大村智博士が北里研究所に250億円を導入した産学連携活動(上) 

 日本中を沸かせた大村博士のノーベル生理学・医学賞の受賞

 2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学特別栄誉教授の大村智先生は、産学連携の先駆けとしてかつてない実績を残した点で素晴らしい受賞者となった。

 受賞理由は、熱帯地方の感染症、オンコセルカ症(河川盲目症)の絶滅に貢献する薬剤を開発した業績を評価したものだ。しかし大村先生はこの業績だけではなく、多くの優れた天然化学物質を発見して化学や医学の基礎研究に貢献している。

 それと同時に、大村研究室で発見した化学物質をアメリカのメルク社などとの共同研究で得られた研究費は、総額250億円以上になっている。この稿では2回にわたって産学連携と学術資金の還流について論じてみたい。

  CIMG0682ノーベル賞受賞の発表を受け、大村先生の研究室にお祝いに駆けつけた筆者とのツーショット

  産学連携の言葉もなかった時代から始める

 大学・研究機関の研究室で生まれた学術的な研究成果を、社会で役立てるため産業現場に成果を移転して実用化に貢献する。これが産学連携であ る。 1990年代から本格的に始まったIT(情報科学)産業革命は、従来の基礎研究の成果が実用化されるまでのタイムラグ(時間差)がきわめて短縮されて きた。

 大学で基礎研究の成果として出たものがすぐに実用化されるような時代になってきた。一見、大学の研究室は企業の下請けのように見えることもある。しかしそれは外見的にそう見えるだけで、学問の創造と学問の自由は失われていない。


 近年のノーベル賞受賞業績は、実用化になってから1兆円市場を作るような基礎研究の成果を出さないと受賞できないとも言われるようになっている。つまりノーベル賞でも実用化での成果が重視されているということだ。

 北里研究所名誉理事長の大村智博士は今年80歳になり、現役の研究者から司令塔へと役割を移動しているが、その発想と後継者育成への情熱はますます 熱くなっている。大村博士が産学連携で250億円以上もの特許ロイヤリティ収益を北里研究所に還流させた実績はあまり日本では語られていない。ここで2回 にわたって、大村博士の発明研究と産学連携の話をしてみたい。

 大村博士の研究は、土壌中に生息する微生物がつくる化学物質の中から、役に立つものを探し出す研究だ。これまで国内各地の土壌から9属、31種の新しい微生物を発見し、微生物が作り出す化学物質を450種も見つけた。このうち26種類が医薬、動物薬、研究用試薬などとして実用化されている。世界でも断トツの実績である。


 微生物の作った化学物質を役立てることを歴史的に最初にやった人は、イギリスのアレクサンダー・フレミングであった。アオカビが他の微生物との生存競争 に打ち勝って生き延びるために産生していた化学物質を人間に役立てたのである。これが最初の抗生物質であるペニシリンである。
 つまりアオカビは、ペニシリンを作り出して他の微生物を殺し、自身が生き延びることをやっていた。人間はこれを、病原細菌を殺して生き延びることに応用した。フレミングはこの業績で1945年にノーベル賞を受賞している。

 大村博士は、国内各地の土壌を採取しては研究室に持ち込み、スクリーニング(選別・検索)にかけてまず微生物の性質を説きあかし、次いで微生物が産生している化学物質のスクリーニングをして人間に役立つ物質を発見することを始めた。
 ここまでが基礎研究であり、これを実用化するのが応用研究である。大村博士は米国に客員教授として招聘されているときに製薬企業のメルク社と連携することを取り付け、帰国後に本格的にこれを推進した。

 「大村方式」という産学連携の契約を交わす

 大村博士の研究室で微生物由来の化学物質を発見して特許を取得し、メルク社がそれを製剤などにして実用化をはかり、特許ロイヤリティを大村博士に支 払う。まさに産学連携であるが、これを大村博士は1973年、日本では産学連携という言葉もなかった時代から実際に始めたものであった。
 大村博士がメルク社との産学連携で交わした契約は「大村方式」と呼ばれるものであり、いまでは普通のやり方になっているが当時は珍しかった。大村―メルク社で交わされた契約の大略は次のようなものである。

*  北里研究所とメルク社は、動物に適合する抗生物質、酵素阻害剤、および汎用の抗生物質の研究・開発で協力関係を結ぶ。

*  北里研究所のスクリーニングおよび化学物質の研究に対しメルク社は年間8万ドルを向こう3年間支払う。

*  研究成果として出てきた特許案件は、メルク社が排他的に権利を保持し二次的な特許権利についても保持する。

*  ただし、メルク社が特許を必要としなくなり北里研究所が必要とする場合は、メルク社はその権利を放棄する。

*  特許による製品販売が実現した場合は、正味の売上高に対し世界の一般的な特許ロイヤリティ・レートでメルク社は北里研究所にロイヤリティを支払う。

 非常に合理的な契約内容である。家畜動物などに絞ったのは、すでに人間用の微生物由来の化学物質は世界中で研究しているので、競争するのは大変である。むしろあまりやられていない動物に役立てる化学物質を発見しようという話になった。


