講演 凋落する日本の科学技術研究 松本洋一郎(東京理科大学学長)
科学技術研究指標は軒並み低落
日本は「科学技術創造立国」であることを国是としていましたが、最近、論文数や特許数といった量的な情報を政府が発信しなくなりました。官僚のシンクタンク機能も低下して、政界への提案働きかけも衰退しています。
科学技術を理解して推進する有力政治家もいなくなってしまいました。科学技術政策の司令塔である科学技術イノベーション会議の存在感がほとんどなくなり、司令塔が多すぎて存在意義もなくなっています。
さらに、成果をあげる大学が一部に限られていて、特に地方大学を見ると惨憺たるありさまです。企業の科学技術研究もかなり前から低迷してきてしまっています。
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた1980年代というのは、明確な目標のもとに、高水準継続的な成長を図ることができました。ところが、2000年頃にGTPが増えなくなって科学技術予算も増えなくなりました。
それではフロントランナーの地位を保てない。なんとかしないといけないということで、私はRU11という組織をつくって、当時の科学技術政策なり大学政策について物を申そうということで活動してきました。
最近になって日本工学アカデミーが「わが国の工学と科学技術の凋落を食い止めるために」ということで、「まず大学の研究力の強化を図ってほしい。特に基礎的研究の能力強化のために安定性を持つ公的資金の充実を図るべきだ」ということを緊急提言しています。
世界の国々では科学技術研究に持続的に資金が投入されているのですが、日本では当該予算は低迷して科学技術立国の危機が叫ばれています。
日本の論文数の低迷
それまで世界と同水準で数が増えていた日本の論文数は、2000年あたりでまったく増えなくなりました。論文数の世界ランクを見ると、日本は今4番目ですが、ハイ・インパクトの論文についていえば、被引用論文10パーセントの論文数がどんどん下がっています。被引用論文1パーセントで見ても同じように下がっています。一方で他国を見ると、むかしは「ジャンク・ペーパーしか出していない」などと思われていた中国が、ハイ・インパクトの論文を量産しています。アメリカもそれなりに論文を書いていますし、ヨーロッパもやはり論文数が増えています。
最近の論文の国際共著率の伸び方も、日本よりヨーロッパなどのほうが大きい。中国は中国人同士で論文を書くことが多くなって、それほど共著率は上がっていませんが、資金力が圧倒的に違うので勢いよく伸びています。
人口あたりの各分野の論文数の衰退が著しいのは工学系です。これは、企業の中央研究所などにおられる方々の論文数が減っているのが原因でしょう。
理学系は大学ぐらいにしかないので大きくは減っていませんが、臨床系の論文も医師が忙しすぎて、論文なんか書いてられないという状況になってきています。生命科学系の論文も減っています。
特許数も減っている
論文の数だけではなく、研究成果を権利化する特許も非常に重要です。物をつくって稼ぐという時代は過去のものになり、ある種の特許やソフトウエアといった無形資産を売ってそれで稼ぐGAFAがやっているようなビジネス市場価値が非常に大きい時代に入りました。この分野でも日本はかなり弱くなってきています。
例えば、1985年、1995年、2005年の頃の、米国に特許を出している会社を見てみると、むかしの日本は多数の特許を出していました。それがどんどん減ってきて、いまやキヤノンがトップ10に入っているだけです。PCT出願では、トップ10の中に日本の大学は入ってなくて、阪大がやっと11位に入っているような状況です。
世界の特許の出願動向を見ると、最近中国の特許の伸びは著しいものがあります。以前、「中国は特許を盗んでいる」などと言われていましたが、最近はものすごい勢いで特許を書いています。
とにかくなんでも特許化してしまい、そのあとで係争をして、どういうふうに特許を書けばいいのかを、戦いながら自らを強くしているのが中国です。日本もかつて特許係争がたくさん起きるとの想定から、知財高裁を作って制度強化をしたのですが、実際はまったく係争が起きていません。ところが中国やアメリカは、いっぱい係争をして、その中からお金になる特許を大量に出していきますし、どのような特許を出せばいいかを常に学んでいます。
研究者の数と公的資金を増やして対処せよ
日本の科学技術研究が衰退している具体的な要因の1つが、研究者数の低迷です。日本は研究者の数がまったく増えていません。アメリカはそれなりに増えており、中国はもちろん増えている。EUも全体で研究者の数を増やしているし、研究に対するファンディングもやっています。
