新的技術改革が実体経済に浸透するまでのタイムラグを示しながらオイルバブルのリスク要因なども指摘した。

 グローバルな経済状況を歴史的なデータを俯瞰しながら自らの見解を披歴し、現在と近未来の経済を読み解いて解説した講演であり、参加者に大きな感銘を与えた。

 

 21世紀構想研究会・100回記念イベント打ち上げ会の開催
 

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さる4月から続いていた21世紀構想研究会・100回記念イベントの最後を飾る「打上げ会」が、7月19日、プレスセンタービル9階で開催され、50人を超える参加者で盛会のうちにイベントを閉幕した。

この日は、100回記念イベントの講演を行った、加藤紘一・日中友好協会会長(元自民党幹事長)、記念シンポジウムのシンポジストになった藤嶋昭・東京理 科大学学長、岩本沙弓・大阪経済大学客員教授、本会アドバイザーの荒井寿光・元特許庁長官ら多くの人が参加して楽しい宴となった。

打上げ式に先立ち、本会会員で曹洞宗の名刹・霊巌寺住職、秋尾常民師が「遊び心と禅」のタイトルで講話を行った。多くの仏教語を出しながら、その深遠 な意味と現代人の行動様式を引合いに出しながら、思い遣りや気配り、時代が変遷しても変わらぬ物事の価値観などについて思索する話をして参加者に感銘を与 えた。

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                      講話をする秋尾常民師

 この後で日本酒を賞味しながら日本酒文化の国際的な広がりを語り合う「日本酒を国酒に!」とする打上げパーティを行った。

 この日は本会会員である伊勢丹本社フードアテンダントの中澤律子さんが、特別に調達しきた12種類の銘酒を飲みながら、日本酒を堪能する会となった。

  

 

乾杯の挨拶をする加藤紘一先生(左端)、真ん中が筆者、右端は中澤律子さん。

 

 

ずらり並んだ銘酒と特製の升とお猪口も準備万端。

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次々と銘酒を味わい、連日続いた猛暑を吹き飛ばした。

  まず乾杯には「八海山」(新潟)スパークリングシャンパンと同じ製法で作られた発砲酒である。まるでワイン趣向の乾杯に参加者も大喜びだった。さらに次々と開けられた銘酒を特注のお猪口や特製の升(本会会員・井上善男氏の寄贈)で飲みながら楽しんだ。

堪能した銘酒は次の通りである。

*  新千歳(福井) さくらロック お酒の概念を変えてアルコール度数を氷でお好きなように。

*  小左衛門(岐阜) ゆず酒  香りとほのかな甘味を楽しんで。

*  古酒(福島) 流転 ワインのようにヴィンテージを楽しむ大人の味わい。

*  萬乗酒造(愛知) 醸し人九平次 三ツ星レストランのワインリストにも掲載される世界の酒。

*  大村酒造(秋田) 福小町 通の大吟醸 オリンピック招致のレセプションで出されました。

*  南部酒造(福井) 花垣 日本酒をオーク樽につけてバニラ香を楽しむ新しい日本酒。

*  宮坂醸造(長野) 真澄 ワインに近いアルコール度数を12度に抑えた優しい創造酒。

*  出羽桜酒造(山形)出羽櫻 100年前以上前から鑑評会に出ている地酒の雄といえる酒。

*  菊水酒造(新潟) 菊水 酒造米ではなく魚沼産コシヒカリで醸した柔らかい味わい。

*  勝山酒造(宮城) 勝山 貴腐ワインのような味わい チーズやショコラとのマリアージュも。

*  大七酒造(福島) 大七生もと 最高級の雫原酒の選りすぐり サミット乾杯酒にも採用!

 

100回記念シンポジウムの報告(その4)

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 記念シンポジウムは、「希望ある日本のために何をなすべきか」をテーマに、5人のパネリストによる意見発表のあと、橋本五郎氏をモデレーターに討論を行った。

  橋本五郎氏

 それではこれからディスカッションをしたい。論点を私なりに絞って、パネリストの先生方から話をお聴きしたい。

 最初に岩本先生からアベノミクス後の株式、債券市場の乱高下の話があった。これは最も切実な問題であり神のみぞ知るとあったが、まさに政治では制御不能という状況ではないか。岩本さんの指摘を踏まえてもう少し考え、分析を試みたい。塩崎先生はいかがでしょうか。

塩崎恭久氏

 株式、債券などのマーケットは近視眼的に動き過ぎる。たとえば不良債権を処理しようとなった時、次に何をやろうかと いうときにマーケットの動きが大きくなることがあった。今回の株の乱高下のようにナーバスになっているときは、何か変化が起きるときであり、政治が制御不 能だからではない。いずれ市場は落ち着いていくことだろう。

 毎日動いていることに一喜一憂しないで、トレンドとしてどうなっていくのかを見るべきだろう。株価ではなく本当の経済実態を見ることだ。日本はいい方向 ヘと向いているのであり、基本的にアメリカも同じだ。アメリカの金融引き締めは、景気がよくなっていくからそうするのであり、マーケットは賢くないと思 う。

 政治が不能なのではなくマーケットとはこんなものだ。時間が経てば一つの方向に向かっていくのであり、むしろトレンドとしてどうなるか、本当のところを見ることだ。日本はいい方向へ向かっているし、アメリカは経済もよくなっている。

 橋本五郎氏

 大きなが流れとしては、成長戦略がきちんと実行できるようにならないといけないとよく言われるが、岩本さんは如何でしょうか。

 岩本沙弓氏

 日本経済は、エネルギーの問題を抱えており貿易収支は赤字である。原発は止められ原油の輸入価格が上がっているので赤字が続いている。海外にエネルギー を頼っている場合には一方的に円高がいいのではなく、やはり円安もいい。円高はエネルギー源を安く調達できるのでいいかもしれないが、円高・円安のどちら がいいとか悪いとかの問題ではない。これまでは円安がいいのではないかという論調もあったが、ここはバランスを取ってニュートラルに考えるべきだろう。

 塩崎恭久氏

 為替は双方向だ。これまではどう考えても円高が強すぎたかもしれない。しかしこちら側が決めることではなく、相対的なことで決まることだ。金融政策でど こまで変えられるかという問題があったが、今回、政策でこんなことができることが分った。あとはどのくらいがいいのか考えながらやることだ。

 橋本五郎氏

 さて経済の問題はこのくらいで、次にリーダーはどうあるべきか、リーダー像をどう思うかというテーマに移っていきたい。藤嶋さん如何でしょうか。

 藤嶋昭氏

 橋本さんがイギリスのサッチャー首相や大平首相についてのリーダー論を語った。これを聴いて、いま本当に真のリーダーが必要だなと思った。それがいま一番欠けているように思う。

 橋本五郎氏

 大学の現場ではどうですか?

 藤嶋昭氏

 大学は使命をきちんとわきまえて活動することが大事だ。日本が生きていくためには、資源がないから科学技術でしか生きていけない。今までは自動車、カメ ラ、電気製品とか工業製品でリードしていた。それがどんどん中国などに追い上げられてきた。こうなると日本は、ブレークスルーをやっていくよりない。私た ちもその使命を担って次世代の素晴らしい技術を開発するよりない。大学としてはそれよりない。

 橋本五郎氏

 中曽根内閣のときにがん撲滅10か年計画という政策を打ち出した。何年計画というのは、やはり必要ではないか。柳澤さんは、これをどう理解するか。

 柳澤幸雄氏

 自分は環境問題が専門だ。中曽根政権の打ち出したがん撲滅10か年計画では、確かに人材の基礎が出来上がった。研究の基盤を作り若い人を育てるというの は、短期間では意味がないので10年規模くらいの期間で人の基盤を作っていくことが重要だ。いくつかの分野でやるべきだ。人が育っていく土壌を作る必要が ある。

 橋本五郎氏

その点で塩崎さんはいかがでしょうか?

 塩崎恭久氏

 今回の成長戦略でも長期計画は見ている。ただ10年は長い気もする。例えばGNI(gross national income=国民総所得 )を増やすとか、名目3パーセント成長を目指すとか、10年目標でやっているが、しかしもっと短期間になるべきこともある。

 政府も今回、高低を付けて停滞から次の10年、再生の10年と言っている。10年は長いと思うが、他に短くていいものが多数あり政府も一つ一つに目標を定めてやることが重要だ。

今回のアベノミクスの特長は、総理が絶対ぶれない意志を持っていることが伝わっている。第1弾で農業とか医療とか雇用とかの課題でオンゴーイングするんだということだ。

  岩本沙弓氏

 アベノミクスを肯定する立場というわけではないが、私はディーラーとして、いい状況があれば必ず悪い状況もあるはずだという常にリスクを考える仕事をし てきた。アベノミクスの最大の問題は、日本の経済状態の好転はアベノミクスだけなのか、ちょっと俯瞰して考える必要がある。 

 国内だけの要因ではなく海外特に米国の事情もある。アメリカはシェールガス革命になっている。たまたまアメリカ経済が立ち上がってきた、日本も一緒に立ち上がる状況になってきた。

 ドル・円レートでも、円だけの要因で動くのではなくドルの要因でも動いている。双方の要因がオーバーラップしていくことを分析して見ることが重要だ。アベノミクスの一番のリスク要因は消費税である。これまでも消費税を導入した後にさまざまな状況が派生的に起きている。

  塩崎恭久氏

 97,98年の金融危機は、消費税が主因ではないと思っている。不良債権問題があり、借りたけど返せない状態になった。不動産屋さんだけでなく、そうで ないところも同じになった。産業構造の転換がうまく言っていなかったという構造の問題があったからあのようなことが起きてしまった。

 それには金融機関も責任あったし、監督する当時の大蔵省にも責任があった。課題解決を先に送ってきた。みんなで先送りした。

 今回の消費税は合計5パーセントあげるのだから、これには備えて行かなければならない。財政で勝てるかとなると、それだけではなく国際競争で負けてきたという問題がある。

 どうもうまくいってなかったし、日本は負けてきた。その根本のところを日本はどうするのかが大事だ。景気が上がったら反動が必ずある。これをどうするかが大事だ。

 社会保障の先行きに不安を持ちならが、財政にも赤字垂れ流しでいくのでは経済健全化にならない。財政はある程度の方向性を出すべきだろう。

 橋本五郎氏

 経済を議論したが教育の問題に移りたい。藤嶋さんが示した753を864に変えるには。いったいどこに問題があるのか。教師にあるのかそれとも文部科学省にあるのか。どこに問題があるのか。

 藤嶋昭氏

 いま一番の重要なことは小学5,6年の理科教育をきちんとやることだ。小学5,6年生の理科はかなり難しい。小学校の教師は大体文系だ。これで全科目を やらないとならない。そこで5,6年の理科を専任の教員かあるいは理科に強い先生が教えてくれて、理科の面白さを子供たちに伝えることが大事だ。

 橋本五郎氏

教師たちはどう思っているのか。

 藤嶋昭氏

 小学校の先生は全教科をみるのだが、大体は文系の先生だ。理科の難しいのを教えるのは難しい。実験の面白さからやってもらうようにしないとならない。観察とか実験をやるだけなら簡単だ。それ以上のことをやることが難しい。そこをうまく教えることが重要だ。

 橋本五郎氏

 現場では苦心のしどころだろうが、それではどういう風にやるべきか。柳澤さんいかがでしょうか。

 教えることはものすごくお金がかかる。さきほど、藤嶋先生はコンパクトな実験を見せてくれた。そのような実験を子供たちがやるには一人だけではできない。実験助手が必要になってくる。

 理科の専任の先生と同じ人数だけ助手が必要になってくる。そうするとその人たちの給料が必要になる。理科の教室の設備も含めてお金がかかる。

 たとえば枕草子を読むだけならお金はかからない。そころが、ある現象を教育するにはお金がかかってくる。これをどうするかが大きな課題だ。

 

橋本五郎氏

 退職された先生をバイトで雇うことはできないか。辞めたが一日中、家にいるのでは奥さんが一番困るだろう。それを敏感に察知した男性は、朝飯食うと公園 に出かけて静かに時間をつぶしているらしい。これをバイトで雇えば元気が出てくる 学校では余り教え子に近づけたくないのだろうか。昔の話ばかりするから かなとも思う。

 

藤嶋昭氏

 東京理科大学は歴史的に数学と理科の教員を多数世に出している。いい先生を出すには学生のうちに指導することが大事だ。この教員の育成には、校長先生を やって家にいると困る人にお願いして指導者になってもらっている。理科大ではボタンティアに近い形でやってもらっている。

 

 橋本五郎氏

 理科だけでなく、大学を出たばかりの若い先生がすべてに対応できるわけがない。一線を退いた人をうまく使うことは資源のリサイクルになるのではないか。もうちょっと積極的にやるとうまくいくのではないか。

 

塩崎恭久氏

 世界の100の大学のランキングを見ると日本の大学では東大と京大しか入っていない。 韓国は3つ入っている。自民党は10年内に10大学を入れることを目標にしている。

 そのために何をやるか。たくさんやることがある。3年前に成長戦略を作った時に、指標は実は国際化で負けている。しかし科学という指標でいくと上に行くがトータルで行かないとダメだ。日本の大学は外国の先生が少ないし、外国の学生も研究者の少ない。開かれていない。

 留学生の話もあった。希望する人が優秀なら全員、留学できるようにやりたいし逆に来てもうこともオープンにするべきだ。小中高といろいろ問題が出ている が、入試にも問題もある。日本では自分の大学で入試問題を作ってやっている。この形式は先進国ではあまりない。みんな共通テストでやり、後は論文とかアド ミッション方式でやっている。日本は大学入試制度を変えないとダメだ。

 高校生が入試を目標にやると、大学入試後は燃え尽きた学生になりがちだ。入試の点数が高いからいいというものではない。それでは決まらない。高校でどう いう社会貢献をしたのか、大学がアドミッション方式で取るときに評価の基準を作ればいい。そうすると高校生は、自分が地域で何をしたのか何を貢献したのか を考えるようになる。

 そのように入試を改革することは、とても大きな課題であると位置づけている。小学1年から英語を教科にしようとしたら、時の文部科学大臣が日本語もできないのに英語をやるのはダメだと反対した。結局、小学5年生からになった。

 英語をただ読んだり書いたりではなく、英語でコミュニケーションができる人を育てないとならない。コミュニケーションができないのでは社会に出ても伸びない。大学改革が大事だ。

 学長は選挙で選ばれるのではなく、理事会とか選考会が指名するなど大学のガバナンスを高める必要があるのではないか。教授会が学長の足を引っ張ったりすることがないようにするために、教授会の位置づけを本来の学長の諮問機関とするべきだ。

 選挙で学長を選んでいるとなかなかうまくいかないのではないか。我々国会議員も選挙で選ばれていると、あっちににこにここっちににこにこしないと選挙に当選しない。これでは大胆な改革などできない。

 ノーベル賞級の学者がなぜ日本で教えられないのか。逆になぜ、日本でノーベル賞を取った人が外国へ出ていくのか。そういうことを考えると大学のありかた、ガバナンスを考える必要がある。リーダーシップをとれる大学に期待している。自民党は改革のメニューを入れている。

 

橋本五郎氏

 大学は一見、民主主義的にやっているようだが結構無責任だ。恨みと嫉妬だけはある。政界とかなり似ているところもある。弾が後ろから飛んでくることもある。藤嶋さん、これはどうあるべきか。

 

藤嶋昭氏

 やはり理事会がリーダーシップを持って確固たる方針をもってやるべきだ。そうするとついてくる。堂々とやることが大事だ。さっきの大学のリーダーが必要だということと同じだ。

 

橋本五郎氏

 日本で最初にノーベル賞をもらった湯川秀樹博士の自伝の中で、父親は兄弟の中で一番ダメだと言われたという。ところが学校の先生は一番可能性があると見抜いて、ちゃんと大学に行かせるべきだと進言したという。

 先生が子どもをちゃんと見ている。そのことで一生が左右される。そうなると先生の役割は最も大切だと思っている。この世の中で、それぞれの一生を決めて しまうほどの役割がある。そうなるとそのような体制になっているのかという問題もある。東大に行くのも一つの指標かもしれないが、長い一生を決めるにあ たっては、先生がその役割を担っていることは非常に大事だ

 

柳澤幸雄氏

 子供が生まれて誰に育てられるのか。時系列で考えると生まれてすぐは親だ。幼稚園から小、中、高校と先生が関与する。そして思春期になると友人の影響が非常に大きくなる。

だからどういう生徒集団、どういう学生集団を作るか、その中でどういう形でお互いに切磋琢磨するのか。

 それを教員が持っていないと、時間的に持っていないとダメだ。教員は教室で知識を教授するだけではない。ものの考え方人格の形成に大きな影響を発揮するべきだ。また、友人関係をどう意識するのか、それを意識させる学校運営が大事だ。

 

 橋本五郎氏

 藤嶋さんは時代の雰囲気が非常に大事だと言った。昔、末は博士か大臣かと言ったが、あれは結構いいキャッチフレーズだ。いまはそれに代わるものがない。この雰囲気をどうやったら作れるのか。

 

藤嶋昭氏

 それは一人では無理だ。複数の同じ考えの人が集まって、なんかやろうとなるときにできる。やはり2,3人の同じ考えの人が来るというのが最も大事だ。明治時代もいろんな芸術でも同じ分野の人が集まって雰囲気を作って大きな力になった。

 

橋本五郎氏

 非常に大事だ。気持ちが国民全体の中に回ることが重要だ。宇宙探査機「はやぶさ」のときもそうだった。知識を血に対することだ。

 

藤嶋昭氏

 本を読もうという運動をやったきっかけは、川崎市の教育委員を10年やった経験からだ。教員採用試験をしたとき、面接者にこの1年間に読んだ本を言ってくださいと質問したら誰1人読んだ本を言えなかった。

 受験勉強の本を読んでいても一般の本を誰一人読んでいない。その人たちがみんな先生になる。これはひどい。自分を高めないとダメなので本を読もうというキャンペーンを始めた。

 大平正芳元首相はすごい読書家だった。あーうーと言っているが、一番の読者家だったのをみんな知っている。自分を高めることをしている人はみんな分かっている。

 

橋本五郎氏

 アメリカの元大統領のリチャード・ニクソンが、指導者とは、偉大な政治家とは、偉大な読者家であったとも言っている。塩崎さんいま政界を見ていて如何ですか。

 

塩崎恭久氏

 ま、人それぞれだと思います。今回まとめたものに知恵に対する話があったが、中間提言のなかで総理の科学顧問を設けよと提案している。英米では、チーフサイエンスアドバイザーがいる。

 政治家が科学をどのくらい受け入れる心を持っているか。原発事故が発生したとき、海水注入をやめろとか、あるいはベントを早く命令するとか、大きな声を 出した総理大臣もいた。イギリスの人に聞いたら、イギリスの政治家はそのような科学的な判断に口を出す人はいませんと言っていた。原子炉の中の問題につい ては、独立性をもってやならいとならない。

 下手な科学者の判断よりも政治家の方が判断は正しいと思い込んでいる政治家が多いのではないか。サイエンスアドバイザーを日本でもおけと言っている。しかし文部科学省が反対している。総合科学技術会議があるではないかと言っている。しかしこれは人を置くことだ。

 イギリスにはほとんどの役所にサイエンテフィックアドバイザーがいる。国務省にもいる。深い科学者として考えを持った人が科学的判断を提供している。そ してそれを受け入れる人がいる。事務官にも政治家にもいる。向こうでは専門的なアドバイスを受け入れることが事務官にも役所にも政治家にもある。

 

橋本五郎氏

 専門家が十分に機能を果たしているのか。そこだと思う。それぞれの立場もあるし意見もあるのだろうが、日本で言えるのは、みんな自信なげである。そう やっていままで原発をやってきたのかとなる。ここは藤嶋さんに聞きたい。専門家がこうやるべきだ、素人が口を出す問題ではないと言わねばならないのに、国 民の目線になっているようだ。専門家がこれではどうするんだとなるがいかがでしょうか。

 

藤嶋昭氏

 それについてコメントするのは難しい。大体、原子力の専門家は同級生にいるが、あのときは優柔不断というか決断をちゃんと言わなかったように感じる。それが一番問題だ。 専門家はちゃんと言わないとダメだ。

 

塩崎恭久氏

 国会の事故調査委員会で問題になったことは、規制のとりこになっていたことだ。専門性があまりに高いので、専門性の規制のされる側にとりこになった。

 原子力安全基盤機構があって、専門家として組織を統合して、かつての保安院は基盤機構に下請けに出して作ってもらっていた。事故のとき基盤機構に100くらい提案あるとしていたが、保安院にいくと10くらいしか理解できなかった。官邸には1くらいしか届かなかった。

 これを解決するには、1つにまとめてこれを専門性のある力のあるものに変えていかないとならない。統合することに法律で決めている。しかし一部政府の人 たちは熱心にしていない。早くやらないと原子力規制に対する信頼はいつまでたってもできない。能力がないと言われてはダメだ。

 

橋本五郎氏

 高校のときからいい人材を作っていくことが大事だ。大学でなく高校のときからということが大事なことでしょう?

 

柳澤幸雄氏

 英語、数学、国語という科目が入試にある。抜けていることで典型的なことがある。たとえば国語で漢字をよく知っている。教養があると思われている。数学がよくできる。この人は頭がいいと思われている。英語がよくできる、この人はスマートな人と思われている。

 日本の場合、大学で文系と理系に分ける。高校でも分けている学校がある。開成高校は分けていない。大学に行くとき、数学が苦手だから文系に行くという人が非常に多い。そうすると仕事に入った時にも数学的な素養が不足し、損をすることになる。

 高校で言うと、入学試験は教育の大きな流れを決める非常に大きな要素だ。小学、中学、高校とも指導要領に縛られているが、生徒は学校だけでなく塾でも勉 強をしている。そうすると大学の入試はこういう問題である。それに合わせて子供たちは勉強している。莫大なエネルギーがそこに使われている。

 大学がどのような入試問題を出すかというのは、大学の社会的に存在する自分たちのメッセージなっている。いま入試改革が言われている。そのとき日本の入試では生徒自身が自分を評価しているというメカニズムがない。

 TOEFLなどは何回も受けられる。最大で7回受けられる。自己評価とその試験の評価の一致をはかることができる。何度も受けることができると自分はもっとできるのに点数が悪い。それならもっと勉強するとなる。また受ける限界かなとか判断できる。高校時代に判断できる。

 そのように生徒自身が判断できる。自己判断ができることが大事だ。是非とも入試改革をするべきだ。

 

 

橋本五郎氏

 最後に株価はいったいどうなるのか。買ったらいいのか買わない方がいいのか。ということは受験勉強と何も関係がない。スポーツのあり様と株価のあり様とどう関係があるのか。

 

岩本沙弓氏

 難しいですね(笑)。大阪経済大で教えているが大阪には堂島という取引所がある。先物取引所がある。この取引を世界に先がけて開発したのは日本人である。

 実は日本人は市場経済に非常に敏感な国民である。大阪と京都にいち早く伝える旗振り通信、火の見やぐらを作って伝えた。旗振りの中継所は4か所ある。そこで旗振って伝達していた。

 大阪から京都まで旗振りで伝える中継地点が全部で4つある。旗を振るだけだが、どのくらいの時間がかかると思うか?

 

橋本五郎氏

?・・?・・、3時間くらいだろうか。

 

岩本沙弓氏

 実は4分でできていた。旗を振り、双眼鏡で眺めて情報を収集した。いまNTTで電波通信は旗振り通信だと言われている。日本人は創意工夫する国民だ。相場も、もともとそうだった。

 いわき市にカンガルーという会社がある。大震災で100パーセントダメになってから1か月で回復させた。底力のポテンシャルがある。底力があるのだから、もう少し自信をもってやると全然変わると思う。

 

橋本五郎氏

なるほど。そのポテンシャルに期待してこのシンポジウムを終わりたい。

 

 

馬場錬成・21世紀構想研究会理事長の閉幕挨拶

 5人の先生方の専門性の高い思索からの意見が述べられ、一時は話が発散してどうなるかと思いながら聴いていた。アベノミクス、財政金融問題、そして広く教育問題へと話題は広がり、日本のためにどうするのかというフォーカスでは一致していた。

 5人の先生方が明確にそのようなメッセージで語ったわけではないが、私なりにそのように感じた。ご発言の中で共通だったことは、日本にはリーダーが不足している。今こそ確固とした信念をもった専門性の高いリーダーが必要だ。

 国を建てるのは教育である。教育は教師の在り方、教育制度の在り方、入試のありかたなどで各論が出ていたがリーダーといい人材を育てていく教育が一番重要であることを5人の先生が角度を変えて発言していた。

 日本と日本人は、この150年間に世界でも稀有な進歩を遂げた。日本と日本人はきわめて優れた民族の1つだ私は考えている。これまでの実績と民族の資質 を認識し、これからも誤りなきように歩いて生きていきたと思う。世界に貢献できる人類の福祉に貢献できる日本と日本人でありたいと思う。

 21世紀構想研究会100回記念シンポジウムは、実り多い討論に終始して終了した。5人の先生方に篤くお礼を述べ、改めて盛大な拍手で謝意を表したい。

 有難うございました。

             

                               

21世紀構想研究会・100回記念シンポジウム報告(その2)

                               
                 

 冒頭に21世紀構想研究会の歴史と活動を紹介

 シンポジウムの冒頭、21世紀構想研究会の馬場錬成・理事長から、1997年9月の創設から今日までの研究会の活動実績を報告し、今後も社会貢献を目指して討論や政策提言を目指す決意が語られた。

  まず、21世紀構想研究会の設立目的は、時代の変革で続出してきた課題を提起、討論する場を作ったことだった。IT(情報科学)の進展によって国、企業、 社会のあらゆる場面での変革を予見し、知的基盤の強固な研究現場と産業振興の技術革新の実現をしなければ、日本は真の科学技術創造立国を確立できない。

 そのような課題を認識し、適宜、研究テーマを掲げて討論し、そこで得られた成果を社会に訴えて啓発しながら国の政策にも結びつくように活動する方向を目指して出発した。

 会員は現在およそ100人。主として有力なベンチャー企業、政府機関、大学・研究機関、マスコミの4極から集まっている。

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 21世紀構想研究会の歴史と活動を紹介する馬場錬成・理事長

  下部組織として4つの委員会が活動

 21世紀構想研究会には現在、産業技術・知的財産権委員会(生越由美・委員長)、生命科学委員会(東中川徹・委員長)、教育委員会(銭谷眞美・委員長)、メタンハイドレート実用化委員会(平朝彦・委員長)が活動を行っている。

 それぞれ時代の要請を見ながら研究会を通して課題を認識し、政治、行政に対して成果を伝え、働きかける活動につなげている。過去の実績では、本会アドバイザーの元特許庁長官、荒井寿光氏を中心に度々、知財立国への制度改革や現場の課題を報告し、政府にも政策提言を行ってきた。

 また中国にも2回訪問し、中国社会の急速な進展と日系企業の現地での活動を視察した。さらに東日本大震災の前後には東北電力女川原発を視察し、原発の実情を学び、大震災の被災の現場を見る機会があった。 

 会員企業の栄枯盛衰

 21世紀構想研究会の会員は、有力なベンチャー企業の創業者に参加を求めたところに大きな特徴があったが、会員となった企業は成長するとは限らず、厳しい競争社会の中で大きな試練に立っている現状を知った。

 会員企業の中で、業績が順調に伸びた企業と事実上倒産した企業が交錯している。業績を伸ばした代表的な会員企業は次のような企業である。

 武蔵エンジニアリング株式会社、株式会社日本一、株式会社ガリレオ、株式会社発明通信社、株式会社高速屋、株式会社みかづき、株式会社グッドバンカー、株式会社ホトロン、ユーヴィック株式会社、株式会社東京大学TLO、バイオジェニック株式会社などである。

 会員になった多くのベンチャー企業は、特許など知的財産権を多数取得し、独創的な技術を武器に市場へ打って出たものであり、順調に業績を伸ばして上場した企業も3社ある。一部上場まで果たしたのが荏原実業株式会社である。

 その一方で上場した後に事実上倒産した企業が2社出ている。株式会社YOZANとシコー株式会社である。また知的財産戦略をもとに活動を続けるも業績不振で事実上倒産した会員企業が5社出ている。

 株式会社 YOZANは、第3世代携帯電話(W-CDMA)用の集積回路の設計・開発を行い国際的にも脚光を浴びて2000年9月1日に株式をJASDAQに上場し た。その後、半導体開発では安定的な成長が望めないとして電気通信事業者へ業態転換を行ったがうまくいかず事実上の倒産となった。

 シコー株式会社は、振動モーターを発明して携帯電話機のマナーモードを世界中に広げたものだが、円高、中国での人件費高騰、デリバティブ差損などの逆風に持ちこたえることができず、わずか3億9千万で中国の名もない中小企業に買収されていった。

 このような実例を知ることによって、21世紀構想研究会は国際的な技術開発競争、ビジネス経営の難しさを知り、分析・研究を行い、研究成果の一部は2011年度の日本知財学会で発表した。 

 「たかが学校給食と言うなかれ」

 また、食育推進事業の一環として始めた「全国学校給食甲子園大会」は、2013年に第8回目を迎えることになり、全国の学校給食現場では知らない人がいないくらいに有名なイベントになった。 

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  第7回学校給食甲子園大会に優勝した愛知県西尾市立西尾中学校
学校栄養職員・冨田直美さん、調理員・三浦康子さん
 

  昨年の応募校は、全国から2271校(センターも含む)あり、年々参加校の数が増えている。これは単に学校給食の調理コンテストではなく、一般の人々にあ まり知られていない学校給食の理解を高め、日本を背負っていく次世代の児童・生徒の栄養と健康を見守り、重要な使命を帯びて日夜頑張る栄養教諭、学校栄養 職員、調理員を顕彰する大会にするのが主たる目的である。

 また、地場産物を供給する生産者、流通業者、保護者らとの交流促進にも役立て、食文化が一国の文化と密接につながっていることを理解しながら学校給食の重要性を社会に向かって啓発しているイベントである。「たかが学校給食」と言うなかれというのが私たちの主張である。学校給食は、食育推進の観点から、次のようなキーワードで研究を進めることができる。

  子供 栄養 健康 躾 教育 生活 地域 社会 国家 文化

 学校給食から見えてくる課題は、国家観にまで広がっている。  

 これからの21世紀構想研究会活動にご支援を

 世 界的な産業構造の大変革の中で、日本はどのような国作りをし、どのように産業構造を変えていくのか。そのために知的財産戦略をどのように策定し推進するの か。これは国家だけではなく企業、大学・研究機関など日本全体の課題である。産業技術・知的財産権委員会では、近く知財改革の討論を開始し、日本の近未来 の産業構造や知財戦略の再構築を模索しながら政策提言できるような改革案を作成したいと考えている。

 私たちは時代認識を明確に意識した社会啓発活動を続けていく決意である。

 これからもご指導、ご支援をお願いしたい。

 大学学長、東大特別栄誉教授) 

柳澤幸雄(開成中学・高校校長、東大名誉教授)

  21世紀構想研究会の100回開催記念のシンポジウムが6月11日午後6時半から、東京・内幸町の日本記者クラブ10階のプレスセンター大ホールで開催された。 

 冒頭、筆者は21世紀構想研究会の理事長として、第1回の研究会開催から今日までの歴史を簡単に説明し、これまでの活動実績や今後の活動方針について報 告した。この後、「希望ある日本のために何をするべきか」をテーマに、モデレーター、パネリストの5人が冒頭にコメントを述べ、そのあとで討論を行った。

 今回の報告では、全体の印象を筆者なりに示したいと思う。まず第一印象は、自分たちが主導で決めたパネリストの人選であるが、多方面の分野からの代表と いう形になり非常によかった。(自賛) 将来の首相候補として最も近い距離に立っている塩崎先生は、さすがに政界事情を巧みに勘案した発言をしていたが、 基本的に「実現可能な政策」という視点に立っていたことは政治家として一定の評価をしたい。

 岩本先生は経済学者、特に直近の為替変動、金融政策、株価乱高下を日々解説する立場に立っているので、冒頭は株式市場の解説を歴史的なデータを示して行っていた。これは冷静な視点を示したもので非常にためになった。

 藤嶋先生は、最近取り組んでいる青少年の読書運動と理科離れへの歯止め運動から教育全般にまで広げた話題は面白かった。「空はなぜ青いか」と問いかけ、その理屈を解説し、しかも持参したペットボトルに懐中電灯を当てて青空の理屈を見せてくれたのは、鮮やかな手法だった。

 柳沢先生は、東大進学断然トップという有名高校の校長らしく、開成高校の卒業式での式辞の話からこれから人生を歩む若い世代に告げるメッセージを披露しながら、親や社会人の果たすべき責務について考えさせるメッセージを発言していた。

 モデレーターの橋本先生は、膨大な蔵書を抱える読書人らしく、昔の偉人たちのエピソードを適宜に織り込みながら、地方の疲弊、少子化問題など現代の重要 課題を国民の目線で考えることを提起しながら深く思索するように示唆した。さらに4人のパネリストを巧みに束ねて2時間の論戦を仕切った手腕はさすがだっ た。

 5人の討論の内容については、この後で詳報を掲載していきたい。

 

                               

21世紀構想研究会・100回記念イベント第3弾で生島和正氏が講演

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 21世紀構想研究会の100回記念イベントの第3弾は、武蔵エンジニアリング株式会社の生島和正社長が「我が社の事業とその経営哲学について、または、これからの世の中を確かに生きていくために -若者に捧ぐー」とのタイトルで講演を行い、会場と熱い討論を展開した。

 生島社長はまず、液体を超細密に制御するハイテク技術で世界トップの技術力とマーケット支配をしている活動を分かり易い映像データなどを使って説明した。

 経営哲学とする基本理念には、幸田露伴の「努力論」と二宮尊徳の「報徳訓」の思想を取り入れた「露伴・尊徳ism」を確立し、独自の経営理念で活動して いることを熱く語った。具体的な行動様式としては、誠実、挑戦、独創性の3本の柱を掲げていることを説明したが、この中でも特に誠実という企業姿勢を明確 に打ち出していると語った。 

 さらにビジネス社会は競争ではなく闘いであるとし、企業が強くなるためには技術力、製品力、販売力、組織力、仕事力、人間力をあげ、もの作りに取り組む経営は「美学」であるとする独自の経営観を語った。

 さらに「これからの世の中を確かに生きていくために -若者に捧ぐー」として、世の中の見方、考え方について独自の歴史観と世界観を披歴し、感銘を与えた。

 21世紀構想研究会「100回記念シンポジウム」の開催案内

    
 21世紀構想研究会は、設立から15年目の2013年6月、100回開催記念のシンポジウムを開催します。

 是非、参加をお待ちしています。無料です。

特定非営利活動法人21世紀構想研究会100回記念シンポジウム案内

 開催日時:2013年6月11日(火) 午後6時半~9時

テーマ :希望ある日本のために何をなすべきか
 

モデレーター 橋本五郎(読売新聞東京本社・特別編集委員)

 

パネリスト 

岩本沙弓(大阪経済大学 経営学部 客員教授) 

塩崎恭久(自民党衆院議員、元内閣官房長官) 

藤嶋 昭(東京理科大学学長、東大特別栄誉教授)

柳澤幸雄(開成中学・高校校長、東大名誉教授)

 

  橋元五郎氏

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 1946年生。1970年、慶應義塾大学法学部政治学科卒、読売新聞社入社。政治部、論説委員、政治部長、編集局次長などを歴任。読売新聞編集委員を経て現在同特別編集委員。日本テレビキャスター(「ジパングあさ6」「ズームイン!!朝!」)、東京大学経営協議会委員、NHK中央放送番組審議会委員、東日本大震災復興構想会議委員などに就任。 読売新聞紙面でタイムリーなテーマで論評を執筆して多くの「橋本ファン」を作った。現在、読売テレビ「ウェークアップ!ぷらす」コメンテーターなどを務める。著書に『新聞の力』(労働調査会)、『総理の器量』(中公新書ラクレ)、『「二回半」読む』(藤原書店)、『範は歴史にあり』)など多数。

 岩本沙弓氏

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  1991年東京女子大学卒。同年から日・米・加・豪の大手金融機関にて外国為替(直物・先物)、短期金融市場を中心にトレーディング業務に従事。日本経済新聞社発行のニューズレターに7年間、為替見通しを執筆。金融機関専門誌「ユーロマネー誌」のアンケートで為替予想部門の優秀ディーラーに選出される。 現在、為替・国際金融関連の執筆・講演活動の他、国内外の金融機関勤務の経験を生かし、参議院特別委員会にて参考人として出席するほか、政党関連の勉強会等の講師にも招かれる。大阪経済大学経営学部の客員教授を務めている。主な著作に「新・マネー敗戦」(文春新書)、「最後のバブルがやってくる」(集英社)など。最新刊「バブルの死角」(集英社新書)は2013年5月発刊。

 塩崎恭久氏

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1950年(昭和25年)生。1975年、東大教養学部教養学科アメリカ科を卒業して日銀に入行。1982年にハーバード大学行政学大学院を修了、行政学修士号を取得。1993年、衆院議員選に出馬して初当選。以後、衆院議員6期、参院議員1期を務める。金融危機に伴う1998年の金融国会では、金融再生トータルプラン、金融再生法の策定に奔走し、政策新人類と呼ばれ注目された。衆議院法務委員長、外務副大臣を経て2006年の第1次安倍内閣で内閣官房長官・拉致問題担当大臣に就任。2011年3月の福島第一原発事故を機に「国会事故調査委員会」(憲政史上初めての国会内調査委員会)を立ち上げ、「原子力規制委員会」の創設を主導し原発・原子力問題に全力傾注。現在は、自民党政調会長代理・日本経済再生本部本部長代行として日本経済のデフレからの早期脱却に向けて鋭意取組み中。

 

 藤嶋昭氏

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 1966年、横浜国立大学工学部卒業、71年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。神奈川大学工学部講師、東大工学部講師、助教授を経て教授、同大学院工学系研究科教授。東京大学特別栄誉教授。2003年4月より財団法人 神奈川科学技術アカデミー理事長、08年科学技術振興機構・中国総合研究センター長。2010年1月より東京理科大学学長。酸化チタン光触媒の原理を発見した業績で世界的に知られる。日本化学会賞、紫綬褒章、日本国際賞、日本学士院賞を受賞。2010年文化功労者。 学術的な専門書を数多く刊行したが、最近は子供の科学啓発教育に情熱を燃やしている。「時代を変えた科学者の名言」、「科学も感動から」(いずれも東京書籍)、「太陽と光しょくばいものがたり」(偕成社)など著書多数。

 

 柳沢幸雄氏

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   1947年生、東大工学部化学工学科を卒業。コンピュータ会社のシステムエンジニアとして3年間従事後、東大大学院で大気汚染を研究し博士号取得。東大助手を経て、84年よりハーバード大学公衆衛生大学院に移り、研究員、准教授、併任教授としなる。1993年より、財団法人地球環境産業技術研究機構の主席研究員を併任。1999年東大大学院・新領域創成科学研究科教授、2012年東大名誉教授。主要研究テーマは、空気汚染と健康に関する研究。2011年より母校の学校法人開成学園・中学校、高等学校校長に就任。社団法人大気環境学会副会長、室内環境学会会長、臨床環境学会理事、NPO法人環境ネットワーク文京副理事長などを歴任。主な著書に「化学物質過敏症」(共著、文春新書)、「CO2ダブル」(三五館、1997)など多数。
               
     
                               

永野博氏が読売新聞・論点欄で若手人材育成の国家戦略について提言

                               
  永野博氏が、2013年5月1日付け、読売新聞論点欄に「研究リーダー養成必要」との論文を発表した。

 世界主要国、後発国ともに、若手の人材育成に力を入れて多くの政策を遂行しているが、日本の人材育成はこれでいいのか。世界の現状を調べて分析し、日本の国家戦略として若手の人材育成をどう取り組むべきか。

 その視点を明快に提起している論文である。是非、読んでほしいと思った。

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21世紀構想研究会・100記念イベントで佐々木信夫先生が講演

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 21世紀構想研究会の100回記念イベントが進んでいるが、4月24日には第2弾として佐々木信夫先生(元特許庁特許技監、株式会社特許戦略設計研究所 代表取締役)が講演し、日本に横たわる知財戦略の課題を分析して指摘し、これから取り組むべき戦略について多くの示唆に富んだ提言を行った。

 佐々木先生は、1998年に特許技監を務めたが、そのときの特許庁長官は荒井寿光氏である。この日は荒井氏も出席し、往時の長官・技監の名コンビで講演の後の討論を盛り上げた。

 佐々木先生の講演内容で筆者が印象に残ったのは、アジア・中国を中心に広がっている巧妙な特許模倣システムの広がり、欧州特許庁の停滞ぶり、日米特許対 話の流れなどである。また、自身の手がけている具体的な特許・ビジネス戦略について、ケーススタディの形で披露し、日本の特許戦略と産学連携の現場に横た わる様々な課題をあげた。

 安倍政権の掲げる「三本の矢」政策の最大の課題は、失われた20年で現出していたデフレ経済を脱するために成長戦略を見直して具体化し、速やかに実現す ることだ。そのために佐々木先生は、知財の保護ルールの国際的な共通化をあげた。TPPの知財保護ルールの共通化、日中韓のFTA交渉の知財保護ルールの 共通化、日欧のEPA交渉の知財の保護ルールの共通化などである。

 また国内の知財政策では、グレースピリオド1年の制度化、超早期審査の制度化、18か月以内の特許取得手続きの制度化などをあげ、そのためには特許紛争 実態の調査と監視の励行や無審査実用新案法の根絶などをあげた。これは中国で急増する実用新案出願と特許出願は、中国独自の制度が権利意識を突出させてお り、こうした実態を国際的な共通システムに改めていかないと公正な競争にならないことを指摘したものである。

 そのほかにも重層多岐にわたる国際的な課題提起と日本のとるべき戦略は極めて重大なものばかりであり、今後、佐々木先生の提起した課題を整理し、安倍政権に政策提言できるよう論議を成熟化していく方向を確認してこの日の講演は終了した。

 

                               

加藤紘一氏(日中友好協会会長)が日中問題について21世紀構想研究会で講演

                               
                 

 

 元自民党幹事長の加藤紘一氏(日中友好協会会長)が、4月19日、21世紀構想研究会で講演し、緊迫する日中問題について核心に触れる解説を行った。こ の中で加藤氏は、2012年9月9日、ロシアのウラジオストックで開催されたAPECで、中国の胡錦濤国家主席が野田総理と非公式ながら30分ほどの会談 を行っていたという新たな事実を披露した。

 日本では、日中の2人の首脳が立ち話をした程度として伝わっているが、立話以外に日中2人のトップが部屋に入り、通訳を交えずに片言の英語で語り合った 内容が問題であったと推測できる中国側の動きと情報を元に、これまで伝えらていない日中外交問題の齟齬について大胆な解説を行った。

 また1984年 - 1986年に、中曽根内閣の国務大臣防衛庁長官をしていた時代に、日本海を舞台に日中で緊迫した事態が勃発した秘話、尖閣紛争を原因とした日中の武力衝突 の可能性、レアアースを巡る日本の報道とその真相、中国共産党の若い指導層の仕事ぶりと近年の日本の官僚の考えと仕事ぶりなどについて見解を述べた。

 加藤氏は元外務官僚であり中国語語学研修で鍛えたチャイナ・スクールの系譜にある人である。中国語が堪能なので中国の指導層、要人とも個人的な太い人脈 がある。この日の講演でも、中国に関する豊富な情報量を感じさせる多くの話が語られ、真の日中関係を理解するうえで非常に役立った。

 また、膠着している日中問題を打開する手だてについて加藤氏は、日本の政治家の中でいま中国側と最も太いパイプを持っているのは安倍首相であると解説 し、安倍総理自ら動くことが重要であるとの見解を述べた。第一次安倍政権誕生後の中国との外交を振り返りながら、先月下旬、中国側が安倍首相に期待をかけ ている動きを見せたが、日本側がそれに対応しなかったとのいきさつを語った。

 この膠着状態を打開するのは政治問題として取り組んでも困難なので、民間が積極的に様々な交流を進めることが重要なカギになるとの見解も語った。

 またこの日の研究会には、在日中国大使館の李纓(Li Ying)公使も出席して熱心に加藤氏の話を聴いていた。研究会後半のフロアとの質疑応答では、フロアから李公使に中国の経済問題や科学技術問題で質問す る人も出たが、李公使は流暢な日本語で率直な意見を述べて参加者に感銘を与えた。

 

 加藤紘一先生(日中友好協会会長)と懇談

                               
                 

 

元自民党幹事長で同党の重鎮である加藤紘一先生と2月28日、東京・六本木でお会いし、直近の様々な話題で意見交換した。

 加藤先生は先の衆院選で山形3区で14選を目指したが前坂田市長の阿部寿一氏に負けて落選した。この日、久しぶりの出会いだったが元気な様子であり、健啖ぶりは相変わらずで安心した。

 最近の加藤先生は、緊迫する日中関係の改善に貢献したいという意欲を持っている。それは、外務官僚時代から中国通として活動し、中国の要人にも太いパイプを持っているからだ。現在も日中友好協会会長として中国との関係改善に動いているという。

 そこで、100回開催記念イベントを行う21世紀構想研究会の特別講話として、来る4月19日午後7時から、プレスセンタービル9階の宴会場で、特別講話をしてもらうことにした。

 演題は「中国第6世代が考える日中未来志向」と決まった。第1世代・毛沢東、第2世代・鄧小平、第3世代・江沢民、第4世代・胡錦濤、第5世代・習近平と続き、次の中国共産党のリーダー候補が第6世代となる。

 いわば中堅幹部として活動する中国の第6世代は何を考え日中対応にどのように動こうとしているのか。日中戦争勃発寸前という緊迫した状況もあるだけに加藤先生の分析と解説を注目したい。

 

 

             

                               

第98回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

第98回・21世紀構想研究会は、2013年1月25日、プレスセンターで開催され、「大丈夫か日本の大学の産学連携活動」のタイトルで、株式会社東大TLO社長の山本貴史さんの講演と討論で盛り上がった。

 山本さんは、日本の大学TLOの必要性を1990年代から主張し、時代の先駆けを行った人である。それはアメリカの産学連携の最初のシステムを構築したニルス・ライマース氏に私淑し、そのイロハを教えてもらい、日本にその文化を導入した。

 産学連携など日本ではほとんど話題にならなかった時代に、次世代の風をかぎ取って活動を始めたという点で非常に価値ある活動であった。

 日本の産学連携は、まだ道遠しであり、軌道にのるのに、あと10年かかるだろう。山本さんは、東大への国からの莫大な資金投与と高度資質の人材とこれまでの研究インフラがあるから成功していると思いがちだが、そうではない。

