2021/01/01
日中シンポジウム 倉澤治雄 その1
私が中国の科学技術に初めて接したのは1985年のことでした。当時日本テレビの記者として科学技術を担当していたことから、竹内黎一科学技術庁長官に同行して北京、西安、上海の研究施設や大学を訪ねる機会がありました。北京の空港から市内までの道路はまだ舗装されておらず、人の群れ、自転車の列、馬車が混然一体となっている道を、私たちが乗ったバスが警笛を鳴らし続けながら走ったことを鮮烈に覚えています。大学や研究施設もまるで19世紀にタイムスリップしたようでした。あれから35年余りが経って、中国の科学技術は見違えるように発展しました。
一国の科学技術力を測る指標として、白川先生が話をされた論文数、研究開発費などのデータがありますが、私は宇宙開発の視点で中国の実力をフラットに見てみたいと思います。
今年2021年は中国共産党創立100周年ということもあり、中国は火星に探査機を送り込みました。今この瞬間、米国の火星探査機「パーシビアランス」と中国の「天問1号」が同時に火星で探査を行っています。火星探査の歴史を振り返ると、1957年の「スプートニク」で宇宙開発の先手を握った旧ソ連が、1960年から「マルス計画」で30機近い探査機を打ち上げましたが、ほとんど失敗しました。
一方米国も1964年から探査機を打ち上げましたが、火星表面への着陸に成功したのは1976年の「バイキング1号」が初めてです。日本も1998年に「のぞみ」を打ち上げましたが通信が途絶え、失敗に終わりました。地球と火星の間には「探査機の墓場がある」と言われるくらいです。
地球と火星の距離は公転周期の違いから2年に一度だけ近づきます。約7500万キロという距離に加えて、火星周回軌道への投入、火星表面への自動での軟着陸と技術的ハードルは極めて高く、今回中国が初めてのミッションで米国と同時に軟着陸に成功したことは、宇宙開発史上輝かしい成果と言えます。
火星をめぐる米国と中国のレースは、火星からのサンプルリターン、そして有人宇宙飛行と続くことになります。中国は2049年に建国100周年を迎えますので、それまでにどちらが先に火星に人類を送ることができるか、大変注目されます。
米中の宇宙覇権をめぐる競争が最も先鋭に表れたのが月をめぐるポジションです。米国は1969年、「アポロ11号」で初めて人類を月に送ることに成功しました。しかしアポロ計画は1972年に終了、それ以降月面に立った宇宙飛行士はいません。中国は2019年1月、探査機「嫦娥4号」を月の裏側に軟着陸させることに成功しました。月は地球を回る公転周期と自転周期が一致しているため、地球から月の裏側を見ることはできません。また月の裏側の探査機と地球の通信手段がないことから、これまで米国もロシアも探査機を着陸させることができませんでした。中国は地球と月の引力、それに探査機の遠心力が釣り合う「ラグランジュ点」に「鵲橋」という中継衛星を投入してこの問題を解決しました。しかも「嫦娥4号」が着陸したのは南極に近いクレーターです。ここには「水」の存在が予想されています。水は生命を維持するのに必要なだけでなく、水素と酸素に分解してエネルギーとしても使えるので、月面に基地を作るには「水」を探し当てたものが勝者となるのです。
月の裏側への軟着陸は米国をいたく刺激しました。ペンス副大統領は2019年3月、「中国は月の裏側にいち早く到達し、月での戦略的なポジションを獲得し、世界の卓越した『宇宙強国』になるという野心を明らかにしました」と対抗心をむき出しにしました。その上で、「次に月面に立つ男性と女性は米国の宇宙飛行士であり、米国の国土から、米国のロケットで打ち上げられなければならないのです」と述べて、有人月面着陸を目指す「アルテミス計画」を2028年から2024年に前倒しすると発表しました。あと3年しかありません。中国はその後「嫦娥5号」でサンプルリターンにも成功し、約1.7キログラムの月の石を地球に持ち帰りました。中国は有人月着陸を目指して、米国アポロ計画で使われた「サターンⅤ」を上回る「長征9号」という巨大ロケットの開発を急いでいます。「長征9号」の完成は2030年頃と見られています。
衛星の打ち上げでも中国はロシア、米国を抜いて1位となっています。とくに注目されるのが航行測位衛星システムの「北斗」です。位置情報を知るにはいまGPSが使われていますが、今後「北斗」がGPSに取って代わるかもしれません。というのも「北斗」システムの精度は近い将来センチメートル単位になるといわれ、数メートル単位のGPSを上回る能力を持っているからです。昨年6月、「北斗3型」35機によるシステムが完成しました。すでに中国が進める「一帯一路」の関係国30か国が採用を決めているほか、iPhone12を初めとして、スマートフォンにも「北斗」対応のチップが搭載されています。
また異彩を放っているのが2016年に打ち上げられた「墨子」という量子通信衛星です。量子通信は絶対に内容を盗聴できない暗号通信が可能と言われています。地表では100キロメートルほどしか届きませんが、宇宙を経由すると全地球をカバーできます。もともとオーストリア・ウィーン大学のツァイリンガー教授が考え付いた通信ですが、留学していた藩建偉中国科技大教授が引き継ぎ、7,600キロの量子テレポーテーションに成功しました。今年1月には中国国内の32都市を結ぶネットワークを構築して、安全保障関係や金融関係での実用化が始まっています。潘教授は「量子の父」として知られ、中国で最もノーベル賞に近い研究者と言われています。その潘教授は「世界で量子通信のネットワークが構築されると、サイバーセキュリティの懸念はなくなるだろう」と語っています。米国はまだこの分野で追いついていません。
さらに重要なのが中国の宇宙ステーション「天宮」です。米国主導の国際宇宙ステーション(ISS)は2024年に役割を終えます。米国議会を中心に2030年まで延長する案が出ていますが、すでにかなり老朽化している上、運用は民間に移行されます。中国の宇宙ステーション「天宮」はそのすきを狙って2022年から稼働する予定で、宇宙環境を利用した低軌道での宇宙実験は「天宮」の独壇場となる可能性が出ています。今年6月には3人の宇宙飛行士が「天宮」に乗り込み、船外活動なども行いました。
中国版宇宙ステーション「天宮」 サイエンスポータルチャイナより
では宇宙大国アメリカはどうなっているかというと、スペースXをはじめとする民間の宇宙ベンチャーがとても元気です。スペースXは再使用可能な「ファルコン9」に続いて、「スターシップ」という巨大宇宙船を開発しています。またブルーオリジンやバージンギャラクティクは、地上100キロほどのサブオービタル飛行に成功し、宇宙旅行が現実味を帯びてきました。
さらに小型衛星を低軌道に1万個以上ばらまいて、あたかも「星座(コンステレーション)」のように配置して、地上のどこでも通信できる「スターリンク」というサービスもすでに始まっています。
米国の強みは何といっても民間のベンチャー企業が元気なことです。これからの米中の宇宙覇権をめぐる戦いでは、国策として宇宙開発を進める中国と、民間の活力を最大限利用する米国の争いなのです。
(第一部以上)
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