21世紀構想研究会創立から映像で見る歴史

   21世紀構想研究会の20年の歩みを映像記録として編纂し、公開しました。

これは本研究会・事務局の立木冬麗さんが編纂したもので素晴らしい出来です。

20年前の若き情熱に身を包んだ会員の皆さんの雄姿を是非、ご覧ください

 

このご案内のトップ画面は、伊勢神宮公式参拝後のお清め宴会の写真です。

このトップ画面はシステムが勝手出しているもので、どうしても動かせません。

画面真ん中の指示マークを押していただけると、目的の映像に入ります。

 

 

 

 


21世紀構想研究会20周年記念講演は大村智先生

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  2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智先生が、特別講演を行いました。大村先生は「私の研究 いま」のタイトルで、これまでの研究人生を振り返りながら、ご自身の研究業績をめぐる最近の動向を分かりやすく講演し、感銘を与えました。

 

 大村先生はまず、八木沢行正先生の助言から米国留学を志し、ウエスレーヤン大学に客員教授として招かれたいきさつを語りました。マックス・ティシュラー教授との出会いが運命を変えていったドラマを紹介しました。

 

帰国後の研究は、土壌を採取してスクリーニングし、新しい化学物質を発見する手順を説明、これまで新化合物493個を発見しその中でも重要な化合物を26個発見したと報告しました。

 

 中でもスタウロスポリン、ラクタシスチン、セルレニンなど重要な物質について発見からいま、どのように研究が発展しているかを報告しました。スタウロスポリンは、発見9年後にプロテインキナーゼCの阻害剤であることが発見され、抗がん剤の創薬に応用する道が開けました。慢性骨髄性白血病、非小細胞肺がんなどの薬剤として応用されるまでになったと解説しました。

 

 またノーベル生理学・医学賞を受賞したハーバード大学のコンラッド・ブロック博士やノーベル化学賞を受賞したエリアス・コーリー博士とのドラマチックな出会いから発展した共同研究など興味あふれる話を語って聞かせました。

 

 ノーベル賞受賞につながったオンコセルカ症の特効薬のイベルメクチンについても、発見からメルク社との共同研究のあり様を語り、犬のフィラリア症、人間のリンパ系フィラリア症、糞線虫症、疥癬の特効薬にもなったことを報告しました。

 

 オンコセルカ症の流行地のアフリカへの視察を報告し、悲劇の現場を見て愕然としたことを語りました。

 大村先生の講演は、極めて専門的な内容であっても創薬や疾病の話を織り交ぜながら興味あふれる内容であり、聴衆を引き付けました。

 

 最後に大村先生は、研究人生は人との出会いでありそれが自身の研究発展につながったことを語り、茶道の一期一会の精神が研究にも必要であるとの見解を披露して締めくくりました。

 終了後、21世紀構想研究会の生島和正理事から感謝の花束贈呈がありました。

 

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21世紀構想研究会創設20周年記念式典の報告

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 第136回21世紀構想研究会は、創設から20年を祝う式典から始まりました。

 創設から20年を迎えた節目に当たり、21世紀構想研究会を創設した馬場錬成理事長から挨拶がありました。  

 21世紀構想研究会という名称は、21世紀がまじかに迫った1997年当時を振り返りながら創設の目的を語りました。それによると来るべき世紀に、日本はどのような国として発展させるかそれを模索するために官僚、大学研究者、ベンチャー企業創業者、メディアの四極から有志を集め、問題提起と討論をする場として創設しました。

 この機会に20年間の活動をまとめた「創設から20年の足跡」を発刊し、研究会の歴史と下部組織として活動している知的財産委員会、教育委員会、生命科学委員会そして特別活動などについて報告を行いました。

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   知的財産委員会は、荒井寿光委員長をリーダーに活発に知財改革への提言を行いまた、教育委員会は世界で初めての食育基本法の制定を受けて学校給食甲子園を創設しました。