 この日の講演でも、マーケティングを最重要課題に掲げ、営業努力があって初めて成功している企業活動であることが分かった。外国の企業が東大の発明成果 に素早く群がってくるという報告は、日本の企業文化、官僚文化がいかに世界の潮流に遅れているかという現実を報告していた。

 いま、日本で最も遅れている点は、決定までに至る道筋と時間である。官僚の世界でも企業でも大学でもあらゆる世界で即決即断ができない。それは日本の文化であり、それがいい時代もあった。しかし今は違う。競争の世界では後れを取ることが少なくない。

 産学連携の話を聞いていて、産業競争力と政治、行政の現状に思いが至った。日本はやはり国のカタチを変えなければならない。そのためには、若い世代のエネルギーを使って年寄りたちの知恵を現代の社会に生かさなければならない。

 産学連携の話は、実は日本の社会構造変革の課題の取り組みを語っていることに気が付いた。産学連携の成功事例が多数出てきたときに、日本は再び日のいずる国として世界の羨望を浴びるだろう。

 

 21世紀構想研究会 忘年パーティの開催

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の忘年パーティが12月10日、東京のプレスセンタービルで開催した。会員の合原亮一氏(株式会社ガリレオ社長)が長野県上田市で展開している有機野菜の実際を語る講演があり、収穫した野菜の即売会も行った。

 驚いたことに日本の野菜は、年を追うごとにビタミン類などの含有量が少なくなってきたという事実だ。有機野菜の必要性を知って本当にためになった。

 最後に一人一票実現のために、来るべき総選挙での最高裁裁判官の国民審査では、心を鬼にして現在の最高裁判事にバッテン(×)を付けることで司法にカツを入れ、立法府にも影響を及ぼして日本に真の民主主義国家を建設しようと盛り上がった。

 

                               

構想研100回記念委員会の開催

                               
                 

 

1997年9月に創設された21世紀構想研究会は、来年4月ころに100回開催の記念日を迎える。その節目の開催を記念するイベントや研究会をどうするか。

 このほど100回記念委員会(合原亮一委員長)が設置され、その第1回委員会が11月21日、プレスセンタービルで開催され、シンポジウムなどの開催について意見を交換した。来年4月ころの日本全体の動きを今から想定するのは非常に難しい。

 間もなく衆院選挙が公示され投票が行われる。比較第1党は自民党が予想されるが、そうなれば安倍内閣の発足となる。2回目の首班指名となるが、右翼志向の強い内閣ができると中国との関係がさらに緊迫することになる。

 第1党になっても他の会派と組まなければ首班指名は難しだろう。そうなると組む相手の政策とのすり合わせで外交、経済問題がゆがんでくる可能性もある。 政府原案の予算案は年内には無理だとすれば、来年1月中に作成し、通常国会に急ぎ提案して年度内に成立させなければならない。

 こうしたスケジュールも考えると、21世紀構想研究会の100回記念開催時には、日本全体が緊迫した動きの真っただ中にあることも想定される。そのような状況も考えたテーマのシンポジウム実施となると、開催直前までテーマを決められない可能性もある。

 そのような意見を踏まえながら、いまは広くテーマを設定し、直前になって的を絞る方向でさらに検討することでこの日の委員会は終わった。21世紀構想研 究会の今後の活動方針、社会貢献、政策提言集団としての役割など再考する懸案があるので、この委員会は将来展望も踏まえた討論を重ねることになるだろう。

 

 

                               

第96回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 

  インターモダル社社長の園山玲子さんが講演

第96回21世紀構想研究会は、10月30日に開催され、インターモダル株式会社代表取締役社長の園山玲子さん(本研究会会員)が「知られざる世界-航空貨物の現場 どうする日本」をテーマに語ってもらった。

  園山さんは航空コンサルタントとして格安航空を手がけるなど航空ビジネスのエキスパート。アジアで急成長する格安航空社の誘致を目指す地方関係者が頼りにする強い味方である。 長年の外資系企業勤務で培った人脈と行動力・交渉力で世界を奔走。中国の空港公団の重鎮が相手でも、一歩も引かずズバズバ物を言える。それでいて険悪な雰囲気にはならない。交渉の巧みさに大手商社マンも舌を巻くという。

 航空貨物の動向は産業構造と連関している 

 この日の講演では、航空貨物の状況が産業構造の変化と密接不可分にあることを示して参加者たちを驚かせた。例えば輸出入貨物の取扱量と金額の推移を見ると、日本の製造業が海外へ移転して国内産業が空洞化してきた現状が統計に表れている。いまの状況を端的に言えば、輸出する貨物が急激に少なくなってきたということだ。

 これまでの機械、部品、 化学製品などに代わって高級果物や生鮮食品などが新たに存在感を見せ始めている。このような物流は温度管理をして輸送することになるので、輸送手段も空港 の設備も運搬する方法もすべて温度管理に適したものでなければビジネスにはならない。航空輸送の構造改革が始まっている。

 国際的な物流、航空貨物現場の遅れなどをしてきた園山氏は「世界は物流からモノの価値が生まれる時代になっている。国際物流の出入り口である空港は、いつでも必要なときに離発着が可能でなければ新しいビジネスは獲得できない」という。

 韓国の仁川空港に後塵を拝する日本 

 

 たとえば成田空港は、午後11時から午前6時まで発着はできない。空港周辺住民の騒音規制からだが、このままにしておけば日本は産業競争力で大きなデメリットを持つことになるという。韓国の仁川空港は24時間の発着を許可しており、何よりも年間の1機当たりの着陸料が成田のほぼ3分の1程度になる。空港の上屋賃借料は成田5分の1強、ハンドリング料も成田のほぼ3分の1である。

 

 韓国は東アジアの航空貨物のハブ空港を目指し、国ぐるみで取り組んでいる。さらに航空貨物の設備と運用を売り物に、途上国などの貨物空港ターミナル建設の受注を目指して積極的に攻勢をかけており、仁川空港は航空貨物の中心に育てる戦略が着々と実現しているという。

 

 これはシステムのノウハウであり、知的財産権でもある。このようなビジネスは戦略がなければ成功しない。日本はこの面でも劣化してこないよう国家的な戦略がほしいのである。

 

 

                               

第95回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第95回21世紀構想研究会(http://www.kosoken.org/)は、9月18日にプレスセンタービルで開催され、東京理科大学の坂口謙吾教授から「バイオ発電」について語ってもらった。

 バイオ発電とは、グルコース(ブドウ糖)を原料にする発電で、よく言われているバイオマス発電とは違う。坂口教授は、人類が地球上に登場して以来、どのようにエネルギー消費が変転したかを説明し、化石燃料を使い続けているといずれ人類は破たんすることを示した。

 そのあとでエネルギー革命を起こすにはバイオ発電しかないとして、その具体的な実現方法について学術的な根拠を示しながら提示した。日本にとってバイオ 発電は、十分な電力を安定的に生産でき、原料は海外に依存することなくクリーンで何よりも高い電気料金にならないということだ。

 ただ今の状況では政府も研究機関も及び腰で、この構想は賛成しても実現に取り組む姿勢が見えないという。それならば、世界の大金持ちに投資してもらい、実現の研究を広げる方法があるのではないか。そのような視点での討論だったが、非常に盛り上がった講演会だった。

 

 

                               

荒井寿光氏の講演

                               
                 

 

 第94回21世紀構想研究会が7月9日(月)に開催され、多くの参加者で盛り上がった。

 今回の講師は元特許庁長官、内閣官房知財戦略推進事務局長、通産省通商産業審議官、21世紀構想研究会アドバイザーでもある荒井寿光氏(中小企業投資育成投資株式会社代表取締社長)である。

荒井寿光氏は、1996年に特許庁長官になると矢継ぎ早に知財改革に着手し、産官学の知財意識に変革を求め特に企業の知財戦略を変えることに成功した。そ の後、通産省通商産業審議官を経て民間に転進したが、小泉内閣の知財戦略本部の設置とともに内閣官房に設置された知財戦略推進事務局長として采配をふる い、知財推進計画を策定して多くの実績をのこした。

しかし小泉政権終了後、知財改革は停滞期に入り、くるくる変わる歴代内閣の知財政策も存在感が薄くなってしまった。
  その間、中国、韓国が知財改革を急進的に推進させ、両国の産業競争力の増強ともあいまって知財政策でも日本を凌駕し始めている。米欧も知財政策を着々と進めており、日本の停滞が際立ってきた。
 荒井氏は、直近の世界の知財動向を分析しながら日本の知財改革への道筋を提言し、知財再構築への提言なども行った。

 講演後の質疑応答では、多くの人が意見を陳述したり討論を行い、日本の知財の将来展望について今後の取り組みを語り合った。

 

                               

第91回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

第91回・21世紀構想研究会が2月1日、東京日比谷のプレスセンターで開催され、研究会のアドバイザーでもある銭谷眞美・東京国立博物館長が「東京国立博物館ーその歴史と今年開催のハイライト」と題する講演をおこなった。

 トーハクの呼称で親しまれている東京国立博物館は、日本で最も古い歴史を持つ博物館であり、国宝だけで137点を所蔵しているという。明治5年(1872年)に創設されて以来、幾多の所管の移転と災害をくぐり抜けて今日のトーハクにつながっている。

 来年は創立140周年を迎えるという。その記念のイベントも盛りだくさん用意されている。今年は、現在開催されている「北京故宮博物院200選」に続いて、3月20日からボストン美術館が所蔵する日本美術のコレクションを披露する特別展が開催される。

 この日の講演ではトーハクの歴史とその活動内容など興味あふれる話が続き、参加者との質疑応答、意見交換も活発に行われた。日本の伝統的な美術は、世界の中でも異色なものであり、世界に発信する力を強くすることも必要だろう。

 デジタル、インターネット時代だからこそ、芸術活動や美術鑑賞の世界が価値観を持つ時代になったと受け止められる。そのような感慨を持ちながら銭谷館長の講演を聞いて楽しかった。

 

                               

21世紀構想研究会の忘年パーティを開催

                               
                 

 21世紀構想研究会の忘年パーティが、12月7日、プレスセンターで開催され50人を超える参加者でにぎわった。

 この日のゲストスピーカーには、藤原歌劇団団員ソプラノ歌手の砂川涼子さんが来てくれた。21世紀構想研究会の会員である永野博・(財)日本オペラ振興会理事長が、自分とオペラとの関わりについて講演し、そのあとで砂川さんのトークと会場との質疑応答となった。

 

 この日の演題が「心おどるオペラの世界へようこそ」となっているので、砂川さんの歌唱を期待して出席した会員もいたようだが、会場のこの部屋では唄うことは禁止されているので、砂川さんと永野さんのトークだけとなった。

砂川涼子さんのプロフィール

http://www.gotoh-mf.jp/show/0074_16_opera_ryouko_sunakawa.php

 

 

 オペラの観劇というと敷居が高いようだが、意外と21世紀構想研究会の会員の皆さんも観劇している人がおり、興味もあるようだ。オペラの魅力について語る砂川さんのお話で、すっかりオペラファンになり、劇場に足を運ぶ人も出てきそうだ。

 

 

 

 トークショーのあとは、恒例のパーティとなり、異分野の人の飛び入り参加もあって楽しい懇談の場となった。21世紀構想研究会へ入会した井上リサさん、 福間智人さん、三和圭二郎さんの3人が挨拶を行い、21世紀構想研究会も新しい人々の輪が広がっていくことを期待したい。

 

 また、本研究会の最年少である33歳の小林憲人さんが挨拶に立ち、埼玉県ふじみ野市の市会議員として活動している様子を語って拍手を浴びていた。

 この忘年パーティで、21世紀構想研究会は90回を迎えており、2013年には100回を迎えることになる。今からその記念開催に向けて準備に入ることになる。

 

                               

メタンハイドレート委員会の打ち合わせ会

                               
                 

 

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 21世紀構想研究会のメタンハイドレート実用化研究委員会(平朝彦委員長)の打ち合わせ会が、10月27日、東京・内幸町の海洋研究開発機構(JAMSTEC)東京事務所のセミナー室で開催され、平委員長を囲んで当面の研究動向について討議し、情報交換を行った。

 この日の打ち合わせ会ではまず、高知県の杉本昭寿氏から最近の研究動向が発表され、今後の展開について話し合った。東日本大震災がもたらした東電福島原発の事故を見るまでもなく、新エネルギーに対する開発と取り組みは非常に重要な課題になっている。

 その中でメタンハイドレート(MH)の実用化開発をどうするのか。国の開発戦略は、必ずしも挑戦的なものでなく、企業の開発参加も重要ではないか。国際 的な開発動向とMHの世界の埋蔵分布による戦略も俯瞰する必要があるだろう。そのような話題を話し合いながら委員会の開催に向けて今後の活動を模索した。

 

                               

山下俊一教授が21世紀構想研究会で講演

                               
                 

 

「私たちは、発がん物質の海の中を泳いでいる」と語ったのは、杉村隆・国立がんセンター名誉総長である。ことほど左様に環境中には、発がん物質があふれており、がんへのリスクに日常的にさらされて私たちは生活している。

 海外へいくために長時間、フライトすれば宇宙からの放射線を浴びるし、健康検診でCTスキャンを受ければこれまた大量の放射線を浴びることになる。単に発がんリスクを語れば、タバコ、高塩分摂取、肥満、運動不足などいくらでもある。

 先の東電福島原発の事故で、福島県民はどのくらいの放射線リスクにさらされているのか。それを科学的に検証して説明し、いたずらに怖がるのではなく「正 しく怖がろう」と説明するのが福島県立医科大学副学長の山下俊一教授である。山下教授は長崎大学医学部で放射線医学の第一人者として国際的な活動をしてき た。

 この日の21世紀構想研究会の講演でも、広島・長崎の原爆被爆者の膨大な疫学データや、チェルノブイリ原発事故後の科学的なデータを示しながら、諄々と説明した。

 山下先生の解説では、「放射線を100ミリシーベルト以上浴びると発がんのリスクが上がるが、それ以下の低線量被爆者の健康被害の確定的なことは分かっていない」としている。ただ福島県民の人々で100ミリシーベルトを超える線量を受ける危険性はないという。

 山下先生が強調しているのは、政府の発信するデータへの信頼回復とメディアの正しい報道、さらに被ばく医療の専門家が住民に丁寧に説明することだとい う。一部の週刊誌や出版物で、科学的に未確定のことをあげて危険性を主張する論述がある。こうした報道がいたずらに国民に不安感を植え付けないようにする ことこそ大事なことである。

 山下先生の解説をバッシングする風潮も出ているようだが、自身の信念に責任を持って語ることの重要さをこの日の講演で受けたもっとも重要なことだった。

 

                               

東北電力女川原発を見学

                               
                 

 

 東日本大震災で被災しながらも津波の被害を受けず、原発サイトにある体育館を避難住民に提供した東北電力・女川原子力発電所を8月25日、21世紀構想研究会の一行が見学訪問した。

 一行は女川原子力発電所の渡部孝男所長らの案内で所内を見学し、まず原子力発電の状況を見学した。いま同原発は定期検査と今回の震災後の点検で3機とも安定した冷温停止状態にあるが、そのメンテナンスの状況の説明を受けて、原発が稼働するメカについて勉強した。

 また、原子力技術訓練センターでは、想定された大地震発生の瞬間から緊急に対応する訓練を見せてもらった。中央制御室のモックアップの前での臨場感あふれるきびきびした書員の対応は、いかにも訓練を重ねてきたという感じが出ており、見ていて参考になった。

 
中央制御室のモックアップで訓練する所員

 今回の見学の説明で東電・福島原発との比較で分かり易かったのは次のような数値である。まず津波襲来の想定推移であるが、女川では、9.1メートルとしていたが、福島では5.7メートルだった。

 続いて原発サイトの敷地の高さだが、女川は13.8メートルに対し、福島は、10メートルだった。さらに津波の高さは、女川が13メートル福島も同程度 の高さを想定していた。しかし福島は、敷地の高さが10メートルであるから、最高の津波が来たらもろに超えてくるのは設計上でもわかっていたはずだ。

 女川の敷地を海岸の隣接状況を見て、その高さが津波からの決定的な防御になったことがよくわかった。

 また、女川町に隣接する石巻市の被害の状況を、東北電力石巻営業所の山形安生所長と引地宗範副所長の案内で見ることができた。まだ被災地は津波の爪痕が 残っている地域が多く、その惨状を目の当たりにしてびっくりした。引地副所長が被害直後から被災地をつぶさに見てきた話を聞きながら、津波の恐ろしさとそ の被害にあった人々の不幸を思って暗澹たる気持ちだった。

 

 

              津波被害の惨状が、まだいたるところに見られた。

 

 
 
 

被災者の鎮魂のモニュメントには、献花する人々が絶えないという。石巻の1日も早い復興を願わらずにはいられなかった。

 
      

             

                               

21世紀構想研究会の法人会を開催

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の法人会の集まりが、7月25日、赤坂の「ふきぬけ」で開催され、これからの構想研究会の在り方などで意見交換をした。

 「ふきぬけ」は、本会理事で法人会員である染谷幸雄さんの企業、株式会社日本一が経営するうなぎのレストランで、有名な老舗である。この日は高知県の杉本昭寿さんと渡辺望稔さんらも加わって、楽しい懇談の席となった。

 21世紀構想研究会の研究会は、今年で90回を超えて、2年後には100回を迎える。継続は力なりであり、ここまで続いているのは法人会からの支援によ るところが大きい。大震災では、2回にわたって緊急報告・討論の会を開催したが、これからもタイムリーなテーマで研究会を開き、社会への喚起や政策提言で 存在感を出していきたい。

 

                               

第88回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

第88回・21世紀構想研究会は、7月7日に日本記者クラブで開催され、「大震災の報告その3」として、 東北電力女川原発の報告と原発に関する課題について活発な討論が行われた。

 この日の講師は、東北電力東京支社の宮本保彦副支社長、大渕正和同副支社長で「東北地方太平洋沖地震による女川原子力発電所の状況について」と題して講 演を行った。女川原発の現場には、高さ13メートルの巨大な津波が押し寄せたが、運転中の3基の原発はいずれも自動停止し、冷温停止に至った。

 東電福島原発の惨状と比べると余りの違いにびっくりするが、その原因がよくわかった。女川原発は、海面から13.8メートルの敷地に建設されていたために、津波が押し寄せることはなく、海水をかぶって電源を失うこともなかったのである。

 それでも地震の揺れで重油タンクが倒壊して油が漏出したり、地下に埋設してあった潮位計の上蓋が押し上げられて海水が入り込んだりしたが、それほどの被 害もなく無事に収拾した。女川周辺では津波の被害をもろにかぶってすべてを失った住民も多く、被災者たちを原発敷地内に誘導して緊急の避難所として提供し たことも分かった。

 東電と女川の決定的違いは、原発サイトの建設敷地である。津波が来ても届かない敷地を選択した女川とそのような考えもなく防潮堤も低かった福島原発で は、天地の差が出てしまった。また東電は、災害が発生した後の処理はミスがあったとしか考えられない不手際が続き、取り返しのつかない事態へとつながって いった。

 この大災害は、たとえて言えば戦争に匹敵する国難である。指揮系統、判断力、決断力など人知の総力をあげて取り組んだ結果が今日の体たらくということ は、危機管理が全くできていなかったということにもなる。女川原発は対照的に非常にうまく危機を潜り抜けたことになり、3基の原発はすぐに冷温停止となり 以来、安定している。

 研究会の論議では、再生可能エネルギーによる発電などの推進策も出たが、GDP世界3位、家庭では何不自由なく使い放題の電力を使い、工業国として世界 有数の生産力を誇る日本のすべての電力をまかなうことを考えると風力、地熱、太陽光などのエネルギーでは到底間に合わない。

 もちろん、節電効果も考える余地はあるが、しかしこれは限度がある。それでは日本のエネルギーはどのようにして確保するのか。海底に眠るメタンハイドレードの利用を含め、再生可能エネルギーの推進策もあるが、もっとも重要なことは国民の意識改革だろう。

 ことはエネルギー問題だけではない。これからの日本をどのような国家として建設するのか。国民の価値観と生活様式、文化まで考える必要がある。エネル ギー問題は、単に経済的な問題ではなく国家と国民の意識と文化にまで広がってきている。そのようなことを意識させた研究会だった。

 

 

                               

第87回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第87回・21世紀構想研究会は、5月31日に日本記者クラブで開催された。この日は2011年度の総会も開かれ、昨年度の活動報告と決算内容が満場一致で承認された。さらに2011年度の活動計画と予算案についても承認され、近く東京都に届け出ることになった。

 総会のあとは、「東日本大震災の報告会その2」をおこなった。この日の講師は、内閣府参与の広瀬研吉氏である。本会の会員でもあるが、広瀬氏は元原子力安全保安院院長として、いま首相官邸と原子力安全保安院、原子力安全委員会の連絡調整役という重要な任務を行っている。

 講演では、福島原発の事故について時系列に従って事故の概要を説明した。原子炉に制御棒が入って炉心の反応が停止したあとに津波の被害を受けて電源を失い、冷却システムの立て直しに至る過程を整理して示した。

 広瀬氏は、現在の立場と任務があるので個人的な見解は全くせず、すべて公表されてきた内容に基づいて整理したものを示したものだが、改めてこの事故の流れを知って問題の整理をすることができた。

 講演の後は質疑応答と見解の発表、意見交換などであったが、非常に活発な意見交換会だった。今後の日本の原子力防災と取り組みについても建設的な意見か ら原発撤退という厳しい意見まで一通り出されたが、まだ原発サイトの冷温システムは確立されていないだけに心配する声も多かった。

 筆者もいくつかの見解を述べたが、特に今回の大地震とよく似た平安時代の貞観地震の学術的な検証と行政対応についていくつかの疑問点をあげた。このテーマについては、これから多くの検証が行われるだろう。

 

                               

第86回21世紀構想研究会は大震災の報告会

                               
                 

 

 第86回・21世紀構想研究会は、4月25日、プレスセンターで開催され、「東日本大震災の緊急報告会」を行った。

 報告者は、宮城県南三陸町で大震災に被災した佐藤門哉さん、災害発生後から日夜報道をしてきた読売新聞東京本社科学部の柴田文隆部長、野依英治科学部記者、伊藤崇科学部記者の4人である。

 津波の被害を受けて九死に一生を得て助かった宮城県南三陸町の佐藤門哉さんが、まず被災した当日の模様を語った。有線放送で流れてきた津波情報は、高さ 6メートルという警告であり佐藤さんはこれなら防波堤を超えてこないだろうと軽い気持ちで自宅裏の高台にのぼったという。

 その時のビデオ映像と写真をもとに報告した内容には、息をのむような場面が多数あった。逃げ遅れて津波に呑み込まれようとしている人々の姿には何とも言えない痛切の気持ちだった。

 取材記者として巨大地震のメカニズムを追い求め、津波の被害を見るために現地を取材した記者たちの仕事は、現場と読者の間に立ち、媒体としての役割を果たしている活動がよくわかった。

 福島原発のトラブルについては、柴田部長が報告したが、政府、東電側の説明と発表内容に幾多の矛盾が見られ、国民に対する報告義務に欠けているのではないかと思わせる原子力安全委員会の活動などについて言及した。

未曽有の災害に遭遇した菅政権は、ある意味で政権浮上の絶好のチャンスを得たにもかかわらず、国民の信頼を得られなかった。政権浮上を意識したときに 守りの意識に入り込んでいったのではないか。日本の最近の政治活動の貧困さを浮き彫りにするような出来事だったのではないか。

 いずれ今後の歴史の検証で明らかになっていくだろう。

  

第84回21世紀構想研究会 

第84回21世紀構想研究会は2月22日(火)に、東京駅丸の内の創英特許法律事務所のセミナー室で開催され、約40人が参加して有意義な時間を過ごした。

今回の講師は、ベンチャー企業を立ち上げて東証1部上場まで育てあげた株式会社モリテックス創業者の森戸祐幸氏が、内紛に嫌気をさして創業した同社を惜しげもなく売却、再び起業家として身を投じました。

そして、その体験から得た日本の企業文化、日本の社会、日本人の精神文化を鋭利に分析して語ってもらいました。

講演後の質疑では、感銘を受けたというコメントが寄せられ、翌日になっても反響が続いている。

             

                               

ベンチャー企業で果敢に市場に打って出る森戸祐幸氏を訪問

      

東証1部上場企業の株式会社モリテックの創業者として知られる ユーヴィック株式会社社長の森戸祐幸氏を訪問し、活動状況を取材した。

 森戸さんは、昭和39年、日本はまさに高度経済成長期に差し掛かったころ、東京理科大学理学部応用化学科を卒業して丸紅に就職。その後、自ら商社企業を興しやがて光ファイバー関係の製造業へと転進した。ベンチャー企業の走りである。

 創業したモリテックスは右肩上がりに業績を伸ばし、東証1部上場にまでのし上がった。しかしその後、経営方針で企業内部でトラブルが発生し、嫌気した森戸氏は創業会社を辞めて別天地へと転進した。それが光触媒関連のユーヴィック株式会社である。

 森戸さんは、60歳過ぎてからベンチャー企業を興しているので、これをシニアベン チャーと名付けているが、その飽くなき技術開発への挑戦は、その方針を聞いている方も胸が躍るような話である。2月22日には21世紀構想研究会で下記の ような講演をする予定であり、今から楽しみである。

第84回21世紀構想研究会 

 第84回21世紀構想研究会は2月22日(火)に開催いたします。

 今回の講師は、ベンチャー企業を立ち上げて東証1部上場まで育てあげた株式会社モリテックス創業者の森戸祐幸氏が、内紛に嫌気をさして創業した同社を惜しげもなく売却、再び起業家として身を投じました。

 そして、その体験から得た日本の企業文化、日本の社会、日本人の精神文化を鋭利に分析して語ってもらいます。 

 8421世紀構想研究会

日 時:2011222日(月)19:00

 場:創英国際特許法律事務所セミナールーム

演 題:「シニアベンチャー企業を立ち上げる」   

  ~あくなき挑戦 魅力ある人生を求めて~

 講 師:森戸祐幸氏(ユーヴィックス株式会社代表取締役社長、株式会社モリテックス創業者、元同社代表取締役会長)

 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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メタンハイドレート実用化について高知県知事と会見

                               
                 

 メタンハイドレートの実用化で内閣官房の総合特区に申請している21世紀構想研究会の代表である筆者と平朝彦・メタンハイドレート実用化研究いい回委員長らメンバー及び高知県の黒岩県議らは、12月24日、高知県庁を訪問し、尾崎正直知事と会見した。

 まず、筆者から21世紀構想研究会の自己紹介をした後、平委員長からメタンハイドレートと高知県の関連について説明し、今後のメタンハイドレート実用化には県も全面的に協力体制を整えてほしいとの要請を行った。

 これに対し知事は、メタンハイドレートの実用化についての意義を理解し、これから高知県がどのようなメリットがあるかなどを検討し、このプロジェクトに 前向きに取り組むことを検討したいと表明した。県がどのような体制で参加してくれるかはまだ決まっていないが、知事と出席した県幹部の方々も好意的に受け 止めたように感じられた。

 これから地元産業界などにも働きかけ、東京の21世紀構想研究会のメンバーと一体となってこの実用化戦略を推進したい。

 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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高知市でメタンハイドレート研究会を開催

                               
                 

 

 メタンハイドレート実用化研究会が12月23日、高知市のホテルで開催され、地元の産業界、行政、各種団体、市会・県会議員ら約40人が参加して、今後の産業化へのプログラムについて意見交換を行った。

 この研究会は、21世紀構想研究会が内閣官房が公募している総合特区制度に提案したメタンハイドレート実用化についてのプロジェクトの具体的な取り組みについて、地元高知県で初めて趣旨説明と今後の支援を依頼するために黒岩県議らが奔走して開催したものだ。

 まず、平朝彦・独立行政法人海洋研究開発機構理事が「海底資源研究開発と高知県の役割 -特にメタンハイドレート研究開発を例としてー」の講演を行った。これは総合特区に提出した申請書に描かれているプロジェクトの内容について理解を求めたものだ。

 ついで筆者が、21世紀構想研究会がこの提案に至った経過を説明し、高知県の皆さんと東京のグループが一体となって総合特区のプロジェクトに採用されるように頑張りたいとの決意を表明した。

 さらに21世紀構想研究会の渡邉望稔弁理士が、メタンハイドレートを海底から汲み出す技術で特許出願をしている杉本昭寿氏の技術内容と今後の展望について説明し、地元の方々の賛同と一体化となって活動することを訴えた。

 出席者の多くは、このプロジェクトの趣旨や内容については初めて触れる人が多かったようだが、この研究会後に開催された懇親会の席上でも、大半の参加者がプロジェクトに賛同しており、今後の取り組みに積極的に参加する意志を表明した。

 

 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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第84回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第84回・21世紀構想研究会が12月21日、プレスセンターで開催され、忘年会もかねた楽しい宴で今年の活動に区切りをつけた。

 この日は、21世紀構想研究会のメンバーだけでビジネスを立ち上げているVOXMOL方式の発表会を行った。この方式は、21世紀構想研究会のメンバーである関口博司さんが発明者した技術であり、それを長谷川芳樹弁理士が特許権利化した。

 その技術開発の話を聞いた筆者が、メンバーの株式会社ガリレオ社長の合原亮一氏に実用化戦略で検討を依頼し、ガリレオが実用化の開発を手がけて、市場へ出すまでになった。つまり、21世紀構想研究会の4人がそれぞれの立場で力を発揮して、市場に殴り込みをかけているものだ。

 開発したのは、英語、中国語など外国語のリスニング学習をする場合に音声再生プレ イヤーに応用する技術である。リスニング学習をしているとき、「再生されたところをもう一度聴き直したい」と思ったときに、適切な位置に戻す技術である。 ガリレオでは「spirivio」として市場に出した。

 関口さんが以前に開発したリンガマスター方式をさらに進化させ、人間の発声と呼吸 との間合いをうまく取り込んだ方式になっている。教材はインターネットにある音声ファイルである。たとえば教材となる英語の音声ファイルをサーバで区切っ て位置データを作成し、その区切り位置をもとに元の音声を再生する。 サーバで提供される音声ファイルの区切り位置データは日々追加することも可能だ。

 最初は無償で提供し、後で有償にしていくというビジネスメソッドであるが、この方法がビジネスとしてうまく軌道に乗るかどうか。関口氏のリベンジ開発であり、ガリレオの新規市場開拓として成功するように支援したい。

 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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メタンハイドレート実用化研究委員会の開催

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の第2回メタンハイドレート実用化研究委員会(平朝彦委員長)が、12月6日、東京・内幸町の海洋研究開発機構(JAMSTEC)東京事務所のセミナー室で開催され、約20人が参加して活発な討論を展開した。

 この日の委員会ではまず、平委員長が「海底資源探査の現状と将来」と題する基本的な情報レクチャーを行い、続いて鈴木朝夫氏(高知市在住、東工大、高知工大名誉教授)が、杉本昭寿氏の発明したメタンハイドレート採取工法について説明を行った。

 この技術は、海底数百メートルから1000メートルにあるメタンハイドレートを採取する際に、海底の現場でエネルギー源を作り、そのエネルギーを利用し てガス化して海上へと汲み上げる方法である。特許出願もしており、この技術をメタンハイドレート採取の標準化までできないかとする夢を持っている。

 続いてメタンハイドレート開発について東大工学研究科の増田昌敬・准教授がカナダで実施された日加共同プロジェクトの成果を紹介した。これは永久凍土下 の地層中にあるメタンハイドレートを減圧方式と言う技法によって分解してガスを汲み上げるもので、実用化になるだけの生産もできた。しかしメタンハイド レートの分解に伴って地層中の砂が産出するという現象も確認され、これをどう処理するかという新たな課題も出てきている。

 このような課題解決には、技術開発で相当の時間がかかりそうだ。天然ガスのコストより下回り、安定して供給できるようになるためには、まだいくつもの難問を突破する必要があるだろう。

 杉本氏の発明した特許技術がどのように実証されて実用に利用できるようになるか。その期待も大きいが、まだ実証もできていない技術だけに未知数である。 しかしこうした技術の実証実験を通して高知県の地域振興に活用したい意気込みもあり、東京グループと連携しながらエネルギー改革への波紋を起こしていきた い。

 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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第83回21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第83回21世紀構想研究会が11月22日、プレスセンターで開催され、約40人の参加者が活発な論議を展開した。

 この日の研究会では、まず林幸秀氏(元文部科学省文部科学審議官)が、日本に横たわる科学技術をめぐる課題を洗いざらい整理して提示した。これは先ごろ 刊行した「理科系冷遇社会」(中公新書ラクレ)で提示した課題をまとめたものであり、科学技術創造立国を国是としている日本は果たして、そのような国創り になっているかどうか疑問視するデータを多く示した。

 この基調講演のあと、会場との質疑・討論に入ったが、安西祐一郎・慶応義塾大学理工学部教授は「日本はあらゆる階層の人々が、本気になって科学技術創造立国に取り組んでいない」とする主旨の発言をしたが、その通りであると筆者は感じた。

 時の政権は、都合のいいときだけ科学技術を標榜するが、日ごろから政策の課題としてはほとんど視野に入れていない。法学部卒が主体の財務省官僚は並べて 科学オンチであり、科学技術を語るときは予算緊縮など数字的な裁量をするときだけのようである。これは多くの技術官僚の感想である。

 政治家もまた、ほとんどが科学オンチであり、2代続いた理系総理大臣には、科学技術創造立国を前面に出すような言動は何もなく、科学技術に関する国家的な戦略は自民党政権から続いて依然として不明である。

 日本から科学技術を取り除いたら、何が残るのか。借金だけではないか。デジタル産業革命によって世界は時間差がなくなり距離感もなくなった。その時代の変革に迅速に対応する国家戦略の中では、科学技術が最も重要なテーマである。

 この日の討論でもその課題に集約する発言が相次いだ。

 

               
                               
               
             

                           

                   
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メタンハイドレート実用化戦略のミーティング

                               
                 

 

 内閣官房が公募している総合特区制度への提案に、21世紀構想研究会からメタンハイドレート実用化戦略について提出した。政策提言であり、採用されればメタンハイドレート実用化への大きな刺激になると期待される。

 11月15日、このプロジェクトの中心になりリーダーになっている平朝彦先生の事務所に集まり、メタンハイドレートを海底から回収する技術を発明して特許出願している杉本昭寿氏からその特許技術について解説を受けた。

 民主党政権の新成長戦略「元気な日本復活のシナリオ」として総合特区制度が創設されるが、「メタンハイドレート実用化に向けた戦略」が採用されれば、日本をエネルギー大国へと転換させることも夢ではなくなる。

 今回応募した内容をさらに討議して熟度を高める必要があり、12月6日には21世紀構想研究会で第2回のメタンハイドレート実用化研究委員会を開催する。

               
                               
               
             

                           

                   
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第82回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第82回の21世紀構想研究会は、9月17日、東京内幸町のプレスセンタービルで開催され、60人というかつてない参加者が熱心に聴講した。

 この日の講師は、平朝彦先生(独立行政法人海洋研究開発機構理事)で、 演題は「ちきゅう」号による新しい地球像の探求 ~ メタンハイドレート 熱水鉱床 地下生命圏 ~」
   
 海世界トップの性能を誇る地球深部探査船「ちきゅう」が探査する巨大地震発生のしくみ、地球規模の環境変動、生命の起源と海底に広がる新しい生命観、新しい海底資源などについて最新の情報を解説した。

 暗黒の海底は、想像を絶する生命体やエネルギー源であふれているようであり、特にメタンハイドレートの広がりには、大変、興味を持った。
 メタンハイドレートとは、簡単に言うと海底1000メートル付近にたまっているシャーベット状になっているメタンである。海底1000メートルは100気圧になるので、メタンガスにならないでシャーベットになっている。

 これを地上にくみ上げると約160倍の容積のメタンガスになり、これを燃料に使ったり、化学製品の原料にする。埋蔵量は、高知県沖合いなど日本列島のすぐ近くに眠っているメタンハイドレートだけで、日本の天然ガス消費量のほぼ100年分とされている。

 これを実用化しようという「メタンハイドレート実用化委員会」が21世紀構想研究会に設置され、委員長に平先生が就任した。また、内閣官房で公募している地域活性化プロジェクトに応募することも決まっている。

 このプロジェクトには、21世紀構想研究会会員である、高知県の杉本昭寿氏の発明した特許技術を活用しようとするものだ。その杉本氏の発明を特許 化している渡辺望稔弁理士も会員である。こうした人的ネットワークをフルに動員して、高知県の地域活性化だけでなく、日本をエネルギー大国にしようと言う 野望である。

 メタンハイドレートの実用化は、世界の誰かがやるエネルギー革命である。日本が世界の先導役にならなければ意味がない。なぜなら日本近海に眠っているメタンハイドレートを利用しないてはないからだ。

 大きなプロジェクトのスタートで、21世紀構想研究会の会員の中にも活気がみなぎってきた。是非、形あるものにしたい。

               
                               
               
             

                           

                   
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メタンハイドレート実用へ取り組む4人が来訪

                               
                 


 写真は左から黒岩直良高知県議会議員、渡辺望稔弁理士(元日本弁理士会副会長)、鈴木朝夫東工大名誉教授(高知工科大名誉教授)、杉本昭寿株式会社みかづき代表取締役。

 日本を世界有数のエネルギー大国にしようと考えている4人の活動家が、8月27日に馬場研究室に訪ねてきた。21世紀構想研究会で新たな委員会を設置することも決まっており、近く内閣官房が公募している国際戦略総合特区への応募を予定している。

 来訪したのは、写真で見るように黒岩直良・高知県議会議員、渡辺望稔弁理士(元日本弁理士会副会長)、鈴木朝夫・東工大名誉教授(高知工科大名誉教授)、杉本昭寿・株式会社みかづき代表取締役の4人。

 4人の方々は、メタンハイドレートを実用化するために並々ならぬ情熱を持っており、この日は21世紀構想研究会で政策提言テーマにしてほしいとの熱い思いを語るための来訪だった。

 日本近海には、膨大な量のメタンハイドレートが眠っている。 
 メタンハイドレートとは、簡単に言うと海底1000メートル付近にたまっているシャーベット状になっているメタンである。海底1000メートルは100気圧になるので、メタンガスにならないでシャーベットになっている。

 これを地上にくみ上げると約160倍の容積のメタンガスになる。これを燃料に使ったり、化学製品の原料にするが、メタンは非常に使い勝手のいい化学原料とされており、実用化への期待が大きい。

 埋蔵量は、高知県沖合いなど日本列島のすぐ近くに眠っているメタンハイドレートだけで、日本の天然ガス消費量のほぼ100年分とされている。これを実用化に成功すれば、日本は世界有数のエネルギー資源国になる。

 すでにカナダでは海底から汲み上げて実用化に着手しているが、汲み上げたときに海底の砂も一緒に地上へ汲み出すので、新たな環境問題が出てきている。
 そのような課題を解決する技術を考えたのが、発明家でもある杉本昭寿氏である。すでに2件の特許を出願しているが、そのほかにも多くのアイデアを練っているようだ。

 杉本氏は独創的な水の浄化装置を発明し、代々木のオリンピックプールなどにも採用されている。そのほかにも様々な特許技術を編み出している発明家であり、その特許出願、取得で支えているのが渡辺望稔弁理士である。

 このお二人は、21世紀構想研究会の会員でもある。さらに鈴木朝夫先生もメタンハイドレート実用化推進の共鳴者であり、地元の有力者である黒岩直良高知県議も加わってプロジェクトチームを結成している。

 21世紀構想研究会では、エネルギー安全委員会を衣替えして、メタンハイドレート実用化研究委員会とし、委員長には平朝彦先生(独立行政法人海洋研究開発機構理事)に就任することになっており、近く政府に対する政策提言へ向けて活動を開始したい意向である。

               
                               
               
             

                           

                   
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創英国際特許法律事務所の移転

                               
                 




 新事務所の入り口で長谷川所長(左)と光野文子所長補佐が出迎えてくれた。

 特定非営利活動法人21世紀構想研究会の理事をしている長谷川芳樹所長の創英国際特許法律事務所が東京・銀座から丸の内に移転した。
 旧明治生命ビルに隣接した近代的なビルの9階に移転したものだが、早速表敬訪問すると、ロビーは移転お祝いの花に埋もれていた。

 オフィスの窓からは、皇居を眺望できる素晴らしいビューポイントがあり、職場の人たちも生き生きした様子で働いている。周辺は丸の内のビル街であり、近代的な垢抜けした雰囲気が漂っていた。

 創英国際特許法律事務所の移転先は下記の通りです。

〒100-0005 
東京都千代田区丸の内二丁目1番1号 
丸の内 MY PLAZA(明治安田生命ビル) 9階
TEL 03-6738-8001 (代) FAX 03-6738-8004 (代) 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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「小さく産んで大きく育てるは大きな誤り」を講演

                               
                 

 

 第81回・21世紀構想研究会は、7月1日午後7時から東京の日本記者クラブで開催され、早大胎生期エピジェネテック制御研究所の福岡秀興教授が、最新のエビデンスを紹介しながら生活習慣病は胎児期に発病のタネを植えられてくるとする衝撃的な研究内容を発表した。

 日本では昔から赤ちゃんを産むとき「小さく産んで大きく育てる」という言い伝えが語られてきた。出産は大変な負担だが、赤ちゃんが小ぶりならそれだけお産の負担が軽くなる。出産後の育児で大きくて丈夫な子供に育だてていけば、その方が母子ともに幸せである。

 そのようなことを希望してこの言い伝えは代々、言われてきたのだろう。
 ところが最近の医学は、これを否定するエビデンスを突きつけてきた。小さく生まれた子供は、子供時代も大人になっても老年になっても、健康不安や成人病の罹患率が高くなるという論証だ。

 生活習慣病は、胎児期に発症する芽を植えられてくるという衝撃的な疫学調査結果である。イギリスの研究者らを中心に発展した研究テーマだが、胎児プログラミング説としてにわかに注目を集めるようになってきた。

 生まれたときの体重が2500グラム以下を低出生体重児と呼んでいる。日本ではこのような低体重の赤ちゃんの生まれる比率が年々高まっているとい う統計にはびっくりした。1975年ころは出生割合が5パーセント程度だったが、近年は10パーセント程度まで増えてきている。

 2003年の経済開発協力機構(OECD)の先進30カ国の統計を見ると、日本は9.1パーセントで低体重児が生まれる最大割合になっている。つまりワースト1である。
 なぜ、こうなってきたのか。日本の出産女性(妊婦)はやせている女性が多いようであり、これでは必然的に小さな赤ちゃんが生まれてしまう。妊婦が細身になったのだ。

 若い女性の間では、ダイエットが大きな課題になっており、その影響が妊婦にも及ぼしているのではないかという推測もあるが、正確にはよく分からない。
 このように小さな赤ちゃんは、様々な疾病にかかるリスクが、平均的な体重で生まれてきた赤ちゃんに比べて大きく、成長してからも成人病に罹患するリスクが、平均的な体重で生まれた人に比べて高く出ている。
 
 いずれも欧米などの疫学調査や動物実験の結果出てきているものだ。まず因果関係を調べる必要があるし、日本と外国での相違についても正確にとらえる必要があるだろう。
 さらに日本人の生活習慣や社会的な価値観など社会学からのアプローチも必要だし、教育的な観点からの研究も必要だろう。

 福岡先生の研究テーマは、重大な課題を突きつけており、国を挙げての取り組みが必要だ。とりあえず、研究支援を広げていくように文部科学省に働きかけたいと思う。

 

               
                               
               
             

                           

                   
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第80回・21世紀構想研究会の総会と講演会の開催

                               
                 


   2010年度の総会にかける議事内容を決定する21世紀構想研究会理事会
 2010年度の21世紀構想研究会の総会で決定するための理事会が、5月18日、プレスセンターで開催され、昨年度の事業内容と決算を承認し、総会の議 題を決定した。理事会終了後に引き続いて開催された総会では、この承認事項を全会一致で決議し、今年度の活動計画と予算書を決定した。

 その後、第80回の節目を迎えた21世紀構想研究会が開催され、40人以上の会員が日本の研究現場や企業活動現場の課題と将来展望について熱い討論を行なった。

 この日は、文部科学省の中川正春副大臣が講演を行い、その後討論する予定だったが、国会の本会議開催が大幅に遅れたために午後7時からの開催時間に間に合わず、急遽、民主党に要望する討論の場となった。

 中川副大臣に対する要望書は、希望者が各自書面にして直接手渡すことになっていたが、当の本人が欠席となったために準備していた会員がその内容を発表し、それをめぐって討論するという展開となった。

 

 いずれの意見も日本の現状を憂うと同時に、政府の対応施策を要望するものだった。その中でもショックだったのは、日本の研究現場から発信する学術論分数が年々減少の一途をたどっており、研究エネルギーが先細りになってきたのではないかとする黒木登志夫先生の発表だった。

 また、佐々木信夫先生は、日本の成功した高度経済成長期型の経済活動モデルがすでに役割を終えて役立たなくなってきていること、中国、韓国、台 湾、シンガポールなどアジア諸国が日本のかつての経済モデルを追従して追いついてきていることなどを示しながら、知財を重視した施策の重要性を強調し、そ の政策について提言した。

 民主党政権に対する期待と注文は非常に大きく、後日、中川副大臣にこうした要望書を届ける予定である。

               
                               
               
             

                           

                   
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第79回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第79回・21世紀構想研究会が、4月19日、プレスセンタービルで開催され、筆者が「中国の科学技術力と中国の知的財産権の動向」のタイトルで講演を行った。

 中国の経済活動が毎年、驚異的な伸びを示しているのは誰もが認識しているが、科学技術、特に研究開発の力はどの程度なのか知ることは難しい。
 日本科学技術振興機構(JST)の中国総合研究センターなどが実施した、中国の科学技術や知的財産権に関する最近の調査結果と筆者の独自の取材、情報などに基づいた講演内容となった。

 中国の科学技術政策の中で注目するのは、優秀な人材の招聘戦略である。海外へ留学で出て行った中国人留学生を母国へ呼び寄せて、中国の活性化に役立たせようとする国家政策である。
 10年ほど前までは、国費で先進国へ留学した中国人が帰国するのは少数派だったからだ。

 近年始まった「1000人計画」では、一時金として1300万円を政府が帰国研究者に進呈。家の提供はもちろん、配偶者の就職、子弟の学校の斡旋、税制優遇措置など多くの特典を用意している。
 実際に、日本で活躍しているトップクラスの中国人研究者が中国政府から帰国しないかと声をかけられており、大いに迷っているようだ。いずれ、この様な政策は外国人研究者の招聘へと発展するだろう。

