奈良地検は安倍元首相を殺害した山上徹也容疑者の精神鑑定を行うため、6月25日から11月29日まで長期間の鑑定留置を行っています。「刑事責任能力の有無を調べるため」と発表していますが、本当にそうでしょうか。検察当局(国家権力)の思惑による鑑定留置ではないかと筆者は疑っていました。
かつての事件記者の体験から見ると、この判断は奈良地検→大阪高検→最高検→法務省→国家権力と縦に上っていった結果出てきたことは疑いようがありません。この刑事事件は、事件勃発直後から日を追うごとに国策捜査の範疇に入ることを感じ取っていました。
「元首相・旧統一教会・反社会的活動・選挙活動と政治献金」などの関係が、週刊誌・テレビ番組・ネット情報などに洪水のように流れ出し、加えて夜回り取材で出てきた容疑者の供述内容が次々と露出してきました。
この中で「おやっ」と思ったことは、山上容疑者の旧統一教会に対する恨みと安倍元首相銃撃とは「直接的に結びつかない」ような当局の判断もしくは思惑が流れ出してきたことです。「銃撃死事件」と「旧統一教会と安倍元首相」とは、直接的に結びつかないように、国家権力が「苦慮」しているように見えてきたからです。山上容疑者の銃撃は、安倍元首相と旧統一教会が関係あると「思い込んだ」ための隅発的事件であったことへ導こうとしているように感じたのです。
これは思想・主義・信条・党派とは関係なく、確定事実に拘泥する記者活動の基本をやや超えた、社会部記者時代のカン(勘)から出てきたものでした。そう思った根拠を上げます。
1. 国葬前の起訴を避けたのではないか
刑事訴訟法256条(起訴状、訴因、罰条)3及び4には、罪となるべき事実を特定すること、適用すべき罰条を示すこととあります。国葬前に起訴すれば山上容疑者の犯行動機に「もっともな理由がある」との印象を国民に持たせるリスクがあります。これでは国葬反対が燎原の火のように広がって収拾がつかなくなる恐れが出てきます。その責任は国策捜査のやり方に穴があったからだとの指弾を権力側から受ける可能性が出てきます。これを避けるため、国葬前に起訴しない時間稼ぎを現場の検察当局は考え出したのではないでしょうか。
2. 奈良県警・地検の調べに任せていると、容疑者の供述内容が激しい取材競争の中から外部に漏出します。すると容疑者の犯行動機に、それなりの「妥当な理由」を印象付ける可能性があります。これを断つために鑑定留置を決行して、完全にメディア取材から「隔離」する方法をとったのではないでしょうか。鑑定留置後には、山上容疑者の供述内容はもとより、調べの様子も全く外部に出てくることがなくなりました。
3. もし鑑定の結果、精神に異常があれば当局が管理する医療機関などに隔離されて、この事件の真相は永久に闇の中に沈んでいく可能性があります。そのような思惑を秘めているとは考えたくありませんが、可能性はゼロではありません。
ジャーナリストの良心に従って、あえてこのような論評を発信します。