世界一周の船旅の記録その1をアップします。1~30回です。
2024/11/25
2024年4月から7月まで、ピースボートのパシフィック・ワールド号(7万7千トン)に乗船して、世界一周をしてきました。
その様子を60回に渡って、ブログでアップします。
その①1~30回分のPDFファイルをアップします。
2024年4月から7月まで、ピースボートのパシフィック・ワールド号(7万7千トン)に乗船して、世界一周をしてきました。
その様子を60回に渡って、ブログでアップします。
その①1~30回分のPDFファイルをアップします。
NHKが最近、旧統一教会の反社会的活動を報告するニュース報道を視聴者の多い朝と夜の番組で放映を始めています。新聞の全国紙(東京新聞を除く)よりも、旧統一教会への厳しい批判姿勢になってきたことを評価したいと思います。
さる7月27日の夜9時からのニュース・ウオッチ9では、旧統一教会信者の家族がその被害を語り、特定政治家を支援してきたことを語っていました。被害者を支えてきた全国霊感商法対策弁護士連絡会の山口広弁護士も、反社会的活動を展開する旧統一教会の組織的運動を語っていました。
7月29日の夜7時からのNHKニュースでは、被害者を支えている弁護士グループが外国特派員記者クラブで会見したことを長々と報道しました。名称を旧統一教会から世界平和統一家庭連合と変えたあとも被害は続いており、直近5年間で500件以上の霊感商法などの相談があり、総額54億円余の被害額を発表していました。また政治家とのつながりを指摘し、安倍氏銃撃事件は、決して許されるものではないが、旧統一教会の悲惨な被害実態を改めて強調するという会見内容を報道していました。
NHKがこうした理不尽な旧統一教会の活動が今でも続いていること、政治家とつながりがあるという問題意識を報道したことを評価します。
新聞はあり余る情報を整理した「調査報道」をシリーズでやるべきと思います。
8月5日午後7時からのNHKニュース番組で、旧統一教会の反社会的活動の実態と政界との「癒着」について、長々と問題提起をしました。
まず小林経済安保大臣、石破元幹事長らが旧統一教会とかかわっていたことを放映しました。続いて、旧統一教会から2015年6月に名称変更した後、霊感商法や献金強要による被害が広がったのではないかと語り、文化庁が名称変更を承認した手続きに問題があるのではないかとの問題意識を示しました。
その際、承認を進める役割をしたと言われているのが、当時の下村文科大臣です。前川喜平・元文科事務次官が「下村さんの意思が(名称変更承認に)働いていたことは100%間違いない」と証言したことを放映しました。これらに対する自民党議員側の言い分も簡単に語らせていますが、これはメディア報道の「ルール」であり、一方的にならないように形式的に配慮したものです。
NHK報道が、旧統一教会と政界の癒着とその問題点を、正確に指摘したニュースであることは間違いありません。筆者は、どちらかというとNHK批判派でしたが、旧統一教会報道に関しては、国民に真実を伝えようとする姿勢が見えており、評価を変えています。これからも期待したいと思います。
国会で多数決を保持すれば、なんでもできる。政治哲学や政治倫理が希薄でも、「多数」を政治のすべての論理として位置づける。そのためには、票が必要です。そのためには、カネと人手が必要です。それが日本の政治現場の最大の望みです。カネと人手。その望みを叶えてやる。それが統一協会の戦略でした。
そのためのカネは、霊感商法で掻き集める。人材は、マインドコントロールして信者に取り込んだ中から、資質の高い信者を政治家のもとに送り込んで役立たせる。これが、全体像ではないでしょうか。
角栄は常々「政治は数、数は力だ。そして力は金だ」と言っていた。これは、金と力は有権者の要求に応えるための手段だ、という意味。「目白詣で」と呼ばれていたエピソードがそのことを裏づける。
民主主義の原理を悪用した旧統一教会
「政治は数、それはカネの力」そのような政治哲学を最初に語ったのは岸信介と思います。国会で多数を握っていれば、何でもできる。それを実践したのは岸の実弟の佐藤栄作でした。沖縄返還交渉では密使・密約外交を展開し、「外交の私物化」を押し通して嘘の答弁を繰り返し、返還を自身の手柄にして退陣しました。国会で多数を握っていれば、何でもできる。その有様をつぶさに書いたのが拙著「沖縄返還と密使・密約外交 宰相佐藤栄作、最後の一年」(日本評論社)です。
