物理学校を卒業した2人の巨人
2015/04/19
埼玉県蕨市立第一中学校で数学と理科を教えていたお二人の先生にお目にかかった。
数学を教えていただいたのは、千布常雄先生(写真上)であり理科は坂井昭男先生(同下)である。
千布先生は今年91歳でかくしゃくとしており、坂井先生は86歳である。
二人の巨人と名誉あるツーショット
坂井先生は昭和24年3月に物理学校を卒業された先生で、その年の4月1日から新制の東京理科大学が創設された。
物理学校は、新制・東京理科大学と併設された時期が2年間あり、昭和26年3月に最後の物理学校の卒業生を出して閉校となった。
千布先生は、その最後の物理学校の卒業生であった。明治14年(1884年)に物理学校が創設されて以来、多くの理学の学徒を世に輩出してきた。明治、大正時代の卒業式は年に2回行われたこともある。千布先生が最後の卒業生となったとき、奇しくも100回目の卒業式であった。
坂井先生の奥様は長い間、自宅で書道教室を開いていた。それが老齢になって指導が困難になったため坂井先生が書道を学び直し、師範の免許状を取得して教室の後を継いだ。書道の基礎を学ぶため、東京・西神田の書学院に通学を始めたのは77歳のときである。
それから毎週1回、片道2時間余をかけて学院に通ったが、もちろん受講生のなかで最高齢だった。墨の擦り方から筆の持ち方、用筆法、楷書、行書、草書、隷書、万葉かななどを学び卒業試験と卒業制作、作品展を修了し、80歳にして書道師範の免許状を授与された。
ことし86歳だが、ご自宅で毎週2日のお稽古日には、小中学生8人に指導しているという。「教室の方針は、楽しく練習をして、美しい文字を書く」をモットーにしており、生徒らも書初展、硬筆展などに出展して入選するなど、指導者として実績を積んでいる。
物理学校は、入学は誰でもできるが卒業は極めて難しかった。明治・大正期の卒業者は、入学者の5パーセント前後という厳しい学校だった。その伝統は閉校するまで続いた。お二人の先生も、そのような試練を経て卒業されたのである。
物理学校への進学者は社会人からの学び直しの方も多く、卒業後は中学・高校などの教師になる人が多かった。お二人もその伝統を継いで教師になったのだろう。この2人の巨人に教えていただいた名誉を心に刻んで、先生方の背中を追いながら精進したいと思っている。
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