 知的財産権の活動も近年素晴らしい実績を積み上げており、すでに商標、意匠、実用新案の出願数は世界トップである。特許出願数でもアメリカ、日本についで3位に浮上してきた。

 PCTによる特許の国際出願数では、通信機器メーカーの華為(ファーウエイ)が2008年にトップになり、2009年にはパナソニックに首位を譲ったが2位を保持している。
 特に最近は実用新案を登録する個人と企業が増えており、侵害訴訟も増加傾向にある。トラブルになっても実用新案の権利を無効にすることは非常に難しいという。
 
 このような現状を踏まえて、中国の知財戦略を展開する必要性などについても強調した。

               
                               
               
             

                           

                   
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第78回21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

第78回21世紀構想研究会は2月4日(木)に開催され、1月1日に東京理科大学学長に就任された藤嶋昭学長が 「物華天宝 ー研究にはセンス、雰囲気、そして感動が大切ー」のタイトルで講演を行った。

 藤嶋昭先生は、1967年に東大大学院生だったとき、酸化チタンを電極にして光を当てると水を分解する現象を世界で初めて発見し、科学ジャーナル「ネーチャー」に発表した。これは「ホンダ・フジシマ効果」と呼ばれ、世界中に知れ渡った。
 
 その後この原理による研究は、橋本和仁東大教授、渡部俊也東大教授らに引き継がれ、藤嶋先生らとも共同研究を進めながら、浄化作用、殺菌作用、親水作用による様々な応用研究と実施へと広がっている。

 講演では、光触媒の研究のあらましを紹介しながら、研究現場の「集団の雰囲気」の重要性や「アインシュタインとナビゲーション」、「ピラミッドの奇跡と土台作り」、「ソメイヨシノはなぜ一斉に開花するか」など独自の視点を織り込んだ非常に魅力ある講演だった。

 特に創造する時代、世代、社会には雰囲気があることを強調し、科学研究には特に必要であることを実例を織り交ぜながら話をした。

 また、自然界の不思議、驚異に感動する心を養うことや、それを子供の科学教育に役立てる話など非常に示唆に富んだ話が続き、会員に大きな感銘を与えた。

               
                               
               
             

                           

                   
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第77回21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 第77回21世紀構想研究会は、12月14日(月)開催され、中村明子・慶応義塾大学薬学部客員教授が新型インフルエンザ対策の講演を行い、そのあとで忘年パーティが開催された。

 新型インフルエンザ(H1N1)は、メキシコ、アメリカなどで確認されたもので、季節性インフルエンザとは違うタイプであるため、従来のワクチンでは効かない。
 症状は、高熱、咳、咽頭痛、倦怠感などであり、鼻が詰まったり頭が痛くなる。通常の季節性インフルエンザとよく似ているが、下痢などの消化器症状が多いと指摘されている。

 新型インフルエンザは、文字通り新型であり、ほとんどの方が免疫を持っていないので、爆発的に感染する恐れがある。

 1918年に世界的に流行したスペイン風邪と同様にパンデミック(pandemic、世界流行)となっているので、この冬は一段と警戒する必要がある。
新型インフルエンザの感染経路は通常のインフルエンザと同じように、咳やくしゃみとともに放出されたウイルスを吸い込むことによっておこる飛沫感染と、ウ イルスが付着したものをふれた後に目、鼻、口などに触れることで、粘膜・結膜などを通じて感染する接触感染が考えられているという。

 スペイン風邪のときにも全く同じこと指摘されていることを中村教授は紹介しながら、マスク、手洗いなどの基本的な予防法が重要であることを強調した。
講演の後は、懇談しながら今年の総括スピーチ・コメントがあり、お楽しみ福引もあって忘年パーティは大いに盛り上がった。

 

               
                               
               
             

                           

                   
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第76回 21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 知的財産権の職務発明や侵害訴訟などで活躍している升永英俊弁護士(ブログ)が、11月9日の21世紀構想研究会で、日本の国政選挙の選挙区割りがいかに不平等であるかを論理的に説明し、大きな感銘を与えた。

 日本では、住んでいる住民の地域によって国政選挙への1票の重みが違う。単純に言うと、田舎に住んでいる人は1票の重みがあり、都会人は軽い。民主主義は、多数決で決めると小学校の時に習ったが、その教えで言うと日本の国政選挙は民主主義ではないのではないか。

 そのことは升永弁護士が7年前に、青色発光ダイオードの職務発明をめぐる訴訟の代理人をしていた多忙なときに、ふいに頭をよぎったという。そのときから民主主義と1票の格差問題について考えるようになり、一人一票実現国民会議の運動へと発展した。

日本のどこに住居があってもほぼ平等に1人1票になるように、公職選挙法を改正するべきだ。それをするのは立法府である。しかし、政治家は、直接自分の利害に関する立法に取り組むことはしない。人情としては分かるが、政治家としては堕落である。

 ならば、最高裁が違憲立法審査権を行使して、違憲判決を出すかというと、高度な政治的な判断だとして違憲判決を避け、立法府に裁量を委ねるという「逃げ」を打つだけである。

 結局、国民だけ置き去りにされており、いつまでたっても一人一票の実現はできない。本来なら3権分立の役割からいっても、司法が明確に違憲判決を出して立法府に法律改正をさせるべきことではないか。

 総選挙のときに最高裁判事の審査を審査をすることができる。日本国憲法79条2項および3項最高裁判所裁判官国民審査法に基づいて、司法の人事に国民が関与できる唯一の国民投票であるが、この制度は一般国民の間で明確には認識されていない。

 升永弁護士がこのことに明確に気がついたのは、2か月前のことだという。この制度を使えば、違憲判決を出さない最高裁裁判官を国民審査の多数決で罷免することが可能だ。「一人一票実現国民会議」の運動は、この制度を利用して、違憲判決を出せないような裁判官は、総選挙の国民審査のときに「×」をつけて罷免しようという運動だ。

 これまで20回ほど、各種新聞などに意見広告を掲載してきたが、その掲載費用はすべて升永弁護士の個人負担でやっているものであり、高い志がなければこのような運動はできない。

 今後はインターネットを利用して支援者の輪を広げ、総選挙の時に行使できる最高裁判事の罷免権を活用する運動に結び付けたいという。この日の出席者は20人ほどだったが、共鳴する人がほとんどであり、今後の運動の発展に協力することだろう。

 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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第75回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 75回21世紀構想研究会は、9月7日、プレスセンターで開かれ、約50人の出席者で盛大な会となった。

 まず、「アトリエの巨匠に会いに行く」と題して写真家の南川三治郎さんが講演し、シャガール、ミロ、ダリ、キリコ、リクテンスタインらとの出会いと撮影の興味深いエピソードを披露し、聴衆を魅了した。

 講演後は会員の中澤律子さん(伊勢丹フードアテンダント)が、アメリカ大統領府のホワイトハウスでもよく飲まれているシャンパンやオーストリアのワインを解説付きで振る舞い、ビンゴの景品と女性限定のワインプレゼントで盛り上がった。
 
 講演会「アトリエの巨匠に会いに行く」 南川三治郎・写真家
 南川さんは主にヨーロッパの人と文化をキーワードに取材、撮影、執筆を続けている。代表作に欧米の画家や彫刻家シャガール、ミロ、ダリ、キリコ、リクテンスタインなどの巨匠と彼らのアトリエを撮影した「アトリエの巨匠・100人」(新潮社)がある。
 また欧米のミステリー作家・グレアム・グリーン、フレデリック・フォーサイス、エド・マクベイン、マイケル・クライトンといった彼らの書斎を撮影した「推理作家の発想工房」(文藝春秋)も高く評価されている。
 これまでに500人以上のアーティストをインタビュー、撮影しているが、このような活動、実績を残しているのは世界で南川さん以外誰もいない。
 
 このほど1970年~1990年にかけて撮影した300人のアーティストの中から31人を抜粋し朝日新聞出版より新書「アトリエの巨匠に会いに行く」を刊行し大きな反響呼んだ。
 今回の講演では世界の巨匠に会うまでのドラマティックな道のりや忘れられないエピソードなどを貴重な記録を写しながら講演した。
 
 オーストリアワインで初秋を爽やかに
 今年は、日墺修好140年の年にあたる。そこで、キリリと冷えた<オーストリアワイン>を味わってみませんか・・・との趣向で、ウィーン、ザルツブルク、ドナウ河その清々しい響きのある国で造られるワインを賞味した。
 生産量が少なく、自国消費の為世界中に僅か1%しか出回っていない<オーストリアワイン>ちょっときどって<ウィーンワイン>と言っているようだ。この日はラベルもカラフルな数種類のウィーンワインを揃え、いろいろ飲み比べてもらった。
               
                               

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第74回21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

            

 

 2009年7月7日(火)、午後7時から21世紀構想研究会が開催され、自民党の小野晋也代議士が、「さらば国会議員、さらば永田町」と題して講演し、参加者と討論を行った。
  
 自民党のホープと言われ、文部科学副大臣など要職を歴任した小野晋也(おの しんや)代議士(54歳)が、次期総選挙には出馬しないと表明して各界に衝撃を与えている。愛媛3区、当選5回。政治家としてはこれから大成する人材として嘱望されていただけに、突然の「引退」宣言には驚きを隠せない。
 先日、自民党の政調会・立国調査会のヒアリングでばったり出会い、小野先生に真意を聞いたところ「政界の論理に疑問を感じた。国民の政治 への不信感は国会で活動を続けても払拭できない。今回の決断は、政界からの引退ではない。今後は在野の政治家として人材を育てていきたい」と語っている。
 代議士になりたい人は山ほどいるが、中央政界のホープとされた中堅政治家が潔く辞めていくのは稀有のケースである。

 小野代議士は、講演の中で次のように語った。

 永田町にとどまるのはよくない。在野になって政治をやる。 いまの政治をどう見るか。日本の政治は政治ではなく政治ごっこだ。 政治家のふりをしてやっているだけだ。本当の政治家になっていない。 政治は本来何をなすべきか。 3つある。

1.     大きな社会のうねり、時代のうねりを見て、政治がどう方向づけるかである。文明の大きな流れの中で、どう方向づけするか。文明の変化を論じなければならない。導かれなければならない。

2.     同 時に政治は、時代の動きについてこれない人をどうするか。変化をつかみとることができない、どうしたらいいかわからない。このような人々をどうするかが政 治である。おちこぼれに手をさし述べることだ。政治が手を打つべきことは、大勢の人をターゲットにしていることではない。これは、政治が本来するべきこと ではない。

 社会は基本的には、時代の先端をになう人と、そこについていけない人がいる。先端部分をいかにするべきか。対応できないで困っている人をどうするか。上下をきちんと政治の判断におかれると中間層はそれなりにすべて1つの中に入ってくる。これで国つくりになる。民主主義は、もっとも大勢の人を対象にするので上下には手を出さない。

 中間の人たち、先端の人に金を入れてもたかが知れている。本来きちんと政治をするなら、多少の金を出しても負担にならない。政治の原点を問い直さないとならない。

3.     いかなる時代がやってきて、どんな社会が出てきても、問題に取り組んでいるという良識と能力を持っている人材を育てることだ。人間として社会を支えていくことだ。 この3つが政治で行われているかどうかが重要だ。時代を切り開き、本気で立ち向かっているか。今の政治にはそれが足りない。

 小野晋也代議士の略歴
 愛媛県新居浜市出身。愛光高等学校、東京大学工学部航空学科卒業。同工学系大学院航空学専修修士課程修了後、1983年、松下政経塾の第1期生として卒塾。同期生には逢沢一郎・野田佳彦、横尾俊彦、岡田邦彦らがいる。
 その後、愛媛県会議員選挙に立候補して最年少で初当選。2期つとめた後、1993年、衆議院議員選挙に自民党公認で立候補し、初当選。連続5回当選。
 ロボット工学や宇宙工学を専門にしており、教育問題でもたびたび見解を表明。数少ない理系議員として存在感を示していた。
 これまで経済企画総括政務次官、自民党文部科学部会長、文部科学副大臣を務め、現在は、財務金融委員長、自民党宇宙開発特別委員長を務め、2007年8月から、自民党中央政治大学院長を務めている。 

 

               
                               
               
             

                           

                   
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21世紀構想研究会についてご紹介

                               
                 

 21世紀構想研究会

 わが国が、知的基盤の強固な研究現場と産業振興の技術革新を実現し、真の科学技術創造立国を確立するため、適宜、研究テーマを掲げて討論する場として、1997年9月26日、21世紀構想研究会はスタートしました。

 研究会の会員は、主としてベンチャー企業、行政官庁、大学、マスコミの4極から参加し、毎回、活発な議論を展開して来ました。

 研究会で得られた成果を社会に訴えて啓発をはかりながら、国の政策にも結びつくように活動するという目的も、回を追うにしたがって明確となり、政府審議会のパブリックメントなどにも積極的に発言するようにしています。

 研究会は、2000年7月に東京都から特定非営利活動法人として認められ、さらに生命科学 委員会(東中川徹委員長)、産業技術・知的財産権委員会(生越由美委員長)、環境・エネルギー安全委員会(千葉英之委員長)が下部組織として設立され、適 宜テーマを定めて活動を続けています。

 まだ世に知られていないベンチャー企業の優れた技術を、研究会を通して広く認識してもらったり、これまであまり接点がなかった中央行政官庁の官僚との交流を通じて、政策への提言をすることも活動の一つにしています。

 会員数は現在約100人であり、アドバイザーとして、荒井寿光・内閣官房知的財産戦略推進 事務局長、安西祐一郎・慶應義塾長、黒川清・日本学術会議会長、利根川進・MIT教授、吉川弘之・産業技術総合研究所理事長の方々にお願いし、適宜、活動 への助言をいただいています。

               

第116回・21世紀構想研究会の報告

                               
                 

第116回・21世紀構想研究会の報告

 

「荒井寿光さんの叙勲をお祝いし知財現場の課題について語る特別講演会」

 

2015年1月29日(木)午後7時からプレスセンタービル9階大宴会場で開催され、約40人が出席して楽しい講演と意見交換が行われました。

荒井さんの特別講演タイトルは「特許人生・知財人生 これからの知財を考える」でした。


日本でただ一人「知財評論家」を名乗る荒井さんは、特許庁長官、通商産業審議官、内閣官房知的財産推進戦略事務局長などを務められるなど、1996年から日本の知財立国のためにご尽力されてきました。

 

官界での長年の功績により、2014年秋の叙勲で「瑞宝重光章」を受章されました。今回は、21世紀構想研究会の皆さんで叙勲のお祝いをし、荒井さんにはこれまで活動してきた知財人生を振り返っていただきながら、日本の知財の課題と将来展望を提示していただきました。

 

荒井さんは1996年に特許庁長官に就任し、それまで停滞していた特許行政の改革に取り組み、日本に知財立国の実現に初めて取り組みました。講演会では長官に就任後に気が付いた特許行政の「伝統」を打ち破るために特許庁新設運動を開始。特許庁は従業員2500人、売上1000億円規模のサービス産業と位置づけ、それまでの国家権力を付与する「お上意識」を献上するように改革しました。

 

知識社会を迎えて知的財産が非常に重要になったことを啓発する多くの講演を行い、多数の著書も世に出しました。行動する長官として産業界からも歓迎され、その後、内閣官房知的財産戦略推進事務局長に抜擢されました。

 

このような経歴の中で活動した日々のことを振り返りながら、日本の知財現場に横たわっていた問題が今なお未解決、未改善のままにあることをとらえ、さらにそれを解決・改善する道筋まで示しました。

 

  

分かりやすいパワーポイントを駆使し、会場と双方向の講演であり、聴く人の興味を引き出す手腕はいつもの「荒井節」で魅了させました。話題は工業製品の特許に限らず、医療、農業、クールジャパン、模倣品対策など多角的な話題に広がりました。

 

荒井さんは近々「知財立国が危ない」という本を日経新聞から出版します。この本には、日本の知財課題を出すだけではなく、解決策を具体的に書き込んだ本です。

 

 

荒井さんのパワーポイントは、伏字がところどころにあり、フロアの聴衆も一緒に考えるように工夫しています。これがただ聴くだけの立場から一緒に考える立場になり、講演会を一層盛り上げる効果になっています。

 

講演会の後は、荒井さんの叙勲をお祝いするセレモニーに移り、記念品贈呈からお祝いスピーチなど最後まで楽しい研究会でした。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

第115回・21世紀構想研究会「忘年パーティ」報告

                               
                 

 第115回・21世紀構想研究会「忘年パーティ」報告

 今年の忘年パーティは、12月11日(木)午後6時半から開催され、多数の参加者でにぎわいました。
 第一部は、黒木登志夫先生の「パタゴニア紀行」の講演でした。すでにパタゴニアの大自然を伝える前触れを送付しておりましたので、みなさん楽しみにしていました。

 ところが黒木先生は、意表を衝いて冒頭からまったく別の話を始めました。世の中には指数関数とべき乗関則があることを説明して、地震の発生規模や戦争の死者数が指数関数に合致していることを示しました。

 続いて加齢とともにべき乗則で増加する がん、心筋梗塞、脳卒中の年齢別死亡グラフを示して高齢者の多いフロアの参加者を震え上がらせました。60歳を過ぎると急激にこの3大成人病で死亡する確率が上がっていくのです。

 黒木先生の分析によると、60歳から1年刻みで9-12%の死亡リスクが上昇するというのです。特に70歳を過ぎた人にとっては、1年間無事に生きることがどれだけ大変かという統計分析を示されたもので、人は必ず死に向かって歩を進めていることを示してくれました。

 ま、このショックも一晩寝て翌日にはほぼ忘れているので、無事にまた生きていけるのでしょうか。

 パタゴニアの自然はAricaから200km地点にある 最高地点標高4660mまでを紹介されました。途中の景色は雄大ですごいの一言でした。双子富士とか高地の動物たち、土産物屋の風景など一度は行ってみたいパタゴニアですが、簡単には行けないでしょう。

 第二部は、恒例の楽しいパーティです。黒木先生のパタゴニア紀行にちなんで、南米ワインを楽しみました。

 第三部は、これまた恒例の「合原さんちの有機野菜即売会」でした。有機野菜栽培でとれたし新鮮な野菜の数々を販売しましたが、どれもこれも好評でした。

               
                               
               
             
                                         
                               

第114回・21世紀構想研究会

                               
                 

第114回・21世紀構想研究会 

 

「どうする日本の地方再生と企業経営」

日本の価値最大化に求められる重要課題

いまそしてこれまでの延長線上に日本の未来はない

株式会社・Aurea Lotus CEO 柳下裕紀   

 学生時代、女性を輝かせてくれる社会でないように感じていたので、男女区別なくフェアな扱いをする外資系企業に入った。それから30年経ったが、日本社会はまだ女性を輝かせていないように感じる。 

 日本はなかなか変わろうとしない。息苦しさがある。アベノミクスが2012年末からスタートして13年4月に第1弾そして最近、第2弾を施策しているが、実態経済がおかしいと感じている。

 消費税の増税でインフレを実現するという。アメリカの金融緩和は日本と違う。リーマン ショックのときは、アメリカの金融機関は非常に深刻だった。モラルハザードを度外視せねばならないほど緊急だった。日本は、リーマンショックのときは金融 が重症でなかったが金融緩和してきた。

 白川前日銀副総裁のとった金融政策は教科書的にも正しい。効果がまったくなかったわけではない。 いま、企業は簡単に設備投資できない。将来的にも、設備投資は回らないと白川さんは強調していた。

 いまアメリカのFRBは金融緩和が直接経済を回復させるとは言っていない。日本は社会保障費をどうするか大きな問題だが、公共投資をしている。民間に出すべき金が、利益を出さないものに投資している。 

 株高を演出し、下品な表現になるが「シャブづけ」にしているように感じる。白川前日銀総裁 は、ちゃんと仕事をしていた。黒田総裁になってマネタリーベースを増やしても、銀行が世の中に放出するストックベースが全く増えない。日銀当座預金が増え ても貸出残高は増えていない。銀行が放出しないのでデフレを解消していない。 

 フィッシャーの貨幣数量方程式に当てはめても、日銀方針がおかしいことがわかる。(通貨の 総量)×(貨幣の流通速度)=(物価水準)×(財・サービスの取引量)=GDP この方程式の中で日銀がいくらお金を供給しても銀行にお金がたまっていれ ば、貨幣の流通速度はゼロになる。

 貨幣の流通速度や財・サービスの取引量を決めるのは国民だが、雇用に不安があり生活防衛で買い物をしなければ、この方程式はうまくいかない。  銀行がお金を出す、国民がお金を使う、そしてGDPを決めるのは国民だが生活防衛でお金を使わないのでは成り立たない。

  日銀は、短期国債を償却額の上回る金額で市場から買い入れている。マネタリーベースの増 加が政策目標なので国債買い入れが目的化している。損失覚悟で額面を上回る高い価格で落札し金融機関にプレミアムを付けている。 コストはすべて国庫納付 金から出るのでつけは国民にくる。

 日本は総事業所数の91パーセント、雇用者の84パーセントが非製造業である。輸出依存も15パーセント以下の内需大国である。この60年間、日本の輸出依存度は10-15パーセントである。円安になっても一部の輸出企業が潤うだけである。

 消費税のアップは、経営に対する中立性が欠如した弱いものいじめである。人口減少が進めばお金を使う人数が減るのだから一人当たりの使う金額を増やすために減税しなければならないのに増税している。内需の減少は、所得税、法人税など他の税収も落ち込むことになる。

 これこそ天下の愚策だ。

  かつて超円高水準の中で輸出を倍増させていた。バブルのころ42兆円でありリーマン ショックの前には80兆円台になっていた。日本の企業の競争力はものすごく強いからもっていた。 円安になったらその特質を生かす政策をしなければならな い。観光業の伸びしろはまだ大きく、外国から呼び込む観光客の総数はモロッコと同じ程度の観光産業である。これを活性化しなければならない。

  国内の旅行効果だけでも30兆円ほどあり、雇用者も460万人を生む。海外から旅行者を呼び込めば、高齢者の活用の広がりも出るし外国人の消費は国内減退の補完になる。必要な施策は規制緩和、許認可制度の改善、新規ビジネスのアイデアを積極的に採用するなどがある。

  カジノで国を救うなんて懐疑的だ。経済効果に疑問符をつけたい。日本はギャンブル大国であり24兆円の市場規模がある。カジノで4000億円の収入があっても小さい。

  世界は今カジノ離れでありマカオも不況だし斜陽産業だ。ラスベガスはカジノだけではな い。子供、家族も楽しませるデザインと洗練されたビジネスメソッドになっている。政府は経営しないでテナント料を取るだけだ。債権管理能力をどこに任せる のか。地方振興になるわけがない。

  地方再生の要諦は、外部の力や財源に頼らず、地元の人、モノ、金、文化を最大限活用する ことだ。地元を最大限活用して地域住民を巻き込むことだ。自立して稼ぐことしかない。 たとえば清酒造りは日本の風土そのものだ。日本酒造りは独自に磨き 上げられたワザである。並行複発酵は日本独特のものだ。日本人だけが麹菌を発見した唯一の民族だ。

  発酵が進むとアルコール度が高くなる。水がおいしい場所でないと酒が造れないし日本の風土とあっている。日本酒を水で薄めたりシャンパンにしたり自由度の高いお酒である。日本が伝統として持っている酒の資源を大事にすることだ。

  海外20か国に日本酒を出している桜井博志さんは、巧みなブランド戦略と明確なコンセプトで成功している。「日本酒の伝道師」である長谷川酒店の長谷川浩一社長は、全国の酒蔵200以上をめぐり、知られていない地酒を発掘し、常時800種の銘柄を取り揃えている。

  いま進行中のTPPを恐れず、外へ攻めて出ることを考えよう。円安の弊害を緩和して外へ攻めることを考えよう。良質なコメをアメリカに売り込むチャンスだ。将来の人口年齢層別分布の推移を見てもアメリカが成長することは間違いない。 

 四国には徳島県上勝町の過疎化・高齢化を強みに転換した株式会社いろどり、伊予現代町家のコンセプトで施工まで請け負う建築事務所の株式会社コラボハウスなど、多くの成功事例がある。

  愛媛の今治造船も大手海運企業、造船所、荷主、保険会社、船舶部品メーカー、銀行などと連携した独自のビジネスを築いて成功している。このような成功例を見習い、日本の再生に取り組むことが重要だ。 

(文責・馬場錬成)

               
                               
               
             
                                         
                               

第112回 21世紀構想研究会の報告 

                               
                 

第112回 21世紀構想研究会の報告   

 

 
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  第112回・21世紀構想研究会は、9月17日に開催され、科学技術振興機構(JST)特別顧問、日本・アジア青少年サイエンス交流事業(さくらサイエンスプラン)推進室長の沖村憲樹氏が「アジアからなぜ2600人の青少年を招へいするのか」とのタイトルで、さくらサイエンスプランの事業について講演した。

 

 講演後に活発な議論が行われ盛会だった。

 沖村さんは、JSTの理事長時代から中国に関心もち、将来は中国が世界の大国へと成長することを予想し、JSTに中国総合研究センターを創設した。そして中国の科学技術の文献データベースを構築し、中国との学術交流を始めた。   

 小泉政権以降の日中の友好関係は必ずしも良好ではなく、日中両国の国民が相手国への印象をよく思っていないことが、各種の世論調査でも出ている。たとえば、最近のNHK世論調査でも日本人(93.0%)、中国人(86.8%)ともに9割前後が「(相手国に)よくない印象をもっている」との結果が出ている。   

 こうした結果から、両国の特に若い世代が直接顔を合わせて交流する機会を作るべきとの考えを持つようになった。交流には国同士というのではなく、民間交流、草の根交流であるべきとの考えから、政府機関はこの交流を支援する立場で行うことにした。  

 また、当初は中国だけに特化した交流にしたかったが、下村文部科学大臣らの助言・指導もあり東アジア14カ国・地域の青年を招へいするプランに切り替え、名称をさくらサイエンスプランと付けた。   

 さくらサイエンスプラン事業は、大学や企業からの公募を採択する①公募計画コースと、JSTがすべて企画・実施する②高校生特別コースを実施している。高校生特別コースはすでに8か国の高校生281人の招へいが終了した。これらの高校生は例外なく感謝し、日本の科学技術の先端研究を評価し、将来は日本へ留学したいとの希望を持って帰国していった。  

 公募計画コースは、全国の大学・研究機関で現在進行中であり、アジア各国の大学生らが日本の大学、研究機関、企業などを訪問してセミナー、見学、実習、研修に取り組んでいる。 

 
これからの交流方法を提案する藤島昭・東京理科大学長
  

 沖村さんは、このような経過を説明しながら、さくらサイエンスプランが具体的に活動しているようすを説明した。 

  活動の交流は、次の2つのサイトから見られる。  

さくらサイエンスプラン公式HP=http://ssp.jst.go.jp/index.html   さくらサイエンスプラン応援サイト=https://www.facebook.com/sspjapan 

 沖村さんの講演後、フロアとの活発な討論が行われ、多くの出席者がこのプランの成功を喜び、今後ももっと充実したプランへと広げていくことなど前向きなコメントが次々と寄せられた。  

 

               
                               
               
             
                                         
                               

震えるほど感動した中国の高校1年生のスピーチ

                               
                 

 

 日本政府がアジアの優秀な青年を招へいして科学技術交流を展開している「さくらサイエンスプラン」で来日した中国の高校生第一陣が、1週間の見学や研修を終えて7月26日に無事帰国しました。

  1週間のスケジュールは分刻みの過密でしたが、多くの大学、研究機関、人々と科学技術交流をしました。その報告会が7月25日に開かれ、8人の高校生がそ れぞれの感想をスピーチしました。中でも北京市第11中学校1年(日本の高校1年)の李釣正君のスピーチは、堂々とした態度といいその内容といい聞いてい て感動せずにいられませんでした。

 スピーチの要旨を紹介します。

 「私たち中日は兄弟のように似た国です。中国と日本は漢字や茶の文化など、とても共通するところが多い国です。中日の言葉は似た文字を使っているし顔もよく似ています。よりよく理解するべきですが、実際にはそうではありません。

 似た民族なのにそれぞれが利益を考えて、お互いに怒りが大きくなっており争いが大きくなっています。人々を怖がらせているのが現状です。これには失望を覚えていましたが、今回、新たな希望の光を見たと思いました。

 理化学研究所には多くの中国人が研究者として活動していましたし東大にもいました。研究の成果も共有していました。しかしこれに反対する人がいるかもしれません。

  昨日(7月24日)は、東工大付属科学技術高校の生徒とお昼に交流会がありました。そのときお互いに写真をとり合い、一緒に笑いあいました。彼らは非常に 誠実でした。だから女生徒も心配することなく心を通じて握手をし、友情を素直に示すことができました。これは純粋な気持ちでした。

 30年後、ここにいる高校生は必ず社会で活躍しているでしょう。政治家や科学者になっているかもしれません。各方面で立派な社会人になっているでしょう。  あるいはその時には、国を背負っているかもしれないし、いまの純粋な気持ちが変わっているかもしれません。

 しかし昨日の友情が変わることがないと信じています。

 30年後 科学者になった人は緊密に協力し、すべての国民が純粋な協調をもって二つの国と世界のために貢献することを競い合うでしょう。これからは共同の未来を築くことです。

 それはあなたの未来ではなく僕たちの共同の未来です。」

 

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

日本一秋田工場を見学(秋田シンポジウムの後で)

                               
                 

 

 

 

 焼き鳥・うなぎ製造・販売の老舗で、21世紀構想研究会の理事を務めている染谷幸雄さん(日本一ホールディングス株式会社代表取締役社長)が経営する日 本一フード秋田株式会社(齋藤英二社長)の工場を見学した。秋田シンポジウムに参加した21世紀構想研究会のメンバーで総勢20人ほどだった。

 今年の2月に操業開始したばかりであり、ご覧のように見るからに新工場らしくピカピカ。齋藤社長ら社員の皆さんの歓迎を受けてまず工場の会議室で、新工場の経営方針などをうかがった。鶏肉を串刺しにし、冷凍して全国に出荷する工場であり従業員は61人。

 驚いたことに、60人が正規社員で、1人は本人の都合により臨時で就業しているという。染谷社長の方針で、正規社員によるこだわりの製造を実現している そうだ。焼き鳥製造の工場は、日本全国に多数あるが、従業員はほとんどが臨時雇用とかバイトである。しかしそれでは、いい品質の焼き鳥はできないというこ だわりから雇用も正規社員にしたという。

 齋藤社長は、人件費が高くなっているので経営は大変だが、「それを乗り越えて頑張っています」ということだった。工場の中に入ることになったが、そこでまたまた驚いた。 頭のてっぺんから靴まで全て帽子から白衣、マスクなどで完全衛生管理の服装。

 工場内に入る際も、手洗いからエアシャワーでの洗浄など、原発施設と同じような厳格な管理になっている。中に入ると整然と作業台に並んだ社員が手際よく 焼き鳥を串刺しにしている。完全衛生管理であり、しかも手際がいいので、あっという間にケースに入った焼き鳥が次々と冷凍保存されていく。

 その製造工程は自動化されており、手作業は串刺しの行程だけ。これとてできるだけ作業をやりやすく準備しているそうであり、自動化の各種作業設備も開発中という。作業現場の写真撮影は禁止なのでお見せできないのが残念だ。

 見学したあとで、焼きあげたばかりの焼き鳥をいただいたが、これがほっくりした味のいい焼き鳥であり、大満足の見学会だった。

 
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会社説明会では齊藤社長から焼き鳥工場の設備内容や経営方針をうかがった。
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秋田シンポジウム速報「跳びだせ世界へ秋田県」

                               
                 

秋田シンポジウム

「跳びだせ世界へ秋田県」

 

モデレーター 

橋本五郎(読売新聞特別編集委員、ニュースキャスター、21世紀構想研究会理事) 

パネリスト  

銭谷眞美(東京国立博物館館長、元文部科学省事務次官、21世紀構想研究会顧問)

吉村 昇(東北公益文科大学学長、前秋田大学学長、秋田大学学事顧問)

三浦廣巳(秋田商工会議所会頭、秋田日産自動車会長)

生越由美(東京理科大学知財専門職大学院教授、21世紀構想研究会理事)

 

橋本 先に出版された「中央公論」6月号、7月号によると、2040年までに何もしなければ日本の市町村は半分になってしまうという報告が掲載され、大きなショックを与えています。秋田県も同様の減少率で24市町村がなくなると出ています。地方の振興がいま、重要な政治課題になっている。

 

 ところで安部政権は、1年経っても支持率が下がらない。最近の内閣では非常に安定している。しかし不満がある。地方の再興という政策が成長戦略の中に入っていない。これは大きな問題だ。 

 過去の内閣を見ると、田中内閣、大平内閣でも日本の地方振興という政策を重視してきた。故郷をどうするかという視点があった。これをいま、どうすればいいのか。

 まず大事なことは、いま地方に住んでいる人たちが何かをしようという発想や行動がなければならない。地方の再生可能にするためには自分たちで考えて行動を起こすということが大事だ。

 今日のシンポジウムは、地方再生を考える一つのきっかけにしたい。この秋田に生まれてよかったとするにはどうあるべきか。そのような論議を期待したい。

 それではこのシンポジウムでパネリストの方々に秋田県を活性化する発想でそれぞれの思いを語っていただきたい。地方を活性化するきっかけにしたいと思います。銭谷さんから順にご発言をお願いします。

  銭谷 昨夜は秋田市に帰り実家に泊まった。秋田で生まれ育ったが、高校を卒業後は、秋田を離れてしまったが秋田を心から愛している。

  本日のシンポジウムのモデレーターを担当している橋本さんは、高校の先輩であり、先年、東京で50年前の秋田の映画「17歳は一度だけ」を観る会があり、 そのとき橋本さんの講演を聞いて感動した。橋本さんは、故郷を思う気持ちを語り母親の話をしたときには会場の多くの人が感動して泣いていた。そのような縁 で、本日のパネリストになった。

 

 さて、いま私は日本で一番規模が大きく一番古い歴史を持っている博物館の東京国立博物館の館長をしているが、ここには多くの国宝や重要文化財が収納されており、随時展示もしている。

 秋田県関係の重要文化財を調べてもらったところ、縄文時代の土器から始まって江戸時代の秋田城に関する文書、後三年役の絵巻物、佐竹氏の時代まで文書や資料が多く保存されていることを知った。秋田は江戸時代から交通の要衝にあり、拠点になっていたことが分かった。

 さらに当時は鉱山、油田という産業がありそれに関連する化学工業もあった。そのような歴史的な産業や古くからある文化を見直す機会を持つことが大事ではないか。

  吉村 秋 田大学学長から酒田にある東北公益文科大学学長に転出した。鳥海山を見ながら酒田と秋田を往復する生活になっているため、山形県と秋田県を比較するように なった。山形県民は、よく働き競争して活動してきたようだが、秋田は食うに困らない人が多いせいか、のんびりしている。

 

 秋田大学の歴史を見ても、意欲的に学部を増やすようなことをしなかった。秋田はほんわかした土地であるが、これを考え直す時期になってきた。東京は、オリンピック開催もありさらに一極集中が進むだろう。リニアモーターカーにしても常に東京を中心に考えている。

 アメリカは各地で栄えており一極集中にはなっていない。大震災後の復興も太平洋側が優先的になっているが、日本海側も考えてやらないと均衡ある発展にはならない。

  三浦  このシンポジウムの冒頭に橋本さんから重い発言があった。何もやらなければ、2050年には秋田県の人口が70万人になると言われている。知恵を出してや ならいとこうなってしまう。それではわれわれは、何をやるのか。秋田商工会議所でも、中小企業経営者らと現実をしっかりと認識し、いろいろな課題を話し 合っている。

  企業経営でもそうだが対前年実績を割らないことが一つの目標になっている。しかしそう簡単にはいかない。それでも最低限、これだけはやろうという目標を立 てている。それは人口減少への対応でも同じだ。秋田県の人口は100万人を割らない、減らさないという目標にこだわりを持つことが大事だ。

 

 人口が増えれば企業が増えるし雇用者が増えることは成長することだ。首都圏一極集中を解消するという構想があったが、いつの間にか消えてしまっている。首都圏に大地震が発生したら甚大な被害が出る。地方に首都圏の機能を分散してリスクを軽減するという考えがあるべきだ。太平洋戦争のときは、都会から地方へと疎開した。これを見習って企業のバックアップは地方へ持っていくべきだ。地方に分散することを考えるべきだ。

  生越 産 業史を振り返ってみると、農業社会から工業社会になりいまは知識社会へと発展してきた。社会の中心価値の変遷をみると、無形資産と有形資産の割合が劇的に 変化した。1978年には無形資産は17パーセントだったものが20年後の1998年には69パーセントになっている。

 昨日から秋田県庁などでご当地の産業や地域ブランドについて取材しましたが秋田県にはたくさんのブランドがあることが分かりました。これを生かす方策がいろいろ考えられると思います。

 

 世界競争に生き残るためのポイントの一つは、地域にしか存在しないものとか地域に行かないと味わえないもの、地域でしか作れないものなど地域の固有化が要になる。ウエブ情報でみても秋田県には多数の食文化がある。「いぶりがっきー」とか「ぷれすてなまはげ」などユニークな食品も開発されている。

  ポイントの2つ目は、価値と価格の多層化時代を認識して対応することだ。ハンバーガーも100円から2000円まであって、高くても付加価値があれば売れ る時代だ。ポイントの3つ目は、使えるものは全て使うという発想だ。曲げわっぱ、秋田八丈など名品があるので活用方法を広げたい。

 秋田には多くの強みがある。竿灯、なまはげ、かまくら、ハタハタなどや横手市増田町の内蔵など文化資本である地域資源、歴史資源、コンテンツ資源など多数ある。今後の展開によって楽しみな県である。

  橋本 大 変素晴らしいご意見をいただきました。銭谷さんからは、秋田には歴史的に古い文化の資料が多数あることが報告され改めて再認識したものです。一極集中は、 なぜそうなるのか。もう一度私たちは考える必要があるようです。新幹線もすべて東京から始まる。大震災が発生したらいったいどうするのかという課題もあり ます。

  一極集中が改められないと職を求めて多くの人材が東京に行くことになる。雇用の問題を地方で考えると大変な課題がある。いまは、大学を卒業しても正規社員 として就職できない人がかなりいる。これでは若い世代がかわいそうだ。産業界は雇用問題では自分で首を絞めているような感じもある。

  吉村  日本の発展をみると西から発展してきた。東北はどうしても遅れてきた。秋田も工業と農業しかなかった。アメリカは一極集中ではなく、歴史的に分散して発展 してきている。ボストンから始まって北から南へと発展した。シアトル、ロチェスター、ニューヨーク、デトロイトというように産業の種類によっても固有に発 展する都市が変わっていった。

  日本は東京から南へ発展した。半導体の九州、自動車の名古屋という具合だ。山形県には売上100億円以上の企業が数社あるが秋田県にはない。これからは秋 田県の企業で世界へ羽ばたくような企業を育てなければならない。その意味で大学の責任は重い。これからは産学官で連携して発展する時代だ。

  三浦 最近は企業の環境が変わってきた。本社はどこにあってもいいという時代になってきた。日本は中小企業が95%と言われている。秋田は中小企業ばかりだが、一流の技術を持った中小企業が秋田には多数ある。

  秋田はまだまだアピールが足りない。親はどうしても子供の就職先は大企業がいいと思っているが、魅力ある中小企業をアピールしてひきつけることが肝要だ。 商業地の地価を考えると、東京は秋田の36倍も高い。秋田には付加価値を付けて、よりいい地域であることをアピールしていくことが大事だ。

  橋本 今日のシンポジウムの見出しはどうなるか。「東京の一極集中を見直す」とならないか。それには地方は何をなすべきか。東京でなく自分の住んでいる地方都市の魅力を見直し、外から見ても魅力あるものに見えないとならない。

 鳥取県の知事が「わが県にはスタバはないが砂場がある」と語っていた。鳥取砂丘を砂場と言ったものだが、マイナス面と考えないでプラス思考で考えることが必要だ。

  生越 徳島では刺身のつまに使う葉っぱで収入があがった地域がある。山奥の葉っぱを生かすことで年収がみな1500万円から2000万円になった。こうなると地方に対する若い人の見る目が変わってくる。

 またブランド豚肉を売り出した平田牧場のように、豚作りで独自の産業に発展させている例がある。農業はこれからハイテク化が進むので逆転の発想と成果が出てくることが期待できる。

 

  橋本 秋田県の人口が減少すると心配しているが、秋田は100万人を維持するということにこだわるべきだ。卑近な例で恐縮だが、読売新聞は1000万部を何が何でも維持しようと目標を掲げて頑張っている。そのように目標をきちんと立てないと人口も購読者数も維持できなくなる。

  高齢化率が高いと言うが、それは長生きする率が高いということになる。マイナス思考ではなくプラス思考でいきたい。がんの死亡率は、秋田県が最も高いと言 うが、がん研究者に言わせるとそれは長生きする人が多いからだという。長生きすればがんで死亡する人が多くなるからだ。

 また地方の文化の良さもアピールして都会の人に認識してもらうことも必要だ。

  銭谷 橋本さんがいま言ったことは私も言いたかった。高齢化率日本一は長生きしているからである。子育て環境日本一にすれば、人口を100万人は維持できるだろう。米国は企業の定年制がない。これを見習っていくこともいいのではないか。

 秋田は北緯40度だが、世界地図をみると北緯40度の都市は、北京、ニューヨーク、スペインのマドリードなど世界の文明圏として重要な都市になっている。

  健康で長生きする健康寿命には、文化が重要だ。50年前に地域にいた人に来てもらい、いろいろやってもらうこともいい。秋田大学は鉱山学部からさらに発展 して国際資源学部を作った。これこそ秋田の特徴を生かしている。就職すると秋田を離れると言うが、若い学生が4年間秋田にいるだけでもいいという考えが あってもいいのではないか。

  橋本 隣の県に移った吉村さんは、秋田県を隣から見て分かる点があると思う。どこに問題があるのか。

  吉村  秋田は米に困ったことがない。これに比べ他の県や地域はたくましく生きてきた。秋田大学も昭和24年に学芸部、鉱山学部から出発した。農学部も工学部もな かなか作れなかったし、今も農学部はない。昔の学長や事務局長に責任があるということも言われているが、それはさておき秋田はゆったりと生きてきたという ことではないか。

  橋本 なるほど、秋田は豊かであるがゆえたくましさがなくなった。暮らしずらい方がエネルギーを生み出すことになるかもしれない。

 

  三浦 秋田は農業で発展してきた。だから他人と違うことはやらない。しかしこれを打破しないとならない。ベストの計画を立て事業経営者はチャレンジしないと伸びない。可能性のあるものを応援することも大事だ。

 岩手は手を引っ張るが秋田は足を引っ張るという言葉がある。秋田は人がやらないことはやらない。リセットして、おれもやるからお前もやれということにならないと可能性が出てこない。

  ベンチャー企業を立ち上げ、時間がかかるだろうが新しい企業を育てていくというように仕組みを変えていくことが必要だ。他人の邪魔をしないことだ。応援出来ない人は、静かに見守ってほしい。秋田は自分たちがプレーヤーとして頑張っていくよりない。

  橋本  行政の役割も大事なのでこれを考えてみたい。行政は積極的に秋田のいいところ魅力を見つけ、それを伸ばしていく必要がある。このシンポジウムでも秋田のい いところがたくさんでてきた。農業も大事だし秋田を高齢者の県にするというのもいい。2つとか3つに絞って施策をすることだ。

  生越 各地に行って取材をすると、リーダーはよそ者、若者、馬鹿者と言われている。たとえば宇都宮餃子は、長老がうまく育てた。行政は安心して挑戦できる環境を作ることだ。

  橋本 行政の役割の重要性が出てきた。さて時間も少なくなってきたので、最後にこれだけは言っておきたいという発言をお願いしたい。

  銭谷 冒頭にも言ったが文化と観光とは別物ではない。文化は人が来なくても育っていく。文化と観光は資源である。その良さを知ってもらうことが重要だ。

  吉村 過去からの脱却が大事だ。安いカネで大量の消費をしてきた。それをやめて日本のオリジナルを作ること、できることをやるということが重要だ。

  三浦 秋田にはいいものがたくさんある。いいもの、悪いものなどと言い訳しないで秋田のいいものを伸ばすことだ。親父の生き方を経営に生かしていくことが最も大事だ。

  生越 秋田の生活の豊かさをみんなに見せることが大事だ。日本は介護技術が遅れている。そのような産業を秋田から起こすことができないだろうか。

  橋本 外から来ないとカネが落ちない。そのためにはちゃんと自分のよさを見つけて強固なものにすることだ。秋田に行くとすごくいいというものがほしい。改めていいところを再認識してもらう。

 秋田駅に降り立つと私はちょっと不満だ。県庁所在地だが秋田だなあというもが見えない。まだ盛岡はある。隣の芝生はよく見えるというのと同じかもしれないが。

 いいところを伸ばし悪いところを逆に利用する。発送の転換だ。東京に住んでいても孫が秋田へ行きたいという時代と土地にしなければならない。

 「中央公論」で衝撃的な報告と課題提起がされたが、これを乗り越えていくことを秋田に期待していシンポジウムを終了したい。

(文責・馬場錬成)

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会の第14期総会の開催

                               
                 
 

 特定非営利活動法人21世紀構想研究会の第14期総会が、6月2日、プレスセンタービル9階の宴会場で開催され、今年度の事業計画や新役員の陣容を全会一致で承認した。

  昨年度の21世紀構想研究会は、100回記念シンポジウムの開催のほか、知的財産委員会の活発な論議と政策提言や、教育委員会の第8回全国学校給食甲子園の開催など、例年以上の事業の開催で非常に活性化した活動だった。

 総会では、昨年度の事業の報告、会計報告と今年度の事業計画と予算案が提案され、いずれも全会一致で承認された。また特定非営利活動法人21世紀構想研究会定款を改正し、理事・監事を20人以下に改正する案も承認された。これまでは10人以下となっていた。

 理事の増員は、活動を活性化させるために各界の人材を理事会に集めて、企画、実行などに弾みをつける目的がある。様々な意見やアイデア、さらに助言などもいただきながら、21世紀構想研究会の活動を発展させていきたい。

 総会後の講演は、政策研究大学院大学の永野博先生が「 次世代リーダーの養成にしのぎをけずる世界 ~第4の矢は若者への投資。理研の出来事がブレーキをかけてはならない~」とのタイトルで、日本の大学や研究機関に横たわる若手人材養成の課題を解説した。