民主主義は多数決の原理で成り立っています。しかし「政治は数、数は力、力は金」。このように明言したのは田中角栄であり、それを実践した政治家でした。国会で多数を保持していれば何でもできる。その伝統は引き継がれ、国会で嘘八百を語っても数で押し切れる。日本の政治風土が完成しました。政治信条・哲学・倫理は希薄でも、数でなんでも押し通すことができる政治風土を確立したのです。
モリカケ・桜を見る会の一連の事件は、国会で多数であればなんとでもなることを示してくれました。そのためには、票が必要だ。そのためには、カネと人手が必要だ。それが政治家の最大の望みになっていきました。カネと人手-その望みを叶えてやるのが、旧統一協会の戦略でした。カネは霊感商法で掻き集めてヤミ献金する。人材はマインドコントロールして信者に取り込んだ中から、資質の高い信者を政治の現場に送り込んで役立たせる。その代償として旧統一教会は政治からの庇護を受ける。この見えない糸で結ばれたギブアンドテイクが旧統一教会と政界を結んでいる全体像ではないでしょうか。
直近5年間だけでも被害相談は500件以上、総額54億円の相談が全国霊感商法対策弁護士連絡会にきています。そういう団体と付き合っている政治家は反社会的活動にくみしていることになり、絶対に許せないと私は思っています。
1970(昭和45)年1月29日の読売新聞夕刊社会面トップ
筆者が世界基督教統一神霊協会(統一教会)の初期の街頭活動を取材したのは1970年1月でした。当時、読売新聞社会部の警察担当をしているとき、都内の主ターミナル駅でカンパを装った「花の押し売り」を取材し、その異常な行動を取り上げました。
「ダニのような ヘビのような」しつこさを語った記事を読んでください。当時の警視庁もその異常ぶりを認めて、道交法違反として摘発する動きを見せました。
筆者は、当時の統一教会関係のリーダーであった笹川良一氏を追いかけ、大阪出張中のホテルで捕まえ、電話で取材しました。笹川会長は「そのような迷惑な活動は許しがたい。すぐにやめさせる」と強い調子で語りました。
驚いたことに翌日から、都内の繁華街で活動していた統一協会の花の押し売りは、一人もいなくなりました。警視庁も驚いていました。その後、別件で笹川会長にほんの短時間会った際に、正義感のある人物のように感じましたが、主義・信条まではわかりませんでした。
統一協会はやがてマインドコントロールで信者を増やし、霊感商法など反社会活動へとエスカレートしていきました。
筆者はその後、別のテーマの取材で忙しく、統一協会のことなどすっかり忘れていましたが、ほぼ20年後に霊感商法の被害者と偶然に出会い、統一協会の反社会活動のあらましを知って驚愕しました。
「花の押し売り」時代から、統一教会は警視庁からもマークされる団体だったのです。それが名称を変え、活動が地下に潜っていきましたが、実態は不条理な「カネ集め」であり、その多くが政界工作資金として国会議員に流れていきました。
安倍元首相の銃撃事件をもとにして、その反社会的活動の全貌が姿を現してきています。今度こそ、実態を解明し、多くの被害者を救済しなければなりません。筆者は社会正義とジャーナリストの立場から、自分のできることをいま考えています。断固としてやりたいと思います。
横死した日本の歴代総理大臣を検証する
横死(おうし)とは、殺害や不慮の災難にあって死ぬことであり、天命を全うしない非業の死を言います。明治18年12月22日に指名された伊藤博文・初代総理大臣から第101代・岸田文雄総理大臣まで実数で64人が総理の椅子に座りました。
暗い戦争の時代
江戸時代の265年間、日本は鎖国によって外国との交流を絶ち、ひたすら平和国家を維持しました。ところが1868年の明治維新以降、中国文化から脱却し、西欧文化一辺倒になって近代化へ進みました。そして明治27年の日清戦争から昭和20年8月15日の太平洋戦争終結までの46年間、日本はひたすら外地を侵略し、戦争に明け暮れた国になりました。
日清戦争1894(M27)年8月~95(M28)年3月
日露戦争1904(М37)年2月~05(М38)年9月
日中戦争1937(S12)年7月~45(S20)年8月
太平洋戦争1941(S16)年12月~45(S20)年8月
