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2015年10 月

ノーベル賞受賞者は有名大学だけに集中しているわけではない

 欧米に近づいてきた日本のノーベル賞受賞者出身大学

  今年の日本のノーベル賞受賞者の出身大学は、大村智先生が山梨大学、梶田隆章先生が埼玉大学だった。自然科学分野のノーベル賞受賞者の卒業大学は、当初、東大・京大だけからに限られていたがそれが旧帝大まで広がり、近年は多くの大学にばらける傾向になってきた。これは欧米型に近づいてきている現象だ。

 ノーベル賞受賞者の大学卒の学歴を調べた結果、京大6人、東大4人、名大3人、以下東工大、東北大、長崎医大、北大、神戸大、徳島大、山梨大、埼玉大が各1人となった。このように多様な大学出身者がノーベル賞受賞者になるとは、筆者は思いもしなかった。

 20世紀のノーベル賞受賞者は、東大、京大、東工大に限られており、知の頂点と思われるノーベル賞受賞者は、旧帝大の中でも東大・京大卒以外は無縁ではないかとの印象を与えていた。その印象を強くしたのは、文学賞の川端康成、大江健三郎、平和賞の佐藤栄作の3人がいずれも東大卒だったこともあった。 

  受賞年 受賞者 部門 大学
1 1949 湯川秀樹 物理学 京大
2 1965 朝永振一郎 物理学 京大
3 1973 江崎玲於奈 物理学 東大
4 1981 福井謙一 化学 京大
5 1987 利根川進 生理学・医学 京大
6 2000 白川英樹 化学 東工大
7 2001 野依良治 化学 京大
8 2002 小柴昌俊 物理学 東大
9 田中耕一 化学 東北大
10 2008 南部陽一郎 物理学 東大
11 小林誠 名大
12 益川敏英 名大
13 下村脩 化学 長崎医大
14 2010 鈴木章 化学 北大
15 根岸英一 東大
16 2012 山中伸弥 生理学・医学 神戸大
17 2014 赤崎勇 物理学 京大
18 天野浩 名大
19 中村修二 徳島大
20 2015 大村智 生理学・医学 山梨大
21 梶田隆章 物理学 埼玉大
         
  大学 卒業者数    
  京大 6    
  東大 4    
  名大 3    
  東工大 1    
  東北大 1    
  長崎医大 1    
  北大 1    
  神戸大 1    
  徳島大 1    
  山梨大 1    
  埼玉大 1    
  合計 21    

 ところが、2001年の21世紀に入ってからのノーベル賞受賞者の出身大学は、表のように東大・京大から離れて、明らかにばらける傾向になってきた。私大卒がまだ出ていないが、いずれ日本でも出てくるだろう。

 これまでの自然科学分野の出身大学のランキングを作ってみたら京大6、東大4、名大3人で残り8人は様々な8つの大学卒になっている。これはアメリカ、イギリスなど他の国のノーベル賞受賞者の出身大学が特定の大学に集中しているのではなく、ばらけている現状と似てきている。

 日本の受験戦争は、最終目標が東大・京大を筆頭とする有名大学に合格することを目指している。旧帝大に入学し、未来はノーベル賞受賞者になりたいというのも一つの夢であった。しかし、能力とやる気と努力さえあれば、出身大学など関係なく誰でもノーベル賞受賞者になれることを過去の日本人ノーベル賞受賞者が身をもって示してくれた。

 特に今年、生理学・医学賞を受賞した大村智先生は、山梨大・夜間高校の教師・東京理科大学大学院・北里研究所という日本では2番手と思われてきた大学や研究機関で学び、研究してきた経歴である。しかし筆者が、大村先生から長時間にわたって取材したとき、この業績はノーベル賞にもっとも近い成果だと確信した。加えて大村先生の人格と広い分野に及ぶ識見は、魅力にあふれていた。

 どこの大学を出たかは無関係である。大村先生はたぐいまれな能力を持っている研究者であるが、その能力を極限まで絞り出すような努力をした。取材で知った大村先生の過去の業績は、感動せずにいられない物語で埋まっていた。そのような科学者に巡り合えたことは、本当に幸せだった。

 大村先生と物理学賞を受賞した梶田隆章先生のノーベル賞受賞が、どれだけ日本の研究者や大学生に勇気を与えたか計り知れない。

 受験戦争に惑わされることなく、自分の進学した大学や研究室の中で、自身の能力を信じ努力することが大事であることを大村先生と梶田先生が示したノーベル賞受賞だった。

 

 

 


大村智博士が北里研究所に250億円を導入した産学連携活動(下) 

 

