「日本の国家と企業 崩壊するガバナンス」
久保利英明弁護士
2019年5月22日(水)
今回の研究会では、「日本の国家と企業 崩壊するガバナンス」と題して、久保利英明弁護士に講演いただきました。
メディアでお見掛けする久保利先生は、真っ黒に日焼けした精悍な顔つきの上、派手なタイで、とても圧倒されてしまうのですが、実は丁寧な言葉遣いの紳士でした。(今日のネクタイは美しいプリント柄で有名なレオナール、それに思ったほど色黒ではなかった!)
では、さっそく講演の報告に入ります。
ガバナンスとは何か
久保利先生は「日本改造計画:ガバナンスの視点から」という本を上梓しました。その中で、日本のガバナンスは全部ダメだ、国家も、企業も、地方公共団体も、メディアも、大学も全部ダメと、ダメ出しの連続でした。
ではその「ガバナンス」とは何か。それは「主権者」がいかにその組織を管理するかということです。この「主権者」は、組織によって変わってくるものです。国家の主権者は国民一人ひとり。会社であれば、ステークホルダー(重要な登場人物)として、従業員、お客様、株主、地域、社会、などが存在しますが、主権者は所有権のある株主になります。
同様に考えると病院の場合、株主にあたるものは医療法人になります。
では大学の場合はどうでしょうか?大学のステークホルダーもたくさんいます。教授会?理事長?学生?学費納入者(保護者)?しかし大学の主権者は「学問の自由を守る人」でなければならない。お金を払う人(=学費納入者)は学問の自由を守る立場にあるでしょうか?
このように、主権者がはっきりしない組織ほどガバナンスが効かないのです。
先ほど、病院の主権者は医療法人と説明しましたが、本当に医療法人なのでしょうか?医療でお金払っているのは誰?社会保険、医療保険で医療費を払っているのは国民全員です。病院経営が行き詰ったとき、国家予算や地方公共団体予算が投入されることでしょう。その税金を納めている納税者こそが主権者ではないでしょうか。しかもその納税者は、同時に治療を受ける患者でもあり、かつ、経済的負担をしている人です。しかし、世の中の病院長、理事長たちは、誰もそのように思っていません。自分(医者)がいなければ治療なんてできないのだから自分がトップだ、主権者だと考えているのです。
以上のようにいくつかの例をあげましたが、ガバナンスを考える上で一番大切なことは、誰が主権者かということ。これをはっきり理解しておかないと、ガバナンスは効きません。
一人一票運動でのガバナンス
前回(2019年3月6日開催)の構想研究会テーマであった升永英俊先生の「一人一票の実現」でも、ガバナンスを考える上で、主権者がどう動いていくものか理解できないと、ガバナンス自体が理解できません。
これまでの訴訟で「主権者が主権者として遇されていない」と言い続け、2009年から10年間、一票の価値が平等でない今の日本の選挙制度はおかしいと、訴えてきました。統治(ガバナンス)というものを深く考えると、やはり国民一人ひとりが主権者になるのです。企業でいえば票ではなく株が該当し、1単元株ごとの主権の大きさ(持っている株数)に応じて権限があるという考え方です。
日本の国家ガバナンスの権利は憲法に定められている、これが立憲民主主義です。しかし「国政選挙は憲法に定められたとおりにやっていないではないか」。この論理こそ、升永先生が寝る間を惜しんで寝袋の中で発明したものです。憲法の条文を読み解くと、そう書いてあるじゃないか、と指摘しているのです。
会社であれば、1単元株が1議決権を持っていますが、それが国政選挙になるとなぜ一人一票ではないのか?この点だけでも、日本国のガバナンスは会社(コーポレート)のガバナンスに比べて落ちるでしょう。
このような状況の中、国はコーポレートガバナンスについてあれこれとちょっかいを出しています。コーポレートガバナンスよりも日本国のガバナンスのほうが原点において壊れていると思いませんか?ただし、会社のガバナンスが立派だとしても完璧ではないので、コーポレートガバナンスはどのように考えるべきか。それが次の話題です。
