01 日々これ新たなり

世界一周の船旅の記録その1をアップします。1~30回です。

 2024年4月から7月まで、ピースボートのパシフィック・ワールド号(7万7千トン)に乗船して、世界一周をしてきました。

 その様子を60回に渡って、ブログでアップします。

 その①1~30回分のPDFファイルをアップします。

   船旅1-30通しをダウンロード


128回・21世紀構想研究会の講演と暑気払いパーティの報告

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 128回・21世紀構想研究会は、7月19日午後6時半から開催され、黒木登志夫先生の「研究不正」(中公新書で同名の著書を刊行)の講演のあと、暑気払いパーティで盛り上がりました。
 講演で黒木先生は、分析よりも事例の紹介に重きを置いて話ししてくれましたが、どれもこれも、どうしてこんなことが起こるのか、こんなことに騙されてしまうのかと、不思議な気がしました。

 ワースト1は、日本人研究者!

 

氏名

撤回論文数

所属機関国

分野

藤井喜隆

183

日本(東邦大)

医学(麻酔科)

Joachim Boldt

94

ドイツ

医学(麻酔科)

Peter Chen

60

台湾

工学

Diedrik Stapel

55

オランダ

社会心理学

Adriam Maxim

48

アメリカ

物性物理学

Hua Zhong

41

中国

化学

加藤茂明

36

日本(東大)

分子生物学

Hendrik Schoen

36

アメリカ

物理学(超伝導)

Hyung-In Moon

35

韓国

薬学

10

James Hunton

32.5

アメリカ

経営学

 このランキングを見て驚かない人はいないと思います。捏造、不正などが発覚して論文を撤回したランキングです。ワースト1はなんと日本人研究者。しかも第7位に、日本では優れた人が集まると信じられている東大の教授です。

 個別の事例では、「リン酸化カスケード捏造のMark Spector(24)、Cornell大学大学院生、超電導のにせ伝道師のSchön、1998年Konstanz大からBell研・Batlogg研究室へ留学していた研究者の事例を詳細に報告しました。

  シェーンの不正については、NHKの村松秀さんが「論文捏造」(中公新書ラクレ)で詳細に書いています。続いて韓国を熱中させたヒト卵子核移植の黄禹錫 (Hwang Woo Suk)(韓国、2006年)についても、捏造と判明した後の韓国社会の反応なども入れて報告。いまは犬のクローニングでビジネスを展開しているというこ とにも驚きました。

  ペットの犬のクローンを作ると報酬が1千万円とのこと。これを毎月5匹生産しているようです。Novartis社(日本、2012年)の不正、さらに小説 を書くがごとくねつ造した藤井善隆(日本、2012年)なども報告しました。さらに18年に及ぶ画像捏造をしていた東大分生研教授・加藤茂明などは、発覚 が指摘される直前に教授を辞職しています。やはり確信犯だったとしか言いようがありません。

 虚構の細胞、STAP細胞小保方晴子(日本、2014)は、いまだにスタップ細胞の存在を気にしている人もいます。筆者は、当初から研究者にありがちな単なる思い込みではないかと思いましたが、黒木先生は彼女の学位論文時代からの取り組みと論文作成について詳細に分析して捏造としています。

 

Martinson,らが「Nature 2005」で発表したアンケート調査の結果が下の表です。これは、NIH R01 中堅研究者3600名、NIH postdoc 4160名へのアンケート調査ですが、研究者は常に不正の誘惑と闘っている様子が見えています。

不適切な行為分類

不適切な行為中、重要10項目

自己申告者%

データの操作

データの操作(クッキング)

 0.3

 

他人の不正の見逃し

12.5

アイデア/情報

他人のアイデアを許可なく使用

 1.4

 

関係する秘密情報を許可なく使用

 1.7

不都合なデータ

自分の不都合な先行研究を隠す

 6.0

ヒト対象研究

重大な条件無視

 0.3

 

マイナーな違反

 7.6

資金源

関係企業の不適切な開示

 0.3

 

資金源の圧力による研究デザイン、方法、結果などの変更

15.5

人間関係

学生、被験者、患者との不適切な関係

 1.4

以上の重要10項目

 

 33.0


 そして、ショックだったのは日本が研究不正大国であったことです。これまで誰も知らなかった事実ではないでしょうか。論文ねつ造のトップは、日本人研究者でしたが、国別に見ても、日本は明らかに途上国並みの不正大国でした。

 

 

論文撤回率

%)

撤回論文数*

2004-2014

発表論文数**

2008

1000

1

インド

0.0340

131

35

2

イラン

0.0323

39

11

3

韓国

0.0285

94

30

4

中国

0.0175

201

104

5

日本

0.0143

108

69

6

アメリカ

0.0081

245

276

7

ドイツ

0.0078

64

74

8

イタリー

0.0073

35

44

9

イギリス

0.0054

45

76

10

フランス

0.0047

28

54

 