この時代に暗殺された総理大臣は5人、戦争責任を問われて絞首刑となった総理大臣は2人、戦争責任から自殺した総理大臣が1人いました。
暗殺された総理大臣
伊藤博文1909(М42)年10月26日、ハルビン駅頭で暗殺
原 敬 1921(T10)年11月4日、東京駅頭で暗殺
犬養 毅1932(S7)年5月15日、515事件で暗殺
高橋是清1936(S11)年2月26日、226事件で暗殺
斎藤 実1936(S11)年2月26日、226事件で暗殺
戦争の責任を取って自殺または処刑された総理大臣
近衛文麿1945(S20)年12月16日、自宅で服毒自殺。
東条英機1948(S23)年12月23日、巣鴨拘置所で死刑
広田弘毅1948(S23)年12月23日、巣鴨拘置所で死刑
伊藤博文から戦争の時代の最後の鈴木貫太郎まで42代(実数29人)の総理大臣を輩出しましたが、そのうち延べ13代(全体の31%)は、暗殺か戦争責任で死亡した総理大臣でした。この時代、日本の総理大臣は血塗られた歴史の中で活動したのです。
平和憲法を必死に守った戦後の総理大臣
戦後日本は、戦争を放棄した平和憲法を守って、徹底した平和国家となったはずでした。昭和20年8月17日から今日まで第43代から第101代まで実数で35人の内閣総理大臣が誕生しました。その中で安倍元総理は、戦後初めて横死した総理になりました。
安倍元総理はなぜ、銃撃を受けたのか。それは政治テロでもなく、思想テロでもなく犯人の個人的恨みを晴らす個人テロでした。
これまでのメディア報道によれば、母親が元統一教会の信者になり1億円相当を教団に寄付しました。それが原因となって破産に追い込まれ、一家が悲惨な境遇に陥ったことから教団に恨みを持ち、この教団と元総理は深い関係があると思い込んだ犯人が手製の散弾銃で狙撃したものでした。
安倍元総理は、閣議決定で憲法違反である集団的自衛権の一部行使容認を決め、戦前の危うい統治国家に回帰させるような憲法改正を先導しているリーダーでした。しかし今回の個人テロは、そうした政治的動きに対する対抗ではなかったようです。
旧統一教会と政界との癒着
「日刊現代」紙の報道によれば、反社会的活動を50年以上にわたって続けてきた旧統一教会と関係ある国会議員は112人おり、そのうち34人は歴代政権の重要ポスト経験者だと報告しています。
【統一教会】旧統一教会と「関係アリ」国会議員リスト入手! 歴代政権の重要ポスト経験者が34人も|日刊ゲンダイDIGITAL (nikkan-gendai.com)
その頂点にいたのが安倍元総理でした。今回の「横死事件」の全貌は、元統一教会と政界のつながりの総括なくして解明できないものです。大手メディアはこれまで元統一教会と政界の癒着に、だんまりを決め込んできました。
昭和の時代のメディアのように社会の木鐸、社会正義のためにメディア本来の機能を発揮できるのか。大手メディアは、今まさに正念場を迎えています。国民は政界の動きと同時にメディアの動きにも注視する必要があります。
安部晋三元総理が、手製の散弾銃で狙撃され衝撃的な最期を遂げました。
痛ましい事件でしたが4つの汚点を歴史に刻み込みました。
第1の汚点は、この事件は政治テロでもなく、民主主義を否定する思想テロでもありません。犯人が受けた逆境の元凶が安部元総理にあったとする思い込みから出た計画的な犯行でした。
これほど個人的な動機で元総理に強い殺意を抱き狙撃したその事情には相応の理屈が存在しており、その可否を検証しなければならないという誠に低質な課題が残されたことでした。元総理大臣を狙撃する。その原因を遡ってみれば宗教団体「世界平和統一家庭連合」というまるで政治思想集団のような名前の団体に行きつきました。世に言う元統一教会です。
筆者は一時期、この宗教団体の一端を取材した経験から、社会的に受け入れることができない集団だと確信していました。そんな団体とかかわっていたというだけで元総理の経歴と歴史に汚点を残しました。
第2の汚点は、元統一教会と多くの自民党議員が、この50年以上にわたって地下水脈で結びつき、お互いに利害得失を分かち合ってきたことです。それだけなら他の宗教団体と政党・政治家も実例を重ねてきましたが、元統一教会は、反社会的活動を展開する集団として際立っていました。
印鑑、壷、多宝塔、高麗人参濃縮液などの販売を展開し、信者をマインドコントロールし、霊感商法などで金をだまし取り、合同結婚式という常軌を逸した集団行動を公開し、たびたび批判を浴びて社会問題となっていました。