 家畜動物の病気を救ったり予防になる物質を実用化できれば、飼料代だけでも莫大な節約に結びつく。しかも動物に効くことが分かれば、それだけで動物実験になっているので人間に応用できる道が開けるのではないか。
 大村博士の思惑は見事に当たって、動物製剤では世界的なヒット商品を生み、しかも人間への応用も実現して人類の福祉に多大の貢献をすることになる。

 メルク社が大村博士に支払う研究費は年額8万ドル(当時は2400万円に相当)という当時としては破格の研究費供与だった。これは大村博士が招聘さ れたアメリカの名門大学、ウェスレーヤン大学のティシュラー教授がメルク社の元研究所長という縁があったからであり、大村博士はティシュラー教授にその手 腕を高く評価されたために実現した破格の条件でもあった。

 大村博士はいつもビニールの子袋を持参し、土壌を採取しては研究室で分析していた。1975年、大村博士は静岡県伊東市川奈のゴルフ場近くで採取し た土壌の中から、新種の放線菌を発見してメルク社に送った。メルク社は、多様な化学物質を産生していることから動物の寄生虫に効くのではないかとにらんで 実験を続けると、果たせるかな家畜動物の寄生虫の退治に劇的な効果を発揮することが分かる。
 この化学物質はエバーメクチンと名付けられ、その後、実験を重ねる過程で化学的に改良されてイベルメクチンという名前になる。ここでもイベルメクチンという名前で続けていきたい。

 牛のお腹の中には、5万匹もの寄生虫が生息しているが、この寄生虫が牛の栄養分を相当に消費している。これを退治すれば飼料代が節約できるし、牛の 健康状態も良くなるので家畜の量産につながる。メルク社の実験によると、少量のイベルメクチンをたった1回飲ませるだけで寄生虫はすべて排除するという劇 的な効き目があることを実証した。
 これはすぐに動物薬として発売し、たちまち動物薬の売上トップに躍り出てしかも20年以上も首位の座を守ることになる。

 大村博士とメルク社で取り交わした産学連携の契約では、実用化で開発した薬剤の売上高に応じて特許ロイヤリティを北里研究所に支払う内容になっている。この契約に沿って北里研究所は1990年ごろから毎年15億円前後のロイヤリティ収入が入るようになる。
 北里研究所は当時、経営が非常に大変な時期だったが、特許ロイヤリティの収益でたちまち建て直し、さらに埼玉県北本市に病院建設まで実現してしまう。
 それだけにとどまらず、動物に効くイベルメクチンは、やがて人間にも効くことが発見される。対象となった疾病は、アフリカや南米の赤道地帯の熱帯地方で 蔓延しているオンコセルカ症(河川盲目症)という盲目になる恐ろしい病気の予防薬として劇的な効果が発見されるのである。

(つづく)


第120回・21世紀構想研究会の報告です

 日本の高度研究人材を考える  吉海正憲氏の講演報告

 21世紀構想研究会での解説と討論

 知的財産を生み出すもっとも大きな勢力になっている日本の高度研究人材が、年々、先細りになっているとの懸念が言われてきた。実際にはどうなっているのか。

 さる9月29日に開催された特定非営利活動法人21世紀構想研究会の120回研究会で、住友電工顧問の吉海正憲氏(研究・技術計画学会会長)が、様々な実証的なデータをもとに日本の危機を解説し、参加者と討論を行った。

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120回・21世紀構想研究会で解説する吉海正憲氏

  様々なデータで示した日本の先細り状況

 吉海氏はまず、「マクロ構造から見た日本の現状と大学」として多くのデータを示した。

 研究開発投資額を1985年を1とすると、2012年には0.69まで下降した。同じ統計では、アメリカは0.97、ドイツは0.96、イギリスは1.3であり、先進国での日本の落ち込みが際立っていた。

  GDPの増加率を2000年と2011年を比較した数字では、日本が24パーセント増加に対して、アメリカは51、ドイツは91、イギリスは65パーセントだった。他の国はサービス業で著しく伸ばしているが日本は低調だった。

 この間の特許出願数も2000年の日本は世界トップでドイツ、イギリスの20~30倍の水準だったが、2011年には世界3位になりドイツ、イギリスの6~12倍まで低下した。

  大学などの使用研究費の1996年から2012年までの推移が下の表である。

   金額はさておき、伸び率を見ると先進国の中でも日本の鈍化は明らかである。こうした鈍化傾向と対象的に、日本で増えているのが、社会保障費、国債費、地方 交付税交付金などで、軒並み3倍から4倍以上になっている。文教科学振興費は、この間15パーセントの減少になった。

