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2016年10 月

京都の「菊乃井」主人・村田吉弘氏の学校給食論評は天下の暴論だ

悪意に満ちた「週刊現代」での村田氏の告発

 ことの発端は、「週刊現代」2016年9月24日の4ページ特集記事から始まる。

 「全国の親、祖父母必読 ミシュラン三つ星料亭「菊乃井」店主・村田吉弘氏が問う」として「不味すぎる学校給食 こんなものを子供に食べさせていいのか」という大見出しの報道である。

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          放映された「初耳学」という番組より

 おかしな献立という学校給食をいくつか挙げ、日本全国でこのような献立が日常的に提供されているかのような書きぶりである。一読して「悪意に満ちた告発もの」と筆者は思った。

 親から徴収した給食費の260円の使途で110円は不明であると書いてある。しかも管理栄養士の語ったらしい食材費の明細も書いていない。いかにも上納金のような見えないお金があり、それが使途不明のように書いてある。

 魚もすべて冷凍であり、ろくなものを使っていないような書きぶりだ。

 この記事は、村田氏が週刊誌の記者に書かせたものであり、執筆者もろくに取材をしないで、告発した村田氏の言い分をそのまま書いたものだろう。歴史に残る「間違いだらけの学校給食」報道である。

   これでは現場で日夜苦労している栄養教諭、学校栄養職員、調理員が怒るはずだ。案の定、全国の栄養教諭らから怒りのコメントが筆者あてに殺到してきた。

 輪をかけたTBSの「初耳学」という放映

 2016年10月23日夜10時15分からTBSで放映された「初耳学」という番組で、またも村田店主が登場し、まったく見当違いの学校給食批判を主張していた。

 「食の危機 今の給食を食べさせていいのか」というタイトルを掲げている。

 放映された大写しの画面は以下のようになる。

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 「週刊現代」と同じように、日本中の学校給食がまずいと言わんばかりにテレビ番組でも展開したもので、筆者は断固としてこの「インチキ主張」を許さないと思った。

 番組の中で高カロリー、高脂質、肥満傾向児出現が学校給食に原因があるように誘導しているが明らかに間違いだ。学校給食では各栄養素とカロリーの摂取基準を法令で定めており、学校栄養士は日夜、その規定の中でおいしい給食を作るために 1食270円前後の予算で献立作成に取り組んでいる。

 たとえば、家庭料理では不足しがちなミネラル、ビタミン類は、学校給食で補っているし、太り過ぎないようにカロリー制限もしているし、適宜な食物繊維の摂取も決めている。子どもは野菜や魚嫌いが多い。それを乗り越えようと栄養士は必至に献立作りに取り組んでいる。

 ピーマンやにんじんをどのように調理すると子供はおいしいと言って食べてくれるか。学校栄養士の涙ぐましい努力を筆者はあちこちで聞いている。

 学校給食では、残食が出ないように学校栄養士も必死である。各栄養素を満たしたうえおいしい学校給食を出せば完食になるが、なかなかそうはいかない。和食だけを出せばいいわけではなく、洋食、中華など多彩な食の文化を学校給食で学ぶことも食育である。

 村田氏がテレビで展開したように、成人病予備群や肥満児の出現を学校給食になすり付けるような主張は断固として許されない。

 学校給食の予算に比べると「菊乃井」の途方もなく値段の高い料理を毎日食べていると健康を維持できるのか。

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 「ミシュラン三つ星料理人が学校給食の改善に着手」として京都の小学校で和風給食を行っていると紹介している。

 日本列島どこでも、学校給食は米飯・和食が主体であり、何も料理人の指導など受けなくても栄養教諭、学校栄養職員は日常的に和風献立に取り組んでいる。子どもたちにおいしく食べてもらうためには、それなりの工夫が必要であり、料亭の献立・調理のやり方がすぐに学校給食に応用できるものでもないだろう。

 フランスのタイヤ会社の宣伝戦略で始まったミシュランの何とか星を日本では有りがたがり、過ぎるのではないか。それを表看板にして、学校給食の現場をよく知っているとも思えない人物がバッサリと一方的に現場の仕事を切って捨てるような論評は暴論である。

