12 第2期馬場研の記録

馬場研2期生の押久保政彦弁理士が博士学位を取得

 押久保政彦弁理士の博士学位取得の祝賀会を開催


 宇都宮市で知的財産の地域振興で努力されている押久保政彦弁理士が、このほど東京理科大学大学院イノベーション研究科から博士(技術経営)の学位を授与されました。東京理科大学知財専門職大学院の2期生として共に学び研鑽した仲間ですが、研究室の仲間たちが集まり祝賀会を行いました。


 学位論文は「地域ブランドの競争優位性の獲得プロセス」で、イタリア、フランス、欧州の地域ブランドを取材・研究し、日本の地域ブランドのあり方を分析し、競争と協調のあり方を提示した素晴らしい内容です。

  

 

 イタリアの地域ブランドを調べたフィールドワークは、現地の状況がよくわかり参考になった。またこの論文の中核になっている第7章では、「競争と協調のギアチェンジ」という概念を説明している。時には協調から競争へ、ときには競争から協調へという切り替えによって、地域ブランドの信頼性と価値が高まっていくとする論述である。

 

 日本の地域ブランドとして、松坂牛、十勝ナチュラルフーズを取り上げ、押久保論点をもとに検証している。全体的にわかりやすい文章で地域ブランドの重要性を論述したものであり、大変、参考になった。

 馬場研のOB、OGの中から輩出した博士取得者の第1号であり、これからも続いて出てくると期待している。


馬場研2期生の記録

 小國聡美さん逝く

馬場研2期生の小國聡美(おぐに さとみ)さんが、7月7日午後9時すぎ、療養先の都内の病院で、食道がんのため亡くなった。39歳だった。

 小國さんは、1996年3月、東京理科大学理学部化学科を卒業後、新甫環境技術研究所から外資系の環境関連企業へ転進し、2006年4月にMIPに入学してきた。馬場クラスの幹事を務めるなど非常に面倒見がよく、明るいキャラクターでいつも冗談を言う楽しい社会人院生だった。

  MIP2年になって馬場研に所属すると、酸化チタン光触媒の修士論文をまとめるために研究に取り組み、文献を読みながら多くの研究者から取材を続けた。2007年8月の暑いさなか、小國さんと私の2人は、光触媒研究の第一人者である東大の橋本和仁教授の研究室を訪問し長時間話し込んだこともあった。また中国関係の標準化の文献を2人で検索・調査したことがつい先ごろのように思い出される。

  修士論文は「光触媒に関する特許動向と市場動向及び標準化に関する研究」と題し、直近の研究成果を俯瞰しながら標準化への提言をした秀作だった。

 MIP修了後もときたま研究室に顔をだし、今度は医学部に進学して将来は医者になりたいという抱負を語り私を驚かせた。赤ワインをこよなく愛し、来れば神楽坂のワインバーに繰り出し、職場や私的な悩みを話し合う「父と娘」でもあった。

  病魔にとりつかれる年代があまりに若すぎた。過酷な運命に遭遇したとしか言い様がない。食道に異変を感じて検診し、すぐに入院した2年ほど前には、相当に深刻な症状だったと想像される。

 東京・築地の国立がんセンターへの入退院を繰り返したが、そのころ私も同センターのがん検診で引っかかり、小國さんの紹介で彼女の主治医に診断を仰いだこともあった。幸いにして精密検査はセーフだったが、そのころは「お互い、がん友として頑張ろう」という冗談も言い合っていた。まさかこんな早く終焉が来るとは予想もしていなかった。

  昨年10月29日の「東京理科大学・ホームカミングデー」のときは、2期生同期の押久保政彦氏、有馬徹氏、小國さんと私の4人が神楽坂キャンパスでおち合い、学生たちの開く模擬店を冷やかしながら母校の催事を楽しく散策した。その時の様子は、写真を入れてこの欄でも報告している。

  しかし、今年の正月ころ小國さんの主治医に面会したとき、彼女の病状が容易ならないところに差し掛かっていることを嗅ぎ取った。その後も同期の押久保、有馬、佐藤貴臣氏らと連絡を取りあい、回復することを祈りながら病院訪問を繰り返した。 4月のお花見のとき、彼女を車に乗せてお花見をしようという話も具体化したが、もはやそれも許されないほど病状は悪化していた。

  さる6月30日に、押久保、有馬、私の3人が病院に行った。ベッドにうつむいた姿勢をした小國さんは、枕に突っ伏した顔をあげることもできず、母親の声掛けに小さな反応を見せるだけになっていた。それでも私が「聡美、頑張れよ」と声をかけて手に触ると、彼女は小さな声で「大丈夫・・・」と言いながら、思いのほか強い力で私の指を握ってきた。  その瞬間、病魔と闘う小國さんの最後の姿を見たように思い、たとえようもない悲しみが洪水のように心の中から湧き上がってきた。何もすることもできない自分にとって、あまりに非情な現実であった。かたわらに立っていた父親の顔を見たとき涙が噴き出した。