  大学の研究資金は国からが主力

 大学の使用する研究費はどこから来るのか。吉海氏の解説によると、日本は97パーセントが政府もしくは私学負担になっており、欧米の半分から5分の1程度である。大学が海外から受ける研究費も日本は極端に低く、欧米の20分の1から100分の1程度にとどまっている。

  論文数のシェアも日本は先細り傾向が顕著である。表で見るように、1998年から2012年までの低下率を見ると日本は33パーセントであり、先進国の中で突出している。代わって出てきたのが中国で、この間20倍に伸びている。

 また、論文の被引用回数も同様な傾向にあり、中国の約32倍に対し、日本は20パーセントの減少になっている。

  

  アジアの大学ランキングでは、東大がトップで面目を保っているが、中国、韓国が猛追していることが分かる。

 産学連携の重要性を提起

 吉海氏のこの日の講演の主旨は、日本は産学連携を活性化させないと国の科学技術活動が停滞化するとの警告を発信することと、そのためには博士号取得者などの高度研究人材をどのように社会で生かしていくかを提起することにあった。

   そこで「新しい成長構造には大学と産業の強い相互作用が不可欠」とするタイトルで2つ目のテーマを解説した。まず大学が民間企業から受け入れている研究資 金は、平成25年度は695億円でやや増える傾向を見せている。しかし20年度が629億円であることを見ると、大した増加にはなっていない。

  平成25年度の国立大学の寄附金受入額は、前年比40億円の減少で、総額は750億円だった。民間企業との共同研究もわずかずつ増えてはいるが、その上昇ラインはそれほどでもない。受託研究の件数や研究費の受入額もたいした増加にはなっていない。

 つまり共同研究、受託研究共にやや増加傾向にあるという程度にとどまっている。

 有名大学に集中する研究資金

 民間企業との共同研究に伴う研究費の受入額を大学別にみると、総額390億円のうち、その41パーセントが京大、東大、東北大、阪大、九大という旧帝大に集中している。

  受託研究になると総額105億円のうち京大、慶応義塾大、早大、東大、山形大のトップ5で総額の25パーセントである。この中で山形大学が3億円で5位になっているのが目を引く。

  特許実施料収入を見ると、総額22億円で東大、京大、阪大、日大、九工大のトップ5で61パーセントを占めている。東大だけで30パーセントの6.6億円というのが突出している。

 しかしアメリカのMITは年間のロイヤリティ収入が約90億円だから桁が違う。

  民間からの研究費助成、受託研究費、特許実施料収入の3つの合計を見ると、京大、東大、東北大、阪大、慶応義塾大がトップ5で、総額の512億円の37パーセントにあたる。トップ10では51パーセントになる。

  日本の大学の研究資源は、特定の有名大学、それも旧帝大に集中しており、偏在していることが分かる。これは様々な研究助成金の交付をみても同じ傾向であり、いかに旧帝大が恵まれているかを示している。

 なぜ産学連携が進展しないのか

 吉海氏のこの日の講演は、大学と産業との共同研究がなぜ伸びないのかという点にもあった。吉海氏はこれを企業に由来する原因と大学に由来する原因とに分けて示した。

 企業行動に由来する原因

①    強い内部主義があり、事業戦略全体から大学を活用する発想に乏しい。

②    大学の機密情報管理に対する不信感

③    これまでの大学との関係の惰性

④    時間軸に対する不整合

 大学に由来する原因

①    研究論文主体と共同研究との調整

②    教授個人ないしは研究室レベルの対応で、組織としてのマネジメントができない。

③    研究費を産業から受け入れることに対する歴史的違和感(研究費は文部科学省から得るという意識の浸透)

   このような日本の事情と比較するとアメリカの大学は意識が全く違う。アメリカの大学は自らマーケティングを実施して大学が新しいコンセプトを提唱して企業 に参加を求めていく。大学の研究成果に対する企業のアプローチはスピード感があるし、決定権をすぐにも行使する。日本は、決定権が乏しい。

 そして大事なことは、大学と政府と産業界が一体となって危機感を共有することだと述べた。

   吉海氏はここでアメリカは1970年から80年代にかけて、ベトナム戦争の泥沼化、日本が追いつき、アメリカが追い抜かれていく産業界の状況などで産業、 大学、政府が危機的状況に置かれたと解説。アメリカ政府はプロパテント政策に大きく舵を切り、基礎研究の成果の産業化、産学連携の促進などで再生を図り、 今の強いアメリカと大学を確立したとの見解を述べた。

  これに対し日本は、大学改革が政府主導で進むものの、画一的な選択に陥り、アメリカのように大学と社会が競争原理の中で主体的に改革を構成することができていないと述べた。

 大学発のベンチャー企業についても日米の差は比較にならない。日本でもひところ大学発ベンチャー企業がブームになったがいまは下火である。ただ、最近になって有力なベンチャー企業も生まれるようになり黎明期ではないかと観測する。

