2020年9月26日(土)午後4時~同5時30分 zoomオンライン講演
講演タイトル:「どうする研究現場の課題-問題提起でなく解決するための実行力が問われている」
講師:黒川 清(政策研究大学院大学名誉教授、21世紀構想研究会アドバイザー)
日本の研究力の凋落
ネーチャーが公開したデータによれば、2000年以降、中国の研究開発への投資が急激に伸びている。韓国もベースは小さいが大きく伸びている。アメリカも162パーセント、ドイツ158パーセント、イギリス144パーセントと伸びている。ところが、日本だけはその伸びが非常に小さい。日本では研究に投資が行われていないのだ。アメリカの研究者は、エイブラハム・スレクスナーの著書『Usefulness of Useless Knowledge』を読んで、実践している。そこには「役に立たない知識が役に立つ」、つまり、基礎研究が大事だということが書かれてあるが、日本では基礎研究が蔑ろにされている。
投資資金の伸びの小ささは論文の数にも顕著に出ている。日本はアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスといった先進国のなかで唯一、この30年間で注目論文の割合を減らしている。日本の人口1億2000万人はドイツの8300万人やイギリスの6600万人よりも多いのに注目論文が少ない。特にAIなどの新しい分野で、日本人はクオリティーの高い論文がまったく書けていない。
科学技術・学術政策研究所の2020年の分析によると、注目論文の国別シェアの1位はアメリカ、2位は中国で日本は9位だ。著名な科学雑誌に掲載された論文の数を見ると米中の2強体制、数だけ見れば中国がアメリカを上回っている。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスといった先進国は人口によらずこの30年あらゆる分野でずっと世界のトップにあり、中国も非常に伸びているのに、日本だけ凋落ぶりがはなはだしいのである。
日本には真の高等教育がない
日本の大学は国際競争力も著しく低下している。イギリスの教育専門士タイムズ・ハイヤー・エデュケーションが9月に発表した「世界大学ランキング」によると、日本の最高位は東大の36位だ。ベストテンはアメリカとイギリスの大学が独占し、中国は21に清華大学が入ったほか、ベスト100に6校が入った。日本でベスト100は東大と京大のみだ。
どうしてこのような体たらくになってしまったのか。その原因としてまず考えられるのは、日本では真の高等教育が行われていないということだ。真の高等教育とは、単純な知識ではなく本物の思考力を養うものだ。オックスブリッジの入学試験では、「地球には1万メートルを超える山がないのはなぜか」といった問題を出し、どのようなロジックで回答するかを見る。ハーバード、プリンストンやバークレーといったアメリカのトップ10に入る大学では、プラトンやアリストテレス、マキャヴェリの『君主論』、マルクスなどを読まされる。大学の授業の9割はその内容をめぐる「議論」が行われ、本を読んでいないと参加できないので猛烈に勉強量が多い。オックスブリッジに留学経験のある方に聞くと、毎週のように十冊くらい本を読まされ、自分の意見を数枚にボールペンで書いたうえで、「チューター」の先生にプレゼンテーションするという。「あれほど脳みそをディープに使った経験はない」と言う方が多い。
一方で日本はといえば、小中高校で行われている初等教育は偏差値の高い大学に入ることだけを目的としたも。ペーパーテストを解くための知識ばかりが重視されていて、その知識を用いて「議論」をするということがまったく行われていない。大学に入るときも理系と文系が分かれている。そんな制度をとっているのは日本くらいのもので、アメリカ、イギリス、ドイツなどの先進国の大学では理系・文系の区別はない。そんな日本の大学で行われている講義は教師が教壇で一方的に話すだけのスタイルだから、学生は頭を使わない。そもそも日本の大学生は職業訓練校化しており卒業が容易なため、学生はあまり勉強しない。まったくもって、ひどい話だ。
イシュー(論点)に対してすぐにコンテクスト(前後関係)を感じ取る、自分の考えをどのようなフレームで考え、考えをまとめ、意見を言うのかはとても大事なことだ。日本はイシューに対して現在から考えがちだ。コンテクストもなければ、フレーミングもない中で、「イエス」か「ノー」の議論をあれこれしている。レイ・カーツワイルは2005年に書いた本のなかで「2045年までにコンピューターの能力が全人類を上回る」と予測している。つまり、「知識」では人はコンピューターに勝てなくなる。東京大学の学生たちが知識クイズを反射的に解くのを見て、「頭がいいね」などと言っているようではいけないのだ。知識を用いて議論する、考える、これこそが高等教育である。知識と知恵は違う、歴史から学ぶ知恵が大事なのだ。知識だけを蓄えてきた日本人は、考える経験を積んできた海外の真のエリートたちに、コンセプトではなかなか勝負できないだろう。
明治以降の「タテ型」の功罪
「タテ型」の研究室も日本の大学の研究力を下げている大きな要因だ。明治以降の日本の大学の研究室には、教授を頂点とするヒエラルキーを形成する講座生が脈々と根付いている。準教授や助教、学生たちは、教授の手足となって共著者として論文を書く。そのため、日本では学生が修士から博士、ポスドクとキャリアが上がっても同じ研究室に居続ける。外部からの刺激に乏しく、新たなアイデアが生まれにくい土壌がある。