コーポレートガバナンスの原理
会社では株主が主権者ですが、コーポレートガバナンスは、誰が行使してどうなっていくのか。主権者は株主です。株主は株数に応じた議決権を投票する選挙で取締役を選出し、その取締役会の中で議論・投票をして、代表取締役を選んでいきます。その代表取締役を日本では社長やCEOと呼びます。
このようなしくみのはずが、少しずれてしまっています。「コーポレートガバナンス」を直訳すると「企業統治」。企業統治とは、誰が何をやるのでしょうか?そこで登場するのが、日本の便利な言葉「社長」なのです。社長は会社の長=トップですので、コーポレートガバナンスは社長がやること、になってしまっています。
何か不祥事が起きると、「ガバナンスがしっかりしていませんでした」、と社長が謝罪します。しかし、これはおかしいのです。海外では 社長=トップ・オブ・ザ・カンパニー なんて人は存在しません。この地位に当たる人はCEO(Chief Exective Officer)と呼ばれていますが、「社員の長」であって、会社の長ではないのです。
そして、ボードメンバー(取締役会メンバー)は業務をする人たちではなく、監視・監督をする人たちです。監視の対象はCEO。ボードメンバーはCEOをコントロールし、ダメならば首を切る。日本とは異なるように思いますが、日本の会社法をよく読むと、「取締役会の役割は、代表取締役を選任・解任することである」と書いてあります。
では、海外と日本、どこが違うのでしょうか。アメリカにおけるボードメンバーの役割は、社長を選ぶ・切ることができる独立した社外の人で構成されています。しかし、日本では全員が社長の家来、あるいは同僚です。一緒に業務執行している人たちや、社長が「お前も偉くしてやるよ」といって取締役になった人が社長のお目付をできるわけがありません。
このような状況を考えると、今の日本の人事制度はうまくないのです。社長を会社の長とせず、社員の長(CEO)と捉えるべきです。会社と社員は別物で、株主がいて、ボードメンバー(取締役メンバー)が業務執行者(CEO、社長)を監視・監督する。この構成を取ってこそ、コーポレートガバナンスと言えます。
社外取締役を中心とするボードメンバーが社長をしっかりと監視・監督し、コントロールすることが命題なのです。従って、コーポレートガバナンスに失敗した場合、社長をコントロール(首を切る等)できなかったボードメンバーが怒られる対象となります。
日産の場合、取締役会は「カルロス・ゴーンが悪い。その首を切るのは、お前たちの役割だったんだぞ」と怒られていますが、ゴーンが悪いというのはコーポレートガバナンスの話ではないのです。「なぜゴーンをのさばらせてしまったのだ、ゴーンをコントロールできなかった取締役会が悪いのだ」と言うのが、正しいコーポレートガバナンスの姿なのです。
これらの事例からもわかるように、「コーポレートガバナンス」を「企業統治」と直訳することは誤訳であって、「経営者統制」のほうが合っています。コーポレートガバナンスとは、社長がやるものではなく、社長は対象者の側、実行する人はボードメンバー(取締役)たちなのです。日本の場合、この点がきちんと理解されていないことが多く、日本のコーポレートガバナンスがどうしても曖昧なものになってしまっているのです。
日本の国家ガバナンスの現実
先ほど、一人一票同一価値の選挙でなければ、議院内閣制というのは砂上の楼閣だと説明しました。憲法一条一項と五十六条二項を合わせて読めば、違憲状態だということがよくわかります。
しかし、この10年間、最高裁は「違憲状態である」とまでは言うが、「違憲無効である」とは言わない。ここにガバナンスの問題が潜んでいます。三権分立は、独立した司法が行政と立法を抑制するという構図です。しかし、本当に日本の司法は独立しているのでしょうか?
最高裁の裁判官は内閣が選びますので、両者に利害関係が存在します。まずいと思いませんか?