  そのときから1週間後の7月6日の金曜日、押久保さんが見舞いに行くと目が覚めた状態であり、うまくは話せないものの声を掛けるとちゃんと反応したということだった。「大丈夫だよ、頑張るよ」、「パンダのニュース、朝からやっているね」とも語りながら、声を振り絞り、「インターネットで対応策(免疫療法などのこと)を調べて欲しい」などともいっていたという。 押久保さんが帰り際、「また来るから、待っていてね・・・」と声をかけると押久保さんの目を見てうなずき、笑顔も見せていたということだった。それを聞いた私は、7月8日の日曜日に見舞いに行く予定だった。

  訃報は突然きた。7日夜帰宅して間もなく押久保さんから電話が入り、小國さんの最期を知った。ご家族の話では6日の金曜の夜、眠りについてからは翌日になってもほとんど目を覚ますことなく、そのまま旅立ったという。 

 39歳の若さだっただけに、本人はどれほど無念だっただろうか。そしてまた一人娘を失ったご両親の心痛を想像すると胸が張り裂けそうである。 馬場研2期生の小國聡美は、全力で走り抜けそして病に倒れたのだった。彼女の冥福を祈り、折に触れて往時の姿を思い出しながらMIP時代に研鑚した日々を称えたいと思う。

 さようなら聡美。きみはいつも楽しい会話を運んで私たちを和ませたいい女だった。

 

馬場研2期生の同窓会をHCデーで実現

 

 東京理科大学のホームカミングデイが10月30日に開催され、多くのOG/OBでにぎわった。やはり母校に帰ってくるのは楽しいらしく、あちこちで旧交を温める光景が見られた。

 馬場研2期生の有馬徹さん、押久保政彦さん、小國聡美さんの3人が参加して、近況を報告しあいながら楽しい懇談の席となった。押久保さんは弁理士事務所を宇都宮市に独立して開設し、活動している。その一方でイノベーション研究科の博士課程に進学し、研究を進展させている。

 有馬さんは、自動車のサプライヤーメーカーとして世界を股にかけて活動する幹部社員として大活躍である。それぞれ悩みや課題を抱えているがなんとか乗り越える力があるのでそう心配はしていない。

 心配なのは健康保持である。小國さんはいま闘病中であるが、小奇麗になったことからも察することができたが、治療は順調ということで一安心した。押久保さんと有馬さんは同じような箇所で、健康に課題を抱えているということだが、それも何とかだましながらも「経過は良好」ということらしい。

 しかし写真で見るように有馬さんは、どう見ても体重オーバーである。来年のカミングデイでまた再会を約束したが、有馬さんはそれまでに10キロのダイエットを下命した。果たして可能かどうか。

 帰りがけには、抽選でもらった一人1000円分の金券を使ってお茶をしながら、楽しい再会の懇談はあっという間に過ぎてしまった。

 
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「サイゼリア」のレストランで再会を楽しんだ。

 

 

 

第2期馬場研の記録

2007年度・第2期馬場研

 

 右から有馬、押久保、小国、佐藤の研究生諸君 


2007年の研究生と研究テーマ 

 押久保政彦  

「出願動向から考察する小売等役務商標制度の現状に関する研究」 

 有馬 徹 

「グローバル経済化における日本の未来と日本の責務             ―日本が果たすべきリーダーシップ―」

 小国聡美 

「光触媒に関する特許動向と市場動向及び標準化に関する研究」

  佐藤貴臣 

「日本国内における知的財産侵害事犯の現状と対策」


修士論文講評

努力を結実させた若き日のエネルギー 

  2007年度の馬場研究室は、6人の精鋭部隊でスタートを切った。ところが間もなく、そのうちの1人が職場の勤務の都合でMIPを退学し、もう1人は商標関係のテーマで取り組むために西村研究室に移籍となり、4人という少数精鋭でスタートを切ることになった。

 佐藤貴臣君は、早くからワーキング・ペーパーのテーマは模倣品・海賊版の現状と取り締まり状況に焦点をあてて論文をまとめたいという希望を出していたが、就職先が長野県警に決まったためにいっそう、やりがいのあるテーマとなった。

 就職活動では、思いもよらない機関の受験に挑戦するなど、貴臣君は可能性を求めて行動する点では評価できるものであった。論文作成では、調査分析にやや時間を取りすぎ、後半の検証と見解のまとめでは十分な活動ができなかったことは残念であった。

 ただ、貴臣君には思わぬ才覚があることを発見して嬉しくなった。彼が書いた文章はなかなかこなれた分かりやすい文体であり、もしかすると新聞記者にむいているのかもしれないと思わせるほどであった。