統計的には、研究者の数が多ければ論文は多くなるという単純な相関関係があるので、研究者を増やせば日本だってもっといっぱい論文が書けるはずです。
つまり、博士人材の育成が喫緊の課題となります。ところが、日本は博士号取得後のキャリアパスが不透明で、これが博士人材の活動の阻害要因になっています。また、博士課程の学生を支える国の予算も極めて不足しています。
アカデミアしかポジションがないような現状では、なかなか博士にはなろうという人はいません。アメリカのように企業で博士を持った人材がもっと活躍しているという状況になれば、随分考え方は違ってくるはずです。
そもそもの話として、日本は少子高齢化に一気に突入し、働ける人たちの数がどんどん減っています。人口ピラミッドがどんどん三角形から逆三角形になっていくなかで、例えば、2050年になって65歳で定年はできないでしょう。75までは働く。こういう社会に変えていかないと、とても日本社会はもちません。
人生100年時代にどう対処するかということに、ひとつのモデルがあります。先進国の少子高齢化は世界的な傾向なので、今、日本が課題解決先進国になって、デファクトをとるというのが重要です。
18歳人口が減ってくると進学率が増えていても学生数は頭打ちです。24歳、23歳で入ってくる課程博士の方々は減ってきている一方で社会人の課程博士は増えているので、この傾向をうまく風をとらえる。
他国のように、社会にいったん出た後にもう一度大学に戻ってきやすいようにするという方向に動いて、人材の流動性を促進する必要があります。社会人の再入学というようなことも十分にあるでしょうし、学士入学をもっとやりやすくするといったことが考えられます。
日本の科学技術が衰退しているもう1つの大きな要因が、高等教育機関への公的資金が頭打ち状態であることです。日本は投入されている公的資金が世界の中で比較してもかなり少ない。これも統計的には、高等教育機関に資金が入れば、論文は増えるという相関関係がありますので、やはり大学への研究資金の投入は喫緊の課題でしょう。
競争資金だけではダメです。意外と、私学が研究に資金を投入するようになっていて、相応に論文数が伸びていますので、研究力のある私大の活性化が重要です。
産学官連携によるイノベーションエコシステムの構築
GDPあたりの論文数のデータからは、論文をたくさん書いている国はプロダクト・イノベーションが起きている率も高いということがわかります。つまり、基礎的な研究をして、種がたくさんある中で初めてイノベーションが起きてくる。
このとき注意したいのは、研究者に対して「イノベーションを起こせ」ということがよく言われますが、研究ステージと製品化に向けた開発ステージの間には、「魔の川」というものがあり、なかなかこれを渡り切れないということです。
また、開発が終わってから製品化の間には「死の谷」というものがあります。そして、製品化してもそれが市場を席巻できるかというとそんなことはなくて、事業化に至るところには「ダーウィンの海」があるとされています。
これらの障壁を乗り越えるためには、研究者がすべてをやるのではなく、PIやPMといった人が研究者と一緒になって研究やプロジェクトを進めていくという、「イノベーションエコシステム」を構築していく必要があります。
大学だけで生きるのではなく、産業界や国立研究開発法人と連携をしながら、その連携の中で大学が大きくなっていくというモデルに変わっていかねばなりません。それを実現するには、やはり産学官の緊密な連携が必要です。日本の中で大学、企業、それから国立研究所、それぞれを行き来しながら人が循環していくようなシステムに変わらないといけないのです。
意見交換のコーナー
馬場理事長(司会):先生ありがとうございました。前半はわが国の研究現場が年々衰退化へ向かっているということを、客観的なデータで示していただきまして、大変私たちは危機感を持ったわけでございます。後半は社会構造も日本はどうも昔と変わらず停滞したままになっているのではないかと。特に高等教育、大学教育の変革が非常に遅れているというようなことを示していただきました。
中尾政之:興味深かったのは、社会人の再入学の拡充強化についてのお話です。経験上、東大にずっといて勉強していましたというような人からは面白いものは出てきません。
逆に、よく面白いことをやっているスタンフォードやMITの修士の学生の半分くらいは一度外に出てから戻ってきた人だそうです。ですから、一度卒業しても卒業証書を持ってきたら、速やかに入学書と交換するとか、4月だけでなく6月や7月でも入れてあげるとか、単位を大学間で融通できるようにするというようなことをやらないといけません。
