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2015年8 月

柳下裕紀先生の論文:「TPPは国内改革の触媒にするべきだ」

 柳下裕紀先生の論文
 「TPPは国内改革の触媒にするべきだ」をご紹介します。

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 最新の「ニューリーダー」9月号に掲載された柳下裕紀先生の論評は、TPP協定の効用を主として農業に焦点を合わせて簡潔明瞭に論評したもので、日本の農業現場の問題点を浮き彫りにしたものでした。

 PTT協定によって影響を受けるのは政府でなく民間資本であるという基本理念を示していますが、このような理念はうかつにも認識していませんでした。柳 下先生は「自由貿易協定は、国内改革の触媒として使うべきだ」という主張であり、実証的なデータを示しながら日本社会の護送船団方式と消費者にシワ寄せし ている農業政策とその仕組みを明解に解説しています。

 牛乳・乳製品や小麦など外国と国産とで大きな価格差がある食材は、様々なからくりと制度によって消費者に負担をかけていると具体的な仕組みをあげて指摘 しています。コメにしても高コスト体質を作り上げてきたのは農協であり、こちらの改革も進める必要があるというのです。

 コメの国際価格をみるとアメリカのカリフォルニア州産のコメのほうが、国内産米よりも高くなってきているという。カリフォルニア州の干ばつの影響もあるが、この逆価格差を利用しない手はないとも主張している。

 国際第2位のメガバンクとなったJA農協バンクは、「真剣に米作りを手がける主業農家に融資しているのはたったの1~2パーセント」という。あとは農家 でもない一般利用者に住宅ローンの貸し出しをしたり金融の運用をしている。「農業を弱体化し、自ら脱農化することで発展してきたのが農協なのだ」と指摘す る。

国産比率8割以上という野菜農家は、「コメ農家の2割以下しかないが、コメ農家の6倍の売り上げをあげている」という指摘にもびっくりした。コメ農家がいかに非効率な構図の中に放置され、国民の税金の補てんで生き延びてきているかを示したものである。

 また、「日本の単位面積当たりの農薬使用量は世界一」という指摘にも仰天した。アメリカの6倍、スウェーデンの25倍という。食品添加物として認可されている種類も世界一との指摘もさらに仰天だ。日本は250種類、アメリカ140種類、イギリスは14種類という。
  
アメリカで規制された物資が日本では野放しであり、「乳癌の最大の原因と特定され、米国では表示義務のある成長ホルモンが牛乳に入っている」と指摘している。

 かつて日本の農薬や食品添加物の利用を厳しくチェックしていた消費者グループや研究者は、今どうなっているのだろうか。新聞社などのメディアの機能もこ の方面にどのくらい影響力を持っているのか。いまや知らないところでやりたい放題という風景が見え隠れするように感じた。

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安保法案反対デモに参加

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 市民団体「戦争をさせない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の主催する「国会10万人・全国100万人大行動」のデモに参加し、シュプレヒコールに思い切り大声を張り上げました。

 デモに参加するのは、学生時代から数えて50数年ぶりです。新聞記者になってからは、おびただしいデモを取材しましたが、いつも取材者として見ていたものでした。当事者として参加したのは、実質的に初めてかもしれません。新鮮な喜びがありました。

 まずびっくりしたのは、デモ参加者のほとんどが50歳代を中心とする熟年世代でした。若者の姿を追い求めましたが、ほとんどいませんでした。日本の現在の危機を感じました。若い世代と熟年世代にはこうも隔絶した価値観があることを。若者世代が、こうも国の将来に無関心であることを。これは我々、熟年世代の責任でもあると思います。

 安倍内閣は、各種世論調査で60パーセント内外の国民が反対している安保法案を国会で成立させようとやっきになっています。国会議員は、国民の代表、つまり国民の代議員だから正統性があるという意志表示でしょう。本当にそうでしょうか。