 研究会は今回を含めて136回を数え、時代認識を意識した会員の熱心な討論と問題意識の共有で、今後も活動を活発に展開することを誓いました。 最後に次の言葉で結びました。

 私たちには権力も資金力もありません 会員の善意と協力で成り立っている研究会です

    時代認識をしっかりと持ち社会の変革に立ちむかいます

  理事長あいさつの後、引き続きノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智先生の記念講演がありました。

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                      総合司会をした本研究会の外川智恵さん(大正大学表現学部准教授)

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                                     21世紀構想研究会の事務局を担当したスタッフ一同 


しばらくぶりの発信です

 多忙を理由にサボるブログ執筆

 しばらくブログをサボっていました。毎日気になっていましたが、フェイスブックにアップするとそのままになり、こちらに戻ることをしなかったのが最大の原因です。と言っても、フェイスブックに投稿していることも少なかったのですが、ま、言い訳の一つです。

 日本の政治は途上国並みではないか

 先の総選挙は、自民・公明の圧勝で終わった。その限りでは、理由もなく「いまなら勝てる」と踏んで解散した安倍氏の不埒な戦略がまんまと当たったということになる。

 つまり政策を国民に問うという解散ではなく、今なら勝てる、選挙の洗礼を受けた勝利の延長線上で憲法改正まで進めたいという思惑が見え見えであった。その戦略に図らずもはまったのが小池都知事の傲慢無礼な排除発言だった。その意味で、政治家は優位に立つとすぐに傲慢になるという浅薄言動がよく出ていた。安倍一強内閣の傲慢さと相通じる発言だった。

 日本の政治家は成熟されていない。他の先進国の政治家のことはほとんど知らないが、筆者の目で見た今の政治家は、政治理念を体現する言動をする人はほとんど見当たらない。今の政治家は、議員という仕事に就職した人たちが多く、二世、三世議員がその最たるものだろう。

 高い志で政治家を目指したものではなく、就職先としていい仕事だろうという価値観の中で選択したものだろう。そうでなければ、一族の中で政治家をたらいまわしにする現象は理解できない。とは言うものの、有権者が選んだ政治家であるから、政治家を悪くいっても仕方ない。選んだ有権者は、どういう価値観の中で選んだのかが問われることになるのだろう。

 政党が公募して候補者を決めるというやり方も限界がある。どうしても付け焼刃で応募・選択されるので、ひと山当てようとする高学歴の人物が有利になるような気がする。そういう現象も成熟した政治風土ではないのではないかと思わざるを得ない。

 一人一票も実現できない国にあっては、まだまだ遠い道のりが続くのだろう。

 

 


特許は日本語で考えることが重要

2017.09.04

特許は日本語で考えることが重要

科学は日本語で考えよから発想したテーマ

 今回の潮流のタイトルは、表記のように「特許は日本語で考えることが重要」とした。
実は、筆者が講義している東京理科大学では「科学は日本語で考えることが大事」とのテーマで講義をしているが、学生にはそれなりに影響を与えている。講義の主張の展開に「眼からうろこ」という感想も聞かれる。

 今回、これをヒントに特許についてはどうか考えてみた。何人かの弁理士と話をしていて、最近、日本語のしっかりしていない発明内容を記述しているケースが多いという例にぶつかった。日本語の国語力が低下してきたからではないかという指摘も出ている。

 「日本語と科学」と「日本語と特許」は、論理的に思考する活動は似ているが、どちらかというと特許のほうが科学より日本語の論理力が問われるのではないかというところにぶつかった。
 英語は国際語になっているので大事ではあるが、それ以上に日本語の方が大事であることを今の時代に主張するべきではないか。今回のコラムは、少々ユニークなテーマになるが、整理して書いてみた。

 

白川先生のとっさのコメント

 きっかけは白川英樹先生の一言から始まった。2000年のノーベル化学賞の受賞者になった白川英樹先生は、世界で初めて電気を通すプラスチックを発明して授与された。受賞後には世界中のメディアから取材を受けたが、そのとき外国人記者から「日本人は、アジアの中でなぜノーベル賞受賞者が多いのですか?」と聞かれた。

