森友事件に見る新聞メディアの最期  その1
森友事件に見る新聞メディアの最期 その3

森友事件に見る新聞メディアの最期 その2

森友事件が発生した根本事情

 森友事件の根本は、国有地をタダ同然で払下げた処理内容、学校建設許認可に関わる森友学園側の不正疑惑の2点であり、首相夫人の名誉校長就任とか寄付行為とかは本筋とは違うという主張がある。

 これは論旨逆転させた主張であろう。森友事件は、日本会議の存在なくして起こり得なかったものであり、日本会議を取り巻く人脈があったからこそ国有地タダ同然の払下げ、塚本幼稚園の時代錯誤も甚だしい教育現場が世の中の耳目を集めるようになったものだ。

 右翼思想の人脈背景がまったくなく、単独で森友事件が発生したという見方があれば、それは間違いだろう。筆者はそのような観点でこのコラムを書いているのだが、タイトルにあえて「新聞メディアの最期」という刺激的な文言を付けた理由をこれから展開していきたい。

 前回、菅野完氏の書いた「日本会議の研究」(扶桑社)をもとに主張を展開した。この本は、元々は扶桑社が立ち上げたWebメディア「ハーバー・ビジネス・オンライン(HBO)」に連載されたことから始まっている。

 菅野氏は、新聞を主体とする既成のメディアが日本会議について、ほとんど取り上げることがないことを感じていた。筆者は、日本経済新聞が掲載した特集で読んだ記憶があるが、全体像がよくわからなかった。

 菅野氏はそうした状況の中で、日本会議がいまや見過ごすことのできない存在になり、改憲への論議も現実味を帯びてきたことを感じるようになる。日本会議の故事来歴を独自に調べ、そこで得られた疑問点や見解をツイッターで発表していた。

 それに目を付けたのが扶桑社の編集者であり、Webメディアへの連載につながっていった。Webメディアでは多くの関心を集め、それが書籍の刊行へとつながった。出発点は、SNSのツイッターであり、続いてWebメディアの連載になり、本の刊行となる。日本会議の実像を一般国民に紹介したのは新聞や活字メディアではなく、インターネットのWebメディアであったことが、「新聞の最期」という言葉につながった。

トランプ登場に見る既成メディアの限界

 アメリカのトランプ大統領の登場によって、いまや既成のメディアに大転換が迫られている実態をいやというほど感じていた。新聞記者で育った筆者はいま、人に情報を伝える手段と方法が激変したことを実感している。遅すぎたという指摘は当然だが、トランプ登場後に明確に認識した。

 ツイッターでアメリカの大統領がつぶやくなどとは、想像もできなかった。そのつぶやきが、世界の政治と経済を瞬時に動かすという事態も想像できなかった。何よりもアメリカのリベラル派とされた新聞、一般の紙媒体やテレビメディアの予想をほとんど裏切ってトランプ大統領が登場したことに時代の変革を感じた。

 まさにこれこそ「新聞メディアの最期」ではないかと寂しい思いをしたものだ。大統領選挙直前に、ニューヨークで活動する20歳代の中国人女性と東京で会食した。そのとき女性は「自分は中国人だから選挙権はないが、トランプ大統領が実現するだろう」と言った。

 理由を聞いてみると「若いアメリカ人はトランプ支持が多く、彼らは隠れトランプであり表に出ない。だから世論調査の予想はあてにならない」と語っていた。それがズバリと当たって筆者を驚かせた。

ネット情報に動かされて歴史を作る時代

 「ネットと政治」、「ネットと社会」という二つの巨大なテーマがいま私たちに突き付けられている。政治家は支持者を意識してツイッターで発言し、多くの人たちに偽情報やデマへの対応という難題が突き付けられている。

 メディアはネット手段を介してだけ、存在感が出せる時代に入ったという見方も間違いではないだろう。新聞報道も活字情報がそのままネットで公開されている。新聞を読まないでネットで見る人が急増している。新聞情報の何倍もの分量の各種の情報が、ネットで発表されて拡大されていく。何か新しい情報を確認するのは、誰でもまずネットからである。

 筆者がこうしてブログで書いている内容もまた、ネットで勝手に紹介され広がっていく。そのような時代になって初めて日本会議の全体像が菅野氏によって示され、森友事件の根本が浮かび上がってきている。

 3月23日に行われる衆参両院の証人喚問で、また新たな発言と対応に国中が騒ぎ立て、本来、行われなければならない政治の根幹を議論する時間が浪費されていく。そう考えると、森友事件は罪深い事件である。

 数々あげられている不正につながる疑問点の多くが、土地の払下げ取り消し、学校建設の不認可などの幕引きで終わらせてはならない。日本会議とその人脈と森友事件のつながりを風化させてはならない。戦前の主義信条・思想に戻ろうとするような右翼活動をこれ以上台頭させてはならない。日本人はあの馬鹿げた時代の道を二度と歩いてはならない。今の新聞メディアはそのような認識に立たないだろう。

 同じ価値観で情報を発信し語ることのできるWebメディアは、ジャーナリズムの重要な位置を占めている。その中でテレビの役割が大きく浮上しているように筆者は感じている。良識ある調査報道が、テレビのワイドショーに期待されている。事実を追い詰めていく姿勢を感じることもあり、今後も期待している。

つづく

 

 

 

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