 住んでいる場所、つまり住所だけで1票の価値がまるで違うのです。これは最高裁大法廷の2回にわたる判決「違憲状態」を見るまでもなく、正統性のない選挙によって選出された議員が圧倒的多数の論理で国民の意思とは関係なく強引に成立させようとしています。

 国民主権ではない、単なる多数決の原理で国の命運を決める法案が成立したら、日本は世界の国々から軽蔑されるでしょう。アメリカでも内心は軽蔑すると思います。

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 最高裁大法廷の判決で、そもそも国会議員として資格がないとされている議員もどきが、立法すること自体、国としての体裁をしていません。この現実を私たちは深刻に受け止め、行動を起こすことが第一だと思いました。

 それにしても本日のデモは、熟年世代の真摯な思いを心から感じました。70年代に吹き荒れた学園紛争の過激なデモは、新聞記者として現場に立ち会い取材しました。あの時には若い世代の熱気に同感し、「報道」の腕章を巻いていながらデモの学生と腕を組んで「インターナショナル」を歌いました。20歳代の新聞記者は、みな同じ思いでした。

 そんなことを思い出しながら、本日のデモ隊の当事者になった自分を当然だと思いました。そして同時に、熟年同志の人々の叫びに感動しました。

 

 

 

 


藤原瑠美さんの博士学位論文を称える

藤原瑠美さんの学位論文を称え認知症に備えるパネルディカッションの開催

 間もなく日本にも来るのではないかと心配されている認知症の増加に備え、「人と人の絆を考える80人のつどい」が8月22日、東京・芝浦で開催されました。

藤原瑠美さんの国際医療福祉大学博士論文「ケア概念としてのオムソーリを考察する 短時間のホームヘルプで独居できるスウェーデンの認知症の人たち」を称える会でもありました。

藤原さんの論文を読むと、スウェーデンでは「Omsorg(オムソーリ)」という言葉を見直し、その概念を確立して認知症介護の制度に根付かせました。藤原さんの論文は、現場取材と検証で裏付けながら論考しています。

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 この日の会では、藤原さんの講演のあとパネルディカッションが行われ、医師、介護・福祉関係者らのパネラーと会場からの意見と質疑が熱心に行われました。

藤原さんの講演では、オムソーリの歴史的成り立ちとその概念をわかりやすく説明され、とても良く理解できました。エスロブ市を中心としたスウェーデンでの長年にわたる現地調査については、藤原さんの報告で知っていましたが博士学位論文にするとは思いもよりませんでした。

人は誰でも多くの体験を積んで生きてきていますが、このように体験を学術的な考察をするテーマにまで引き上げ、論文という見える形で書き残して成果を出したことに敬意を表します。

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終戦から70年の記念日と安倍談話に想う

 品格を欠いた「安倍70年談話」の文章の流れ

  あれから70年が過ぎた。戦後、最も右傾化している首相(憲法上は無資格者)の安倍晋三氏が、終戦記念日の前日の8月14日に閣議決定したうえで「戦後70年談話」を発表した。事前に話題になっていた「侵略」「植民地支配」「おわび」に言及し、「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」などとも表明した。

 旅先の島根県津和野町の旅館で地元紙の朝刊を広げ、貪るようにして読んだ。読み終えた感想を一言で言えば、品格を欠いた談話である。「ですます調」と「である調」が混在し、体言止めが散見するうえ文章の流れに首相談話にふさわしい節度や気高さが感じられない。物書きの自分の筆力を棚に上げて言うのだが、この談話の書きぶりは小学校5年生の「つづり方」だなと思った。

 安倍氏が戦後70年という節目に出す談話は、周辺諸国・地域はもちろん、世界中の国々から注視されていた。それにはそれなりのわけがあった。

 宰相の見識ではなく妥協の産物

 注視されていたわけは、戦後日本の総理の中で、もっとも右傾化された宰相であると内外から認められており、過去の言辞の中に時としてあの愚劣な太平洋戦争を妥当化するような言葉が見られていたからである。そして国会では、安保法案が強行採決されて参議院に送られて審議されており、その帰趨の行方はいまなお混とんとしている。