世界平均

0.0239

2590

987

 黒木先生は、論文撤回はべき乗則に従っている事実を発見し、そのグラフも見せてくれました。また論文を撤回する確率は、撤回数が5回の著者は、5年後に26-37%が撤回、10年後には45-60%撤回している事実も指摘しました。

 これを撤回数が1回の著者は、5年後に3-5%、10年後は5-10%ですから、小保方晴子も名誉回復をかけて研究を続けることもできるでしょうか。


 日本に不正が多いのは、研究だけでなく、企業にも重大な不正が続いています。東芝不正会計、東洋ゴムの免震防振ゴムの不正、化血研のワクチン製造不正、三菱自動車の燃費不正など次々と有名大企業のあきれた不正事件が明るみに出ています。

 ワイロなど中国の不正をあげつらう風潮がありますが、振り込み詐欺を見ても企業不正を見ても、日本の方が悪質で根が深いと思いました。

 


直近10年に見る世界7カ国の知財動向

直近10年に見る世界7カ国の知財動向|潮流コラム一覧|特許検索の発明通信社

このコラムは発明通信社のHPの馬場錬成のコラム「潮流」から転載しました。

2014年の出願データを分析すると

世界の知財動向を語る場合、2000年前まではあらゆる統計・指標は日米欧の3極という見方をしていた。この動向を見ていれば、世界の知財動向の行方はほぼ分かるという時代だった。

そこへ割るようにして存在感を見せてきたのは韓国だった。しかしそれも間もなく中国に追い抜かれていく。最近は、日米欧中韓という5カ国の動向で比較されることが多くなった。

そこで、科学技術指標などで標準的に使われている日米英独仏という主要5か国に中国と韓国を加えた主要7か国の特許・意匠・商標・実用新案・PCT出願数をWIPO(世界知的所有権機関)の統計データを整理して調べてみた。

2014年に7か国の知財出願数の一覧とグラフ

実数の表を見るとPCT出願数を除く4つの産業財産権で中国は圧倒的な数字を出している。このような実績を出すことを2000年に予想した人は、おそらく世界中で一人もいないだろう。中国の知財活動は、2002年ころから爆発的に活性化して出願数が増加していったからだ。

2014年の出願状況をグラフにしてみると、ヨーロッパ勢の英独仏の存在感がこんなに薄くなっていることに驚く。一般的な工業製品の生産地は、日中韓台の東アジア4カ国・地域が世界を席巻しているように思う。筆者がヨーロッパで見聞した体験から見ても、大衆的な製品でアメリカとヨーロッパ企業がアジア勢に勝つことは難しい時代になったと思う。

特許出願に見る動向

2005年から2014年までの10年間の特許出願など産業財産権の出願動向を調べた結果が、以下の表である。特許出願では中国が一直線に伸び、2011年にはついにアメリカを交わして世界一になる。日本はその前年の2010年に中国に抜かれていった。

このような動向には当時もびっくりしたが、中国の科学技術の研究活動と企業活動を見ていると驚くことではなかったことに気が付く。

 

日本は10年前から特許出願数が下降線をたどっており、いまだに歯止めがかかっていない。原因は、企業の特許出願案件の絞り込み、つまり無駄な出願はしないで絞り込むという方針転換と、国内出願を抑える一方で国際出願を増やしていくという方針転換の現れである。日本はいつ歯止めがかかるのか気掛かりである。

PCT出願で猛追する中国

PCT出願の出願動向を見ると、アメリカ、日本に続いて中国が3位につけている。しかし前年比の増加率は、アメリカ7%増、日本4%増に対し、中国は17%の増加率である。グラフで見るようにアメリカと同様に右肩上がりになっているが、中国はむしろこれから急上昇するのではないか。というのも、ファーウエイ(華為)、ハイアール(海爾)など国際的に売り出してきた多くの企業が、ライバルのアメリカ、日本、韓国、台湾を意識して国際出願を増加させているからだ。


中国では、通信関連企業など21世紀型の企業、軒並み国際競争力を誇示しているのもPCT出願増加に寄与している。

 

 驚異的な実用新案出願の中国

実用新案制度のないアメリカ、イギリスを除く5カ国の数字がこの表である。これを見ると中国の数字が驚異的に突出している。

 

なぜ、中国がこれほど突出しているのか。それは制度が他の国と違う点がまずあげられる。中国の実用新案は無審査登録制度であり、しかも特許出願と同一出願案件が実用新案と一緒に出願できるからだ。同一発明者や出願者が同一期日に特許と実用新案の両方に出願できるという世界唯一の制度をとっている。

