中国大使館で沖村憲樹氏の中国国際科学技術協力賞受賞祝賀会

中国大使館で沖村憲樹氏の中国国際科学技術協力賞受賞祝賀会
 程永華・中国大使主催の祝賀会が、2月18日、中国大使館で開催されました。多くの日中の関係者が集まり、楽しい懇談の時間を過ごしました。
 程大使は挨拶の中で、「沖村さんは長年、日中科学交流に尽力されたので、その功績を称えて今回の協力賞に推挙しました」と語り、日中の科学交流を一貫して推進してきた沖村さんの功績を称えました。
 また程大使は、1995年からこの授賞制度が始まり、これまで17カ国、101人の受賞者が出ており、うち日本人は12人いると紹介し「世界の国々の中でも日本人の比率が高い」とも言及しました。
 答礼に立った沖村さんは、文部科学省など日本政府の支援で様々な日中科学技術交流を実施してきた歴史を語りながら、「日本の政府やJSTなど多くのスタッフの協力があっていただいた賞である」と感謝の気持ちをにじませて締めくくりました。
 また来賓の祝辞に立った有馬朗人先生は、「これからは日中韓で力を合わせて世界平和に貢献する時代である」と語り、日中韓の科学技術交流の推進が重要であると主張しました。
 祝賀会でしたが、終始、楽しい懇親会であり、日中の様々なテーマの情報交換会でもありました。

1程大使 (2)   2沖村氏

2土屋次官    3乾杯

3乾杯CIMG1649     4藤嶋学長と沖村さん

 


日本の企業社会に巣くう「産業スパイ王国」を返上できるのか

産業スパイ活動の実態を詳細に書いた本の出版

  日本は、以前から産業スパイが跋扈する「産業スパイ王国」と言われてきた。企業の中で不遇をかこっていたりリストラされた従業員が、韓国、台湾、中国に渡った技術を不当に漏えいしたり企業情報を持ち込み、多額の報酬を得ているという噂が絶えなかった。

 これは単なる噂ではなく、真実であることを決定づけたのが、2012年4月、新日本製鉄(現・新日鉄住金)が、「特殊鋼板の製造技術を盗まれた」として、元従業員技術者と韓国の鉄鋼メーカー、ポスコに損害賠償を求めて東京地裁に訴えた事件である。
 1990年ころに新日鉄を辞めていった複数の技術者たちが、企業秘密になっていた特殊鋼板の製造技術をポスコに流し続け、ポスコはその技術を使って新日鉄が独自に開発した鋼板技術に追いついてきた。

 この事件は2015年9月、ポスコが300億円を新日鉄住金に支払うことで和解した。ポスコが今後、特殊鋼板の製造販売に関するライセンス料を新日鉄住金に支払うことなども合意事項に含まれているとされている。
 ア メリカでの訴訟なら、軽く1000億円を超えた損害賠償支払いと予想される。和解が異常に多い日本の知財訴訟で、ポスコは救われたのではないか。韓国の大 手企業が、日本では正当に特許を守ってもらえないので、日本には出願をしなくなっていると聞く。アメリカの大手企業も同じである。

                             

                                                           渋谷高広氏の著書

 産業スパイ活動は、地下に潜って実情が分からない状況が続いていた。その実情を丁寧な取材と裏付けで書いた本「中韓産業スパイ」(日経プレミアシリーズ)が昨年出版されて話題となった。

 執筆者は日本経済新聞社の渋谷高弘・編集委員である。第1章をこの新日鉄産業スパイ事件の顛末で埋めており、詳細に訴訟での争点が解説されている。 それを読むとポスコ側は、訴訟理由とした不正競争防止法違反の対象になる営業秘密の管理が不十分だったとする理由を執拗に追及している。

 つまり日 本の旧不正競争防止法では、営業秘密であることを立証する条件が厳しすぎるとして使い勝手が悪いとされていた「欠点」を衝いてきたことになる。こうしたこ ともあって昨年、改正不正競争防止法が成立し、今年1月から施行されている。罰則が引き上げられ、警察などの捜査当局は被害届がなくても捜査・摘発できる 法制度に改正した。

 さて渋谷氏の著書だが、これまで話題となった日本の産業スパイ事件を検証し、旧不正競争防止法の欠陥と日本企業の営業秘密管理の取り組み、そして中国、韓国などに流れていった技術とスパイ行為の手法などについて詳しく記述している。

 この本は、日本企業の知財部門のスタッフにとって必読の書である。企業が産業スパイから守るための処方についても言及しており、サイバー攻撃から守る術やセキュリティ対策にも広げている。

                          

改正不正競争防止法でどれだけ産業スパイを摘発できるか

 日本企業の中に潜り込んでなかなか露見してこない産業スパイの実態だが、2016年2月9日付け、日本経済新聞の社会面トップで、企業が積極的に捜査当局に情報提供してスパイ行為を摘発するべきとの主張で報道している。

 この記事では、企業側は産業スパイに被害があっても顧客への信用棄損を恐れて警察沙汰にしたくないという風潮を報告している。警察でもこうした事実 をつかんだ際には独自に捜査して摘発できるために、専門の捜査員を要請し、企業にも積極的に相談を促すように働きかけているという。
この報道も参考になるので、是非、企業の知財担当者は読んでほしいと思う。

 


教育でも先進国を猛追する中国の本気度

   中国の教育現場は巨大なエネルギーを内包して、先進国型へと急変して いる。中国政府は、教育こそ立国の基盤になるとの方針を強力に推進しており、都市と地方の教育格差の解消策と同時進行で、理系・イノベーション人材のエ リート速成策もダイナミックに展開している。教育にかける国民の熱気が沸騰しており、10年後、中国の教育レベルは間違いなく先進国の一角に食い込んでく るだろう。

 二大課題を同時進行で強力に進める

  中国政府が教育施策に本格的に取り組んできたのは、21世紀になってからである。国の発展には教育が最重要課題であることをことあるごとに国民に訴え、重点的に予算配分をしてきた。

 教育費の国家予算は長い間、GDPの2%前後だったが、2000年以降増額に転じており、12年には4%を超え、その後も増加している。ちなみに10年の日本は3.6%であり、先進国は5%を超えている。

 中国は義務教育に予算を重点配分しており、グラフで見るように、小・中学校の教育予算は、近年、急進的に右肩上がりになっている。グラフは名目値だが実質値もほぼ同じである。

 小学校の児童1人当たりの教育予算の推移

 出典:中国・国家統計局「全国教育経費執行状況統計公告」(1996-2010)

  • 出典:中国・国家統計局「全国教育経費執行状況統計公告」(1996-2010)

  中学校の生徒1人当たりの教育予算の推移

 出典:中国・国家統計局「全国教育経費執行状況統計公告」(1996-2010)

  • 出典:中国・国家統計局「全国教育経費執行状況統計公告」(1996-2010)

 