  先生は一瞬考え「科学を日本語で学んでいるからです」ととっさに英語で答えた。そのコメントが正しかったかどうか、先生を長い間悩ませてきた。 
  しかし確信にいたるヒントは、作家の丸谷才一氏が2002年7月31日の朝日新聞文化欄に書いたコラムから出てきた。 「言語には伝達の道具という局面のほかに、思考の道具という性格がある。人間は言葉を使うことができるから、ものが考えられる。言葉が存在しなかったら、思考はあり得ない」

 この言葉に白川先生は意を強く持ち、ますます日本語の重要性を確信した。
日本人は、日本語で考えるから研究者としても新しい発見に至る。その日本語は江戸時代から先人たちが造語してきた科学用語が土台になっている。したがって日本語で物事を考えることが訓練されていないと優れた科学者にはなれない。そう考えた白川先生は、21世紀構想研究会でも講演して好評だった。 

2016年3月25日に開催された21世紀構想研究会で講演する白川英樹先生

 

相次いで出てきた日本語重視の本 

 「日本語の科学が世界を変える」(筑摩書房)という本は松尾義之先生が書いたもので2015年に刊行された。
この本には次のようなことが書かれている。

「日本語の中に科学を自由自在に理解し創造するための用語・概念・知識・思考法まで、十二分に用意されています。だから日本語で最先端のところまで勉強できるのです。日本では江戸時代から西欧の科学を移入し、先人たちが科学用語を創り、明治維新の30年前に西欧の近代化学を受け入れるようになっていました。日本語で創造的思考能力を鍛えない人は、一流の科学者にはなれません。明治時代の偉大な科学者は、すべて日本語で学んだ人たちでした」

  白川先生はこの本を読んで自分の考えと同じであることに感動し、ますます日本語の重要性を説くようになった。

 


松尾義之先生の著書「日本語の科学が世界を変える」

 

続いて刊行されたのが寺島隆吉先生の「英語で大学が亡びるとき」(明石書店、2015年)である。
寺島先生は岐阜大教授を経て国際教育総合文化研究所所長、アメリカの多数の大学の客員研究員、講師などを歴任している。

この本の主な主張点は、英語は「研究力、経済力、国際力」という神話は間違いである。求められているのは日本語で考え日本語で疑問を作り出すことである。母国語で深く思考するからこそノーベル賞業績にもたどり着くのだ。

 これらの本が刊行されたころ、京都大学の山極寿一総長が京大生に向かって「京大生よ日本語で考えよ。英語はツールでしかない」(2015年10月21日付日本経済新聞朝刊)と語ったというニュースが出た。  「重要なのは大学4年間で考える力をしっかり身につけることだ。それには日本語で考えるのが一番だ。日本の大学はこれまで高度な高等教育をし、海外のあらゆる研究成果を日本語に訳し、自国語で研究・教育を高める学術を確立した」
 このような主旨を語ったとして新聞に出たのである。

 

幕末から明治維新後までに確立された科学用語

 幕末から明治維新前後に岡山県津山藩が生み出した科学者たちの話を筆者が知ったのは、岡山県津山市の「津山洋学資料館」に行ったときである。 江戸時代、この地が生み出した宇田川玄随をはじめ、宇田川家三代の医学、化学、植物学者らは、西洋から入ってきた学問を日本語に翻訳し、今でも使用されている多くの科学用語を残した。

  例えば酸素、窒素、酸化、還元などの用語は、みなこの時代に岡山藩の科学者たちが作った日本語である。

 

     

 津山洋学資料館の入り口に立つ偉人たちのブロンズ像。
「知は海より来る」として多くの科学用語を作り出した。

 


