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PEACE BOATで世界一周の旅ーその50  

オーバーランドツアーの興奮を再び知る

船旅も終盤に入ってきました。船内で行き交う人のお顔もほぼ知るようになり、お名前は分からないまでも、多くの方と目線で挨拶をするようになってきました。7階の中央ロビーのソファでゆったりと座っているとき声を掛けられました。西川(さいかわ)孝純さん(76)という方で、名刺をいただきびっくりしました。元共同通信社論説委員長を務めた方で、日常的に競い合うメディア関係者として健筆を振るっていた方と分かり、いわば同業者のよしみで様々な話題で話は弾みました。

リビングストンが発見したヴィクトリアの瀑布を見てきた

5月8日に南アフリカ(南ア)に寄港した際に3泊4日のオーバーランドツアーに参加して、世界三大瀑布の一つ、ヴィクトリア瀑布を見てきたというのです。しかも筆者が南アのサファリ公園で見た野生動物たちとはスケールが違う動物群の写真も見せられました。

筆者はヴィクトリア瀑布を是非とも見たかったのですが、オーバーランドツアーに申し込んだときはすでに定員満杯であり諦めていました。しかし西川さんはキャンセル待ちに登録していたので、出発数日前に船の中でアキが出たと報告を受けて勇躍参加したということでした。

筆者が少年時代「おもしろブック」という少年雑誌があり、巻頭に様々なカラーの絵巻を入れて大人気でした。その絵巻の中にイギリスのデイヴィット・リビングストンがアフリカ探検中にこの瀑布を発見し、ヴィクリトア女王の名前を瀑布につけたのです。

毎月連載されたリビングストンのアフリカ探検記事を夢中になって読み、今でもリビングストンが瀑布を目撃した光景の見開きの絵が記憶に残っています。

西川さんの撮影した数々の写真を見せられながら、アフリカ奥地で水煙と轟音を上げて爆流する瀑布を想像しては、行けなかったことに情けない思いをしました。

1瀑布DSC_1767
最大落差108メートル、轟音と共に滑り落ちる膨大な水量に、西川さんは度肝を抜かされたようです。「日光の華厳の滝を横に数十本並べたような迫力を感じました」とも語っていました。

DSC_1754ヴィクトリア瀑布をバックに金婚式記念写真です。こんな写真を見せられて、筆者は西川さんと同い年の奥様・治代さんご夫妻と一緒に行きたかったとの思いが募りました。キャンセル待ちをしておけば良かったと悔やみました。

 

雄大なサファリ公園もスケールが大きかった

瀑布に行く途中に国立公園のサファリを見学しました。ゾウ、キリン、カバなどアフリカ大陸に生息する大型動物の写真は、筆者が南アのサファリで見てきたものと大分、スケールが違っていました。

公園内を探検車でゆっくりと巡回しているとき、数メートル先のブッシュの中からゾウがぬっと出てきて驚いた瞬間もちゃんと撮影していました。

1ブッシュ像DSC_1694
数メートル先のブッシュからぬっと現れたアフリカゾウにはたまげたそうです。車上から静かに観察していると、ゾウは何事もなかったように去って行きました。

1カバカバの昼寝。餌は陸上の地べたに生えている草だけ食べているようです。草を食むときは、ひたすら地面を見ているだけですが、耳は発達しているので周囲の動きは音だけで判断し、しかも敏感だと言うことです。

1水浴びゾウ (2)

ゾウの水浴び。カバがいた水辺には、多くの動物と野鳥が群がり、動物天国でした。

1キリンDSC_1702キリンは遠くからでも目立つ動物です。ライオンなど肉食獣に襲われることもあるので、高い目線で監視しているようです。

金婚式と喜寿の前倒しのお祝い

西川さんはリタイアして世界一周を思いつき、PEACE BOATに乗船しました。政治部の記者時代、癌を告知され、リンパ節腫大の摘出手術を受けましたが、これを乗り越えた時期もありました。ご夫妻の金婚式がちょうど航海中にぶつかるので、そのお祝いもかねて乗船しました。金婚式当日の5月17日には、船のレストランでお祝い会をしていただき、シャンペーンを抜いて楽しんだそうです。ご夫妻はそろってことし76歳ですから、数えは77歳の喜寿です。祝い事は前倒しでやりますから、西川さんご夫妻の金婚式と喜寿は二重のお祝いだったのです。