 約6万人の教員を輩出

  予算では、学校の施設設備にとどまらず、教員の養成、教員の 質の向上、学校間の格差是正のための教員の流動性などを同時並行で一挙に進めてきた。たとえば、教員養成のための師範大学を拡充し、成績のいい学生は授業 料免除プラス生活費補助を行っており、すでに6万人近い教員を輩出している。

 一般の大学でも教員養成コースを拡充してきた。また優秀な教員を育成するための施策を進め、都会と農村の格差を是正するために、教員を強制的に異動させたり定期的に配属先を交代させたりするもので、都市と農村間の異動には経済補償まで用意している。

  義務教育から大学教育まで全般的な教育の底上げ、同時に知的レベルの高い人材育成も並行して進めてきた。それが重点校施策である。

 高校の中でも重点校に指定された高校は、予算の投与で施設設備を充実させ、質の高い教員を配置し、徹底した英才教育を展開している。飛び級制度が設けられており、小・中・高一貫校や中・高一貫校も増えてきている。

  北京、上海など大都市には、重点高校が多数ある。中には米・ 英・カナダなどの高校のカリキュラムをそっくり採用し、教員の半分は外国人が占め、授業を英語で行っている高校もある。卒業後は、中国の大学に進学するの ではなく、欧米の有名大学に直接進学する生徒が増えている。

 また、北京市は「●翔計画(こうしょうけいかく:●翔とは大鷲が天空を飛翔すること)」を展開しており、こちらはイノベーション人材育成の高大連携型の高校である。拠点校29校と大学・研究所36機関を指定しており、高大が連携して高度な人材育成に取り組んでいる。

  欧米に留学する生徒や学生も年々、若年化してきている。10年の中国人の留学生のうち高校生以下の留学生は7万6400人となり、全体の留学生の20%になっている。留学生の低年齢化は、年々、高くなってきた。

 特に中国とカナダとの間では、ダブルディグリー制度(複数学位制度)を取り入れるなど教育連携が急速に進んでいる。

  北京市第8高校では、小学4年生を入学させる制度を設置し、優秀な児童を取り込む戦略を展開している。小学4年生の選抜試験は、体験入学と行動観察テストを導入し、単にペーパーテストがいい児童だけ選抜するわけではないという。

 入学後も研究性、実践性を評価の対象にし、文理の向き不向きなどを見ながら、資質に合ったクラス分けを行い、個性を伸ばす教育を進めているという。

  中国人民大学附属高校は、10年から中国科学院、中国社会科学院と提携し、「突出したイノベーション人材早期培養実験クラス」(以下「早培クラス」)を開設し、各分野のリーダー人材を育成することを目標に進めている。

 早培クラスでは、「学科の壁を取り払い、学科間が交差・融合 する」方式を採用し、中学・高校の教材を統合し、教学内容を拡大。また1クラス10~20人という少人数クラス制度を採用し、生徒は国語、心理、生物、化 学、科学技術イノベーション活動、専門家講座など、11種類の中から研修課題を選ぶことができる。指導教官制度を取り入れ、専門家、学者などを学校外から 招き、生徒の興味や特徴に合わせた学習指導を行っている。

 ※●は皐の「白」が「自」でつくりが羽の旧字体

 拡大する補習授業教育(塾教育)とその産業

  中国はこれまで一人っ子政策を採ってきたので、子どもの教育 にお金をかけるのは当然の成り行きだった。高学歴を目指し、有名大学に子弟を入れることの競争となり、しかも重点高校などが出てきたために、子弟を競って いい高校や大学に入れる風潮が高まった。特に中学・高校への入学を目指して学力をつけさせる競争が激しくなってきた。 

  学校以外で教育を受ける代表的なものは塾であり家庭教師であ る。中国ではこれを「校外補習教育」(ここでは「塾教育」と呼ぶ)としている。中国の行政機関は、公式的には「塾教育は個人の問題であって行政機関として 関わることがない」としてきたが、2000年以降、あっという間に塾教育は世論を形成するまでに膨れ上がってきた。

  上海で企業を経営している筆者の知人の一人っ子の長女は、小学生時代から大学教授を家庭教師にしていた。中学卒業後は、イギリスの名門校に留学している。

 大都市の所得の高い家庭の場合、小中学校の教育費に日本円で1 か月10万円~20万円をかけるのは普通である。中国は夫婦共働きであり、子の面倒は祖父母が見る。つまり子供の両親が働き、祖父母が孫の面倒を見る。教 育の経済的な負担は、祖父母と両親が一緒になって負担することになる。

 大学、高校教師が家庭教師になっている人が多く、中国の富裕層は教員が多いとも聞く。

度肝を抜かれた中国視察の日本人教師

  15年9月14日から6日間、国立研究開発法人・科学技術振興機構(JST)、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の支援で、NPO法人ネットジャーナリスト協会主催の「理科教育ルネッサンス・理科の達人先生海外視察」が行われた。

 理科教育の立場から中国の教育現場を視察する目的であり、中国を代表する大学・研究機関や高校などを駆け足で見学した。同行した中国総合研究交流センターの趙晋平フェロー(九州大学教育学博士)に、状況を聞いた。

  • 北京第35高校の授業風景
    北京第35高校の授業風景
  • まるで大学並みの施設を持っている北京第35高校
     
    まるで大学並みの施設を持っている北京第35高校

 中高一貫校で進学校として有名な北京第35高校では、生徒の研究発 表を聴講したが、起き上がりロボット、指ロボット、人工雷の研究など、どの研究にも独自視点があった。内容も高度なものであり、実験棟などの設備は大学並 みであったという。若く優秀な教員を配置し、スポーツ、伝統音楽にも取り組み、勉強一辺倒という学校ではなかった。

 上海市甘泉外国語高校は、日本語を第1外国語とする上海市で唯一の高校である。10年前に筆者も趙先生と訪問したことがあるが、校長が派手なアロハシャツ姿で出迎えてくれたことがうれしかった。

 授業をしている教室をのぞいたとき、なんとなく日本語で「こんにちは」とつぶやいたら、怒とうのような叫びで「こんにちは!」と返ってきたので仰天したことがある。

 これまで多くの日本語を話せる人材を育ててきたが、いまでは 英語、韓国語、独語、仏語、露語課程に広げており、国際的な人材養成高校になっていたという。一方で、語学だけでなく、理系の授業と実験にも力を入れてお り、どちらかというと理系人材の育成高校になってきたようだ。

  視察した一人は「指導者が先導して強力に政策を推進できる中国は、民意よりも中央政府の判断で国家が動くため、研究開発や教育でも党と政府の方針で進められている。最先端科学研究に国家の予算が潤沢に投入されているのが中国の強みである」(要旨)と語っている。