この「タテ型」は教育と研究を一体的に進められるため、明治維新以降の近代化において学術レベルの底上げには役立った。戦後も大手企業を頂点として、下請け企業がひしめく日本の産業構造ともよくマッチした。ものづくりの時代は良かったが、社会が知的資産中心に変わると、独創的な研究が必要になる。教授の下請けに没頭する構造から脱却しない限り、世界との差は広がる一方だ。
つまり、日本の大学の研究力を高めるためには、組織を「ヨコ型」に変えていく必要がある。教授の役割は自らの講座の後継者を育成することではなく、次世代を切り開く独立した研究者を育てることだ。海外では、キャリアを上げるたびにさまざまな大学や研究機関を渡り歩くのが当たり前になっている。それにならって日本も人材流動性を高めていく必要がある。
外に出て日本を見よ
世界の研究の中心にあるのはアメリカだ。そのアメリカでダイナミックな研究をしようと、中国からは毎年4000~5000人、インドや韓国、台湾からも大勢の研究者が渡米している。ところが、今、日本から渡米する研究者の数は毎年わずか200人にも満たない。これは、人口7000万人のタイ以下の人数だ。しかも、年々数を減らしている。悪い方向に桁がちがう。訪日する研究者の人数も、他国と比べて圧倒的に少ない。優秀な留学生が集まるような大学が、今の日本にはない。日本の大学は今や完全に孤島となっているのだ。
日本のなかだけで一生懸命に研究をしていても限界がある。だから、日本人の研究者は積極的に他流試合をしなければいけないし、そのためには、「海外雄飛」、つまり、外に出なければいけない。海外に出ると、自分の国の国民性や文化の良さも弱さも、相対的に感じ取ることができるようになる。例えば、イギリスからたくさんの本を持って帰って来て、自分で読み解き、いくつもの本を著し紹介した福沢諭吉や、ヨーロッパ諸国で学んだ岩倉使節団、長州ファイブ、薩摩セブン、山川健次郎、朝河貫一など、明治維新のころは海外へ行って学んだ人がたくさんいた。今、そのような人は少ない。
現在のように、テレビや旅行で海外の様子を見たり体験したりしただけで行った気になってしまうのではモノの本質を感じとることはなかなかできない。人間にとって重要な心をつくるのは「実体験」だからだ。実際に外の世界に、できれば「個人」の資格で行って自分の目で見て、感じ、いろいろな人に出会う。海外に出ると日本が相対的に見える、感じる、弱いところを認識でき、健全な愛国心が生まれる。これはすごく大事なことだ。例えば、日本人の研究者が外に出れば、教授の研究をサポートするのが准教授や助手の仕事だと思われている日本の大学のおかしさに気づき、これをぶち壊してやろうという気にもなるだろう。
30年間成長しない日本経済
日本経済についても、研究とまったく同じ事が言える。この30年間、冷戦が終わって世界が大変な勢いで変化するなか、日本の経済はドルベースではまったく成長していない。1990年から2018年までの名目GDPを見ると、アメリカはずっと右肩上がりで増加している。一方で日本はといえば、1994年ごろはアメリカに迫る勢いで『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などという本も出たが、それで有頂天になったのか、その後はまったく伸びなくなった。数値的には日本より下にあるドイツ、フランス、イギリスは、上がり下がりしながらも基本的にはゆっくりと増加している。
研究においても経済活動においても、日本の根本的な問題は世界でも例のない人材流動性の低さだ。たとえば、三菱UFJ銀行に10年勤めたバンカーは三井住友銀行に移れないし、日立に15年勤めたエンジニアはパナソニックに移れない。すると、人は自分の出世や保身のために「忖度」して上に意見、異論を言わなくなる。しかしそれは、アカウンタビリティーの対極にある行為だろう。自分が立場のある者としていろいろ意見を聞き、「責任を持って決める、実行する」ということが起きなくなる。「説明責任」などというのは、まさに典型的な「ロスト・イン・トランスレーション」である。
なまじ高度経済成長の成功体験があるために、政産官の「タテ」社会、新卒一括採用、終身雇用、年功序列、そして忖度といった仕組みを、日本はなかなか変えられない。しかし、これからの時代に世界を相手に勝ち抜くためには、今すぐにでも、これまでの文化と行動を変えなければならない。もはや一刻の猶予もない。
大学と企業は「ヨコ」に連携を
大学だけでなく、日本の企業も「ヨコ型」への意識を高めなければならない。そして、大学と企業は「ヨコに連携」、すなわち、産学連携を進めるべきだ。新型コロナウイルスの対応を見ると、日本では残念ながら大学と企業が連携する動きが鈍く、産学連携の弱さを露呈している。しかし、海外に目を向けると、イギリス大手製薬のアストラゼネカがオックスフォード大の研究成果をもとに開発中のコロナワクチンは、最終段階の臨床試験に進んでおり、そのスピードには目を見張るものがある。これに倣うべきだ。
大学は新発見の宝庫であり、これらに目を向ける事は斬新なビジネスチャンスになる。研究室生まれたアイデアを社会に届けるのは企業の役割だ。京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞の論文を2007年に発表して10年以上たつが、まだ事業化に成功していないのは残念だ。
国の研究費には限界があり、大掛かりな研究を進めるには企業の力は不可欠だ。産学連携の素地をつくるには、企業と大学の研究者が交流を深めることも欠かせない。組織の違う研究者が「ヨコ型」に大学院、ポスドクの各レベルで国境越えて切磋琢磨することでチャレンジ文化が生まれるはずだ。
文責・大谷智通(21世紀構想研究会事務局)