さらに、出願件数が大学などの研究者の実績として評価対象になっており、これは企業でも同じである。また出願すると報奨金制度もあるから出願に精を出すことになる。年末の12月になると突然、実用新案の出願件数が急増することからも分かる。

意匠も実用新案制度と同じ無審査登録制度

意匠の出願件数も中国が突出しているが、これも実用新案と同じように無審査登録制度になっているからだ。筆者が東京理科大学知財専門職大学院教授をしていたとき、中国人院生の楊威(ヤンウエイ)さんが中国の意匠制度について研究して修士論文を書いた。

その研究は、発明通信社との共同研究であり、2010年の日本知財学会で共同発表している。そのときの中国の意匠の出願動向を見ると、日本の意匠の審査基準とはかなり違っていた。中国ではすでに権利となっている商標とデザインをたすき掛けしたような意匠案件を出願すると登録される事例があった。トラブルになって権利を主張する場合に、実効性のある権利になるとは思えなかった。


こうした出願件数もかなり入っているだろう。それにしても仏、独、英、米が微増だが増加傾向にあるのに対し、日本は漸減であるのが気にかかる。グラフで見ると中国の特異ぶりがよくわかる。

商標でも突出する中国の事情

商標出願件数は、経済活動がグローバルになるにしたがって増えていくことが予想されているが、一覧表にもその動向が出ている。どの国も着実にわずかずつだが増加傾向になっているが、グラフで見るように中国だけが突出している。ただ、中国は2013年の横ばいから14年の減少は何を意味するのか。

中国は、営業許可証を受領している企業なら誰でも商標出願ができるので、出願急増に拍車をかけてきた。それにしても年間210万件を超える出願は異常である。それが中国での知財訴訟の急増とも無関係ではない。その点については別の機会に分析してみたい。

 


第127回21世紀構想研究会の開催

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 第 127回・21世紀構想研究会は、6月21日(火)午後7時から開催され、黒川清先生(政策研究大学院大学アカデミックフェロー・教授、元日本学術会議会長)が「規制の虜」の演題で熱弁をふるい、講演後にはフロアと熱い討論、意見表明が展開された。

 会場には、荒井寿光さん、大村智先生、黒木登志夫先生、藤嶋昭先生、そして演者の黒川清先生と5人の21世紀構想研究会アドバイザーが顔を揃えた。

 時代認識を明確に持つ

 黒川先生はまず、1990年代の後半から今日まで、世界は目まぐるしく変転した状況を振り返った。

Wikiが始まり、グーグル、フェイスブックが出現し、MS,アップルが世界中を席巻する。一方でアメリカでの同時多発テロ事件、中東の紛争とアラブの春でアフリカが大混乱に陥った。その3か月後に日本を大地震が襲った。 

 気候大変動、地球温暖化などの環境問題が大きな課題として浮上し、デング熱、難民がヨーロッパを中心に流動し、最近では2015年11月13日にパリ同時多発テロが発生した。

 黒川先生は、このように目まぐるしく変転する世界は不確かな時代の象徴であり、そのような時代背景の中で東日本大震災が勃発し、そして福島原発事故が発生したとの認識を示した。

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 国会事故調査委員会は憲政史上初

福島原発を巡る事故調は、政府事故調、東電事故調、民間事故調などが設置された。しかし政府事故調は、各省庁からの寄せ集めスタッフであり、出身省庁の動向を見ての調査であり、東電は自社の利害の中での事故調だった。

 立法府が設置した事故調は、国政調査権を背景にしたものであり、法的調査権を付与された民間人による調査委員会は憲政史上初めてのことだった。

 様々な専門分野から集まった国会事故調メンバーは、関係者から正確に聴き取りを行い、自分たちの判断や解釈を入れず事実関係だけの報告書を作り、政府に7つの提言を行った。

 6か月に20回の委員会を開催し、記者会見も行い公開原則の方針を貫いた。この報告書は英文に翻訳して発表した。

 2012年6月に国会に提出した報告書は、福島原発事故は地震と津波による自然災害ではなく「規制の虜」に陥った「人災」であると明確に結論付けた。

 「規制の虜」とは、規制する側である経産省原子力安全・保安院や原子力安全委員会などが、規制される側である東電など電力会社に取り込まれ、本来の役割を果たさなかったことを意味する。

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 原子力発電をめぐる日本の特異文化

 原発をいったん運転するとやめられない。地方自治体・住民が電力会社から金を出させて配分した。電力会社は予算制度に縛られ、結果として世界一高い電力料金として跳ね返った。

 そして原発には重大な事故は起こらないという「神話」がまかり通るようになった。日本がIAEA(国際原子力機関)の指摘する原子力施設の安全対策を多段階に設ける考え方(深層防護)を踏襲せず、いまなおそのような備えのない原発がいくつもある。

