PEACE BOATで世界一周の旅ーその48
2024/07/05
新札発行の肖像が変わった
7月3日、日本のお札の肖像画が変わったことにちなんで、千円札の肖像になった北里柴三郎の物語を船内で講演することになっていました。
旧札を街の両替屋に持っていっても替えてくれないといううわさ話も聞いていましたが、船はいま太平洋上をアメリカ大陸に沿って北上しており、そんな心配もなく北里が惜しくも第1回ノーベル賞受賞を逃した話をしました。
筆者がこの話を知ったのは、1988年の年が明けてすぐでした。京都大学の矢野暢教授がノーベル財団から入手した資料の提供を受け、第1回ノーベル生理学・医学賞の審査内容の詳細を知って度肝を抜かれました。もちろん、日本では何も知らない時代でしたから特報することにして、何日もかけて原稿内容を練りました。
北里の業績は、今でいう免疫療法の基本になったものであり、ワクチン開発への考えにもつながっていった大発見でした。抗原抗体反応の基盤を解き明かしたものでもあり、後年、遺伝子レベルで生体が抗体をつくる仕組みを解き明かした利根川進先生の大発見へとつながっていきます。こうしてみると免疫の基礎的仕組みの歴史的解明には、日本人研究者がものすごい貢献をしてきたことを改めて認識しました。
船がアフリカ大陸のガーナ沖を通過した際に野口英世の伝記を講演しました。彼もまたノーベル賞をほとんどつかみかけていた研究者でしたが、研究に取り組んでいたガーナで斃れた生涯は、日本人の心をつかんで離さないものがありました。
北里と野口。日本の医学研究の基礎を築いた明治時代の2人の巨人が、お札の肖像画でバトンタッチするという奇遇に出会い、その2人の伝記を異国を巡る船の中で講演するという珍しい体験をしたことを嬉しく思っていました。
北里の燦然と輝くオリジナル研究の業績。今ならベーリングと北里の共同受賞は確実ですが、当時は複数受賞の制度ではなかったので、惜しくも逸したものでした。北里の無念は115年後に大村智先生が晴らしてくれました。
ランチをしているテーブルに偶然、同席した年配の女性の方が、北里研究所の研究員だったことをお聞きしてびっくりしました。ご主人も交えて、往時の北里研究所の話になり、大村智先生の業績へと発展して話題は際限なく広がりました。近く大村先生の伝記も講演する予定です。
船内将棋大会は決勝で敗れる
日本将棋連盟の棋士、高田尚平七段の主催する船内最後の将棋大会に出場しました。今回は上級・中級・初級と分かれており、筆者は上級に出場して惜しくも決勝で敗れました。
盤を挟んで女性対局風景があちことで展開され、往時の将棋大会とは全く違った将棋大会の風景でした。
楽しみ・娯楽の一つですから勝敗に関係なく、和やかな雰囲気の大会でしたが、女性「棋士」が本数近くいることに時代の波を感じました。プロの世界でも女流棋士が大活躍する時代です。藤井聡太七冠がフィーバーに火をつけたこともあり、男女を問わず将棋ファンが広がっていることを実感しました。
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