 永野先生は、ドイツに滞在し期間が長く、たびたび欧州へも出張する機会があった。その体験からヨーロッパ学界での見聞が豊富だ。イギリスやドイツでの若 手の人材養成の実際を紹介しながら、日本が立ち遅れているとの認識を示しながら、これから日本の取り組みについても提言を行った。

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会・生命科学委員会の開催

                               
                 

 生命科学委員会の開催報告 

  21世紀構想研究会・生命科学委員会(東中川徹委員長)が、5月19日、プレスセンタービル9階の宴会場で開かれ、黒木登志夫先生(日本学術振興会・学術 システム研究センター・相談役、東大名誉教授、元岐阜大学学長)が、STAP細胞論文は捏造にあたるとする厳しい見解を示した。

  黒木先生のレクチャータイトルは「幹細胞研究の光と影 Hop STAP Drop」。受精卵というたった1個の細胞から、人間一人分=60兆個で出来上がっている生物個体を形成する元になっている幹細胞について学術的に分かり易く解説した。

 

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  幹細胞の研究の歴史を紹介

  これまでの幹細胞の研究の歴史とその業績、臨床研究への応用への挑戦まで多くの歴史的事実を駆使して解説した。またノーベル賞受賞者の山中伸弥博士が開発したiPS細胞の作成までの歴史も紹介した。

  そして幹細胞であることの証明は、その細胞が多分化能であることを証明しなければならないと解説。それには①培養細胞の分化、②奇形腫の形成、③キメラマウスの作成、④丸ごとES細胞マウスの作成の4つの証明が必要であることを示した。

  黒木先生が論文を精査したところ、小保方晴子さんのSTAP細胞論文は、この4つの証明をきれいに書いており、論文としてはきわめて完成度の高い内容になっていた。しかしこの論文の信じられなかった理由と信じた理由を書き分けてみたという。

  信じられなかったのは、いとも簡単に幹細胞を証明しており、信じたのはこの分野のトップクラスの研究者が共同研究者として名前が記載されていたことだった。

 STAP細胞をめぐる疑惑を解説 

 STAP細胞論文の発表直後から、「11jigen」などのネット上に論文を疑問視する指摘が相次ぎ多分化能を証明する画像の捏造を指摘されるようになる。改ざん、不審、疑問点を整理したうえで黒木先生は、小保方さんは研究者失格であるとして4つの点をあげた。

   それは①他の論文からのコピペ、②データ画像のコピペ、③スキームのコピペ、④お粗末な実験ノートである。そして「論文は自己完結でなければならないが、 STAP細胞論文はこれを著しく逸脱しており、STAP細胞存在の証明はされていない。論文は撤回するよりない」との結論を表明した。

  さらにSTAP細胞問題が日本の科学界へ波及していく懸念があることを指摘し、「日本の科学研究が生き延びるためには、むしろ小保方さんと共同研究者らのしっぽ切りが必要である」とする独自の見解を示した。

   講演は黒木先生のいつものように、ユーモアやときに皮肉を織り込んだ分かりやすい興味あふれる内容であり、聴衆が理解できるように組み立てたものであり、 このテーマの学術研究を歴史的に解説した点でも優れた内容だった。聴きに来ていた高校生も非常に感銘を受けた様子だった。 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

中尾政之教授講演「論文数・伸び悩みの理系、論文数・さっぱりの文系」

                               
                 

 

 
 

 

 第109回21世紀構想研究会は、2014年4月21日(月)にプレスセンター9階宴会場で開催され、中尾政之東大工学系研究科教授が「論文数伸び悩みの理系、さっぱりの文系」とのタイトルで講演と討論を行った。  

 就職活動では修論を語るほうが有利

 中尾先生はまず、東大をめぐる学生の考え方や就職活動、研究に取り組む姿勢などを語った。日本の大学の頂点に位置する東大でも悩みが大きいことを、さまざまな出来事や客観的なデータなどをもとに語ったもので、中でも筆者の印象に残ったのは就職活動のことである。

  筆者もかつて勤務した東京理科大学知財専門職大学院で院生の就職活動には、ずいぶん力を入れていた。企業の面接時の対応などは最も重要な準備である。中尾先生が語ったことは、「一番苦労したこと楽しかったことを語る際、旅行の話やバイト、NPO活動などを話しするよりも、卒論や修論についての苦労や楽しさ、その中身を語ったほうがはるかにいい印象を与えているようだ」ということだった。

  確かに学生生活を語る上では最もふさわしい話題であり、就職活動対応のノウハウ本では紹介されていないテーマだと思った。 また日本の大学で取得した単位は、外国の大学では等価交換できないというショッキングな話もあった。これでは日本と外国の大学間の交換学生交流などに支障をきたすことになる。

 論文数で下降線を辿る日本

 中尾先生が示した世界の国別論文数の動向を見ると、アメリカ、中国などの論文数は年毎に増加しているのに日本は近年下降線を辿っている。また大学ランキングを見ても、日本の大学のポジションは低下してきたように見える。 ここ10年間、研究資金が伸び悩んでおり、その結果を語るように、理系の論文数も伸び悩みになっているという指摘である。

 さらに、論文数を教員数で割ると、欧州の一流大学に比較するとその数が半分くらいに落ちる。それは統計の中に「論文数・さっぱり」の文系が含まれるからである。 

 ま た日本の大学の論文は、ポスドクなど任期つき研究員である非正規職の研究者がかなりの割合で執筆されていることだ。非正規職の研究者はローンを組むもこと もできず、身分不安定で研究に取り組まなければならない。このような現状も研究現場を脆弱にしているとの課題もあげた。 

 理系・文系とわけることも日本独特の文化である。最近、文系の就職が難しくなってきて、理系のほうに受験生が流れてくることは戦後始めての流れであるという。「文系の教員も英語の論文を大量生産して、海外で自論を主張する文化に変えるべきであろう」とも提示した。 

 日本の文系の研究者が英語で論文を書かないのは、その必要性を問われていないからでもある。能力がないからではなく、英語で発信するテーマが少ないと理解したい。これからは国際的なテーマを掲げて、大いに英語の論文を書いて海外へも発信することを期待したい。 

 と ころで、中尾先生の話でびっくりしたのは、東大は入学したら最後、退学や落第がほとんどないことである。極端な言い方をすれば、勉強しなくても卒業できる 大学なのである。東大は、こうした現状を変えようとしているのかどうか。もし落第学生を出すようになれば、他の大学への影響も大きくなるので、是非、東大 はリーダーになって適正な大学生指導を発揮してもらいたい。 

 また東大などエリート大学の学生は、適正検査をしてみると「反復・継続」が得意であるという結果が出ているという。 これが日本のエリートは「ミスを起こさない」という結果につながっているのではないかということだ。一面では結構なことだが、「堅実だけで発展性がない」人材になりかねない。こうした大学現場の教育課題にも言及し、会場との活発な討論が展開された。   

 

               
                               
               
             
                                         
                               

「スイカの原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡」出版祝いと松下昭先生のご健勝をお祝いする会の開催

                               
                 

 

 

 

 先ごろ日本評論社から上梓した拙著「スイカの原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡」の出版を祝い松下昭先生のご健勝をお祝いする会が、2014年2月26日、プレスセンターで開催され、多くの人たちの参加をいただき盛会だった。

 筆者がこのような形で開催したのは、出版のお祝いというよりも松下先生の発明人生を顕彰し、85歳になっても頭脳明晰、言語明瞭である先生のご健勝をお 祝いしたかったからである。発起人代表になっていただいた荒井寿光元特許庁長官はじめ、多くの支援者に囲まれ、筆者はもちろん松下先生も満足した表情だっ た。

 

 
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発起人代表でスイカカードを掲げながら松下先生の発明人生を紹介した荒井寿光さん
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祝辞を述べる藤嶋昭東京理科大学学長(左)と佐藤一雄元日本弁理士会会長

 

挨拶した馬場錬成(左)と松下昭先生

 

松下先生を囲んで記念写真

 

生島和正・21世紀構想研究会理事から記念品の贈呈

 

渡部政博さんから強力抗酸化作用のあるアスタキサンチンが贈呈された

 

美女軍団に囲まれてご満悦の筆者

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会・メタンハイドレート実用化委員会の開催

                               
                 
 

 

東京都知事選で各候補者たちは、脱原発かどうかなどエネルギー政策をめぐって激しい論戦を展開しているが、21世紀構想研究会のメタンハイドレート実 用化委員会(委員長・平朝彦・独立行政法人海洋研究開発機構=JAMSTEC理事長)が、1月29日にプレスセンターで開催され、活発な論議が展開され た。

 まず冒頭の挨拶に立った平委員長は、メタンハイドレート研究についての現在の国の取り組みの概略を説明し、今後、この委員会でも活発に論議していくべきとする抱負を語った。

 続いてJAMSTECの木川栄一海底資源研究プロジェクトリーダーが、メタンハイドレートの基礎的な知識から現在の研究開発に対する国の取り組み、さら にJAMSTECの最先の研究を分かりやすい写真や図を示して解説した。日本は研究レベルで世界の先端を行っていることにも言及し、新たなエネルギー源と して期待されているものの、過去のエネルギー開発の歴史を示しながら、実用化までには相当の歳月を要するのではないかとする見解も語った。

 続いてメタンハイドレート実用化への技術開発について株式会社みかづき代表取締役社長の杉本昭寿氏が講演した。杉本氏は、海底で採取するメタンハイド レートのシステム設計を開発して特許を取得している。今回はその特許技術に基づいた採掘現場の実際をイメージするアニメーション絵を披露し、凍結している メタンハイドレートを効率よく採集する技術を語った。

 このあと会場との討論となった。21世紀構想研究会理事長の馬場錬成氏は、「個人の見解だが」と断りながら、「大震災後に原発事故被災で深刻な事態を体 験した日本は、いまこそ新エネルギー源としてメタンハイドレートを実用化するべきだ。国家として取り組むテーマであるが、既成の原発・電力企業の消極的反 対にあって新エネルギー開発が滞っている。これを乗り越えていかなければ、日本の将来のエネルギー政策は行き詰まる」と述べた。

 また、メタンハイドレートの研究開発と商業的実用化への取り組みが、省庁別になっていたり研究現場で別れていることは非効率的だとの意見も出され、これからは国家が一本化したプロジェクトとして取り組むべきとする意見も強く出された。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

第108回21世紀構想研究会で林原靖氏が講演

                               
                 

 

第108回21世紀構想研究会は、岡山県の有力な地元企業として活動していた優良企業の株式会社林原が、実質的に倒産に追いまれた顛末について講演 し、活発な質疑が展開された。倒産に追い込まれたのは、同属経営による放漫経営であり、長い間、粉飾決算をしていたと報道された。本体の株式会社林原は、 子会社の林原生物化学研究所で研究開発した多くの成果を特許出願しており、少なくとも数千件の特許があったはずだ。

 この日の林原氏は、まず1886年の創業以来から破綻に至るまでの社歴と世界初として市場に出してきた製品の数々を紹介した。本体だけで年間350億円ほどの売上があり、年間キャッシュ獲得は100億円を超えていた。関連子会社を入れると650億円の売上だった。

 しかも破綻とされたときに、弁済率が93パーセント以上であり、知的財産権や様々な文化的な資産を計上すれば、優に100パーセントを超えていたとも語った。そのような企業がなぜ、金融機関によって破綻させられたのか。

 金融機関の事業価値の評価は、知的財産権のような無形資産は評価せず、社長の個人保証や生命保険を担保にするような非人間的な査定だったことを明らかにした。個人保証は、憲法違反とする意見もあるなど、日本の会計処理の後進性を訴えた。

  またマスコミの報道も表層的なものだけであり、「ガラパゴス状態」になっていると厳しく指摘した。ここの部分は、会場がプレスセンターであることなどから レジュメだけにして口に出さなかったが、中国銀行、住友信託銀行、大手法律事務所、マスコミの3極によって押し潰された実体を詳細に語った。

 林原氏が書いて出版した「破綻 バイオ企業・林原の真実」(WAC)は10万部を超えるベストセラーになっており、すべて実名で書いたものである。書か れた金融機関や法律事務所からクレームが来てもおかしくないと思われていたが、これまでクレームは1件もきていないという。

 また、粉飾決算とされた内容について質問が出たが、林原氏は売上の過大計上が30年間に300億円ほどあったが、年々これが減少しており、破綻とされた 時点で先の見通しがあったとも語った。一挙に計上して正常決算にする道もあったが、そうすると税金が過大にかけられてくる心配があり、徐々に減らす方向で 努力していたともいう。このあたりの事情は、講演会後の打ち上げ会で語ったものだ。

 いずれにしても林原は、約700億円で長瀬産業に「身売り」され、事業はほぼ引き継がれているという。創業一家が追い出され、蓄積してきた実績がそっく り他人の手に渡ったことになる。また、多くの美術品や土地、建物など林原グループとその一族が所有していたものは、二束三文で処分されてしまい、この倒産 劇では、まるでハゲタカのように利得を手にしていった人たちもいたことになる。

 個人資産を債務にあてるなど日本の未熟な制度は、産業の進展に大きな妨害要因として残っており、今後は社会問題として制度を見直す方向へ行かなければ、競争力のある国家や企業はできないし、ベンチャー企業も生まれにくくなる。

 そのような問題意識を確認して活発な講演と討論を終了させた。

 

               
                               
               
             
                                         
                               

第4回知的財産委員会の開催

                               
                 

 

 今後の知財制度の改革を論議する21世紀構想研究会の第4回知的財産委員会(荒井寿光委員長)が、12月19日、プレスセンター会議室で開催された。

 この日はまず、経産省知的財産政策室の川上敏寛室長が「営業秘密の保護」とのタイトルで講演し、その後に出席者らと討論を行った。川上室長の講演内容 は、営業秘密保護のこれまでの取り組み、営業秘密をめぐる近年の情勢、営業秘密をめぐる国際情勢、営業秘密の今後の方向性など豊富な情報を報告したもの だった。

 この中で、海外拠点からの技術流出、サイバー攻撃による技術流出、技術提携先からの技術漏洩など最近の動向を解説した内容を知って、出席者の視点が大きく広がったように感じた。特に韓国ではすでに技術流出に関する保護法律を実施しており、その迅速な対応には感心した。

 筆者の感想を言えば、日本は技術流出の現状と課題が分かっており、これに対応する法制度など枠組みをどのように実現するかがまだ見えない。その手順を進 めなければ漏洩の被害を食い止めることはできない。特に中国に流出した日本企業の技術で製品が製造され、日本を含む世界に輸出されている実例もある。

 国内法の整備を早急にしなければ、技術垂れ流しが常態化していくことになる。この日の委員会の後半は、日本の技術漏洩防止に関する法整備について具体的 に論議し、営業秘密保護法の試案も発表された。 今後この試案については修正しながら政策提言などの取り扱いについては荒井委員長に一任することで了承した。

 次回・第5回知的財産委員会は、1月28日(火)に開催する。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

第106回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第106回・21世紀構想研究会は、科学技術振興機構(JST)・中国総合研究交流センターの上席フェロー(元JST理事長)、沖村憲樹氏の講演で盛り上がった。

 講演タイトルは「日本の科学技術は中国に抜かれた」というショッキングなものである。沖村氏は、中国の巨大大学群を築いた戦略的な大学・研究現場の統計データを示し、さらに世界に例がないハイテク・テーマパークの現状を紹介した。

 さらに中国の最近の研究水準が、欧州・日本に接近してきたこと、これに伴って産業技術力も急速に向上していること、宇宙、原子力など巨大プロジェクトで も日本に並び、あるいはぬき去っていった実情を報告した。中国の科学技術政策は、強力な政策遂行体制で推進しているものであり、政策決定と実行に時間がか かる日本の各種データと統計の比較なども随所で示した。

 この日の講演内容は、これまで一般に示されていなかった中国の科学技術の客観的なデータや現状を紹介して、日本の科学技術政策遂行に刺激を与えるためとも受け止められるものだ。また、中国の科学技術の現状に対する正しい日本人の視点を提起したものでもある。

 講演後の質疑応答では、次のような質問が出た。中国のハイテクパークは、不動産投資と外国企業や技術を呼び込むものであり、言われるほどの効果は上がっ ていない。それほど大きなインパクトはないのではないかとか中国は近未来、国が崩壊するのではないか。あるいは、中国の模倣品は世界中にばら撒かれている 現状を憂慮する意見なども出された。

 沖村氏とこの日、出席していた共同研究者の中国センターのスタッフなども加わって、こうした観測や見方に対する意見交換と討論を行い、実のある講演・討論の時間だった。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会で伊勢神宮を正式参拝

                               
                 

 21世紀構想研究会の活動報告をし、これからの社会貢献の決意を誓う伊勢神宮正式参拝が10月25日に行われ、19人の会員が厳かな中で参拝した。

伊勢神宮はさる10月2日、20年ごとに繰り返されている式年遷宮が滞りなく行われた。内宮は参拝が再開され、21世紀構想研究会としてご神体が移されたばかりの新正殿に参拝することを計画した。

本研究会会員の南川三治郎氏が、20年に一度催行される式年遷宮の写真記録を続けており、月刊「文藝春秋」10月号、「週刊文春」10月17日号(http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3204)のグラビアで、「遷御の儀」として写真とともに原稿が掲載された。

今回は南川氏の尽力で伊勢神宮への正式参拝が実現したもので、10月25日は、堀川宗晴氏(元神宮徴古館館長)の案内で新正殿の中に進み出た。服装は全員ダークスーツという正装に威儀をただし、堀川氏の説明に聞き入った。

 

当日は折しも台風27号の接近による暴風雨が心配されたが、「台風接近決行」で行われたものの、参拝する時刻には台風も沈静化して雨もなく、靄の中で煙るようにうっそうと茂る森林と大雨の水を集めて流れる五十鈴川の景観を見ながら、緊張した面持ちで正殿へと進んだ。

 

 

 

参拝者の氏名などはすでに登録しており、代表者記名などの手続きを経たうえで玉砂利の中を正殿前に導かれた。正殿の前に出るとさすがに心が洗われる気 分になる。ヒノキの香りが辺りを支配する中で弐礼弐拍壱礼という儀式にのっとり、無事、参拝を済ませた。 参拝後は、相差海岸花の小宿「重兵衛」に宿泊 し、楽しい歓談を行った。

翌日の10月26日は、マイクロバスで伊勢と鳥羽の間にある朝熊山・金剛證寺へと向かった。金剛證寺は、西暦572年に即位したとされる欽明天皇の時代に、暁台上人が草庵を建て修法したことに始まった寺院である。

その後、825年には弘法大師(空海)が真言密教の道場として、この金剛證寺を建立したとされる。

金剛證寺は、神仏が一体となった神仏習合の教えから伊勢神宮の鬼門を守る寺として、また霊場として伊勢神宮と並んでこの時代から信仰の対象とされてきた。

 この参拝でも南川氏の配慮で特に寺院の内部にまで入ることができ、寺院の祭壇の奥に祭ってある「天照大神」の神霊祭壇をも参拝できた。厳粛な気持ちの中で神道と仏教が融合する日本の歴史を実感した。

この金剛證寺には国宝が9点、国の重要文化財指定が5点あり、平安時代から桃山時代までの歴史の変遷を学び充実した気持ちで帰途についた。

  
               
                               
               
             
                                         
                               

知的財産委員会の開催

                               
                 

 

21世紀構想研究会の知的財産委員会の第1回会合が、9月30日、プレスセンタービル9階の会議室で開催され、多くの知財改革への提言を討論した。

 この委員会は、従来からあった産業技術・知的財産権委員会を発展的に改組し、新たに出発したものである。新委員会の委員長には、荒井寿光さん(元内閣官 房知的財産戦略推進事務局長、元特許庁長官)に、副委員長に佐々木信夫さん(元特許庁特許技監)、事務局長に生越由美・東京理科大学知財専門職大学院 (MIP)教授が就任した。

 議題は、知的財産制度への提言をまとめることである。2002年の第一次知的財産制度改革から10年余を経て、知財制度にもほころびが出ている。中国、韓国など近隣諸国が着々と知財制度を構築しているのに比べ、先行していた日本はむしろ追い越された点もある。

 また模倣品対策などはもっときめ細かく、かつ迅速にしないと日本の技術流出が続き産業競争力が低下していく。こうした現状を考えれば制度改革は喫緊の課題である。

 この日の委員会では、出席者の立場から多くの意義のある意見が出され、討論された。模倣品が日本に入らないように水際で阻止する制度などでも不十分になっていることや、営業秘密保護法制定の必要性などの意見も出された。

 今後も論議を重ねて提言をまとめ、いずれ政府に提出することも視野に入れている。

 

 

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

第104回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第104回・21世紀構想研究会は、岩本沙弓先生をお招きして「これからどうなる日本経済」とのタイトルで講演をお願いした。当日はオープン参加としたため60人以上が参加して盛会だった。

 岩本先生は、100回記念シンポジウムのパネリストの1人として経済関係の見解を発表していただいたが、当日は時間の制約があって十分な発言には至らなかった。このため、この日の講演で存分に語ってもらう機会とした。

 講演ではまず、日銀の異次元金融緩和によって金利が低下するのかどうかを2008年からの米国10年もの金利のデータを基に解説を行った。日本の10年 もの国債については1981年からの金利の推移を示し、80年代の8パーセント代から1パーセント以下に低下していった経緯を解説した。

 金利急騰は4.6年に1回発生することを示しながら、過去の国際的な経済状況と連動する金利推移を解説し、日本国債の市場価格が下落することで日本経済、金融システムが破たんするというような論調は行き過ぎであると指摘した。

 消費税引き上げによる景気動向でも見解を表明したが、その中で非関税障壁としの消費税の在り方の例として、消費税のないアメリカの事情を解説した。これ は岩本先生の研究テーマの一つであり、これまでマスコミなどでもほとんど触れられていないテーマだけに非常に面白かった。

 日本の税の配分では、うまく機能していない日本の税の仕組みを指摘したが、OECDの所得再分配後の可処分所得の各国比較を見せられると、確かに日本は 分配がうまく機能していないように思えた。 税の仕組みについては、先月号の月刊「文藝春秋」でも、岩本先生は自民党野田税調会長らとの座談会で見解を語っている。

 アベノミクスの総括では、3本の矢のうち第2、第3の矢はこれからの政策であり、物価上昇の目標よりも日本経済力の増強がメインとなるべきだと指摘した。成長戦略についても具体的な内容はまだ出ておらず、国土強靭化にとって日本経済の死角はエネルギー問題であるとした。

 日本の強固な経済ファンダメンタルズにも言及した。支払能力の指標となる経常黒字、対外純資産、外貨準備高などは、いずれも世界のトップクラスであり、10年もの国債の利回りも世界の中で日本が最も低い事実も示した。

 いま、株式市場はきわめて神経質に上下を繰り返しており、直近のトレンドは東京オリンピック招致決定もあって上昇している。しかし株価は、為替相場と連動しており、米国の大統領選と株価・為替の推移とオバマ大統領の再選後の為替政策は転換する可能性を示した。

 岩本先生は、いまドル高材料になっているシェールガス革命に言及し、米国が本当に世界一の産油国になるのか、革新的技術改革が実体経済に浸透するまでのタイムラグを示しながらオイルバブルのリスク要因なども指摘した。

 グローバルな経済状況を歴史的なデータを俯瞰しながら自らの見解を披歴し、現在と近未来の経済を読み解いて解説した講演であり、参加者に大きな感銘を与えた。

 

 

 

 

 

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会・100回記念イベント打ち上げ会

                               
                 

21世紀構想研究会・100回記念イベント打ち上げ会の開催

 

 

さる4月から続いていた21世紀構想研究会・100回記念イベントの最後を飾る「打上げ会」が、7月19日、プレスセンタービル9階で開催され、50人を超える参加者で盛会のうちにイベントを閉幕した。

この日は、100回記念イベントの講演を行った、加藤紘一・日中友好協会会長(元自民党幹事長)、記念シンポジウムのシンポジストになった藤嶋昭・東京理 科大学学長、岩本沙弓・大阪経済大学客員教授、本会アドバイザーの荒井寿光・元特許庁長官ら多くの人が参加して楽しい宴となった。

打上げ式に先立ち、本会会員で曹洞宗の名刹・霊巌寺住職、秋尾常民師が「遊び心と禅」のタイトルで講話を行った。多くの仏教語を出しながら、その深遠 な意味と現代人の行動様式を引合いに出しながら、思い遣りや気配り、時代が変遷しても変わらぬ物事の価値観などについて思索する話をして参加者に感銘を与 えた。

 

 

 

                     講話をする秋尾常民師

 この後で日本酒を賞味しながら日本酒文化の国際的な広がりを語り合う「日本酒を国酒に!」とする打上げパーティを行った。

 この日は本会会員である伊勢丹本社フードアテンダントの中澤律子さんが、特別に調達しきた12種類の銘酒を飲みながら、日本酒を堪能する会となった。

 

 

 

 

乾杯の挨拶をする加藤紘一先生(左端)、真ん中が筆者、右端は中澤律子さん。

 

 

 

ずらり並んだ銘酒と特製の升とお猪口も準備万端。


次々と銘酒を味わい、連日続いた猛暑を吹き飛ばした。

 まず乾杯には「八海山」(新潟)スパークリングシャンパンと同じ製法で作られた発砲酒である。まるでワイン趣向の乾杯に参加者も大喜びだった。さらに次々と開けられた銘酒を特注のお猪口や特製の升(本会会員・井上善男氏の寄贈)で飲みながら楽しんだ。

堪能した銘酒は次の通りである。

*  新千歳(福井) さくらロック お酒の概念を変えてアルコール度数を氷でお好きなように。

*  小左衛門(岐阜) ゆず酒  香りとほのかな甘味を楽しんで。

*  古酒(福島) 流転 ワインのようにヴィンテージを楽しむ大人の味わい。

*  萬乗酒造(愛知) 醸し人九平次 三ツ星レストランのワインリストにも掲載される世界の酒。

*  大村酒造(秋田) 福小町 通の大吟醸 オリンピック招致のレセプションで出されました。

*  南部酒造(福井) 花垣 日本酒をオーク樽につけてバニラ香を楽しむ新しい日本酒。

*  宮坂醸造(長野) 真澄 ワインに近いアルコール度数を12度に抑えた優しい創造酒。

*  出羽桜酒造(山形)出羽櫻 100年前以上前から鑑評会に出ている地酒の雄といえる酒。

*  菊水酒造(新潟) 菊水 酒造米ではなく魚沼産コシヒカリで醸した柔らかい味わい。

*  勝山酒造(宮城) 勝山 貴腐ワインのような味わい チーズやショコラとのマリアージュも。

*  大七酒造(福島) 大七生もと 最高級の雫原酒の選りすぐり サミット乾杯酒にも採用!

 

               
                               
               
             
                                         
                               

100回記念シンポジウムの報告(その4)

                               
                 

100回記念シンポジウムの報告(その4)

 

 記念シンポジウムは、「希望ある日本のために何をなすべきか」をテーマに、5人のパネリストによる意見発表のあと、橋本五郎氏をモデレーターに討論を行った。

 

 橋本五郎氏

 それではこれからディスカッションをしたい。論点を私なりに絞って、パネリストの先生方から話をお聴きしたい。

 最初に岩本先生からアベノミクス後の株式、債券市場の乱高下の話があった。これは最も切実な問題であり神のみぞ知るとあったが、まさに政治では制御不能という状況ではないか。岩本さんの指摘を踏まえてもう少し考え、分析を試みたい。塩崎先生はいかがでしょうか。



塩崎恭久氏

 株式、債券などのマーケットは近視眼的に動き過ぎる。たとえば不良債権を処理しようとなった時、次に何をやろうかと いうときにマーケットの動きが大きくなることがあった。今回の株の乱高下のようにナーバスになっているときは、何か変化が起きるときであり、政治が制御不 能だからではない。いずれ市場は落ち着いていくことだろう。

 毎日動いていることに一喜一憂しないで、トレンドとしてどうなっていくのかを見るべきだろう。株価ではなく本当の経済実態を見ることだ。日本はいい方向 ヘと向いているのであり、基本的にアメリカも同じだ。アメリカの金融引き締めは、景気がよくなっていくからそうするのであり、マーケットは賢くないと思 う。

 政治が不能なのではなくマーケットとはこんなものだ。時間が経てば一つの方向に向かっていくのであり、むしろトレンドとしてどうなるか、本当のところを見ることだ。日本はいい方向へ向かっているし、アメリカは経済もよくなっている。

 

橋本五郎氏

 大きなが流れとしては、成長戦略がきちんと実行できるようにならないといけないとよく言われるが、岩本さんは如何でしょうか。

 

岩本沙弓氏

 日本経済は、エネルギーの問題を抱えており貿易収支は赤字である。原発は止められ原油の輸入価格が上がっているので赤字が続いている。海外にエネルギー を頼っている場合には一方的に円高がいいのではなく、やはり円安もいい。円高はエネルギー源を安く調達できるのでいいかもしれないが、円高・円安のどちら がいいとか悪いとかの問題ではない。これまでは円安がいいのではないかという論調もあったが、ここはバランスを取ってニュートラルに考えるべきだろう。

 

塩崎恭久氏

 為替は双方向だ。これまではどう考えても円高が強すぎたかもしれない。しかしこちら側が決めることではなく、相対的なことで決まることだ。金融政策でど こまで変えられるかという問題があったが、今回、政策でこんなことができることが分った。あとはどのくらいがいいのか考えながらやることだ。

 

橋本五郎氏

 さて経済の問題はこのくらいで、次にリーダーはどうあるべきか、リーダー像をどう思うかというテーマに移っていきたい。藤嶋さん如何でしょうか。

 

藤嶋昭氏

 橋本さんがイギリスのサッチャー首相や大平首相についてのリーダー論を語った。これを聴いて、いま本当に真のリーダーが必要だなと思った。それがいま一番欠けているように思う。

 

橋本五郎氏

 大学の現場ではどうですか?

 

藤嶋昭氏

 大学は使命をきちんとわきまえて活動することが大事だ。日本が生きていくためには、資源がないから科学技術でしか生きていけない。今までは自動車、カメ ラ、電気製品とか工業製品でリードしていた。それがどんどん中国などに追い上げられてきた。こうなると日本は、ブレークスルーをやっていくよりない。私た ちもその使命を担って次世代の素晴らしい技術を開発するよりない。大学としてはそれよりない。

 

橋本五郎氏

 中曽根内閣のときにがん撲滅10か年計画という政策を打ち出した。何年計画というのは、やはり必要ではないか。柳澤さんは、これをどう理解するか。

 

柳澤幸雄氏

 自分は環境問題が専門だ。中曽根政権の打ち出したがん撲滅10か年計画では、確かに人材の基礎が出来上がった。研究の基盤を作り若い人を育てるというの は、短期間では意味がないので10年規模くらいの期間で人の基盤を作っていくことが重要だ。いくつかの分野でやるべきだ。人が育っていく土壌を作る必要が ある。

 

橋本五郎氏

その点で塩崎さんはいかがでしょうか?

 

塩崎恭久氏

 今回の成長戦略でも長期計画は見ている。ただ10年は長い気もする。例えばGNI(gross national income=国民総所得 )を増やすとか、名目3パーセント成長を目指すとか、10年目標でやっているが、しかしもっと短期間になるべきこともある。

 政府も今回、高低を付けて停滞から次の10年、再生の10年と言っている。10年は長いと思うが、他に短くていいものが多数あり政府も一つ一つに目標を定めてやることが重要だ。

今回のアベノミクスの特長は、総理が絶対ぶれない意志を持っていることが伝わっている。第1弾で農業とか医療とか雇用とかの課題でオンゴーイングするんだということだ。

 

 岩本沙弓氏

 アベノミクスを肯定する立場というわけではないが、私はディーラーとして、いい状況があれば必ず悪い状況もあるはずだという常にリスクを考える仕事をし てきた。アベノミクスの最大の問題は、日本の経済状態の好転はアベノミクスだけなのか、ちょっと俯瞰して考える必要がある。 

 国内だけの要因ではなく海外特に米国の事情もある。アメリカはシェールガス革命になっている。たまたまアメリカ経済が立ち上がってきた、日本も一緒に立ち上がる状況になってきた。

 ドル・円レートでも、円だけの要因で動くのではなくドルの要因でも動いている。双方の要因がオーバーラップしていくことを分析して見ることが重要だ。アベノミクスの一番のリスク要因は消費税である。これまでも消費税を導入した後にさまざまな状況が派生的に起きている。

 

 塩崎恭久氏

 97,98年の金融危機は、消費税が主因ではないと思っている。不良債権問題があり、借りたけど返せない状態になった。不動産屋さんだけでなく、そうで ないところも同じになった。産業構造の転換がうまく言っていなかったという構造の問題があったからあのようなことが起きてしまった。

 それには金融機関も責任あったし、監督する当時の大蔵省にも責任があった。課題解決を先に送ってきた。みんなで先送りした。

 今回の消費税は合計5パーセントあげるのだから、これには備えて行かなければならない。財政で勝てるかとなると、それだけではなく国際競争で負けてきたという問題がある。

 どうもうまくいってなかったし、日本は負けてきた。その根本のところを日本はどうするのかが大事だ。景気が上がったら反動が必ずある。これをどうするかが大事だ。

 社会保障の先行きに不安を持ちならが、財政にも赤字垂れ流しでいくのでは経済健全化にならない。財政はある程度の方向性を出すべきだろう。

 

橋本五郎氏

 経済を議論したが教育の問題に移りたい。藤嶋さんが示した753を864に変えるには。いったいどこに問題があるのか。教師にあるのかそれとも文部科学省にあるのか。どこに問題があるのか。

 

藤嶋昭氏

 いま一番の重要なことは小学5,6年の理科教育をきちんとやることだ。小学5,6年生の理科はかなり難しい。小学校の教師は大体文系だ。これで全科目を やらないとならない。そこで5,6年の理科を専任の教員かあるいは理科に強い先生が教えてくれて、理科の面白さを子供たちに伝えることが大事だ。

 

橋本五郎氏

教師たちはどう思っているのか。

 

藤嶋昭氏

 小学校の先生は全教科をみるのだが、大体は文系の先生だ。理科の難しいのを教えるのは難しい。実験の面白さからやってもらうようにしないとならない。観察とか実験をやるだけなら簡単だ。それ以上のことをやることが難しい。そこをうまく教えることが重要だ。

 

橋本五郎氏

 現場では苦心のしどころだろうが、それではどういう風にやるべきか。柳澤さんいかがでしょうか。

 

柳澤幸雄氏

 理科をきちんと教えることはものすごくお金がかかる。さきほど、藤嶋先生はコンパクトな実験を見せてくれた。そのような実験を子供たちがやるには一人だけではできない。実験助手が必要になってくる。

 理科の専任の先生と同じ人数だけ助手が必要になってくる。そうするとその人たちの給料が必要になる。理科の教室の設備も含めてお金がかかる。

 たとえば枕草子を読むだけならお金はかからない。そころが、ある現象を教育するにはお金がかかってくる。これをどうするかが大きな課題だ。

 

橋本五郎氏

 退職された先生をバイトで雇うことはできないか。辞めたが一日中、家にいるのでは奥さんが一番困るだろう。それを敏感に察知した男性は、朝飯食うと公園 に出かけて静かに時間をつぶしているらしい。これをバイトで雇えば元気が出てくる 学校では余り教え子に近づけたくないのだろうか。昔の話ばかりするから かなとも思う。

 

藤嶋昭氏

 東京理科大学は歴史的に数学と理科の教員を多数世に出している。いい先生を出すには学生のうちに指導することが大事だ。この教員の育成には、校長先生を やって家にいると困る人にお願いして指導者になってもらっている。理科大ではボタンティアに近い形でやってもらっている。

 

 橋本五郎氏

 理科だけでなく、大学を出たばかりの若い先生がすべてに対応できるわけがない。一線を退いた人をうまく使うことは資源のリサイクルになるのではないか。もうちょっと積極的にやるとうまくいくのではないか。

 

塩崎恭久氏

 世界の100の大学のランキングを見ると日本の大学では東大と京大しか入っていない。 韓国は3つ入っている。自民党は10年内に10大学を入れることを目標にしている。

 そのために何をやるか。たくさんやることがある。3年前に成長戦略を作った時に、指標は実は国際化で負けている。しかし科学という指標でいくと上に行くがトータルで行かないとダメだ。日本の大学は外国の先生が少ないし、外国の学生も研究者の少ない。開かれていない。

 留学生の話もあった。希望する人が優秀なら全員、留学できるようにやりたいし逆に来てもうこともオープンにするべきだ。小中高といろいろ問題が出ている が、入試にも問題もある。日本では自分の大学で入試問題を作ってやっている。この形式は先進国ではあまりない。みんな共通テストでやり、後は論文とかアド ミッション方式でやっている。日本は大学入試制度を変えないとダメだ。

 高校生が入試を目標にやると、大学入試後は燃え尽きた学生になりがちだ。入試の点数が高いからいいというものではない。それでは決まらない。高校でどう いう社会貢献をしたのか、大学がアドミッション方式で取るときに評価の基準を作ればいい。そうすると高校生は、自分が地域で何をしたのか何を貢献したのか を考えるようになる。

 そのように入試を改革することは、とても大きな課題であると位置づけている。小学1年から英語を教科にしようとしたら、時の文部科学大臣が日本語もできないのに英語をやるのはダメだと反対した。結局、小学5年生からになった。

 英語をただ読んだり書いたりではなく、英語でコミュニケーションができる人を育てないとならない。コミュニケーションができないのでは社会に出ても伸びない。大学改革が大事だ。

 学長は選挙で選ばれるのではなく、理事会とか選考会が指名するなど大学のガバナンスを高める必要があるのではないか。教授会が学長の足を引っ張ったりすることがないようにするために、教授会の位置づけを本来の学長の諮問機関とするべきだ。

 選挙で学長を選んでいるとなかなかうまくいかないのではないか。我々国会議員も選挙で選ばれていると、あっちににこにここっちににこにこしないと選挙に当選しない。これでは大胆な改革などできない。

 ノーベル賞級の学者がなぜ日本で教えられないのか。逆になぜ、日本でノーベル賞を取った人が外国へ出ていくのか。そういうことを考えると大学のありかた、ガバナンスを考える必要がある。リーダーシップをとれる大学に期待している。自民党は改革のメニューを入れている。

 

橋本五郎氏

 大学は一見、民主主義的にやっているようだが結構無責任だ。恨みと嫉妬だけはある。政界とかなり似ているところもある。弾が後ろから飛んでくることもある。藤嶋さん、これはどうあるべきか。

 

藤嶋昭氏

 やはり理事会がリーダーシップを持って確固たる方針をもってやるべきだ。そうするとついてくる。堂々とやることが大事だ。さっきの大学のリーダーが必要だということと同じだ。

 

橋本五郎氏

 日本で最初にノーベル賞をもらった湯川秀樹博士の自伝の中で、父親は兄弟の中で一番ダメだと言われたという。ところが学校の先生は一番可能性があると見抜いて、ちゃんと大学に行かせるべきだと進言したという。

 先生が子どもをちゃんと見ている。そのことで一生が左右される。そうなると先生の役割は最も大切だと思っている。この世の中で、それぞれの一生を決めて しまうほどの役割がある。そうなるとそのような体制になっているのかという問題もある。東大に行くのも一つの指標かもしれないが、長い一生を決めるにあ たっては、先生がその役割を担っていることは非常に大事だ

 

柳澤幸雄氏

 子供が生まれて誰に育てられるのか。時系列で考えると生まれてすぐは親だ。幼稚園から小、中、高校と先生が関与する。そして思春期になると友人の影響が非常に大きくなる。

だからどういう生徒集団、どういう学生集団を作るか、その中でどういう形でお互いに切磋琢磨するのか。

 それを教員が持っていないと、時間的に持っていないとダメだ。教員は教室で知識を教授するだけではない。ものの考え方人格の形成に大きな影響を発揮するべきだ。また、友人関係をどう意識するのか、それを意識させる学校運営が大事だ。

 

 橋本五郎氏

 藤嶋さんは時代の雰囲気が非常に大事だと言った。昔、末は博士か大臣かと言ったが、あれは結構いいキャッチフレーズだ。いまはそれに代わるものがない。この雰囲気をどうやったら作れるのか。

 

藤嶋昭氏

 それは一人では無理だ。複数の同じ考えの人が集まって、なんかやろうとなるときにできる。やはり2,3人の同じ考えの人が来るというのが最も大事だ。明治時代もいろんな芸術でも同じ分野の人が集まって雰囲気を作って大きな力になった。

 

橋本五郎氏

 非常に大事だ。気持ちが国民全体の中に回ることが重要だ。宇宙探査機「はやぶさ」のときもそうだった。知識を血に対することだ。

 

藤嶋昭氏

 本を読もうという運動をやったきっかけは、川崎市の教育委員を10年やった経験からだ。教員採用試験をしたとき、面接者にこの1年間に読んだ本を言ってくださいと質問したら誰1人読んだ本を言えなかった。

 受験勉強の本を読んでいても一般の本を誰一人読んでいない。その人たちがみんな先生になる。これはひどい。自分を高めないとダメなので本を読もうというキャンペーンを始めた。

 大平正芳元首相はすごい読書家だった。あーうーと言っているが、一番の読者家だったのをみんな知っている。自分を高めることをしている人はみんな分かっている。

 

橋本五郎氏

 アメリカの元大統領のリチャード・ニクソンが、指導者とは、偉大な政治家とは、偉大な読者家であったとも言っている。塩崎さんいま政界を見ていて如何ですか。

 

塩崎恭久氏

 ま、人それぞれだと思います。今回まとめたものに知恵に対する話があったが、中間提言のなかで総理の科学顧問を設けよと提案している。英米では、チーフサイエンスアドバイザーがいる。

 政治家が科学をどのくらい受け入れる心を持っているか。原発事故が発生したとき、海水注入をやめろとか、あるいはベントを早く命令するとか、大きな声を 出した総理大臣もいた。イギリスの人に聞いたら、イギリスの政治家はそのような科学的な判断に口を出す人はいませんと言っていた。原子炉の中の問題につい ては、独立性をもってやならいとならない。

 下手な科学者の判断よりも政治家の方が判断は正しいと思い込んでいる政治家が多いのではないか。サイエンスアドバイザーを日本でもおけと言っている。しかし文部科学省が反対している。総合科学技術会議があるではないかと言っている。しかしこれは人を置くことだ。

 イギリスにはほとんどの役所にサイエンテフィックアドバイザーがいる。国務省にもいる。深い科学者として考えを持った人が科学的判断を提供している。そ してそれを受け入れる人がいる。事務官にも政治家にもいる。向こうでは専門的なアドバイスを受け入れることが事務官にも役所にも政治家にもある。

 

橋本五郎氏

 専門家が十分に機能を果たしているのか。そこだと思う。それぞれの立場もあるし意見もあるのだろうが、日本で言えるのは、みんな自信なげである。そう やっていままで原発をやってきたのかとなる。ここは藤嶋さんに聞きたい。専門家がこうやるべきだ、素人が口を出す問題ではないと言わねばならないのに、国 民の目線になっているようだ。専門家がこれではどうするんだとなるがいかがでしょうか。

 

藤嶋昭氏

 それについてコメントするのは難しい。大体、原子力の専門家は同級生にいるが、あのときは優柔不断というか決断をちゃんと言わなかったように感じる。それが一番問題だ。 専門家はちゃんと言わないとダメだ。

 

塩崎恭久氏

 国会の事故調査委員会で問題になったことは、規制のとりこになっていたことだ。専門性があまりに高いので、専門性の規制のされる側にとりこになった。

 原子力安全基盤機構があって、専門家として組織を統合して、かつての保安院は基盤機構に下請けに出して作ってもらっていた。事故のとき基盤機構に100くらい提案あるとしていたが、保安院にいくと10くらいしか理解できなかった。官邸には1くらいしか届かなかった。

 これを解決するには、1つにまとめてこれを専門性のある力のあるものに変えていかないとならない。統合することに法律で決めている。しかし一部政府の人 たちは熱心にしていない。早くやらないと原子力規制に対する信頼はいつまでたってもできない。能力がないと言われてはダメだ。

 

橋本五郎氏

 高校のときからいい人材を作っていくことが大事だ。大学でなく高校のときからということが大事なことでしょう?

 

柳澤幸雄氏

 英語、数学、国語という科目が入試にある。抜けていることで典型的なことがある。たとえば国語で漢字をよく知っている。教養があると思われている。数学がよくできる。この人は頭がいいと思われている。英語がよくできる、この人はスマートな人と思われている。

 日本の場合、大学で文系と理系に分ける。高校でも分けている学校がある。開成高校は分けていない。大学に行くとき、数学が苦手だから文系に行くという人が非常に多い。そうすると仕事に入った時にも数学的な素養が不足し、損をすることになる。

 高校で言うと、入学試験は教育の大きな流れを決める非常に大きな要素だ。小学、中学、高校とも指導要領に縛られているが、生徒は学校だけでなく塾でも勉 強をしている。そうすると大学の入試はこういう問題である。それに合わせて子供たちは勉強している。莫大なエネルギーがそこに使われている。

 大学がどのような入試問題を出すかというのは、大学の社会的に存在する自分たちのメッセージなっている。いま入試改革が言われている。そのとき日本の入試では生徒自身が自分を評価しているというメカニズムがない。

 TOEFLなどは何回も受けられる。最大で7回受けられる。自己評価とその試験の評価の一致をはかることができる。何度も受けることができると自分はもっとできるのに点数が悪い。それならもっと勉強するとなる。また受ける限界かなとか判断できる。高校時代に判断できる。

 そのように生徒自身が判断できる。自己判断ができることが大事だ。是非とも入試改革をするべきだ。

 

 

橋本五郎氏

 最後に株価はいったいどうなるのか。買ったらいいのか買わない方がいいのか。ということは受験勉強と何も関係がない。スポーツのあり様と株価のあり様とどう関係があるのか。

 

岩本沙弓氏

 難しいですね(笑)。大阪経済大で教えているが大阪には堂島という取引所がある。先物取引所がある。この取引を世界に先がけて開発したのは日本人である。

 実は日本人は市場経済に非常に敏感な国民である。大阪と京都にいち早く伝える旗振り通信、火の見やぐらを作って伝えた。旗振りの中継所は4か所ある。そこで旗振って伝達していた。

 大阪から京都まで旗振りで伝える中継地点が全部で4つある。旗を振るだけだが、どのくらいの時間がかかると思うか?