ノーベル賞受賞の有力候補となる

 産学連携活動で250億円以上の学術研究費を製薬企業などから北里研究所に導入した大村智博士は、かなり前からノーベル賞受賞者の候補とし て下馬評に上がっていた。

 動物薬として開発されたイベルメクチンは、やがて人間にも効くことが発見された。アフリカや南米の赤道地帯の熱帯地方で蔓延しているオ ンコセルカ症(河川盲目症)という盲目になる恐ろしい病気の予防薬として劇的な効果が発揮されることが判明する。年間、3億人もの人を病魔から救う医薬品 を開発したのである。


「nature biotechnol」誌は、2003年にエバーメクチンを産生している微生物の「ストレプトミセス・アベルメクチニウス」の写真を掲載し、エバーメクチンの全塩基配列の論文を掲載した。(大村博士提供)

 イベルメクチンは、大村研究室で発見した化学物質をもとにメルク社が開発したものだが、その後メルク社はWHOを通じて蔓延地帯に無償 で配布している。これは、大村博士らがイベルメクチンの商用利用で得られる特許ロイヤリティの取得を放棄して無償で配布することに賛同したために実現した ものだ。

 大村博士は、微生物が産生する有機化学物質を役立てる研究で突出した業績をあげている。薬物だけではなく、化学や医学の研究現場で使用する多くの酵素、薬剤を開発して医学、化学の研究の進展に多大な貢献をしているのである。

 一般にはなじみが薄いがこの欄では代表的なスタウロスポリン、ラクタシスチン、セルレニンという3つの物質について紹介したい。
 この3つの物質はいずれも、世界で初めて大村博士が土中の微生物が産生している有機化学物質の中から発見したもので生命現象の解明に広く使われている化学物質である。
 またこうした化学物質は、100を超える化合物が有機合成化学のターゲットとなり、関連領域の発展にも貢献しているのである。

 スタウロスポリンの発見と業績

 スタウロスポリンとは、1977年11月、ストレプトマイセス属の放線菌から発見したもので最初の発見のときはあまり注目されていなかった。ところ が発見してから9年後の1986年、協和醗酵の研究グループが、「スタウロスポリンは、プロテインキナーゼCの阻害剤である」と発表したのである。

 プロテインキナーゼとはタンパク質分子にリン酸基を付加する酵素である。その中でもカルシウムに依存したプロテインキナーゼをプロテインキナーゼC と呼んでいる。元神戸大学学長をした西塚泰美博士が発見した酵素であり、西塚博士はこの発見の業績でノーベル生理学・医学賞の受賞は確実とまで予想されてい た。しかし西塚博士はその栄誉に浴することなく2004年11月4日、72歳で死去する。

 細胞は様々な機能を維持するため、細胞内のタンパク質をリン酸化したり脱リン酸化する反応を繰り返している。このリン酸化によってタンパク質は酵素を活性化させたり、他のタンパク質との会合状態を変化させている。細胞内のたんぱく質のうち30%はキナーゼの影響を受けて変化し、細胞内での様々なシグ ナル伝達や代謝の調節因子として機能している。キナーゼ遺伝子はヒトゲノム中に約500種類あり真核生物の全遺伝子の約2%を占めていると報告されてい る。

 このように重要な働きをしているプロテインキナーゼCの働きを阻害することが分かると、研究は思わぬ方向へと発展していく。いろいろな誘導体も作ら れて抗癌剤として臨床実験に使われているものもでてきた。大村研究室でもこの活性の特徴は何かと調べてみると、色々な種類の蛋白質をリン酸化する酵素の阻 害剤であることが分かった。研究現場では細胞内の化学的な反応を調べるときの試薬として使われるようになる。
 例えば神経が作用する細胞が分裂したり分化したり、あるいは細胞が動いたり機能をする場合にはそこには必ず信号が入ってくる。シグナル伝達と呼んでいるが、この研究にスタウロスポリンがよく使われるようになる。

 大村研究室で、1993年に発表された論文でスタウロスポリンが論文のタイトルについているものがどのくらいあるのか調べてみたことがある。すると 1年間で、624報にスタウロスポリンという名前が入っていた。一般的に研究成果を論文として発表した場合、その論文内容がどのくらい国際的に評価されているかを客観的に見る指標は、他の論文にどのくらい引用されているかその頻度を見ることにある。

 大村博士の研究分野で言えば、発見した化合物がどのくらい 有用であるのかを客観的に計るのは、その化合物がどのくらい論文に出てくるか、あるいは研究に使われているかを統計的に見ることで分かる。
 1991年から2000年までに、大村研究室で発見された化合物を使って研究し、論文で発表されたものがいくつあるか調べてみると、セルレニンは10年間で214報の論文、スタウロスポリンの場合は1年間で500報の論文が発表されていた。


