総括その1 105日間の船旅の仕組み
PEACE BOAT105日間の船旅で21寄港地、18カ国で下船・上陸しました。上陸していた総期間は23日間。残り82日間は船に乗っていたことになります。寄港地に降りて飛行機で数日間から9日間ほどの「オーバーランドツアー」が用意されており、陸に上がって飛行機などで各地を観光し、PEACE BOATに戻ってきて合流するというものでした。陸で観光している数日から9日の間に、PEACE BOATの航海は続いており、ツアーはそれを追いかけて、次の寄港地に接岸したところで合流するというものでした。
オーバーランドツアーには、2つの問題点がありました。第1に船を離れてホテルに宿泊をして観光するので数十万円から100万円余分の費用がかかりました。これは高いという評判がほとんどでした。2つめの問題点はツアーに参加している間、陸上のホテル代を負担するので、船の宿泊代と二重の宿泊代がかかることです。当たり前と言えばそうですが、それなら船にのらないで別途、目的を立てて旅行すればその値段より安く行けるのではないか。そういう意見でした。ただし、自分ですべて計画立案して実行するのは大変なので、別途、日本からのツアーに参加する形式がベターという意見でした。
西回りにインド洋からアフリカ喜望峰を回って大西洋に抜けて北上し、アイスランドから北大西洋の向こう側を東に回って北米・ニューヨークへ行きます。それから中南米・南米まで南下してパナマ運河を通過して太平洋に出て北上し、アラスカを経て西下して横浜に寄港するコースです。
つまり船旅というものは、船にいる間の観光はなく、甲板から海を見るか遠く陸の景観を見るだけであり、観光は寄港地で上陸したときの短時間ツアーか、オーバーランドツアーで飛行機などで各地を観光して、数日後に船に合流するというものです。
乗船後、初めてその仕組みを実感として知りました。筆者もオーバーランドツアーの応募開始から1ヶ月後に申し込みましたが、そのときにはすでにどのツアーは満杯でした。キャンセル待ちにしておけば、チャンスはあったかもしれませんが、満杯と聞いてすっかり諦めてしまいました。
印象に残った上陸観光のビッグ3
船内での生活ぶりは、このブログでも何度か報告してきましたが、総括として筆者が最も感じた3つの雑観を書いてみます。
第1は、ロンドン郊外にあったストーンヘンジ遺跡の見学でした(ブログではその31で報告)。バスに揺られて3時間ほどの距離にあった平原の中にそれはありました。子どものころの少年雑誌で読んでいたので、その遺跡には非常に興味がありました。先史時代の人々が、何の目的で遠く離れた場所からこの巨岩を運んできたのだろうか。様々な意味づけがされてきましたが、今なお謎が解けないままになっています。
今回のガイドの説明では、亡くなった人の墓標とか記念碑とかそういうことが最も可能性があるという説が有力になっているようです。遺跡を取り囲んだ大きな円形の見学路を1時間ほどかけて一回りしますが、どの地点から見ても遺跡群の景色は違ったものに見えました。
この先、ほぼ永遠にこの謎は解けないままに残されるのでしょうか。ロンドンのホテルに一泊したツアーだったこともあり、印象に残る観光でした。
快晴で日差しの強い日でした。実物の遺跡を見るという長年の夢を果たして大満足のツアーでした。
貧しい国になった日本と日本人
第2の雑観はアイスランド観光のときのものです(ブログではその36で報告)。
日本には多くの外国人観光客が押し寄せています。極東の島国であり世界の中でも経済大国として知られ、数々の独自の歴史と文化を持っている国としても魅力ある観光地です。それだけではなく最近の円安によって「何でも安くて、食べ物も美味しい国」として人気急上昇を外国人観光客から聞いて知りました。
その真逆なことをこの船旅で体験しました。アイスランドの首都、レイキャビクに上陸したときの体験からでした。人口38万人、国土面積は北海道より少し広い小さな国です。地熱発電、風力発電でエネルギーは余っているので輸出しています。ところが、お土産屋を覗いてびっくりしました。日本で300円程度かなと思う板チョコが2000円でした。この国の通貨アイスランド・クローナは、そのまま日本円と同じ価格なので、値段表の数字がそのまま円価格になるのが便利でした。
ご婦人たちは、洒落たショールやセーター、装飾品類の値札をみて、驚いた表情です。「日本で買った方が安いよね」というささやきがあちこちで流れていました。PEACE BOATの案内パンフレットを見たら、日本でのハンバーガーは450―550円ですが、アイスランドでは同じものが1700円から2000円と書いてありました。
アイスランドは地熱発電(写真)、水力発電でクリーンエネルギー国家として世界トップクラス。海底ケーブルを敷いて電気をイギリスに輸出しています。福祉政策も行き届いた素晴らしい国作りをしていました。