 

橋本五郎氏

?・・?・・、3時間くらいだろうか。

 

岩本沙弓氏

 実は4分でできていた。旗を振り、双眼鏡で眺めて情報を収集した。いまNTTで電波通信は旗振り通信だと言われている。日本人は創意工夫する国民だ。相場も、もともとそうだった。

 いわき市にカンガルーという会社がある。大震災で100パーセントダメになってから1か月で回復させた。底力のポテンシャルがある。底力があるのだから、もう少し自信をもってやると全然変わると思う。

 

橋本五郎氏

なるほど。そのポテンシャルに期待してこのシンポジウムを終わりたい。

 

 

馬場錬成・21世紀構想研究会理事長の閉幕挨拶

 5人の先生方の専門性の高い思索からの意見が述べられ、一時は話が発散してどうなるかと思いながら聴いていた。アベノミクス、財政金融問題、そして広く教育問題へと話題は広がり、日本のためにどうするのかというフォーカスでは一致していた。

 5人の先生方が明確にそのようなメッセージで語ったわけではないが、私なりにそのように感じた。ご発言の中で共通だったことは、日本にはリーダーが不足している。今こそ確固とした信念をもった専門性の高いリーダーが必要だ。

 国を建てるのは教育である。教育は教師の在り方、教育制度の在り方、入試のありかたなどで各論が出ていたがリーダーといい人材を育てていく教育が一番重要であることを5人の先生が角度を変えて発言していた。

 日本と日本人は、この150年間に世界でも稀有な進歩を遂げた。日本と日本人はきわめて優れた民族の1つだ私は考えている。これまでの実績と民族の資質 を認識し、これからも誤りなきように歩いて生きていきたと思う。世界に貢献できる人類の福祉に貢献できる日本と日本人でありたいと思う。

 21世紀構想研究会100回記念シンポジウムは、実り多い討論に終始して終了した。5人の先生方に篤くお礼を述べ、改めて盛大な拍手で謝意を表したい。

 有難うございました。

(文責・特定非営利活動法人21世紀構想研究会事務局)

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会・100回記念シンポジウム報告(その2)

                               
                 

 冒頭に21世紀構想研究会の歴史と活動を紹介

 シンポジウムの冒頭、21世紀構想研究会の馬場錬成・理事長から、1997年9月の創設から今日までの研究会の活動実績を報告し、今後も社会貢献を目指して討論や政策提言を目指す決意が語られた。

  まず、21世紀構想研究会の設立目的は、時代の変革で続出してきた課題を提起、討論する場を作ったことだった。IT(情報科学)の進展によって国、企業、 社会のあらゆる場面での変革を予見し、知的基盤の強固な研究現場と産業振興の技術革新の実現をしなければ、日本は真の科学技術創造立国を確立できない。

 そのような課題を認識し、適宜、研究テーマを掲げて討論し、そこで得られた成果を社会に訴えて啓発しながら国の政策にも結びつくように活動する方向を目指して出発した。

 会員は現在およそ100人。主として有力なベンチャー企業、政府機関、大学・研究機関、マスコミの4極から集まっている。

 

 

 

  

 21世紀構想研究会の歴史と活動を紹介する馬場錬成・理事長

 

 下部組織として4つの委員会が活動

 21世紀構想研究会には現在、産業技術・知的財産権委員会(生越由美・委員長)、生命科学委員会(東中川徹・委員長)、教育委員会(銭谷眞美・委員長)、メタンハイドレート実用化委員会(平朝彦・委員長)が活動を行っている。

 それぞれ時代の要請を見ながら研究会を通して課題を認識し、政治、行政に対して成果を伝え、働きかける活動につなげている。過去の実績では、本会アドバイザーの元特許庁長官、荒井寿光氏を中心に度々、知財立国への制度改革や現場の課題を報告し、政府にも政策提言を行ってきた。

 また中国にも2回訪問し、中国社会の急速な進展と日系企業の現地での活動を視察した。さらに東日本大震災の前後には東北電力女川原発を視察し、原発の実情を学び、大震災の被災の現場を見る機会があった。 

 会員企業の栄枯盛衰

 21世紀構想研究会の会員は、有力なベンチャー企業の創業者に参加を求めたところに大きな特徴があったが、会員となった企業は成長するとは限らず、厳しい競争社会の中で大きな試練に立っている現状を知った。

 会員企業の中で、業績が順調に伸びた企業と事実上倒産した企業が交錯している。業績を伸ばした代表的な会員企業は次のような企業である。

 武蔵エンジニアリング株式会社、株式会社日本一、株式会社ガリレオ、株式会社発明通信社、株式会社高速屋、株式会社みかづき、株式会社グッドバンカー、株式会社ホトロン、ユーヴィック株式会社、株式会社東京大学TLO、バイオジェニック株式会社などである。

 会員になった多くのベンチャー企業は、特許など知的財産権を多数取得し、独創的な技術を武器に市場へ打って出たものであり、順調に業績を伸ばして上場した企業も3社ある。一部上場まで果たしたのが荏原実業株式会社である。

 その一方で上場した後に事実上倒産した企業が2社出ている。株式会社YOZANとシコー株式会社である。また知的財産戦略をもとに活動を続けるも業績不振で事実上倒産した会員企業が5社出ている。

 株式会社 YOZANは、第3世代携帯電話(W-CDMA)用の集積回路の設計・開発を行い国際的にも脚光を浴びて2000年9月1日に株式をJASDAQに上場し た。その後、半導体開発では安定的な成長が望めないとして電気通信事業者へ業態転換を行ったがうまくいかず事実上の倒産となった。

 シコー株式会社は、振動モーターを発明して携帯電話機のマナーモードを世界中に広げたものだが、円高、中国での人件費高騰、デリバティブ差損などの逆風に持ちこたえることができず、わずか3億9千万で中国の名もない中小企業に買収されていった。

 このような実例を知ることによって、21世紀構想研究会は国際的な技術開発競争、ビジネス経営の難しさを知り、分析・研究を行い、研究成果の一部は2011年度の日本知財学会で発表した。 

 「たかが学校給食と言うなかれ」

 また、食育推進事業の一環として始めた「全国学校給食甲子園大会」は、2013年に第8回目を迎えることになり、全国の学校給食現場では知らない人がいないくらいに有名なイベントになった。 

 

 

  第7回学校給食甲子園大会に優勝した愛知県西尾市立西尾中学校
学校栄養職員・冨田直美さん、調理員・三浦康子さん
 

  昨年の応募校は、全国から2271校(センターも含む)あり、年々参加校の数が増えている。これは単に学校給食の調理コンテストではなく、一般の人々にあ まり知られていない学校給食の理解を高め、日本を背負っていく次世代の児童・生徒の栄養と健康を見守り、重要な使命を帯びて日夜頑張る栄養教諭、学校栄養 職員、調理員を顕彰する大会にするのが主たる目的である。

 また、地場産物を供給する生産者、流通業者、保護者らとの交流促進にも役立て、食文化が一国の文化と密接につながっていることを理解しながら学校給食の重要性を社会に向かって啓発しているイベントである。「たかが学校給食」と言うなかれというのが私たちの主張である。学校給食は、食育推進の観点から、次のようなキーワードで研究を進めることができる。

  子供 栄養 健康 躾 教育 生活 地域 社会 国家 文化

 学校給食から見えてくる課題は、国家観にまで広がっている。  

 これからの21世紀構想研究会活動にご支援を

 世 界的な産業構造の大変革の中で、日本はどのような国作りをし、どのように産業構造を変えていくのか。そのために知的財産戦略をどのように策定し推進するの か。これは国家だけではなく企業、大学・研究機関など日本全体の課題である。産業技術・知的財産権委員会では、近く知財改革の討論を開始し、日本の近未来 の産業構造や知財戦略の再構築を模索しながら政策提言できるような改革案を作成したいと考えている。

 私たちは時代認識を明確に意識した社会啓発活動を続けていく決意である。

 これからもご指導、ご支援をお願いしたい。

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会・100回記念シンポジウムの開催(初報)

                               
                 

 

テーマ:希望ある日本のために何をなすべきか

モデレーター 橋本五郎(読売新聞東京本社・特別編集委員)

パネリスト 

岩本沙弓(大阪経済大学 経営学部 客員教授) 

塩崎恭久(自民党衆院議員、元内閣官房長官) 

藤嶋 昭(東京理科大学学長、東大特別栄誉教授) 

柳澤幸雄(開成中学・高校校長、東大名誉教授)

 

 21世紀構想研究会の100回開催記念のシンポジウムが6月11日午後6時半から、東京・内幸町の日本記者クラブ10階のプレスセンター大ホールで開催された。 

 冒頭、筆者は21世紀構想研究会の理事長として、第1回の研究会開催から今日までの歴史を簡単に説明し、これまでの活動実績や今後の活動方針について報 告した。この後、「希望ある日本のために何をするべきか」をテーマに、モデレーター、パネリストの5人が冒頭にコメントを述べ、そのあとで討論を行った。

 今回の報告では、全体の印象を筆者なりに示したいと思う。まず第一印象は、自分たちが主導で決めたパネリストの人選であるが、多方面の分野からの代表と いう形になり非常によかった。(自賛) 将来の首相候補として最も近い距離に立っている塩崎先生は、さすがに政界事情を巧みに勘案した発言をしていたが、 基本的に「実現可能な政策」という視点に立っていたことは政治家として一定の評価をしたい。

 岩本先生は経済学者、特に直近の為替変動、金融政策、株価乱高下を日々解説する立場に立っているので、冒頭は株式市場の解説を歴史的なデータを示して行っていた。これは冷静な視点を示したもので非常にためになった。

 藤嶋先生は、最近取り組んでいる青少年の読書運動と理科離れへの歯止め運動から教育全般にまで広げた話題は面白かった。「空はなぜ青いか」と問いかけ、その理屈を解説し、しかも持参したペットボトルに懐中電灯を当てて青空の理屈を見せてくれたのは、鮮やかな手法だった。

 柳沢先生は、東大進学断然トップという有名高校の校長らしく、開成高校の卒業式での式辞の話からこれから人生を歩む若い世代に告げるメッセージを披露しながら、親や社会人の果たすべき責務について考えさせるメッセージを発言していた。

 モデレーターの橋本先生は、膨大な蔵書を抱える読書人らしく、昔の偉人たちのエピソードを適宜に織り込みながら、地方の疲弊、少子化問題など現代の重要 課題を国民の目線で考えることを提起しながら深く思索するように示唆した。さらに4人のパネリストを巧みに束ねて2時間の論戦を仕切った手腕はさすがだっ た。

 5人の討論の内容については、この後で詳報を掲載していきたい。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会・100回記念イベント第3弾で生島和正氏が講演

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の100回記念イベントの第3弾は、武蔵エンジニアリング株式会社の生島和正社長が「我が社の事業とその経営哲学について、または、これからの世の中を確かに生きていくために -若者に捧ぐー」とのタイトルで講演を行い、会場と熱い討論を展開した。

 生島社長はまず、液体を超細密に制御するハイテク技術で世界トップの技術力とマーケット支配をしている活動を分かり易い映像データなどを使って説明した。

 経営哲学とする基本理念には、幸田露伴の「努力論」と二宮尊徳の「報徳訓」の思想を取り入れた「露伴・尊徳ism」を確立し、独自の経営理念で活動して いることを熱く語った。具体的な行動様式としては、誠実、挑戦、独創性の3本の柱を掲げていることを説明したが、この中でも特に誠実という企業姿勢を明確 に打ち出していると語った。 

 さらにビジネス社会は競争ではなく闘いであるとし、企業が強くなるためには技術力、製品力、販売力、組織力、仕事力、人間力をあげ、もの作りに取り組む経営は「美学」であるとする独自の経営観を語った。

 さらに「これからの世の中を確かに生きていくために -若者に捧ぐー」として、世の中の見方、考え方について独自の歴史観と世界観を披歴し、感銘を与えた。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会「100回記念シンポジウム」の開催案内

                               
                 

 21世紀構想研究会は、設立から15年目の2013年6月、100回開催記念のシンポジウムを開催します。

 是非、参加をお待ちしています。無料です。

特定非営利活動法人21世紀構想研究会100回記念シンポジウム案内

 開催日時:2013年6月11日(火) 午後6時半~9時

テーマ :希望ある日本のために何をなすべきか
 

モデレーター 橋本五郎(読売新聞東京本社・特別編集委員)

パネリスト 

岩本沙弓(大阪経済大学 経営学部 客員教授) 

塩崎恭久(自民党衆院議員、元内閣官房長官) 

藤嶋 昭(東京理科大学学長、東大特別栄誉教授)

柳澤幸雄(開成中学・高校校長、東大名誉教授)

  橋元五郎氏

 1946年生。1970年、慶應義塾大学法学部政治学科卒、読売新聞社入社。政治部、論説委員、政治部長、編集局次長などを歴任。読売新聞編集委員を経て現在同特別編集委員。日本テレビキャスター(「ジパングあさ6」「ズームイン!!朝!」)、東京大学経営協議会委員、NHK中央放送番組審議会委員、東日本大震災復興構想会議委員などに就任。 読売新聞紙面でタイムリーなテーマで論評を執筆して多くの「橋本ファン」を作った。現在、読売テレビ「ウェークアップ!ぷらす」コメンテーターなどを務める。著書に『新聞の力』(労働調査会)、『総理の器量』(中公新書ラクレ)、『「二回半」読む』(藤原書店)、『範は歴史にあり』)など多数。

 岩本沙弓氏

  1991年東京女子大学卒。同年から日・米・加・豪の大手金融機関にて外国為替(直物・先物)、短期金融市場を中心にトレーディング業務に従事。日本経済新聞社発行のニューズレターに7年間、為替見通しを執筆。金融機関専門誌「ユーロマネー誌」のアンケートで為替予想部門の優秀ディーラーに選出される。 現在、為替・国際金融関連の執筆・講演活動の他、国内外の金融機関勤務の経験を生かし、参議院特別委員会にて参考人として出席するほか、政党関連の勉強会等の講師にも招かれる。大阪経済大学経営学部の客員教授を務めている。主な著作に「新・マネー敗戦」(文春新書)、「最後のバブルがやってくる」(集英社)など。最新刊「バブルの死角」(集英社新書)は2013年5月発刊。

 塩崎恭久氏

1950年(昭和25年)生。1975年、東大教養学部教養学科アメリカ科を卒業して日銀に入行。1982年にハーバード大学行政学大学院を修了、行政学修士号を取得。1993年、衆院議員選に出馬して初当選。以後、衆院議員6期、参院議員1期を務める。金融危機に伴う1998年の金融国会では、金融再生トータルプラン、金融再生法の策定に奔走し、政策新人類と呼ばれ注目された。衆議院法務委員長、外務副大臣を経て2006年の第1次安倍内閣で内閣官房長官・拉致問題担当大臣に就任。2011年3月の福島第一原発事故を機に「国会事故調査委員会」(憲政史上初めての国会内調査委員会)を立ち上げ、「原子力規制委員会」の創設を主導し原発・原子力問題に全力傾注。現在は、自民党政調会長代理・日本経済再生本部本部長代行として日本経済のデフレからの早期脱却に向けて鋭意取組み中。

 

 藤嶋昭氏

 

 1966年、横浜国立大学工学部卒業、71年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。神奈川大学工学部講師、東大工学部講師、助教授を経て教授、同大学院工学系研究科教授。東京大学特別栄誉教授。2003年4月より財団法人 神奈川科学技術アカデミー理事長、08年科学技術振興機構・中国総合研究センター長。2010年1月より東京理科大学学長。酸化チタン光触媒の原理を発見した業績で世界的に知られる。日本化学会賞、紫綬褒章、日本国際賞、日本学士院賞を受賞。2010年文化功労者。 学術的な専門書を数多く刊行したが、最近は子供の科学啓発教育に情熱を燃やしている。「時代を変えた科学者の名言」、「科学も感動から」(いずれも東京書籍)、「太陽と光しょくばいものがたり」(偕成社)など著書多数。

 

 柳沢幸雄氏

   1947年生、東大工学部化学工学科を卒業。コンピュータ会社のシステムエンジニアとして3年間従事後、東大大学院で大気汚染を研究し博士号取得。東大助手を経て、84年よりハーバード大学公衆衛生大学院に移り、研究員、准教授、併任教授としなる。1993年より、財団法人地球環境産業技術研究機構の主席研究員を併任。1999年東大大学院・新領域創成科学研究科教授、2012年東大名誉教授。主要研究テーマは、空気汚染と健康に関する研究。2011年より母校の学校法人開成学園・中学校、高等学校校長に就任。社団法人大気環境学会副会長、室内環境学会会長、臨床環境学会理事、NPO法人環境ネットワーク文京副理事長などを歴任。主な著書に「化学物質過敏症」(共著、文春新書)、「CO2ダブル」(三五館、1997)など多数。
               
                               
               
             
                                         
                               

永野博氏が読売新聞・論点欄で若手人材育成の国家戦略について提言

                               
                 

 

 元文部科学省国際統括官、政策研究大学院大学教授などを歴任した永野博氏が、2013年5月1日付け、読売新聞論点欄に「研究リーダー養成必要」との論文を発表した。

 世界主要国、後発国ともに、若手の人材育成に力を入れて多くの政策を遂行しているが、日本の人材育成はこれでいいのか。世界の現状を調べて分析し、日本の国家戦略として若手の人材育成をどう取り組むべきか。

 その視点を明快に提起している論文である。是非、読んでほしいと思った。

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会・100記念イベントで佐々木信夫先生が講演

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の100回記念イベントが進んでいるが、4月24日には第2弾として佐々木信夫先生(元特許庁特許技監、株式会社特許戦略設計研究所 代表取締役)が講演し、日本に横たわる知財戦略の課題を分析して指摘し、これから取り組むべき戦略について多くの示唆に富んだ提言を行った。

 佐々木先生は、1998年に特許技監を務めたが、そのときの特許庁長官は荒井寿光氏である。この日は荒井氏も出席し、往時の長官・技監の名コンビで講演の後の討論を盛り上げた。

 佐々木先生の講演内容で筆者が印象に残ったのは、アジア・中国を中心に広がっている巧妙な特許模倣システムの広がり、欧州特許庁の停滞ぶり、日米特許対 話の流れなどである。また、自身の手がけている具体的な特許・ビジネス戦略について、ケーススタディの形で披露し、日本の特許戦略と産学連携の現場に横た わる様々な課題をあげた。

 安倍政権の掲げる「三本の矢」政策の最大の課題は、失われた20年で現出していたデフレ経済を脱するために成長戦略を見直して具体化し、速やかに実現す ることだ。そのために佐々木先生は、知財の保護ルールの国際的な共通化をあげた。TPPの知財保護ルールの共通化、日中韓のFTA交渉の知財保護ルールの 共通化、日欧のEPA交渉の知財の保護ルールの共通化などである。

 また国内の知財政策では、グレースピリオド1年の制度化、超早期審査の制度化、18か月以内の特許取得手続きの制度化などをあげ、そのためには特許紛争 実態の調査と監視の励行や無審査実用新案法の根絶などをあげた。これは中国で急増する実用新案出願と特許出願は、中国独自の制度が権利意識を突出させてお り、こうした実態を国際的な共通システムに改めていかないと公正な競争にならないことを指摘したものである。

 そのほかにも重層多岐にわたる国際的な課題提起と日本のとるべき戦略は極めて重大なものばかりであり、今後、佐々木先生の提起した課題を整理し、安倍政権に政策提言できるよう論議を成熟化していく方向を確認してこの日の講演は終了した。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

加藤紘一氏(日中友好協会会長)が日中問題について21世紀構想研究会で講演

                               
                 

 

 元自民党幹事長の加藤紘一氏(日中友好協会会長)が、4月19日、21世紀構想研究会で講演し、緊迫する日中問題について核心に触れる解説を行った。こ の中で加藤氏は、2012年9月9日、ロシアのウラジオストックで開催されたAPECで、中国の胡錦濤国家主席が野田総理と非公式ながら30分ほどの会談 を行っていたという新たな事実を披露した。

 日本では、日中の2人の首脳が立ち話をした程度として伝わっているが、立話以外に日中2人のトップが部屋に入り、通訳を交えずに片言の英語で語り合った 内容が問題であったと推測できる中国側の動きと情報を元に、これまで伝えらていない日中外交問題の齟齬について大胆な解説を行った。

 また1984年 - 1986年に、中曽根内閣の国務大臣防衛庁長官をしていた時代に、日本海を舞台に日中で緊迫した事態が勃発した秘話、尖閣紛争を原因とした日中の武力衝突 の可能性、レアアースを巡る日本の報道とその真相、中国共産党の若い指導層の仕事ぶりと近年の日本の官僚の考えと仕事ぶりなどについて見解を述べた。

 加藤氏は元外務官僚であり中国語語学研修で鍛えたチャイナ・スクールの系譜にある人である。中国語が堪能なので中国の指導層、要人とも個人的な太い人脈 がある。この日の講演でも、中国に関する豊富な情報量を感じさせる多くの話が語られ、真の日中関係を理解するうえで非常に役立った。

 また、膠着している日中問題を打開する手だてについて加藤氏は、日本の政治家の中でいま中国側と最も太いパイプを持っているのは安倍首相であると解説 し、安倍総理自ら動くことが重要であるとの見解を述べた。第一次安倍政権誕生後の中国との外交を振り返りながら、先月下旬、中国側が安倍首相に期待をかけ ている動きを見せたが、日本側がそれに対応しなかったとのいきさつを語った。

 この膠着状態を打開するのは政治問題として取り組んでも困難なので、民間が積極的に様々な交流を進めることが重要なカギになるとの見解も語った。

 またこの日の研究会には、在日中国大使館の李纓(Li Ying)公使も出席して熱心に加藤氏の話を聴いていた。研究会後半のフロアとの質疑応答では、フロアから李公使に中国の経済問題や科学技術問題で質問す る人も出たが、李公使は流暢な日本語で率直な意見を述べて参加者に感銘を与えた。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

加藤紘一先生(日中友好協会会長)と懇談

                               
                 

 

元自民党幹事長で同党の重鎮である加藤紘一先生と2月28日、東京・六本木でお会いし、直近の様々な話題で意見交換した。

 加藤先生は先の衆院選で山形3区で14選を目指したが前坂田市長の阿部寿一氏に負けて落選した。この日、久しぶりの出会いだったが元気な様子であり、健啖ぶりは相変わらずで安心した。

 最近の加藤先生は、緊迫する日中関係の改善に貢献したいという意欲を持っている。それは、外務官僚時代から中国通として活動し、中国の要人にも太いパイプを持っているからだ。現在も日中友好協会会長として中国との関係改善に動いているという。

 そこで、100回開催記念イベントを行う21世紀構想研究会の特別講話として、来る4月19日午後7時から、プレスセンタービル9階の宴会場で、特別講話をしてもらうことにした。

 演題は「中国第6世代が考える日中未来志向」と決まった。第1世代・毛沢東、第2世代・鄧小平、第3世代・江沢民、第4世代・胡錦濤、第5世代・習近平と続き、次の中国共産党のリーダー候補が第6世代となる。

 いわば中堅幹部として活動する中国の第6世代は何を考え日中対応にどのように動こうとしているのか。日中戦争勃発寸前という緊迫した状況もあるだけに加藤先生の分析と解説を注目したい。

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

第98回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

第98回・21世紀構想研究会は、2013年1月25日、プレスセンターで開催され、「大丈夫か日本の大学の産学連携活動」のタイトルで、株式会社東大TLO社長の山本貴史さんの講演と討論で盛り上がった。

 山本さんは、日本の大学TLOの必要性を1990年代から主張し、時代の先駆けを行った人である。それはアメリカの産学連携の最初のシステムを構築したニルス・ライマース氏に私淑し、そのイロハを教えてもらい、日本にその文化を導入した。

 産学連携など日本ではほとんど話題にならなかった時代に、次世代の風をかぎ取って活動を始めたという点で非常に価値ある活動であった。

 日本の産学連携は、まだ道遠しであり、軌道にのるのに、あと10年かかるだろう。山本さんは、東大への国からの莫大な資金投与と高度資質の人材とこれまでの研究インフラがあるから成功していると思いがちだが、そうではない。

 この日の講演でも、マーケティングを最重要課題に掲げ、営業努力があって初めて成功している企業活動であることが分かった。外国の企業が東大の発明成果 に素早く群がってくるという報告は、日本の企業文化、官僚文化がいかに世界の潮流に遅れているかという現実を報告していた。

 いま、日本で最も遅れている点は、決定までに至る道筋と時間である。官僚の世界でも企業でも大学でもあらゆる世界で即決即断ができない。それは日本の文化であり、それがいい時代もあった。しかし今は違う。競争の世界では後れを取ることが少なくない。

 産学連携の話を聞いていて、産業競争力と政治、行政の現状に思いが至った。日本はやはり国のカタチを変えなければならない。そのためには、若い世代のエネルギーを使って年寄りたちの知恵を現代の社会に生かさなければならない。

 産学連携の話は、実は日本の社会構造変革の課題の取り組みを語っていることに気が付いた。産学連携の成功事例が多数出てきたときに、日本は再び日のいずる国として世界の羨望を浴びるだろう。

 

 

 

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

21世紀構想研究会 忘年パーティの開催

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の忘年パーティが12月10日、東京のプレスセンタービルで開催した。会員の合原亮一氏(株式会社ガリレオ社長)が長野県上田市で展開している有機野菜の実際を語る講演があり、収穫した野菜の即売会も行った。

 驚いたことに日本の野菜は、年を追うごとにビタミン類などの含有量が少なくなってきたという事実だ。有機野菜の必要性を知って本当にためになった。

 最後に一人一票実現のために、来るべき総選挙での最高裁裁判官の国民審査では、心を鬼にして現在の最高裁判事にバッテン(×)を付けることで司法にカツを入れ、立法府にも影響を及ぼして日本に真の民主主義国家を建設しようと盛り上がった。

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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構想研100回記念委員会の開催

                               
                 

 

1997年9月に創設された21世紀構想研究会は、来年4月ころに100回開催の記念日を迎える。その節目の開催を記念するイベントや研究会をどうするか。

 このほど100回記念委員会(合原亮一委員長)が設置され、その第1回委員会が11月21日、プレスセンタービルで開催され、シンポジウムなどの開催について意見を交換した。来年4月ころの日本全体の動きを今から想定するのは非常に難しい。

 間もなく衆院選挙が公示され投票が行われる。比較第1党は自民党が予想されるが、そうなれば安倍内閣の発足となる。2回目の首班指名となるが、右翼志向の強い内閣ができると中国との関係がさらに緊迫することになる。

 第1党になっても他の会派と組まなければ首班指名は難しだろう。そうなると組む相手の政策とのすり合わせで外交、経済問題がゆがんでくる可能性もある。 政府原案の予算案は年内には無理だとすれば、来年1月中に作成し、通常国会に急ぎ提案して年度内に成立させなければならない。

 こうしたスケジュールも考えると、21世紀構想研究会の100回記念開催時には、日本全体が緊迫した動きの真っただ中にあることも想定される。そのような状況も考えたテーマのシンポジウム実施となると、開催直前までテーマを決められない可能性もある。

 そのような意見を踏まえながら、いまは広くテーマを設定し、直前になって的を絞る方向でさらに検討することでこの日の委員会は終わった。21世紀構想研 究会の今後の活動方針、社会貢献、政策提言集団としての役割など再考する懸案があるので、この委員会は将来展望も踏まえた討論を重ねることになるだろう。

 

 

 

 

               
                               
               
             
                                         
                               

第96回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 

  インターモダル社社長の園山玲子さんが講演

第96回21世紀構想研究会は、10月30日に開催され、インターモダル株式会社代表取締役社長の園山玲子さん(本研究会会員)が「知られざる世界-航空貨物の現場 どうする日本」をテーマに語ってもらった。

  園山さんは航空コンサルタントとして格安航空を手がけるなど航空ビジネスのエキスパート。アジアで急成長する格安航空社の誘致を目指す地方関係者が頼りにする強い味方である。 長年の外資系企業勤務で培った人脈と行動力・交渉力で世界を奔走。中国の空港公団の重鎮が相手でも、一歩も引かずズバズバ物を言える。それでいて険悪な雰囲気にはならない。交渉の巧みさに大手商社マンも舌を巻くという。

 航空貨物の動向は産業構造と連関している 

 この日の講演では、航空貨物の状況が産業構造の変化と密接不可分にあることを示して参加者たちを驚かせた。例えば輸出入貨物の取扱量と金額の推移を見ると、日本の製造業が海外へ移転して国内産業が空洞化してきた現状が統計に表れている。いまの状況を端的に言えば、輸出する貨物が急激に少なくなってきたということだ。

 これまでの機械、部品、 化学製品などに代わって高級果物や生鮮食品などが新たに存在感を見せ始めている。このような物流は温度管理をして輸送することになるので、輸送手段も空港 の設備も運搬する方法もすべて温度管理に適したものでなければビジネスにはならない。航空輸送の構造改革が始まっている。

 国際的な物流、航空貨物現場の遅れなどをしてきた園山氏は「世界は物流からモノの価値が生まれる時代になっている。国際物流の出入り口である空港は、いつでも必要なときに離発着が可能でなければ新しいビジネスは獲得できない」という。

 韓国の仁川空港に後塵を拝する日本 

 

 たとえば成田空港は、午後11時から午前6時まで発着はできない。空港周辺住民の騒音規制からだが、このままにしておけば日本は産業競争力で大きなデメリットを持つことになるという。韓国の仁川空港は24時間の発着を許可しており、何よりも年間の1機当たりの着陸料が成田のほぼ3分の1程度になる。空港の上屋賃借料は成田5分の1強、ハンドリング料も成田のほぼ3分の1である。

 

 韓国は東アジアの航空貨物のハブ空港を目指し、国ぐるみで取り組んでいる。さらに航空貨物の設備と運用を売り物に、途上国などの貨物空港ターミナル建設の受注を目指して積極的に攻勢をかけており、仁川空港は航空貨物の中心に育てる戦略が着々と実現しているという。

 

 これはシステムのノウハウであり、知的財産権でもある。このようなビジネスは戦略がなければ成功しない。日本はこの面でも劣化してこないよう国家的な戦略がほしいのである。

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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第95回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第95回21世紀構想研究会(http://www.kosoken.org/)は、9月18日にプレスセンタービルで開催され、東京理科大学の坂口謙吾教授から「バイオ発電」について語ってもらった。

 バイオ発電とは、グルコース(ブドウ糖)を原料にする発電で、よく言われているバイオマス発電とは違う。坂口教授は、人類が地球上に登場して以来、どのようにエネルギー消費が変転したかを説明し、化石燃料を使い続けているといずれ人類は破たんすることを示した。

 そのあとでエネルギー革命を起こすにはバイオ発電しかないとして、その具体的な実現方法について学術的な根拠を示しながら提示した。日本にとってバイオ 発電は、十分な電力を安定的に生産でき、原料は海外に依存することなくクリーンで何よりも高い電気料金にならないということだ。

 ただ今の状況では政府も研究機関も及び腰で、この構想は賛成しても実現に取り組む姿勢が見えないという。それならば、世界の大金持ちに投資してもらい、実現の研究を広げる方法があるのではないか。そのような視点での討論だったが、非常に盛り上がった講演会だった。

 

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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荒井寿光氏の講演

                               
                 

 

 第94回21世紀構想研究会が7月9日(月)に開催され、多くの参加者で盛り上がった。

 今回の講師は元特許庁長官、内閣官房知財戦略推進事務局長、通産省通商産業審議官、21世紀構想研究会アドバイザーでもある荒井寿光氏(中小企業投資育成投資株式会社代表取締社長)である。

荒井寿光氏は、1996年に特許庁長官になると矢継ぎ早に知財改革に着手し、産官学の知財意識に変革を求め特に企業の知財戦略を変えることに成功した。そ の後、通産省通商産業審議官を経て民間に転進したが、小泉内閣の知財戦略本部の設置とともに内閣官房に設置された知財戦略推進事務局長として采配をふる い、知財推進計画を策定して多くの実績をのこした。

しかし小泉政権終了後、知財改革は停滞期に入り、くるくる変わる歴代内閣の知財政策も存在感が薄くなってしまった。
  その間、中国、韓国が知財改革を急進的に推進させ、両国の産業競争力の増強ともあいまって知財政策でも日本を凌駕し始めている。米欧も知財政策を着々と進めており、日本の停滞が際立ってきた。
 荒井氏は、直近の世界の知財動向を分析しながら日本の知財改革への道筋を提言し、知財再構築への提言なども行った。

 講演後の質疑応答では、多くの人が意見を陳述したり討論を行い、日本の知財の将来展望について今後の取り組みを語り合った。

 

 

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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第91回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

第91回・21世紀構想研究会が2月1日、東京日比谷のプレスセンターで開催され、研究会のアドバイザーでもある銭谷眞美・東京国立博物館長が「東京国立博物館ーその歴史と今年開催のハイライト」と題する講演をおこなった。

 トーハクの呼称で親しまれている東京国立博物館は、日本で最も古い歴史を持つ博物館であり、国宝だけで137点を所蔵しているという。明治5年(1872年)に創設されて以来、幾多の所管の移転と災害をくぐり抜けて今日のトーハクにつながっている。

 来年は創立140周年を迎えるという。その記念のイベントも盛りだくさん用意されている。今年は、現在開催されている「北京故宮博物院200選」に続いて、3月20日からボストン美術館が所蔵する日本美術のコレクションを披露する特別展が開催される。

 この日の講演ではトーハクの歴史とその活動内容など興味あふれる話が続き、参加者との質疑応答、意見交換も活発に行われた。日本の伝統的な美術は、世界の中でも異色なものであり、世界に発信する力を強くすることも必要だろう。

 デジタル、インターネット時代だからこそ、芸術活動や美術鑑賞の世界が価値観を持つ時代になったと受け止められる。そのような感慨を持ちながら銭谷館長の講演を聞いて楽しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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21世紀構想研究会の忘年パーティを開催

                               
                 

 21世紀構想研究会の忘年パーティが、12月7日、プレスセンターで開催され50人を超える参加者でにぎわった。

 この日のゲストスピーカーには、藤原歌劇団団員ソプラノ歌手の砂川涼子さんが来てくれた。21世紀構想研究会の会員である永野博・(財)日本オペラ振興会理事長が、自分とオペラとの関わりについて講演し、そのあとで砂川さんのトークと会場との質疑応答となった。

 

 この日の演題が「心おどるオペラの世界へようこそ」となっているので、砂川さんの歌唱を期待して出席した会員もいたようだが、会場のこの部屋では唄うことは禁止されているので、砂川さんと永野さんのトークだけとなった。

砂川涼子さんのプロフィール

http://www.gotoh-mf.jp/show/0074_16_opera_ryouko_sunakawa.php

 

 

 オペラの観劇というと敷居が高いようだが、意外と21世紀構想研究会の会員の皆さんも観劇している人がおり、興味もあるようだ。オペラの魅力について語る砂川さんのお話で、すっかりオペラファンになり、劇場に足を運ぶ人も出てきそうだ。

 

 

 

 トークショーのあとは、恒例のパーティとなり、異分野の人の飛び入り参加もあって楽しい懇談の場となった。21世紀構想研究会へ入会した井上リサさん、 福間智人さん、三和圭二郎さんの3人が挨拶を行い、21世紀構想研究会も新しい人々の輪が広がっていくことを期待したい。

 

 また、本研究会の最年少である33歳の小林憲人さんが挨拶に立ち、埼玉県ふじみ野市の市会議員として活動している様子を語って拍手を浴びていた。

 この忘年パーティで、21世紀構想研究会は90回を迎えており、2013年には100回を迎えることになる。今からその記念開催に向けて準備に入ることになる。

 

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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メタンハイドレート委員会の打ち合わせ会

                               
                 

 

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 21世紀構想研究会のメタンハイドレート実用化研究委員会(平朝彦委員長)の打ち合わせ会が、10月27日、東京・内幸町の海洋研究開発機構(JAMSTEC)東京事務所のセミナー室で開催され、平委員長を囲んで当面の研究動向について討議し、情報交換を行った。

 この日の打ち合わせ会ではまず、高知県の杉本昭寿氏から最近の研究動向が発表され、今後の展開について話し合った。東日本大震災がもたらした東電福島原発の事故を見るまでもなく、新エネルギーに対する開発と取り組みは非常に重要な課題になっている。

 その中でメタンハイドレート(MH)の実用化開発をどうするのか。国の開発戦略は、必ずしも挑戦的なものでなく、企業の開発参加も重要ではないか。国際 的な開発動向とMHの世界の埋蔵分布による戦略も俯瞰する必要があるだろう。そのような話題を話し合いながら委員会の開催に向けて今後の活動を模索した。

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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山下俊一教授が21世紀構想研究会で講演

                               
                 

 

「私たちは、発がん物質の海の中を泳いでいる」と語ったのは、杉村隆・国立がんセンター名誉総長である。ことほど左様に環境中には、発がん物質があふれており、がんへのリスクに日常的にさらされて私たちは生活している。

 海外へいくために長時間、フライトすれば宇宙からの放射線を浴びるし、健康検診でCTスキャンを受ければこれまた大量の放射線を浴びることになる。単に発がんリスクを語れば、タバコ、高塩分摂取、肥満、運動不足などいくらでもある。

 先の東電福島原発の事故で、福島県民はどのくらいの放射線リスクにさらされているのか。それを科学的に検証して説明し、いたずらに怖がるのではなく「正 しく怖がろう」と説明するのが福島県立医科大学副学長の山下俊一教授である。山下教授は長崎大学医学部で放射線医学の第一人者として国際的な活動をしてき た。

 この日の21世紀構想研究会の講演でも、広島・長崎の原爆被爆者の膨大な疫学データや、チェルノブイリ原発事故後の科学的なデータを示しながら、諄々と説明した。

 山下先生の解説では、「放射線を100ミリシーベルト以上浴びると発がんのリスクが上がるが、それ以下の低線量被爆者の健康被害の確定的なことは分かっていない」としている。ただ福島県民の人々で100ミリシーベルトを超える線量を受ける危険性はないという。

 山下先生が強調しているのは、政府の発信するデータへの信頼回復とメディアの正しい報道、さらに被ばく医療の専門家が住民に丁寧に説明することだとい う。一部の週刊誌や出版物で、科学的に未確定のことをあげて危険性を主張する論述がある。こうした報道がいたずらに国民に不安感を植え付けないようにする ことこそ大事なことである。

 山下先生の解説をバッシングする風潮も出ているようだが、自身の信念に責任を持って語ることの重要さをこの日の講演で受けたもっとも重要なことだった。

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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東北電力女川原発を見学

                               
                 

 

 東日本大震災で被災しながらも津波の被害を受けず、原発サイトにある体育館を避難住民に提供した東北電力・女川原子力発電所を8月25日、21世紀構想研究会の一行が見学訪問した。

 一行は女川原子力発電所の渡部孝男所長らの案内で所内を見学し、まず原子力発電の状況を見学した。いま同原発は定期検査と今回の震災後の点検で3機とも安定した冷温停止状態にあるが、そのメンテナンスの状況の説明を受けて、原発が稼働するメカについて勉強した。

 また、原子力技術訓練センターでは、想定された大地震発生の瞬間から緊急に対応する訓練を見せてもらった。中央制御室のモックアップの前での臨場感あふれるきびきびした書員の対応は、いかにも訓練を重ねてきたという感じが出ており、見ていて参考になった。

 
中央制御室のモックアップで訓練する所員

 今回の見学の説明で東電・福島原発との比較で分かり易かったのは次のような数値である。まず津波襲来の想定推移であるが、女川では、9.1メートルとしていたが、福島では5.7メートルだった。

 続いて原発サイトの敷地の高さだが、女川は13.8メートルに対し、福島は、10メートルだった。さらに津波の高さは、女川が13メートル福島も同程度 の高さを想定していた。しかし福島は、敷地の高さが10メートルであるから、最高の津波が来たらもろに超えてくるのは設計上でもわかっていたはずだ。

 女川の敷地を海岸の隣接状況を見て、その高さが津波からの決定的な防御になったことがよくわかった。

 また、女川町に隣接する石巻市の被害の状況を、東北電力石巻営業所の山形安生所長と引地宗範副所長の案内で見ることができた。まだ被災地は津波の爪痕が 残っている地域が多く、その惨状を目の当たりにしてびっくりした。引地副所長が被害直後から被災地をつぶさに見てきた話を聞きながら、津波の恐ろしさとそ の被害にあった人々の不幸を思って暗澹たる気持ちだった。

 

 

              津波被害の惨状が、まだいたるところに見られた。

 

 
 
 

被災者の鎮魂のモニュメントには、献花する人々が絶えないという。石巻の1日も早い復興を願わらずにはいられなかった。

 

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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21世紀構想研究会の法人会を開催

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の法人会の集まりが、7月25日、赤坂の「ふきぬけ」で開催され、これからの構想研究会の在り方などで意見交換をした。

 「ふきぬけ」は、本会理事で法人会員である染谷幸雄さんの企業、株式会社日本一が経営するうなぎのレストランで、有名な老舗である。この日は高知県の杉本昭寿さんと渡辺望稔さんらも加わって、楽しい懇談の席となった。

 21世紀構想研究会の研究会は、今年で90回を超えて、2年後には100回を迎える。継続は力なりであり、ここまで続いているのは法人会からの支援によ るところが大きい。大震災では、2回にわたって緊急報告・討論の会を開催したが、これからもタイムリーなテーマで研究会を開き、社会への喚起や政策提言で 存在感を出していきたい。

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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第88回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

第88回・21世紀構想研究会は、7月7日に日本記者クラブで開催され、「大震災の報告その3」として、 東北電力女川原発の報告と原発に関する課題について活発な討論が行われた。

 この日の講師は、東北電力東京支社の宮本保彦副支社長、大渕正和同副支社長で「東北地方太平洋沖地震による女川原子力発電所の状況について」と題して講 演を行った。女川原発の現場には、高さ13メートルの巨大な津波が押し寄せたが、運転中の3基の原発はいずれも自動停止し、冷温停止に至った。

 東電福島原発の惨状と比べると余りの違いにびっくりするが、その原因がよくわかった。女川原発は、海面から13.8メートルの敷地に建設されていたために、津波が押し寄せることはなく、海水をかぶって電源を失うこともなかったのである。

 それでも地震の揺れで重油タンクが倒壊して油が漏出したり、地下に埋設してあった潮位計の上蓋が押し上げられて海水が入り込んだりしたが、それほどの被 害もなく無事に収拾した。女川周辺では津波の被害をもろにかぶってすべてを失った住民も多く、被災者たちを原発敷地内に誘導して緊急の避難所として提供し たことも分かった。

 東電と女川の決定的違いは、原発サイトの建設敷地である。津波が来ても届かない敷地を選択した女川とそのような考えもなく防潮堤も低かった福島原発で は、天地の差が出てしまった。また東電は、災害が発生した後の処理はミスがあったとしか考えられない不手際が続き、取り返しのつかない事態へとつながって いった。

 この大災害は、たとえて言えば戦争に匹敵する国難である。指揮系統、判断力、決断力など人知の総力をあげて取り組んだ結果が今日の体たらくということ は、危機管理が全くできていなかったということにもなる。女川原発は対照的に非常にうまく危機を潜り抜けたことになり、3基の原発はすぐに冷温停止となり 以来、安定している。

 研究会の論議では、再生可能エネルギーによる発電などの推進策も出たが、GDP世界3位、家庭では何不自由なく使い放題の電力を使い、工業国として世界 有数の生産力を誇る日本のすべての電力をまかなうことを考えると風力、地熱、太陽光などのエネルギーでは到底間に合わない。

 もちろん、節電効果も考える余地はあるが、しかしこれは限度がある。それでは日本のエネルギーはどのようにして確保するのか。海底に眠るメタンハイドレードの利用を含め、再生可能エネルギーの推進策もあるが、もっとも重要なことは国民の意識改革だろう。

 ことはエネルギー問題だけではない。これからの日本をどのような国家として建設するのか。国民の価値観と生活様式、文化まで考える必要がある。エネル ギー問題は、単に経済的な問題ではなく国家と国民の意識と文化にまで広がってきている。そのようなことを意識させた研究会だった。

 

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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第87回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第87回・21世紀構想研究会は、5月31日に日本記者クラブで開催された。この日は2011年度の総会も開かれ、昨年度の活動報告と決算内容が満場一致で承認された。さらに2011年度の活動計画と予算案についても承認され、近く東京都に届け出ることになった。

 総会のあとは、「東日本大震災の報告会その2」をおこなった。この日の講師は、内閣府参与の広瀬研吉氏である。本会の会員でもあるが、広瀬氏は元原子力安全保安院院長として、いま首相官邸と原子力安全保安院、原子力安全委員会の連絡調整役という重要な任務を行っている。

 講演では、福島原発の事故について時系列に従って事故の概要を説明した。原子炉に制御棒が入って炉心の反応が停止したあとに津波の被害を受けて電源を失い、冷却システムの立て直しに至る過程を整理して示した。

 広瀬氏は、現在の立場と任務があるので個人的な見解は全くせず、すべて公表されてきた内容に基づいて整理したものを示したものだが、改めてこの事故の流れを知って問題の整理をすることができた。

 講演の後は質疑応答と見解の発表、意見交換などであったが、非常に活発な意見交換会だった。今後の日本の原子力防災と取り組みについても建設的な意見か ら原発撤退という厳しい意見まで一通り出されたが、まだ原発サイトの冷温システムは確立されていないだけに心配する声も多かった。

 筆者もいくつかの見解を述べたが、特に今回の大地震とよく似た平安時代の貞観地震の学術的な検証と行政対応についていくつかの疑問点をあげた。このテーマについては、これから多くの検証が行われるだろう。

 

 

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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第86回21世紀構想研究会は大震災の報告会

                               
                 

 

 第86回・21世紀構想研究会は、4月25日、プレスセンターで開催され、「東日本大震災の緊急報告会」を行った。

 報告者は、宮城県南三陸町で大震災に被災した佐藤門哉さん、災害発生後から日夜報道をしてきた読売新聞東京本社科学部の柴田文隆部長、野依英治科学部記者、伊藤崇科学部記者の4人である。

 津波の被害を受けて九死に一生を得て助かった宮城県南三陸町の佐藤門哉さんが、まず被災した当日の模様を語った。有線放送で流れてきた津波情報は、高さ 6メートルという警告であり佐藤さんはこれなら防波堤を超えてこないだろうと軽い気持ちで自宅裏の高台にのぼったという。

 その時のビデオ映像と写真をもとに報告した内容には、息をのむような場面が多数あった。逃げ遅れて津波に呑み込まれようとしている人々の姿には何とも言えない痛切の気持ちだった。

 取材記者として巨大地震のメカニズムを追い求め、津波の被害を見るために現地を取材した記者たちの仕事は、現場と読者の間に立ち、媒体としての役割を果たしている活動がよくわかった。