今、企業も一括採用ではなく通年採用になってきました。トヨタに行くと中途採用の東芝出身者が多くいます。大学も同じようになるといいと思います。
松本:ドイツがそうですね。大学をあっちに行ったりこっちに行ったりできます。
黒木登志夫:日本の大学はドイツ、アメリカ、イギリスに比べてものすごく格差が強く、固定化しています。予算全体を増やしても、強いところが強くなるという「rich get richer」の原則によって、全部東大が持って行きます。
ますます格差が広がることになるし、東大の予算を地方に回すということもできない。ですから地方大学を活かすには、いい大学を固定化してやっていく以外にはありません。これを今の財務省と経産省がよく理解していません。彼らに考え方を変えてもらわないと、うまくいかないんじゃないかなというのをつくづく思っています。
松本:私もそうだと思います。ひとつの大学だけに大きく突っ込むのではなくて、ある種のクラスターをつくって、うまくネットワーク化したところに、ファンディングをするということを意識的にやっていかないとまずい。ある種のサイズをキープしていくような、そういう構造に変わっていくというのも大事です。
同じ給与体系で人材が回るのではなくて、動くとメリットがあるようにして、インセンティブをつけながら人材の流動を加速していくような政策も必要だろうと思います。
地方大学については、なにかにこじつけて無理に伸ばすのではなくて、自発的に出てくるいいところをうまくサポートしていかねばなりません。運営費交付金を下げて、それを競争的資金に回したところで、強いところが強くなるのは明白です。基盤的な運営費交付金はそのままにしておいて、上に積む科研費のようなものをもっと単に増やしていく、そういう競争的資金を増やしていくっていうことで、文部科学省が財務省と戦ってお金を引っ張ってくるようなことができれば、だいぶ見える景色が変わったと思います。
事業費をもらえばもらうほど基盤的なところは弱っていくという構造になってしまったところが、日本の学術政策の大きな失敗学だったんじゃないかというふうに私は思っています。
馬場:日本の科学技術政策は、政策ではないのですね。金はつぎ込むけれど頭で考えることを非常に軽視するようになったと思うのですが、元文科省事務次官・森口さん、それに対してどう答えますか。
森口泰孝:国立大学についての最大の失敗は法人化です。当初の説明では運営費交付金は変わらずにそれに上乗せで競争的資金を入れるという話だったのが、実際に法人化すると、いわゆる運営交付金は減らされてしまい、ある意味、財務省にだまされてしまいました。
科研費もどんどん減らされました。競争資金が導入されて研究者の方も有期雇用となり、落ち着いて研究できない。それが非常に法人化したことが最大の失敗であったと思っております。
また、科学技術庁時代というのは、ヘッドが科学技術庁長官、大臣で、科学技術専門でしっかりと見ていました。それが、文部科学省になって、教育と科学技術の両方を見なくてはいけなくなり、かつ科学技術会議が総合会議制になって、内閣府に行ってしまいました。専門に見る大臣がいなくなったわけです。
これは、相当厳しい状況になっていったということが言えると思います。政治の最大の失敗は、小選挙区制です。小選挙区制によって、自民党の中選挙区での切磋琢磨がなくなって政治家のレベルが低下しましたね。
では今後これをどう変えていくか。とにかく科学技術に理解のある政治家の方に、いろいろ動いていただきながらやっていく必要があります。まさしく博士が重要です。今は東大にしても、大学院に行くのは外国人ばかりです。例えば、一時、理科大がやったように博士課程を無償化するとか、思い切ったことをやって、ドクターを増やしていくということも必要かなと思っています。
黒木:私は法人化をやるべくしてやったものだろうと思っています。あれがなければ、ますます悪くなっていったんじゃないかと思います。自分勝手だった大学がいろいろ広く考えるようになったのは、法人化のおかげです。
選択と集中の考え方をかなり強く入れて、切り捨てるにも切り捨てられないようなところを残したまま集中するという点がうまくいかなかったのが問題ではないかと思います。
森口:おっしゃるとおりで、最後におっしゃった部分がうまくいかなかったところが失敗でした。これは財務省にだまされたと思います。
馬場:産学連携の現場でどっぷりつかってやっている、東京大学TLOの山本貴史社長、東大の研究者は一体何を考えていますか。