  吉海氏は「結局は、運用する人材を確保できるか。生み出した教員への評価・リターンをどのように設計するかにある」との見解を示した。

 高度研究人材の重要性

21 世紀に入ってから世界は新たな産業革命期に入り、研究も技術進化も驚くほど早くなっている。こうした状況から吉海氏は、多様性、高度性、融合性、リスク・ テイキング、スピードなどの社会の変化の対応はもとより、今の時代は対応から変化の先導へと進める時代であることを示し、人材の異質性、異能性の活用を強 調した。

  そして吉海氏は人材こそが成長と活力の源泉であり、高度人材として博士の価値を見直し、現場を知る博士を育成する必要性を強調した。

 日本は明治維新以来、急速に近代化をはかるために工学博士の育成には熱心だったが、基礎的研究に取り組む理学博士の育成では遅れている。理学博士の人口100万人当たりの数を見ると、アメリカの5分の1、ドイツ・イギリスの10分の1程度である。

  自然科学系の修士修了者も近年はやや減少傾向が続いている。博士課程に在籍する社会人の数はわずかながら年々増える傾向があるのは、学び直しの気風が出てきたことだろう。

  博士課程に進学しない理由をきいた統計によると、そもそも博士課程に進学しようと思わなかったという人が64パーセント、博士課程の研究に魅力がない、もしくは将来に不安があるとした人は合わせて25パーセントだった。

  さらに企業が博士課程修了者を採用しない理由として、「特定分野の専門的知識は持つが企業ではすぐには活用できない」が57パーセント、「企業内外での教育・訓練で社内の研究者の能力を高める方が効果的」とした回答が58パーセントだった。

 しかし企業でのポスドクの業務遂行能力の伸びを調べた統計では、71パーセントが期待以上の働きをしているとしている。博士号取得者を採用しても、それほど期待を裏切られていない現状を示していることにもなる。

  こうしたデータをもとに吉海氏は、日本の産業界と大学が高度研究人材の活用で長い間論争を続けてきたが、いまだに基本的解決に至っていない現状を次のように分析した。

 産業界は、狭い専門性にこだわり、変化への対応力に乏しく、総合的なリーダーシップに欠ける。

 大学側は、企業の従来の事業戦略の中でしか評価しておらず、将来の布石としての活用ができていない。

 この結果の弊害として、産業界は修士修了生の囲い込みを行い、企業内で育成するか必要なら企業派遣で博士号を取得させることが多いので大学の不信感が強い。企業は変化を先導する人材価値を認めていないのではないかとする見解を述べた。

 そして「海外の優秀な研究人材は、日本社会で産業から高い評価をされない博士課程に入りたいと思わないだろう」とも述べている。

  ミスマッチを解消する方策

 こうしたミスマッチを解消するための方策として吉海氏は次のような提言を行った。

 たとえば大学法人に2つの大学を創る。既存の構造を変えるには時間がかかりすぎるので、まったく違う構造の大学を創り、時代にマッチした仕組みと要素を的確に反映する大学とする。

  さらに高度研究人材の就業選択の多様性の確保もあげている。研究者の成果と資質を見極めながら研究者の進路を的確、公平に決めていく仕組みの確立である。吉海氏は、「採用する側の目的・要件の明確性にある」としている。

  またベンチャー創業へと誘導する施策も有力な選択肢としてあげている。アメリカでは80年代の大改革の一環として、SBIR(Small Business Innovation Research)を設立して成功している。

 日本でも近年、これをまねた制度を作っているが、日本では博士のベンチャー企業誘導ではなく、中小企業の研究助成金になっていると指摘する。また文部科学省では、博士のベンチャー支援予算が組まれているが、政府全体として一貫性に欠けている点も指摘している。

  吉海氏は最後に「日本社会の持つ強さの賞味期限は、そう長くはないだろう。日本の新しい成長構造の確立は高度研究人材育成にある。これには後追い的な変化への対応ではなく、変化を先導するリスクに立ち向かうことだ」との見解を示して締めくくった。

 


往時の静謐なたたずまいにあった洞爺湖

 札幌で、ジャズ歌手の黒岩静枝さんの50周年記念リサイタルを聴きに行った。そのついでの、支笏湖から洞爺湖を回って札幌へと戻ってきた。

 筆者が読売新聞北海道支社に転勤で勤務した若き時代、30歳代前半のころだが、北海道電力伊達火力発電所建設を巡る住民運動を取材するため、たびたび洞爺湖のすぐ近くの伊達市に通った。生まれて初めて見た洞爺湖の雪景色は、今でも脳裏に焼き付いている。

3CIMG0583「ザ・ウインザーホテル洞爺」のテラスから見た洞爺湖の景観

 そして筆者にとって忘れられないのは、1977年の有珠山噴火である。この時は、洞爺湖近くの民家に取材の前線基地を置き、何度も札幌から通った。昭和新山と共に有珠山と洞爺湖は、火山活動では一体化した歴史を持っている。その火山史と地質学を勉強したのも楽しい思い出である。