 これは筆者の見方とまったく同じである。一国の教育行政は、民意の合意で進めるものではなく、政府の強力な教育哲学・施策方針・将来展望で進めるものである。

 中国の場合は、「先進国に追いつき追い越す」という大命題がある。いいか悪いかの問題ではなく、国の現状を認識して次世代へ効率いい教育施策を進めざるを得ないのである。

中国の劣等生の吹きだまりになりかねない日本の大学

  中国の普通の大学に合格しない子を安易に日本の大学に「留学」させる例が増えているような気がする。留学というと聞こえはいいが、落ちこぼれを拾ってくれる日本の大学に子弟を預けるという構図である。

 実際、「アメリカやヨーロッパは遠すぎる。日本は近いし、日本語も中国語から来ているから簡単だ」と語っている親がいた。

 10年後、日本の教育現場は中国に追い抜かれている可能性がある。教育は短期決戦である。歴史や伝統がモノを言う世界ではあるが、現実の成果は歴史や伝統ではなくなってきた。

 20世紀末から21世紀にかけて世界的に興隆してきたIT産業革命の中で勝者になるのは、潮流に乗って改革を進めたものである。10歳の子供は10年後20歳になっている。教育の成果は早い。この10年間は、その後の100年間に影響を与える。

 日本の教育現場の課題を検討している10年間に、後発国の中国が追いついてくるだろう。そのような認識を日本の政治家、行政官が持ってほしい。

 


第123回21世紀構想研究会での安西祐一郎先生の講演 「日本の教育と科学技術 ~現状と将来展望~」

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 さる1月22日に開催された第123回・21世紀構想研究会は、研究会のアドバイザーでもある安西祐一郎先生が、「日本の教育と科学技術 ~現状と将来展望~」のタイトルで講演を行いました。

 その主な点を報告します。

科学技術関係予算の伸び率が停滞

 多くの基礎的なデータを駆使しての講演でしたが、重層多岐にわたる日本の教育現場の課題は、聞いているだけで気が重くなり、教育改革の抜本的な取り組みの必要性を痛感しました。

 2015年の日本の文教・科学振興費の予算は、5兆3613億円でした。社会保障費予算は、31兆5297億円ですから、科学振興費の約6倍です。将来にかける予算の6倍を高齢社会になってきた社会保障費に追われている日本の縮図を見る思いです。

 科学技術・教育予算に関する国際比較を見ると、日本の将来にかけるお金の使い方がよく出てきます。各国の科学技術関係の予算を2000年度に100とした場合、中国は10倍以上の1075であり、驚異的な伸び率です。

 韓国が457、アメリカ162、ドイツ158、イギリス144といずれも順調に伸びていますが、日本は111ですからこの10年間で1割ちょっとの伸びです。

 国として将来に投資する科学技術関係予算が停滞している日本の将来は、本当にどうなるのかと考えざるを得ませんでした。

教育予算も各国比較で最低

 これは教育予算を見ても同じです。2010年のGDP比3.6パーセントが日本の予算規模だが、アメリカ5.1、イギリス5.9、フランス5.8、中国4.0(2012年)などとなっています。

 高等教育機関にかけるお金の対GDP比でも、日本は0.5パーセントですが、韓国0.7、アメリカ1.0、フランス1.3、イギリス0.7、OECD平均は1.1となっています。

 日本は、親が負担している金額が多く、人材育成は国がやるという意識が低く、国民が取り組めと言う図式に見えます。

 安西先生は「収入の多い家庭に生まれないと、有名大学に行けないということになりかねない」と語っていました。たとえば東大に入学した学生の親の年収は、非常に高いことが実証されています。

 この数年の中国の教育改革は、高校と大学・研究機関を連携する高大連携で優秀な人材を育成する政策を大胆に進めていますが、日本はどうでしょうか。

 安西先生の講演では2019年から20年までに「高大接続システム改革」が開始された後の変革について解説してくれました。

 まず家庭での子育て、幼少中学校段階の変化が出てくるでしょう。学習指導要領の抜本的改定、職業教育の改革、企業の採用・処遇の仕組みの改革、地方創生への貢献などをあげていました。

 これからは教師が一方的に教えるという構図ではなく、協働学習、個別学習などが展開され、ICTツールも教室でごく普通に活用される時代になるでしょう。

 社会改革としての教育の転換について安西先生は「十分な知識・技能をもち、それ を活用できる思考力・判断力・表現力を臨機応変に発揮でき、主体性をもって多様な人々と協力して学び、働く力が身につく教育の機会をすべての子どもたちが 持てるようにするにはどうすればいいか」という課題を提起していました。

大学・高校生の質の低下に歯止めをかけたい

 安西先生の講演の中でショックだったのは、日本の高校生の現状報告でした。 1990年と2006年を比較したものですが、偏差値45未満と偏差値55以上の高校生の平日の学習時間は、この間の変化はほとんどありませんでした。と ころが偏差値40-55までの中間層にいる高校生は、大幅に学習時間が減っていました。

 たとえば1990年当時、平日112分の学習時間があった生徒層が、2006年にはほぼ半分の60分までに減っていました。つまり高校生の中間層は、ますます学習する時間が減っているということです。

 また進路について考えるときの気持ちで「将来、自分がどうなるか不安になる」とする生徒の国際比較を見ると、日本は38.7パーセントもあるが、アメリカ17.7、中国12.3、韓国33.5パーセントになっています。

 また、大学生の1週間当たりの学修時間の日米比較を見ると、日本は0-5時間しか学修していない学生は3分の2の66.8パーセントもいるが、アメリカは15.6パーセントです。

 1週間に11時間から15時間、学修する学生はアメリカで58.4パーセントもいるのに、日本はたった14.8パーセントです。

 日本の学生は勉強しないことがこれでもはっきりしています。また、就職受け入れをしている企業側の感想を見ると、今の学生には「主体性」「粘り強さ」「コミュニケーション力」の不足を感じます。大学教育には、重要な課題が課せられていると言えるでしょう。

 さらに安西先生は、大学入試について、知識・技能だけ問うのではなく、思考・判断・表現力を問うことが重要だと指摘しています。

 この日の講演では、盛りだくさんの内容があったため、日本の科学技術の課題までは至らず、時間の都合で主として教育問題に絞った内容になりました。

 講演後の質疑討論の場で、一番問題になったのは、この課題を共通認識として多くの人に持ってもらうことと、日本の各界のリーダーや政治家にも知ってもらうことが大事だということでした。

 今後、教育問題については、引き続き21世紀構想研究会でも積極的に発言する機会を作り、多くの識者の共通認識になるように展開したいと思います。


第3回「心に残る給食の思い出」作文コンクール表彰式

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 公益社団法人日本給食サービス協会主催の給食作文コンクールには、全国から2,395作品の応募がありました。その中から、次の10人が個人賞として選出されました。

