上海点描・・変貌する中国社会・・下
2015/06/21
変貌する調査会社の受託業務
冒頭の写真は、上海の調査会社QCAC駿麒国際諮詢有限公司(略称・QCAC)を訪問した際の写真である。中央がQCACの藩総経理、左が安達孝裕・日本部担当部長、右が陸傑・事業推進部長である。同社は、主として日本企業のコンサルタント業務を受託しているが、特に模倣品調査と摘発では多くの実績をあげてきた。
筆者とは10年以上前からのお付き合いであり、東京理科大学知財専門職大学院の教員時代には、藩総経理が研究室を訪ねてきたこともある。今回の取材で感じたことは、同社の業務が中国の産業構造の変革に合わせて拡大してきたことだ。
これまでは模倣品摘発と調査に重点が置かれていたが、これを幅広く企業経営のサポートをすることに拡大してきたことだ。知財関係の調査に重点があったが、それを経営マネジメント、人事管理、人材調査などより質の高い業務に広げてきた。
同社の得意は各種の調査である。たとえばある特定の人物調査、ライバル社の特定人物の行動調査、自社の人事管理などに必要な調査などである。中国社会で日本企業が経営するのは想像を絶するような局面を乗り越えていく必要がある。筆者な多くのケースを聞いてきた。
QCACは、日本企業向けの業務を主体にしており、近く東京にも事務所を構える方針という。QCACの活動を見ていると、中国社会の変貌ぶりが見えてくる。
不死鳥のようによみがえった白木学さん
携帯電話のマナーモードを世界に広げた人物として知られる白木学さんは、かつてはアメリカのアップル社の携帯電話に格納したカメラの自動焦点用のモーターを100パーセント受注するなどこの世界では知らない人がいないほどの有名人だった。
シコー株式会社をジャスダックに上場し、売り上げも100億円をうかがうまでに発展した。それが暗転したのは金融機関の勧めるデリバティブに手を出したためである。超円高が進んで多額の返済額が膨らみ上海に従業員1万人弱を抱えていたオートフォーカス、小型ファンモーター製造工場は立ちいかなくなり、ついに2012年12月に3億7400万円で上海の企業に譲渡された。
ありていに言えば、経営が経ちいかなくなり倒産したということだ。筆者は、シコー株式会社の倒産までの3年間ほど、非常勤監査役として経営実態をつぶさにみてきたので、そのあらましは理解していた。経営トップの白木さんをはじめ、同社の経営陣の奮闘ぶりは涙なくして語れないほど壮烈な状況だった。
どれほど努力しても為替の動向や、その為替を反映した金融商品への対応は、どうすることもできない。どこにも不満をぶつけることができない国際金融動向は魔物であった。一敗地にまみれた白木さんは、あれから2年余を経て、再びよみがえっていた。
上海の工場で実験に取り組む白木学さん
上海市松江区の、かつて大工場を構えていた同じ工場地域の一角に間借りして、小さな工場の経営を始めていた。製造するのは小型モーターである。これまでは、小型と言っても携帯やスマホに内蔵するような超小型モーターだったが、今度は自走車、ロボットなどに使うようなモーターであり、それなりに大きいものもある。
その開発に取り組み、ついに従来からのモーターの性能をはるかに超えるモーターを発明して特許を出し始めている。すでにいくつかの企業からも引き合いが来ており、製品を納品した実績も出し始めている。工場を訪問すると、多数の機械に取り囲まれた場所で、白木さんは黙々と実験に取り組んでいた。
白木さんがまた新しいモーターを引っさげて実業界に復帰する日を楽しみにしている。
元気に活動するユニ・チャームの清水亘さん
東京理科大学知財専門職大学院(MIP)1期生の清水亘さんが、ユニ・チャームの中国知財担当で活動しているので久しぶりに懇談する機会があった。筆者の宿泊したホテルから歩いて7分ほどに屹立するインテリジェントビルに入っていた。
清水さんと変貌する中国社会と業界の事情、模倣品現場の話などを聞いて情報交換をしたが、やはり中国での企業活動の厳しさを感じた。
帰国直前になって、不思議な体験をした。上海の知人に手紙を書いて投函したいと思い、宛先を書いた封筒をホテルのレセプションに持参し、切手を貼って投函したいと申し出た。普通、ホテルでは切手代を徴収して発送はやってくれるのだが、このホテルの従業員は、切手代すら知らなかった。
国内に郵送する封書の切手代を知らない。3人ほどのスタッフが顔を寄せ合い話し合っているが分からない。郵便局へ行ってほしいという。言葉は丁寧だったが、あきれてものが言えない気持ちだった。それがまだ続いた。
切手を貼らない封書を持参し、そのまま忘れて空港まで来てしまった。ANAの搭乗口まで来てから思い出し、搭乗口のスタッフの女性の中国人に切手代を出すから貼って投函してほしいと申し出てみた。そのとき「手数料」も含めて10元(約200円)を出した。
若い女性は、まず封書の国内の切手代がいくらかを知らなかった。ホテルと同じようにその辺のスタッフに聞いていたが分からない。10元はしないという。もちろん、10元はしないが、ま、手数料も含めてという気持ちで封書と一緒に10元札を出した。
しかし女性は、1元以下と思うので自分で負担するから10元は要らないと返してくる。どうしても10元札を受け取らないので、それではと筆者は1元札に変えて、せめてこれくらいは受けて取ってと懇願した。結局女性は、1元札を快く受け取り、封書は切手を貼って間違いなく投函すると言ってくれた。
無事に帰国して知人にメールで問い合わせたが、1か月過ぎてもついに封書は届かなかった。あの空港の女性が、投函しなかったとは考えられない。中国の知人に聞いたところ、中国では手紙が届かないことはよくあることだから、その程度のことだろうということだった。
また、中国社会の一面を見た思いだった。