PEACE BOATで世界一周の旅ーその6
2024/04/24
初めて知ったシンガポール歴史の真実
4月22日に筆者は初めてシンガポールを訪問しました。これまで何回も行くチャンスがあったのに、この小さな島国に行くことはできなかったので、いわば憧れの地でした。
シンガポールに特に興味があったのは、教育・研究施策がしっかりしており、科学技術の研究開発でも常に世界の上位にランクされている優れた施策を展開していることにありました。大学ランキングでも、常に日本の大学の上を行っています。
それともう一つ興味の対象は、太平洋戦争中、マレー沖で日本陸・海軍の攻撃で撃沈されたイギリスの戦艦プリンスオブ・ウエールズと巡洋艦レパルスの歴史に触れたいという思いもありました。2隻の戦艦撃沈の報告を受けたチャーチル首相が、言葉を失ったと言われています。シンガポールは、大英帝国にとって難攻不落と言われたアジアの一大拠点だったのです。それを10日あまりで日本軍に降伏し、チャーチルはここでも「英国軍の地上最大の降伏だ」と語ったということです。
船から上陸・訪問する前日、船内で「昭南島~日本軍占領下ンガポール」というタイトルで野平晋作さんの講演会がありました。船の中では最も大きな座席数を持つプリンセスシアターでの開催ですが、筆者はこのとき、別のセッションに出ていた都合で、最後の方だけに参加しましたが、非常にためになる講演でした。
会場は満席の盛況であり、最後に日本が未だにシンガポールに謝罪していないのではないかという意見を巡って、会場の人たちが激しく討論している場面に出くわしました。
昭南島とは、シンガポールをイギリスの占領・統治から奪い取った日本軍が命名して使ったこの地の名称です。シンガポールの歴史をほとんど知らなかった筆者は、イギリス統治から日本統治へ、そして戦争に負けて再びイギリス統治に至った歴史的な経過と、日本軍の侵攻時に行った現地の抗日義勇軍に対する攻撃と、民間人も巻き込んだ抗日華僑殲滅作戦の虐殺行為などを知って驚きました。
先進的で豊かな国になったシンガポール
シンガポールに足を踏み入れて見ると、この国の先進的な豊かさを肌で感じました。建物が瀟洒であり、働く人々の仕草と表情が垢抜けしていました。店頭に並ぶ商品の値段を見ると、日本より物価高かなと思いましたが、デフレ・円安で、もがいている日本の現状がこの数字でも分かりました。
ただ、街を走っている車のメーカーは、日本車が多く目につき、続いてヨーロッパ車、そして韓国車と続いていました。
世界の遺産である植物園
シンガポールの世界的に有名な植物園は、管理が行き届いた素晴らしい規模と展示内容でした。世界の各地域の植物コレクションが約6万点展示されており、最大の観光スポットです。本来なら1日がかりで見学する場所でしょうが、こちらは1時間足らずの駆け足で回る「爆走見物」でした。
川船に乗船して川を上下するクルーズに乗りました。川風が心地よく、両岸に並ぶ新旧バランスよい景観もいい感じでした。疲れた足を休ませるためにお茶をしているとき、何の脈絡もなく、太平洋戦争のシンガポール戦を思い出していました。
筆者の知識は若いころに読んだ記録、伝記ものなどに限られていますが、日本が太平洋戦争に負けたきっかけは、シンガポール戦の勝利と戦艦プリンスオブ・ウエールズ、レパルスの撃沈勝利にあったという皮肉な史実を思い出しました。シンガポールで勝ったことが、あろうことか太平洋戦争で負けた原因になったのです。
戦艦撃沈の勝利では、日本海軍の海上からの戦闘機爆撃が有効だったことを示したもので、アメリカはこの戦況にいち早く目をつけました。戦艦や空母を撃沈するのは戦闘機爆撃が有効であると確信し、ミッドウエー海戦でこれを実行して大戦果をあげたと言うことです。
それから戦況は急激にアメリカ優位に傾き、日本の敗戦に至ったということでした。日本は戦艦大和に代表されるように巨艦主義にこだわり、近代戦への研究が足りなかったのです。科学技術で劣等国家だった日本が、今なお政治の世界では科学音痴が続いており、国家としての限界を見るような気持ちです。
旅行で訪問した国に足を踏み入れると、過去の史実を思い出してしばし感慨にふけると言うことは誰にでもあることなのでしょうか。船で一緒になった人々と会話をするうちさまざまなことを聞いて、何も知らないできた自分に気がついて驚くことがあります。しかしそんなことは誰にも言えず、自分だけにしまい込んで船に戻ってました。