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有珠山の展望台から見た昭和新山

 そのような火山の歴史を調べて取材した思い出の地であり、約20年ぶりの洞爺湖との再会だったが、期待を裏切らない静謐なたたずまいに感動した。

 2008年7月に開催された北海道サミットの会場になった「ザ・ウインザーホテル洞爺」に行き、テラスから見た洞爺湖の景観は、素晴らしいものだった。

5CIMG0568有珠山展望台から見た景観は、やはり素晴らしいものだった。

 帰路は、中山峠を越えて札幌に戻り、観光の定番ではあるが久しぶりに大倉山シャンツェ、札幌時計台、道庁赤レンガ庁舎を見学した。どれもこれも筆者の札幌時代を甦らせて、郷愁にひたった2日間だった。

7CIMG0598眼もくらむようなジャンプ台は迫力満点

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札幌時計台は夜遅くまでにぎわっていた

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開拓時代を今なお残す道庁赤レンガ庁舎

 

 


ジャズ歌手・黒岩静枝さんの50周年記念リサイタルを聴きに行く

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 札幌を拠点に、全国各地で歌っているジャズ歌手の黒岩静枝さんの50周年記念リサイタルを聴きに、札幌まで行ってきた。筆者が黒岩さんと出会ったのは、約40年前に先輩に連れられていった札幌市すすき野のナイトクラブ「コンコルド93」であった。筆者は当時、読売新聞北海道支社に勤務する記者だった。

 黒岩さんの野性的な声と圧倒的な歌唱力が気にいり、このクラブによく通った。そこで演奏していたグループサウンズの「キッパーズ」も気にいっていたからだった。黒岩さんはまだ20歳代の終わりころだから、歌手としてはまだこれからという実力だったかもしれない。

 しかし筆者は、このジャズ歌手を新聞で紹介したくなった。いずれ日本を代表するジャズ歌手になっていくだろうという予感があった。当時、読売新聞北海道版に「人間」という特集ページがあり、そこで北海道で活躍する各界の名士を取り上げていた。その担当になった筆者は、デスクに黒岩さんを売り込んでみた。予想通り却下されるが、粘り強く復活折衝をしてついに執筆・掲載の許可が出る。

 「繊細な体のどこに隠されていたかと思うような太い声。どことなく哀調をおびた、そして演歌のような小節回し、ジャズシンガー黒岩さんの歌は、そういう声で‘‘彫刻’’されている。」

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 このような書き出しで、黒岩さんの歌う表情写真とともに、ほぼ1頁を割いて特集した。この記事の中で「キッパーズ」のバンドマスターでご主人である伊藤美智弘(本名・渡部弘康)さんは、妻の黒岩さんを「仕事はまじめだし、シンの強い人です。今後は本当にうたいたい歌が自然と口から出てくるような、奥の深い厚みのある歌手として大成してほしいと思っています」と語っている。

 ご主人の渡部さんの思いを実現して大成した黒岩さんのリサイタルは、札幌の道新ホールを満席にする大盛況であり、最後まで聴かせた。そして「キッパーズ」が友情出演して盛り上げ、無口で照れ屋のご主人の渡部さんもステージの中央に引っ張り出されて黒岩さんからインタビューを受けたが、いつものように小さな声でよく聞こえなかったが似合いのご夫婦であった。

 キッパーズは「はまなすの恋」、「風のふるさと」などヒット曲を飛ばし、北海道では断トツの人気を誇り、一時は東京へ出て来いという強い誘いがあった。しかし渡部さんは、北海道で一番になっているほうが性に合っているということから札幌を動かなかった。

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 黒岩さんの歌は、ますます円熟味を増している。ジャズを自分の音域と声調にひきずりこんで独特の雰囲気を出している。ときたま東京・銀座のライブハウス「スウイング」に出演するが、圧倒する歌唱力と聴者をひっぱりこむしゃべりは、いつ聴いても楽しくて満足する。ご主人が期待した「奥の深い厚みのある歌手として大成した」のである。このようなご夫婦に巡り合ったのは、本当に幸運だった。

 


主権者(国民)の見解と真逆の国会議員の多数決

  参院で可決した安保法に対する国民の見解は、恐ろしいほど政治の現場とかけ離れている。

 可決直後に主なメディアは一斉に世論調査を行った。その回答をまとめて一覧表にしたものである。

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 これを見ると安倍内閣の評価は、どのメディアも支持しない方が多数に出ている。

 安保法案の今国会成立、法案の説明も反対、不十分が圧倒的多数に上っている。このような世論調査結果は、法案が国会に提出されたときからほとんど変わっていない。世論調査は、言うまでもなく有権者の縮図である。だから実施する意味もあるし報道する意味もある。