 福島原発のトラブルについては、柴田部長が報告したが、政府、東電側の説明と発表内容に幾多の矛盾が見られ、国民に対する報告義務に欠けているのではないかと思わせる原子力安全委員会の活動などについて言及した。

未曽有の災害に遭遇した菅政権は、ある意味で政権浮上の絶好のチャンスを得たにもかかわらず、国民の信頼を得られなかった。政権浮上を意識したときに 守りの意識に入り込んでいったのではないか。日本の最近の政治活動の貧困さを浮き彫りにするような出来事だったのではないか。

 いずれ今後の歴史の検証で明らかになっていくだろう。

 

 

 

 

 

 

                     
                               

第84回・21世紀構想研究会の開催

       
第84回21世紀構想研究会 

第84回21世紀構想研究会は2月22日(火)に、東京駅丸の内の創英特許法律事務所のセミナー室で開催され、約40人が参加して有意義な時間を過ごした。

今回の講師は、ベンチャー企業を立ち上げて東証1部上場まで育てあげた株式会社モリテックス創業者の森戸祐幸氏が、内紛に嫌気をさして創業した同社を惜しげもなく売却、再び起業家として身を投じました。

そして、その体験から得た日本の企業文化、日本の社会、日本人の精神文化を鋭利に分析して語ってもらいました。

講演後の質疑では、感銘を受けたというコメントが寄せられ、翌日になっても反響が続いている。

                                

ベンチャー企業で果敢に市場に打って出る森戸祐幸氏を訪問

                               
     

東証1部上場企業の株式会社モリテックの創業者として知られる ユーヴィック株式会社社長の森戸祐幸氏を訪問し、活動状況を取材した。

 森戸さんは、昭和39年、日本はまさに高度経済成長期に差し掛かったころ、東京理科大学理学部応用化学科を卒業して丸紅に就職。その後、自ら商社企業を興しやがて光ファイバー関係の製造業へと転進した。ベンチャー企業の走りである。

 創業したモリテックスは右肩上がりに業績を伸ばし、東証1部上場にまでのし上がった。しかしその後、経営方針で企業内部でトラブルが発生し、嫌気した森戸氏は創業会社を辞めて別天地へと転進した。それが光触媒関連のユーヴィック株式会社である。

 森戸さんは、60歳過ぎてからベンチャー企業を興しているので、これをシニアベン チャーと名付けているが、その飽くなき技術開発への挑戦は、その方針を聞いている方も胸が躍るような話である。2月22日には21世紀構想研究会で下記の ような講演をする予定であり、今から楽しみである。

第84回21世紀構想研究会 

 第84回21世紀構想研究会は2月22日(火)に開催いたします。

 今回の講師は、ベンチャー企業を立ち上げて東証1部上場まで育てあげた株式会社モリテックス創業者の森戸祐幸氏が、内紛に嫌気をさして創業した同社を惜しげもなく売却、再び起業家として身を投じました。

 そして、その体験から得た日本の企業文化、日本の社会、日本人の精神文化を鋭利に分析して語ってもらいます。 

 8421世紀構想研究会

日 時:2011222日(月)19:00

 場:創英国際特許法律事務所セミナールーム

演 題:「シニアベンチャー企業を立ち上げる」   

  ~あくなき挑戦 魅力ある人生を求めて~

 講 師:森戸祐幸氏(ユーヴィックス株式会社代表取締役社長、株式会社モリテックス創業者、元同社代表取締役会長)

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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メタンハイドレート実用化について高知県知事と会見

                               
                 

 メタンハイドレートの実用化で内閣官房の総合特区に申請している21世紀構想研究会の代表である筆者と平朝彦・メタンハイドレート実用化研究いい回委員長らメンバー及び高知県の黒岩県議らは、12月24日、高知県庁を訪問し、尾崎正直知事と会見した。

 まず、筆者から21世紀構想研究会の自己紹介をした後、平委員長からメタンハイドレートと高知県の関連について説明し、今後のメタンハイドレート実用化には県も全面的に協力体制を整えてほしいとの要請を行った。

 これに対し知事は、メタンハイドレートの実用化についての意義を理解し、これから高知県がどのようなメリットがあるかなどを検討し、このプロジェクトに 前向きに取り組むことを検討したいと表明した。県がどのような体制で参加してくれるかはまだ決まっていないが、知事と出席した県幹部の方々も好意的に受け 止めたように感じられた。

 これから地元産業界などにも働きかけ、東京の21世紀構想研究会のメンバーと一体となってこの実用化戦略を推進したい。

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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高知市でメタンハイドレート研究会を開催

                               
                 

 

 メタンハイドレート実用化研究会が12月23日、高知市のホテルで開催され、地元の産業界、行政、各種団体、市会・県会議員ら約40人が参加して、今後の産業化へのプログラムについて意見交換を行った。

 この研究会は、21世紀構想研究会が内閣官房が公募している総合特区制度に提案したメタンハイドレート実用化についてのプロジェクトの具体的な取り組みについて、地元高知県で初めて趣旨説明と今後の支援を依頼するために黒岩県議らが奔走して開催したものだ。

 まず、平朝彦・独立行政法人海洋研究開発機構理事が「海底資源研究開発と高知県の役割 -特にメタンハイドレート研究開発を例としてー」の講演を行った。これは総合特区に提出した申請書に描かれているプロジェクトの内容について理解を求めたものだ。

 ついで筆者が、21世紀構想研究会がこの提案に至った経過を説明し、高知県の皆さんと東京のグループが一体となって総合特区のプロジェクトに採用されるように頑張りたいとの決意を表明した。

 さらに21世紀構想研究会の渡邉望稔弁理士が、メタンハイドレートを海底から汲み出す技術で特許出願をしている杉本昭寿氏の技術内容と今後の展望について説明し、地元の方々の賛同と一体化となって活動することを訴えた。

 出席者の多くは、このプロジェクトの趣旨や内容については初めて触れる人が多かったようだが、この研究会後に開催された懇親会の席上でも、大半の参加者がプロジェクトに賛同しており、今後の取り組みに積極的に参加する意志を表明した。

 

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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第84回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第84回・21世紀構想研究会が12月21日、プレスセンターで開催され、忘年会もかねた楽しい宴で今年の活動に区切りをつけた。

 この日は、21世紀構想研究会のメンバーだけでビジネスを立ち上げているVOXMOL方式の発表会を行った。この方式は、21世紀構想研究会のメンバーである関口博司さんが発明者した技術であり、それを長谷川芳樹弁理士が特許権利化した。

 その技術開発の話を聞いた筆者が、メンバーの株式会社ガリレオ社長の合原亮一氏に実用化戦略で検討を依頼し、ガリレオが実用化の開発を手がけて、市場へ出すまでになった。つまり、21世紀構想研究会の4人がそれぞれの立場で力を発揮して、市場に殴り込みをかけているものだ。

 開発したのは、英語、中国語など外国語のリスニング学習をする場合に音声再生プレ イヤーに応用する技術である。リスニング学習をしているとき、「再生されたところをもう一度聴き直したい」と思ったときに、適切な位置に戻す技術である。 ガリレオでは「spirivio」として市場に出した。

 関口さんが以前に開発したリンガマスター方式をさらに進化させ、人間の発声と呼吸 との間合いをうまく取り込んだ方式になっている。教材はインターネットにある音声ファイルである。たとえば教材となる英語の音声ファイルをサーバで区切っ て位置データを作成し、その区切り位置をもとに元の音声を再生する。 サーバで提供される音声ファイルの区切り位置データは日々追加することも可能だ。

 最初は無償で提供し、後で有償にしていくというビジネスメソッドであるが、この方法がビジネスとしてうまく軌道に乗るかどうか。関口氏のリベンジ開発であり、ガリレオの新規市場開拓として成功するように支援したい。

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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メタンハイドレート実用化研究委員会の開催

                               
                 

 

 21世紀構想研究会の第2回メタンハイドレート実用化研究委員会(平朝彦委員長)が、12月6日、東京・内幸町の海洋研究開発機構(JAMSTEC)東京事務所のセミナー室で開催され、約20人が参加して活発な討論を展開した。

 この日の委員会ではまず、平委員長が「海底資源探査の現状と将来」と題する基本的な情報レクチャーを行い、続いて鈴木朝夫氏(高知市在住、東工大、高知工大名誉教授)が、杉本昭寿氏の発明したメタンハイドレート採取工法について説明を行った。

 この技術は、海底数百メートルから1000メートルにあるメタンハイドレートを採取する際に、海底の現場でエネルギー源を作り、そのエネルギーを利用し てガス化して海上へと汲み上げる方法である。特許出願もしており、この技術をメタンハイドレート採取の標準化までできないかとする夢を持っている。

 続いてメタンハイドレート開発について東大工学研究科の増田昌敬・准教授がカナダで実施された日加共同プロジェクトの成果を紹介した。これは永久凍土下 の地層中にあるメタンハイドレートを減圧方式と言う技法によって分解してガスを汲み上げるもので、実用化になるだけの生産もできた。しかしメタンハイド レートの分解に伴って地層中の砂が産出するという現象も確認され、これをどう処理するかという新たな課題も出てきている。

 このような課題解決には、技術開発で相当の時間がかかりそうだ。天然ガスのコストより下回り、安定して供給できるようになるためには、まだいくつもの難問を突破する必要があるだろう。

 杉本氏の発明した特許技術がどのように実証されて実用に利用できるようになるか。その期待も大きいが、まだ実証もできていない技術だけに未知数である。 しかしこうした技術の実証実験を通して高知県の地域振興に活用したい意気込みもあり、東京グループと連携しながらエネルギー改革への波紋を起こしていきた い。

 

 

               
                               
               
             
                           
                   
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第83回21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第83回21世紀構想研究会が11月22日、プレスセンターで開催され、約40人の参加者が活発な論議を展開した。

 この日の研究会では、まず林幸秀氏(元文部科学省文部科学審議官)が、日本に横たわる科学技術をめぐる課題を洗いざらい整理して提示した。これは先ごろ 刊行した「理科系冷遇社会」(中公新書ラクレ)で提示した課題をまとめたものであり、科学技術創造立国を国是としている日本は果たして、そのような国創り になっているかどうか疑問視するデータを多く示した。

 この基調講演のあと、会場との質疑・討論に入ったが、安西祐一郎・慶応義塾大学理工学部教授は「日本はあらゆる階層の人々が、本気になって科学技術創造立国に取り組んでいない」とする主旨の発言をしたが、その通りであると筆者は感じた。

 時の政権は、都合のいいときだけ科学技術を標榜するが、日ごろから政策の課題としてはほとんど視野に入れていない。法学部卒が主体の財務省官僚は並べて 科学オンチであり、科学技術を語るときは予算緊縮など数字的な裁量をするときだけのようである。これは多くの技術官僚の感想である。

 政治家もまた、ほとんどが科学オンチであり、2代続いた理系総理大臣には、科学技術創造立国を前面に出すような言動は何もなく、科学技術に関する国家的な戦略は自民党政権から続いて依然として不明である。

 日本から科学技術を取り除いたら、何が残るのか。借金だけではないか。デジタル産業革命によって世界は時間差がなくなり距離感もなくなった。その時代の変革に迅速に対応する国家戦略の中では、科学技術が最も重要なテーマである。

 この日の討論でもその課題に集約する発言が相次いだ。

 

               
                               
               
             
                           
                   
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メタンハイドレート実用化戦略のミーティング

                               
                 

 

 内閣官房が公募している総合特区制度への提案に、21世紀構想研究会からメタンハイドレート実用化戦略について提出した。政策提言であり、採用されればメタンハイドレート実用化への大きな刺激になると期待される。

 11月15日、このプロジェクトの中心になりリーダーになっている平朝彦先生の事務所に集まり、メタンハイドレートを海底から回収する技術を発明して特許出願している杉本昭寿氏からその特許技術について解説を受けた。

 民主党政権の新成長戦略「元気な日本復活のシナリオ」として総合特区制度が創設されるが、「メタンハイドレート実用化に向けた戦略」が採用されれば、日本をエネルギー大国へと転換させることも夢ではなくなる。

 今回応募した内容をさらに討議して熟度を高める必要があり、12月6日には21世紀構想研究会で第2回のメタンハイドレート実用化研究委員会を開催する。

               
                               
               
             
                           
                   
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第82回・21世紀構想研究会の開催

                               
                 

 

 第82回の21世紀構想研究会は、9月17日、東京内幸町のプレスセンタービルで開催され、60人というかつてない参加者が熱心に聴講した。

 この日の講師は、平朝彦先生(独立行政法人海洋研究開発機構理事)で、 演題は「ちきゅう」号による新しい地球像の探求 ~ メタンハイドレート 熱水鉱床 地下生命圏 ~」
   
 海世界トップの性能を誇る地球深部探査船「ちきゅう」が探査する巨大地震発生のしくみ、地球規模の環境変動、生命の起源と海底に広がる新しい生命観、新しい海底資源などについて最新の情報を解説した。

 暗黒の海底は、想像を絶する生命体やエネルギー源であふれているようであり、特にメタンハイドレートの広がりには、大変、興味を持った。
 メタンハイドレートとは、簡単に言うと海底1000メートル付近にたまっているシャーベット状になっているメタンである。海底1000メートルは100気圧になるので、メタンガスにならないでシャーベットになっている。

 これを地上にくみ上げると約160倍の容積のメタンガスになり、これを燃料に使ったり、化学製品の原料にする。埋蔵量は、高知県沖合いなど日本列島のすぐ近くに眠っているメタンハイドレートだけで、日本の天然ガス消費量のほぼ100年分とされている。

 これを実用化しようという「メタンハイドレート実用化委員会」が21世紀構想研究会に設置され、委員長に平先生が就任した。また、内閣官房で公募している地域活性化プロジェクトに応募することも決まっている。

 このプロジェクトには、21世紀構想研究会会員である、高知県の杉本昭寿氏の発明した特許技術を活用しようとするものだ。その杉本氏の発明を特許 化している渡辺望稔弁理士も会員である。こうした人的ネットワークをフルに動員して、高知県の地域活性化だけでなく、日本をエネルギー大国にしようと言う 野望である。

 メタンハイドレートの実用化は、世界の誰かがやるエネルギー革命である。日本が世界の先導役にならなければ意味がない。なぜなら日本近海に眠っているメタンハイドレートを利用しないてはないからだ。

 大きなプロジェクトのスタートで、21世紀構想研究会の会員の中にも活気がみなぎってきた。是非、形あるものにしたい。

               
                               
               
             
                           
                   
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メタンハイドレート実用へ取り組む4人が来訪

                               
                 


 写真は左から黒岩直良高知県議会議員、渡辺望稔弁理士(元日本弁理士会副会長)、鈴木朝夫東工大名誉教授(高知工科大名誉教授)、杉本昭寿株式会社みかづき代表取締役。

 日本を世界有数のエネルギー大国にしようと考えている4人の活動家が、8月27日に馬場研究室に訪ねてきた。21世紀構想研究会で新たな委員会を設置することも決まっており、近く内閣官房が公募している国際戦略総合特区への応募を予定している。

 来訪したのは、写真で見るように黒岩直良・高知県議会議員、渡辺望稔弁理士(元日本弁理士会副会長)、鈴木朝夫・東工大名誉教授(高知工科大名誉教授)、杉本昭寿・株式会社みかづき代表取締役の4人。

 4人の方々は、メタンハイドレートを実用化するために並々ならぬ情熱を持っており、この日は21世紀構想研究会で政策提言テーマにしてほしいとの熱い思いを語るための来訪だった。

 日本近海には、膨大な量のメタンハイドレートが眠っている。 
 メタンハイドレートとは、簡単に言うと海底1000メートル付近にたまっているシャーベット状になっているメタンである。海底1000メートルは100気圧になるので、メタンガスにならないでシャーベットになっている。

 これを地上にくみ上げると約160倍の容積のメタンガスになる。これを燃料に使ったり、化学製品の原料にするが、メタンは非常に使い勝手のいい化学原料とされており、実用化への期待が大きい。

 埋蔵量は、高知県沖合いなど日本列島のすぐ近くに眠っているメタンハイドレートだけで、日本の天然ガス消費量のほぼ100年分とされている。これを実用化に成功すれば、日本は世界有数のエネルギー資源国になる。

 すでにカナダでは海底から汲み上げて実用化に着手しているが、汲み上げたときに海底の砂も一緒に地上へ汲み出すので、新たな環境問題が出てきている。
 そのような課題を解決する技術を考えたのが、発明家でもある杉本昭寿氏である。すでに2件の特許を出願しているが、そのほかにも多くのアイデアを練っているようだ。

 杉本氏は独創的な水の浄化装置を発明し、代々木のオリンピックプールなどにも採用されている。そのほかにも様々な特許技術を編み出している発明家であり、その特許出願、取得で支えているのが渡辺望稔弁理士である。

 このお二人は、21世紀構想研究会の会員でもある。さらに鈴木朝夫先生もメタンハイドレート実用化推進の共鳴者であり、地元の有力者である黒岩直良高知県議も加わってプロジェクトチームを結成している。

 21世紀構想研究会では、エネルギー安全委員会を衣替えして、メタンハイドレート実用化研究委員会とし、委員長には平朝彦先生(独立行政法人海洋研究開発機構理事)に就任することになっており、近く政府に対する政策提言へ向けて活動を開始したい意向である。

               
                               
               
             
                           
                   
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創英国際特許法律事務所の移転

                               
                 




 新事務所の入り口で長谷川所長(左)と光野文子所長補佐が出迎えてくれた。

 特定非営利活動法人21世紀構想研究会の理事をしている長谷川芳樹所長の創英国際特許法律事務所が東京・銀座から丸の内に移転した。
 旧明治生命ビルに隣接した近代的なビルの9階に移転したものだが、早速表敬訪問すると、ロビーは移転お祝いの花に埋もれていた。

 オフィスの窓からは、皇居を眺望できる素晴らしいビューポイントがあり、職場の人たちも生き生きした様子で働いている。周辺は丸の内のビル街であり、近代的な垢抜けした雰囲気が漂っていた。

 創英国際特許法律事務所の移転先は下記の通りです。

〒100-0005 
東京都千代田区丸の内二丁目1番1号 
丸の内 MY PLAZA(明治安田生命ビル) 9階
TEL 03-6738-8001 (代) FAX 03-6738-8004 (代) 

 

               
                               
               
             
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日々これ新たなりー旧バージョン

 

日々これ新たなり(18)「ノーベル物理学賞と特許ロイヤリティについて 」

 ノーベル物理学賞と特許ロイヤリティについて

自然科学19人の受賞者の業績はどこであげたものか 今年のノーベル賞発表は、青色発光ダイオードの製造技術を開発した赤﨑 勇、天野浩、中村修二博士の3人が受賞して日本中が沸き返った。やはりノーベル賞は別物である。

これは日本だけでなく欧米の先進国でも同じであり別格 の顕彰なのである。 自然科学の3分野の日本人のノーベル賞受賞者は表のように19人となった。このうち2008年に物理学賞を受賞した南部 陽一郎博士と今回受賞した中村修二博士は、いずれもアメリカ国籍であるが日本人としてカウントした。

というのは、2人とも日本で生まれ、教育を受 け、受賞対象となった業績はいずれも日本国内であげたものだ。後年、アメリカ国籍を取得したのが、中村博士はアメリカの研究助成金をもらうためにアメリカ 国籍を取得したとしている。

ノーベル賞受賞業績をあげた主たる地域を調べてみると表のように圧倒的に国内であげた業績が多い。外国で あげた業績は、いずれも外国の研究者の指導によって示唆を受け開花したものである。

このようにして見ると、日本の研究基盤も決して外国に劣っている訳ではないことが分かる。これからも日本からノーベル賞受賞者が次々と出てくる可能 性が高い。

ノーベル賞と特許

世界中で誰も気が付かなかった発見、発明をしなければ取得できないのが特許で ある。ノーベル賞もまったく同じである。誰も成し遂げることができなかった業績を上げ、人類に貢献した人だけに授与される。 ノーベル生理 学・医学賞の審査機関の事務局長が来日して講演したとき、ノーベル賞受賞候補者のスクリーニングに特許の出願実績を見ていると語っている。

世界で最初 に発明した人だけに付与される特許権は、ノーベル賞授与の条件に合致していることになるから当然である。 受賞者した3人(NHKの報道から) 赤﨑勇博士が開発した青色LEDは、名古屋大学に14億円を超える特許収入をもたらしている。

赤﨑博士は、名古屋大学の助手などをへて、昭和56年か ら平成4年まで名古屋大学工学部の教授を務めた。 赤﨑博士の最初の特許は1985年だった。それからこれまでに青色LEDの基盤となる特 許6件を取得しているという。主な特許は2007年までに切れたてしまったが、こうした特許は、いずれも赤﨑博士と豊田合成の共同研究で生み出されたもの だった。

経過をたどってみると次のようになる。 1986年、JSTが名古屋大学の赤﨑教授の研究開発成果を豊田合成で実用化するた めに研究開発費の提供を申し出た。赤﨑博士は最初、時期尚早として渋ったが後で同意することになる。

JSTから豊田合成には、3.5年間で 5億5000万円の融資型助成金を提供した。そのときの条件は、研究開発期間の3.5年間はJSTより研究開発資金を提供し、研究開発が終了してJSTよ り開発 が成功と認定された後の5年間で、JST提供資金を無利子で返済することだった。

ただし、助成金による研究開発成果が売上高に貢献した場合は、売 上に応じてJSTにロイヤリティを支払う条件になっていた。 結果的に豊田合成は、この助成金で青色LEDを開発して売り出し、売上高を延ば していく。この売上高に応じて豊田合成は、1997年から2005年まで総額46億円(2013年までは総額56億円)のロイヤリティをJSTに支払った。

同社の LED売り上げは、2005年までに1480億円と推定されている。 JSTに支払われた56億円の行方 JSTに支払われた 特許ロイヤリティの56億円のうち、14億3000万円を当時の契約によって名古屋大学(当時、国立大学)へ還元した。その残りは国庫へと還元された。

名古屋大 学は、入金されたロイヤリティの一部を当時の国立大学の規定に従って、発明補償金として赤﨑教授に還元した。    ただし 上限は、当時年間600万円だった。これは当時の国家公務員の制度がそうなっていたからだ。

特許庁では上限600万円は少なすぎるとして、後に上限なしに 制度に改正している。(http://www.jpo.go.jp/torikumi/hiroba/1402-003.htm)

赤﨑教授は、この制度改正によって、当初は年間600万円以上の報酬を得た。その後はこれをはるかに超えるロイヤリティを受けていたと思 われるが、その総額がどのくらいかは公表されていないので推測でしかない。

多分、少なくとも1億円を越えるのではないかという。赤﨑博士の貢献から見ると 少なすぎる気もする。

一方、名古屋大学は赤﨑博士の業績を称えて、特許収入を基金にして平成18年に「赤﨑記念研究館」を建設し、青色 発光ダイオードなどの研究者の拠点となっている。 国内の産学連携活動で、特許ロイヤリティとしてこれだけの額が支払われたことは例がない。ただし、外国との産学連携では、北里研究所名誉理事長である大村智博士が、アメリカのメルク社から総額250億円のロイヤリティを取得している。

産学連携の特許ロイヤリティとしては、世界的に見て も破格の還元である。 次回は、中村修二博士の特許係争とロイヤリティについて検証してみる。

                                

日々これ新たなり(17)「ノーベル賞受賞で無念を晴らした中村修二教授」

 ノーベル賞受賞で無念を晴らした中村修二教授

 今回のノーベル物理学賞でまず感じたことは、産業界に近い業績でもノーベル賞に手が届くことを改めて示したことであり、日本の科学界と産業史にとって画期的な結果となった。(写真はいずれもNHKテレビから) 

 2014年のノーベル物理学賞は、青色発光ダイオード(LED)を開発した名城大学の赤崎勇教授(85)と名古屋大学の天野浩教授(54)、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授(60)の3人が受賞したのである。

  
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  2008年に「素粒子物理学と核物理学における自発的対称性の破れの発見」に対して3人の日本人が受賞しているが、シカゴ大学名誉教授の南部陽一郎博士はアメリカに帰化しているので、日本人とはカウントできなかった。中村教授がアメリカに帰化しているとすると今回も同じである。

   ノーベル賞は基礎研究の原理原則、真理の発見や究明をした人に与えられるとされてきた。産業技術を改良してもノーベル賞には届かないという印象を持ってい た。しかし今回の受賞者の中村教授は、もともと日亜化学工業の研究者であり、同社で開発した青色発光ダイオード製造の画期的な技術が認められて受賞したも のである。

 そ の中村教授は、「日本の司法は腐っている」と捨てぜりふを吐いてアメリカに去っていったことを思い出すが、今回の受賞によってこの無念を晴らしたのではな いか。中村教授が日亜を辞めて研究者に転進する意向を明らかにしたとき、アメリカのトップクラスの約10大学が招聘に動いたが、日本の大学や研究機関から の誘いはほとんどなかった。

 評価できなかったのは、企業や司法だけでなく日本の大学も研究機関も同じだった。

 ノーベル財団の受賞理由を読むと、まさに画期的な発明であると最大限の賛辞で評価している。日本の産業界、裁判所、大学はこのノーベル財団の評価をどのように受け止めるのか。喜ぶのか批判するのか。それを聴きたい。 

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青色発光ダイオードの職務発明裁判を改めて総括する

 青色発光ダイオード(LED)の職務発明の対価をめぐる中村教授と日亜化学工業の裁判の一審判決(三村量一裁判長)は、中村教授の発明の対価は604億円と認定したが、博士の請求額が200億円だったことから満額の200億円の支払いを日亜側に命じた画期的な判決だった。

  ところが二審東京高裁(佐藤久夫裁判長)は、本件控訴審の争点になっている「404号特許」以外のすべての中村教授関連の特許や実用新案など195件を一括したうえで、一連の「一括発明」による日亜側の利益を120億円と認定した。そのうち中村教授の貢献度は6億円(5%に相当)とはじき出し、遅延損害金を含めて8億4000万円を日亜側が支払うこととする和解を「強要」して決着した。

 東京高裁は和解勧告の中で、判決を出してもこれ以上の金額が示されることはなく、最高裁へ上告しても算定基準などを判断することはないので、中村教授が法廷で闘える機会は事実上失われていることを示唆したとされている。高裁は強い「訴訟指揮」で日亜と中村教授に和解でこの裁判を決意させたものと受け止められており、それは判決を避けたという見方が当たっている。

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  一審判決では、中村教授が青色LEDの研究開発に取り組んだいわば「創業者貢献」を認めたものであり、判決文全体にその考えがにじみ出ていた。高裁の判断では、争点になっている404号特許だけでなく、中村教授に関連する特許・実用新案などすべての知的財産権を一括して対価の対象にしたものであり、一審とは違った土俵での和解条項にした。

  高裁はその理由を「(中村教授関連の)すべての職務発明の特許の権利について和解し、全面的な解決を図ることが極めて重要」(要旨)と述べている。しかしこれは、裁判所がやるべきことから逸脱している。日本の特許裁判は、真理の究明による判断ではなく、文言・レトリック勝負であり、法学部出身の法律家はこれを「技術で裁くのではなく法理で裁く」と語っている。実体は技術オンチの裁判官が裁くものであり、これでは真理の究明からは程遠い結果になってしまう。

   中村教授が発明した青色LED訴訟をめぐる一審判決と二審和解の結果を見ると、日本の裁判所の限界を示していることをノーベル賞によって明確に示したことになる。企業は自社の研究社員に対し「ノーベル賞をもらうほどの技術発明をせよ」とはっぱをかけているが、価値ある発明をしても企業も社会も大学も正当な評価ができなければ、研究者は外国へ逃げていくことになるだろう。

  今回のノーベル賞は、発明の正当な対価を改めて考えさせた日本にとって歴史的な出来事だった。 

 日々これ新たなり(16)「赤木順彦さんを偲ぶ会」

 赤木さんが亡くなってから早くも丸6年になる。その七回忌が9月27日、長野県上田市で行われた。初めて墓参をしたが、西側を向いた立派な墓石の下にあの赤木さんが眠っている現場を見て、こみ上げるものがあった。

 赤木さんが亡くなったときに霊前に捧げた追悼文をここに掲載して、偲ぶことにした。

  駆け抜けた時代の寵児赤木順彦さんのこと

 千葉県房総半島の東京湾沿いを走る内房線・五井駅の改札口に立っている体格のいい男、それが初めて出会った赤木順彦さんであった。コンピュータにしがみついている線の細い男を想像していた私は、その第一印象に意外感を持った。

  1995年の夏、暑い日盛りの午前、私たちは初めて言葉を交わした。その当時、まだほとんどの人が使っていなかったパソコンメールとポケットベル表示以外 は連絡を受けない、電話はお断りという赤木さんの要望を人づてに聞いていたので、慣れないメールとポケベルを駆使してようやく連絡を取り合い、約束の時間 に五井駅に降り立った。

  本当にその人は来るのだろうか。不安を抱きながら改札口を通過した私に、人懐こい笑顔で赤木さんは声をかけてきた。自宅兼事務所に案内されると、そこには 見たこともない機器類が足の踏み場もないほど散らかっていた。30歳になっていた赤木さんは、青年のように弾んだ言葉で押し寄せるインターネット社会の到 来を語ってやむことがなかった。

  全米科学財団(NSF)傘下の学術研究用だったネットワークが一般に開放され、マックに対抗するOSの「ウインドウズ95」がアメリカで発売され、日本で も間もなく販売される予定になっていた。インターネットという言葉は、日本ではまだ市民権を得たわけではなかったが、その後爆発的に広がるであろうネット ワーク社会の予兆として、誰言うともなく肌で感じさせる時代の風が吹き始めていた。

  その時代の風を満身に受けて、赤木さんはトップを切って走っていた。事務所で一番目を引いたのは、コンピュータの画面の上にセットされていた大きな目玉の ようなものであり、それは何ですかと聞けばカメラだという。そのカメラで自分の顔を写して相手に送り、相手の顔もまた画面に写してコンピュータ通信をする という。「ええ! そんなことができるんですか?」「最近は飽きちゃって、もう、やってないです」

  異星人に出会ったような気分で赤木さんの話に引き込まれていった。そのときの取材の一端は、1995年10月2日付け読売新聞社説の冒頭で紹介する。その 社説を書くために開かれた論説委員会で私が説明を始めると、並みいる委員たちは理解できない顔つきで聞いていた。一人が「その赤木さんとかいう人は、信用 できる人なんですか?」と言って皆を笑わせて会議はお開きとなった。

  赤木さんと私は、そのころマック族であったが、何も知らない私はなにもかもすべて赤木さんに聞いた。おびただしいメールを交換し、分からないことは隅から 隅まですべて赤木さんに聞いた。どのような難問にも愚問にも彼は即座に回答して私の疑問を解決してくれた。私が人より先んじてコンピュータのあれこれがで きたのはすべて赤木さんのお陰であった。

  あるとき、それは1996年の春ごろである。コンピュータで作成した多数の原稿類をバックアップする方法を例によって赤木さんに相談した。すると東京・門 前仲町の拙宅まで車を飛ばしてきて、見るからに高価そうな装置を使って円盤のメディアに記録してくれた。それは今で言うCDRであり、私は茫然としてその 操作を眺めていた。誰よりも先んじてコンピュータツールを導入して使いこなし、誰よりもマシンを愛した男であり、そして常にコンピュータ・ネットワーク社 会の先端を走っていった男であった。

  その赤木さんが、突然、姿を消した。何の予告もなく風のように逝ってしまった。短すぎる彼の生涯を一言であらわせば、それは「時代の光芒」であった。IT 産業革命が勃発した20世紀の最後の時代に現れ、その才能を思うままに駆使して時代の寵児となり、さまざまな足跡を残して逝ってしまった。

  自信に満ちて語ってくれた若き日の赤木さんの声と姿は、私の脳裡に焼き付いて消えることはない。恐ろしい速さで技術革新が進み、秒進分歩と言われる時代の 変転の中で、赤木さんは躍動しエネルギーを発散しそして燃焼した。時代の移り変わりをいち早く知らなければならない宿命を負っているジャーナリストの私 に、世間でまだ知られていなかったユビキタスという言葉とその意味を最初に教えてくれたのは赤木さんであった。

 メールと宅急便を連動させた新しい宅配方法を発明し、特許を取得したのも赤木さんであった。その豊かな才能を惜しげもなく捨て、彼はさよならも言わずに去っていった。

  しかし「時代の光芒」は、輝きを失うことなく私の胸の内で輝き続けるだろう。マックマシンを語り、その操作方法を伝授し、嘆き、笑い、共鳴し、ともに語っ た時間こそ、まぎれもなく私たちが共有したかけがえのない青春時代であった。もし彼とまた遭遇することがあったとしても、また同じ話題を語り、笑い、嘆き そして際限なく語り明かすだろう。

 赤木さんとの別れは痛恨の極みであり、できることなら今一度でいいから会いたかった。会って往時の熱気を思い出させ、新たなエネルギーを復活させてやりたかった。今一度この世に引き戻し、マシンと格闘する機会を彼に与えたかった。

 さよなら赤木さん。短かったけれども濃密だった珠玉の時間を感謝し、茫々とけむる追憶の中で彼の姿を探し求め、果てしなく魅了してやまなかった二人の共有した時間をいつまでも繰り返し思い起こすことだろう。 

                                

日々これ新たなり(15)「難局を打開して中日交流を推進しよう」程永華中国大使の講演                    

「東京都・北京市友好都市提携35周年と今後の中日関係」をタイトルに中国の程永華大使が、9月4日18時30分から、東京市谷のJST本部で講演した。 

 大使は吉林省長春市出身であり、学生時代を含めると21年間日本に滞在しており、東京の日本大使館への勤務は通算で17年間に及ぶ知日家である。流暢な日本語で心に響く中日感を語って感銘を与えた。

  大使は、冷え込んでいる日中の現状認識について3点に絞って話を進めた。

 まず第1点は、二千年に及ぶ日中間の歴史の深さを大事にするべきだと語った。歴史には多くのエピソードが残っており、中日双方の言葉はもちろん、文化、宗教、建築、服装からお茶やインゲン豆まで多くの共通の価値観や歴史やエピソードを残した。 

漢字はもちろん書道、水墨画は中国と日本人しかその価値が分からない。両国関係の交流の歴史を大事にしなければならないと主張した。

 

第2点は互いの関係は、重要な関係であることを改めて認識する必要があると説いた。中国国民も日本国民もお互いの国の70パーセントが重要だと認めている調査結果もあるという。

国交正常化後に貿易は年々盛んになり、いまはお互いに欠かせない貿易相手国になっている。 

 

 このような交流になったのは先人の努力があったからであり、その努力を忘れてはならない。中国には水を飲むときにその井戸を掘った人を忘れないという言い伝えがあるが、まさにそのことをしっかりと認識しなければならない。

  そして現状の中日間には、領土問題、歴史認識などの難題があるがこれを超えていく必要がある。日本側にとっては、過去の日本の侵略戦争の責任を明確にし、そしていまその侵略戦争と一線を画するということが必要だ。A級戦犯が祀ってある靖国神社の参拝は戦争責任をあいまいにするものではないか。 

 中国は日本にとってどういう国か、中国にとって日本はどんな国かを客観的に見なければならない。最近の日本のメディアは、中国にことさら泥を塗って悪く言っているように思う。 

 中国脅威論をことさら大きく取り上げて、日本の安全保障政策に利用しているのではないかとも見られる。日本は、戦後の平和主義の国であることを続けるのかどうかを示す必要がある。 

そして3点目として、このような難題を乗り越えて交流を引き続き進めて行くことは中日双方に大きな利益をもたらすものだ。両国はこれからの平和的発展を維持する能力を持っている。日本の経済にとっても中国との友好関係はチャンスを作ることになる。

 

中国との友好は、「日本の経済と科学技術の発展をすることにつながるし、理解と信頼を深める必要がある」と語り、最後にこの日聴講に来た人とともに「中日の友好と発展を祈ります」と結んだ。

 

程大使は中国政府の主張する対日要求をきちんと踏まえて語ったものだが、その語り口は冷静でむしろ説得力を感じた。

 中国語には「推心置腹」という言葉がある。「誠意をもって人と接する」という意味だろうか。日本語で語る大使には、そのような雰囲気を感じた。 

 質疑応答のときに筆者も質問した。最初に「科学技術と青少年」という2つをキーワードをあげ、「日中で若者の交流が非常に需要だ。さくらサイエンスプランで中国の高校生らを招聘し、多くの感銘を与えたが、日本が招へいするだけでなく日本の高校生が中国の大学を訪問したり、科学技術研究現場を見学する交流があってもいい」とし、大使の意見を聞いた。 

 程大使は、「感受性の強い若い世代が交流することは大事だ。双方向で交流することも大事であり、今後も積極的にお互いが訪問する交流に拡大していきたい」と語った。  

                               

日々これ新たなり(14)「安倍政権とは何者なのか?」

  国民の生活基盤と将来を描かない安倍政権

 先の衆参選挙は違憲状態という最高裁判決を無視して何もやらず、憲法解釈の変更や靖国神社参拝などに心血を注ぎ「戦後レジームからの脱却」などという文言を掲げて、自分だけが酔っているような政策を進める安倍政権とは、一体、何者なのか。

 時代が変わったから戦後レジームから脱却するという言い方は、太平洋戦争の廃墟から働き詰めで這い上がってきた日本の政治・経済・社会の過去の歴史をま るで否定するような軽薄な表現である。時代が変わったから政治も変えるなどというのは、安倍晋三さんに言われなくても誰もが分かっていることである。 日本のために、いま政治は何をやるかが重要なのである。

 少子高齢化、人口減少への対応策、多くの成熟した産業をどう転換するべきか。もっと卑近な課題を言えば、若い世代の理科離れ、覇気の喪失。そのような日 本の現状、そして地方の疲弊、これを解決して次世代の日本をどのように築いていくのか。その明確な政策と実行こそがいま求められている最大の政治課題では ないのか。

 近隣諸国との摩擦を増長するような政策や行動をすることが戦後レジームからの脱却と思っているとしたら、甚だ方向違いの政策である。

 「3本の矢の経済政策」とは聞こえはいいが・・・

 安倍政権は、「アベノミクス3本の矢」を掲げている。①大胆な金融政策、②機動的な財政政策、③民間投資を喚起する成長戦略である。①は、日銀の量的緩和策をとることで円安に誘導し、輸出企業に大きな利益をもたらした。しかしこれは為替による見せ掛けの事業実績である。

 過去2番目となる超大型補正予算の執行で賑わっているのは、②の財政政策である。ハコモノ主導の「土建屋政治」であり、一過性の景気対策である。これこ そ旧式の自民党景気対策から一歩も出ていない前時代の政策である。③の3本目の矢である成長戦略こそ安倍政権の成否を占う政策であるが、これはほとんど期 待できない。

 なぜそうなっているのか。それは安倍政権のやっていることが、国民生活の実態から乖離していること、旧来の産業構造の延長線上で産業政策を考えていること、政治家は二世、三世が跋扈し「政治ごっこ」で終わっていることにある。いまの政治家には使命感と迫力がない。

 違憲状態であると司法が判決を出しても、それに真剣に反応する政治家がいない。日本共産党をはじめとする野党も同じである。三権分立を標榜する国家であ るなら、司法の判断を最優先させて取り組むような立法府のエネルギーがなければ、途上国以下の国家である。法の理念も国民主権もないに等しいと言わざるを 得ない。

 国民が求めている真の政策

 集団的自衛権の是非を問うよりも、いま日本の国民にとって重要な課題は経済活性化とそれをテコにして構築しなければならない社会資本の再興である。安倍 さんが言っていることで唯一いいことは「女性が輝く日本」という政策である。遅きに失した感はあるが、女性の登用は日本の活性化への大きなカギを握ってい る。

 女性政策を除くとおよそ何もないという政権では、国民が沈んでいくだけである。安倍政権は、よほど現実的な政策転換をしない限り、「政治ごっこ」をして 潰れる政権になるだろう。メディアが実施している内閣支持率など当てにならない。政権とはいったん下降線を辿ると奈落の底に一直線である。

 そうなる前に少なくとも違憲状態を解消する選挙制度を改革し、出直し選挙による政権を樹立して真の民主国家を実現しなければならない。そのためには、一人一票実現運動に命をかけている升永英俊弁護士の市民活動を盛り上げていくことだ。

                                

日々これ新たなり(13)「82年前に発生した5・15事件に思う」

     首相を殺害したテロ集団

 いまから82年前の1932年(昭和7年)5月15日に発生した「5・15事件」は、日本の歴史上、血なまぐさい軍国主義に走り出した重要な出来事であ る。総理官邸に乱入して犬養毅首相を殺害した軍人は死刑にならず、禁固刑として受刑したが恩赦で釈放されるという非常識な国家の対応だった。

 これが日本を誤った道・軍国主義へと進ませた発端となったのである。

 国を想えば何をやっても許される

 5・15事件を起こした軍人は大日本帝国海軍の青年将校と若い兵士たちである。その動機はワシントンとロンドンで開催された軍縮会議で欧米列強に対して日本は対等ではないとして政府の対応に不満を募らせ、首相らを粛清して軍事政権を立てようとしたものだった。

 1936年(昭和11年)2月26日に発生した「2・26事件」は、陸軍の部隊が総理官邸などを襲撃して首相らを殺害した軍事クーデターだったが、5・ 15事件は、大川周明らから資金と拳銃の提供を受けて軍人が決行したものであり、クーデターというよりもテロ事件と理解するべきだろう。

 「昭和維新」を掲げてテロ軍団を組織した軍人たちは、総理大臣官邸、内大臣官邸、立憲政友会本部を襲撃し、昭和維新に共鳴する大学生2人が財閥の代表として三菱銀行に爆弾を投げこんだ。さらに警視庁と東京近辺に電力を供給する変電所数ヶ所を襲撃した。

 これは東京を暗黒化する目的だったとされている。総理官邸でテロ軍団と遭遇した犬養首相は、腹部と頭部に銃撃を受けて死亡した。

当時の世相は、1929年(昭和4年)の世界恐慌の影響を引きづっており、企業の倒産が相次ぎ社会的に閉塞感が漂っていた。日本ではようやく議会制民主主義が根付き始めたころだが、しかし一方で国民は政党政治の腐敗に嫌気がさし反感を抱いていた。

 このため犬養首相を殺害し、多くの被害を出したテロ集団に対しても同情する雰囲気が広がり、殺害犯人の将校たちの助命嘆願運動が巻き起こり、彼らの刑は 軽いものとなった。これはのちに2・26事件を起こした陸軍将校たちの判断を後押ししたと言われている。憂国の志士として反乱を起こしても刑は軽いもので 済むだろうとする楽観視である。

 戦争に彩られた近代史

 明治維新(1868年)、日清戦争(明治27年、1894年)、日露戦争(明治37年、1904年)、韓国併合(明治43年、1910年)、満州事変 (昭和6年、1931年)、日中戦争(昭和12年、1937年)、太平洋戦争(昭和16年、1941年)と並べてみると、日清戦争から太平洋戦争まで47 年間は、戦争に彩られた近代史であった。

 日清戦争以来、日本はひたすら外地に資源を求めて侵略を繰り返し、最後に対米戦争を仕掛けて自滅した。これらの戦争は、すべて日本から仕掛けたものである。

 そのような血なまぐさい歴史に歩きだし太平洋戦争へと流れていくきっかけを作った事件として5・15事件は忘れてはならない事件である。

 大陸進出を図った軍部の言い分は、東アジア諸国を欧米列強から解放するというものだったが、日本が欧米の植民地政策に割り込もうとして加わったものであるという見方のほうが正しいのではないか。その一方で、日本列島は無傷で守り通した。

 太平洋戦争は、100%負ける戦力で戦いを起こしたものであり、多くの若者を戦場に送り込んで戦死させた。誰にも責任がないというのでは、社会正義の原理に反する。為政者の戦争責任は厳然と問われなければならない。

 だれが責任者であるか明確に総括するべきである。責任者をどのように処罰するかは別問題である。日本人として責任の所在を明確にすることがなければ、いつまで経っても日本に真の民主主義は確立できないだろう。

                                

日々これ新たなり(12)「3Dプリンターを発明したのは日本人である」

         拳銃を3Dプリンターで製造して逮捕された

 3Dプリンターに関するニュースが、思わぬ形で注目を集めている。アメリカから設計データを導入した日本人が、拳銃を3Dプリンターで製造して逮捕され たニュースである。筆者は、1996年ころから3Dプリンターのことを取材していたので、このような展開になってきたことに驚いている。

 1996年ごろは、3Dプリンターなどとは呼んでいなかった。光造形装置と呼んでおり、横文字では、ラピット・プロトタイピング( rapid prototyping) と呼んでいた。これでは、何がなんだか分からなかったが、その価値をいち早く見抜いて日本へ導入したのが、株式会社インクスを創業した山田眞次郎氏であっ た。

 山田氏は三井金属でドアロックの設計をしており、90年代のアメリカ・クライスラーのドアロックの全車種の設計をした男として知られていた。ドアロック とは、車のドアの部分一式である。ドアを閉めたときに「バタン、カチッ」と快い響きを残してきちんと締まるあのドアの部分の設計のプロだった。

 山田氏は、設計・試作そして量産する工程を熟知していたので、光造形装置が実用化してきたとき、試作する行程が飛躍的に迅速・効率化すると見抜き、製造 現場が激変すると感じたのである。山田氏は三井金属を辞めて、光造形装置をアメリカから輸入して販売し、日本の製造現場にいち早く変革を起こさせようと起 業家に転進したのであった。

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最新の3Dプリンターを操作する山田氏(右)
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 ところで、この光造形装置の原理を世界で最初に発明した人は、名古屋市工業研究所の研究員だった小玉秀男氏(現在、特許業務法人快友国際特許事務所所 長)である。小玉氏の発明の話を聞き、光造形装置を初めて筆者が見たとき、これは立体プリンターだと思ってコラムにもそう書いたことがある。

 立体プリンターとは、いい名称だと今でも思っているが、むろん3Dプリンターでもいい。小玉氏と会ってインタビューし、その発明へのストーリーを聞いて 興奮したことを思い出す。当時、コンピュータのアウトプットは、紙に印刷するものだけだった。今でもほとんどはそうである。

 小玉氏の優れていたことは、コンピュータの中で3次元の立体設計ができ、しかもそのデジタルデータが形成されるのだから、立体的にアウトプットできないかと考えたことにある。プリントとして紙に出すことはできても、立体形で出すということは普通は考えない。