 経産省の官僚に「どうして深層防護をやらないか」と聞いたところ、「日本では原発事故は起こらないことになっている」と言われた。 

アカウンタビリティの真の意味を誤解する日本

 アカウンタビリティ(Accountability)という言葉の正しい定義は、与えられた責務・責任を果たすことが本来の意味だが、日本では「説明責任」という間違った意味と翻訳になった。

 誰も責任を取らない、なんとなく周囲の空気で判断して流れていく無責任体制が社会全体を支配するようになった。

 福島原発の発生によって、不十分な深層防護、組織的な知識とマネージメント伝達の欠如、安全意識の欠如、規制とアカデミックな判断にとらわれている現状が露見した。

  そして何事も疑ってかかるような学習する態度が欠如し、安全文化は不完全なままに放置された。固定観念に自己満足し、閉鎖された単一の教養が高いコミュニ ティーを作った。エリートが固まってグループで考えて行動する集団浅慮ともいうべき「Group Thinking」が、国を滅ぼすことになる。異論を言いにくい社会システムが固定していった。

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 日本の大学は「家元制」である

  黒川先生が国会事故調を担当して強く感じたことは、リーダーには歴史観、世界観、反骨精神が必要であることだったという。歴史的に振り返ってみると、山川 健次郎、朝河貫一という偉大な二人の巨人が、被災地になった福島県から出ている。二人の偉人がとった信念に裏打ちされた言動を忘れないようにしなければな らない。

  日本はいまだに江戸時代から続く鎖国体質から抜け出ていないように感じるという。日本の大学は家元制というのが黒川先生の主張だ。特定の研究室に所属する 人材が後を継いでいくだけであり、外部から見ると魅力がない。大学全体が研究のスキルを教えるだけで、歴史や哲学や学問の精神などを教えていない。

 見えないヒエラルキーの中にいるのではなく、出る杭を育てる教育が大事であり、世界に出て日本を見ることが大事だ。自分が変わらなければ社会は変わらない。若い人は海外留学するべきだ。

 講演後のフロアからの質問で「いま、黒川先生に教育する年代のお子さんがいたら、どういう教育をするか」との趣旨の発言があった。黒川先生は「まず海外へ出す」と答えていた。

 元官僚、実業家、企業人など多くの人からコメントが発せられ、実り多い講演と討論だった。

 

 

 

 

 

 

 

                                                           


第10回全国学校給食甲子園大会で優勝した月夜野学校給食センターを訪問

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左は、この日いただいた学校給食。右は昨年の10回大会で優勝した冨田先生と山岸調理員の名コンビ

 昨年12月6日、女子栄養大学駒込キャンパスで開催された第10回全国学校給食甲子園大会で優勝した、群馬県みなかみ町の町立月夜野学校給食センターを訪問して、半年ぶりに優勝した本間ナヲミ栄養教諭、山岸丈美調理員と再会した。トップの写真は、この日の献立の「味の旅・カナダ」のメニュ―である。豊富な野菜とサケをあしらったお料理にこめっこパンは本当においしかった。

 訪問したのは6月16日。山間の素晴らしい自然環境に囲まれたセンターに到着すると、待ち構えていた本間先生と小柴千恵子所長のお出迎えで楽しい歓談をしたあと、早速、白衣、帽子にマスクで装備して調理場に入った。

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手洗いが重要だが調理員は手際よく洗っていた(左)。 調理場の設備も広く清潔感のある素晴らしい施設だった。

 10年前に建設された調理場は電気調理方式であり、広々とした余裕ある調理場である。食材の検収、魚・肉の処理場、野菜の処理場が完全に独立しており、汚染地域が隔離されている。調理員の働きぶりもキビキビした動きで無駄がなく、さすが日本一になった学校給食センターだと思った。

 今回の取材の狙いは、科学技術振興機構(JST)の中国向けWEBサイト「客観日本」で「日本の学校給食」を掲載中で、近く衛生管理をテーマにした内容を掲載する。執筆者の大森みつえ・全国学校給食甲子園大会事務局長と一緒の取材 となった。

 筆者は、全国の学校給食調理場を数多く見ているが、その中でも月野夜センターの設備、環境、調理員らの動きは、トップクラスの施設だった。この日の献立を作成した本間先生は、世界の国々の様々な料理を学校給食として提供し、子どもたちに国際的な視野を広げ同時に国際的な食育授業へと発展させることだった。

 メニューにその狙いが出ていてびっくりした。こめっこパンと牛乳は定番だが、この日の主食はパンであり優勝献立のときと同じになった。サケのグリルレモンパスタソースかけ、カラフルサラダ・大麦入りのスープ、デザートにメープルマフィンという献立だ。

