自民党の最リベラリスト・加藤紘一氏の死去に想う その1
2016/09/10
安倍政権の集団的自衛権の行使容認は「徴兵制まで行きつきかねない」と反対を訴え、従軍慰安婦に関する河野洋平官房長官談話の見直しを進めようとする安倍首相を批判していた元自民党幹事長の加藤紘一氏が亡くなった。
自民党の最リベラリストであり良識ある政治家であった。主義主張、政治哲学だけでなく科学技術に関しても並々ならぬ関心と展望を持っており、加藤政権が実現したときには、知的財産権意識を日本全土に広げたいという「挑戦的な政策」を胸に秘めていた。その「野望」も日の目を見ることなく、ひっそりと政治活動の幕を引いた。
加藤先生との最初の接点は、1999年7月、突然、加藤自民党幹事長から電話をいただいたときから始まる。筆者はそのとき、読売新聞論説委員であり主として科学技術のテーマで社説を書いていた。
月刊誌「諸君!」(文藝春秋社、1999年7月号)に「ニッポン科学技術立国の迷信」とのタイトルで論文を書いたが、その中身について意見交換をしたいという加藤先生の申し出だった。
この論文で筆者は、歴代自民党政権が掲げてきた「科学技術立国」を国是とする政策は、いかにインチキであり砂上の楼閣のような政策であるか具体的な事例と数字をあげて激しく批判したものだった。
数日後に出会った加藤先生に筆者が「自民党議員に科学が分かる先生がいることを嬉しく思います」と言うと、すかさずこう言った。
「私は理系人間ですからね。最初の受験は東大の理1を受けたが落ちましてね。1浪後にもう一度と思ったら、先生が理1は保証しないが、文1なら保証するというから文1を受けて法学部に入った。文1より理1の方が難しかった。それなのに法学部の方が日本を牛耳っている」と言って笑わせた。
科学技術の先端研究のことをよくご存じであり、それから様々なテーマについて意見交換する機会を作ってくれた。加藤先生が科学技術に明るいのは、高校時代の同級生であるノーベル賞受賞者の利根川進先生と仲が良かったことだった。
たまたま筆者も取材を通じて利根川先生とは懇意にしていただいていたので、3人でお会いし、お二人から日本の科学技術政策について意見をうかがったこともあった。
筆者が東京理科大学で授業をしていた「科学文化概論」にも加藤先生にゲスト講師として来ていただき、日本の科学技術政策の課題と将来展望を語っていただいたこともあった。
元自民党幹事長であり、宏池会会長という派閥の領袖であり、首相に最も近い距離にいた政治家であった。そういう大物が講義に来ても、学生たちはほとんど感動を示さなかった。そのような時代になってきていた。
もし加藤政権が実現した暁には、どのような科学技術政策をするべきか。そういう突っ込んだ話を何回かしたこともあった。21世紀を目前にした時代だったが、知的財産権に対する理解も深く、次のような構想を話し合ったこともあった。
それは竹下政権のときに打ち出して話題となった「ふるさと創生交付金1億円」に習って、「ふるさと創生・市町村特許出願運動」を打ち出そうという構想だった。日本全国の市町村に必ず1件以上の特許を出願させる運動であり、特許の価値に応じて交付金を出そうという構想だった。「特許1件1億円」というキャッチフレーズまで用意していた。
すべては幻に終わった。「加藤の乱」で知られる政局の激動の中で加藤政権の芽は消えてしまったからである。その不運に追い打ちをかけるように、加藤事務所の所得税法違反事件で衆議院議員を辞職する。
辞職したその日の夜、襟元の議員バッチを裏返しにした加藤先生と二人だけで赤坂の焼肉屋でお会いしたことがあった。そのようなときでも科学技術政策の夢を語っていた。聞いていて涙が出そうになった。
加藤先生は、筆者がもっとも濃密にお付き合いした政治家であった。
(つづく)
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