 小玉氏は、たとえて言えば、コンピュータの内部で設計したデータを100万回印刷を重ねていけば、立体形になるはずだという考えだ。積層技術の最初の発想である。光を当てると瞬時に固まるプラスチックの装置を作れば積層して立体形が出来上がっていくと考えた。

 そして小玉氏は、実際に自宅の設計データを自作の光造形装置で積層させて、立体モデルをアウトプットしたことである。しかもその技術の全てを英文の論文 として仕上げてアメリカの物理学会誌「REVIEW OF SCIENTIFIC INSTRUMENTS」(1981年、Vol.52 No.11)に投稿して掲載されたことだ。これこそ3Dプリンターの最初のアイデアと実践を記載し た世界で最初の論文として燦然と輝く業績である。

 
 
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世界で初めて作成した3Dプリンターの作品が論文となって写真も掲載されている。

 この積層技術でノーベル賞が出るとしたら小玉氏は間違いなく入るだろう。この優れたアイデアを思い出しながら、3Dプリンターで拳銃を製造した事件報道の推移を見ているが、3Dプリンターのメーカーはアメリカメーカーが大半を占めているのは残念である。

 小玉論文がアメリカで掲載された直後に、アメリカ人がこの原理を特許として出願し取得している。実用化と産業ツールとして世に出したのはアメリカ人だったのは残念だ。原理原則は日本人が発明し、実用化にはアメリカ人が貢献した典型例である。

 3Dプリンターについては、今後も適宜このコラムで取り上げていきたいと思う。

                                

日々これ新たなり(11)「STAP細胞の存在は真実か思い込みかそのどちらかである」

                 

 小保方さんのSTAP細胞は「真実」か「思い込み」かそのどちらかである

 STAP細胞の論文をめぐって渦中にある小保方晴子さんの記者会見の実況中継をテレビで観た。筆者は午後1時からのニッポン放送「大谷ノブ彦 キキマス」という番組に、この記者会見と同時進行でコメントするためにスタジオに入っていた。

 大掛かりな会見場と多数の報道関係者、そしてその質問内容を聞いていて、一種の査問委員会のようにも感じたし芸能人の会見にも等しい雰囲気を感じた。学術研究の適否をめぐって、落ち着いた雰囲気の中でやり取りするような会場の雰囲気でないことに違和感を持った。

 その番組でも語ったコメントを整理し、改めてこの問題について述べてみたい。

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 ニッポン放送「大谷ノブ彦 キキマス」に出演。スタジオ内で番組開始直前に撮影。左がアシスタントの脊山麻里子さん、真ん中が大谷さん。明るく率直な雰囲気で自由に話が出来た。

 小保方さんの発言で印象に残ったことは2つある。まず第一に論文作成に際し不注意、不勉強、未熟、自己流だったと反省を何度も述べ、それが疑念を生んだ 根源であると反省し、理研と共同研究者らに多大な迷惑をかけたと率直に詫びた点である。これは論文の不備を認めて謝罪したという点で評価したい。

 第二の印象は、小保方さんと報道関係者の一問一答を聴いていると、小保方さんはSTAP細胞の存在は真実であるという確信に立っていることだった。記者 の質問に「STAP細胞はあります」と毅然として言ったその言葉の調子と態度は確信がなかったら言えないものと感じた。 なかったものをでっち上げたとは到底思えない。

 この二つの印象から筆者は、小保方さんはSTAP細胞の作製に成功したことは間違いないと確信しているので、論文作成のときの画像の取り違いや画像の張 り替えは、本質的な過誤ではないと主張したかったのではないか。画像の張り替えは、自分で実験して出した画像を使ったのだから、許されると思っていたふし がある。

 STAP現象とSTAP細胞の違いはなるのか 

 この2つの印象から、筆者の考えを言えば、最初のお詫びの部分は小保方さん自身が何度も語っているように科学者としてやってはいけないことをやったこと を認めて謝罪したことでありそれ以上でもそれ以下でもない。しかしこの謝罪表明とSTAP細胞の存在の有無は別問題として切り分けたことだ。小保方さんが 強く主張していることは、「STAP細胞はあった」ということである。

 ただ、気になるのは「STAP現象は何度も確認された」という言葉を使ったことだ。これはSTAP細胞とSTAP現象という2つの言葉の意味に根本的な 違いがあるのではないかと思わせた。前者は文字通り現象であって途中経過かもしれないし存在として残るものでもないという意味で小保方さんが言ったのかも しれない。

 こうなるとSTAP細胞の存在を実現することが、この問題に決着をつける唯一最大の課題になってきた。 ただしここにも筆者には不安が出てきている。小保方さんが確信しているSTAP細胞は、もしかしたら小保方さんだけの「思い込み」でありSTAP細胞と信 じてやっていた実験だが、実際にはSTAP細胞ではなかったのではないかという疑念だ。

 「ネーチャー」誌に論文を掲載された科学者に対して、甚だ失礼な見方になるが、科学者にはえてして思い込みがあることがある。科学者自身それを知ってい るからこそ、繰り返し繰り返し、念には念を入れて実験を積み上げて結論を出すのが普通だ。もし万一、小保方さんの思い込みでありSTAP細胞がなかったと したら、それは共同研究者らにもその責任のいったんは問われるべきである。

 しかし、筆者はやはりSTAP細胞はあったのだと思いたい。小保方さんは「200回以上、STAP現象があった」とここでも「現象」として語ってはいる が、これを信じたい。実験にはコツやレシピがあるので難しいとの見解も語っていた。科学実験では、このようなコツやノウハウがあるのは理解できる。特許出 願の明細書にしても、他人に真似されないためにもコツやノウハウは極力書かないものだ。

 STAP細胞再現実験には「どこにでも行く」という小保方さんを信じたい

 小保方さんは会見の中で、もし要請されるならSTAP細胞再現実験のために「どこへでも行きます」という主旨の発言をしていた。これはやはり存在を確信しているからと理解した。

 ただ実験ノートは、4冊程度しかなかったことも語っていた。これだけの実験を積み上げてきた実績から見ると、いかにも少ない。日本の研究現場では実験 ノートの重要性が20年も前から指摘されてきた。アメリカは、先発明主義だったこともあって、大学でも企業でも研究現場での実験ノートは非常に重要だっ た。

 若い小保方さんに対し、その点で理研の同僚や先輩が指導・助言できなかったことは、研究現場の不備であり理研の反省点である。そのような教育がされてこ なかった小保方さんだけに責任をすべてかぶせてはならない。共同研究者と理研の研究体制にも相当なる責任があったことは間違いないことであり、この問題に 対する調査結果だけではなく、理研の反省点を明確にして後世に残す必要もあると思う。

                                

日々これ新たなり(10)「STAP細胞の存在は、本当に捏造だったのか」

 小保方さんにSTAP細胞確認のチャンスを与えるべきだ

 理化学研究所の研究ユニットリーダー、小保方晴子さんらが発表したSTAP細胞発見の論文発表で、理研は「論文画像に意図的な改ざんと捏造があった」として、著者全員に論文取り下げの勧告をおこなった。

 筆者は小保方さんを信じている。ないものをあったかのように最初から実験成果を捏造したとは到底思えない。もしSTAP細胞を発見していなかったとしたら、それは重大なミスではあるが研究者には思い込みということがよくある。

 間違いなくSTAP細胞だと断定したものであっても、よくよく精査してみれば違うものだったという間違いはなきにしもあらずである。

 理研の衝撃的な結論に悄然としたが、ここは冷静に考える必要がある。小保方さんが国際的な科学誌「ネーチャー」に論文を発表したとき、筆者はコラムでその快挙を称え特に若い女性研究者を育ててここまで引き上げた研究現場を褒めた。

 画像の不自然さを指摘された後、小保方さんをめぐる研究スキャンダルは、メディ報道でエスカレートする一方だった。研究室のボスとの男女関係など、本来なら研究と無関係な話にまで話題が広がり、 もはや学術研究の話からは遠ざかるようになっていた。

 理研が出した「研究不正」との調査結果に対し、小保方さんは弁護士を通じで猛烈に反発している。彼女のコメントを読むと「驚きと憤り」と表現し、「改ざ ん、捏造と決め付けられたことは承服できない」とした上で「STAP細胞の発見自体が捏造であると誤解されかねない」としている。

 もちろん今回のような論文の場合、あってはならない思い違い、思い込みであっても、研究者はまだ30歳の若さである。研究仮説も研究手法も何もかも経験 不足であった。STAP細胞だと本人が思い込んだことが間違いだったとしたら、共同研究者として名前を連ねているベテラン研究者らに責任がないわけではな いだろう。

 小保方さんから「画像の取り違え」と言われてもにわかには信じ難いし、博士論文の画像を使い回したと理解されても、これを覆すことは困難だろう。だから と言ってSTAP細胞まで捏造したというには、小保方さんが可愛そうだ。現時点ではそう思いたい。彼女が「承服できない」というのは、STAP細胞発見を 信じているからである。

 STAP細胞はあったのかなかったのかという観点で見れば、追試で実現できていないことから考えると「なかった」ようにも思える。しかし真実はまだ分か らない。小保方さんはこのような評価を覆すべく、全力を上げてSTAP細胞を確認して欲しい。そうでなければ、すべては捏造だったということにされてしま う。

 この30歳の若い研究者にもう一度チャンスを与えたい。STAP細胞さえ存在すれば、画像の捏造と糾弾されていることから少しは救われるだろう。すべて 免罪になることはあり得ないが、少なくとも研究者として土俵際に踏みとどまり、再起をかける研究人生に立つことが出来る。

 日本の科学界に汚点を残したことは事実だが、それでもなおSTAP細胞の存在でこの汚点を挽回するチャンスがあることを理研と研究スタッフは考えて欲しい。 そのためには、小保方さんにもう一度、研究現場を用意する必要がある。何もかも奪うことがあってはならない。

 彼女の仕事の主要な部分は、ハーバード大学で行われているようだ。しかしハーバード大に頼らず、理研は研究現場を提供するべきだ。結果としてSTAP細胞の存在が確認できなかったとしても、その成否を確認することは日本の研究現場の責務である。

 小保方さんの研究未熟さを、日本の研究現場がカバーする必要がないという意見も出るだろう。しかしそれを超えて成否の決着をしなければならない。それは若い研究者のためであり日本の科学研究のためでもある。

                                

日々これ新たなり(9)「アホウドリの研究にかけた長谷川博先生」

                               
                 
 この写真は長谷川先生のHPからの転載です

  退職記念パーティに集まった仲間たち

 絶滅に瀕していたアホウドリを復活させ、この鳥の生態の研究に人生をかけた長谷川博・東邦大学理学部教授の退職記念シンポジウムとパーティが、2014年3月8日、東邦大学習志野キャンパスで開催され、長谷川先生の研究仲間と友人、知人が集合して盛り上がった。

 
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  長谷川先生の人をそらさないお人柄と明るいキャラクターは、多くの人々に愛されてきたがこの日のパーティもそのような雰囲気が会場を包み込み、楽しい懇談の宴だった。

   35年ほど前、東京・晴海ふ頭に接岸した船から降り立った長谷川先生を筆者が呼び止めたことから、先生とのお付き合いが始まった。鳥島から帰ってきた長谷 川先生を、筆者は待ち構えていた。鳥島の様子を取材してアホウドリの生息状況を報道しようと意気込んでいた。その当時、確認されているだけで世界で数十羽 ほどしかアホウドリは生息していなかった。

  絶海の孤島となっていた鳥島には、かつて島を埋め尽くすほどのアホウドリが数百万羽生息していた。翼を広げほとんど滑空だけで大空を飛翔するアホウドリの乱舞は、圧倒する光景だったと想像できる。それが翼をたたんで陸上にいるときは、よちよち歩きですぐに捕獲できる。 

 良質な羽毛は、 羽根布団の材料として大正時代から昭和時代にかけて貴重な日本の輸出製品になっていた。鳥島に上陸した日本人が鈍感なアホウドリを撲殺してその肉と羽毛を ほしいままに略奪した。その乱獲によって、アホウドリは瞬く間に絶滅に瀕することになる。 太平洋戦争で負けた日本にやってきた欧米の生物学者は、アホウ ドリの生息を調べたがその個体を確認できず、一時は絶滅宣言されたこともあった。

 しかしアホウド リは奇跡的に生き延びていた。その証拠写真を偶然にも撮影していたのは読売新聞のカメラマンだった。 その歴史的な写真は、読売新聞社のデータベースに保 管されており、撮影者も生存していた。長谷川先生と一緒に興奮してそのカメラマンにインタビューに行ったこともあった。

  アホウドリの復活は日本人の使命

  絶 滅に瀕していたアホウドリを復活されるのは、日本人の使命であると長谷川先生は考え、京都大学卒業後には、アホウドリの研究家に転じた。 研究家と言って も、まずアホウドリの種の保存に長谷川先生は取り組んだ。毎年、繁殖期の冬季になると、八丈島から漁船をチャーターして単独で鳥島に上陸した。

 アホウドリの生 態を研究するだけでなく、アホウドリの繁殖地を安定されるために、ハチジョウススキを移植する作業を単独で始める。 アホウドリが崖地に卵を産んでも、卵 が転がっていく危険性をハチジョウススキを植えることで防止し、少しでも繁殖ができる環境を整える取り組みをした。そのような活動を知った筆者は、長谷川 先生のその取り組みを読売新聞や系列の日本テレビで報道することで支援しようと考えた。

  地道な研究活動を報道することで世間の耳目を集め、研究費確保に結び付けられると考えたのである。長谷川先生はそのときのことを覚えていて、この日の退職記念パーティの会場でも「私の研究活動のプロデューサーです」と筆者を持ち上げてくれた。

  そのような地道な努力が実を結び、アホウドリはいま世界中で優に1000羽を超えるまでに復活した。「もう絶滅することはありません」と誇らしげな手紙を先生からもたったときは、わがことのように嬉しかった。

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 記念パーティで乾杯をする長谷川先生ご夫妻
 

 オキノタユウと改名する日が来るだろう 

 長谷川先生の研究活動は、アホウドリ復活にかけたものであり、特異な研究活動であった。しかしこれが終わったわけではなく、長谷川先生の研究活動はまだまだ続く。そのひとつがアホウドリの改名である。 アホウドリとは、簡単に撲殺できる阿呆な鳥という意味で付けられた。

 英語名はアルバトロス(albatross)であり、ゴルフをする人なら憧れの呼称である。ゴルフでパーから数えて3打少なくホールを終えるのがアルバトロスである。ダブルイーグルとも呼んでいる。 

 大空を飛翔するアホウドリの姿を長谷川先生は「たとえようもなく美しい」と語っている。その鳥の呼び名がアホウドリとは余りにひどい。英名ではalbatrossであり、ゴルフ競技でもアルバトロスは尊敬される呼称になっている。 それが日本ではアホウドリとは余りにひどい。

 そう考えた長谷川先生は「オキノタユウ」と和名にすることを提唱し、自身ではずっとこの和名を使っている。これは日本での鳥の公式名を変えることになるので容易に改名することはできない。しかし長谷川先生は諦めない。 この日のシンポジウムでも、2050年ころには間違いなくアホウドリの復活が世界的に認められるだろう。そのときこそオキノタユウに改名するときだという提案に、会場は大きな拍手で沸き返った。

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 写真は、記念パーティで配布された「長谷川博新聞」。一面トップには、アホウドリが太平洋を埋め尽くすという夢のニュースが特報されている。絶滅宣言 から奇跡的に回復した種として、アホウドリは永遠に語り継がれるだろう。その第一の貢献者は長谷川先生であり、アホウドリとともにその名を永くとどめるだ ろう。

                                

日々これ新たなり(8)「死の灰」という言葉を創った辻本芳雄氏

  1954年3月1日、太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁で、アメリカが水爆実験を行った。1946年から20回以上の水爆実験をビキニ環礁で行っ ており、この日の実験は最大規模のものであった。広島に投下された原爆の1000倍以上の威力があったというから、聞くだけで恐ろしい話である。
 ビキニ 水爆 
 
爆発実験直後に、空からハラハラと灰が降ってきた。放射性物質を含む「死の灰」である。当時、ビキニ環礁付近を航行していた静岡県のマグロ漁船「第五福 竜丸」の乗組員23人が死の灰に触れて被ばくし、無線長の久保山愛吉さんが半年後に亡くなった。周辺の島々に住む人たちも被ばくし、長い間、健康被害を訴 えることになる。

 あれから60年経った。メディアが一斉に被爆60年の報道をしていた。 筆者はこの事件が発生した当時、中学生だったので、記憶はおぼろげながら残っている。大学卒業後に読売新聞社に入社した。そこで最初に出会った人が辻本芳雄氏だった。

 体格のいい人で、言葉遣いに関西弁の名残りを残したやさしい響きを持っており、初対面から親しみの持てる人だった。この人が、読売新聞社会部の敏腕記者 だったことはすぐに分かった。名文を書くだけでなく、ニュースセンスを持った優れた社会部記者だったことを多くの先輩記者から聞いてびっくりした。

 何かのときに辻本氏は「死の灰という言葉を創ったのはわしや。デスクをしているとき、漁船員が振ってくる灰に被爆した話を聞いて、そりゃ死の灰やと言っ たら見出しになった」と語った。写真は当時の読売新聞の紙面である。「死の灰」という言葉が世に出た最初の紙面であり、この言葉はたちまちジャーナリズム の世界を席巻することになる。 

 
 

 その話を聞いて驚いている筆者に、辻本氏は「原子爆弾が爆発する理屈も、放射性物質の恐ろしさも、実は新聞記者のほとんどが知らなかった」と打ち明け た。この事件が発生した直後、東大の原子核物理学者を社に来てもらって講義を受け、にわか勉強をしてその理屈と恐ろしさを知ったという。

 辻本さんは新米記者だった筆者に、知識はなくても勉強すれば新たな知識を蓄積できるという当たり前のことを語り、普段から知識の吸収を心がけるようにさ としたのである。辻本さんからは、時たま声をかけられて飲みに連れて行かれた。自宅を訪問して有意義な話を聞いたことが何回もあった。それはジャーナリス トとしての心構えであり、 取材にかける記者魂の真髄を語ったものでもあった。

 辻本さんは社会部長から編集局次長を務め、その後「昭和史の天皇」という長期連載のデスク兼執筆者となった。「昭和史の天皇」の連載は、その後菊池寛賞 を受賞している。受賞の報を聞いたとき、胸が熱くなったことを覚えている。筆者はそのころ、日曜版に連載をはじめた「人間この不可思議なもの」という大脳 生理学と分子生物学を解説する長期連載を社会部の中澤道明デスクと2人で取材・執筆していた。

 社会部のラインを離れ、別室に取材拠点を構えたが、それは辻本氏が執筆している部屋だった。辻本氏が原稿用紙に書き付けている姿を、いまでもありありと 思い起こすことが出来る。取材から帰って部屋に入り、辻本氏が原稿用紙に鉛筆を走らせている姿を見たとき、奮い立つような気持ちが沸き起こった。 新聞記者として圧倒的な存在感があった。

 丸々一年間だった。辻本氏のすごそばで記者業を出来たことは望外の幸せだった。辻本氏の謦咳に触れる機会があったればこそ、その後の活動といまがあるのではないか。ふとしたときに、そのような感慨を持つこともあったが、これを誰にも語ったことはなかった。

 しかし第五福竜丸事件から60年のニュースを見聞しているうち、辻本氏と筆者は並々ならぬ縁で結ばれていたことに気がつき、にわかに筆をとった。辻本氏ご夫妻は、筆者の結婚式の媒酌人でもあった。茫々とけむる往時の日々を想い出させた「死の灰」の報道であった。

                                

日々これ新たなり(7)都知事選の結果を総括する

  過去ワースト3の低投票率に泣かされた細川護煕さん

 東京都知事選は、自民、公明両党の推す舛添要一氏が当選した。筆者が願っていた細川護煕知 事の実現は夢と消えたが、その主張と選挙運動の実績まで消滅したわけではなく、即脱原発運動の火種を残したことは間違いない。今後、既成の原発利権と脱原 発技術開発志向のせめぎ合いが続くだろう。

 投票率46.15パーセントとは、驚きの数字である。前日、記録的な大雪に見舞われた東京 だったが、投票日の日曜日はまずまずの天気だった。しかし蓋を開けてみればこの数字である。投票行動が、大雪の後遺症に阻まれたのだろう。投票率が低けれ ば、組織的に運動を展開する候補者に有利になる。舛添、宇都宮両候補の票は、その基礎票だけだったのではないか。

 それにしても細川・小泉両首相の街頭演説には、多くの人たちが足を止め、拍手や声援も多 かった。銀座で行われた舛添候補と細川候補の演説会を筆者も聴いたが、人も熱気も細川さんの方が格段に多かった。各地の演説会でも同様だった。しかしこの 熱気が、そのまま票となって現れなかった。

 その原因として考えられるのは、細川さんの政策の内容が、有権者に正確に伝わらなかったか らではないだろうか。即脱原発の内容もそうである。筆者は、なぜいま脱原発なのか、なぜ都知事選の政策テーマになるのか、なぜ首相経験者が立ち上がったの かなどについて、友人・知人に片っ端から説明して細川支援を訴えたが、言われるまで細川さんの脱原発の理由や動機が分かっていなかった人が多数だった。

 硬い公明党支持者に説明し、舛添候補から細川候補へ「寝返る」ことに成功した例が5人ほどあった。この体験からしても、運動する日数が足りなかったのだと思う。逆にきちんと説明すれば、理解度が格段に高まったと思われるだけに今回の選挙結果は本当に無念残念である。

 NHK、新聞各社などの事前の世論調査によると、有権者に関心があるテーマは医療・福祉、景気や雇用、原発・エネルギーなどの順になっていた。即脱原発を主張した細川さんが、相対的に不利になることは当初から危惧されていた。

 2月10日に掲載された読売新聞朝刊の出口調査結果は、239投票所での投票者、8180 人から回答を得たものであり、統計的にはかなり参考にできる内容である。これによると投票先(候補者)を選ぶ際に重視した政策は、原発などエネルギー政策 をあげた人は、細川さんに投票した人の62パーセントでダントツであり、舛添候補への投票者はきわめて少なかった。宇都宮候補も医療や福祉が重視されて投 票されていた。

 無党派層がもっとも重要視した政策は、原発などエネルギー問題が最も多く24パーセントであり、次いで医療や福祉が18パーセント、景気や雇用が16パーセントだった。 無党派層がもっと投票所に足を運べば、違った得票率になっただろう。

 即脱原発問題はこれから本格化する課題である

 来年4月は統一地方選挙である。原発は地方に散在しておりその地域では最重要関心事になる だろう。脱原発で自然エネルギーを開拓するという課題は、技術立国の日本にとっては魅力あるテーマである。日本列島近海には、日本のエネルギーの100年 分のメタンハイドレートが眠っているという。

 メタンハイドレートを海底からくみ上げる技術開発に成功すれば、日本はエネルギー大国にな る。そのような具体的なテーマがありながら、国をあげてこのエネルギーの実用化に取り組む姿勢は出てこない。これは原発などの利権集団が、他のエネルギー 開発を消極的にブロックしているからと筆者は見ている。

 積極的にブロックすれば目立つが、他のエネルギー開発を無視したり開発予算も積極的につけ ないように放置しておくのは消極的ブロックである。エネルギー政策を国家的な視点で考えるのではなく、既得権益や事勿れ主義の中で考えているとしか思えな い。 企業・政治家・官僚・ジャーナリストの既得権益集団である。

 危険な地殻に立地されている日本の原発

 日本列島の地殻は、地球を覆っている4枚のプレートの衝突部に位置しており、世界的にも大地震多発国である。世界中でこの90年間に発生したマグニチュード7以上の地震は900回ほどあるが、そのうち約10パーセントは日本で発生している。

 マグニチュード8クラスの巨大地震は、日本海溝、南海トラフなどに集中して発生しているの だから、日本は元々原発の立地には適していない国なのである。細川さんを支援した小泉元首相も、「原発は安全、コスト安と専門家に言われて信じてきたが、 この大震災とその後の対応で間違いであることが分かった。脱原発して2年も経っている。再稼動する必要はない」と訴えた。

 万一、原発立地地帯に直下型大地震が発生して原発大事故につながれば、甚大な被災をこうむるだけでなく日本は世界から信用を失うだろう。そのような危険と隣り合わせでいるのだから、脱原発から新エネルギー開発に舵を切ることは最重要課題である。

 細川さんの知事選敗退は、終わりの始まりである。いまこそ脱原発から自然エネルギー開発への機運を盛り上げなければならない。

 

日々これ新たなり(6)「過ちては改むるに憚ることなかれ」

 
 「過ちては改むるに憚ることなかれ」=過ちを犯したことに気がついたら、体裁や対面、立場などにとらわれず、ただちに改めるべきだ。

  2014年2月2日、東京・銀座4丁目交差点で、細川護煕・都知事選候補の立会い演説のとき、小泉純一郎元首相の言ったこの言葉が頭から離れず、翌朝になっても小泉さんの絶叫を思い出していた。
 小泉さんは、行政トップの首相のときに、原発は安全でコスト安だと専門家に言われ、原発推進政策をしてきた。細川元首相も同じだった。

 しかし、大震災のあの原発事故を体験し、ヨーロッパ諸国などの実情を検分した結果、その知 識は誤りだったと分かった。小泉さんは、ドイツが脱原発に踏み切ったことや、自然エネルギー実現を目指して本格的に開発に取り組み始めたヨーロッパの国々 の実情を検分してきたことを語った。そしてこう絶叫した。

  「過ちては改むるに憚ることなかれ。私は騙されていた。それが分かったいま、これをただし、脱原発に舵を切った。若い世代に原発を残してはならない。細川さんと私の(元総理経験者の)2人がやむになまれぬ気持ちから立ち上がった」と訴えた。
 ライオン髪を振り乱して訴えたあのポーズとあの場面が、脳裏に焼きついて離れない。 

 この言葉に感動した。日本の総理大臣経験者で、国の根幹に関わるような政策について、過去の不明を国民の前で明確に語った人は初めてである。反省したのではなく、ここで明確に過去の不明、つまり過ちを認めて新たな政策転換に舵を切ったのである。

 2人の首相経験者が、同じ思いで都知事選で訴えていることを日本国民は真摯に受けたとめなければならない。 政治家に限らず企業人であれ組織のトップに居座っている人であれ、自身の過去の失敗や不明に直接関係する事がらを検証することを好まないのが普通である。

 まして自身の不明や瑕疵をあからさまに自ら語り、しかも方向転換することまで一般大衆の前 で宣言することは、歴代の政治家にはなかったことだ。 小泉元首相は、原発の安全性を信じてきた過去の「不明を恥じる」とまで国民の前で語った。そうまで語った元首相の脱原発宣言は、信念から出た言動である。 細川さんも同じである。

 小泉・細川両氏が自身で語っている要旨を言えば「原発を稼動していく負の遺産を後世の若い人たちに残してはならない。いま、われわれ(老年)が立ち上がらなければならない責任がある」との訴えは、真摯に受け止めるべきである。

 小泉氏は、演説の最後に声をからして訴えた。「われわれ(自身と細川氏)は、年も年だし長く活動できるものではない。しかし原発の問題は、若い世代の問題だ。是非、若い人たちに考えてもらいたい」(要旨)。若い世代の決起を呼びかけたものであった。

        

日々これ新たなり(5)「STAP細胞の発見に見る若い才能を伸ばすようになった日本の研究現場」

  STAP細胞の発見に見る
「若い才能を伸ばすようになった日本の研究現場」

 第3の万能細胞「STAP」を作成した理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子さん(30歳)とその共同研究者の成果は、日本の科学研究現場が間違いなく様変わりしてきたことを実感させたビッグニュースだった。
 ここで筆者が主張することは、小保方さんの才能の顕彰ではなく、彼女の才能の華を開かせた日本の研究現場への賞賛である。

 動物の組織・器官を製造する遺伝子を備えてコントロールする細胞は、長い間、神が作った領域のものとして私たちは崇めてきた。しかし科学の進歩、平たく言えば人間の飽くなき好奇心がこの聖域を徐々に侵し始め、神の領域の扉を少しずつ開き始めた。
 ノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授が発明したiPS細胞は、人工的に神の領域に踏み込み、人類の手で生命活動をコントロールできることを実証して世界中を驚かせた。

 小保方さんの成果は、iPS細胞の作製で難しい手法となっていた手順をきわめて簡略化し、臨床応用のときに危惧を抱かせていたがん化のリスクを低減できる可能性も示唆する画期的な手法の開発だった。
 この成果は再生医療の決定打になるだろうか。そうはいかないことを筆者は自信を持って主張することができる。科学研究には、自然現象の究極的な真理の発 見以外、決定打というものはほとんどない。画期的な成果の次に新たな研究テーマが提起され、その命題でまた科学者たちは必死に取り組む時間が与えられる。 科学研究の歴史的な流れを見ていると、数十年単位で展開されるその繰り返しである。

 多くの報道では、小保方さんの30歳という若さに焦点を当てているが、筆者はそれよりもこの若き才能を伸ばしてきた日本の研究現場の成長に、眼を見張り 賞賛したい気持ちになった。山梨大学の若山照彦教授と理研という組織とそのスタッフたちは、日本の科学研究現場の近代化に大きな貢献をしたと言っていいだ ろう。

 小保方さんがこの成果のきっかけに気がついたのは、留学先のハーバード大学で24歳のときだった。これは不思議でもなんでもない。この年代の頭脳は、過去の科学実績にとらわれず柔軟に独自の発想を膨らませる時期なのである。
 20世紀最大の物理学者とされるアルバート・アインシュタインは、スイス特許局の職員をしていた26歳のときに、光電効果に関する論文や特殊相対性理論を発表している。
20世紀最大の生物学の発見とされている遺伝子の塩基配列を解明しジェームズ・ワトソンが偉大な発見をしたのは25歳のときである。
 量子力学と生命科学の創始につながる偉大な業績を作った二人の天才は、かくも若き年齢でこのような成果を打ち立てた。

 日本人にもいる。2002年に「生体高分子の質量分析法のための穏和な脱離イオン化法の開発」でノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一さんが、この成果を発見したのは26歳のときだった。
 「ノーベル賞をもらうほどの画期的成果」を社員が出しておきながら、島津製作所はこの成果を企業活動に生かすことができず、それを生かして産業界に貢献したのはヨーロッパの企業だった。

 小保方さんの成果は、産業現場でなく学術現場でのものだが、彼女のひらめきとその実績を公正に評価し、後押ししたのは若山教授と理研の研究スタッフである。日本の研究現場は長い間、ともすれば出る杭を打ち若い才能を伸ばしきれないできた。
 芽を出しかけた才能に気がつかず、みすみすつぶす結果をつながることも数多くあった。長い間、科学研究現場を取材してきた筆者は、そのような事例を多数見てきた。
 しかし今回は、小保方さんの才能を認め、それを支援して画期的な成果へとつなげた点で日本の研究現場の進歩を見たと思った。

 小保方さんがノーベル賞に届くような成果をだしたことは間違いない。これが本当にノーベル賞に輝くかどうかは、このSTAP細胞が臨床実験に結びつき、さらに実際に再生医療現場で数々の実績を残したときである。
 常識的に考えれば10年かかる。しかし10年経っても小保方さんは40歳という若さである。日本の研究現場は、栄冠に向かってこの芽をさらに伸ばしてもらいたい。
 久しぶりに美味しいお酒を飲むことができた。
 有難う小保方さんとその研究仲間たち。

                               

日々これ新たなり(4)「大学の競争力とは何か」

                               
                 

  「めざせエベレスト! 山は登ろうと思わないと登れない」

  このようなスローガンを掲げて大学経営の年頭の方針を発表したのは、東京理科大学理事長の中根滋氏である。恒例になっている新年茶話会で、理事長ビジョンを5つのあるべき魅力としてパンフレットにまとめて出席者に配布した。

 第1の魅力は、科学の基本を学べる大学である。第2の魅力は、教えるのが世界一うまい大学 である。第3の魅力は、女性にも若手にも十分な自己実現のチャンスが開かれている大学である。第4の魅力は、卒業生がその大学生であることを誇りに思って いる大学である。第5の魅力は、世界がいちもく置く大学である。

 5つの魅力には、さらに各論的にあるべき大学の経営、方針が盛り込まれている。新年にあ たって、大学経営の最高ポストにいる理事長が、このように発信した姿勢に好感を持った。企業にあっては、よく見られることかもしれないが、大学経営者が大 学の教職員と学生に向かって、新年早々発信したその姿勢を評価するとともに、大学の競争力とは何かを筆者なりに考えてみた。

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 写真は、新年茶話会の3次会に、たまたま集合したメンバーの記念写真。 写真では、にこやかに笑っている面々だが、ここでかなり熱い論議が展開された。後列左端の中根理事長のお顔の表情に、その雰囲気が少々残っている。

 大学は研究と教育が双璧である

 筆者は読売新聞論説委員を最後にリタイアした後、縁があって母校の東京理科大学知財専門職 大学院の常勤教授として6年間勤務した。それまで母校とは縁もゆかりもなかったが、写真の前列右端にいる前理事長の塚本桓世氏から2003年に突然呼び出 しを受け、それから東京理科大学にかかわるようになった。

 取材する立場にあったときは、多くの大学人と会見し論議する機会があった。そのほとんどは 研究者である。新聞記者がニュースを求めて取材に行く研究者は、トップクラスの実績を出している研究者である。教育者としての大学人に取材したこともある が、やはり大学トップの人か特別の実績を誇っている人に限られていた。

 つまり筆者の体験では、日本のトップクラスの大学人、研究者と教育者から研究内容や見解を 聞き、それを社会に伝える役をしていたことになる。自分が大学の教員になったときに、今度は大学の当事者としての立場に立ったことを意識し、それまでの取 材内容を考える機会がたびたびあった。

 過去の取材で蓄積した人脈があればこそ、多くの難問を解決する手段が見つかり、その活動の中で自分を磨く機会も出てきた。筆者は教員という立場よりも、学生、研究生という意識を持つことにし、自分の研究室に所属した院生諸君とともに研鑽する日々でもあった。

 筆者が担当した科目は、知財戦略論、科学技術政策論であり、このほかに修士論文を書く院生 諸君を指導する立場になった。自分自身を客観的に見れば、知的財産に関する法律や制度を学術研究してきたものではなく、ジャーナリストとして知的財産に関 わる内外の動きや政策を見聞し、本に書いて発表してきた実績はあった。

 つまり筆者にとっての専門知識は、実学で蓄積した知的財産に関する情報であり、ジャーナリ ストとしての勘から得られる内外の動向とそれへの対応の検証である。たとえば筆者は、中国が驚異的な速さで工業化へと発展するその状況をつぶさに観察・検 証し、それと同時平行で雲が沸く如く出てきた模倣品被害の実体の取材と中国の知的財産制度の動向取材であった。

 このテーマには、誰にも負けないと思うほど中国通いをして現場から取材し、その視点で「中国ニセモノ商品」(中公新書ラクレ、2004年)と「変貌する中国知財現場」(共著、日刊工業新聞社、2006年)の2冊も上梓した。

 顧客満足度にこだわった

 大学の顧客は、学生・院生である。特に筆者が教員をしていた専門職大学院とは、社会で実務 上役立つ人材を育成する大学院である。学術研究だけではなく、実務的な研究をすることが最大の目標になる。在籍する院生は、学部からストレートに進級して くる院生と、社会人の学び直しに大別される。

 筆者が教員として最も意識していたことは、顧客満足度である。学部から進級してきた院生の 最大の目的は就職活動にある。自分の希望する企業や機関にうまく就職できるかどうか。社会人院生は、個々人の目標があるので多面的になるが、知的財産とい うキーワードでくくることができる。

 このような個々人、つまり顧客がいかに満足するか。満足してもらうために教員として何をす るべきか。それをいつも考えていた。 学術的な知識を蓄積した教員ではなかったが、現場取材で鍛え上げた情報だけは、誰にも負けないという自負があった。そうでなければ専門職大学院の教員は勤 まらない。

 いま、筆者の過去を振り返りながら自己反省もしたが、教員の役割は現場を離れても捨てたわ けではなく、研究室を出て行ったOG、OBとのつながりは大事にしているし、これからも共に研鑽する日々になるだろう。大学の競争力とは、中根理事長がス ローガンとして掲げた文言はむろん意味があり、これは教員、学生たるもの意識の底にいつもしみ込ませておく必要があるだろう。

 日常的に活動する教員にとっては、研究以外にも雑多な仕事があり、筆者が最も力を入れてき た就職活動や社会人院生との共通認識に立った実践研究こそ、大学の競争力の末端を支える要因になっていると確信している。その観点に立っている大学教員 は、どれほどいるのか。そういうことを知りたいと思うこともあった。

 中根理事長の年頭スローガンは、多くの示唆を筆者に残し、そしてこれからの活動に道筋をつけたものでもあった。

                                

日々これ新たなり(3)「安倍首相の靖国神社参拝に想う」

  安倍首相が、12月26日、靖国神社を参拝しました。この時期に参拝したのは、「政権一年、不戦の誓いのためだった」と語っています。

 これは一国を代表する首相の行動と発言としては、甚だ個人的な行動と感慨であり国民を代表する立場のものではない軽率な言動と思いました。靖国神社は誰 もが知っているように、これまで日本が関わってきた戦争で命を落とした英霊を祀ってある神社です。その神社を参拝することに誰も異議をとなえません。

 しかし国を守ろうとして命を捨てていった多くの兵士の純粋な命と、太平洋戦争の開戦を主導し廃墟と化すまで戦争を遂行した当時の日本の指導者が、一緒くたに祀ってあるところに筆者は甚だしい違和感を持っています。

 筆者に言わせれば、あの太平洋戦争を主導した当時の日本の指導者は世界の歴史に残る愚者でした。

 「純粋な魂と愚者の魂」を一緒くたに祀ってあるところに筆者は違和感を覚え、靖国神社の神殿の前まで行くことがあっても手を合わせたことはありません。

 家族を思い国を思い、帰還率ゼロの戦闘機に搭乗して太平洋の藻屑と消えていった若き特攻隊員や、母国から遠く離れた島々や地域の劣悪な戦場で散っていっ たおびただしい兵士たちと、終戦時まで愚考の日々の中で生き延びてきた指導者が、一緒くたに祀ってある神社に手を合わせることはできません。

 まして、安倍政権発足から1年などという節目は、安倍首相の個人的な感慨であり、日々苦楽を体験して生きている大半の国民にとって、安倍政権1年目などなんの意味もありません。そのような個人的なことを理由にあげることには、国民として恥ずかしい思いでいっぱいです。

 歴史作家・司馬遼太郎は、次のような言葉を残しています。

 「大東亜戦争は、世界史最大の快事件であろう。常識で考えても敗北と分かっているこの戦争をなぜ陸軍軍閥がおこしたのか」、「昭和軍閥を動かした連中 は、陸軍人であったが日本人ではなかった。われわれ日本人は、陸軍人という人種によって国家や家庭を破られた」(司馬遼太郎の著作より引用)

 昭和天皇は、毎年、靖国神社に参拝していましたが、東京裁判のA級戦犯が合祀されていることが判明した年から参拝をやめました。今の天皇陛下もそれを踏襲しています。それには重い意味があると斟酌するのが常識です。

 まして、近隣の国が外交問題にしようと手ぐすね引いて待っている問題に、首相自ら火をつけるという愚挙に対し断固として抗議します。

 このような浅慮の指導者と国という現実を世界に発進したことに、暗澹たる気持ちになりました。

                                

コラム・日々これ新たなり(2)「中国の月探査実現はIT産業革命の象徴だ」

                               
 中国の月への軟着陸成功は世界で3番目

 中国の月面探査車が活動を始めた。中国の宇宙探査の実力は、この10年であっという間に世界トップレベルへと躍り出てきた。驚くべき進展である。先ご ろ、「嫦娥(じょうが)3号」が月面に軟着陸し、月探査車の「玉兎(ぎょくと)号」がゆっくりと滑り出し、月面にわだちを付けた実績は、1966年の旧ソ 連、米国についで世界で3番目である。

 宇宙探査技術は、先端技術の粋を集めたものであり、一国の技術水準の指標とみなしてもいい。中国が21世紀に入ってから次々と宇宙活動を進展させてはいたが、このような短期間に月面活動まで達成できるとは世界中のほとんどの科学者は予想していなかったのではないか。

 筆者は、アメリカのスペースシャトルの打ち上げで2回、旧ソ連のソユーズ打ち上げで1回、それぞれ現地まで取材に行っている。 轟音とともに天を目指して上昇していくロケットの迫力と、そのロケットを地上からコントロールする「ミッション・コントロールタワー」を見ると興奮せざる を得なかった。

 米国フロリダ州のケープケネディの打ち上げサイトには、大勢の見物人が集まっていたが、上昇していくロケットを仰ぎ見ながら感動で涙を流している人もいた。人間が搭乗したロケットが宇宙を目指して上昇していく光景は感動を呼ぶのである。

 トータル・サイエンスを駆使する宇宙活動

 地球周回軌道に乗った宇宙船を地上からコントロールする基地は、打ち上げサイトとは別の都市にある。米国の場合、ヒューストンでありソ連の場合はモスクワにあった。打ち上げるとすぐに、飛行機でヒューストン、モスクワに移動して、宇宙船の飛行を見守ることになる。

 ロケットの打ち上げ、月への軟着陸、月面探査車の地球からのコントロールなど全てを成功に導くには、相当な技術力がなければできない。宇宙で活動する全ての装置の材料も、宇宙の過酷な環境に耐えなければならない。総合的な科学技術力がなければ成功しない。

 中国がこうした科学技術力を急速に力を付けたのは、IT(情報技術)の進展とともにコンピュータ化による「デジタルもの作り」が普及したからである。従来のもの作りの先端技術は、技術開発をピラミッド型に積み上げ、その頂点が最先端技術という姿になっていた。

 しかし1990年代からITの普及に伴って、もの作りの現場はデジタル化が進み、従来のような積み上げ式でピラミッド式に積み上げなくても、いきなり頂 上を目指すことが可能になった。有線電話を引かずにいきなり無線通信による携帯電話が普及したように、旧来の技術の上に立って次のステップへという手順を 踏まなくても、あたかもヘリコプターで頂上に舞い降りるように、いきなり頂点を極めることもできるようになったのである。

 資金力が技術革新を推進する

 中国にとってもう一つ大きなファクターは、カネがあることだ。90年代から「世界の工場」になってあらゆるものを作り、それを世界に供給して「荒稼ぎし た」と言ってもいい。巨額の宇宙開発予算を生み出し、国威発揚、軍事への応用などを視野に入れれば、宇宙開発は中国にとって最も野心的な科学技術プロジェ クトであった。

 ITによる産業革命は、90年代後半から始まっていると筆者は見ているが、その恩恵をもっとも得ているのは中国である。宇宙開発への挑戦と実績という形 になったものを見せられ、IT産業革命の象徴的現象を目撃した気持ちになる。この先中国は、宇宙開発をどのように人類に役立てようとしているのか。

 米国主導で始まっている国際宇宙ステーション(ISS)と、どのように中国は折り合うのか。有人宇宙活動で月面を歩く実績をいつ実現するのか。 興味は 尽きない。中国の先端宇宙技術が、やがて頂上から裾野へと広がり、中国の工業力にどのように影響を波及させていくのだろうか。

 中国の月着陸と月面活動を見て、21世紀の新しい科学技術の動向を見たように思った。

              

     「日々これ新たなり」を新設しました

 この欄は、身辺に起こった雑多な出来事をもとに何かを考え、はたまた素朴な感想や喜びや悲しみや怒りを書くエッセイにしたいと思います。

 11月24日(日)

 最高裁判決を「助かった」と漏らした高村副総裁

 今朝のNHKの日曜討論で取り上げられた一人一票実現運動訴訟に対する最高裁判決について、各党の代表者がそれぞれの主張を出し合った。この中で高村正彦・自民党副総裁は「最高裁判決は助かった」と漏らした。本音がちらっとでてしまったという感じだった。

 この言葉の裏には、「最高裁に助けられた」というニュアンスが色濃くにじみ出ている。立法府と司法府が「阿吽の呼吸」でつながっていることをはからずも語ってしまったのではないか。

 最高裁が憲法に基づいた法理で裁けば、「違憲、人口比例選挙でないから選挙無効」となるのだが、そのような判決では、国会が混乱して困るだろう。ここは 「執行猶予付き違憲」としてこの場を助け、課題先送りにするから国会であと始末はしてほしい。そういう球を投げたものだ。

 国会は、ストライクゾーンから外れた球を見て「助かった」と思い、次の瞬間、最高裁に助けられたとも思っただろう。阿吽の呼吸とは、相手の状況を見て互 いに微妙な気持ちと調子を合わせることである。「阿」は口を開いて発音するので「吐く息」のことであり、「吽」は口を閉じて発音するので「吸う息」のこと である。

 阿吽の呼吸は、物言わずして互いに心情を通わせる雰囲気でもあり、司法と立法がこの手法で互いに利害を分け合ったという言い方でも間違いないだろう。

   

阿(左)吽(吽)の狛犬は神社・仏閣を守っている

 神社や寺院の入り口に獅子に良く似た狛犬が左右に向き合う形で置かれている。この狛犬は、どちらかが「阿」と発し、どちらかが「吽」と発している。阿吽 の呼吸の狛犬は、神社・仏閣の魔よけになっている。 司法と立法は、阿吽の呼吸の狛犬となって、国民世論から自分たちの身を守ったということではないか。

                  

自伝・知財立国に取り組んだ日々 その8

    日本では特許を侵害しているとして企業が訴えられても、侵害を立証するのは原告側だから至難の業である。たとえ侵害をみとめられても、損害賠償金は小額で済むから産業界の間では「侵害し得(しんがいしどく)」という言葉が飛び交っていた。

 実際には大企業間で特許侵害訴訟までいくのは非常に珍しい。侵害の疑いのある揉め事があると、大体はクロスライセンスにして収めてしまう。大企業間のまあまあ体質が知財の世界にも色濃く横たわっていた。

 これが大企業と中小企業になると様相は一変する。特許の権利を持っているベンチャー企業や中小企業と大企業が特許をめぐってトラブルになると、大体は中小企業の泣き寝入りになることが多い。

 たとえば世界的にも知られているある大企業が、ベンチャー企業の技術を盗み、ある製品を大量生産して市場に出していた。侵害は明白であり、ベンチャー企業側からの警告を受けて初めて大企業は和解で切り抜けた。裁判になれば負けると思ったからだ。

 この実例は、聞けば聞くほどあきれてものが言えないという話であった。世に出せばどれだけ、その大企業はダメージを受けるかしれない。これは公表 するべきだとベンチャー企業の社長を説得したが、和解条項の中に守秘義務が入っているので出来ないという。もし、これを破ってまで公表すると、今度はこの 業界では食っていけないとも言う。つまり大企業はダメージを受けないように出来ている。