さて、費用のことですが、オーバーランドツアーはお一人60万円ということで、ご夫妻で120万円でした。しかしそのコストに見合う光景を目蓋に焼き付け、楽しい旅の体験を身体に染みこませてきたことが、筆者との会話からにじみ出ていました。

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PEACE BOATで世界一周の旅ーその49

世界一周旅行の仕組みを知る

PEACE BOATは世界一週の旅をうたい文句にしています。確かに豪華客船に乗船し100日間ほどかけて世界を一周するようにはなっています。しかし乗船してみてよく分かったことは、各地に寄港して上陸する日数はごく僅かであり、大半は船の中にいることでした。

そんなことは乗る前から分かっていたことだろうと言われると思います。しかし実感として初乗船者には分かりませんでした。乗っているうち気が付いたことは、寄港地で上陸して各種ツアーに参加できることだけではなく、「オーバーランドツアー」と呼ばれる、特別仕立てのツアーが用意されており、それに参加すると、寄港地で上陸すると1週間から10日くらい、飛行機で移動しながら各地を見物できるツアーがありました。船が先に行って寄港する港へ飛行機で追いかけていって合流し、再び乗船してくるという仕組みです。

申し込んだが満杯で諦めた

PEACE BOAT乗船申し込みをした後、様々な情報が郵送されてきましたが、乗船するのは先の話だからろくに読みもしないでいました。それが失敗の第一でした。オーバーランドツアーを知って、慌ててネットで申し込んだときには、筆者が希望するコースは人気があるらしく、5コース申し込んですべて満杯になっていました。諦めずに空席待ちにしておけば、チャンスがあったかもしれません。

参加者に伺ったオーバーランドツアーの醍醐味

最も行ってみたかったのはダーウインのガラパゴスでした。そこへ参加した千葉県出身の田中陽子さん(68)(仮名)は、船内の「ダンスの教室」の友なので、行ってきた話をうかがいました。そのお話と提供された写真を紹介します。

28437CDD-4235-4AE3-9730-875B63DDAAADガラパゴス諸島は、自然を守るために厳しい観光ルールがあり、諸島に上陸する際も人数や時間が制限されていました。小型ボートに分乗して無人島に上陸して自然にどっぷり浸かりました。

 

イグアスの歓迎、野鳥の楽園

印象に残ったことを次々と話してくれました。まずガラパゴス諸島の中心部にあるサンタ・クルズ島にエクアドルから飛行機で渡りましたが、早速、イグアナ君の歓迎にあいました。あちこちにイグアナがいましたが、どれもこれものんびり寝転んでいる風で、人間のことなど眼中にないようです。

それは諸島に生息する野鳥や他の動物たちにも共通の行動であり、人間は1メートル半内に近づいてはダメというルールがありましたが、その至近距離に行っても逃げも隠れもしない。その自然生息状態に感動したということでした。

090C792B-9705-418F-984B-798B2BFCE288色鮮やかなブルーの「下着」と思いきや、青い足を見せて抱卵中の「アオアシカツオドリ」。人間の姿に警戒する様子はなく、野鳥の楽園でした。

7784C219-0556-4C41-A6A7-183A4E9E7AFBイグアナ君は自然溶け込んでおり、思わぬところから顔を出します。餌をやれば食べに来てくれそうですが、それはルール違反。見物する人間と彼らは共通の空間で過ごしていることを実感しました。

島の若者たちと植林活動をする

この島には、他からの移住者は住むことが出来ないそうです。島で生まれ育った人たちが、観光事業を生業にして、自然と共に生活しているということでした。ツアーに参加した23人の人たちとたちまち「親戚付き合い」となり、島のコーヒー園に付属している植物相を見学し、ダーウイン記念館を見聞し、樹木の植林をして大いに楽しみました。

EBFB85D6-A4C0-4078-B75B-8B138655E41D島の若者たちと一緒に植林活動。植林する人は、なにがしかのお金を払って次世代への基金になるような仕組みになっていました。

77D8B508-9A53-455D-9E6B-8C30FC512DB1ガラパゴスといえば、陸上を闊歩するゾウガメです。しかし強い日差しにたまりかねたのか、水浴びする珍しいゾウガメを撮影しました。

 

多くの生物群の食料になっているサボテン。熱帯地方の島の命となっていました。

 いったい費用はいくらなの?

