PEACE BOATで世界一周の旅ーその13
2024/05/05
船の揺れと船酔い
5月1日、世界一美しい海に囲まれたセーシェル島を出港してからインド洋をひたすら南下し、5月8日まで1週間ノンストップの洋上の旅が続いています。このところ海は時化ており、連日、船の揺れ方が大きくなっています。
陸にいるときに不意に地震に見舞われたときと同じような感じの揺れが、ほとんど切れ目なく続いているので、よくこれで船酔いにならないものだと我ながら感心しています。廊下を歩くとき、誰もがよろめいて歩いており、14階の広々としたバイキングスタイルのレストランに行くと、皆、トレイに料理を取り分け、よろよろと危ない歩行でテーブルにたどりついています。体のバランスをとっている器官が船の揺れに同化して、酔わないようになってしまったのでしょうか。
筆者は、ひどい船酔いにあった体験があるので、信じられない気持ちです。それは東京の南方約930kmにある火山島の西之島で突然、火山活動を再開して噴火し新島を作った1973年のことです。その後火山活動は収まったので、新島に接岸して「決死の取材上陸」をしたことがありました。
150トンの漁船をチャーターして、日本テレビの取材班と一緒に上陸し、1時間の制限時間内に駆け足で見て回りました。取材は成功しましたが、船の往復、ひどい船酔いに見舞われ、3日ほど食べるものを受け付けませんでした。その体験があったので、今回は戦々恐々でしたが、7万トン超級の巨船は、あっさりと危惧を払拭してくれました。
戦艦大和を思い出させるパシフィック・ワールド号
以前にも書きましたが、PEACE BOATクルーズの巨船・パシフィック・ワールド号は、あの船艦大和と同規模であることに気がつきました。軍艦と客船という違いがあり全く違った目的で造船された船ですが、乗船してみると軍艦に乗って闘った軍人たちのことを思い出させました。
あの戦艦大和は、日本が総力を挙げて建造してから僅か3年4ヶ月後に、連合軍の総攻撃を浴びて坊ノ岬沖海戦で沈み、戦死者2740人、生存者は269人という痛ましい戦禍を残しました。甲板に立って、荒くささくれだった波頭を眺めながら、戦艦大和の悲劇を思わずにいられませんでした。
朝食時間と団らん
朝は6時からレストランが開店して、朝食が始まります。乗船客は高齢者が多いので、この時間になると待ちかねたように続々と人が集まってきます。入り口に立っているスタッフの責任者が、先着順にテーブルに合い相席で座るように差配します。
知らない同士が5人、6人同じテーブルの席について朝の挨拶をしながら、その日の天気、海上の様子や各自の体調の具合などを話しながらの朝食は、なかなか楽しいものです。
朝食メニューは5階レストランが和食、6階レストランが洋食の決まったトレイになっており、ほかに14階ではバイキング方式で和洋料理が多数並び、各自自由に盛り付けて食べられます。
この日の和朝食のトレイは、次のような内容でした。
温卵、納豆、厚揚げ煮物、焼き魚、海苔、冷や奴、お新香、みそ汁、おかゆまたはご飯、ヨーグルトそれに好みの果物ジュースと果物、牛乳がつきます。ほどほどの分量なので、完食する人が大多数です。よくできた献立であり、煮物やみそ汁の中身、魚の種類が日ごとに変わっています。毎日、ほぼ似たような献立ですが、日本の伝統的なメニューなのか飽きが来ません。洋食については、また別の日に紹介しましょう。
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