 まず野菜の多さにびっくりした。キュウリ、キャベツ、コーン、タマネギ、ニンニク、セロリ、ズッキーニ、マッシュルーム、レモン、パセリ、トマト、ブロッコリー、パプリカ、ニンジン。これだけ使われている。多くが地場産物だ。大麦の入ったスープは初めて食べたがこれが絶品。カラフルなサラダもおいしかった。

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大量調理は、手際の良さが命であることを作業を見ながらよくわかった。

  調理する手順を見ていたが、本当に無駄な動きが見えず、導線も見事に実現されていた。月夜野町農政課の村山博志、原澤真治郎さんらと出来上がった給食を食べながら牛乳の話になった。牛乳はどこの学校給食でも出している。カルシウム摂取を確保するためには欠かせないものだ。しかし、小学1年生も中学3年生も同じ量のワンパックは、考え直した方がいいという意見が出ていた。

 つまり量の問題だ。小学校低学年には小ぶりの牛乳パックを提供し、その分、乳製品を食材にした料理を提供する方が、バラエティに富んだ学校給食になるのではないか。そんな意見を題材に楽しいランチとなった。

 

 

 

 


第126回21世紀構想研究会の報告

 第126回・21世紀構想研究会は、平成28年度総会の後、脳出血で倒 れ、右半身不随となった中村明子理事(写真右)とリハビリ治療を行った小林健太郎・九段坂病院リハビリテーション科部長(主治医、写真左)が、最新療法で 健常状態に回復した「奇跡の生還」の講演を行い、会場の皆さんに感動を与えました。
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 中村先生の発症経過

  1月8日午前、自宅お風呂場で、脳出血で倒れました。右半身不随になり、救急車で荻窪病院に運ばれました。治療しましたが右半身不随の後遺症が残り、車椅子や歩行補助具で移動する日々でした。
 1月25日に、本格的なリハビリ療法を受けるために九段坂病院に転院しました。
 転院したその日の午後、小林健太郎部長が、マヒしている右半身の下肢の数か所に電極を貼り、トレッドミルでの歩行訓練を両手で支えながら行いました。一晩寝て朝目覚めたら、なんだか不随だった右半身が動く・・・ここから奇跡の生還が始まりました。

 小林医師の講演と報告の要旨

 リハビリテーションは、戦後に負傷兵が帰郷する際に再起が必要との考えからリハビリテーションという専門分野が北米で公認されました。

 「障害を最小化および残存能力を最大化して、生活再建するための医学」であり、「障害を有する患者の能力を最大限に引き出し、可能な限り人間としての望ましい生活ができる」よにすることでした。

 日本では現在、脳血管疾患は死因の第4位であり、 脳血管疾患は要介護の原因疾患の第1位です。運動機能障害、認知機能障害などで苦しんでいる患者さんがいます。従来から反復経頭蓋磁気刺激法 rTMS(REPETITIVE  TRANSCRANIAL  MAGNETIC  STIMULATION)などの療法があり、それなりに改善も見られてきました。

 しかし小林部長は、感覚神経電気刺激SeNS(SENSORY  NERVE ELECTRICAL  STIMULATION)という治療方法を選択しました。この装置は外国製で2000万円もするということです。過去の治療例を紹介しました。

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 54歳 脳出血患者の例

 左片麻痺になっていました。九段坂病院に転院してリハビリ継続。それまでのリハ ビリで左片麻痺は改善したが、上肢の感覚障害が残り、巧緻動作障害が残っていました。「触っている感じがしないので、どう動かせばいいかわからない」とい うことでしたが、SeNS療法で改善しました。

 75歳 脳出血患者の例

 右片麻痺が残存。上下肢の感覚障害が残り、巧緻動作障害が残っていました。「力の入れ具合がわからなくて、紙パックややわらかいペットボトルだと潰してしまうことがある」ということでした。下肢に対するSeNS療法を行い改善しました。

 29歳 脊髄炎の患者の例

 脊髄炎を発症し、不全対麻痺が残存していました。感覚 障害が残って歩行が困難でしたが、小林部長のSeNS療法で改善しました。それまで「踏んでいる感じがわかりづらく、雲の上を歩いているみたい」だと訴えていました が、発症127日目についに一人で歩くまでに回復しました。この日の講演でこのときのビデオを見ていた会員の方が、感動で涙ぐんでいました。

 47歳 脳出血の患者の例

 左側の麻痺が残り、従前の病院のリハビリで屋外歩行も可能となって退院して復職しました。ところが、歩行バランス不良と下肢感覚障害を訴えて九段坂病院に来院しました。「満員電車で気づかずに他人の足を踏んでいました」ということでした。SeNS療法で改善しました。

 中村先生の例

 中村先生は、補助器なしでは病室も移動できず、院内を移動するのは車いすでした。転院後直ちに小林部長のSeNS治療が開始され、2日後にはなんと独力で立てるようになり、歩くことも可能になったのです。この様子もビデオで紹介されました。