 侵害を受けた多くのベンチャー企業は、最後まで闘う余力はない。和解内容に多少不満であっても、早期解決を図らないと自社の営業活動に支障が出る。特許がものをいうのは技術力ではなく、その特許を持っている企業の資本力である。

 そのような状況を聞いていたので、1998年(平成10年)度と1999年(平成11年)度の特許法改正の特許庁審議会の委員になった筆者は、声を大にして中小企業からの立場で侵害立証を容易にする法制度の構築を主張した。
 裁判所を代表している委員や大企業の委員は、筆者の主張に反対する意見を述べていたが、この2つの改正では次のような点が改正された。

1998年(平成10年)度特許法改正
・特許権等侵害に対する民事上の救済及び刑事罰の見直し(特許法第102条)
・願書の記載項目中「発明の名称」の削除(特許法第36条)
・先願の地位の見直し(特許法第39条)
・優先権書類のデータの交換(特許法第43条)
・特許料及び手数料の取扱い(特許法第107条、第195条)
・無効審判の審理促進(特許法第131条)
・証明書等の請求の規定の見直し(特許法第186条、第66条)

1999年(平成11年)度特許法改正
・審査請求期間の短縮(特許法第48条の3)
・訂正請求の見直し(特許法第120条の4、第134条)
・審判書記官制度の創設(特許法第144条の2、第147条、第150条、第190条)
・特許等の権利侵害に対する救済設置の拡充(特許法第104条の2~第105条の3、第71条、第71の2)
・特許存続期間の延長登録制度の見直し(特許法第67条~第67条の3、第159条)
・申請による早期出願公開制度(特許法第64条~第64条の3、第9条、第14条、第17条の3、他)
・裁判所と特許庁との侵害事件関連情報の交換(特許法第168条)
・新規性阻却事由の拡大(特許法第29条)
・新規性喪失の例外規定の適用対象の拡大(特許法第30条、第184条の14)
・分割・変更出願に係る手続の簡素化(特許法第44条)
・特許料金の引き下げ(特許法第107条)

 平成10年、11年の特許法改正は、日本の知財現場で大きな転換点となった。改正の重要案件の第1は、特許権等侵害に対する民事上の救済及び刑事罰の見直し(特許法第102条)である。

 そして第2が、審査請求期間の短縮(特許法第48条の3)である。それまで7年間だった審査請求の猶予期間が3年に短縮された。さらに第3は、申請による早期出願公開制度(特許法第64条~第64条の3、第9条、第14条、第17条の3、他)の設置である。

 日本はそれまで、特許大国と呼ばれていた。1986年から95年までの10年間の日本の特許出願件数は、約366万件でありアメリカの約174万 件の2倍である。ところが、生きている特許、つまり活用されている特許ストックを見ると、アメリカは111万件であるが、日本は68万件でしかない。
 さらに特許請求項に書かれている発明の数は、1出願あたりアメリカは日本の3倍になっている。実力はアメリカが抜き出ていることが分かる。

 さらに7年間という審査請求期間の差が、特許取得時期に大きな影響を与えていることが分かった。
 日本の企業が、1985年に日本特許庁に出願し、同時にアメリカとヨーロッパ特許庁にも出願したケースを10年間追跡して比較したものがある。

 日本で出願したものが特許になった件数は、2690件でしかないが、アメリカでは6566件も特許になっている。ヨーロッパでは5374件だ。アメリカでは、出願した件数よりも増えているのは、出願後に分割して複数の出願にしたために増えたものだ。
しかも特許取得時期を比べると、アメリカは出願から3年後にピークがあり、ヨーロッパは5年後、6年後にピークがきている。これに対し日本は9年後にピークがきており、明らかに特許の有効期間で見ると日本は短い。つまり寿命の短い特許を取得していると言うことだろう。
 これでは、世界で技術競争をしても負けるのではないか。たとえば次のような調査結果が出ている。

 平成10年に通産省のイノベーション研究会が出した報告書によると、アメリカ商務省(DOC)がアメリカ人を対象に調査した発明調査の結果は、日 本人にとってショックである。私たちの身近にあるハイテク製品38品目について、発明した人とそれを新製品にした人と商品化した人を、日米欧のいずれであ るかを聞いた調査結果である。

 38品目のうち日本人が発明したものは一つもない。まさかと思うが、原理原則はみな欧米人が発明したものだ。新製品化とは、発明に基づいて製品にするために研究・開発することだが、こちらも日本人は2つしかない。

 ところが、市場へ出す商品化になると、とたんに24品目を占めて圧倒的に強くなる。日本人は商品化することは得意だが、世の中にないものを発明して世に出していく資質が欠けているということになる。

 製品を作る製造工場の工程では、創意工夫して優れた製造現場を作ってしまうが、新しい製品を世の中に出していく才能には欠けている。プロセス・イ ノベーションには強いが、プロダクト・イノベーションには向いていないということになる。これではいつまで経ってもキャッチアップ思考、状態から抜け出せ ないのではないか。

 日本人の発明は、本当に価値があるのだろうか。製品化する技術には優れていても、新製品を生み出す資質にかけている民族なのだろうか。そのような疑問が次々とわいてきたのである。

               
                                
                
 自伝・知財立国に取り組んだ日々 その7
                               
                 

 このシリーズでも触れているように、日本の中央行政官庁が知財重視に大きく舵を切ったのは、1996年7月 に荒井寿光長官が就任してからである。特に「21世紀の知的財産権を考える懇談会(座長:有馬朗人・理化学研究所理事長)」の報告書が世に出てからは、産 業界も学界も特許に強い関心を持つようになっていた。

 筆者は、科学技術の研究開発に取り組んでいる人に会う機会が多かったが、この報告書が出てから、にわかに特許に注目する人が増えてきていることに 気がついた。アメリカの研究者は、「右手に特許、左手に論文」というのが当たり前であり、論文よりも特許を重視しているという話も伝わってきた。

 いま振り返ってみると、あの当時、多くの人たちは、世界が変わりつつあることを感じ始めていたのである。日本の高度経済成長を推進してきた産業技術は成熟し、新しい技術革新を起こさない限り競争力を得ることはできないことを、誰言うともなく肌で感じ始めていた。

 それこそが、筆者が主張してきたIT(情報技術)を推進ツールとした第三次産業革命の勃発である。高度で専門性の高い産業技術でなければ、競争力を得ることはできない。それはとりもなおさず特許に囲まれた技術開発でなければならない。

 品質のいいものを安く、大量に製造する時代は過ぎ去ったのである。誰も考えなかった世界初のアイデアや技術を駆使した製品やそれまで存在しなかった機能を持った製品を開発して市場に投入しない限り、企業は競争力を持つことはできなくなってきた。
 
 基礎研究に裏付けられた大学の研究者たちが開発した技術をもとに、大学発のベンチャー企業を起こしたり、産学連携による技術移転が必要になったのは、産業技術が理論的な限界を追い求めるようになったからであり、それが時代の趨勢であった。

 大学の研究者による基礎研究の成果が実用レベルになるのは、20年から30年かかると言われていた。しかしインターネットであらゆる情報が瞬時に 世界を駆け巡り、コンピューターとソフトが世界中に普及したために、モノ作りの現場が標準化され、いいものを安く大量に生産することは、誰でも出来るよう になっていた。

 日本で、にわかに知的財産権のテーマが浮上してきたのは、このように産業技術の進化と世界的な産業構造の変革によるものであり、知的財産権を取り巻く諸制度もこの変革に合わせたものでなければ産業競争力を得ることはできない。
 しかし特許を取り巻く制度は古びたままになっていた。

 荒井特許庁長官は、その制度の抜本的な改革に乗り出した。法制度は社会の実態があって初めて構築するものであり、法制度は社会が作るものであっ て、法律家が作るものではない。特に特許法を始め知的財産権を取り巻く法制度は、一国の産業競争力の確保という国際的視点も入れた制度でなければ意味がな い。

 それまでの特許制度は、どちらかというと産業界の意見や意向を取り入れるものではなく、行政と法律家主導で構築していた。産業界には、その不満も 鬱積していた。しかしその一方で大企業は、制度が不備であることに気が付きながら、その制度に合わせていくことに精いっぱいであり、特許庁に意見や希望を いうことなどまったく考えていなかった。

 そのころ筆者が企業の特許部の人たちにインタビューして最も強烈な印象を受けたのは、「大事な特許訴訟は欧米でします」と明言していたことだ。企 業同士が特許紛争になった場合、アメリカで訴訟を起こして決着をつけようとしているのだ。自分の国の特許制度や司法判断を信用できない実態を知ってびっく りした。

 そのような状況をとらえて、荒井長官は矢継ぎ早に特許法改正に着手し、後任の長官は弁理士法改正へと動き出していく。
 
 1997年に特許庁長官の諮問機関として特許法改正のいわゆる審議会が設置されその委員に筆者も委嘱された。その第1回の委員会で、筆者は「日本の特許 紛争は、侵害したほうが得するようになっている。原告が侵害を立証することは難しく、仮に原告が勝った場合でも損害賠償金は小額である。これは制度が悪い からであり、抜本的に改正しない限り、知的財産権を重視するような社会は生まれない」という趣旨の発言をした。

 これに対し裁判所の代表となっていた委員から、猛烈に反発する意見が出された。その委員とはその後も、多くのことで意見衝突した。「現行法制度の 枠組み」という考え方もこの審議会を通して知ることになる。要するに制度が先にあって、企業や社会がそれ合わせるのであり、社会の実態に合わせて制度を作 るという考え方ではないように見える。

 この審議会では、特許の侵害に対する民事上の救済や刑事罰の見直しが大きなテーマになってきた。また同時に、特許出願後に7年間という長期間の審査請求期間を設けていることも、もはや世界の潮流に合わない制度であることも指摘されるようになっていた。

 どのような審査であっても、審査請求をするかどうか7年間も猶予期間があるなどとは聞いたことがない。なぜ、7年間の猶予なのか。聞いてみると、特許庁の審査が間に合わないので、審査案件がたまっていく。猶予期間を置いて審査を緩和するという。

 企業側もそれでいいという。とりあえず出願しておいて、事業の展開と技術開発の進展を見て審査請求するかどうかを決める。企業にはその方が都合がいいというのだが、日本の企業全体がそのような制度の中で「都合」よく考えているのではないか。
 筆者にとっては、驚くような制度だった。

                                

自伝・知財立国に取り組んだ日々 その6

   知的財産権の重要性を明確に認識させた最初の知財報告書「21世紀の知的財産権を考える懇談会(座長:有馬朗人・理化学研究所理事長)」の衝撃は、日本の産業界、大学、研究機関、官界、政界などあらゆる分野に静かに広がっていった。

 「知的財産権」という言葉自体が新鮮な響きを持っていた。そのころ一般的に「知的所有権」という言葉が使われていた。これは 「Intellectual Property」を「知的所有権」と翻訳したためであり、国際的な機関であるWIPOは「世界知的所有権機関(World Intellectual Property Organization)」と言われていた。

 この機関名の日本語表記は今でも「知的所有権」と変わっていないが、これは固有名詞として使用した場合は変えないという慣習に従ったのだろう。

  「21世紀の知的財産権を考える懇談会」の報告書が出てから間もなくである。法律専門書の出版社である法学書院から、工業所有権の初歩的な啓発 書を書いてほしいとの出版要請が持ち込まれた。特許、実用新案、意匠、商標の4権を工業所有権と呼んでおり、その慣習で工業所有権だという。

 この連載の「その4」でも書いたように、当時の特許庁長官、荒井寿光さんと共著で特許に関する本を出そうとしても引き受ける出版社がない。それで 断念した経過があったから喜んで引き受けることにした。出版社の意向を聞くと特許庁長官と共著で出すような内容ではなく、初歩的で一般啓発書を求めてい た。

 そのころ筆者は「21世紀構想研究会」を創設し、多くのベンチャー企業創業者、官僚、大学人と討論する機会があったが、一般的に知的財産権という 認識はまだ希薄であった。21世紀構想研究会の事務局を手伝っていた弁理士の伊藤哲夫さん、主婦の君島美那子さんらと話をしているうち、3人で共著にしよ うという話になった。

 伊藤さんは、26年間にわたって特許庁の審査官、審判官、審判長などを務めた知財のプロであり、君島さんは大学を卒業後、出版社に勤めており著作権についてのプロである。それぞれの分担を決めてまず目次を作った。
 
 編集者と何度か打ち合わせをしたが、出版社の意図は初歩的な知識の啓発だから本のタイトルにも「やさしい」という言葉を付けたいと言う。そのとき、知的 財産権という言葉を使うか知的所有権とするかで意見が割れた。出版社側は「知的所有権」でいきたいという。まだ、知的財産権という言葉は市民権を得ていな かった。

 結局、本のタイトルは「やさしい知的所有権のはなし」(法学書院)と決まり、3人の分担執筆で取りかかった。この本をいま広げて見ると、初歩的な 知識のほかに当時の知財の話題がかなり盛り込まれており、「21世紀の知的財産権を考える懇談会」の報告書からの引用もされている。

 教本的な知識だけでなく、知的財産権の初歩的な知識を、興味を持たせて読ませようという意図が感じられる。知的所有権という言葉は、2002年7 月3日に策定された政府の知的財産戦略大綱で、明治時代以来用いられてきた「工業所有権」が「産業財産権」と改められ、「工業所有権法」も「産業財産権 法」と改められた。同時に「知的所有権」も「知的財産権」と改められ、新しい時代の到来を告げることになる。

 1998年1月10日付けの読売新聞社説は、「日本活性化」という総合見出しの中で「技術立国めざし基盤整備を急げ」というタイトルで筆者が書い ている。新年を迎えるとどの新聞社の社説も、政治、経済、国際、社会、科学技術などのテーマで毎日、大型の社説を書くことになっていた。

 その慣例で筆者は、科学技術分野で書いたものだが、いま読んでみるとまずユニークな書き方をしていることにびっくりする。インクスの山田真次郎氏 の実名を出し、あたかも連載物の冒頭のような書き出しで社説を書き始めている。そして自動車1台の部品は約2万点あり、その情報がデータベースとなり、自 動車製造工程がコンピューター化されてきた現場を紹介している。

 そのころからあらゆる製造現場では、コンピューターによる設計へと様変わりし始めており、コンピューターに内蔵されたデジタル情報でモノ作りを完 結し、物理的な製造物は最後の工程で出てくる。モノ作りの現場で活躍した熟練職人は必要性が小さくなり、コンピューターが幅を利かす時代に入ってきたので ある。技能が技術化されて、デジタルファクトリーという言葉も出てきた。

 山田真次郎氏は、その状況を「情報工業化」と命名し、独自の構想を実現するため果敢にITモノ作りを目指し、工程の改革に挑戦していた。社説の前半は、山田氏の挑戦と製造現場の変革を語りながら、いま起きている変革に対応しないと日本は沈没することを警告している。

 そして社説の後半は、アメリカの知財戦略を紹介しながらこのIT変革に勝つためには知的財産権を強化し、特許裁判所の創設を含めた知財の体制強化 を主張している。さらに大学と国研の制度が古びていることを指摘し、国研の再編と大学研究現場の活性化を激しく主張している。1998年当時の科学技術、 研究開発、大学、公的研究機関、知的財産分野などの課題がすべて網羅されているような社説になっている。

 この社説が掲載された前日の1998年1月9日、ノーベル化学賞受賞者の福井健一博士が亡くなった。筆者にとってもっとも入魂にお付き合いした科 学者の一人であり、欧州と国内を一緒に旅行する機会が数多くあった。その道々、福井先生から示唆に富んだ話をたくさん伺った。その類まれな洞察力と日本の 科学研究現場に常に想いを致してやまなかった偉大な科学者であった。

 筆者は、1月11日付け社説で「寛容の自然観を説いた研究人生」とのタイトルで追悼文を書きあげた。ゲラを読んでいるとき、福井先生の在りし日の姿が彷彿と湧きあがり、活字がかすんで見えなくなった。
 福井先生は、特許には非常なこだわりをもっている科学者であり、日米欧で35件の特許出願をしていた。

 福井先生はそのころから、野依良治博士のノーベル賞受賞は間違いなしと予言していたが、野依先生はその予言通り2001年にノーベル化学賞を受賞 する。野依先生はその当時、日米欧で270件の特許出願をしており、歴代のノーベル化学賞受賞者の中でも突出している特許出願人の科学者であった。

 筆者は、ノーベル賞受賞者のフォーラムを担当したため、多くのノーベル賞受賞者にインタビューする機会があった。ノーベル賞授賞式に行ったこともある。身近に接するノーベル賞受賞者たちは、実に多彩な人柄と才能にあふれていた。

 ノーベル賞と特許というテーマについても、その中から生まれた。特許庁の幹部にその話をしたら、1980年以降のノーベル賞受賞者と特許について調べてみたいと言い出した。これは筆者にとって望外の喜びであった。
 特許庁は、その約束を2000年になって実現した。後で聞いたところでは、かなりの費用がかかったという。日米欧の特許をすべて調べるのだから個人ではできないことだ。この調査は、2000年時点の1回だけで終わっている。当時の調査結果は次のとおりである。

ノーベル賞受賞者と特許1981―2001年までの21年間(特許庁調べ)
 特許出願した受賞者
 物理学賞       27人(56%)
 化学賞        25人(60%)
 生理学・医学賞     23人(48%)

ノーベル賞科学3分野受賞者の特許出願トップ3
物理学賞
キルビー 2000年 129 集積回路
ビニッヒ 1986年 92 走査型トンネル電子顕微鏡
ジェーバー 1973年 83 半導体トンネル効果
化学賞
野依良治 2000年 270 キラル触媒による不斉水素化反応
レーン 1987年 95 クラウン化合物の合成
ヒーガー 2000年 91 導電性プラスチック
生理学・医学賞
ハウンズフィールド 1979年       192  エックス線断層撮影
シャレイ 1977年 134 脳のペプチドホルモン生産
ヒッシング 1988年 123 薬物療法の重要な原理

  
             

自伝・知財立国に取り組んだ日々 その5

                               
                 

 知財の意識革命を喚起した最初の報告書 
 日本の産業界、大学、研究機関、官界、政界などあらゆる分野に知的財産権の重要性を明確に認識させたのは、1996年12月、荒井寿光・特許庁長官の諮 問機関として設置された「21世紀の知的財産権を考える懇談会(座長:有馬朗人・理化学研究所理事長)」の報告書である。

 これが、日本で知財意識を目覚めさせた最初の歴史的報告書である。後日、座長の有馬先生に会った折にそのような話をしたら「私もそう思う」と明確に言っていたのを思い出す。

 それまで知的財産権という言葉はあまり使われていなかったが、この懇談会で初めてその言葉の意味と世界の状況を紹介し、日本の置かれている立場を分析して21世紀に備える日本の指針を示した。

 しかもこの報告書では、知的財産権を生み出す最も重要な基盤になる日本の科学研究現場の後進性をずばりと衝いている。科学ジャーナリストなどと語っていた自分は、いったい今まで何をしていたのかという思いをした。

 この報告書を筆者が最初に見たとき、本当に衝撃を受けた。その内容は、来るべき21世紀は、研究開発や社会全体に大きな変革をもたらす「情報化」と、国境を越えた大競争をもたらす「グローバル化」の2つがキーワードになることを示し、次のような警告を発した。

 まず第1に、その年の前年に策定された第1期科学技術基本計画を受けて、「科学技術創造立国」を実現していくためには、基本技術中心の研究開発、研究成果の権利化、経済財としての権利の活用による知的財産権と知的創造サイクルを築き上げることが必要である。

 日本のそれまでの実情を見ると、研究開発の成果が国際的な競争力の源泉になっておらず、技術貿易収支からみると輸入国である。また海外での特許出願、特許取得を見るとアメリカから大きく遅れている。
 荒井寿光特許庁長官は、「知財分野では、アメリカから1周遅れている」と語ったが、まさにそのような感じだった。

 アメリカの知財戦略は、1980年代から始まっていた。知財戦略に対するおもな動きを1998年までの年表にすると次のようになる。

1980年 アメリカで史上初めて、微生物を特許と認める
      バイ・ドール法を制定(大学から民間への技術移転を促進する法)
1981年 ソフトウエア特許を認める(アメリカの知財強化と産業競争力の強化)
1982年  連邦巡回控訴裁判所(CAFC、アメリカの知財高裁)を創設。
1985年 「ヤング・レポート」がまとまる。(アメリカの産業競争力を強化するための政策提言)
1986年  「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」
      (TRIPS=トリプス)の交渉が始まる。(知財保護を前提とした自由貿易の協定)
1988年  国際貿易委員会(ITC)の権限強化(アメリカの知財保護の制度強化)
1995年   トリプス協定がまとまる。仮出願制度を創設(アメリカの知財制度の強化)
1996年   経済スパイ法を施行(アメリカの知財保護の強化)
1998年   ビジネスモデル特許を認める(アメリカの知財権利の強化)
      カーマーカー法(線形計画法のアルゴリズム)特許成立(アメリカの知財権利の強化)

 21世紀は知的創造時代になるのは確実であり、知的創造サイクルを加速化するには、研究開発の成果を活用することが極めて重要である。アメリカは80年代から知的財産権を重視し、国の競争力を強化してきており、日本は大きく水をあけられている。まさに1周遅れであった。

 21世紀の日本は、国全体として知的財産権の価値を再認識し、それを最大限に高め、有効活用していくという「知的財産権についての意識革命」が必要だ。

 この報告書は、このように問題意識を提起したあと、今後の指針として次のような項目を示した。

*産業界は、企業経営戦略の中での知的財産権戦略を抜本的に強化すべし。
*大学と研究機関は、研究開発の成果は知的財産権として確立すべきだ。
*行政は、特許重視(プロパテント)政策とそのための知的財産権インフラの整備をするべきだ。

 そして21世紀の知的財産権の目指す方向として、産業界、大学・研究機関、行政の目指す方向として次のような指針を示した。

第1.知的財産権の「広い保護」
第2.知的財産権の「強い保護」
第3.大学・研究所の「知的財産権振興」
第4.「特許市場」の創設
第5.「電子パテント」の実現
第6.「発展途上国協力」の推進
第7.「世界共通特許」への道
第8.「知的財産権政策」の国家的取り組み

 筆者は、この報告書に盛り込まれている各種データと分析結果、そして提言を何度も読みながら、21世紀は違う時代になるのだという認識が明確に広がっていくのを感じた。
 その感慨が後々、「時代認識」という言葉となって自身の思考と活動に関わるようになる。

 自伝・知財立国に取り組んだ日々 その4

                              
                 

 本の出版を企画するが受ける出版社がない
 前回まで既述したように、筆者はさまざまな知財関係に関係する人々との出会いによって、知的財産権についての現状認識と知識が蓄積されていった。
 その知識を元に97年の夏にかけて、筆者は荒井特許庁長官と共著本を書くためにまず目次を作り、それに前文を添えて出版企画書を作った。事前に荒井さんの了解を得て出版社に働きかけてみた。

 まだ知的財産という言葉は「業界言葉」だったので、「特許を見れば世界がわかる」「特許情報は宝の山」などいくつかのタイトルを提示した。こうしたタイトルは、荒井さんの講演資料から取ったタイトルであり、荒井さんはそのようなキャッチを作るのが実にうまかった。

 目次を作った段階で、魅力的な知財啓発書になると自負した。これならすぐにでも出版できるのではないか。しかし実際に動いてみると、どこの出版社も引き受けてくれない。
 知的財産と言うと「それは学術書ですね」と言う。「特許」と切り出すと「専門書ですね」と言う。その内容を説明しても分かってもらえない。

 さまざまな人脈を使って6つの出版社に話をしたが乗ってこない。落胆の中でこの共著企画はご破算になった。

 しかし荒井さんは独自に「これからは日本もプロパテントの時代」(発明協会 1997)、「特許はベンチャービジネスを支援する」(発明協会 1998)、「特許戦略時代」(日刊工業新聞社 1999)などを矢継ぎ早に出版していった。
 どの本も一般の人々にも興味を持つように書かれており、その行動力には舌を巻き後塵を拝したという思いだった。

 97年の夏を迎えるころ、複数の企業人から相談を持ちかけられた。
 「荒井特許庁長官は、まもなく任期が来て交代するらしい。荒井さんが交代すると特許庁行政は停滞する危惧がある。なんとか任期を延長する方策はないだろうか」

 官僚の人事は、民間にとってはどうにもならない問題だ。しかし任命者にたいして社会の声を届けることは意味があるのではないか。そう思い直し、各界の人々に相談をしてみた。

 そのとき、「荒井留任」を要請する声が、産業界だけでなく政界、弁理士会、マスコミ界にまで広がっていることを知った。官僚の人事でこのような広がりを見せたのはおそらく前例がないのではないか。
 しかしその心配は杞憂に終わった。まもなく「荒井留任」が決定し、さらに1年延びることが確定的になった。

 21世紀構想研究会を創設する 
 1997年9月、筆者は何人かの仲間を集めて「21世紀構想研究会」(現特定非営利活動法人21世紀構想研究会、http://www.kosoken.org/)を作った。
 知的財産権を重視した産業構造に変えるべき時代に、日本は何をするべきか。さまざまなテーマを討論して政策提言もしたいという研究集団を目指した。

 メンバーは、有力なベンチャー企業の創業者、中央行政官庁の課長クラス以上の官僚、大学人、新聞各社の論説委員・編集委員など約80人だった。そのメンバーに加わった株式会社インクス創業者の山田眞次郎氏との出会いが、私の世界観を変えた。

 山田氏は三井金属でドアロック(自動車のドア部分の機能)の設計をしていた。山田氏の設計したドアロックは、ホンダやクライスラーのほとんどの車に搭載され、ドアロックでは世界トップまで上り詰めた設計者である。

 1989年、デトロイトの展示会で、コンピューターのデジタル情報を3次元物体としてアウトプットする光造形装置を見てからもの作りの現場が変わると予感し、会社を辞めてもの作りのコンサルタント業に転進していた。

 光造形装置とは、簡単に言えば、コンピューターの中で設計したものを3次元の物体としてアウトプットするものだ。通常、我々は、コンピューターの中で作成したデータなどをアウトプットする場合、紙に印刷する2次元のものだ。
 それが3次元の物体としてアウトプットする。最初に筆者が聞いたとき、わが耳を疑った。

 光造形装置は、コンピューターで作成したデータを3次元物体としてアウトプットするのだから画期的な方法だ。しかもその画期的なアウトプット装置を世界で初めて発明し、実際にモノを作って見せた人物は、小玉秀男氏(現在は弁理士)という名古屋市の技術者であった。

 筆者は、すぐに小玉氏に連絡をとり取材したところ、驚くような事実を知る。小玉氏はこの画期的な装置の特許を取得するために、当然、特許出願をするのだが、審査請求をするのをすっかり忘れていたため、権利を取り損ねていた。

 装置の開発ではアメリカの技術者に先を越され、その装置が日本へ入ってきていた。当時の審査請求は7年間という猶予があり、小玉氏はアメリカに留学している間に忘れてしまい、審査請求権を失効するのである。

 その発明から日米での特許紛争に至るまでの詳細な報告は、筆者が書いた「大丈夫か日本のもの作り」(プレジデント社)に詳しく書いている。

 音を立てて崩れていく日本のモノ作り現場を見る
 ともかくも、光造形装置とは、コンピューターソフトの3次元CADを使って入力された3次元ソリッドデータを平面で切って2次元の断面データを作成し、 このデータをもとに液状の光硬化性樹脂に紫外線レーザ光を照射して硬化させ、一層ずつ積層することによって3次元立体モデル(造形物)をアウトプットする ものだ。

 たとえて言えば、平面に印刷したものを次々と積層して、立体形を作っていくような装置である。

 3次元積層造形法(ラピッド・プロトタイピング=RP)とも呼ばれており、開発のスピード化、開発コストの削減、開発工期の効率化に大きく寄与し、製品開発に不可欠な手段となって、モノ作りの現場を急速に変えていった装置であった。

 インクスに話を戻すと、同社は携帯電話の金型製造をしていたがそれは仮の姿であり、本命はもの作りのシステム設計であった。もっと具体的に言えば、日本の大企業の製造現場を作り変えるためのコンサルタント業である。

 携帯電話の金型は、その当時、設計図ができてから45日くらいかかるのが普通だった。それをインクスは45時間という信じられない時間に短縮する。その工程システムと技術はもちろん、特許に囲まれた新しい工法であった。

 山田氏はドアロックの設計者として約150件の特許を出願しており、知的財産権の世界も熟知していた。その山田氏から、産業現場の変革を懇切丁寧に伝授された。もの作りの現場に連れて行かれ、多くの企業人を紹介され取材に飛び回った。筆者にとって興奮の連続であった。

 特に蒲田地域の金型工場を見て回ったり、自動車、電気、材料関係などの大企業の技術者にも会い、モノ作り現場の変化を徹底的に取材した。
 産業技術に素人の筆者にとっては知らないことばかりであり興味が尽きない。その積み重ねによって、間違いなくモノ作り現場では革命が始まっていることを知った。

 こうして高度経済成長期を支えた日本のもの作りの現場が音を立てて崩れていく最後の現場を見ることができた。それは筆者にとって幸運であった。なぜなら次の産業構造の再構築の現場を理解する際に大いなるヒントをもらったからである。

 そしてそれは、1999年に初めて上海、北京を見たときの衝撃に結び付いていく。中国の台頭を肌で感じ、中国ウオッチャーになろうと決心したその動機こそ、日本の産業現場の転換期を見ていた体験があったからであった。

 古いモノ作りの現場に代わって台頭してきたのは、知的財産権を軸として再構築されていく新しい産業構造の現場であった。

 それは荒井寿光・特許庁長官が、日本の企業の特許意識の変革を訴え、日本は国際的な知財戦略を打ち立てないと競争力を失っていくことを警告していた活動と符合するものであった。
 知的財産権についての興味はますます大きくなっていった。

  

自伝・知財立国に取り組んだ日々 その3

                               
                 

 荒井寿光さんとの出会いで特許に開眼
 特許とは何か。知的財産権とはどういうことなのか。その感をますます強くしたのは、1996年に特許庁長官に就任した荒井寿光さんと出会ってからである。

 1993年に筆者が、論説委員になったことはこの前にも書いた。論説委員は、社説を書くのだが、社説は新聞社の社論であり、自社の主張する論点を内外に向かって発信するものであり、言論を売り物にする新聞社の核心にあたるものである。

 社説を書いて世に社論を発表する執筆者になってみると、想像以上の緊張感があった。あらゆる分野、テーマについて日々勉強することの連続であり、7年間、論説委員をやっていたが、新聞記者としてこの時期が最も自分を磨いた時期でもあった。

 筆者はその日々の活動の中でも、特許や知的財産権の一般的な案件に興味を持ち、自分なりに学習を重ねていた。そのころである。特許庁が各社の論説 委員を集めて説明会を開いてくれた。荒井長官は、特許の重要性を論説委員に理解してもらい、メディアでも啓発してほしかったのである。

 懇親会の席でスピーチに立った荒井長官は、特許について実に分かりやすい言葉で熱心に話し、「特許のことをもっとマスコミでも取り上げてほしい」と言った。
 それは、特許の時代になったことを社会に認識させ、知財の国際戦略が不十分と指摘されていた企業にも、意識改革を迫るためにマスコミを通じて世に働きかけたいという意欲を語ったものであるが、同時にマスコミにも意識改革を迫ったものでもあった。

 そのころ、日本弁理士会がマスコミ向けの勉強会を始めた。新聞、テレビ、雑誌などの記者を集めて特許、意匠、商標などの初歩的な知識の伝授と直近の話題が講義内容だったが、筆者の知識蓄積と後々の取材活動には非常に役立った。

 それに毎回、一線で活躍する多くの弁理士と名刺を交換し、人脈を広げるのにも役立った。昼食をはさんだ時間帯を設定していたので、現役の記者は夕刊の締め切り間際なので出席できない。
 比較的時間に制約されない雑誌や専門誌の記者数人という寂しさだったが、大学のセミナーのような雰囲気で実にいい講義内容が聴けた。

 そのころご教示をいただいた弁理士は、村木清司、下坂スミ子、渡辺望稔、伊藤高英、長谷川芳樹の諸先生方をはじめ多くの弁理士である。
 その後日本弁理士会のアドバイザリー委員会の委員を委嘱され、組織の活動と弁理士の活動領域について意見を述べる立場となったが、それは同時に多くの知財情報と知識をいただくことになる。それが筆者の知財取材活動に大いに役立った。

 1997年の弁理士会の新年賀詞交歓会で、荒井寿光特許庁長官と出会ったとき、荒井さんは「いっしょに本を書きませんか」と誘ってきた。荒井さんは特許の啓発書を世に出したいと願っていることが分かった。

 そのころ荒井さんは、世界の産業構造の変革によって知的財産権を重視する時代になっていることを訴えるため、全国を講演して歩いていた。その活動の様子は、弁理士や企業人たちから聞いて知っていた。

 「今度、特許庁長官になった人は、これまでの長官とはだいぶ違う。特許や知的財産権について意欲的に勉強をし、特許の重要性を説いて歩いている。こんなに行動力のある長官はこれまでいなかった」

 企業人の間では、これまで例を見ない長官であり、実務上のことまで踏み込んで辛口のコメントを発し、特許の啓発をしてくる「やる気のある長官」として歓迎されていた。

 荒井長官が大局的立場でやったことは、日本の企業、大学・研究現場などに与えたショック療法である。アメリカから始まったプロパテント時代の到来 を敏感に察知した荒井さんは、戦後営々と築き守られてきた日本型の知財文化がすでに時代にマッチしていないことを訴え、知財関係者の精神風土を変えるた め、新しい知財社会が到来していると警鐘を鳴らし始めたのである。

 荒井さんのこの特許啓発活動を裏から支えたのは、特許庁ナンバー2の清水啓助特許技監と次の佐々木信夫特許技監である。筆者はそのころ、特許法改正の審議会の委員を委嘱され、特許の制度のあり方を勉強中だった。

 あるとき、佐々木技監(現株式会社特許戦略設計研究所代表取締役)が生越由美特許庁審判部書記課課長補佐(現東京理科大学知財専門職大学院教授)と一緒に読売新聞論説委員室に訪ねてきた。
 特許法改正の審議会で論議中の議案の中身について事前説明をするためであったが、そのとき佐々木技監はアメリカで紛争となったミノルタとハネウエルの自動焦点カメラの特許権利の日米の違いを日米の特許審査と比較しながら明快な説明をしてくれた。

 このとき初めて日米の特許戦争の深い意味が理解できるようになった。

 佐々木技監には、98年7月にアメリカでステート・ストリート銀行のビジネスモデル特許が認められたとき、特許の解釈の変遷と意味を教えていただ き、アメリカの特許弁護士のヘンリー・幸田さんからは、アメリカでのビジネスモデル特許をめぐる振興企業のせめぎ合いとすさまじいビジネス状況を教えてい ただいた。

 さらに荒井さん、佐々木さん、生越さんらから、特許を武器にして有力なベンチャー企業として台頭してきたシコー技研(白木学社長)、アイジー工業 (石川尭社長)らの話を聞き、すぐに経営者に会いに行った。白木社長も石川社長も実に明確な特許哲学をお持ちであり、日本のベンチャー企業には優れた人が いることを実感した。

 それは筆者がその後、多くのベンチャー企業の創業者に取材をするきっかけを作った。

 

                                              

自伝・知財立国に取り組んだ日々 その2

                               
                 

 ワープロショックから感じた世界観 
 バブル崩壊期から少々遡るが、筆者がどうしても書いておきたいことがある。それはパーソナルコンピューター(PC)が一般機として世に出る前に普及したワードプロセッサー(ワープロ)についてである。

 そのワープロを自由に使いこなしている現場を見たときのショックは、後年、自分の世界観を大きく変えた出来事として思いだされるからである。

 1984年8月、アメリカのスペースシャトルのコロンビア号、チャレンジャー号に続く3機目の宇宙船として「ディスカバリー号」が打ち上げられ、 その取材でフロリダのケネディ宇宙センターに行った。そのときプレスサイトに集まっていたアメリカ人記者らの会話は、その多くがワープロの話題だった。

 彼らの会話を聞いていると、「copyright」「patent」という言葉がしきりに出てくる。それが実際にどういう意味なのか理解できなかったが、ワープロソフトと機種の優劣についての情報交換だった。

 そのとき初めて、ワープロと言う機械とその機能を実感として知った。アルファベット26文字をそれまでのタイプライターと同じように打ち込むと、それが同時に画面に表示され、打ち込んだ文章は電話線で本社とつながり、印刷されてしまう。

 つまり、オンラインで原稿が遠隔地にあるデスクの机上にリアルタイムで表示され、そこでチェックを受けてすぐに工場にオンラインで送られ、新聞として印刷されていく。

 原稿を升目の原稿用紙に手書きし、その原稿がデスクの手直しを経て校閲でチェックされ、工場で1字ずつ拾われて活版になって印刷される。そのような状況にある日本の新聞制作を見ている記者としては、信じられない光景だった。

 宇宙センターのプレスサイトにいた日本人記者は、まず国際電話で東京の本社につなぎ、電話口で原稿を読み上げると、東京の同僚記者がそれを原稿用紙に書き写してデスクに届ける。それから手直し、校閲を経て工場で活版にされて印刷される。

 筆者らが電話にかじりついて送稿している様子を見ていたアメリカ人記者たちは「おまえら、まだそんなことをしているんだ。だいぶ遅れているな」という眼付きだった。

 宇宙船とミッションコントロールタワーとで交わされる会話は、リアルタイムでプレスルームにも聞こえているが、その会話の内容がよく分からない。英語力がないからだが、その上、宇宙飛行士と地上スタッフの間には独特の「業界言葉」があって、分からないことが多い。

 彼らは、会話を聞きながら、機関銃のような速さでワープロに打ち込んで文字化していく。仲良くなったアメリカ人記者がワープロ画面に打ち出す原稿を後ろから読ませてもらい、デスクよりも一足先にニュースを読む。

 情けないことだが、耳で聞くのではなく他人が文字化した画面を後ろから覗いて会話の意味を読み取っていく。アメリカ人記者は、ときどき筆者向けに赤字の注釈までつけて打って行く。原稿が完成すると、筆者向けの注釈を削除してワンタッチで本社のデスクに送っている。

 感心して見ている筆者にアメリカ人記者は「日本にはワープロはないのか?」と言う。「ない」というと、「日本はエレクトロニクスですごい国ではな いのか」と言う。日本がモノ作りでアメリカを抜いたのは、筆者が分析した統計的処理でみると1982年である。ハーバード大のエズラ・ヴォーゲルが「ジャ パン アズ ナンバーワン(Japan As Number One)」を書いたのが1979年だが、80年代はその言葉を体現する日本として、世界中が見ていた。

 プレスサイトでの体験から、ワープロは26文字の欧米文化のものであり、漢字・平仮名・カタカナ交じりの日本語は無理である。英語はタイプライターそのものがワープロになっただけであり、それが電話線とつながってリアルタイムで情報を共有化できる。

 そのころの日本語のタイプライターは、多くの文字盤を持っている特殊装置であり、専門に訓練された人しか操作できない。一般人が使いこなせるものではないので、日本語ワープロは無理だろう。

 帰りの飛行機の中でも、英語ワープロの光景が頭から離れず、アルファベット文化は全く違った局面へと急速に進展し、日本は取り残されていくのではないかとそればかり考えていた。

 日本語ワープロの誕生に驚愕
 しかし筆者の感慨は杞憂に終わった。富士通の神田泰典氏らが親指シフトという日本語ワープロを開発し、汎用機で日本語の情報処理を可能にする拡張システムを開発して家庭用ワープロとして売り出したのである。

 日本語でワープロができるとはまったく考えていなかったので、半信半疑だった。しかし、富士通だけでなく、キヤノン、NEC、パナソニック、日立、東芝、シャープなど日本を代表する家電メーカーが続々とワープロ機を開発して市場に出していく。

 筆者は神田氏に取材に行き、メモ用紙のようにしてワープロを使いこなす姿を見て驚愕した。今では誰でもこのような使い方をしているが、初めて見る日本語ワープロの達人のワザはわが眼を疑った。

 ワープロは、親指シフトだけでなく、ローマ字打ち込みを変換すると漢字に変わる方式が主流になり、日本語タイプライターに代わる装置として普及し 始めた。筆者はそのとき、ローマ字打ち込みがうまくできないと効率が悪いことに気が付き、英文タイプライターの教本を買ってきて毎日、トレーニングを積 み、ほどなくブラインドでも打てる腕前になる。

 すぐに最新式のワープロを購入し、おそらく読売新聞社編集局の中でも最も早い時期に原稿をワープロで打って提稿していた。古いデスクからは、それだけで疎んじられる時代でもあった。

 日本のバブル崩壊が本格的に始まったのは1992年からだろう。1992年(平成4年) には東京を始め全国的に地価急落となり東京圏は前年比マ イナス12.9%、東京都区部はマイナス19.1%の下落となった。株価は日経平均が1万5000円を割り、日銀は公定歩合を3.25%に引き下げた。

 ほかにも政府は、住宅取得の各種優遇策や経済対策を次々と打ち出したように見えたが、あとから検証すると後手、後手に回ったものであった。地価は92年から毎年下げ続けるという試練の時代を迎え、日本は失われた10年に突入する。

 1993年(平成5年)4月、筆者は解説部次長から論説委員に昇格した。論説委員は社説を書く役割であり、毎日午前11時半から、ほぼ1時間以上かけて論説委員会が開かれて、翌日掲載する社説のテーマについて討論する。
 
 筆者の担当分野は科学技術全般、研究開発などだが、新聞がカバーするあらゆる分野を誰かが担当しなければならず、筆者は科学関連だけでなく、いわゆるニッチ分野を担当したように思う。
 そのころからIT(情報技術)という言葉が頻繁に使われるようになり、これに関連するテーマの社説は、筆者が担当することが多くなる。

 取材でカバーする行政官庁は、文部省、科学技術庁、通産省、郵政省、農水省、建設省などであり、それらの官庁の審議会の委員を務めるようになる。各種審議会でもまたIT言葉の連発であり、時代の変革を明確に感じるようになる。

 知的財産という言葉は、まだ誰も使ってはいなかったが、インターネットの普及によって距離感と時間差がなくなり、情報は瞬時に世界中を飛び回る時代に入っていた。産業現場の取材をしてみると、産業界は急激に変わりつつあることを実感した。

 いま振り返ってみると、知的財産の時代が始まっていたのである。

               
                                
               

自伝・知財立国に取り組んだ日々 その1

                               
                 

 知的財産権のテーマに関わり始めて、今年でちょうど20年になる。知的財産権という言葉が市民権を得るまでは、一般的には知的所有権と言われていた。その時代、日本の知財は特許だけだった。
 なぜ、知財に興味を持ったのか。それを自問することもあるが、強いて挙げればジャーナリズムの世界に身を置いて得た勘である。世界が大きなうねりで動き始めたと感じたのである。
 今年その20年目の節目を迎えて、知財に関わった自伝を書いてみたい。

 アメリカから始まったプロパテント政策
  「特許が世界を変える」と筆者が明確に認識したのは、1991月6月である。アメリカ国立保健機関(NIH)が、DNAの塩基配列を解読した断片(DNA)をアメリカ特許商標庁(USPTO)に特許として出願したときである。

 世界中の研究者は仰天した。これが認められると、分子生物学、バイオテクノロジー、医学・薬学などの研究開発は、アメリカに覇権を握られて身動きが取れなくなる。
  折しもそのころ、自動焦点カメラの技術をめぐってミノルタがハネウエルに特許侵害で巨額の和解金を支払うなど、日米特許紛争が持ち上がっていた。

 「知財」と言う言葉が、まだ市民権を得ないころである。特許庁へ通うことから筆者の取材活動が始まった。

 バブル経済期の最後の時代に感じたこと
 当時の特許庁の審査官は、教えを乞いに訪問してもいやな顔ひとつしないで懇切丁寧に教えてくれた。今では考えられないことだが、直接電話で審査官と約束してその席を訪ねていくということもできた。

 そのころ筆者は、読売新聞編集局解説部に所属する解説部のデスク(次長)であり、ニュースの背景を文字通り解説する署名記事を書いていた。署名記事であるだけに、主観も許される記事になるが、自分の名前で1000万人読者に発表する執筆文でもあるから緊張感があった。
 できのいい記事を書いても当たり前だが、筆が滑って見当の外れた記事を書けば、容赦なく専門家や読者から鋭い指摘が執筆者に直接寄せられる。やりがいのある仕事でもあった。

 一般紙の新聞記者が特許庁に取材に来ることなどは稀であり、珍しいことだったのだろう。応対振りにそのような雰囲気があった。

 NIHの特許出願は、その後、世界中の非難を浴びて出願を取り下げて一件落着した。しかし、もの作りで日本に追い越されたアメリカが、バイオテク ノロジーで巻き返しを計っていることは明らかであり、産業技術の特許でも権利を前面に出すライセンスビジネスに切り替えてきていた。

 筆者はまだ、IT産業革命という事態を明確に認識していなかったが、日本の産業技術がアメリカを追い抜いて行ったという雰囲気は、製造業の技術者らと話をしていると感じ取ることができた。

 一部の製造業の技術者たちは、傲慢な雰囲気を出していた。「もはや、欧米に学ぶことはない」。日本企業がニューヨークの一等地を買収し、世界の不 動産を買いあさっていた。しかし1991年当時、日本はすでにバブル経済の崩壊が始まっていたのだが、まだほとんどの人は気が付いていなかった。

 筆者は何かおかしいと思うこともあったが、日本と日本人の底力を信じることもあった。そんな日常的な流れの中で、漠然と考えたことが特許とは一体 何なのかという単純な疑問だった。常識的なことは分かっているつもりだったが、それが研究開発、企業のビジネス戦略とどうつながっているのか、よく理解し ていなかった。ただ、特許という言葉が、折に触れて出てくるようになっていたような気がする。

 世界は何か変わろうとしているのではないか。産業技術も飽和点を迎えて、次の技術革新への岐路に差し掛かっているのではないか。

 特許に関する本も読み漁ったが、学術書か弁理士活動を紹介しているような本がほとんどで、世界の動きも日本の企業戦略もよく分からない。
 日米間の特許紛争を扱った本もあったが、主として事案の中身だけであり、産業構造や技術革新の背景まで解説したものがない。

 そのときジャーナリストの本性がむらむらと頭をもたげ、一般国民が興味を示すような啓発書をいずれ書いてみようと思い始めていた。