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特許は日本語で考えることが重要

2017.09.04

特許は日本語で考えることが重要

科学は日本語で考えよから発想したテーマ

 今回の潮流のタイトルは、表記のように「特許は日本語で考えることが重要」とした。
実は、筆者が講義している東京理科大学では「科学は日本語で考えることが大事」とのテーマで講義をしているが、学生にはそれなりに影響を与えている。講義の主張の展開に「眼からうろこ」という感想も聞かれる。

 今回、これをヒントに特許についてはどうか考えてみた。何人かの弁理士と話をしていて、最近、日本語のしっかりしていない発明内容を記述しているケースが多いという例にぶつかった。日本語の国語力が低下してきたからではないかという指摘も出ている。

 「日本語と科学」と「日本語と特許」は、論理的に思考する活動は似ているが、どちらかというと特許のほうが科学より日本語の論理力が問われるのではないかというところにぶつかった。
 英語は国際語になっているので大事ではあるが、それ以上に日本語の方が大事であることを今の時代に主張するべきではないか。今回のコラムは、少々ユニークなテーマになるが、整理して書いてみた。

 

白川先生のとっさのコメント

 きっかけは白川英樹先生の一言から始まった。2000年のノーベル化学賞の受賞者になった白川英樹先生は、世界で初めて電気を通すプラスチックを発明して授与された。受賞後には世界中のメディアから取材を受けたが、そのとき外国人記者から「日本人は、アジアの中でなぜノーベル賞受賞者が多いのですか?」と聞かれた。

  先生は一瞬考え「科学を日本語で学んでいるからです」ととっさに英語で答えた。そのコメントが正しかったかどうか、先生を長い間悩ませてきた。 
  しかし確信にいたるヒントは、作家の丸谷才一氏が2002年7月31日の朝日新聞文化欄に書いたコラムから出てきた。 「言語には伝達の道具という局面のほかに、思考の道具という性格がある。人間は言葉を使うことができるから、ものが考えられる。言葉が存在しなかったら、思考はあり得ない」

 この言葉に白川先生は意を強く持ち、ますます日本語の重要性を確信した。
日本人は、日本語で考えるから研究者としても新しい発見に至る。その日本語は江戸時代から先人たちが造語してきた科学用語が土台になっている。したがって日本語で物事を考えることが訓練されていないと優れた科学者にはなれない。そう考えた白川先生は、21世紀構想研究会でも講演して好評だった。 

2016年3月25日に開催された21世紀構想研究会で講演する白川英樹先生

 

相次いで出てきた日本語重視の本 

 「日本語の科学が世界を変える」(筑摩書房)という本は松尾義之先生が書いたもので2015年に刊行された。
この本には次のようなことが書かれている。

「日本語の中に科学を自由自在に理解し創造するための用語・概念・知識・思考法まで、十二分に用意されています。だから日本語で最先端のところまで勉強できるのです。日本では江戸時代から西欧の科学を移入し、先人たちが科学用語を創り、明治維新の30年前に西欧の近代化学を受け入れるようになっていました。日本語で創造的思考能力を鍛えない人は、一流の科学者にはなれません。明治時代の偉大な科学者は、すべて日本語で学んだ人たちでした」

  白川先生はこの本を読んで自分の考えと同じであることに感動し、ますます日本語の重要性を説くようになった。

 


松尾義之先生の著書「日本語の科学が世界を変える」

 

続いて刊行されたのが寺島隆吉先生の「英語で大学が亡びるとき」(明石書店、2015年)である。
寺島先生は岐阜大教授を経て国際教育総合文化研究所所長、アメリカの多数の大学の客員研究員、講師などを歴任している。

この本の主な主張点は、英語は「研究力、経済力、国際力」という神話は間違いである。求められているのは日本語で考え日本語で疑問を作り出すことである。母国語で深く思考するからこそノーベル賞業績にもたどり着くのだ。

 これらの本が刊行されたころ、京都大学の山極寿一総長が京大生に向かって「京大生よ日本語で考えよ。英語はツールでしかない」(2015年10月21日付日本経済新聞朝刊)と語ったというニュースが出た。  「重要なのは大学4年間で考える力をしっかり身につけることだ。それには日本語で考えるのが一番だ。日本の大学はこれまで高度な高等教育をし、海外のあらゆる研究成果を日本語に訳し、自国語で研究・教育を高める学術を確立した」
 このような主旨を語ったとして新聞に出たのである。

 

幕末から明治維新後までに確立された科学用語

 幕末から明治維新前後に岡山県津山藩が生み出した科学者たちの話を筆者が知ったのは、岡山県津山市の「津山洋学資料館」に行ったときである。 江戸時代、この地が生み出した宇田川玄随をはじめ、宇田川家三代の医学、化学、植物学者らは、西洋から入ってきた学問を日本語に翻訳し、今でも使用されている多くの科学用語を残した。

  例えば酸素、窒素、酸化、還元などの用語は、みなこの時代に岡山藩の科学者たちが作った日本語である。

 

     

 津山洋学資料館の入り口に立つ偉人たちのブロンズ像。
「知は海より来る」として多くの科学用語を作り出した。

 


 さらに物理や数学の用語と概念は、明治11年から3年間に東大理学部仏語物理学科を卒業した日本で初めての理学士たち21人が、欧米の専門語を翻訳して日本語として確立させたものだ。
彼らは20代の若さで理学を日本に普及させようと東京物理学校を設立した。白川先生は「日本人は大学入学までは日本語で科学を学び考えています。日本語で考えられない人が英語で考えることは無理です」とも語っている。

 

 明治26(1893)年発刊された日本で初めての物理学教科書

 

特許発明は日本語で表記できなければ権利化できない
 いま、日本では英語教育の重要性が叫ばれ、幼児から英語を習わせようとしている風潮も出ている。しかしこのテーマで何人かの弁理士たちと話し合ったところ、特許発明も日本語がしっかりしていないと成果として残らないという主張を聞いた。
  日本人の論理構成は日本語で考えることから始まる。日本語で論理がきちんと説明できなければ発明はまとまらないし、特許明細書に書き込む文言もまとまらないと弁理士は言う。
 最近、日本人の国語力が低下してきたのではないかと心配する弁理士もいる。これが特許出願数の減少とは結び付かないだろうが、論理構成が貧困になれば発明も簡単には出てこなくなる。
 日本語を重視するという発想は、科学研究などに限らず国家の産業力にも通じているように思う。