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2016年11 月

瀬木比呂志「黒い巨塔 最高裁判所」(講談社)に見る判事補の若造が最高裁長官に楯突く筋立てに感動

黒い巨塔

 元エリート裁判官だった瀬木比呂志先生(明治大学法科大学院教授)が、小説の手法で司法の暗部を「内部告発」した小説「黒い巨塔 最高裁判所」(講談社)の主人公は、最高裁判所事務総局民事局付、笹原駿・判事補である。

 任官して10年に満たない若造が、小説の最後の場面で絶大な権力を誇っている最高裁長官に楯突く。

 「長官のおっしゃる中道というのは、権力、政治、世論の力関係をみながら適宜それに合わせて調整を図っていくというやり方だと思いますが、そういう機会主義的な行き方は、はたして司法にふさわしいものでしょうか」

 戦後、日本の国と政治と行政を劣化させてきた元凶・司法の姿(筆者の私見)を、かくも明確に語った言葉として世に残るものだ。

 著者の瀬木先生が、「実録小説ではまったくない」とあとがきでわざわざ断っているように、この作品は創作である。しかし読むものは勝手に評価し、勝手に論評することは許される。

 それに従えば、この小説で書かれているような光景が、現実に最高裁・司法という巨大な組織の中で日夜繰り広げられていると言っても間違いではないだろう。

 所詮は人間世界の話である。出世栄達を願うのは当然である。司法の世界も神様の集まりではない。しかしいやしくも法治国家を標榜する日本、しかも戦争に明け暮れた日清戦争後の40年余りの馬鹿げた時代を清算し、戦後日本の民主国家建設の基盤として形作った三権分立の国体であったはずだ。

 それが司法の堕落によって崩壊していった有様をこの小説は描いていると筆者は思った。

 最後の下りは、エリート判事補の若造が最高裁長官に語った先の言葉に続いて、次のように続けている。

 「司法は、法の支配、三権分立、民主国家という観点から、国家の在り方を正し、それに確固たるプリンシパル、行動原則を提供するべきものではないでしょうか?」

 これに対し最高裁長官は言う。

 「言葉をつつしみたまえ、笹原君。君の言うことは、一から十まですべて理想論だ。そういう理想論で日本の社会が動くなら、大変、結構なことだ」

 これに対し笹原は反論する。

 「だって、司法が理想論を吐かなくてどうするんですか? 司法の役割というのは、痩せても枯れても理想論を吐き、筋を通すことにあるのではないでしょうか? 司法が立法や行政と一緒になって『政治』をやっていたら、法の支配だって、正義だって、公正だって、およそありえないと思います」

 この小説で著者の瀬木先生がもっとも言いたかったことではないか。

  市民の感覚からかけ離れた判決が続出している行政訴訟や国家賠償訴訟。原告の勝訴率がわずか12パーセントという行政訴訟、和解が異常に多い民事訴訟、そして冤罪が多い刑事裁判。「違憲状態」という奇怪な判断でごまかしている一人一票実現訴訟への「保身判決」。

 そのような現実が、何よりも笹原の言葉を裏付けている。

 憲法第76条第3項=すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

  憲法で保障された唯一の職種である裁判官の責務を自ら組織的に放棄し、さらに統治行為論によって違憲立法審査権を放棄して日本の国体を堕落させていく司法の姿をこの小説は余すところなく語っていると思う。

 小学生の時代から習ってきた日本の国体・三権分立は、砂上の楼閣だったのだ。日本の真の民主国家を誰が建設するのか。そのような宿題を投げかけた小説であり、日本の多くの人が読んでほしいと思って紹介した。

 

 

 


着実に変革する中国 ~知財現場の様変わりに驚く~

 知財制度改革から見えてきた中国の先進性

 1999年に中国に初めて渡った筆者は、中国の発展ぶりに驚き、それ以来毎年、頻繁に中国に行ってその変革ぶりを見てきた。特に筆者の注目する点は、洪水のように出回っていたニセモノだった。本物と良く似ているニセモノ製造技術を見てすっかり魅了され、「中国ニセモノ商品」(中公新書ラクレ)という本まで出したほどである。

  この本は、中国でニセモノが出てきた産業技術の必然性、日本がかつて西欧を模倣して国家形成をしてきた歴史的な解釈をしたつもりだった。しかしほどなく、中国の企業現場の技術力を様々な現場を見てそれを評価し、知財制度についても違った眼で中国を追うようになった。