 その一方で各種世論調査での安倍内閣支持率は下降線をたどる一方であり、ついに不支持が支持を上回り、安保法案に対する国民の意識は、圧倒的に反対の立場の数字が並んでいる。この期に及んで先の戦争を妥当化するような文言を安倍氏が談話に使うなら、政権は持ちこたえることはできない。そのように首相は考えたに違いない。

 その結果出てきたのが談話の中身の軌道修正だろう。村山、小泉首相の談話を踏襲する形で書いてはいるが、文章の流れを見ると一貫した思想が感じられず、単に歴史的事実をなぞりながら論評に等しいような表現が見える。読売新聞8月16日付け一面の報道によると、党内保守派にも配慮して出来上がった談話だったとする舞台裏が解説されている。右派にも左派にも気を遣った妥協の産物の談話だったのだ。切り貼りしたような文脈にその断片が見え隠れしているように感じた。

 その事情を知らなくても長々と書き連ねた文言を読めば、自ずと伝わってくる。英語、中国語、韓国語に翻訳されてもそのニュアンスは正確には伝わらないかもしれないが、日本語では「宰相の力量」が図らずも露見してしまった。これは信念なき宰相の談話である。

 それに比べ8月15日の全国戦没者追悼式(写真)に出席した天皇陛下のお言葉は、凛とした天皇の意思の響きがあった。天皇陛下として初めて「先の大戦に対する深い反省」の言葉を入れ、平和を願う思いが全編を貫いている品格を感じさせるお言葉であった。

 戦争の責任を問うていない日本国民

 筆者の考えを述べれば、先の大戦は日本の指導者の比類なき誤りであり、中国、韓国などアジアの諸国・地域の人々に多大な迷惑をかけた愚かな戦争であった。平和外交戦略の道筋を歩くことなく、ひたすら軍拡を目指して軍国主義を肥大化させ、しかも科学情報に疎いお粗末な判断力によって日本の有為な人材300万人以上を戦火の藻屑として消滅させた。

 その誤った指導の責任を日本人として、けじめをつけたことはいまだに行っていない。昭和天皇を含め、いつ誰がどのようにして国を誤った方向に導いたのか。極東軍事裁判の結論とは別に、日本人の手で日本人が戦争責任をきちんと総括し、内外に一定の考えを定着させることがなければ、日本は未来永劫、中途半端な戦争責任を背負ったまま行かなければならない。

 若い世代の歴史認識は甚だ貧弱な知識である。日本はどのような道を歩いてきたのか、近隣諸国の指導者らに指摘されるまでもなく、自ら歴史を学んで総括することをしなければ、いくら言葉を並べ立てて談話を発表しても、国民に浸透しないだろう。

 日本人は、日清、日露、日中、太平洋戦争までの半世紀に及ぶ戦争拡大時代の歴史の真相を、しっかりと学ぶ必要がある。

 


山梨県韮崎市に大村智先生を訪ねました

「書斎でくつろぎながら、研究ドラマを語ってくれる大村智先生」
「片岡球子先生の作品(右)と堀文子先生の作品(左)に囲まれてご満悦の大村先生」
「韮崎大村美術館」
「大村先生が掘った「白山温泉」。先生は、温泉のオーナーでもあるのです。」
「白山温泉の看板」


 夏休みで帰省中の、世界の有機化学者の第一人者、大村智先生の書斎を訪問しました。折しも東洋経済新報社の写真取材があり、便乗して写真を撮影をしました。
 熱帯地方の住民を救ったイベルメクチンの科学構造模型を手にしながらの研究物語は、何回聞いても感動します。また今回は、研究を経営する話をお聞きして、研究者がいかに効率よく研究を進めなければならないか、その努力の一端をお聞きして感銘を受けました。
 韮崎大村美術館では、日本を代表する女流作家の名画の数々が展示されており、興奮しながら鑑賞しました。隣接して温泉とお蕎麦レストランがありますが、これはすべて大村先生がオーナーになっているものです。女流作家の美術館を鑑賞した後は、ひと風呂浴びてお蕎麦を堪能してもらうという大村先生のアイデアです。山梨の灼熱の夏のひと時を楽しみました。