そのような集団とねんごろに付き合ってきた政治家の頂点にいたのが元総理であり、集団のイベントには祝辞を寄せるほどの間柄でした。これは政党・政治家の汚点と言わずしてなんと言えましょう。
筆者の尊敬していた自民党代議士も元統一教会と親密に交流しているのを知っていましたが、その目的は選挙の票集めでした。
第3の汚点は、メディアの報道姿勢です。元総理が狙撃され死去し、犯人が逮捕されて自供しているにも関わらず、数日間も元統一協の名を伏せ、元統一協関係者が記者会見をした後で一斉に報道しました。
新聞・テレビだけでなく雑誌メディアも同じであり、その間、ネットでは元統一教会のかかわりを指摘する情報が席巻していました。その間、新聞・テレビを代表とする日本のメディアは、全く機能しなかったという大汚点を残しました。
第4の汚点は、元総理の国葬です。国葬とは国家の威信に関わる政治的な思惑に基づき、国費で執り行われる祭事と理解しています。数々の反社会的な行動を繰り返し問題を起こしていた団体とかかわってきた元総理を国葬として執り行うことに筆者は反対します。これこそ歴史に残る汚点と断じます。
この本の著者として訴えたいと思います
いまから50年前の1972年5月15日、沖縄の施政権がアメリカから日本に復帰しました。その節目に、返還交渉のときに佐藤栄作総理は、どのようなことをしていたか検証した本です。
返還から20年を経過したころから、アメリカで公文書公開が始まり、沖縄返還交渉の全貌が分かってきました。その文書をみると、佐藤政権が国会で説明していることは嘘が多く、国民も国会も知らない交渉条件で返還が実現していました。米軍の沖縄基地の自由使用と有事の核持ち込みを日本側がアメリカに保障していました。密約です。
国民・国会に嘘をついてまで返還されたことが原型となり、今の米軍への「思いやり予算」の原型を作りました。ウクライナ戦争によって、ロシアの核使用が現実として語られる時代になりましたが、核使用の戦争に拡大したら、日本はどのような対応をするのか。日米安全保障では、どのような約束になっているのか。
佐藤総理は、自民党総裁任期中に沖縄返還を実現するために、公式に返還交渉している外務省にも相談せず、勝手に民間人の密使を使って密約を結び、国会と国民に嘘で固めた国会対応をしていました。そのことを日本では、政治の場でもメディアでも学会でもきちんと総括されたことがありません。まして多くの国民はよく理解しないままに放置されてきました。
民主国家が日本で育たない重要なケースとしてこの本を書きました。同時に佐藤総理は、任期が切れる直前には、別の民間人密使を使って中国との国交正常化を目指す交渉を香港を舞台に極秘裏に進めていました。
日中復興でも北京と密使外交を展開
沖縄復帰と日中国交正常化という50年前の大問題を、外務省を蚊帳の外に置き、総理直轄の民間人の密使を使って密約を結んで実現しようとした「手口」は、先進国とは思えず、議会制民主主義国家の体裁もしていませんでした。密使に依頼するときには、官房機密費から200万円、300万円の「餞別」を手渡していました。
ニクソン大統領と極秘で署名を取り交わした「有事の核持ち込み」を保障した議事録は、佐藤栄作私邸にそのまま保存されており、一方のアメリカは国務省に国家機密文書として保管されていました。国家の命運を決めるかもしれない外交折衝の議事録が、日本では元総理の私邸に保管されたままであり、今なお日本政府も外務省も「承知していない」というスタンスでお茶を濁しています。
このように、国家としてのたたずまいをしていない状況を国民はもっと真剣に考えるべきと思って、この書籍を上梓しました。多くの人に読んでいただきたいと思っています。
コロナ感染症の猛威は何だったのか
年の瀬を迎えて皆様、いかがお過ごしでしょうか。コロナ変異株オミクロンが、世界中で徐々に拡大している様子ですが、今のところ感染しても無症状とか軽症で済むという報道もあります。困るのは無症状でどんどん拡大することです。拡大したあげく、症状が出てくるということなら問題です。
下のグラフを見てください。グーグル統計が毎日報告している世界の感染者数の推移(以下同)を見ると、世界は4つ目の山を迎えるような状況です。コロナは全く沈静化していないことが分かります。
お隣りの韓国はいま、感染者数がピークを迎えています。この推移グラフを見てください。この1か月に急増しています。なぜでしょうか。