 さらに物理や数学の用語と概念は、明治11年から3年間に東大理学部仏語物理学科を卒業した日本で初めての理学士たち21人が、欧米の専門語を翻訳して日本語として確立させたものだ。
彼らは20代の若さで理学を日本に普及させようと東京物理学校を設立した。白川先生は「日本人は大学入学までは日本語で科学を学び考えています。日本語で考えられない人が英語で考えることは無理です」とも語っている。

 

 明治26(1893)年発刊された日本で初めての物理学教科書

 

特許発明は日本語で表記できなければ権利化できない
 いま、日本では英語教育の重要性が叫ばれ、幼児から英語を習わせようとしている風潮も出ている。しかしこのテーマで何人かの弁理士たちと話し合ったところ、特許発明も日本語がしっかりしていないと成果として残らないという主張を聞いた。
  日本人の論理構成は日本語で考えることから始まる。日本語で論理がきちんと説明できなければ発明はまとまらないし、特許明細書に書き込む文言もまとまらないと弁理士は言う。
 最近、日本人の国語力が低下してきたのではないかと心配する弁理士もいる。これが特許出願数の減少とは結び付かないだろうが、論理構成が貧困になれば発明も簡単には出てこなくなる。
 日本語を重視するという発想は、科学研究などに限らず国家の産業力にも通じているように思う。

 

 


知財立国の停滞要因を指摘した国会質問~三宅伸吾議員がえぐり出した実証的課題

 このコラムは、発明通信社のコラム「潮流」にも掲載されます。 http://www.hatsumei.co.jp/column/index.php?a=column_detail&id=235

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 停滞する知財現場を実証的に指摘した質疑

  さる5月18日に開かれた参議院・財政金融委員会で、自民党政務調査会副会長の三宅伸吾議員は、小泉政権時にスタートした知財立国政策が停滞している状況を様々な観点から指摘し、政府に早急な対応を迫った。

 議事録はまだ公表されていないが、後日、次のサイトから閲覧できる。   http://kokkai.ndl.go.jp/

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  日本経済新聞の編集委員として知財政策を長年カバーしていた三宅議員の質疑は実証的、体系的で、非常に中身の濃い内容だった。当日の質疑の模様を三宅議員に取材したので速報する。 

 三宅議員はまず金融庁に対し、企業の財務諸表において特許権がどのように取り扱われているのか質した。

 通常、企業が他の者から特許権を取得した場合には、取得した価格を貸借対照表に資産として計上する。また、企業が自ら研究開発を行い、特許権を取得した場合は、研究開発にかかった支出を費用として処理している。

 金融庁の答弁によると「我が国の上場企業の2015年4月から2016年3月までの連結財務諸表を見ると、特に特許権の計上額が多い企業は、住友化学が約45億円、船井電機が約33億円、デクセリアルズ社が約31億円などが計上されている」。

  特許権を担保にした融資総額の統計はない

 さらに三宅議員は、「特許権を担保にした融資がどの程度あるのか」質問した。これに対し金融庁は、「知財ビジネス評価書の作成支援、金融機関の職員を対象とした知財セミナーの開催などによる啓発運動」は展開しているとしながらも、

「特許権を担保とした融資の全体像は把握していない」と答弁した。

 特許権担保融資について金融庁はセミナー開催などの取組みの現状を説明するにとどまり、特許を担保にした融資総額の統計はないことが分かった。

 三宅議員はこうした実態に対し「民間企業が莫大な研究開発投資をして特許権になっても、実際どの程度アウトプットを生み出しているのか実はよく分からないというのが実態ではないか」と指摘した。

  日本の特許権侵害の賠償額はケタが小さすぎる

 そして「知財立国を標榜しながら、実は我が国では知的財産の資産、特に特許権の資産デフレが続いているのではないか」と問題提起したうえ、この10年間で特許権侵害訴訟の最高の損害賠償金額を麻生太郎金融担当大臣に聞いた。大臣からは「最高額は20億を行ったことはない、私の記憶では、何だ、こんなものかと思った記憶があります」との答弁。

