中国アップルのiPhone6の意匠権侵害をめぐる熾烈な争い
伊藤真先生が「憲法の価値を学ぼう」と熱く語った90分(第129回21世紀構想研究会報告)

平和国家を捨てようとする日本なのか 終戦記念日に想う

 戦争か平和かに両極化した歴史

 江戸時代以降から現代に至る日本の歴史を見ると、平和に徹するか戦争を起こすか、そのどちらかに両極化していることに気が付いたのは、10年ほど前である。

 1603年の徳川家康の天下統一から明治維新まで平和国家を維持

  江戸時代の265年間、日本は内乱が収まり鎖国で外国との交流を絶ち、ひたすら平和国家を維持した。

 暗い戦争の時代

  1868年明治維新以降、それまで中国から移入していた文化をすべて捨て、西欧文化一辺倒になった。

  明治27年の日清戦争から昭和20年8月の太平洋戦争終結までの46年間、日本は外地で戦争を起こすか、ひたすら外地を侵略する戦争に明け暮れた。

 日清戦争1894年(明治27年)8月~1895年(明治28年)3月

 日露戦争1904年(明治37年)2月~1905年(明治38年)9月
 
 日中戦争1937年(昭和12年)7月~1945年(昭和20年)8月
 
 太平洋戦争1941年(昭和16年)12月~1945年(昭和20年8月)
 
 この時代に暗殺された総理大臣は5人にのぼる。戦争責任を問われて絞首刑となった総理大臣は2人、戦争責任から自殺した総理大臣は1人である。
 
 このような歴史を持っている国は稀有ではないか。そのような事実を私たちは、きちんと学校で習った覚えはない。断片的に記述されている教科書や本は読んでいても、長期的俯瞰で歴史を学ぶことはなかった。
 

 暗殺された総理大臣を列挙してみる

  • 伊藤博文 1909年(明治42年)0月月26日、ハルビン駅頭で暗殺
  • 原 敬   1921年(大正10年)11月4日、東京駅頭で暗殺された。
  • 犬養 毅  1932年(昭和7年)5月15日、515事件で暗殺された。
  • 高橋是清 1936年(昭和11年)2月26日、226事件で暗殺された。
  • 斎藤 実  1936年(昭和11年)2月26日、226事件で暗殺された。

 戦争責任によって死亡した総理大臣

  • 近衛文麿 1945年(昭和20年)12月16日、自宅で服毒自殺。
  • 東条英機 1948年(昭和23年)12月23日、巣鴨拘置所内で死刑執行
  • 広田弘毅 1948年(昭和23年)12月23日、巣鴨拘置所内で死刑執行
 515事件と226事件は、失敗に終わった軍事クーデターである。ドラマなどでは「憂国の青年将校らの決起」などと美化するような表現も見かけるが、要するに軍部のテロであった。この2つの事件についても、学校時代に歴史できちんと習ったことはなかった。
 誰がおこし、どのような責任をとったものか。今ではネット情報でたどるよりない。
 
 初代総理大臣の伊藤博文から戦争の時代の最後の鈴木貫太郎まで42代の総理大臣がいるが、そのうち延べ13代(全体の31%)は、暗殺か戦争責任で死亡した総理大臣になる。
 
 この時代、日本の指導者、政治家は血塗られた歴史の中で活動したということだ。このような暗い史実を持っている国はないだろう。私たち日本は、そのような歴史をたどってきたという事実を国民の共通認識として持つべきである。その上に立って、自分たちの国の在り方を考える必要がある。

 このような歴史の反動から、1945年以降の戦後、延々と平和を守ろうとするうねりが続いていた。戦前の軍国主義の流れをくんだ一群の強固な政治勢力はあったが、平和憲法を必死に守ることは、過去の暗い戦争の時代から逃れようとした国民の想いであったはずだ。平和主義に徹したのは、過去の過ちから逃れたいとする日本国民の想いであったはずだ。

 ところが、そのような流れを止めようとする政治的な動きが顕著になってきたのは安倍政権からである。憲法解釈を閣議で勝手に変え、安保法案を成立させ、これから憲法改正を実現しようとしている。軍事力を保持することを正当化するような改正をしようとしているように見える。