 特にこの数字で注目したいのは、法案の説明について80パーセント前後の国民が「不十分」と回答していることだ。80パーセントは、世論調査では、ほとんどの人ということだ。この数字も、以前からほぼ動かない数字で世論調査結果は推移してきた。

 それでも自民・公明の政権与党は、国民の声を踏みつぶし、多数決で可決成立させた。これは一党独裁にも似ている政治運営であり、独り政治家だけが悦に入っていることになる。今回の場合は、ひとり安倍晋三氏の狂ったような法案成立への悪魔のような執念に引っ張られたということだ。その限りでは、安倍独裁国家と言っても間違いではないだろう。

 言うまでもなく主権者は国民である。国会議員は単に、主権者を代表する代議員でしかない。選ばれたものが自覚するべきは、主権者からの付託を重んじ、謙譲の精神を持たねばならない。それが国会議員になったとたん、あたかも自分たちが主権者のごとき錯覚に陥り、やりたい放題するというのでは代議員制度が破たんし、多数決で物事を決する民主主義制度が破たんしていることになる。

 国民の見解が国会の多数決に反映されないで、まったく逆のベクトルで政治が決まっていくのでは日本国民はバカを見ていることになる。国民の総意が国会の総意にするためには、政権与党を降りてもらわねばならない。国民は、選挙で仕返しをしなければ、このような未熟な政治風土はいつまでたっても変わらないだろう。

 

 

 


国民主権を踏みにじった与党の強行採決

 国民主権を踏みにじった与党の強行採決

 自民・公明の政権与党による安保法案の強行採決と法案成立は、世界の政治史に残る恥ずかしい政治行為でした。NHKの世論調査によると、採決直前で国民の58パーセントが「安保法案の議論は尽くされていない」とし、「議論が尽くされた」という国民はたった6パーセントでした。

 この世論調査が、強行採決直前のとかく「安倍寄り」と言われているNHKの世論調査ということに注目したいと思います。

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  このような」調査結果を無視し、国会議員だけの多数決で法案を成立させるのは、国民主権ではなく議員主権にほかなりません。これは日本が民主主義国家になっていないことを世界に知らしめたことになるのです。

 慶応義塾大学の小林節・名誉教授は、「これは憲法の解釈を超えているもので、憲法破棄、憲法違反の何物でもない」とNHKテレビで憤っていました。

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 NHKの世論調査では、安保法案が憲法違反とした人が32パーセントもあり、違反でないと回答した人のちょうど2倍になっています。

 

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 安倍氏の思惑と選挙対策で急いだ暴挙

 日本はいま、経済活性化、少子高齢化、地方の建て直しと活性化、年金、科学技術振興政策など国家的に取り組むべき重大な課題を抱えています。ところがこのような課題を棚上げし、いま緊急の事態になっていない安保法案を長時間かけ最優先で国会にかけ、エネルギーを使い果たしている政権は、馬鹿げた政権ではないでしょうか。

 これでは安倍氏の思惑を単に実現している途上国型の国家と言わざるを得ません。なぜ、こんなに急いでやるのでしょうか。筆者の分析では次の2点に集約できるでしょう。

 第1は安倍氏の未熟な政治思想と政治思惑です。裕福な家庭で育ち、苦労もなく国会議員になり、日本人の多くが艱難辛苦の体験で生き残ってきたその状況を骨身にしみて理解していないことでしょう。

 そのような成育史のなかで、苦労を知らない偏った環境と裕福な家庭環境の中で出来上がった政治信条と思惑は、戦後日本社会の中では右傾化されたものとして残るのです。なぜなら、苦労を知らない人々、歴史認識をきちんとしていない人々が単純に考えると、戦後の日本は正しい道を歩いているし謝罪のしすぎだという客観的な右傾化思想、右傾化人間になるのです。だから本人は右傾化とは思っていないのです。

  憲法違反とする国民を無視した政権与党

 前述したように、強行採決直前のNHKの世論調査では、安保法案を憲法違反とする人が32パーセントであり、違反でないとする人のちょうど2倍もあるのに、それでも強行採決することは国民の考えを無視する代議員ということになります。これ自体もはや国家の体裁をしていないことになります。

  では、なぜ強行採決を急いだのか。それは来年7月の参院選挙を控え、国会審議に時間をかけていると政権与党の体制が不利になり、野党を勢いづかせて参院選挙も負けると思ったからです。ここにも国民主権ではなく議員主権という考えが露骨に出ています。

 解説したNHKの政治部デスクは、大変、的確な見解を述べていました。

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 法案は憲法違反でありこれから訴訟が提起される

 成立した安保法は、明らかに憲法違反です。安保法を国会に上程して成立を図るなら、まず憲法改正をし、法律を整備したうえで安保法を成立させるべきです。

 ところが、憲法改正が極めて難しいと判断した安倍氏らは、憲法の解釈を内閣で行うという法治国家にあるまじき行為を行い、前のめりに安保改正に執念を燃やす安倍氏の意向通りに安保法案を成立させました。これは独裁者の国家に等しいものであり、国際社会では恥ずかしい政治行為でした。