今年の8月20日前後をピークに急降下で減少を続け、いまやゼロに限りなく近づいています。直近3カ月間の韓国と日本の余りの違いに驚きます。日本が急降下で減少していることに世界の研究者は大きな関心を抱いているようですが、その解明はまだされていません。
世界の状況を報告します
では世界各国はどうなっているのか。12月12日現在、世界で感染者数がピークを迎えている国は4か国です(ロイター統計、以下同)。
韓国 | ピークに到達 | 1日あたりの感染者数の平均がピーク。現在の新規感染者数は5,865件。 |
フィンランド | 〃 | 1日あたりの感染者数の平均がピーク。現在の新規感染者数は1,403件 |
ノルウエー | 〃 | 1日あたりの感染者数の平均がピーク。現在の新規感染者数は4,231件。 |
デンマーク | 〃 | 1日あたりの感染者数の平均がピーク。現在の新規感染者数は6,045件。 |
ジンバブエ | 〃 | 1日あたりの感染者数の平均がピーク。現在の新規感染者数は3,508件。 |
逆に感染者数が底をついたような状況になっている国が、日本など5カ国あります。
アメリカは世界最多の感染者数
アメリカではこのところ感染者数の増加を材料に、ニューヨーク、ナスダック株式市場がともに株価の乱高下を繰り返しています。上げる理由も下げる理由も、本当のところは分かりませんが、コロナの材料が色濃く反映していることだけは言えそうです。
フランス | ピーク時の92% | フランスでの感染者数は増加傾向にあり、平均で1日48,547人の新規感染者が報告されている。1日平均人数のピークだった 11月7日の92%になる。 |
ドイツ | ピーク時の90% | ドイツでは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による死者数の1日あたりの平均が3週間で160件以上増加。前回のピーク時から17%増加。 |
ベトナム | ピーク時の85% | 1日平均14,805人の新規感染者を報告。ピークだった11月29日の87% |
イギリス | ピーク時の82% | 英国では、1日あたりの新規感染者数の平均が3週間で9,800件以上増加。前回のピーク時から16%増加。 |
アメリカ | ピーク時の48% | 新規感染者数は世界で最多。新規は一日平均12万700人。 |
その他の感染者数が増加している国
そのほかの主な国で感染者数が増加している国を拾い出してみるとこの3か国です。
南アフリカ | ピーク時の78% |
ロシア | ピーク時の77% |
オーストラリア | ピーク時の67% |
いずれにしても世界的に見るとコロナはまだ、警戒水域から一歩も出ていないように見えます。
それを言いたくてこのような分析を試みました。
数々の栄誉の最後にノーベル賞
気象学の理論学者として地球温暖化現象を1960年代に予測していたプリンストン大学上席研究員の真鍋叔郎博士(90)が、ノーベル物理学賞を受賞した。
日本生まれの自然科学のノーベル賞受賞者としては25人目、物理学賞しては12人目となる。このうちアメリカ国籍を取得しているのは、2008年の物理学賞の南部陽一郎博士、2014年の中村修二博士に次いで3人目となる。
真鍋博士がノーベル賞受賞候補者になっていると予想していた人は、日本ではほとんどいなかっただろう。いま調べてみると気象学の分野では、地球温暖化の理論研究者として抜きんでた業績を残しており、専門の研究者の間では非常に高く評価されていたことが、数々の学術的な栄誉・褒賞を見るとよく分かる。
この分野の主な賞を総なめにして最後にノーベル賞を授与されたという、よくある典型的な授与経歴であった。
コンピュータ社会の先端を走ったアメリカで大成する
真鍋博士の受賞について考察してみると、いくつかの特徴が出てくる。
まず第一に、物理法則をもとに地球全体の気候現象を、コンピュータで予測する数値モデルを開発したことである。それが1960年代に手がけているということは、コンピュータ時代の幕開けのころから、コンピュータという技術革新の旗手となったツールを使いこなしていたことが分かる。
1958年に東大理学部で博士号を取得と同時に、アメリカ気象局(現海洋大気局)の招待を受けて渡米し、コンピュータが実用化されて間もないころから予測研究に取り組んでいたことになる。