 三宅議員は最高裁が調べたデータを引用し、この10年間の特許権侵害訴訟の最高損害賠償額が約18億円だったことを明らかにした。これはアメリカの侵害訴訟の損害賠償額に比較しても2ケタも低い金額であると指摘した。このような実態から日本の特許は資産デフレではないかとの見解を述べた。

 しかし、日本の知財裁判は和解が多いので一概に言えないという反論もあろう。こうした批判を想定してのことだろうか、「和解の交渉の判断の物差しは、万が一判決になったらどうなるんだろうということを双方の代理人弁護士は念頭に置いて、当然当事者も念頭に置いて和解交渉に臨む」。紛争になる前の任意の交渉でも、「交渉が決裂をして裁判になったらどうなるんだろうということを考えるわけで、判決の認容額は特許権資産評価の重要なバロメーター」であると三宅議員は述べた。

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 特許権侵害罪は絵に描いた餅であり罪にも問われない現状

 続いて、三宅議員は「特許権侵害で手錠を掛けられて裁判になり、刑務所に行った人がいるか」と法務省に質した。これに対し法務省は、「特許法196条(注)の特許権侵害の罪に限定した起訴人員等についての統計はない。特許法違反の罪全体の起訴人員は過去20年間2名である」と答弁した。

 (注)特許法196条(侵害の罪)=特許権又は専用実施権を侵害した者(第101条の規定により特許権又は専用実施権を侵害する行為とみなされる行為を行つた者を除く。)は、十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

  それでは直近の起訴はいつだったかとの質問に、法務省は「平成14年に略式命令請求があった」と答弁。

 これを受け、三宅議員は、平成15年以降、特許権侵害で起訴された人がいない(正確には特許権侵害を含め、特許法違反での起訴例が一切無い)事実を確認した。著作権侵害については刑事司法が対応するときもあるが、特許権侵害については平成15年以降、刑事司法は機能していなかったこととなる。

 特許権の保護策は、その侵害行為に対し、民事の損害賠償と刑事罰の執行とが車の両輪となって機能することを本来、前提として制度設計されている。しかし現実には、刑事司法は絵に描いた餅状態。そのうえ、民事救済手続きも不十分であるなら、侵害のし得になりかねない。

 金融商品取引法などの分野では、被害者の民事裁判による損害の回復の手続き、また東京地検特捜部等による刑事の執行、それに加えて行政上の課徴金という仕組みがある。民事・刑事・行政という3つの法制度から、投資家等を保護する仕組みができている。

 独禁法違反行為に対する措置でも課徴金制度があり、労働分野の賃金未払い問題では付加金の制度があるなど、様々な対応、救済制度が準備されている。このような実態を引き合いに出しながら三宅議員は、「特許権侵害については政策が総動員されていないのではないか」との見解を述べ、政府の施策が不十分であることを浮き彫りにした。

  特許の資産デフレから脱却すべき

 ベンチャー企業が銀行に融資を申し入れても、権利侵害された場合の損害賠償額が小さい現状では担保にとってくれないのは当然。特許を資産として経営に役立てる社会になっていないことを三宅議員は強調した。これでは有力なベンチャー企業は日本では育たないことになる。現に、アメリカ、中国に比べても我が国では産業の新陳代謝が遅れている。

 三宅議員は特許の資産デフレを脱却するには、最先端の技術分野を警察、検察官が理解するのがなかなか難しい現状を考えれば、「民事分野において、一般予防効果のあるように、積極的加害意思のある、いわゆる本当に悪質な侵害であることが立証できれば、そういう侵害者に対しては民事上、ガツンといくということが必要ではなかろうか」と民事救済制度の改革を求めた。