 自民党の改憲案を見ると、言論の自由は実質的に認めない条文になっている。恐ろしい政権である。55年体制以降、一時期を除いてほとんど政権を握ってきた自民党であったが、過去の党内事情では左派の言動を許していたし、またそのような党内左派の力を温存することでバランスの取れた政権運営を行ってきた。

 いま政権与党に、反主流派、非主流派というようなかつて自民党に存在した勢力は見られない。自民党にすり寄っているだけの公明党はもとより、そのような勢力は皆無である。官邸にたてつくような議員は、選挙で不利に立たされるという恐怖感を植え付けている。

 アメリカのワシントンポスト紙が、「オバマ大統領の核先制不使用の方針に安倍総理が反対することを米軍幹部に伝えていた」とするスクープを報道している。安倍首相の本音と思想がこの言動に出ている。

 中国を敵視するような時代錯誤の政権

 筆者は、これまで60回ほど中国に渡航し、主として中国の産業現場と知的財産、特に模倣品についての取材を精力的に続けてきた。またJSTの中国総合研究交流センターのスタッフの一員として、2006年の創設以来、中国のあらゆる動向を見てきた。

 中国は共産党一党独裁国家でありながら、自由主義経済を認める一国二制度のような特異な国である。長所もあれば短所もある。短所を見れば限りなくおかしな国に見えるが、長所を見ると驚くほど効率のいい国家体制に見える。そういうアンバランスの国家体制にありながら、中国は着実に先進国をキャッチアップし、経済力をつけてきた。

 筆者の観点を言えば、中国の科学技術は日本と肩を並べ、部分的に追い抜いて行く分野も間もなく出てくるだろう。たとえば宇宙技術はすでに日本を追い抜いて行った。知的財産の制度も、多くの点で日本を追い抜いているように見える。制度だけでなく、実効性がどの程度あるかいま精査しているが、日本はいずれ抜かれるだろう。

 そのような中国を敵視するような政策をとって何を得するのか。遣唐使の時代から日本ほど中国の文化を移入し、恩恵をもらった国はないだろう。皇室に子が誕生したり改元すれば、その名を中国の哲学書の文字からもらうことが普通だった。中国人は、その事実を半ば誇りにしていたと筆者は思う。

 上海博物館に展示されている漢字文化の地図を見ると、日本は漢字文化の「少数民族」と位置付けられていた。中国から見ると私たちは、漢字文化の少数民族だったのだ。そういう中国人の歴史観をみて、筆者はむしろ嬉しくなった。日本語は紛れもなく中国5千年の歴史と文化を踏襲したものである。

 そのような国の歴史と民族的つながりを見れば、中国と協調する政策をとるのが普通である。日本のメディアを含めて政治家も企業人も一般社会人も、中国と中国人を見下すような視点に立っているように見える。遅れている中国という思いがどこかにある。中国は賄賂の国であり、ビジネス社会に倫理観は乏しいという指摘はあたっている。

 しかし日本はどうか。中国に負けないほどの驚くほど馬鹿げたことが今なおまかり通っている。東芝の不正会計、三菱自動車の捏造データなどは、世界的に知られている日本を代表するブランド企業の信じられないような不正である。恥ずかしくて外国人に説明できない。東芝や三菱がやっているのだから、日本は普通にこのような不正や理不尽なことをやっているのだろうと外国人は思うだろう。

  高齢者らから嘘をついてカネを巻き上げる「振り込み詐欺」「おれおれ詐欺」などは、「日本人だからできる詐欺だ」と外国人から指摘されたことがある。他人を簡単に信用する日本人の性善説思考、電話一本で手の込んだ架空話で信用させる手口を指しているようだ。この犯罪は、中国、韓国にも伝播していると聞く。犯罪を輸出するまでになったのだ。

 日本と日本人は、近代日本の歴史をもう一度総括し、今の時代に取るべき「時代認識」を明確に持つべきだ。日本人は対外的にもっと謙虚に考え行動を起こすことが大事なのである。

 中国や朝鮮半島を侵略したのは、資源と領土をほしかっただけであり、そのほかの理由は見つからない。そのようなことを外国や外国人から指摘されるまでもなく、日本人として総括することが必要だ。理不尽だったことを認め日本人としての矜持を示すことで外国からも日本と日本人を再認識してもらう機会になる。

 終戦記念日を挟んで考えを巡らせたことを書いた。

 

 

 

 

 

 

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