 中村先生が健常人と同じように回復されたのは、小林先生に出会ったからです。奇跡の生還は、小林先生によると「奇跡の出会い」だったということです。主治医の先生がこのように言ってくれるとは、本当に奇跡以外の何物でもなかったのです。

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 小林先生に聞いたところ、こうした症例はいま学会で発表するために論文としてま とめており、詳しい療法の内容はまだ非公開になっているそうです。ただ、筆者が聴いた限りでは、マヒしている下肢部分に電極を装着して刺激し、その刺激を 運動野に伝えて脳細胞(神経細胞)の信号伝達機能を回復させているということのようです。

 講演後の討論の中で、このような医療機器を多くの患者に適用できるようにできな いかと言う意見が出ていました。これについて小林先生は、「物理療法を実施する壁として、高額な機器購入が必要だが、購入しても診療報酬に反映されない。 訓練単価は同じです」ということでした。

 これでは 従来の訓練のみになってしまう。これを「 従来の訓練+物理療法併用」というリハビリまで高めないと麻痺が残っている患者の改善は進みません。最新治療を導入できる医療機関は限定されるということ では不公平になり、中村先生のように「奇跡の出会い」があった患者だけ「奇跡の生還」になってしまう。

 そのような課題も浮き彫りにしました。

  小林先生の論文が受理されて学会誌に掲載されたときに、医学的な詳しい内容をお聞きしたいと思います。

 


相次いで出版された人生を歩む指針となる本


 藤嶋昭・東京理科大学学長、大村智・北里大学特別栄誉教授の二人の巨人が、相次いで人生訓に通ずる言葉を集めた本を出版しました。
 藤嶋先生は「理系のための中国古典名言集」(朝日学生新聞社)、大村先生は「人をつくる言葉」(毎日新聞出版)です。藤嶋先生のご著書は、孔子、孟子、老子などの言葉を主体に現代に生きる私たちの行動や考えに指針を与える名言集です。
 大村先生のご著書は、四半世紀にわたって先生が書きとめてきた古今東西の名言と自身の創出した語録を編集したもので、人との出会いから人生に向き合う態度と考えの心構えを説いています。どちらも大変感銘深い本なのでご紹介します。

藤嶋先生の本・中国古典名言集

大村先生の本


黒木登志夫先生の傘寿・出版記念お祝いの会


 先ごろ「研究不正」(中公新書)を上梓した黒木先生の出版と傘寿をお祝いする会が、4月28日、東京・神田の学士会館で開かれました。山中伸弥先生もビデオで参加するなど黒木先生の幅広い人脈で集まった各界の人々が大いに語り合い、大変、盛況でした。


 お祝い会に先立ち、「知的好奇心の贈り物」とのタイトルでセミナーも開かれました。
「山岳スキーの醍醐味」 竜崇正(元千葉がんセンター長)
「地球と生命の起源」広瀬敬(東工大・WPI地球生命研拠点長)
「計算と科学ー計算尺から京コンピューターまで」 宇川彰(理研・計算科学研究機構副機構長)
「研究することについて語るときに僕の語ること」 黒木登志夫

 どれも魅力ある内容にあふれた素晴らしい講演でした。
 黒木先生の講演タイトルは、村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」 (文春文庫) をもじったもので、いかにも黒木先生のユーモアセンスを発揮したものであり、内容も多彩な活動を語っていました。


 黒木先生は、これが最後の出版と語っていますが、そんなことはないでしょう。テーマは次々と出てきますから、また次の出版お祝い会が来るでしょう。

 


腸内細菌と人類の共生関係を講演  21世紀構想研究会生命科学委員会の開催

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腸内細菌と共生する人類

 私たちの体内には、300種以上、数百兆個の腸内細菌が生息している。人間と共生する関係にあるので、これらの細菌なしに私たちは健康体で生きていくことは難しい。

 この腸内細菌は国、地域、民族によって生息している細菌の種、個数も違っている。日本人の腸内細菌は、欧米人や他のアジア人とは違っているという。

 服部正平・早大大学院新領域創成科学研究教授が、4月22日に開催された21世紀構想研究会・生命科学委員会で興味ある内容を多くのデータを駆使して講演した。講演要旨を報告する。

  最近の腸内細菌の研究は、遺伝子解析が主流になってきた。様々な国で研究された成果によると、年齢、男女、国・地域・民族によって細菌種の分布がみな違っており、食習慣、民族によって特徴が出ているという。

  腸内細菌といっても、皮膚、生殖器、鼻腔、口腔内などあらゆる場所に細菌は生息している。皮膚の常在菌を利用して化粧品を開発しているメーカーもある。アメリカでは、皮膚の常在菌を個人鑑定に利用する方法も研究されているという。