山本:去年、東京大学のライセンス収入は13億2500万になって、大体オックスフォードと同じぐらいです。清華大学よりもライセンスケースもロイヤルティーも多いので、厳しい状況でも産学連携を頑張っています。
先生のスライドの中で「魔の川」「死の谷」「ダーウィンの海」というのが、ありましたが、アメリカやヨーロッパでは、アカデミアと産業界のギャップを埋めるギャップ・ファンドとかフルオブコンセプト・ファンドというものがあります。これらがどのような運用をされているかということに、私たちの同業者はみな関心があります。そこがうまくいくと、イノベーションにつながってくるのかなということを強く感じています。
東京大学は今ギャップ・ファンドを始めていますが、これを国としてより強化できるかが鍵ではないかと思っています。イノベーションが起こると、その大学には世界から有能な人が集まってきますし。
松本:私がやっているJSTのプロジェクトにアクセルっていうものがありますが、それはギャップ・ファンドというよりは補助金です。PIとPMを組み合わせて、まず「魔の川」を渡れるよう研究者にアドバイスしています。
研究者自身が変わってやっていくような仕組みを、ある種ギャップ・ファンド的に政策としてやったという例はあります。いくつかおもしろいのも出てきています。
馬場:研究開発の成果を権利化するというのが知的財産の制度ですけれども、現状の分析と日本のあり方を佐々木信夫先生お願いします。
佐々木:松本先生のお話は日本をかなり悲観的に見ているような感じがします。世界の特許の出願動向について、私は今のところ中国をまったく評価しておりません。中国は6年間で特許の出願数が30万件から120万件に増えましたが、これをジャンクパテント出願と言わずして何というかというところです。そんなにかんたんに特許明細書なんて書けません。
特許の世界から見ると、日本とアメリカは圧倒的な特許先進国です。ヨーロッパではドイツが今最悪ですね。フランスが頑張っています。韓国について私はかなり評価が低くて、サムスンとかLGといった韓国の大手企業が世界に冠たる技術を出したことはありません。要は日米欧の技術をベンチマークして、そのあとを追っかけてきた大企業ばかりです。国家資本主義で、これをまねているのがファーウェイとかZPです。そういう意味でいうと、台湾というのは、国家資本主義じゃないですから、あそこで生まれた企業は、ものまねではありません。そういう評価をしてみると、実はまた違った見方ができると思います。
馬場:ありがとうございました。ほかに、中国が今話題に出てきたので、中国の現場に詳しいジャーナリストの倉澤治夫さん、いかがでしょうか。
倉澤:中国の大学はグローバル化が非常に進んでいまして、一流の大学をつくるためにものすごい集中と選択でお金をかけています。そのために、例えば上海交通大学はアメリカのミシガン大学に学部を作って、上海交通大学の優秀な上澄みをみんな留学で送っています。
そのせいで、アメリカの中でのミシガン大学の大学ランキンが上がるというようなことにもなっております。他にも西安交通大学や華東師範大学がアメリカの大学に学部をまるごと作っています。また、今、中国から海外へ出る留学生が年間60万人いますので、その人たちが欧米に残ったりして、いわゆる「頭脳循環上の知的ネットワーク」を形成していうことが統計から見えます。
それから、松本先生のご指摘にもあった、上位10%ではなくて、引用度でいうと1%の論文を書いたオーサーを全部チェックしてみると、2015年までは100人か150人ぐらいだったのが、2018年には500人ぐらいになっています。アメリカ、イギリスに次いで、ドイツを抜いてついに3位です。先ほどジャンク・ペーパーという言葉もありましたけれども、やっぱり科学技術は模倣から始まってベースが広がり、その中からオリジナルなものが出てきますから、私はやっぱり中国の存在は侮れないと思っております。
私が今ひとつ懸念しているのは、中国の大学は待遇がすごくいい。研究者は給料が日本円で1700万円くらいもらえて、研究費はふんだんに使える。そのため、日本の研究者がかなり中国へ行っています。そのコミュニティーがSNS上にあって、今年の1月に100人超えました。それぐらい吸い込む力が大きい。
また、中国は変化がものすごく早くて、3カ月行かないと全然違う世界になります。この動向はやっぱりきちんと隣の国の日本がウオッチしておく必要があるんじゃないかなというふうに、私は思っています。
馬場:有意義な講演と討論が展開されました。ありがとうございました。
(報告:21世紀構想研究会事務局 大谷智道)
(写真:21世紀構想研究会事務局 福沢史可)