例えば、選挙無効の問題。2017年10月22日に行われた衆議院選挙。これは人口のうち42%が国会議員の過半数を選出するという不当な選挙でした。しかし、昨年末に出た最高裁判決は、なんと合憲判決。しかもその理由が留保付き。留保の内容は、2020年に実施予定の国勢調査に基づいたアダムス方式で選挙区を見直すという点です。この裁判は、2017年の選挙の無効の判断を訴えているのに、未来のことを持ち出してきて、違憲とは言い切らず留保しているのです。
三権分立に正すのは主権者である国民です。このような場合、ガバナンスとして主権者である国民は、衆議院議員選挙と同時に実施される最高裁判所裁判官国民審査で、該当する最高裁判所判事に×を付けて罷免できるのです。しかし実態はどうでしょうか?日本はこの制度に特に関心が低いと思います。一人一票国民会議では新聞広告に「×を付けるべき判事」を掲載していますが、それでも広告と同じように×を付ける人は少数なのです。誰が悪いのかは別にして、日本の司法はちゃんとした行動形態を取っていないと感じていします。
次に、厚生労働省の「毎月勤労統計不正」です。「毎月勤労統計」とは賃金や労働時間に関連するもので、GDPの算出にも用いられる政府の重要な基幹統計のひとつですが、今回の統計不正は以下に問題がありました。
① ルール上は全数調査をサンプル調査に勝手に切り替え
② サンプル調査の場合に必要な復元・補正作業をやっていない
③ サンプル調査に切り替えた2004年まで遡らず、2018年からの訂正に留めた
④ 一連の不正内容について公表をしない
4つ目の問題に対し、特別監察委員会を設置しましたが、その委員長に厚労省から23億円の交付金を受ける外郭団体の理事長を据えたことから、第三者性、独立性、中立性の疑問でメディアや国会から叩かれました。利害関係があるのに、どうして公正な報告ができると考えたのでしょうか。とても理解できません。久保利先生は第三者委員会格付け委員会の委員長でもありますが、その委員9人全員が、厚労省の設置した特別監察委員会は「不合格」ということで一致したとのこと。
本件で厚労省に騙されたのは誰なのでしょうか?まずは国会です。でたらめの統計で、給料も上がっているし、すべて順調に成長している、働き方改革も成果が出ている、と騙されました。国家そのものがデータ偽装し、与野党関係なく国会議員全員を騙しました。
それなのに、徹底追及もせず、何の怒りもなくこのあたりで幕引きとなってしまうのを見ると、この国はダメだ、こうなってしまうのも、ガバナンスがしっかりしてないからだと思うのです。
次の事例は日本銀行です。長期国債保有残高が459兆円で、昨年比で33兆円増えています。これは4割程度の借金をしないと予算が回らないということです。それから、ETF(上場投資信託)も年間6兆円ほど買っています。現在、日本株の6%以上は日銀保有株ということですので、日銀が株式市場に介入しているようなものです。それに加え、年金機構であるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が日銀よりも多くETFを買っているのです。日銀とGPIFが示し合わせてETFを買っているのですから、日本のマーケットは堅調に見えるのは当然です。しかし、本当にニーズがあって買われているのか、投資家は喜んでいるのか、まったく疑問です。もし何かあったとき、日銀=中央銀行の信用が壊滅的になくなると、ギリシャと同じ状態になってしまいます。
こんなガバナンスをしている国家はでたらめです。公文書の偽造・偽装では、モリ・カケ問題や防衛省の日報隠し。文科省の元局長が自分の息子を医大に裏口入学、財務省事務次官のセクハラ、等々。日本の官僚は優秀ではなかったのか?いや、そもそもモラルが低すぎる、こんな人たちが官僚になって本当にいいのか?政治家が駄目なだけではなく、官僚も駄目。では、企業はどうなんだ、というのが次の話題です。
日本の企業ガバナンスの現実
最近、コンプライアンス(コンプラ)という言葉を嫌になるくらい聞きます。実際に現場では、コンプラをやるためにたくさん行動指針を変更したり、ガバナンスコードに合うようにやれ、等々言われ、担当者たちは辟易している現状があります。しかし、これらは本来のコンプライアンスではありません。「コンプライアンス」とは「物体の可塑性」のことで、圧力が加わったときに、いかに変形して「しなる」かということです。