日本が、コンピュータ実用化時代を迎えたのは、1970年代に入ってからである。60年代後半の日本企業は、アメリカのIBMを代表とするコンピュータメーカーの模倣品を製造するか、丸ごと輸入して使っていた。筆者もそのころ、コンピュータと取り組んでいたことがあったので、そのころの事情はよく分かる。
学術現場でも産業界でも、アメリカのコンピュータ実用化には遠く及ばず、スピード感では飛行機と自動車ほどの差があった。
その時代にアメリカで地球温感化の理論予測を発表し、それが50年以上経て、実際に地球温暖化という「実証」によって確かめられた。
ノーベル賞業績を見ると、理論物理学で予測を提示し、後年、それが実験物理学の研究で実証されて証明されることが多い。その場合、理論と実証の双方からノーベル賞受賞者を出すこともある。
日本人として初めてノーベル賞受賞者となった湯川秀樹博士の場合、中間子理論の提唱が実験物理で実証され、それが評価されてノーベル賞を授与された。
研究内容を語る真鍋博士(NHKテレビより)
大半の学術功績はアメリカで評価された
真鍋博士の経歴を見ると、数々の受賞歴に輝いている。1966年に「大気の熱収支および放射平衡に関する研究」で藤原賞を授与されたのを皮切りに、1967年にアメリカ気象学会から、あらゆる規模の大気運動の観測、理論、モデリングに関する研究成果が認められ、個人に授与される「Clarence Leroy Meisinger賞」が授与されている。
その後も価値ある学術的褒賞を総なめにして、最後にノーベル賞に輝いた。これは典型的なノーベル賞受賞歴と言える。
90歳でも現役の研究者として遇するアメリカ
真鍋博士のノーベル賞受賞で最も印象を受けたのは、真鍋博士がテレビとの会見で語っている姿と語り口である。90歳とはとても思えない「頭脳明晰・言語明瞭」であることだ。
肩書を見れば分かるが、世界の頭脳が集まるプリンストン大学上席研究員とある。学術的存在感をずっと保持し続けたことの証拠であり、アメリカの大学は能力を発揮できる学者・研究者は終身雇用されるという実例を知った。
年功序列、定年制度を厳密に守っている日本では考えられないことだ。日本では、どのように優れた科学者でも、一律に「定年」という線引きで閑職か事実上のリタイアに追い込むのが普通になっている。突然作った名誉職の肩書を付けてやるという慣行が横行している。
実力主義ではなく年功序列主義で、多くの才能・才知を途中で切り捨てている。研究者だけでなく企業にあっても同じである。どのように優れた経営者であっても定年を迎えれば世代交代という慣行にならってリタイアし、名誉職に祭り上げられる。創業経営者だけが「居残り」を許され、それなりの功績を残すことができる。
こうした日本社会の慣行を見直すいい機会にするべきだろう。真鍋博士を首相官邸に呼んで総理からほとんど意味のない「祝辞」を発し、それをメディアに露出することで官邸のPRに利用するという愚がまたも繰り返されるのだろう。
気象学の理論研究者が地球温暖化という現実の実証によってノーベル賞を授与したノーベル賞選考委員会(王立スウェーデン科学アカデミー)の審査は、ノーベル賞の歴史の上でも異彩を放つ素晴らしい実績となった。
インド弁護士会が、イベルメクチン使用禁止を発信したWHO幹部の刑事訴追も辞さず
インド弁護士会(IBA)は、さる5月25日、世界保健機関(WHO)の主任科学者であるスミヤ・スワミナサン博士に法的通知(LEGAL NOTICE)を送付し、イベルメクチン使用を拒否する言動をやめるように「警告」した。通知文書ではイベルメクチンの治療・予防効果に関する多数の科学論文を根拠にあげ、スワミナサン博士の刑事訴追も辞さないとする強いメッセージである。送付と同時に世界に向けてこの警告書を公表した。
通知文書は、51ページにわたってイベルメクチンの科学的論文や解説を紹介し、これを無視もしくは批判的に語ってきたWHOの前事務局次長で現在、チーフサイエンティストの役職にあるスワミナサン博士を痛烈に批判した。
同博士はインド生まれの女性で、小児と成人の結核、疫学と病因、およびHIV関連疾病を専門とする臨床医である。2017年10月からWHOの事務局次長の要職を務め、2019年3月からチーフサイエンティストになり、WHOの科学的な見解の発信や政策を決定する際に大きな影響力を出していた。