 写真は左から順に、元田君から伊藤君までの入賞者です。

*文部科学大臣賞 「友だちのがんばり」 愛知県みよし市立黒笹小学校4年 元田晃太朗君
*農林水産大臣賞 「あげパンとぼく」 栃木県栃木市立栃木第三小学校6年 高橋征吾君
*農林水産省食料産業局長賞 「魔法のとん汁」 茨城県神栖市立植松小学校6年 白倉拓実君
*農林水産省食料産業局長賞 「父と私をつなぐお茶」 京都府京田辺市立普賢寺小学校5年 西村優月さん
*公益社団法人日本給食サービス協会会長賞 「給食の味は思い出の味」 愛媛県今治市立朝倉小学校5年 渡邊廉君
同 「今の給食・昔の給食・家族の思い出」 京都府京田辺市立普賢寺小学校5年 中西康太君
同 「除去食解除になった日」 愛知県犬山市立楽田小学校6年 三村統吾君
同 「大好き・最高な学校給食」 沖縄県那覇市立真嘉比小学校5年 饒平名絢音さん
同 「命のバトン」 山形県天童市立長岡小学校6年 菊地夏姫さん
同 「かがやきのケーキ」 埼玉県さいたま市立蓮沼小学校4年 伊藤元氣君

 どの作文も非常に感動的な内容であり、次のサイトで全文が読めます。
 http://www.jcfs.or.jp/information/151211/index.html
 
審査委員をしましたが、子供たちの表現力に感激しました。是非、読んでいただきたいと思います。 


大みそかから正月3が日に観た映画4本

 大みそかから正月3が日は、4本の映画を見ました。
 どの映画も感動して泣きました。

①「黄金のアデーレ 名画の帰還」
• サイモン・カーティス 監督  • ヘレン・ミレン, ライアン・レイノルズ, ダニエル・ブリュール, ケイティ・ホームズ, タチアナ・マズラニー, マックス・アイアンズ, チャールズ・ダンス

 ②「母と暮せば」
• 山田洋次 監督  • 吉永小百合, 二宮和也, 黒木華, 浅野忠信, 加藤健一, 広岡由里子, 本田望結,

③「海難1890」
• 田中光敏 監督  • 内野聖陽, ケナン・エジェ, 忽那汐里, アリジャン・ユジェソイ, 夏川結衣, 永島敏行,

④「杉原千畝 スギハラチウネ」
• チェリン・グラック 監督  • 唐沢寿明, 小雪, 小日向文世, 塚本高史, 濱田岳, 二階堂智, 板尾創路, 滝藤賢一

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①は、著作権も絡んだ知財ものであることを知らないで観に行きびっくりしました。歴史認識を思い起こす映画であり、ナチに迫害されるユダヤ人たちに涙しました。

②は、長崎原爆の悲劇を語った映画ですが、戦後間もない庶民の生活を描いている点で共感しました。何もない貧乏な時代でしたが、長崎ではもっと別の世界があったことを知って泣きました。永遠の処女、吉永小百合を観てとてもよかった。

③は、あのトルコ海軍の軍艦が和歌山沖で遭難した明治初期の話と、中東事変のあった20年ほど前の歴史を掘り起こして語った日本とトルコの物語でした。人間の心を描いた国際物語であり、科学技術立国のトルコを少しだけ知りました。トルコ脱出の日本人たちの心情をとてもよく描いていました。

④は、日本のシンドラー・杉原を描いた映画でした。千畝はセンポと呼ばれていたことを知り、またセンポが帰国後に外務省を追われて小さな貿易会社に勤めていたことを知りました。千畝の人生を語ったあの日あの時を知って泣きました。

 こうして2016年の新年は、映画館で涙して過ごしました。今年は、どんな年になるか。そのような感慨を胸にしながら3が日をそれなりに有意義に過ごしました。

 

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大村智先生のノーベル賞受賞で暮れた2015年を回想する

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 2015年は、筆者にとって格別の年となった。3年前から、ノーベル賞受賞を確信していた大村先生が、まさに受賞したからである。

 大村先生と筆者の出会いは、2011年4月だから、あれから4年後にノーベル賞を受賞したことになる。しかしこれには、前段がある。筆者は2005年から、東京理科大学知財専門職大学院の常勤教授として知財戦略論を担当していた。そのときオムニバス授業に荒井寿光・元特許庁長官(内閣官房知的財産戦略推進事務局長)を講師として迎え、授業を行っていた。

 荒井さんは、その授業の中で大村先生を「日本で断然トップの産学連携の実績を誇っている科学者です」と紹介し、韮崎大村美術館の写真と共にその活動を紹介していた。筆者もそれを聞いて大村先生の業績を調べたり、ある大学の研究者に聞いていた。確かに素晴らしい業績を持っている科学者であることがわかった。

 しかし本格的な取材を先延ばしにしていた。それが2011年に大村先生が理事長をしている女子美術大学と東京理科大学が提携することになり、大村先生と東京理科大学の塚本桓世理事長、藤嶋昭学長との鼎談が行われ、その司会役に筆者が担当した。そこで初めて大村先生にお目にかかった。

 それから大村先生の評伝を書こうと思い立った。動機は、優れた学術実績を蓄積しただけでなく、人間的な魅力ある人生を重ねてきた研究者であったからだ。山梨県韮崎市の生家にも行って、自然と親しんで育った子供時代の様子も取材してきた。大村先生は、過去の出来事を克明に書き残しており、4冊のエッセイ集まで出していた。その記録を読んで先生の実相が一層色濃く印象に残った。

 「大村智 2億人を病魔から守った化学者」(中央公論新社)を上梓したのは、2011年である。この本のタイトルは、最初、「2億人を病魔から守った化学者」を主題にしたいと思っていた。しかし中央公論新社の横手拓治氏は、「この本は大村智先生の実像を描いた実録であるから、人物の名そのものを主題にしたほうがいい」と主張し、そのようにした。

 大村先生は、学術的な世界では有名だったが、ちょっとテーマが違った研究者にとっては無名に近い研究者だった。まして一般の人には知られていなかった。選挙にでもでるようなタイトルに、やや違和感を覚えた気分だったが本になってみるとこれがなかなかいいタイトルだったと思っていた。

 ノーベル賞受賞後は、絶版状態になっていたこの本を増版して世に再び出したが、同時にメディアからは嵐のような取材申し入れが殺到した。最初は対応に当惑したが、ある人が「あなたが責任を持って大村先生の実像を語るべきです」と言う助言を聞いて、徹底的にメディアの取材を受けて立とうと決心した。生半可な情報を伝えれば不正確な報道が展開されるだろう。ならば徹底的に情報を提供したほうが、大村先生の実像を知ってもらうことになる。

 ほどなく東京理科大学の藤嶋昭学長が「ハードカバーのあの本は、学生に読ませるにはちょっと硬い。高校生向けの本をすぐに書いてほしい」という助言をいただいた。「あなたなら1週間で書けるでしょう」という「挑発」である。これでは書かないわけに行かない。ハードカバーを下敷きにして、学術的な細かい記述は極力省きながら、新書版で「大村智物語」(中央公論新社)を書きあげた。