 日本の学校給食は、栄養、健康面から見ても全国ほぼ均一に実施さている実績を見ても世界トップだろう。長年現場を見て来た筆者が自信をもって言えることである。

 


許しがたい「違憲状態」という保身判決  

  先の参院選岡山選挙区は、著しい一票の格差があるので「違憲、選挙無効」を訴えていた升永英俊、久保利英明、伊藤真弁護士を代理人とする一人一票実現運動訴訟に対し、広島高裁岡山支部は「違憲状態」にあるとしながらも選挙は有効という判決を出した。

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 「違憲」と言い切らずに「状態」という適当な語彙を付け加えた「違憲状態」という判決は、過去にも最高裁で出ているが、これはごまかしである。司法がここまで腐敗してきた証拠であり、文言で適当にごまかして逃げる「保身」の象徴的判決である。

 今回の判決直後、原告の弁護団が「保身判決」という旗を掲げたが、その通りである。戦後、廃墟と化した国家からはい上がり、高度経済成長を実現して先進国の一角にようやく食い込み、バブル経済を経てこの20年間、成長なき衰退する国家へと推移してきた。

 高齢化社会、少子化社会が拍車をかけたことは事実だが、十分に予想されたこのような国家の趨勢に対応できるだけの国の施策を実現できなかった国家のリーダーは、ぼんくらだったということだ。それだけの責任を担っていたはずだが、名誉と報酬を得ただけで役割を全うできなかった。

三権分離が機能していない日本の国家体制

 日本の国家体制は、立法・行政・司法の三権分立の中で民主国家が形成されるとされてきた。中学校の社会科ではそのように教えてもらった。しかし日本には三権分立は事実上ない。司法は、立法府と行政府に隷属された機関に成り下がっているからだ。40年近く新聞記者をしていたので、司法判断は常に取材テーマの中に存在していた。

 しかし様々な取材をしているうち、裁判所の判決ほどわからないものはないという確信を持つようになった。日本社会で最高のエリート集団とされる司法がこの体たらくでは、国家も国民も浮かばれない。なぜそうなったのか。

 たとえば憲法第76条第3項を読めば明らかだ。

憲法第76条第3項=すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

  ひとつつの職業の役割を憲法で規定し保障しているものは裁判官だけである。それだけ特異で強い権限を保障されているのである。国家のエリートという位置づけである。しかし現実にはこの権利は行使されずに裁判官の個人的な生き方で適当に行使されている。

 一人一票実現運動を展開する原告団が、判決直後に旗で示した「保身判決」とは、裁判官が本来行使すべき正義とはかけ離れた個人的な事情で出した判決だという意味だろう。日本の裁判所も裁判官も正義とはかけ離れた特殊な権力機関に成り下がっているのである。

司法権力の象徴として屹立する最高裁判所

 日本の行政訴訟の原告勝訴率が1割そこそこという数字が、国民感覚とはかけ離れた司法判断がまかり通っている現実を明確に示している。行政にはほぼ絶対に勝てないという意識を国民に植え付けたのが司法である。

 知財関係の訴訟でも、まず原告は勝てない。大企業優先思想、ことなかれ判断が蔓延しているような印象を与え、事の本質をうやむやにする和解が多いのも事実だ。

 今日の政治の劣化、行政の劣化、メディアの劣化に拍車をかけてきたのが司法判断だろう。司法が毅然とした正義の味方、というよりも憲法第76条第3項で規定していることをそのまま実行しているなら、日本はもっとまともでましな国家になっていたはずだ。それを台無しにしてきたのは司法の責任である。

 司法が正義にのっとり毅然とした態度で判断をし、判決を積み上げてきたなら、立法も行政も緊張感が高まり、結果的に矜持ある国家になっていたはずだ。同時に司法判断は国民に多大な影響を与え、民主主義国家を意識する国民へと誘導しただろう。

 エリート裁判官として務め上げ、いま大学に転じて司法の問題点を赤裸々に告発している瀬木比呂志・明治大学教授は、間もなく刊行する「黒い巨頭 最高裁判所」(講談社)で、司法・最高裁のインチキぶりを小説という形で世に告発するという。