 最後に三宅議員は「我が国が本当に研究開発そしてその成果の知的財産権をうまく使って国を豊かにしよう、海外からどんどんロイヤリティー収入も得ましょう、それから技術開発の成果を権利で保護し、それをテコにしてベンチャー企業が多数出てきて、産業の新陳代謝を通じて元気に国をしましょうとするためには、特許権の侵害のし得だと言われるような悪評が我が国にずっと付いて回るのは甚だ遺憾である」と語り、この課題を政府や社会、企業が共有し、早急に解決に対応する必要性を説いた。

 

 三宅議員の質問は、知財立国と言われている日本で特許を取得しても、司法の民事、刑事で適正に守られず、行政でも具体的な知財保護は機能しているようには見えないという見解を強調した点で、これまでにない国会での論議となった。

 

 企業が莫大な開発費を投入し、特許権を取得してもそれを担保にして資金を調達できる制度も仕組みもなく、侵害されると救済する民事判決は期待できない。刑事摘発はゼロに近いとなれば、侵害し得であり、なんのために特許権を取得するのか意味がなくなってしまう。

 ベンチャー企業が生まれにくい仕組みが放置されているのではないか。そのような状況がこの10年ほどずっと続いていることを三宅議員は指摘したものであり、危機感を持って政府側に迫ったものだ。

 

 中国では知財訴訟が日本の約20倍の件数であり、損害賠償金額も日本を追い抜いて行き、近々、懲罰的損害賠償制度を導入することが決まっている。そのような世界の流れの中で日本が停滞している制度上の欠陥を三宅議員は、政府側の答弁から実証的に引き出し、早急な政府の対応を迫ったものであった。

 

 なお、本国会質疑に関連し、三宅議員が座長を務める、自民党政務調査会傘下の検討会が提言をまとめている。是非、一読をお薦めする。

提言「イノベーション促進のための知財司法改革 --特許資産デフレからの脱却を目指して-- 」2017425日 http://www.miyakeshingo.net/index.php

 


21世紀構想研究会2017年総会を報告します

 副理事長に塚本章人、永野博氏が就任

 岩本昭治、峯島朋子氏が理事に選出

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 21世紀構想研究会の2017年の総会が5月25日、プレスセンター9階会見場で開かれました。

 2016年の活動報告、決算報告と2017年の事業計画、予算発表のあと理事改選に入りました。

 副理事長に塚本氏と永野氏が就任し、岩本氏と峯島氏の理事就任が提案され、満場一致で承認されました。

 

 

副理事長に就任した永野博氏は、この日所用で欠席したためビデオメッセージで

あいさつしました。ビデオ制作は、事務局のアリシアさんです。

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新理事に選出された岩本昭治氏

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新理事(事務局長)に就任した峯島朋子氏

 また私から特にお願いをしました。

 学校給食甲子園は今年12回目を迎えます。このイベントは食育推進、学校給食の理解度を広げるという目標がありますが、イベントを実施する資金はすべてこの運動に賛同する企業と団体の浄財で成り立っています。

 これからも実りある学校給食甲子園にするために、協賛企業、団体の拡大に取り組むことが示され、会員の皆さんにも協力をお願いしました。

 21世紀構想研究会創設から20年の記念パーティ

 21世紀構想研究会は、1997年9月の創設から今年20年を迎えます。これを記念して10月13日(金)午後6時半から、プレスセンタービル10階大ホールで、記念イベントとパーティを開催することが発表されました。

 私からの20年の歩み報告と本研究会のアドバイザーで、ノーベル賞受賞者である大村智先生の記念講演が予定されています。

 

 


かわさき市民アカデミーの講演をアップ

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 NPO法人かわさき市民アカデミーは、シニアの受講生らが熱心に耳を傾ける講座・ワークショップを展開しています。2017年4月には、「いのちの科学」をテーマにした市民講座に呼ばれて、「独創性を発揮した日本人のノーベル生理学・医学賞」のタイトルで講演する機会をいただきました。昨年の大村智先生のノーベル賞受賞を記念する講演に続いて2年連続の要望に恐縮しました。