  日本人の腸内細菌叢で特徴的なものでユニークなのは、海苔、ワカメなど海洋性植物を分解する酵素を持っている腸内細菌がいることだ。アメリカ人には、このような腸内細菌は生息していない。

 日本人は海藻類を多く食べるが、消化されずに腸に降りていくので、これを餌にした腸内細菌がすみつき、繁殖しているのではないかと推測されている。また、日本人の腸内細菌叢で外国人と違うのは、ビフィズス菌が最も多い菌種になっていることだ。

 こうした菌種の分布は、国・民族によって多様になっており、日本人の中でも多様性があるという。

 病気や国別患者によっても違う腸内細菌叢

  また、糖尿病などに罹患している患者の腸内細菌叢の菌種分布は、国によって違いがある。それは食事内容にも大きく影響を受けているが、抗生物質の使用量と も関係がある。日本人はビフィズス菌が多く、ペルー、ベネズエラは少ない。このような民族間の相違もどこからくるのかまだ解明されていない。

 日本人はビフィズス菌が多いからと言ってサプリなどで補充することは効果があるのかどうか。菌数のことを考えると効果は疑問ではないかと筆者は思った。

 抗生物質の使用量が多い国と少ない国でも菌種の個数が変わってくる。家畜動物に抗生物質を使用する国もあり、残留抗生物質が食物を通して人間にも入ってくる。それが原因で腸内細菌叢も変わってくる。

 それが変われば体内の生理機能も変わってくるというから、やはり腸内細菌と人間は共生していることになるのだろう。

  また遺伝子解析によって分かってきたことは、人間の腸内細菌叢が持っているユニークな遺伝子数である。腸内細菌叢の遺伝子配列は、人間の遺伝子よりも桁違いに多様化しているという。今回の解析で106人の日本人の腸内から(フル)メタゲノム解析で約2.300万の遺伝子が同定され、このうち既存の遺伝子に見られないユニークな遺伝子は約500万であった。この結果から、一人当たりの腸内細菌の遺伝子数は平均22万遺伝子であることが判明した。人間のゲノムの遺伝子数は~2.5万と算定されているので、腸内細菌はゲノムの遺伝子の平均約10倍もあることになる。

  腸内細菌叢を調べていくと肥満、過敏性大腸炎、リウマチ、アレルギー、喘息、肝臓がんなど代謝系、免疫系、神経系などの15種の病気と密接な関係があるという報告は、非常に興味があった。もちろん、こうした病気との関係も国によって変わってくる。

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花粉症やアレルギー疾患とも関係あるのか

 近年、花粉症やアレルギーの患者が増えているのは、腸内細菌叢の変化と関係あるのではないかという説も出ている。免疫の機能も左右する腸内細菌叢の動物実験の研究から出ている推測だ。将来、このような免疫疾患の予防や治療薬の開発にも利用されるだろう。

  また体内の常在菌は、単独では機能しないようだという報告も興味をひいた。多くの感染症などは単独の細菌で病気を発症するが、腸内細菌叢はチームを作って活動しているのではないか。とすると人間との協働関係もあるのではないか。

 腸内細菌の研究はまだ入ったばかりのようにも思える。これからどのように発展するかとても興味を持たせる内容だった。


黒木登志夫「研究不正 科学者の捏造、改竄、盗用」(中公新書)

研究不正黒木登志夫

 

 本邦初出の資料やデータを駆使して、これだけ研究不正を検証し、予防策まで示した初めての本である。

 この本は研究者と文筆者の両方の顔を持った著者・黒木登志夫先生でないと書けないものであり、これからもこれだけの内容を吟味した同じテーマの本は出てこないだろう。一般の読者を対象とした内容だが、それは学術論文と同じだけの価値を持っている。

 読み始めて間もない第2章で、一挙に不正事例を21例も出されて度肝を抜かれた。日本が世界の研究不正大国になっていたとは知らなかったし、ワーストナンバーに堂々と名を連ねている何人かの研究者事例も初めて知って、本当にびっくりした。

 また2000年以降、不正が急激に増えていったという現象に非常に興味を持った。本格的なインターネット時代を迎え、距離感と時間差がほぼなくなり、リアルタイムで情報を共有する時代になった時代背景と、無関係ではないだろう。

 電子情報を繰る技術が進展したので不正もやりやすくなったのではないか。

 第3章から、重大な研究不正として、ねつ造、改ざん、盗用、生命倫理違反など具体的な不正内容を態様別に切り分け、そのテーマに合致した不正事例を検証している手法も見事だ。読者は迷わず、その重要な事例が頭の中に入ってくる。

 3章の画像改ざんのところで、著者の写真を改ざんしていく図・写真は秀逸である。こういう「小道具」を適宜入れて読者を楽しませかつ理解させるのがこの著者の優れた文筆者としての手腕である。