コンプライアンスを法令遵守と直訳してしまい、違う意味になってしまいました。本来であれば、「社会適合性」あるいは「社会適応性」と訳すべきです。
そもそも法令というものは時代遅れのものばかりで、立法府は「不都合がありますよ、現状放置はまずいでしょう」という場合に法律を作ります。したがって、本来のコンプライアンスとは、「法律がなくても、公正な経営理念に基づいて、自律的に適正な経営をします。」というものなのです。
コンプライアンスを法令遵守と勘違いした例が神戸製鋼の品質偽装でした。発覚当時、同社は記者会見で「契約違反の民事責任はあるが、刑事罰に触れるような法令違反はない。コンプライアンス違反はない。」と主張しました。しかし、アメリカは刑事罰である詐欺容疑、東京地検も不正競争防止法違反として起訴しました。たしかに、JIS法違反などの直接の法令違反はなかったのですが、「自律的に適正な経営(コンプライアンス)」をしていたかと考えると、一目瞭然です。
結局、神戸製鋼のほか、三菱マテリアルも三菱アルミニウムも同じようなことで起訴されてしまいました。つまり、コンプライアンスとは法令の話ではなく、「会社のありよう、社会が何を会社に求めているか」を感じとって行動する力が必要なのです。
これらの事例から、コーポレートガバナンスはなぜ劣化したのか、を分析すると以下の5点になります。
① 「前例踏襲」というイノベーション回避文化
→ 神戸製鋼トクサイ事件、日産完成車検査偽装、スバル完成車検査偽装
② 「横並び」という土木工事における談合体質・競争回避文化
→ JR東海リニア談合ゼネコン各社
③ 「行政との癒着や依存」「行政検査の事前漏洩に慣れた」事なかれ主義文化
→ 日産、スバル、化血研
④ 「性善説(性弱説)」という虚構に立脚した無責任・庇い合い、内部統制不在文化
→ 東芝、日産、東洋ゴム工業、神戸製鋼、川崎重工
⑤ 「現場第一主義」という美名の下に、内部統制もガバナンスも欠いた現場、下請けへの丸投げ文化
→ ベネッセ、日産、傾斜マンション関連各社、三菱マテリアル、東レ
また、「経営(者)の失敗」に起因するコンプライアンス違反の例では、
① 日産ゴーン社長の成功の裏面に隠れたコストカット経営の失敗
② スズキの人員削減等による8期連続200億円削減のしっぺ返し
③ スルガ銀行の好業績の裏面に随伴した経営の失敗
④ 「検査コストの節減意識」がもたらしたマンションの耐震基準未達の制振装置や自動車不正出荷の末のリコール
⑤ 優れた製品開発の驕りによる品質管理の軽視
と、経営についても5点ほど例をあげましたが、これらは経営者の失敗や現場ちょっと手抜きしたというようなことではありません。
マンション基礎の杭が地盤に届いていなかった原因は、現場の3人がいいかげんな仕事をしたからでなく、本来、設計監理を確実に実行するべきところ、設計監理者も置かず、全部丸投げにしてしまったことで、経営者の監視監督の問題なのです。ガバナンスの失敗でしょう。
コンプライアンスを本気でやらせるのは経営者の仕事。経営者にコンプライアンスも含めた経営を愚直にやらせるのがガバナンスで、ボードメンバーの仕事なのです。そう考えると、日本企業は、ボードメンバーもCEOも役目を果たしていないし、現場も同様です。
国家も企業もこのような状態で日本は本当に大丈夫なのか?
ではどうすればよいのか?
ガバナンスを、コンプライアンスを改革するのにどうすべきなのか。そのあたりについて、この後のディスカッションでさまざまな意見交換することとなりました。
=============================
意見交換・QAコーナー ※Qは質問者、Aは久保利先生です。
Q1:
いつから、なぜこうなったのでしょうか?
80年代を振り返ると、いろいろな将来展望を持ちながら、やる気満々の行動原理というのが日本中に満ちあふれていた。しかし、今は全くかけ離れたような社会。しかし、自民党支持率は非常に高いし、若者ほど内閣支持率が高い。若者ほど現状に対する満足感も高いという実態があります。ここまでの問題を誰もが理解しているのに、なぜ肝心の政府に対する支持率が高いのでしょうか?