 世界中で一番売れている薬がスタウロスポリンだと言われたこともあった。大村研究室は特許を持っていたので、スタウロスポリンが使われるようになるとロイヤリティ収入が増え、研究費もその分潤沢になっていった。


今でも研究現場に足を運び、人材育成に熱心に取り組んでいる。(北里研究所で)

 ラクタシスチンの発見と業績

 ラクタシスチンは、1991年に大磯で開催したシンポジウムで、大村博士がまだ論文として発表していなかったラクタシスチンという微生物由来の化学 物質の発見を発表した。ラクタシスチンはその後の研究で、プロテアソームというたんぱく質の分解を行う巨大な酵素複合体を特異的に阻害する物質であること が分かり、今ではさまざまな研究現場で利用されている。

 大村博士はこの化学物質のスクリーニングでは、マウスの神経芽細胞のがん化したものを使って行なったが、特殊な動物細胞を使って生理活性物質を見つ けたケースとしては初めてであった。ラクタシスチンが発見される前までは蛋白質というのは適当にプロテアソームで壊れていくと思われていた。

 どのように調 節されるか解っていなかったが、ラクタシスチンが発見されて初めて解った。蛋白質を分解しようとする時は、ユビキチンというアミノ酸76個からなる蛋白質 があるが、これがあらかじめくっつく。くっつくとこれ全体をプロテアソームが認識して分解していくということが解った。これによってプロテアソームの研究 が飛躍的に進んだ。

 神奈川県・大磯のシンポジウムで大村博士の発表を聞いたハーバード大学のコーリー教授は、帰国後「ラクタシスチンの構造はこれで正しいか」と連絡してきた。大 村博士は、まだ論文として発表していなかったが正しい構造式を教えてやった。コーリー教授は練達の技法を使ってすぐに合成をしてしまった。コーリー教授は 大村博士に敬意を払って、ラクタシスチンの活性本体を「オオムラライド」と名付けた。

 セレルニンの発見と業績

 セレルニンは、大村博士が北里研究所に入所して間もないころに発見したものである。大村博士は、セルレニンの研究をやろうとアメリカのウェスレーヤ ン大学に客員教授として留学する。そのとき単離したセルレニンの試料を日本から持参していた。化学構造や有用性についてはまだ未解明な部分が多く、研究し たいことはいくらでもあった。

 セルレニンは、真菌の中の不完全菌類に属する菌が産生する抗真菌性の化学物質である。大村博士はセレルニンが脂肪酸の生合成を阻害するということまでは実験で突き止めていたので、それを発展させてこの物質がどのようなメカニズムで作用するのかを明らかにしてみたいと思っていた。結果的にそのセルレニ ンの研究から素晴らしい研究人脈が広がっていく。

 ウェスレーヤン大学に招聘された年の1971年の秋である。ティシュラー教授の紹介で知り合ったファイザー社のW・セルマー博士という小児の呼吸器 感染症や肺炎に効力があるオレアンドマイシンという抗生物質を発見した研究者から電話が来た。ハーバード大学教授のコンラッド・ブロック博士が自分の研究 室に来るので紹介したいので、こちらまで来ないかという誘いである。

 大村博士は驚いた。ブロック博士は脂肪酸の研究領域の業績を認められて1964年にノーベル生理学・医学賞を受賞した権威であり大村博士から見れば雲 の上の研究者である。その人を紹介するという。セルマー博士が大村博士をブロック教授に紹介したいと思ったのは、ブロック教授が脂肪酸領域の研究の第一人 者であり、大村博士も同じテーマで研究しているのでこの研究者を会わせてやろうという好意から出たものであった。

 ファイザー研究所のセルマー博士の部屋で大村博士が出会ったブロック教授は、温和な非常に落ち着いた雰囲気を持っている紳士だった。ブロック教授と 形通りの挨拶をし、お互いに研究領域の話題を話し合った。相手はノーベル賞受賞者であるから、いま相手が手がけている研究内容を聞くというようなものではない。

 大村博士は英会話にまだ慣れていなかったが、普通に接していれば不自由なく会話もできる。科学者として共通の領域の研究をしている場合は、専門用語を使って会話ができるので言語の壁はほとんどなくなる。

 大村博士はごく自然に北里研究所で手がけたセルレニンの研究を思い出しながら、いま取りかかっている研究内容を話した。そしてセルレニンの構造を決 定した後、再度抗菌スペクトルを見直したところセルレニンはきわめて広い抗菌および抗真菌スペクトルを持っていることが分かった。

 この構造がコレステロー ルの生合成中間体と似ていることから脂質の生合成を阻害しているのではないかと見当をつけ、構造を決めるために使った残りのサンプルを同僚の野村節三博士 に渡し共同研究を開始した。