小林有也先生の足跡をたどります

松本深志高校の正面玄関にある小林有也先生の胸像
「松本深志高校の正面玄関にある小林有也先生の胸像」
「深志高校の玄関」
「重厚なたたずまいを残した校舎の中」
「国宝 松本城」
「松本城の雄姿」

 物理学校創設者の一人である小林有也先生の足跡を辿るために長野県松本市に行きました
 小林先生は、明治13年に東大理学部仏語物理学科を卒業した日本で最初の理学士でした。農商務省に勤務した後、長野県の理学教育のために赴任して中等学校の創設にかかわり、明治19年、31歳のときに松本市に赴任して現在の松本深志高校の校長となりました。
 教育に情熱を燃やし、60歳のときに現役のまま亡くなりました。晩年は、松本城の修復を主導し、現在の松本城があるのは小林先生の尽力のおかげだと言われています。


北村行孝・鶴岡憲一「日航機事故の謎は解けたか」(花伝社)


 

 あの事故から30年。メディアの報道特集を見ながら時間の流れを感じていたが、この本を広げて読み出すと、あの日あのことが臨場感あふれる筆致で展開されており、つい先ごろの事故であったように再現されていた。

 2人の元読売新聞社会部記者が、どうしても書き残したいという思いを持ち続け、ついに上梓したものである。専門的なデータと証言を再検証して整理した記録であるが、同時にこの事故の原因に迫った一級の資料にもなっている。

 全編を通じて、新聞記者らしく事実に即した記録を辿っている。事故調査委員長だった八田桂三氏が書き残したB747型機の安全向上策を書いた「建議書」は、公式に取り上げられることなく幻に終わる。入院先の病院でまとめ、米側にも伝えようとしながら、結局は幻の建議書となったが、八田氏の思いが込められた直筆の文書(写真)が、巻末に収納されている。このような人物と文書を知っただけでも、この本を読んだ価値があった。

 著者らは、アメリカから原因調査で日本へ派遣されてきたトム・スウイフト氏の事故原因を詳細に記述した直筆の文書(コピー)を入手する。この文書を中心に、当時の関係者の証言と資料を検証しながら機体尾部が破壊に至った過程を追跡して詳細に記述している。

  事故機がどのような機内環境で飛び続け、機内の急減圧は生じたのかどうか。その様相を検証した事故調報告書とパイロットで組織する連絡会議の見解は平行線をたどったままであることを示し、さらにベテラン機長だった杉江弘氏の見解も取り上げている。

  520人の命を犠牲にした史上最悪の航空機事故の原因は、30年経てもなお議論の余地を残していることを知り、あの事故は解明されない部分を残したまま、まだ「飛行」を続けているようにも感じた。本のタイトルにある「謎は解けたか」と問いかけた理由であろう。

  第3章に収納されている事故調専門委員ら7人とのインタビューは、当時の生々しい状況を伝える記録として歴史的な意味も含んでいる。事故直後のインタビューだけでなく、長い歳月を経て当時を振り返りながらこの事故の教訓を改めて述べている人もいる。墜落事故の全貌を肉声で残そうとした試みでもある。

 読みやすい一般書であるが、専門資料としても貴重な書籍になっている。

 



 

 

 


自己保身のため法理より詭弁を優先させる最高裁判事  朝日新聞に掲載された意見広告で明解に解説

  2015年8月6日、朝日新聞朝刊に掲載された一人一票実現国民会議の意見広告は、「違憲状態」という法理にない言葉を使い、選挙は合憲という詭弁を弄している病根を明解に解説しています。

 升永英俊、久保利英明、伊藤真の3弁護士(文責)によると、「選挙は違憲状態。しかし選挙は合憲」という判決は、詭弁以外のなにものでもないとしています。法律家でない私たち一般国民にとっても、こんなに人をバカにした言い方はないと感じています。