「黒い巨頭 最高裁判所」の予告編はこちらのサイトにあります。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49800

 司法の巨塔として屹立する最高裁だが、その内実は保身の固まりとして出来上がった巨大な黒い機関であることを瀬木教授の小説は語っている。

 一票の格差訴訟の「違憲状態」判決は、現在の司法の暗部と実態を象徴的に表現した「名判決」である。


「4人目の受賞者」に泣いた新海征治先生の輝ける業績

新海教授が受賞者から漏れたのはなぜか

 2016年の自然科学分野のノーベル賞受賞者が出そろった。

 生理学・医学賞で大隅良典先生が単独受賞したのは、先生の受賞が予想されていたこととはいえ、単独受賞という画期的な成果に日本の研究現場に多大な勇気と誇りを与えた。

 しかし、10月5日に発表された化学賞では一瞬、筆者はわが眼を疑った。

 授賞理由は、「分子機械の設計と合成」であり、受賞者は米・仏・オランダの3人である。1990年代からこの分野で先端を走っていた先生の名前がない。この分野なら当然、受賞すると思っていた新海征治先生(崇城大学教授、九州大学名誉教授、九州大学高等研究院特別主幹教授)のお名前がないことにショックを受けた。

Bernard L. Feringa  J. Fraser Stoddart  Jean-Pierre Sauvage

2016年のノーベル化学賞を受賞した左より
Bernard L. Feringa、J. Fraser Stoddart、Jean-Pierre Sauvage の3博士。(ノーベル財団HPより転載)

 同じようにショックを受けたと思われる奥和田久美・文部科学省科学技術学術政策研究所・上席フェローは「非常に残念に思う。10年くらい前に、この分野の研究に化学賞が出たら可能性があったかもしれないのに」と語っている。ノーベル賞は、確かに授与する時期とも密接に関係する。

 新海先生の「4人目の受賞者」の悲運を感じ、しばらく何がそうなったのか考えを巡らせた。

 科学史やノーベル賞の歴史の研究者が集まっているフランスのパスツール研究所では、ノーベル賞をとりそこなった研究者を「4人目の受賞者」と呼んでいる。ノーベル賞は1分野、3人までと規定されているからだ。だから4人目になった人が次点者となる。つまり4人目は、ノーベル賞受賞者と同等の業績を上げている研究者という理解でもいいだろう。

 ただし、受賞者の人数が単独、2人では、次点者は「2人目」「3人目」となるが、次点者という意味ですべて「4人目」と呼ばれている。

 近年、日本人の研究者の中で「4人目」が多く出ていると筆者は感じている。4人目になったのは、ノーベル賞選考委員会の判断でそうなったものだが、3人目(あるいは2人目)とは間違いなく紙一重だったと思う。

 その選考委員会での選考経過は、50年後に明らかになる。その記録は必須の科学史の文献になるが、そのころには関係者はほぼ没している。だからこそ明らかになった経過には価値があるということだろう。

4人目を列挙してみた

 これまでに「4人目の受賞者」を筆者の独断であげれば次のようになる。

・豊橋技術科学大学の大澤映二教授のケース

 1996年、フラーレン(C60)の発見でハロルド・クロトー博士ら3人が化学賞を受賞した。1970年に大澤栄治教授は、これを予言した論文を発表したが、論文は日本語だったため国際的に認知されなかった可能性が強い。

・東北大名誉教授の西澤潤一先生のケース

 2009年の物理学賞は「光通信用ファイバー中の光伝達に関する業績」で上海生まれの物理学者、C.K.カオ博士に授与された。この分野で終始、世界先端を走っていた西澤潤一先生が選に漏れて涙をのんだ。

・飯島澄男教授のケース

 2010年の物理学賞は、炭素原子1個分の厚さのシート、グラフェンの発見でアンドレ・ガウム博士ら2人が受賞した。これでカーボンナノチューブの発見者、飯島澄男教授の受賞の可能性が薄くなった。しかし今後、受賞するするチャンスはある。筆者はそれに期待している。