 研究の結果は、セルレニンは脂肪酸の生合成の特異的な阻害剤であることが判明した。当時、蛋白質、核酸、細胞壁などの生合成を阻害するものは多く知られていたが、脂肪酸の生合成を阻害するのは、このセルレニンが初めてであった。大村博士は、ブロック教授にこう言った。
  「私たちの研究では、セルレニンは脂肪酸の生合成を阻害するという実験結果が出ています。それがどのようなメカニズムで作用するのか、ウェスレーヤン大学で詳しい研究を始めています」

 ブロック教授は身を乗り出さんばかりに興味を示して聞いている。ブロック教授は脂肪酸の生合成の機構と調節に関する研究でノーベル賞を受賞した研究 者である。多分、大村博士が語った知見は、ブロック教授にとってはまだ知られていない事実だった可能性が高い。ブロック教授はいくつか専門的な質問をして きたが、大村博士はセレルニンのことはよく分かっていたので無難に応対していた。ブロック教授が言った。
 「ドクターオオムラ、セルレニンが脂肪酸の生合成を阻害することが真実なら大変なことになる。我々の研究室でも是非、これを確かめたいのでサンプルをもらえないか」

 ゆっくりとしてはいるがしっかりした口調で言った。ブロック教授のその言い方に大村博士は、ことの重大性を感じた。大村博士は日本から持参していた200ミリグラムほどのサンプルを準備して持っていた。その中から10ミリグラムほど小分けしたものをブロック教授に渡した。
 それから2、3ヶ月経ったころである。大村博士がいつものように研究室で実験をしていると、ティシュラー教授の秘書が大村博士を呼んでいる。ブロック教授から電話がかかっているというのだ。急いで駆け付けて電話に出てみると、ブロック教授は覇気のある口調でこう話した。

 「ドクターオオムラ、セルレニンは確かに脂肪酸の生合成を阻害している。我々の研究室でもはっきりわかった。目下いくつかの脂肪酸の生合成系で確かめているが、大変興味ある物質だ。もう少しサンプルを必要とするので提供してもらえないか。これから共同研究を進めよう」


 セレルニンはその後の研究で、脂肪酸の生合成を阻害する唯一の化学物質であることが分かってくる。脂肪酸生合成に関連しているいくつかの酵素も阻害する ので脂質代謝の研究には欠かせない物質になるのである。大村博士はその後、ハーバード大学のブロック教授の研究室を訪ねセレルニンの共同研究をするように なる。ブロック教授は、海外の研究室で意欲的に仕事に取り組んでいる大村と自身の研究歴と重ね合わせながら、好意的に見るようになっていた。

 ブロック教授の研究室を訪問すると彼はいつも歓迎してくれた。研究内容について討論したり研究情報を交換するようになる。ほどなくしてブロック教授が研究室の一角にある机の前に大村博士を連れて行きこう言った。
 「君のデスクを用意した。ハーバードに来たときには、このデスクをいつでも使ってほしい」
 この申し出に大村博士はいたく感激した。一流の研究者はかくも違うものなのか。セルレニンが脂肪酸の生合成を阻害しているという知見を初めて示してくれ た研究者仲間を大切にしようとする気持ちがあふれている。ウェスレーヤン大学に席を置きながらハーバード大学のブロック研究室の一角にも机をもらう栄誉に 浴し、大村は研究者の国際交流について非常に貴重な体験をしたと思った。

 世界の栄誉を次々と授与される

 これらの業績に対して、大村博士は世界中の栄誉を総ざらいしている。列挙すれば次のようになる。
 米国微生物学会ヘキスト・ルセル賞、日本薬学会賞、上原賞、日本学士院賞、藤原賞、紫綬褒章、タイ国プリンス・マヒドン賞、独国ローベルト・コッホゴー ルドメダル、米国化学会一日本化学会ナカニシ・プライズ、米国化学会アーネスト4ガンサー賞、国際化学療法学会ハマオ・ウメザワ記念賞、テトラヘドロン・ プライズ、国際微生物連合協会アリマ賞および仏国レジオン・ド・ヌール勲章、カナダ・ガードナー医学保健賞など内外の多数の栄誉が贈られている。


 また、英国王立化学会、米国生化学・分子生物学会などの名誉会員、日本学士院をはじめ、米、独、仏、ロシア、ベルギー、および中国など多くの権威ある内外の科学アカデミーの会員に選出されている。
 

 大村博士のノーベル賞受賞は、こうした過去の実績と叙勲の最終ゴールとして結実したものであった。


世界の化学界で最も権威ある賞の一つである「テトラヘドロン・プライズ」の賞金額を示すボードを見せる大村博士。まるでゴルフの賞金額を示すボードのようである。

 