 ここでの主張は、憲法56条第2項、憲法1条、憲法前文第1文前段によって、憲法は人口比例選挙を要請しています。民主主義の根幹は多数決で物事を決するものです。国民主権は国会議員に託していますが、その国会議員は正当に選出されていないので、現在は少数の有権者選んだ多数の国会議員が多数決の原理で物事を決めています。

 つまり少数の議員の思惑で国を治めているものであり、およそ民主主義国家とは程遠い状況になっています。そのことが分かっている最高裁の多くの判事は「違憲状態」という詭弁で逃げを打ち、結果的に国民を愚弄しているのです。

 なぜそのような愚弄が生じたのか。意見広告の主張は、最高裁の判事の指名の仕組みが違憲という行為の中で昭和21年から既得権化してきたものであり、その既得権を失うことを回避するために詭弁判決になっているというものです。

 最高裁は、意見広告の主張する法理に対し、合理的に反論し「違憲状態でも選挙は合憲」と言いくるめることは不可能でしょう。正義にしたがって「違憲、選挙は無効」と言い渡し、人口比例選挙の選挙区割で正当な選挙をすれば、初めて日本は民主国家を確立したことになります。

 意見広告では、選挙無効と判決すると、社会的混乱が生じるのではないかとの危惧に対する否定論を実に簡潔に説明しています。混乱などするわけがないというのは筆者の私も同感です。

 いま私たち国民が取るべき行動は、一人一票実現のために世論を喚起することです。小学生が聞いても詭弁だと思うに違いない最高裁判決は直ちに廃棄し、来たるべき一人一票実現運動の最高裁判決では毅然として「違憲、選挙無効」と言い渡したなら、日本国民はどれだけ目覚め、自覚と勇気を持ち、国家作りに真摯に取り組もうとするでしょう。

 最高裁判事の英断を期待しています。

 

 

 

 

 


圧倒的歌唱力で聴衆を魅了したジャズ歌手の黒岩静枝さん

 札幌市を拠点に歌手活動を続けて50年になるジャズ歌手の黒岩静枝さんが、東京銀座のライブハウス「銀座スウイング」に出演した。

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 黒岩さんは、札幌東高校出身でジャズ歌手になり、ベトナムに渡り米軍の慰安団の一員としてジャズを歌って聞かせた体験もある。また、アメリカにジャズ留学して技量を磨いた。

 黒岩さんの持ち味は、円熟した声から繰り出すつやのある歌唱である。歌の合間にしゃべる内容もなかなか聞かせる。札幌市を拠点にしているが、ときどき東京や横浜のライブハウスに招かれて唄っているので都合のつく限り足を運んでいる。

 黒岩さんと筆者が出会ったのは、40年ほど前、札幌市の南9条西3丁目にあったナイトクラブ「コンコルド93」であった。先輩に連れられて行くと、そこで魅力的なジャズを唄う黒岩さんと出会い、その歌唱力にとりつかれた。それをきっかけに足を運ぶうちに、どのような歌手であるか知りたくなりインタビューを申し込んだ。

 その取材は、当時の読売新聞北海道版の一面特集の「北の群像」という欄に掲載された。筆者は、東京本社社会部から転勤になり、札幌の北海道支社報道部の記者をしていた。そのころ、「コンコルド93」で演奏するグループサウンズの「キッパーズ」というバンドも気にいった。

 「キッパーズ」は「ハマナスの恋」など多くのヒット曲を飛ばし、道内では断トツの人気バンドだった。そのバンドマスターの伊藤弘康さんはご主人である。黒岩さんはその後、札幌市内に「デイバイデイ」というライブハウスを開き、「キッパーズ」も同名のライブハウスを開いている。

 昨年は、キッパーズの50周年記念公演を開き、今年は9月に黒岩静枝さんの50周年記念公演が札幌市で開催される。

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