 そのころ東京理科大学のホームカミングデイに大村先生をお迎えして、トークショーがあった。私がインタビューアーになったものだが、その会場で毎日新聞出版・児童書担当の編集者、五十嵐麻子さんと出会って名刺を交換した。すると翌日、五十嵐さんが面会を求めてきた。児童書を書いてほしいという相談である。ハードカバーの本は一般向け、新書版は高校生、大学生向けとそろったので、児童書も書いたほうがいいかなという気持ちになった。これを書けば、全年代層に向けた3部作になる。それで引き受けて大車輪で書き上げた。

 大村先生の研究人生をこのような形で書いたが、研究の内容についてはほとんど書いていない。つまり微生物を採取し、どのようにして分類し、産生する化学物質を抽出して役立つものを取り出しているのか。サイエンスの部分が抜けていることに気が付いた。今年の宿題は、このサイエンス活動を一般向けに書かなければならないという気分になっている。

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ノーベル賞は日本の大学の家元制を突き崩すか

  前回、同じテーマで書きましたが、もう少しデータを入れて整理してみました。

京大・東大出身でないとノーベル賞に届かない?

 今年のノーベル賞は、物理学賞に梶田隆章さん、生理学・医学賞に大村智さんに授与されることが発表され、ひとしきり日本中を沸かせた。今年の2人の受賞者の出身大学が、梶田さんは埼玉大、大村さんは山梨大と地方大学出身者であり、この面でもノーベル賞を違った観点から検証するヒントを与えてくれた。

 大村さんは、学び直しの大学院が東京理科大学である。私大出の初のノーベル賞受賞者ということでも話題になった。

 物理、化学、生理学・医学の自然科学3分野の受賞者とその出身大学の一覧表を見ると、2010年からの直近受賞者8人の出身大学が、見事に8大学にばらけている。

 最初にノーベル賞受賞者となった湯川秀樹博士から9人目までの出身大学は、京大5人、東大2人、東工大、東北大各1人である。京大・東大に極端に偏っていることがわかる。

 そのような思いをいっそう抱かせたのは、人文系のノーベル賞受賞者の出身大学だった。文学賞と平和賞の日本人受賞者である川端康成(文学賞)、佐藤栄作(平和賞)、大江健三郎(文学賞)は、3人とも東大であった。

 ノーベル賞は、東大か京大出身でないと、遠い距離があって受賞まではなかなか届かないという印象を与えていた。

表1:自然科学系のノーベル賞受賞者の出身大学

 

受賞年

受賞者

部門

大学

1

1949

湯川秀樹

物理学

京大

2

1965

朝永振一郎

物理学

京大

3

1973

江崎玲於奈

物理学

東大

4

1981

福井謙一

化学

京大

5

1987

利根川進

生理学・医学

京大

6

2000

白川英樹

化学

東工大

7

2001

野依良治

化学

京大

8

2002

小柴昌俊

物理学

東大

9

田中耕一

化学

東北大

10

2008

南部陽一郎

物理学

東大

11

小林誠

名大

12

益川敏英

名大

13

下村脩

化学

長崎医大

14

2010

鈴木章

化学

北大

15

根岸英一

東大

16

2012

山中伸弥

生理学・医学

神戸大

17

2014

赤崎勇

物理学

京大

18

天野浩

名大

19

中村修二

徳島大

20

2015

大村智

生理学・医学

山梨大

21

梶田隆章

物理学

埼玉大

 

ばらけてきた出身大学

 これまで自然科学の日本のノーベル賞受賞者数は、21人である。この受賞者の出身大学の数を見ると表2の通りである。

表2;ノーベル賞受賞者の出身大学の数

 

卒業者数

京大

6

東大

4

名大

3

東工大

1

東北大

1

長崎医大(長崎大)

1

北大

1

神戸大

1

徳島大

1

山梨大

1

埼玉大

1

合計

21

 京大・東大が半数近くを占めているが、初期のころに稼いだ数が利いている。最近は先に書いたように地方大学にまで広がってばらけてきている。こうした傾向は、欧米のノーベル賞受賞者の出身大学を見ても、特定の大学に集中していることはあまりない。日本も欧米型になってきたのである。

 日本の受験戦争の最終目標は、東大・京大を代表とする旧帝大など有名国立・私立大学の合格である。偏差値を出すことで目標までの「射程距離」を受験生に自覚させ、目標に向かって学習意欲を引き出そうとしている。

  有名大学に合格する学生が優秀であることは、誰もが認めることだ。しかし優秀な学生が有能な研究者に育っていくかどうかは別問題である。優秀であっても有能であっても、そのどちらも「生産性が高い」人物を言う。

 本質的に違いはないが、個人的な見解をいえば、有能な人物とは優秀な人物を含むと思っている。もうすこし噛み砕いて言えば、有能な人物は優秀な人物よりも幅が広く柔軟性にも長けている人物―というのが筆者の解釈だ。研究を発展させるには、優秀であって有能でなければならない。

 日本で最大の競争的研究資金は、日本学術振興会が運営している科学研究費補助金(科研費)である。大学の多くの研究者は、科研費を使って研究に取り組んでいる。

 同振興会によると、「人文・社会科学から自然科学まで全ての分野にわたり、基礎から応用までのあらゆる学術研究(研究者の自由な発想に基づく研究)を格段に発展させることを目的とする競争的研究資金」としている。

 「ピア・レビューによる審査を経て、独創的・先駆的な研究に対する助成」を行うと宣言している。「あらゆる学術研究を格段に発展させる」とか「独創的・先駆的な研究への助成」とうたっている。

 

科研費配分を見るとすごいかたよりがある

 これまでのノーベル賞受賞者の出身大学の2015年度の科研費配分額を抜き出してみると表3になる。

トップの東大の216億1298万円と最下位の埼玉大の6億9654万円は、31倍の開きがある。大学の規模から見れば当然であり、単純に比較するのは難しい。しかしどの大学に国の研究資金が集まっているかをみる尺度にはなるだろう。

表3:科研費の配分額(単位:千円)

大学

採択件数

配分額

東大

3763

21,612,981

京大

2955

13,961,610

東北大

2478

9,791,119

名大

1765

7,525,440

北大

1643

5,518,110

東工大

924

4,702,750

神戸大

1100

2,906,488

長崎大

654

1,513,070

徳島大

541

1,252,160

山梨大

323

721,240

埼玉大

272

696,540

 この科研費の配分を見れば、配分額の上位の大学からもっとノーベル賞受賞者が出てもいいのではないか。まだノーベル賞受賞者を出していない阪大の配分額は85億3800万円、九州大は53億1000万円である。

このような現状を見てみると、有名大学に入らなくても才能と努力があれば、ノーベル賞に届くと理解することもできる。

 物理学賞を受賞した梶田さんのご両親をインタビューしているテレビ番組を見たが、お母さんは子供のころの梶田さんを「すごい集中力のある子だった」とほめていた。集中力という点では生理学・医学賞をもらった大村さんも同じことが言える。それは本人が語っている。

 大村博士は「私は東大でなくてよかった。東大ならノーベル賞はもらえなかった」と語っている。その理由を「私みたいに自由に動き回る研究者は、弾き出されていたでしょう」とも語っている。

 大村博士は、研究資金をどのようにして確保するか、いつも追い立てられてきた。自分で稼ぐしか道がない。企業が研究費を出すなら、それなりの業績や可能性がなければ出さない。

 何よりも世の中に役立つ研究をしない限り、企業は共同研究などするわけがない。と言っても企業の下請けになったら、企業も学界も評価しなくなる。学問の自由を確保しながら、学術的に評価される研究と世の中に役立つ研究。その両方をにらみながら大村博士は、必死で取り組んだ。

日本の大学は家元制から一歩も出ていない?