 

 


大村智博士が北里研究所に250億円を導入した産学連携活動(上) 

 日本中を沸かせた大村博士のノーベル生理学・医学賞の受賞

 2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学特別栄誉教授の大村智先生は、産学連携の先駆けとしてかつてない実績を残した点で素晴らしい受賞者となった。

 受賞理由は、熱帯地方の感染症、オンコセルカ症(河川盲目症)の絶滅に貢献する薬剤を開発した業績を評価したものだ。しかし大村先生はこの業績だけではなく、多くの優れた天然化学物質を発見して化学や医学の基礎研究に貢献している。

 それと同時に、大村研究室で発見した化学物質をアメリカのメルク社などとの共同研究で得られた研究費は、総額250億円以上になっている。この稿では2回にわたって産学連携と学術資金の還流について論じてみたい。

  CIMG0682ノーベル賞受賞の発表を受け、大村先生の研究室にお祝いに駆けつけた筆者とのツーショット

  産学連携の言葉もなかった時代から始める

 大学・研究機関の研究室で生まれた学術的な研究成果を、社会で役立てるため産業現場に成果を移転して実用化に貢献する。これが産学連携であ る。 1990年代から本格的に始まったIT(情報科学)産業革命は、従来の基礎研究の成果が実用化されるまでのタイムラグ(時間差)がきわめて短縮されて きた。

 大学で基礎研究の成果として出たものがすぐに実用化されるような時代になってきた。一見、大学の研究室は企業の下請けのように見えることもある。しかしそれは外見的にそう見えるだけで、学問の創造と学問の自由は失われていない。


 近年のノーベル賞受賞業績は、実用化になってから1兆円市場を作るような基礎研究の成果を出さないと受賞できないとも言われるようになっている。つまりノーベル賞でも実用化での成果が重視されているということだ。

 北里研究所名誉理事長の大村智博士は今年80歳になり、現役の研究者から司令塔へと役割を移動しているが、その発想と後継者育成への情熱はますます 熱くなっている。大村博士が産学連携で250億円以上もの特許ロイヤリティ収益を北里研究所に還流させた実績はあまり日本では語られていない。ここで2回 にわたって、大村博士の発明研究と産学連携の話をしてみたい。

 大村博士の研究は、土壌中に生息する微生物がつくる化学物質の中から、役に立つものを探し出す研究だ。これまで国内各地の土壌から9属、31種の新しい微生物を発見し、微生物が作り出す化学物質を450種も見つけた。このうち26種類が医薬、動物薬、研究用試薬などとして実用化されている。世界でも断トツの実績である。


 微生物の作った化学物質を役立てることを歴史的に最初にやった人は、イギリスのアレクサンダー・フレミングであった。アオカビが他の微生物との生存競争 に打ち勝って生き延びるために産生していた化学物質を人間に役立てたのである。これが最初の抗生物質であるペニシリンである。
 つまりアオカビは、ペニシリンを作り出して他の微生物を殺し、自身が生き延びることをやっていた。人間はこれを、病原細菌を殺して生き延びることに応用した。フレミングはこの業績で1945年にノーベル賞を受賞している。

 大村博士は、国内各地の土壌を採取しては研究室に持ち込み、スクリーニング(選別・検索)にかけてまず微生物の性質を説きあかし、次いで微生物が産生している化学物質のスクリーニングをして人間に役立つ物質を発見することを始めた。
 ここまでが基礎研究であり、これを実用化するのが応用研究である。大村博士は米国に客員教授として招聘されているときに製薬企業のメルク社と連携することを取り付け、帰国後に本格的にこれを推進した。

 「大村方式」という産学連携の契約を交わす

 大村博士の研究室で微生物由来の化学物質を発見して特許を取得し、メルク社がそれを製剤などにして実用化をはかり、特許ロイヤリティを大村博士に支 払う。まさに産学連携であるが、これを大村博士は1973年、日本では産学連携という言葉もなかった時代から実際に始めたものであった。
 大村博士がメルク社との産学連携で交わした契約は「大村方式」と呼ばれるものであり、いまでは普通のやり方になっているが当時は珍しかった。大村―メルク社で交わされた契約の大略は次のようなものである。