・審良静男・阪大教授のケース

 2011年のノーベル生理学・医学賞は、「動物の体で働く免疫の働きに関する研究成果」の業績で3人に授与された。しかしそのうちの一人である米ロックフェラー大学のラルフ・スタインマン教授は、受賞発表時に死去していたことが判明した。

 ノーベル財団の内規では、「受賞者は存命中」という規定があり、スタイマン教授の受賞はこれに違反していた。しかしノーベル財団は特例として受賞者とした。もしスタイマン教授が除外された場合、審良教授が浮上した可能性が非常に高い。

・東北大の蔡安邦教授のケース

 2011年の化学賞は、準結晶の発見でイスラエルのダニエル・シェヒトマン博士が単独受賞した。この分野では準結晶の9割を発見した東北大蔡安邦教授が共同受賞してもおかしくなかった。しかしノーベル賞選考委員会は、研究のオリジナルを重視していることを痛感させた。

・水島昇・東大教授のケース

 2016年に生理学・医学賞を単独受賞した大隅良典教授と共同研究で多くの実績をあげていた。しかし大隅教授の独創性が高く、単独受賞になったため逸した。今後、オートファジー分野が基礎・実用研究共に発展することは間違いないので、これからの業績によってノーベル賞に輝くことは夢ではない。

 このように4人目の科学者が日本に何人もいるという筆者の独断ではあるが、ノーベル賞を研究しているものとして非常に勇気を与えられる。

 筆者が独断で作成している「ノーベル賞受賞者候補者」のリストを見ると、物理学賞が13人、化学賞は31人、生理学・医学賞は22人にのぼっている。

 かつてストックホルムのノーベル財団の関係者に取材して受けた印象を言うと、自然科学3分野はいずれも授与する分野として、毎年20分野ほどあがっているという。

 「ノーベル賞は、分野に授与すると考えてもらいたい。その分野でもっとも貢献した3人までが受賞者になる」と生理学・医学賞を選考しているカロリンスカ研究所のある選考委員は語っている。

 つまり、受賞者個人の業績から予想するのではなく、いま世界を変えている業績は何か、その業績に最も貢献した科学者は誰かという視点を持ってほしいと示唆したものである。

 2017年の受賞者は誰か。筆者の興味は次に移っている。


ぶっちぎりで単独受賞した大隅良典先生のノーベル賞受賞

基礎的研究成果と単独受賞が意味するもの

 大隅良典先生(東工大栄誉教授)がノーベル生理学・医学賞を受賞した 。3年連続ノーベル賞受賞者を出したことは、日本の科学研究レベルの国際的な高さを証明したものであり大変嬉しい。

 大隅先生の受賞業績で特筆されるのは、生命現象の真理の発見と単独受賞である。1987年に「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」で、単独受賞した利根川進先生の快挙を思い出させた。

 マラソンレースに例えれば、終始トップを走っていた大隅先生が、後方を走ってくる2位、3位の姿などまったく見えない独走態勢でゴールを駆け抜けて行った光景であろう。

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 利根川先生の受賞を発表したカロリンスカ研究所・選考委員会事務局長のヤン・リンドステン博士(カロリンスカ研究所教授・附属病院長)が語った「ドクター・トネガワは10年あまり、他の研究者の追随を許さず独走した」というコメントを思い出させた。

 大隅先生の発見は、生命科学の研究の歴史の中でも特筆される業績である。まさに利根川先生の業績に匹敵する真理の発見である。細胞内で営まれているたんぱく質製造の仕組みは、20世紀最大の生物学の発見とされるワトソン・クリック博士の遺伝子構造の解明によって明らかにされ、世界中の研究者に衝撃を与えた。

 それを受け継いで抗原・抗体反応の仕組みを解き明かしたのが利根川先生であり、生物・医学界に衝撃を与えた。その衝撃と同じくらいのインパクトを与えたのが、大隅先生の発見である。