自分なりの答えとしては、90年代以降の大きな構造変化の中で、気が付いたときには、日本には主体性と自立心がなかった。特に戦後の歴史の中で、主体性と自立心というのをベースにして自らの意思決定をするというプロセスの経験が希薄だったという気がします。したがって、現状に対する危機感が生まれないのではないか。久保利先生が、幾つかを改革案を挙げられていますが、誰が実践するのかという部分がなかなか難しそうなところです。
A:
永野健二さんという日経の記者だった方が『バブル』という本に「バブルのときに、日本の健全な資本主義は完全に崩壊した」と書いています。日本の健全な資本主義というのは『論語と算盤』(渋沢栄一)のことです。資本主義という公共性を持って人のために仕事をし、その利益は次から次へとまた人様のために返していくという、この論語をベースにして経営をするという考え方。これが壊れたためだと永野さんは言っています。
最近ではこの『論語と算盤』を持ち上げる人がたくさんいますが、『論語と算盤』の精髄は「論語はコンプライアンスである、そして算盤というのは収益力」です。持ち上げる人たちは「コンプライアンスと収益をバランスよくやりましょう」と、解説するのですが、私には全くそのようには読めませんでした。
渋沢栄一は、「論語第一でいけ、そのためには、まず論語を読んで論語のとおりにやれ」、そして、「論語のとおりやって得た富があるならば、その富を恥ずかしがることはない。反対に論語のとおりやって貧窮の身に入って経営に失敗しても、少しも恥ずかしがることはない。ずるいことをしてお金を儲けるよりは、論語のとおり一生懸命やって駄目なら、以て瞑すべし」と言っています。
渋沢栄一がやってきたいろんな事業、例えば東京商工会議所を作りました。みんなが議論できる場が必要でしょうと。そして証券取引所を作りました。上場ができなければ、資本主義の原点である有価証券、株式をベースにして資金調達をすることもできない。このような場が必要でしょう。聖路加病院を作りました。赤十字も作りました。人間の健康、本当に大事だよねといって、作りました。
いろいろなものを次から次へと作りました。しかし、儲かりそうだから、算盤勘定とバランスよくというようなことを考えて作ったものはひとつもない。むしろ公益とか公的なものばかりです。一生懸命やって人様の役に立つものをやれば、場合によってはそれが収益を生む。それだけのことだよと言っているのです。
金儲けとコンプライアンスは半々でいけなんて、どこにも書いていません。彼が一生懸命つくってきた日本の資本主義というものが、バブルのときにわけの分からない金権主義と拝金思想で崩れてしまった。
昭和から平成になる頃の1988年、もう壊れきってしまったときのぶざまな状態がリクルート事件だったと思います。実は江副(浩正)さんのことはあまり悪く思ってはいません。彼自身が一生懸命やってきて、社会的なものを作ろうと、ソーシャルなことを考えて作ったものもたくさんあるのです。結果的にあれだけの事件を起こしましたが、実刑判決を受けた人は誰もいない。裁判官も分かっていて、あの事件というのは、実刑判決すべき案件ではないということは、多分みんな分かっていたのだと思います。
しかし5年、10年たつうちに、素のカネ、カネという文化がどんどん強くなってきた。そうなると企業倫理もなくなるのではないかと思います。会社がそうなってくると、人々がそうなっていますし、当然それは会社とコントロールしている方の役所にも悪い影響を与えていくのではないでしょうか。
渋沢栄一は、福沢諭吉と同じ世代です。あの世代の人たちが考えた崇高な考え方、西欧の個人主義や自由主義、1人1人が強くならなければ国は強くはならないという考えが、根幹にあったように思います。それが徐々に失われていき、「安定こそが全てだ」、「何がなくても、とにかく安定」となってしまった。