 

黒木先生画像捏造の例

 第5章で研究不正をする動機について「場合分け」で解説しているが、なるほどと思った。これを読んでいて、中小企業の特許権を侵害する大企業の技術者の動機と重なる部分があると思って感心した(あくまで私見だが)。

 特許を取得するのも、論文を書くのも世界で初めての内容でないと価値がないので、重なるのは必然かもしれない。研究不正は、特許侵害事件を整理して考える際に非常に役に立った。

 また、第6章に出てくる「なりすまし審査」も驚いた。人の商標をこっそりと先に登録して「なりすまし商標」を取得する中国の手法を思い出させる。

 読売・朝日・毎日という3大紙の理不尽な報道についてもきちっと総括している。こういう論評が、メディアには必要であり、良かったと思う。これを書かれてまずかったと反省する新聞記者も多数いるだろう。 ただ、毎日新聞については「神の手」の正体を暴いている功績も紹介している。

 また、現代のようにインターネット検索と情報共有時代を迎えて、研究不正がたちまち摘発されてくる現場の解説もためになった。

 第7章の「論文撤回はべき乗」になることを提起し、「20:80」の法則を見出したのは、黒木先生ならではのオリジナルであり秀逸だった。

 最後に研究不正をなくすためいくつかの行動と制度を提示している。これもこの本の価値を高めている。研究開発型の企業の経営にも役立つ提起ではないか。

 ところどころに著者の研究活動で接点のあった研究者やテーマなどが語られており、筆者は感心しながら安心して読み進めた。このような内容を盛り込めるのも黒木先生だからできることであり、この本の厚みを出していた。

 スタップ細胞事件については、科学者らしく明快に捏造の根拠を論理的に示しており、筆者もようやく納得した。捏造と言うよりも小保方氏の強い思い込みではないかという思いがまだ少し残っていたが、この本を読んで吹っ切れた。あれは捏造だったのだ。

 


「知は海より来たる」   江戸時代に西洋の科学を日本に紹介した津山藩の科学者を取材

 岡山県津山市は、江戸時代津山藩として栄えた城下町である。その地には西洋の文化を日本に紹介し、日本の科学の黎明期に輝いていた先達がいたという。

 さる4月25日、白川英樹先生は21世紀構想研究会で「科学は日本語で考えることが重要」のタイトルで講演し「江戸時代の津山藩の宇田川家三代の科学者が日本の科学の扉を開いた」と紹介した。

 http://www.kosoken.org/2016/03/%E7%AC%AC%EF%BC%91%EF%BC%92%EF%BC%95%E5%9B%9E%EF%BC%92%EF%BC%91%E4%B8%96%E7%B4%80%E6%A7%8B%E6%83%B3%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%A0%B1%E5%91%8A.html

 早速、岡山市から車で1時間ほどの津山市に行ってみた。目指した「津山洋学資料館」は、昔の街のたたずまいを残している古い住宅街の一角にあった。

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 門を入るとブロンズ像が多数並んでいる。それはすべて江戸時代末期から明治維新、明治・大正時代へとつながっていく偉大な津山の科学者たちだった。

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 宇田川玄随(げんずい)は、津山藩の江戸屋敷に生まれ、町医者だった父親の教えを受けて漢方医学を学んでいた。西洋医学には反発していたが、オランダ語で医学を学ぶ人たちと交友するうち西洋医学に興味を持ちオランダ語で書かれた医学書を読むようになる。そしてオランダのヨハネス・ゴルテルが書いた医学書を翻訳して、日本で初めての内科書の「西説内科撰要」18巻として出版した。

 二代目の玄真(げんしん)は、玄随の後を継いで、江戸時代末期のヨーロッパの最新情報だった医学書を次々と翻訳し「医範提鋼」、「和蘭薬鏡」、「遠西医方名物考」などを出版して、全国の医師を指導した。また津山藩の若い医師たちの箕作阮甫(みつくりげんぽ)、緒形洪庵らを指導し、「蘭学中期の大立者」と言われた。

 宇田川家三代目の榕菴(ようあん)は、さらに西洋から入ってきた学問を発展させ、植物学や化学を日本で初めて開拓していった。日本で初めての西洋植物学の解説書「植学啓原」、イギリスのウイリアム・ヘンリーの化学書「舎蜜開宗(せいみかいそう)」の翻訳など、最新の西洋化学を日本に紹介し、多くの若き科学者を育てた。

 津山から世界に目を向けさせ、そして多くの弟子を育て、日本の科学の黎明期に活躍した先達の一端を見て、本当に感動した。資料館には多数の資料が展示されており、宇田川家三代の科学者、箕作阮甫らの活動など興味あふれる内容だった。