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物の品質では勝てなくなった日本

 今朝(7月14日)の日本経済新聞朝刊一面に、トヨタが電磁波鋼板と呼ばれる高機能鋼材を中国の最大手鉄鋼メーカーの宝武鋼鉄集団から一部、入れることにしたとの報道が出ていた。

 これまでトヨタは、この種の特殊鋼板は、品質で世界トップを誇る日本メーカーだけから入れていた。それが中国製品を入れるということは、品質が追い付いてきたので後は値段の安い方を買うという理屈だろう。あらゆる製品は、品質が同じなら購入者は安い方を買うにきまっている。服飾などのブランド製品は違うが。

 中国製品は粗悪品とレッテルを貼って敬遠されたのは昔の話である。戦後間もなくの時代、日本製は粗悪品として世界で有名だった。それが世界に通用する品質を目指して努力して、ついに高性能、高品質の製品を世界に供給できるまでになった。

 中国の品質向上については、筆者はニセモノ製品を見てきたからよく分かっていた。2000年ころ、筆者はしょっちゅう中国に渡航してニセモノ調査をしていた。ニセモノ製造業者に取材に行って怖い思いもしている。目的は、知的財産への取り組みと権利による収益の在り方や仕組みを調べることにあった。日本企業の知財戦略は、中国のニセモノ社会を見ることでよく分かった。その結果は、おいおい書くことにしたい。

 この10年足らずの間に、中国のニセモノの品質が急激にあがった。一見してニセモノと分かるようでは、中国では売れなくなった。文具類は冗談で、本物より品質がいいとも言われた。真似された日本の文具メーカーは怒るだろうが、中国人から見るとそうなってしまう。

 もの作りと言う言葉がある。文字通り、製造業を称する言葉だが、今やリアルでものを作るのではなくバーチャルでものを作って、どこかに作らせる時代になった。企画・設計・金型・量産という流れは、もの作りの工程を言うものだが、日本のお家芸は金型・量産で差を付けることにあった。品質はこの工程で差がつく。

 しかし金型は、機械化されて誰が作っても同じものができるし、量産化も同じである。機械が作る時代になった。もの作りは、企画・設計で差を付けないと勝てなくなった。工程の上流で差を付けるのであり中下流では、同じレベルと言う時代だ。日本の中小企業の仕事が、急速に中国、台湾、韓国へと取られていったことも同じ理由だ。

 ものの品質だけでなく、国の品質も同じである。情報通信関係のインフラでは、中国に遥かに追い抜かれたという実感がある。中国に行くとその変貌ぶりを実感するからよく分かる。ものの品質では勝ったか負けたか、ものを手に取ると分かるが、情報通信の世界では社会インフラと文化と言う手に取れない仕組みで差がつくから怖い。

 国家の品質はなんで決まるのか。いろいろあるだろうが司法・立法・行政の三権分立という国の仕組みで決まるということも間違いではないだろう。いずれそのことを書きたい。

 2020年7月14日

 

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