オーバーランドツアーの費用は、航海中の費用とは無関係ですべて別途の持ち出しです。ニューヨークから船と分かれ、太平洋のガラパゴス諸島で観光して空路パナマに戻ってきて本船と合流します。8泊9日で64万9千円。ホテル・食事・交通費すべてです。ガラパゴス諸島には4泊しました。

陽子さんは、大手企業に定年まで勤務してリタイア後は、好きな旅行を楽しんでいるとのことです。PEACE BOATには今回、3回目の乗船であり、うまくオーバーランドツアーにも参加できた嬉しさが伝わってきました。

ED6B6F60-591C-4F0D-BB23-2A26F712030Eさらばガラパゴス。野鳥の楽園にも別れを告げ、何度も振り返りながら帰途につきました。

「たくさんの写真を撮ってきました。孫たちに大自然に生きている動植物の命と地球の命の尊さを話し、聞かせたいと思っています」

船内では、あっちでもこっちでも、そんな話が広がっています。共に楽しむ旅のひとコマであり、これもまた船旅の風景にもなっています。


PEACE BOATで世界一周の旅ーその48

新札発行の肖像が変わった

7月3日、日本のお札の肖像画が変わったことにちなんで、千円札の肖像になった北里柴三郎の物語を船内で講演することになっていました。

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旧札を街の両替屋に持っていっても替えてくれないといううわさ話も聞いていましたが、船はいま太平洋上をアメリカ大陸に沿って北上しており、そんな心配もなく北里が惜しくも第1回ノーベル賞受賞を逃した話をしました。

IMG_7305会場には大勢の乗船客が聴きに来てくれました。

筆者がこの話を知ったのは、1988年の年が明けてすぐでした。京都大学の矢野暢教授がノーベル財団から入手した資料の提供を受け、第1回ノーベル生理学・医学賞の審査内容の詳細を知って度肝を抜かれました。もちろん、日本では何も知らない時代でしたから特報することにして、何日もかけて原稿内容を練りました。

北里の業績は、今でいう免疫療法の基本になったものであり、ワクチン開発への考えにもつながっていった大発見でした。抗原抗体反応の基盤を解き明かしたものでもあり、後年、遺伝子レベルで生体が抗体をつくる仕組みを解き明かした利根川進先生の大発見へとつながっていきます。こうしてみると免疫の基礎的仕組みの歴史的解明には、日本人研究者がものすごい貢献をしてきたことを改めて認識しました。

船がアフリカ大陸のガーナ沖を通過した際に野口英世の伝記を講演しました。彼もまたノーベル賞をほとんどつかみかけていた研究者でしたが、研究に取り組んでいたガーナで斃れた生涯は、日本人の心をつかんで離さないものがありました。

北里と野口。日本の医学研究の基礎を築いた明治時代の2人の巨人が、お札の肖像画でバトンタッチするという奇遇に出会い、その2人の伝記を異国を巡る船の中で講演するという珍しい体験をしたことを嬉しく思っていました。

1★★改3・北里・船PPT 北里の燦然と輝くオリジナル研究の業績。今ならベーリングと北里の共同受賞は確実ですが、当時は複数受賞の制度ではなかったので、惜しくも逸したものでした。北里の無念は115年後に大村智先生が晴らしてくれました。

ランチをしているテーブルに偶然、同席した年配の女性の方が、北里研究所の研究員だったことをお聞きしてびっくりしました。ご主人も交えて、往時の北里研究所の話になり、大村智先生の業績へと発展して話題は際限なく広がりました。近く大村先生の伝記も講演する予定です。

船内将棋大会は決勝で敗れる

日本将棋連盟の棋士、高田尚平七段の主催する船内最後の将棋大会に出場しました。今回は上級・中級・初級と分かれており、筆者は上級に出場して惜しくも決勝で敗れました。

IMG_7291盤を挟んで女性対局風景があちことで展開され、往時の将棋大会とは全く違った将棋大会の風景でした。

楽しみ・娯楽の一つですから勝敗に関係なく、和やかな雰囲気の大会でしたが、女性「棋士」が本数近くいることに時代の波を感じました。プロの世界でも女流棋士が大活躍する時代です。藤井聡太七冠がフィーバーに火をつけたこともあり、男女を問わず将棋ファンが広がっていることを実感しました。


PEACE BOATで世界一周の旅ーその47

陽気な歓迎と高い物価

中南米3つ目の国・メキシコは、入国審査もないフリーパスの入国でした。太平洋に面したメキシコの重要な貿易都市のマンサニージョ市は、接岸した岸壁から歩いてすぐ、観光都市風の陽気な歓迎の雰囲気になりました。