しかし世界的には、この30年間で日本人はすごく貧乏になっているのです。海外も見ていないから、いかに貧乏になったのか理解していません。日本ぐらい安くてランチがワンコインで食べられる国は他にない。これは日本人が貧乏だからなのです。若者が「車は要らない」と言っているのは、実は買えないから欲しがらない。留学しない理由も貧乏だから。お金があれば行くはずです。
このように考えていくと、しっかりした国民の矜持がなければ駄目なんだという福沢文化や渋沢文化がなくなり、公(パブリック)がなくなってきている。もう「カネ、カネ」の方が強くなっていて、ZOZOTOWNなんかも「金があれば何でもできるよね」となっている。しかし俺には金がない、だったら安定を選ぶしかないだろう、と考える。安倍政権が続けば、ずっと今のような状態が続く。ずっと続くことが、他国と比較していかに貧乏になっているかということを全く認識しないまま、昔と同じでいいという前例踏襲で生きている。全体的にこのような国になってしまった。では、どうすればいいのか。まさにここからスタートだと思います。
Q2:
先日、鹿児島に行ったのですが、薩摩藩というのは、ズルして290万両作ったというのです。薩英戦争の後、年間収入14万両の国がどうやって500万両の借金を返したのかというと、何も返していないし、戦争するために290万両も贋金を作った。武士道だなどと偉そうなことを言っている裏でちゃっかりやっていた。
日本のバブルの頃は特にそれがひどくなったのかもしれないが、今、このような薩摩藩の資料が出てきたのも、それを墓場に持っていこうというのではなく、公表できるような環境になってきたのだと思う。
今、就活生向けに会社のブラック度を投票するシステムがあるが、その会社を辞める人が直接投票することでブラック度が何%と出ている。このようなしくみがマスコミ等のフィルターを通さずに直接に出てくるようなことをやっていけば、悪さする人は炙り出されるし、正直って何だろね、と考えるようになるのではないかと思います。
A:
透明性はすごく高まっていると思います。だからこそ、不祥事がどんどん発覚するようになってきている。
先日、公認会計士の先生に聞いたのですが、公認会計士の初任研修で15人に「もし会社で不正を発見したらどうするか?」と質問したら、10人が「直ちに金融庁に通報する」と答えたそうです。「会社には言わないのですか?」と聞くと「会社に言ってもどうせ変わるはずはない。だったら金融庁に通報した方が早い、絶対にすぐに通報する」という意見だったそうです。自分の身さえ安全であれば、これを通報することは一向に構わないとの考えなのです。正義感が強くなっているように見えますが、自分がマイナス面を背負いこむことはなく、ズルしたら通報するが後は知らないということなのです。
これからは内部通報を捜査当局が取るか、会社が取るか。この奪い合いになっていくだろうと予測しています。ゴーンさんの事件も、会社側がゴーンさんのナンバー2から情報を先に入手したからこそ、司法取引できた。
もうひとつの例ですが、三菱日立パワーシステムズ(MHPS)のように「悪いことしたのは実はうちの役員です」と役員1人を差し出して、会社は免責ということも可能なのです。会社として罰を受けてしまうと、世界中で指名停止になり、会社がつぶれると思います。それくらい必死の話になるので、これからは、いかに若い人たちからの内部通報をしっかり取り込むような体制ができるかということがポイントになると思います。
Q3:
株式市場の話で東証2部とジャスダックを統合するというような話が内部情報として聞いていたのですが、3月の発表前に表に出てしまいました。内部情報を漏らした人は内閣関係に異動する予定だったのですが、その人事も止められたということで、内閣はまともな対応をしたなと思っています。一方、日本取引所グループでの処分、あるいは当該会社の処分はどうなっているのか、見えてこないなと感じておりました。