一人あたりGDPは、アメリカとほぼ同じ約8万ドル。日本は約7万ドルなので抜かれています。年金の平均は、約70万円だそうで(現地ガイドの説明)、税金が高いので生活はそれほど楽ではないそうですが、医療費・学費、暖房・給湯費はタダ。福祉厚生が行き届いているので住みよい国であり、福祉国家として、存在感があります。世界の広さを感じました。
熱帯雨林地帯にあったヨーロッパ人の国
地図を見ると北米大陸と南米大陸の間をいくつもの国でくねくねと細く結んでいる、中南米諸国の中の南の方に位置しているコスタリカを訪問しました(ブログではその46で紹介)。
港から首都サンホセまでのバスに乗り、2時間以上もかけて市街地のショッピング・センターにつれていかれそこで「放置」されました。現地の案内はナシ。夕方、迎えに来るバスで船に戻るだけ。これで「2万6000円は高いよね」と参加者はブツブツ言いながら、バスを降りました。
雨期に入っているため外は雨。筆者は仕方なくまず、広々としたセンター内を見学してみました。有名な世界のトップブランドの店舗があちこちに点在しています。センター内は、ピッカピカでゴミ一つありません。分別ゴミ用のジュラルミン製のゴミ箱があちこちに設置されています。コーヒーショップに座り込んでWi-Fi接続し、PC操作をしながらこの国の人々の観察をしてみました。
男女とも背が高く整った顔立ち、女性は均整のとれた金髪夫人。世に言う美男美女群です。子どもの団体が来ました。こちらも整った顔立ちで、みなきれいな服装です。おしゃべりしながら時にふざけ合って歩いている光景は、万国共通です。どこかヨーロッパの近代的な都市に来たような錯覚を覚えました。
バスの車窓から見た熱帯雨林の雨期の風景は、首都のサンホセに行くまで、写真のような光景が続きました。いまでも少数の原住民が、この森の中を移動しながら生活しているそうです。高速道路のインフラは、しっかりしたものでした。
コスタリカは軍隊を持たない国とその程度の知識しかありませんでしたので、ネットで外務省の情報などから国情を急きょ調べてみました。するとこんなことが判明しました。
- 人口は515万人、面積は日本の九州と四国を合わせた程度。
- 1949年から現在まで、選挙により政権交代が行われており、中南米で安定した民主主義体制を持つ国。報道の自由度も確保されている。
- 識字率98%(2018年UNESCO)という高い教育水準を持っており、教育費と医療費はタダ。
- 1994年憲法で軍の非保有を宣言して常備軍を持たず、1983年に「永世非武装中立」宣言し、87年にはノーベル平和書を受賞している。
- 国民性が温厚で、物価が割安。交通インフラが発達し温暖な気候で住みやすく、イギリスのシンクタンクの調べで、世界一幸せな国の指標でトップになるなどこの種の世界ランキングでたびたび世界一になっている。
この情報にはびっくりしました。産業は良質なコーヒー、バナナ、パイナップルなどの栽培輸出で地方の雇用を支え、近年は特区に世界のハイテク企業を誘致して世界の医療機器の製造拠点になってきており、日本にもカテーテルなどを輸出しているとあります。ソフトウェア開発や生命科学産業も発展しているとあります。
ぶったまげた本当のコスタリカ方式
何よりも驚いたのは、日本の衆議院選挙で採用されている「コスタリカ方式」のいわれを知ったときです。コスタリカは選挙区内の有権者と議員との癒着を防ぐ目的で、国会議員の同一選挙区での連続再選を禁じており、大統領選挙でも再選を禁じていました。大統領で再選を目指すには退任後8年間の空白を置いて再出馬できるとなっていますが、これまで再出馬した大統領候補はいないようです。
日本では衆院選で「コスタリカ方式」というものを採用しています。小選挙区比例代表並立制では、同じ政党または友党に競合する候補者が存在する選挙区では、1人を小選挙区に、もう1人を比例区に単独で立候補させ、選挙ごとにこれら2人を交代させる方式をいいます。コスタリカの再選を禁じた選挙制度にあやかって名前だけ勝手に使っているようです。
コスタリカの清廉潔白な政治目標の中で実施しているコスタリカの選挙制度を知り、名前だけちゃっかり拝借し、似ても似つかない選挙制度をしている日本は「恥を知れ」と思いました。
豊かな自然で人気上昇中の国
コスタリカはアメリカ人の好感度ナンバーワンと聞いており、近年、移住者が増えているようです。多彩な植物・鳥類の生息地域として有名でウミガメの世界産卵地になっています。国土の4分の1を環境保護区に指定しており、映画「ジュラシックパーク」の舞台にもなったということです。
ショッピング・センターのレストランやコーヒーショップをハシゴしながらネットで調べ、人々を観察し、船に帰るバスに乗り込んだときには、すっかりコスタリカファンになっていました。