着実に変革する中国 ~知財現場の様変わりに驚く~
2016/11/17
知財制度改革から見えてきた中国の先進性
1999年に中国に初めて渡った筆者は、中国の発展ぶりに驚き、それ以来毎年、頻繁に中国に行ってその変革ぶりを見てきた。特に筆者の注目する点は、洪水のように出回っていたニセモノだった。本物と良く似ているニセモノ製造技術を見てすっかり魅了され、「中国ニセモノ商品」(中公新書ラクレ)という本まで出したほどである。
この本は、中国でニセモノが出てきた産業技術の必然性、日本がかつて西欧を模倣して国家形成をしてきた歴史的な解釈をしたつもりだった。しかしほどなく、中国の企業現場の技術力を様々な現場を見てそれを評価し、知財制度についても違った眼で中国を追うようになった。
10月31日から、科学技術振興機構のミッションで中国の国家知識産権局(中国特許庁)など民間知財機関や先端企業などを駆け足で視察した。これまで筆者が取材していた対象は、地方政府の知財管轄部署、ニセモノ関連業者や機関、特許事務所や調査会社など限られた箇所であり、その取材を通して中国の様変わりを肌で感じているに過ぎなかった。
今回は、荒井寿光団長のもとに、「中央政府機関と先端民間機関・企業」を視察する機会があった。そこで見た中国の様変わりの現場は、非常に新鮮に映った。これまで断片的に感じていた光景がにわかに鮮明な映像となって眼前に映し出されて来た。
ベンチャー企業創業を推進するカフェが集結する一角
国ぐるみで認識して実施した知財重視の政策
21世紀は知財を制するものが産業界を制するものだ。これは筆者が確固として持っている認識であり、これを筆者は「時代認識」と語っている。中国・国家知識産権局を訪問し、中国が知財重視国家へと変転していった歴史的な経緯を再認識した。中国政府の根幹にある国務院で「知財強国」の政策を打ち出すまでには、関係者の努力があったことを知った。そこで策定される知財政策は、いまや日本を超えている。中国政府の政策立案と実施は、着実に展開されていることは、科学技術政策でもよく知っている。沖村憲樹氏が声を大にして語っている中国の変革である。
知財現場では、制度改革だけでなく実施にも力を入れていることが分かった。たとえば、知財保護制度の中に民間からの保険制度を導入して特許侵害の被害者・加害者の救済制度を構築した。民間業者に任せていることが、実効性を担保している。それが中国政府のいいところだ。
中国の司法で見る知財の透明性
今回のミッションに参加して最も衝撃だったのは、中国の裁判所の制度が透明性、公開性では日本を追い抜いていることだった。荒井団長が元裁判官にインタビューした内容によると、「人民陪審制度」が着実に実行されており、裁判所での法廷の模様が、インターネットで実況中継されていることだった。法廷では口頭弁論が展開されており、弁論の場にPCやモニターを持ち込んで原告・被告が論述することも行っていた。ほとんどアメリカ型と言ってもいいだろう。知財の実務レベルでも、中国の政府機関とアメリカの政府機関は緊密に交流していると語っている。
また民間のシンクタンク業者を訪問すると、北京知財裁判所の判決、裁判官、原告・被告の当事者情報、その代理人の詳細な情報をデータバンクにして公開・販売している業者を訪問した。これは日本にはないし、これを日本で実現するのはかなり難しそうだ。
大学・研究機関・企業などで出てきた特許技術を移転する準公的機関も訪問した。ここでも欧米との連携が進んでいたが、日本は「蚊帳の外」という印象を受けた。
特許技術を企業に移転する半民間機関の大掲示板には、売り出し中の技術リストが掲示されていた
Huaweiに見る先進企業の躍進
通信技術開発と製品製造で世界トップグループに立っているHuawei社のゲストハウスも訪問した。筆者が北京でHuawei社のスタッフから取材してから8年経っている。今回、北京市郊外のゲストハウスを訪問して、度肝を抜かれた。製品のショールームは豪華絢爛であり、いかにも中国風だし広大な敷地に建てられた大理石のヨーロッパ風の建築物も先端企業の意気込みを感じさせる。
このゲストハウスは、日本では真似ができない規模である。Huaweiの勢いとエネルギーを感じさせるものであり、知財の世界でも世界の先端に躍り出た中国の力を実感した体験だった。
Huaweiのショールームには先進技術製品と近未来社会が展示されている
中国の先端の実態を報道しない日本のメデア
日ごろから日本のメディアは、中国の遅れている面、悪い事象などを重点的に報道しているように筆者は感じている。中国政府・政権に関することも、権力闘争とか中国共産党政権のいわば「政局」報道だけに偏っているような気がする。中国共産党の一党独裁政権を日本人が批判しても意味がない。
中国の政権が日本に及ぼす悪い影響があれば、批判する対象になるし大いに中国政府に発言していい。いま、中国と友好関係を築いて、何か日本にとって不都合なことがあるのだろうか。
日中の長い歴史を見ると、主義信条や政治的な形態を超えて両国には密度の濃い文化の交流があった。しかし明治政府以来、日本が中国に対してとってきた「上から目線」の意識と侵略政策は、明らかに間違いだった。これを総括して反省し、終止符を打つ時代になっている。それは遅すぎるほどである。
中国と日本は近未来どうするのか。中国人と日本人は顔も似ているし、中国大陸から入ってきた中国文化は日本の隅々までいきわたっている。中国人の考え方と日本人のそれとは明らかに違うことが多いが、それくらいの違いがあったほうが日中交流にはいい。
中国のすべてがいいとは思わない。中国には日本と同じ比率で悪い人々がいる。人口比で言えば、日本の10倍いるから目立つだけだ。しかしそんなことはどうでもいいことだ。お互いにいい面を触発し合って発展することが大事ではないか。そのような感慨をさらに強めたミッションへの参加であった。
とても良い文章と思います。勉強になりました。
投稿情報: キョウヨウテツ | 2016/11/11 00:34