また、最近はコンサルタントとか審議会の委員という名を称しながら、その立場で入手できる情報で商売しているような人たちが横行しています。本当にこんなことがいいのかと強く思っています。このあたりを含め、先生のご意見をお願いします。
A:
JPXは持ち株会社であり自主規制法人でもありますが、非常に微妙なポジションにいるのです。アドバイザーたちは自主規制法人へのアドバイザーであって、直接JPXという上場会社そのものがアドバイスを受けることはないのです。私自身も数年前までは自主規制法人の外部理事だったのですが、最近はさっぱり情報が入ってこない。ただ、今おっしゃったような問題はインサイダー情報そのものなので、それはよくないと思っています。自主規制法人も処分したいのでしょうが、対象がJPXの社員ではないので、処分は困難。野村証券の方ではしかるべき懲戒なりあるでしょう。
また、そういうインサイダーの人たちだけ集めて、極秘に非常に重要なことを決める審議会システムというのは、実は国家として問題なんじゃないか。審議会を隠れ蓑にして、大学改革でも何でも審議会に預けてしまっている。もちろん文科省や経産省は事務局としてコントロールしていますよ、と言います。そういう隠れ蓑経営みたいなものを国家がやっていること自体がどうなのかなという感じはしています。
Q3:
実は本件は金融庁が引き取りました。結局、隠れ蓑経営の世界になってしまうなと思いましたが、過去からの反省を込めて、やはりそういうのは変えていかないといけないと思っており、徳をもって、公益性を持って変えていかないと、この世の中はよくならないのではないかと思っております。ぜひ先生にも頑張っていただきたいと応援しています。
A:
ありがとうございます。
Q4:
われわれの時代は、夢を持っていろいろやれていた。ところが今の若者はそれがないのではないか。昨今、若い人はみんな電車の中でスマホを触っている。しかもほとんどの人がゲームをやっている。このような状態の中、若い人に、われわれが持っていたような夢とか希望とかやる気を起こさせるにはどうすればいいのか?
A:
それは大変難しい話ですが、逆に言うと簡単で、安定というものがないとどうなるのかという経験がなさ過ぎるのです。本当にけんかしたり、殴ったり殴られたりするのは怖いので、バーチャルのゲームを楽しむ、ゲームの中だったらリセットができる、ということなのかもしれません。若い人が全員、夢がないとは思わないのですが、夢を持ったら幸せになるというモデルが少し上の世代にはいないのではないでしょうか。何かをやろうとしていく人たちが、なぜもっと現れないのか、私もよく分からないのです。
一方、安倍内閣の支持率があれだけ高く、特に若い人ほど高いというのを見ていると、やはり変わることへの恐怖が強いのではないか。あまりにもゆでガエルが周りにい過ぎて、変わらないと大変だ、ゆだっちゃうと大変だと思ってないのでは?と思います。だからマイナスのモデルもたくさん見せてやるといいし、プラスのこんな面白いこともあるということを、どうやれば分ってもらえるのかというのが課題です。だってこの国にいたって、面白くも何ともないじゃないですか、もう。みんなゆで上がっちゃったような人ばかりで。そう思いませんか?
Q4:
それでは、還暦以降の人が頑張らなきゃいけないということですね。
A:
そうですね、還暦から飛び出して見せてやれば、「じいさんやるじゃん」という感じで、俺の後に続け、となりますね。いろいろなモデルを構想研で率先して立ち上げて、「一度くらい何か好きなことをやってみようよ」、というモチベーションを若い人に与えるリスクを俺が背負っている、というふうなものをやってみるのも面白いかなと思います。
Q5:
先生のお話で、ガバナンスが効かないのはボードメンバーが悪いということでしたが、そのボードメンバーを選ぶのは株主ですよね。結局、株主が悪かったということになるのでしょうか?