 論文では、2007年、世の中を騒がせた一連の偽装表示問題を法的な根拠を示しながら当局の摘発のあり方を検証したのは評価できる内容となった。自治体によって取締りの法整備がばらばらである点を指摘しており、これまでの模倣品・海賊版をまとめた論文には見られない視点を持ち込んで独自性を打ち出した点は、大変良かった。

 小國聡美さんは、学部の専攻は化学であるために、化学や環境問題に興味を抱いていた。その中から酸化チタン光触媒の研究動向と標準化に焦点を合わせたのはタイムリーな問題意識であった。

 酸化チタン光触媒の研究では、藤嶋昭教授、橋本和仁教授が双璧であるが、その1人の橋本教授の研究室を訪ねて、研究テーマについて教示を受けたことは大変良かった。

 ただ、酸化チタン光触媒の研究動向と知的財産権に関する調査分析では、詳細な内容で先行しているレポートがすでにあることに途中で気がつき、聡美さんのテーマの焦点は標準化へと絞り込んでいった。

 標準化には、光触媒の品質を担保する意味と、国際的に取り決めて品質を確保する国際標準化と2つの意味があり、そのどちらに関しても日本の研究現場と産業界の意識が希薄である点を指摘する論文となった。

 論文をまとめる時期に身内の方が病気で倒れてその看病に追われるなど、学業と仕事と看病という3重苦を克服してようやくまとめたものである。このため本人にとっては不十分な出来だったようだが、このテーマは今後さらに深化させ卒業後も取り組んでほしい。

   有馬徹さんは、自動車メーカーのサプライヤーに勤務し、国際的に活動する職場にいることをフルに活用して、知財をキーワードにしながら国際産業文化論を展開するユニークな論文にまとめた。自分の考えと主張を奔放に書き進めた論述であり非常に面白かった。

 特にサプライヤーから見た日本と外国の商習慣の比較論述は、徹さんの体験と見解に基づいた内容であり説得力があった。一国の産業競争力はモノ作りから金融にシフトされたという見方も、この論文の流れから読者を十分に納得させていた。中国で産業活動を論じるくだりでは、アメリカ式とヨーロッパ式を論じながら、日本のそれはアメリカ式ではないかというコメントは、そうかもしれないと思わせる内容であり、ここにも独自の視点を披瀝していた。特に面白かったのは、サミュエル・ハンチントンが主張しているアメリカの「目論見」を整理して記述し、その後で日本の「目論見」を整理して提示したもので、これは秀逸であった。

 企業戦士として活動する傍ら、常に内外の社会、と文化を見ながら深く思索した活動から出たオリジナル論評であり、この論文テーマは徹さんのライフワークになるだろう。

  押久保政彦さんは、弁理士の資格を持つだけに論述した内容は厚みがあり読み応えがあった。第1章、2章、3章と組み立てた章立てとその内容は、非常に整理されており、しかも制度上の問題、法的解釈、司法判断、国際的な動きなど時代背景を入れながら重厚に解説したのは大変結構だった。

 特に2章で語っている小売等役務商標制度の導入までの経過を読むと、改正前の制度上の問題がよく分かり、「役務」についての法的解釈の経緯もよく整理されて論述されていた。「シャディ事件」、「ESPRIT」事件という2つの判例を紹介しながら、改正までの経緯をまとめることで、時代とともに変革する知的財産権の現場を語っていた。

 後半は、小売等役務商標出願動向の調査を紹介しているが、主な業界別の動向は労力をかけた分析調査であり、業種ごとに小売等役務商標に対する取り組みに温度差があることを明快に見せてくれた。

 最後のまとめでは、この商標がどのように活用されるか課題をいくつかあげ、商品商標と小売等役務商標との関係、審査実務、総合的な小売サービスというカテゴリーで検討すべしと課題を提起しており、このテーマの研究はまだこれからの領域であることを示唆していた。
 押久保さんは、馬場研の級長として様々な雑用を差配し、研究室をまとめた点で多大の貢献をした。ここに心から感謝の念を示したい。

 馬場 錬成 

 


 

修了式の日、袴姿の小國聡美さんと記念写真



 2007年3月22日にMIP修了記念パーティ

 MIPの修了者が主催する記念パーティが、ホテルエドモンドで開催された。教師と院生が一堂に会したパーティは最初で最後になる。2年間の思い出を語り合い、教師たちは、修了者たちの門出を祝った。 アトラクションに福引があり、筆者のナンバーの下2桁は「86」。これは中国の国のコードである。国際電話を中国にする場合、頭には必ず86がつくので、中国と付き合いのある筆者には、馴染みのコードである。 これはひょっとすると・・・と思っていたらやはり1等賞を射止めた。いただいたものは、任天堂の「Wii」というゲーム装置。嬉しかったが、しかしこれを駆使して楽しむ時間はなさそうなので、当日の準備でご苦労した幹事の1人にプレゼントして大喜びされた。