 会場ではいつも熱心な視線を浴びながらも、リラックスした気持ちで語ることができるのは有り難いことです。講演当日、21世紀構想研究会事務局のAlisiaさんがビデオ撮影し、編集して1部と2部として制作しました。

 このコンテンツをブログにアップするのは気恥ずかしい気持ちですが、これも発信体験の一つとして実現することにしました。

 この試みを快諾してくれたNPO法人かわさき市民アカデミーの皆様に、感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

 ありがとうございました。

 講演会実施要項

日 時 4月17日(月)午後13:00~14:30

会 場 武蔵小杉の川崎市生涯学習プラザの2階

 ビデオ制作者:Alisiaさん

第1部は、↓こちらから見ることができます。

https://youtu.be/gKmOXzLNnLg

 第2部は、↓こちらから見ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=kKI3twUgTRk

 

 


滝鼻卓雄「記者と権力」(早川書房)

記者と権力

 いま世間の耳目を集めている森友事件と加計学園問題。どちらも権力側にあるとされる文書の確認や権力側の恣意的な対応の有無をめぐって国会を舞台に激しい攻防戦が展開されている。メディアは、事の経過を報道するだけでなく、自身の調査報道の力量が問われていると思うのだが、決定的な特ダネも出てこない。

 そのような時代に新聞記者のたたずまい、行動力の在り方を示唆する本が上梓された。著者は元読売新聞東京本社社長、会長、そして日本記者クラブ理事長まで務めた人である。いわば新聞記者として栄達を極めた人であり、普通はこのような本は書かない。が、著者には記者魂がまだくすぶっていたようだ。

 書いてあることは、著者の手がけた事件の情報収集から原稿作成までの過程を振り返りながら、権力から情報を入手する際の行動規範、ありていに言えばニュースソースの秘匿であり取材手段のルールを踏みながら、真相に近づく有様を語っている。

 静岡県清水市で発生した猟銃射殺事件(金嬉老事件)を皮切りに、東大紛争、ロッキード事件、外務省秘密電信漏えい事件など現場の取材体験をもとに新聞記者の活動の在り方を示唆している点で、記者教育の教材にもなるだろう。

 著者は、記者時代の大半を司法記者として活動した。検察、裁判所など権力と立ち向かい権力の扉をこじ開けてネタを取ってくる記者魂が書かれているが、その行動を通じて権力側の人物との交流も語られている。つまり激越な取材活動の中にあっても、人間としての付き合い、信用度を築き上げなければ真相に近づくことはできないことを読み取ることができる。

 有名事件の裏面史的な性格もあるので楽しく読んだ。

 著者との偶然の出会い

   滝鼻卓雄 

 本の紹介にと言ってカメラを向けたら、往時と変わらぬ精悍な顔つきになった滝鼻さん

 この本を読み終える直前、所用があって日本記者クラブに行った。レストランで昼食を取っていたら、滝鼻さんが入ってきた。読売新聞社会部時代に同僚だった時期があった。と言っても滝鼻さんは花形の司法記者、筆者はサツ周り(警察回り)と警視庁記者クラブ、そしてぺいぺいの遊軍記者だった時代であり、ほどなく科学部へ転出した。

 さっそく著者へのインタビューという気持ちで滝鼻さんから話を聞いたが、どうしても往時の思い出話に近い話題になってしまった。しかし長沼ナイキ訴訟控訴審、スモン訴訟や環境権訴訟など一連の公害・薬害事件など筆者も札幌の司法記者として担当した体験もあるので、共通する話題もあった。

 そして小保方晴子氏のスタップ細胞をめぐる取材についても相当なる関心があったようで、関係者への取材を試みたが難航した「秘話」も聞かされ、滝鼻さんの行動力には脱帽した。

 滝鼻さんがこの本を書くにあたり、日比谷図書館に通って自身の執筆した記事を探し当ててコピーにとって苦労した話を聞きながら、やはり滝鼻さんは「生涯一記者」になる人だと思った。本の紹介のおまけとして書いた。