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 このような政治家を選んだのは有権者です。恥ずべきは国会議員ではなく、このような人物を有り難がって選んだ国民ということになるでしょう。

 


守りに入った安倍政権は国民不在に傾斜か

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 本日、9月14日、中国総合研究交流センター(CRCC)の第15回中国研究サロンに参加し、「安倍談話と日中関係」をテーマにした講演と多くの討論を聴いた。

 講師は、時事通信解説委員で、前「外交」編集長だった鈴木美勝氏である。鈴木氏は、外交ジャーナリストとして活躍しており、政府機関、政治家に多くのパイプを持っている。その機動的な武器を駆使して、先の安倍談話を分析して講演した。

 戦後70年の節目に出した首相の談話であるが、なぜ世界中が注目することになったのか。理由は、戦後、もっとも右傾化している日本の首相が、歴史認識を変え戦後の国際社会の定義を変えようとしているのではないか。そういう疑念を持っていたからだ。最大の注目国はアメリカだった。それだけアメリカには信用のない首相だからである。

 この日の鈴木氏の講演で、戦後70年安倍談話は、前のめりに右傾化していた安倍氏の政治的な信条もしくは政治哲学が軌道修正され、あのような談話になったという解説だった。それと同じような筆者の見解は、このコラムでも書いている。しかし鈴木氏の発言の中でも筆者がもっとも注目したのは、「安倍氏は長期政権を視野に入れてきた」というコメントである。

 長期政権を視野に入れれば守りの姿勢になる。その結果が、あの中途半端で「つづり方」に等しい談話だったことに気が付き、鈴木氏の分析結果に共鳴した。

 筆者のコラムでも書いたように、あの談話は一国の宰相が発信した政治信条などではなく、妥協の産物だった。右と左をうまく勘案して信条も哲学も感じられない、単なるつづり方であった。これが筆者の感想であった。10年後、20年後にその評価が出るだろう。

 安倍氏はすでに守りの姿勢に入った。長期政権を視野に入れた守りである。しかしこれで得するのは誰もいない。権力者の政治哲学を保持し、日本国民の幸福を願って闘う政治家ではなく、自己保身に入った政治家である。

 同じことは企業の経営者にも言える。東芝事件が雄弁に物語っている。日本企業にはサラリーマン経営者が散見しているように見える。自身の任期中にできるだけ瑕疵を少なくするために守りの姿勢に入り、企業が躍動する芽を摘むことである。政治の世界でこれに等しいのは、国家予算のばらまきで有権者の歓心を買おうとする政策である。課題先送りも同じだ。

 税金をばらまいて自身の政権延命を図ろうとする施策は、これまで何度も経験してきた。だから国民の根性は悪くなっている。もはや簡単には騙されない。

 延命を図る政権の末路は、歴代の政権担当者の行く末を見れば明らかである。このような政治家がリーダーになっている国民は不幸である。この歴史的な「政治常識」を覆すだけの力量(政治哲学)を安倍氏が持っているかどうか。安倍氏が政治家として成熟し、国民主権の立場になった政治家へと変身できるかどうか。

 筆者の判断は、7対3で難しいという判断である。このコラムの読者の皆さんの意見を聴いてみたい。

 

 

 


柳下裕紀先生の論文:「TPPは国内改革の触媒にするべきだ」

 柳下裕紀先生の論文
 「TPPは国内改革の触媒にするべきだ」をご紹介します。

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 最新の「ニューリーダー」9月号に掲載された柳下裕紀先生の論評は、TPP協定の効用を主として農業に焦点を合わせて簡潔明瞭に論評したもので、日本の農業現場の問題点を浮き彫りにしたものでした。

 PTT協定によって影響を受けるのは政府でなく民間資本であるという基本理念を示していますが、このような理念はうかつにも認識していませんでした。柳 下先生は「自由貿易協定は、国内改革の触媒として使うべきだ」という主張であり、実証的なデータを示しながら日本社会の護送船団方式と消費者にシワ寄せし ている農業政策とその仕組みを明解に解説しています。

 牛乳・乳製品や小麦など外国と国産とで大きな価格差がある食材は、様々なからくりと制度によって消費者に負担をかけていると具体的な仕組みをあげて指摘 しています。コメにしても高コスト体質を作り上げてきたのは農協であり、こちらの改革も進める必要があるというのです。

 コメの国際価格をみるとアメリカのカリフォルニア州産のコメのほうが、国内産米よりも高くなってきているという。カリフォルニア州の干ばつの影響もあるが、この逆価格差を利用しない手はないとも主張している。

 国際第2位のメガバンクとなったJA農協バンクは、「真剣に米作りを手がける主業農家に融資しているのはたったの1~2パーセント」という。あとは農家 でもない一般利用者に住宅ローンの貸し出しをしたり金融の運用をしている。「農業を弱体化し、自ら脱農化することで発展してきたのが農協なのだ」と指摘す る。