A:
結局、株主がボードメンバーを選ぶということは、候補者がいない場合は株主提案する必要があり、非常に難しいのです。社外取締役の候補者にはこんな人がいますよというリストがないと社外取締役を入れるのは困難です。株主は候補になった人しか選べない。そこへ定員いっぱい会社が内部の人間を出してくる。もういっそのこと、選挙というか、地方議会の議員みたいに大勢出て、とんでもないのもいるし、面白い人もいるという、そういう制度にできないのかと考えたりします。
他の案として、ESG投資をする投資家の側で「われわれは株主として、このリストの社外取締役を推薦します」といって、ESG投資先の会社に株主提案をどんどんできるとよい。株主提案は300単元でできますので、それをたくさんやることで活性化する。その結果、役員人事にいい人が出てくれば、会社が推薦する人よりもいいじゃないかといって〇を付ける株主も出てくると思います。
Q5:
今、リクシルという会社がもめています。それで株主同士で戦っているわけですが、このようなことがどんどん起こるといい。しかし投資する立場としては、このようなことが起こっている間はまともな経営はできないので、投資はしないと思います。
A:
投資家としてはそうかもしれないが、今の訳の分からない経営陣が一掃されるとよくなるのではないですか?待ってせいぜい1年でしょう。リクシルにあわてて投資する必要はないと思いますので。
Q6:
先生にぜひいろんなところの株主になっていただいて、株主提案していただければと思いますが。いちばん、実効性があるような気がしました。
A:
総会屋になってみますか(苦笑)
以前、事前承諾もなにもなく、東芝で株主提案の役員候補者にされたことがあったのですが、会社側は「承諾を取っていないので、この人に投票しても駄目です」といって、私やオリックスの宮内さんがエントリーできなかったことがありました。でも、事前に同意を得た上で出します、というグループが出てくると、結構面白いかなと思います。
Q7:
このような世の中になった原因は、やはりデフレではないかと思っています。結局、投資をしなくても、デフレの間、金融資産は目減りしない現状があり、どうすればインフレするのかが大きいと思っています。
それから、いろんな意見の中、若者はどうして夢を持たないのか、スマホばかり見ている、というお話がありましたが、若者がスマホを見ているのは、電車の中で新聞を読んでいるのと同じ感覚ではないでしょうか。ゲームをやっている人は、詰め将棋や囲碁をやっているような感覚で見ていただけたらなと思います。
もう1点、夢を持つと若者は結構いると思うのですが、先輩方がリスクを取ってくれない傾向が非常に強いような気がします。例えば私がこの会で名刺交換をして、何人の方からメールに返事をいただけるでしょうか。反応がないことも多いので、ぜひ返信をいただけたら、若者としては大変勇気が湧くと思います。
A:
デフレは確かにそのとおりです。デフレ、かつ、みんな貧乏なのです。今、いろんな問題だと言われているものは、デフレと貧乏をセットにすると、ほとんど答えは見える。
また、若者がスマホでゲームをしているのは、詰め将棋みたいなものだということでしたが、それは理解できますが、時間つぶしならば役に立たないのでやめろと言いたいのです。時間は有限なので、自分のために勉強したり、誰かのためになったり、もっとちゃんとした面白いことはないのですかと言いたくなるのです。
偉い人はリスクを取らないというのも、そのとおりだと思います。もっと本気でリスクを考え、リスクマネジメントしながらチャレンジしていく。こういうことをしない、リスクを取らないというのであれば、私も賛成です。しかし、リスクの延長で、メールの返信がないというのは、違うかなと思います。人それぞれ時間コストが違いますし、メールを読んで「この人はなかなかいい考え方だな。この人は教えるとリアクションがいいな。もう少しこの人を知りたいな、友人になってみたいな」と思えば、自然と返信するものだと思います。
ちなみに私は、名刺交換した後にメール3回目ぐらい受ければ、返事しますよ。
=============================
ここで1時間あった意見交換・QAコーナーは時間切れとなりました。非常に熱のこもったディスカッションでした。
あっという間の2時間でしたが、最後に馬場理事長より、久保利先生へのお礼と終了宣言があり、お開きとなりました。
久保利先生は弁護士になって49年、その仕事ぶりは、いろいろと話題になった東芝、厚労省に対しても、ずばずばと厳しい意見をぶつけ、日本を良くしようと精力的に活動するコーポレートガバナンスの第一人者。ずばずば言うと、日本では煙たがれる存在になりがちですが、「言いたいことをよく言ってくれた。すっきりした。」とファンになる人も多いとのこと。ご自身で「弁護士は天職だ」と思われているそうですが、私も同感です。ファンになりました。今後のご活躍を祈念しております。
ありがとうございました。
(報告:21世紀構想研究会事務局 渡辺康洋)
(写真:21世紀構想研究会事務局 福沢史可)