*  北里研究所とメルク社は、動物に適合する抗生物質、酵素阻害剤、および汎用の抗生物質の研究・開発で協力関係を結ぶ。

*  北里研究所のスクリーニングおよび化学物質の研究に対しメルク社は年間8万ドルを向こう3年間支払う。

*  研究成果として出てきた特許案件は、メルク社が排他的に権利を保持し二次的な特許権利についても保持する。

*  ただし、メルク社が特許を必要としなくなり北里研究所が必要とする場合は、メルク社はその権利を放棄する。

*  特許による製品販売が実現した場合は、正味の売上高に対し世界の一般的な特許ロイヤリティ・レートでメルク社は北里研究所にロイヤリティを支払う。

 非常に合理的な契約内容である。家畜動物などに絞ったのは、すでに人間用の微生物由来の化学物質は世界中で研究しているので、競争するのは大変である。むしろあまりやられていない動物に役立てる化学物質を発見しようという話になった。


 家畜動物の病気を救ったり予防になる物質を実用化できれば、飼料代だけでも莫大な節約に結びつく。しかも動物に効くことが分かれば、それだけで動物実験になっているので人間に応用できる道が開けるのではないか。
 大村博士の思惑は見事に当たって、動物製剤では世界的なヒット商品を生み、しかも人間への応用も実現して人類の福祉に多大の貢献をすることになる。

 メルク社が大村博士に支払う研究費は年額8万ドル(当時は2400万円に相当)という当時としては破格の研究費供与だった。これは大村博士が招聘さ れたアメリカの名門大学、ウェスレーヤン大学のティシュラー教授がメルク社の元研究所長という縁があったからであり、大村博士はティシュラー教授にその手 腕を高く評価されたために実現した破格の条件でもあった。

 大村博士はいつもビニールの子袋を持参し、土壌を採取しては研究室で分析していた。1975年、大村博士は静岡県伊東市川奈のゴルフ場近くで採取し た土壌の中から、新種の放線菌を発見してメルク社に送った。メルク社は、多様な化学物質を産生していることから動物の寄生虫に効くのではないかとにらんで 実験を続けると、果たせるかな家畜動物の寄生虫の退治に劇的な効果を発揮することが分かる。
 この化学物質はエバーメクチンと名付けられ、その後、実験を重ねる過程で化学的に改良されてイベルメクチンという名前になる。ここでもイベルメクチンという名前で続けていきたい。

 牛のお腹の中には、5万匹もの寄生虫が生息しているが、この寄生虫が牛の栄養分を相当に消費している。これを退治すれば飼料代が節約できるし、牛の 健康状態も良くなるので家畜の量産につながる。メルク社の実験によると、少量のイベルメクチンをたった1回飲ませるだけで寄生虫はすべて排除するという劇 的な効き目があることを実証した。
 これはすぐに動物薬として発売し、たちまち動物薬の売上トップに躍り出てしかも20年以上も首位の座を守ることになる。

 大村博士とメルク社で取り交わした産学連携の契約では、実用化で開発した薬剤の売上高に応じて特許ロイヤリティを北里研究所に支払う内容になっている。この契約に沿って北里研究所は1990年ごろから毎年15億円前後のロイヤリティ収入が入るようになる。
 北里研究所は当時、経営が非常に大変な時期だったが、特許ロイヤリティの収益でたちまち建て直し、さらに埼玉県北本市に病院建設まで実現してしまう。
 それだけにとどまらず、動物に効くイベルメクチンは、やがて人間にも効くことが発見される。対象となった疾病は、アフリカや南米の赤道地帯の熱帯地方で 蔓延しているオンコセルカ症(河川盲目症)という盲目になる恐ろしい病気の予防薬として劇的な効果が発見されるのである。

(つづく)


第120回・21世紀構想研究会の報告です

 日本の高度研究人材を考える  吉海正憲氏の講演報告

 21世紀構想研究会での解説と討論

 知的財産を生み出すもっとも大きな勢力になっている日本の高度研究人材が、年々、先細りになっているとの懸念が言われてきた。実際にはどうなっているのか。

 さる9月29日に開催された特定非営利活動法人21世紀構想研究会の120回研究会で、住友電工顧問の吉海正憲氏(研究・技術計画学会会長)が、様々な実証的なデータをもとに日本の危機を解説し、参加者と討論を行った。

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120回・21世紀構想研究会で解説する吉海正憲氏

  様々なデータで示した日本の先細り状況

 吉海氏はまず、「マクロ構造から見た日本の現状と大学」として多くのデータを示した。

 研究開発投資額を1985年を1とすると、2012年には0.69まで下降した。同じ統計では、アメリカは0.97、ドイツは0.96、イギリスは1.3であり、先進国での日本の落ち込みが際立っていた。

  GDPの増加率を2000年と2011年を比較した数字では、日本が24パーセント増加に対して、アメリカは51、ドイツは91、イギリスは65パーセントだった。他の国はサービス業で著しく伸ばしているが日本は低調だった。

 この間の特許出願数も2000年の日本は世界トップでドイツ、イギリスの20~30倍の水準だったが、2011年には世界3位になりドイツ、イギリスの6~12倍まで低下した。