 10月31日から、科学技術振興機構のミッションで中国の国家知識産権局(中国特許庁)など民間知財機関や先端企業などを駆け足で視察した。これまで筆者が取材していた対象は、地方政府の知財管轄部署、ニセモノ関連業者や機関、特許事務所や調査会社など限られた箇所であり、その取材を通して中国の様変わりを肌で感じているに過ぎなかった。

 今回は、荒井寿光団長のもとに、「中央政府機関と先端民間機関・企業」を視察する機会があった。そこで見た中国の様変わりの現場は、非常に新鮮に映った。これまで断片的に感じていた光景がにわかに鮮明な映像となって眼前に映し出されて来た。

   

無題


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ベンチャー企業創業を推進するカフェが集結する一角 

 国ぐるみで認識して実施した知財重視の政策

 21世紀は知財を制するものが産業界を制するものだ。これは筆者が確固として持っている認識であり、これを筆者は「時代認識」と語っている。中国・国家知識産権局を訪問し、中国が知財重視国家へと変転していった歴史的な経緯を再認識した。中国政府の根幹にある国務院で「知財強国」の政策を打ち出すまでには、関係者の努力があったことを知った。そこで策定される知財政策は、いまや日本を超えている。中国政府の政策立案と実施は、着実に展開されていることは、科学技術政策でもよく知っている。沖村憲樹氏が声を大にして語っている中国の変革である。

 知財現場では、制度改革だけでなく実施にも力を入れていることが分かった。たとえば、知財保護制度の中に民間からの保険制度を導入して特許侵害の被害者・加害者の救済制度を構築した。民間業者に任せていることが、実効性を担保している。それが中国政府のいいところだ。

 中国の司法で見る知財の透明性

 今回のミッションに参加して最も衝撃だったのは、中国の裁判所の制度が透明性、公開性では日本を追い抜いていることだった。荒井団長が元裁判官にインタビューした内容によると、「人民陪審制度」が着実に実行されており、裁判所での法廷の模様が、インターネットで実況中継されていることだった。法廷では口頭弁論が展開されており、弁論の場にPCやモニターを持ち込んで原告・被告が論述することも行っていた。ほとんどアメリカ型と言ってもいいだろう。知財の実務レベルでも、中国の政府機関とアメリカの政府機関は緊密に交流していると語っている。

 また民間のシンクタンク業者を訪問すると、北京知財裁判所の判決、裁判官、原告・被告の当事者情報、その代理人の詳細な情報をデータバンクにして公開・販売している業者を訪問した。これは日本にはないし、これを日本で実現するのはかなり難しそうだ。

 大学・研究機関・企業などで出てきた特許技術を移転する準公的機関も訪問した。ここでも欧米との連携が進んでいたが、日本は「蚊帳の外」という印象を受けた。

2CIMG5121特許技術を企業に移転する半民間機関の大掲示板には、売り出し中の技術リストが掲示されていた

 Huaweiに見る先進企業の躍進

 通信技術開発と製品製造で世界トップグループに立っているHuawei社のゲストハウスも訪問した。筆者が北京でHuawei社のスタッフから取材してから8年経っている。今回、北京市郊外のゲストハウスを訪問して、度肝を抜かれた。製品のショールームは豪華絢爛であり、いかにも中国風だし広大な敷地に建てられた大理石のヨーロッパ風の建築物も先端企業の意気込みを感じさせる。

 このゲストハウスは、日本では真似ができない規模である。Huaweiの勢いとエネルギーを感じさせるものであり、知財の世界でも世界の先端に躍り出た中国の力を実感した体験だった。

3CIMG5210Huaweiのショールームには先進技術製品と近未来社会が展示されている

 中国の先端の実態を報道しない日本のメデア

 日ごろから日本のメディアは、中国の遅れている面、悪い事象などを重点的に報道しているように筆者は感じている。中国政府・政権に関することも、権力闘争とか中国共産党政権のいわば「政局」報道だけに偏っているような気がする。中国共産党の一党独裁政権を日本人が批判しても意味がない。

 中国の政権が日本に及ぼす悪い影響があれば、批判する対象になるし大いに中国政府に発言していい。いま、中国と友好関係を築いて、何か日本にとって不都合なことがあるのだろうか。

 日中の長い歴史を見ると、主義信条や政治的な形態を超えて両国には密度の濃い文化の交流があった。しかし明治政府以来、日本が中国に対してとってきた「上から目線」の意識と侵略政策は、明らかに間違いだった。これを総括して反省し、終止符を打つ時代になっている。それは遅すぎるほどである。

 中国と日本は近未来どうするのか。中国人と日本人は顔も似ているし、中国大陸から入ってきた中国文化は日本の隅々までいきわたっている。中国人の考え方と日本人のそれとは明らかに違うことが多いが、それくらいの違いがあったほうが日中交流にはいい。