国産比率8割以上という野菜農家は、「コメ農家の2割以下しかないが、コメ農家の6倍の売り上げをあげている」という指摘にもびっくりした。コメ農家がいかに非効率な構図の中に放置され、国民の税金の補てんで生き延びてきているかを示したものである。

 また、「日本の単位面積当たりの農薬使用量は世界一」という指摘にも仰天した。アメリカの6倍、スウェーデンの25倍という。食品添加物として認可されている種類も世界一との指摘もさらに仰天だ。日本は250種類、アメリカ140種類、イギリスは14種類という。
  
アメリカで規制された物資が日本では野放しであり、「乳癌の最大の原因と特定され、米国では表示義務のある成長ホルモンが牛乳に入っている」と指摘している。

 かつて日本の農薬や食品添加物の利用を厳しくチェックしていた消費者グループや研究者は、今どうなっているのだろうか。新聞社などのメディアの機能もこ の方面にどのくらい影響力を持っているのか。いまや知らないところでやりたい放題という風景が見え隠れするように感じた。

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安保法案反対デモに参加

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 市民団体「戦争をさせない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の主催する「国会10万人・全国100万人大行動」のデモに参加し、シュプレヒコールに思い切り大声を張り上げました。

 デモに参加するのは、学生時代から数えて50数年ぶりです。新聞記者になってからは、おびただしいデモを取材しましたが、いつも取材者として見ていたものでした。当事者として参加したのは、実質的に初めてかもしれません。新鮮な喜びがありました。

 まずびっくりしたのは、デモ参加者のほとんどが50歳代を中心とする熟年世代でした。若者の姿を追い求めましたが、ほとんどいませんでした。日本の現在の危機を感じました。若い世代と熟年世代にはこうも隔絶した価値観があることを。若者世代が、こうも国の将来に無関心であることを。これは我々、熟年世代の責任でもあると思います。

 安倍内閣は、各種世論調査で60パーセント内外の国民が反対している安保法案を国会で成立させようとやっきになっています。国会議員は、国民の代表、つまり国民の代議員だから正統性があるという意志表示でしょう。本当にそうでしょうか。

 住んでいる場所、つまり住所だけで1票の価値がまるで違うのです。これは最高裁大法廷の2回にわたる判決「違憲状態」を見るまでもなく、正統性のない選挙によって選出された議員が圧倒的多数の論理で国民の意思とは関係なく強引に成立させようとしています。

 国民主権ではない、単なる多数決の原理で国の命運を決める法案が成立したら、日本は世界の国々から軽蔑されるでしょう。アメリカでも内心は軽蔑すると思います。

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 最高裁大法廷の判決で、そもそも国会議員として資格がないとされている議員もどきが、立法すること自体、国としての体裁をしていません。この現実を私たちは深刻に受け止め、行動を起こすことが第一だと思いました。

 それにしても本日のデモは、熟年世代の真摯な思いを心から感じました。70年代に吹き荒れた学園紛争の過激なデモは、新聞記者として現場に立ち会い取材しました。あの時には若い世代の熱気に同感し、「報道」の腕章を巻いていながらデモの学生と腕を組んで「インターナショナル」を歌いました。20歳代の新聞記者は、みな同じ思いでした。

 そんなことを思い出しながら、本日のデモ隊の当事者になった自分を当然だと思いました。そして同時に、熟年同志の人々の叫びに感動しました。

 

 

 

 


藤原瑠美さんの博士学位論文を称える

藤原瑠美さんの学位論文を称え認知症に備えるパネルディカッションの開催

 間もなく日本にも来るのではないかと心配されている認知症の増加に備え、「人と人の絆を考える80人のつどい」が8月22日、東京・芝浦で開催されました。

藤原瑠美さんの国際医療福祉大学博士論文「ケア概念としてのオムソーリを考察する 短時間のホームヘルプで独居できるスウェーデンの認知症の人たち」を称える会でもありました。

藤原さんの論文を読むと、スウェーデンでは「Omsorg(オムソーリ)」という言葉を見直し、その概念を確立して認知症介護の制度に根付かせました。藤原さんの論文は、現場取材と検証で裏付けながら論考しています。

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 この日の会では、藤原さんの講演のあとパネルディカッションが行われ、医師、介護・福祉関係者らのパネラーと会場からの意見と質疑が熱心に行われました。

藤原さんの講演では、オムソーリの歴史的成り立ちとその概念をわかりやすく説明され、とても良く理解できました。エスロブ市を中心としたスウェーデンでの長年にわたる現地調査については、藤原さんの報告で知っていましたが博士学位論文にするとは思いもよりませんでした。

人は誰でも多くの体験を積んで生きてきていますが、このように体験を学術的な考察をするテーマにまで引き上げ、論文という見える形で書き残して成果を出したことに敬意を表します。

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