1IMG_7261船を出ていきなり、美男美女の歓迎グループに取り囲まれて記念写真。楽しい国への第一歩という感じでした。

筆者は、風邪気味のため大事を取って出歩くことは避け、お昼からのメキシコ料理ミニレッスンのツアーに参加することにしました。

船内の温度調整には、乗船者がみな不平不満を漏らしており、筆者の船室の温度調整はきかず、レストランはやたら肌寒く、外は暑い夏の季節というのに、船内はクーラーが効きすぎて半袖シャツに何かを羽織っている人がほとんどです。エアコンが効かないようで、診療所に薬をもらいに行ったら、多数の方が列を作っていたのにびっくりでした。

すりつぶすだけのメキシコ料理だが・・・

メキシコ料理は、時たま東京のメキシコ料理専門のレストランに行っていたので、馴染みがあるので期待して参加しました。バスで市場を見物してから景色のいい海岸に面したホテルに到着しました。

各自のテーブルには、トマト・タマネギ・唐辛子の入った石臼が用意されており、早速、料理に取りかかりました。写真で見るように石臼の食材を石の棒で力任せに砕く作業です。

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1IMG_7272食材を細かく砕くというのですから力仕事です。料理とはほど遠いものでした。岩塩をパラパラと入れただけでできあがり。

食べてみると超激辛。生の唐辛子を潰して入れているので当たり前ですが、これが思いのほか美味しい。トマトとタマネギ。これを潰して塩味だけ。こんな簡単レシピ初めてでしたが、意外と美味しい。ただ激辛なので、みんなハーハー泣きながら食べていました。筆者は半分、残しました。

続いて出てきたのは、またまた、トマトとタマネギ、そしてアボガド。トマトとタマネギは、今度はナイフで刻んでまぜこぜにしてアボガドを入れるだけ。岩塩パラパラ。これって料理でも何でもないなあなどと思いながらちょっと味見をしみるとこれまた意外と美味しい。

トウモロコシの煎餅のようなものが配布され、そこにこの餡を盛って、上からチーズと生クリームを散らしてかぶり付きました。食べにくいのですが、メキシコ料理は基本的に手で食べるものですから、ナイフ・フォークは要らない。手づかみでかぶり付く。食べてみるとこれまた美味しい。先ほど激辛で残しておいたものを少々入れてみると、辛みが効いてさらに美味しい。

1IMG_7274メキシコのコロナビールを飲みながら、たちまちご機嫌のランチ会となり、なんだかだまされたような思いで両手でかぶりつく、大騒ぎの料理レッスンでした。

日本の円安を知って買い物にも影響

昔、日本円が強かった時代、外国に行ってブランド品を買いあさる日本人観光客は、現地の人からバカにされているような感じでした。筆者は、ヨーロッパで何度か、そのような光景を見て、恥ずかしい思いをしたこともありました。

しかしいま、ご婦人たちの買い物を見ていると、実に手堅いのです。スマホ片手に値札の数字を日本円に換算しては、品定めをしています。「高い?」、「安い?」こんな会話が聞こえてきますが、大体は「高いね」という言葉に落ちついています。日本円が安いので、高く感じるのです。

PEACE BOATで乗船者に配布しているパンフレットに、諸外国の現地価格と日本の物価を比較する数字があります。ファストフードのハンバーガーを例にして日本と諸外国の価格比べを示していますが、日本のハンバーガーは、半分から3分の2程度の価格です。

これを逆に外国人から見ると「やす~い」となります。この春、ヨーロッパに出張から帰国した人に聞いた話ですが「帰国してほっとしています。日本は物価が安いし食べ物が美味しい」というのです。その実感が、外国旅行してよく分かりました。アイスランドのコンビニでみた板チョコが2000円だったのでぶったまげましたが、現地の価格が高いのではなく、日本円が安過ぎるのです。

1IMG_7268現地の豊富な果物類。かつてのような割安感は感じませんでした。

この日の夕飯の食卓でお土産物の値段の話になり、国際通のご婦人が「中南米でこんなに高いお土産物って初めてです」と語っていました。円安になると輸出産業が伸びます。安い日本製製品が外国で売れるからです。

大もうけした製造業が利益を内部留保してきましたが、このところようやく人件費増加に回すようになりました。しかし設備投資による次世代挑戦にはなっていないように筆者は思います。そんなことを考えながらメキシコを後にしてカナダへ向かいました。