PEACE BOATで世界一周の旅ーその28
2024/06/01
学校で習わなかったから知らない
とかくご婦人たちの会話は、情報が多岐に渡り、参考になります。船のレストランのテーブルを6人で囲んだ夕飯の席を見渡すと男性は筆者だけで、あとはやや歳を重ねた「妙齢」のご婦人ばかり。こんな会話が聞こえてきました。
街の両替屋で日本のお札を出したところ受けつけない。理由を聞いたら、円相場の上下が激しく、さらに今度、お札のデザインが変わるので不安だと言われたとか。
古いお札も流通するから心配ないと言っても通じないらしい。
「しかし、さすが両替屋よね。日本のお札デザインの切り替え情報をちゃんと持っていた」と言えば、「日本を信用してないってことでしょう」となり、話は最近の政治、経済情勢から日本の停滞状況など際限なく広がります。
お札デザイン切り替えでは、千円札の肖像が野口英世から北里柴三郎へバトンタッチされる話をとらえて、筆者の出番が回って来ました。この2人の巨人については、ついついしたり顔で2人とも、後一歩でノーベル賞受賞だった史実を語ったところ「そんなこと、学校で習わなかった」となり、企画講演することになりました。
「学校で習わない」という言い方は、妙に説得力があります。しかし、習わないということは教科書に書いていないことを示すようで、入試にも出ないということになります。こういう教育を「与える教育」と言うようですが、いつまでたっても与えるだけの教育では、発展性もないし今の時代のスピードにも追いつけません。
世界の先端医学研究に取り組んだ野口
野口英世の伝記は、小学生にはいまでも人気があるようです。15歳で学校を卒業後は、独学でドイツ語、英語などの文献を読みこなし、今で言う医師国家試験を21歳で取得し、間もなくアメリカに留学します。
その後は、ペンシルバニア大学医学部のフレクスナー教授の指導のもとに瞬く間に細菌学、血清学などを習得して多数の論文を書き、ついに梅毒スピロヘータを進行性麻痺・脊髄癆の患者の脳病理組織で確認して、この病気と梅毒との関連を明らかにしました。
1913年には、この業績だけで世界中の14人からノーベル賞候補の推薦を受け、最終選考にも残っていました。この推薦を始め、延べ23人から推薦を受け、今一歩で受賞という輝かしい活躍ぶりでした。
7月3日に、1万円、5千円、千円のお札の肖像が20年ぶりに変わります。最も国民になじみのある千円札の肖像は、野口から北里柴三郎へとバトンタッチされます。そのような節目のときでもあり、偏差値などと無縁だった時代、福島県の寒村から高等小学校卒の学歴で世界の先端研究者になった野口の人生はあまりにドラマチックです。
乗船しているPEACE BOATが、数日前に野口が黄熱病にかかって斃れたガーナ沖を通過してきたばかりです。そういう縁も入れて話を進めました。
150人ほどが聴きに来てくれましたが、講演後の感想は「そんなこと知らなかった」という声ばかりであり、野口のドラマチックな人生は、色あせることなくさらに輝きを増していることを知りました。
偏差値一辺倒の大学入試制度、メディアも含めて有名大学入試競争の現場をこれ見よがしに報道する姿勢がある限り、野口のような英雄は出てこないでしょう。
次は、フランスのル・アーブルに寄港する予定です。
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