 細胞内でたんぱく質を製造していることは、それまで分かっていた。しかしそのたんぱく質を細胞内で壊してアミノ酸に分解し、今度はそれを使って新たにたんぱく質を製造(オートファジー、autophagy)することを想像した生物学者はいなかっただろう。それを大隅先生は、1988年に光学顕微鏡で見た現象からヒントを得てその現象を解明した。

 この世紀の発見で大隅先生は次々と論文を発表し、世界の研究者が追試して驚き、研究はますます発展して論文数が増加していった。

 政策研究大学院大学・科学技術イノベーション政策研究(SciREX)センターの原泰史さんが早速、大隅先生の論文・特許について分析して発表している。

原さんの素早い対応にはいつも敬服する。

 http://scirex.grips.ac.jp/topics/archive/161005_625.html

燎原の火のように燃え盛ったautophagy研究

 原さんの分析によると、autophagy がキーワードに含まれる論文公刊数の推移は、この10年間で急峻的に増えて行った。真理の発見から始まった学問の進展する勢いをこれほど感じるグラフはない。

公刊論文数の推移

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出典:原泰史氏の分析

 さらに驚かされるのが、大隅先生の論文の被引用数の推移である。グラフで見るように2000年からこの15年間に右肩上がりの増加である。論文が引用される回数がこんなに急増することで、近年の学問の発展の傾向を見ることができる。

年次被引用数

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出典:原泰史氏の分析

 いかに価値ある研究だったかを裏付けたのが、大隅先生の国際的な叙勲の数々である。2012年からでも下記のような国際的に知られる叙勲に輝いている。

  • 2012年11月(平成24年) 京都賞
  • 2013年9月(平成25年) トムソンロイター引用栄誉賞
  • 2015年4月(平成27年) 日本内分泌学会マイスター賞
  • 2015年10月(平成27年) ガードナー国際賞
  • 2015年11月(平成27年) 文化功労者
  • 2015年11月(平成27年) 慶應医学賞
  • 2015年11月(平成27年) Shizhang Bei Award
  • 2015年12月(平成27年) 国際生物学賞
  • 2016年4月(平成28年) Rosenstiel Award
  • 2016年4月(平成28年) Wiley Prize
  • 2016年6月(平成28年) The Dr. Paul Janssen Award 2016

 特に2015年からの叙勲ラッシュは異常である。そのアンカーにノーベル賞が待ち構えていたことは当然であった。「ノーベル賞当選確実」だったのだ。

 特許にはほとんど無関係だった大隅先生の研究成果

 大隅先生の生命現象の維持に必要な細胞・遺伝子レベルの真理の発見は、最近になってパーキンソン病などの神経変性疾患やがんの治療に役立つのではないかとして、世界的に実用化の研究が広がっている。

 原泰史さんの追跡によると、大隅先生が発明者になっている特許出願は、次の2件になっている。

①  【公開日】平成12年2月29日(2000.2.29)、特開2000-60574(P2000-60574A)【発明の名称】オートファジーに必須なAPG12遺伝子、その検出法、その遺伝子配列に基づくリコンビナント蛋白の作製法、それに対する抗体の作製法、それに対する抗体を用いたApg12蛋白の検出法。②  【公開日】平成14年12月4日(2002.12.4)、特開2002-348298(P2002-348298A)

【発明の名称】蛋白質とホスファチジルエタノールアミンの結合体

 結果は2件とも、特許には結びつかなかった。

①  は、審査請求されず、②は拒絶査定されていたからだ。

 これは特許出願の失敗ではない。大隅先生の研究成果が、いかに真理の発見そのものの基礎研究であり、特許とは無関係だったかという証拠ではないだろうか。

 むろん今後、世界中で展開される病気の治療に役立つ発明があれば特許は出願されるだろう。実用化の研究競争は、これからが熾烈なものになるだろう。

 大隅先生の基礎研究でリードした優位を日本の研究陣は実用研究の競争でどこまで健闘できるのか。すでに中国の研究陣はこのテーマで多くの論文を出し始めている。それはいいことであり、日本にとって刺激になる。

ノーベル賞の先に次のノーベル賞がある。実用研究ですでにオートファジーの国際競争が始まっているのである。

 頑張れニッポンの研究陣!である。