 与えられた資金で研究をやるのと、研究費を必死で取ってきてやるのでは天と地ほど違う。自ら取ってきた研究費で最善の努力をする。それこそ大村博士の信条であり、その評価は多くの国際的な価値ある学会賞や褒賞や叙勲が、あますところなく語っている。

 元日本学術会議会長を務めた黒川清さんは、日本の大学は「家元制度」で出来上がっていると語っている。実力勝負でなく家元制度。有名大学の名前と伝統だけで優劣を決めるような学術風土を端的に語ったものだ。

 誰が見ても優劣が分かるスポーツの世界では、家元制度は通じない。大相撲は、モンゴル勢に覇権を取られた。プロゴルフも男女とも韓国勢が元気だ。いいことである。プロ野球でもサッカーでも外国人の選手やコーチや監督が入ってきている。本音だけで勝負する世界だからだ。ここでは家元制は通用しない。

 日本の大学が家元制から脱却できるきっかけは、ノーベル賞受賞者を輩出する実績にかかっている。ノーベル賞がすべてではないという反論もあるだろう。しかしノーベル賞受賞者数は、間違いなく一つの指標になる。

 地方大学や私立大学からノーベル賞受賞者が切れ目なく出てくるようになれば、日本の大学の家元制度は一挙に崩壊するだろう。


ノーベル賞受賞者は有名大学だけに集中しているわけではない

 欧米に近づいてきた日本のノーベル賞受賞者出身大学

  今年の日本のノーベル賞受賞者の出身大学は、大村智先生が山梨大学、梶田隆章先生が埼玉大学だった。自然科学分野のノーベル賞受賞者の卒業大学は、当初、東大・京大だけからに限られていたがそれが旧帝大まで広がり、近年は多くの大学にばらける傾向になってきた。これは欧米型に近づいてきている現象だ。

 ノーベル賞受賞者の大学卒の学歴を調べた結果、京大6人、東大4人、名大3人、以下東工大、東北大、長崎医大、北大、神戸大、徳島大、山梨大、埼玉大が各1人となった。このように多様な大学出身者がノーベル賞受賞者になるとは、筆者は思いもしなかった。

 20世紀のノーベル賞受賞者は、東大、京大、東工大に限られており、知の頂点と思われるノーベル賞受賞者は、旧帝大の中でも東大・京大卒以外は無縁ではないかとの印象を与えていた。その印象を強くしたのは、文学賞の川端康成、大江健三郎、平和賞の佐藤栄作の3人がいずれも東大卒だったこともあった。 

  受賞年 受賞者 部門 大学
1 1949 湯川秀樹 物理学 京大
2 1965 朝永振一郎 物理学 京大
3 1973 江崎玲於奈 物理学 東大
4 1981 福井謙一 化学 京大
5 1987 利根川進 生理学・医学 京大
6 2000 白川英樹 化学 東工大
7 2001 野依良治 化学 京大
8 2002 小柴昌俊 物理学 東大
9 田中耕一 化学 東北大
10 2008 南部陽一郎 物理学 東大
11 小林誠 名大
12 益川敏英 名大
13 下村脩 化学 長崎医大
14 2010 鈴木章 化学 北大
15 根岸英一 東大
16 2012 山中伸弥 生理学・医学 神戸大
17 2014 赤崎勇 物理学 京大
18 天野浩 名大
19 中村修二 徳島大
20 2015 大村智 生理学・医学 山梨大
21 梶田隆章 物理学 埼玉大
         
  大学 卒業者数    
  京大 6    
  東大 4    
  名大 3    
  東工大 1    
  東北大 1    
  長崎医大 1    
  北大 1    
  神戸大 1    
  徳島大 1    
  山梨大 1    
  埼玉大 1    
  合計 21    

 ところが、2001年の21世紀に入ってからのノーベル賞受賞者の出身大学は、表のように東大・京大から離れて、明らかにばらける傾向になってきた。私大卒がまだ出ていないが、いずれ日本でも出てくるだろう。

 これまでの自然科学分野の出身大学のランキングを作ってみたら京大6、東大4、名大3人で残り8人は様々な8つの大学卒になっている。これはアメリカ、イギリスなど他の国のノーベル賞受賞者の出身大学が特定の大学に集中しているのではなく、ばらけている現状と似てきている。

 日本の受験戦争は、最終目標が東大・京大を筆頭とする有名大学に合格することを目指している。旧帝大に入学し、未来はノーベル賞受賞者になりたいというのも一つの夢であった。しかし、能力とやる気と努力さえあれば、出身大学など関係なく誰でもノーベル賞受賞者になれることを過去の日本人ノーベル賞受賞者が身をもって示してくれた。

 特に今年、生理学・医学賞を受賞した大村智先生は、山梨大・夜間高校の教師・東京理科大学大学院・北里研究所という日本では2番手と思われてきた大学や研究機関で学び、研究してきた経歴である。しかし筆者が、大村先生から長時間にわたって取材したとき、この業績はノーベル賞にもっとも近い成果だと確信した。加えて大村先生の人格と広い分野に及ぶ識見は、魅力にあふれていた。

 どこの大学を出たかは無関係である。大村先生はたぐいまれな能力を持っている研究者であるが、その能力を極限まで絞り出すような努力をした。取材で知った大村先生の過去の業績は、感動せずにいられない物語で埋まっていた。そのような科学者に巡り合えたことは、本当に幸せだった。

 大村先生と物理学賞を受賞した梶田隆章先生のノーベル賞受賞が、どれだけ日本の研究者や大学生に勇気を与えたか計り知れない。

 受験戦争に惑わされることなく、自分の進学した大学や研究室の中で、自身の能力を信じ努力することが大事であることを大村先生と梶田先生が示したノーベル賞受賞だった。

 

 

 


大村智博士が北里研究所に250億円を導入した産学連携活動(下) 

 