  大学などの使用研究費の1996年から2012年までの推移が下の表である。

   金額はさておき、伸び率を見ると先進国の中でも日本の鈍化は明らかである。こうした鈍化傾向と対象的に、日本で増えているのが、社会保障費、国債費、地方 交付税交付金などで、軒並み3倍から4倍以上になっている。文教科学振興費は、この間15パーセントの減少になった。

  大学の研究資金は国からが主力

 大学の使用する研究費はどこから来るのか。吉海氏の解説によると、日本は97パーセントが政府もしくは私学負担になっており、欧米の半分から5分の1程度である。大学が海外から受ける研究費も日本は極端に低く、欧米の20分の1から100分の1程度にとどまっている。

  論文数のシェアも日本は先細り傾向が顕著である。表で見るように、1998年から2012年までの低下率を見ると日本は33パーセントであり、先進国の中で突出している。代わって出てきたのが中国で、この間20倍に伸びている。

 また、論文の被引用回数も同様な傾向にあり、中国の約32倍に対し、日本は20パーセントの減少になっている。

  

  アジアの大学ランキングでは、東大がトップで面目を保っているが、中国、韓国が猛追していることが分かる。

 産学連携の重要性を提起

 吉海氏のこの日の講演の主旨は、日本は産学連携を活性化させないと国の科学技術活動が停滞化するとの警告を発信することと、そのためには博士号取得者などの高度研究人材をどのように社会で生かしていくかを提起することにあった。

   そこで「新しい成長構造には大学と産業の強い相互作用が不可欠」とするタイトルで2つ目のテーマを解説した。まず大学が民間企業から受け入れている研究資 金は、平成25年度は695億円でやや増える傾向を見せている。しかし20年度が629億円であることを見ると、大した増加にはなっていない。

  平成25年度の国立大学の寄附金受入額は、前年比40億円の減少で、総額は750億円だった。民間企業との共同研究もわずかずつ増えてはいるが、その上昇ラインはそれほどでもない。受託研究の件数や研究費の受入額もたいした増加にはなっていない。

 つまり共同研究、受託研究共にやや増加傾向にあるという程度にとどまっている。

 有名大学に集中する研究資金

 民間企業との共同研究に伴う研究費の受入額を大学別にみると、総額390億円のうち、その41パーセントが京大、東大、東北大、阪大、九大という旧帝大に集中している。

  受託研究になると総額105億円のうち京大、慶応義塾大、早大、東大、山形大のトップ5で総額の25パーセントである。この中で山形大学が3億円で5位になっているのが目を引く。

  特許実施料収入を見ると、総額22億円で東大、京大、阪大、日大、九工大のトップ5で61パーセントを占めている。東大だけで30パーセントの6.6億円というのが突出している。

 しかしアメリカのMITは年間のロイヤリティ収入が約90億円だから桁が違う。

  民間からの研究費助成、受託研究費、特許実施料収入の3つの合計を見ると、京大、東大、東北大、阪大、慶応義塾大がトップ5で、総額の512億円の37パーセントにあたる。トップ10では51パーセントになる。

  日本の大学の研究資源は、特定の有名大学、それも旧帝大に集中しており、偏在していることが分かる。これは様々な研究助成金の交付をみても同じ傾向であり、いかに旧帝大が恵まれているかを示している。

 なぜ産学連携が進展しないのか

 吉海氏のこの日の講演は、大学と産業との共同研究がなぜ伸びないのかという点にもあった。吉海氏はこれを企業に由来する原因と大学に由来する原因とに分けて示した。

 企業行動に由来する原因

①    強い内部主義があり、事業戦略全体から大学を活用する発想に乏しい。

②    大学の機密情報管理に対する不信感

③    これまでの大学との関係の惰性

④    時間軸に対する不整合

 大学に由来する原因

①    研究論文主体と共同研究との調整

②    教授個人ないしは研究室レベルの対応で、組織としてのマネジメントができない。

③    研究費を産業から受け入れることに対する歴史的違和感(研究費は文部科学省から得るという意識の浸透)

   このような日本の事情と比較するとアメリカの大学は意識が全く違う。アメリカの大学は自らマーケティングを実施して大学が新しいコンセプトを提唱して企業 に参加を求めていく。大学の研究成果に対する企業のアプローチはスピード感があるし、決定権をすぐにも行使する。日本は、決定権が乏しい。

 そして大事なことは、大学と政府と産業界が一体となって危機感を共有することだと述べた。

   吉海氏はここでアメリカは1970年から80年代にかけて、ベトナム戦争の泥沼化、日本が追いつき、アメリカが追い抜かれていく産業界の状況などで産業、 大学、政府が危機的状況に置かれたと解説。アメリカ政府はプロパテント政策に大きく舵を切り、基礎研究の成果の産業化、産学連携の促進などで再生を図り、 今の強いアメリカと大学を確立したとの見解を述べた。