同通知で取り上げているイベルメクチンに関する解説は、アメリカの医師団(FLCCC)やイギリスのイベルメクチン推奨開発団体(BIRD)などの論文を根拠としてあげており、そこで報告されている科学的根拠に対しスワミナサン博士は「意図的に無視してきた」として痛烈に批判した。
WHOの立場を悪用して影響を誇示
同文書で列記しているスワミナサン博士への批判は、次のような内容だった。
スワミナサン博士の言動は、WHOの公式見解であり、2021年5月10日にイベルメクチンの使用に反対するような同博士のつぶやきは大きな影響を与えた。つぶやきの翌日の5月11日に、インドのタミルナドゥ州がイベルメクチンをプロトコルから取り消している。
タミルナドゥ州はスワミナサン博士の出身地であり、地元に対し大きな影響力があったと推測されている。弁護士会はこの事実をあげて、つぶやきは「効果をもたらした」と指摘している。
そのころインドでは、コロナ感染者が急増し、有効な治療薬もなく、治療装置も決定的に不足し、押し寄せる患者の対応に医療現場は修羅場になっていた。そんなとき、一縷の望みをかけて国が使用禁止をしていたイベルメクチンにすがりついた。効果も出していたとき、WHOの禁止発言は人道的に許されないというのがインド弁護士会の主張である。
日本のメルク社から出されたイベルメクチン「反対」ステートメント。
アメリカ本社からの同じステートメントは2か月前の2月に発信されている。
さらに同文書では、インドを始め多くの国でイベルメクチンを使用することに抵抗があるのは、WHOのチーフサイエンティストが、「イベルメクチンの有効性を証明する膨大なデータを故意に無視し、薄っぺらな理由でイベルメクチンの使用に抵抗」してきたからだとし、「スワミナサン博士の悪意と下心を証明している」と言及している。
また、「パンデミックへの対応における惨めな失敗のために、WHOの信頼性と誠実さは日を追うごとに衰え続けている。WHOが発行する報告書は、ますます偏ったものと見なされるようになっている。品質、信頼性、合理的なアプローチを全く欠いていると見られるようになってきている」と糾弾した。
同文書の後半では、世界の医療界、医師、科学者らは、一部の製薬企業やそれに連なるロビー活動に引っ張られてイベルメクチンの有効性のニュースを抑圧し、治療に使ってきた薬剤の多くが長時間かかって無効であったことを確認するはめに陥ったと指摘した。
最後に患者の利益を第一に考えるヒポクラテスの誓いを語り、イベルメクチンを積極的に使用してCOVID-19治療・予防に闘ってきた多くの医師の名前を列挙している。
この文書の写しは、インド大統領・首相・全州の知事と行政機関の長ら15人に送付したとしている。
イベルメクチン使用で感染拡大を阻止
今年になってからインドで、COVID-19感染症が急増し、国民を恐怖に陥れてきた。インドの中心的な医療組織であるAIIMS(All India Institute of Medical Sciences )は、在宅の軽症患者に対して「体重1キロ・グラムあたり1日0.2ミリ・グラムのイベルメクチンを3~5日間投与することを推奨する」との治療指針を出していた。
ところがインド政府は、イベルメクチンを治療薬として承認していなかった。そこでインドで最大の2億400万人の人口を抱えるウッタル・プラデーシュ州(Uttar Pradesh)は、州政府がイベルメクチンの使用の承認を公布し、即座にCOVID-19の治療に使用されるようになった。同州では4月中旬のピーク時の感染者数約4万人から5月16日には、1万505人まで減少した。
イベルメクチン投与によって感染者激変を伝える「The Desert Review」
インド・コインバトゥール工科大学(防衛工科大学)の招聘講師をしている桂秀光・博士によると、インド国内でイベルメクチンの投与が始まった地域では、急激に患者数が減少に向かったと報告している。
アメリカの「The Desert Review」によると、インドのゴア州では、州内の全ての成人にイベルメクチンを投与する政策を実行した。これを5月10日に発表したが、その日の感染者数は3124人だったが、5日後には1314人に急減した。
また、首都圏のデリーでも4月20日に2万8395人だった感染者数が、イベルメクチン使用後に急落しており、5月15日には6430人まで減少したと報道した。
次号に続く