ノーベル賞受賞の有力候補となる

 産学連携活動で250億円以上の学術研究費を製薬企業などから北里研究所に導入した大村智博士は、かなり前からノーベル賞受賞者の候補とし て下馬評に上がっていた。

 動物薬として開発されたイベルメクチンは、やがて人間にも効くことが発見された。アフリカや南米の赤道地帯の熱帯地方で蔓延しているオ ンコセルカ症(河川盲目症)という盲目になる恐ろしい病気の予防薬として劇的な効果が発揮されることが判明する。年間、3億人もの人を病魔から救う医薬品 を開発したのである。


「nature biotechnol」誌は、2003年にエバーメクチンを産生している微生物の「ストレプトミセス・アベルメクチニウス」の写真を掲載し、エバーメクチンの全塩基配列の論文を掲載した。(大村博士提供)

 イベルメクチンは、大村研究室で発見した化学物質をもとにメルク社が開発したものだが、その後メルク社はWHOを通じて蔓延地帯に無償 で配布している。これは、大村博士らがイベルメクチンの商用利用で得られる特許ロイヤリティの取得を放棄して無償で配布することに賛同したために実現した ものだ。

 大村博士は、微生物が産生する有機化学物質を役立てる研究で突出した業績をあげている。薬物だけではなく、化学や医学の研究現場で使用する多くの酵素、薬剤を開発して医学、化学の研究の進展に多大な貢献をしているのである。

 一般にはなじみが薄いがこの欄では代表的なスタウロスポリン、ラクタシスチン、セルレニンという3つの物質について紹介したい。
 この3つの物質はいずれも、世界で初めて大村博士が土中の微生物が産生している有機化学物質の中から発見したもので生命現象の解明に広く使われている化学物質である。
 またこうした化学物質は、100を超える化合物が有機合成化学のターゲットとなり、関連領域の発展にも貢献しているのである。

 スタウロスポリンの発見と業績

 スタウロスポリンとは、1977年11月、ストレプトマイセス属の放線菌から発見したもので最初の発見のときはあまり注目されていなかった。ところ が発見してから9年後の1986年、協和醗酵の研究グループが、「スタウロスポリンは、プロテインキナーゼCの阻害剤である」と発表したのである。

 プロテインキナーゼとはタンパク質分子にリン酸基を付加する酵素である。その中でもカルシウムに依存したプロテインキナーゼをプロテインキナーゼC と呼んでいる。元神戸大学学長をした西塚泰美博士が発見した酵素であり、西塚博士はこの発見の業績でノーベル生理学・医学賞の受賞は確実とまで予想されてい た。しかし西塚博士はその栄誉に浴することなく2004年11月4日、72歳で死去する。

 細胞は様々な機能を維持するため、細胞内のタンパク質をリン酸化したり脱リン酸化する反応を繰り返している。このリン酸化によってタンパク質は酵素を活性化させたり、他のタンパク質との会合状態を変化させている。細胞内のたんぱく質のうち30%はキナーゼの影響を受けて変化し、細胞内での様々なシグ ナル伝達や代謝の調節因子として機能している。キナーゼ遺伝子はヒトゲノム中に約500種類あり真核生物の全遺伝子の約2%を占めていると報告されてい る。

 このように重要な働きをしているプロテインキナーゼCの働きを阻害することが分かると、研究は思わぬ方向へと発展していく。いろいろな誘導体も作ら れて抗癌剤として臨床実験に使われているものもでてきた。大村研究室でもこの活性の特徴は何かと調べてみると、色々な種類の蛋白質をリン酸化する酵素の阻 害剤であることが分かった。研究現場では細胞内の化学的な反応を調べるときの試薬として使われるようになる。
 例えば神経が作用する細胞が分裂したり分化したり、あるいは細胞が動いたり機能をする場合にはそこには必ず信号が入ってくる。シグナル伝達と呼んでいるが、この研究にスタウロスポリンがよく使われるようになる。

 大村研究室で、1993年に発表された論文でスタウロスポリンが論文のタイトルについているものがどのくらいあるのか調べてみたことがある。すると 1年間で、624報にスタウロスポリンという名前が入っていた。一般的に研究成果を論文として発表した場合、その論文内容がどのくらい国際的に評価されているかを客観的に見る指標は、他の論文にどのくらい引用されているかその頻度を見ることにある。

 大村博士の研究分野で言えば、発見した化合物がどのくらい 有用であるのかを客観的に計るのは、その化合物がどのくらい論文に出てくるか、あるいは研究に使われているかを統計的に見ることで分かる。
 1991年から2000年までに、大村研究室で発見された化合物を使って研究し、論文で発表されたものがいくつあるか調べてみると、セルレニンは10年間で214報の論文、スタウロスポリンの場合は1年間で500報の論文が発表されていた。


 世界中で一番売れている薬がスタウロスポリンだと言われたこともあった。大村研究室は特許を持っていたので、スタウロスポリンが使われるようになるとロイヤリティ収入が増え、研究費もその分潤沢になっていった。


今でも研究現場に足を運び、人材育成に熱心に取り組んでいる。(北里研究所で)

 ラクタシスチンの発見と業績

 ラクタシスチンは、1991年に大磯で開催したシンポジウムで、大村博士がまだ論文として発表していなかったラクタシスチンという微生物由来の化学 物質の発見を発表した。ラクタシスチンはその後の研究で、プロテアソームというたんぱく質の分解を行う巨大な酵素複合体を特異的に阻害する物質であること が分かり、今ではさまざまな研究現場で利用されている。

 大村博士はこの化学物質のスクリーニングでは、マウスの神経芽細胞のがん化したものを使って行なったが、特殊な動物細胞を使って生理活性物質を見つ けたケースとしては初めてであった。ラクタシスチンが発見される前までは蛋白質というのは適当にプロテアソームで壊れていくと思われていた。

 どのように調 節されるか解っていなかったが、ラクタシスチンが発見されて初めて解った。蛋白質を分解しようとする時は、ユビキチンというアミノ酸76個からなる蛋白質 があるが、これがあらかじめくっつく。くっつくとこれ全体をプロテアソームが認識して分解していくということが解った。これによってプロテアソームの研究 が飛躍的に進んだ。

 神奈川県・大磯のシンポジウムで大村博士の発表を聞いたハーバード大学のコーリー教授は、帰国後「ラクタシスチンの構造はこれで正しいか」と連絡してきた。大 村博士は、まだ論文として発表していなかったが正しい構造式を教えてやった。コーリー教授は練達の技法を使ってすぐに合成をしてしまった。コーリー教授は 大村博士に敬意を払って、ラクタシスチンの活性本体を「オオムラライド」と名付けた。

 セレルニンの発見と業績

 セレルニンは、大村博士が北里研究所に入所して間もないころに発見したものである。大村博士は、セルレニンの研究をやろうとアメリカのウェスレーヤ ン大学に客員教授として留学する。そのとき単離したセルレニンの試料を日本から持参していた。化学構造や有用性についてはまだ未解明な部分が多く、研究し たいことはいくらでもあった。