  これに対し日本は、大学改革が政府主導で進むものの、画一的な選択に陥り、アメリカのように大学と社会が競争原理の中で主体的に改革を構成することができていないと述べた。

 大学発のベンチャー企業についても日米の差は比較にならない。日本でもひところ大学発ベンチャー企業がブームになったがいまは下火である。ただ、最近になって有力なベンチャー企業も生まれるようになり黎明期ではないかと観測する。

  吉海氏は「結局は、運用する人材を確保できるか。生み出した教員への評価・リターンをどのように設計するかにある」との見解を示した。

 高度研究人材の重要性

21 世紀に入ってから世界は新たな産業革命期に入り、研究も技術進化も驚くほど早くなっている。こうした状況から吉海氏は、多様性、高度性、融合性、リスク・ テイキング、スピードなどの社会の変化の対応はもとより、今の時代は対応から変化の先導へと進める時代であることを示し、人材の異質性、異能性の活用を強 調した。

  そして吉海氏は人材こそが成長と活力の源泉であり、高度人材として博士の価値を見直し、現場を知る博士を育成する必要性を強調した。

 日本は明治維新以来、急速に近代化をはかるために工学博士の育成には熱心だったが、基礎的研究に取り組む理学博士の育成では遅れている。理学博士の人口100万人当たりの数を見ると、アメリカの5分の1、ドイツ・イギリスの10分の1程度である。

  自然科学系の修士修了者も近年はやや減少傾向が続いている。博士課程に在籍する社会人の数はわずかながら年々増える傾向があるのは、学び直しの気風が出てきたことだろう。

  博士課程に進学しない理由をきいた統計によると、そもそも博士課程に進学しようと思わなかったという人が64パーセント、博士課程の研究に魅力がない、もしくは将来に不安があるとした人は合わせて25パーセントだった。

  さらに企業が博士課程修了者を採用しない理由として、「特定分野の専門的知識は持つが企業ではすぐには活用できない」が57パーセント、「企業内外での教育・訓練で社内の研究者の能力を高める方が効果的」とした回答が58パーセントだった。

 しかし企業でのポスドクの業務遂行能力の伸びを調べた統計では、71パーセントが期待以上の働きをしているとしている。博士号取得者を採用しても、それほど期待を裏切られていない現状を示していることにもなる。

  こうしたデータをもとに吉海氏は、日本の産業界と大学が高度研究人材の活用で長い間論争を続けてきたが、いまだに基本的解決に至っていない現状を次のように分析した。

 産業界は、狭い専門性にこだわり、変化への対応力に乏しく、総合的なリーダーシップに欠ける。

 大学側は、企業の従来の事業戦略の中でしか評価しておらず、将来の布石としての活用ができていない。

 この結果の弊害として、産業界は修士修了生の囲い込みを行い、企業内で育成するか必要なら企業派遣で博士号を取得させることが多いので大学の不信感が強い。企業は変化を先導する人材価値を認めていないのではないかとする見解を述べた。

 そして「海外の優秀な研究人材は、日本社会で産業から高い評価をされない博士課程に入りたいと思わないだろう」とも述べている。

  ミスマッチを解消する方策

 こうしたミスマッチを解消するための方策として吉海氏は次のような提言を行った。

 たとえば大学法人に2つの大学を創る。既存の構造を変えるには時間がかかりすぎるので、まったく違う構造の大学を創り、時代にマッチした仕組みと要素を的確に反映する大学とする。

  さらに高度研究人材の就業選択の多様性の確保もあげている。研究者の成果と資質を見極めながら研究者の進路を的確、公平に決めていく仕組みの確立である。吉海氏は、「採用する側の目的・要件の明確性にある」としている。

  またベンチャー創業へと誘導する施策も有力な選択肢としてあげている。アメリカでは80年代の大改革の一環として、SBIR(Small Business Innovation Research)を設立して成功している。

 日本でも近年、これをまねた制度を作っているが、日本では博士のベンチャー企業誘導ではなく、中小企業の研究助成金になっていると指摘する。また文部科学省では、博士のベンチャー支援予算が組まれているが、政府全体として一貫性に欠けている点も指摘している。

  吉海氏は最後に「日本社会の持つ強さの賞味期限は、そう長くはないだろう。日本の新しい成長構造の確立は高度研究人材育成にある。これには後追い的な変化への対応ではなく、変化を先導するリスクに立ち向かうことだ」との見解を示して締めくくった。