 中国のすべてがいいとは思わない。中国には日本と同じ比率で悪い人々がいる。人口比で言えば、日本の10倍いるから目立つだけだ。しかしそんなことはどうでもいいことだ。お互いにいい面を触発し合って発展することが大事ではないか。そのような感慨をさらに強めたミッションへの参加であった。

 

 


北京で開いたミニ馬場研に想う

 2016年10月31日から11月4日まで、JST中国総合研究交流センターが企画した中国知財戦略研究会(荒井寿光会長)の一行5人と現地参加のスタッフが、急進的に改革する中国の知財現場を視察した。

 この視察団に自費で参加した馬場研3期生で弁理士の宮川幸子さん、ジェトロ北京駐在の同1期生の阿部道太さんと3人で、ミニ馬場研を開催する機会があった。

 ホテルの朝食時の約1時間の会合だったが、あれから10年を経て社会活動をするかつての同志に会えて幸せなひと時だった。この視察団の団長の荒井さん(左端)、阿部さん(右端)と共に撮影した写真がこれである。

2016年11月3日

 修士論文を土壇場で書き直した阿部さん

 久しぶりに再会した阿部さんは、ジェトロ北京の総務部長として重要な任務を果たしており、一回り大きくたくましくなっていた。

 帰国する機中の中で、東京理科大学知財専門職大学院(MIP)で研鑽した日々を思い出していた。

 筆者は教員という肩書だったが、院生諸君と共に研鑽する同志という思いで日々を過ごしていた。修士論文作成の指導という役割があったが、気持ちとしては共に学ぶという目線だった。一緒に取材に同行して苦労した場面を思い出す。

 阿部さんの修論のテーマは「植物新品種の育成者権保護と活用の戦略に関する研究」であった。育成者権というテーマは、10年前の知財の世界ではまだなじみがない珍しいテーマだった。

 しかも阿部さんは、突然、それまでの修論テーマを変えて、10月末になってこのテーマにしたものだが、短時間の中で精力的に取材し、文献を精査して仕上げた。結果的にこれがよかったのだろう。非常に内容のある論文に仕上がった。

 このとき、1期生に中国人留学生の姜真臻(きょう・しんしん)君がいた。いまダイキン工業の知財スタッフとして活躍している。修了する1期生の諸君に向かって筆者が書いたはなむけの言葉は、中国人留学生の姜君を意識しながら「21世紀は中国の時代である。ビジネスで最も関わりがある隣国をよく知る同士と今後も付き合い、いつまでも共有した時間を思い出して欲しい」と書いている。

特許ステーキ特許ステーキ「カタヤマ」で。右端に片山さんも入ってくれた。(2007年3月)

 中国の大学とMIPを掛け持ちした宮川さん

 今回の視察団に自費で参加したのが宮川幸子さんだ。MIPに進学してきた当時、環境関係の企業で活動する社会人であり同時に中国の大学にも籍を置いて学習しており、日中をビジネスと学業で往復する多忙な日々であった。

その合間を縫って知財学会では「中小企業活性化のための日中国際産学連携に関するシステムの提案」のタイトルで堂々と発表した。 

宮川学会日本知財学会で発表する宮川さん(2008年7月)

 2008年度の馬場研論文集を開いてみると、冒頭の言葉として筆者は「3期生のメンバー7人は、MIPの中でも精鋭の集まりであり、修士論文のテーマ設定から調査研究・分析・執筆活動まで共通認識に立った研究の雰囲気を終始保持し、論文執筆に取り組むにふさわしい研究室であった」と書いている。

宮川さんの修士論文は、「中国の大学生における模倣品に対する意識と行動」という大胆なテーマであった。大連、上海、北京、広州という4都市で約450人の大学生、大学院生を対象に模倣品の意識を聞き取るという調査は、世論調査が禁止されている中国でも初めてだったろう。もちろん日本でも初めての報告であり、オリジナルな調査として他の研究者の学術論文に引用されるほどだった。

宮川さんの意欲的な姿勢は修了後も持ち続け、弁理士試験に挑戦して見事に合格した俊英であった。今回の中国知財現場の取材でも、得意の中国語を駆使して積極的に交流を行い、独自の人脈を築いていった。

馬場研は、合計30人を輩出して終了したが、どの修了生も優れていた。いま社会人としてそれぞれの分野で中堅幹部になろうとしている。教員は年々老いていくが共に研鑽した同志たちは、日々輝きを増していく。その秘かな喜びをどうしても書きたいと思ってこれを書いた。