 セルレニンは、真菌の中の不完全菌類に属する菌が産生する抗真菌性の化学物質である。大村博士はセレルニンが脂肪酸の生合成を阻害するということまでは実験で突き止めていたので、それを発展させてこの物質がどのようなメカニズムで作用するのかを明らかにしてみたいと思っていた。結果的にそのセルレニ ンの研究から素晴らしい研究人脈が広がっていく。

 ウェスレーヤン大学に招聘された年の1971年の秋である。ティシュラー教授の紹介で知り合ったファイザー社のW・セルマー博士という小児の呼吸器 感染症や肺炎に効力があるオレアンドマイシンという抗生物質を発見した研究者から電話が来た。ハーバード大学教授のコンラッド・ブロック博士が自分の研究 室に来るので紹介したいので、こちらまで来ないかという誘いである。

 大村博士は驚いた。ブロック博士は脂肪酸の研究領域の業績を認められて1964年にノーベル生理学・医学賞を受賞した権威であり大村博士から見れば雲 の上の研究者である。その人を紹介するという。セルマー博士が大村博士をブロック教授に紹介したいと思ったのは、ブロック教授が脂肪酸領域の研究の第一人 者であり、大村博士も同じテーマで研究しているのでこの研究者を会わせてやろうという好意から出たものであった。

 ファイザー研究所のセルマー博士の部屋で大村博士が出会ったブロック教授は、温和な非常に落ち着いた雰囲気を持っている紳士だった。ブロック教授と 形通りの挨拶をし、お互いに研究領域の話題を話し合った。相手はノーベル賞受賞者であるから、いま相手が手がけている研究内容を聞くというようなものではない。

 大村博士は英会話にまだ慣れていなかったが、普通に接していれば不自由なく会話もできる。科学者として共通の領域の研究をしている場合は、専門用語を使って会話ができるので言語の壁はほとんどなくなる。

 大村博士はごく自然に北里研究所で手がけたセルレニンの研究を思い出しながら、いま取りかかっている研究内容を話した。そしてセルレニンの構造を決 定した後、再度抗菌スペクトルを見直したところセルレニンはきわめて広い抗菌および抗真菌スペクトルを持っていることが分かった。

 この構造がコレステロー ルの生合成中間体と似ていることから脂質の生合成を阻害しているのではないかと見当をつけ、構造を決めるために使った残りのサンプルを同僚の野村節三博士 に渡し共同研究を開始した。

 研究の結果は、セルレニンは脂肪酸の生合成の特異的な阻害剤であることが判明した。当時、蛋白質、核酸、細胞壁などの生合成を阻害するものは多く知られていたが、脂肪酸の生合成を阻害するのは、このセルレニンが初めてであった。大村博士は、ブロック教授にこう言った。
  「私たちの研究では、セルレニンは脂肪酸の生合成を阻害するという実験結果が出ています。それがどのようなメカニズムで作用するのか、ウェスレーヤン大学で詳しい研究を始めています」

 ブロック教授は身を乗り出さんばかりに興味を示して聞いている。ブロック教授は脂肪酸の生合成の機構と調節に関する研究でノーベル賞を受賞した研究 者である。多分、大村博士が語った知見は、ブロック教授にとってはまだ知られていない事実だった可能性が高い。ブロック教授はいくつか専門的な質問をして きたが、大村博士はセレルニンのことはよく分かっていたので無難に応対していた。ブロック教授が言った。
 「ドクターオオムラ、セルレニンが脂肪酸の生合成を阻害することが真実なら大変なことになる。我々の研究室でも是非、これを確かめたいのでサンプルをもらえないか」

 ゆっくりとしてはいるがしっかりした口調で言った。ブロック教授のその言い方に大村博士は、ことの重大性を感じた。大村博士は日本から持参していた200ミリグラムほどのサンプルを準備して持っていた。その中から10ミリグラムほど小分けしたものをブロック教授に渡した。
 それから2、3ヶ月経ったころである。大村博士がいつものように研究室で実験をしていると、ティシュラー教授の秘書が大村博士を呼んでいる。ブロック教授から電話がかかっているというのだ。急いで駆け付けて電話に出てみると、ブロック教授は覇気のある口調でこう話した。

 「ドクターオオムラ、セルレニンは確かに脂肪酸の生合成を阻害している。我々の研究室でもはっきりわかった。目下いくつかの脂肪酸の生合成系で確かめているが、大変興味ある物質だ。もう少しサンプルを必要とするので提供してもらえないか。これから共同研究を進めよう」


 セレルニンはその後の研究で、脂肪酸の生合成を阻害する唯一の化学物質であることが分かってくる。脂肪酸生合成に関連しているいくつかの酵素も阻害する ので脂質代謝の研究には欠かせない物質になるのである。大村博士はその後、ハーバード大学のブロック教授の研究室を訪ねセレルニンの共同研究をするように なる。ブロック教授は、海外の研究室で意欲的に仕事に取り組んでいる大村と自身の研究歴と重ね合わせながら、好意的に見るようになっていた。

 ブロック教授の研究室を訪問すると彼はいつも歓迎してくれた。研究内容について討論したり研究情報を交換するようになる。ほどなくしてブロック教授が研究室の一角にある机の前に大村博士を連れて行きこう言った。
 「君のデスクを用意した。ハーバードに来たときには、このデスクをいつでも使ってほしい」
 この申し出に大村博士はいたく感激した。一流の研究者はかくも違うものなのか。セルレニンが脂肪酸の生合成を阻害しているという知見を初めて示してくれ た研究者仲間を大切にしようとする気持ちがあふれている。ウェスレーヤン大学に席を置きながらハーバード大学のブロック研究室の一角にも机をもらう栄誉に 浴し、大村は研究者の国際交流について非常に貴重な体験をしたと思った。

 世界の栄誉を次々と授与される

 これらの業績に対して、大村博士は世界中の栄誉を総ざらいしている。列挙すれば次のようになる。
 米国微生物学会ヘキスト・ルセル賞、日本薬学会賞、上原賞、日本学士院賞、藤原賞、紫綬褒章、タイ国プリンス・マヒドン賞、独国ローベルト・コッホゴー ルドメダル、米国化学会一日本化学会ナカニシ・プライズ、米国化学会アーネスト4ガンサー賞、国際化学療法学会ハマオ・ウメザワ記念賞、テトラヘドロン・ プライズ、国際微生物連合協会アリマ賞および仏国レジオン・ド・ヌール勲章、カナダ・ガードナー医学保健賞など内外の多数の栄誉が贈られている。


 また、英国王立化学会、米国生化学・分子生物学会などの名誉会員、日本学士院をはじめ、米、独、仏、ロシア、ベルギー、および中国など多くの権威ある内外の科学アカデミーの会員に選出されている。
 

 大村博士のノーベル賞受賞は、こうした過去の実績と叙勲の最終ゴールとして結実したものであった。


世界の化学界で最も権威ある賞の一つである「テトラヘドロン・プライズ」の賞金額を示すボードを見せる大村博士。まるでゴルフの賞金額を示すボードのようである。